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《ネタバレ》 一言でいうなら、野村萬斎による野村萬斎のための映画。今この役を演じられるのは野村だけでしょう。狂言で培った技能を存分に活かして、オイシイ役どころを手堅く演じました。一方、配役で気になったのは山口智充です。おそらく注文通りの演技プランで、彼に非はありません。しかし、同じ外連味溢れる芝居でも2人のバックボーンの違いか、山口の方には違和感が。もう一人か二人俳優以外の芸達者を入れて、全体のバランスを取っても良かったかもしれません。一昔、いや二昔前なら、型通りの殺陣で許された合戦シーンも、今やCGを使って血飛沫を飛ばすのが当たり前。現代時代劇は迫力やリアリティと引き換えに、チャンバラの様式美を失ったように思います。ある程度は仕方がない時代の流れ。本作のように娯楽時代劇の場合、リアリティは無用の長物ですが、無視する訳にもいきません。足りない娯楽性を補う意味が芸人山口のオーバーアクトにあったと考えます。石田軍2万に相対する成田軍はわずか五百。戦うという事は、すなわち死んでくれという意味です。配下の武将は兎も角も、百姓にとっては迷惑な話。それなのに彼らは自ら進んで槍を取りました。仕様が無い殿様だと笑って許してくれました。如何に長親が領民から慕われていたかが分かります。絶対の勝ち戦で水攻めなどという下策を用いる敵大将には望めないもの。人望は武器です。死んでくれる部下の気持ちに報いるには、自らも命を捨てなければなりません。そう、田楽の目的は撃たれる事でした。水攻めで落ちた味方の士気を弔い合戦の名目で奮起させ、堤防作りに携わった農民に反旗を翻すことを促すのが狙い。決死の舞です。“でくのぼう”なんてとんでもない。立派に大将の器でした。果たして、莫大な犠牲と引き換えに彼らが手に入れたのは、後の世にまで語り継がれる名誉。命に代えてまで得る価値があったかどうかは判断が難しい問題。しかし、当人たちが納得している以上誰も口を挟めないでしょう。それにしても成田長親のリーダー像には胸を打たれました。愛されるのは、努力を伴う立派な才能です。ももクロの百田夏菜子も同じタイプのリーダー。いい仕事は、仲間の、働き手の、心を動かすことから始まります。
【目隠シスト】さん [CS・衛星(邦画)] 8点(2013-09-09 18:28:02)(良:1票)
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