1. フォーゲルエート城
《ネタバレ》 『最後の人』や『サンライズ』などの極上の作品に比べれば、評点の9点は、ムルナウを偏愛するゆえの高すぎる評価なのは承知だが、かつてドイツ映画祭で観て、その深い寂寥感に撃たれたのが原点にある。シュトラッツ作の同名の原作小説(ドイツ語髭文字の原書!)が魅力的な形式(登場人物たちがそれぞれ「私」形式で語る、複数の語り)を備えているだけではなく、人物像にも重要な違いがある。ムルナウの映画版では、主人公エーチュがあの告解を盗み聴く僧侶に変装するのみならず、死刑を宣告する裁判官役割も兼ねて、作品の進行を決定する主体となる。原作小説ではなんとエーチュ自身も死んで、そもそもその主人公という地位も相対化されるというのに。男爵夫人も映画版では「運命の女」「妖婦」的により濃厚に輪郭付けられる一方、逆にそのパートナーである男爵像の原作における大変な悪どさが映画版では消えて、妙に繊細なむしろ切ないような役作りに変改されている。おそらくこの点にこそこの映画のエキスがありムルナウ自身のゲイ性が反映されていると見る。そういえば主人公エーチュも単独者であり、警察権力(原作小説のエンディングで支配的な役割を演ずる警察関係者が、映画版では影が薄い)を脇に除ける主体としてこの映画を締めくくっているのも極めて印象的だ、と言わねばならない。同性愛者に敵対的なドイツ刑法175条の縛りのある時代のことだからか。 [映画館(字幕)] 9点(2025-03-16 18:13:05) |
2. 現代人
《ネタバレ》 生家の鬱陶しい環境からの切断を生きる主人公(池部良)のあくまでシャープな身のこなし(これだけでも素晴らしい)、清濁合わせ飲む覚悟への無謀な移行、移行といえば長回しの画面奥へのキャメラの縦の移行に山田五十鈴が魅力的に絡む。フランス・ヌーヴェルヴァーグに先立つ圧倒的な名作。 [DVD(邦画)] 9点(2025-03-11 15:28:45) |
3. 落第はしたけれど
《ネタバレ》 斎藤達雄の長い手足のコミカルな身振りが印象的である!小道具の数々がきわめて豊かな表情をみせる、なかでも自害するかにみせて足の爪を切るに切り替えるハサミ、そう万事、行き詰ったら切り替えが必要。もういちいち挙げる必要もない、最高傑作だ。 [映画館(邦画)] 10点(2025-03-11 10:32:49) |
4. 朝の波紋
《ネタバレ》 日本が復興してゆく戦後期、 この映画は五所平之助監督らしく、ほのぼの温かい。高峰秀子が同僚(岡田英次)からのプロポーズを振り切って「もっと他にある」希望に向かおうとするクロースアップの顔は本当に美しく瑞々しい。そして(実人生でもこの映画の役でも、戦地からよく生きて帰ってきた)池部良が魅力的に共演している。この同年に池部良は『現代人』、高峰秀子は『稲妻』、ともに日本映画史上最高級の映画を創っている。 [インターネット(邦画)] 9点(2025-03-11 10:17:29) |
5. 海辺のポーリーヌ
《ネタバレ》 バカンスの海をバックにカメラの前に横一列の人物たち、というのがまず良い。背後にウィンド・サーフィンのボードの帆が風に吹かれている。まったく内的繋がりのない人物たちをまずはウィンド・サーフィンが繋いでいる。じつに浅い関係、恋も?キャンディー売りの女(恋多き女)があの「海辺」を移動して(唯一のトラベリング移動撮影)、恋の相関図にちょっかい…嘘だらけなのだが、べつに嘘でもいいじゃん、しあわせならば、というラストの「名言」がシビレル味。 [映画館(字幕)] 9点(2025-02-08 15:26:44) |
6. 君と別れて
もっと早く見たかった美しい映画。哀しい話の濁流となるところを映像のきらめきが凌ぐ。見ることができて本当に良かった。「振り返り」において水久保澄子が回る、吉川満子も回る、人物たちがことごとく「見る」から「伏目」に移行する、二階の部屋の雨戸をカップルが開けるのを「外側から」撮るのがなまめかしい(内・外のカットバック)、平熱の病床・・・というふうに、成瀬の諸特徴はすでに際立っている。「チョコレートガール」の水久保澄子が大きなチョコレートを抱いている(『チョコレートガール』も観たいなあ)。 [CS・衛星(邦画)] 9点(2025-02-08 15:20:15) |
7. 黒い罠
《ネタバレ》 ウェルズのローアングル手法(まさにこの作品で炸裂)が巨大な体積の「悪」ウェルズを見上げる。ジャネット・リーがいい。 [映画館(字幕)] 6点(2025-01-12 17:49:21) |
8. 浮雲(1955)
《ネタバレ》 私にとって『稲妻』が最高であり『めし』や『驟雨』も素晴らしい。『浮雲』はもちろん名作なのだが、一見陰気だし、腐れ縁というものもあまり直視したくない。ほんとうにせつない、セクシーな映画ではある。 [映画館(邦画)] 9点(2024-10-06 16:17:02) |
9. 街の上で
《ネタバレ》 硬派な他者性が貫かれていることが、この一見穏やかな名作の根幹をなしている。主人公が相手の言葉をすぐには受け入れずに頻繁に反復して咀嚼する間(ま)、これが実に曲者である。細かい誤解や諍いがジャズのように反発と仮初めの投合を繰り広げながら束の間のハーモニーを奏でる。 [DVD(邦画)] 9点(2024-10-06 13:39:58) |
10. ニュー・シネマ・パラダイス
映画館で観たときからべたついてくる映画だなという感じがあった。映画を好きになるはずの映画、ということを押し付けるような感じと言おうか。子供をあしらっているが、子供にとって映画はむしろ怖いものである。この映画の否定派の感想をいろいろ聞きたい気がする(ここまで2011年のレビューで評点が4)。いま見直すとフェリーニ感もあるし切ない味も良くて、評点の変更(2024年)。 [映画館(字幕)] 7点(2024-01-24 22:07:49)(良:1票) |
11. 人間蒸発
《ネタバレ》 「探す映画は探される」というのは、私の持論である。探す主体がやがてまさに探される客体となるのは、何もこの映画に限ったことではない。この映画作り自体がはじめからそれを意図していたであろう、探すことをやめた時、見つかる重大なこと、がある。 [映画館(邦画)] 8点(2024-01-24 17:37:55) |
12. 妻二人
《ネタバレ》 イマジナリーラインを絶えず踏み越えて、見交わしの都度人物の位置が左右反転するという画面演出スタイルが目立っている。それは調和的な向かい合いの否定である。つまり、人物たちがそれぞれに潔く自分であることを追求しぶつかり合う増村流で、かくて未練がましい絡みのない、メリハリのあるスピーディな進行となる。岡田茉莉子の代表作の一つとなっているのではないだろうか、増村映画の偉大な常連若尾文子を脇に回して。 [DVD(邦画)] 8点(2023-01-17 10:11:21) |
13. 女ともだち(1956)
長回しという言い表し方では済まないような巧みな撮影・演出手法で、目まぐるしく動く人物たちが主体として浮上しては脇へ外れてゆく様を描き出す。けっして、人物たちの間に割って入って見交わしをモンタージュするようなことはないのは、ほんとうにすごいことだ。ほとんんど取るに足らない筋で不思議に充実しているアントニオーニ作品たち! [ビデオ(字幕)] 9点(2022-11-13 23:07:13)(良:1票) |
14. 暖流(1957)
《ネタバレ》 左幸子が回る、環境の同調圧力を振り払う独楽のようにブンブン回りながら、恋のターゲットに向かって一直線。野添ひとみも素晴らしい。きわめて動的で立体的な演出で、イマジナリーラインを絶えず踏み越えるゆえ、見交わしの都度人物の位置が左右反転する。人物が頻繁に横に動いてイマジナリーラインを跨いだり、カメラが人物の背後に回って逆サイドからも撮ったりで。もちろん人物位置の反転自体が良いのではなくて、輪郭のある人物どうしの格闘が、反転の度により深められ、映画語りの速度を上げることこそが。この『暖流』の秀逸な撮影者ということで村井博を知る、すると、彼にはあの宮川一夫を鋭く相対化する視点がある、ということに出会う(「インタビュー 村井博」『映画監督 増村保造の世界』所収)、興味津々! [DVD(邦画)] 9点(2021-01-06 14:07:55) |
15. 天然コケッコー
《ネタバレ》 横恋慕してくる男、父親の浮気、カレとの別離の可能性などなど深刻な話題となりうる局面で、ヒロインは積極的には動かない、受動的である(が、従属的ではない)。とにかくボーっとして、まずはながめている(観客もボーっとながめている)。中心人物が受動的なので、周囲世界のほうが重量を帯びる、といっても、なんだか周囲世界の方で納まってくれるので、しあわせな映画となる。そんな映画があってもいいではないか。 [DVD(邦画)] 8点(2021-01-06 14:01:00) |
16. 青空娘
《ネタバレ》 ウジウジ悩まない、恨まない!(とりわけこれ!)、低レヴェルの諍いに与しない、青空を仰いで苦境をどんどん乗り越えてゆく。昭和32年の快作である。湿っぽい日本映画にあからさまに対抗している。 [ビデオ(邦画)] 9点(2020-04-13 23:33:56) |
17. 家路(2001)
《ネタバレ》 悲報が周りの人間たちにまず伝えられ、本人への伝達シーンは割愛される、こういうのがまず巧い!主人公を思いやる共同体というものを形成してそれに観客を参入させるのである。次のショットは自宅二階の窓、そこから庭の孫を見守るPOV、このPOVはのちにもう一回、本当に美しい。急遽代役の、映画出演ということになって、堂々たる演劇俳優が、映画的に切り刻まれる。演劇とは徹底的に区別される映画の残酷という、ベンヤミンばりのアウラの崩壊の図だが、これは、行き着けの喫茶店での内側からの撮影とは全く性格の違う外側からの撮影(喫茶店のフレームの中に主人公)ということでもある。 [ビデオ(字幕)] 10点(2020-04-13 23:30:50) |
18. 生活の設計
《ネタバレ》 窓際で背をカメラに向けて男同士二人腰掛けるショットが雄弁だ。窓が友情のフレーム枠(フレーム内フレーム)となり、かくて友情と、ならびに、背を向けている分背信(友情に対する)を見せている。洗練された映画だ、これも。 [ビデオ(字幕)] 9点(2020-03-15 13:44:24) |
19. ろくでなし(1960)
この「噂の名作」を映画館で観るのに時間がかかった、かつては。ついに観ることができたときにはほんとうに興奮した。世間に追従するだけではない「若者」の映画、映画は若者のための野心的なジャンルとなったのだった。若者表現において吉田には小津との有名な確執があったし、これも日本映画史の貴重なひとこまである。 [映画館(邦画)] 10点(2020-03-08 08:52:37) |
20. ショック集団
《ネタバレ》 原題が「ショック廊下」であり、精神病院のこの廊下を、ルネサンス以来の中心遠近法が見据える。これがまさに「異常」を隔離・排除する「理性」のあつかましい視座であり、この視座(つまりは観客の視座)をこの映画は撃つのである。最も強烈な話題は、KKKに同一化する黒人患者で、つまり支配的な「ものの見方」に主体として参入することへの彼の切なる欲望にも拘わらず自らの存在が無惨に(発狂するくらいに)分裂しているのである。患者のフリをして潜入しついに殺人犯を見つけ出す主人公自身の「理性」も、やがて報復されなければならない。ラストの廊下シーンの客体として現出する主人公の視座を観客も引き受けなければならない。見ることは見られることなのだ。 [ビデオ(字幕)] 9点(2016-06-09 09:08:08) |