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バーグマンの瞳さんの口コミ一覧[この方をお気に入り登録する

プロフィール
コメント数 65
性別
自己紹介 不定期連載「どうでもいいランキング」

ミュージカル映画部門別ベスト5(ちょこちょこ変動してます)

曲の良い作品5傑
1 アニー
2 若草の頃
3 メリーポピンズ
4 オズの魔法使
5 オペラ座の怪人

ストーリーが面白い作品5傑
1 ヘアスプレー
2 アニー
3 レ・ミゼラブル
4 ウェストサイド物語
5 シカゴ

ミュージカルシーンへの入り方がナイスな作品5傑
1 ヘアスプレー
2 雨に唄えば
3 若草の頃
4 メリーポピンズ
5 シカゴ

衣装・演出・ダンス時の振り付け・その他総合的なミザンセヌ
1 ヘアスプレー
2 メリーポピンズ
3 雨に唄えば
4 チキチキバンバン
5 イースター・パレード

人物描写5傑
1 若草の頃
2 メリーポピンズ
3 シカゴ
4 ヘアスプレー
5 ブルースブラザーズ

神声1傑
バーブラ・ストライザンド

ミュージカル界に来て欲しい人
エフゲーニャ・オブラスツォーワ



その他 超独断&偏見

ルックスを「加点法」で評価すると最強な女優1傑
イングリッド・バーグマン

「減点法」で評価すると無双する女優1傑
エリザベス・テイラー

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21.  ブロードウェイ・メロディー 《ネタバレ》 
「雨に唄えば」のパロディ元ということで、観たことはなくとも名前は聞いたことあるよという人も多いはずのこの作品。「未来を失ったヒロインが土壇場でヤケグソ気味に『こっからもう一回復活したるわ~い!』と言って終わる」というラストはある意味「風と共に去りぬ」の前半のラストと同じはずなのだが、これはとても感動できない。なぜか? ヒロインが最初から一貫してず~っと「いい人」過ぎるのだ。こんなにいい人がこんなに悲惨なラストを迎えては、観ている側としてはただもう「うっわ~、これはシャレならんわ…こんな可哀想な終わり方ありかよ…」とドン引きしてしまうのみ。でも恐慌直後のこの時代にはこんなラストが共感を呼んだってことなんでしょうね。アカデミー賞取ってるし。でも私はこんなの観るのは辛くてもう二度と観ないと思います…。それでも姉妹の日常生活のやり取りなどは微笑ましくてちょっと良かったので6点。
[DVD(字幕)] 6点(2014-10-21 18:49:53)
22.  若草物語(1994)
引っ張るべきところをバッサリ切り、バッサリ切るべきところを引っ張るという困った脚本。よりストーリーを端折ってるはずの46年版の方が話が分かりやすいという皮肉。色使い&照明も好きになれず。この映画の色使い、照明、部屋の装飾、小道具、外の風景…などは、リアルかもしれないが、華やかさに欠ける。下手すりゃ刑事モノの映画っぽい。これに比べて46年版は、なるほど、いかにも作り事の世界ですよって感じでリアルさは無かったかもしれないが、とにかく華やかで目に楽しい。人によっては可愛らしく見えるらしいキルスティン・ダンストも私にはモンスター。ローリー役も、どこか「さえない二枚目」という感じの今作よりも、「カッコイイ三枚目」という感じの46年版の方が、同性の私から見れば好感を持ちやすい(女性から見ればまた違うかも)。ヒロインのウィノナ・ライダーは美しいが、46年版のジューン・アリスンのような愛嬌がない。そもそも美しさにしたって46年版のエリザベス・テーラーには流石に敵わない。同性からも好感を持ちにくい教授の顔も問題あり。総合的に46年版の方が絶対にいいと思えました。 《付け足し》失礼、46年ではなく49年でした。
[地上波(字幕)] 5点(2014-10-19 23:12:50)(良:1票)
23.  アバター(2009)
この作品と、今までのキャメロン作品との決定的な違いは「看板シーンの有無」ですよね。今までのキャメロン作品には「○○というタイトルを聞いただけで条件反射的にこのシーンを思い出さずにはいられない」というシーンが必ずあったものですが、この作品にはそれがない。まあ、「全てのシーンが平等に素晴らしい」」という見方も出来なくはないが、「没個性的な作品だ」という意地悪な見方も出来なくはない。こんなこと言うと「別にいいじゃないか。とにもかくにもその映画を観ている間は夢中になれる作りになってるんだから」と言う意見もあるかも知れませんが、そのような「個々のシーンがどうのこうのというよりは、見ている間の一体感そのものがウリの作品」というのは、将来的にはわりと簡単に埋没してしまう危険性があるんじゃないかと。だってみなさん、ちょっと考えてみて下さい。例えばスピルバーグの「E・T」のような「異性人との交流というモチーフなんて他にも同タイプの作品がいくらでもあるよ」という作品を、我々が何故未だに時々観たくなるかというと、「だって、あの自転車のシーンを観れるのはE・Tだけだから」という所に行き着くと思いませんか?だから物凄く乱暴なことを言えば、「一流作品と二流作品との究極的な違いは、同タイプの映画が頻発しても需要が消えないか否かだ」と言えなくもないです。てことは、この作品は「超一流の二流作品」とも言えなくもないです。「見ている間の一体感そのものがウリの映画」というのは、今後将来的に同タイプの映画が増えていった場合に、需要的危機に陥る可能性があるわけですから。同じキャメロン製作&3D作品の「シルク・ドゥ・ソレイユ」の場合は「まずシーンのかっこ良さありき」で作られてるので(ということは後に出たこちらの方が余程従来のキャメロンっぽい)、何度観ても惚れ惚れしますが、この作品は私にはそこまでの作品とは思えませんでした。
[地上波(吹替)] 5点(2014-10-05 13:50:12)
24.  雨に唄えば
しかし本当によく「動く」映画だ。ミュージカル界のとなりのトトロだな。…いや、待てよ、「となりのトトロの方がミュージカル的なんだ」というべきなのか…。ま、ともかく「走る、跳ねる、回る、叫ぶ、笑う、バンザイする…などといった、一定以上の複雑な思考を必要としない、人類が太古の昔からやってきた本能的な感情表現を、「サイレントからトーキーへの移行期」という設定をなんともまあ巧~いこと使って、違和感なく流れの中に盛り込んだという天才的作品です。もう「唄うついでに動く」のではなく「動くついでに唄う」の領域ですもんね。「♪ローゼス、モーゼス…」なんて、思考などという上等なものはほとんど働いてなくって、掛け声を叫んでるみたいな感じですからね。そもそもここのシーンでのミュージカルに入っていく動機というのも、まず発声練習させられてるジーン・ケリーが退屈でいかにもかったるそうな様子であるのを見せておいてから「さあ、観ている方もぼちぼちイライラしてきたよね?動きたくなってきたよね?ハイ、じゃ、ここでちょっとふざけて茶々を入れて、ほ~ら、一息つこうよ、先生」という風な、実に子供じみた理由ですから。また、オコナーがアクロバチックなダンスを披露するシーンでも「なに?自分に自信が無くなった?そんなときはとにかく動いて無理やりにでも笑うんだ!」というやはり子供じみたパッパラパー本能で入っていきますから。「ここで動きたい」というときにミュージカルに入ってます。結構これが分かってないミュージカル映画が多くって、「ここで唄わせたい」という理性的な理由でミュージカルシーンに入っていこうとした結果、「…さて、それじゃ、ただ唄わせるだけなのも芸がないからちょっくら動かしてみるべ」という本末転倒な行為に及んでいるノーセンスな作品のなんと多いことか。「お前ら、本当にそこでそんな動きをしたいと思って動いてるのか?」とつっこみを入れたくなる作品のなんと多いことか。人間、動く必要のないところで動くことほど不思議で気色悪いことはないのである。その点、この作品は本当に「そもそもなんで踊るのか、唄うのか」というのをよく分かってるし、わざわざミュージカルでやる意義のある作品だと思います。「唄うついでに動く」というタイプの作品の大半は、比較的容易に小説化が可能ですが、この作品の面白さを小説で表現するのはさぞや骨が折れるでしょうね。
[地上波(字幕)] 8点(2014-10-03 11:04:21)(良:1票)
25.  マイ・フェア・レディ
人間が喜ぶ時って、思考よりもまず体の動きが優先しますよね。例えばテストの合格発表を見た瞬間などは、喜びのあまり「ヤッター!」と飛び跳ねる人はいても、喜びのあまり歌を歌いだすという人などいません。仮に声は出すにしてもそれは「フォ~!」とかいった類の雄たけびのようなもののはず。てことは感情表現には歌うことよりも実は踊ることの方が大事。だから私は踊らずにただ歌うだけという行為には強烈な違和感を感じるんです。という前置きをしつつ……。  ヘップバーンファンの方には殴られるかも知れませんが、この映画のヒロインは、舞台通りにジュリーアンドリュースがやってた方が良かった気がします。元々それで大評判だった訳ですし。いや、もっと言うと、メリーポピンズの方をヘップバーンが、この作品の方をジュリーアンドリュースがやった方が、お互いにとって有益だった気がします。ポピンズというのは、ミュージカルという以前にまず映画としての完成度がメチャメチャ高い作品です。だから物語全体の面白さにおけるヒロインの歌唱力の比重がそれほど絶対的に高いわけでもありません。つまりヒロインが口パクだというだけで即「あ~残念」ということにはならない作品なわけです。でもこの作品は違います。本格的なミュージカル作品です。にもかかわらず、ヒロインは踊りません。唄いません。けしからん。とどのつまり、この両作品は「せっかく汎用性の高いヒロイン役の方に、当代屈指の歌姫をわざわざ起用し、本人が実際に歌うことが望ましいヒロイン役の方には、歌えない女優を起用する」という非効率な関係にあるわけです。想像してみてください、ヘップバーン扮するポピンズが宙を漂う姿を…。今頃はきっと「ローマの休日もいいが、やはりヘップバーンの代表作といえばメリーポピンズだな」となってることでしょう。そしてこの映画も「面白いんだけど、口パクじゃあね…」などと言われることもなかったはずです。え、なに?後半の良さはヘップバーンじゃないと…ですって? いや、私が思うにですね、へたにヘップバーンを起用しちゃったからこそ「せっかく彼女を使うからには…」とか余計なこと考えてgdgdな後半になっちゃったんじゃないかと。あと、ヘップバーンの悪口を堂々と言えるスタッフもそんなにいないでしょうから「この人は踊れないから…」という理由で泣く泣く没になった案も本当は結構あったんじゃないかな…。
[地上波(字幕)] 6点(2014-09-12 13:27:44)(良:1票)
26.  トーマス・クラウン・アフェアー 《ネタバレ》 
6点を切ってるのでどんだけつまんないんだろうと思って観たら意外と面白かったです。ヒロインの女優さんがえらく年増なんだなーと思ってたんですが、ラストシーンを見て納得。なるほど、あのオチを効果的に作用させるには「ああ、この人やっぱり捨てられちゃったよ」と思わせる必要があるわけで、ヒロインがあまりに若くてナウいピチピチギャルだと「これだけの女をあの女たらしがほっとくわけが…」と思われる危険性があると。さらに「これだけの年増を選んだということは、この男、ただの女たらしでなくちゃんと中身を見る男だったんですよ」という綺麗な終わり方に出来ると。ま、これはこれでいいんでしょうけど、やっぱりヒロインは若い女の子の方がいいなあ(どないやねん)。お洒落でセンスの良い映画だなとは思いました。6点。
[地上波(字幕)] 6点(2014-07-24 01:54:48)
27.  七年目の浮気 《ネタバレ》 
マリリン映画の中ではこれが一番好きです。一般的に評価の高い「お熱いのがお好き」の方は、なまじ作品自体の完成度が高いだけに、マリリン以外の女優がヒロインをやっていてもそれはそれでヒットしていたような気がします(歌のシーンは良かったですけど)。それに引き換え、この作品はどうでしょう。もしヒロインがマリリン以外の女優だったら単なるしょうもないコメディ映画で終わっていたんじゃないでしょうか。つまりこの映画はマリリンが出た甲斐のある映画という事です(この映画以外では「王子と踊り子」なんかもそうですよね)。この、「ストーリー自体のしょぼさを女優自身の魅力だけでここまでのレベルで救うことが出来る」という点が、彼女と同時代のライバル達との一番の違いかなとも思えます。名前はいちいち挙げませんが、同時代の人気女優のほとんどは、ストーリーに救われることはあっても、ストーリーを(本当にここまでのレベルで)救ったことは実はほとんど無かったんじゃないかと思うんです。そういった意味で、マリリンの凄さが良く分かる好サンプルなのではないでしょうか。ほかに「お熱いのがお好き」よりも好きなところは、単純にカラー映画であり、しかも明るい画面が多いので彼女のブロンドがとても冴え渡って見えるというところ。あと、声もポイント。彼女の声質が、この映画のほんわか~っとした雰囲気に本当にマッチしてます。特に私のお気に入りが、トム・イーウェルの「マティーニの大盛り?」の問いに「U-HUN♪」と、なんとも可愛らしい声色で返事をするシーンと、チョップスティックを、それはもう楽しそうに「パパパパパパ♪」と演奏するシーンです。彼女の声って、人を安らかな気分にさせると思います。そんな声で、酒の上の不埒を後悔してしょんぼりしているイーウェルに「あなたは立派な人よ」と優しく慰めてくれるってんだから、も~う男はたまりませんよね!こんな特殊な天然キャラを、1ミリの違和感もなく演じられるマリリンはやっぱり凄い人だったんですよね。日本人でいえば石原裕次郎さんではないでしょうか。全然違うか。ま、ともかく8点です。
[地上波(字幕)] 8点(2014-07-06 20:01:50)(良:1票)
28.  オズ/はじまりの戦い
映画界きっての優等生ディズニーが作ったファミリー映画。当然、老若男女幅広く指示されることを意図した手堅い王道プロットでいくんだろう…と思いきや、これが必ずしもそうではない。一応、全体的なストーリー上における「起・承・転・結」は正確な位置に配置されているので(さすがディズニーですね)一見すると王道プロットに思えるんですが、実は結構変則型。例えば「最初は敵かと思われた存在が味方になってくれる」という鉄板パターンにもつれ込むまでに一時間超もかかっている。それでいながら「主人公一人では処理しきれない脅威」が襲ってくるよりも前になっている。なんでまたこんな横着な運びにするのか? それはこの映画が75年も前に作られた、穴だらけの設定を持つ映画「オズの魔法使」の続編(というか前編)だからです。ディズニーの苦労は察して余りあります。「前作の設定をうまく生かしつつ…それでいて前作を知っている人でも新たな発見があるようにしつつ…それでいて要所要所では前作のオマージュがでるようにしつつ…しかもそれらがセンス良く繋がるようにしつつ…それでいて前作の設定には絶対に矛盾が出ないようにしつつ…」こんな作り方でプロットに影響が出ないほうがおかしい。この問題をどう処理したか?「本物の魔法使いではなく単なるペテン師だということがいつばれるんだろう…」というハラハラ感をかなり後のほうまで持続させることによって、実は結構だらだらしたストーリーであるというのを隠すという方法に出た。これがなかったらこの映画は本当に大したストーリーじゃないです。それから前作に対する並々ならぬ愛も感じられました。途中に出てきたチキンなライオンは、前作のライオンのお父さんじゃないでしょうか。シャボン玉浮遊のオマージュも「そうか、そこで使ってくるか、うまいこと入れるなあ」と感心します。眠りの花もまたうまいこと絡めてくる。最後の決戦で例のトリックが出てきたときも「うわ!そう来たか!これは超萌え萌え~!!」って感じでテンション上がりまくりでした。ここでの評価はえらく低めですが、私は、ストーリー上の縛り要素が満載の映画にしてはむしろ大健闘したほうだと思います。8点でもありかなという感じの7点です。
[地上波(字幕)] 7点(2014-05-28 11:30:24)(良:1票)
29.  三銃士/王妃の首飾りとダ・ヴィンチの飛行船
ファミリー向けということを強く意識して作られた映画ですね。アクション(チャンバラ)シーン一つとってもそれが伝わってきます。若者向けの映画のアクションシーンだと、近年ではボーンシリーズなどのように、手振れを多用するわ、カメラアングルは頻繁にチェンジするわで「今何をやったのかはいまいち分からないっぽいけど、ともかく迫力は感じる」という撮り方が好まれるようですが、この映画は真逆で「敵がどのように攻撃してきて、それを主人公がどのように避けて、どのように反撃するのか」という一連のアクションが、はっきりこっきり分かりやすいね見やすいねという撮り方になっています。このような撮り方といい、主人公の髪型といい「昔のジャッキーチェンの映画っぽいな」と感じたのは私だけでしょうかw ま、ともかくアクションシーン以外でも、飛行船のデザインも明らかに子供向けだし、ヒロインのバストサイズが不自然スレスレってぐらいにBIGサイズなのも多分「男の子が喜ぶために」という理由なのだと思います。宮崎駿チックなプロット進行も非常に王道的で分かりやすいです。そして他の方もご指摘の通り、伏線の回収法がとてもグーです。というのも、この映画は元々セリフのセンスがとても洒落てるんですが、それが伏線の張り方、および回収と連動した洒落方になってるので観ていて気持ちがいいんです。王女がブサイク、ミラジョボが出てくるたびに映画の空気が微妙に淀む、などの些細な欠点はありますが、全体的には良くできた映画かなと思えます。これでなんでコケたんでしょうか。ひょっとしたらPRの仕方がマズかったのか。ミラジョボを推しすぎて「ふむ、どうやらまた一つくだらないB級映画が出来たようだな」ぐらいにしか思われなかったのか。残念な事だ。
[地上波(吹替)] 8点(2014-02-21 00:16:16)
30.  オズの魔法使
この映画に関して「途中まではとても楽しいのに後半に入って急にパワーダウンする映画」という意見の方はとても多い様に思えます。そしてその理由として「これはきっとプロットが悪いんだ。最後の敵があんなにあっさりやられちゃ、そりゃあ盛り上がらないよ」という類の意見もとても多い様に思えます。でも私はそれってちょっと違うかな~と思うんです(なんだか偉そう)。だって、プロットが甘いとか言ってたら、そもそもこの映画は途中からではなく最初からそうですから。例えば、仲間になるキャラクターが最初からいきなり友好モードであるなど、現在の映画の常識からすれば「なめてんの?」というぐらいに甘々のプロットです。この映画がつまらなくなる本当の理由、それは「色の使い方を急に変えるから」だと思います。映画の世界では、センスの良い映像を手っ取り早く作り出す方法として、ある一つのメインカラーを中心とする「ほぼワンカラーコーティング」とでも言うべき手法があり、これは色んな映画で日常茶飯事的に使われています。あまりに使われすぎて、私のようなヒネた映画好きなど「…ま~た安易にオレンジだの黄色だのといった人受けの良い色一色で画面を作ってるよ、この監督ホント才能ね~な」などと文句をたれたりします(本当に偉そうだw)。でも、この映画の凄いところは、赤、青、黄、緑、紫…もうとにかく信じられない程の多彩な色を、同一画面内で一度に使用するという、並みの監督ならば自殺行為にも等しい芸当をケロッとやってのけているところです。前半はこの映画史に残る素晴らしい色使い「レインボーコーティング」のおかげで、プロットのヘボさなど全く気にならずにグイグイ引き込まれます。が、この誠に見事な「レインボーコーティング」がオズの城に着いた辺りから、誠に退屈な「ほぼワンカラーコーティング」にシフトしてしまうのです。もちろん製作者達にも意図があってのことでしょう。でも、レインボーコーティングはこの映画の要です。「ほぼワンカラーコーティングによる映像美」だなんて、そんなの他の映画でいくらでも観れるんですから。そのせっかくの要を断ってしまうので、結果として観ている者(特にキッズ達)に「…な~んか段々と僕達の求めるオズ魔ではなくなってきたなあ…。つまんないなあ、退屈だなあ…」という印象を与えてしまう、私にはこれが後半のつまらなさのトップ要因かなと思えました。
[地上波(字幕)] 7点(2014-01-30 18:21:10)
31.  シルク・ドゥ・ソレイユ3D 彼方からの物語
現在絶賛中のゼロ・グラビティ(私も先日観て度肝を抜かされたクチです…)といい、この作品といい、私の様な古いおっさん映画好きにとっては「ヤバイ…。これは、今までの映画が『過去の遺物』となる時代がやってきてしまったのかも…」という、底知れぬ焦りを誘う様な作品です。ゼログラの場合はまだ「お、落ち着け…。こ、こんなの、要するに無重力描写だけがズバ抜けているだけだ、ハ、ハハハ…」という負け惜しみが成り立つかも知れません。でも、この作品は…ああ、この作品ときたら! 色の使い方、照明の使い方、スローモーションの使い方、etc…。はっきり言います。これは私が今までに観たどの作品よりも凄い映像です。でもいいのか? だって、こんなの「映画」じゃないでしょう。アトラクション、もしくはシルク・ドゥ・ソレイユという団体の為のプロモーション映像でしょう。そんな、「たかがプロモーション」に、私が今までに観たどの作品も勝ててないんですよ…。変な言い方ですけど、なんだか今までの私の映画人生を全て否定された様な気が…。いや、ホント、恐怖を感じる程の見事な映像ですよこれは。もちろん、ストーリーは全然大したことありません(有難い事です…)。ある女の子が、不思議な世界へ迷い込み、一目惚れの男性を追っての旅に出る…。ただこれだけです。でもこの女の子がと~っても魅力的なんです。ルックスはそれほどでもないんですが、サーカスガールだけあって、スタイルと姿勢(これがミソ!)が抜群に良く、ただテクテク歩いてるだけでも凄く絵になる子(と言っても30近いんですがw)なんです。衣装も考えられていて、スカートの丈の長さが絶妙(ひざの少し下辺りになってる)で、これは特にスローモーションで走っているときに、彼女の健康的なふくらはぎの美しさが際立つ様になってます。圧巻はラストの空中ブランコのシーンです。ここでほとんどの人は「あ!ここまで出来る子だったのか!」とビックリするハズです。特に私のお気に入りは、地上での前宙返り! ここは何度観てもウットリします。もう十回は見直したでしょうか。前述した様に、この作品は厳密には映画ではないと思います。でも映画ファンが絶対に観ておくべき作品でもあると思うんです。私は「とにかく脱帽させられたんだから」という事で9点としますが、「こんなもん、0点じゃ!」という方の考えも分かるつもりです。
[地上波(字幕)] 9点(2013-12-24 00:41:00)
32.  ライムライト
一見すると、非常にベーシックな感動系映画に思えるこの作品。実はこの手の映画としては異端児的な作品なんです。何が異端児か? 世の大半の感動系映画を思い浮かべてください。ほとんどの映画には「悪人」が出てきます。でもこの映画には出てきません。この違いは何か。実はハリウッド映画の大半は「悪とは自分の外に存在するものだ。君が不幸でいる時、それは社会の責任なんだ。ほら、目の前に悪い奴がいるだろう。そうそう、こいつの責任なんだ。うんうん、君は悪くないんだよ。被害者なんだよ」とする点では概ね一致するからです。それがライムライトという名のこの異端児は「悪とは自分の内に存在するものだ。君が不幸でいる時、それは君自身の弱さが問題なんだ。悪いのは君だ」と、ハリウッド映画界に喧嘩を売る様なとんでもない主張をします。この映画をおとなしい優等生映画だなんて思ったらとんでもない、これは天下の大ハリウッド様を著しく不機嫌にさせる不届き千万な映画なんです。「甘えるな!自分の運命は自分で切り開け!」このテーマをより効果的に伝える為にこそチャップリンは悪人を出さなかったんです。例えば、テリーを「パッシーーン!」と引っ叩くあのシーン。普通のハリウッド映画ならば大の大人が(まして主人公が)イタイケな少女を引っ叩くなどありえない。なぜありえないか?そういう作りになってるからです。通常の映画ならばあそこにいくまでの展開で「少女には借金取りだの関係を迫るオーナーだのといった悪い奴が日々付き纏い、同情の余地が十分にある」という話にしているからです。それでは引っ叩けない。もし引っ叩いたら「ちょ、ちょっとチャップリンさん、あーた何もそこまでせんでもええやねん…」という空気になってしまうでしょう。でも異端児ライムライトは違います。天才チャップリンの巧みな構成術によって「少女には一応同情の余地はあるんだが、なんとかがんばって欲しい」という絶妙の展開で進んできたからこそ、あそこでの「パッシーーン!」が生きてくる、とこういうわけなんです。この作品がいかにも世の左翼系の映画評論家が好きそうな話でありながら、チャップリン映画全体の中では今ひとつパッとしない(一応は褒めるんですが)評価でいるのは「いつもみたいに「悪いのは社会の責任だ」と言ってほしい」という彼らの願望を完全に満足させてくれないからではないでしょうか。
[地上波(字幕)] 9点(2013-11-25 16:36:57)
33.  シザーハンズ 《ネタバレ》 
ひねくれまくりのプロット進行が斬新でした。主人公が異質な世界に遭遇するお話と言うと、普通は「平凡な主人公がある日を境に特異な世界に飛び込んでいく→最初は敵かと思われた連中がひょんなことから仲間になってくれる→彼らのおかげで主人公の状況が好転する→そのおかげで様々な難関に立ち向かえるようになり、その度に人間的に前向きに成長していく」という話の流れになることが多いのですが、この映画では何もかもがあべこべで「特異な主人公がある日を境に平凡な世界に飛び込んでいく→最初は友好的だった連中がひょんなことから敵に転じる→難関に遭遇する度に酷い目に遭って精神的にへこんでいく→それでも経験を積んでいく内になんとか成長はするのだが、それは「自分は他者と共に生きていく事が出来ない」という現実を悟るというマイナス方向の成長であった」と、普遍的な王道映画の主人公とは全く反対の方向へと進んでいきます。難関に遭遇しても立ち向かわない(むしろ逃げる)というのもハリウッド映画の模範的主人公からは程遠い存在です。ここまで綺麗にひねくれたプロットになったのは単なる偶然でしょうか。ひょっとしたらティム・バートンさんは「究極的に反社会的でピュアなキャラクターがいたとしたら、そいつの物語は王道的な映画の主人公とは全く逆の展開になるのではないか」みたいな事を考えたのではないでしょうか。そうそう、ヒロインが必ずしも善人でないというのも斬新でした。ヒロインの狡さに関しては不満のある方も大分いらっしゃるようですが、私はリアリティがあって良かったと思います。そのおかげでラスト近くでの孫との会話の中で「私はあれ以来ずっと彼に負い目を感じて生きてきたのよ」とでもいうべき重苦しさ、いたたまれなさの様なものが濃く出ていたように思います。そして私が一番感動したのはラストシーン。雪の舞う城を映しながらカメラがゆっくり引いていくんですが、そのときのスタッフロールの流れ始めるタイミングがもう絶妙なんです!初めて観た時(その時は映画館でした)には余りの素晴らしさに思わず声が出そうになりました。私はあのスタッフロールの入り方は映画史上でも屈指のナイスタイミングだと思うんですが、既見のみなさんはどう思われたでしょうか。そして未見の方、この素晴らしいラストシーンを観る為にも是非ともこの映画をご覧になってください。超A級のラストシーンです。
[地上波(字幕)] 8点(2013-11-18 01:43:41)(良:3票)
34.  モロッコ 《ネタバレ》 
もしも役者のタイプというものを大まかに①演技力がなくてオーラもない。②演技力はあるがオーラがない。③演技力はないがオーラがある。④演技力があってオーラもある。という4つに分けるとしたら、普通の役者さんというのは①→②→④の過程を経て成長していくものだと思うのですが、このクーパーという人は「いきなり③の状態でデビューして、しかもその後も生涯を通じて③のままの自分を貫き通した」という豪傑タイプの人だったのだと思います。ジョン・ウェインのように①→③の順に「成長した」のではなく、あくまでも最初から一貫して③だったというのが面白い人です。こんな人がひょっこり出てきたのは単に時代のせいでしょうか。あるいは、ズバ抜けたハンサムであるという条件と、デビューが遅かったという条件とが重なった事により、「俺は演技なんて知らない。だが長いモテモテ人生のおかげで女性のハートのつかみ方だけは経験で分かってるんだぜ~!」というような状態だったからでしょうか。ま、ともかくこの稀有の役者さんの特性が結果的に上手く生きたなと思えるシーンがあります。ディートリッヒからこっそり貰ったカギでクーパーがディートリッヒの部屋を訪れるシーン。ここのシーンでは、二人が腹の探りあいを兼ねた「カッコつけ合戦」ともいえるやり取りを交わすのですが、徐々にクーパーの方が、「む、これは相手の方が一枚上手だったか」というような感じで押され気味になり、終いには「いや、あんたにはまいったよ」という感じで一時退散してしまうことになるのですが、これが「オーラというハッタリのおかげで、ディートリッヒになんとか上辺だけは対抗して見せるが、全体としては、演技学校に通った事もあるディートリッヒの圧倒的存在感とのレベルの違いを見せつけられて、まるで子ども扱いされてしまう」という具合に、二人の役者としてのテクニックの差とシーンの内容とが上手くシンクロしてとても面白く観ることが出来るんです。スタンバーグがこのような効果をどこまで「意図的に狙って」作ったのかは私にはわかりません。例え結果的にだとしても、この二人による他の映画ではちょっと例がないと~ってもヘンテコな空気感は凄く面白い、貴重だ、ナイスだと私は思うのですが、どうでしょうか。確かに変わった映画で、万人に(特に若い人に)オススメ出来る映画ではありませんが、私はすっごく好きです。8点です。
[地上波(字幕)] 8点(2013-10-01 21:26:16)
35.  ラスト サムライ 《ネタバレ》 
まず思ったのは、日本の時代劇(というか邦画全般)につきものの「ジメッとした湿気感」が程よく抑えられてるなーということでした。ニュージーランドの気候の影響もあるんでしょうが、日本人ではない外国の監督さんによる感性の影響も大きいのかなと思えます。私は日本人の癖に湿気が苦手なのでこれには好感が持てました。そのせいで、凡百の邦画の自然風景に比べると、清潔感、透明感が増しているように思えました。そして一部で非難囂々の、侍や忍者の設定、服装に関してですが、私にはナイスアレンジに思えました。「な~んだ、悪評の割には全然オッケーじゃん」とか思いましたけどねー。そんなにダメでしょうか。また、最後の戦闘シーンも迫力がありました。落馬シーンなど、「ひょっとしてこの監督さん「乱」の影響受けてる?」と思えた箇所もありました。その他、映像面に関しては全体的に好印象を持ったのですが、プロットには大いに不満が残りました。序盤からの大まかなプロット進行は「主人公が難関に遭遇して一度は敗北を味わう。その後、最初の時点ではマイナスイメージだったはずの蛮族的な連中の仲間になり、彼らに鍛えられる事によって主人公の能力がアップする。人間的にも成長する。そして再び訪れた難関では今度は勝利する…」とここまではとても面白いんです。でもこの後に、ハリウッド的な常識展開としては、「難関を突破した事によるご褒美イベント」を少なくとも10~20分ぐらいは入れるべきなのに、それをすっぽり省略してしまって、ひたすら刹那的な展開が続いていくんで、ちょ~っと気分が滅入り気味になっちゃうんですよね。ここがどうしても気になりました。だから、映像は凄く気に入ったのに、点数をつけるとしたら7点ぐらいになります。8点はいかないんだよなあ…。
[地上波(字幕)] 7点(2013-09-18 01:19:25)
36.  ローマの休日 《ネタバレ》 
恋愛映画の仮面を被った冒険映画ですね。前半の大まかなプロット進行は、①皇族の主人公が世間という名の異世界にポ~ンと飛び込んでいく②夜中に街中で眠りこけるという危機が発生③おせっかい焼きの新聞記者という頼もしい仲間の登場で危機を脱出④仲間から「お金」と「一般常識」という二つの武器を授かったことにより以降わりと楽チン快適ルンルンな冒険が進んでいく。…大体こんな感じです。この中で一番楽しい時間はやはり王女にとっての人生初の街中探検でしょう。この王女というのがまた「みんな、あたしに危害を加えないでね、大切に扱ってね」光線をバシバシ出してくるので(本人にはその自覚が全く無いというのがミソ)道中を見守る我々は楽しくって仕方ないです。なんていうか、この映画を観ていると、「ローマの休日という名の動物園の中で、オードリー・ヘップバーンという名の珍獣を見守る」という感覚に陥っちゃいますw「あ、自分ひとりでジェラートを買えた。あ~良かったねえ…。あ、おじさんが花をプレゼントしてくれた。あ~良かったねえ…」こんな感じの楽しみです。また、我々凡人というのは「世間イコール我々」という意識をなんとなく持っているものなので、王女が世間の楽しさを理解していく度に「ああ、なんだかヘップバーンが我々に近づいて来てくれている…」みたいな心地よい錯覚にも陥ります。この辺りはヘップバーンというキャラクターの特性が存分に生かされている本当に一番楽しい時間です。だがしか~し、蜜月の時間は長続きはしません。やがてペック扮する新聞記者との別れのときがやってきます。「なんと申しましてもローマです」の一言に成長の証を見せる王女。そんな王女との思い出をそっと胸の内に仕舞い込み、記者は静かに去っていく…。いや~素晴らしい。ウケる要素をふんだんに盛り込んだ上にラストまで完璧だなんて、なんていい映画なんでしょうか。なかなか隙の無い映画ですが、しいて言えば全体的にちょ~っと編集がヌルめかなと思えました。名手ワイラーも、ヘップバーンの魅力に客観的な判断力を微妙に狂わされたでしょうか。編集というのは重要な部分なのでちょっぴり辛めに7点です。む、我ながらこれはちょっと辛すぎかな~?でもまあ限りなく8点に近い7点という事で…。
[地上波(字幕)] 7点(2013-09-04 19:02:35)
37.  スティング 《ネタバレ》 
長いハリウッド映画史の中でも脚本の面白さという点ではトップクラスではないでしょうか。実はこの映画、万人向けエンターテイメント作品としては「主人公の仲間の能力が高すぎて、主人公はひたすら助けられる側にばかり回ってしまい、そのせいで人間的な成長過程があまり描かれない」という欠点が一応はあるんです。でもその欠点も、軽快なBGMや、章ごとに区切って小題を出すなどの洒落た演出によって、観ている者に「ストーリーを追うことに意識を集中してね」という暗示をかけることによって巧~く誤魔化しています。それでもなんか巷のサイトなどを見ていると、「女の殺し屋がフッカー殺害をあそこまで引き伸ばすのは不自然だ」とか「主人公は結局一人では何もしてないに等しいじゃないか。要するに仲間の考えてくれた作戦にのっとって行動してるだけ。ハリウッド映画の主人公のくせに、ピンチになっては仲間に助けてもらってばかりで情けない。最後の敵も結局きちんとトドメは刺さなかったじゃないか」とか言う意見が目に付いたのですが、これらについては反論があります。まず、殺し屋がフッカー殺害を引き伸ばした件ですが、理由はズバリ「フッカーと寝たいと思ったから」ではないでしょうか。映画をよく観ると、例の飲食店内でフッカーがちらちらと殺し屋(もちろんこの時点では殺し屋だと分かっていない)の方を見るシーンが出てきます。殺し屋は凄腕ですから当然フッカーの視線に余裕で気付いてたでしょう。そしていい年の女ですから「ふうん、この子私に気があるんだ。じゃあ、このハンサム君を頂いてからでも殺すのは遅くはないか」と、こう思ったんじゃないでしょうか。お世辞にも美人とは言い難い容姿なので、フッカーの程の美男子からの熱視線というのはそれほど経験がなかったはずで、職業柄表情には絶対出しませんが、実際にはかなり「ときめき」を感じていたんじゃないでしょうか。そしてもう一つ「フッカーが頼りなくてラスボスにトドメも刺していない」という件についてですが、いやいやとんでもないですよ、何言ってんですか。フッカーは見事にラスボスを「パッカーーーン!!」とノックアウトしましたよ。ロネガンを超える究極のラスボスである「我々」を…。
[地上波(字幕)] 8点(2013-08-29 21:04:34)
38.  ショーシャンクの空に 《ネタバレ》 
この映画が名作になったのは、主人公が二人いたからだと思います。この映画、確かに話はとても面白いんですが、万人受けするためにはアンディがちょっとばかしスーパーマン過ぎるんですよね。大体この手の話で面白い展開というのは「主人公がある特異な状況にポーンと放り込まれ、自分一人の力の限界を痛感させられる。だがまもなく頼もしい仲間との出会いがあり、彼らから何らかの力を授かることによって主人公の状況が好転し、また精神的にも成長していき…」というものが多かったりします。実際この映画も例外ではなく、劣悪な環境下で仲間との出会いがあるというところまでは割りとスタンダードなストーリー展開で進んでいくんですが、ここから先が主人公が影響を受ける側ではなく与える側に回ってしまうんですね。このままでは主人公の心の成長が描きにくい。でもその欠点をもう一人の主人公のレッドがカバーしてくれるんですね。もしレッドがいなかったらこの映画は「どんな状況でも決してめげない強い男が見事脱獄に成功しました。ハイ、めでたし、めでたし」というだけの大味な映画になっていた可能性もあったと思います。でもアンディが脱獄した後でもそこで話を終わりにせずに、さらに続けて「俺は生きる方を選ぶぞ」というレッドの人間的成長を見せてくれたお陰でラストシーンであれだけの感動を生み出すことが出来たんだと思います。そしてもちろん一番の見せ場である脱獄のシーンも爽快感いっぱいです。やはり人間の心理として「ああ、もうダメか、ここまでか~!」という状況から一気にスッポ~ンと抜け出していくワープイベント的なものはとても気持ちの良いもののようです。そういえば、この映画同様に「世界的にはそれほどでもないが日本ではとてつもなく人気がある」というバック・トゥ・ザ・フューチャーのクライマックスシーンも同じ心理効果によるものですよね。ひょっとしてこれは日本人の感性に合ったイベントということなんでしょうか?ま、ともかくこの映画、かなり良く出来てますが、刑務所長をはじめとする何人かの心理描写が若干甘いかなと思えたので8点です。
[地上波(字幕)] 8点(2013-08-20 21:28:44)
39.  街の灯(1931) 《ネタバレ》 
私は今までに観たチャップリン映画で一番笑ったのは「黄金狂時代」なのですが(特にチャップリンのすぐ後をクマがノコノコ歩いていく例の有名なシーンがツボでした)、それに比べるとこの作品は期待していたほどは笑えませんでした。でも可笑しさは感じずとも楽しさは感じました。水をかけられるシーンなど、決して大爆笑はしませんが、微笑ましい気分には浸れました。ただ、ラストシーンはちょっぴり拍子抜けでした。これだけ評判の高い映画なのでてっきりもっと感動できるのかと思っていたのです。まあ悪くもなかったですけど。ちなみに私の中ではあれはハッピーエンドです。ラストのヒロインの表情は、チャップリンに対してではなく自分に対するやるせなさを表したものかと思えました。「知らなかったとはいえ恩人に向かってなんという態度をとってしまったのか。ああ、自分で自分を引っ叩きたい…」みたいな。ま、別にどっちでもいいんですけどね。ていうか、案外一番可能性が高いのは、グッドでもバッドでもない第3の選択肢「そもそも当のチャップリン自体が「どっちにでもとれる終わり方にしよう」と考えていた」なのかなー?とも思うんですが。さて、この映画の評価ですが、楽しい映画ではあったけど、「黄金狂時代」ほどは笑えなかった、「モダンタイムズ」ほどは感動しなかった、ということで7点とさせていただきます。
[地上波(字幕)] 7点(2013-08-17 18:24:52)
40.  ヘアスプレー(2007) 《ネタバレ》 
ミュージカル映画を冒険アドベンチャーモノのプロットで作ったらこうなりました、という見本のような映画。このプロットというのが本当にコテコテの王道プロットでして、割と色々な映画でも使われているものです。①主人公がある大きな難関に遭遇し、すごすごと引き返してくる。②社会的地位の低そうな連中(黒人の不良生徒達)の仲間になる。③野蛮なはずの彼らが実に洗練された技術(ダンステクニック)を持っていた。その技術を授かって難関を突破。④難関突破のご褒美イベントとして、主人公が以前から「いつの日かあそこに…」と憧れていた場所(TVスタジオ)で自由に行動できる状況に。以降、「忙しいが非常にやりがいのある充実した日々」が過ぎていく。さらに、素敵な異性との仲が親密になる嬉しいイベントも発生。⑤蜜月の日々から一転、主人公の運命が急激に破滅へと向かい始める。仲間達と離れ離れになり、主人公の立場が刻一刻と悪い方へと向かう。⑥絶体絶命の状況から一気に敵の懐までスッポ~ンと飛んでいくありがたいワープイベントが発生。⑦最後は愛する人との共同作業で敵にトドメを刺す。…と、まあ大体こんな感じの話になります。こうしてみると本当に教科書的な王道プロットです。実はこのプロットは、宮崎駿さんの傑作「天空の城ラピュタ」にそっくりの構成なんです。試しに②の「黒人の不良生徒達」を「海賊達」に、③の「ダンステクニック」を「飛行機」に、④の「TVスタジオ」を「大空」に変えてみて下さい。あとはほとんど同じになりますから。ま、ともかくこの映画、黄金期の宮崎駿さんも好んで用いたこの超優等生プロットのお陰で、ミュージカル映画としては驚異的なハイペースでサクサクと気持ちよくお話が進んでいきます。普通のミュージカル映画では、ミュージカルシーンに入るとそこで一旦ストーリー進行が途絶えがちになったりするものですが、この映画ではミュージカルシーンでもお構い無しにどんどんストーリーを進行させるという方法がとられているので、その疾走感たるやかなりのものです。ミュージカル映画でここまでのスムーズネスを実現した映画はちょっと例がないのではないでしょうか。シチュエーションを頻繁にチェンジさせて、視覚的にも飽きさせない工夫がなされているのも感心しました。これには「雨に唄えば」的なサービス精神を感じます。9点です。良く出来てます。
[地上波(字幕)] 9点(2013-08-16 20:34:03)(良:1票)
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