1. ローズ家の戦争
笑ったらいいのか、凹んだらいいのか、よくわからなくなって、結局「ま、人様んちの事だし」と放置プレイを決め込んだ自分・独身。 5点(2005-02-18 06:19:02) |
2. 未来世紀ブラジル
《ネタバレ》 劇場で鑑賞。リバイバル上映でした。正直、スクリーンで見ないと良さがわからない映画かも。感慨がまったく違ってきます。例えば、あの堅牢な建物が目の前のそびえ立つ圧迫感。あの羽をつけて空中を浮遊する高揚感。あの音楽の思わず救いを求めたくなってしまうような浮世離れしたノリ。あの鎧を着た武者の前に相対する主人公のあまりの小ささ。……こういったものが全部ドーンと目の前に迫ってきて初めて、主人公があの「夢」に逃げ込む理由がわかる気がするのです。現代社会の閉塞感に疲れた自分が、尻叩かれてそこに追いやられるような感覚を体感できるのです。「テロリスト」という言葉を聞かない日はない今日この頃、この比較的新しい言葉が、1985年の時点であそこまで日常化されていることに驚きました。正にアナロジー。 8点(2004-12-16 21:25:32) |
3. 薔薇の名前
この作品をオースティンパワーズの下に置いてしまった……私が異端審問官に火あぶりにされそうです。神様、ごめんなさい。言い訳すると、私は原作の大ファンです。中・高時代エーコを読みまくって成績を下げました。これは最初に読んだ作品なので、思い入れもひとしお。野暮だと言われようが、原作に対して映画があまりに力不足!と敢えて訴えさせて下さい。もちろん「よく出来た映画」であることは認めます。でも、無駄に「説明」的なのです。ウーコのあの壮大かつ時空を越えた世界観は、いくら緻密な造りの僧院や重厚な雰囲気の迷宮をセットに持ってきたところで、映像によって「説明」される種類のものではないのです。我々が自ら迷宮に入り込んで、例の詩篇を読み解くごとく「解釈」しなくてはならないのです。セットが中世ヨーロッパを忠実に再現すればするほど、当時の閉塞感と怪しさが画面いっぱいに広がれば広がるほど、私たちの「解釈」の幅は狭められてしまいます。そして私たちは、良い奴VS悪い奴というサスペンスの定型と、少年の性の目覚めというありきたりなテーマに作品が乗っ取られるのを「ナンか知らないけど、雰囲気でてるぅ~」と思うしかなくなるのです。しかも私たちは、なぜかスコットランド訛り!の「バスカヴィルのウィリアム」に謎の解決の全てをゆだね、なぜか当時は存在しなかったはずの「アメリカ」発音全開のおかっぱ少年と共に、そのウィリアムの英雄化の共犯となるのです。ストーリー上、彼を名探偵と仰ぐしかなくなるのです。原作では、ウィリアム自身、自らの存在証明を必死に神に問い続けていた弱い存在なのに。神様、やはりこれはおかしいと思います。変です。……あ、変なのは私ですか。やっぱりね。でも最後に一言言わせて下さい。原作読むと、ぶっ飛びますよ。 6点(2004-02-10 12:03:13) |
4. スタンド・バイ・ミー
《ネタバレ》 この映画を観た後、人は自分の子供時代を「ノスタルジー」とか「戻れないあの日々」といった言葉を口にしながら懐かしむ。あーそういえば自分も……と、遠い目になる。回顧モード突入。でも、ちょ、ちょ、ちょっと、待った!あの年頃にあんなこと、ホントにしてた?あんな立派な隠れ家あった?タバコ吸ってた?兄貴が犯罪者一歩手前、てかモロ犯罪者だった?そんな兄に銃向けたり向けられたりしてた?親父にボコスコに殴られてた?挙句の果てに、「死体」なんか探しに出かけた?親、捜索願いださないか、ふつー? ……ちょっと考えてみると、スクリーンの中に広がっていたのは、懐かしモードに浸るにはあまりにも「ありえねー」な世界。日本の総中流家庭に育った人間が共感するにはあまりに違いすぎる、アメリカの閉塞的な田舎に育った典型的なブルーカラーの子供達の物語。……というわけで「別に魅力も共感も感じないなぁ」とコメントしようかな、と思った。違いすぎるし、と。が、が、……あーダメ、やっぱり、この切なくて繊細な映像・ワクワクする冒険と土の香り・どこか物悲しくも懐かしい曲の数々、いつ見ても何度見ても魅かれてしまう――。結局、しみじみしながら、この点数を付けてしまう自分。この映画の魅力って、こんな風に五感にすっと入ってくる何かなのかも。 8点(2004-02-04 11:47:40) |
5. アマデウス
10代だった私は、某ピアノ・コンクールにてモーツァルトを弾くため、部活を辞め友達との遊びも控え、一日数時間ピアノに向かう日々を過ごしていた。彼のピアノ曲は、天真爛漫でとろけそうな旋律が予定調和的に上昇下降する一方で、作曲者自身が即興演奏中に突発的に感じたのであろう孤独や悲しみがさり気ない転調やカデンツの中に織り込まれていて、テクニック以上にその表現に泣かされた。作曲家の中には、楽譜の最初に「これこれこんな感じで弾くように」と指示を一言付す人も多いのだが、このモーツァルト氏の原典譜にそんなものはない。よって、分かりたいのに分からない。欲求不満。辛かった。この映画を観たあと「なーんだ、こんなおバカな若僧がイキがって作ってた曲だったのか」と妙に気が楽になったと同時に、「この私ですら理解することの叶わなかった天才を、お前などに分かられてたまるか!」とお怒りになるサリエリ先生の顔が浮かんで来て、結局また辛かった。罪な奴、モーツァルト。思えばこの映画も随分と罪作りである。 10点(2003-12-05 04:43:11)(良:1票) |
6. フィールド・オブ・ドリームス
「おとぎ話」の「おとぎ」度が強すぎて、ごちそうさま、な気分になった。野球、昔やったりしなかったからかなぁ。よく出来た映画だとは思う(フォロー)。 6点(2003-12-04 13:00:46) |
7. ミッション
小学校の担任が「帰りの会」の時間、当時のこの映画のポスターを片手に「本当に滝に人が落ちて死んだんだって!」と勝手な撮影秘話?をまくし立てたため、どうしても見たくなってしまい、父に連れて行ってもらって劇場で見た初めての字幕洋画。当時は、恥ずかしながら冒険活劇と認識していた。大人になってから見直すと、西洋人による現住民=他者のカリカチュアが、劇中だけではなく作り手の視線の端々にも目に付き辟易したが、この時代のこの話をこのスケールで描いたことには、純粋に感嘆した。ところであの滝壺への「どんぶりこ」シーン、先生の言ってた事は本当なのだろーか??今更ながら気になって気になって…… 8点(2003-12-04 10:24:33) |
8. さよなら子供たち
こどもたち=純粋無垢・天真爛漫な存在、と型にはめていないところがいい。悪ガキがいて、いじめがあって、それでも独自な「彼ら」の世界がある。けれども、響き始めた戦争の足音は、その全てを奪っていく。激しい戦闘シーンも、流れ続ける血や涙の描写も無いけれど、「彼ら」の世界が無残に葬り去られる様子が、降りしきる雪のようにただ淡々と描かれる。「さよなら」の言葉は、去り行く仲間に対してだけではなく、二度と戻らない「彼ら」の世界に対して向けられていたのかも知れない。そして、友人に対して何の力にもなれず、あの日に帰ることも出来ない、傍観者である「私」に対しても。 9点(2003-12-03 02:11:32)(良:1票) |