1. アプレンティス:ドナルド・トランプの創り方
《ネタバレ》 なんと言っても、2024年のあのタイミングでこの映画を製作〜公開までこぎつけたことにまずは拍手。焦点をトランプ、ロイ・コーン、最初の妻のイヴァナの3名の人間関係にしぼっていて、事実関係も相当単純化されていると思われる。なので「伝記」ではなく、トランプという存在がいかに生まれたのか、を象徴的に示唆した一作だと考えるべきなんだろう。 とにかくセバスチャン・スタンの再現度はすごい。序盤の自信なさげな青年期から成功した実業家時代まで立場は大きく変化しているのに、一貫して「トランプ」であり続けてた。物語でも事業での華やかな成功の陰で進行する「綱渡り」に焦点を当て、いつも「虚勢」や「ハッタリ」こそがトランプであったということを見事に言い当てている。結局、何もかもが他人からの受け売りであるという「中身のなさ」や「空虚さ」こそがこの映画の描きたかったトランプ像だったのだろう。 また、彼の師となるロイ・コーンは連続ドラマ『エンジェルズ・オブ・アメリカ』でアル・パチーノが演じていたのが印象的だったが、ジェレミー・ストロングは冷淡な現実主義者でありながらも右翼思想にどっぷりつかったカリスマ弁護士像を見事に更新したと思う。 あと、個人的には80年代のテクノポップを多用した音楽も新鮮。New OrderやPet Shop Boysなどイギリス系のアーティストが妙にはまっていた。 と、いろいろすばらしい点はあるのだが、残念ながら物語自体は正直あんまり面白くない。伝記ものにありがちな成功への軌跡と家族・人間関係の崩壊が描かれるのであるが、その流れ自体に目新しいものがなく、お話としては正直退屈に感じる場面も多かった。妻との関係では、現役大統領(公開当時は大統領候補)が妻を性的に屈服させるという、いろいろな意味で酷いシーンもあった。その後、彼女は離婚騒動でトランプを追い詰めるので、そのあたりの描写にも期待していたのだけれど、そこに至る前に物語は終わってしまった。もちろん、ロイ・コーンとトランプの関係を決定的に切り裂く役回りは見事ではあったのですが、二人の男のホモソーシャルな関係性のなかで彼女の位置づけにももう少し工夫があれば、なおトランプ的なものの有り様が鮮やかに浮かび上がったように思う。 [映画館(字幕)] 6点(2025-01-22 07:24:44) |
2. Cloud クラウド
《ネタバレ》 前評判いまいちだったのであまり期待せずに見たら面白かった。前半の黒沢清監督らしい不穏さの演出が秀逸。転売ヤーという人からよく思われていない「仕事」にのめり込む男の身近でおかしいことが起きているというのが、音楽や光や影の演出で見事に表現されている。とくに、序盤にバスで彼女と携帯を見ていたのを後ろからのぞき見した男が立ち去る場面。結婚話に浮かれている本人が気づかないうちに、見られてはいけない情報が見られてしまい、もう「詰んでいる」という感覚に背筋が凍る思いでした。荒川良々演じる社長の訪問シーンも秀逸。この緊張感。黒沢作品はやっぱりやめられない。 一方、賛否分かれそうな後半は、自分としては「ネット炎上」の寓話として面白く見てました。「悪者」認定されやすい転売屋という主人公の周りに憎悪と暴力が引き寄せられていく過程、そして、主人公の味方側の反撃もやり過ぎなほどエスカレートしていく。そこに戸惑いながらも、だんだんとその過激な応酬に参加していく主人公。知人がネット炎上に巻き込まれたことがあったのだけれど、まさにそのときに起きていたことが「廃工場でのガンファイト」という形で表現されていたと思う。覆面男に「人に意見を言うならちゃんと顔を見せろ」「おまえの事なんか誰も覚えていない」という台詞など、明らかにネットでの「議論」をネタにしたところには苦笑するしかなかったし、襲撃者のおっさんが「バール(のようなもの)」を持ってる小ネタ(by 麦君『花束みたいな恋をした』)も妙に可笑しい。 ただ、そう考えるとちょっと残念だったのは、主人公に直接的に関わった被害者・関係者ではない人たちにまで膨れ上がっていき、世界全体が「敵」になるかのように感じる恐怖こそが、「炎上」の恐ろしさだと思うので、暴力のエスカレーションだけでなく、量的にも見せてくれたほうが、黒沢監督らしい展開になったのではないかなーというか、それを期待していたら、終わってしまったのは残念。もっとも、ラストの黒沢作品らしいショットに、それは表現されていたのだろうけど。主人公にとっての本当の地獄はこれからなのだ。 [インターネット(邦画)] 7点(2025-01-06 12:56:07)(良:1票) |
3. はたらく細胞
《ネタバレ》 原作未読。大晦日に家族と映画館へ。ほぼ満席でとても活気がある劇場、1年の締めくくりとしてはとてもよかったと思います。映画自体も、序盤、体内の細胞の働きをを擬人化して描くというコンセプトが楽しい。キャストもそれぞれのパブリック・イメージをいかして、しっかりはまっている。とくに、主演の永野芽郁さん、佐藤健さんのやりとりは見ているだけで楽しく、お正月映画のお祭り感もあっていい。ウンチをめぐる下ネタもくだらないけれど、これはこれでよい。 ただ、人間側の芦田愛菜さんが病気になったあたりから雲行きが怪しくなっていく。急性白血病であることが発覚し、突然異常が重なり、体内の細胞たちも危機的状況に。阿部サダヲさんと芦田さんが熱演を見せるほど、「自分は何の映画を見てる?」という気分になる。それまでは、細胞のキャラを生かした台詞や設定が楽しかったのに、ジャンプあたりでよく見るような台詞や展開が続き、「はたらく細胞」感からどんどん離れていき、見てるこっちも冷めていく。放射線治療やら骨髄移植やらの大病の展開に持っていったために、細胞のエピソードも既視感の強いバトルものになってしまい、この映画の楽しいポイントはそうゆうことではないんだけどなあ、と思いながら物語は幕を閉じてしまった。 この感覚、どっかでも経験したなあと思ったら、映画版『テルマエロマエ』を見たときと同じだった。設定勝負の前半は楽しいのに、とってつけたようなドラマ展開になるとどっかで見たような既視感だらけの展開になって冷めてしまう。あとで見てみたら、監督も一緒でした。オリジナリティあふれる原作のいいところを作品全体に活かしきれない残念な感じも同じでした。 [映画館(邦画)] 4点(2025-01-03 17:52:40) |
4. アングリースクワッド 公務員と7人の詐欺師
《ネタバレ》 冬休みに入ったらしく、若い人で賑わう映画館。本作でも観客を見渡すと、同世代らしき一人の観客のほかに、ちらほら若い観客の姿も。ダブルデート(死語?)らしき中高生4人組も見かけて、なぜかこちらも少しテンション上がる。 さて、肝心の映画ですが、120分退屈せずに楽しめました。楽しめたんだけど、いろいろ言いたいことも。 まず良かった点。定番のコンゲームものですが、ほとんどダレる展開がなく、ストーリーもわかりやすいし伏線回収もばっちりで、しかもきっちり120分で終わる。エンタメ邦画に多い、無駄なギャグを突っ込んだり、逆にやたらウェットなシーンがだらだら続くみたいなことが一切ない。何が起きてるのか、人物がどんな感情なのかが、少ない説明でもすっとわかる。これって簡単そうで難しい。映画愛と勢いで突っ走った『カメラを止めるな』の上田慎一郎監督でしたが、今作では少し違った才能をばっちりと発揮したみたい。これで上田監督は「信頼できる監督」の評価を確立したのでは。キャストも、主演の内野聖陽さんの「税務署職員」、今乗りに乗ってる岡田将生さんの「詐欺師」をはじめ、脇役までみんな似合ってて楽しそう。悪役の小澤征悦さんだけちょっとコントっぽかったかな。あと神野三鈴さんがよいです。とくにラスト。 残念だった点。これはしょうがないのですが、土地売買詐欺という手法。最近でも池井戸潤原作の某作でも出てきたし、何よりNetflixの『地面師』という大ヒット作とかぶってしまって、どうしても既視感のある描写が続いてしまう(そして、それらのなかでも本作の手法が一番雑・・・)。それから、主人公の内野さん演じる熊沢が「税務署職員」「公務員」であるという設定があんまり活きていないこと。やっぱり最後の詐欺ゲームで、税務署職員だからこそできる活躍(たとえば、帳簿が出てくるので、あれをどうこうする展開とか)がないので、「公務員・税務署職員が」悪徳業者をやっつけた!感がどうしてもないこと。たとえば、某維新の会のような公務員バッシングみたいな設定があって、それを気持ちよく覆してくれるみたいな展開も見たかった。そこで、川栄李奈さん演じる部下とのチームワークとかが発揮されれば最高だったのに。 とかいろいろ気にはなるものの、終映後、ダブルデートの中高生が楽しそうに感想を話しあってるのを見かけて、すっかりいい気分に。テレビ局企画やらディズニー続編でもなく、この映画をチョイスした君たちのセンスがおじさんはうれしい! かれらにとって楽しい1日になってくれることを密かに祈って劇場を後にしました。 [映画館(邦画)] 6点(2024-12-20 17:10:28) |
5. ブリッツ ロンドン大空襲
《ネタバレ》 ストーリーを含む事前知識なし。シアーシャ・ローナン主演で『それでも夜は明ける』のスティーヴ・マックイーン監督作品ということでAppleTV+で鑑賞。タイトルから空襲を生き延びる系の話かな、という程度で見ていたら、主人公の子どもは明らかに黒人とのミックス。ストーリーのなかで、戦時下のロンドンを生きる民衆のなかにある、差別や排除の存在が明るみになっていく。ただ、それが嫌な感じで描かれるわけではなく、待遇の改善を求めて声をあげる女性たち、地下に作られる多様性を包摂するコミューン、黒人たちが白人客相手に最高のエンターテインメントを提供するダンスクラブ、優しさと包容力を持ったナイジェリア出身の警察官など、魅力あふれた人々とともに語られる。空襲に襲われるロンドンの街中に生まれた様々な人間模様を、少年とその母親とが再会のために、それぞれさまようロードムービー風の作り。もちろん「清く正しい」側面だけでなく、緊迫下の人間の恐ろしさ、醜さも十分に描かれ、そのすべてがエネルギーとなって空襲という苦難を生き延びる原動力となったかのよう。派手な音楽や映像でエモーションを煽って愛国心や団結に回収されるようなタイプになってもおかしくなかったが、本作は、マックイーン監督の個性を見事に反映した、人間社会の奥行きにあふれた戦争映画になったと思う。豪華なダンスホールでの空爆シーンをはじめ、地下鉄駅や廃墟などの空間の描き方はどれも心に深く残っている。 空襲下のロンドンを冒険するエリオット・へファーナン君の顔つきと佇まいも素晴らしい。母親に意地を張る頼りない子どもだったジョージの成長が手に取るようにわかる。 難点を挙げるとすれば、音響と映像の演出がとても凝っていたのに、劇場公開を見送ったAppleTV+のマーケティング的な判断。配信時代の到来はありがたいことも多いけれど、これはやっぱり映画館で見たかった。 [インターネット(字幕)] 8点(2024-12-19 22:14:46) |
6. DUNE デューン/砂の惑星 PART2
《ネタバレ》 「Part 1」は全くダメだったので「Part 2」もどうしようか迷ったのですが、配信で見られるようになったところで鑑賞。1作目はヴィルヌーヴ映画のダメなところを凝縮したような1作でしたが、今作は逆でした。独創的なデザイン、豪華な配役、印象的で美しい構図、そして1作目ではうるさいと感じたハンス・ジマーの音楽まで、相乗効果を見事に発揮。今どき珍しいガチな救世主物語を再現したストーリー展開(プラス「救世主」誕生が嫌な余韻を残すところもポイント)も、前作の「タメ」から解放されたようなスピード感があって、ほとんど飽きずに楽しむことができました。今年最大の話題作にして超大作と呼ぶのがふさわしい一作。やっぱり映画館で見るんだったなーと激しく後悔しました。 原作も未読でリンチ版も見ていないので、とくに物語中盤から、オースティン・バトラー、フローレンス・ピュー、レア・セドゥなどの旬の俳優たちが続々と登場し、複雑な政治劇の様相を呈してきてからは、南北フレメン連合vs皇帝・ハルコンネン家の対決ってどうなっちゃうの!?とワクワクも止まらない。多数のサンド・ウォームに乗って登場するフレメン軍のシーンでテンションもピークに。ところが、そのシーン以降は地味な話し合いから決闘へ。え、1作目と同じ? せっかくのスケールアップも、残忍暴虐キャラのフェイド=ラウサの本領も見えないまま、地味な決闘で終わってしまった。決闘シーンそのものは、シリーズ内で繰り返されて、ポールの成長がわかる堅実な演出なのですが、自分が期待したのはそっちではなかった。そして、ハルコンネンは勝手に失脚し、皇帝は何が凄いのかよくわからないおじいちゃんのまま、上がったテンションを回収する場を失ったまま、クレジットへ。 結局、1作目とのバランスなのだろうが、あれだけスローで引っ張った1作目に対して、今作は序盤の主人公の成長を描く修行編、登場人物急増で動き出した中盤に対して、あきらかに詰め込み過ぎでバランスがおかしい終盤という感じ。最後にヴィルヌーヴのいつものアンチクライマックスな癖が足を引っ張ってしまった。もちろん、核兵器への依存を深めるポール、救世主を盲信するフレメンの人びと、母ジェシカと胎内の妹の不吉な存在(あの方の声の出演も)、そしてチャニとの別離など、続編への布石は十分。次作では映画館に行こうと誓いました。 [インターネット(字幕)] 7点(2024-12-16 19:31:03) |
7. ルックバック
《ネタバレ》 原作未読。すみません、完全に舐めていた案件でした。巷の話題も聞いてはいましたが、60分の中編でどんなものだろうかと思っているうちに結局は配信で見られることに。 何かをあきらめようとしたけど、でもやめられず、決定的な断絶があっても、それでも続けてしまう。分野やレベルの違いはあれ、誰もが思い当たるフシのあることが凝縮された60分でした。原作も読んでいないし、原作者のこともよく知らないのですが、登場人物たちの一つ一つの動きがぜんぶ心に刺さる。京本との出会いの後、田んぼを駆ける藤野のシーンはもちろん、劇中なんども登場するマンガを書き続ける藤野の背中を映す場面が、今も心のなかに蘇り、思い出すたびにちょっとウルッときます。とくに、冒頭の四コママンガを書くところ。そのあとの「簡単だ」とうそぶく小学4年生の藤野とセットで、それだけでなんかグッときちゃう。そして、中盤以降に起きる悲劇。予備知識完全にゼロだったので、あまりの急展開にかなりの衝撃でした。藤野と同様に動揺する自分の心にどうやって向き合ったらいいかわからないでいると、少しずつ語られるもうひとつの過去と未来。そして、それでも変えられない/変わらない「いま」。まだその解釈は定まらず、心は揺れていますが、揺れていること自体を抱えて前を向け、という物語の結末だと受け取りました。 ただ、他の方も書いているけど、音楽がなー。最初のうちはよかったと思うのですが、感情移入しちゃうと今度は逆にうるさく感じる場面も。音楽と動く絵の総合芸術としてアニメ映画をとらえるならば、序盤は完璧だったけど、終盤はもっと静かなほうが、観客もまた藤野と京本と、そして自分のなかの「やめられないもの」と向き合う時間ができたのではないのかなと思う。ラストの書き続ける藤野のシーン、そして貼られている四コママンガは、「やめられないもの」を抱えてしまったすべての人への見事なエールです。楽しいことだけでなく、苦しいこと、辛いこと、見たくなかったこと、モヤモヤすることもまるごと抱えて生きていけ。それを語るに全く過不足のない60分であったと思います。 [インターネット(邦画)] 9点(2024-12-13 17:13:50)(良:1票) |
8. ゆとりですがなにか インターナショナル
《ネタバレ》 配信で連続ドラマにはまり、その後のスペシャルドラマを経て、映画版までたどりつきました。ドラマ放映時の2016年には「有望若手」だった出演陣も、今やほぼ全員が主演級でしかも演技派ぞろい(ドラマ版で濃いめの脇役だった北村匠海さんが一瞬だけでも出てくれたら最高でしたが)。そのキャストのみなさんがクドカン脚本をテンション高めに演じているのを見るだけで楽しい。「インターナショナル」という副題で危惧していた、ドラマ映画版にありがちな海外ロケなどのこっちが求めていない「豪華さ」を追及する方向にいかなくて、これもひと安心。それでいて、Z世代やリモートワークなどのコロナ禍以降の社会の変化も盛り込み、ちゃんと「インターナショナル」な物語になっているのはさすがです。柳楽優弥さんの中国配信キャラは(ちょっとくどいけど)インパクト大。新キャラでは木南晴夏さん演じる韓国人上司「チェ・シネ」さんが最高で、異文化コメディとしても楽しい上に、多言語エリートの苦悩やセクハラ問題をドラマチックに入れ込んでくるあたりには感心しました。 ただ、やっぱりドラマ版があっての映画であることは確か。基本的には「あのキャラたちにもう一度会える」がコンセプトの作品なので、2時間の映画として考えると物語の流れもバランスもよくない。これはドラマ版でもそうだったのだけれど、実は「ゆとり世代」というテーマはほとんど物語に関係なくなってしまっていて、「これだからゆとりは」という台詞を入れ込む程度。それから今年のドラマ『不適切にもほどがある』でも話題になった、クドカンの近過去への懐古趣味と現代の社会課題へのシニカルな視線はこの作品にも反映されていています。ただ、LGBTQをめぐるエピソードは、子ども世代の性的アイデンティティという論争的なテーマに突っ込んでいく割には表層的に取り上げるだけで、正直「こんなかたちだったら取り上げない方がよかったのでは?」と思ってしまった。「ゆとりモンスター」山岸(仲野太賀さんも最高)の部下にあたる「Z世代」についてはほとんど回収されないまま、ほぼステレオタイプ描写だけで終わってしまったのも気になる。結果的に「ゆとり以降」への描き方は「シニカルな揶揄や突っ込み」に終始して、物語としての広がりを欠いた印象を与えてしまったのは残念でした。ラストでは「つづく」とあったけど、また同じような話になるんだったら、映画じゃなくてドラマで十分じゃないかな(それじゃ出演料回収できないかな・・・)。 [インターネット(邦画)] 5点(2024-12-12 07:04:34) |
9. 本心
《ネタバレ》 原作既読。近未来の社会、主人公の朔也はVRを用いて他人のやりたいことを代行するリアル・アバター。そして亡くなった母親が、尊厳死のような「自由死」を希望していたことを知り、その真意を確かめるために母親のヴァーチャル・フィギュア(VF)を作り、母親の友人で高校時代の同級生にも似た女性・三好と同居をはじめる・・・。と、ここまででも物語要素が渋滞気味なのに、これに格差社会、差別と暴力、ネット社会、闇バイト問題、そしてIT長者の若者のエピソードも盛り込まれるって、どう考えても1本の映画にすることには無理がある。原作ではさらに、父親をめぐるあれこれやら、外国人との共生の話まで絡んでくる。ここからもわかるように、この原作は人物を掘り下げるよりは、現代の多面的にならざるをえない人間性と、そんな人間たちが社会のなかで絡まりぶつかり合うなかに見え隠れするアイデンティティ(=本心)をめぐる話であると思う(これは「分人主義」を掲げる原作者・平野啓一郎さんの長年のモチーフだ)。 という前提をもって考えれば、この無茶苦茶な設定と物語を、朔也という若者が「自分」を見出していく物語を軸として、それなりに整理されていたことには驚いた。朔也・三好・母親との関係性のなかで見えてくる、それぞれの「別の顔」をめぐる物語を中心に置きつつ、スパイスとして平野さんが得意とする社会問題を入れ込んでくるので、そこまで軸がぶれることはない。ただ、原作でも微妙だった「イフィー」のエピソードはやっぱり面白くない。せめて朔也・三好・イフィーの3人の生き方の違いをもう少しコントラストをもって描ければよかったと思うけど、そこもあんまり突っ込まないまま、ただ三角関係の話に持って行ってしまって、終盤でトーンダウンしてしまったのは残念。それを持ち直したのは、ラストの母親との会話。田中裕子さんが本当に素晴らしかった。あと、朔也が悪質な客に苦しめられてからのコインランドリーまでのシーンは異様に細かく描き込まれ、淡々とスピーディに進んでいく物語のなかで、ここだけ石井裕也監督っぽい個性が出ててちょっと苦笑い。 まとまってるかといえば微妙ですけど、演技派の若手俳優の競演も楽しく、あの無茶な原作をよくこれだけ見られる一本の映画に仕上げたものです。 [映画館(邦画)] 6点(2024-11-21 18:35:20) |
10. グラディエーターII 英雄を呼ぶ声
《ネタバレ》 まず冒頭の前作のあらすじ動画が素晴らしい。簡潔だけれどアート的でもあって、でも前作の流れはクリアによみがえる。で、本編。対立構図が単純だった前作と比べると、政治劇の要素も濃くなり、そこでデンゼル・ワシントンが素晴らしいくせ者っぷりを発揮しています。あまり明確には語られないけれど、おそらく元奴隷でそこから権謀術数を駆使して這い上がってきた男。ただ権力が欲しいというよりは、「この世界のありよう」に対する復讐や破壊衝動みたいなもののほうを強く感じる。彼の行動の数々は、ローマ帝国を「終わらせる」ことを目的としてきたと考えると、いろいろ腑に落ちる。一方で、主人公ルシアス=ハンノは、それでもこの世界に可能性を見出したい人で、その対比が見事なラストでした。ただ、ルシアスは勝利したとはいえ、ここから帝国の「再興」はほぼ不可能でしょう。もう腐るところまで腐ってしまった指導者たち、倫理よりも刺激を求める大衆、そこでハンス・ジマーをバックに「夢」を語ったところで、どこか空しく響いてしまう。熱血歴史劇っぽいのに、ラストの寒々しい感触は、リドリー・スコット御大の真骨頂だったと思います。 ただ、前作と今作の大きな違いは、この間に『ゲーム・オブ・スローンズ』という文字通りの「ゲーム・チェンジャー」が存在してしまっていること。ドロドロ政治劇も、絡み合う復讐心も、痛そうな剣闘(これはむしろ元祖は前作だが)も、憎たらしいサイコな若い皇帝も、どうしても既視感が先に来てしまう。コロッセオでの船上戦(文字列だけだと何言ってるかわからない)とか、びっくり映像はあるけれど、2作目でありかつGOT以降ということで、新鮮な驚きは少ないままでした。あと、ハンノがルシアスであろうことは観客もみんな知ってる(公式もそう言ってる)のに、物語中ではそこは「謎」っぽく扱われて、何をどこまで誰が知っているのかがはっきりしないまま、物語が進んでいくのがなんだか居心地が悪い。だいたいルシアスがマキシマスの子であることは前作では匂わせていたけど明言してたっけとか、マキシマスは妻と実子のいる天国へみたいなラストだったのに、天国でマキシマスも複雑な心境なんじゃないかと余計なことまで考えてしまった。 [映画館(字幕)] 7点(2024-11-19 18:49:08) |
11. ジョーカー:フォリ・ア・ドゥ
《ネタバレ》 アメリカ公開後、酷評の嵐で観客評だけでなく、評論家評でも軒並み低評価だったので、逆に興味を持ってしまい、どんなもんだろうと公開日に映画館へ。そういえば、前作も私、公開日に観に行ったのだった。『ジョーカー』というタイトルにはそういう力がある。アメリカでの評も踏まえて見る前のイメージは、トッド・フィリップス版の『マトリックス・レザレクションズ』。製作者の意図を超えて(どちらかというと歓迎し難い)ムーヴメントを招いてしまった前作に対して、製作者自身が「落とし前をつける」作品なのか(だから、前作好きな観客からは酷評を食らったのでは)と予想。 予想は概ね当たっていたと思います。ただ、「酷評」に値するかといえば、そこまでではない。不評なミュージカル・シーンは選曲や演出を含めてなかなか魅力的だったと思うし、周囲の期待とのギャップに苦しむアーサーの姿、とくに「ジョーカーである」ことを求めるレディ・ガガとの絡みは、自分を崇拝する女性を前に「運命の人」と思い込んでしまう「恋愛弱者」アーサーをさらに追い込む展開で、なかなか見応えがあった(ただ監督、意地悪だな〜とは思ったけど)。前作のキャラでジョーカーの妄想愛の対象だった黒人女性ソフィーの冷ややかな証言と、ただ1人心を通わせた同僚ゲイリーの語りの対比はよかった。また、ウェイン家を絡ませないのは、この映画は「バットマン」のスピンオフではなく「アーサーの映画」である、という宣言のようで潔かったと思う。そして、最後の裁判のシーン、ついに「ジョーカーではない」ことを宣言するアーサー。ここでスパッと終わっていれば、アーサーという1人の男の物語として、「よくできた/必然的な」幕引きだったと思う。 ただ、その後が完全に蛇足だった。突然爆破される法廷。「信者」の若者に連れ回されるも中途半端な関わりに終始し、刑務所に戻ってきてチープなドラマにありがちな最期。これらの展開はわざわざ描かなくても、それまでのアーサーの変節で十分に予想されるし、その要素をそこまでの物語に組み込んでおくこともできただろう。アーサー自身の物語はもう法廷で終わっていたのに、わざわざ解説的にその後のシーンを加えたのは、もしかすると前作の反省から、「こんなのに煽られちゃだめですよ」「こういう人はこんな最期を迎えますよ」みたいな、わかりやすい描写が必要だと思ったのかもしれない。でもそんな腰の引けた話になるんだったら(前作を含めて)こんな映画作るなよ、と思いつつ、映画館を後にしました。 [映画館(字幕)] 5点(2024-10-25 10:00:02)(良:1票) |
12. 侍タイムスリッパー
《ネタバレ》 平日昼間の回でしたが、映画館内は中高年の先輩方を中心になかなかの入り。映画がはじまると、結構序盤から周りの方々が笑う笑う。どうやらリピート組もいるみたいで、笑い声が若干フライング気味に入ってきて、自分の「笑い」のタイミングを外されるのが、とくに序盤は大きなノイズでした。ペースを乱されて、だんだん「これ、そんなに面白いか?」と若干不機嫌な感じで序盤が過ぎていく。劇場の雰囲気だけでなく、現代であれば銃刀法違反で一発アウトな「真剣」持ち歩いて大丈夫なのかとヒヤヒヤしてるのに、そこがあまり掘り下げられないことにも、なんだかモヤモヤし続けてました。 ただ、斬られ役に弟子入りする中盤からだんだん物語に引き込まれ、大スター風見恭一郎の「正体」がわかるころにはすっかり入り込んでました。ここから会津藩の悲劇をしっかり物語に組み込み、序盤からどうしても疑問だった「真剣」問題が、思いもよらぬかたちでクライマックスへとつながっていく。序盤の大小の違和感を終盤の物語に深みを与える要素として回収する、見事な脚本でした。最後に福本清三さんに捧げられているところなど、そこまで時代劇を見ない自分でも胸熱。そして、最後のクレジットでは、監督が何役もこなしているのにも驚きましたが、ヒロイン役の沙倉ゆうのさんが、本当に「助監督」してたことにもびっくり! 自主製作のスピリット、日本映画の歴史、そして日本の歴史を重ねた見事な一作でした。 というわけで十分に楽しんだのですが、難点はやはり長かったことか。とくに序盤の少しのんびりした展開。そして、主人公がどうやってタイムトラベルを受け入れるのかは、この手の映画では腕の見せ所だと思うのですが、本作では博物館のポスターを見て(しかもアラビア数字や平仮名読めるのか?)というのは、前評判で膨らんだ期待値を萎ませ、周りの観客とのギャップを大きくしたのもたしか。設定上の要の部分があまり練り込まれないまま、新喜劇的なベタ展開が続くのは少々苦痛でした(周りはそこも結構笑ってましたが)。全体をスマートにしちゃったら、この映画らしさが失われてしまうのかもしれませんが、映画としての「入り」の部分がもう少しうまくいけば、後半の脚本の妙ももっと活かされたのではないのかなと思います。 [映画館(邦画)] 7点(2024-10-18 23:16:43)(良:1票) |
13. シビル・ウォー アメリカ最後の日
《ネタバレ》 公開日に映画館で鑑賞しました。アレックス・ガーランド監督らしい意地悪なフィクションとリアルに満ちた作品でした。まず、カリフォルニアとテキサスの西部連合という壮大な「ウソ」によって、本作が「保守」とか「リベラル」とかの安易な政治的党派性から作られたものではない、というメッセージが伝わります。最大の「青い州」(民主党支持者が多い州)カリフォルニアと、最大の「赤い州」(共和党支持者が多い州)テキサスが連合を組むというのは、あまりにフィクショナルな設定です(ただ、両州とも現在のアメリカ経済の成長を支える中心地ではあるので、実はなくもない、という絶妙なライン)。 まず起こりえないけど、そうなったらこうなっちゃうんじゃないかという「内戦」状態に陥ったアメリカで、大統領のインタビューのためにニューヨークからワシントンDCへ向かうジャーナリスト一行。序盤に出色だったのは、内戦状態にあっても戦禍に巻き込まれない限りは無関心を決め込む人びと。中西部・西部のマイナー州の人たちやら、道中で出会う田舎町の住人たちの無関心さは、まるでウクライナやパレスチナで起きている悲劇にも無関心を決め込む人びと(そして、そんな状況でこんな映画を見に来る自分のような観客)に、チクリと刺す嫌みもあって苦笑いするしかない。ただ、序盤は、静かな日常→銃声から惨状へ、という流れの繰り返しで、大きな音でドカンと驚かされるのが好きではない自分としては、かなり不快でした。音響強めのIMAX劇場にしなくてよかった。 個人的に本作の白眉だったのは、ミリシア(民兵)との遭遇を描いた場面。機関銃などで武装した自警団ミリシアは現在の米国でも多く活動していますが、そのなかには白人至上主義者・人種差別主義者も多いことが知られています。ミリシアが銃を向けて発する「おまえはどういうアメリカ人なのか(What kind of American are you?)」という質問の恐ろしさ。この場面で命を失った人は誰か。そこに、この作品の恐ろしい「リアル」が見えてきます。「名誉白人」気分でいる日本人にとっても、とてもショッキングな場面でしょう。 ただ、そこからワシントンDCに入ってからの展開は、フィクションのなかで効いていた「リアル」が吹っ飛んでしまい、個人的には若干の興ざめでした。そりゃ、このクライマックスがなければ、ただひたすら意地悪で感じ悪い映画で終わっていたと思います。とはいえ、ラストのワンショットは最高に感じ悪いので、やっぱり秀逸な「胸糞悪い」映画だったと思います。 [映画館(字幕)] 7点(2024-10-04 18:06:28)(良:1票) |
14. 終わらない週末
《ネタバレ》 Netflixオリジナル映画のなかでは結構フィーチャーされてたとは思うが、地味なタイトルで手が伸びなかった。たまたま見た予告編(というか冒頭の船のシーン)が面白かったので鑑賞。これが大正解で、面白かった。とにかく、何か大変なことが起きている、という不穏な空気の作り方がとてもうまい。普通、この不穏なまま3分の1くらい引っ張って、真相が明らかになり、そしてラストバトル、みたいな展開が予想されるのだけれど、なんとこの映画はずっと不穏で何が起きているかわからないまま。それでも、起きる事件の一つ一つが強烈なビジュアルで、冒頭の船の座礁から、鹿の群れ、飛行機の墜落、赤いビラ捲き、そしてお兄ちゃんのアレまで、どれも見せ方が本当にうまい。そのうえ、誰一人好きになれそうにない登場人物たちなのに、だんだん1人1人のキャラが人間臭く見えてくるのが不思議。ジュリア・ロバーツがこんなにイヤ〜な中年女性を演じるのも驚きだし、マハーシャラ・アリの慇懃無礼さ、イーサン・ホークのいろいろ役に立たない文系親父など、俳優のキャラをうまく活かしている。そして、とっても今どきな家主親子の娘さんは、自分が最も苦手なタイプ(しかも、知り合いにこういうタイプがいて本当に苦手なので、話し方とかふるまいとかがいちいちリアル)なのだけれど、最後の鹿との対峙シーンではなんだかとっても可愛く見えてしまう。 決して明示されないけれど、社会的なメッセージも明らかだろう。混乱し、真相がわからないまま、自滅していくアメリカの姿。だけど、アメリカは、ずっとずっと何年も中南米でアジアで中東で、そして今(2024年)にはパレスチナで、同じことをやってきたのだ。独裁者やテロリストにもお金や武器を流し、人びとの不信を煽り、分断を作り出し、殺し合いをさせてきた。しかし、この映画では、誰か黒幕(悪の陰謀団?)を置いてネタばらしをやるのではなく、結局何が起きているのかわからないまま終わっていくのが何より素晴らしい。そして、作風的にハッピーエンドはないと思っていたのに、まさかの「ほっこり」エンド。参りました。 独特な作風が気になったので調べたら、サム・エスメイル監督は『Mr. ロボット』のクリエイターだった人か! またまた楽しみな映画監督が1人増えました。 [インターネット(字幕)] 9点(2024-09-25 18:39:08) |
15. 罪の声
《ネタバレ》 原作既読。『ラストマイル』を見て野木亜紀子さん脚本を過去作をさかのぼっていて、今作は未見だったことに気づいて鑑賞。映画として、とてもよかった。 主役の小栗旬と星野源の2人はもちろん、脇で出てくる人たちがいちいち絶妙。回想シーンの女の人たちがちょっと現代的でキレイすぎる(若い日の母とか、望ちゃんとか)のは少し気になるも、おじさん、おばさんたちはみな素晴らしかった。中盤までは阿久津と俊也のそれぞれの調査が並行して描かれる上に情報量も多いので、ちょっとついて行けない感じだったのですが、二人が合流した後は物語が一本化して、感情移入できました。とくに合流後の2人が少しずつ交流を深める様子など、一つ一つのシーンが丁寧に作られていて好感が持てました。原作では大半を別々に行動する阿久津と俊也の物語をバディものにしたのは大正解。野木さんの得意分野に引き込んで物語が活気づいただけでなく、「真犯人」と母親の告白を重ねることで終盤がエモーショナルになりました。ラストがちょっとだけ違っていて、原作と比べて二人がもう一歩近づいているののもとてもよかった。 難点は、原作自体の難点でもあるのですが、冒頭のイギリス人女性の「中国人は知らない」の真意が簡単にピンと来てしまうこと、そして、事件に関わった子どもたちのその後があまりに違い過ぎること。違っていることがドラマになるので、それはそれで仕方がないのですが、事件の主軸となったもう一方の家族が犯人グループからまったくノータッチでいられたのがどうしても都合良すぎに思えてしまう(このあたり、総一郎に感情移入しすぎているのかもしれませんが)。あと、これは映画館で見なかった自分が悪いのですが、テレビ・PCモニターだとどうしても一部の台詞が聞き取りにくい。ヘッドフォン使用か、(可能であれば)字幕表示がおすすめかも。 [インターネット(邦画)] 7点(2024-09-18 08:45:51) |
16. ラストマイル
《ネタバレ》 『アンナチュラル』『MIU』はじめ、野木亜紀子さん脚本のドラマはだいたい履修済み。こうゆう「お祭り」っぽい企画はいろいろ中途半端で残念な出来になることが多いので、期待よりも不安のほうが大きいものの、せっかくなので映画館へ。平日昼間だけど大学生くらいの若い人も多くて活気がある劇場内は久しぶり。みんなが楽しそうにポップコーン食べながら映画始まるのを待つのを見るだけで、ちょっと幸せな気分に。 肝心の本編は、序盤はうーん、不安が的中という感じ。(野木さんが今回チャレンジしてると思われる)問題の根っこがなかなか見えないまま、やや中途半端で類型的な群像劇が続く。誰にも感情移入できないまま、「ヤマサキ」の存在から事件の真相がちらちらと見えてきても、今ひとつ盛り上がらない。その原因の一つは「爆発」のVFXのしょぼさにあったように思う。冒頭の炎から、どれも音だけでびっくりさせる系で迫力に欠けていて、いまいち事態の緊迫感が上がってこない。低予算の自主製作映画ではなく、大企業が結構な予算をかけて作ってる「映画」であれば、そこはこだわってほしかったと思う。そうでなければ、映画」でやったことの意味が半減。結局は、みんな友情出演で大集合のお祭り「テレビスペシャル」だったのかな、なんて結構な失望感を抱えて見てました。 ただ、後半になってくると野木脚本の切れ味がどんどん鋭くなっていく。あきらかに「ア○ゾン」を思い浮かべる巨大EC企業とそれに依存する物流産業の構造。コロナ禍以来、あきらかに増えた軽ワゴンの配送業者の背景にどんな物語があるのか。あの巨大倉庫のなかで何が起きているのか。格差社会の現実とそのなかでの「勝ち組」も「負け組」も誰もが直面するメンタルヘルスの危機まで盛り込みながら、ECが煽る欲望資本主義への批判と「そのなかで」一体私たちに何ができるのかを描く展開には感心することしきり。そして、最後に娘ちゃんがお母さんに贈ったものには、いまを生きるすべての人にとって最も重要なことーー「ぐっすりと眠ること」ーーが示唆されてて、さすがの野木脚本、恐れ入りました。 というわけで物語には十分満足したし、エンタメとメッセージのバランスは相変わらず素晴らしく、これをたくさんの老若男女が見ること自体、すばらしいと思うものの、テレビ的な平板な演出を映画館の大画面で見続けるのはやや辛かった。加えて、「爆弾」そのものの迫力不足なども最後まで解消されず、不満の残る一作でした。 [映画館(邦画)] 6点(2024-09-11 16:39:04) |
17. フォールガイ
《ネタバレ》 序盤はなんであんなにモタモタしちゃったのかな。かつてスタントダブルだった男を呼び戻し、元彼女と気まずい再会、それでもスタントマン魂を取り戻したあたりで、やっと「事件」の本題へ・・ここに行くまでが長い。もっとスマートに主人公が巻き込まれる展開もあり得たと思うので、そこはとにかく残念。コメディ要素も序盤こそもっと笑わせないといけないのに、ぜんぜんそういう感じでもなく、妙に湿っぽく話も展開する。しかも、映画ネタ、内輪ネタも多いのもちょっと残念。もっとカラッとしたコメディにできたと思うのだけれど、そこはデヴィッド・リーチ監督の色なのかもしれない。一方、諸々の事情が吹っ切れた終盤は楽しい。この映画に期待してたのはこうゆうのだよと思うも、やっぱり遅かった。主演の二人はとてもよかった。ライアン・ゴズリングはいつもの感じでしたが、楽しそうに突き抜けたエミリー・ブラントが貴重。 ただ、終始イマイチだったこの映画の印象を大きく変えたのはエンドロール。スタントの人たちへの敬意をこうゆう形で示されると、こんな映画(失礼)でもウルッとくる。映画を作る映画という、そのメタ構造が逆にノイズになっていた本作ですが、ラスト後のこれには拍手です。 [インターネット(字幕)] 5点(2024-09-02 22:31:11) |
18. インサイド・ヘッド2
《ネタバレ》 ついに思春期をむかえた少女ライリー。今回は3日間の合宿中、親友たちと憧れの先輩との関係に悪戦苦闘するライリーの心のなかで起きていた感情たちのドタバタ劇。一作同様とてもよくできていて、思春期に到来する新キャラの4つの感情がにはどれも納得。とくに大人たちは、シンパイ(anxiety)の登場には心当たりしかないでしょう。新しい感情たちと比べると1作目以来の5つの感情たちはどれも「単純」だった。そこに、感情が複雑さを増していく様子が広大なココロを舞台とした冒険として描かれる。中心になるのはヨロコビ(joy)とシンパイの対立?だけど、いきなり倍増した感情たちのそれぞれに意味のある活躍の場を用意しているのもいい(思春期の子どもの親としては、ダリイ(ennui)がツボでした。それからノスタルジーの扱いも面白い)。そして、終盤、ついに暴走してしまうシンパイとパニックに襲われるココロをみんなで乗り越えていく様は、親目線でも感涙もの。そこにあらわれる「自分らしさ」へのストレートなメッセージも大変すばらしい。 ただ、前作や最近のいくつかのピクサー映画に共通する点だけど、どこかロジックの組み立てのほうが優先されていて、よくできているのだけど「感動」よりも「感心」が先に来てしまう感じ。鑑賞中、物語にどっぷりつかるよりも「あ、そういう設定なのね、よくできてるなあ」みたいに思うことが多くて、映画を観ているというよりは心理についての本を読んでる感覚に近い。それは悪いことではないのだけれど、もう少し「感情移入」できたらなあ、とは思う(このテーマ・設定では難しいか・・・)。 思春期の子どもだけれど、恋愛の話が一切出てこなかったのは今風なのかな(前作ラストではちょっとそういう雰囲気もあったのに)。相手が必ずしも異性じゃくてもいいのだけれど「イイナ(envy)」が恋愛となったときにどんな感じになるのか。あと身体の変化との関係とかももう少し描いてもいいのでは?とか。ココロの奥底に幽閉されている「深く暗い秘密(deep dark secret)」が実は最後に大きな仕事をするのではないかと思ったら、オマケ映像止まりだったり・・・。まあ、設定が設定なので、つい、もうちょっと深い話を期待してしまうだけれど、当然脚本チームではそういう議論もあったろうから、あえて、このあたりは切りすてて3日間の成長物語にまとめたのだろう。それは、映画としては結局正解だったと思う。 ちなみに字幕版で見ましたが、ほとんどの映画館が吹替版のみの対応で、字幕版は一部の映画館の夜の回のみというところが多いのは残念。久々のレイトショーでしたが、観客の半分くらいは外国人と思われる方々で、鑑賞中「ここはアメリカか?」と思うような、笑ったり突っ込んだりする人たちがあちこちにいて、とても劇場の雰囲気がよかったのは思わぬプラス要素でした。 [映画館(字幕)] 7点(2024-08-18 09:07:53) |
19. クリード 過去の逆襲
《ネタバレ》 第1作にはドハマりしたこのシリーズですが、主演俳優が監督というシリーズものの「地雷」を感じるところもあってなかなか手が出ませんでした。でも、見てみれば思ったよりはよくできてた。なにより、マイケル・B・ジョーダン監督でスタローン不在ということで、思い切って「ロサンゼルスの物語」になったのが何よりも本作の良かった点。ロッキーシリーズとクリード1作目が「フィラデルフィアの物語」を通してきたのに、2作目は微妙な感じになっていたところ、今作では、デイムとアドニスの「LAストリート物語」へと転化したことで、3作目のマンネリ感や「闘う意味」をちゃんと再定義できていたと思います。ジョナサン・メイジャースの佇まいや、人懐っこそうなのにどこか暗さを秘めた表情もいい。アドニスが「捨てた」過去への後悔や後ろめたさと、これまでのライバルにはない、何をするかわからない怖さが伝わってきました。最後の試合のアドニスのパンツが、あの星条旗の「CREED」ではなく、白の「ADONIS」であったのも、この試合は、アポロ・クリードの息子として生きる前の、アドニス対デイムの対決だというのもうまく表現されていました。シリーズものの常でビル・コンティの音楽の引用は評価が分かれるところかもしれませんが、ロッキーのテーマではなく、Going the Distanceのみという選択も本作については正解だったと思います。 ただ、演出面や脚本面ではやっぱり疑問も。何よりチャンピオンになった後のデイムの変貌が急すぎて戸惑うレベル。母の取って付けたような病気エピソードも。そして、妻ビアンカの立ち位置もちょっとわかりにくい。彼女が「ボクシング」というものをどう考えているのかがちょっとわからないまま、いきなりエイドリアンの「勝って、ロッキー」みたいな立場になるのにも違和感のほうが大きい。デイムの試合は娘に見せたくないのに、アドニス対デイムのときにはその葛藤が消えてるのもわからない。デイムを巻き込んだことを怒ってたデュークが、結局アドニスのセコンドになった経緯もわかりにくい。各キャラの立場とその論理が掴みにくいまま、勢いで押し切ってる感じは、ロッキーシリーズっぽいですが、やっぱり残念。試合の演出など工夫もみられるし、なんだかんだで最後まで楽しめた一作でしたが、もう続編はないと思いたい・・・(でも、マイケル・B・ジョーダンは『クリード4』あるよ、と言っているらしい、うーむ) [インターネット(字幕)] 5点(2024-08-17 00:08:44) |
20. ツイスターズ
《ネタバレ》 前作との関係性はいまいちよくわからずに戸惑う。展開などは前作をなぞっている部分(竜巻による主人公のトラウマ経験ではじまる/ストーム・チェイサーのキャラクター/ぶっとぶ映画館・・・など)もあって、続編なのかリメイクなのかよくわからない感じがちょっと気持ち悪く、最初の印象はいまひとつ。 とはいえ、竜巻追跡シーンになれば、そういう裏事情もだんだんどうでもよくなる。CGでやり過ぎない、というか「最新技術で再現された1990年代風味の竜巻シーン」は好印象。無駄にわかりにくくごちゃごちゃした絵ではなく、竜巻で人やモノが飛ぶ。ほぼそれだけのアクションで最後までやりきってしまった点が素晴らしい。また、『ザリガニの鳴くところ』のデイジー・エドガー・ジョーンズ、『トップガン・マーヴェリック』のグレン・パウエルと魅力的な若手が、主人公2人を気持ちよく演じきっているのも魅力。とくに、「自然と共に育ったけれど、知性も備えた女性」という主人公ケイトに、デイジー・エドガー・ジョーンズの起用はぴったりハマっていて、ディザスター映画にありがちな「ドラマパートでの失速」がほとんどないのも気持ちいい。 ただ、ラストの展開には疑問も残る。中学生のときの夢を最新科学で実現という科学万能な展開ではなく、恐ろしい敵との共存の可能性へと進んだほうが、自然の恐ろしさを身をもって知っている彼女の「成長」らしかったと思う。それでも、アートな欲を出すことなく「こういうのが見たかった」にきちんと応える一作。猛暑のお盆休み真っ最中、束の間の涼しい映画館に逃げ込んで見る映画としてはベストの選択だったと思います。 [映画館(字幕)] 6点(2024-08-14 22:42:39) |