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六本木ソルジャーさんの口コミ一覧[この方をお気に入り登録する

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コメント数 823
性別 男性

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241.  硫黄島からの手紙 《ネタバレ》 
「父親たちの星条旗」同様に極力エモーショナルに描くことは避け、「真実」を炙り出そうとしている。本作を観て、硫黄島で「何があったのか」を知って、観たそれぞれに何かを感じ取ってもらいたいという強い意図が感じられる。何かを押し付けるということはほとんどしていない。 「家族からの手紙又は家族への手紙」を有効に利用することや、大げさに演技させることによってエモーショナルに描くことは簡単である。本作の題材ならば、ストレートに観客を感動させることなど容易いだろう。だが、あえてそうしないのがイーストウッドの味であり、「わび」と「さび」ではないか。もちろん「戦争」をエンターテイメントに利用する気など微塵もない。栗林の知略をこと細やかに説明することも、壮絶な穴掘りの苦痛を描くこともしない。「戦争」を美化するつもりはないからだ。 イーストウッドの映画は昨今のハリウッド映画とは異なり、ただ映像を垂れ流すだけの「一方向」の映画ではない。映画を通しての「問いかけ」があり、観客は映画から何かを感じて考えるという「双方向」の映画なのだと思う。誰でも撮れる普通の映画ではなく、イーストウッドでしか撮れないから評価されるのだろう。 自分が一つ強く感じたのは、中将という司令官であっても、ただの一兵卒であっても、そして敵の兵士であっても、皆愛すべき家族がおり、愛される家族の一員でいたということだ。この点に関しては、身分も国籍も関係ない。それぞれの想いは、日常的な生活を綴った手紙や千人針に静かに託されているのが印象的だ。アメリカ側から本作を観た場合、「敵」であっても、バロン西のような人間的な痛みを知るものと戦っていたことを知らしめるだろう(伝説となっているバロン西投降勧告(真偽は不明)も当然描かない)。 また、「星条旗」同様に「戦争」には正義も悪も、英雄もいないということを強く描いている。「戦場」にあるのは醜さだけだ。 アメリカ側としては、日本人捕虜を抹殺する姿や、戦利品を強奪する姿や、「星条旗」では誤射によるアメリカ兵の死ですら描いていた。 日本側としても、アメリカ兵をリンチする姿、敵側に投降しようとする者を撃ち殺したり、戦場から後退しようとする者の首を刎ねようとしている姿が描かれている。 「万歳」といって自決する姿にも、玉砕しようとする姿(伊藤中尉)にも、「美しさ」はない。あるのは、「虚しさ」だけだ。
[映画館(字幕)] 8点(2006-12-11 21:20:21)(良:1票)
242.  007/カジノ・ロワイヤル(2006) 《ネタバレ》 
この映画で号泣するとは思わなかった。悲しすぎるボンドの原点をポールハギスが詳細丁寧に描き込んだ。終盤まで残るボンドの「甘さ」が消えて、誰も何も信じない冷酷で非情な諜報員になる過程が実に見事だ。 ラストの「あの裏切り女は死んだ」というクレイグのセリフはしっかりと聞き取れなかったが、「ビッチ」という言葉も聞こえてきた。愛した女性をこう呼ばざるを得なかった悲痛がクレイグの全身から伝わってくる。 ピアースを非難するつもりは全くないが、本作を描くためにはクレイグでなくてはならなかっただろう。ピアースは既に「完全体」のボンドゆえ、この「不完全体」のボンドを描くためには、新しくかつ内面の演技ができる俳優である必要があった。 クレイグのボンドは、本当に荒々しく、しかも甘さが目立つ。 Mの言うことは聞かず、大使館で監視カメラに映るという失態も犯す、毒を盛られたり、大事なゲームにも敗退する。「裏」を読み込めずに、感情に流されて、職を辞すると言い出す始末だ。 ポーカーに敗れた後に「マティーニはシェイクか、それともステアか」と聞かれ、「どっちでもいい」と怒鳴った挙句に、ナイフを手にするシーンは、人間的にも諜報部員的にも未熟さや余裕のなさが窺われる。 だが、これらの経験が、我々が知る「ボンド」を形作ったかと思うと、なかなか面白い。 ラストにおいてホワイトを殺さなかったのも秀逸だ。ホワイトを殺せば、ただの「私怨」を果たしたに過ぎない。まだヴェスパーに未練があることが分かる。 「組織」のために生け捕りにすることで女王陛下のための完全な諜報員が誕生したことがよく分かる。決め台詞のタイミングも完璧だった。 ヴェスパーの人間像もしっかりと描きこまれている。首飾りをキーアイテムにして内面を描いている。恋人を裏切ることも、本気で愛してしまったボンドも裏切ることもできない。そのような苦しみが随所に感じられる。シャワー室で震える姿の意味も後から考えればより深まるようになっている。 演出面においてもキレがあったと思う。肝心のポーカー対決も見応えはあり、拷問シーンもなかなかのものだった(クレイグのユーモアも垣間見れるよいシーン)。 冒頭の追いかけっこにおいても、視覚的に観客を楽しませるのと同時に、圧倒的身体能力の差にある者に対して、ボンドの機転や大胆さや度胸でその差を埋めていっているのがよく分かるシーンでもある。
[映画館(字幕)] 10点(2006-12-11 21:17:55)(良:5票)
243.  007/ダイ・アナザー・デイ 《ネタバレ》 
(過去のシリーズのネタバレも含みます)10作目の「私を愛したスパイ」がそうであったように、20作目の本作は過去の作品の大量オマージュで構成されている。過去の作品に新しいネタをふんだんに取り込み、シリーズが好きな人はより楽しめるように、知らない人でも十分楽しめるようになっている。 ボンドが溺れそうになっているジンクスを必死で救い出そうとするシーンはかなり良い。前作「ワールドイズノットイナフ」で愛した女性を殺してしまったことの罪滅ぼし的な意味があると思う。 初めて観る人にはイカルスという人工衛星に違和感を感じるかもしれないが、この荒唐無稽さがボンドシリーズの歴史でもある。 「ダイヤモンドは永遠に」という作品では、ダイヤモンドで作った衛星で世界各地を破壊し脅すというストーリーになっており、ダイヤモンドと人工衛星という組み合わせは本作にもっとも近いものだ。「ムーンレイカー」や「私を愛したスパイ」では全人類を滅亡させるストーリーなのだから本作はまだマシな方だ。 オマージュや過去のアイテムは各所に現れている。大量にありすぎて書ききれないので個人的に好きだったオマージュを取り上げると、まずはジンクスの登場シーンだ。1作目「ドクターノウ」のハニーライダー(アーシュラアンドレス)の有名なシーンを意識したものになっている。ちゃんと腰にナイフを携帯しているところもファン泣かせになっている。 本作のラスト付近で人間が飛行機からどんどん放り出されるが、これは3作目「ゴールドフィンガー」を意識したものだろう。 4作目「サンダーボール」で使ったアイテムも登場。空中を飛べる装置がQの部屋(過去の多数のアイテム)においてあるばかりか、口に挟めば数分間息ができるというアイテムを使って、ボンドはグスタフの氷の屋敷に潜入している。 「トゥモローネバーダイ」で明かされたボンドの習慣でもある「枕の下に銃を隠している」というネタも大いに活かされ、逆に利用されるのは面白い。 ラストの飛行機でのフロストとジンクスが意味も無く薄着なのも本シリーズならではの流れ(特に「ダイヤモンド」「黄金銃」「ワールド」)を汲んだものだ。 また、キューバで鳥類学者にボンドが扮したと思うが、これはなかなか深いネタだ。フレミングの家にたまたまあった鳥類図鑑の作者がジェームズボンドであり、この名前をフレミングが拝借したというのは有名な話だ。
[DVD(字幕)] 7点(2006-12-11 21:08:25)(良:2票)
244.  007/ワールド・イズ・ノット・イナフ 《ネタバレ》 
ドラマ性や人間性を重視しようとした意欲作。しかし、アクションとドラマのバランスを失し、ものの見事に中途半端な作品に仕上がった。 やや貫禄はついたがボンドも中途半端、Mの誘拐も中途半端、心の痛みを感じないエレクトラも頑張ったが中途半端、エレクトラを本気で愛していたレナード(肉体的な痛みを感じない)も中途半端、ドクタークリスマスはギャグだろう。彼女の魅力を最大限に引き立てる服装を考えての結果だと思うが、核物理学者にあんな服装をさせるというセンスを疑う。 本作の最大の見所というのは、ボンドがエレクトラを撃つということだろう。ボンドが女性(しかも愛した女性)を正面から銃で撃つのは始めてではないか。番外編の「ネバーセイネバーアゲイン」で危機一髪のところでファティマを特殊アイテムで撃ち殺したくらいしか記憶にない。「サンダーボール」のフィオナに対しては敵からの射撃の盾にしただけだし、「ゴールデンアイ」のオナトップに対しては、未必の故意によるものだが飛行機事故を利用したものだ。ボンド史に刻まれるであろうこの一大イベントがあのような結果に終わったのは残念でならない。あの場面ではエレクトラを殺しても、殺さなくても状況は変わらない(むしろ、殺さない方がレナードと交渉できたかもしれない)。このシチュエーションでただ撃ち殺すという行為の代償は、彼に「冷酷さ」「非情さ」のイメージを与えるものだ。製作者の意図はそこに尽きるのだろう。 しかし、これは単なる殺しであって、あまり効果的ではない。自分にはなぜこのシチュエーションでMを使わないのかという疑問しか沸かない。エレクトラがMを盾にして、「銃を置かないと殺す」と脅せば、彼女を殺す大義がうまれる。エレクトラを撃つことにやや躊躇するボンドにMが撃つように諭せば、Mの役割や彼女誘拐の意義も生じるだろう。自分の魅力を使ってなんとか寝返させようとする理想主義のボンドと、現実主義のM、戻れないところまで来てしまったが葛藤するエレクトラの三者の演技を光らせる絶好の機会だったが、製作陣はあまり深みを描くことを放棄したようだ。 二作目の「ロシアより愛をこめて」以来17本に登場し、作品にユーモアとファンタジーさを添えたQは本シリーズで不可欠な素晴らしい存在感を示していた。我々に二つの言葉(弱みをみせるなと逃げ道を残しておけ)を残して見事な去り方をされたと思う。
[DVD(字幕)] 4点(2006-12-01 23:38:07)
245.  007/トゥモロー・ネバー・ダイ 《ネタバレ》 
往年の作品に似た雰囲気になっており、素直に楽しむことができた。 マニーペニーとボンドの会話がつまらなくなった分、Mとマニーペニーの会話は面白くなったのは良かった。Mについては慎重派、理論派ということは描かれていたが、前作でスパイに懐疑的だったMがすっかりスパイを信用し切ってしまうのはいかがなものか。 カーアクションはなかなか工夫がされている。無人のクルマが右往左往するというのは面白いアイディアであるし、整備されたアイテムも多彩で効果的に使用されている。手錠に繋がれた二人によるオートバイアクションもより緊張感を増す展開となっている。 しかし、銃撃戦に関してははっきりいって面白くない。何百発、何千発とボンドに撃ち込まれようと、銃弾がかすることも、傷つくこともないのは、逆に緊張感をそぐものだ。なんらかの改善が必要だろう。 また、本作は、なかなか面白い視点が描かれている。ボンドと同等程度に戦うウェイリンの存在である。「私を愛したスパイ」でもロシアのアニヤもいたが、彼女は対等とはいえない存在であった。敵として戦う相手としては、「美しき獲物たち」のメイディなどはいたが、共同して戦うボンドガールは彼女が始めてではないか(消されたランセンスのパムは単なる協力者)。 面白いのは、同等に戦うだけでなく、スパイとしての質についてボンドとリンは互いに比較されていることがよく分かる。カーヴァーの新聞社に潜入した際は、ボンドは屋上から用心深く侵入したものの、不用意に侵入し、警報を鳴らしたのはリンである。 ラストのステルス艦においても、ボンドは監視カメラをかいくぐりながら、爆弾を設置していたが、リンは監視カメラに注意せずに爆弾を設置していたため、囚われてしまう。リンのミスのせいで、自分の立場が危うくなった際でさえ、相手の兵士を使って、自分の死を偽装するというスパイとしての腕の違いを思う存分見せつけている。しかし、そうはいっても常にボンドが優位であるばかりではない。手錠バイクの危機を脱して、二人で仲良くシャワーを浴びている際には、リンはボンドに一杯食わせている。スパイとしての腕ならばボンドは負けることはないが、女の魅力には負けるという洒落が利いたことをしているのはなかなか良い。 メディア王カーヴァーは悪くないが、彼の陰謀は言葉として理解できるが、過去の悪役と比べ、イマイチピンと来ない部分はある。
[DVD(字幕)] 6点(2006-11-30 23:49:00)(良:1票)
246.  007/ゴールデンアイ 《ネタバレ》 
ピアースボンドの印象はというと、正直いって何も無い。他のボンドにあったような長所もなければ短所もない、極めて優等生であるが面白みに欠けるボンドである。強いていえばスマートさや洗練さが彼の売りだろうか。 敵役はどんどん魅力的になり、ボンドガールも単なる添え物ではなく、今後はボンドと対等な存在まで主張するようになってきている状況下で、肝心の主役の影が薄くなっているのは少し問題ではないか。 しかし、本作の視点はなかなか面白いと思う。6年という空白の歳月を利用して、その時代の流れを取り入れようとしている。冷戦は既に終結し、世界はどんどん大きく変わりつつある。ハイテク化が進む時代において、スパイという存在は過去の遺物ではないか、この時代にスパイは果たして必要なのかを問おうとしている。 マニーペニーとの会話にはセクハラという時代の視点が感じられ、Mについても、ボンドのような勘に頼るスパイに任せるのではなく、数字(恐らく確率や可能性など)を重んじる人物で、かつ女性の台頭という視点を取り入れているのは面白い。 そういう点を踏まえると、アレックの位置付けはあまり好ましくない。 彼の組織名となっている「ヤヌス」とは二つの顔を持つ神である。つまり、ボンドとアレックはもっと表裏の関係として描いた方がよかったはずである。二人のスパイを通して、スパイ不要の時代に何のために自分を犠牲にして、何のために人を殺すのかというスパイの在り方や信念を問うた方がよかったはずだ。 しかし、コサック(イギリスの裏切りによってロシアで生き恥をさらした人々)の生き残りとか、結局は金のため(自分の理解不足かもしれないが、彼らの方法では証拠を残さず金を奪うことは困難ではないか)という「逃げ方」をしてしまうのは残念でならない。 ナターリアの位置づけも中途半端だ。彼女は本作のキーパーソンであることは間違いない。しかし、その重要性や動機があまり告げられぬまま、敵の捕虜になったり、ボンドに随行するので混乱する。今までのガールは、私怨であったり、裏切られたための報復であったり、任務としてボンドと行動を共にするわけである。しかし、どうも彼女の場合はそれが当てはまらないような気がする。 また、確かにボールペンのトリックは面白いが、時間の制約下において片手でキーボードを打つ奴がいるとは思えないという疑問が沸いてしまうので無理を感じる。
[DVD(字幕)] 5点(2006-11-30 00:17:21)
247.  007/消されたライセンス 《ネタバレ》 
本作は興行的に失敗した部類に入る作品であり、また、あまり目立たなかったダルトンの最後の作品ということもあり評価は高くない気がするが、ストーリーもアクションもかなり質の高い作品となっていると思う。 ボンド、サンチェス(これほど魅力的で出番の多い悪役はいない)、彼の部下たち、二人のボンドガール、M(父親のような存在)、Q(普段は仲が悪そうにみえるが親友のような存在)、マニーペニー(母親のような存在)のいずれも役割がしっかりとしており、見事に噛み合っている展開が見事だ。 私情で動くボンドにはかつてないほどの人間味が感じられる(シャーキーを殺された際には自らの危険を顧みず、復讐に打って出ている)。後ろ盾を無くしてしまったが、その分ボンドの状況把握の上手さ、機転の利かせ方が非常に上手く描かれている。 また、今回の件によってボンドは諜報部員として多くのことを学んだのではないか。単独で動きたいと主張しながらも、何度となくパムやQに助けられ、何度となく彼らに助けを求めている。逆にいえば、いままでも一人でミッションを成功させてきたわけではなく、様々な人々の協力があったために成功できたということを言い表しているのではないか。 また、彼の暴走のために、香港麻薬局の計画やCIAによるヘラー寝返り計画を台無しにしたことを知り、かなり落胆した様子も窺えた。諜報員である彼にとってこれが意味することは大きく、自分の行動の重みを理解するよい機会だったのではないかと思われる。 ラストにおいても、サンチェスに対してフェリックス(第一作のドクターノウ以来の友人)のライターを使っているのもよい。どのボンドアイテムよりもこれには敵わないだろう。ボンドのボロボロとなった姿も、この復讐劇の壮絶さを物語っている。ムーアのボンドだったら、こんな姿は見られない。 また、通常であればボンドガールと意味のないラブシーンで締めくくられることが多い本シリーズにおいて、ガールの選択が与えられるのも面白い趣向だった。美人で魅力的なルペを振り、自分のために何度も身を挺して助けてくれたパムのためにプールに飛び込む姿は、いままでの中でもかなりかっこいいボンドの姿だといわざるを得ない。 コメディ的な要素は少ないが、ジョー教授にその役割を与えたり、サンチェスのアジトに爆弾を仕掛ける際に、彫刻の胸を掴んだりといったさりげない工夫はされている。
[DVD(字幕)] 8点(2006-11-28 22:45:10)(良:1票)
248.  007/リビング・デイライツ 《ネタバレ》 
ダルトンボンドは派手さやユニークさには欠けるが、渋さとカッコよさと冷静さと重厚さを兼ね備えた男だ。無理を承知で自分に協力してくれたソンダースを殺された際の怒りに満ちた表情がなんとも言えず人間味にあふれている。ダルトンはアクションだけでなく演技もできる人だったと思う。 彼のボンド像としては、ボンドカーをフルに利用し、ボンドアイテムもさりげなく利用するところはコネリー路線を踏襲するものか。レーゼンビーのリアリティ路線を加えて、ムーアのコメディ路線から脱却しようとしているのが窺われる。ダルトンは真面目すぎるとよく言われるが、パラシュートで降りた場所が美女のヨットだったため「1時間で戻る…いや2時間だ」というところには、やはりボンドの根本スタイルに変化はないことも観客に伝えている。 ストーリーに関しては、チェロを巡る金の流れからだんだんとコスタフ将軍の亡命事件の裏がみえてくるのは面白い展開であり、雰囲気もよいのだが、もっと面白くなっただろうと思われるところがある。 特に、ボンドとコスコフとカーラの三角関係はストーリーをもっと面白くできたはずだ。まだカーラがコスタフを信じている段階(ボンドにクスリを飲ませている)で突然コスタフがカーラまでをも始末しようとするのは違和感(ボンドに彼女を殺させて切り捨てるつもりだったが)があり、カーラとコスタフは愛人関係にあるという設定があまり活かされていない。ボンドとの国境越えを巡る逃走劇や遊園地デートでボンドの魅力を知り、また、コスタフの真の正体を知ったことで、ボンドとコスタフとの天秤で揺れるカーラの姿をもっと描くべきだっただろう。コスタフがカーラを裏切るのではなく、カーラがコスタフを裏切った方がよほどストーリーとしては面白い展開になっただろう。嫉妬までをも絡めるとなお良くなるはずだ。コスタフもウィテカーも存在感は薄い。 また、次作の「消されたライセンス」で私情に走るボンドからライセンスが取り消されたが、本作のボンドは、「コスタフ将軍を狙う狙撃手を暗殺する」「プーシキン将軍を暗殺する」という二つの指令をいずれも独断で背いているのは「消されたランセンス」以上に問題ではないのか。ソンダースにMに報告すると言われた際に「クビになるのは願ったりだ」と発言していることからも、やや国に対する忠誠心が感じられないのが、ダルトンボンドの欠点なのかもしれない。
[DVD(字幕)] 5点(2006-11-28 00:09:59)
249.  007/美しき獲物たち 《ネタバレ》 
ロジャームーア最後の作品ということで、どれほど末期的な状態かと思っていたら、意外と観れる作品に仕上がっている。 アクションに関しては、ムーアには端から期待しないという姿勢が現れていて、思い切りの良い作品になっている。あまりにスタントに頼りすぎていて、「オマエ誰やねん!」という場面も垣間見られ、映画としてはギリギリな仕上がりとなっているが。 冒頭のスキーアクション(何度目だ)から始まり、パリ市内でのカーアクション、競馬の障害レース(なかなか新鮮味あり)、火事からの脱出、消防車を使った警察との派手なカーアクション(死ぬのは奴らだのペッパー警官を思い出させる)、金門橋上での決闘というように、アクションに関しては見所が非常に多い作品だ。 ストーリーは「ゴールドフィンガー」をベースにしているだろう。ゾリンの計画に反対する悪党を派手な方法で殺すのも「ゴールドフィンガー」をなぞったものだ。 二人のボンドガールに関しては、なかなか新しい趣向ではないかと感じた。メイディは有能な殺し屋兼ガールというのはあまりいない(サンダーボールのフィオナくらいか)。また、ゾリンに裏切られたために、ボンドに味方するというのはジョーズの流れを汲んだものだろう(ジョーズにもこういう派手な散り方を期待したが)。 ステイシーは叫んでいるだけという批判をよく浴びるが、こういう空気に近いガールもなかなか珍しい。知識だけはあるが、世間ズレしたお嬢様という感じがよく出ていた。 ウォーケン扮するゾリンは精神的に問題ある試験管ベイビーという役柄であり、そのキレっぷりには期待をしたが、大した出番もなく、おいしいところは全部メイディに持ってかれてしまい、やや中途半端になってしまったのは残念だ。目玉は、証拠隠滅を図るための作業員大虐殺だけというのはもったいない。 個人的には、運転手役を演じたチベットとの掛け合いも面白かった。「私を愛したスパイ」でもストロンバーグの研究所をロシアのスパイのアニヤと訪ねたとき、秘書役という設定を利用して、その設定でムーアは遊ぶことがあった。こういう遊び心あるユーモアと余裕がロジャームーアボンドの魅力だった気がする。彼のボンドには賛否両論あったかもしれないけど、本当に長い間頑張ってくれたという想いが強い。ラストではロシアだけでなく、彼(とマニーペニー)に勲章をあげたいと思った人は多いのではないか。
[DVD(字幕)] 4点(2006-11-27 01:13:13)
250.  007/オクトパシー 《ネタバレ》 
前作「ユアアイズオンリー」が意外と良い出来だっただけに、今回もジョングレンに期待したが、なぜここまで落差がある作品を作ってしまうのだろうか。 前作で本格的アクションを製作したので、今度はコメディと色気で攻めようと考えたのか。それとも、前作があまりにコメディと色気が足りなかったので批判を浴びたのかどうか分からないが、あまりにもコメディと色気に寄りすぎている。あるいは、同年に製作された「ネバーセイネバーアゲイン」との差別化を図ったのかもしれない。理由はよく分からないが、アクションというよりもほぼ全編コントに近い(飛行機上の空上バトルは除く)。 いくらビジェイを演じた人が世界的なテニスプレーヤーだとしても、ラケットで戦うというのはあり得ない話だ。「ムーンレイカー」でも剣道が登場したが、あれには緊張感があった。こっちはふざけているようにしか見えない。 ロジャームーアもアクションを行うのには既に限界は過ぎている。本当の世界ならば、十回以上死んでいてもおかしくないような状態が延々と続く。勝手に銃弾やナイフの方がボンドを避けてくれるという状況下で緊迫感が生じるわけがない。 あともう少しで核爆弾が爆発するという事態で、わざわざピエロに変装するというのも痛々しくみえる。ショーンコネリーならば、こんな下品な方法で難を逃れただろうか。 また、あれほどボンドの女好きを批判していたQも女性に囲まれるとただのスケベ親父になってしまうのもいただけない。あのような場合でも、頑なまでの「堅さ」を維持して、シチュエーションのギャップやボンドとの違いで笑いを取るのが普通だろう。 しかし、ストーリーは結構しっかりしている。009が手にしていた卵の謎を追うと、宝石密輸団にたどり着き、そのまた奥には暴走したKGB(オルロフ将軍)による核爆弾による偽装事故という陰謀(宝石と引き換えにカマルに依頼)が隠されている。核事故と軍縮の時勢を利用して敵の防御ラインを一気に下げるという地味でリアリティが若干あるストーリーとなっている。しかし、全く作風とストーリーが噛み合っていないのが残念だ。 さらに、本作は旧作のオマージュが散りばめられているのも特徴だ。ワニの被り物は、「ゴールドフィンガー」のカモのアイディアだろうし、ユニオンジャックの気球も「女王陛下」のパラシュートのアイディアを拝借したものだろう。
[DVD(字幕)] 3点(2006-11-25 23:02:58)
251.  007/ユア・アイズ・オンリー 《ネタバレ》 
80年代に入りジョングレン監督時代の幕開けとなった。 冒頭のトレーシーの墓参り(女王陛下の007)とブロフェルドの最期を描いたということは、過去の遺物を捨て去り新しいシリーズに向けた決意と、本作を本格アクションの「女王陛下」ラインにすることを意味していると感じた。 「ムーンレイカー」で極めたともいえる荒唐無稽なファンタジー路線を捨てて、特殊アイテムが登場しない正統派アクション・サスペンスを目指したようにみえる。 ロジャームーアが真剣に走り、一人の悪役に正面きってワルサーを向けるというのはなかなか珍しいような気がする。 前作では乱発されたラブシーンもすっかりと影を潜め、上映1時間経過後にようやくコロンボの愛人リスルと一夜を共にして、ラストでメリナと一緒にいるときもあえてベッドシーンを描かず、二人で海に潜るという幻想的なシーンで締めくくっている。確かに、父母を殺され、復讐に燃える一人の女性が、復讐を果たす前に男と寝るようなことになれば、ストーリーとしてはリアリティを欠く。 スケート選手のビビに迫られたときに拒むのもボンドらしくないところだ。これも新しいボンドを創り上げようとしたことの表れだろう。 また、いつもの公式に沿っていないのが「メリナの復讐劇」ではないだろうか。普通はボンドのボンドによるボンドのための映画なのに、一人の女性の復讐劇をストーリーの中心に仕立てている点は珍しい。メリナの復讐劇とATACを巡る攻防をメインにして、コロンボやクリスタトスの確執をサブにするという面白い構成をしている。さらにその背後にはソ連のゴゴール将軍がいる(私を愛したスパイでは共に戦った仲)という仕組みだ。 ストーリーやアクション(小さな車、スキー、ボブスレー、ロッククライミング)に見応えはあったが、本作には大きな問題を抱えている。それは、本作には「笑いやコメディのセンス」が大きく欠如している点だ。三人のアイスホッケー選手をゴールに叩き込んだり、自動車が木に引っかかったり、サッチャー首相をもじったラストのやり取りなど、笑うに笑えないものばかりで、普段のシリーズよりもかなり劣るレベルである。 本格的なアクションを目指しているのに関わらず、質の低いギャグはマイナス材料にしかならない。5点か6点か悩む作品だが、シーナイーストンの伸びやかで美しい歌声と、ヒロインの個性的な美しさを加味して6点とした。
[映画館(字幕)] 6点(2006-11-25 01:13:57)
252.  トゥモロー・ワールド 《ネタバレ》 
10点をつけざるを得ない超絶神映画。 常人のセンスを遥かに越えた監督と撮影監督の手腕と想像力には脱帽せざるを得ない。 普通の映画とはまさに一線を画すモンスター映画だ。 本作を有楽町「日劇1」という1000人程度のキャパの映画館で観れたことは、自分にとって誠に貴重な体験となった。 映画の中の世界を、まさに「体験」したと言っても言い過ぎではないだろう。 終盤の8分長回しが話題になっているが、凄いのはその8分だけではなく、冒頭からずば抜けている。この映画のカメラの動きを考えながら観ていたら、武者震いが止らなくなった。あまりに凄すぎて圧倒されっぱなしで、観ている自分は終始半笑い状態だった。 まばたき一つするのが惜しいほどだ。少しでも油断したら「やべぇ、今どうやって撮ったんだ」と後悔してしまう。 監督に負けず劣らずクライブオーエンもよい演技をしている。 子どもが産まれなくなった世界で、アイロニカルながらもとても情熱的な男を演じきった。 ジュリアンが死んで木陰で泣き崩れる姿、ジャスパーが死んでミリアムに「触るな」と怒鳴る姿、怒鳴った後にキーに「大丈夫だ」という姿、ラストの船の上で「ゲップさせてやれ」とアドバイスを送って(自分の過去の経験が活きているのだろう)、「本当に良かった」とつぶやいて息を引き取る姿、どれも素晴らしいものだ。 そして何よりも本作の世界がクライブオーエンが知り得た情報のみで成り立っているのも面白いところだ。 情報不足・説明不足という批判を承知で、あえてそういうモノ作りを試みている。 「子どもが産まれなくなった理由」や「ヒューマンプロジェクトとはどういう組織か」などはあえて描かなくてもよい。むしろ本作ではこれらについても十分過ぎるほど情報が与えられていると思う。 ストーリーがないという批判を受けるかもしれないが、ストーリーも十分すぎるほど描かれていると思う。これ以上描いたら「蛇足」になってしまうかもしれない。 ストーリーにおいても、映像においても、メッセージ(子どもを観て皆戦いを止め、道を開けるシーンは映画史に刻まれてもよい)においても文句の付け所のない完璧な映画と思う。 映画の見方・作り方、映画に真摯に向き合う姿、映画の面白さを教えてくれた本作には感謝したい。
[映画館(字幕)] 10点(2006-11-20 23:54:47)(良:3票)
253.  プラダを着た悪魔 《ネタバレ》 
素晴らしい傑作だ。女性はもちろん、男性にも観て欲しいと思った作品だ。ファッションに興味のない人には苦しい部分はあるが、本題は「仕事に対する姿勢」なのでその辺りは無視しても影響はない。 ミランダは一見「悪魔」のように見えるかもしれない。無理難題を課し、わがまま放題にもみえるが、自分はミランダをとても尊敬できる人と感じた。自分の仕事に対してプライドと自信を持ち、妥協を許さず全身全霊をこめて取り組む。水色のダサいセーターにしても「おばあちゃんのお古でしょ」と揶揄するのではなく、そのバックグラウンドを彼女は理解している。深い知識を得るための努力や勉強の賜物ではないか。 「娘の発表会のために飛べない飛行機を飛ばせ」「未発売のハリーポッターを手に入れろ」という難題をアンディに課したようにみえるが、果たして本当に無茶な話だろうか?これが撮影のために必要な服を翌日までに空輸しなければならないというシチュエーションだったら「無理でした」では済まされない。ハリーポッターの件はこの業界で必要な人脈を築けたのかということをテストしたに過ぎない。 アンディも彼女の仕事に対する姿勢をある意味で尊敬していたと思う。 一番の違いは、仕事にために家族や親しい友人を犠牲にできるかという点だろう。ミランダも人間である以上愛する人を失えば傷つく。だけど、何度失っても仕事と家族の二者択一を迫られれば仕事を選ぶ人間だろう。アンディも仕事を選んだために一度愛する人を失った。しかし、親しい友人の成功を犠牲にしたり、愛する人と過ごす時間を失ってまでも仕事を選ぶような人間になりたくないという想いを強くしたのではないか。家族と仕事の二者択一を迫られれば家族を選びたいというアンディの道とミランダの歩む道が分岐したときの彼女たちの姿はとても美しかった。 ファッション通の人には特に楽しめる内容になっている。ヴァレンティノガラバーニ御大の姿も見られるし、カールラガーフェルド(現シャネルデザイナー)の電話を取れなかったためアシスタントが首になったり、トムフォード(元グッチ・YSLデザイナー)のコレクションに対してミランダが唯一微笑んだというエピソードや、ドナテッラヴェルサーチの席次を悩むエピソードは面白い。マークジェイコブス(現LVデザイナー)のバッグをミランダが気に入らないといってアンディの友達に渡すところは皮肉も感じられる。
[映画館(字幕)] 9点(2006-11-20 21:01:10)(良:2票)
254.  ソウ3 《ネタバレ》 
本作の鑑賞の前に是非ⅠとⅡの予習をしてから観て欲しい。自分は予習をしたので、とても楽しく充実して本作を鑑賞することができた。 Ⅱで感じた自分の疑問点などに対してきちんと回答が用意されているのが嬉しい。Ⅱの成功を受けて、Ⅲの製作が決まったということから、Ⅲを前提にしてⅡは創られていないのである。穴というか矛盾が多かったⅡを逆に利用するところが製作者の頭がキレルところだ。演出力も前作よりも格段とパワーアップしている。 本作のゲームの構造は、①ジェフが息子の死に責任がある者を赦せるかというゲーム、②リンがジグソウをゲーム終了まで生かせるかというゲーム、③ジグソウとアマンダのジグソウとしての資格を問うゲーム、④ジグソウとジョン(ジグソウ)のゲームという4つのゲームで成り立っている。 ③のゲームはⅡの疑問点を受けている。生き残るための道は残されるべきというゲームのルールを守れるのかをアマンダに説いた。ジグソウのゲームと単なる快楽殺人とは全く違うということを明確に示している。本作の冒頭の二件のゲームも前作同様に答えも逃げ道も用意されていないのが特徴になっている。 特に、④のゲームが興味深い。ジグソウは「ゲームを通して人を変えることができるのか」、「ゲームによって人の生き方を改めることができるのか」というゲームを自分に課したのである。自分が行ってきた数々のゲームは「生」の喜びを享受しない人々に対して果たして意味があったのか、ということを自分に問うたのである。アマンダは確かに生まれ変わったようにもみえたが、本当に彼女の生き方を変えることができたのか、逆に間違った方向に導いてしまったのではないかということをジグソウは自問したのではなかったか。 この問いに対する答えは明確なものだった。「人は変わらない」ということだ。一時の感情に支配され、愚かしいまでに過ちを繰り返すことが「人間の本質」ということをしっかりと描かれている。本作を鑑賞し終わった後は、我々はジグソウに向かって心の中でつぶやくだろう。「ゲームオーバー」と。 彼もこの答えは知っていたに違いない。「保険のために用意していた」というテープが流れるが、テープを用意するということは、このゲームに自分が勝てないと知っていたからではないか。 このシリーズはこれでもう完結させた方がこのシリーズのためにも良いような気がしたが、どうだろうか。
[映画館(字幕)] 8点(2006-11-20 20:43:20)(良:4票)
255.  ネバーセイ・ネバーアゲイン 《ネタバレ》 
本作の公開時にはコネリーはすでに53歳。もう孫がいてもおかしくない歳ではないだろうか。あんな政治家風のおじさんが、女性にモテモテだったり、屈強の男性と激しいバトルを繰り広げるのをみると、ちょっと痛々しいというか、やはり無理を感じさせる。 医療施設で到底敵わないような男と戦わせたのは、歳を取っていても、昔と変わっていない、いや昔以上にパワーアップしているということを描きたかったかもしれないがやはり無理がありすぎた。 映画の質としては「サンダーボール作戦」よりは良かったと思う。「サンダーボール」のときには脚本に相当無理があると感じたが、比較的分かりやすくあまり無理がない仕上がりとなっている(ドミノに与えた宝石にアジトの地図が記してあったり、ラストにドミノがあんなところに居るわけないなどの無理は当然あるが、これくらいはギリギリ許容範囲だろう)。 特に、ドミノを寝返らせるためのタンゴはひとつの見所になっており、このシーンのおかげで(時代の影響もあったのか)くだらないゲームにもやや意味を生じている。しかし、いい歳をしてあの二人のおっさんはいったい何をしてるのかね。 配役も「サンダーボール」よりも魅力的だ。ファティマ(フィオナ)は、蛇を用いたりと妖しい殺人鬼として描かれており強い存在感を感じる。サンダーボールのルチアナパルッツィも同様に大量殺人鬼であるが、存在感をあまり感じなかった。バイクでのカーチェイスは評価できるし、ボンドとファティマの直接対決も見所十分となっている。 ラルゴも、表向きは慈善事業家という雰囲気は出ているし、嫉妬心が強い内面も十分感じられる演技をしている。オリジナルのラルゴよりも全然よい。 舞台としても、海底(沈没船とサメ)、城跡や遺跡といった面白い工夫もされており、万年筆爆弾や時計のレーザーなどの特殊兵器に関しても、控えめかつ効果的に用いられているのも好印象だ。 以上のように、製作陣のなかなか熱心な姿勢が窺われ、それなりに楽しめる作品にはなっていると思う。 ラストのコネリーの捨て台詞の「ネバーアゲイン」にも歴史的な重みが感じられて良い締め括りとなっている。
[DVD(字幕)] 6点(2006-11-20 00:34:06)
256.  ナチョ・リブレ/覆面の神様 《ネタバレ》 
監督・脚本はナポレオンダイナマイト(邦題バス男)のジャレッドヘス、もう一人の脚本はスクールオブロックのマイクホワイト、そして主演はジャックブラックである。この三人が組んだら、どんなに面白い映画が生まれるかと期待してみたところ、正直いってまったく面白くない映画ができてしまった。 それぞれの個性のよさがぶつかりあって、彼らのよさが中和されてしまっている。危険な「毒」を三種類混ぜたら、無味無臭で無害の液体になったようなものだ。 構造は、「ナポレオンダイナマイト」と変わらない。二人のさえない男と一人の女性が中心となり、細切れのエピソードを繋いでいき、ラストは主人公があっと驚くようなことを成し遂げるという展開は同じだ。にもかかわらず、これほど面白さに違いを生じてしまった理由は何かというと、本作で核となる三人がまったくそれぞれの良さを引き立てていないからだ(子ども達、修道士、レスラーも含め)。ヒロインは可愛いがただの飾りにすぎず、ヤセは「パートナー」というよりもただの人形的な役割しか果たしていない。ヒロインはナチョを奮起させたり、見守っている存在ではなく、ヤセは友情を感じさせる存在でもない。それならば、ナチョの人物像をしっかり描いているかというとそうでもない。子ども達のために戦っているのか、それとも自分が強くなりたいから戦うのか、はっきりとした意志や哲学があるわけではない。ただ、「なんとなく」のエピソードが羅列されるばかりである(ナポレオンも構造は同じだが有機的な結合はみせていた)。それが笑えればなんとかコメディとしては合格となったが、まったく笑えないのでタチが悪すぎる。ワシの卵でどうやって笑えといういうのか。 ラストのバトルとしても全く工夫がなさ過ぎる。普通に戦っていったいどうするんだと言いたい。奇想天外な方法で相手を撹乱させたり、修道士なのだからラッキー的な方法(神の思し召し)で不利な展開が一転して有利になるようもっていくべきだろう。例えば、バトル中にスイカを登場させていたと思うが、(デブの女を絡めて)ヤセがスイカの種を投げたらラムセスの眼に突き当たったり(そうすればバイク強盗のエピソードも少しは活きる)といったネタが必要だろう。これではスイカを出した意味もまったくない。二人の小男との試合に切れがあったことと、ラムセスとの戦いの前の歌を評価して、この点数としたい。
[映画館(字幕)] 2点(2006-11-17 00:14:47)(良:1票)
257.  ナポレオン・ダイナマイト 《ネタバレ》 
観た後は誰でもハッピーになれる映画ではないだろうか。こういう映画はセンスが違うとまったく理解ができないからあまり期待はしなかったけど、見事にハマれて良かった。 低予算であっても、キャラクターやセリフ、構成、アイディアで勝負した、かなり切れ味がある新しいタイプの映画と感じた。序盤はエピソードのぶつ切りではっきりしたストーリーはないけど、各エピソードはそれなりに他のエピソードにも繋がるし、映画としても意外とちゃんとした構成となっている。 なんと言っても、ナポレオンとペドロの「友情」がよい味を醸し出しているのが本作の魅力のひとつだ。彼らの友情は普通の映画で描かれる「熱い」友情ではなく、表面的には「こいつら本当に友達か?」っていう感じの繋がりしか感じられないのが逆によい。しかし、二人は心の底から信頼しきっている感じが随所に現れている。ペドロが休んだときに電話を掛けるのもナポレオン流に心配している証であり、ナポレオンのダンスパートナーが消えたときにデビーと踊れと言ってくれるペドロはナポレオンを気遣っていることが窺われる(おそらくナポレオンが潜在的にデビーが好きだと気付いているのだろう)。 自分には取り柄がないと嘆くナポレオンに対して「画が上手い」と誉めるペドロの姿もさりげない会話だが彼らの関係をよく表している。 また、「最後は「夢は叶う」で締めろ」とナポレオンに言われればペドロはそのように従うし、ペドロのピンチの時には恥もかなぐり捨てて、捨て身のダンスを披露する。 逆に、デビーに嫌われたとペドロに相談したときには、「贈り物をしろ」という短いペドロのアドバイスに従い、デビーに唯一の所持品の魚をプレゼントする(DVDの未公開編に釣りのシーンがあったがその流れか)。おかげでナポレオンとデビーは再び仲直りできたようだ。このように、感情的ではないけれども、二人の友情は堅く結ばれているのが分かる仕組みとなっているのは面白い。 デビーとナポレオンの最後の遊戯シーンも素晴らしかった。もし、この二人のキスシーンで終わるとすればやや興ざめするだろう。ナポレオンの第一歩としては、二人だけで戯れるくらいがちょうどよい。最後には、ナポレオン一人でボールを叩き始めるのも、なんとなくナポレオンらしさや照れみたいなものも感じられる。 ところで、ナポレオンってオタクというより邪気眼系だよね。
[DVD(字幕)] 7点(2006-11-13 23:48:10)(良:2票)
258.  ポロック 2人だけのアトリエ 《ネタバレ》 
今や1枚164億円という世界最高額で取引されるほどになったジャクソンポロックの作品を一度だけ実物を観たことがあったが、あまりの迫力と情熱に度肝を抜かれた記憶がある。自分が画から印象を受けたのと同様に、本作ではポロックの情熱的で壮絶な人生を描き切られている。 自分の作品に「青が強い」といったケチを付けられ、酔った勢いで自分の作品を変えようとするものの、その動きをフリーズする姿がとても印象的だ。それだけ自分の作品に魂を込め、完璧さを求め、自分の作品に自信をもっていたのだろう。 また、彼の弱さも実に印象的だ。画が売れずに母や兄の嫁に馬鹿にされるのを我慢できず食卓をメチャクチャにしてしまう姿や、大成功を収めたものの映画監督にいいように弄ばれ、自分の思い通りにならない憤りから、自分は「エセ」ではないと食卓をひっくりしてしまう姿には自己顕示欲の強さも窺える。雑誌などの記事に一喜一憂する姿もその表れだろう。自分の欲を満たせず、結局は酒に逃げ込んでしまうのも、彼の弱さでしかなかった。 そんな弱いポロックを支え続けたリー・クラズナーの人生もとても印象的だった。彼女が支えなければ、ポロックは恐らくニューヨークで酒に溺れて行き倒れていただろう。大成功を収めた後、ポロックとリーの二人の見つめ合う姿には、なんとも表現しようのない「重み」が感じられ、二人で手にした「成功」を噛み締めて、お互いを称え合っているように感じられる。 リーには、妻という生き方、母という生き方、画家という生き方という三択の生き方を選ぶことができたはずだけれども、画家ポロックを背後から支え続ける妻という生き方を選んだ。それだけ、ポロックの才能を信じきっていたのだろう。しかし、共倒れを避けるために、自分という生き方を殺して、ポロックの影になるという生き方を選ばざるを得なかったのも悲劇的だった。恐らくポロック以上に子どもを欲しかったのはリーだったのかもしれない。 ポロックの死後は、ポロックから開放されて、画家という生き方を選び、再びリー・クラズナーという人生を正面から歩み始めることができたのではないか。 ポロックの事故死には、飲酒の事故というだけでなく、酒に溺れて画を描くことができなくなってしまったことに対して自己を破滅させたい衝動に駆られたようにも感じられた。
[DVD(字幕)] 7点(2006-11-05 00:28:46)
259.  007/カジノ・ロワイヤル(1967) 《ネタバレ》 
なんといっても音楽のセンスが素晴らしすぎる作品。鑑賞前は、ストーリーなどないメチャクチャな支離滅裂なパロディかと思ったら、期待を裏切り、意外と想像以上にはしっかり創られているという印象を持った。作風は違うが、大物俳優が多数出演している「マーズアタック」のようなものか。 個人的に一番よかったのは、オーソンウェルズにしつこく意味不明な手品をやらせるセンス。 ちょっと気になったのは、アレンの目的が全世界を美女と140センチメートル(DVDの字幕による)の男(4フィート6インチと言っていた気がする)にするというものであった。140センチでは、アレンはともかく、ラルクのハイドさんでも生き残るのは難しいのではないか。 ボンドが7人というフレコミだったけど、そんなにいたかなと思い、ちょっと数えてみた。 ①引退した本家ボンド(女嫌いでショーンコネリーボンドをボロクソに貶す。M(マクタリー)家での力自慢対決やミミ(デボラカー)とのやり取り、牛乳屋との追いかけっこが見所。) ②クーパー(補助員。女が求め、女を求めない男としてマニーペニーのキスにのテストに合格。空手と柔道の達人で、女性に対して容赦しない。非常に目立たない人。) ③ヴェスパーリンド(事業家。500万ポンドの税金を分割払いにすることで本家ボンドに協力。イヴリンをスカウトする役だが、脈絡もなく裏切る。) ④イヴリン(ピーターセラーズ)(バカラの名手のためヴェスパーにリクルートされる。ヴェスパーとのベッドでの変装シーンやルシッフル(ウェルズ)とのバカラ戦いが見所。ヴェスパーに殺される。意味もなく税関員を殴る。) ⑤マタボンド(ボンドとマタハリの娘でダンサー、寺院で父ボンドにリクルートされる。東ドイツでの国際家政婦協会(内部のセンスよすぎる。こんな内部は観たことない)潜入が見所。途中でなぜか髪型が異なる。) ⑥ダリア(クーパーにスカウトされる。アレンに裸で拘束されるも、アレンに爆弾を飲ませる) ⑦ジミーボンド(アレン)(ボンドの甥で劣等感の塊。正体はドクターノアなのに、なぜかボンド。UFOを所有している。叔父のボンドとのやり取りやダリアに爆弾を盛られる際のやり取りが見所。小男が美女を手に入れられる世界を夢見るも失敗。一人で地獄行き) の以上7名かな。
[DVD(字幕)] 4点(2006-11-03 00:42:29)
260.  父親たちの星条旗 《ネタバレ》 
この映画に「答え」はないのかもしれないが、「真実を知ること」の重要性を問いかけている作品だと思う。 ドクはイギーの死の真実をイギーの母親に伝え、アイラはハーロンの父親に星条旗の写真に映っているのがハーロンであるという事実を告げる。 そして、ドクの息子ジェームズは硫黄島で起こったことの真実、父がアメリカで行ったことの真実を知るのである。 この真実をどのように受けとめるかは、この映画を観た我々にイーストウッドから託されたことだ。 「反戦」でも「アメリカの欺瞞」でも良い。この真実から何かを受けとって欲しいというメッセージはしっかりと感じられた。 演出や脚本においても以下のような見事な工夫がされている。 【三つの舞台】①硫黄島の戦い、②英雄に祭り上げられ、戦争国債の宣伝に駆り出される日々と真実に目をつむり、偽りの勝利に歓喜する国民の姿、③現代(父ジョンの生き様を探る息子)という三つの舞台が目まぐるしく描かれていく。 しかも、それぞれの時間軸がずれているから、初見ではなかなか分かりづらいかもしれないが、それぞれ舞台から小出しにされた情報が見事に底辺を形作り、それが山となって、頂上(真実)を炙り出しているのが見事である。 【三人の英雄】二本目の星条旗を掲げた六人のうちドク、ギャグノン、アイラの三人の帰国時の対応は見事に異なる。 ギャクノンは英雄の名声を利用し、将来に対するコネクションと地位を恋人とともに築こうとする。 アイラは英雄と扱われることに激しい拒否反応を示す(上官に飲んだくれと罵られ、戦場に戻されるのはまさに欺瞞であり、戻される前に母親に会いたいと頼んでも、「英雄」であるはずの彼の頼みは受け入られない)。 一方、ドクは「英雄」と扱われることに対して、態度を明らかにせず、口を閉ざしたままだ。彼の寡黙さは見事にイーストウッドの問いかけになっている。 彼はギャグノンとは対照的に、恋人を近くに置くことはしない。戦争国債を宣伝することは必要悪と捉え、任務はきちんとこなすが、自分を決して「英雄」とは思っておらず、利用することも当然考えていない。その苦痛は彼を戦争後も寡黙にさせている。 三人の母親(マイク、ハンク、フランクリン)に会ったときの三者の異なる態様も実に見事な問いかけだ。
[映画館(字幕)] 7点(2006-10-31 00:32:55)
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