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すかあふえいすさんの口コミ一覧[この方をお気に入り登録する

プロフィール
コメント数 1047
性別 男性
年齢 30歳
自己紹介 とにかくアクションものが一番

感想はその時の気分で一行~何十行もダラダラと書いてしまいます

備忘録としての利用なのでどんなに嫌いな作品でも8点以下にはしません
10点…大傑作・特に好き
9点…好き・傑作
8点…あまり好きじゃないものの言いたいことがあるので書く

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1.  トランボ/ハリウッドに最も嫌われた男 《ネタバレ》 
風呂場で爆睡する一人の男性。目覚めた瞬間、浴槽の上に鎮座するタイプライターにアイデアを叩き込み、人差し指で音楽を奏でるように、一文字一文字刻み書きあげていく仕事風景から物語は始まる。  机の上に並ぶ賞の数々、俳優陣との想い出の写真(キャサリン・ヘップバーン)、自らが著した小説「ジョニーは 銃を取った(ジョニーは戦場へ行った)」。  監督の隣で撮影のNGを楽しく見ていられた平和。そこから映画館で観客の冷たい視線が突き刺さる赤狩り(レッド・パージ)の、苦難の時代の到来。 馴染みの俳優は時代の流れによって豹変し距離を置き、貴婦人は冷酷に見放し脳味噌お花畑のBBAと化し、新聞には顔写真付きの記事で煽られ、映画館から出るやいなやコップの水を浴びせられ、資料を破り捨てられ投げ返される「クレーム」を喰らうような時代。  グラスでジャグリングを披露する宴会、それを中断させるために来訪する黒塗りの車、黒衣の男たち。  それでもダルトン・トランボという男は屈しなかった。殴りたければ殴ればいいと眼鏡を外して覚悟を示す。口先だけじゃない男の生き様をこの映画は描き、蘇らせる。  資料映像風の白黒からカラーの“当時”へと飛び、退席になっても、持病を抱えていようが煙草の煙を吐きながら訴え続ける抵抗の証。子供たちが遊ぶ様子でさえ呑気に見ていられない。カーテンを閉め、タイプライターを打ち続ける脚本家としての、職人としての己を貫く。  子供を抱きかかえ口づけを交わす別れ、間近で“怒り”をぶちまけられる挨拶、ラジオ越しに聞いてしまう“声”、罪の意識を示す力のない握手、解放された先に待っていた者と交わす喜びの接吻。影に包まれるようにやつれた男の気力を復活させる再会だ。  引っ越し先でも続く赤狩りの余波、プールに投げ込まれた“GET OUT(出ていけ)”。しかしその程度じゃ男は引き下がらない。自分の脚本を基に作られた映画(「ローマの休日」!)を楽しそうに見てくれる観客の“本音”が男に活力を与え続ける。  時代が変われば人も変わる。スクリーンで引き金を引こうとしていた男が、グリップを差し出し「信頼」し、自ら手を差し伸べる男になったように。例えそれが映画の中だけだったとしても、やるかやらないかじゃ大違い。  黙って見守っていた娘はほとんど叩かなかったパンチングボールに怒りを叩きつけ、傍らで仕事を手伝うようになり、家族は脚本を職場に届け、仕事一筋だった男は衝突を経て話し合うために寝室から酒場にまで飛び出していく。父は映画の基となる文章を書き続け、母親は父親の代わりに家族の思い出を写真の中に残す。  脚本を投げつけてばかりだった上司も「禁句」で揺り動かされる。硝子を粉砕する木製バットに襲われる「拳銃魔(ガン・クレイジー)」、バット・クレイジー、得物を喉首に突き付け、クソ野郎を扉の外までサヨナラよおっ!  「オスカー」がもたらす亀裂と邂逅、“偽名”が映画人たちを引き寄せ、彼等に微笑みをもたらす「生中継」! 劇中挿入される「スパルタカス」の一撃は、トランボたちが続けて来た闘いが実を結んだ瞬間でもある。実際のフィルムと再現した部分が上手く合わさっていて見事なものだった。皆に歓迎される上映会、レンズに反射する「Dalton Trumbo(ダルトン・トランボ)」!  エンディングで実際の映画人たちの写真を写すのも面白い。トランボのインタビュー映像は白いヒゲがぼやけてヒゲ無しに見えるくらいの荒い画質。  トランボやオットー・プレミンジャー、カーク・ダグラス、ヘッダ・ホッパー等はかなり似ていてキャラも立っていて気合を感じる。  エドワード・G・ロビンソはアクの強さを薄めた感じ、ジョン・ウェインに関してはまったく似ていないのが面白い。 実物はもっとしゃがれた声で威圧し、青く澄んだ瞳で悪口を言う偉大な大悪党です(褒め言葉)。やはりあの感じはウェイン本人じゃないと出せないようだ。 「赤い河」や「捜索者」といい、ウェインは悪党寄りの役を演った方が面白い男かも知れません。劇中で挿入されるパチモノウェイン映画はケッサクでしたね(「硫黄島の砂」のパロディ映画にしか見えません)。  「オースティン・パワーズ」でパロディ満載のネタをやったローチだ。ジョン・フォード(セシル・B・デミルに文句を言った男)にさえボロクソに言われていたあの頃のウェインなんて笑い飛ばしてナンボ!  ただ、ホッパーの存在が全部持っていってしまった感じもする。劇中のウェインですら彼女の駒として踊らされていたかのように。 「TIME」を笑顔で飾った者は大統領の姿と言葉に沈黙し、身ぐるみを剥がされ苦闘を強いられていた者は煙草の煙をくゆらせながら壇上に舞い戻っていく。
[DVD(字幕)] 9点(2017-06-15 11:29:53)
2.  エリン・ブロコビッチ 《ネタバレ》 
とにかくジュリア・ロバーツが最高にキマッている映画だ。彼女の存在もそうだし、アン・V・コーツ女史による素晴らしい編集も合わさり、より目が離せない作品だった。  耳に大きな飾りを付けた金髪の女性、豊満な胸を強調するセクシーな格好で男の質問に答える。  サングラスをかけ、ミニスカートから長い脚を伸ばし、煙草を道の隅に投げ捨て火を踏み消し、颯爽と歩きはじめる。ところが肝心の車は違反切符を貼られファ●キン(F●CKIN')、走り出した途端に右から衝突されてファッ●ンサノバビ●チ(FUK●N'SON OF A BI●CH)!!  弁護士事務所だろうが法廷だろうが首の怪我とともに自慢の胸を見せつけながら自分を貫き、家に帰ればベビー・シッターを帰し女手一人で幼い子供たちを育てるシングルマザー。  粘るものの世の中甘くない、流しのゴキブリにまで馬鹿にされるような気分で思い通りにいかない毎日、事故の次は騒音トラブルでブチギレ。  控えめの格好(半袖短パン)で子供たちを寝かしつけ、そうかと思えば外でバイクを吹かす髭モジャを一喝する気丈さ。こりゃ“ノックアウト”されるわ。この瞬間のジュリア・ロバーツがマジでカッコイイ&最高に色っポイ。  通い詰め積み上げる経験、ズブの素人がプロの心を突き動かし、不良の塊みたいな男から母性を引き出してしまう粘り強さ、熱い視線。子供たちが寝た後でトランプに興じながら一気に親交を深めてしまうのだから。ヤンママが徐々に服装を整え、成長していく。  子供たちを抱えながら走り去るバイクに視線をやってしまう姿。サングラスで目元が見えなくとも、どんな心境でどんな目をしているのかが分かってしまうね。  「箱」を置いていくのは、エンジン音で知らせ代理の男にメッセージを託すのは“愛している”からこそであり、自分に嘘をつくことが出来なくなったから。  エリンもまた受話器の向こうで“声”を聞いた瞬間に母親としての表情を見せる。  時が経つにつれプールから子供を出すために駆け寄る行動、写真といったものが事件の大きさを語っていく。車で住民たちの許を訪れ聞き込みを続ける調査、母親だからこそ子供の視線が放つ“違和感”を受け取る。  ゴキにビビッていた者が、泥川をあさり「情報」を集め乗り込み奔走していく! でも運転中に電話はマジでやめろ。一瞬でも目閉じんな!また事故りたいのかっ!?別の意味でハラハラしちゃって会話が頭に入らなかったよ…良い場面なんだけどね…車止めてからにしてくれない?(懇願  投げつけ声にならないほどの嘆き、飲もうとしたグラスを机の上に戻させる“訴え”。  目覚めた先で胸に抱き、眼に飛び込んで来る“思いやり”、酒場でめぐりあい電話をかけるために走り出すエネルギーを与える“手掛かり”。
[DVD(字幕)] 9点(2017-06-15 11:28:46)
3.  許されざる者(1992) 《ネタバレ》 
再見。 イーストウッドが到達したリアリズム、反西部劇、アンチ・ウエスタンの最高峰。  個人的には「アウトロー」の方が痛快で好きだが、この作品を最初見た時の戸惑いと衝撃、そして再見すればするほどその凄味に惹かれた作品でもある。  夕暮れで土を耕す孤影、一軒家と一本の木の影。この強烈な黒のコントラストが本作の恐怖と緊張をより盛り上げる。 雷鳴と土砂降り、情事を語る影の蠢き、ベッド上のギシアンを止める怒声、身を守るために水を浴びせる者、凶刃を振り回され傷つく者、凶行を止める背後の気配と撃鉄の音。 柱に縛り付けられた罪人を解放してしまう汚職、悪徳保安官の不気味な笑み。初っ端から恐怖と暴力が支配する世界を叩きつけられる。  生々しいを傷を癒し、苦笑いし、黙って耐えるしかない者たちが託す「依頼」。ただただ引き受けてくれる者が現れるのを待つことしか出来ない無力さ。  一方、農場で泥にまみれ豚を追い回すヨレヨレの農夫、回りを無邪気に走る幼い兄妹の微笑ましさ、それを鼻で笑う馬に乗り訪れる若きカウボーイ。彼は銃を手放した者を再び殺しの世界に引き戻すために現れる。  主人公のマニーは若い頃、女子供を問わずに手をかけた極悪非道のアウトローだった“らしい”。マニー本人はそう語りますが、劇中のマニーは年老いた父親でしかありません。妻に先立たれ、残った幼い子供たちを養うために精を出し、何十年も銃の代わりに家族の手を握りながら生活してきた。そんな男が再び銃を握るという。家族のために。 昔のカンを取り戻そうと射撃訓練、それを心配そうに見守る子供たち。リボルバーからショットガンに変える一連のアクションが後の布石として生きてくる。  髭を剃り、窓の向こう、木の根元に眠る者に別れを済ませ、馬に乗るのも一苦労の男が覚悟を決めて旅立っていく。  「アウトロー」における農夫がガンマンへと変わる物語が繰り返され、より突き詰められる。 イーストウッドにとってはシーゲルとレオーネに捧げた作品だそうだが、この映画には全ての西部劇に対する望郷とアンチテーゼのメッセージが入っている。 人一人を死に追いやってしまう集団心理の恐怖は「オックス・ボウ・インシデント(牛泥棒)」の流れも感じさせる。   大自然の中を旅する平和な一時。それが人間の支配する魔窟に入れば空気は一変する。   この映画の保安官が振るう正義は法の執行ではなく独裁者の暴力でしかない。 法を取り締まる者がみずから法を乱す。法を乱した犯罪者を見せしめにするために制裁を加えるのは当然ですが、いきすぎた制裁は単なる暴力となり、やがて失望へと変わる。  復讐者からの「依頼」でもある賞金首探しは、腐りきった法との戦いでもある。それを受け取ってしまった男たちに待ち受ける死、死、死。  この映画にはカッコいいカウボーイなんざ一人も出てこない。 気取った老体、銃から何十年も遠ざかっていた中年、本当は人を殺すことをためらう猟師、近眼の若造、狂った保安官…往年の西部劇に溢れていた夢と希望、活気とヒーローがこの映画にはいないのさ。彼等を彩る風景だけがその美しさを失わずにいるだけで。  人を撃てば撃つほど虚しさや罪悪感が重くのしかかり、ガンマンに憧れていた青年でさえ初めて人を撃った後に恐怖で震えてしまう。「命を奪う」ということの重さ。  「いくら古い時代に夢を追い求めても、現実はこうだ」と言わんばかりの雨粒と泥にまみれた世界。 人を殺した者は当然「自分が殺されても文句なし」という覚悟が必要だし、事情を知らない者が殺しの現場を見れば「人殺し」と罵られても仕方がない。  ただ、ラストの決戦まで“おのれ”を取り戻していくマニー。  彼が一発一発放つ弾丸は、今は亡きフロンティア精神への鎮魂か、イーストウッドなりのケジメか。密室にショットガンを突きつけながら乗り込み、“投げる”ことによって緊張が跳ね上がる瞬間!  たった1人の男を集団で嬲り者にするような連中だ。そんな奴らに、卑怯だの何だの言う権利も資格もあるものかっ!!  イーストウッドは、いつも他人のために怒る男だ。自分は殴られても殴り返さない。ただ、仲間や知人を傷つける奴は絶対許さねえ。名誉なんてクソ喰らえ、「殺る時は殺る」漢なわけよ。ガンマンではなく、一人の人間としてカッコイイ。イーストウッド主演の西部劇群を見た後だと余計に感慨深い。
[DVD(字幕)] 9点(2017-06-09 01:00:33)(良:1票)
4.  浮草 《ネタバレ》 
再見。  「浮草物語」のセルフリメイクであり、江戸っ子時代の小津安二郎に再会するかのような作品でもある。俺の好きな小津の傑作の一つだ。  港の灯台と酒瓶が並び、蒸し暑い夏の季節を迎えた街では噂が流れ、旅人たちの乗った船が港に入って来る。船の中も熱そうに薄着でくつろぎ煙草を吹かしている。  チラシを配りながら良い女がいないかチェックしてまわり、群がる子供たちには一枚もやらない。姉がいても子供にゃ用はねえぜとスタコラサッサ。 初対面の女の子だろうが遠慮なくボディタッチ、そんな野郎にはもれなく剃刀をゴリゴリやする怖い母ちゃんが御持て成し。頬が物語る“お礼”の跡。  旅一座がどうこうとか、そんなもんは正直どうでもいい。方々を旅できる設定なら何でもいいのさ。何せ本題は“情事”をめぐる喧嘩だもんな。それが後半一気に加速する。  宮川一夫が捉える色彩豊かな風景や市街地、艶やかな着物の柄、肌の色、女性陣が華を添えながら。  「目的」に会うためやって来たと言ってもいい“伯父さん”、楽しそうに青空の下で釣りをする光景。芝居の出来なんて二の次、ただ一緒に語り合えればそれで良かった。  小津にとって「劇中劇」は関係を悪化させるためのキッカケに過ぎないのだろう。「晩春」で原節子が本性を剥き出しにした時のように。 この映画も京マチ子と若尾文子の色っポイ仕草やら何やらを存分に堪能できるのだから。  旅一座の女役者、年季の入った座長、明らかに年齢の離れたこの夫婦。 壇上の垂れ幕は真相を物陰から覗く装置として機能し、密告を聞いた女の視線は柱の前で笑う“浮気相手”を捉える。合ってるけど違うすれ違い・勘違いが引き起こす騒動の始まりだ。  「敵地」に乗り込み確認するもの、土砂降りの雨と道を挟んだ大喧嘩!轟音すら凌ぐ罵声の浴びせ合い!!  嫉妬が生む“謀”、自分でやらないのは手を汚したくないからじゃない。それでも愛しているからこそ自分の肉体を許さない、コッチに目を向けて欲しいがため。 室内から路上→本拠地の中にまで引き釣り込む“誘惑”、情事を始めるための接吻。いきなり三回もチューチューしちゃうほどの一目惚れ!ちょ、チョロすぎだろコイツ…  そうとも知らず“夫婦”水入らずで話し合う場面なんてちょっと可哀想になってくる。 帰り道で見てしまった路地裏の先で分かれる男女、驚く自分を抑えるように壁の影に慌てて隠れる様。待ち伏せ、容赦なく浴びせられる罵声・平手打ち!呼び出した奴にもブチかます怒り振り!「宗方姉妹」や「風の中の牝鷄」ほどじゃないが、回数が少ないからこそゾッとする暴力性。  事件を予告する酒場での話し合い、散乱するチラシと結ばれた風呂敷が物語る“崩壊”。 列車の噴き上げる蒸気が示す“事後”、帰って来た者の告白。誰も平手打ちに対して怒ろうとはしない。それだけの恩を感じているからだろうか。床に突き飛ばす理由は愛する人を傷つけられたからであり、今更“父親”面しようとする人間に失望したから。  何もかも失った男は、頬を叩いていた手で優しく腕を撫で、謝罪し、託して庭先から去っていく。カエルの子はカエルになるかどうか分からない。いくらでも変わっていける。でも流れ者をしてきた男は年月が経ちすぎたのかも知れない。 そんな男に、あの人は黙って煙草の火を差し出し隣に座ってくれた。大きな船に乗って来た旅人たちは、小さな列車に揺られ次の場所へと消えていく。
[DVD(邦画)] 9点(2017-06-07 06:52:56)
5.  美女と野獣(2017) 《ネタバレ》 
ビル・コンドンたちが「美女と野獣」にありったけの想いを注いだ力作。 コンドンが愛するジャン・コクトー版は一輪の薔薇による“呪文”から始まったが、本作も観客を一気に引き連り込む“呪文”から幕を開ける。  冒頭から純白のドレスに身を纏う黒と白のコントラスト・豪華絢爛な舞踏会。それを破壊するように雷鳴とともに現れるドス黒いクソビッ…ウィッチ(魔女)の恐ろしい魔法が人々に降り注ぐ。  ...まあ、改めて思うけどさ..。ちょっとやりすぎなんじゃないんですかね。王子は一体どんだけのことをしたんだよ。まああんだけケバいメイクしてたらそりゃ色々してきたんだろうけど(偏見)。ただ、そのちょっと濃い目のメイクが後々キいてくる。  雪が注ぎ続け春の訪れない、呪いによって身も心も閉ざされた城。片や新しい発想を異端視する村。それぞれの場所で思い悩む孤独な男女、二人を結びつける馬車の疾走、大悪党の御登場。  迷い込むのは、バラを掴んでしまうのは、泥水を撥ね飛ばし、女性のスカートを掴みながら迫り、酒場の人々の人心を掌握する大演説&剣戟をかますのは引き裂かれた人々をもう一度めぐり逢わせるために!  バラが司る運命の悪戯、それを変えるために城中を動き続ける“召使い”たちの健闘。見るがいい食卓の上で大量の食器が渦を巻き迫り来る様を!必死すぎてそれだけでお腹いっぱいになるわ!プディング(食後のデザート)。  ロバが引き続ける“洗濯機”、狼の群が導く魔窟への侵入、灯を握りしめる石の腕、囁き蠢く家財道具、一人でに開閉する扉、お辞儀をする上着かけ、飛び跳ねながら紅茶を運んでくるティーカップ、人物や建物を映す鏡、行きたい所へ瞬時に連れて行ってくれる魔法の地図、飛びかかり脅迫する黒い影と角の恐怖、それに屈することを知らない“自己犠牲”。  コクトー及びゲーリー・トゥルースデイル&カーク・ワイズ版「美女と野獣」、さらにはジェームズ・ホエール「フランケンシュタインの花嫁」といったロマン溢れる作品群へのリスペクト精神、同性愛を思わせる描写もねじ込むこだわり。コクトーもコンドンも心は乙女だしな。  ホモは嘘つき、下敷きになった友人も冷たい一言を浴びせバッサリだ。そんな野郎に嘘を付くのが嫌になったら、ティーポッド片手に熱湯を浴びせ皿の雨を降らせ運命に抗う最後の叛逆へ!家財道具…いや己の肉体・未来・魂・存在ごとぶつかっていく大抵抗!  馬で駆けまくり伝える想い、騒動の最中に乗り込む“目撃者”、城の屋根から屋根へ飛び交う跳躍、一騎打ち、明けない夜との・夢のような時間との“別れ”。  我が子の顔も見れず、行方も知れぬまま“奪われる”瞬間の哀しみといったら無い。それが“再会”する瞬間の感動に、思わず泣いてしまったワケですよ。ズルいぞコンチクショー!
[映画館(字幕)] 9点(2017-06-06 04:28:08)
6.  LOGAN ローガン 《ネタバレ》 
スリラーなら「アイデンティティー」、アクションなら「ナイト&デイ」「3時10分、決断の時」と面白い映画を撮って来たジェームズ・マンゴールドだが、本作もその凄まじい戦い振りにまいっちまった。  なんせ目覚めたらいきなり車泥棒に遭うわ、ショットガンぶっ放されるわ、過剰防衛でトンズラしなきゃならんわ、ボケボケのジイさんから眼を離したらみんな死にかけるわ、刃物みたい(物理)な幼女の人生がハードモードすぎてローガンおじさんの体はボロボロ。 あの咆哮が悲鳴のようにさえ聞こえてくらあ。見てて何度「助けてスタン・リー(「X-MEN」原作者)!!!!!」と叫びそうになったことか。  強制的に出来た“繋がり”が引き起こす出会いと悲劇、託された「メッセージ」が揺り動かす戦士の魂、帰る家を奪われ「流れ者」になってしまった者たちの旅路。  マンゴールドが幼少より親しんだというジョージ・スティーヴンス「シェーン」、そして最も参考にしたと語っていたクリント・イーストウッドの傑作「許されざる者」から受け継ぐ系譜。  この映画における現実は「シェーン」のように甘ったるくなかった。かつてウィリアム・S・ハートの流れ者が殺し合いから逃げられなかったように、イースットウッドの西部劇が凄惨な殺し合いを避けられなかったように。 “普通”とは異なる者との溝・恐怖・すれ違い・修復しようのない負の連鎖。道から外れた者同士の死闘死闘死闘。  それでも少女はアメコミや映画の中の“楽園”にすがるしかなかった。殺し合いのない、自分を愛してくれる、凶器ではなく優しい言葉で語り掛けてくれる人に出会いたかったのだろう。 見たかよあのシェーンを見つめる眼差しを。恐怖を乗り越えられるかもしれないヒーローの存在。 あのオジさんもまた、少女と同じような平穏が欲しかったのかも知れない。船を買い自由を得るためだけの仕事じゃなかったはずだ。運転席から見続けた“普通”の人々の日常。誰にも命を狙われることのない、分かり合う事ができるかも知れない世界。  だが「ペイルライダー」よろしく怒涛の勢いで敵は襲い続けてくる。無敵のヒーローなんて助けに来ちゃあくれねえ。自分の力で斬り開くしかない。 怪しいオジさんには取り合えず投擲、食事の邪魔をするならブッた斬れ!ブッ刺せ!列車が来たら線路の向こうまで、とにかく全力で走り続けろ!!  ローガン「漫画は現実じゃないんだっ!!」 日本でトンデモないことやってたのは何処の誰でしたかね...(詳しくは「ウルヴァリン: SAMURAI」を御覧下さい)」)。  ハイウェイに飛び込んで来た「選択肢」、言葉が分からなくても通じた想い、欲しかった団欒、油断、すべてを奪い去る凶刃、動かないはずの肉体を突き動かした“怒り”、告白、目覚めた先で待っていた思わぬ出会い。 口元に優しく伸びる小さな“刃”、不気味に旋回し迫る黒い影、残され再び与えられる「選択肢」。 男は、再び立ち上がり、走ることを、戦うことを選んだ。人生を終わらせるか運命を切り開くか。それを左右する必殺の“一撃”。  「流れ者」になってしまった人々に終わりは何時来るのだろう。いくら叫んでも、先に行ってしまった者は戻って来ない。十字架を「X(エックス)」として手向けることしか出来ないのだから。
[映画館(字幕)] 9点(2017-06-06 04:24:57)(良:2票)
7.  ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー:リミックス 《ネタバレ》 
前作は悲しい過去から幸福をもぎ取る楽しい作品だったが、本作は幸せから始まり悲しみを乗り越えるような締めくくりだった。  のどかな田舎の一本道を走って来る一台の車。その車上でイチャつく若いカップル。愛し合う二人は人気のない森で抱擁と口づけを交わし、銀河中を揺るがす“種”を植えていく。  一気に時代もブッ飛び屋上で獲物を待ち伏せ、誰も踊らないなら代わりに踊ってやるぜとばかりに画面中を駆けまわり、うねり狂うバケモノ相手に死力を尽くす「ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー」がバックを飾る! 完全にマスコットと化したグルートであった。  外がダメなら中にブチ入り、弱点見つけてブッた斬り。気を引くために全身金メッキ(造形はフリッツ・ラング「メトロポリス」も思い出す)からヤバイの盗んで鬼ごっこ、ゲーセンみたいな大艦隊、喧嘩しすぎて馬鹿がバンジー、姉御が人命救助で木っ端微塵。相変わらず人間辞めてる映画だね本当(褒め言葉 オマケに重武装で銀河を駆けるクレイジーサイコ「ムーンライト」ネーチャン付き!クレイジーなんてレベルじゃねえ! まさかシルヴェスター・スタローンやデビッド・ハッセルホフまで登場してくるたぁビックリだ。スタン・リーはまあファンタスティック・フォー辺りが助けてくれるだろ(テキトー   だが今回の主役はそんなスタローンに檄を入れられるヨンドゥのオッチャンだ。ブルーカーペットが運んでくる依頼、怪しさ100%の救い主、ブスの基準も惑星も宇宙もブッ壊れそうなトンデモ展開。  密林でゴロツキどもに喰らわす“大歓迎”、思わぬ下剋上・一撃で抉られちまったもの。  虚ろな瞳が見つめる“氷漬け”、服を着せられ蹴り飛ばされるプライド、ドン引きするしかない目的。クラグリン「転職しよう」。 「男の勲章」を取り戻したなら、赤い閃光を奔らせ船中にクソ野郎どもの“雨”を降らせよう!!テイザー…えっと…誰かアイツの名前考え直してやれよ。  仲間のためなら何百回のワープにも耐えてみせらあ(凄まじい変顔)、何だかんだ言って付き合ってくれるヨンドゥの漢ぶり。グルートとロケットがコントをしている間もウオオオオッ(ドゴーンッ)!  その“息子”も家族との想い出が詰まった「ハート」で惑星ごとねじ伏せ殴り合う一騎打ちへ。例え神だろうが知った事か、母ちゃんの仇のヤリチンクソペ●ス野郎なんざゼッテーぶっ殺す!!!  …でも本当にとりたかったのは仇じゃなかったかも知れない。 束の間とは言えキャッチボールをし、音楽や夢を語り合った「欲しかったもの」から最後の最期まで貰えなかった言葉。本物の父親がくれなかったものを、“オヤジ”が命の輝きとして残していくなんてなあ。  銀河にバラ撒かれたクッソ汚ねえ「種」よりも、死者を送り出す「花火」の方が何億倍も美しい。エンディングの“オヤジ”の表情はズりいよチクショウ…。
[映画館(字幕)] 9点(2017-06-06 04:21:37)
8.  見えざる敵 《ネタバレ》 
リリアン&ドロシー・ギッシュ姉妹の初々しさ。人差し指で顎をクイッとあげる仕草。 女が気に掛ける“穴”、室内で髪がなびきカーテンが揺れ動く理由、姉妹の髪が風でなびく姿が本当に可愛い。  電話が呼ぶもの、葉っぱに囲まれた中で迫るもの・断るもの、手を引いて家に戻った瞬間から奔る戦慄、窓から引き入れ侵入し、密室に閉じ込められ、穴から突きつけられる“恐怖”。 突き付ける側も気が気でないのか酒をあおぎたくなる気分のようだ。姿を見られないためにあの穴に固執するのだろうか。  「穴を防げばいいじゃん」とか「腕を掴んでやれ」とか思うかも知れないが、突然得体の知れない物体から味合わされた銃撃の威力を物語る“音”。それを体験した本人にしか分からない恐怖が彼女たちを震わせているのだろう。なんせ目の前に迫り気を失ってしまうくらいだからな。だが、恐怖を前に倒れた家族を抱え庇う健気さよ!  出入りを繰り返すシュールな光景、銃撃が知らせる凶事、疾走する車のスピードを殺すように突き出される遮断機(手動)、動き始め回転する橋、戻されるもの、戻って来て“突破口”を開くもの、吹き出し充満するもの、駆け付けるもの、受け入れるもの。
[DVD(字幕なし「原語」)] 8点(2017-05-27 01:35:40)
9.  ドリーの冒険 《ネタバレ》 
茂みの向こうから駆けて来る少女、それを見守るように現れるその家族たち。 変な壺?を売りつけて来るオジサンを突っぱね、それに盗んで返答しようとして家族のお父さんにひっつかまり殴られ追い返される。  妻の静止を振り切る横暴な夫、親娘の無邪気なバトミントン?テニス?、眼を放した瞬間に背後から襲い掛かる報復者!  野の中を走り丘の上へ登り下っていく「おっかけ」、閉じ込める隠蔽、捜索、馬車をブッ飛ばす逃走。カーブを曲がり、水辺を突き進んだ瞬間に“さらわれ”流されていく流転。ガバガバじゃねえかおめえの馬車!  後の「東への道」では氷漬けになり“動かない”はずのものが砕け流れ始めるスリルになる。 向きを変え、小さな滝を降り、どんぶらこ、流れ着いた先で釣り上げ、駆け付け、抱きかかえるもの。
[DVD(字幕なし「原語」)] 8点(2017-05-27 01:33:27)
10.  これらのいやな帽子 《ネタバレ》 
「これらのいやな帽子(迷惑帽子)」。 椅子に座った観客が見つめる先、壇上の上では何やら揉め事。どうやら映画のフィルムの様だ。フィルムは溶けたりして映像が乱れ、場面がパッと切り替わったり。 それを遮るように帽子を被った女性が観客の中に現れる。満席なので彼女が去ろうとした時、胡散臭い髯を生やしたオッサンが彼女を引き戻し、観客はそのオッサンにキレだし、現実世界まで映像が乱れ始めメタな展開に。  一難去ってまた一難、派手に飾り立てた女性がどんどん増えていき遂には頭上からクレーンまで降りてきて飾りや貴婦人そのものをさらっていってしまう。拍手するとこが違うわww
[DVD(字幕なし「原語」)] 8点(2017-05-27 01:32:24)
11.  東京物語 《ネタバレ》 
再見。 個人的に「大人の見る繪本 生まれてはみたけれど」や「淑女は何を忘れたか」「その夜の妻」と傑作の多い小津だが、戦後の小津は「浮草」以外あまり好きになれないでいる。  とはいっても、見返してみると以前とは違う発見があるものだ。  船の汽笛や列車の走行音が響く港町。意気揚々と何かの荷造りをする老夫婦、それに笑顔で応え嬉しそうに出かけていく娘。彼女は通学路を行く子供たちに混ざるように道の向うへ。いくつになっても誰かの「子供」ということに変わりはない…と本作の展開を予告する。  晴れ渡った空に煙突から吹き上がる煙が吸い込まれるように消えていき、その空の下に洗濯物が風でたなびき、子供たちは野球道具を持って遊びに行き、駅では女同士が語り合う。穏やかな音楽とともに。  これは…きっと楽しい映画なんだろうな~と最初見た時は期待に胸を膨らませたものだ。 ところが、物語は想像以上に重くのしかかる。オマケに笠智衆のゆったりとした喋りで恐ろしい睡魔に襲われたものだ。  落ち着き払う静かな老夫婦、それを迎え入れる「子供」たちは忙しそうに家中を駆ける。成長し続ける子供たちの世話をしなければならない余裕の無さ、がんじがらめの日常。解放されすべてを終えつつある老人とは違って。  聖母のようにいつもニコニコ顔で振る舞う原節子も、俺には何処が影があり不気味な幽霊のように見えた。たまにボケをかましてクスッとさせてくれたけど(電話のやり取りとか)。 同じ小津でも「晩春」の嫉妬の表情、「麦秋」のユーモアと色気、「成瀬巳喜男の「驟雨」といった彼女の方が人間味があって可愛いし好きだ。  本音を押し殺して家族を迎え入れる親たち、挨拶を強制される子供たちは嫌がっているのかすぐに別の場所へ走り去ってしまう。 ずっと一緒で馴染みの関係ならともかく、遠く離れて暮らす存在だしなあ。子供たちにとっては、自分たちの場所を奪う得体の知れない他人にしか思えないのだろう。 自分の机を勝手に廊下に移されるんだから。子供は正直だ。だって本当に英語の勉強してたし。  子供たちの本音がさらけ出されるとともに始まる「たらい回し」。「戸田家の兄妹」のそれよりも遥かに悪化している。 追い出される形で家を出て旅を続け、酒を飲み交わし愚痴を聞いてもらい、旅先の旅館でさえ音が五月蠅くて満足に寝られない。  歩き続けた先でたどり着く海原。そこに夫婦水入らずで団扇をあおぎながら、久々に静かな刻を過ごす。  立ち上がった瞬間の「よろめき」が予告するもの、優しさに満足して「旅立つ」死、幼い子供に向けられていた愛情が、溢れ出る涙によってようやく親にも向けられる。後悔しても、行ってしまった者は戻って来ない。  親を愛するが故に不満を言う香川京子。子供に勉強を教え面倒を見る教師だからこそ、余計に思いやる気持ちが強いのだろう。 それに対し、すべてを許しなだめる原節子。未亡人として夫の死を乗り越え耐えて来た強さ。黒のスカート、灰色(紺色?)のスカートの対比。  老人は、そんな尽くしてくれる者に「幸せになれ」と言って送り出そうとする。死を乗り越えた者どうしだからこそ、自分を大事にして欲しいという想い。揺れ動き溢れ出そうになる本音、それを見て立ち上がり、餞別として渡す「形見」。それは新しい人生を刻んで欲しいという願いも込められているのかも知れない。  冒頭と違い、轟音をあげながら突っ走る列車の疾走。それに乗り込み、時計を見つめるその瞳。「再出発するぞ」と決意をかためた意志の強さを感じる。 そこには、さっきまで「本音」を隠すように顔を覆って嗚咽していた者の姿はない。「父ありき」の列車の場面といい、こういう小津の演出はほんとに憎いくらい素晴らしい。  老人は、団扇をあおぎながら静かに窓の外を見つめ続ける。汽笛を吹かす船の行く末さえ、暖かく見守るように。
[DVD(邦画)] 8点(2017-05-26 23:52:04)(良:2票)
12.  大人の見る絵本 生れてはみたけれど 《ネタバレ》 
再見。やっぱり江戸っ子時代の小津は最高に面白い。活き活きしてるね。  初っ端から桃だか種だか分からないもんから“生まれた”赤ん坊の御挨拶(股間を抑える元気な男の子です)、泥にハマッた車輪の唸り、それを見つめるおとんと息子二人。 サボるな働け押し問答、上着を着こむのは作業が終わったから。  先に行って待っていた母と子の再会。どうやら引越して来る最中だったようだ。 子供と親と態度を変える酒屋、お近づきの印に知恵の輪と“御挨拶”を喰らわせガキを泣かせてスタコラさっさ。酷いもんだ。  父親はお得意先にペコペコ頭を下げ、それをつまんなそうに見上げる子供。友達の呼び掛けに喜んで走り寄る無邪気さ。  “変な奴”とのご対面、バイキン(黴菌)みたいな顔してやがらあ、背中に注意書き貼られてやがらあ、ガキ大将の拳骨vs下駄、パンを拭いて奪うのは思いやっているから。ここの連中は新入りに拳骨でしか挨拶できんのかww けん玉を止める兄弟の泣き声、報復する相手を見つけ歩みを止めるようなキャメラの動き、子供たちだけが知る“おまじない”、「倒れろよこの野郎」とばかりに突き合い取っ組み合い逃げるが勝ち。  喧嘩して学校サボッて怒られて、子供の視点で見つめる「大人の世界」。互いに撮った映像を披露し合う発表会、映写機が映すものを見てしまった衝撃と後悔。醜態(変顔)を晒しても愛想笑いを浮かべ、夜道をトボトボと歩く子供たちの背中が語る失望。 「その夜の妻」の時といい、背中で歩き去る場面が様になりすぎ(褒め言葉)。  昔は子供だった父親も、今では大人の目線でしか子供を見られなくなってしまったのかも知れない。子供に無くて大人に無いもの、大人になって得たものと失ったもの。  ただ、そこから「どう従うか」ではなく「どう付き合うか」という事をこの映画は教えてくれる。  庭先から見える電車の疾走、風が吹き荒ぶ中を椅子に座りつっぱね続ける意地、でも母ちゃんにはちゃんと返事する微笑ましさ。 草を食べズボンの紐で押さえつける空腹、椅子の上へ握り飯を置いて行き、遠くから見守る愛情。椅子を寄せ一緒につまみ、話し合うのは仲直りするために。 食器が置かれた食卓。食器をひっくり返すのは「いつもの通り」に戻ったことを表すため。  戦前は家族の団欒を表わしていた食卓が、戦争を経た「麦秋」「お早う」等では帰らぬ者への鎮魂を現わす場ともなっていく。 列車が通り過ぎた先で見たもの。兄弟は父を見送ることを選び、兄弟の友達もまた“おまじない”で地面に倒れ、起き上がり腕を背中にまわし共に歩いていくことを選ぶ。知恵の輪が結んだもの、知恵の輪が解けてもほころばないもの。挨拶をしに走り行く友達を待ち続けてくれるのだから。
[DVD(邦画)] 10点(2017-05-26 23:47:41)(良:1票)
13.  アルジェの戦い 《ネタバレ》 
ジッロ・ポンテコルヴォによるドキュメンタリー・タッチの皮を被った戦争映画の傑作。 ロベルト・ロッセリーニ「戦火のかなた」といったネオ・レアリズモの流れを組むリアリティ、スリリングなやり取りの連続で飽きさせない。  密室で裸にされ、火傷のようなものを胸に負い、震える男を囲む軍人らしき男たち。隣に置かれているのは水桶だろうか。 恐怖で怯え、涙目になった男に軍服を着せ、弱々しく「叫び」ながら窓から出ようとする男を押し止め、扉の向こうへ連れ去っていく。抵抗する力を奪い尽くして。  お次は機銃を装備した軍隊がアパートに雪崩れ込み、壁の向こうで“耐え続ける”者たちに最後の警告を発する。抑圧され、抵抗し続けた者たちに与えられる最後の選択。 そこから物語は「なぜそうなったのか」を解き明かすために過去へと遡る。  刑務所、窓・穴という穴から目撃される“断頭台”による処刑。アルジェリアという場所で育ってきた習慣、宗教、支配者であるフランスとの文化の違い。  隠され増幅されていく復讐の念。街中に武器を隠し、ベールの下から手渡し、拳銃・マシンガンによって一人一人確実にブッ殺していく暗殺。 やがて負の連鎖は運び込まれる“起爆剤”によって文字通り爆発的にエスカレートしていく。哀しみは怒号となって群衆を津波の如く突き進める!  女たちが髪をとかし、切り落とし、染め上げ覚悟を決める“荷運び”。地毛を染める必要の無かった愛する者との結婚、染める必要のある憎むべき敵の抹殺。  ザル警備を挑発する様に多発する爆破テロ。同じような音楽が流されるのは「お互い同じ気持ちだった」と言いたいのか、それとも「どっちもどっちだ」と言いたいのか。 市街地で繰り広げられる銃撃戦、車上からの機銃掃射。無差別にされたら無差別に殺り返す憎悪のぶつけ合い。  老人だろうが子供だろうが容赦なく襲い掛かる“人種差別”という名の暴力。物売りをしていただけの子供でさえ、同じ人種というだけで「やり場のない怒り」を向ける捌け口にされる。仕事とはいえ身を挺して子供を庇い連れ去っていく警官たちの姿には思わず震えた。  井戸、壁の中はアルジェリア人にとっては命を繋ぐ安全地帯。フランス人には敵が何処に潜んでいるのかという恐怖。  後半は民衆と軍隊の激突が本格化していく。  整然と行進する軍隊の頼もしさ、恐ろしさ。 ヘリが飛び交い、武装した軍隊が建物の上まで睨みを利かす。機銃を突き付け、窓ガラスをブチ破り、シャッターを引きはがし、ドアを蹴破り押し入るガサ入れ。籠城野郎やアマどもは建物ごとダイナマイトで吹き飛ばす!  叫び続け“断念”することを選ぶ者もいれば、沈黙を貫く者もいる。同胞たちは、何も出来ない・してやれない悔しさ哀しさに黙って涙を流しながら耐えるしかなかった。  それが国の、自分たちのアイデンティティが刻まれた“旗”を掲げ、叫んで叫んで叫びまくりながら市街地を埋め尽くす瞬間!殺したきゃ殺せ!殺しきれるものならしてみろと言わんばかりに人々の行進は止まらない。  もうもうと白い煙がたちこめる路上。煙の向こうから咆哮を束にして旗を振り回しながら押し寄せる人、人、民衆の群!もはや彼等・彼女等のエネルギーは誰にも止められないのだ。 男たちの“沈黙”によって幕を開けた物語が、女たちの“叫び”とともに締めくくられる。いや、アルジェリアの人々にとっては新しい時代の“始まり”を告げる歓喜なのかも知れない。
[DVD(字幕なし「原語」)] 9点(2017-04-25 07:52:49)
14.  怪盗白頭巾 前篇 《ネタバレ》 
・「河内山宗俊」の特典として収録されていたものを見た。  何やら怪しい算段をしてそうなオッサンと老人。 そこに障子を開き刀を上にかざしながら突入する怪盗白頭巾の一味!!  刃が空を斬り、その直後に捕り手たちが群をなして迫り来る。  白頭巾は仲間を逃がして殿を買って出る。 障子に隠れ、敵が来た瞬間に浴びせる一撃。 複数の捕り手と切り結び、斬られた敵が障子とともに倒れたりして、フィルムは終わる。
[DVD(邦画)] 9点(2017-04-24 18:44:05)
15.  磯の源太 抱寝の長脇差 《ネタバレ》 
「河内山宗俊」に収録された特典を再見。  山中貞雄の幻の傑作と言われる「抱寝の長脇差」。 かつて双葉十三郎さんが伊藤大輔「忠次旅日記」と並ぶ作品と絶賛し、後に「切腹」を撮る小林正樹が伊藤作品とともに夢中になった時代劇の傑作だったという。  残念ながら現存するフィルムは約1分の断片のみ。ほぼ殺陣の場面のみで、何かストーリー的なものを感じられるのは主人公らしき男が抱える男の亡骸?と終盤にチラッと女性が登場するのみ。 このようにストーリーはまったく掴めないが、それでも山中貞雄独特の殺陣を見る事が出来る。  「丹下左膳」のような洗練されたものはまだ無いが、高速で複数の男たちと斬り合っていく。鍔迫り合いの多さに驚く。後年の「丹下左膳」や「河内山宗俊」はほとんど鍔迫り合いをせずに一瞬で切り払うという感じ。  「抱寝の長脇差」の頃はまだ模索中だったのだろうか。 斬り合っている最中に、男が敵を足蹴にする場面が2度出て来たのには更に驚いた。コレは他の時代劇でも中々見られる光景じゃない。
[DVD(邦画)] 9点(2017-04-24 18:40:03)
16.  白熱(1949) 《ネタバレ》 
ジェームズ・キャグニー主演の凄まじいギャング映画。 サイレント期から数々のアクションやコメディを手掛けてきたラオール・ウォシュの集大成とも言える作品。   キャグニーとウォルシュが組んだ作品はコメディ「いちごブロンド」、同じくギャングものでロバート・ロッセンが脚本に参加した「彼奴は顔役だ」と傑作が多いが、この映画のキャグニーは最もぶっ飛んでて狂ってる。   ファースト・シーンの列車強盗の場面。   トンネルから出てくる列車を追うように並走する車、列車には既に仲間が潜入して事を引き起こし、橋から飛び降りて乗り込み、扉を爆弾でぶっ飛ばし、機関士も強盗も容赦なく撃たれ蒸気で大火傷を負い悲痛な叫びをあげる…あっと言う間の5分。アクション映画はこうでなくちゃ。   小柄ながらきびきびした動きで踊るように人を殺していくジェームズ・キャグニー演じるコーディ・ジャレット。 母親に “犯罪によって”教育され、冷酷、残忍、非情でオマケに超マザコンに成長してしまった男。発作のようにマザーコンプレックスの衝動に駆られて暴れまわる姿は赤ん坊のような無邪気さと凶暴性を見せつけてくれる。つうか笑顔がヤベえよコイツ…。   こんなにも狂いに狂ったマザコンはコーディ・ジャレットしかいないね。 「死の谷」で姉御肌の女性を演じたヴァージニア・メイヨは、コーディに取り巻くもその狂気で徐々に距離を置いていく情婦の妻を演じる。メイヨとキャグニーのやり取りは愛と狂気の紙一重。  彼らを追う警察との追走劇も手に汗握る。 デスマスク、靴紐、鏡と映像で見せるシーンの巧さも絶妙極まる。社内電話はまるで携帯電話の様。野外劇場の“暗示”はコーディたちの別れ道でもありました。“罪”を避けるための“アリバイ”を得る方法がえげつない。  警察の捜査を嘲笑うコーディたちだが、警察も強力な“切り札”を持ってた。スパイ映画としての側面も持っている面白さ。 刑務所でのやり取りもまたスリリング。特にコーディが“ある知らせ”を受けて発狂、泣きだして暴れ出し幼児のように警官を立て続けにブチのめす。怖すぎて笑っちまうよもう。   その後の脱獄までの流れも手馴れた見事さ。 受話器?んなもんブチ抜いちまえ!閉じ込めたまま“殺す”シーンとか本当えげつない。裏切りと報復、暴力による服従、ドア越しの銃撃。  終盤の流れもとにかく凄い。黒光りする巨大なトラックの重量がたまらない。  キャグニーにおんぶされる酔いどれメイヨが可愛いすぎる。一瞬映る太もものエロティックさ。 給油所に残す“メッセージ”、少し時代を感じる捜査方法がまた味わい深い、ショットガンの散弾描写、そしてキャグニーの絶叫!! 「やったぜママー!世界の頂点だー!」  最後の最期まで、死ぬ瞬間まで強烈な場面で締めくくられる。
[DVD(字幕)] 10点(2017-03-27 07:58:41)
17.  風(1928) 《ネタバレ》 
この作品のリリアン・ギッシュはとにかく可愛いく、美しく、怖い。  列車からはじまるファーストシーン。外は猛烈な風が吹き荒れ、ちょっとでも窓を開けようものなら風がビュッーと砂を撒き散らして人々に襲い掛かる。  列車におけるレティとロディの出会い、 レティを迎えに来た兄のビバリーとお爺さん。奥さんが牛の解体をする傍らレティとコーラの子供たちはとても仲良く遊ぶ。あたしがこんな仕事をやっているって時にこの女は…とでも言いたげな表情。だからってそんな血まみれの手じゃ子供じゃなくたって驚くわ。  ダンスパーティー、レティを誘惑するロディの再登場、コーラの嫉妬の爆発、そこにサイクロン(竜巻)まで来る。避難所が常設されている辺り頻繁に来るのだろう。西部劇で竜巻に襲われる作品は貴重。幸いな事に竜巻で被害は出なかったが、レティが悩む度に画面に映される風は絶えない。  レティはコーラの虐めに耐えかねて家を出る。そして何を思ったか近くに住む荒くれ者のライジと婚約。ライジは喜んでレティを受け入れるが、レティはまだライジに心を許す覚悟をしていなかった。衣服を脱ごうとするレティ、ライジは既に夫になっているので遠慮はしない、レティはまだ恥ずかし気な様子。いやもうちょっと遠慮しろよライジ…抱きしめる時もちゃっかり胸に腕を回しやがって(終盤)。  ライジは不器用ながらもレティの夫になろうと努力するが、心が中々通じない事に苛立ちを募らせる。レティもまた吹き止まない砂嵐で徐々に神経をすり減らしていく。  二人の心が通じ合わず距離が開いた様子を足だけで伝える。レティは太陽が照りつける熱さ、砂嵐に怯えてどんどん神経をすり減らす。めまいがし、風で家が揺れ、窓ガラスが割れ、その衝撃でランプが倒れて火が付く!火の熱か音かレティは正気に戻って慌てて火を消す。もう彼女の精神状態は限界。そんな時に再びレティの前に姿を現す衰弱したロディ。それを運んできたのは兄のビバリーとお爺さんだった。ビバリーもお爺さんも去ってしまい、回復したロディはレティを再び誘惑する。レティは相次ぐ風、幻影、好色漢のショックで気を失ってしまう。  翌朝。嵐は去るが風は依然強いまま。レティは昨夜の出来事を思い出し、去ろうとするロディに向って…。ここからが怖い。埋めた筈の者が風によって砂の中から顔を出す瞬間…ゾッとする場面。男が扉を開け、レティに向う…!
[DVD(字幕なし「原語」)] 10点(2017-03-27 07:54:11)
18.  奇跡の人(1962) 《ネタバレ》 
実在したヘレン・ケラーが三重苦を乗り越え“軌跡”を起こすまでを描いた作品。 もう本当に魂を揺さぶられるというか、心と体のダイナミックなぶつかりあいが舞台劇という狭苦しさを感じさせない。 ベッドで愛する我が子を突然襲う“異変”、愛するが故に悲痛な叫びをあげる母親。 物心付いた時から聞こえない、見えない、喋れないという“闇”の中をもがき続けるヘレン。唯一残された“触感”だけがヘレンを支える。 へレンが闇の中でもがくようなオープニング、常人にはヘレンの行動が奇異に見え、事情を知る家族ですら家庭崩壊寸前まで追い詰められる。 何もしてやれない悔しさ、もどかしさ。どんなに避けんでも娘には届かない…そんなヘレンの心を開こうと列車に揺られてやってくるサリヴァン先生ことアン・サリヴァン。 彼女もまた眼の病気を乗り越え“奇跡”を起こした人だった。彼女は不安と恐怖で闇に閉ざされたヘレンにかつての自分を見る。彼女は唯一彼女に残された“触感”を信じ、それにぶつかってぶつかってぶつかりまくりヘレンを救おうと尽力する。サリヴァンは真っ先に「あなたは言葉を喋れる」と信じてくれた。 水をぶっかけられたら水をぶっかけ返して“教え”、殴られたら殴り返し“教える”。 家を破壊せんばかりに野獣の如く、癇癪を起こした子供のように暴れまわるヘレン、それをねじ伏せるサリヴァンの闘い。そこまでするのもヘレンを信じているから。互いに髪や服を乱し、料理まみれになって。 ヘレンも徐々に不安からサリヴァンへの怒り、憎悪、哀しみを打ち明けサリヴァンを“信じる”ようになる。ヘレンにとって今までここまでしてくれる人はいなかっただろう。真正面から自分とぶつかってくれたサリヴァンに心を開き始める。 ヘレンに幾度と無く刻まれる“手話”、そして感触。その積み重ねがヘレレン「W...A...T...E...R...!」と叫ばせ三重苦を打ち破る。 ポンプを動かし、水に触れ、大地を踏みしめ、樹を掴み、段差を叩き、ベルを鳴らし、母、父、そして“先生”たちとギュッと抱きしめ合う瞬間の震えるような感動。 ああ、人と解り合えるって、こんなにも素晴らしい事だったんだなあって。人を愛する事、自分を愛していてくれた事に気づく事の大切さ。こんなにも良いもんなんだな。それを魂で理解する瞬間。ヘレンにはとてつもない喜びだったと思う。
[DVD(字幕)] 9点(2017-03-27 07:52:59)(良:1票)
19.  少女ムシェット 《ネタバレ》 
再見。 何度見てもハートフルボッコの筈なんだがなあ…ヒロインの健気な姿を見るだけで元気になれるのは何故なんだろう。  「バルタザールどこへ行く」に並ぶ、少女の不幸を冷徹な眼差しで…いや見守ってやることしか出来ない無力さに打ちのめされるシネマトグラフ。 この映画を見て落ち込んだという方には同じブレッソン「スリ」「ブローニュの森の貴婦人たち」、ドタバタコメディ「公共の問題(公共問題)」、良い意味の“ハラハラ”を味わいたいんだよという人には「抵抗」を見て心を癒すことをオススメします。   薄暗い部屋で心配事を語る疲れ切った女性、森の中で茂みをかき分ける者、帽子から輪になった紐を取り出し、木の枝に括りつけて草木の上に置く者、“仕掛けた”者が待っていたもの、引っ掛かり悶える鳥、それを掴み取る手、一部始終を見届ける視線。 抜け穴、収獲、すれ違う帰還者と登校途中の少女。  授業でみんなが歌う中で口をつむぐ理由、だからって突き飛ばしピアノの前で首根っこ掴んでまで曝しものにするこたぁねえだろ。何度も歌わされ、嘲笑され、耐えきれなくなり顔を覆い泣き出してしまう。誰も助けちゃくれない。 男の子もわざわざ呼び止めてズボンを脱いで見せつける嫌がらせ。  家に帰れば父親たちは夜遅くまで酒に溺れ(警察にバレないように酒瓶を布で隠して)、冒頭で語っていた母親は病で寝込み、夜泣きする赤子の世話と忙しい。  だが彼女もただ黙って耐えるだけの少女じゃなかった。 ちょっと大人の男に視線を送っただけで平手打ちを浴びせるようなロクでなしの父親だ。教会にもわざと泥まみれの靴で入るのは、突き飛ばされるのが分かっていても暴力を振るう父親へのせめてもの抵抗。 それは散々な目に遭っているのにどうして宗教にまで縛られなきゃならないの。何もしちゃくれねえ宗教なんぞを信仰する馬鹿馬鹿しさ、冗談じゃないと彼女が…ブレッソンが叫びたかったことなのかもしれない。  下校時には道脇の茂みに伏せるように隠れ、女生徒たちに泥をブン投げまくる。例え振り返ったとしても隙あらば投げることを繰り返す。 幼い少女たちは下着が露になるのもお構いなしに鉄棒を回り、香水をかけ合い、男の子が乗るバイクにまたがり、早く大人になりたそうに振る舞う。 遊園地に行くのは憂さを晴らすため。ゴーカートのぶつけまくりぶつけられまくることが許された運転、回転飛行機で飛ぶように二人きりの男女を見つめる視線。  密猟の男たちが河原で拳を浴びせ揉みくちゃになるのは、仲直りし飲み合うため。  スカートからのぞく女の肢体、ストッキングを止めるバンド、泥に埋まり残される靴、雨に濡れた少女を“捕まえる”ための誘い、手の出血を焼けた枝で止める荒療治、蝋燭立てになった酒瓶、机の上に逆さまで並べられた椅子、カバンの中にしまわれる小銭?、ふら付き発作が起きようが泡を吹くまで飲んだくれブッ倒れる。虚空を見つめて目を開っきぱなし、そんな姿に思わず歌うのを嫌がっていたはずの少女が男を介抱するため、子守唄を聞かせるように歌声を響かせる。 豹変、酒瓶の山を落とし割り、机を薙ぎ倒し、燃え盛る火の前まで追い詰め襲い掛かる。どうして男ってこんな奴しかいないの?という絶望。  木の枝に紛れる逃亡、辛いことがあったら母親の手を掴み慰めてもらう。わずかに残った希望…。  森番に部屋の中まで連れられ夫婦揃って説教を喰らい、ミルクを買いに行った先で親切にスープとパンを振る舞いポケットに“ほどこし”を入れる女主人。ポケットに手を入れる「スリ」とは真逆の行動で彼女に幸せが訪れるのか…それを粉砕する様に割られてしまうカップ。机の上に投げ捨てられる“ほどこし”。  文句言いながら渡されるほどこしなんて御免だよと、絨毯を泥だらけの靴で踏みにじる。  ウサギ狩りで猟銃が刈り取る命、命、命。「バルタザールどこへ行く」の動物たちがそうだったように、この映画も容赦なく犠牲になっていくのだ。  もらった服も木の枝で引き裂き、寝転がり草まみれにし、それを纏いながら転がって、転がって、転がり続けた先…。
[DVD(字幕)] 9点(2017-03-27 07:51:35)(良:2票)
20.  怪人マブゼ博士(1933) 《ネタバレ》 
続・「ドクトル・マブゼ」。 ラングがドイツ時代に撮った最後の作品で、ラングのサスペンスフルな活劇とオカルティックな演出が凝縮された傑作だ。 ラングはアメリカ時代の方が完成された監督だと思うが、やはりドイツ時代のラングも超凄えぜ!  BGMを極力使わずとも保たれる緊張、無駄なセリフを使わずとも意図が手に取るように解るサイレントの呼吸、加えてラング特有のドロドロとした恐怖演出。 残留思念、亡霊、“魂”! 2時間の長さを感じさせない映像作り。  まずは何といっても、あのファースト・シーン。 工場の轟音が響く密室、拳銃を握り締めた怪しげな男、そして部屋に入ってくる男たち。 映像によって語られるこのサスペンスと緊張。 密室、脱出、襲撃と爆発。この完璧と言っていい7分。そして次のシーンにまで繋がる10分間!  一体男に何が起こったのかを探る警察たちの捜査、その裏で交錯する様々なドラマ、そして“ドクトル・マブゼ”の不気味な存在。 これはサイレント映画の傑作「ドクトル・マブゼ」を見た方がより楽しめるだろう。  刑事のオッチャンが時計まで使って情報を掴もうとするシーンはシュールだ。ラングがたまに見せてくれるこういうユーモアが大好きです。  そしてラングの十八番、終盤の畳み掛けもまた見事な事。 アパートでの攻防、密室からの脱出と取り調べの交差、煙突が1本ずつ倒れながら大炎上する工場、クライマックスの追走劇。 派手なチェイスではなく、猛スピードで通り過ぎる木によってその迫力を語る。良いねこういうの。  マブゼの残留思念に踊らされる幾多の登場人物たち。ラストはもう少しインパクトが欲しいという人もいると思うが、俺には“悪夢”から解放された男と亡霊同然になってしまった男の強烈な対比だけで充分すぎる。 扉が閉まると同時に幕を降ろすエンディングも素晴らしい。ラングが好きで良かった。こんな凄い映画にまた出会えたのだから!
[DVD(字幕)] 10点(2017-03-27 07:48:47)
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