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かっぱ堰さんの口コミ一覧[この方をお気に入り登録する

プロフィール
コメント数 1251
性別 男性
自己紹介 【名前】「くるきまき」(Kurkimäki)を10年近く使いましたが変な名前だったので捨てました。
【文章】感想文を書いています。できる限り作り手の意図をくみ取ろうとしています。また、わざわざ見るからにはなるべく面白がろうとしています。
【点数】基本的に個人的な好き嫌いで付けています。
5点が標準点で、悪くないが特にいいとも思わない、または可も不可もあって相殺しているもの、素人目にも出来がよくないがいいところのある映画の最高点、嫌悪する映画の最高点と、感情問題としては0だが外見的に角が立たないよう標準点にしたものです。6点以上は好意的、4点以下は否定的です。
また0点は、特に事情があって採点放棄したもの、あるいは憎しみや怒りなどで効用が0以下になっているものです。

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1.  怪獣王ゴジラ 《ネタバレ》 
追加・省略や前後の入れ替えはあるが意外にもとのストーリーを残して、先行の「原子怪獣現わる」(1953米)並みの娯楽映画にしている。 追加場面を入れての編集はなかなかうまくできている。序盤で船員の家族が官署に押しかけた場面では、追加した部分でも記者と一緒にドアから入って来ようとする家族を映して、もとの映像と整合させる工夫をしていた。入れ替えや短縮で辻褄が合わなくなったところもあるがどうせアメリカ人にはわからない。また後半は日本人の発言もなぜか英語になっていたが、人名や「まあ!」といった間投詞はもとの音声を残すという細かい作業をしていた。 本来の反戦・反核メッセージは失われた印象もあるが、核兵器との関連付けは一応残してある。それ自体は「原子怪獣…」も同じだが、しかしやられた側とやった側でのスタンスは大違いなわけで、この映画でも当時の日本人が誰でも知っていた第五福竜丸事件の印象を薄め、また長崎の原爆や疎開といった戦争の記憶、当時の現実の不安だった原子マグロや放射能雨に言及した場面を削除している。  個人的に気になった点として、序盤で記者が「エミコ」の腕を乱暴につかんだ場面では気安く触るなと言いたくなった(替え玉アメリカ人だろうが)。また火でやられた男がアーーーとアジア人っぽく叫ぶとか、仮設病院でギャーと泣く声(大人の)が聞こえるのは日本映画らしくない。 ほか日本人としては火の海になる東京を見ると戦時中の空襲を思わされるわけだが、何千人もの人が死んだという言い方を記者がやたらにするので、東京では一晩で何千どころか10万人もの一般庶民がアメリカに殺されたのを知っているかと言いたくなる。いわばS20.3.10の東京大空襲の時に、なぜかたまたま下にいたアメリカ人の体験談のような映画であって、アメリカ人でもやられる側に身を置けば、死んでいくのがネズミでも昆虫でもダニでもなく人間だと認識できるのかという気分だった。 それはそれとしてゴジラが世界的に知名度を上げるきっかけになったという歴史的な意義はあるので相応の点数はつけておく。
[インターネット(字幕)] 4点(2024-05-25 21:11:58)
2.  河童のクゥと夏休み 《ネタバレ》 
うちの近所にも昔は河童がいたことになっていたかも知れないが今はいない。個人的にも河童に特に思い入れはない。 この映画の河童は野生動物のような存在らしいが、知能があって人の言葉を話すからには人間としても軽くは扱えない。ただ河童だけでなく犬やカラスも人並みの知能がある設定なので、対等な生き物として扱うべき対象はさらに広いことになる。人智を超えた能力としては言語によらない意思疎通の方法を持ち、さらに人類文明を超越した存在ともつながる立場だったようで、かえって人類の方がそのような世界から疎外された種族ということになる。 劇中河童は現代の文明社会で人間の保護を必要としていたが、子どもながら人格がしっかりしていて自立心もあり、見るからに哀れっぽい存在には描かれていないのがいい。非力そうに見えてちゃんと相撲が強いのも侮れないが、場合によって破壊的な能力を発揮するのはやはり人間として畏怖を感じさせる存在ともいえる。 また自然環境に関する問題意識についてはよくある普通程度の感覚だろうが、この映画では最初を江戸時代まで遡ることで、現代の都市開発だけでなく大規模な水田開発も自然環境に影響を及ぼしたとの認識が示されていた。ちなみに「やんばる」は2021年7月に周辺の他の地域とともにユネスコ世界遺産に登録され、いまだ米軍の訓練場に隣接していながらも、保全の条件は改善されていると思われる。しかしその遺産登録もそれ自体が別に強制力を持つわけでもないようで、何より守ろうとする人間の意思が大事なのだろうが、今後の国際情勢や経済・科学・軍事その他の都合でどう変わるかわからないと思えば、どこまでも人類など信じられないという思いはある。人類社会に上辺の社会正義はあっても良心は存在しないので、劇中河童には何とかうまく生き延びてもらいたい。  物語としては夏休みの出会いと別れということで、これまで特に主体性なく生きてきた少年に自立心が生まれ、初めて心の通じあう他者を認識する機会になったということらしい。ラストで河童と少女はそれぞれ新しい生活環境での暮らしを始めていたが、少年ともまたつながることのできる可能性を残していたのは救われる。 なお製作に当たって遠野市の後援を得たにもかかわらず、物語上は遠野に河童はいないと断言した形になってしまっていたが、座敷童子はいたのでまあいいかともいえる。その座敷童子の歌には少し心を打たれた。他にも心を動かされる場面の多い映画だった。
[DVD(邦画)] 7点(2023-09-30 10:51:02)
3.  怪猫トルコ風呂 《ネタバレ》 
DVDの最初に「現在では不適当と思われる表現」があるとの警告が入るが、そもそも題名からして不適当である。映画の冒頭から、売春防止法の施行により昭和33年3月31日限りで吉原の遊郭が廃止され、その後は風俗店に転換していったという歴史的経過が描写されるが、後年さらに来日トルコ人からの抗議がもとで一斉に名前が変わったことまでは当然出ていない。  内容としては風俗営業をからめた独自色のある怪奇映画かと思っていたが、終盤で猫耳を立てた人型の化け猫が出現したのを見ると、伝統的な化け猫映画のバリエーションということかも知れない。 序盤からの出来事を劇中ネコがずっと見ていたが、悪人に対抗しようにもネコだけでは非力だったようで終盤で惨殺されてしまう(なんとネコの首が飛ぶ)。その直後に出た化け猫は、黒ネコだったはずが白装束なのは変だったが猫耳だけは黒かったので、これは死んだネコが殺された者の死体に乗り移って化け猫になったという意味か。あるいは人とネコの魂が一体になって悪人を成敗したのかも知れないが、それならラストの昇天時に人がネコを抱いている形にしてもらいたかった。 終盤の破滅に至る展開には緊迫感が一貫しておらず、劇中人物が次々に殺害されて2人だけになり、いつまた化け猫が襲って来るかわからない状況なのに「泡踊り」を始めたりするのは気が抜ける。結果的に何ともいえない映画だったが当時はこの程度でよかったのか。ちなみにエロい場面は特に目を引かなかった。  なお人の悪事をネコが見ている場面で、ネコの目から見た光景を映像化してみせていたのは悪くない。人の目で見るより明るさがあり、またモノクロームだったのは当時ネコには色が見えないと考えられていたからかも知れない。ほか人が倒れていた場所が白と黄の菊のある植え込みだったのは、すでに死んでいるのを一瞬でわからせる効果があった。この菊のほかに古井戸もそうだったが、これから何か起こる場所を予告的に一瞬映す場面があったのは当時の映画制作の一手法ということか。
[DVD(邦画)] 3点(2023-01-14 14:42:21)(笑:1票)
4.  怪猫謎の三味線 《ネタバレ》 
戦前の古い映画だが無声映画ではなく台詞も音楽も入っている。 江戸の芝居小屋(中村座とのこと)をめぐる復讐談で、劇場付きの三味線奏者や役者、及びこれに関わる武家の人々が登場する。昭和に入ってからの映画だが、現代で見る時代劇よりは本物に近い江戸文化に触れた気にさせるところがある。  怪猫といえば、役者の扮した化け猫が出て恨む相手を取り殺すのかと思うが、この映画ではそういう化け猫は出ない。復讐の主体は人であり、公演中の舞台上で憎むべき相手に復讐(仇討ち)する場面がクライマックスになる。 化け猫というより題名の三味線が物語の進行に関わっており、怪しい因縁のある三味線が一度失われてから方々を転々として、最後に本来あるべき場所に戻ってから復讐に参加する展開になる。なお三味線というのはネコの皮を使うことから、皮を取られたネコの怨念が籠っていたりするのではないかと昔から思っていたが、この映画では三味線奏者が愛猫の形見にするため愛用の三味線をあえて張り替えたとのことで、なるほどそういう考え方もあるかと思った。 特殊効果としては当時なりの技術だが、二重露光か何かで半透明の手が三味線を掴もうとする映像は悪くなかった。また幽霊と話したと思っていたら実は眠っていて目が覚めた、という場面は夢オチのようだったが、やたら生々しい心霊現象よりは奥ゆかしく見える。 ユーモラスな場面もあり、怪しい三味線を捨てようと思った人物が、なかなか捨てられずに途方に暮れた様子は微妙に笑わせる。また広間にいた人々が、あっちを向けと大名に言われて一斉にあっちを向いた場面も笑いを狙っていたかも知れない。 困ったのは終盤の部分が映像表現だけではわかりにくいことだったが、ラストの場面の天気を見れば明らかにハッピーエンドなのでまあいいかという感じだった。  人物関係では、後に「日本のおかあさん」と言われた森光子という役者の18歳頃(1920年生まれとして)の姿が見られるのは注目点である。絶世の美女でもないが役柄にふさわしく可憐で可愛らしく、まだ若いのに台詞も動きもちゃんとした印象で、昔の役者はさすが違うと思わされた。また劇中の三味線弾きの男(常磐津清二郎)に対し、その同門の女性(常磐津文字春)は秘めた思いがあったようでいて不明瞭なまま終わったようなのは変だったが、ちなみにこの役者2人(浅香新八郎・森静子)はこの時点で夫婦だったらしい。
[DVD(邦画)] 6点(2023-01-14 14:42:20)
5.  カルメン故郷に帰る 《ネタバレ》 
日本初の総天然色映画として百科事典で特記されていたので大昔から名前は知っていたが、子どもが見るものではないと思っていた。今回デジタルリマスター版というのを見ると、浅間山を背景にした牧草地に登場人物の華やかな衣装が映えている。山から噴煙らしいものがずっと出ていて、まともに構図に取り入れている場面もあったが、気象庁の記録によれば1950~51年に火山活動があり、噴火で死傷者が出た事件もあったらしい。実は危険な撮影現場だったのではないか。 それはそれとして基本的には喜劇のようで、深刻そうな場面もユーモラスで笑ってしまうところがある。父親はやたらに主人公をバカ扱いしていたが、特に知能に問題があるわけでもなさそうで、これは当時の社会通念から自由なことをそう言っていただけではないか。昔バスガールをしていた(婿を連れて帰った)姉はどちらかというと主人公の価値観の理解者だったようだが、父親の方は(妻を亡くして?)娘たちに十分手をかけてやれなかったという悔いがあり、その自責の念がバカの木に象徴されていたと思われる。  物語の中心テーマは芸術文化に関することだったように見える。 まず、金儲けが目的なら芸術文化ではないという趣旨の発言があったが、それをいうなら映画も似たようなものといえる。実際に今どき映画を芸術の部類に入れる人々も多くないだろうが、しかし芸術性皆無の映画というのもあまりなく、芸術では絶対ないともいい切れない。また劇中例でいえば、観客の色欲を刺激するのが目的なら芸術とはみなされにくいが、しかし例えば食欲を満たす場合は生の食材そのままでなく調理するところに文化性があり、また主人公についても生のものをただ見せるのでなく歌や踊りの技量、さらに衣装を含めてどう見せるかで価値を高めようとしていたはずである。その点で、目的が不純であっても芸術性・文化性を伴うものはあるといえる。 また興行収入の使途に関する校長の発言には、裸芸術と本物の芸術は隔絶したものではないという認識が示されている。本物の芸術というのも実は範囲が明瞭でなく、元教員が作った歌は芸術寄りではあろうがシューベルトの歌曲と同列ではない。そういったものを全部まとめた、いわば芸術文化連続体の中に裸芸術も本物の芸術も含まれているということだ。 ラストでは、さんざん色々やらかした主人公と同僚が悪びれることもなく去る一方、それとは別に元教員が元のとおりにオルガンを弾いていて、両者の出会いで何か変化がもたらされたようでもなかったが、これは新奇/古風、都会/田舎、高尚/卑俗で良否を分けず、それぞれが併存していて構わないという大らかさの表現に思われる。結果的には、世界の様々なものが持つ芸術性や文化性を広く認め、みながそれぞれにアーティスティックな創意を発揮または評価する時代を志向する映画なのかと思った。 なお主題歌(主人公が歌う方)は結構耳に残る。芸術とまでいうかは別にして華があってモダンだ。
[ブルーレイ(邦画)] 7点(2023-01-01 22:58:41)
6.  怪談新耳袋 劇場版 《ネタバレ》 
8話オムニバスである。[]内は点数。 【夜警の報告書】 冗長。要は気の持ちようだ、というのはこの手の現象の本質の一面ではあるかも知れないが、それだけでいいともいえないということだ。[3] 【残煙】 単に意味不明。不可解な出来事を表現したいのなら、不可解な出来事だったと納得できるよう作らなければならない。車中の3人はみな見たことのある人ばかりで豪華キャストに見える。最年少で長身の人は「なぞの転校生」(1998)で宇宙人役だった人だ。[2] 【手袋】 手袋だけというのは映像的に格好悪い。なお「夜毎」を「よまい」と読むのは正しいか。[3] 【重いッ!】 だから何だ、とは思うが母親の顔を見ていると気の毒にはなる。[2] 【姿見】 だから何だというのか。そもそも予告編でネタバレしているではないか。[2] 【視線】 脈絡のない話。主人公は10年後に女優になっていたいと言っていたが、堀北真希という人のその後の経過を思うとそれなりの感慨がある。この頃はまだしょうもないホラーなどに出ていたわけだが(可愛いが)、この13年後に引退した時点では最高に存在感のある女優(女性俳優)になっていた。[3] 【約束】 怪人物のビジュアルと、本来の住人がそれをどう思っていたかの説明が感覚的に整合せず納得感がない。ラストは不要だ。[3] 【ヒサオ】 和服と黒電話がわざとらしい。関西弁もわざとらしいが悪いともいえない(京都の話か、深泥池を思わせる)。締めのエピソードらしく、泣かす気満々で作っているのはかえって反発を感じるが、役者が作り出す人物像のせいで否応なしに引き込まれてしまうのは仕方ない。見ているのがつらい話なので褒める気はしない。[6]  特に怖いところはない。原作は一通り読んだはずだが元ネタを思い出すものがない。本来は実話系怪談だが、とても実話とは思えないほど脚色されているようで、特に2話目は実話ではありえない話に見えてしまっている。ちなみに実話怪談では「死ねばよかったのに」タイプのオチがあってはならないことは常識だが、だからといってエピソードとしての締めもなく、ぶった切って終わりでいいともいえないわけで、その意味で特に4、5話目はまともな出来とは思えない。 なおキャストに名の知れた役者が多いので、その後の新人タレントばかり出る安手オムニバスホラーよりは金がかかっていたように見える。
[DVD(邦画)] 3点(2022-02-19 09:19:39)(良:1票)
7.  花嵐の剣士~幕末を生きた女剣士・中澤琴~<TVM> 《ネタバレ》 
NHK・BSプレミアムで2017/1/14に放送したドラマである。現在はNHKオンデマンドで見られる。 主人公の中澤琴という人は幕末に剣士として活躍した実在の人物である。出身は上州(現在の群馬県沼田市)で、このドラマ製作の前年には地元で「お墓が建立されました」とのことである。剣も強いが長身で美形の“男装の麗人”的人物だったようで、ひところ言われた“歴女”好みのキャラクターということかも知れない。伝えられているとおり薩摩屋敷で踵を斬られる場面が入っており、また一生独身だったとされることの背景も何気に語られていたようだった。 この主人公が参加した「新徴組」というのは、京都の新撰組と並ぶ江戸の浪士組だというのは知っていたが、それをまともに取り上げたドラマは初めて見た気がする。鮮やかな紅色のかたばみ紋が見えたほか、「おまわりさん」の語源だったことにも触れられていた。  物語は、幕末に京都に集められた浪士組が後の新撰組と新徴組に分かれたところから始まる。主人公が兄とともに新徴組に加わり、江戸で活動してから戊辰戦争を経て上州へ帰郷するまでを扱っており、三田の薩摩屋敷への討ち入りが全体の山場になっている。なお開墾に従事する場面はない。 ドラマ的には、主人公が自分と剣とを切り離せない状態から、自分が何のために剣を生かすのかを悟る過程になっていたらしい。薩摩方が起こした騒乱で、庶民が泣かされるのを見かねて参戦したのは心正しい人物像の表現になっている。「剣は、いつかそれを捨て去る時のために使う」という台詞もあったが、少なくとも国内的にはそれが実現して終わったことになる。 なお浪士組を集めた清河八郎という人物のことは実はよく知らなかったが、「攘夷とは…暮らしだ…」という台詞からすると立派な人物だったらしい。攘夷というと過激なようでも、本意はそのように解されるということなら共感できる。その意図が兄を介して主人公に引き継がれたようで、それがまた上州に伝わる「法神流」にも通じるところがあったのかも知れない。  登場人物としては坂本龍馬なども顔が出ているが、沖田総司の兄に当たる人物も新徴組にいたとのことで重要人物の扱いになっている。主人公はきりっとして嫌味のないのが好印象で(少女時代から強そうだ)、「見とれてしまった」という台詞は意味不明だが少し笑わせた。ほかにも葭町の姐さんとか訳ありの女とか千葉道場の娘とか人物が多彩で楽しめる。終盤で出た甥の表情も面白かった。
[インターネット(邦画)] 6点(2020-12-26 15:29:55)
8.  海底軍艦 《ネタバレ》 
名前は海底軍艦だが実は陸海空の万能戦艦で、かえって普通に海上を航行する場面がない(黒と赤の塗り分けが無意味)。見た目は昭和じみて古風な気もするが、劇中の雄姿を見ればシンプルで精悍なデザインだと思わされる。 また怪竜マンダは目がネコなので、大写しの顔が出るとニャンといいたくなった。  物語に関しては、この当時なりに戦争を扱ったものになっている。愛国心など今の若い者には理解できないだろう、と言われた神宮司大佐の娘は、女優が1941.12.17生まれ(開戦のすぐ後、戦艦大和の竣工の次の日)とのことで、戦争中に生きてはいても、戦争自体は覚えのない人々が成人する年齢になって来たという感慨が当時の人々にあったのかも知れない。 それでも戦わなければならない場面というのは依然としてあるわけで、この映画に関していえば、まるで帝国主義時代の感覚で世界に覇権を拡大しようとする悪の帝国を国際社会は許さないということである。海底軍艦は国際連合の要請を受けて出動した形になっており、かつての日本海軍が世界平和のために役立ったというのはまことに喜ばしい。 ただし、ムウ帝国というのは人口何人だったのかわからないが、結局全滅してしまったらしいのは悲惨だ。再生可能エネルギーである地熱を高度に利用していたらしく、技術面で協力できれば人類社会に貢献できたはずだが残念なことだった。  人物の関係では、ヒロイン役の藤山陽子という人は正統派の美人女優のようで、特撮関係では「宇宙大怪獣ドゴラ」(1964)にも出ている。知らない間に娘がこんな清楚な美女になっていたのを見てもっと驚け、と神宮司大佐に言いたくなったが、その娘に大嫌いと言われてしまって大ショックという気持ちはわかる。 また皇帝陛下は小林哲子という女優で、劇中では高貴で高慢な顔をしているが、頬が結構ふっくらして、男と並ぶと小柄だったりして可愛く見える。終盤この人を連れ回して帝国の滅亡を見せつけるのは酷ではないかと思っていたが、やはり悲しい最後だったのは心が痛かった。 ほかに水着モデル(リマコ)役は北あけみという女優で、端役だがなかなかいいキャラクターになっていた。  ちなみに全く関係ないことだが、「ムー」といえば個人的には昔懐かしい雑誌の名前である。今も続いているとは知らなかったが、先日創刊40周年とのことで記念号を買ってみると「読者投稿 ムー民広場」というのがあって笑った。おれもムー民と名乗ってみたい。
[DVD(邦画)] 6点(2020-08-16 09:52:52)
9.  学校の怪談3 《ネタバレ》 
シリーズ共通だろうが大人が見て怖いところは全くなく、ひたすら微笑ましい子ども向け娯楽映画になっている。あらかじめ死んでいる人物を除き、劇中の教員や子どもらが次々死んでいくなどという悲惨な展開にはなりそうもなく、安心して子どもが喜ぶお化け屋敷的怖がらせに付き合ってやろうという気分になる。なお撮影場所の学校は岐阜県下呂町(当時)にあったらしい。 ちなみに自分の幼少時には「合わせ鏡」が特に不吉なものという感覚はなかったが、この頃はもう怪異の元凶というのが常識だったのか。鏡の世界では文字が左右反転していたが、右書きと左書きが混在していたのは意図不明だった。  お話としては小学校高学年向けの恋物語がちゃんとできていて、最後はそれなりにキュンとさせられる。ヒロインの美少女が「泣いちゃうよ」と言ったところは切なくて笑った。なぜか女子だけ美少女揃いで男はどうでもいい感じという対比ができており、長身でキュートな女子のお相手が肥満気味の男子だったのは釣り合いが取れないが、これは容姿にかかわらず万人に同様の可能性が与えられていることの表現か。それにしてもこんな奴の全裸(尻)など見たくはないわけだが、重要テーマの「運命は自分で変えろ」という言葉は特にこの人物のためにあったらしい。 他の登場人物としては、担任教員は微乳を売りにしていたようだがそれはまあいいとして、特に主人公の義妹が見せるとぼけた感じの表情が非常に可愛らしいので和まされた。また現在も女優として活動している秋定里穂さんが中学生くらいの年齢で出ているが、特に美少女の扱いはされていない(「ゾンビバス」の女子高生役)。なお肥満児の母親役で渡辺真知子さんが一瞬出ており、この頃はもうこういうキャラクターだったのかも知れないが、昔は歌っている姿だけ見て“かっこいいお姉さん”と思っていた。
[インターネット(邦画)] 6点(2020-05-03 20:29:13)
10.  感染列島 《ネタバレ》 
この時期だからとわざわざ見るものでもないようだがとりあえず気楽に見た。冒頭で、山中の村にヘリコプターが飛んで来たところで「アウトブレイク」(1995米)かと思ったが、村人を教会に誘導して焼き殺すのかと思ったらそうでもなく、どうやら劇中のWHOはまともな組織だったらしいことがわかった。 その後は細かい突っ込みどころが非常に多いがそれなりに現実味がなくもない。検査(劇中ではキット)の結果は絶対ではないとか、軽症者は自宅療養というのはまさに今現在の問題である。都市封鎖のような強硬手段は日本などにできるはずないと思っていたら、最近「いわゆるロックダウンに類する措置」というのが語られるようになって洒落にならなくなっている。ほか鳥インフルの関係で老教授が、禽舎がしっかり手入れされていると褒めたのは他人事ながら嬉しくなる場面だった。ちなみに医療関係者に向かって「人殺し」と叫ぶ人物がいたが、人殺しはマスコミの方だったではないか。 一つ真面目なことを書くと、南の島で老教授が、宿主を殺して自分も死ぬウイルスと人間は同じことをしていると問題提起したのに続けて、人間とウイルスの共存というような考え方を述べていたが、それぞれ重要そうでありながら方向性がずれた印象があって理解困難だった。  ところで非常に気に障ったのは、日本は天罰を受けるべきだ、というわけのわからない信念が制作側にあったらしいことで、BLAMEなどという悪意ある名前をわざわざ他国に言わせていたのは激しい不快感を催した。劇中の感染拡大は2011年1月から始まっていたが、現実の2011年3月に起きた大災害で多くの人々が亡くなったのも天罰だったと思うのか。最終的には日本人限定で1120万人も殺した上で、やっと今回は許してやるとでも言いたげな態度が極めて腹立たしく、そんなに日本が憎ければ、日本(宿主)と一緒に日本映画も滅ぶ映画を作ってみせろと言ってやる(共存は拒否)。 物語的にも安手のドラマでいちいち泣かせにかかるのが煩わしい上に138分もあるのではたまらない。点数を何点つけるか考えるのも面倒臭いので切りのいいところで0点にする。 なおキャストとしては国仲涼子がひときわ可愛く見えたが、その夫が何だこれはという感じの男で好印象が相殺された(子役は可愛らしいので悪くない)。  [2020/4/18追記] 当初は書かなかったがその後に強く思ったのは、来るべき危機に警鐘を鳴らす体でありながら、実は災難に乗じて日本社会を崩壊させたい願望が制作側にあるのではということである。今になってみれば、日本限定で人口の1/10が失われるなど極めて非現実的で作為的だということがよくわかる。日本限定の天罰だなどと言い訳すれば正当化できるわけでもない。 点数をさらに落としたいがゼロより下には下がらない。
[インターネット(邦画)] 0点(2020-03-23 20:29:00)
11.  がっこうぐらし! 《ネタバレ》 
原作は読んでない。アニメも見ていない。 最近どうも女子高生ホラーのようなのが一番心安らぐ気がしていて、実はこの映画にも期待していたが、期待通りというか期待を若干上回った。監督の柴田一成という人物は、以前からしょうもないホラー映画のプロデューサーとか脚本とか監督をしていたので名前は見たことがあり、これまでも結構悪くないのはあったが、今回も結果的にいい方だった。 ちなみにこの映画に先立って、前日談の「がっこう×××~もうひとつのがっこうぐらし!~」(2019)がAmazonプライム・ビデオで公開されているが、個々の出演者(わりと豪華)を見たいのでない限り見る必要はない。また以前に放送されたAKB48メンバー主演のTVドラマ「セーラーゾンビ」(2014)と基本設定が似ているが、これの方が本家と思われる。そういうのを見たのも一応予習のようなものである。  内容としては、基本的に原作のおかげだろうが心に染みる青春物語の体裁が一応できている。怖さやグロさを売りにせず、登場人物のほのぼの感と極限状態との対比で切なさを出しており、最後はちゃんと泣かせる場面も用意されている。途中で気になった点としては、登場人物が部屋に入って話し始めた場面で、中にいたはずの人物をなかなか映さないので不安な気分にさせられるところがあったが、しかしその後は予想通りというか終盤で、幻影を見ていたのが一人だけではなかったことが明らかにされる場面があって、ここは少し感動的だった。 また映像面ではゾンビに火がついて燃えているのがそれらしく見えて、いちいち危ないスタントなどしなくていい時代になったのだという感慨があった。  出演者について、主要人物はみなアイドルだそうだが、演技の素人ながらいきなり映画に出てそれなりに役目を果たしていたようでお疲れ様でした。中で主人公役の阿部菜々実という人が、長身(168cm)ですらりとした体型なのは感心した。山形市出身だそうだが日本人も進化しているらしい。ほかは小柄な人が多いので、養護教諭役との間で少女と大人の対比を見せている。 おのののか嬢については最近いろいろ噂もあるようだが、この映画では優しいおねえさん役が非常に似合っていて好きだ。また特別出演で名前の出ている足立梨花さんはどこにいたのか気づかなかったが、本人によれば「タイトルの前に出てくるゾンビ」だそうで、改めて見れば確かにそうだが最初から意識していなければ気づかない。
[ブルーレイ(邦画)] 7点(2020-01-04 09:29:42)
12.  仮面ライダーアマゾンズ THE MOVIE 最後ノ審判 《ネタバレ》 
シーズン1(2016)、シーズン2(2017)に続く総まとめの劇場版で、それぞれの再編集版の劇場公開(2018/5/5、5/12)に続き5/19に公開されている。 今回は畜産計画なるものに関わるエピソードだが、最初に出た食料事情の説明が荒唐無稽な上に、そもそも食料としての優位性がどこにあるのかわからないので現実味は薄い。山中の養護施設のようなものも浮世離れしてスケールが小さいが、ダークファンタジーというか寓話的な物語とはいえる。無垢な少女の肢体を欲する好色ハゲオヤジというのも古色蒼然たる図式だった(芸能界では普通なのか)。  内容的にはこれまで同様激しいアクションで暴力沙汰が多く、こんなに血が出てよく生きているものだと思った。 一方で、以前からのトーキョーグール路線にはここで一定の結末をつけたように見える。人間を食わなくても生きられる、という点は非常に大事なことで、これで例えば現実世界のクマのようなものかと思えるようになった。赤の方はクマとみれば全部殺す執念の男だが、緑の方は人に害をなさない限り生かすべきという立場とすればわかりやすく、それで最後に赤が敗退したのは自然ともいえる。ただしいつ豹変して人を食うかわからないのでは、本来は人を食わないクマより危険だろうが、話が通じる点ではクマよりましであり、ここはクマとの決定的な違いである。 また、食う食われるの関係を善悪の話で終わらせなかったのもまともな態度である。結果としては気色悪いジジイが言っていたように、生態系が常に変化する中で、生きるために生きる生物が生き残る、という普通の見解で終わったようで、あとは人間の立場として人間が生き残れるよう、やるべきことはやらせてもらうということになる。ただ何をどうするにしても冷徹な判断だけでなく、気持ちとか思いとか心も重要だということを言っていたような気はした。 自分としては特に面白いシリーズではなかったが、あまり観客が関心を持たなそうな面でもいろいろ考えながら作っているようではあった。  ほかキャストとしては、武田玲奈さんが最後まで良心的な役柄で、優しいお姉さんの顔を見せていたのはよかったが、ただ劇中事情に即していえば、この人物はそのうち不良少年に食い殺されて終わりと思われる。また東亜優さんはクラゲでもなく慈母のような存在で、こんなところで膝枕もいいかも知れないとは思った。
[インターネット(邦画)] 5点(2019-12-27 23:25:48)
13.  樺太1945年夏 氷雪の門 《ネタバレ》 
DVDの冒頭で「表現の自由」を訴えるキャプションが出るが、これは1974年の公開時に、傲慢な軍事大国からのクレームがもとで上映が妨害されたことへの抗議の意思表示らしい。2019年に注目された「表現の不自由」と同様の問題ということになる。 内容は1945年にソ連軍が樺太に侵攻した際、真岡町の電話交換手が最後まで職場を守って自決した物語である。登場人物は若い女性が多いので、「お前をソ連の兵隊にくれてやるために今日まで育てて来たんじゃない」という台詞には観客誰しも共感して心配させられることになる(いいから早く逃げろ!)。ちなみに主人公の母親役の赤木春恵という役者は、実際に終戦後のハルビンでソ連兵からの難を逃れた経験があるらしい。 戦闘場面に関しては、戦車の撮影で自衛隊の協力を得たほか、敵海軍の砲撃で真岡の街並みが炎上するといった映像をミニチュア特撮で作っている(少し貧弱)。いわゆる反戦映画的な性格はそれほど強くない。  ところで最後のキャプションによると、劇中の電話交換手は「生きたかった」と思っていただろうとのことだったが、それをいうなら最初から迷わず職場放棄すればよかったではないか、ということになる。専門職の使命感が勝るのは立派ではあるが、若い女性が率先して生命を捨てる必要などは全くない。これを見た現代のわれわれが思うべきことは、何はどうでも自らの保全を最優先する判断が必要だということである。 また「いくさなき世界平和の確立を」というのがまた薄っぺらいメッセージであって、ここでの本当の教訓は、日本の国土に外国軍の侵攻を許してはならないということである。同盟国のはずのアメリカ軍でさえ、いれば住民に害をなすのであるから、その他の軍隊など寄せ付けない実力が絶対に必要だと思わなければならない。 この事件を後世に伝えたいとの思いには共感できるが、どうも素直に受け取れる物語にはなっていないと正直思った。時代の制約というのもあっただろうが。  なお真に憎むべきは当然ながら悪の帝国ソビエト連邦であって、冷酷で野蛮なソ連兵に民間人が無為に殺されていくのは耐えがたい。劇中の台詞にも出ていたが、樺太からの引揚船を撃沈し、生存者を銃撃して笑っていたという「三船殉難事件」に関わったソ連潜水艦2隻のうち、1隻(L-19)を沈めてやったのはせめてもの救いである。もう1隻(L-12)も沈めてやれればよかったが、そうならなかったのが忌々しい。 また腹立ちついでに書くと「勲八等」という言葉には反感を覚える。この人々が八等というなら一等はどれほどの上級国民がもらえるのか。人に格付けしようとする態度が気に食わない(※今は数字がつかなくなったらしい)。
[DVD(邦画)] 5点(2019-10-12 10:25:43)
14.  仮面ライダー×仮面ライダー ウィザード&フォーゼ MOVIE大戦アルティメイタム 《ネタバレ》 
仮面ライダーシリーズの劇場版である。当時放映中の「ウィザード」と前作「フォーゼ」のいわゆるクロスオーバーで、よく知らないが過去の仮面ライダーも何人か出ている(Wはわかった)。ほかにかなり大昔の東映特撮ヒーロー(+ヒロイン)も出しており、けっこう幅広い年齢層を視野に入れていたらしい。 中高年の立場としては、本編でもそうだったのだろうがアクション場面には感心させられる。アクション自体も派手だが見せ方の巧みさで退屈させないところがあり、映像技術とあわせて初期のシリーズとは段違いの印象がある。やはり人類は着実に進歩していると思わなければならない。 またクライマックスで、人間など滅んだ方がいいという悪魔の発言を、フォーゼが「俺はそういうつまんねえこと言うやつが大っ嫌いなんだよ」と一言で切り捨てたところは痛快で感動的だった。悪魔でない人間であっても、周囲の世界を貶めて自分だけには価値があると思いたがる連中にその言葉をぶつけてやってもらいたい。とぼけたところのあるウィザードも嫌いでないが、フォーゼも本物のいい奴でかなり好きなキャラクターだと思った。 以下に個別事項を列記。  ○仮面ライダーフォーゼ 高校生のままではなく5年後(2017)の姿で、主人公と元部員がそれぞれの道で活躍している近未来設定である。清水富美加(当時)・真野恵里菜の両人がそれぞれカワイイ子アピールをして、そのほかにトップモデル役の人もいたりして豪華な登場人物である。 今回は足立梨花さんが現役の部員役で快活な女子高生をやっている。また悪役で出た山谷花純さんは後の「手裏剣戦隊ニンニンジャー」(2015~16)のモモニンジャーの人で、登場人物としては可愛いのに色仕掛けでオヤジを無力化させたりして末恐ろしいと思っていたら、ちゃんと戦う場面もあって格好よかった。  ○仮面ライダーウィザード 放映当時(2012)そのままの人物構成と思われる。凛子ちゃん(演・高山侑子)という人は強くてかわいい女性刑事で好きだ。またコヨミ(演・奥仲麻琴)という人は小柄で可愛らしいが、他人を心配したり自分が危なくなったりするだけで本来何の役目なのか不明だった。ここは本編を見ないとわからない。  ○イナズマン(1973-74) フォーゼ編に出る。当時真面目に見ていなかったので懐かしくはない。この映画では変身すると妙に筋肉質で競技用パンツのような恥ずかしい格好だったが、人の姿(演・須賀健太)に戻るとパンツもなくなって全裸だったようで、それを見た足立梨花さんの反応が脱力ギャグになっている。  ○アクマイザー3(1975-76) 全編を通じた悪役で最後の強敵。当時はほとんど見ていなかったが存在は知っている。この映画では「3」がなく単に「アクマイザー」と言っており、本物の悪役なのでファンだった人々は残念かも知れない。口を開けた「ザイダベック」という乗り物は最後に出る。  ○美少女仮面ポワトリン(1990) ウィザード編に出る。放映当時見ているはずもないが文献的に知っている。本来どういうキャラクターなのかわかっていないが、とりあえずこの映画では入来茉里さんがかわいい。演者はかつて新体操をしていたとのことで、アクション場面では本人が優雅な姿を見せているが、変に開脚が多い割に敵に物理的打撃を与えているようでもない。また可憐な女性と思わせておいて、実はその正体は…というオチがあんまりだと思わせる。  以上、変に長くなってしまったが、とにかく超豪華大作かつ個人的には見どころの多い劇場版だった。これは正直好きだ。
[DVD(邦画)] 7点(2019-08-31 08:57:40)
15.  カランコエの花 《ネタバレ》 
大した動機もなく見たが結果的に心が痛い話だった。エンドロールからのラストに背景事情が集約されている。 男連中はバカなので無視することにして、女子の方も今どきの女子高生なので(昔も同じ?)ちょっとしたことで仲間を排斥して迫害し始めるということを平気でやるのではないかと思っていたらそうでもなく、主人公を含めて基本的には心優しい人々だったらしい。みんな善意の人なのに(バカ男は除く)何でこういうことになってしまうのかという思いだったが、この物語に即して考えれば、例えば誰かを好きになって相手に告げたら、相手は何とも思っていなかったので気まずくなってしまった、というようなことが性別に関わりなく普通に起こる状態が理想ということかも知れない。  基本的には養護教諭が元凶だったと思うしかないわけだが、そもそも月曜日に何であんなことを言ったのかという点は不明瞭だった。金曜日の段階でそういう雰囲気は全くなく、当面は引き続き話を聞いてやればよかったはずだが、例えば初めてLGBTに関わる相談を受けて一人で盛り上がってしまって土日の間に少し仕込み(7.6%という数字など)をして、別に期待されてもいなかった研究発表をしてしまったと思えばいいか。 自分として気になったのは、相談者に対し養護教諭が一方的にLGBTという枠をはめて追い込んでしまった面はなかったのかということである。正しい見解かどうかわからないが個人的には、あくまで人は一人ひとりであるから、予断なく個別の人間の状況を捉えて対応するのが、この場の養護教諭に求められる態度ではなかったかと思った。 ちなみに以前「スクールガール・コンプレックス~放送部篇~」(2013))という映画を見たことがあるが、女子高ならガールズラブ的に軽めに扱われるものが、共学だとLGBT(のL)ということになるのかと思ったりもした。  ほか映画の作り方として、役割だけ決めて役者の考えで演じる「エチュード」の方式を取り入れていたらしく、登場人物の発言やふるまいに自然な感じが出ている(広瀬すず関連は笑った)。主演女優は目玉が特徴的なようで、少し前に見た「罪の余白」(2015)でも端役ながら目玉は目立っていた気がする(最近は知らない)。また特に、お菓子づくりの好きな小牧桜(演・有佐)という女子の最後の表情が切なく見えて心に残った。
[インターネット(邦画)] 7点(2019-07-13 10:55:43)
16.  かしこい狗は、吠えずに笑う 《ネタバレ》 
別にほのぼの青春ストーリーを期待していたわけでもないが、自分としても基本は娯楽志向なので、こういう延々とストレスを溜め込んでいく映画は正直嫌いだ。最初からチワワ女子が胡散臭く見えて、こんな嘘っぽい友情物語をどこまで続けるのかと嫌気がさして来たところでさらに胸糞悪い展開になっていくのではたまらない。 またラストに違和感を残す作りだったので、もう一度どういう話だったのかを真面目に考えてみる必要があるかと思っていたところが誤ってネット上でいろいろ種明かしのようなものを見てしまい、それでもう考える気がなくなった。自分としては意外な仕掛けがあったというだけで褒める気にはならないので(ミステリーなら別だろうが)何か普通に人の心を打つものがあってもらいたかったが、そういうことは特に意図していなかった(期待されてもいなかった)らしい。 ほかに何かよかったところを書きたいが見つからない。申し訳ないが自分にとってはハズレの映画だった。  なお好意的でない映画で細かいところに突っ込むのも馬鹿らしいが、映画の撮影地が主に埼玉県の東武東上線沿線と思われるのに対し、映像には監督の出身地である愛媛県をイメージさせるものが出ており、序盤の踏切の場面で「和食処 伊予っ子」(実在)の看板が見えたほか、庭にミカンの木のある家が普通にあったりもする。また劇中の「石神市」が現実の東松山市に相当するらしいのも愛媛県松山市にかけたと思われる。 ほか「東温女子高校」の「東温」は伊予国温泉郡の東部を意味する地名だが、これは監督の出身地である東温市そのものであり、女子高ではないが県立東温高等学校というのも実在する。一方でチワワ女子が進学するつもりだった「東高」というのが県立松山東高等学校のことだとすれば、旧制中学由来の県下随一の進学校ということになる(「坊っちゃん」「がんばっていきまっしょい」の学校、監督の出身校)。カワイイだけでなく成績も優秀で将来有望だったはずが、もと親友のせいで道を外れてしまった状況だったと取れるが、そういう読みも全体を理解する上で役に立つわけではないらしい。
[DVD(邦画)] 3点(2019-07-13 10:55:40)
17.  カミングアウト 《ネタバレ》 
“LGBT”のうちのGayの青年が周囲の人々にカミングアウトしようとする話で、特に過激に思われる場面もなく穏やかな雰囲気で推移する。見たところ一般向け啓発ビデオのような印象があり、宣伝文では「きっと、あなたの価値観変わります」と書いているが、見ても特に変わった気がしないのは5年も前の映画だからかも知れない。 映画の作りとしてはどうも素人っぽいというか手際が悪く見えるところがあり、特に大学のサークルの場面は間が悪いようで笑える台詞も笑えなくなっているが、これはキャストというよりスタッフの問題ではないかという気がする。後半になるとそれほど違和感もなく、夜の静かな場面での虫の声などは効果的に思った。  物語としては、まず前半で主人公が人間関係に悩みながら覚悟を固めていき、後半でごく近しい人々に対し順次カミングアウトを敢行することになる。なおいわゆるアウティングに関する問題は捨象されているらしい。 相手の反応のうち、特に母親の嘆き(孫の関係)は単に無知とか偏見では済まされないことなので心が痛むものがあるが、これは他の劇中人物が言っていたように「人生にはままならないことがある」と思え、ということか。どうしようもないのはお互い様だということもあり、またLGBTだけが原因になるわけではないということもある。 今回は親しい人間に限定して実行していたわけだが、主人公としては今後も対象を拡大していくつもりだったらしい。一体どこまでやらなければならないのかと部外者としては正直思うが、ここはこの映画の持つ啓発ビデオの役割を主人公に負わせていたということか。社会の受容度が高くなれば当事者があえてハードルを越えようとすること自体が不要になるのは間違いない。 ちなみに親友に対しては告白が2段階になっており、2つ目はあえて言わなくてもと思わなくはなかったが、この映画として淡い恋物語の結末が必要だったということかも知れない。  なお監督・脚本は犬童一利という人物だが、著名な犬童一心監督との関係はわからない(年齢は約26歳差)。知っている役者はあまり出ていないが、高山侑子という人が主人公の後輩で普通に可愛い女子大生をやっている。ほか「協賛」としてNPO法人の名前と「Alfa Romeo」「TENGA」という企業名が出ていたが、後の2つは実際にLGBTに関わる社会活動をしている会社のようで、劇中でもそれぞれの製品を見せていた。
[インターネット(邦画)] 5点(2019-06-07 19:56:18)
18.  伊藤潤二恐怖コレクション/顔泥棒<TVM> 《ネタバレ》 
2004-05-16に作品登録されていながらレビュー数0だったので見た。伊藤潤二の同名のホラーマンガを原作とした実写ドラマで、自分の顔を他人と同じに変えられる少女の話である。「伊藤潤二恐怖コレクション」というシリーズの一つとして、2000年8月にテレビ朝日で放送されている。 同じシリーズの「長い夢」も見たが、原作に忠実にドラマ化するのがこのシリーズの方針だったようでもある。このドラマも変に遊んだところのない堅実な作りで、かなりじっくり見せられてしまうものになっている。  原作に忠実とはいえ元が短編のため、このドラマも全体を膨らませて72分に拡張しており、全3章あるうち原作に由来するのは後の2章分だけである。追加した第1章では、原作の開始時点以前の事情を遡って掘り下げて、劇中の日比野という男がなぜ責任を問われるのかを説明している。この男は原作でも全ての元凶だったように詰られていたが、このドラマでは実際に責任を取るところまで行かされてしまうのが理不尽である。普通に考えれば女の論理はともかく客観的観点からこの男に責任などないだろうと言いたくなるわけだが、そう言えなかったところがこの男の悲劇ということか。 顔を盗む女子が終盤で受ける仕打ちも原作同様だが、より喜劇的かつ残酷に描写されており、その後の顛末も加えた形で男女2人の悲劇という印象を強めている。ラストのシチュエーションでは笑う視聴者もいるだろうが(通行人も笑っていたが)、ここは笑うに笑えない状況というべきではないか。教訓的にいえば、自分の個性を磨こうともせず、見栄えのする誰かの姿を盗もうとする行動様式が破綻してしまい、盗んだ外面が剥がれて初めて男が本気で心を寄せてくれた、という皮肉な状況と取れる。 改変を加えたことで辻褄が合っているのか怪しくなっているところもあるが、もともと原作段階でも少し設定が甘いのではという気がしていたので、その点を突っ込む気にはならなかった。  キャストとしては、当時の若手女優3人(山口あゆみ・安藤希・坂本三佳)が顔を盗む女子1人を次々に演じる形になっている。個人的に注目していた坂本三佳という人は、役柄のせいもあってかあまり可愛く見えないが、後半はほとんど出ずっぱりで熱演している。ほか不運な日比野役の役者は「リリイ・シュシュのすべて」(2001)より前の状態ということになるが、今回も内面の弱さを感じさせながらも意外に誠実な人物役だった。
[DVD(邦画)] 6点(2019-04-13 13:30:43)
19.  怪獣総進撃 《ネタバレ》 
子どもだまし化が進んでいる時期の映画ではあるが、見ればそれなりに豪華で極端に退屈させられるものではない。題名が抽象的で無個性なのでいつまでたっても憶えられないが、改めて見れば終盤で、中継アナウンサーの言っていた「大怪獣のキラアク基地への総進撃」というのに由来していることがわかった。 内容としては前作と前々作を飛ばして「怪獣大戦争」(1965)の後を受けた形で、宇宙人の地球侵略に怪獣を絡ませた話になっている。敵の宇宙人は地球への移住を計画していたらしいが、本当に美女ばかりなら人類(男)の一部は歓迎する可能性もあり、これは人類(男)の弱いところを衝いてきたかと思ったら、その実体は台詞によれば「生きている金属」とのことだった。危うく騙されるところだった。 怪獣の出し方は「怪獣大戦争」どころでない超豪華ラインナップだったはずだが、ゴジラ以外はどうも地味な連中ばかりのようで、いざ決戦となっても案外貧弱な印象だった。それでも地球人のコントロールが効かなくなった後は、自分らの意思で宇宙人を攻撃するという主体性は見せていたようである。ちなみに地球怪獣が寄ってたかってキングギドラを叩きのめした場面は正直笑ってしまった(無慈悲に首を踏んづけたりしている)。これは悲惨だ(笑)。キングギドラが平べったくなってしまった。 なお大怪獣バランは貢献度ゼロだったが、カラーで見られるところに一応の意義があったと思うことにする。  登場人物に関しては、ヒロイン役の小林夕岐子さんは昭和特撮分野では美貌で知られた人である。予告篇では新人と書いてあり、最初に出た場面で明るい表情で話し始めたのは見慣れない感じだったが、しかしその後は宇宙人に操られて、結局はイメージ通りの冷たい美女になってしまっていた。せっかく新人なのでもう少し可愛らしいところが見たかったが、「お話を終いまで聞いたらどう?」という台詞は昔の(東京の)お母様のお小言のようで聞きほれてしまった。砂浜でも構わずヒールの高い靴のまま歩いているのが高踏的で超然とした印象を出している。 一方の主人公は体育会系の無鉄砲な男で、トラブルがあっても現場の工夫で何とかしてしまう行動力は結構だが、かよわい女性のピアスを「聲の形」(2016)のようにむしり取るのは乱暴で野蛮である。終盤で、敵の攻撃に出ていくこの男の名をヒロインが呼んで悲しげな表情だったのを見ると、将来この二人が一緒になっても苦労させられるだけと予感させるものがあったので、早目に別のに乗り換えた方がいい。
[DVD(邦画)] 5点(2018-11-20 19:37:48)
20.  学校の怪談 《ネタバレ》 
なるほどお化け屋敷のような映画に見える。花子さんはいいとして、屋外にいるはずの口裂け女や洋画風モンスターなど、「学校の怪談」というのにふさわしいかどうか怪しいものまで詰め込んで、着ぐるみから視覚効果からストップモーションアニメから何だかんだを次々出して子どもらがギャーギャー騒いでさぞかし楽しそうだと思わせる映画になっている。昔からいた用務員が子どもの習性にさんざん悪態をついていたが、これはいつの時代も子どもというのは変わらないことの表現だったかも知れない。それにしても、大事な紙を引っ張り合って破いた2人のうち片方が教員だったというのは呆れた(おまえはガキか)。  登場人物としては、親しみやすい風貌のボーイッシュな女子(男子かと思った)と、今年が最後の夏休みになったらしい美少女の両ヒロイン体制だったようである。一つ年上のお姉さんと少年との間で、ちゃんと小学生向けらしい恋物語(片思い)ができていたのは微笑ましい。 大人の方の物語も一応あったようで、かつて教室に閉じ込めた女子が脱出した方法は不明瞭だったが、要は教員が思い切って真似したことで心の傷も解消できたということか。また人物設定がよくわからなかったが、教員の幼馴染だったヤンキー女は18歳くらい?で出産して現在は11歳の子を持つシングルマザー?だが、今回の事件のおかげで教員との距離が急接近したと思えばいいのか?…よくわからないが、とにかく最後がハッピーエンドだったのは子ども向け映画らしく清々しい。 今回のことは大事件に見えても、子どもらにとっては1学期が終わって最初の出来事に過ぎなかったことになる。夏休みの本番はこれからだ、という期待感を持たせて終わる、大変楽しい(騒がしい)映画だった。
[インターネット(邦画)] 6点(2018-11-09 19:41:41)
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