1. THE FIRST SLAM DUNK
《ネタバレ》 公開当時劇場で見ることができなかったため、今夏の再上映にてIMAXレーザーで鑑賞。事前の評判通り、大変素晴らしい作品だった。湘北メンバーが歩き出すあのオープニングから心を鷲掴みにされてしまった。ネット配信も始まっている作品だが、大音響の映画館で本作を体感できて本当に良かったと思えた。大画面と大音響で描かれる各選手のプレイの躍動感と緊張感は、配信では再現できないものだ。 原作の大まかな展開は知っていたが、ほぼ未読に近い状態、かつバスケのルールも特に知らない人間ではあったが、それでも本作を大いに楽しむことができた。原作の画風を維持しながら、それぞれのプレイをいかに魅せるか、非情に緻密な計算がなされた作画と演出だったのではないだろうか。原作最終盤の山王戦を描きながら、併せて各登場人物の来歴を描く構成は、私のような原作を大して知らない人間には登場人物をよく理解できるという意味で、ありがたい構成だった。過去と現在が交錯することでのテンポの悪さは、私にはあまり感じられなかった。逆に原作をよく知っている人のほうが、テンポが悪いと感じるのかもしれない。 また、原作者井上雄彦本人が監督をしているせいか、本人独特の画風と作風が映画にもダイレクトに反映されていて、人によってはそれを敬遠する人もいるかもしれない。こと一部人物のややトリッキーな心理描写は、原作者の別作品であるバガボンド(しかも後期)そっくりだった。既存の映画ではあまり見られない、井上漫画の癖、独特さのようなものを、好意的に受け取ることができるかどうかは観客次第だろう。 忘れてはならないのは本作の音楽面だ。本作は音楽の力が凄まじい。本作ではロック調のBGMに音楽面を刷新。人物の躍動、試合の展開に合わせて、実にタイミングよくロック調のサウンドが鳴り、映画を盛り上げている。なにより特筆すべきなのは、あの衝撃的なオープニングだろう。鉛筆書きで描かれていく湘北メンバーに合わせて、The BirthdayのLOVE ROCKETSが鳴り響くオープニングに心奪われた方は多いのではないだろうか。楽曲の荒々しさと湘北のガラの悪さが最高にマッチしていた場面だったと思う。あの掴みを描けただけで、映画としての完成度は約束されたようなものだ。音楽を担当した武部聡志、10-FEET、The Birthdayは間違いなく本作の功労者だ。2023年にThe Birthdayボーカルのチバユウスケは惜しくも亡くなるが、亡くなる間際にとんでもない作品を我々に残してくれたのだと改めて思う。 [映画館(邦画)] 9点(2024-08-15 21:19:48) |
2. フェラーリ
《ネタバレ》 イタリアを代表する高級車メーカー『フェラーリ』の創設者である、エンツォ・フェラーリの矛盾に満ちた生き様を描いたマイケル・マン監督による伝記ドラマ。モータースポーツ界の巨人が、公的にも私的にも最も苦境に立たされた1957年の様子を、監督お得意のドライかつクールなタッチで描いている。 モータースポーツどころか自動車にもまったく興味がない私でも楽しめるのだろうか、と鑑賞前は不安であったが、そこはさすがの巨匠。一瞬のミスやエラーが命取りに繋がるレースシーンは常に死の空気が立ち込めて殺伐としており、見応え十分だった。また、フェラーリを取り巻く人間模様、特にペネロペ・クルス演ずる正妻ラウラの女傑っぷりはこれまた見応えがあり、132分の上映時間があっという間だった。 本作の主題は、フェラーリという人間の本質を描き出すことである。そのアプローチとして、マン監督は、1957年の数か月に脚本を絞って描くことを選んだ。というのも、この1957年は、エンツォ・フェラーリが抱えていたさまざまな矛盾が最も激しくぶつかりあった時期であり、この時期にこそ、フェラーリという人間の本質がよく現れていると監督は考えたようだ。本作で描かれるフェラーリは、徹頭徹尾矛盾の人である。仕事、家庭、本人が全身全霊をかけて愛するレースにおいてさえ、およそありとあらゆる領域で彼は矛盾を抱えている。当然、矛盾が調和するわけはない。矛盾は衝突し、やがて破綻する。本作では、フェラーリが抱えたさまざまな矛盾が、どのようにして衝突し、破綻するのか。あるいはどのように苦い折り合いをつけたのかが描かれている。 つまり、レースが主題の映画ではない。あくまでフェラーリという人間の本質を描くことが主題なのである。爽快なレース映画、あるいはプロジェクトX的な映画を期待すると肩透かしを食らうのは当たり前であるし、そのような人は本作の主題を正確に読み取っていないともいえる。 全体的にドライなタッチの映画だが、フェラーリという主人公に対しても、映画は一貫してドライである。映画は彼の本質を炙り出そうとはするが、決して美化はしない。昔のマイケル・マン作品なら、苦境の中で戦う主人公をロマンを込めて描いたものだが、本作はそうしない。フェラーリの威圧的な振る舞いも、家庭での不誠実も、現代ではそうそう美化できるものではないということなのだろう。レースシーンに爽快さやカタルシスを用意しないのも、実際に起きた事故がいかに悲惨であったかを考えさせるという意味で、ある種の誠実なアプローチだったのではないだろうか。 では、本作にマイケル・マン作品らしい登場人物は出てこないのか? 実は映画の中で悪役のように描かれる正妻ラウラこそ、いままでのマイケル・マン作品によく出てきた「筋を通す人物」、「苦境の中で戦う人物」であるというのがこの映画のミソである。 フェラーリとラウラは、紆余曲折、激しい衝突のあと、苦い折り合いをつける。しかも、対等な立場で。従来のマイケル・マン作品なら男にしか割り振られてこなかった役割が、ついに女性にも回ってきた。こうした点に、マイケル・マン監督81歳にしての進化を垣間見ることができる作品といえよう。 [映画館(字幕)] 8点(2024-08-08 21:24:41)(良:1票) |
3. オッペンハイマー
《ネタバレ》 原子爆弾の父こと、理論物理学者ロバート・オッペンハイマーの栄光と没落を描いた伝記ドラマ。クリストファー・ノーラン監督らしく、複数の時間軸を錯綜させたノンリニアなストーリーテリングが特徴で、膨大な登場人物を使い倒し、猛烈なスピードで、天才物理学者の矛盾に満ちた生涯を描いている。脚本で参考にしたのは4作品。伝記映画としての大枠は『アラビアのロレンス』から。脚本での参考は『羅生門』、『JFK』から。人物造形、ことオッペンハイマーの宿敵ストローズの造形は、『アマデウス』におけるサリエリを参照したのだろう。 本作を理解する上で決定的に重要なのは、(1)時間軸を理解すること、(2)カラーとモノクロパートの違いを理解することである。特にカラーとモノクロパートの違いは、本作の基本設定、世界観の根幹に関わっており、ここを理解することは本作への理解度、解像度を上げるためには重要である。 映画で語られる時間軸は主に3つ。 1、1926年から1947年にかけてのオッペンハイマーの生涯 2、1954年の聴聞会(オッペンハイマーが厳しい追及を受ける) 3、1959年の公聴会(宿敵ストローズが追及を受ける) カラーとモノクロの違いは、カラーは、オッペンハイマーの主観で描かれる世界であり、モノクロは、オッペンハイマー以外の第三者(主に宿敵ストローズ)から見た世界である。 たとえばカラーパートにおいては、オッペンハイマーが実際に目にして、体験したこと以外は描かれない。広島、長崎への原爆投下の描写がないのは、オッペンハイマーが実際に見ていないからだ。ただし、彼の脳内イメージとして、原爆の被害を幻視し、煩悶する姿は描かれる。 かたや、モノクロパートでは、第三者の目から見たオッペンハイマーの姿が描かれ、ここではカラーパートとは異なる、オッペンハイマーの人となりが描写される。また、カラーパートで頻出するオッペンハイマーの脳内イメージは、このパートでは一切出てこない。 このように本作では、カラー、モノクロパートの使い分けが脚本上でも徹底されており、それはもはや2つの異なる世界観が存在しているといっても過言ではない。 つまり本作は、3つの時間軸と、2つの世界観がハイスピードで交錯し、それぞれが影響しあいながら、クライマックスへ突き進むという構成になっているのだ。このような構成を持つ伝記映画というのは、他に例を見ない。ノーラン監督の作劇術の円熟を示すものであり、それが監督の持ち味である豪快な映像技術と合わさって、第一級の伝記スリラーとなっている。 原爆投下の直接的描写がないことから、批判的な意見もある本作だが、そうした意見というのは、個人的には、先に述べた本作の基本設定、基本ルールをよく理解しないで述べられた感想に過ぎないという印象だ。 本作を観るにあたっては、被爆国として、日本国民として、といったバイアスを外し、なんの偏見もなく素直に鑑賞するのが良いと思う。むしろそうしたバイアスを抱いたまま本作を観ると、当時の米国の政治状況や、物理学者たちの人間模様が矢継ぎ早に描かれる展開に置いてきぼりにされるだろう。なお、先述の基本設定を理解した上で本作を観ると、本作への解像度と、本作の本質と問題提起をより掴みやすくなるだろう。 原爆投下の描写がなくとも、いやむしろ、それが直接描かれないがゆえの恐怖がよく描かれていたと私は思った。政治や軍事の指導者たちが平然と原爆投下や核兵器の増強を決定する場面それ自体が、政治状況次第で倫理観をかなぐり捨てる国家指導者たちの冷酷さ、無責任さをよく表現していたように思う。原爆の被害という現実が、国家指導者たちには数字上のできごととなり、原爆開発者たちには、自分たちの手を離れた、どこか遠い異国でのできごとに変貌する。それをどのように考えるべきなのか、映画は観客に突きつけてくる。感想は人それぞれだが、私には、原爆被害でさえ相対化と正当化をしかねない国家への恐怖と、オッペンハイマーが扉を開けてしまった核の脅威がいまだ現代でも引き続いていることへの憂いを強く感じた。 [映画館(字幕)] 9点(2024-04-10 11:44:00)(良:3票) |
4. マルホランド・ドライブ
《ネタバレ》 デイヴィッド・リンチ監督作でも、特に人気が高い作品。 冒頭からシュールでミステリアスな作風が全開。観客が内容をよくわかっていなくても、その不思議な世界観に強引にでも引き込こんでしまうあたりが、デイヴィッド・リンチという監督の真骨頂なのだろう。 いま改めて本作の立ち位置を考えてみると、1990年に放送が開始された初期の『ツインピークス』と、2017年に復活した『ツインピークス シーズン3』のほぼ中間の時期に制作されていることがわかる。新旧のツインピークスに出演している俳優が本作にも起用されているため、実質『ツインピークス シーズン2.5』と捉えることができるだろう。群像劇、現実と超現実の交錯、意表を突くサスペンス描写、異形の人物など、見れば見るほど新旧のツインピークスと本作の要素が重なっていることがわかる。 ただ、ツインピークスとの決定的な違いは、物語の論理性、首尾一貫性を保つのに重要な役割を果たしたマーク・フロストが不在なことだ。本作では、各シーン・各プロットが論理的にどのように関係しているか、(おそらく製作者の意図で確信犯的に)省略がなされていて、もはや意味不明な展開になってしまっている点、物語としての面白みは残念ながら落ちてしまっていると言わざるを得ない。 マーク・フロストが関与していれば、おそらくもう少し物語がロジカルになって、観客に親切な内容となったのではないか。実際、『ツインピークス シーズン3』もリンチ節が全開になっていたが、脚本のロジックは、筋が通っていてわかりやすいという親切設計であった(笑)。 とはいえ、それでも現代ハリウッドのダークサイドを、シュールレアリスティックな手法で描いた名作であることに間違いはないだろう。 [ブルーレイ(字幕)] 7点(2024-01-26 21:58:34) |
5. キラーズ・オブ・ザ・フラワームーン
《ネタバレ》 ディカプリオとデニーロ共演の超大作という触れれて鑑賞。『アイリッシュマン』を上回る上映時間にはなったが、同作で不満だった部分をおおかた改善した快作であった。 3時間半という長尺だが、要所要所で飽きのこない展開を盛り込んでおり、淡々と乾いた暴力描写に終始しがちなスコセッシ監督にしては珍しく、派手な爆発シーン、エピローグではラジオドラマ風の演出を入れ込んで捻りを効かせるなど、観客の注意を惹きつける工夫が全編に渡ってなされていたと言える。結果的には、『アイリッシュマン』で感じた、あまりにも淡々とした物語展開よりもずっと劇的な展開となっていた。これが本作に8点をつけた理由である。 とはいえ残念な部分がないわけではなく、映画の予告であったようなオセージコミュニティ内で起きた連続殺人の謎を追うマーダーミステリの要素は薄く、むしろその連続殺人事件の犯人側、しかも従犯側の視点で物語が進むので、次々と謎を解き明かしていくという快感は得られない。普通のミステリならば、どういう経緯で犯人たちが犯罪に突き進んだのかを解き明かしていくのだろうが、本作ではその点は最初から明示されている。その理由は金のため。犯人たちはあまりにも俗物的な理由で犯罪に手を染めていたのである。1920年代という時代のせいもあるだろうが、あまりにも行き当たりばったりな理由や手段で犯人たちは犯罪を行うため、現代の犯罪ドラマに慣れた観客からすると、犯人たちの犯行理由は浅はかである一方、警察側の捜査の描写も、かなり手ぬるく見えてしまう。 つまるところ、本作は実話に忠実であるがゆえに、かつ、本作では視点を常に事件における従犯的存在に過ぎない主人公にフォーカスした結果、ミステリとしては快感が少ない仕上がりになってしまっているのだ。この点は本作の構造的な弱点であるかもしれない。ディカプリオ、デニーロ、そしてヒロインのグラッドストーンの演技合戦が素晴らしかっただけに、この点は惜しいといわざるをえない。 [映画館(字幕)] 8点(2023-11-05 20:43:46) |
6. JFK
JFK暗殺事件の真相を追うジム・ギャリソン地方検事を描いた現代史ミステリー。大統領暗殺という一大事件を取り扱うだけに、登場人物は膨大、上映時間も長大である。だが、カットバックを多用した飽きのこない映像と、オリバーストーンの巧みな脚本構成によって、観客をぐいぐい引っ張っていく。正直、凡庸な脚本家なら、この題材を3時間半で収められたかどうか極めて怪しいものだ。それだけストーンの脚本力と編集力が光っている一作。こと退屈になりがちな登場人物のモノローグにカットバックを大量に挿し込むことで、事件の背後にあった怪しげな人間関係や陰謀を、活き活きと浮かび上がらせる手腕は特筆すべき点だろう。 全体的な編集力や脚本力、また裁判シーンでのコスナーの名演技など、高評価できる部分は多いのだが、物語のクライマックスが個人的に弱く感じた。というのも、劇中で指摘した証拠のみでクレー・ショーをJFK暗殺の犯人とするにはさすがに無理がある。決定的な証拠に欠けていて、論理の緻密さが足りないのだ。映画はその後、コスナーの感動的な名演説を入れることで、映画的な見せ場を作っているのだが、その前の展開が腑に落ちていないせいで、素直に感動することができなかった。真実を知りたいと言うわりには、細かなディテールの積み上げを疎かにしてもよいのだろうか、と疑問に思ってしまった。 事件を追うギャリソン検事の姿に、オリバーストーンの真実追究への思いが仮託されているのは否めないだろう。現代的な観点で見れば、真実を探し求めて周囲の人間と軋轢を生む姿は、典型的な陰謀論者のそれでもある。自分が追い求めたい真実については熱く語る一方で、細かなディテールの積み上げは疎かにする、あるいは目を向けない姿勢というのは、妙に示唆的である。自分の見たい真実を追い求めたオリバーストーンは、その後、アメリカとは別の真実を提供すると謳うロシアのプロパガンダに見事に引っかかることになる。ある意味で本作は、のちのち陰謀論者となってしまうストーン監督の萌芽が見られる映画ともいえよう。言葉を返せば、鑑賞時にはある程度の真贋を見分けるリテラシーが観客にも求められる映画にもなっている。 [ブルーレイ(字幕)] 7点(2023-08-13 14:37:05) |
7. 禁じられた遊び(1952)
戦争はろくなものではない、と考えさせれる映画だった。ただ、本作は戦争そのものを描いた作品ではない。むしろその戦争の周縁において描かれる、少年少女の物語だ。 善悪を知らず、命の軽重も知らない無垢な子どもたちの禁じられた遊び。鑑賞しているあいだは、子どもたちの無文別な行動に劇中での大人たちと同じように憤りを覚えると同時に、物語の救われない結末から子どもたちを哀れにも思った。 だが、鑑賞して少しすると、また違った感想が生まれてきた。大人たちはどうなのだろう。少年少女が出会い、禁じられた遊びに興じたきっかけは、そもそもは戦争のためだった。戦争がなければ二人は出会わず、愚行も犯さなかっただろう。そしてその戦争は、大人たちが始めたものだ。子どもたちは物事の善悪を知らずして、他人のための十字架を盗み、墓作りに勤しんだ。大人たちは戦争が害悪だと明確に認識しながらも、戦争に勤しんでいる。(善悪を知りながら戦争という害悪を続ける)大人のほうが、もっと性質が悪いのではないか、と考えさせられてしまった。 映画公開から半世紀以上過ぎているが、いつになっても戦争は起こっている。映画で描かれたように、戦争で親も故郷も失った子どもが、世界のどこかに必ず存在する。子どもたちを主役に据えながらも、その背景としての戦争の災禍に考えを巡らせてくれる映画だった。 [DVD(字幕)] 8点(2023-03-21 20:19:31) |
8. ウエスタン
《ネタバレ》 ブロンソンのつぶらな瞳の奥から遥かな記憶が立ち上り、灼けた大地の向こうから、野性を露わにしたヘンリー・フォンダが歩み寄る。 何という素晴らしいシーケンスであろうか。そしていつものごとく、モリコーネの音楽が、時代から取り残された男たちの決闘をこれでもかと盛り上げる。 ドル箱三部作を経て、本作は、アクションやバイオレンスを売りにした従来のスパゲッティウエスタンからさらに進化を遂げ、伝統的な西部劇に対するオマージュと、ある種の文学的なテーマ性を盛り込んだ作品になっている。劇中さまざまな意味で重要な役割を果たす鉄道は、新たな時代と文明の波及、西部の終焉を示唆する象徴的存在である。物語はつまるところ、大陸を横断せんとする鉄道とその利権を巡る抗争劇であったわけだが、鉄道を物語のメインモチーフに据えることで、アメリカという国のありよう、西部の終焉、変わりゆく時代、そしてその変化から取り残されていく男たちの姿が、映画の中で鮮烈に浮き上がる仕組みとなっている。ダリオ・アルジェント、ベルナルド・ベルトルッチら原案・脚本作成に関わった人々の非凡さが光る。 『続・夕陽のガンマン』でも指摘したが、地位も、名誉も、金も、女もないと言い切った薄汚れた男たちの決闘が、どうしてかくも神話的な風格を帯びるのか。レオーネの演出とモリコーネの音楽は、本作でも神懸っている。レオーネ西部劇の集大成であり、最高傑作である。 [ブルーレイ(字幕)] 10点(2023-03-21 19:42:35)(良:1票) |
9. オン・ザ・ハイウェイ その夜、86分
《ネタバレ》 トム・ハーディの一人芝居で約90分間を突っ走る、ワンシチュエーション心理ドラマ。 ハーディの抜群の演技力に釘付けになると同時に、映画で使用されたBMWにとっては、最高のプロモーション映画になっている。 主人公は私生活の不運と仕事の不運が重なりあい、ロンドンへ向かう車中、さまざまな人物と電話で息が詰まるようなやり取りをせざるを得なくなる。主人公の自業自得といえばそれまでなのだが、主人公はそんな状況でも、なんとかけじめをつけよう、筋道を作ろうとあがくから、なおやるせなくなる。 (幻覚の)父親に語り掛けるシーン、狂気と愛憎が一緒くたになった声と演技はトム・ハーディの真骨頂であり、まさに彼の独壇場であった。またそのあと、息子との会話で涙を浮かべる表情、さながらジェットコースターのような、表情に落差をつける演技も素晴らしい。 決して明るくはないエンディングを主人公は迎えることになるが、 終盤での、同僚からの最後の言葉、息子からの言葉には、ほろりとさせられる。ほんの少しだけ希望があるような気がする。 お母さんには内緒で、一緒にサッカーの試合を見ようぜと声をかける息子、あんたはいい息子だし、いい大人になるよ。 [DVD(字幕)] 8点(2022-10-30 10:44:21) |
10. ひまわり(1970)
《ネタバレ》 戦争のことをどうしても考えてしまう時期時世のこともあり、本作を鑑賞。 ロシアによるウクライナ侵略が始まって以降、本作にもあらためて世間の注目が集まることとなった。 ひまわりといえばウクライナの象徴だが、本作上映時はそのウクライナもソ連の一部だった。 現代的な観点で見ると、ソ連周りの描写は、色々と無理がある。 ロシア戦線の想像を絶する過酷さを考えると、あの状況でアントが生き残る、しかもロシア娘に救助され、生活を共にしていること自体が非現実的に映る。そのまま凍死か、処刑か、収容所送りの方が遥かに現実的な気がする。また、ジョバンナがあの広大で、しかも情報を隠匿する共産体制下のソ連でアントを探し当てるのも、かなり無理があるだろう。他にも、やけに小綺麗な街並みの描写や、やけに善意のある人々など、ソ連に都合のいいプロパガンダ描写になっている感がどうしても拭えない。昨今のロシアの蛮行や閉鎖的なロシア社会を目にしてしまった現在からすると、その当時は善意に溢れる社会だったとはなかなか信じがたい。 一方で、人物描写の巧みさがとにかく光る映画であり、戦争に引き裂かれた男女の悲劇を、十二分に演出し切っている。 情が深く、烈女ともいうべき誇り高い性格のジョバンナ。美男だが、どこか頼りなく、不安定さが見え隠れするアントニオ。主役二人の性格描写が素晴らしい。愛に忠実で、愛のためならどこまでも毅然となれるジョバンナ(だから役人や、帰還兵にも敢然と食って掛かる)だが、愛に裏切られると、その毅然とした性格が裏目に出て、荒れに荒れてしまうのだ。アントを探し当てるも途中で逃げ去る場面や自暴自棄になって想い出の写真や服を投げ捨てる場面は、ジョバンナの心情が痛いほど理解でき、強く感情移入してしまった。 毅然と誇り高いジョバンナに対して、優男のアントがいい具合に未練がましく、どうも頼りないというこの対比が良い。記憶喪失のくだりは、何回観ても嘘くさい(笑)ロシアに残した妻子を放り投げて、ジョバンナと一緒になりたいと言い出すあたりの情けなさも、ジョバンナとの対比がよくできている。だが、ジョバンナは、誇り高い性格であり、そうした一線を踏み越えることは拒絶する。 戦争さえなければ、ウマがあった二人が引き裂かれることはなかっただろう。そうしたやるせなさも含めて、戦争そのもの、そして戦争がもたらす悲劇について考えさせられる作品である。 クライマックス、下ろした髪で隠れているが、ジョバンナの耳にはかつてアントから贈られたイヤリングがつけられている。アントはなにも気づかない。最後の最後、ジョバンナに見送られ列車で去るアント。遠ざかる車窓から、ジョバンナの涙は、はたして見えていたのか。すれ違いの悲劇やヒロインの愛情深さが、言葉でなく、映像で表現された素晴らしい場面だ。 [DVD(字幕)] 8点(2022-08-14 22:03:34) |
11. 乱
《ネタバレ》 黒澤のカラー映画ってぶっちゃけどうなんだろう?、あまり良い評判聞かないけどなぁと思い、長年手を付けてなかったが、この機に本作「乱」に挑んでみた。 鑑賞してみると、いやいや、前評判を十分吹き飛ばすくらいに、力のこもった大作だった。 カラーになったとはいえ、これぞ黒澤と言わんばかりの、壮大なセットを背景に群衆や天候を縦横無尽に活用した、ダイナミックで躍動感あふれる画づくりは健在。本作ではさらに、ヴィヴィッドな色彩も重要な要素になっている。それぞれが身にまとう衣装の色の違いで各陣営・各登場人物を明確にさせる、あるいはショッキングな演出の肝となるなど、カラー映画だからこその工夫も抜かりない。クライマックスで、楓の方を処断するシーンの演出には痺れた。まさに構図で語り、構図で魅せる。さすが巨匠黒澤。 その他の見せ場でいえば、中盤の城攻めのシーンがまさに出色。蜘蛛之巣城でやったホラー的演出をさらに進化させたような場面であり、次々に斃れていく兵士たちの凄惨さ、刺し違えて自刃する女たちの痛ましさなど、このシーンだけ切り取ったとしても、日本の戦国ならではの凄惨極まる戦の表現に成功しているといっていい。 ちなみに作品の欠点としては、映画というよりはむしろ舞台劇になっていることだろう。特に狂阿弥と丹後の台詞はもはや舞台劇のそれといっていい。役者の演技はともかくとして、映画としてはかなり不自然でくどく感じてしまった。全編を通して、映画というよりは、もはやビッグスクリーンで壮大な舞台劇をやり切った感が強い。人によって好き嫌いが出るのはこのためではなかろうか。私も若干違和感を拭えなかったので、満点評価とはしていない。 なにはともあれ、世間にあまたあるシェイクスピアのリア王の翻案としては、最も成功した作品と呼んでもいいだろう。 [DVD(邦画)] 8点(2022-08-14 19:25:36) |
12. ニキータ
《ネタバレ》 こんなメンタルがピヨピヨな殺し屋に 殺られる人たちが逆に可愛そうだなと思ってしまった(笑) あらゆる意味で、レオンのプロトタイプという評価は、まさしくその通り。 要所要所では、監督のセンスが発揮されており、印象深いシーンもあるのだが、 荒唐無稽な展開も目立つ。最後の変装は無茶あり過ぎ(笑)。 まあ、そうした粗も含めて6点評価ということで。 [ブルーレイ(字幕)] 6点(2022-05-18 08:32:12) |
13. アネット
《ネタバレ》 レオス・カラックス初の英語作品、かつミュージカル映画。 ダークなおとぎ話×ロックミュージカルという異色の切り口に惹かれて鑑賞。 スパークスの楽曲が本作のストーリー・世界観の基になっているが、大胆なジャンル設定の試みは成功しており、 まさに唯一無二、独自性溢れるカラックス映画に仕上がっている。 物語で描かれるテーマも興味深い。 子どもを食い物にする父親、ドメスティックヴァイオレンス、常に女性が悲劇を辿るオペラ、暴力性と悪意が籠ったスタンダップコメディ。深読みをすることが可能な作品でもある。 惜しむべくは、映画の骨格は素晴らしいが、ストーリーテリングに伏線や意外性がないので、 映画としては単調になっている点だろうか。 それにしても、マリオン・コティヤールはいつ見ても美人。 歌もできるし演技も上手いし(ゆえに本作で起用されたとのこと)、中盤で退場させずに もう少し見せ場を用意すれば、賞レースにもっと食い込めたのではなかろうか。 [映画館(字幕)] 7点(2022-05-18 08:25:14) |
14. キャリー(1976)
大枠がホラー映画とはいえ、デパルマが普通に学校もの・青春映画を作っているというだけで、奇妙な感慨を覚えてしまう(笑) あのデパルマが学校や学生を扱う映画を撮るなんて…。 ただ独特の映像センスは、青春映画になっても遺憾なく発揮されており、いつも通りカメラが動きまくる。 スローモーションの使い方や盛り上げ方は、毎回感心してしまう。 とはいえ、時代を感じてしまう、チープな映像や演出が散見されるのも事実。 ちょっと最後の方はダレながら観ており、「点数的には6点くらいかな~」と思っていたが、 最後の最後、まさかのラストをかまされて、けっこう本気でビビッてしまった。 ラストの演出に8点評価で。 [DVD(字幕)] 8点(2022-02-16 07:32:35) |
15. スリー・ビルボード
アメリカの田舎町を舞台にしたサスペンス。 冒頭に映し出された3枚の広告からどう話が展開していくのか、先が読めないため、グイグイ映画に引き込まれていった。 登場人物のほとんどが、善悪(というか美点と欠点)が混淆した存在として描かれていて、 非常に泥臭い人物造形となっており、これもアメリカの田舎町の雰囲気とマッチしていて、印象深かった。 惜しむべくは、これだけ秀逸な脚本なだけに、物語のオチの部分、 もう少し踏み込んで描くこともできたのではないか、という思いもある。 ある意味で、最後は着地点をぼやかして映画を終わらせたようにも見える。 [DVD(字幕)] 8点(2022-02-16 07:13:00) |
16. 殺人の追憶
当時未解決の事件を取り扱っているだけあり、ジトジトとした嫌な後味が残る映画であった。ただ、要所要所での映像の撮り方、カット構成が抜群に上手く、作品に引き込まれていった。田園、クライマックスのトンネルなど、何気ない風景を、物語の展開に合わせて象徴的な風景に仕立て上げる技量には、唸らざるを得なかった。脚本については不満もあるが、映像面に関しては、監督の天才的なセンスをひしひしと感じることができた。 映画の不満点としては、多くの方が指摘するように、やはり脚本面、特に主人公たちの捜査パートが同じことの繰り返しになっており、かなりストレスが溜まる点だろうか。無実の容疑者に固執→拷問で自白を強要→時間を浪費する→次の事件が起こる。基本はこの繰り返し。地元の刑事二人が、いつまでたっても杜撰な捜査を繰り返すので、観客は最後までいらいらさせられる。しかもこの刑事たち、拷問には精を出すが、足を使う捜査は全然しない(笑)。ソウルから来た刑事の方がよっぽど頭も使うし、足も使っている。結局捜査パートは、ソウルから来た刑事に頼り切りになっているため、物語のテンポやバランスが悪くなっているのだと思う。 とはいえ、クライマックスからラストの完成度は高い。事件から時間が経過し、警察を辞した男が、改めて事件現場を訪ね、何かを悟ったような、あるいは決意を固めたかのような表情を映して映画は終わる。余韻のある終わり方だと思う。 [DVD(字幕)] 8点(2021-10-27 08:20:10)(良:1票) |
17. 日の名残り
《ネタバレ》 古き良き英国を体現するかのような、静謐で重厚なトーンで構築された渋い味わいの作品。ジェームズアイヴォリーの巧みな演出と、アンソニーホプキンス、エマトンプソンの演技が光る。原作とは趣きを少し変えており、映画では主役2人の淡いロマンス、もとい名優2人による演技合戦がよりフォーカスされている。薄暗い部屋の中、2人が本を巡って触れ合うシーンは特に秀逸。結局キスシーンにはならなかったのだが、凡百のキスシーンよりも甘く切ない場面になっているのはどうしたわけだろう。これぞ演出の妙であり、演出の教科書に載ってもおかしくないくらい、印象的な場面だった。 映画は名優同士の演技合戦に比重を置いてあるせいか、原作で読者を騙す巧妙なトリックや、原作における(ミスケントンが関わらない)感動的なクライマックスについては、バッサリと削られている。ストーリーの妙や、物語のテーマをより深く味わいたければ、原作を読むことをお勧めする。 [DVD(字幕)] 8点(2021-10-20 07:41:32) |
18. アンモナイトの目覚め
《ネタバレ》 実在の考古学者、メアリー・アニングを主役としたロマンス文芸映画。相手役となるシャーロットも実在の人物だが、史実ではメアリーよりも10歳以上年上の人物である。また、メアリーは生涯独身だったものの、同性愛者であったかは不明。つまり本作は史実を緩やかに利用した、恋愛ドラマであるといえる。 作中で描かれた、メアリーの人柄が、非常に魅力的だった。寡黙で孤独、仕事に対して強い誇りと愛着を心の内に持つ、不器用なパーソナリティにシャーロット同様に惹かれていった。好き嫌いがはっきり分かれるタイプの映画で、メアリーの複雑というよりは不器用な性格や人となりに、理解や親近感を持てるかどうかが、この映画の好き嫌いを分けるポイントであろう。 静的な造りの映画で、セリフは抑え気味、カメラはあまり動かず、荒々しい海の波音、衣擦れの音、鈴の音が際立ち、BGMそれ自体は極力抑えているのが特徴的。印象に残るショットは多く、海に入って抱き合うメアリーとシャーロットや、絵画の枠に収まるメアリーの姿などは、絵画的な美しさがある。一方で、冒頭の男性が脱ぐシーンも含めて、ヌードシーンやラブシーンは直截的で、肉感的、動物的でさえある。かなりのパンチ力があるため、それ以外の静的なシーンとのコントラストが鮮烈である。動物的なまでのラブシーンを通じて、寡黙な人物が胸に秘める、切実な渇望や心情を表現しているのかもしれない。ラブシーン以外にも、さまざまなカットやショットに監督の意図が込められていることは間違いなく、まさに台詞で語らず、構図で魅せる映画となっている。 物語は二人がこの先どうなるのかを明示しないまま終わってしまう。史実に基づけば、この先数年もしないでメアリーは病で世を去るが、この映画は史実を緩やかに使ったフィクションである。この先の想像は、観客に任せられている。 [DVD(字幕)] 8点(2021-10-13 09:49:19)(良:1票) |
19. すばらしき世界
《ネタバレ》 ラストシーン、画面に広がる晴天と、そこに映し出された『すばらしき世界』というタイトル。 呆気ないほどに、しかしほぼ必然的に、三上は逝ってしまった。若い津乃田を除いて、残された人々は呆然としてこの状況を受け入れるしかない。これのどこが「すばらしき世界」なのだろう、と考えてしまう。これは皮肉なのだろうか。 しかし、冷静に映画を振り返ってみると、三上は幸運な人間だったとわかる。世間の風はいまだ冷たいが、それでも真心から彼に親身に接する人々がいた。三上にとってどこまで本意であったかはともかく、彼は職を得て、居場所を作ることもできた。世間は世知辛いが、人との暖かな繋がりや絆が途絶えるわけではない。その意味で、確かにこの世界はすばらしいのかもしれない。 一方で、三上について、見落としてはならない視点がある。彼は純粋であったかもしれないが、決して潔白であったわけではないということだ。劇中での明確な描写はないが、彼が犯した殺人について、同情の余地はあっても、とても正当防衛で済まされる状況ではなかったことが示唆されている。前後の場面から推察するに、三上は暴力衝動を抑え切れず、相手に対し過剰に反応した可能性が高い。そして劇中を通して、事情はどうあれ一人の人間の命を奪ったことに対して、真摯に反省している様子もない。 映画が三上に同情的に寄り添いながら、最後の最後で突き放す展開になったのも、自分の生き方や気質、過去の罪を真摯に反省しないといけないぞ、という意図が込められているのかもしれない。 三上に感情移入をさせつつ、彼を突き放すときは容赦なく突き放す脚本の展開、緩急の付け方が、緻密な映画であった。バッドエンドにもハッピーエンドのようにも見える、エンディングの余韻も素晴らしい。惜しい部分としては、ダレる場面がやや多い、一部の展開が非現実的、わりかし適当なロケハン。この三点である。ダレ場が多いのは、名のある俳優にわざわざ見せ場を用意するから(白竜、山田未歩、キムラ緑子、安田成美)。スーパーの店長と親しくなるくだりは、さすがに非現実的。あとけっこう気になったのが、ロケハン。舞台が足立区の設定なのに、台東墨田の風景がやたら映ったりするのはいかがなものか(スカイツリーを綺麗に映したいのはわかるけど)。あと足立は平坦な土地だから、そもそも坂は映り込まないぞ笑。 大枠としての物語が緻密な作風なのに、細部が適当だと、点数を下げざるを得ないという映画でもあった。 [DVD(邦画)] 7点(2021-10-13 08:54:35) |
20. レディ・バード
グレタ・ガーウィグの、監督としての評価が一気に高まるきっかけとなった青春映画。遅ればせながら鑑賞したが、なかなか悪くない出来だった。演出、脚本、映像、どれもが高いレベルでまとまっている。物語のテンポの良さ、気の利いたセリフ回しやちょっとした伏線の使い方に、監督の優れた技量が表れている。ちょっと自意識過剰で、ちょっと痛い、でもやや陽キャラで、ブサイクではないから、それなりに人付き合いはできる17歳の女子高生の一年を、過度に美化することもせず、描き切っている。 海外では手放しで大絶賛されている本作だが、個人的にはそこまで完璧な映画か?と思う。数ある青春映画の中では秀逸な出来だが、比較的起伏の少ない物語であるため、スコーンと突き抜けるような盛り上がりはなかったように思う。 大名作というには留保をつけたいのだが、優れた映画であるのは間違いない。故郷への強い愛着が窺える、街の風景のモンタージュが印象的だった。映画内で度々繰り返されるそれらのシーンに、抑えても抑え切れない監督自身の故郷への愛を感じることができた。 [ブルーレイ(字幕)] 7点(2021-07-14 08:46:12) |