1. 駆逐艦雪風
《ネタバレ》 太平洋戦争で多くの海戦に参加しながら大きな損傷もなく、最後まで生き延びた「幸運艦」である駆逐艦雪風を扱っている。最近の映像化では「ゴジラ-1.0」(2023)の終盤で、作戦を指揮した人々が乗っていたのが雪風だった。 艦船や海戦の場面は実写・記録映像・特撮で表現しているが、特徴的なのは当時の海上自衛隊の護衛艦「ゆきかぜ」DD-102が、そのまま駆逐艦雪風役で出演していることである。艦形や兵装は当然違うが全体的な印象としてはあまり違和感がなく、何より2代目の本物が出ているのだから多少変でも大目に見ようという気にさせられる。 ちなみに軍港の場面は実際に「ゆきかぜ」が所属していた横須賀の長浦港のようで、当時あった他の艦艇の姿も見えていた(砲艦役の特務艇「おきちどり」、第1駆潜隊の4隻など)。 基本的には笑って泣かせる娯楽映画であり、あまり本気の戦争映画として見ない方がいいようだった。主人公は烹炊所の主計兵であって勤務の厳しさも表に出ず、そもそも幸運艦なのであまり悲惨な場面もないわけだが、全体の2/3くらいから死人が出始める。 主人公の変な雪風愛には特に共感できないが、映像面でいえば航走中の「ゆきかぜ」が美しく見える場面があってほれぼれさせられた。艦長の妹は「雪風より美人」と言われていたが、人と船を直接比較できないにしても確かにこの映画の「ゆきかぜ」は、20代前半の岩下志麻に劣らない美形といっても変でない。清楚ともいえるが少し凄味がある。 終幕は若干意味不明瞭だったが、例えば去っていく雪風の姿に艦長の妹の面影を重ねていた、というオチだと勝手に思っておく。ここで艦長も笑って見送ってやろうと言っていたので、主人公も素直にその気になったものと思われる。 全体的に演技・演出の面で変なところもあったりしたが、登場人物にはそれほど悪人もおらず、細かいことにこだわらなければ普通に楽しく見ていられる映画だった。 その他雑記として、敵の幸運艦として有名な空母エンタープライズは、その名前が後世の原子力空母や恒星間宇宙船(スタートレック)、スペースシャトル実験機に受け継がれたが、雪風の名前は護衛艦「ゆきかぜ」のほか、地球防衛軍の宇宙駆逐艦(宇宙戦艦ヤマト)その他に採用されている。ラストで雪風の名は永久に消えないと技術士官が言っていたが、少なくとも現時点ではちゃんと記憶されている。 ※追記:今回これを見たあとで発表があったが(12/10)、2025年には新作映画「雪風 YUKIKAZE」が公開されるとのことだった。プロモーションに加担してしまった感じだが一応期待しておく。がんばれ雪風。 [インターネット(邦画)] 6点(2024-12-14 13:07:19) |
2. 太平洋戦争 謎の戦艦陸奥
《ネタバレ》 先月たまたま横須賀に行った際、JR横須賀駅前の公園に陸奥主砲の砲身と砲弾が保存してあるのを見かけたので、その関係でこの映画も見た。陸奥が横須賀海軍工廠で建造された縁で置いてあるのかも知れない。 陸奥が爆沈した原因としては、火薬の自然発火や人為的なものなど諸説あったらしいが確定したものはない。この映画では最初に「総て創作されたもの」と出るので全部適当に作った話と思えばいいわけだが、現実にこういう事件は乗員の不祥事とされる事例が結構あるので、この映画でも最初からそういうことを匂わせている。 それとは別に、敵対勢力の破壊工作という説が製作の少し前に出ていたためか、この映画も基本はスパイ物のサスペンスということにして、そこに副長とマダムの色恋をからめた形に作ってある。そのせいで、あまり戦争映画として期待しない方がいい映画ができている。 事実と違う点としては特に、ミッドウェー海戦後に内地に留め置かれたのは陸奥ではなく、同型艦の長門の方だったらしい。そもそも当時の国民にとって帝国海軍の象徴は長門・陸奥のペアだろうが、陸奥を主役にした映画としての都合上、長門はいないことにしたようだった。 なお爆沈直前に飛行予科練習生の団体が乗って来たのは事実だったらしい。 社会的主張としては何かいいたいことがあったか不明だが、副長の伯父の「平和のための戦争はありえない」という戦後っぽい台詞が目立つので、これが観客向けメッセージのように取れる。 一方で、この伯父に反発していた副長の考え方は本人の行動に表れていたように見える。水兵同士の喧嘩はいわば制御された暴力によって和解に導き、また赤城で兄が死んだ男やマダムに対しては、他者の立場への共感を促すことで対立を回避しようとしていた。伯父のような観念論でなく、和戦両様の現実的な解決を目指すのが副長の立場だったとすれば、個人的にはそっちの方に共感する。こういうまともな人間から死んでいくのが理不尽という皮肉か。 ほか人物として、軍法会議にかけられそうな男の妹は清楚で感じのいい人だった。他の関係者は最後に全員死亡して真相不明になっていたが、この人はさすがに無事だったろうから、今後は変な思想に関わることなく幸せに生きてもらいたい。ハッピーエンドになりえない映画のせめてもの希望ということで。 [DVD(邦画)] 5点(2024-11-30 13:06:49) |
3. 日本海大海戦
《ネタバレ》 先月たまたま横須賀に行った関係で改めて見た。 最初に見たのがいつか不明だが、閉塞作戦で「廣瀬中佐」のメロディが流れるとか、「おいどんに惚れちょるからな」など憶えていることが多い。東郷=三船は当然として、上村中将が藤田進、乃木大将が笠智衆というイメージも個人的には定着していて、この映画からかなり擦り込まれたものがあったらしい。 内容的には「運のいい男」から始まり、ツアイスZeissとか下瀬火薬など関連要素が漏れなく盛り込まれ、日本海海戦に関する標準仕様の物語ができた印象がある。ただ自分に関していえば史実より先に、この映画の流れを標準仕様と思い込んでいたようでもあり、製作協力の「三笠保存会」の影響も大きかったかも知れない。ちなみに「坂の上の雲」「海の史劇」もその後に読んだ。 戦後の日本社会では、戦前日本を問答無用で貶める風潮があって辟易させられたが(今もあるが)、この頃はまだ自国の歴史を肯定的に捉える気分が残っていたようで、ナレーションの「わが連合艦隊」という言葉が心地いい。戦争の悲劇の面に関して、主に陸軍の方に振っていたのは全体構成として妥当と思われる。 一方で、敵に対する敬意や人としての尊重、また必ず生きて帰るという広瀬少佐の決意などは現代でも受け取りやすい要素と思われる。兵が無駄に死んだと思えば責任者宅が襲われるのは乃木大将や小村外相の件でもあったことだが、こういう慣行?は国民感情の表現として有意義だったのではと思う。 物語の流れとして、当初は日露戦争の全体像を扱ったようにも見えていたが、日本海海戦の映画であるから奉天会戦や講和交渉などは省略し、最後は東郷元帥の人格を讃えて締めている。この後も第一次大戦や国際連盟などいろいろ経過があったわけだが、この映画としてはアメリカの脅威を指摘した上で「勝ったことを恐れる」と述べ、太平洋戦争の敗北に直接つないだ形に見えた。 そういう後の心配は別にして、この海戦がほぼ完勝だったのは変えようのない事実であり、安心して見ていられる映画ではあった。何かと古風な印象もあるが明治時代の話なのでまあいいことにしておく。 以下個別事項 ・艦船映像はさすが円谷特撮と思わせる。戦艦や装甲巡洋艦といった主な軍艦以外に、駆逐艦が魚雷を発射する大型模型もあって目を引いた。「東郷ターン」のあと、遠方に縦列の敵艦隊、手前に舷側が見える状態で、海面に水柱が上がり始めたのはこの海戦らしい映像だった。 ・上村中将は情けない姿を見せていたが、同様に東郷大将が取り乱す場面もあり、将たる者が背負うものの重さが表現されている。菓子屋のエピソードは印象的だった。奥様も立派な人だ。 ・宮古島の「久松五勇士」の話は当時どれだけ知られていたものか。舟の名前が「尖閣丸」だったのはどこかに喧嘩を売るつもりかと思ったが、この映画の頃はまだ難癖つけられていなかったので、単に昔から尖閣周辺が漁場だったからというだけかも知れない。 ・島根県に流れ着いた死者に関して「縁があったから来た」という発想はよかった。 ・敵艦隊について「大艦隊の航海記録としては歴史に残る」と自分でいえば自画自賛のようだが、海戦後に東郷大将が賞讃したように実際そうだと思われる。途中で結構死人も出ていたらしく、苦労して来たのにいきなり撃滅されてはたまらない。御苦労様というしかない。 ・敵艦の渾名(コードネーム?)のうち個人的には「ゴミ取り権助」が気に入っているが、実物が映像に出て来ないのは残念だ。その代わり、艦名のもとになったモスクワ大公ドミトリーの歴史映画を本国に作ってもらいたいと期待している。向こうではモンゴル勢力を負かした英雄だが、日本は簡単にやられたりしない。 [インターネット(邦画)] 7点(2024-11-30 13:06:46) |
4. ゴジラ・エビラ・モスラ 南海の大決闘
《ネタバレ》 あまり真剣に見るものではないが、どうせ昭和の怪獣映画だと思えばそれなりに見ていられる。 エビとガの登場にはあまり必然性が感じられないが、劇場パンフレットに書かれた「陸海空の三大怪獣」というコンセプトで数を揃えた形らしい。新顔のエビラはハサミに大小があるが、小さい方で人間を串刺しにして食っていたので使い分けがあるようだ。終盤モスラが飛来した場面では、ゴジラとの間で何らかのコミュニケーションがあったように見えたが、劇場予告ではここでモスラが「来ちゃダメッ」と言っていたことになっていて女性的なイメージが持たれている。 場所が南洋の島なので当時の日本各地の風景を見られるわけではなく(ロケ地の海岸は別として)そういう面白がり方はできない。しかし最後に島が崩壊して沈下する場面は迫力があって、この辺はさすが日本特撮だと思った。 政治的な主張としては、大学生の反戦・反核は当時の定番として、悪の秘密結社のような敵はどういう団体だったのか不明瞭だが、呼称に「赤」が入ることから当時の東側陣営に連なる組織と思うしかない。「革命」という言葉を特別視していたようだったが、本来の革命というのは民衆が圧政に耐えかねて、または外部勢力の扇動で起こすものであって、劇中でやっていた核開発の延長上にあるものではないだろうと言いたくなる。しかし当初は革命の美名のもとに発足しながら、この頃には核兵器で世界平和を脅かす存在になっていた東側勢力を皮肉ったとも取れなくはなく、戦後の東西対立の中でゴジラを「中立」の立場に置こうという考え方だったかも知れない。 登場人物としては、水野久美さんはこの時期になってまたこんな村娘役かと思うがそこはプロである。露出の多い服装で藪や岩場を動いて傷だらけにならなかったかと思うが余計なお世話か。小美人は前と違う双子が出演して同じ声質でのハーモニーを聴かせている。外見は「謎の円盤UFO」(1970~英)のエリス中尉風だった(どことなく未来的)。 [DVD(邦画)] 5点(2024-02-24 20:13:05) |
5. SF第7惑星の謎
《ネタバレ》 「巨大アメーバの惑星」(1959)や「原始獣レプティリカス」(1961)に関わった監督+脚本家によるSF(笑)映画である。「原始獣…」はデンマークが舞台になっていたが、今回も主役以外はほとんどデンマーク人だった。 題名の第7惑星とは実在の天王星の意味で、ガス惑星というのをあまり意識していなかったのか地表に直接ロケットが降りていた。時代設定は「戦争と大量殺人も無くなった」2001年の世界とのことだが、現実の2001年を考えると残念感がある。 行った人間が本人の記憶をもとにした幻覚を見せられるという設定のため、適当に地球上の風景(デンマークの農村?)だけでごまかすのかと思えばそうでもなく、一応は天王星の地表の様子も作っている。映像的にはまあまあ稚拙な印象で、宇宙空間は背景の絵の上でロケットの絵が移動しているだけのようだった。現地では怪物関係も3体くらい出ていたが支離滅裂でよくわからない。 ほか森?の中の底なし沼のようなのがアンモニアの雪だったのがわずかに面白い。決戦兵器の製作を村の鍛冶屋でやるのもユーモラスだった。 敵の宇宙生物は、人間の記憶を現実化させる能力により人間を支配しようとしていたようで、「心に潜む恐怖心を煽れば簡単に破滅する」との考え方に基づき、実際に恐怖を現実化させてみせた場面もある。ただし映画全体として見た限り、どう見ても地球人類(男)の最大の弱点は恐怖というよりハニートラップにかかりやすいことだった。敵はあまり意識していなかったかも知れないがこれは貴重な教訓と思われる。人類(男)は自戒が必要だ。 また宇宙生物の能力は、恐怖を現実化させるだけでなく「希望も現実化」させる副次効果があったとのことで、最後は切ない恋心の物語で終わっていたのはまことに意外だった。お相手はハニトラ要員としか思えなかったのでもう少し話の運びをうまくやってもらいたいところである。直後のエンディングのアニメーション+テーマ曲も間の抜けた感じだが、これはまあ好みによるかも知れない。 結果として、「原始獣…」の感動をもう一度ということにもならなかったが同じくらいの点はつけておく。 [DVD(字幕)] 3点(2024-01-20 19:55:32) |
6. 三大怪獣地球最大の決戦
《ネタバレ》 三大怪獣+1が活躍する楽しい怪獣映画である。 洋上で船が襲われた時に、最初はクジラか何かが来たと見せておいて、実は後にゴジラがいたというのはフェイント感を出していた。またその後の横浜で夜空にキーンという音だけがして、やがてラドン(影絵)が見えて来た場面はなかなか迫力がある。今回初登場のキングギドラは、初回は卵のようなものに入って地球に来たことを再認識させられたが、一度は横浜→東京まで行っていながら(また東京タワーが壊れた)その後にちゃんと富士山麓の決戦場に出向いて来るのが筋書き通りの印象だった。 出現時点では一応恐ろしい存在のように見えても怪獣バトルが始まるとコメディになってしまう。ゴジラはやんちゃな悪ガキでラドンも同類、モスラはいい子(東京タワーを壊したこともあるが)というキャラクターになっていて、ゴジラがモスラにいろいろ言われてフン、バーカという顔をしていたのは笑った。真面目なモスラが地球生物の共通利害を説いたことで、結果的にゴジラとラドンも共感したかのような展開だったが、実際はモスラが一方的にやられていたのに腹を立てて加勢しただけのようで、モスラほど真面目な連中でもないと思われる。なおモスラは、防衛大臣が口にした核兵器の使用を回避するため尽力した形になっている。 ラドンはどちらかというと非力なイメージだったが、この映画ではゴジラを手ひどくやっつけていたのはなかなかやるなと思わせる。また一番弱そうなモスラの糸が意外に強力で、古風な表現でいえば「ほうほうのてい」でキングギドラが逃げていったのがざあまみろだった。 ドラマ部分では主人公兄妹の馴れ合い感が可笑しいのと、金星人が何事にも動じることなく「わたくしは金星人です」で通す人物設定に好感が持たれた。ラストの趣向は知らないで見たが、まるきりローマの休日だったので正直感動した(「ローマです」と言うかと思った)。 その他の話として、鉄筋コンクリートの大阪城や名古屋城ならともかく、現存天守の国宝松本城が全壊しないで済んだのは幸いだった。今回は松本市内での撮影もあり、映像中で女鳥羽川の橋(中の橋)の向こうに看板が見えた果物専門店は、歩行者天国の「なわて通り」(縄手通り、ナワテ通り)で今も営業していて、映像では店頭に天津甘栗が見えたが、今は観光客向けにフルーツのスムージーなども出しているそうである。昔の映画でもちゃんと現代につながっている。 [ブルーレイ(邦画)] 6点(2023-08-05 14:10:05) |
7. 金門島にかける橋
《ネタバレ》 1958年の「金門砲戦」を題材にして、当時国交のあった中華民国の映画会社と日活が共同製作した映画である。 ちょっと深刻味のある恋愛ドラマ程度かと思って見ていたが、「中華民國國軍」が協力しただけあって意外に戦闘場面の扱いが大きい。高雄から金門島に向かう艦船は結構な大艦隊のように見えたが、そこへ中共軍の砲撃や航空攻撃があって、やたらに水柱が立ったりして登場人物が危険にさらされていた。ちなみに5隻くらいいた背負い式の単装砲の戦闘艦は、アメリカに貸与されたベンソン級かグリーヴス級の駆逐艦かと思った。 本筋の恋愛物語については微妙だったというしかない。日本側ヒロイン役の芦川いづみという人は個人的に馴染みがなかったが、笑顔の口元に可愛らしさのある人だと思った。中華民国側ヒロインは怖い顔の場面が多かったが、脚がすらりとしてきれいなのはさすがと思った。 当時の国際情勢を背景にした映画のため、当然ながら現在とは世界観が違っている。中華民国側の人物が日本語を話すのは日本統治時代の影響かと思えばそうでもなく、ヒロインの養父は戦時中に日本と戦った大陸出身者だった。また島の人々が自分らを「中国人」と言う場面があったのは、中華民国=中国だったので当然としても、現在のような台湾アイデンティティとは無縁な世界と思わせる。それは金門島という場所柄(台湾省でなく福建省)からしても当然か。 戦って故郷を取り返したいと願う人物に対し、戦争以外の方法は考えられないのか、と主人公が言ったのは戦後日本的な平和主義だろうが、実際はその後年数を経て両岸の往来も容易になったので、結果的に主人公の願いが実現したとはいえる。しかし現実問題として平和を願えば平和になるわけでもなく、次にまた何かあった時は日本も他人事としては見ていられないという気にはなる。 その他の事項として、劇中出た「そうじゅうせつ」とは重要行事らしいが何なのかと思ったら、中華民国の建国記念日である「双十節」だとわかったのは少し勉強になった。 またこの映画とは別に少し前、日本の高校のマーチングバンドが台湾に招かれて大歓迎されたという記事をネットメディアで見た気がしていたが、これも実はこの記念日のゲストとして参加したのだそうで(2022/10/10)、日本と台湾の友情のかけ橋として期待されていたらしい。何か大昔の映画を見たような気がしていたが、現在にちゃんとつながったのが意外で少し感動した。 [インターネット(邦画)] 5点(2022-12-03 12:00:47) |
8. 鬼戦車T-34
《ネタバレ》 最初と最後に無名戦士の慰霊碑が映り、名も知れず死んだ英雄を顕彰する体裁になっている。碑文はロシア語とドイツ語で書いてあるが、ここはベルリン市内に今もある公園のようで(Treptower Park)当時は東ベルリンということになる。東ドイツならソビエト連邦の友邦であるから単純に敵扱いにはできないわけで、劇中のナチスは悪であっても一般庶民は傷つけなかった。 邦題からすると戦車映画だが、主役の戦車は砲撃もしないでただ走り回るだけである。邦題の「鬼戦車」のイメージそのままでもないが、途中いろいろ踏み潰したり突き破りながら爆走したりして、この車体自体が鬼(金棒なし)とはいえる。そういう鬼の所業だけでなく、お花畑の乙女(でもないか)とか、バットマンの像を倒してドイツビールをもらうとかの見せ場も入れており、悲壮感を強調しないユーモラスな作りになっていて、ちょっとした娯楽映画としてはよくできているように見えた。 なお映像的には半地下の窓から広場の戦車を見通す構図が面白かった。 ところで原題は「ひばり」という意味だそうで、どこに鳥がいたかと見返すと、最初と最後に空を映したときに声が聞こえた鳥がそうだったらしい。空高く昇っていく鳥に自由への渇望を重ね合わせたとすれば、世評で「大脱走」(1963米)のソ連版と言われているのも確かにそうかも知れないと思った。 森で若年兵が錯乱していた場面では、ドイツの林業は管理が細かいといいたいのかと思ったがそうでもなく、番号による支配の恐怖を表現していたらしい。自分としてはこれを見て、「収容所群島」で悪名高いソビエト連邦が他国のことなど言えるのか、と皮肉を言いたくなったが、しかしあるいはもしかすると、まさにそのソビエト体制に対する制作側の批判が込められた場面だったのではないか。どこまで勘繰るかにもよるだろうが、映画館での独裁者打倒の場面にも、少し前までソビエト全土を支配していた別の独裁者の姿を重ねていたかも知れず、これは英雄賛美を装った体制批判映画ではないのかと思った。 なおラストの展開について、これが当時の現地の観客にも素直に受け入れられたということは、過酷な抑圧や思想統制が続いた国でも("悪の帝国"ソビエト連邦)人の心が全部悪に染まっていたわけではなく、こういう素朴な良心や基礎的な倫理が一般庶民の中でちゃんと生きていたということだと解する。これからどんな非道がまかり通る社会や世界ができたとしても、せめて自分と自分の周囲ではこういう心を共有していきたい、と多くの人々が思い続けることが、支配と抑圧への最小限の抵抗になるのではと思った。 [DVD(字幕)] 7点(2022-10-29 16:02:48) |
9. シェラ・デ・コブレの幽霊
《ネタバレ》 邦画「女優霊」(1996)との関係で名前だけが語られて来た幻の映画である。 大人が見れば最恐ホラーともいえないが、泣き声+背景音や幽霊の映像効果などはけっこう恐ろしげであり、また凄味のあるショッキングな場面が印象的だった。「女優霊」脚本の高橋洋氏のように、幼少時に見ればトラウマ級のホラーだったかも知れないとは思った。 ストーリーとしては意外にもミステリー風の作りになっている。怖そうな雰囲気を出す一方、訳あり風の家政婦とか電話線や小瓶といった小道具が単純な心霊ホラーに終わらない予兆を示している。 本来はTVドラマの試作版とのことだが、見ると登場人物のキャラクターが探偵ドラマらしく出来上がっていて、これは確かに連続ドラマの第1話にふさわしいと思わせる。主人公である探偵のところにオカルトじみた相談事が持ち込まれると、オカルトの対極にいるリアリストの探偵助手が仕掛けを疑って判断材料を提供し、それを受けた探偵が、現世的な因果も含めた全体像を解明して決着がつく、というのがシリーズを通じた基本パターンになりそうに見える。 主人公は超自然現象の存在を否定しておらず、むしろ心霊を侮る罪びとを破滅から救おうとしていたらしい。探偵助手も現実主義だからこそということなのか、実際起きたことは起きたものとして受け入れるスタンスだったのは好印象だった。“一番怖いのは人間”とはよく言われるが、それはそうとしても、だからといって心霊の存在が否定されるわけではないというようでもある。 最後はひっくり返った車をそのままにして終わりなどいい加減な締め方で、そもそも事の真相もよくわからなかったが(母親を死なせたのは娘だった?)、まあ次回もあるなら見たいという気にさせる内容ではあった。 登場人物では、今回のヒロイン役である奥様が美形で目を引かれた(脚もきれいに見せている)。また探偵助手の家政婦の人物像が見どころで、最後のやり取りはこのドラマの雰囲気を端的に表現していた。ほか渚の美女は正体不明だったが、これからシリーズの進行とともに主人公との距離が縮まってハッピーエンドに至るのか、あるいは主人公に重大な危機をもたらす存在になるのか(白は心霊のイメージ?)。何にせよドラマ化が実現しなかったのでわからない。 ちなみに冒頭で、墓標に見立てたビルの建つ平べったい都市景観は当時のロサンゼルスの風景だったかも知れない。 [インターネット(字幕)] 6点(2022-06-25 10:27:50) |
10. 妖婆・死棺の呪い
《ネタバレ》 邦題は長いが原題は単純にヴィーである。宣材ポスターの真ん中にでっかく「ВИЙ」と書いてあるのが不気味だ。 原作者の出身地と劇中設定、及び撮影場所はウクライナとのことで、原作を読むと劇中の神学校は現在の首都(※注)にあったことになっている。ちなみに神学校の課程は(文法級・)修辞級・哲学級・神学級の順番で進級していく形だったらしい。 主人公が自分はコサックだと言って強がっていたが、原作を読むと村人もみな実際にコサックの民だったようである。村の有力者は役名が「ソートニク」(Sotnik / Сотник、百人隊長または百人長)だが、これはコサックの地区単位の軍指揮官兼行政官のような立場らしい。村人や主人公がいい声で歌ったり踊ったり、また素朴な女声合唱が聞こえたのも地元風ということか。考証的なことはよくわからないが、ウクライナ・コサックということに焦点を当ててご当地色を強く出した映画になっていたのかも知れない。ちなみにヒマワリの花も見えた。 ほか細かい点として酒場のコウノトリ3羽は絵になっていた。また酒場でドアが3つ開いたのは、村人が妖術を使ったのではなく主人公の酩酊状態の表現だったらしい。 ※注:原作和訳「キーエフ」、2022.3.31日本政府発表「キーウ」、ほか「キイフ」「キーフ」「キーイフ」「クィイヴ」 全体的には、日本でいえば60年代の大映の妖怪映画のようなものかと個人的には思った。子どもが見れば結構怖いかも知れないが、基本的にユーモラスな作りなので大人なら笑って見ていられる。いきなり黒ネコが何匹も横切るとか、古典的マジック風に祈祷書から鳥が出るといった趣向は好きだ。 全体が1時間強の中に3日3晩を収めるので、毎晩ほとんどすぐ一番鶏が鳴くのがとぼけた感じである。終盤の妖怪大集合もファンタジックで賑やかで楽しめるが、邦題の妖婆と原題のヴィーが別物だったのは意外だった。最初に壁から湧いて出た異形の連中が、最後は壁に入り切れずに伸びていたのは面白い(ミミズが干からびたイメージ)。 ドラマとしては素っ気ない終わり方だったが、こういうとんでもない事件も記録に残るわけでもなく、やがて人々の記憶も不確かになって日常の中に埋もれていくような雰囲気は出ていた。ラストのクラリネットのメロディが、日本でよくある昔話の結句のようにも聞こえる。日頃から強面で不愛想だったソビエト連邦にしては、万人が楽しめる映画を作ってくれたものだと思った。 [DVD(字幕)] 6点(2022-04-02 09:47:33) |
11. 今日もわれ大空にあり
《ネタバレ》 戦時中は海軍航空隊にいたという古澤憲吾監督が、「青島要塞爆撃命令」(1963)に続いて撮った飛行機映画である。時代的には「ゴジラ」(1954)で鮮烈デビューした(ただしミニチュア特撮)航空自衛隊のF-86戦闘機が早くも引退の時期にかかり、新鋭のF-104戦闘機に主力の座を譲ろうとしていた頃の話である。 実際にF-104が出るのは序盤と最後くらいのもので、ほとんどはF-86ばかりだが、円谷特撮ではなく実機映像が基本なので迫力がある。ほかに隊長機・訓練機としてT-33練習機も見えており、また極端に古風な黄色いプロペラ機が出ていたのは、戦前から世界的に使われていたT-6練習機というものらしかった。 本編は序盤からブルーインパルスなみ(乗員は多分本物)の曲技飛行で始まるので見とれてしまう。しかし劇中の隊員があまりに放埓でいい加減な連中で、こんな映画を許容する航空自衛隊は大らかなものだと思わされる。途中の訓練では何を訓練していたのかよくわからず、最後だけ必然性もなく無理やりな緊迫場面で盛り上げていたが、結局単なる根性論で終わったようなのは残念感があった。あるいはこれが「勇猛果敢・支離滅裂」といわれる航空自衛隊気質の表現だったのか(違うか)。 ドラマとしてはパイロットの人間模様も入れていたが、恋の結末に関しては全く納得できない。キャストとしては夏木陽介+星由里子で順当だとしても、こんなパワハラ気質+男尊女卑の旧人類で大丈夫なのかと花嫁が心配になる。結婚式ではとんでもない大失言をしていたが、本人は失言とも思っていないだろうからどうしようもない。 まあこの時代の大衆娯楽映画としてはこれで普通なのだろうが、それよりF-86映像が満載という点が最大の価値ではある。ラストの場面では、F-86の限界をこえて高く上昇するF-104が新しい時代を表現していたようで、お勤めを終える飛行機も人もお疲れ様でしたと言いたくはなった。 ほか個別事項としては主に最年少の三尉との関係で、自分で自分を縛らず自由になれということが語られていたようで、日記をやめろという端的なアドバイスは新鮮な気がした。また隊長の戦時中の話は残念なことだったが、その娘が父親を大事にしろと言われていたのはちょっと泣かせる場面だった。ちなみにどうでもいいことだが、農家の庭にニワトリがいるのはいいとして、屋内にまで1羽入り込んでいたのは気にしないのが普通なのか。 [雑記] 劇中飛行隊が九州まで遠出した場面では、途中で日本各地の空撮映像を見せていたが、その中で見えた「若戸大橋」(北九州市)は、この映画と同年の東宝映画「宇宙大怪獣ドゴラ」(夏木陽介主演)で怪獣に破壊されてしまっていた。その映画にもF-86が出演している。 [DVD(邦画)] 6点(2022-01-01 10:53:42) |
12. 青島要塞爆撃命令
《ネタバレ》 第一次世界大戦に日本が参戦した時の映画であり、また日本初の水上機母艦「若宮」(劇中の時点では運送船若宮丸)が出ているのが珍しい。貨物船を改装して水上機を載せただけのものだが、水上機とはいえ偵察のほか攻撃もしているので実質的に航空母艦の役目をしている。劇中では最初にとりあえず出てから相手の様子を見て、次回は爆撃と護衛を2機で分担し、後には爆弾の投下装置(筒)も付けるといった現場力での進歩を見せていた(どこまで史実かは不明)。 物語としては、青島の攻略を担当した日本陸海軍が焦って総攻撃をかけて大苦戦したが、若宮の飛行隊が要塞を破壊したことで大勝利を収め、それによって航空機の有用性も見事に実証した、という筋書きらしいが、それはこの映画限定のお話なので真に受ける必要はない。現実にはこんな大活躍などしていないが、地道に相応の成果を出してその後の海軍航空の発展につなぐ形になったと思われる。 ちなみに第二艦隊旗艦「周防」の艦上の場面は横須賀の戦艦三笠で撮影したようだが(背景に猿島が見える)、この周防というのは日露戦争での鹵獲艦(旧名Победа)であって三笠と同時代の戦艦なので、本物も大体こんな感じだったろうとはいえる。 映画全体の印象としては、評判通り力の抜けた軽妙な作りで笑わせる場面も多いが、現地住民に関する部分が笑えないので異物感がある。 「外国で勝手に戦争を始めて…」というのはその通りとしても、寛容な態度を見せたとたんに諜報活動や破壊工作が露見するなど、必ずしも無垢で善良な民ばかりといえないことはしっかり表現されている。そうすると序盤の「許可してやって下さい!」「いかん!」という意見対立は、前者優位ではなく両論併記または後者優位と取るべきだったのか。恐らくこの映画の意図としては、終盤に意外な助けが得られた展開をもって、ちゃんと誠意が通じる相手もいると言いたかったのではと思うが、徹底せずに曖昧なままで終わってしまったのは変だった。チャイナ服のスパイがその後どうしたかの説明もなかったので、何かの理由で短縮したため意味不明瞭になったと思えばいいか。 ほか劇中のドイツ軍に関しては、人間味は一応出ているが基本的にはよそよそしい感じの敵である。この第一次大戦で日本は勝ち組になって国際的地位も向上したわけで、その後はかえって多事多難でもあったが、何にせよドイツとは同じ組にならないのが無難という気はする。 [インターネット(邦画)] 6点(2021-09-18 09:58:17) |
13. 沖縄怪談 逆吊り幽霊・支那怪談 死棺破り
《ネタバレ》 冒頭で「日華合作」との表示が出る。日本に昔あった大蔵映画株式会社というものと、当時国交のあった中華民国の会社が共同で作ったようだが、中華民国側の出演者は主人公夫妻の2人だけで、ほかは全部日本人だったことになる。題名は二本立てに見えるが実際は沖縄怪談がメインになっており、支那怪談は沖縄の悪役が妻の貞操を疑う動機として語る昔話である。瀕死の病人が口述するには長い話なので途中で息絶えてしまわないかと思った。 映画としては一応カラーだが、保存状態のせいか画質は悪い。場面のつなぎが悪く話の展開にも説得力がなく、怖い場面も一瞬のドッキリが連続するだけで恐怖感が高まらない。また美女への病的な執着が災いを呼ぶというのが基本路線のようだが、他の男に奪われる妄想を生じるほどというには微妙な美女ばかりである。特に中華民国側はかなり微妙な美女で、これはいわば脱lookismの表現かと思った。なお日本側は「ピンク映画」や「成人映画」で知られた役者が出ていたようだが、全体的にエロい場面はほぼ皆無だった。 怪談話として見た場合、まず沖縄怪談は那覇市真嘉比(〒902-0068)の怪談とされる「真嘉比道(まかんみち)の逆立ち幽霊」に結構近いようで、時代が現代なのと純愛物語風に脚色してあるのが主な違いである。原話は地名付きということから場所に憑く妖怪の印象もあるが、この映画では人に憑いてところ構わず出現するのが伝統的な和風幽霊の感じを出している(顔は四谷怪談)。 支那怪談の出所はわからないが、何となく「胡蝶の夢」を思わせるものがあると思ったら、登場人物の荘周とは荘子のことだったようで、つまり西暦紀元前の物語ということになる。さすが支那怪談だけあって奥が深いと思わせるが、物語としては不倫の可能性が内在するというだけで妻を罰する理不尽な展開だった。実際の荘子の教えにはそぐわないだろうが古典を茶化しているということか。ちなみに未執行の死刑囚を殺して脳を取るというのは大陸的な発想かも知れない(従者が逃げるのは笑った)。 全体的にはゲテモノ映画という印象しかなかったが、怪談話のネタが少し興味深かったのと、ラストが意外にもハッピーエンドだったのは悪くなかった。 [DVD(邦画)] 3点(2021-06-12 08:43:59) |
14. イカリエ‐XB1
《ネタバレ》 アメリカ公開時の題名は “Voyage to the End of the Universe” とのことだが、実際それほど大がかりな宇宙旅行でもない。要はお隣のアルファ・ケンタウリ系(4.3光年)が目的地とのことで、人類初の恒星間飛行にふさわしい無難なスケールである。宇宙船内では往復で2年だが、地球では15年が経過するという設定になっている。 モノクロ映画だが、白黒というより銀と黒の陰影が際立つ映像になっており、舞台装置も当時なりに洗練された印象がある。メカニックデザインもそれほど悪くなかったが、宇宙船が飛ぶ場面の操演?はちょっと感心できなかった。 SF的なアイデアとしては、ロボットというのはもともと人間全体を模したものだったが、22世紀のロボットは専門分野に特化しているという話が出ていたようだった。その考え方自体は正しいだろうが、現実には20世紀のうちから機能別のロボットは作られていたのに対し、人型のロボットは21世紀になっても普及していないので未来予測としては外している。ちなみにチェコスロバキアはロボットという言葉の発祥地である。 イカリエという言葉は意味不明だが、英題のIcarusからするとギリシア神話で太陽に近づきすぎて墜死したイカロスのことだろうから、どちらかというと不吉なネーミングである。映画自体も冒頭から不穏な雰囲気を出しており、暗めの映像や耳ざわりな未来っぽい背景音楽が心を乱す。物語が始まると乗組員の談笑風景などもあるが心和むようなものでもなく、楽しいはずのパーティ場面でもダンスミュージックが何とも奇妙で不安感を催す。 そのうち危機的な事件が続けて発生し、その場では何とかなるものの、最後がどうなるかは予想できずに気が抜けないが、やっと最後の数分間で、それまで出ていた伏線を生かして感動のラストにつなぐ形になっていた。結果としては全体を不安なサスペンス調にしておいて、最後に逆転を置く構成だったらしく、制作側が意図したであろう未来への希望を素直に感じさせる映画になっていた。 なお2163年の人々は20世紀を嫌悪すべき時代として記憶していたらしいが、その20世紀のうちにチェコとスロバキアも民主化して自由な時代が来たわけなので、全部が全部暗黒の時代だったというわけでもない(当然だ)。劇中人物が20世紀のいいところとして、スイス/フランスの作曲家アルテュール・オネゲル(1892~1955)の名前を挙げていたが、個人的に馴染みがない作曲家なので後で少し聴いてみたりした。 [ブルーレイ(字幕)] 7点(2020-12-12 08:26:44)(良:1票) |
15. かたつむり
《ネタバレ》 「ファンタスティック・プラネット」(1973)のついでに見た。ちなみにこれを見て、エスカルゴescargotというのは料理用語という以前に、カタツムリそのものを意味する単語だとわかった。 冒頭で提示される世界像が奇抜なので「ファンタスティック…」のような異世界ファンタジーかと思ったが、その後はあまり変なキャラクターはおらず、基本的にはその辺にあるものが出て来る。自分として思ったのは結構怖い怪獣映画のようだということで(例:「ウルトラQ」(1966)の「ゴーガの像」)、昔の邦画特撮でも時々あったが、人が食われる怪獣モノは子どもにはトラウマ映画になりそうなところがある。下着姿の半裸の女性が好まれていたのは意味不明だが、これは世紀末的な頽廃の表現ということか。 物語としては支離滅裂なようだが何か意味があるような気はした。農村と都市の対立関係とも見えたが、監督インタビューによれば本人が共産主義に心を寄せていたとのことで、どうもこれは革命の話ではないかと思った。苦境に泣かされる農民の怨嗟が原因になって最初の“エスカルゴ革命”が起きたが、それで資本主義が滅びたわけでもなく、一方で革命は形骸化してモニュメントだけが残り、そのため次の“ウサギ革命”が準備されているという意味かも知れない。あるいはそれと無関係に、農民の営みはいつまでも変わらない、というようでもある。そういう社会派的な深読みもできなくはない短編だった。 [ブルーレイ(字幕なし「原語」)] 5点(2020-12-05 08:29:38) |
16. 蛇女の脅怖
《ネタバレ》 知っている者にとっては有名な蛇女の映画である。昔の日本では、この映画や前作の「吸血ゾンビ」(1962)が「怪獣ゴルゴ」(1961)などと並ぶ特撮映画の扱いで怪獣図鑑に掲載されていた。自分としてはこの映画の説明を読んで初めて「ボルネオ」という地名を覚えた気がするが、かつてのイギリス植民地とすれば現在はマレーシア領になっている地域のことのようで、劇中の不気味な東洋人も役名がMalayになっていた。 前作に続いてまたコーンウォールの話であり、さすがイギリスの隅の方だけあって何が出るかわからない不気味な地方という印象が出ている。撮影も同じ場所とのことで、酒場とか墓地とか邸宅など見覚えのある風景が出るほか、名前を知っているとか墓を掘り返すとか火事になるとか似たような展開も見える。急造映画のためか前作よりも単調な物語のようだが、ただし原題には雌雄の別がないので、最初は不気味な東洋人が蛇男のように思わせておいて実は意外な正体だった、という意外性はあったかも知れない。 また、自分のせいかも知れないが意味がよくわからない場面もあり、客間で楽器を弾いた場面で父親が激怒した理由は何度見てもわからない。酒場の主人が夫妻の飲物に入れたのが何かも不明だったが、結果的に悪意があってのことではなかったようで、これは睡眠薬でゆっくり寝せようとしたのだと思っておく。なお、いくらヘビでも冷気に当たっただけで死んでしまうというのも何なので、ここでは活動力だけを失って、その後に火事で焼け死んだと解釈しておく。 ほか前作もそうだったが、イギリス社会の「旦那」と庶民の区別が窺われる映画ではあった。 キャストに関しても、巡査→酒場の主人など前作と同じ役者が出ている。個人的には、前作でも印象に残ったジャクリーン・ピアース嬢が最大の見どころで、特に楽器を弾く場面の表情が非常に魅惑的なので惚れてしまった。 また人間以外では、哀れっぽく鳴くネコが助かってよかった(制作側に忘れられたのではないかと思った)。 [DVD(字幕)] 4点(2020-11-21 14:20:20) |
17. 吸血ゾンビ
《ネタバレ》 今のゾンビよりも本来の姿に近いものらしい。原題のplagueは疫病を思わせるがウイルス性ではなく、ちゃんとブードゥーなるものの儀式で一体ずつ作っていく形になっている。邦題の「吸血」は実際にはないが、呪いをかけるのに血液を使うところはあり、また墓から出るのが吸血鬼ドラキュラのイメージではあるかも知れない。 なるほどと思ったのはゾンビの製造に実利的な目的があったらしいことである。安価な労働力と思ったとすれば悪徳資本家というしかないが、しかしあらかじめ持っている人形の数しかゾンビが作れないのでは限界がある。また目をつけた美女を自分のものにするために人形を使っていたらしいのは資源の無駄というか悪趣味というしかない。 物語としては、一応ちゃんと作っているようだが何となく回りくどく、終盤の展開も手が込んでいるようだが若干面倒くさい。しかし今回のヒーロー役らしい老教授の場面では、娘の尻をどけようとするとか皿洗いとか少し笑わせるところもあり、また墓を暴いた場面で警官も一緒になってのビックリ感は少し印象的だった。最後は教授の娘が若い医師の後妻に入りそうな雰囲気もあったので、どさくさ紛れに親友の夫を横取りしてしまう物語のようでもあった。 登場人物としては、次回作の「蛇女の脅怖」(1963)にも出るジャクリーン・ピアース嬢が可憐な感じで心に残る。顔は青くなっても瞳は大きいままで可愛いゾンビだった。 ほか勉強になったのは、イギリスのコーンウォールという地方が錫(Sn)の産地だったということで、2006年には「コーンウォールと西デヴォンの鉱山景観」がユネスコの世界遺産に登録されている。劇中年代としては自動車もなく電気も通じていないようだったので19世紀のうちかと思うが、その頃すでに鉱山の衰退期に入っていたことを採掘場の廃墟が象徴していたようでもあった。 もう一つ余談として、ここに書く必然性はないが毎度思うのは、最初から火葬にする風習がある場所ならこの手のゾンビも吸血鬼も問題化しないだろうということである。キリスト教の神は全能なので、死体があろうがなかろうが復活させてもらえると思っては駄目なのか。 [DVD(字幕)] 5点(2020-11-21 14:20:18) |
18. 北京の55日
《ネタバレ》 冒頭いきなりそれらしく作った城壁や街並みに驚かされるが、その後も巨大な楼閣が炎上して崩壊するなど、こんなものを実物でよく作ったものだと思わされる。壁に「殺」「焼」と大書されていたりするのが殺伐とした雰囲気を出していたが、ほかにも火薬箱に「容易起火」と書いた紙が貼ってあるなどアメリカ人には読めないわけだ。なお清国人を斬首するのに辮髪を掴んでいたのは使い勝手がよさそうだった。 当時の列強の政策自体はほめられたことではないとして、アメリカだけは別に領土的野心はなかったのだとアピールしていたようである。また清国側が民衆運動を都合よく使って示威行動なり破壊活動をさせていたのを見ると、こういうのは昔からあったのだと改めて思わされるが、その制御を誤ると権力が滅ぶというのが最後の西太后の述懐だったらしい。 列強側は11か国といいながら、アメリカ映画なので米英中心なのは当然として、意外に日本もアメリカ寄りで目立つ場所にいる。これは史実というより第二次大戦後の日本の立ち位置の反映かも知れないが、単なる子分というだけでもなく、いきり立つアメリカを宥めて協調を促したように見える場面もあった。敵の警備兵をカラテで倒したのも日本人ではないか。アメリカ人が英独仏伊には各国語で呼びかけておいて、日本語だけ出て来なかったのはナメられているような気もしたが、けっこう親日的というか変になれなれしい映画には見えた。 基本的には、日頃は利害が対立していても有事には協力していこう(アメリカ主導で)という映画だったようで、昔の日本も孤立して世界と戦うばかりでなく、ちゃんと他国と連携しようとしていた時代もあったというのは悪くない。今はそういうお仲間をどれだけ作れるかが問題だろうが、現実問題としてアメリカを当てにしていればいいわけでもなく、まあ前途多難だというしかない。 登場人物では、﨟󠄀たけたロシア婦人が一応ヒロインだったようだが、それはともかく自分としては、昔の夏帆を思わせる可憐な少女が救われてもらいたいとだけ思いながら見ていた。主人公の少佐に対して部下の軍曹や神父までが、この子にまともに向き合え、と強要していたのは笑った。この少女が幸せになりさえすれば、あとは大清帝国がどうなろうがハッピーエンドということだ。 そのようなことで、結果的にはそれなりに面白い娯楽映画だった。 [ブルーレイ(字幕)] 6点(2020-11-14 09:25:40) |
19. 海底軍艦
《ネタバレ》 名前は海底軍艦だが実は陸海空の万能戦艦で、かえって普通に海上を航行する場面がない(黒と赤の塗り分けが無意味)。見た目は昭和じみて古風な気もするが、劇中の雄姿を見ればシンプルで精悍なデザインだと思わされる。 また怪竜マンダは目がネコなので、大写しの顔が出るとニャンといいたくなった。 物語に関しては、この当時なりに戦争を扱ったものになっている。愛国心など今の若い者には理解できないだろう、と言われた神宮司大佐の娘は、女優が1941.12.17生まれ(開戦のすぐ後、戦艦大和の竣工の次の日)とのことで、戦争中に生きてはいても、戦争自体は覚えのない人々が成人する年齢になって来たという感慨が当時の人々にあったのかも知れない。 それでも戦わなければならない場面というのは依然としてあるわけで、この映画に関していえば、まるで帝国主義時代の感覚で世界に覇権を拡大しようとする悪の帝国を国際社会は許さないということである。海底軍艦は国際連合の要請を受けて出動した形になっており、かつての日本海軍が世界平和のために役立ったというのはまことに喜ばしい。 ただし、ムウ帝国というのは人口何人だったのかわからないが、結局全滅してしまったらしいのは悲惨だ。再生可能エネルギーである地熱を高度に利用していたらしく、技術面で協力できれば人類社会に貢献できたはずだが残念なことだった。 人物の関係では、ヒロイン役の藤山陽子という人は正統派の美人女優のようで、特撮関係では「宇宙大怪獣ドゴラ」(1964)にも出ている。知らない間に娘がこんな清楚な美女になっていたのを見てもっと驚け、と神宮司大佐に言いたくなったが、その娘に大嫌いと言われてしまって大ショックという気持ちはわかる。 また皇帝陛下は小林哲子という女優で、劇中では高貴で高慢な顔をしているが、頬が結構ふっくらして、男と並ぶと小柄だったりして可愛く見える。終盤この人を連れ回して帝国の滅亡を見せつけるのは酷ではないかと思っていたが、やはり悲しい最後だったのは心が痛かった。 ほかに水着モデル(リマコ)役は北あけみという女優で、端役だがなかなかいいキャラクターになっていた。 ちなみに全く関係ないことだが、「ムー」といえば個人的には昔懐かしい雑誌の名前である。今も続いているとは知らなかったが、先日創刊40周年とのことで記念号を買ってみると「読者投稿 ムー民広場」というのがあって笑った。おれもムー民と名乗ってみたい。 [DVD(邦画)] 6点(2020-08-16 09:52:52) |
20. 妖星ゴラス
《ネタバレ》 企画段階で当時のSF作家がアイデアを出した、と小松左京氏が書いていたのを読んだ覚えがある。黒色矮星という言葉は実際にあるようで、劇中でも「老年期に入った太陽」と説明されており、造形物の印象と違って表面は気体(水素)という設定だったらしい。半径は地球より小さくても質量が6千倍というのは、当時の一般人の感覚からすれば意外な設定なのではないか。 こういう場合に最も現実的なのは逸らすことではないかという気がするが、劇中の人々もそのような考えではあったらしい。しかし質量が大きすぎて不可能だったため、結果的に逃げるというユニークな方法になったと見える。対策の開始から結果が出るまで時間がかかり、途中で正月が挟まるのがいい雰囲気を出していた(決戦前の小休止のような)。 特撮に関してはそれなりだが、南極の工事現場はかなり本物っぽいので感心させられる。また本邦初公開のジェットビートルが、ちゃんと怪獣を攻撃できる仕様だったのは安心した。この映画が1979~82年、「ウルトラマン」が90年代の話とすれば、これの改良型を科学特捜隊で使っていたと考えても変ではない。 政治面ではリアリティがあるともいえないが、隼号の尊い犠牲(万歳!)に応えられない政府や国民でなく、科学者主導で地球を救うというのが昔のSFらしい理想論かも知れない。偉い学者が徒然草を引いて、人間はいつの時代も目先のことに追われている、と語ったところで街の風景を映したのは「日本沈没」のような悲哀感を出していた。理系だろうが古典にも親しんでいるのは本物の知識階層である。 また宇宙省の長官(大臣でなく?)が、突然押しかけた若い連中を座らせて、ちゃんと話して聞かせたのはさすが人間が大きいと思わせる。「話せばわかる」とはこのことだ。しかしその「宇宙のパイロット」に関して、隼号はともかく鳳号はあまりにいい加減な連中なので呆れた。軍隊でないから規律が緩いのかも知れないが、今後は宇宙省も採用方法を見直した方がいいのではないか。 ほか女優陣では、ダブルヒロインの白川由美さんと水野久美さんが、冒頭で何と服を脱ぎ始めるのでドキッとしてしまう。いつも清楚な印象の白川由美さんも、この場面では女の子っぽく見えたのは和まされた。水野久美さんはお色気場面もあったりしたが(これ見よがしなので笑った)、幼馴染に見せる気安い表情が可愛いのは感激した。 [DVD(邦画)] 6点(2020-08-16 09:52:44) |