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ルーさんの口コミ一覧[この方をお気に入り登録する

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1.  息子の部屋
静かに心に染み渡る名作だ。ガンバリズムの日本人には理解しにくいかもしれないが、イタリアという国は人を急かさない。人生を急かない。喪失感にうなだれ、迷い、傷つけあいもし、前に進めなくなっている家族を、監督は温かく肯定している。そんな家族の閉塞感に小さな小さな出口を開けたもの。それが、息子がガールフレンドに送った写真---自室で楽しそうにポーズをとる息子の写真--だ。まだまだ子供だと思っていたあの息子が恋を?息子を慕ってくれる少女がいたなんて?写真に写る息子の部屋で微笑んでいるのは、確かに知っているのに、どこか家族の知らない息子だったのだ。もちろん、それを語るセリフは1つもない。だが、伝わってくるのだ。息子が死んだ瞬間から凍てついていた時間が解け出す・・・。死んだ子の年を数えていては生きていけないのだ・・・そんな諦念。ゆっくりと、喪失感と折り合いをつけていけばいい。ラストシーン、ジェノバ。美しい夜明けの海岸に打ち寄せる波をただ見つめる家族の後姿。セリフは娘の「ここどこ!?今日は試合だっていうのに!」だけ。 これ以上に、この家族の時間が動き出すことを予感させる素晴らしいセリフはない。そして、少女が1人でなく見知らぬ少年と旅立つことも、暗示だ。息子は間違いなく、少女の胸に生きていたが、それは大切にしまわれる過去であるということ・・・。父親が、そのことに触れかけてやめるのも、憎い演出だ。
8点(2002-11-23 12:20:23)(良:1票)
2.  レオン/完全版
二人の間で交わされる「愛」は複雑だ。マチルダの思慕の念は恋に近い。彼女にとっても、生まれて初めての「守ってくれる大人の男性」だった。夢中になるのは自然なことだろう。ナタリー自身は、マチルダのことを、「体は子供でも心は大人」と意識して演じていたようだが、やはり、いくら背伸びをしても届かない哀しさと健気さがマチルダの魅力に思える。レオンの揺れ動く感情はかなり微妙である。一番最初に助けを求めるシーン(このときのナタリーの演技はすごい)で、何故、彼はドアを開けたのだろう。あの瞬間から、レオンに「情」が蘇ったのだ。殺し以外の理屈にはヨワいレオンが、少女に理責めで説得されてしまうあたり、この作品の魅力。守ってあげたい、という言葉は恐らく不適切で、今までの人生と命をひきかえにしても、守らねばならない存在になっていく、その心の動きがドラマなのだ。同情で人生は賭けられない。人間らしい喜怒哀楽を取り戻したレオンにとって、マチルダを見捨てることは、再び人間性を棄てることと同じなのだ。「愛してる」この痛みすら感じるレオンのセリフ。単純な恋愛のLOVEではない、すべてが昇華した「純愛」がそこにある。だが、凶暴な純愛は、暴力によって育まれ、暴力によって消え去る・・・。ラストの哀しくも安らかなシーン。涙が止まらなかった。欲をいえば、ラスト、校長室から先は、セリフは邪魔だったように思う。ところで、完全版で追加されているのは、以下のシーン。☆レオンが殺し屋になったいきさつ ☆2人で殺しのトレーニングをするシーンを大幅にUP☆マチルダの愛の告白に心が揺れるレオンの描写子供に銃を持たせるシーンには、いろいろ批評もあったようだが、この作品では、欠かすことができないシーンだ。なぜって、レオンは銃の扱いを教えることでしか、マチルダの「心」を救えないと知っていたからだ。19歳だった頃の自分と同じに・・・・・・・。破壊的で哀しいだけではないラストにベッソン監督のセンスが光る。根を張るのはレオンの魂。陽の光を浴びて伸びゆくであろう枝葉は少女の未来の象徴なのだ。
9点(2002-11-23 09:25:57)(良:4票)
3.  ナインスゲート
悪魔崇拝ならポランスキー監督。だが、この映画には「悪魔」そのものは出てこない。それを期待する方には、不向きであることを先に説明しておく。そう、この物語は、『悪魔崇拝』に身も心も捧げた人間がテーマだ。興味深いのは、通常は、悪魔に魅入られるかどうかは「その人間が選択すること」だろう。「悪魔に魂を売って願いをかなえてもらう」という言葉があるくらいだ。この作品では、どんなに悪魔に憧れ、崇拝する人間でも、「悪魔に選んでもらえない」のだ。悪魔が、魔の領域に足を踏み入れる人間を、選択する。そのことと、例の本がどういう関係があるのかは、ネタバレになるので伏せておく。ネタバレといえば、どうしてもラストのことになるが、確かにあっけない。このあっけない幕切れのせいで、かなり評判が悪いようだ。確かにサービスが悪く、エンターテイメントとしてはいただけない部分もあろう。だが、監督は、第九の扉が開かれた先にはまったく興味がないのだからしかたがない。その前、つまり、悪魔に選ばれる資格のある人間について、監督の興味と語りたいことは集中している。主人公のコルソ。彼は「映画の主人公」にまったく似つかわしくいほど、自分というものがない。主体性にまるで欠けている。欲望が靴を履いて歩いているような存在だ。金が入るなら善人を騙そうが何をしようが平気。その仕事自体も、自分の脳みそで手段を考えず、依頼人にいちいち電話で指図されつつだ。ひ弱な彼は、身に危険がせまっても、ひたすら逃げるだけで、イザというときは、正体が不明だというのに、彼女の素性をほとんど意に介せず、謎の女に助けてもらう。SEXも女に誘惑されなければ欲情しない。ラスト近くのSEXにいたっては、コルソはほぼマグロであり、騎乗位で犯されているかのように、苦痛と快楽の混濁した表情を浮かべるのだ。この映画にラブシーンもベッドシーンもない。あるのは、動物のように床や地べたでまぐわう姿のみ。そして、そこには愛のかけらもなく、策略と欲情が異臭を放つのみ。非情に気の利いた演出だ。人間の欲望は底がない。先に、「悪魔は出てこない」と書いたが、それは、ヤリをもってシッポがある悪魔は姿を現さない、と言ったまでだ。「悪魔」という漆黒の魅力をたたえる存在は、それを信じ崇め、悪魔の仲間に入れてもらえるなら何でもするという炎のような情熱に冒された、氷よりも冷たい心の持ち主たちによって、逆説的に、「確かに実在する」のかもしれない
7点(2002-11-20 21:22:46)(良:2票)
4.  メメント
この映画は、観客の「記憶力」を試す謎解き娯楽作(監督も、何度も見てもらえる作品にしたかったと)であると同時に、大変にシリアスなテーマも孕んでいる。「メメントmemento」の第一義は「形見、思い出の品」。そして、「記憶」。人は、何故、「記憶」にすがる?世界は、目を閉じた外側に本当に存在するのか、今、見ているものは、感じていることは、「リアル」か?そういう不安を感じないことは、人間ならないはずだ。まさに、「世界の感触、手触り」を求めて、私たちは忘れないように・・記憶を留めておこうと必死になる。この作品は、「記憶」とは何なのか、1つの寓話をモチーフに、観客に問いかけている。
8点(2002-11-12 19:39:28)
5.  クール・ドライ・プレイス
天職と思い打ち込んでいた仕事。かつて愛していた妻。美しく優しく、理知的な恋人。かけがえのない生き甲斐でありながら、同時に重荷でもあるように感じる幼い息子。それらの間に、主人公ラスは揺れ動く・・。実に、リアルな描写だ。監督は3児の父であり、子育ての苦労も喜びも知っているから描けた、という。産みの親より育ての親、を地でいっていて先が読めてしまうのだが、それでも目を離せないドラマだった。ただ、気になるのは、結局最後まで、なぜ妻が家出をしたのかが、ハッキリしないことである。ラスに責任のない、単なる妻の我侭だけが、幼子を苦しめた原因となると、妻ケイトにまったく共感の余地がない。子供はオモチャじゃないのだ。そのぶん、ベスの魅力がひきたっていたが。ベス役のジョーイ・ローレン・アダムスのいい女っぷりと、子役のボビー・モートに100点あまり日本で話題に上らなかった理由は、やはり、リアルすぎて、「物語」としての華に欠けるところだろうか。ジョン・N・スミス監督は、もともとドキュメンタリータッチな作風の人だからなぁ。
6点(2002-10-25 21:38:20)
6.  ファストフード・ファストウーマン
こういう映画、大好き!主人公ベラの天然ボケっぷりがたまらない(笑)そして、年老いたポールとエミリーのステキなラヴストーリー。ストリップ嬢ワンダの「人生ってどう?」に対する老人の答もナイスだ。久しぶりに、スカっと楽しい映画を見た。カンヌをとるだけのことはある。
9点(2002-05-24 23:00:51)
7.  ハーモニーベイの夜明け
確かに、邦題に問題ありですね。内容というより、雰囲気はむしろ、「カッコーの巣の上で」を彷彿とさせます・・・黙秘して、精神異常者のふりをするというあたりや・・・脱獄が。
5点(2002-03-27 20:20:27)
8.  ヤンヤン 夏の想い出
展開のもたつきなど、技術面ではやや気になるところはあるものの、とにかく「人生」を語る名セリフの宝箱です。じっくり、味わえる作品だと思います。
8点(2002-01-18 22:28:34)
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