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《ネタバレ》 以下私なりの解釈です。こんな見方もあるのか程度でお読みいただければ幸いです。
『ハラハラさせるなのか』と『はらなのか+はらなのか』。2つの意味を持つタイトルと捉えました。前者は思春期少女の危うい日常を指し、後者は主人公だけに見えるもう一人の『私』を指します。透明な私の正体は、劇中劇の設定に沿うなら『生まれてこられなかった子』であり、主人公は元々双子で生まれるはずだったのかもしれません。ベッドで膝を折り眠る2人は子宮内の再現。透明なのか最期の言葉は「せっかく生まれてきたんだからさ」でした。本作は、生まれてきた主人公と生まれてこられなかった姉妹、2人による自分探し=アイデンティティ確立までの道のりを描いた物語と解します。 自我同一性取得に必要な作業。それは親の人格を取り込み咀嚼し、自分オリジナルに作り変えること。母親を知らない主人公は、どうしても母親に会う必要がありました。それが母の立った舞台に拘った理由。公演初日、父親が観覧に来ていないだけで過呼吸になるほど取り乱したのも、自我獲得に父親の立ち合いが必須だったから。ついに出会えた母親(マリカ)が、かつての子役(リナ)に変わる点も興味深いです。自我を求め旅する子もやがて親となり我が子を導く。私たちはみな共に助けあい、己が存在理由を確認しあいながら自己を確立してゆくのだと思います。 物語は夢中夢や劇中劇の体裁を有しており、空想と現実の区別が判然としません。透明なのかは勿論のこと、常時ピエロ風メイクの俳優、演出家とリナの年の差恋愛など、不可思議な事象だらけです。中でも気になるのは、母親の舞台記録映像のリナが少女ではなく大人であること。これは主人公が13年後のリナに出会った後、彼女の中で記憶の書き換えが行われた可能性を匂わせます。つまり本作の出来事は、一般的な時系列に沿った客観カメラ(神様視点)ではなく、全て主人公の内部記憶の編集映像だったのではないかと。自我同一性を描く作品ならば、このようなアプローチも納得です。 キャスティングについて。主人公なのかを演じたのは女優・原菜乃華さん。女優名のよみがな=役名のパターン。物語序盤の彼女は幼く拙い印象で、生徒会長役の吉田凜音さんの方が輝いて見えました。しかし物語が進むにつれ、なのかの表情がぐっと良くなり魅力が増したように思います。一本の映画の中で女優が成長する様を見られて得した気分です。 【目隠シスト】さん [インターネット(邦画)] 8点(2022-01-29 16:51:50)
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