Menu
 > レビュワー
 > 目隠シスト さんの口コミ一覧
目隠シストさんの口コミ一覧[この方をお気に入り登録する

プロフィール
コメント数 2302
性別 男性
ホームページ https://twitter.com/BM5HL61cMElwKbP
年齢 53歳
自己紹介 お世話になっております。
今年もよろしくお願いします。


※映画とは関係ない個人メモ
2025年12月31日までにBMI22を目指すぞ!!

表示切替メニュー
レビュー関連 レビュー表示
レビュー表示(投票数)
その他レビュー表示
その他投稿関連 名セリフ・名シーン・小ネタ表示
キャスト・スタッフ名言表示
あらすじ・プロフィール表示
統計関連 製作国別レビュー統計
年代別レビュー統計
好みチェック 好みが近いレビュワー一覧
好みが近いレビュワーより抜粋したお勧め作品一覧
要望関連 作品新規登録 / 変更 要望表示
人物新規登録 / 変更 要望表示
(登録済)作品新規登録表示
(登録済)人物新規登録表示
予約データ 表示
【製作国 : アメリカ 抽出】 >> 製作国別レビュー統計
評価順1234567891011121314151617181920
2122232425262728293031323334353637383940
41424344
投稿日付順1234567891011121314151617181920
2122232425262728293031323334353637383940
41424344
変更日付順1234567891011121314151617181920
2122232425262728293031323334353637383940
41424344
>> カレンダー表示
>> 通常表示
1.  お坊様と鉄砲 《ネタバレ》 
実はほんのりサスペンス風味あり。ネタバレしていますのでご注意ください。  白状すると最後僧侶が鉄砲で無茶苦茶すると思ってました。選挙担当の役人を撃ち殺すか、さもなくば決闘を申し込むか。そのための鉄砲2丁。AK47で地獄絵図ですよ。逆に仏教ぽい。そんな物騒な映画でないのはポスターを観れば分かりそうなものですが、直前まで『ウォーターシップ・ダウンのうさぎたち』と本作どちらを劇場鑑賞するか迷っていたため変な先入観があったかもしれません。こんな戯言黙っていれば済む話ですが、そんな殊勝な人間が長文レビューを投稿するはずもなく。いらん前置き失礼しました。 で感想ですが、シンプルにとても良かったです。ブータン初めての選挙。それは勝ち取ったのではなく与えられた民主主義。選挙担当の役人に対して選挙運動が原因で家庭不和に悩んでいる母親が放った「私たちが民主主義を望んだわけじゃない」という言葉に痺れました。民主化、近代化、貨幣価値。善って何?物事の値打ちは誰が決める?問い掛けは実に単純です。でも「当たり前」に染まっている身では気づけない。気づけるはずもない。私にとって有益な学びがある映画でした。かといって説教臭さは一切ありません。ウイットに富む軽やかな社会風刺が実に小気味よく、ハートフルなのに意外とサスペンスなドラマに合っていました。派手な展開こそありませんが(もしかすると序盤は退屈するかも)、しっかりお出汁の効いた旨味たっぷりの物語だったと思います。後味もスッキリで良いオチ。誰も不幸になっていません。流石幸せの国ブータンですね。観られる映画館は限られると思いますが、日本人にこそ是非お勧めしたい映画です。
[映画館(字幕)] 8点(2024-12-22 10:00:28)
2.  タコゲーム 《ネタバレ》 
パロディ邦題を日本配給時に付けたパターンかと思いきや、原題が『The Oct Games』。つまり元から「柳の下のどじょう」を狙った映画だったようです。日本配給会社はこの類の映画ならお任せ、ご存じアルバトロス。作品のビジュアルイメージは彼の作品を想起させるものの“本編で登場しない”服装や状況であり、要するにパッケージ詐欺です。悪質っちゃあ悪質ですがアルバトロスのやる事に目くじらを立てても仕方ありません。こういうポジションを獲得すると得ですな。 さて物語を要約しますと『集められたプレイヤーに8種類の子ども遊びに挑戦してもらい、最終的に勝ち残った一人に豪華賞品を進呈する』というもの。勿論敗者には死が待つデスゲームです。このタイプのホラーは履いて捨てるほど量産されていますが、特筆すべき点が一つありました。優勝者に約束の報酬がきちんと支払われたのです。フォロワー数1億1千万人のアカウントの譲渡。ちゃぶ台返しがデフォルトの有報酬デスゲームでなんと誠実な対応でしょう(元ネタの方は観ていないので知りません)。「犯罪に使われたアカウントは使えないでしょ」という至極真っ当な疑問はこの際無視してください。それより深刻なのは、肝心のデスゲームが壊滅的に面白くないこと。やる気が微塵も感じらないというか、子供騙しにすら達していないというか。このような安易な企画がよく通ったものだと逆に感心します。ちなみにゲーム運営側のひとりが最後に意味ありげに顔を晒しますが、主人公はもちろん観客の誰もが「お前誰だよ!」と心の中で突っ込んだはずです。少なくとも日本語吹き替え声優はTAIGAさんにすべきであったと本気で思っています。
[インターネット(吹替)] 2点(2024-10-01 18:58:58)
3.  ザ・ピーナッツバター・ファルコン 《ネタバレ》 
タイトル『ピーナッツバター・ファルコン』とは、ダウン症の青年ザックがプロレスラーになれた暁に着けたいリングネームであり、旅先で購入した食料品に由来します。ピーナッツバターは我々日本人にとっては単に「パンに塗る甘い(甘過ぎる)食べ物」ですが、欧米人にとってはもっと特別な意味(価値)を持つ気がしました。子どもの頃から慣れ親しんだ味。ハイカロリーなソウルフード。貧乏旅の道中なけなしの金で購入した唯一の食料と考えればその重要度が窺い知れます。旅を人生に喩えるならば、ピーナッツバターが指し示すのは「夢」と考えられないでしょうか。「活力の源」であり「なくてはならないもの」。ザックにとっては“プロレスラーになりたい”が旅の原動力でした。ただしこの夢はピーナッツバターのように甘い見立てだったと言わざるを得ません。目指したプロレス道場は廃業済み。うらぶれた野外リングに思い出作りに立たせてもらうのが関の山。夢みた輝かしい未来は其処にはありません。でもだから“叶わぬ夢などみるだけ無駄”なのでしょうか。いいえ。そうは思いません。ザックは勇気をもって一歩踏み出したからこそタイラーと出会い、エレノアと共に旅する機会を得たのです。 結末は3人揃ってフロリダへ。彼らは新天地でどんな生活を望むのでしょう。観光客相手に舟を出し悠々自適に生活する?じゃあ資金は?住まいは?3人で暮らせるの?タイラーの夢もまたピーナッツバター。甘過ぎます。見通しは明るくありません。ただし夢が叶う可能性はゼロではありません。1パーセントくらいはあるかもしれない。ならばGOです。「人生のチャレンジは肯定されなければならない」から。ただし「チャレンジのみが肯定される」ではありません。ライフステージごとに「出来ること」「出来ないこと」「したほうがよいこと」「しないほうがよいこと」は存在します。「チャレンジ」と同じくらい「諦める」にも価値があります。私は夢へ向かってGOと言いましたが、無理と見切ったら素早く切り替えることが肝要です。意識すべきは時間。時間とは命そのもの。一番の悪手は時間を浪費することです。タイラーは地元で金縛りでしたが(そうなった経緯や心情は理解しますが)もっと早くコミュニティを離れていたら半殺しにされる事も無かったでしょう。ザックもプロレスラーへの夢を早い段階で諦めたからこそ、新たな道が開けたとも言えます。おっとプロレスラーになる夢を諦めたかどうかは不明ですね。失礼しました。 プロレス技・通称「デッドリードライブ」(劇中では別の呼称。相手を両手で頭上に掲げ投げ捨てる荒技)はカメラアングルを用いた演出(ヤラセ)との告白がありますが、あれはザックにやらせない為の方便。実在する技です。でも素人には到底出来るはずがないのも事実。しかしザックはやってのけました。場外へ投げ捨てる非人道的アレンジではありますが(苦笑)。さてあの事象をどう捉えましょうか。 多分ファンタジーと考えるのが一般的だと思います。ピーナツバターのように甘い嘘。結末も含め集中治療室のベッドでタイラーがみた夢と解釈すれば腑に落ちます。でもそう考えて何の得があるの?とも思うのです。奇跡が起きたと素直に捉えた方がワクワクする。本作の場合それでいい気がしました。ザックにあんな大技が繰り出せるのなら、この先3人にどんな奇跡が起きようと不思議ではありませんし。繰り返しますが「チャレンジは肯定されなければならない」です。「もしもあの時ああしていたら」と振り返る人生は切ないです。それはもう本当に辛い。だから結果はどうあれ挑戦するのです。後悔をひとつでも少なくするために。全ては今際の際で笑うために。きっと私たちの手にはピーナッツバターがひとつあればいいのだと思います。
[インターネット(吹替)] 9点(2024-09-25 19:11:43)(良:1票)
4.  キラー・ナマケモノ 《ネタバレ》 
『チャイルド・プレイ』が公開された1980年代であれば、そして河崎実監督であれば、ぬいぐるみ感が否めないナマケモノの造形も奇想天外な能力もさほど違和感は無かったかもしれません。いや違いますね。珍品映画界の盟主・河崎実監督であってもナマケモノを殺人鬼に仕立てるなら、それ相当の言い訳を用意したはずです。突然変異、DNA操作、悪魔の憑依とか。スマホを操作し、自動車を運転し、真剣白刃取りまでしてしまう殺人ナマケモノを、何の説明も無く提供してしまう映画がクレイジーなのは言うまでもありません。ただ逆に考えるなら言い訳一つあればこの無茶な設定は成立しました。例えば「ナマケモノは宇宙人だった」としてみましょう。あら不思議。前述した数々の「そんな訳ねえだろ」から疑念が消え去ります。この辺の「味付け」はお客様次第と言われるなら別に腹も立ちません。好き勝手に解釈します。しかしナマケモノ(名前はアルファでしたっけ)が犯した殺人の数々が明るみにならなかったのは何故でしょう。自動車を運転できるなら殺人の隠蔽くらいお手の物でしょうが、学生が突然居なくなった事実は消せません。どうして誰も騒がないの?10日程の間に4、5人は殺された気がしますが。このあたりの事情はアメリカの大学生文化が分からないとちと辛い。学生が突然消えるなど日常茶飯事。「どうせボーイフレンドとしけ込んでいるんでしょ」(言い方が古い)と判断されたと推測しました。少なくとも大学の寮長を決める選挙に躍起になる感覚や謎の伝統儀式、あるいはスクールカーストを懐かしんだり嘲笑できたりする人向けの映画なのは間違いありません。やはり映画を楽しむには「教養」が欠かせません。そういう意味で本作を楽しむ素養が私には足りませんでした。河崎実作品で「珍品」は結構勉強したつもりなんですけど。
[インターネット(吹替)] 4点(2024-09-23 14:51:54)(良:1票)
5.  人狼ゲーム 夜になったら、最後 《ネタバレ》 
「全米初登場第10位!」というあまり見たことない控えめな(でもよく考えると十分凄い)煽り文句に心動かされて鑑賞。停電!道路遮断!繋がらない携帯電話!雪山のホテルに館詰め!さあ人狼ゲームの準備は整った!との予告編はなかなか魅力的でしたが、実際のところ出鱈目とは言わないまでもJARO案件の匂いがプンプンします。自然災害と何者かの工作により孤立する町。一度は住民全員でホテルに泊まると決めたものの、被害者が一人出た時点でもうバラバラ。みんな自宅に帰ってしまいます。そりゃそうだ。殺人鬼が宿泊者の誰かと疑われる状況ならば、一緒に泊まるメリットはありません。このあたり設定がゆるい。せめて外は猛吹雪で帰宅不可にしないと。もっともソリッドシチュエーションが過ぎるとこの後の展開が続きません。「人狼ゲーム」の名が付いているものの実際は「ゲーム」ではなく「ルール」もありません。怪しい住民を順番に吊るす事は出来ませんし、殺人鬼も厳戒態勢下では容易に獲物を狩れません。ある程度人を流動させるのは仕方がないかと。ただ折角閉鎖空間で高まった緊張感が、フィールド開放と共に霧散してしまったのは残念でした。「人狼ゲーム」とはあまり関係なく、何人か殺され何人か事故死。終盤にきて急にストーリーが渋滞した気がします。結局「人狼なんて居なかった」じゃなかった点は評価しますが、サスペンスとして楽しめるかというと微妙。ブラックコメディと割り切って観た方が良さそうです。
[インターネット(吹替)] 6点(2024-09-21 16:51:31)
6.  スクリーム(2022) 《ネタバレ》 
まずお詫び。『スクリーム』シリーズは「多少知識はあるがガッツリ観ていないこと」また「本作を第1作目のリメイクと勘違いしたこと」何なら「スクリームとワイルドシングスシリーズを混同していたこと」。以上かなり誤った認識で本作を鑑賞してしまいました。申し訳ございません。シリーズ映画なのに前提となる知識が欠けていることをご容赦ください。ちなみに本作のシリーズナンバリングは『5』。そう付けなかった理由は観て分かりましたが、そう書いてくれたら間違わなかった(観なかった)のに。なおネタバレしていますのでご注意ください。  劇中キーワードとして度々出てくる『スタブ』なる単語は、スクリームの生存者が実体験に着想を得て執筆したホラー小説だそう。要するに『スクリーム』=『スタブ』と見立ててよく、いわゆる劇中劇スタイルでした。でいきなりネタバレですが、本作は『スタブ』の熱狂的ファンが引き起こした連続殺人。動機は『スタブ』続編の出来があまりにも酷いから。犯人は「スタブシリーズとはこうあるべし」との見本を示したかったようです。理念は原点回帰。だから本作のタイトルからもあえて『5』を外した訳です。うーん。動機が糞。穿った見方をするならば「ホラー映画マニアなんてとち狂った奴らばかり」とも言えます。これは『スクリーム』の続編に寄せられた苦情に対する制作サイドからのアンサーかもしれません。評判悪かったんでしょうか?いずれにせよ大切な顧客に対して酷い物言いと言えましょう。映画愛溢れる『ニューシネマパラダイス』とは真逆であります。 『スクリーム』はやたらと“ホラー映画のお約束”を気にします。「こんな言動はするな。殺されるぞ」と。まさに本作の被害者もこのルールに則り殺されており思わずニヤリとさせられます。だからこそ本シリーズは人気なのでしょうが「あんなお面付けていたら人殺しなんて出来ないだろ」とか「銃なんて持ち出すなよ。興ざめじゃん」は言わないのですか?シリーズに対する見識が不足している為分かりかねますが、個人的に気になるポイントです。このあたり私の持論は『サンクスビギンズ』内で真面目に述べておりますので併せてお読みいただけると幸いです。 ミステリーとしての出来はどうでしょうか。体型を隠すファッションゆえ殺人鬼の性別は不明ですが、殺害方法で腕力を使用している為「犯人=男」は確定でした。それなら何故クライマックスまで男性容疑者を複数人残しておかなかったのでしょう。私はてっきり昨今のジェンダーレス化の影響を受け「見た目は女。でも遺伝子的には男」なサプライズキャラがいるとばかり思っていたのに。このあたりの「手抜かり」は単に脚本の欠陥なのか、あるいは「素人脚本家(=スタブファン=犯人)の考える事なんてどうせこの程度のものだ」という裏メッセージでしょうか。真相は測りかねますが、メタ構造ならではの「面倒くささ」を感じずにはいられません。 ところで本作の主人公は誰でしょう。普通に考えればお姉ちゃん=サムでしょうが、ビジュアルイメージではシリーズのレギュラーメンバーの顔の方が大きく写されています。原点回帰のテーマにも沿うので、彼女らがやはり主役だったのでしょうか。うまく世代交代できれば次作で残りのオリジナルメンバーが殺され有名俳優のギャラが削減できそう。『太陽にほえろ』方式ですな。ホラー映画で殺人鬼の方が交代し被害者側が固定というのもなかなか斬新なシリーズだと思います。
[インターネット(吹替)] 6点(2024-09-18 18:24:42)
7.  サンクスギビング 《ネタバレ》 
聞けば『マチューテ』同様のネタ映画だそう。マジレスするのもどうかと思いますが「王道スラッシャーホラー」に対する雑感として記載します。 ご存じ『13日の金曜日』のジェイソンはホッケーマスク、『ハロウィン』のブギーマンはラバーマスク。殺人鬼は顔を隠すのがデフォルトです。理由の第一は顔バレを防ぐため。そして何より不気味だから。身も蓋もないですけど。でもちょっと考えれば分かるようにマスクは不便です。視界は遮られ、息もし難い。命のやり取りをする修羅場でマスクを着用するのは不合理です。そう彼らのマスクは“ハンデを負ってでも着用する意義がある必需品”ということ。いわば殺人鬼としてのアイデンティティ。本作では復讐の発端となった惨劇「感謝祭」を象徴するお面が選ばれました。これは分かり易い。納得できます。でも現実に祭りのお面を付けて人殺しが出来るでしょうか。答えはNO。正対しないと相手を視認できないのではお話になりません。もっともこれはジェイソンにだって言えること。しかし本作ほど違和感がないのは、彼が大男だからです。ブギーマンやレザーフェイスも然り。歴代のメジャー殺人鬼は基本「大男」でした。マスク着用のハンデがあろうとも“揺るがない戦闘力(殺人力)”を感じさせるキャラクター。その観点から本作の殺人鬼は「体格不足」でありました。ミステリーであるがゆえの弱点。本来「中肉中背」では殺人鬼としてのポテンシャルに欠けるのです(ちなみにこのタイプの殺人鬼には『スクリーム』のゴーストフェイスも該当します)。となると“揺るがない戦闘力”を体格以外で示したいところ。そう武器。武器で殺傷能力を示せばいい。本作の殺人鬼は斧以外に銃を使用しました。銃なら問答無用の殺傷能力です。でもこれはスラッシャーホラーの様式美に反する行為では。詫びも寂もありません。「あえて皮肉った」可能性もありますが、ネタ映画であるなら尚のことスラッシャーホラーの「様式美」や「流儀」に拘って欲しかったと感じます。では飛び道具以外で、かすっただけでも絶命させるような強力な武器は何でしょう。ずばり「毒手」がおススメ。マスク系中肉中背殺人鬼は全員「毒手」をご利用ください。「毒手」って何?な常識人は「柳龍光」で検索ください。ただし殺人鬼はいつも手袋をしているキャラクターにならざるを得ないので「タクシー運転手」か「手タレ」に限定されてしまいますが。 さて、本作の殺人鬼もご多分に漏れず死体が見つかりませんでした。続編及び不死身キャラのフラグが立ちました。もう犯人は特定されたので顔を隠す必要はありませんが、きっと次回もお面を付けてくるでしょう。でも前述したように様式美無視の無粋な真似は勘弁願いたい。と言う訳で続編では「毒手」採用を希望します。あるいは「骨延長手術」で2mオーバーの大男になってください。「骨延長手術」が不明の場合は「ジャック・ハンマー」で検索ください。
[インターネット(字幕)] 5点(2024-08-07 18:31:31)(笑:1票)
8.  Pearl パール 《ネタバレ》 
牧歌的な“古き良き”田舎暮らしにそぐわない鮮烈かつ容赦のない殺戮描写。A24ブランドの名に恥じぬハイセンスなサイコホラーが展開されます。聞けば3部作の2作目とのこと。1作目『X』より出来が良いと思いました。何といっても主演のミア・ゴスが素晴らしい。鬱屈した心情、爆発する狂気。圧巻だったのはエンドクレジット越しの「長すぎる笑顔」でしょう。もはや「顔芸」ですが、これを見せたいが為の映画だったとさえ思えます。絶品でした。だからこそ一瞬といえども予告編でこのシーンを使うのは悪手では。必殺技は出し惜しみしてください。 やはり気になるのはパールの「幼さ」「未熟さ」でした。夢を見るのは構いませんが、夢の中から出てこないのは困ります。相川七瀬(織田哲郎)の言う通り。彼女の犯した「殺戮」は「現実逃避」と同義。だから事後、必死に「いつもの生活」を演じたのでしょう。でも自分で自分を騙している自覚はあるから前述した「長すぎる“苦しみの”笑顔」になったと。恐ろしくも哀れです。『X』をみるに彼女はこの精神のまま年老いた様子。それは彼女の現実逃避を容認した者がいることを意味しました。夫=ハワードの罪は、パールの犯した罪と同等です。 得てして「若さ=正義」とされる風潮がありますが、精神が未成熟であることはむしろ悪です。ソクラテスの『無知は罪』ならぬ『未熟は罪』。パールの残虐性は幼さの裏返しでもありました。子どもが戯れに虫を殺すのと同じ。もちろん、同じ生き物を殺すにしてもグラデーションはあります。虫は殺せても小動物は殺せません。これが一般的に共有されている「越えられない一線」でしょう。そういう意味でタイトルバックにもなった「ガチョウ殺し」は、彼女が「こちら側」ではなく「あちら側」の人間であることを示唆しています。あるいはクロコダイルダンディもびっくり無類のワニ好きかもしれませんけど。 ところで今頃気づいたのですが『X』の年老いたパールもミア・ゴスなのですね。主役のマキシーンもミアですし二役でしたか。つまり本シリーズはミア・ゴス祭り。大したものです。でも大嫌いだった上司に似ているのでミア・ゴスは嫌いです。
[インターネット(吹替)] 7点(2024-07-19 18:22:46)(笑:1票) (良:1票)
9.  ゾンビランド:ダブルタップ 《ネタバレ》 
主要キャスト勢揃いで10年ぶりに制作されたシリーズ2作目。劇中でも10年経過しているため配役に関する違和感はゼロです。普通10年もあれば誰か不祥事を起こしていたり、事務所と揉めていたり、あるいはギャラが高騰していたり、様々な理由で再登板に支障がありそうなものですが、主役4人がちゃんと『ゾンビランド』に戻ってきてくれました。ほぼ「奇跡」と言っていい完璧な続編の在り方だと思います。更に嬉しい事にあのビル・マーレイ(本人役)まで再登場ですよ。つくづく天晴れであります。 変わらないのはキャストだけではありません。世界観も演出も脚本も、何から何までお馴染みの味。続編にありがちなリニューアルやパワーアップなど一切無し。それだけフォーマットが完成されているということでしょう。帰結についても前作踏襲。大切なのは「場所」ではなく「人」。「どこに住むか」ではなく「誰と暮らすか」。勤め人にとっては「勤務地」「業務内容」より「上司」「同僚」「部下」の方が遥かに重要であることに異論は無いでしょう。この主張に基づき明確に存在を否定されたのが「バビロン」でした。モチーフは横山光輝『バビル2世』でお馴染み「バベルの塔」であります(違う?)。バベルの塔=実現不可な絵空事=非武装のユートピア=共産主義の理想郷って感じでしょうか。そりゃアメリカ映画なら完全否定しますわな。どんな理屈でゾンビ蔓延る世界で武器を捨てられるのか理解に苦しみますが、きっと常人では計り知れない崇高な理念があるのでしょう。あるいは単なる現実逃避でしょうか。ただ「安全安心の引き籠り」という指針が非常に危ういのは間違いありません。「籠城」は非常時では有効な戦術ですが、平時に採用する戦法ではありません。ゾンビがいる世界が10年も続けば、残念ながらもう平時です。避難している場合ではありません。おそらく命の次に大切なのは健全な精神を保つこと。生ける屍にならずとも、死せる生き人になっては元も子もありません。そういう意味ではゾンビ狩りをアミューズメントとしてエンジョイしていた4人は「ゾンビ世界の歩き方」を会得していたと言えるでしょう。 実は本作を観て思い起こされたのは、某借りぐらしアニメ。文科省推奨?優良アニメと不謹慎ゾンビコメディを比べるのは筋違いかもしれませんが、案外テーマは似通っているのでは。安全安心は生きていくために欠かせませんが、固執したり、妄信したりするのはいけません。危険を冒しても新天地を目指すのは、人として正しい、健全な精神の在り方という気がします。
[インターネット(字幕)] 8点(2024-07-10 18:20:11)
10.  Ms.ベビーシッター 《ネタバレ》 
冴えないベビーシッターがボーイスカウト(ガールスカウト?)で身につけたスキルを武器に家に押し入って来た狂信者と対決するお話。一昔前のホラーサスペンスでありがちな「何でそこでアドバンテージを放棄するの」「優先順位が違うがな」など、主人公の行動にフラストレーションが溜まり爽快感に欠けるのが辛いです。また前述のスキル紹介が状況にそぐわぬ軽めな(ポップな)演出のため緊張感も削がれがち。敵も強敵とは言い難く、どうにもこうにも締まりません。まさにB級サスペンスでありました。それでもキャラクターが魅力的ならA評価に覆える現金な私ですが、ヒロインが好みのタイプではなく残念(上から目線失礼)。ただしビジュアルイメージ(DVDパッケージ)より実物は美人です。活躍仕出してからはより一層魅力が増しました。多分ギャップ狙いで芋っぽさを強調したかったのでしょうが、単純に老けてみえます。基本的に残念な仕上がりの本作ですが、ボスとの対決シーンだけは素晴らしかったです。致命傷を負わせてもなお絶命するまで。僅か10秒ほどの攻防ですがスリリングで楽しめました。 ところでエンドクレジット後の一件(10ヶ月後の出来事)は一体何なんでしょう。悪魔?が娘に取り憑き、狂信者が望んでいたように世界の秩序が作り変えられたということでしょうか。正直分かり難いですし、そもそもそんな展開誰も欲していない気がするのですが。因みに原題は『ベビーシッター・マスト・ダイ』。こちらの方が圧倒的にキャッチーだと思いますが、何故に当たり障りのない邦題が付いたのか本気で謎です。
[インターネット(吹替)] 5点(2024-06-06 18:16:28)
11.  ザ・プレデター 《ネタバレ》 
男女混合のパーティ編成やオマージュ溢れる台詞まわし、耳慣れたBGM、そしてプレーンなタイトル。シリーズを踏襲した脚本で特に第一作目を強く意識していると思しき本作ですが、オリジナル『プレデター』の魅力が感じられたかと問われれば答えはノーです。よくあるアメリカ製"大味"SFアクションでした。もっとも本作に限らず続編に『プレデター』の優れたホラー要素やサスペンス性を求めるのも酷な話。すでに手品のタネは明かされています。その上でなおプレデターという素材を活かそうとするなら『AVP』や『プレデターズ』あるいは本作のように上位互換種を登場させるアプローチになるのは理屈としては理解できます。ただやはり無理矢理感は否めません。個人的にはそこまでシリーズ化に固執するのは如何なものかと。「第一作目は面白かったよね。でも続編向きの題材ではないから大事に触らないでおこうよ」とはならないのですよね。「旨味があるうちは骨までしゃぶる。いや骨のかたちがあるまでは」な映画業界の体質は洋の東西を問わないようで。でも「シリーズの向こう側」に到達した『ゴジラ』のような特異な成功例もあるので一概に続編を否定するのも違うのかもしれません。個人的にはプレデター◯ラーを(一応ネタバレ配慮で)をアベンジャーズなりジャスティスリーグに入れてはどうかと思います。味方にしたらこれほど頼もしいキャラクターも居ないですし。
[インターネット(吹替)] 5点(2024-05-19 22:36:44)
12.  アンブレイカブル 《ネタバレ》 
最初の一口だけでなく最後までずっと美味しい料理があります。料理人がきちんと仕事をしている一皿。喩えるなら基本に忠実な和食のような。本作はそんな映画でした。最初から最後までずっと面白かったです。洋画に和食の喩えは流石に頓珍漢ではありますけども。 脚本重視派の私ですが、本作についてはカメラワークの巧みさに唸らされました。はっとさせられる印象的なシーンや構図には意図が込められており見終えてテーマが補強される仕掛け。奇を衒った目眩ましの演出とは根本的に違うのです。いやー旨い、いや上手い。もともと職人気質の監督だと思っていましたが、本作を観て改めてその想いを強くしました。シャマラン監督というと「どんでん返し」のイメージが強く本作も例外ではありませんが、それ以上に丁寧な映画作りに関心した次第です。いやはや本当に面白い。そして大好きです。 「アメコミヒーローもの」ジャンルに対する「シン・ゴジラ」的アプローチと解釈したくなりますが、庵野監督のようなアクの強さもなければお馴染みの演出技法もありません。でもシャマラン監督作品と一目で分かるのは何故でしょう。ブルース・ウィリスが最高に渋く格好良く撮られているから?よく分かりませんが映像に「浪漫と品格」があるのは確かかと。子どもがバーベルの重りを増やしていくシーンや、新聞記事を差し出し小さく頷く場面など、父子の繋がりの強さや深さが感じられる箇所が特にお気に入りです。 個人的にはシャマラン監督の最高傑作で間違いなし。代表作『シックスセンス』は未見という注釈付きですが(どういう了見だ?)。それではこれから続編『ミスターガラス』を観てみようと思います。真の主人公、自分探しの途中「哀れな天才」のその後が大変気になります。(以下追記)『ミスターガラス』を見終えてから続編が『スプリット』と知る痛恨のミステイク!皆さん、お気をつけくださいませ!!
[インターネット(吹替)] 9点(2024-03-10 09:59:28)
13.  マダム・ウェブ 《ネタバレ》 
ネタバレしています。ご注意ください。 『スパイダーマン』についてはサム・ライミ監督3部作は鑑賞済みですが、その後のリブートや他のマーベル関連登場作品は未見です。ちなみに日本版巨大ロボに乗り込むTV特撮は子どもの頃観ていました。そんなスパイダーマン年長者だけど初級者な私にとっては、マダム・ウェブって誰やねん。パワーパフガールズみたいな3人って何者?スパイダーマンにそんな設定あったの?状態。あの人気キャラクターの若き日の活躍を描くと言われても、全く持ってピンと来ない訳です。じゃあ何で観たのかと問われれば、時間調整にシネコンを使ったからであります。という訳で、門外漢の頓珍漢な感想という前提でお願いします。 劇中で描かれるマダム・ウェブの能力は、予知と思念体操作の2つでした。予知は一般的に「デジャヴ」と呼ばれるもの。未来の出来事をあらかじめ体験しているから、悲劇を回避できるというワケ。そこで疑問。主人公は何故視力や運動機能を失う結末を避けられなかったのでしょうか。考えられる可能性は2つ。一つは確定未来は変えられないとするもの。いわゆる「運命」です。もう一つは複数ある未来予想図から一つを選んでいる場合。前者だとすれば全ての苦労の意味が失われるので却下。必然的に後者の推論を採用したいですが、この場合マダム・ウェブは自ら望んでこの未来を選択したことになります。何と言う献身でしょう。敵からも忠告されたように、3人娘など放っておけばこれまで通り充実した人生が送れていたはずですから。でも彼女はそれを良しとしなかった。これは『スパイダーマン』に流れる基本理念「大いなる力には大いなる責任が伴う」の精神に他なりません。なるほど確かに本作は『スパイダーマン』の流れを汲む一作ということが分かりました。ただし騙されて(!)呼び出された救助ヘリの皆さんはあまりに可哀想。この惨事は回避出来なかったのでしょうか。何かしら言い訳を聞きたい気がしますが。 とはいえ、好き好んで得た特殊能力でもないのに責任云々言われるのは可哀想な話ではあります。でもその一方、一握りの天才や発明家の偉業のおかげで私たちが豊かな生活を享受できているのも事実なわけで。この世の成り立ち(システム)として「大いなる力には大いなる責任が伴う」のは理不尽とまでは言えないのでしょう。せめて「力なき者は力ある者からの恩恵に感謝を」でしょうか。往々にして我々は恩恵を当然の権利と錯覚しがちですから。 テーマ論に終始してしまいましたが、映画全体の感想はマーベルコミックらしい大らか(大雑把)な作品であり、基本的には「子ども向け」という気がします。少なくとも「マーベル初の本格ミステリーサスペンス」という触れ込みは、やや盛り過ぎと感じました。因みに吹き替え版では、空条徐倫VSディオの夢の対決が見られます。
[映画館(吹替)] 6点(2024-02-28 09:48:43)
14.  ボーはおそれている
一言でいえば「A24ブランドとアリ・アスター監督の過去作の実績を拠り所とした信用詐欺作品」。極めて悪質かつ悪趣味な映画と考えますが、悔しいかな嫌いではありません(苦笑)。 大体において3時間の映画なんて大河ドラマにのみに許された我儘でしょう。そりゃ米映画界賞レースのトレンドが長時間化していることは承知していますが、ジョエル・ダヴィドヴィッチ・ポンポネット(通称ポンポさん)なら評価以前でお話にならないって言うでしょうよ。実際長い!全然終わらない!正直劇場鑑賞中に何度か意識を失いかけました。でもそんなタイミングで高刺激かつ美しい(あるいは醜悪な)「オイシイやつ」をぶち込んで我々のハートを揺さぶる訳です。これは腹立たしいほどに魅力的でした。それに物語のテーマ自体はオーソドックスですし、難解奇天烈であっても解釈は可能で映画としてギリ成立していました。いや、本当にギリですよ。人によってはぶっちぎりでアウトかもしれませんが、劇場公開されている時点で監督の勝ちに違いありません。何処を切り取ってもアリ・アスター印のやりたい放題映画で、これはこれで認めざるを得ないというのが私の評価であります。困惑度ではダーレン・アロノフスキー監督の『マザー!』とデヴィッド・リンチ監督の『ロスト・ハイウェイ』の間といったところでしょうか。点数は10点でも0点でもいいと思いますが、私は採点放棄という意味で5点とします。
[映画館(字幕)] 5点(2024-02-24 18:24:34)(良:1票)
15.  21ジャンプストリート 《ネタバレ》 
久々に“これぞアメリカンコメディ”な映画を観ました。「ポリスもの」「バディもの」「スクールカースト」「ジェネレーションギャップ」「下ネタ」「ドラッグ」「ガンアクション」「カーチェイス」「大爆発」「友情」そして「鳩」。ステレオタイプなキャラクター造形もいい。およそアメリカ人が好きそうな要素全部載せ。続編が制作されたのも納得の快作だったと思います。ただし“アメリカ人にとって”の注釈が付くことも間違いありません。これは本作に限りませんが、特にコメディ(笑い)は繊細ゆえターゲットが絞られ万人受けはありません。日本の国民的喜劇シリーズ『男はつらいよ』だって外国で受けるとは思いませんし、何なら日本国内だって楽しめる年齢層は絞られるでしょう。そういう意味で「お好きな方のみどうぞ」としか言いようがない映画(ジャンル)ではあります。個人的には爆笑こそ無かったものの終始楽しく観られました(※クライマックスで千切れたアレを自ら咥えるシーンは流石に下品過ぎてドン引きしましたが)。倫理や常識といったスイッチは必ずOFFでお願いします。おそらく1年後には観たことさえ忘れているでしょうが、それでいい(それがいい)映画との評価です。
[インターネット(吹替)] 7点(2024-02-11 18:09:40)
16.  ナイル殺人事件(2020) 《ネタバレ》 
ミステリー作品です。ネタバレしていますのでご注意願います。  小説は未読。1978年制作の映画は鑑賞済み。犯人や動機は承知していましたが、トリック含めた物語の流れ等は覚えていません。そういった立場での感想です。リメイク版『オリエント急行殺人事件』の鑑賞時と条件は同じ。かの作品については「現代の価値観で捉え直す罪の意味」がリメイク意義と考えましたが、果たして本作どうだったのでしょうか。 1978年版と本作で決定的に違うのは、自身の犯罪が明るみになった後に犯人が取った行動です。オリジナルでは普通に逮捕されていた気がしますが、本作では自殺しました。一般的に犯罪がバレたあと犯人が取る選択として「自殺」は珍しくありませんが、こと本件にあっては違和感があります。金銭目当てで殺害計画を企てるような利己的な銭ゲバが、潔く死を選ぶとは思えない。少なくとも女の方は金銭目当てでは無かったのでないか。資産家女性に近づくところから始まっていた「金銭目的の計画殺人」ではなく、心変わりしたフィアンセを取り戻すために女が一計を案じたと推測されます。そうであるならば、妻を殺した時点で女の目的は達成されており、逃げる必要もなかった事になります。何なら男を殺してしまえば、永遠に誰に取られる心配もありません。あの男にそれだけの価値があるとは到底思えませんが、本作で定義される「愛」は「判断を誤らせ」「悲劇を生む」もの。物語冒頭の若かりしポアロと婚約者のエピソードについても同様の事が言えましょう。これが本作のリメイク意義「犯罪動機の別解釈」でありました。事象(表層)は同じでも味わいと余韻は全く異なります。1978年版で私が抱いたのは「女は怖い」であり、本作の場合「女は哀れ」でした。「男は人でなし」は共通していますかね。こんなふうに性別に言及した書き方をすると各方面から叱られそうですが、「本作の犯人の場合」という枕詞が付くのは言うまでもなく他意はありませんのでご容赦ください。ちなみに1978年版より本作の解釈の方が好みです。それにしても人種や恋愛対象が時代設定と合っていないのは如何なものでしょう(原作どおりだったら本当にごめんなさい)。「ジェンダー」やら「多様性」とやらに、こんなにも配慮しなくてはいけないものですか。「時代劇」にまで現代の価値観を当てはめてしまうのは流石にナンセンスと感じます。いっそ現代劇に置き換えれば良かったのに。まさか本作のリメイク意義が「ジェンダーレス」なんて事はないでしょうね。
[インターネット(吹替)] 7点(2024-01-22 18:30:00)(良:1票)
17.  M3GAN ミーガン 《ネタバレ》 
もし本作が『バス男』とか『トランスモーファー』なんてパクリ邦題をつけた配給会社に当たっていたら『ミーガン・プレイ』とか『AIの踊りを観せて』なんてトホホなタイトルを付けられていたかもしれない。これが一番恐ろしい。ところで『エイリアン2』のオマージュありましたか?
[インターネット(吹替)] 6点(2024-01-10 00:08:21)
18.  見えざる手のある風景 《ネタバレ》 
ネタバレあります。ご注意ください。  エイリアンによる地球侵略を描くSF映画ですが、戦前戦中ではなく戦後の「経済侵略」や「文化浸食」を描くのは珍しいかもしれません。形態は人間の植民地支配と何ら変わりません。エイリアンは見た目こそ違えど内面は人間と同じということでしょう。奴らは「特異な価値観」を有し「コミュニケーション」が可能でした。言葉が理解できる分かえってタチが悪い。言葉が通じない相手なら気持ちを分かってくれなんて思わないのに。 人類が「主権奪回」のために戦った形跡はあるものの長くは続かなかった模様です。それはテクノロジー(戦力)の違いというより植民地支配が成功している証。手法は「アメとムチ」「生かさず殺さず」「同化させる」。その第一歩が「教育」にありました。かつての脳神経外科の権威はエイリアン専用運転手に成り下がり、同居人家族は誇りを捨てました。静かに、ゆっくり、確実に、人類はアイデンティティを奪われてゆく。見た目以上に恐ろしい物語でありました。人類に希望が残されているとすれば、主人公が見せた芸術家としての矜持でしょうか。彼が取った「愚かな選択」の中にこの支配を脱するヒントが隠されていそうです。人類が目覚めるのが先か、はたまた飼い慣らされ家畜に落ちるのが先か。かなり分が悪そうな戦いではありますが。 ところでエイリアンの造形はまるで寄生獣(原作:岩明均)でしたが何かしら影響を受けているのでしょうか?また奴らが人間の言葉を話す仕草が何とも面白い。手の動きはハエがモチーフですか?SFパッケージとしてユニークな装丁であり、独特なテンポを持つブラックコメディとして一見の価値がある映画だと思います。エンタメ的に凄く面白いかというとそんなことはありませんけども(失礼)。最後にタイトルについて。一般的に「見えざる手」とはアダム・スミスの『国富論』に由来する経済用語であり「市場における自由競争が最適な資源配分をもたらす」の意味だそう。あるいは「神の見えざる手」とも。難しい事は分かりませんが「自由な市場競争バンザイ」と捉えて良さそうです。でタイトル『見えざる手のある風景』に戻りますが、これは本編ラストカットをこれまで主人公が描いてきた絵画(奴らが言うところの人間芸術)に見立て、名づけられた表題でありました。要するに皮肉です。この荒廃した世界のどこに自由競争の恩恵があるんだよ。あんな気持ちの悪いお尻フェイスな生き物が「神様」では貧富の差は開くばかりじゃないか。一応体裁はSFですが、本質的には現代のリアルな巨大資本経済の弊害を憂いた風刺映画でありました。
[インターネット(吹替)] 7点(2023-12-26 18:21:58)(良:1票)
19.  アサイラム 監禁病棟と顔のない患者たち 《ネタバレ》 
本作はミステリーです。ネタバレありますのでご注意ください。  時は19世紀末。世紀の変わり目であり時代の転換期。精神医学においては黎明期でしょうか。舞台はイギリスのとある精神科病院。医学実習生=エドワード・ニューゲート氏を通じて当時の「治療技術」や「患者の置かれていた立場」といった「精神医療の現在地」が描かれます。其処には相対する視点がありました。医師と患者。あるいは常識とされる治療法と先進的なアプローチ。立場が変われば見方が変わり、価値観が変われば正義も変わる。観客は精神科講師の言葉「聞いたことは信じるな。見たことは半分だけ信じろ」を頼りに事象の真偽、そして善悪を見定めることになります。観返してみると最序盤から実に巧みなミスリードが施されており感心します。人は他者を記号化して認識するのですね。ミステリーとして上質で、最後の最後に明かされる「真相」は、はたと膝を打つ切れ味でした。果たして主人公は「何者」と評価されるのが妥当なのでしょう。狂人か詐欺師か、はたまた医者か。どの「半分」を信じるかで真実は形を変えるでしょう。エンディングは「酷い話だ」かもしれませんし「いやいやハッピーエンドだろ」かもしれません。どちらの受け取り方も間違いではありません。多角的な観方が可能な「奥行がある」物語で私の趣向に沿うものでした。ただし一か所だけ異を唱えたい点が。それは看護師役の少女の死について。彼女は何故殺されたのでしょう。本作を極めて単純化するなら「ラブストーリー」です。一目惚れしたあの人を探し出し添い遂げるまで。でもやっている事は狂気の沙汰ですし、倫理的にも完全にアウト。その不都合な事実をカモフラージュしロマンスの体裁を整えるために少女の死が利用されたのではないか。2人の未来を阻む障害を除去し、悪党(敵)を明確化してサスペンスを成立させる一石二鳥の仕掛け。彼女はドラマの都合で殺されたと感じます。このあたりがご指摘のレビュワー様もおられるように「安っぽい」と感じられる所以かと。結局のところ「不倫逃避行」という事実は変わりません。ならいっそ少女も連れて行けばよかったのにと思うのです。エピローグは庭園で踊る2人を見つめる少女の笑顔。一体この先どうなるのか見当もつきません。でも2人にそこまでして茨の道を進む覚悟があるなら、納得できた気がします。
[インターネット(字幕)] 7点(2023-12-22 20:58:54)
20.  PROSPECT プロスペクト 《ネタバレ》 
フォーマットは典型的な「トレジャーハントアドベンチャー」。「秘境」から「辺境惑星」に舞台を変え、SF要素が加味されています。様式は王道ですから一定レベルの満足度は担保されているようなもの。あとは如何に旨味やオリジナリティを出せるかが焦点でした。折角のSFですから、まずは設定勝負でしょう。この点は「優」と判断します。アナログ風味のテクノロジーは往年のSF小説の世界。武器(銃)の性能も強過ぎず程よく不便なのがいい。惑星の環境は『ナウシカ』の腐海を彷彿とさせます。お宝は生物の分泌成分の結晶かな。よく分かりませんが価値はありそう。既視感はあるものの、世界観はきちんと構築されておりSFの雰囲気抜群でした。さて、肝心の物語はどうでしょうか。主人公は少女。父を殺した仇と協力して惑星から脱出を試みます。なかなか「そそられる」イントロではないですか。ただどうにも展開不足でした。脱出ポッドを目指す道中には自然環境の脅威なし。野生生物の襲来なし。唯一の障害は惑星に住み着いてしまったとある家族。精神を病んでいたものの凶悪でも武闘派でもありません。結果アッサリ2人は最終目的地まで到達しました。うーん淡泊な。人物造形も同じく。キーパーソンのエズラは仇であり恩人でもあり。その正体は悪人?善人?彼の人間性を際立たせることでドラマに深みが出たはずですが「結果的に悪い人ではなかった」程度の描写に留まっています。いや、もうちょっと掘り下げて欲しい。勿体ないです。結末について。主人公のプロスペクト=展望は開けたのでしょうか。「トレジャーハントもの」の流儀に則れば、主人公のポケットには一つや二つお宝は入っているはず。毒親から解放され借金も帳消しになったのだとすれば、彼女の未来は明るいかもしれません。修羅場を潜り抜けてきた少女の笑顔は「命あっての物種」だけではなさそうです。エズラを殺さなかったのも良ポイント。という訳で物語の評価は「不可」ではないものの「可」止まり。総合評価も「良」には届かず「可」と判断します。 劇中のロケーションはほぼ森林。塵が舞うエフェクトのみで辺境惑星であることをアピールします。本来なら未知の生物とか出したいでしょうに。低予算なのは明らかでちょっと可哀そうなくらいでした。展開に乏しいのもこの辺の事情が影響しているのかもしれません。B級SFとして光る欠片はあった気がしますが、よく見たらダイヤモンドではなく石英でした。そんな映画。採点は5点相当ですが、シーちゃんの凛々しい眉毛に+1点とさせて頂きます。
[インターネット(吹替)] 6点(2023-11-29 20:15:53)
全部

■ ヘルプ
© 1997 JTNEWS