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ユーカラさんの口コミ一覧[この方をお気に入り登録する

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281.  わたしを離さないで 《ネタバレ》 
寄宿学校以外の世界を知らず、また精神の存在自体を問われる設定の主人公として、児童期から青年期を繋ぐキャスティングは重要なポイントとなるが、その点とくにキャシーを演じるイソベル・メイクル=スモール(少女期)とキャリー・マリガンの相似とキャスティング・リレーはほぼ完璧といって良いのではないか。  両者共に、意思的でありながら柔らかな佇まいにおいても通じ合い、一見淡白な身振りの中に秘めた思いを滲ませている。  二人の女優が、それぞれベッド上で想いを押し留めるように胸に手を当てながらプレゼントのカセットテープを聴くシーンの切ない情感がいい。  劇中、ヒロインを唯一照らし出す陽光は黄昏の残照のみ。 鉄線に絡みついたビニル片が風に揺れる、夕暮れの丘。 廃船が一隻打ち上げられている鈍色がかった海岸線。  共に、世界に抗うことの出来ない小さな存在を象徴するアイテムとして原作にもあるが、その忠実な視覚化という意味でロケーションの貢献も大きい。 
[映画館(字幕)] 7点(2011-06-19 20:40:23)
282.  ツーリスト
燃えカスとなった紙片のコンピュータ解析や、列車~本部間での顔写真照合を駆使するハイテクチームに対し、メトロの人波を計算して悠然かつ優雅に尾行グループをまいていくヒロインの貫禄が痛快で楽しい。 常に男の上手を行く対話劇も面白い。  一方の『間違えられた(?)男』ジョニー・デップは、ヒッチコック作品のケイリー・グラント的な鈍臭いアクションや非技巧的な演技設計に逆に技巧が透けてしまうのが難点か。  観光名所でのロケーションに、列車内での男女の出会い(『バルカン超特急』他)に、絞殺(『ロープ』)、屋根上のチェイス(『泥棒成金』、『めまい』)、パーティ(『汚名』)そして窓を通した監視(『裏窓』)と楽しい要素は数多く、またふんだんな空撮も豪勢感があって良い。 
[映画館(字幕)] 6点(2011-06-07 23:14:33)
283.  アジャストメント
追手と妨害をかわして、ドアの合間からエミリー・ブラントのダンスを「見て」しまうマット・デイモン。 マット・デイモンの語る真相に混乱を来しながらも、ただ彼と「見合う」ことで彼を信頼するエミリー・ブラント。 親密な眼差しこそが男女の運命を決していく。  古典的な切り返しによって結び付けられる二人の視線。そのシンプルな二元論的編集が二人の運命的な愛の成就を予告する。  「人を見ること」=「人を愛すること」という古典的スタイルの直截なあり方がいい。 同じく、ブラフとしての台詞(理屈)をことごとく裏切っていく画面の、シンプルな活劇性がいい。  ソフト帽をかぶり、ドアからドアへとマット・デイモンは無我夢中でひた走る。 (選挙対策のような)知略も作戦も捨て、ただひたすら疾走することによって愛を獲得する。その無謀の運動性こそ映画らしい。  夜の路地で競争する二人の楽しそうな笑顔も良かった。 
[映画館(字幕)] 7点(2011-06-03 23:17:44)
284.  トゥルー・グリット
秋口の景観が印象的なヘンリー・ハサウェイ版(69)とは大きくトーンを異にし、こちらは原作に忠実な冬枯れのロケーション。 粉雪が風に舞う山岳地帯の寒々しさがいい。 黒の濃い「夜用の夜」によるナイトシーンも増え、映画のルックは現実的で渋く冷たい。  シネスコ画面を活かした(『許されざる者』的)長大な地平線のライン、スコープ内の像と空砲の音響の時間差、そうした劇空間の広大さや距離感の演出も徹底している。  その中で、ジェフ・ブリッジスが傷ついたヘイリー・スタインフェルドを搬送する夜の画面が美しく味わい深い。  夕景から夜景へと移り変わる地平線を馬が駆けていく夢幻的なイメージの連鎖と、娘が星空を背景にした「父親」を仰ぎ見るショットの古典的画像処理は一際輝いている。  一方で、より「叙事詩」的となり人間ドラマに傾注した感のあるコーエン版は、ハサウェイ版でジョン・ウェインが酒瓶を指に引っ掛けてグイ飲みする粋な仕草や、馬上でライフルを回転させる手捌き、キム・ダービーが急坂を転げ落ちる動作といった(内面性を伴わない)西部劇的アクションの大らかな魅力を必然的に欠いてしまってもいる。 
[映画館(字幕)] 7点(2011-05-21 17:42:49)
285.  ブラック・スワン
明らかにそれと判るデジタルエフェクトほど無粋なものはない。 観客が気付かないぐらいが効果的なのであって、過度に充血した眼やら、鳥肌やら、自傷やら、大仰な効果音付で繰り返されればさすがに興も冷める。  二次加工も半端に使われてしまうと、実写画面への信頼性すら揺らぎかねない。 『タイタニック』でレオナルド・ディカプリオらが踊ったアイリッシュダンスのように、モーフィングによってダンサーの下半身と俳優の上半身を繋ぐ事などもはや造作もないのだから。  ダンスシーンの、演者に肉薄していくような手持ちキャメラワークを始め、役者の身体性と演技に拘るのなら尚のこと、過剰な特殊効果は控え、出来る限り役者の生身だけで勝負してくれなければ価値を減じてしまう。  つきつめていけば、「演技賞」とはどこまでを言うのかという事にもなる。  地下鉄の車窓、ドレッシングルームや稽古場の大鏡の錯覚的な重層性と迷宮感。CGの援用はこれらに限定するだけで十分かと思う。 
[映画館(字幕)] 6点(2011-05-15 20:49:56)
286.  エンジェル ウォーズ 《ネタバレ》 
妄想なのだから、架空のカメラワークでも、物理法則無視でも、誇張アクションでも良いのだが、その肝心のアクションにいわゆる「ツメ」「タメ」といったアニメーション的ケレンもハッタリのセンスも衝迫力も感じない。 手垢塗れのスロー・クイックモードを濫用して奇を衒おうとするのだが、動作の中で施すべき箇所を取り違えているように見える部分が多々ある。だから、殺陣アクションがメリハリも快感も伴わない。 というより、そもそもシチュエーションに危機感もなければ痛覚の演出もないから、どうでも良くなってくる。 当然ながら、ヒロインがコックの喉元にナイフ一本を突きつける厨房シーンのほうがまだアクションとしてのスリルがある。 意匠とイメージ先行で、デジタルエフェクトの陥穽に嵌っているというべきだろう。  図面を必要とする程の複雑構造の病棟なら、その建築物の空間的ディティールをアクションや芝居場に活かすべきだろうに。 火炎も脱走経路も印象が極めて薄い。 
[映画館(吹替)] 4点(2011-05-07 16:34:52)
287.  戦場にかける橋
映画の冒頭、カメラが捉えるのは線路脇に建てられた小さな十字架群。 日本映画『ビルマの竪琴』が日本人犠牲者のみを弔うように、英米映画『戦場にかける橋』が悼むのは、当然ながら欧米人犠牲者のみである。 元来がこの泰緬鉄道自体英国の計画なのだから、日本も英国も同じ穴のムジナでしかないのだが。 この悪名高い突貫工事に従事させられ最も犠牲となったのは、日本軍・連合軍捕虜以上にタイ・ミャンマー・マレーシア・インドネシアの膨大な労働者達だが、「自惚れ鏡」たるフィクション映画にそれを描く義務など当然ないし、それを描写しないから駄目な映画であるとも限らない。 が、観る側が戦争の具体的イメージを欠落させている限りフィクション映画は一面で有効な「汚点隠し」あるいは「責任回避」としても機能してしまうのも確かだろう。 日本国側にとっては「理性的」戦争犯罪行為を、英国側にとっては元来の「理性的」植民地政策を。映画は案の定、口当たりの良い「madness」へと一般化し、その免罪符と共にラストの俯瞰の視点へと逃げ込む。 この映画が小状況としての日英の友好を描こうとしたとしても、両軍が橋の建造を「協働」する具体的な画面はほぼ絶無といって良い。あるのは協力しあったという意味・記号だけだ。それは映画ではない。 ウィリアム・ホールデンらに随行するのが現地の娘たちであることには故がある。 現地男性の不在。その見えない部分にこそ、この映画の題材の本質的問題性がある。 だからこそ、「不可視」の戦争論は、映画論とは区別しなければならない。  強いてこの映画で「戦争の虚しさ」なるものを突きつけるシーンを挙げるなら、爆破工作員らがあっけなく射殺されるのを、彼らに好意を抱いていた現地女性たちが目撃する2つのカットである。  
[DVD(字幕)] 5点(2011-04-30 19:23:57)
288.  RED/レッド(2010)
質素な居住空間の中、6時起床、7時朝食、12時昼食の定時行動を示すショットを反復した上で、翌日早朝の異変を旋回のショットと時計のショットとで仄めかす。 ここで示されるブルース・ウィリスの鋭敏な時間感覚の設定は、カール・アーバンとの電話の逆探知シーンやCIA本部の脱出シーンでの伏線ともなる。  フライパンで炒られ暴発寸前の銃弾や、蜂の巣となる家屋から悠然と歩み出てくる主人公の図が、波乱の幕開けの演出として効果的だ。  ハイテク対ローテク、理論対経験則、理性対直感といった頭脳戦の要素は薄く、CIA本部の包囲網脱出のアイデアなどを始め、『レオン』や『ミッション・インポッシブル』の二番煎じで意外性がなく物足りないが、強引な力技も悪くはない。  特に3人のREDがそれぞれ見得を切る射撃シーンの貫禄がいい。 旋回する車を降り立ち、躊躇無くカール・アーバンの車に弾丸を撃ち込んでいくブルース・ウィリス。 炎上する貨物を背景に仁王立ちで暗殺者と対峙するジョン・マルコビッチ。 そして、白いドレスを纏い瞬きひとつせずにマシンガンを撃ち込むヘレン・ミレン。 銃撃の反動にも姿勢を崩すことない、その立ち姿が凛々しい。  廃車にカモフラージュした隠れ家といったアイデアなども奇抜で楽しい。  
[映画館(字幕)] 6点(2011-04-30 16:01:42)
289.  塔の上のラプンツェル 《ネタバレ》 
ラプンツェルが危機一髪で崖からジャンプする瞬間と、刑場に引かれていくユージーンのショット。映画の中で二箇所限定で用いられたスローモーションの沸き立つような高揚感。 あるいは的確なクロースアップ、POV、移動ショット、ジャンプカットと、洗練された映画的ショットと編集の宝庫ともいえる。落下運動の向地性と無限上昇運動としての浮遊を対比的に活かしたアクションの緩急と、光の見事さ。 ティアラの輝きと透明感の表現力は、ディズニーの伝統を着実に受け継いでいる。 画面の充実は、エンドクレジットに記されたレイアウトやライティング担当スタッフの豊かさにも明らかだ。  語りを含めた完成度の高さを十分認めた上であえて欲をいうなら、離れ離れとなった二人が塔の上で再会するクライマックスにかけてはそれに相応しいもう一段の困難と試練が欲しい。  落下と振り子運動をダイナミックに駆使した、中盤までの縦横無尽のアクションシーンがあまりに素晴らしいだけに、二人が互いを求め合うクライマックスでは塔の高低と構造を活かしたよりドラマティックなアクションが間違いなく出来たはず。 『カリオストロの城』の時計塔や、『長靴をはいた猫』の魔王城のような。 
[映画館(吹替)] 8点(2011-04-26 22:32:02)
290.  ザ・ファイター
マーク・ウォルバーグがみせる、ブランク時とリングシーンの体格調整アプローチは『レイジング・ブル』のデ・ニーロを意識したか。  クリスチャン・ベールの演技も、擬斗シーンの打撃の効果音も過剰気味で今ひとつ面白くないが、母親(メリッサ・レオ)が父親(ジャック・マクギー)に投げつけるフライパンや、左拳を折る警棒のほうは痛々しくていい。  役者に対して主舞台となるホームタウンの印象も薄いが、それぞれ二階建ての家の造りなどは独特で面白い。この映画では玄関先がドラマの場だ。  マーク・ウォルバーグが再起を決意し歩き出す朝の玄関先、クリスチャン・ベールがエイミー・アダムスらを背に歩み去る玄関先の道。その無言のシーンが、饒舌な映画の中では活きている。  ミット打ちのリズミカルなコンビネーション、パンチングバッグの連打音、そして玄関先での呼び鈴の応酬なども、挿入曲と併せて音楽的でいいけれど。
[映画館(字幕)] 6点(2011-04-23 23:57:45)
291.  ヒア アフター
兄を失った少年が里子に出されるシーン。屋外から遠く雷鳴が聞こえてくる。続く逆光の窓には雨が降り始める気配がする。里親に預けられる事となった少年が外に出ると、雨上がりの濡れた路上に陽光が反射している。  何気ない地味なシーンが、降雨と雨上がりの光の丁寧な描写によって何故か忘れ難い。  他には、階上の部屋から窓外の暗い街路を見下ろすマット・デイモンのショット。彼の乗った旅客機がロンドンに向けて離陸していく夕景のショット。階段に座り込むブライス・ダラス・ハワードのショット等など。  物語上の軽重にも画面の濃淡にもかかわり無く、幾多のショットが深い叙情を湛えて脳裏から離れない。  それは主として対象への光の当て方に表れる作り手の思い入れの強度からだろうか。  マット・デイモンやマクラレン兄弟がベッドに横臥するモチーフ的なシーンで、彼らの頬を照らすベッドサイドのシェードランプの薄灯り。少年の頬を伝う涙を小さく美しく輝かせる癒しの光などは繊細の極みだ。 
[映画館(字幕)] 9点(2011-04-10 22:21:43)
292.  台北の朝、僕は恋をする 《ネタバレ》 
夜の車道を縦移動で捉えるドライヴ感や、鮮やかな色彩感覚、椅子に拉致された男女のシチュエーションなどは、師の『カップルズ』へのオマージュといったところか。  ネオンを反射する濡れた街路の艶。夜市の賑わいや、地下鉄駅構内での追っかけのゲリラ撮影的な臨場感覚がいい。  カイ(ジャック・ヤオ)のトラブルに巻き込まれながら、次第に彼をリードしていくスージー(アンバー・クォ)。互いに淡い恋情を意識し始めながら、それを決して表出させないナイーヴな男女像を演じる二者が共に瑞々しい。  追われる側から、スクーターを駆って追う側へと転じるショット繋ぎの鮮やかさ。男を後部座席に乗せて運転する彼女がみせる凛々しい表情は本作の忘れ難いショットの一つだ。 彼を見送った後、一人朝方の部屋に戻り、逆光の窓辺でコップの水を飲む彼女の寂しげなシルエット。その引き気味の1ショットの情感もどことなくエドワード・ヤンの趣を淡く漂わす。  そしてエピローグの横移動がいい。自分を呼ぶ声に、流れる書架の合間から覗くアンバー・クォの固い横顔に次第に微笑が差していく。爽やかな再会のエンディングも『カップルズ』的だ。 
[映画館(字幕)] 8点(2011-04-02 22:24:08)
293.  ウォール・ストリート
バイクを運転しながら、ヘアカットしながら、トレーディング・フロアを速歩しながら。携帯電話を駆使しての、せわしない「ながら対話」の生み出すリズム感と運動感。  点描されるマンハッタン遠望は、株価チャートになぞらえた右肩下がりの凹凸運動に転化され、父娘と恋人の和解は階段の段差の中にバランスが見出されていく。  冒頭でビル街を一気に上昇していく圧巻のカメラは、ドラマの市況状況に連動して上昇と急落を繰り返し、ラストで新たなバブルの緩やかな浮上を仄めかす。  デスクに置かれたコンピュータのディスプレイ群、キャラクターの人間性を示唆する衣装デザインも、業界の虚栄を華麗に視覚化している。  監督本人、チャーリー・シーン、イーライ・ウォラックのふとした出演シーンの愛嬌が映画を大いに和ませてくれて楽しい。(携帯電話の着信音楽が憎い。) 
[映画館(字幕)] 7点(2011-03-06 21:14:16)
294.  牧童と貴婦人 《ネタバレ》 
夜の霧が漂う船室のシーンは、トーランドの真骨頂。ソフトな画調に、マール・オベロンの瞳の潤いが美しい。船長室での結婚式のショットも、丸い船窓をバックにしたゲイリー・クーパーとのキスシーンも絵になっている。 一方で、尻餅をついたりプールに投げ込まれたりと、少々ぎこちないながらも可愛い仕草でコメディエンヌぶりも発揮していて魅力的だ。 ゲイリー・クーパーも朴訥で実直な役柄を好演。長身の風貌とキャラクターがよく合致している。 彼とウォルター・ブレナンらが建築中の家屋で繰り広げるパントマイムがとても楽しい。  そして結部で展開する緩急のリズムがまた素晴らしい。人物が賑やかにドアを行き来する中、いつしかマール・オベロンも交じって駆け回っている。 呆気にとられながらもドア向こうに駆けていくクーパー。母親がドアを開けると、隣室の台所では二人が熱烈にキスし合っているという畳み込み的ハッピーエンディング。  タイトでシンプルな締め方が実に粋だ。 
[ビデオ(字幕)] 8点(2011-02-17 21:21:17)
295.  ザ・タウン
まず賞賛すべきは路地カーチェイス、ガンアクションの見事さ。 適度にカットを割りながらも、右左折は丁寧に編集で繋がれ、空撮やロングの適切な挿入にもよって、経路と位置状況が明瞭に提示出来ている。稀有といって良い。 銃撃戦において、壁面への弾着と人物を出来る限り同一ショット内に捉える迫真性の演出も徹底されている。 いずれも、舞台となる「街」をアクションの中に描きこもうとする意思からくる。  アクションシーンに限らず、菜園・墓地・尖塔・スケートリンク・銀行前の路地・コインランドリーと、生活感のあるロケーションがドラマパートにも効果的に活かされている。その中で、水辺を歩くレベッカ・ホールの後姿のショットが幻想性を帯び印象深い。  あるいはオープンカフェのシーン等のサスペンス演出。席を外したR・ホールが戻ってくる際の、三者の表情を捉えるさりげないショット繋ぎの妙が緊迫感を煽る。  ベン・アフレックと、ピート・ポスルスウェイトの至近距離の銃撃戦。その突発性もいい。  
[映画館(字幕)] 7点(2011-02-13 22:14:03)
296.  幻の女(1944)
ロバート・シオドマクなら断然『らせん階段』か『殺人者』だが、これも相当いい。 原作は、『裏窓』、『黒衣の花嫁』のコーネル・ウールリッチ。  ボスの無実を晴らすため、彼を慕う秘書(エラ・レインズ)が夜の街を奔走する。 彼女が意を決し、酒場に張り込むあたりからの緊迫感がただならない。 閉店後の店主を尾行するシーンでの、光と影のコントラストは実に見事。 雨上がりで濡れた街路の硬質な艶が映える。 書割りの夜景と駅ホームのセットの絶妙な融合によって、画面には夢幻的なムードも漂う。 その駅ホームには、尾行してきた秘書と店主二人きり。ゆっくりと彼女の背後にまわる店主。 二人の間に流れる静かなサスペンスが素晴らしい。 通過する列車を、二人を照らす光の流れのみで表現する、そのドイツ的明暗法の鮮烈な印象。 裁判シーンもまた、速記録と傍聴席側の人物のリアクションのみを映し出し、証人や弁護士や裁判員の一切を大胆に省略してみせる。  列車が映らなくとも、裁判所セットが無くとも、低予算という消極的イメージをまるで感じさせない。最小限のセットと光と影のみを逆に強みとして豊かなイメージを創出してしまう手際は鮮やかの一語。  スポットライトに浮かび上がる犯人の白い両手の禍々しさ。彼の部屋に置かれた手や顔のオブジェの奇怪さ。登場人物たちの神経症的な様。ジャズ演奏の生々しさと、ノワール的モチーフも豊かだ。   『深夜の告白』とはまた一味違う、ラストのディクタフォン(口述録音機)の活用法も粋でいい。 
[DVD(字幕)] 8点(2011-02-08 22:34:20)
297.  ヨーク軍曹
七面鳥撃ちを応用した銃撃シーンであるとか、信仰と戦闘行為を折り合わせる動機付けであるとか、映画に反映される時代の偏見やプロパガンダ性の問題は評価の上で常に悩ましい。 そのあたりの葛藤を軽やかに乗り越えてしまっているように思わせるのは主演ゲイリー・クーパーの純朴な佇まいと、監督ホークスの作家的融通無碍によるものか。  徴用されたクーパーが出征のため、高地の家を後にする。低地への一本道を下っていく彼を見送る、マーガレット・ウィチャリー、ジョーン・レスリーら。彼らの後ろ姿と大樹を捉えたロングショットがとても素晴らしい。  雷雨の中、クーパーが落雷によって信仰に目覚め、ウォルター・ブレナンの牧師や家族らが賛美歌を歌っている教会に迎え入れられる場面も脇役陣が皆いい表情をしている。  広角アングルで捉えられた後半の戦闘シーンも丘陵戦闘の高低感がうまく活かされており、スケール・物量共に大作の趣がある。 
[DVD(字幕)] 7点(2011-02-06 17:45:52)
298.  ソーシャル・ネットワーク
頻出するガラス張りの空間は、主人公と他者を隔てる見えない壁の直喩か。 対話シーンにみられる背景のぼやけた深度の浅いフォーカスと、バストショット中心の画面が表すのは、周囲の人間への視野を欠いた主人公の自分本位性か。  J・アイゼンバーグとルーニー・マーラによるセンテンスごとの切返し。その単調かつ短絡的な応酬は、おそらくネットの双方向性と断絶感の表現を意図しているのだろう。 ラストの同一構図は、画面を介した無言の切返しとして巻頭のそれと対になるのだが、問題はほぼ全編において人物同士の対話シーンのアングル・カット繋ぎがことごとくこの1パターンに収まること。  台詞に従属する形で話者同士がひたすら単調に「テレビ的」に切返され続けるのでカットの切れ目も、次にくるだろうショットもおおよそ容易に予測できる。 同じ対話劇でも、同一構図を繰り返さず多彩に変化をつけていくオリヴェイラなどと比べてしまうのは酷だろうか。  主題の類似が指摘される『市民ケーン』の先鋭性とは真逆で、ドラマも撮影スタイルも慣例的すぎる。 
[映画館(字幕)] 5点(2011-02-05 23:33:17)
299.  ドリラー・キラー 《ネタバレ》 
盗み撮りを交えたゲリラ撮影的なマンハッタンロケと画像の粗さが、街の猥雑で荒んだ様相を生々しく伝える。 滑稽感すら漂わせる調子はずれのロックグループやホームレス達が醸しだす気だるい停滞感が、カウンターカルチャーの行き詰まりを如実に物語る。 しかし一見ラフにカメラを廻しているようでいて、蒼暗い街路とスポット的な赤(口紅、シーツ、衣類、血)の意識的配置は終始明確だ。  逆光の中に浮かび上がる主人公のシルエットと電動ドリルの芯の鈍い光の見事さ。 主人公の眼窩に落ちる黒い影の凄み。眼の見えない相貌は、生気や理性を感じさせない。 ガラス越しのイルミネーションを背景にしたドリル殺人の鮮烈なイメージ。 夜の街中、路上のホームレスたちに主人公が無差別的に襲い掛かるアクションの俊敏さ。 そして圧巻といえるクライマックスの緊迫感。  主人公が待ち伏せるベッドの側のルームランプを女性が消灯した途端、画商殺害シーンと同様の「赤」が画面を覆う。 赤一色の画面と女性のモノローグ、そして沈黙というほぼ最小限の要素が、最大限のサスペンスを発揮する。 低予算を逆手にとる積極的な消去法が実現した息詰まるラストが鮮やかだ。 
[DVD(字幕)] 8点(2011-02-03 20:12:48)
300.  キック・アス 《ネタバレ》 
ネット配信される悲惨なリンチの画像に見入りつつ、もたれかかる女性を抱きとめ喜色満面となってしまう主人公の親友たち。その悲喜劇の組み合わせの不謹慎さ。 そして、満を持したマズルフラッシュが一閃し、周囲が闇に落ちる。 喜劇的な伏線が、復讐劇の重い感動に転化する瞬間のカタルシス。  犯人やトラップをあらかじめ観客に明かすことによってサスペンスを煽るヒッチコックの映画術のように、明瞭に配置された伏線が、救出劇のエモーションを高める。  暗闇の中に鋭く弾ける銃撃炎の激しい照り返しは、姿なき娘の怒りの表象となり、 彼女が装着した暗視スコープの主観画面は、機敏かつ冷徹な銃捌きを見せる手のアクションを以って怒りの強度を伝えるとともに、観客に同化を促さずに置かない。  映画は、クライマックスの銃撃戦・格闘戦のさなか、夜が明けていく窓外の光の推移も丹念に捉え続け、ラストで闇からようやく抜け出た少女を逆光の朝陽で包ませる。  そのビル屋上のツーショットが大変爽やかだ。    
[映画館(字幕)] 8点(2011-01-19 22:59:17)
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