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鉄腕麗人さんの口コミ一覧[この方をお気に入り登録する

プロフィール
コメント数 2598
性別 男性
ホームページ https://tkl21.com
年齢 43歳
メールアドレス tkl1121@gj8.so-net.ne.jp
自己紹介 「自分が好きな映画が、良い映画」だと思います。
映画の評価はあくまで主観的なもので、それ以上でもそれ以下でもないと思います。

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1.  すずめの戸締まり
「脅威」に対する人間の無力と儚さ。だけれども、一時でも長く生き続け、存在し続けていたいという切望。 廃すてられた場所に眠る思いを汲み取り、悔恨が漏れ開きっぱなしになっていた“戸”を締めるという行為が織りなすファンタジーは、想像以上に「現実的」で「普遍的」だったと思う。 現実社会における災害やそれに伴う悲劇を果敢に題材として取り込み、秀麗なアニメーション表現の中で描いた試みと、ストーリーテリングの方向性自体は、間違っていなかったと思う。 ただし、その結果が、映画としての面白さや、オリジナリティとして結実していたかというと、必ずしもそうではなかったと思う。  我が子二人と連れ立って劇場鑑賞して、決して残念な映画ではなかったし、無論観たことを後悔する類いの作品ではない。 この国のアニメーション監督として紛うことなきトップランナーである新海誠の作品である以上、見逃すべきではない。 ただそれ故に、その新作に対しては、高いハードルが用意されることは避けられない。  社会現象ともなった「君の名は。」、そして個人的にはそれ以上の傑作だと確信した「天気の子」。 本作は、その過去2作とも時代背景を共有しており、「災害」という共通のテーマを扱っている点を踏まえても、三部作の一つとして捉えられる作品だろう。そしてより直接的なファンタジー描写や、アドベンチャー展開など、三作の中でも最もエンターテイメント性の高い作品だったと思う。 ただ、何かが圧倒的に物足りなかった。それが映画的なエネルギー不足に直結しているように思えた。  それは何だったか? 上手く言葉を選べていないかもしれないが、個人的な感覚から浮かんだことは、“エゴイズムの欠如”だった。  僕が新海誠の過去2作品から得たエモーショナルは、主人公たちが発し貫き通す圧倒的な“エゴ”によるところが大きい。 流星が町に降り注ぐその間際であろうとも、ようやく訪れた焦がれた相手との逢瀬に没頭し、過ぎ去った時間すらも覆す。 この世界の理も仕組みも無視して、無責任だろうが、独善的だろうが、世紀の我儘を押し通す青臭さ。 不可逆を覆そうとも、世界が水没しようとも、それでも「大丈夫だ」と言い切る若い生命の猛々しさと瑞々しさ、それをまかり通すアニメーション映画のマジックに僕は感動したのだと思う。  そういった映画的なエゴイズムが、本作からは薄れてしまっているように感じた。 それはもちろん、現実世界の災害や悲劇を取り扱ったことによる真摯な態度とも言えよう。 でも、それによって映画的な面白さが表現しきれないのであれば、本末転倒であろうし、その題材を取り扱う意味が果たしてあったのかとも思う。  自然災害をはじめとする脅威に対して人間は為す術もない。特にこの十年あまりの時代の中で、この国の人々は改めて痛感している。 そういう現実がある以上、安易なハッピーエンドなどは描くべきではないだろう。 しかし、それが現実だからこそ、せめて映画世界の中では強烈なエゴイズムを貫き通す人間たちの姿を見たいという思いも、今この世界の多くの人が秘める思いではないか。  本作の主人公たちが何も成し遂げていないなどというわけではもちろん無い。 けれど、悲劇的な現実を超越するほどのマジックは、この映画から感じることはできなかった。
[映画館(邦画)] 6点(2022-11-19 22:02:33)
2.  すばらしき世界 《ネタバレ》 
この映画に登場する人物のほぼ全員は、主人公・三上正夫に対して、悪意や敵意を示して接することはない。 むしろ皆が、偽りなき「善意」をもって彼に接し、本気で彼の助けになろうとしている。 そして、三上自身も、その善意に対し感謝をもって受け止め、“更生”することで応えようと、懸命に努力している。 その様は、「やさしい世界」と表現できようし、この映画のタイトルが示す通り、「すばらしき世界」だと言えるだろう。  でも、それでも、この世界はあまりにも生きづらい。 その、ありのままの「残酷」を、この映画は潔くさらりと描きつける。 西川美和という映画監督が表現するその世界は、いつも、とても優しく、そしてあまりに厳しい。   僕自身、ようやくと言うべきか、早くもと言うべきか、兎にも角にも40年の人生を生きてきた。 平穏な家庭に育ち、平穏な成長を経て、そして自らも平穏な家庭を持っている。 決してお金持ちではないし、生活や仕事において不満やストレスが全く無いことはないけれど、今のところは「幸福」と言うべき人生だと思う。  だがしかし、だ。 その平穏という幸福を自認し噛み締めつつも、僕自身この世界における“生きづらさ”を否定できない。 人並みにアイデンティティが芽生えた少年時代から、40歳を目前にした現在に至るまで、「生きやすい」と感じたことは、実はただの一度も無いかもしれない。 人の些細な言動に傷つき怒り鬱積を募らせ、僕自身も“本音”を吐き出す程に周囲の人間を困らせたり、怒らせたり、傷つけたりしてしまっている。 どんな物事も思ったとおりになんて進まないし、「失敗」に至るための「行動」すらできていないことが殆どだ。 自分自身の幸福度に関わらず、人生は失望と苦悩の連続で、この世界はとても生きづらいもの。 それが、殆ど無意識下で辿り着いていた、現時点での僕の人生観だったと思う。  そしてそれは、この世界に生きるすべての人たちに共通する感情なのではないかと思う。 そういった個人の閉塞感を、この世界の一人ひとりが持たざる得ないため、その負の感情は縦横無尽に連鎖し、社会全体が閉塞感に包まれているように感じる。  この映画で西川美和監督が、社会に爪弾きにされた前科者の男の目線を通じて描き出したことは、決して一部の限られた人間の人生観ではなく、この世界の住人一人ひとりが共有せざるを得ない“痛み”と一抹の“歓び”だったのだと思う。  確かに、この世界はすばらしい。 美しい光に満ち溢れているし、エキサイティングで、エモーショナルで、ただ一つの命をまっとうするに相応しいものだ。少なくとも僕はそう信じている。  そんな世界の中で、人は皆、誰かに対して優しくありたいし、誰しも本当は「罪」など犯したくはない。 それでも、結果として「罪」が生まれることを避けられないし、すべての人が無垢な「善意」のみで生きられるほど、人間は強くない。 この映画の登場人物たちは皆優しい人間だと思うけれど、主人公に対する「善意」の奥底には、それぞれ一欠片の「傲慢」が見え隠れする。 取材をするTVディレクターも、身元引受人の弁護士とその妻も、スーパーの店長も、役所のケースワーカーも、ヤクザの老組長も、心からの善意で主人公を助けているけれど、同時にその心の奥底では彼のことをどこか見下し、自分の優位性を感じていることを否定できない。  無論、だからと言って、彼らを否定する余地などはどこにもない。 彼ら自身も、この生きづらい世界の中で、自分の心の中で折り合いをつけながら、必死に生きているに過ぎないのだから。   自分の感情に対して「正直」に生きることしかできない主人公は、それ故に少年時代から悪事と罪を重ね、人生の大半を刑務所内で過ごしてきた。 理由がどうであれ、犯した罪は擁護できないけれど、誰にとっても生きづらいこの世界が、益々彼を追い詰め、ついには自分自身で、文字通り心を押し殺さざるを得なくなっていく様を目の当たりにして、悲痛を通り越して心を掻きむしられた。 それは、単なる暴力による報復などとは、比べ物にならないくらいに残酷な業苦を見ているようだった。  ラストの帰り道、どこか都合よくかかってきたように見える元妻からの電話による多幸感は、果たして「現実」だったのだろうか。 そして、とある人物から貰った秋桜を握りしめ、最期の時を迎えた主人公の心に去来していた感情は、如何なるものだったのだろうか、救済だったろうか、贖罪だったろうか、悔恨だったろうか。 僕自身、様々な感情が渦巻き、鑑賞後数日が経つがうまく整理がつかない。  空が広く見えた。 人間は、この「すばらしき世界」で、ただそれのみを唯一の“救い”とすべきなのか。
[映画館(邦画)] 10点(2021-03-04 12:30:38)(良:1票)
3.  スパイの妻《劇場版》 《ネタバレ》 
太平洋戦争開戦前夜、運命に翻弄され、信念を貫く、或る女性(妻)の物語。 正義よりも、平和よりも、彼女にとっては優先されるべき「愛」。 危うく、愚かな時代の中で、それでも貫こうとする狂おしいまでの女の情念は、恐ろしくも、おぞましくもあるが、同時にあらゆる価値観を跳ね除けるかのように光り輝いてもいた。  “昭和女優”が憑依したかのような蒼井優の女優としての存在感は圧倒的で、ただ恍惚とした。 映画ファンとしてデビュー以来この女優の大ファンだが、そのことが誇らしく思えるくらいこの映画における蒼井優の存在感は絶対的だった。  1940年代から50年代における“日本映画”の世界観を蘇らそうとする映画世界に呼応し、あの時代の“女性”というよりも、あの時代の“女優”としてスクリーン上で体現してみせた様は、まさに「お見事です!」という一言に尽きる。  映画における秀でた女優の魅力は、ただそれだけで“芸術”として成立し、“エンターテイメント”として揺るがない輝きを放つと思い続けているが、今作における「蒼井優」は、まさしくこの作品が織りなす「芸術」と「娯楽」の象徴だった。  そして、彼女の存在を軸にして、運命の渦を加速させる二人の男。 最愛の夫をミステリアスに演じた高橋一生、幼馴染の憲兵隊隊長を非情に演じきった東出昌大の両俳優も素晴らしかったと思う。  無論、黒沢清監督による映画世界の構築も「見事」だった。 俳優たちへの演出はもちろん、1940年を再現した街並みや家屋、人々の衣装や髪型、その一つ一つの表情に至るまで、この映画で映し出されるべき「時代」そのものを映画の中で構築してみせている。     個人的には、自分が生まれるよりもずっと昔の昭和の日本映画を、長らく好んで鑑賞してきたので、この映画が挑んだ試みと、その結果として映し出される映画世界は、終始高まる高揚感と共に堪能することができた。  成瀬巳喜男監督の「女の中にいる他人(1966)」や、増村保造監督の「妻は告白する(1961)」などは、描かれるテーマや時代こそ微妙に違えど、昭和という時代の中で生きる女性(妻)の情念や強かさを描ききっているという点において類似しており、興味深かった。     ただし、そういった昭和の名画を彷彿とさせると同時に、それ故のマイナス要因もこの映画には存在していると思う。  それは、今この時代に、この作品が製作され、主人公・福原聡子というかの時代に生きた女性像を描き出すことに対して、踏み込み切れておらず、その意味と意義を見出しきれていない印象を受けたということ。  この映画が、かつての名画を忠実に再現した“リメイク”ということであれば、何の問題もなかろう。 だが、黒沢清と若手脚本家たちによって今この時代に生み出されたオリジナル作品である以上、太平洋戦争直前から末期を描いた時代映画だからこそ、映画の結論的な部分においては、2020年の時代性を表す何らかの価値観や視点を表現し加味してほしかった。  その唯一の不満要素が顕著だったのは、ラストシーンだ。 この映画は、戦禍を生き抜いた主人公が、夜明け前の暗い海で一人咽び泣くシーンで終幕する。 何よりも孤独に恐怖し、何よりも夫への情愛を優先した主人公の心情を表すシーンとして、この描写自体はあって然るべきだろうとは思う。 ただ、その描写で映画自体を終わらせてしまうのは、あまりにも前時代的と思え、工夫がないなと感じてしまった。  必要だったのは、悲しみと絶望から立ち上がり、新しい時代に踏み出していく女性の颯爽とした姿ではなかったか。 エンドロール前のテロップでは、その後聡子が、一人アメリカに降り立つということが後日談的に伝えられる。 そのような展開を物語として孕んでいるのならば、やはりその様はビジュアルとしてたとえ1カットだったとしても映し出されるべきだったと思う。  仕立てのいい洋装で身を包んだ聡子(=蒼井優)が、サンフランシスコの港に凛と立つ。 そんなシーンでこの映画が「Fin」となっていたならば、鑑賞後の余韻と映画的価値はもっと深まったのではなかろうか。
[映画館(邦画)] 8点(2020-11-14 17:03:25)
4.  スプリット
冒頭、文字通りに“恐怖”と隣り合わせになった少女の一寸の逡巡。 あまりにも突然な危機との遭遇に対して硬直してしまっているようにも見えるが、どこか逃げ出すことをためらっているようにも見える。 孤独な少女は、逃げることが出来なかったのではなく、直感的に“恐怖”の正体に“何か”を感じ、一人抱え続けてきた地獄を切り裂いてくれる“何か”に期待したのではないか。 即ち、この映画は、主人公の少女が恐怖から逃げ切る物語ではなく、恐怖に対して向かい合うことで、自分自身が抱える恐れを曝け出す物語だったのだと思う。  ある意味予想通りではあるが、変な映画である。 M・ナイト・シャマランの最新作に対して“真っ当さ”を期待することがそもそもナンセンス。鬼才監督の思惑通りに、恐怖と奇妙なカタルシスに覆い尽くされる。  アルフレッド・ヒッチコックの「サイコ」を皮切りに、「多重人格」を描いたサスペンスは世界中の映画シーンで数多く製作されている。 今作も、そういった過去作のテイストを踏まえた類似点やオマージュは見受けられるが、本質的には、そのどの作品とも一線を画する映画に仕上がっていると思う。(好き嫌いは別にして……)  多重人格を描くにあたり、最もキーポイントになってくるのは、やはり演者の力量だろう。 今作で“多重人格者”にキャスティングされたジェームズ・マカヴォイがどうだったか、まあ圧倒的である。 いまやハリウッドきっての芸達者と言えるこのスター俳優が、流石に素晴らしいパフォーマンスを見せる。 そもそもが、人間の光と闇を同時に醸し出す雰囲気を持つ俳優なので、この映画での色々な意味で“新しい”多重人格者役は、まさにハマり役だったと言えよう。 終盤以降、複数の人格がワンカットの中で矢継ぎ早に現れては入れ替わる様は凄まじかった。   この映画は、異常な多重人格者に囚われた少女たちが、絶体絶命な危機的状況から逃げ出そうとする恐怖映画としてイントロダクションされている。 しかし、ある意味当然ながら、それはシャマラン監督による“ミスリード”である。 「恐怖」を描いた作品であることは間違いないが、主人公の少女が対峙する「恐怖」は、それを通じて自らが抱え続けてきた恐れと向き合うことで、強大な力に対しての崇拝のようなものも孕んだ「畏怖」へと変化していく。  その心理の変化は我々観客にも与えられる。 だんだんと、ジェームズ・マカヴォイ演じるこの“異常”な多重人格者が気になって仕方なくなる。恐怖を越えて、何か愛着めいたものすら覚えてくる。 「あれ?何かがおかしい」と心のそこでふと気づく。 主人公の少女の顛末よりも、この“超人的”な多重人格者のこの先が観たくなっている。  「え?どういうことだ」 と、思った瞬間に現れる最終カットのまさかのアイツ! 思わず吹き出し、溢れ出る笑みを抑えきれず「すげえ」と呟いてしまった。 シャマラン好きにはタマラン異常で反則的な展開力。 そして、“あのシャマラン映画”が大好きな者としては、殊更にタマラン結末だった。 いやあ、参った。
[映画館(字幕)] 8点(2017-11-08 20:55:42)(良:1票)
5.  スワロウテイル
この映画を初めて観たのはいつの頃だったろうか。 おそらく、中学校の3年生、「映画」を自分の“趣味”として一人で観始め、アプローチしやすいハリウッドの娯楽大作から少しその視界を広げ始めた頃に観たような記憶がある。 もうすぐに高校生になる。自分自身が「大人」になっていくということをようやく意識し始めた時期だったとも思う。  「こんな映画があるのか」と思った。  まだまだ子供で、知識も見聞も無かった僕は、この映画が描き出す「異世界」に戸惑った。 “戸惑い”は同時に“魅惑”となり、初めて観た世界に引き込まれた。 「岩井俊二」という固有名詞を知ったのも、この時だったと思う。 以来僕は、この映像作家が生み出す映画世界の虜になり、ひたすら憧れた。  幾度も観直しているとは思うが、また数年ぶりに観直して、初見時と同じくらいのインパクトを携えたままこの映画を観終えた。「感動」したと言って良い。  ある種の“説得力”さえあれば、どんな世界でも創り出すことが出来るのが「映画」という表現だと思う。 あざとく特異な世界を創り出すということではなくて、世の中の殆どの映画がフィクションを描いている以上、殆どの映画監督が「異世界」を創り出そうとしていることは間違いないことだろう。 その独自の世界観を、揺るがない価値観と、飛躍的な独創性で創り出すという点において、岩井俊二という人は優れ、その顕著な結果が「円都」という異世界であった。  娼婦のグリコが唄い、流氓王のリョウ・リャンキが暗躍するその世界は、明らかに「非現実(ファンタジー)」であるが、観客はその境界線を見失う。
[ビデオ(邦画)] 10点(2014-01-19 23:55:00)(良:7票)
6.  好きだ、
どこまでも内気で繊細な二人の男女が、17年の歳月を経て各々の想いを紡ぎだしていく。  下手を打てば、なんともまどろっこしくて、「うだうだやってんじゃねーよ」と言いたくなるかもしれない物語である。が、独特の空気感を持った長回しと、登場人物のキャラクターそのままに映像の中に息づく役者たちの表現力で、ただただすっぽりと包み込まれる。  劇的に何かがどうなるという映画ではない。言葉で説明してしまえば、至極単純なものになるだろう。 でも、映像から伝わってくる“想い”には、奥ゆかしさがある。  どんなときも、「想い」を想いのまま伝えることができれば、それにこしたことはない。でも、人間なかなかそういうわけにもいかない。そして、そういうことを経るからこそ、深まる「想い」もある。  一音一音を確かめるようなギターの音色に乗せて、そういう人間の、ある部分において愚かで、ある部分において幸福な微妙な感情を、冷たく吹き抜ける風のように繊細に描く映画だった。
[DVD(邦画)] 8点(2012-10-09 22:53:26)(良:1票)
7.  スマグラー おまえの未来を運べ
石井克人というクリエイターの作品は嫌いではない。 「鮫肌男と桃尻女」を地元のミニシアターで初めて観た時の感覚は鮮烈だったし、「茶の味」の和みと辛辣が混じり合った独特の世界観は忘れられない。 彼がかつて日本の映像界のトップクリエイターであったことは間違いないことだと思う。 しかし、スタイリッシュでセンセーショナルな映像世界は、時間の流れとともに見古されてしまうのが世の常。そこに時流とともに「進化」がなければ、見栄えのしないものになってしまう。  残念ながら今作は、過去からの進化を伴っていないクリエイターの特に見栄えのしない映画にしか見えなかった。 スピード感が重要なストーリーの筈だが、くだらない描写が所々に挟み込まれるせいか、展開が酷く愚鈍に感じて仕方なかった。  原作漫画も読んだが、特に好きになれなかったので、そもそも個人的な趣向に合わないだけかもしれない。 突き詰めれば至極単純なストーリーなのだから、映画的にはもっとタイトにまとめたほうが印象は良かったと思う。  伝説的な殺し屋を運送するというのが、この話のキモなわけだから、その部分に焦点を絞り、主人公と殺し屋との掛け合いを主軸にした方が、クライマックスの拷問シーンも際立ったと思う。  随所に“やり過ぎ”なキャラクター描写も鼻に付くばかりで、無意味だった。 ほどよく豪華なキャストが揃っていて、それぞれ一生懸命パフォーマンスをしているが、それらがバラバラでチープに見えてしまうのは、ひとえに監督の責任だろう。  安藤政信演じる殺し屋“背骨”が、エクソシストばりに“奇怪”な動きをする様には「本気か?」と呆れてしまった。 高嶋政宏の懸命な怪演にもただただ失笑。
[ブルーレイ(邦画)] 3点(2012-09-21 23:56:54)
8.  ステキな金縛り ONCE IN A BLUE MOON
三谷幸喜。この小心者の人気脚本家は、与えられた潤沢な製作費と大衆の反応を気にするあまり、“コメディ”の面白さそのものを見失っているように思えてならない。  まずはっきり言ってしまうと、この映画に稀代のコメディ作家が織りなす“ストーリー”の面白味として特筆すべきものは何もない。 三谷幸喜が、その役割を果たせた要素は、無意味に豪華なキャストを揃えたことくらいだ。彼の実績が、単独で映画の主演を務められる俳優たちを幾人も集め、別に彼らにその役を演じさせる必要の無い端役を演じさせている。 豪華なカメオ出演に彩られて、ストーリーが面白いのであればもちろん問題はない。でも、そうではないので、やはり問題視せざるを得ない。  殺人事件裁判の証人に落ち武者の幽霊を立たせるという荒唐無稽な設定自体に文句が言いたいのではない。 そこから始まるストーリーテリングが、あまりに論理性に欠け、陳腐だ。 “下らない”要素を論理的に積み重ね、物語に面白味に長けた説得力を持たせることが、三谷幸喜という脚本家の魅力だったはずだ。 舞台設定の雰囲気と、キャストの豪華さのみに頼り、ストーリーそのものの面白さが無かったことが残念でならない。  と、つらつらと酷評を綴ったが、それでもこの映画は観客をスクリーンに惹き付ける“要素”を持っている。 それは、主演女優の愛らしさだ。深津絵里が魅力的で仕方が無い。 昨年の「悪人」で見せた薄幸のささくれた表現からひっくり返ったような可愛らしいパフォーマンスに対して、頬のゆるみを止められなかった。  主演女優の存在感が、ぎりぎりのところでこの映画の娯楽性を繋ぎ止め、盛り上げていた。そんな気がする。
[映画館(邦画)] 5点(2011-12-08 13:26:11)(良:2票)
9.  Sweet Rain 死神の精度
前日に原作小説を読み終えたばかりだった。 原作を読み終えた直後に映画作品を観るのは、ハードルがあまりに上がってしまってアンフェアかなとも思ったけれど、タイミング良く朝から冷たい雨が降り続いていたので、鑑賞に至った。  結論から言おうと、非常に良い映画に仕上がっていると思う。予想外に良い出来映えだった。 まず何よりもキャスティングが良かったと思う。 主人公の死神「千葉」役に金城武を起用したことは、間違いなかった。 原作者の伊坂幸太郎の「指名」だったらしいが、ほんの少し“片言”な感じに聞こえる台詞回しや、他の日本人俳優にはない浮世離れした存在感が、死神役に相応しく、「千葉」そのものだった。 ちょっとした風貌の変化で、様々な年代の異なったキャラクターを表現する様には、単純な演技力ではないアジアを代表する俳優としての表現力が見られたと思う。 物語を締める老女を演じた富司純子も素晴らしく、根本的な美しさと芯の強さを兼ね備えた老女役において、今、彼女以上に映画の画面に映える女優は居ないと思う。  このキャスティングの妙だけでも、充分に観る価値のある映画だったと思うが、更に映画化にあたり脚色の巧さも光っていた。 原作小説は6編の短編からなる連作小説だが、その内の3編を選択し、とても巧く一つの映画作品の脚本として繋ぎ合わせていた。 映像化にあたって改修が不可欠な台詞回しも、物語の本質を損なうことなくユニークに繰り広げられており、それぞれのキャラクター像がある部分においては深まっていたと思う。 各話の連なり方だけを見れば、この脚色の方が映画的には相応しかったとさえ感じた。  良い小説の映像化においては、どうしても必要不可欠な脚色行為によって、大いにその世界観が損なわれることは多々ある。 でも、今作においては、明らかな変更点を目の当たりにしつつも、すんなりと受け入れられ、原作とは違う映画ならではの感動を生んでいた。 稀ではあるが、とても幸福な小説の映画化だったと思う。  犬の安っぽい字幕演出がなければもっと良かったのだけれど……。
[DVD(邦画)] 8点(2011-12-08 12:56:06)
10.  SPACE BATTLESHIP ヤマト
映画、特に娯楽映画においてはっきりと言えることが一つある。 それは、観る者のそれぞれの感受性と価値観によって、一つでも「印象」に残る要素があれば、その映画の価値は揺るがないということだ。  この映画には確実に“それ”がある。それがある以上この映画を否定することなんて出来ない。  それは、日本映画界で考えられる最大限のレベルで実現させた宇宙戦艦の発進シーンでも、 良い意味でも悪い意味でも“木村拓哉らしい”ヒーロー像ぶりでもなく、 ずばり“ヒロイン”の魅力に他ならない。  そう、“森雪”を演じた黒木メイサが素晴らしかった。  映画や漫画において時折、堪らなく魅力的なヒロインにめぐり会う。 そういうときは、その作品を観終わった後もしばらくの間、“彼女”のことばかり考えてしまう。 それはまさに、現実と創造の狭間に生まれるささやかな“恋”だと思う。  必ずしも黒木メイサの演技力が高いとは思わないし、原作を知らないので“森雪”というキャラクターに彼女が合致していたのかどうかも定かではない(おそらく随分違うんじゃないかと思う)。 ただそんなこと「どうでもいい」と思わせるほど、“黒木メイサの森雪”は魅力的で、木村拓哉の古代進と同様に彼女に恋し、守りたいと思ってしまった。  繰り返しになるが、世代が随分違うので、原作のアニメは見たことが無い。 原作を知らないからこそ楽しめた要素は多くあるのかもしれない。  基本設定は「スタートレック」にも似たこのSFエンターテイメントを、もしハリウッドが映画化したならそりゃあ大迫力のブロックバスター映画になったことだろう。  だが、この「宇宙戦艦ヤマト」の精神的な荒涼感や孤独感、奥ゆかしい情緒感は、やはり日本人が描くべき世界観だと思った。 映画としての粗や突っ込みどころは非常に多い。 ただそれでも、この映画を、日本人が一生懸命に挑戦してつくりきったことが、非常に重要なことだと思う。   まあそんなことより何よりも、僕にとっての“森雪”がとびきり可愛くイーッとして古代進を見送る。そのシーンがすべてだと言いたい。  ヒロインの漆黒の瞳から始まり、「未来」を見つめる彼女の姿を映し出して終わるこの映画において、その価値観は決して間違っていないと確信する。   余談になるが、某スキャンダル女優が降板したことが、今となっては「運命」だったとすら思う。
[映画館(邦画)] 8点(2010-12-06 22:07:03)(良:3票)
11.  ZOO(2004)
 オムニバス映画は大概評価が難しい。特に今作のように(同原作と言っても)話がそれぞれバラバラで、作り手も本職がバラバラなクリエーターたちとなると、尚更だ。少しずつでもそれぞれの物語がリンクしていれば、作品として一貫性も出てくるのだが…。なので、各話それぞれの評価をしようと思う。  「カザリとヨーコ」……題材は悪くない。“恐怖”という点では良い意味で趣味の悪さに溢れているし、映像化する意味もあったと思う。しかし結果として、ストーリーにまとまりがないまま終わってしまった気もする。<6点>  「SEVEN ROOMS」……明らかに「CUBE」の類似品。不条理な恐怖を描いたのは分かるが、やはり最終的にもう少し「理由」を描かなければ、物語としての完成度の低さは拭えない。全体的に“汚すぎる”点も個人的にはNG。<4点>  「So-far そ・ふぁー」……これは良かった。斬新なストーリーとして最終的にきっちりと「結末」が描かれていてまとまりがあった。映像的な感覚、小物の使い方(赤いソファー、緑のジュースなど)にもセンスを感じた。あとやはり、しっかりとした役者が揃っていたのが完成度を高めた要因だと思う。<7点>  「陽だまりの詩」……アニメーションであるこの作品が実は一番素晴らしかった。非常に繊細なアニメーションで、とても切なく温かい未来世界が繰り広げられる。「短編」という要素を最も巧く反映したのもこの作品であろう。Good Job!<8点>  「ZOO」……精神的な世界の恐怖を描いているので、中途半端なストーリーを指して一概には否定できない。雰囲気も悪くは無く、アリと言えばアリなのだけれど、正直腑に落ちない部分も大いにある。原作でも表題になっているほどなので、文体ではどう描かれているのか、そういう興味は生まれた。<6点>  という感じで平均をとると6.2点なのだけれど、出来不出来の幅が大きいので結局評価が難しい。
[DVD(字幕)] 6点(2010-09-30 00:15:50)
12.  スピード・レーサー
自宅で、ブルーレイディスクが見られるようになって、初めて見る映画を何にするか? それは、映画好き&家電好きにとってかなり重要な問題だったりする。  レンタルショップのブルーレイコーナーに集められた作品群を前に、暫し思案した結果、見る機会を失っていた今作を手に取った。  流石にスゴイ。映像に度肝を抜かれたのは久しぶりだ。しかもそれが自宅のテレビで味わえるのだから、スゴイ時代になったものだと思う。  ウォシャウスキー兄弟が持ち前の“オタク魂”を、良い意味で好き勝手に発揮した快作だと思う。 こういう映画は「中途半端」な部分があった時点で“負け”である。 ただそこは、「マトリックス」で映画自体の常識をひっくり返した同兄弟だけあって、そう文字通りとことん“突っ走っている”。  原作は往年の日本のテレビアニメ「マッハGoGoGo」である。 日本で生まれたアニメや漫画が海を渡り、ハリウッドで映画化されるという構図は、最近続発されているが、その中ではかなりレベルの高い仕上がりを見せているとも思う。  やはりこれくらい問答無用に突っ走れるだけの、原作に対するこだわりと愛着がなければ、映画化は成功しない。  人生初のブルーレイ鑑賞にふさわしい映画だったと思う。  P.S.ただ、真田広之の役どころはもう少しおいしくしてあげて欲しかった……。 
[ブルーレイ(字幕)] 7点(2009-11-05 00:58:19)(良:1票)
13.  スカイ・クロラ The Sky Crawlers 《ネタバレ》 
ブルーレイではじめてアニメ映画を観た。 リアルで迫力のある映像世界は、もはや“アニメーション”という範疇に入れていいのかどうかすら疑問に思える。  いやー満足した…………と言いたいところだけれど、結局到達した感想は、 「相変わらずの押井ワールドですね……」というところ。  ストーリーが分かりづらいとかそういうことは決してないのだけれど、 だから結局何なのさ? という、これまでの押井作品に共通して感じたフレーズが、再びあらわれた。  もうこれは、好き好きの問題なんだろうなと思う。 どれほど完成度が高まろうが、詰まるところは、面白いか、面白くないかということに帰結する。それが映画というものだと思う。 
[ブルーレイ(邦画)] 3点(2009-09-19 14:36:57)
14.  SLAM DUNK スラムダンク 湖北最大の危機!燃えろ桜木花道
あーいましたねマイケル沖田。確かに敵の女マネの権力が絶大すぎる。まあ根本的に無理があるよね、「スラムダンク」の映画化は。
[ビデオ(邦画)] 2点(2009-06-25 16:19:56)
15.  SLAM DUNK スラムダンク
ジャンプ連載の漫画は人気が出ると問答無用で映画化に走るけど、どうなんすかねえ?「スラム・ダンク」の場合、ただでさえ原作の時間展開が遅いんだから、その合間に映画用のエピソードを挟まれても無理がありすぎる。それにしてもまさか小田くんを引っ張ってくるとは…。
[地上波(邦画)] 3点(2009-06-25 16:18:50)
16.  スリ(2000)
中年スリ師の生き様を渋く描く異色作。人間ドラマとして濃密さはあったが、映画的にはやや盛り上がりに欠ける。主人公の原田芳雄の演技と存在感は見事だったが、とりまくキャラクターの人物描写に物足りなさが残った。
[ビデオ(邦画)] 4点(2009-06-25 15:39:32)
17.  図鑑に載ってない虫
日常生活の中に実は蔓延している些細な“笑いどころ”を、抜き出し、唯一無二のコメディに仕立て上げる「業」において、今三木聡は独壇場だと言える。  限りなく意味の無い“可笑しさ”のオンパレード。そのストーリーも限りになく無意味に近い。しかし、この監督の作品には、そのギリギリの部分で物語性を含み、感情を生む。 弾けとんだキャラクターたちは不思議な魅力に溢れ、物語が進む程に愛着が生まれる。 結果として、愛すべき作品、愛すべき映画へと進化していく。  しょうもなさや毒々しさを多分に含んだコメディなのに、最終的には何故か小気味良い“爽快感”に包まれる。 これはもはや、新しいエンターテイメントの形と言えるかもしれない。
[映画館(字幕なし「原語」)] 6点(2009-06-20 21:06:39)(良:2票)
18.  スーパーの女
今や日本に何千件とあるスーパーの日常に目をつけ、それを1本の映画に仕上げてしまう伊丹監督の力量は流石である。「マルサの女」や「ミンボーの女」などと比べると、舞台が舞台だけに目に見えるほどの毒々しさはないが、身近なものだからこそ迫るブラックユーモアは秀逸だった。ラストには爽快感もあり、面白い映画に仕上がっている。
[地上波(邦画)] 6点(2009-06-20 16:57:04)
19.  砂の器
最後の演奏が終わった後に主人公和賀英良が得た心情はいったい何だったろうか。自分の宿命に対する恨めしさか、悔しさか、恩人である元巡査を殺してしまった後悔か、それとも自分の想いを音楽によりまっとうした達成感か…。おそらくは、それ以上に様々な想いがラストの演奏中に渦巻いていたのだろう。そして、最終的に彼の脳裏を支配したものは、やはり唯一無二の存在である父親の姿であったに違いない。その想いの性質は陽であり陰である。しかし、丹波哲郎の台詞にあるように「音楽の中でしか父親に会えない」彼にとって、その瞬間はきっと幸福だったのだと思う。最近放映されたテレビドラマは観ていないが、主演アイドルのチープな演技、そして物語の核であるハンセン氏病をとりあげなかったことで、絶対的な失敗は容易に想像できる。
[DVD(字幕)] 7点(2009-06-18 15:12:02)
20.  スキヤキ・ウエスタン ジャンゴ
今の日本映画を代表する蒼々たる豪華キャストを配し、さらにはハリウッドの鬼才クエンティン・タランティーノまで呼び込んで、そもそもの設定から無理がある「日本版西部劇」を押し通してしまえるのは、やはり三池崇史をおいては他にいない。というよりも、この監督が存在しなければ、“スキヤキ・ウエスタン”なんて企画はそもそも生まれ得なかったろう。  そういうわけで、この映画は、こうして「映画」として成立している時点で、“勝ち”だと思う。  相変わらずの毒々しさや、ナンセンスなユーモアには思わず眉をひそめてしまう部分もあるにはあるが、そこは「三池崇史の映画」である以上仕方がない。ストレートなエンターテイメントとしてまとめろというのは無理な話である。  「スキヤキ・ウエスタン」という根本的に破綻している環境設定の中で、曲者ぞろいながら実力派のキャストが揃ったことで、異色の娯楽映画としてまかり通していると思う。 佐藤浩市が横暴な悪役ぶり、安藤政信のキモ男ぶり、香川照之のキレっぷりなどなど、それぞれの俳優に見所は多い。  オープニングでタランティーノが、スキヤキをほおばって恍惚となる映画などこの先もう生まれまい(当たり前だが)。
[映画館(字幕)] 7点(2007-09-24 22:16:42)
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