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鉄腕麗人さんの口コミ一覧[この方をお気に入り登録する

プロフィール
コメント数 2594
性別 男性
ホームページ https://tkl21.com
年齢 43歳
メールアドレス tkl1121@gj8.so-net.ne.jp
自己紹介 「自分が好きな映画が、良い映画」だと思います。
映画の評価はあくまで主観的なもので、それ以上でもそれ以下でもないと思います。

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1361.  ダブル・インパクト
「くっだらない」と言いたい映画だけど、良い意味でも悪い意味でもヴァン・ダムらしい映画と言えるかもしれない。アクションスターとして有名だけれど、もはや州知事まで登りつめたシュワルツェネッガーほどのスーパースターにはなりきれなかった根っからのB級っぽさこそ、今やジャン=クロード・ヴァン・ダムという俳優の魅力と言えるのではないか。だが、この映画はつまらない。
3点(2003-10-15 21:41:55)
1362.  フック
スティーブン・スピルバーグ監督作の中の数少ない駄作のひとつであることは間違いないと思う。豪華キャストで見所がないわけではないが、内容のわりに盛り上がることなく終わってしまった。スピルバーグには珍しく全体的に完成度が低かった。
3点(2003-10-14 15:28:19)
1363.  ラストマン・スタンディング
ご存知「用心棒」のリメイクであるが、ただただアウトロー的な暗さが続く一方で爽快感が最後まで無かった。それでも全体の雰囲気が良ければ見応えもあるというものだが、これといって引き付けられる描写もなく疲労感が残った。
3点(2003-10-11 15:50:10)
1364.  激流(1994)
ケビン・ベーコンの悪党ぶりは嫌悪感がもてるほど良かったのだけれど、脚本の出来がいまひとつチープだったので全体的にキャラクターが薄かった。メリル・ストリープが珍しく文字通り体を張った役に挑んでいるだけにもったいなかったと思う。
[ビデオ(字幕)] 3点(2003-10-10 03:23:16)
1365.  スーパーマン4/最強の敵
これまでのシリーズの持ち味だった要素の欠如も含めて、やはり今作は大きくトーンダウンしてしまった印象がある。安易にスーパーマンと似たようなキャラクターを登場させて「最強の敵」としてしまう段階で陳腐さが伺える。何年か前から話はあったけど、結局リメイクはされないのかな?
3点(2003-10-06 18:24:39)
1366.  デモリションマン
主役のスタローンよりも、悪役のウェズリー・スナイプスの演技が思い切りがよく印象に残った。スナイプスのキャラクターの影響か全体的にアメコミ風な雰囲気でアクション映画としてそれは良い方向に働いているのだけれど、スタローンの演技がいまひとつ乗り切れておらず、トーンダウンさせる。
[ビデオ(字幕)] 3点(2003-10-03 20:23:54)
1367.  ホット・ショット2
前作と比べるとストーリー性が薄く、完全なバカ映画になってしまっているのが前作が好きな者にとっては残念だった。まあ暇つぶしに見るくらいなら悪くないけど。
[ビデオ(吹替)] 3点(2003-09-29 11:34:49)
1368.  ランボー3/怒りのアフガン
このシリーズはシルベスター・スタローンの名を世界に知らしめてはいるけど、同時に彼の役者としての評価を押しとどめている作品のように思う。言い換えれば、演技者としての幅をせばめているとも言えると思うけど、どうもこのイメージが固執している気がする。
3点(2003-09-28 17:43:48)
1369.  ランボー/怒りの脱出
どうも好きになれないシリーズです。色あせてしまったアクション映画という感じが拭いきれない。怒り闘うランボーにあまり魅力を感じることができない。
3点(2003-09-28 17:40:17)
1370.  パトリオット・ゲーム
激しく印象の薄い映画。ストーリーの概要さえ思い出せない。ハリソン・フォードの険しい顔しか覚えがない……。
3点(2003-09-28 17:08:51)
1371.  ゴジラvsコング 《ネタバレ》 
今作は、或る意味、正統で真っ当な1962年の東宝映画「キングコング対ゴジラ」のハリウッド映画化と言えるだろう。  思い起こしてみれば、“モンスターバース”と銘打たれたこのハリウッド版“GODZILLA”シリーズは、“アメリカ”という国ででゴジラ映画を愛し続けてくれた映画人たちが、その“オタク魂”を遺憾なく発揮し続けたシリーズとも言える。 だからこそ僕は、これまでのシリーズ作において、“核の取り扱い”の一点において拭い去れない「嫌悪感」を示しつつも、製作陣のゴジラ映画やそれに付随する数々の特撮映画に対する「愛」を感じずにはいられなかったし、本多猪四郎や円谷英二、伊福部昭ら、東宝特撮映画のクリエイター達に対する尊敬の念に裏打ちされた映像世界に圧倒されたことを否定できなかった。  そういう意味で捉えるならば、この最新作もとい“モンスターバース”の一つの終着作とも言える今作も、ゴジラ映画や東宝特撮映画に対する「愛」に溢れた映画だと言えるだろう。  ただし、だ。今作の場合、その表現方法が、あまりにも「馬鹿」過ぎた。 その“馬鹿さ加減”も含めて、1962年の「キングコング対ゴジラ」だと言われれば、全くその通りなのだけれど、ただただひたすらに、その馬鹿さ加減のみが、地球3周くらい回って勢いがついた挙げ句にひっくり返って、無様にのたうち回っているようだった。  SF映画や怪獣映画として、“ストーリー”と呼べるものはまるで無く、「馬鹿」といか言いようがない登場人物たちが織りなす行きあたりばったりなストーリー展開が延々と続く印象を覚えた。 ゴジラとキングコングの文字通りの「肉弾戦」のビジュアルは流石に凄まじかったけれど、本当にどうかしていると思えるくらいにストーリー的な上手さやドラマ性が皆無なので、決戦描写が激しくなればなるほどに、どこか鼻白んでしまった。  クライマックスである香港決戦の描写や、地球空洞説を踏まえた空想科学要素は、個人的に好ましいエンターテイメント要素ではあったけれど、よくよく考えてみれば完全に「パシフィック・リム」の二番煎じでもあり、決してフレッシュではなかった。  そして今作のストーリーテリング上では“サプライズ”として登場する“メカゴジラ”も、何とも不格好でダサく、あまりにも魅力的でなかったことが傷口に塩を塗り込んでいる。 モデリングの醜悪さもさることながら、それを創り出し操っている人間が馬鹿すぎるので、メカゴジラの存在意義自体があまりにも希薄だった。 そもそも前作で登場したキングギドラの骨(DNA)をベースにしているのならば、“メカキングギドラ”でいいじゃん!と、「ゴジラVSキングギドラ(1991)」の大ファンとしては思わざるを得ない。 (そして、小栗旬の役柄の不憫さったらない……)   と、呆れて物が言えないくらいの不満を覚えながら、改めて思い知ったことは、アメリカ人にとっての「ゴジラ映画」とは、まさに今作のベースである「キングコング対ゴジラ」以降の、“怪獣プロレス”を延々と繰り広げた昭和ゴジラシリーズに尽きるのだろうということ。 彼らにとって「ゴジラ」とは、どこまでもいっても“核が生み出したヒーロー”であり、それは即ち自らが生み出したこの星の“都合のいい守護神”なのだ。  実際に、プロレスブーム全盛の昭和ゴジラシリーズが存在し、アメリカのオタクたちが愛した怪獣映画がそれらである以上、その結果生み出された映画を「否定」することはもはやお門違いなのかもしれない。 それでも、日本のゴジラ映画ファンの一人として、この映画が、馬鹿馬鹿し過ぎる作品であることは否定できないし、玉石混交のゴジラ映画シリーズの中においては、或る意味今作もその系譜に相応しい作品と言えると思う。   この「落胆」は、この国のゴジラ映画ファンとして、むしろ「安堵」と言えるものかもしれない。 「シン・ゴジラ」を特異点として、日本国内のクリエーターたちにおける“ゴジラ”に対する創造性は、「新解釈」と共に益々多様的に展開している。 アニメ映画版三部作や、今年(2021)Netflix配信されたアニメシリーズ「ゴジラ S.P」はその顕著でエキサイティングな産物だろう。  どれだけ莫大な予算や映画的人材を駆使したとしても、「ゴジラ」だけは、日本でしか描きぬくことができない。それは、この国の映画文化が最も誇るべきアイデンティティの一つなのではないかとすら思える。
[映画館(字幕)] 2点(2021-07-03 12:05:09)(良:1票)
1372.  アリータ:バトル・エンジェル 《ネタバレ》 
序盤から何だかいやな予感はしていた。 舞台はディストピア、何らかの過去を抱えた選ばれしヒロイン、苦境の中で芽生える無垢な恋心、絶対的権力と運命に対する若者たちの抗い……ああ、この流れは、典型的な量産型ティーン向けムービーじゃないか。 有り触れたクライマックスと、見え透いた続編に向けたラストシーンを迎えた頃には、すっかり気持ちは萎えてしまっていた。   ジェームズ・キャメロン、ロバート・ロドリゲスというビックネームが名を連ね、クリストフ・ヴァルツ、マハーシャラ・アリらアカデミー賞俳優が顔を並べた今作のインフォメーションは魅力的だった。 久しぶりに登場したジェームズ・キャメロン御大に「革新的映像!」と日本人向けに煽られては、そりゃ期待せずにはいられないじゃないか。 というわけで、昨年早々のトレーラー公開時から期待値は非常に高かったのだが、結果としては非常に残念な仕上がりだった。   映像世界の作りこみは確かに凄いとは思うが、決して目新しさがあったわけでもなく、「革新的」と謳うわりにはあまりに物足りなかった。 トレーラーの段階では、“違和感”を“期待感”が凌駕していたけれど、主人公の造形をあからさまなCGI的な風貌にした意図も、結局ちょっとよくわからなかった。  非人間的な造形のスーパーヒロインが、ひたすらにハードアクションを繰り広げ、死屍累々の上に立つさまをおぼろげに想像したが、そういう振り切れた描写も殆どなく、ロバート・ロドリゲスが監督を担った意味も皆無だったといわざるを得ない。   日本の原作漫画も未読なので、このあとにどんなストーリー展開が備わっているかは知らないけれど、少なくともこの映画作品の方向性では続編への期待は薄い。 ついでに、御大が満を持しての続編を公開する「アバター」に対しても、極めて懐疑的になってきた。
[映画館(字幕)] 2点(2019-02-23 23:58:41)
1373.  X-ミッション
1991年のヒット作「ハートブルー」のリメイクというが、正直おこがましい。非常に浅く、薄っぺらいアクション映画だった。 今作の無名俳優たちに、「ハートブルー」のキアヌ・リーヴスとパトリック・スウェイジと同等の“華”を求めることは酷だしせんないことだとは思うが、やはり何をおいても主人公キャラクターの二人の魅力があまりにも無さすぎた。  主人公はエクストリームスポーツYouTuber上がりの新人FBI捜査官という設定にオリジナルから改変されている。 「YouTuber」という設定で時代性を出したかったのかもしれないけれど、調子に乗った危険行為の挙句、巻き込んだ友人を死なせてしまうなんていう愚かなプロローグをいきなり見せられて、正直引く。 そんな愚行のせいでいくら傷心していても同情できないし、そんな状態で僅か数年でFBI捜査官に転身するなんてくだりにも、リアリティがまるでなく馬鹿馬鹿しく思える。  そんな主人公と共鳴し、立場上許されない友情と信頼を育んでいく犯罪集団のリーダーにもキャラクターとしての説得力が無かった。 とある崇高な思想でエクストリームスポーツの限界点に挑み続けるキャラクターだということは理解できるが、その描かれ方はただただ破滅的にしか見えず、人間としての魅力を感じることが出来ない。 このキャラクターに対して、主人公の捜査官も、我々観客も、犯罪者という立場を度外視した「憧れ」を抱かさなければ、そもそもこの映画は成立しないと思う。  「ハートブルー」がヒットしたのは、初主演で初々しいキアヌ・リーヴスのスター性と共に、パトリック・スウェイジが扮した“カリスマ犯罪者”に確かな魅力が備わっていたからだろう。   一方で、そういった人間ドラマを覆い隠すように全面的にプロモーションされていたエクストリームスポーツによるアクションシーンに見応えがあったかというと、それも正直弱い。 あらゆるエクストリームスポーツの限界点をクリアすることで不可能犯罪を可能にする犯罪集団という設定が、このリメイク企画の最大のウリだったはずだが、実際にそれらのシーンが描かれたのは主人公が直接操作に絡む前の“プロローグ”のみ。 特に主人公が実際に潜入捜査に関わってから以降は、カリスマ犯罪者が、ただ純粋に人間の限界に挑戦することのみを目的とするシーンの羅列のため、物語の推進力が著しく低下していたと思う。  それに、当初の触れ込みでは「CG無し」ということだったので、現実世界のエクストリームスポーツのプレイヤーたちがすべてのアクションシーンを見せてくれるのだろうと期待していたのだが、実際は明らかに現実離れなシーンが多く、CGも大いに多用されていたように見えた。  そして、ラスト。死にゆく友を見送る様は「ハートブルー」と同じだが、いかんせん人間ドラマ的にもアクション的にも求心力が皆無のため、その様はただただ希薄で滑稽に見える。  詰まるところ、愚行で始まり、愚行で終わる映画にしか見えなかった。
[インターネット(字幕)] 2点(2017-03-30 10:20:20)
1374.  アサシン クリード 《ネタバレ》 
出張中、深夜。新宿某映画館の大スクリーンに流れるエンドロールを見ながら、「ああ、久しぶりにまあまあ酷い映画を観たなあ」と思った。 どんなに目を伏せても、耳をふさいでも、ついつい溢れかえっている映画評を見聞きしてしまう昨今だったが、幸か不幸か今作においては殆ど事前情報を入れることなく、“マイケル・ファスベンダー主演”という認識だけ携えて鑑賞に至った。 個人的には、このところ極端な酷評に値する映画を劇場で観ることがなかったので、逆に安堵感すら覚えてしまった。  というわけで、人気ビデオゲームの映画化であるということすら鑑賞後に知った始末。(コミックの映画化だとばかり思っていた) 何が悪いコレが駄目と列挙するのも辟易するが、取り敢えず主人公の存在意義が「媒体」という要素に終始し、キャラクターとしての魅力を全く感じないことが根本的な問題だと思う。 勿論、ビデオゲーム作品内では、「媒体」としての主人公キャラにプレイヤーが“シンクロ”してミッションクリアを目指していくわけなのだろうけれど、ビデオゲームの映画化ってそういうことじゃないだろうと思うし、娯楽としてあまりに“下手っぴ”だと感じずにはいられなかった。  原作ゲームの概要を見てみると、“暗殺者”である主人公が潜入し極秘裏にミッションを遂行していく設定が最大の魅力らしいのに、この映画化においては皆無と言っていいほど「潜入感」が希薄なことも、著しく面白味に欠けている要因の一つだろうと思う。 「マトリックス」なり、「ミッション:8ミニッツ」なり、同様のゲーム的感覚を活かした傑作はいくらでもあるのだから、原作ゲームの醍醐味を反映できなかったことは、完全に製作陣の実力不足、いや怠慢だろう。  主人公をはじめとするすべての登場人物たちの行動原理もまったくもって理解不能。 映画内だけで通用する固有名詞と専門用語を羅列するばかりで、本質的な人間描写に整合性がなく、はっきり言って善玉と悪玉の区別すらつきづらい。安直に「厨二病的」と片付けるには、厨二病に失礼だ。   主演のマイケル・ファスベンダーとマリオン・コティヤールは、この監督の前作にも出演していたらしいが、今作を選択したことで彼らの出演が叶わなかった映画企画があることを思うと、非常に勿体無い。 両者とも、現在のハリウッドにおけるトップ・オブ・トップの油の乗り切ったスター俳優なのだから、作品選びの責任の重さを自覚してほしい。 あきらかに“そのつもり”のようだが、勿論シリーズ化には断固反対である。   冒頭で、“鷲”の安っぽいCGをこれ見よがしに見せられた時点で嫌な予感はした。 ああ、やっぱり各方面で激賞されている韓国映画を観に行けばよかったと、項垂れてながら宿に向かう深夜の新宿。
[映画館(字幕)] 2点(2017-03-16 08:47:37)(良:1票)
1375.  ダイバージェント
企画自体の“意図”を理解せぬまま観ていたので、SF映画としての何とも言えぬ程度の低さと、軽く浅はかな人物描写の“正体”を見極められぬまま、この完成度の低い映画を観終えた。  悲壮感が漂うべきディストピアを描きながら、全編通して滲み出てくる軽薄さの正体。 それは、この映画が“ティーン向け”の企画であるということだった。  ストーリーの大部分を半ば意味不明に占める“学園モノ感”、ありがちな“スポ根感”に、薄っぺらい“友情”と“裏切り”と“恋模様”。 どうしてこのディストピア映画には、こんなにも無駄な要素が散りばめられているのだろうと、終始感じ続けた違和感の正体こそが、“ティーン向け”という一言に集約される。 「ああ、成る程」と、変な具合に合点がいってしまった。  終末戦争を経て、人間を5つの精神的なカテゴリーに分別し管理する社会という発想は、説得力には欠けるけれど、この手のSF映画の設定として悪くはないと思えた。 この設定を礎にして、人間の持つ本質や社会の哲学性が導き出されることを期待した。 が、当然ながら、そんな気の利いたストーリー展開が用意されているわけもなく、ただただ浅はかで、冗長なストーリーに終始していた。  誰が見ても明らかだろうが、物語の根幹であるはずの“5つの派閥”という設定が全く生かされていない。 「無欲」出身の主人公が、「勇敢」に鞍替えして、「博学」の横暴に立ち向かうという展開なわけだが、残りの「平和」と「高潔」は何をしてるんだというくらいに描写が皆無である。 というよりも、映画のほぼ8割方は、「勇敢」に属した主人公らの“学園青春ドラマ”を延々と見せられる。 そもそも、「勇敢」の阿呆ぶりは最初からヒドくて、どうして主人公が彼らの生き方に憧れを抱くのかあまりに理解不能であった。  どうやら「ハンガー・ゲーム」のヒットを受けて、二番煎じを狙った企画のようだが、主人公の女の子は、残念ながらジェニファー・ローレンスにはなれないだろう。 そして、どうしてケイト・ウィンスレットはこんな映画に出ちゃったのか……。  最後に、あの派閥選択の儀式は時間がかかりすぎるだろうから、やり方を変えた方がいいと思う。 
[CS・衛星(字幕)] 2点(2015-03-22 21:52:06)(良:1票)
1376.  ステルス 《ネタバレ》 
多かれ少なかれ確実に反米感情を持っている各国(実名)に対して、阿呆なくらいに一方的に“戦争の口実”を与えまくり、主人公達が暢気に愛を語り合うラストシーンの同日には、きっと第三次世界大戦が勃発しているだろうと想像するしか無い馬鹿過ぎる映画だった。 ただただドンパチが売りの娯楽映画なので、その馬鹿さ加減も一笑に伏して楽しむべき映画だということは分かっているが、それにしたって酷い。  人工知能を備えたスーパー戦闘機が暴走し人間に攻撃を始めるというプロットは、安直ではあるが、SF的要素も含んでいそうで魅力的には思えた。 「地球爆破作戦」のようなコンピューターの反乱が、人類への警鐘も含めて描かれるのかと思ったが、実際は想像以上に馬鹿な人工知能が何でもかんでも“表面的”に学習して、ただただ暴走するだけだった。  それならそれで、主人公らトップガンたちとスーパー戦闘機の攻防がシンプルに描けばいいものを、実は馬鹿な人工知能以上に大馬鹿な上官が諸悪の対象と移り変わり、結局は主人公とスーパー戦闘機との間に友情めいたものが芽生えるという始末。  そもそも期待も何もないので、残念に思うことも全くないのだけれど、これほどまで全編通して爽快感がなく、むしろ居心地の悪さを感じる娯楽映画も珍しい。
[地上波(吹替)] 2点(2012-09-23 01:30:24)
1377.  ウォッチメン 《ネタバレ》 
アメリカン・コミック映画は好きである。 スーパーヒーローや悪役たちの独特の「大味」さや、良い意味での設定の大雑把さは、“クオリティー”という円周を一周して、物凄く完成された“文化”だと思う。  ただ、日本の「漫画」がそうであるように、「アメコミ」も踏み込めば踏み込むほど、“マニア趣向”になっていき、価値観は多岐に広がり、必ずしも万人受けする類いのものではなくなってくると思う。  そう、スーパーヒーローたちの「陰」を徹底的に描いた今作、その異質さは素晴らしいと言えるが、必ずしも面白くはない。  一言で言うと、あまりに「スマートでない」ということを感じた。  さらに平たく表現するならば、“スーパーヒーロー”という宿命を持った者たちの、心の闇と葛藤をベースに、ウジウジウジウジと悩み、崩れ落ちていく様を描いた映画だ。  詰まるところ、爽快感とは程遠く、3時間近い長尺が進むにつれ、観ている方もどんどん滅入ってくる。  先に言ったように、アメコミ映画の本流に反するその異質さは良いと思う。 「正義」と「平和」を体現するスーパーヒーローたちが、その本質に疑問符を持ち、迷い、堕ちる様など、崇高な哲学性をも備えるテーマ性だと思う。  ただし、その描き方があまりにクドい。 主体となるキャラクターがあやふやなので、それぞれの俳優たちに華もないので、今ひとつ感情移入ができない。 そして、ウジウジ、クドクドと引っ張った挙げ句、それほど大した結論は得られない   この無情さ、邪道さが好きな人もいると思うし、ほんの少し映画の作り方が違っていれば、大好きな映画になっていたかもしれない。 ただ現実としては、オープニングだけでジューブンな映画だった。
[映画館(字幕)] 2点(2009-04-10 15:14:26)
1378.  ジャンパー 《ネタバレ》 
「ジャンパー」なんて至極“単純”なタイトルを掲げるだけに、ストーリーの深みなど端から期待すべきではないし、期待はしていなかったのだけれど、想像の範疇を超えて、薄っぺらい映画だったと言わざるを得ない。  そもそも主人公のキャラクター自体に、一つの映画を率いるだけの魅力や深みが備わっていないことが、最大の問題だと思う。 ストーリーの深みなんてなくても、主人公のキャラクター性だけで娯楽映画として成功している映画は沢山ある。要は、観賞後に何も残らなくともせめて鑑賞中は繰り広げられる映画世界に“楽しみ”を見出せられることが重要なのだが、映像の派手さのわりにどうにも痛快性に欠ける映画だった。  ただただ繰り返されるのは、ジャンパーという特殊能力者とそれを追う組織との“追いかけっこ”。それならそれで、ひたすらに“追う者”と“追われる者”との対決を描き連ねればまだシンプルなB級娯楽として仕上がったかもしれないが、映像的な見せ場は、能力者同士のやり取りが中心でストーリーの核心に触れてこない。 これではただ世界中の色々な場所でロケーションを繰り返し、格好良く仕上げたプロモーションビデオである。  なんかコレ、端から三部作構成にするつもりらしいが、“ジェイソン・ボーン”シリーズのような成功を期待しているとしたら、酷く浅はかな話だ。
[映画館(字幕)] 2点(2008-03-22 02:46:12)
1379.  ウルトラヴァイオレット(2006)
思えば昨年の夏頃だったか。この映画は映画館で観るべきかどうか葛藤した記憶がある。 何と言っても、ミラ・ジョヴォヴィッチの大ファンである者としては、大スクリーンで彼女の勇姿を見たいのはやまやま。監督も「リベリオン」でとても刺激的なアクションシーンを描き出した人だけに、期待は膨らんだ。 が、同年の春先に観たシャリーズ・セロン主演「イーオン・フラックス」は最悪の出来……、もう“スーパーヒロインアクション”は「限界」でしょう~というのが、その時の印象だった。 結果的に今ひとつテンションも上がらなかったので、DVDでいいやということになった。  「正解」だった。  いやあ、ひどいなコレは。バリバリのアクションシーンが羅列されるのにも関わらず、退屈で仕方がない。 チープなストーリーの上に、スタイリッシュぶった完成度の低い映像美の連続は、美しくはあるが映画として巧くはなく、少々手の込んだミュージックビデオを見ているようだった。 疲れていたせいもあるだろうが、だんだん字幕を読むのも面倒くさくなって、個人的には最大の“禁じ手”である日本語吹き替えにしてしまった。  ミラ・ジョヴォヴィッチもアクションゲーム好きなのは分かるが、もう少し出演作の内容を選ぶべきだろう。 
[DVD(吹替)] 2点(2007-01-16 14:28:26)
1380.  007/ワールド・イズ・ノット・イナフ
まだ3作ほどしか観ていないが、個人的に007シリーズにはヒットがない。今作においては、中途半端なアクションと歯切れの悪い展開によって、あまり娯楽性すら感じることができなかった。観ていないので分からないけど、過去のシリーズの方がやはり面白いのだろうか。
2点(2004-01-30 14:45:34)
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