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1.  きっと、うまくいく 《ネタバレ》 
冒頭で仮病を使って飛行機を止めるインド人をみて、笑うよりも眉を顰めた人も多いのでは?この映画は随所でインド人の倫理観の欠如したシーンがみられる。インド人側からすれば笑うシーンなのかもしれないが、非常に下品だ。一番看過できないギャグは、やはり「強姦」。騙されて強姦を連呼する生徒を見て主人公たちは大笑い。インドの観客たちもこれで笑うのか?インドは集団レイプ事件を多発させ、世界から注目を浴びる悪名高きレイプ国家だが、それを逆手にとった強姦ギャグは、笑うどころか許しがたいものがある。また、持参金の少ない花嫁は焼き殺され、夫が死んだら妻も焼身自殺(殉死)させられる。そんな歴史を持った国だったのです。こんなインドの女性蔑視の思想が「強姦ギャグ」の背景にあると考えると暗澹とした思いになる。悪役の学長は、わが子を自殺に追い込んだだけなら自業自得で許せる。しかし生徒も自殺に追い込んでおり、本来は彼が改心したとしても到底許せるものではない。しかし学長の存在はインド社会そのものです。こんな学校が存在するからこそ、インド人は世界で一番優秀なのです。アメリカの医師の4割がインド人であり、NASAの科学者の4割もインド人だという。ビルゲイツの後釜のCEOもインド人だ。数学に通暁しているのがインド人の強みだ。その理由は毎日食べるカレーが彼らの脳を活性化させていると、まことしやかに噂されているが、やはり勉強量が世界一なのだろう。いくら自殺者が増えようが、主人公がインドの教育制度を批判しようが、インドは変わらない。日本と同様に「ゆとり教育」に向かうとは到底思えない。競争重視という確乎たる信念を持った学長が正しいように私は思える。競争のない勉強─。それは1人で走るフルマラソンのようなもので絶対面白くない。泣ける映画であることは認めます。雨が降りしきる暁暗のなか、1つの生命を誕生させようとする生徒たちの躍動感が半端ない。ここは泣いた。ラストシーンは、4人の将来が「きっと、うまくいく」ということを、燦然と輝く青い海と、青い空をメタファーにして観客に暗示させています。 ちなみに私の信念は頑張りすぎないように頑張ることです。
[DVD(字幕)] 7点(2014-03-24 20:22:57)(良:2票)
2.  親切なクムジャさん 《ネタバレ》 
復讐は意味がない、もしくは、むなしいものだ、という前二作とは明らかに違っている。この物語は、「刑務所から出所したよ、じゃあいつ復讐するの?今でしょ!」という唐突感と違和感とが入り乱れている。しかし違和感を感じるが、共感も感じられる。しかも激しい共感である。新聞を読んでいると、他人事なのに、殺意が芽生える犯罪者が多いと思いませんか?「コロセバいいんだよ」と何度も心の中でつぶやいてしまう。残虐な少年たちが、毎回笑いながら弱者をいじめて殺す記事を読んで、この人はいつかは更生できるかもしれないと思ったことは生まれたから一度もありません。むしろ更正するような人間になってほしくない。更生するな。悪人は決して善人になるな。この世から消滅しやがれ。クソガキが無免許で高級車を運転して子供を3人ひき殺した─。「ワザトジャナイヨ。」「前途ある若者ダヨ?」ふざけろよ。なんで死刑にするのに何十年もかかるのだ?いや、死刑になるならまだマシだ。1人殺したら懲役20年。2人殺したら無期懲役、3人殺したらやっと死刑だ。冗談じゃない。クソ食らえだ。だから世の中には親切なクムジャさんが必要なのだ。クムジャさんはなぜ憎しみを持続できるのだろうか?いや、私も持続できるぞ。私は憎くて、憎くて、たまらない。私は憎しみの王様だ。こんな私も子供時代は違った。しかし人を憎む感情は、他人から植え付けられたものだと思う。レミゼラブルのジャンバルジャンと同じだよ。善人は悪人から憎しみを伝染させられるのだよ。私はもうこの憎しみを抑えきれない。クムジャさん、あなたは本当に親切だ。私はこんな映画が観たかったんだ。見終えても心は綺麗にはなりません。問題は何も解決しません。しかし、あいつがくたばったとき、自然と拍手していた。もうこうなったら善も悪もクソも関係ない。何よりも評価したいのは、彼女に因果応報の罰を与えなかったことである。彼女は絶対に許されるべきだ。クムジャさん、あなたは私にとっても親切な人でした。  
[DVD(字幕)] 9点(2013-05-17 21:32:41)
3.  息もできない 《ネタバレ》 
彼は自分のマイホームを売って、この映画を完成させたらしい。そりゃ息もできないだろ。しかも、手ぶれ映像が、あまりにもひどすぎる。むしろ息ができないのは私の方だよ。私はこういう男は許せない。道を歩いていて、こういうチンピラに突然、頭を小突かれたら、どう思う?つまり、暴力を振るわれた人は、どう感じるか?「この男の人は、家族が不幸だから、仕方ないよね、あははははははは」と笑って許すだろうか?笑えるかよ。絶対に許せないだろう。こういう人間は、好きな人間には暴力をふるわず、好きではない人間には暴力をふるう。それだけなのだ。そもそもこの男が、高校生の女の子をいきなりぶん殴って気絶させるシーンはおかしい。殴られた女の子が自分を気絶させた男と、のんびりと会話をしようと思うだろうか?断じてありえない。男は殺された。しかし殺されていなかったらいつかは誰かを殺していたはずだ。だから男は、自分が殺人者になる前に殺されてよかったとおもう。むしろ彼にとって、殺されることは、1つの救いだったのではないか?つまり、ようやく彼は苦しみから解放されたのだ。彼を倒した弟は、単なる悪がきだが、最後によく仕留めてくれた。とどめも、ばっちりさしてくれた。私はようやく安堵した。社会には因果応報は必要なのだ。主人公の境遇には多少同情するが、仕方なかったと思う。どうか安らかに地獄に堕ちてくれ。
[DVD(字幕)] 0点(2012-09-30 09:45:24)(良:2票)
4.  愛のむきだし 《ネタバレ》 
主役は3人。ユウ(西島)、ヨーコ(満島)、コイケ(安藤)です。満島ばかりが注目されていますが、安藤がじつに素晴らしい。彼女は悪役です。しかし父親から虐待を受け続け、ある日父親のペニスを切り落とし、学校では不健全性的行為を行う生徒を刺しまくって、返り血で真っ赤になり、あげくのはてに「壊れちまえ」とつぶやきながら日本刀で自分の腹を刺して爆死するという病んだ現代日本においては、どこにでもいそうなリアル女の子です。それでも存在感は満島を超えていた。もし、私が懺悔することがあるとするならば、彼女に好意を持ったことでしょう。冒頭の乱闘するヨーコは良かった。この女は男を憎むことによって輝きを増す。しかしである。なぜか後半から腑抜けのように弱くなってしまう。ユウごときに拉致されるなよ。しかもこの拉致によってヨーコは逆洗脳されてしまうのだ。それともう1人の主人公ユウ。お前の変態行為(盗撮)は、父のための偽りの変態行為だ。本当の変態たちに大変失礼だ。オタクじゃないのにオタクを演じる芸能人と同様に商業的パフォーマンスに見える。それにこの男は私の知る限り、3人は殺っている。しかし精神異常者で無罪。精神病院へ。ラストでヨーコのおかげで正気を取り戻す。感動どころか、正常者に戻ったのなら死刑になれよ、と私は怒りのあまり叫んでいた。お前の「原罪」は盗撮じゃなく人殺しだと気が付くべきだ。しかも勃起は愛なのか?じゃあ健全な我々は、妻以外の女性たちに勃起したらそれも愛か?むしろ妻より勃起してしまったらどうする気だ?違う、だから違うのだ。愛とは共感なのだ。けっして性欲ではない。だからコイケのユウに対する「共感」は紛れもなく愛だと私は思っている。それが罪の共感であっても。しかし親から愛情を受けずに育ったコイケの愛情表現はゆがんでいた。愛をむきだしにできる人間はむしろ健全だ。しかし愛をむきだしにできないからこそ、トラウマを抱えた我々は犯罪者のように苦しむのだ。ユウの父親が言う。「今日の罪はなんだ?」お前は自分の罪に逆切れしただけだ。だから「罪人は俺だけじゃなくて善人顔のお前もそうだろ?」と自分の息子に詰問したのだ。コメディは不要だ。盗撮シーンで一時間以上も使っておいて何が4時間の超大作だ。ちなみに盗撮は変態じゃなく犯罪です。今日も私の地元では学校の先生が盗撮で逮捕されました。
[DVD(邦画)] 2点(2012-09-09 21:10:14)(良:1票)
5.  ヤコブへの手紙 《ネタバレ》 
まず特徴的なことは登場人物が極端に少ないことです。盲目の牧師、人殺しの女、そして郵便配達人。この3人のみです。ヤコブは終始痛々しい。盲目であり、身内もいなく、家はボロボロで、自分自身の体もボロボロ。案の定、彼はすぐくたばる。人生は理不尽であり「白い犬」などいないのだ。そんな老人のことを、関取の豊響にちょっと似ている女は、終始傍若無人な態度で、よぼよぼの善人のじいさんに接する。特にヤコブの手紙を読むのが面倒臭いという理由で捨ててしまうシーンなどはかなり残酷でした。しかも金まで盗んで出て行こうとする。そんな女でも、タクシーに乗って家から出ようとしたとき、急にある事実に気が付きます。「自分には行く場所がない。」という事実に─。女は自殺しようとする。この瞬間、私は彼女を赦した。そしてラストシーン、絶望したときに発したヤコブの言葉─「わたしは神のために、手紙を読んで、そして人を救っていると思っていた。しかし神がわたしのために手紙を与えてくれていたのだ」と。人は生かされているという事実─。どんなに信仰を持った信者でもなかなかそれを意識することは難しい。むしろ信者や神父だからこそわかるはずもない真実なのだ。人は努力して頑張っているときほど、頑張っている自分が偉いのだと思いこんでいる。そして大抵は人がみえない恩恵を受けている事実に気が付くときは、その恩恵を失ってからだ。人間は愚かだ。失って気が付くのが人間だ。人を救うことすら、救う人間にたいして、自分自身が救われている。人の役に立ちたい、誰かのために生きる、という考えも、ある意味では人間の驕りなのかもしれません。女の苦しみを救った瞬間の、ヤコブのあの嬉しそうな顔─。救われたのはじつはヤコブでした。神がヤコブを救うために、ヤコブの前に豊響を遣したのだとおもいます。ヤコブの手紙には宗教問題にかかわらず、すべての人間に当てはまる普遍的なテーマが描かれているとおもいます。  
[CS・衛星(字幕)] 8点(2012-02-20 23:21:34)
6.  闇の列車、光の旅 《ネタバレ》 
個人的な話で申しわけありませんが私はクソ男が嫌いだ。その「クソ男」が主役でした。主役はクソギャング。クソがクソったれの男の子をギャングに勧誘したことがきっかけで、そのクソの男の子に殺されてしまうというクソドラマなのです・・。救いようがありません。普段なら躊躇なく0点ですね。ただ、映像が恐ろしいほど綺麗でした。こんな綺麗な映像は、タイトルは忘れましたが、台湾の監督が作った日本の北海道を舞台にしたあの映画を彷彿とさせるほど素晴らしかったです。こうみえても私も18切符を使って四国一周旅行をしたことがあるのですが、「闇の列車、光の旅」で、主役のクソとヒロインがアメリカへ行こうとしているその列車の描写は、まさにその「四国」と一緒な印象を受けました。主役のクソは悪党でした。しかし彼は「愛」を知って、理不尽な行動に出る。それが悪の頂点にたつクソボスを殺すという暴挙です。「愛」は見境がなくて怖い。しかし「愛」は損得なんて忘れてしまう。主役のクソはなんと「愛」のせいで、ギャングから「善人」になってしまった・・。それゆえに殺されてしまう。そんな物語、私の知る限り、何百回も観てきた・・。しかし何度観てもやはり切ない。悪が善になったがために自滅するという話・・。久しぶりにクソ男に同情して好感を持ってしまいました。想像を絶する綺麗な映像に乾杯!ワウワウに乾杯!クソ男に乾杯!  
[CS・衛星(字幕)] 8点(2011-11-13 21:12:30)
7.  シークレット・サンシャイン 《ネタバレ》 
神はいるのか?という叫び声が聞こえてきました。この世に神がいるならなぜ悪党の犠牲になる人がいるのか?こういうケースでは、多くの宗教の考え方は、人間の持つ業に目をつけ、かりに不幸が我が身に訪れた場合でも、これは己の業に対する神の試練だ、といって耐えることを教え諭すのです。しかし業のない子供はどうなる?すなわち罪の無い子供が殺されるという事実。これが神の御心なのか?神は罪のない人間を裁くのか?もしそんな神がいたらクソだ。その子供の死─。この事実こそが、神が存在しないことを、見事に立証しているではないか。しかしである。神がいないと、どうやって人間は善人になれる? だから宗教は生まれた。我々が万引きしないのは法律が怖いからではないのだ。それは無意識の罰を自覚しているからである。神を信じなくなれば人は欲望の権化と化す。もはやその時は法律など意味は無い。世紀末は近い。しかし、俺は無宗教だけど善人だと思うと出張する日本人よ、では君らは初詣に行って誰に祈っている?交通祈願、受験祈願しかり。人は常に祈るのだ!神と意識ないうちに神に対して。刑務所で信者になり神から赦された殺人犯─、むしろ罪を自覚した彼こそ真の信者。これに対し主人公の女性─、なぜ人は─、特に信者たちは「罪の意識」が希薄なのか?すべての人間は罪人だからこそ我々は人生の過程において罰という試練を受ける、そして己の罪を自覚し、他人の罪を受け入れる土壌ができる、その先に、汝の敵を愛せ、という赦しの思想が生じる。他人を赦すという行為は、善人が、悪人に対し、高い立場から優越感を抱いて下すものではない。同じ罪を抱える意識がなくては成立しない。酷なことを言えば主人公は被害者だからこそ罪の意識がなかった。他者に対する激しい憎みの源泉は、己の罪の希薄さを象徴している。(だからといって被害者は責められない)結論を言おう。被害者ほど信仰は不可能に等しい。反対に、犯罪者ほど、キリストの教えの本質に近づける。これが私のこの映画を観た感想でした。しかし、救いようがないようで、この映画にも救いはある。つくづく映画はラストがとても大切なのだと改めて実感させられました。まさにシークレットサンシャイン。最後は涙が止まりませんでした。
[DVD(字幕)] 9点(2011-10-12 19:53:38)
8.  約束の旅路 《ネタバレ》 
混乱必死なので簡潔にまとめます。◎イスラエル人(ヘブライ人)・・イスラエルを祖国とする人たち。。◎ユダヤ人・・ユダヤ教を信仰している人たち。イスラエル人の中には、他宗教を信仰する者もいるし、無宗教の左派もいる。従ってユダヤ人=イスラエル人ではない。いずれにせよモーセ作戦の対象者である彼らは、エジプト人からはよそ者と言われ、ユダヤ人からは「黒人」と言われてしまうわけです。黒人で、キリスト教徒で、しかもユダヤ人を偽るエチオピア人の主人公は悩みます。(この設定が難解だ)彼は叫ぶ。自分の祖国はどこ?自分は何人?しかし手紙を書く宗教家のおじさんや、養家の祖父の愛情があまりにも深すぎて号泣してしまう。彼らは主人公の正体を知っていたはずだ。しかしそれでも彼を愛していたのだ。青年に成長した主人公が警察で自分の正体を告白するシーンは、あたかも「罪と罰」のラスコーリニコフであり、彼は正体を隠す自分を罪人と思い込んでいた。恋人のサラだけは主人公の正体を知らなかったのでショックを受けた。だが彼女は言う。「白だろうか、黒だろうが、ユダヤだろうが、エジプトだろうが、わたしには関係ねえんだよ。おい、わたしはあなたという人間を愛していたのだ、なぜ10年間も言ってくれなかったのか?」この女、虚言癖が激しいが、じつは非常にいいヤツで本気で泣けてくる。差別というのは、知らない人が、知らない人を評価するときに生まれる。知らないからこそ、民族や肌の色、デブハゲなど、容姿で判断してしまう。しかし人が人と接するうちに、そんな記号の偏見は消える。差別があるから愛せないのではない。知らないから差別するのだ。母親は、我が子を捨てることで命を救った。その子は遠い場所でずっと母を想いつづけた。そしてラスト。主人公がエチオピアに帰還し、自分を捨て、同時に命を救った母親を抱きしめたラストシーン。ただ、ただ、ひたすら号泣した・・。もう言葉もない。紛れもなく名作だ。 
[DVD(字幕)] 10点(2011-09-20 19:39:45)
9.  チェイサー (2008) 《ネタバレ》 
身体上の理由から女性を愛せないと思い込んだバカ男が、女性を激しく憎む。このようなクズは韓国だけではなく世の中には必ずいるものだ。女性を、性欲の対象としか見えていないのだ、女性を心がない人形だと思い込んでいるのだ、セックスできないならば不要なゴミだと思い込んでいるのだ。おまえらは弱者でありながらさらに非力な弱者を見つけ出して痛めつけているクズだ。さっさとくたばれよ。映画は物語だ。どんなに残酷で、救いようがない実話であっても、一縷の望みというものが描かれていないならば、それは映画ではなく、事実をなぞるだけの新聞と同じだ。あのラストは醜悪だ。まるでダンサーインザダークだ。観客に対して、あと1歩で助かりますよと宣言しておきながら、「はい残念でした。くやしいですか(嘲笑)」という手法は、あたかも虚無主義に等しい。これが意表をつく衝撃のラストだって?そんな衝撃などクソ食らえだ。私は彼女が助からなくて悔しかった。怒りに震えた。監督よ、これで満足か?我々観客は、現実の厳しさは知っているつもりだ。しかしその現実の厳しさを、映画のなかで再確認するために映画館に足を運んでいるわけではない。欲しいのは救いだ。夢だ。希望だ。罪なき女性が何人も殺されたという事実、しかし殺人は100%成功するわけではなく、その中には未遂も当然含まれている。ニュースで報道されていなかっただけで、やはり生き延びた女性がいたはずだ。そんな女性の1人が、命を賭して逃げ出し、そして娘と抱き合って喜びを爆発させる─。これが映画なのだ。現実では救えなかった人を物語の中で救い、観客にカタルシスを与える─。私はこの映画を許さない。 
[DVD(字幕)] 0点(2011-09-19 10:21:43)(良:1票)
10.  ハート・ロッカー 《ネタバレ》 
あの軍曹は戦地から帰ってくれば、オーラは消え、ただの凡人になってしまう理由は、彼が簿記の資格を持っていないことや、社労士の資格を持っていないことにも少しだけ関係があるのですが、ようするに戦地では優秀な軍曹が、ネクタイをして会社に出勤すれば、年下の大卒のガキから「仕事が遅いぞ!」と叱責されてしまうわけで、つまり軍人としてのスキルは最高のものを持っているが、サラリーマンとしてのスキルは雑魚に等しいということ、それだったら、もう一度、戦地に行き、栄光の軍曹さまとして、他人に尊敬されたいと思う気持ちが芽生えるのは自然な成り行きなのですね。特にアメリカのばあい、戦地から帰ってきた退役軍人の大半が、うつ病で苦しんでいる現状があるのですから、帰還した兵士の自殺が異常に多くて、その事実を知って欲しくて私が言いたいことは「戦争が麻薬」というキャッチコピーは少し誤解されやすいと思うことです。けっして彼らは戦争がしたいわけではなく、戦争しか自分の存在意義を見出せないという社会的な問題がそこに見え隠れするのです。それからこの映画をみていて日本の神風特攻を思い出しました。「イスラムの自爆テロと、神風を一緒にするなヨ!」と思うかもしれませんが、敗者の論理など、この際どうでも良いのです。アメリカの視点では、イラクも、日本も、自爆も、神風も、クソも、全部同じであり、率直に表現すれば、それはクレイジーなのである。そういえば日本には、男はつらいよ、という映画が昔ありましたね?さしずめ、この映画は「アメリカ人はつらいよ」というニュアンスが込められていました。すべての人間は相対的な悲劇を抱えている。これが世の法則なり。最後に爆弾を抱えて出てきたイラク人、彼は被害者でしょう。むしろ善人でしょう。しかしアメリカの視点では、彼は変人扱いなのです。突然、車で侵入してきたイラク人もしかり。映像のなかでイラク人が全員テロリストに見える、それはけっして客観性を排除した手法ではなく、あくまでも、アメリカの視点にたった、アメリカ兵の、消耗しきった心理状態を表現している。アメリカの病み具合がワカリマスカ?分からない?それならそれで良いです。この映画、けっこう難しいですよ。 
[DVD(字幕)] 9点(2011-09-14 20:48:21)(良:1票)
11.  ディセント2 《ネタバレ》 
女が強い映画である。彼女たちが男の腕を切り落として逃げるシーンはディセントシリーズが、どんな映画であるかを印象付けた貴重なシーンでした。つまり「男」はシリーズを通して、一貫として脇役なのです。強い女といえば、エイリアンと戦うリプリーや、ゾンビと戦うアリスを思い出す。地底人と戦うサラは、この偉大な女性たちに近づこうとしているように感じる。一番すがすがしいのは、サラが「またこんな地獄に連れてきやがったのかよ!」と愚痴ったりせずに、すぐに前向きに脱出しようと考えているところです。強い女たちは最初から強いわけではない。シリーズを通して成長し強くなっていく。ではサラが戦う相手である地底人と何者なのか?彼らはもともと人間であったという噂もあります。真意はパート3以降に判明するでしょう。このモンスターは、エイリアンのような強さは持っていない。しかしゾンビのように数にものを言わせて攻めてくる。対抗策は声を出さないこと。サラのライバルであるジュノが、声を出したらぶっ殺すぞクソジジイという怖い顔をして保安官を脅したときや、彼女が左手を挙げる仕草はカッコよすぎる。一生あなたについていきます!と叫びそうになりました。女が強いって素晴らしい。ラストは明らかに続編を意識した終わり方になっている。おそらくサラは死んでいない。ジュノのように、さらにベテになって、地底人を殺しまくっていることでしょう。一番気の毒なのはむしろ地底人たちかもしれません。地底に借り暮らしのサラに対して、早く出て行ってくれ!と思っているかもしれません。血まみれの顔で絶叫するサラの顔は、明らかに地底人よりも恐かったです。 
[DVD(字幕)] 8点(2011-09-04 12:51:30)(笑:1票)
12.  ブタがいた教室 《ネタバレ》 
人間は偽善者だと私は思います。口蹄疫に感染した宮崎の農家にとって、牛は我が子。 せめて病気になった我が子を処分する前に最高の餌を与えたいと涙を流す。 これをみて我が子を売る商売でいいのかよ!という人はあまりいない。 なぜならば農家の人が必死で育てた牛は、人間に食べられることが本望だというのが人間の考えだからである。もちろん子供にはまだ分からないことです。すべての人間は生きるために「偽善」を抱えており、 そしてあらゆる偽善者が自分を棚に上げて、別の偽善者を批判する。これが世の法則なり。この映画を見て、観客である偽善者が、あのセンコーは偽善者だと叫ぶことも「法則」なのです。いずれ子供はそれを知ることになる。あの先生がその真実を早く教えてくれた。私の嫌いな妻夫木のナミダビームも今回は許そう。飼っていた豚も、海に乗り上げて苦しんでいる鯨も、矢に刺さった鳥も、全部大切な命だ、助けなくてはいけない。その一方で猟銃の免許をとってスポーツ競技として鳥を撃ち殺す人間の真実よ。吉野家の豚丼を、かわいそうだと言って涙を流して食べる人間など皆無である。豚は牛よりちょっと安くてお得だな、と思うぐらいだ。子供たちは別の知らない豚ならば美味しく食べて「ごちそうさま」と礼儀正しく手をあわせる。良い子なのだ。子供とは無知ゆえに純粋さを保持できるのだと思う。我々人間は吸血鬼だ。誰かを殺して血を吸って生きる生き物と同等なのだ。己の罪を自覚すること。業を知ること。これが作品の主題だと考える。あの先生はじつに偉い。まるでダークナイトにおけるジョーカーのようだ。性悪説の伝道師よろしく一貫した哲学を持っている。目をそむけるな!見ろ!聞け!知れ!そう必死で叫んでいる。映画は不愉快だと面白くない。しかし人生は不愉快を感じることで真実を学ぶことができる。 
[地上波(邦画)] 8点(2011-06-18 23:05:51)(良:1票)
13.  さよなら。いつかわかること
正直に言う。私は私以外の誰かが死んだことでショックを受けたことは、今まで生きてきて一度も無い。おばあちゃんが死んだ時も、おじいちゃんが死んだときも、友だちが事故死したときも、すぐに立ち直った。何を言いたいのかといえば、私は私が亡くなった人を愛していたが絶望をしなかったということだ。取り乱すこともなかった。本作品の父親はあきらかに絶望して、廃人になりかけている。「父親のてめえがそんな腑抜けになって子供が守れるのかよ?」これがこの映画を観た第一印象です。それと同時に人は人が死んだらここまで絶望できるのか?と不思議に思ってしまった。父親の行動は明らかに常軌を逸している。亡き妻の声が吹き込んである留守番電話に独り言を言うシーンや、子供を無断で学校を休ませ、そのあげく、自分も無断欠勤して、幽霊のようにドライブに出かけるなど、もし私が子供で、こういうオヤジがいたら、不安で泣いてしまうだろうと思う。それに反比例するかのように娘2人が天使のようにかわいい。特に長女は、オヤジが悲しみのあまり暴走してしまったことを直感的に気がついている。わざわざ学校に電話をかけている。子供に心配させてそんなことまでさせる親などクソかもしれない。すなわち、人間の心の弱さは当然ではあるが、親という立場になれば、子供の前でこれほどまでに己の弱さをさらけ出して暴走しても良いのだろうかと思ってしまうのだ。ロードムービーというよりも、むしろ父親の暴走。それでもそのおかげで子供に対して独裁者であった父親の内部では何かが変わりつつあった。娘にピアスをすることを容認する。それどころか娘が不良と隠れてタバコを吸っていたら「そんなヤツとタバコを吸わずに俺と一緒にタバコを吸おうぜ」なんて言い出すありさま。もしこれが現実ならば娘は「オヤジが狂った」と思うだろう。やっぱり、こんなオヤジ、イヤだ。早く立ち直ってくれ。お前がどうなろうが知ったことじゃない。娘2人を安心させろ、このばか者が! 
[DVD(字幕)] 6点(2011-04-10 21:46:02)
14.  パーフェクト・ゲッタウェイ 《ネタバレ》 
ぎゃああ!お、面白いっ。犯人が途中で分かった人がいるみたいだけど・・もしかして天才ぢゃないですか??ワタシはさっぱりわかりませんでしたね。えぇ見事に騙されましたとも!気持ちよく騙されました。だってそうぢゃありませんか、映画のパッケージでミラが必死で逃げるシーンがあるぢゃないですか?あれでもうイチコロで騙されませんでしたか?「絶世の美女、犯人に狙われる!」 そんな感じでしょう?おそらく世界で最も華麗に走ると言われているカール・ルイスのように腕を振上げて逃げるミラの映像を見せられて、ワタシは最初からバリバリに先入観を植え付けられてしまいました。まさに監督の思う壺。ミラファンの私はこう思った。「ミラは逃げているけど、どうせ最後に犯人を倒して勝つよ、正義は勝つ!」おまえは小学生か、というぐらいに無邪気に勝手にストーリーを予想して悦に入っていた。それなのにである、あのスター俳優のミラを追い抜いて、主役になってしまう女性がいるなんて誰が思うでしょうか?しかも肉屋のバイトで、動物の死体を解体する厚化粧の女がですよ?彼女が突然善人になって、ミラから主役を奪い取るなんてそれだけで衝撃的だ。悪人だと思われている人間が善人だった、もしくは善人だと思われていた人間が悪人だったという話はドンデン返しものにはよくあるオチですが、主役だと思われていたスター俳優がじつはスペシャルゲストよろしく脇役だった!この事実に驚かずにはいられないのだ。しかもミラと言えば、ゾンビと戦うアリスのイメージが強く、世界最強の女性として君臨している女傑である。そんな彼女が肉屋のバイト女と戦って苦戦しているという事実に、背筋に鳥はだがたった。ミラが悪役だと分かってもどうしても信じたくないというジレンマ、しかもミラが弱い!ふつうの女みたいに!そういう許し難い事実に対して、知らず知らずにうちに悔し涙が・・。しかし最後に強引にミラを善人にしてしまったことに感謝したい。なにかよく分からない物語だったが、こういう映画を楽しめた自分を褒めたい!ワタシの幼い感性にバンザイ!ついでにミラ、バンザイ!  
[DVD(字幕)] 9点(2011-04-03 21:36:14)(笑:1票)
15.  つぐない 《ネタバレ》 
贖罪とは「善行を積み、自分の犯した罪を償うこと」だという。果たして彼女は、罪滅ぼしの目的で小説を書いたのか?そうではなく、「彼女は病気になり、自分の罪を忘れてしまうことを恐れた。だから小説を書き、自分が病気で忘れても、みんなに自分の罪を永遠に覚えてもらおうとおもった」という意見もありますが、つまり、罪滅ぼしではなく、罪を刻むための小説だったと─。分かる気がする。彼女は最初から赦しなど期待していなかったと思う。これは特定の1人の女性の罪を描いた物語ではなく、我々を含めた人間のあるべき姿を描いていた物語だとおもう。この物語の本質は、自覚した罪は赦してもらうものではなく、その罪は背負って生きていくべきという思想が前提にある。すなわち宗教的なメッセージが込められていた。従って「小説なんてつぐないになっていない」だとか反対に「つぐなった」という見方は、限りなくピント外れだと考える。妹が罪(十字架)を最後まで背負い続けるには、記憶を失う前に、あの小説を完成させる必要があった。彼女の優しさは、罪を自覚した人特有の、弱者に対する共感なのである。一番心が痛かったのは、彼女はキーラ姉さんの愛したバカ男を、自分も愛していたこと。彼女の愛し方は限りなく不器用だった。自殺に近い。池に飛び込むという愚かな行為で表現してしまった。「命の恩人です」という言葉が痛々しい。そのせいで愛するバカ男を怒らせてしまった。彼女の人生はウソではじまり、そして最後には、死んだ2人を、小説の中で救うというウソで幕を閉じることになる。映像の美しさがかえって理不尽に感じてしまうくらいに、ひたすら切なかった・・。
[DVD(字幕)] 9点(2011-03-27 23:37:27)(良:3票)
16.  オーロラ 《ネタバレ》 
結論から先に述べると物語としては面白くはない。だが視覚的に観る価値はある。バレエ映画としては恐らく世界最高峰である。内容は簡単に言うと、踊ることを禁止された国で、やんちゃな姫が踊りまくって、王様がケシカラン!と怒って騒動が起こるというもの。そこに王様である父親の悩ましい過去や、そして母親である王女の痛々しい過去がからみあって、さらに弟の皇太子が、姉のオーロラ姫に恋心を持っていたりする。これは複雑なヒューマンドラマか??と思った矢先、いきなり、姫が「わたし・・・妖精が見えるワ!」と言い出した後は、問答無用でファンタジー映画へと突入していく。思いのほか、つかみきれない映画であった。あげくのはてにオーロラ姫は、空を飛んでしまう。雲の上まで行ってしまう。そこは天国だろうか?あまり深く考えると損をする気がする・・。そこで恋する貧乏画家と踊る。三島由紀夫賞を受賞した舞城王太郎の阿修羅ガールみたいな許しがたい展開が次々と起こる。しかしそれを差し引いても、雲の上での踊りは圧巻であった。貧乏画家は一流の踊り手だった。製作者が、徹底して踊り重視の姿勢を貫く余り、物語性をとことん排除している。そのせいか意味不明な点はいくつかある。しかしやはり視覚的には満足はできる。残業時間が3時間以上越えてクタクタになって帰途につくサラリーマンよ。君らにお勧めできる癒し系の掘り出し物映画だ。1シーン、1シーンが、フェルメールの画のように光沢を放っている。美しさ重視だと理解してご覧ください。
[DVD(字幕)] 7点(2011-03-20 20:31:30)
17.  ぼくのエリ 200歳の少女 《ネタバレ》 
邦題は低俗。しかし赤川次郎の吸血鬼美少女シリーズと同レベルだと侮ってはいけない。舞台はストックホルム。画面に映し出される風景は、雪、雪、雪。子役の吐く息は常に白く、銀世界はその美しさよりも、むしろ「人生」の厳酷を伝えるための隠喩となっている。子供であろうが大人であろうが、日本であろうが、ストックホルムだろうが、人生は誰にとっても辛くて厳しい。そして人間であろうが、吸血鬼であろうが、みんな生きるために必死なのだ。エリはとにかく生きたかった。ただし己が生きるためには誰かが死ななくてはいけないという宿命を背負った子だった。もしあなたたちだったら、殺人を犯すぐらいならば自殺の道を選択するだろうか?言っておくが私はエリの「業」を責めたいわけではない。エリよ、君はたしかこう言ったはずだ。ここを去って生き延びるか、残って死ぬか、2つに1つだと。つまり、好きな少年と一緒にいたいために捕まって殺されるのか、または少年と別れて町から出て行くのか、そのどちらかだと。私は嫌な予感がしたよ。愛のために死ぬ孤独なヴァンパイヤのラストシーンを脳内でイメージして途中で吐きそうになったよ。エリが捨て身であのガキを助けて、あのガキが「救ってくれてありがとうエリ。ボクは君のことを心の中で永遠に愛するよ♪」めでたしめでたし、なんて奇麗事をほざく茶番劇のラブストーリーだったら私は断じて許さなかった。だけどラストは違った。私にとってあのラストは、淡白ではあったが究極のハッピーエンドであったと思う。もちろん物語はそんなに浅くはない。エリは性別を超越した存在だ。しかも生き抜くために打算的な存在でもある。従ってエリの愛が真実だったのか偽物だったのか私には確信がもてない。しかし、あの血まみれのキス。私は泣いたよ。あれを見てどうして彼女が狡猾な生き物に見えるだろうか?原作とは違い、わざとガキの父親をゲイにしたあたり、監督は性別を超えた究極の愛を描きたかったのではないか?エリとガキ2人の結びつきは、マイノリティ同士の結びつきと見るか、愛とみるか、生きるための同盟とみるか、さまざまな見方ができる。さまざまな見方ができるからいい映画なのだ。その証拠としてレビューもさまざまな見方にあふれている。これは良い兆候だ。
[DVD(字幕)] 10点(2011-02-12 22:28:02)(良:2票)
18.  彼とわたしの漂流日記 《ネタバレ》 
面白い。泣いた。笑った。おそらく10年後にはツタヤで掘り出しモノの作品として紹介されるに違いない。無人島を都会のど真ん中に持ってきたアイデアの勝利といえる。リアルティはさほど重視されておらず、「都会の無人島」は、大勢の人に囲まれながら、孤独を抱える現代人のメタファーになっている。従って共感しやすい。周りが人でいっぱいで賑やかなのにその無人島から出られない男、バカバカしくも、観客はその男の境遇に自分自身を投影させてしまうことになるだろう。男は自殺をしたかった。なのに無人島で暮らすうちに生に対する執着が強くなってくる。そもそも人はなぜ自殺するのでしょうか?生存本能が希薄になるからです。もはや現代人は水を手に入れただけで歓喜することはできす、衣食住を手に入れた喜びも忘れ、次は愛や地位、名誉、自己実現、さまざまなモノを欲しがり、行き着くところはどこなのか分からない。精神の充実と引き換えに動物としての本能が失われつつある。男があひるの中に住む場所を見いだしたときの喜びや、自作で食料を手に入れたときの涙は、生きる本質だということである。一方ひきこもり女のほうは、当然のことながら、無人島よりも快適な生活をおくっている。欲しいものはマウスをクリックするだけで簡単に手に入る。が、生きる希望を失っている。対極にある2人の生活を眺めていると、ストレス社会を行きぬくためのヒントが見えてくる。人は何か大きなモノを失ったほうが逆に生命力が増大することがある。もし自殺する暇があるならば、その前に一度全部リセットしてみるのもいいかもしれない。韓国で年2回行なわれる対北朝鮮想定の訓練を取り入れたことも斬新なアイデアだった。女の表現した言葉を借りるならば、韓国が誰もいない「月の世界」に変る瞬間だ。そんな雰囲気のなかで、主役の2人の男女がはじめて出会う。なんと映画の終わるラスト5分前である。閉じ込められて出られなかった男と、自らを閉じ込めて出るのを怖がっていた女、2人がお互いの作り出した無人島から脱出し、月の世界で出会う─。単なるコメディではみられない暗示に満ちた作品になっている。これは高得点だ。無人島に出前を持っていた仕事熱心な青年にも加点しておこう。
[DVD(字幕)] 10点(2011-01-15 20:57:52)(良:2票)
19.  エスター 《ネタバレ》 
マックスが信じられないほどかわいい。姉のエスターと妹のマックスと対比させることによりエスターの存在感が浮き上がってくる感じだった。つまり主役の悪魔を目立たせたいならば、まずは天使を目立たせる手法が効果的になる。もちろんマックスは天使でエスターは悪魔。しかし悪魔の化身と言われるエスターだが本当はかわいそうな女性だと思う。不倫大好きのあのエロ夫でさえ、エスターを「女」としてみようとしない。それは当然のことではあるが、しかし大人の女性にとってこれほどの孤独はないはずです。だったらエスターは自ら「私は今年で33歳なのよ、独身で恋人募集中よ、よろしくね」と言えばよかったのか?そんなことをすればますます世間の好奇の目に晒されてしまう。エスターはたしかに悪人でしょう。しかし彼女はただ愛されたかっただけなのだと思う。ホルモン異常のせいで、絶望し、怒りにかられ、何もかも壊してしまう。その繰り返しがエスターの人生であった。私はそう思う。彼女が号泣するシーンをみて、「怖かった」で終わらせてしまう人が大半ではないだろうか。しかしなぜ彼女は泣かずにはいられなかったのか考えた人はいるだろうか?そこに気がつけばさらにヒューマニズムの見地からエスターを見ることができるのです。あのイライラするほど頭の回転が鈍くてセックスばかりしたがるエロ夫が爽快にぶっ殺されたとき、思わずエスターに向かって「グッジョブ!グッジョブ!!」と連呼して叫んでいた。母親のほうは同情できる。彼女はもともとアル中で、世間ではダメママと言われる部類だろう。その過去があるからエロ夫から「離婚して子供をひきとるぞ」と脅されてしまう。エロ夫よ、おまえはエスターの策略にサクサクはまり過ぎだ。ばか者が。しかしこの母親、土壇場になって、我が子を助けるために天窓を自ら突き破って落下するのだ。子を想う母親の命がけのそのシーンをみて、私は心の底から感動した。ラストはハッピーエンドだと思う。これで親子3人、水入らずに暮らせます。エロ夫はどうか安からに地獄に堕ちてくれ。今度生まれ変わったらエスターは普通の女性となって、普通の恋ができるだろうか?そんなことを考えていると・・・やはり切なくなってくる。ちょっぴり泣きました。 
[DVD(字幕)] 9点(2011-01-15 20:50:45)(良:1票)
20.  ずっとあなたを愛してる 《ネタバレ》 
主人公の女は殺人犯。しかも殺した人間は我が子でした。くだらないマスコミに記事を書かせれば、冷酷な鬼母の犯行で片付けられるでしょう。ただし「事実」と「真実」は違う。女の出所後、母親の痴呆症や、警官の自殺など、不幸の大バーゲンセールがずっと続きます。息子殺しの正体がばれてクソオヤジから罵倒されるシーンもかなり痛い。しかしこういう場合、女は怒ることも泣くこともしない。感情のスイッチを切ることが唯一の防衛手段になる。これが傷つきすぎた人間が自殺せず生きるための応急処置なのです。アジア系の子供は監督の実の養子の娘らしい。この娘の無垢な愛情によってしだいに女は笑顔が増えていく。すると突然女が美人に見えてくる。もともと美人なのです。しかしそれを観客に感じさせなかったクリスティン・スコット・トーマスの演技が素晴らしい。まずそうにタバコを吸っていた枯れ果てた女が、だんだん輝きだしてくる。ただし女が周りに心を開けば開くほど、殺人事件の真相が暴かれていくというジレンマ。妹のレアは苦悩する─。小説「罪と罰」をめぐり、人殺しのラスコーリニコフと、姉を投影させ、突然ドストエフスキーに逆ギレする。「おまえ、人を殺した経験がないだろ?空想で殺人の苦悩を描くなよ。この不幸フェチのクソジジイが!」と、こんなふうにレアは言いたかったのでしょう。ラストでついに女の口から事件の真相が語られる。女はなぜ息子を殺したのか?実際にそれを知りたかったのは誰なのか?裁判官か?野次馬か?それともオチをおねだりする思考麻痺の観客か?我々は赦せる殺人なら赦すのか?赦せない殺人だったら赦さないのか?女は善か?悪か?偽善か?ノン、ノン、違います。女の告白は、すなわち「真実」は、彼女の罪を観客にジャッジさせるためのパフォーマンスではない。真実は相対的でありその真実は妹のレアのために必要でした。彼女がそれを知ることによって姉の痛みを共有させるために。肉体の激痛さえ手を握ってもらうと、やわらぐという本質。告白後の女の重しがとれた晴れやかな表情が全てを物語っている。それでも女の前途は多難であり、今後も厳しい世間の目に晒されるでしょう。しかし家族は痛みを共有しあう。人はこうして再生していく。 
[DVD(字幕)] 10点(2010-12-03 21:51:52)
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