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鉄腕麗人さんの口コミ一覧[この方をお気に入り登録する

プロフィール
コメント数 2594
性別 男性
ホームページ https://tkl21.com
年齢 43歳
メールアドレス tkl1121@gj8.so-net.ne.jp
自己紹介 「自分が好きな映画が、良い映画」だと思います。
映画の評価はあくまで主観的なもので、それ以上でもそれ以下でもないと思います。

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【製作国 : アメリカ 抽出】 >> 製作国別レビュー統計
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861.  ビッグ
今や偉大な俳優であるトム・ハンクスの出世作。大人からまた子供に戻ってしまうラストがとても切なくて印象的。出世作という言葉の通り、ハンクスの演技者としての偉大な可能性を見せた映画だったと思う。
7点(2003-09-29 11:46:52)
862.  メジャーリーグ2
前作の二番煎じという感は拭えないけど、新しいキャラクターによりコメディ要素は上がっていて、観ていて楽しいことに変わりはない。
7点(2003-09-29 11:29:43)
863.  メジャーリーグ
こういう映画はいかに観客を盛り上げれるかが重要である。その点で今作は秀でている。細かく丁寧に描かれた映画ではないけど、観る者の高揚感を高めるツボをおさえているから観ていて楽しいし、細かいところは気にならない。先日、邦画の「ミスタールーキー」を観たけど、そのツボをおさえていないから粗が目立って仕方なかった。
7点(2003-09-29 11:26:06)
864.  ホーム・アローン
アメリカのコメディ映画というものは日本人から見るとどうも「やりすぎ感」が漂う。この映画もその部類ではあるのだけれど、ラストの泥棒コンビ撃退の顛末に集約されている分、丁度良く爽快感につながっているのだと思う。
7点(2003-09-28 17:15:35)
865.  ラスト・ボーイスカウト
「ダイ・ハード」で確立されたキャラクターを踏襲しただけのアクション映画だという印象だったが、ものすごく久しぶりに観てみると、想定外にぶっとんだ娯楽性を楽しめた。 改めて観てみると、続編が製作されなかったことが不思議に思える程だった。  何と言ってもこの時点ですっかり“定着”しているブルース・ウィリスのキャラクターが良い。 伝説の元シークレットサービスでありながら、堕落ししがない私立探偵に成り下がっているというキャラクターは、他に演じるべき俳優が思いつかないくらいに彼にフィットしている。 この作品の後、今作と同様の性質をもったキャラクターを何作も演じ続けていることを考えると、いかにそのフィット感が揺るぎないものだったかが分かる。  と言うと、実にありきたりなブルース・ウィリス映画だと思われがちだが、この映画そのもののキャラクター性は極めて独特だ。  冒頭から映し出されるのは豪雨のアメリカンフットボールの試合シーン。意図的に闇が強調された映像の中で、八百長試合に溺れたプレイヤーが相手プレイヤーに向けて拳銃をぶっ放し、挙げ句自らのこめかみを撃ち抜く。(しかもこの選手役があのビリーズブートキャンプのビリー隊長だというだから驚く) また後のアカデミー賞女優ハル・ベリーがストーリーの発端となるストリッパーとして登場し、序盤に悪党どもによって蜂の巣にされてしまう。 主人公の親友だった男は、彼の妻を寝取った上に、非常に危険な仕事を押し付けた途端に爆死する。  と、序盤からぶっ飛んだハードボイルド展開が連続し、初見ではないのに面食らってしまった。 果たしてどうなってしまうのだと思うが、最終的には痛快な娯楽性で締めてくれる。 このトータル的なエンターテイメント性の高さは、監督のトニー・スコットの流石の力量だと思う。  他にも娘からの助け舟を受けての強烈なぬいぐるみジョークや、随所に挟み込まれる小気味良い台詞回し、そしてラストの“ダンス”に至るまで、時を経て観ると意外なほどに見所に溢れたアクション映画だ。
[CS・衛星(吹替)] 7点(2003-09-28 02:08:55)
866.  ゴースト/ニューヨークの幻
ストーリーや展開はわりとありきたりで先は読める話なんだけど、最後まで観客を引き付ける力がこの映画にはあり、それが魅力であると思う。例えば、主人公がだんだんと物を触れるようになる過程やインチキ霊媒師に自分の存在を気付かせる様などがテンポ良く描かれているあたりが観ていて楽しく、キャラクターに好感を持たせる要因となっている。結果、感情移入しやすくラストでは上手く感動させてくれる。
7点(2003-09-28 01:46:29)
867.  クリフハンガー
断崖絶壁の雪山をTシャツ一枚で動き回るスタローンの超人ぶりはインパクトがあり、アクション映画としては大いにアリだと思う。ああいう設定はアクションスターというポジションを確立している俳優だからこそ出来る離れ業である。雪山という設定や悪党のボス役のジョン・リスゴーの悪役っぷりが良いエッセンスになってなかなかオリジナリティのある映画に仕上がっていて面白い。
7点(2003-09-28 01:37:11)
868.  沈黙の戦艦
先日気まぐれに観た2000年代の“セガール映画”があまりにも酷かったので、スティーヴン・セガールというアクションスターの“存在”を再確認しようと、彼の代名詞ともなった「沈黙シリーズ」の発端である今作を何年かぶりに観た。  スティーブン・セガールのアクション映画スターとしての地位を確立したと言える今作の最大の成功要因は、やはり主人公のキャラ設定に尽きると思う。 “コック”の主人公の素性が、実は海軍きっての最強軍人だったというアイデア一発で、このアクション映画は成り立っていると言っていい。 このキャラ設定にバッチリとハマったスティーヴン・セガールが扮したケーシー・ライバックというヒーローそのものが、この作品の娯楽性の中心である。  したがって、このアクションヒーローのファンとしては、もっと作品として数多くシリーズ化してほしかった。 「沈黙シリーズ」などという名ばかりの呼称ではなく、今作の正当な続編「暴走特急」に続く第三弾、第四弾、第五段……と様々なステージでテロ事件に巻き込まれ、当然のようにテロリストを駆逐するケーシー・ライバックの活躍を観たかったものだ。  何せ“コック”という手に職を持っているのだから、ホワイトハウス篇、日本大使館篇、エアフォースワン篇、サミット篇, etc.「職場」は次々にあった筈だ。
[インターネット(字幕)] 7点(2003-09-28 01:17:30)
869.  マイ・ライフ(1993)
実力俳優マイケル・キートンの演技がとにかく良い。自身の死期迫る人生を真摯に見つめ家族にビデオレターを残していく様は涙なしでは見られない。彼を支える妻役のニコール・キッドマンの演技も光る。夫婦愛・家族愛の美しさをせつなく見せてくれる秀作。
[地上波(吹替)] 7点(2003-09-28 01:03:23)
870.  マイ・フレンド・フォーエバー
自分自身の厳しすぎる運命を強く見つめる少年を演じたジョゼフ・マゼロの演技が秀逸。美しい友情と美しい映像の中で過酷な運命をつづる演出がせつない。
7点(2003-09-27 19:07:35)
871.  マーベルズ
MCUのドラマシリーズを追えておらず、必然的にフェーズ4以降の映画作品も劇場へ二の足を踏むことが続いている。本作も、公開時に思案したものの、結局劇場鑑賞はスルーしてしまっていた。 フェーズ4から現在進行中のフェーズ5まで、映画作品はなんとか全作観てきているけれど、本作を鑑賞して、さすがにドラマシリーズの各作品をまったく観ていないことに限界を感じた。 特に冒頭の各シーンにおいては、ドラマの「ワンダヴィジョン」や「ミズ・マーベル」は最低限観ておかないと、正直“しんどいな”という印象は拭えない。  それも当然で、本作は「マーベルズ」というタイトルの通り、ブリー・ラーソンが演じるキャロル・ダンヴァースが主人公の「キャプテン・マーベル」の続編というよりは、モニカ・ランボー、“ミズ・マーベル”ことカマラ・カーンを含めた3人組の物語だったからだ。したがって、モニカ・ランボーやカマラ・カーンが登場する前述の各ドラマを観ていないと、とてもじゃないけれど“置いてけぼり”を食らってしまった。  MCUの娯楽映画として全く面白くなかったということはなく、随所に本作ならではのエンターテイメントは確実に存在していたし、ヒーロー映画としてアガる要素がある映画であったことは否定しない。ただやはり、ドラマシリーズとのクロスオーバー要素が大き過ぎることもあり、彼女たちの活躍に対して終始のめり込めない。 のめり込めない大きな要因はもう一つあって、“主人公たち”の中心であるキャロル・ダンヴァース(キャプテン・マーベル)にまつわる描くべきストーリーがおざなりになりすぎていたことだ。  “キャプテン・マーベル”自体が、フェーズ3の最終盤において突如描き出されたスーパーヒーローである。演じるブリー・ラーソンの想像以上のマッチングぶりと、「エンドゲーム」においてサノスすらも圧倒する無双ぶりによって、キャラクター的には短期間でその地位を確立した感があるけれど、前作「キャプテン・マーベル」では描ききれていない要素や真相が謎の部分も多々あった。 キャプテン・マーベルのキャラクターそのものに対しての深堀りや、彼女の出自の詳細がこの続編ではもう少しきちんと明確に描き出されるべきだったと思う。  そういったくだりがなく、いきなり“私たちはマーベルズよ”と言われても、ちょっと同調しづらかった。 実際本作のヴィランの“怨み”の発端は、キャプテン・マーベルによる過去の功罪によるものなのだから、その部分は本作内でもう少し丁寧に描くべきだったろう。 そして、さらに苦言を加えると、「エンドゲーム」におけるキャプテン・マーベルの無双感を経たあとでは、モブキャラ相手にドタバタと格闘を繰り広げるシーンも違和感を禁じ得なかった。本作のヴィランもそれほど圧倒的な強者というわけではないので、やはり鼻白んでしまったことは否めない。  ただその一方で、“ミズ・マーベル”ことカマラ・カーンのキャラクター性は抜群にユニークでキュートで娯楽性に溢れていたと思える。 キャプテン・マーベルのことを完全に“推し”目線で捉えて、「新人」ヒーローとして奮闘する姿は、終始観ていて楽しかった。そのさまは、「シビルウォー」で初登場した“スパイダーマン”を彷彿とさせた。 光を具現化して戦う彼女の能力とそのビジュアルも、良い意味でマンガ的で面白かった。何よりも演じるイアン・ヴェラーニによるザ・ハイティーンな風貌や言動が魅力的だったと。後追いになってしまうが、「ミズ・マーベル」はいの一番に観てみようと思う。  さて、“マルチバース”の裾野を四方八方に広げたフェーズ4を経て、フェーズ5ではいよいよあらゆる“次元”と“世界”が入り交じることは必至なようだ。(今年公開の「デッドプール&ウルヴァリン」によってその“タガ”は更に遠慮なく外れていくことだろう) “インフィニティ・サーガ”までの統合性とそれに伴うクオリティの安定性はもはや期待できないかもしれないけれど、可能な範囲でドラマも後追いしつつ楽しんでいこう。(Disney+を契約しているうちに……)
[インターネット(字幕)] 6点(2024-02-24 23:54:38)
872.  ウィッシュ
「普通」に面白いファンタジー映画だが、ディズニー映画における「普通」は、やはりどうしても“不満足”に寄ってしまうことは否めない。 「100周年記念作品」ということで、新たな時代の節目を迎えた巨大帝国ディズニーの新しい挑戦を感じたかったけれど、ベクトルはむしろ逆方向に向けられており、時にあからさま過ぎるほどに懐古主義的な作品だったなと思う。  特別な才能を持っているわけではないヒロインが、魔法を操る国王の悪政に反旗を翻すというプロット自体は、極めてオーソドックスではあるが、100年という歴史を踏まえたディズニーの最新作として相応しかったと思う。 人々の“願い”を取り戻すという物語のテーマや、歌い踊る動物たちの描写、ヴィランとして立ち回る国王の存在感など、ディズニー映画の王道を踏まえたストーリーテリングそのものは、過去の名作のあらゆる要素を彷彿とさせ、ディズニーという文脈の豊潤さを醸し出していたと言える。 しかし、そこから紡ぎ出されるストーリー上の“発見”や、物語の“終着点”までもが、あまりにもこの100年の間に使い古されたものであり、新作映画としてエキサイティングだとは到底言い難かった。  ヒロインの言動の起因となる要素や、彼女に与えられた力の意味、その結果としてもたらされる人々への影響が、なんだかとても曖昧で都合よく見えてしまったことが、本作全体の希薄さに繋がっているのだと思う。 なぜ彼女の願いが“星”に届いたのか、どうして魔法を使えない彼女の歌声が人々の力を引き出せたのか、そしてこの国の人々が得た功罪の本質は何だったのか。  無論それらのことを物語上で引き出すことは極めて難しいことだけれど、これが100年という長き歴史を重ねたディズニー映画の最新作というのであれば、そういう困難なテーマこそをさらりと描き出してほしかった。 ヒロインの父親の生き様や死の真相だったり、祖父が“願い”を取り戻すことでもたらせる影響や、ヒロインとの友人たちがそれぞれ何かしらの“ハンデ”を負っていることに対するストーリー的な意図など、もっと物語を深掘りし得る要素はいくらでも存在していたと思う。  また、本作の魔法使いの国王は、闇落ちした悪役として描かれているが、彼には彼なりの信念とその発端となるトラウマが確実に存在していたわけで、それらをどこかないがしろにしたまま、ヒロインの歌声で倒して、閉じ込めて終わりというのは、少々乱暴すぎると思えた。 信念ということのみを捉えれば、ヒロインよりも国王のそれの方がよっぽど強く確固たるものだったと思えるし、ここぞとばかりに手のひら返しで夫を裏切る王妃の言動にも腑に落ちない思いが募った。 吹替版で観たのだが、福山雅治が演じる歌ウマ国王が最終的には少し不憫に思えてしまった。本作と同じ制作チームが生み出した「アナと雪の女王」も一作目で表現しきれていなかった要素を、PART2で深く描きこんだ経緯があるので、もし続編が作られたりするのであれば、ぜひ諸々の不満要素を解消してほしいものだ。  「100周年」という記念行事的なプロジェクトの意向が強く出過ぎており、単体作品としてのクオリティを追求しきれていないという印象を終始感じた。 ……であるにも関わらず、100年間のスターたちが勢ぞろいする本編前のショートムービーを見せるだけで、「あ、やっぱり“Disney+”契約したい!」とアラフォー男に強く思わせるこの大帝国の絶対的圧力はやはり恐ろしい。
[映画館(吹替)] 6点(2023-12-23 16:33:19)
873.  ザ・スーパーマリオブラザーズ・ムービー
ものすごく“真正直”な「スーパーマリオブラザーズ」の映画化だった。 子供から大人まで誰が観ても楽しめるだろうし、ゲーム世界を映画として具現化したそのクオリティそのものは極めて高く、隙がないと言える。 休日の昼下がり、小学3年生の息子と二人観るには、とてもちょうどいい映画だろう。  ただし、全くと言っていいほど“驚き”は無かった。 私自身、子供時代からプレイし続けてきて、先日も最新作「ワンダー」を子どもたちのために買ったばかりだが、詰まるところ、良い意味でも悪い意味でも、ゲーム世界そのままの映画であり、何かそれ以上の付加価値があるものではないと感じた。 勿論、マリオやピーチ姫、キノピオやクッパたちに登場キャラクターとしての人格は備わっているのだけれど、決してゲーム世界で想像した以上の「言動」を起こすわけではなかった。 稀代のアクションゲームの映画化において、特筆すべき“驚き”が無いということは、やはり致命的な欠落だと思う。   「スーパーマリオブラザーズ」というゲームの魅力は、そのアクション性の豊富さや、そのイマジネーション溢れるユニークな世界観もさることながら、何よりも主人公である「マリオ」や敵役である「クッパ」に対する愛着の深さにこそあると思う。 配管工のヒゲおやじが、カメが巨大化した化け物に繰り返し挑み続けるこのゲームが、世界中から愛されているのは、一重にそのキャラクターたちが魅力的だからだろう。  ではなぜキャラクターが魅力的なのだろうか? どのシリーズ作においても、マリオがピーチ姫を助けに行くに当たっての具体的な経緯や、クッパがキノコ王国を支配しようとするに至ったバックグラウンドが詳しく説明されているわけではない。 マリオはいつだって、オープニングでさらわれたピーチ姫を取り戻すために問答無用に冒険をスタートさせる。 でも面白い。それは、プレイヤー一人ひとりが彼らのキャラクター性を「想像」するからだと思う。 プレイヤーは、「1-1」がスタートした時点で、マリオがどういう人間なのかということを無意識レベルで想像し、彼に憑依する。そしてゲームを進めていくにつれて、ピーチ姫やクッパのキャラクター性に対してもより一層想像を深めていく。 その想像の深まりと共に、プレイヤーはゲーム世界に没頭し、コースをクリアしていくことに快感を覚えていく。それが、「スーパーマリオブラザーズ」のゲームの魅力、そこに登場するキャラクターたちの魅力だと思う。  つまり何がいいたいかと言うと、この映画作品で描き出されたマリオをはじめとするキャラクターには、世界中のゲームプレイヤーたちが延々と繰り広げてきた「想像」を超えるものが存在しなかったということ。 言い換えれば、極めてベタで平均的な「想像」に終止したキャラクターが、ゲーム世界そのままの映画の中で活躍する様を見ているようだった。 それはすなわち、他人がプレイしている「スーパーマリオブラザーズ」を見ているようでもあり、楽しくはあるけれど、当然ながら自分自身でプレイしている時のような、驚きや快感を伴う面白さは無かった。  「スーパーマリオブラザーズ」の映画化においてもっと追求すべきだったのは、世界中のプレイヤーたちが想像し得なかったキャラクター像の「創造」、もしくは実際にゲームをプレイしているとき以上の「体験」だったのではないかと思う。
[インターネット(吹替)] 6点(2023-11-19 22:24:37)
874.  ハート・オブ・ストーン
終始一貫して、スパイ映画シリーズの“米英の両巨塔”のいくつもの過去作、あらゆるシーンのオマージュ、焼き直し、丸パクリのオンパレードではあった。特に、もはや「神」と化したAIを巡る攻防は、「ミッション・インポッシブル」の現在公開中の最新作そのままだったとも言えよう。 ただ、全編通して“二番煎じ”ではあったが、繰り広げられるアクションシーンの質は総じて高かったと思う。 そして、何と言っても、我らが“ワンダーウーマン”が、相変わらず強く、美しいので、良しとしたい。  Netflixのオリジナルアクション映画において全般的に言えることだが、良い意味でも悪い意味でも感じる“ライトさ”は、インターネット配信で楽しむには、個人的にちょうどいい。 これが、紛れもなく重厚で面白い娯楽大作の傑作であったとしたら、映画ファンとして劇場公開されないことを口惜しく思うことだろう。  僕自身が子供の頃は、週末のロードショー番組で放映されるアクション映画やSF映画を、特に何も考えずに気楽に観ていたものだが、Netflixオリジナルの娯楽映画はちょうどそんな感じがする。 週末の余暇時間に、特に期待せずに観始めて、「意外と面白かったな」とエンドロールを迎える。それくらいの映画がちょうどいい時もある。
[インターネット(字幕)] 6点(2023-08-20 00:33:26)
875.  ブラックアダム
DCコミックスきってのダークヒーローに我らがドウェイン・ジョンソンが扮する。 そりゃあハマるに決まっているし、俳優単体の存在感のみを捉えたならば、数多のアメコミヒーロー映画の中でも指折りの「説得力」を示したと言っても過言ではないだろう。 DC精神全開のケレン味に振り切った描写は、スペクタクル性に溢れ、その絶妙なバカさ加減(好物)も含めて、さながらインド映画の超大作を観ているようだった。  ただ、その主演俳優のドハマリぶりの一方で、新鮮味は皆無だったことも否めない。 MCU、DCと、これだけアメコミ映画が飽和状態の中にあって、あまりにもオーソドックスで豪腕ド直球なストーリー展開が、本作のテイストに相応しいことは理解しつつも、やはり退屈だったことは否定できないところ。  マイナス要因だったのは、主演俳優のド直球なハマりぶりに呼応というか、依存するかのように、周辺のキャラ設定や描写までもが、あまりに工夫なくチープだったというところだと思う。 ダークヒーローの一種のバディとなる少年や、その母親で学者のキャラクター性が類型的で魅力に欠けていたり、主人公と共闘するヒーローチームの面々のオリジナリティが弱かったことが、本作の魅力を底上げすることができなかった大きな要因だろう。  「アイアンマン3」でトニー・スタークを救った少年だったり、トム・ホランド版「スパイダーマン」でマリサ・トメイが演じたメイおばさんのような愛すべきキャラクターを登場させることができていたならば、本作自体がもっと愛すべき作品になっていただろう。  MCUのような世界観の完成度は皆無で、その代わりにケレン味あふれる描写で瞬間的な沸点を追求するDCのアプローチは決して嫌いではない。 次作でこのダークヒーローと対峙するのは、スーパーマンか、それともシャザムか。いずれにしてもこの路線をさらに追求する形でエンターテイメントのクオリティーを爆上げしていってもらいたい。
[インターネット(字幕)] 6点(2023-05-09 15:10:02)
876.  クライシス(2021)
“オーバードーズ(Overdose)”というキーワードで伝えられる薬物中毒に関する事故や事件に対して、遠い国の生活環境や価値観が異なる人たちの中で起こることだと、認識が浅い自分のような者にとっては、本作が描き出そうと試みた「危機感」を正しく理解するために、時間と知識が必要だったと思う。  アメリカの現代社会の中で蔓延する合成鎮痛剤にまつわる犯罪や陰謀、実害を3人の異なる環境の主要登場人物の視点から紡ぎ出すストーリーテリングは、かつてスティーヴン・ソダーバーグ監督が描いた「トラフィック」と酷似していた。 「トラフィック」は、取り扱われる題材がコカインの密輸ルートであり、ある意味分かりやすい麻薬犯罪とそれに伴う暴力や悲劇が描きされるので、危機感の実態も認識しやすく、映画としても娯楽性を高めやすかったと思う。  だが、本作で題材とされる合成鎮痛剤オピオイドは、あくまでも合法の薬剤であり、その問題の実態を理解していない無知な者には、ストーリーに張り込みづらかったことは否めない。 事実に対する無知は、鑑賞者側の責任が大きいと痛感する一方で、同時に本作のストーリーテリング自体も、決して上手くは無かったと思う。  本作の一番大きな弱点は、3つのストーリーラインが、最終的に上手く絡み合ってこないことだろう。 前述の「トラフィック」には、国境や生活環境を超えた全く異なる数々の人生がまさに“交錯”することに、ストーリ展開の面白さがあった。 しかし、本作の3つのストーリーラインは、ラストの顛末において、部分的に重なり合う部分もあるが、そこに物語としての必然性やロジックがなく、強引な印象を受けた。 ゲイリー・オールドマン演じる大学教授のストーリーラインについては、結局絡むこともなく、他の2つのラインとは題材自体が微妙に異なっているようにも感じてしまった。  主要キャラを演じたゲイリー・オールドマン、アーミー・ハマー、エヴァンジェリン・リリーは、それぞれ熱演していただけに、ストーリー的な充足感に欠ける帰着は残念だった。(エヴァンジェリン・リリーって何の映画に出てた人だっけと思いつつ鑑賞を終えて、“ワスプ”か!と後で気づいた) みんな大好きミシェル・ロドリゲスの出演や、ジョニー・デップの娘リリー=ローズ・デップが麻薬中毒者役を印象的に演じていることなど、出演陣のトピックは豊富だったので、もっと脇役を含めたキャラクターたちの顛末をしっかり描いて群像劇としての見応えを深めてほしかったとも思う。   映画作品としての仕上がりには難点があるが、本作が描くテーマ自体は、自分自身をはじめ無知な者にとっては事程左様に重要なものだったとは思う。 違法薬物ではない麻薬問題だからこそ、この映画が伝える危機感は、より身近なものとして着実に私たちの生活に忍び寄っている。いや、もはや蔓延していると認識すべき事象なのかもしれない。
[インターネット(字幕)] 6点(2023-01-15 00:12:26)
877.  THE BATMAN-ザ・バットマン-
「バットマン」の映画化において最も重要で、取り扱いが難しい要素は、“リアリティライン”の引き方だと思う。 架空の超犯罪都市の大富豪が、夜な夜な真っ黒なコウモリのコスチュームに身を包み、街の悪党たちを殲滅する。元来アメコミであることを鑑みても、圧倒的にマンガ的であり、どう言い繕っても“馬鹿っぽい”設定である。 それでも、ほとんど絶え間なく映画化されてきたのは、この“馬鹿っぽい”世界観が、多様な創造性を孕んでいるからだろうと思える。 マンガ的な物語世界を実写映像化するにあたって、リアリティラインをどのように引くか。 あくまでも寓話的なダークアクションに振り切るのか、現実社会の鬱積や病理性を盛り込んだ哲学的なストーリー展開を深堀りするのか、はたまた筋肉隆々の“冷凍男”が主人公を押しのけて登場するようなエンタメに突っ切るのか、その「線引き」によって映画作品の印象は大いに変わるし、その分幅広い層に熱狂し得る。  そういった観点からは、新たなリブート作品として製作された本作も、明確な意図によって他のシリーズとは異なるリアリティラインが引かれているとは思う。 ただ、個人的には本作のその線引きは、ややアンバランスだったと感じた。  現実路線で、どこか映画「セブン」を彷彿とさせる猟奇サスペンス要素との融合は面白い試みだった。過去シリーズにおいては異世界の象徴として存在感を出すヴィランたちの風貌やキャラクター性も、極めて現実的な造形に振り切って、リアリティラインをより現実に近い位置に寄せていると思う。 主人公バットマンに“探偵”の役割を与え、他のアメコミヒーロー映画とは一線を画した作風に仕上がっていることは間違いない。  が、しかし、その現実路線のテイストがバランス良く成立しているとはどうしても思えなかった。 その最たる理由は明らかで、舞台である犯罪都市“ゴッサム・シティ”のあり方自体がファンタジーすぎるからだと思う。 あれだけ常軌を逸したレベルで治安が悪く、景観や公共サービスが崩壊しているとしか思えない劣悪な環境下において、今更政治家や警官の汚職がどうとか、薬物が濫用されていたり、マフィアが裏で糸を引いているとか言われても、「そりゃそうだろうよ」と正直鼻白んでしまう。 故に、そんな中で、バットマンや、真っ当な警察や政治家たちが、「正義」や「人生」をかけて苦闘するしている事自体が“非現実的”に感じてしまい、どうにも乗り切れなかった。  主演のロバート・パティンソンのバットマンぶりは悪くはなかったと思うが、徐々に解明されていく事実に対して総じて思慮が浅く、バットマンである以前に人間的に未熟な主人公の姿はやはり魅力的ではなく、必然的に映画的な魅力の欠如に繋がっている。 用意されていたストーリーテリングについても、稚拙で、ただ鈍重であったことを否めない。 リブート作品として、特別なバッググラウンド描写や、新機軸の展開があるわけでもなく、この内容でほぼ3時間の上映時間はさすがに冗長すぎた。  一方で、ビジュアル的なクオリティは過去最高レベルで素晴らしかったと思う。 “重さ”までを表現するバットマンのコスチュームや、臨場感の高い迫力あるカーチェイスシーンなど、印象強いカットやシーンは全編通して散りばめられている。 もっと作り込まれたストーリーさえ備えていれば、もっと素晴らしい「バットマン」に仕上がるであろうことは明白なので、次作に期待したい。
[インターネット(字幕)] 6点(2022-12-12 00:51:40)(良:1票)
878.  グレイマン 《ネタバレ》 
「“超人的”はやめろ バカっぽい」  “キャプテン・アメリカ”役を卒業して、ある意味「自由」になったクリス・エヴァンスをサイコパスな悪役に配し、この台詞を放たせたことが、本作のハイライトかもしれない。   「キャプテン・アメリカ/ウィンター・ソルジャー」から「アベンジャーズ/エンドゲーム」までの各作品の指揮をとり、MCUの“インフィニティ・サーガ”を見事に締めくくってみせたルッソ兄弟による本作におけるアクション描写の手腕は流石だった。 アクション映画としての“見せ方”と“魅せ方”は、作品全編において「工夫」が張り巡らされていて、楽しく、引き込まれる。  前述のクリス・エヴァンス含め、キャスティングも良かった。 主演のライアン・ゴズリングは鍛え上げられた見事な“肉体美”と、この俳優持ち前の“憂い”で、アクション映画の主人公として申し分ない魅力を放っていた。 「007/ノー・タイム・トゥ・ダイ」の記憶もまだ新しいアナ・デ・アルマスは、「007」での少ない出演シーンで世界中の映画ファンを虜にした魅力を存分に見せてくれた。 また個人的には1996年の「スリング・ブレイド」以来のビリー・ボブ・ソーントンという俳優のファンなので、久しぶりの出演作鑑賞が嬉しかった。  と、アクションもキャストも最高だったのだけれど、いかんせんストーリー展開がありふれておりチープ過ぎた。 スパイ・アクションの部類である以上、もう少しストーリーテリングにおけるケレン味や小気味よさがほしかったところ。 キャストのパフォーマンスはそれぞれ安定していたはずだけれど、演じるキャラクターの言動があまりにも予定調和的過ぎるので、結果的に「凡庸」に見えてしまったことは否めない。  続編を狙っているためか、諸々の設定が未回収な箇所も多く、本作単体の結末にカタルシスが得られなかったことも大きなマイナス要素だった。
[インターネット(字幕)] 6点(2022-08-15 22:25:11)
879.  フリー・ガイ
ゲーム(仮想現実)の世界を“救世主”が救う。 そのプロットは、この20年程の間で数々の映画で何度も描き出されてきた。 「マトリックス」を皮切りに、「シュガー・ラッシュ」、「LEGO® ムービー」、そして「レディ・プレイヤー1」に至るまで、主人公たちは広大で果てしないゲームの世界を縦横無尽に巡り、その世界の真理を見出していく。 そしてその救世主となる主人公たちに共通していること。それは、彼らがゲームの中の小さなプログラムの一つ、詰まるところの“モブキャラ”に過ぎない存在だったということだ。  泡沫のプログラムが、世界を構築する巨大なプログラムを“書き換え”影響を及ぼしていく。 それは、一つ一つの小さな生命が蠢き、社会を構築するこの現実(リアル)世界にも直結する要素であり、そこに人々は熱くなるのだろう。 僕自身も含め、世界中の殆どすべての人間たちが、社会という巨大なプログラムの歯車の一つである以上、プログラムの反抗というプロットに熱狂せずにはいられないのだと思う。  そしてここに、“熱狂”不可避の新たな“救世主”が誕生した。 ゲームの中のモブキャラがヒーローになるというストーリーテリングは、「マトリックス」から20数年が経過した現在においては、もはやベタベタであるが、だからこそ娯楽映画としての安定感は保証されているとも言える。  更には、主人公を演じるのがライアン・レイノルズとくれば、このニューヒーローが幾つもの「見えない壁」を越えてくれることは折り紙付きであり、そういう娯楽映画の文脈を踏まえたメタ要素も含めて楽しい映画だった。  ただ、ディズニー資本の影響からか、良い意味でも悪い意味でも毒っ気がないことも否めない。ライアン・レイノルズ主演のコメディ映画なのだから、もっと風刺的な要素も欲しかったところだ。 ベタなストーリーの王道は良しとしても、「想定の範囲」から少しも脱線することが無いので、一定以上の高揚感には欠けたと思う。  そういえば、正規プログラムのヒーロー役にチャニング・テイタムがキャスティングされていが、冒頭シーン以降登場しなかったのは残念。終盤もう少し上手い使い方があったのではないかな。
[インターネット(字幕)] 6点(2022-01-30 01:57:38)
880.  ワイルド・スピード/ジェットブレイク
「ワイルド・スピード/ジェットブレイク」という邦題だとつい忘れがちになってしまうが、「Fast & Furious 9」という原題を見ると“第9作目”という事実に少々唖然としてしまう。 「007」のようにキャストが刷新されたり、「スター・ウォーズ」のように章立てられた物語が時代を跨いで続いているシリーズは思いつくが、単一の時系列の中でほぼ同じ主要キャストによってシリーズ作が作り続けられているハリウッド大作が他にあるだろうか。 無論、人気のない作品がこれほどシリーズ作を積み重ねられるわけもなく、紆余曲折を経ているとはいえ、世界中から愛されている映画であることは、先ず称賛されるべきだと思える。  かくいう自分自身も、この娯楽大作シリーズを愛するファンの一人であり、最新作を楽しみにし続けている。 ファンとして敢えて断言するが、9作目にして完全なる「バカ映画」が爆誕している!と思う。 いや、とうの昔からバカ映画シリーズなんだけれども、本作はいよいよそのバカさ加減のメーターが振り切っている。  ストーリー展開や、物語のおける過去作との整合性云々は、もはや突っ込みだしたら泥沼にハマってしまうのでやめておこう。 そんなことよりも、味方のキャラクターが生身でどんなに吹き飛ばされても車のボンネットや天井で受け止めたら無傷で済むという謎ルールや、世界各国の路駐されている車はすべて無人で破壊し放題という治外法権ぶりや、宇宙航行を可能にする車体の超科学的頑丈さ等々を、「磁力最強!カッケー!」言いながら馬鹿になって楽しむべきだ。  そして、世界中の映画ファンが悲しみと共に納得し、諦めているのに、それでも彼の名前を呼び、彼の“席”を空け、彼を生き続けさせるこの映画のあまりにも熱い「家族愛」を見せつけられては、どんなにバカ映画の連作となろうとも、僕はこの映画シリーズを愛さずにはいられない。
[インターネット(字幕)] 6点(2021-12-30 00:35:31)(良:1票)
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