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かっぱ堰さんの口コミ一覧[この方をお気に入り登録する

プロフィール
コメント数 1251
性別 男性
自己紹介 【名前】「くるきまき」(Kurkimäki)を10年近く使いましたが変な名前だったので捨てました。
【文章】感想文を書いています。できる限り作り手の意図をくみ取ろうとしています。また、わざわざ見るからにはなるべく面白がろうとしています。
【点数】基本的に個人的な好き嫌いで付けています。
5点が標準点で、悪くないが特にいいとも思わない、または可も不可もあって相殺しているもの、素人目にも出来がよくないがいいところのある映画の最高点、嫌悪する映画の最高点と、感情問題としては0だが外見的に角が立たないよう標準点にしたものです。6点以上は好意的、4点以下は否定的です。
また0点は、特に事情があって採点放棄したもの、あるいは憎しみや怒りなどで効用が0以下になっているものです。

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1.  がんばっぺ フラガール! ~フクシマに生きる。彼女たちのいま~ 《ネタバレ》 
先日、いわき市の人々とたまたまお会いする機会があったので書いておく。書いて何かの役に立つわけでもないが。  まず題名の印象からすると終始ダンシングチームに密着取材かと思うわけだが、実際には2011年春~秋の浜通りに生きる人々のドキュメント、といった印象が強くなっている。中で圧巻だったのは双葉町民の一時帰宅に同行して現地に行く場面であり、これは地元民の解説も付いて非常に臨場感のある映像になっている。ウシはいるわダチョウはいるわで大変だが、自宅周辺から発電所の一部が直接見えているのはさすがに慄然とした。 ただしそういったことで誰かを声高に非難するようなものではなく、また悲劇性ばかりを強調するわけでもなく、映像に出ている人々がみな穏やかに自然体で前向きなのが清々しい。ドキュメンタリーにしても意図的にそのように作ってはいるのだろうが、それでわざとらしいと思えることもなく、特に中心人物として登場するサブリーダーが おっとりした感じで気の優しい人に見えるのは心和むものがあった。   また全体構成としては、最初が全国公演で始まって、最後は2011.10.1の部分オープン時のステージショーの時点で終わっているが、これは当然ながら「フラガール」(2006)を意識していたと思われ、映画で描かれていた出発点をここでまた再現したようで、見ている側としても感無量といったところだった。このステージショーの場面を見ていると、ここまでこぎつけた関係者の尽力はもちろん、お客の方もまだ半年でよくこれだけ集まったものだと感心するが、大変な時だから歌舞音曲は停止などといわずにお客自身が楽しむことで、ダンシングチームの人々や会社にも元気になってもらうのが本当の支援ということを納得させられる。 現在でもダンサーはほとんどが地元出身者とのことで、最初から今まで地元貢献ということで一貫しているらしい。こういう困難な時期であればこそ、初心に帰って地元と共存共栄しようとする事業者がいてくれることは地元にとって何よりの財産であり、このことで個人的には いわき市というところが何とも羨ましく思われた。
[DVD(邦画)] 8点(2014-10-01 23:57:34)
2.  がんばっていきまっしょい(1998) 《ネタバレ》 
この映画がいいと思う理由が自分でもよくわからないのだが、要は懐かしいということだろう。美少女系の人物でも垢抜けないように見えるのは、いかにも当時の(地方の)高校生らしい。 何ということもない高校時代の一年半でも当人にとっては結構長いわけで、春の柔らかい日差し、夏の海と島、晩秋の寒々とした艇庫、冬の街と、季節に応じて見える風景が変わっていたが、その間に登場人物の心持ちもずいぶん違ってきていたはずである。それを成長と呼ぶには大げさだが、それでも月日とともに何かが確実に変わり、その後の人生を変えていくのも間違いないことである。 映画のラストは原作の本編そのままで、何かあっけない幕切れのようでもあるが、しかし現実の人生に途中の終幕はないわけで、この後も主人公のストーリーは続いて行く。その一部を切り取っただけのものであっても、それが多くの人の思いの受け皿になりうるのであれば、それだけで価値ある映画といえるのではと思う。 ただし個人的に残念なのは、自分は劇中人物のようにバカになって一生懸命何かに取り組んだ経験がなく、何か他人の青春を眺めている気がすることである。こんな時代にもう戻れないのはもちろん、自分にとっては人生で実現できなかったこと、人生の欠落箇所を今になって指摘されたようで切ない。この映画を見て自分のことのように感じられる人々が羨ましい、というのが率直な感想だった。 以上、純粋に映画だけでなく原作の印象が混じっている気もするが、映画独自で評価できる要素としては、映像面とともに音楽の存在が大きいように感じる。  なお昔話になるが、学生時代に誰かが学内のボート競技大会(自由参加)に応募したため自分も駆り出され、全員素人ながらそこそこ練習して本番に臨んだが、一回戦で誰か(おれではない)がシートを外してしまって、そこで終わりになったのが思い出される。実際にボートを漕いだ体験は自分とこの映画をつなぐ貴重な接点になっているが、その場所は先の震災で被害に遭い、漕艇部の艇庫などはもう別の場所に移転してしまったらしい。
[DVD(邦画)] 8点(2013-02-10 19:24:29)(良:1票)
3.  カフーを待ちわびて 《ネタバレ》 
ヒロインは目鼻立ちがはっきりして洋風の顔に見えるが、くどさはなくて素直に美しく、またフレンドリーな表情が可愛らしい。テーマ曲PV(「もうひとつの物語」)に出ていた白い鳥の羽根のように軽やかで清潔な印象があって、主人公の青年が触れるのをためらう気持ちもわかる気がする。 こんな女性が自分から押しかけて来るのは主人公に限らず(自分を含む)しがない男の夢というか妄想だが、主人公が至って謙虚なので見ていて妬み根性も起きない。男所帯に美女ではまさに掃きだめに鶴といったところだが、その正体を知ってしまえば鶴女房の話のように、全てを失ってしまうのではないかという不安もあるだろう。こうなった事情については劇中でも一応の説明があったが、そもそもこのお話自体が鶴女房の民話を取り入れたものと思えば、少々ファンタジックな展開も一応の納得がいく。 また中盤で主人公の言った「まわりのみんなが…」は原作にはない要素だが、これを終盤でヒロインが再現したのは感動的だった。これまで自分以外の幸せを願う余裕など全くなかったヒロインが、他人に対して“カフー アラシミソーリ”の気持ちを向けることができたとき、はじめて本人にも果報がもたらされたのだと考えたい。  なお少し苦情をいえば、映画ではヒロインと母親のイメージを重ねていたように見えるので、また同じことが繰り返されるのではないかという不安感が残ってしまう。もしそうなっても主人公は、みんなが幸せならと言うのかと思うと悲しい。 さらに、エンディング後の後日談的なもの(DVDチャプター名は「その後の島」)が必要だったかどうかは微妙である。劇中の現世的な問題がそれほど簡単に解決されるわけでもないだろうし、また最後の「お帰りなさい」が本編中にある映像と全く同じに見えるので、これは主人公の夢想の世界を描いただけで、実はヒロインは帰って来ていないのではないかという疑念も生じる。原作になかったラストを追加するのはいいとしても、主人公とヒロインの再会までで止めておいた方が、かえってその後の2人の幸せが素直に信じられた気がする。 ただ最後のヒロインの笑顔は、いわばアンコールまたは最後まで見た人へのご褒美だったと考えてもいいだろう。これは何回見せられてもかまいません。
[DVD(邦画)] 8点(2012-06-02 09:51:27)(良:1票)
4.  河童のクゥと夏休み 《ネタバレ》 
うちの近所にも昔は河童がいたことになっていたかも知れないが今はいない。個人的にも河童に特に思い入れはない。 この映画の河童は野生動物のような存在らしいが、知能があって人の言葉を話すからには人間としても軽くは扱えない。ただ河童だけでなく犬やカラスも人並みの知能がある設定なので、対等な生き物として扱うべき対象はさらに広いことになる。人智を超えた能力としては言語によらない意思疎通の方法を持ち、さらに人類文明を超越した存在ともつながる立場だったようで、かえって人類の方がそのような世界から疎外された種族ということになる。 劇中河童は現代の文明社会で人間の保護を必要としていたが、子どもながら人格がしっかりしていて自立心もあり、見るからに哀れっぽい存在には描かれていないのがいい。非力そうに見えてちゃんと相撲が強いのも侮れないが、場合によって破壊的な能力を発揮するのはやはり人間として畏怖を感じさせる存在ともいえる。 また自然環境に関する問題意識についてはよくある普通程度の感覚だろうが、この映画では最初を江戸時代まで遡ることで、現代の都市開発だけでなく大規模な水田開発も自然環境に影響を及ぼしたとの認識が示されていた。ちなみに「やんばる」は2021年7月に周辺の他の地域とともにユネスコ世界遺産に登録され、いまだ米軍の訓練場に隣接していながらも、保全の条件は改善されていると思われる。しかしその遺産登録もそれ自体が別に強制力を持つわけでもないようで、何より守ろうとする人間の意思が大事なのだろうが、今後の国際情勢や経済・科学・軍事その他の都合でどう変わるかわからないと思えば、どこまでも人類など信じられないという思いはある。人類社会に上辺の社会正義はあっても良心は存在しないので、劇中河童には何とかうまく生き延びてもらいたい。  物語としては夏休みの出会いと別れということで、これまで特に主体性なく生きてきた少年に自立心が生まれ、初めて心の通じあう他者を認識する機会になったということらしい。ラストで河童と少女はそれぞれ新しい生活環境での暮らしを始めていたが、少年ともまたつながることのできる可能性を残していたのは救われる。 なお製作に当たって遠野市の後援を得たにもかかわらず、物語上は遠野に河童はいないと断言した形になってしまっていたが、座敷童子はいたのでまあいいかともいえる。その座敷童子の歌には少し心を打たれた。他にも心を動かされる場面の多い映画だった。
[DVD(邦画)] 7点(2023-09-30 10:51:02)
5.  カルメン故郷に帰る 《ネタバレ》 
日本初の総天然色映画として百科事典で特記されていたので大昔から名前は知っていたが、子どもが見るものではないと思っていた。今回デジタルリマスター版というのを見ると、浅間山を背景にした牧草地に登場人物の華やかな衣装が映えている。山から噴煙らしいものがずっと出ていて、まともに構図に取り入れている場面もあったが、気象庁の記録によれば1950~51年に火山活動があり、噴火で死傷者が出た事件もあったらしい。実は危険な撮影現場だったのではないか。 それはそれとして基本的には喜劇のようで、深刻そうな場面もユーモラスで笑ってしまうところがある。父親はやたらに主人公をバカ扱いしていたが、特に知能に問題があるわけでもなさそうで、これは当時の社会通念から自由なことをそう言っていただけではないか。昔バスガールをしていた(婿を連れて帰った)姉はどちらかというと主人公の価値観の理解者だったようだが、父親の方は(妻を亡くして?)娘たちに十分手をかけてやれなかったという悔いがあり、その自責の念がバカの木に象徴されていたと思われる。  物語の中心テーマは芸術文化に関することだったように見える。 まず、金儲けが目的なら芸術文化ではないという趣旨の発言があったが、それをいうなら映画も似たようなものといえる。実際に今どき映画を芸術の部類に入れる人々も多くないだろうが、しかし芸術性皆無の映画というのもあまりなく、芸術では絶対ないともいい切れない。また劇中例でいえば、観客の色欲を刺激するのが目的なら芸術とはみなされにくいが、しかし例えば食欲を満たす場合は生の食材そのままでなく調理するところに文化性があり、また主人公についても生のものをただ見せるのでなく歌や踊りの技量、さらに衣装を含めてどう見せるかで価値を高めようとしていたはずである。その点で、目的が不純であっても芸術性・文化性を伴うものはあるといえる。 また興行収入の使途に関する校長の発言には、裸芸術と本物の芸術は隔絶したものではないという認識が示されている。本物の芸術というのも実は範囲が明瞭でなく、元教員が作った歌は芸術寄りではあろうがシューベルトの歌曲と同列ではない。そういったものを全部まとめた、いわば芸術文化連続体の中に裸芸術も本物の芸術も含まれているということだ。 ラストでは、さんざん色々やらかした主人公と同僚が悪びれることもなく去る一方、それとは別に元教員が元のとおりにオルガンを弾いていて、両者の出会いで何か変化がもたらされたようでもなかったが、これは新奇/古風、都会/田舎、高尚/卑俗で良否を分けず、それぞれが併存していて構わないという大らかさの表現に思われる。結果的には、世界の様々なものが持つ芸術性や文化性を広く認め、みながそれぞれにアーティスティックな創意を発揮または評価する時代を志向する映画なのかと思った。 なお主題歌(主人公が歌う方)は結構耳に残る。芸術とまでいうかは別にして華があってモダンだ。
[ブルーレイ(邦画)] 7点(2023-01-01 22:58:41)
6.  がっこうぐらし! 《ネタバレ》 
原作は読んでない。アニメも見ていない。 最近どうも女子高生ホラーのようなのが一番心安らぐ気がしていて、実はこの映画にも期待していたが、期待通りというか期待を若干上回った。監督の柴田一成という人物は、以前からしょうもないホラー映画のプロデューサーとか脚本とか監督をしていたので名前は見たことがあり、これまでも結構悪くないのはあったが、今回も結果的にいい方だった。 ちなみにこの映画に先立って、前日談の「がっこう×××~もうひとつのがっこうぐらし!~」(2019)がAmazonプライム・ビデオで公開されているが、個々の出演者(わりと豪華)を見たいのでない限り見る必要はない。また以前に放送されたAKB48メンバー主演のTVドラマ「セーラーゾンビ」(2014)と基本設定が似ているが、これの方が本家と思われる。そういうのを見たのも一応予習のようなものである。  内容としては、基本的に原作のおかげだろうが心に染みる青春物語の体裁が一応できている。怖さやグロさを売りにせず、登場人物のほのぼの感と極限状態との対比で切なさを出しており、最後はちゃんと泣かせる場面も用意されている。途中で気になった点としては、登場人物が部屋に入って話し始めた場面で、中にいたはずの人物をなかなか映さないので不安な気分にさせられるところがあったが、しかしその後は予想通りというか終盤で、幻影を見ていたのが一人だけではなかったことが明らかにされる場面があって、ここは少し感動的だった。 また映像面ではゾンビに火がついて燃えているのがそれらしく見えて、いちいち危ないスタントなどしなくていい時代になったのだという感慨があった。  出演者について、主要人物はみなアイドルだそうだが、演技の素人ながらいきなり映画に出てそれなりに役目を果たしていたようでお疲れ様でした。中で主人公役の阿部菜々実という人が、長身(168cm)ですらりとした体型なのは感心した。山形市出身だそうだが日本人も進化しているらしい。ほかは小柄な人が多いので、養護教諭役との間で少女と大人の対比を見せている。 おのののか嬢については最近いろいろ噂もあるようだが、この映画では優しいおねえさん役が非常に似合っていて好きだ。また特別出演で名前の出ている足立梨花さんはどこにいたのか気づかなかったが、本人によれば「タイトルの前に出てくるゾンビ」だそうで、改めて見れば確かにそうだが最初から意識していなければ気づかない。
[ブルーレイ(邦画)] 7点(2020-01-04 09:29:42)
7.  仮面ライダー×仮面ライダー ウィザード&フォーゼ MOVIE大戦アルティメイタム 《ネタバレ》 
仮面ライダーシリーズの劇場版である。当時放映中の「ウィザード」と前作「フォーゼ」のいわゆるクロスオーバーで、よく知らないが過去の仮面ライダーも何人か出ている(Wはわかった)。ほかにかなり大昔の東映特撮ヒーロー(+ヒロイン)も出しており、けっこう幅広い年齢層を視野に入れていたらしい。 中高年の立場としては、本編でもそうだったのだろうがアクション場面には感心させられる。アクション自体も派手だが見せ方の巧みさで退屈させないところがあり、映像技術とあわせて初期のシリーズとは段違いの印象がある。やはり人類は着実に進歩していると思わなければならない。 またクライマックスで、人間など滅んだ方がいいという悪魔の発言を、フォーゼが「俺はそういうつまんねえこと言うやつが大っ嫌いなんだよ」と一言で切り捨てたところは痛快で感動的だった。悪魔でない人間であっても、周囲の世界を貶めて自分だけには価値があると思いたがる連中にその言葉をぶつけてやってもらいたい。とぼけたところのあるウィザードも嫌いでないが、フォーゼも本物のいい奴でかなり好きなキャラクターだと思った。 以下に個別事項を列記。  ○仮面ライダーフォーゼ 高校生のままではなく5年後(2017)の姿で、主人公と元部員がそれぞれの道で活躍している近未来設定である。清水富美加(当時)・真野恵里菜の両人がそれぞれカワイイ子アピールをして、そのほかにトップモデル役の人もいたりして豪華な登場人物である。 今回は足立梨花さんが現役の部員役で快活な女子高生をやっている。また悪役で出た山谷花純さんは後の「手裏剣戦隊ニンニンジャー」(2015~16)のモモニンジャーの人で、登場人物としては可愛いのに色仕掛けでオヤジを無力化させたりして末恐ろしいと思っていたら、ちゃんと戦う場面もあって格好よかった。  ○仮面ライダーウィザード 放映当時(2012)そのままの人物構成と思われる。凛子ちゃん(演・高山侑子)という人は強くてかわいい女性刑事で好きだ。またコヨミ(演・奥仲麻琴)という人は小柄で可愛らしいが、他人を心配したり自分が危なくなったりするだけで本来何の役目なのか不明だった。ここは本編を見ないとわからない。  ○イナズマン(1973-74) フォーゼ編に出る。当時真面目に見ていなかったので懐かしくはない。この映画では変身すると妙に筋肉質で競技用パンツのような恥ずかしい格好だったが、人の姿(演・須賀健太)に戻るとパンツもなくなって全裸だったようで、それを見た足立梨花さんの反応が脱力ギャグになっている。  ○アクマイザー3(1975-76) 全編を通じた悪役で最後の強敵。当時はほとんど見ていなかったが存在は知っている。この映画では「3」がなく単に「アクマイザー」と言っており、本物の悪役なのでファンだった人々は残念かも知れない。口を開けた「ザイダベック」という乗り物は最後に出る。  ○美少女仮面ポワトリン(1990) ウィザード編に出る。放映当時見ているはずもないが文献的に知っている。本来どういうキャラクターなのかわかっていないが、とりあえずこの映画では入来茉里さんがかわいい。演者はかつて新体操をしていたとのことで、アクション場面では本人が優雅な姿を見せているが、変に開脚が多い割に敵に物理的打撃を与えているようでもない。また可憐な女性と思わせておいて、実はその正体は…というオチがあんまりだと思わせる。  以上、変に長くなってしまったが、とにかく超豪華大作かつ個人的には見どころの多い劇場版だった。これは正直好きだ。
[DVD(邦画)] 7点(2019-08-31 08:57:40)
8.  カランコエの花 《ネタバレ》 
大した動機もなく見たが結果的に心が痛い話だった。エンドロールからのラストに背景事情が集約されている。 男連中はバカなので無視することにして、女子の方も今どきの女子高生なので(昔も同じ?)ちょっとしたことで仲間を排斥して迫害し始めるということを平気でやるのではないかと思っていたらそうでもなく、主人公を含めて基本的には心優しい人々だったらしい。みんな善意の人なのに(バカ男は除く)何でこういうことになってしまうのかという思いだったが、この物語に即して考えれば、例えば誰かを好きになって相手に告げたら、相手は何とも思っていなかったので気まずくなってしまった、というようなことが性別に関わりなく普通に起こる状態が理想ということかも知れない。  基本的には養護教諭が元凶だったと思うしかないわけだが、そもそも月曜日に何であんなことを言ったのかという点は不明瞭だった。金曜日の段階でそういう雰囲気は全くなく、当面は引き続き話を聞いてやればよかったはずだが、例えば初めてLGBTに関わる相談を受けて一人で盛り上がってしまって土日の間に少し仕込み(7.6%という数字など)をして、別に期待されてもいなかった研究発表をしてしまったと思えばいいか。 自分として気になったのは、相談者に対し養護教諭が一方的にLGBTという枠をはめて追い込んでしまった面はなかったのかということである。正しい見解かどうかわからないが個人的には、あくまで人は一人ひとりであるから、予断なく個別の人間の状況を捉えて対応するのが、この場の養護教諭に求められる態度ではなかったかと思った。 ちなみに以前「スクールガール・コンプレックス~放送部篇~」(2013))という映画を見たことがあるが、女子高ならガールズラブ的に軽めに扱われるものが、共学だとLGBT(のL)ということになるのかと思ったりもした。  ほか映画の作り方として、役割だけ決めて役者の考えで演じる「エチュード」の方式を取り入れていたらしく、登場人物の発言やふるまいに自然な感じが出ている(広瀬すず関連は笑った)。主演女優は目玉が特徴的なようで、少し前に見た「罪の余白」(2015)でも端役ながら目玉は目立っていた気がする(最近は知らない)。また特に、お菓子づくりの好きな小牧桜(演・有佐)という女子の最後の表情が切なく見えて心に残った。
[インターネット(邦画)] 7点(2019-07-13 10:55:43)
9.  カメラを止めるな! 《ネタバレ》 
大評判なのは知っていたがやっと見られた。 大変いい映画だとは思うが、申し訳ないが最初のワンカット部分は正直見るのが苦痛だった。初めからこういうクオリティで撮っているという設定でもあり、不自然な箇所については後で説明もあるわけだが、これを延々と見せられている間に体調のせいもあってか頭が痛くなってきた。 後半をあわせて見ればよくできたお話で、最後はみんな笑顔で和む映画になっている。真相を明らかにした中で個人的に面白かったのは監督の台詞にアドリブが入っていたというところだった。最終的に一番いい役は監督の娘だったようで、ちゃんと両親のいい所だか悪い所だかを受け継いだ人物になっている。 前半で忍耐を強いられたせいで絶賛というわけにもいかないが、それなりの点数にしておかなければと思わせる映画ではあった。
[映画館(邦画)] 7点(2018-09-15 08:56:06)
10.  かぐや姫の物語 《ネタバレ》 
一般論としては“生きるために生まれてきた”というのが重要なように見える。映画を見ていると、なんで登場人物がそんな大事なことを都合よく忘れるのか?と思うわけだが、しかしそれを忘れて生まれるのは姫だけでなく人間全部が同じと思えば、少なくとも若年者に対しては劇中世界を超えた普遍的なメッセージになっている。 姫の犯した罪と罰というのは意味がわからなかったが、生きる苦痛から逃れようとしてこの世を去らねばならなくなり、親を泣かせた上に自分がしたいこと、すべきこともできなくなったのが罰なのだろうとは思う。それにしても逃げに走ったのが一瞬だけだったのに、いきなり召還というのは酷な気もしたが、それは罰というより父親が早く実家に呼び戻そうと待ち構えていた感じだったのではと思ったりする。  ところで最後の迎えが阿弥陀来迎図なら、西方極楽浄土(いわゆる極楽)が月にあるような設定ということになる。現代では天国とか極楽とかいったものがディストピア風に扱われることが多い気がするが、しかし昔は生きること自体が本当に過酷だったからこそ、輪廻を離れて永遠の安穏が保証された世界を願ったという面もあったのではないか。それを安易な逃げとして簡単に否定してしまう今の日本はよほど恵まれた時代なのかも知れない。また歴史的に見れば、実際に平安末期から大流行した浄土信仰を否定して終わったようなのが時代に逆行した感じで変な気もする。 自分としては残念ながらあまり心に染みるものはなかったが、しかしここのレビューを見ていると結構さまざまな見解があってなるほどと思わされる。そのように見た人それぞれの反応を引き出せる深みを持っているのは、この映画が優れた創作物であることの一つの証明かも知れない。  ほか余談としては姫の屋敷がそれらしい感じの寝殿造りで、東に中門があって西に釣殿があり、実在した「東三条殿」を模したような構造だったのが興味深い。こういう建物が出て来るからには劇中年代は平安時代ということになる。また富士山から煙が上がっていたのは芸が細かい。 登場人物では「車持皇子」の一人芝居に笑った(これはやりすぎだ)。「御門」の顎はハプスブルク家の真似ではないか。また、ひときわ雑な顔をしている「女童」は、最初は不気味に思ったが、結構愛嬌があって可笑しいキャラクターなので和んだ。これはこれで有能な人物なのだろうが何歳の想定なのか。なんで田畑智子さんがこんな役をやっているのかもわからない。
[DVD(邦画)] 7点(2018-05-19 00:00:09)(良:1票)
11.  陽炎の辻 完結編 ~居眠り磐音 江戸双紙~ <TVM> 《ネタバレ》 
時代小説シリーズ「居眠り磐音 江戸双紙」を原作として、2007~2009年にNHKが放送した連続TVドラマの特別編である。前回の特別編はTVシリーズの締めくくりとして放送されたものだったが、原作小説はその後も2016年まで続いて完結したことから、その最終状態を反映した「完結編」をTVでも製作したという形らしい。なお自分としては原作・TVとも未見である。 前回の特別編から7年になるがシリーズ開始からだと10年になり、その間に役者もみな10歳年を取ったことになる。劇中人物としても落ち着きが増しているように見えたが、特に前回は新婚半年だった主人公に子ができたことで、この主人公とその他の登場人物を含めた親子の情愛が大きく扱われ、これが今回のテーマにつながっていたようである。今回初出のキャストとしてはその息子が存在感を見せているほか、レギュラーの娘役で優希美青さんという人が出ており、ルーズな父親に厳しいしっかり者を演じていた。  今回は完結編とのことで、これまで因縁のあった田沼意次のほか、松平定信が顔出しで登場するため話のスケールが大きくなっている。大まかにいえば田沼が悪玉、定信が善玉だが、両者それぞれに善悪もあり理想もあり、欠けた部分や未熟な部分もあって単純な勧善懲悪にはなっていない。 田沼と主人公が対面する場面は2回あったがいずれも結構な緊張感があり、特に田沼の心情が顔に出るのが見どころである。主人公は前にも増して抑制の効いた人物に見えたが、定信の側近を𠮟りつけた場面だけはどうやらボロが出たということらしい。この場面で主人公の真意をどこまで勘繰ればいいのかよくわからなかったが、ここだけ言葉が乱暴なのは内心の弱みを突かれた形だったからかも知れない。 ちなみに個人的感覚としては、刃傷沙汰の張本人が事後にニヤリと笑ったのは痛快だった。その後の庶民の無責任な噂話も可笑しい。  そのほか見せ場としての剣劇も当然あるが、それより人の心をじっくり見せようとするドラマになっており、特に今回はいわば“青年期の終わり”を感じさせるものだったように思われる。本編ファンがどう思うかはわからないが、個人的には「完結編」にふさわしい内容になっていた気がした。
[DVD(邦画)] 7点(2017-07-18 19:50:39)
12.  海賊とよばれた男 《ネタバレ》 
何の予備知識もなくほとんど偶発的に見たので、どういう映画かわからないまま最後はどうなるのかと思いながら見ていたが、エンドロールに実在の社名が出てやっと何のことかわかった。原作は長編小説とのことだが映画としてはダイジェスト感が強く、特に登場人物については観客側の自主的補完にかなり頼っている気がする。 また全体として石油元売会社の社史なのか、創業者の一代記なのかが不明瞭である。実在する会社の沿革であれば「日章丸事件」(劇中では日承丸)で意気を上げたところで切り上げてもいいはずで、その後の後日談の意味がよくわからない。原作のどこを取り上げて構成するかの問題だろうが、少なくともこの映画ではせっかくの女優陣(綾瀬はるかと黒木華)が半端な登場人物に終わっていたようで残念である。  ところで個人的に「日章丸事件」のことは知らなかったが、これは憶えておいてもいい話だという気がした。巨大資本の脅しに一歩も引かず、また映像的な誇張はあるにせよ、横暴なイギリス海軍を相手に真っ向勝負というのは非常に痛快だった(単純に気分がいいだけでなく歴史的意義もあったようだが)。昨年は日本が関わる国際的美談の映画が同時に2つ公開されて両方とも微妙な印象だったが、今回のこれは日本人の心意気を示した点が素直に心地いい。 また個人的には船の映像が多いのがよかった。手漕ぎの舟から発動機船、復員輸送艦(駆逐艦神風)、大型タンカーに英軍艦(ベイ級フリゲート?)が映り、タンカーの進水式もそれらしい感じを出していた。どこまで特殊効果かわからないが素人的には出来に文句をいう気にならず、こういった映像面での印象が映画の価値を高めていた気がする。 ちなみに主演俳優の老け顔には特に違和感がなく、これはこういう男だ、という雰囲気は出ていたように思う。  追記:社歌の背景に必ずBGMが入って邪魔していたのは確かにわけがわからない。これはサントラCDを買って聞けということか。
[映画館(邦画)] 7点(2016-12-24 09:45:08)
13.  風切羽~かざきりば~ 《ネタバレ》 
公式サイトに経過が書かれているが、もともと後半のロードムービー部分を先に制作し、後に前半部分を追加して長編にしたとのことである。撮影自体は2012年だが、序盤で出ていた震災関連のニュースは2011年のものであり(4/17日曜日、気仙沼の朝市)、自分としては現実世界のこの時期に、春の明るい陽射しと裏腹に感じていた内心の不安を呼び覚まされる気がしたが、これは意図されたものかどうかわからない。  映画のテーマは“親に愛されない子ども”ということらしいが、劇中の出来事自体は個人的知見から想像しうる範囲に収まっていて特に目新しいものはないように見える。しかし改めてこのように見せられるとやはり心穏やかではなく、劇中の少女が弛緩したような荒んだ感じを全身で出しているのも痛々しい(4月中旬にこの格好では寒いだろう)。まるで世の中にまともな大人がいないように見えるのは同じ大人としてつらいものがあるが、逆に少女の境遇が周囲をこういう連中ばかりにしていると解すべきか。 今回の件で、この少女としても何かふっ切れたものがあったようではあるが、しかし少年と違って閉じられた円環からは抜け出せず、元の場所に回帰しただけのようにも見えている。劇中で生じた現世的トラブルは残されたままであり、携帯を使う営業からも簡単に抜け出せるのか怪しい気がするが、まあ根本的な解決は劇中人物というよりも、現実世界での対策如何によるというのが映画の趣旨だろう。  ところで主演女優に関しては、舞台挨拶で「あたし走るのが本当に下手で…」と言っていたが本当に下手である。自分としてはこの人をよく知っているわけではないが、よく知っている人が持つイメージとはかけ離れた役をやっているのは間違いない。前髪を下ろしたことでも雰囲気がかなり違っているが、特にこの人の顔で特徴的な目が、いつもと同じはずだが全く違う目のように見えており、冒頭では視点の定まらないうつろな表情がいきなり印象的だった。公式サイトを見れば、オーディション時にこの人がとりわけ努力家だったことも記されている。 そういったことから私情にはなるが、評点はこの人のために若干加点しておく。
[DVD(邦画)] 7点(2013-12-22 17:45:39)(良:1票)
14.  ガス人間第一号 《ネタバレ》 
純粋なラブストーリーには思えない。男の方は、もとから強かった自尊心が変な能力を持ったことでますます肥大化し、零落した美しい家元を自分が支える、などという妄想に取りつかれただけに見える。単にジェット機パイロットの代替だろう。 また女の方も「本当に男の人から愛されている」という認識以上のものではなく、当の男のせいもあって社会的に追い込まれ、不本意ながら破滅を選択したように見える。まあ女としては精一杯の誠意だったのだろうが、結果として男がしっぺ返しをくらった格好になっていたのは皮肉に思える。 それでも、劇中の刑事と婦人記者の関係が普通に本物だったらしいのに比べれば、どう頑張っても普通にはなれない二人の疑似恋愛と破滅を描いた悲劇と捉えることはできる。映像面でも最後の大爆発は結構な迫力で、特撮映画ならではの壮絶な幕引きだったように思えた。  ところで、この映画で難点と思うのは、メインストーリーを軸にして見た場合に、何でガス人間が出て来なければならないのかわからないことである。構成上は男に特殊能力が必要なのはわかるが、男女関係がからむのであればガス化などというゲテモノっぽいのでなく、せめてもう少し格好いい能力でなければと思う。ここはどうしても違和感が残る。 また個人的な問題としては、どうも登場人物が好きになれないのが困る。まず婦人記者は人物造形としては理解できるものの、自分としては嫌悪を催すタイプなのが正直ちょっときつい。また家元は気位が高いのは仕方ないが、最初に図書館を訪れた場面では、和装なのに変に大股でスタスタ歩いていたのが家業への誠実さに欠けるように思えて、この時点で印象が悪化した(本当の演出意図はわからない)。そのため後で少々しおらしい表情など見せても愛しさが感じられなかった。  そういうことで、全体としては残念ながらあまり愛着のわかない映画になってしまっている。ただし特撮映画としてはこれほどまともなストーリーを伴うものは稀であること、また言うまでもなく八千草薫さんの美貌に目を奪われること、及び東宝特撮の(影の)ヒーローである土屋嘉男氏が素顔で熱演していることを考えれば、決して悪い点は付けられない。 なお八千草薫さんが何で特撮映画などに出るのかと以前から思っていたのだが、考えてみれば少なくとも日舞の素養のない女優では務まらないわけである。
[DVD(邦画)] 7点(2013-05-27 18:59:07)
15.  ガメラ2  レギオン襲来 《ネタバレ》 
敵生物のデザインやスピリチュアル風の要素など気に食わない点はあり、90年代の素朴な環境観に基づくラストの警句も陳腐に感じられる。しかし前作よりマンガっぽさは薄れており、低レベルの突っ込みどころは多くない。また社会描写の現実感は増しており、映像面でも前作同様の感動がある。マイナス面は小さくプラス面が最大限に発揮されていて、大人向け(一応)のガメラ映画としては総合的に高水準の内容を実現しているように思う。 特に、前作では邪魔ばかりしていた人間側が今回は大活躍なのは素直に嬉しい。当初はほとんど絶望的な戦いだったが、ガメラと共闘を決めた後はちゃんと効果的な支援ができていた。隊員が普通の人間の心を持っている(当然だが)ことを示す場面や、ともに戦った仲間としてガメラに敬意を表する場面があったのは、わざとらしくもあるが心温まる情景だった。 また霞目飛行場でのガメラが具体的行動として人間を守ろうとしていたのは印象的で(振り返ってヘリを見ていた)、ちゃんと“ぼくらのガメラ”的性質を持っているのは一応安心できる。浅黄ちゃんの「ガメラも血を流したんです」の台詞で泣けて来たのは他人には言えない。 ほか特筆すべき点として、今回はヒロインが可愛い(前作が可愛くないとまでは言わない)。また日本テレビの関谷アナウンサーが懐かしい。この人がまだ現役の時代と思えば、けっこう前の映画なのだなと実感する。  なお以下は余談になるが、今回は東京以北の都市が舞台なのは怪獣映画としては珍しい。しかし仙台に関しては、「白松がモナカ」の看板は何度も映るものの仙台らしい特徴的な風景があまりなく、学生時代に住んでいた者としては不満もある。またキャッチコピーが「消滅するのは日本か、レギオンか」であるのに、結果的には日本でなく仙台だけが消滅してしまったのは理不尽だ。こんな深い穴があいてしまっては復興どころではなく、一体どうしてくれるのかと思う。 ただ些細なことだが個人的に注目したのは、宮城県が設置した救護所のテントに「名取市役所」と書いてあったことで、これは仙台市の被災により隣接の名取市が緊急的な支援を行っていることを示している。これも映画のリアリティに寄与しているが、その後の震災のことを考えれば複雑な心境にもなる(両市とも沿岸部の津波被害が甚大だった)。現実の悲惨さに接してみれば、怪獣映画も呑気に見ていられない。
[DVD(邦画)] 7点(2013-01-20 08:46:33)
16.  ガンマー第3号 宇宙大作戦 《ネタバレ》 
[2017-12-16改訂] 公開当時は入替制ではなく、途中入場したところがちょうど「そこを開けちゃいかん!」の場面だったのがトラウマ級の衝撃で、とにかく怖い映画という印象がずっと残っていた。そもそも当時はガンマーという言葉からして怖かったが、劇中の怪物(台詞では「怪獣」)も子どもが親しめる要素などは全くなく、気色悪さと怖さに特化したデザインになっている。大人が見ればどうということはなくても、子どもの立場ではそのように感じたということは証言しておく。  あらためて見れば基本的には昔の特撮映画だが、日米合作のためかけっこう堅実にできており、かえって昭和特撮らしくない。地球に別の天体が衝突する話は「地球最後の日」(1951)や「妖星ゴラス」(1962)に続いてのことだが、この映画と同じく天体を破壊しようとする「アルマゲドン」(1998)より簡単に成功してしまい、あとは「エイリアン」(1979)風に追い詰められていく恐怖の物語となる。特撮は他の怪獣映画も手がけた「日本特撮映画株式会社」が担当していてそれなりの水準だが、個別の場面としては脱出用の宇宙艇が発進するときに、3回それぞれに変化をつけていたのが印象的だった。 また成人後に見ると目につくのが2人の隊長の関係性である。最前線での働きは若い頃の名コンビを髣髴させるということだろうが、しかし今となっては指揮官として明らかな差がついてしまっているのが微妙に切ない。確かにエリオット隊長は人格的に甘いところがあったようで、劇中の出来事を見る限り、判断を誤らせる原因は人助けに代表される人情の問題を優先してしまうことだったらしい。それが事態を悪化させてしまったわけだが、しかし最終的にはそれが親友と地球を救うことにもつながったと解される。タイミングのいいところで人生を切り上げて名を残す、という形に結果的にはなってしまったが、こういう人物に気持ちを寄せたくなるのも年取った証拠かという気にはなる。  ちなみに余談として太陽系内には「フローラ」(Flora)という小惑星が実在しているので、とりあえず台詞の「二等遊星」は「小惑星」のことだと思えばいいらしい。ただし実物は小惑星帯のメインベルト(火星と木星の間)にあり、それが何でわざわざ地球まで飛んで来るのかと素朴な疑問が生じるわけだが、そこは登場人物も「この際原因はどうでもいい」と投げていたので観客としても突っ込まないのが正しい。
[DVD(邦画)] 7点(2011-12-31 16:20:25)
17.  怪猫謎の三味線 《ネタバレ》 
戦前の古い映画だが無声映画ではなく台詞も音楽も入っている。 江戸の芝居小屋(中村座とのこと)をめぐる復讐談で、劇場付きの三味線奏者や役者、及びこれに関わる武家の人々が登場する。昭和に入ってからの映画だが、現代で見る時代劇よりは本物に近い江戸文化に触れた気にさせるところがある。  怪猫といえば、役者の扮した化け猫が出て恨む相手を取り殺すのかと思うが、この映画ではそういう化け猫は出ない。復讐の主体は人であり、公演中の舞台上で憎むべき相手に復讐(仇討ち)する場面がクライマックスになる。 化け猫というより題名の三味線が物語の進行に関わっており、怪しい因縁のある三味線が一度失われてから方々を転々として、最後に本来あるべき場所に戻ってから復讐に参加する展開になる。なお三味線というのはネコの皮を使うことから、皮を取られたネコの怨念が籠っていたりするのではないかと昔から思っていたが、この映画では三味線奏者が愛猫の形見にするため愛用の三味線をあえて張り替えたとのことで、なるほどそういう考え方もあるかと思った。 特殊効果としては当時なりの技術だが、二重露光か何かで半透明の手が三味線を掴もうとする映像は悪くなかった。また幽霊と話したと思っていたら実は眠っていて目が覚めた、という場面は夢オチのようだったが、やたら生々しい心霊現象よりは奥ゆかしく見える。 ユーモラスな場面もあり、怪しい三味線を捨てようと思った人物が、なかなか捨てられずに途方に暮れた様子は微妙に笑わせる。また広間にいた人々が、あっちを向けと大名に言われて一斉にあっちを向いた場面も笑いを狙っていたかも知れない。 困ったのは終盤の部分が映像表現だけではわかりにくいことだったが、ラストの場面の天気を見れば明らかにハッピーエンドなのでまあいいかという感じだった。  人物関係では、後に「日本のおかあさん」と言われた森光子という役者の18歳頃(1920年生まれとして)の姿が見られるのは注目点である。絶世の美女でもないが役柄にふさわしく可憐で可愛らしく、まだ若いのに台詞も動きもちゃんとした印象で、昔の役者はさすが違うと思わされた。また劇中の三味線弾きの男(常磐津清二郎)に対し、その同門の女性(常磐津文字春)は秘めた思いがあったようでいて不明瞭なまま終わったようなのは変だったが、ちなみにこの役者2人(浅香新八郎・森静子)はこの時点で夫婦だったらしい。
[DVD(邦画)] 6点(2023-01-14 14:42:20)
18.  花嵐の剣士~幕末を生きた女剣士・中澤琴~<TVM> 《ネタバレ》 
NHK・BSプレミアムで2017/1/14に放送したドラマである。現在はNHKオンデマンドで見られる。 主人公の中澤琴という人は幕末に剣士として活躍した実在の人物である。出身は上州(現在の群馬県沼田市)で、このドラマ製作の前年には地元で「お墓が建立されました」とのことである。剣も強いが長身で美形の“男装の麗人”的人物だったようで、ひところ言われた“歴女”好みのキャラクターということかも知れない。伝えられているとおり薩摩屋敷で踵を斬られる場面が入っており、また一生独身だったとされることの背景も何気に語られていたようだった。 この主人公が参加した「新徴組」というのは、京都の新撰組と並ぶ江戸の浪士組だというのは知っていたが、それをまともに取り上げたドラマは初めて見た気がする。鮮やかな紅色のかたばみ紋が見えたほか、「おまわりさん」の語源だったことにも触れられていた。  物語は、幕末に京都に集められた浪士組が後の新撰組と新徴組に分かれたところから始まる。主人公が兄とともに新徴組に加わり、江戸で活動してから戊辰戦争を経て上州へ帰郷するまでを扱っており、三田の薩摩屋敷への討ち入りが全体の山場になっている。なお開墾に従事する場面はない。 ドラマ的には、主人公が自分と剣とを切り離せない状態から、自分が何のために剣を生かすのかを悟る過程になっていたらしい。薩摩方が起こした騒乱で、庶民が泣かされるのを見かねて参戦したのは心正しい人物像の表現になっている。「剣は、いつかそれを捨て去る時のために使う」という台詞もあったが、少なくとも国内的にはそれが実現して終わったことになる。 なお浪士組を集めた清河八郎という人物のことは実はよく知らなかったが、「攘夷とは…暮らしだ…」という台詞からすると立派な人物だったらしい。攘夷というと過激なようでも、本意はそのように解されるということなら共感できる。その意図が兄を介して主人公に引き継がれたようで、それがまた上州に伝わる「法神流」にも通じるところがあったのかも知れない。  登場人物としては坂本龍馬なども顔が出ているが、沖田総司の兄に当たる人物も新徴組にいたとのことで重要人物の扱いになっている。主人公はきりっとして嫌味のないのが好印象で(少女時代から強そうだ)、「見とれてしまった」という台詞は意味不明だが少し笑わせた。ほかにも葭町の姐さんとか訳ありの女とか千葉道場の娘とか人物が多彩で楽しめる。終盤で出た甥の表情も面白かった。
[インターネット(邦画)] 6点(2020-12-26 15:29:55)
19.  海底軍艦 《ネタバレ》 
名前は海底軍艦だが実は陸海空の万能戦艦で、かえって普通に海上を航行する場面がない(黒と赤の塗り分けが無意味)。見た目は昭和じみて古風な気もするが、劇中の雄姿を見ればシンプルで精悍なデザインだと思わされる。 また怪竜マンダは目がネコなので、大写しの顔が出るとニャンといいたくなった。  物語に関しては、この当時なりに戦争を扱ったものになっている。愛国心など今の若い者には理解できないだろう、と言われた神宮司大佐の娘は、女優が1941.12.17生まれ(開戦のすぐ後、戦艦大和の竣工の次の日)とのことで、戦争中に生きてはいても、戦争自体は覚えのない人々が成人する年齢になって来たという感慨が当時の人々にあったのかも知れない。 それでも戦わなければならない場面というのは依然としてあるわけで、この映画に関していえば、まるで帝国主義時代の感覚で世界に覇権を拡大しようとする悪の帝国を国際社会は許さないということである。海底軍艦は国際連合の要請を受けて出動した形になっており、かつての日本海軍が世界平和のために役立ったというのはまことに喜ばしい。 ただし、ムウ帝国というのは人口何人だったのかわからないが、結局全滅してしまったらしいのは悲惨だ。再生可能エネルギーである地熱を高度に利用していたらしく、技術面で協力できれば人類社会に貢献できたはずだが残念なことだった。  人物の関係では、ヒロイン役の藤山陽子という人は正統派の美人女優のようで、特撮関係では「宇宙大怪獣ドゴラ」(1964)にも出ている。知らない間に娘がこんな清楚な美女になっていたのを見てもっと驚け、と神宮司大佐に言いたくなったが、その娘に大嫌いと言われてしまって大ショックという気持ちはわかる。 また皇帝陛下は小林哲子という女優で、劇中では高貴で高慢な顔をしているが、頬が結構ふっくらして、男と並ぶと小柄だったりして可愛く見える。終盤この人を連れ回して帝国の滅亡を見せつけるのは酷ではないかと思っていたが、やはり悲しい最後だったのは心が痛かった。 ほかに水着モデル(リマコ)役は北あけみという女優で、端役だがなかなかいいキャラクターになっていた。  ちなみに全く関係ないことだが、「ムー」といえば個人的には昔懐かしい雑誌の名前である。今も続いているとは知らなかったが、先日創刊40周年とのことで記念号を買ってみると「読者投稿 ムー民広場」というのがあって笑った。おれもムー民と名乗ってみたい。
[DVD(邦画)] 6点(2020-08-16 09:52:52)
20.  学校の怪談3 《ネタバレ》 
シリーズ共通だろうが大人が見て怖いところは全くなく、ひたすら微笑ましい子ども向け娯楽映画になっている。あらかじめ死んでいる人物を除き、劇中の教員や子どもらが次々死んでいくなどという悲惨な展開にはなりそうもなく、安心して子どもが喜ぶお化け屋敷的怖がらせに付き合ってやろうという気分になる。なお撮影場所の学校は岐阜県下呂町(当時)にあったらしい。 ちなみに自分の幼少時には「合わせ鏡」が特に不吉なものという感覚はなかったが、この頃はもう怪異の元凶というのが常識だったのか。鏡の世界では文字が左右反転していたが、右書きと左書きが混在していたのは意図不明だった。  お話としては小学校高学年向けの恋物語がちゃんとできていて、最後はそれなりにキュンとさせられる。ヒロインの美少女が「泣いちゃうよ」と言ったところは切なくて笑った。なぜか女子だけ美少女揃いで男はどうでもいい感じという対比ができており、長身でキュートな女子のお相手が肥満気味の男子だったのは釣り合いが取れないが、これは容姿にかかわらず万人に同様の可能性が与えられていることの表現か。それにしてもこんな奴の全裸(尻)など見たくはないわけだが、重要テーマの「運命は自分で変えろ」という言葉は特にこの人物のためにあったらしい。 他の登場人物としては、担任教員は微乳を売りにしていたようだがそれはまあいいとして、特に主人公の義妹が見せるとぼけた感じの表情が非常に可愛らしいので和まされた。また現在も女優として活動している秋定里穂さんが中学生くらいの年齢で出ているが、特に美少女の扱いはされていない(「ゾンビバス」の女子高生役)。なお肥満児の母親役で渡辺真知子さんが一瞬出ており、この頃はもうこういうキャラクターだったのかも知れないが、昔は歌っている姿だけ見て“かっこいいお姉さん”と思っていた。
[インターネット(邦画)] 6点(2020-05-03 20:29:13)
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