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【製作国 : 日本 抽出】 >> 製作国別レビュー統計
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1.  それでもボクはやってない
周防正行監督の新作は社会のある一断面を描いた問題作である。ブランクというものをまったく感じさせない彼の手腕は、やはり本物である事をいみじくも証明した、実に力のこもった作品であり、待たされただけの甲斐はあったと言うものだ。描かれる内容は、日常生活に於いて普段我々が関知しないと思っている、裁判制度の現実と冤罪の怖さを否応無く思い知らされるものである。一般の民間人がある日突然、犯罪者として扱われ、罪に問われるべく裁判に持込まれた挙句、限りなく100%に近い確率で有罪とされてしまう司法の在り方とその不条理さ。映画は裁判が言い渡されるまでのプロセスを、実に肌理細やかに解り易く描き、訴訟制度に於ける組織が個を潰していくという構図を、由々しき現実的な問題として、我々ひとりひとりに訴えかけてくる。余りにも映画的に面白く創られている為か、深刻さを然程感じさせないのは、殺人といった重い犯罪ではなく、あくまでも微罪である事が考えられるが、だからこそ、いつ自分の身に降りかかるか分らない、より身近なものとしての怖さと理不尽さを感じさせる。この映画でとくに興味を引いたのは、対照的な二人の裁判官の存在である。片や人情肌で、一方は冷静沈着といった、良くも悪くも人間性というものが真実味をもって巧みに演じ分けられ、そのイメージだけでは判断しかねる程、現実の裁判官とはこういう人たちで成り立っているのだと実感でき、実に説得力がある。途中から何故か交代してしまう事や、彼等自身の評価基準の裏話、或いはどこまでも事務的に物事を進めていく姿勢などを随所に散りばめる事によって、彼等も所詮公務員である事を再認識させられる。このキモである裁判官を演じる小日向文世と正名僕蔵の、冷静な熱演が作品を引締めている。多くの民間人が訴訟中であることの現状や、当事者にならないと解らない心情などの様々なエピソードも、長きに渡る綿密な取材に裏打ちされたものだからこそ、真実味が生み出せているのである。本作の印象はやはり周防監督らしく、社会派と言うよりも硬派なエンターテインメント と言うべきかも知れない。
[映画館(邦画)] 10点(2007-02-25 18:22:02)(良:1票)
2.  楢山節考(1958)
深沢七郎が1956年に発表した原作を木下恵介が映画化した作品であり、後年今村昌平がリメークした同名タイトル作品のオリジナル版でもある。そして木下作品としては、「二十四の瞳」と並ぶ昭和を代表する名作である。 物語は信州の山奥深い寒村を舞台にした、姥捨てという因習に基づく老母とその息子の心の葛藤と情愛を描いたもの。いくら“口減らし”の為とはいえ、70歳を迎えると山へ捨てられるという「掟」の情け容赦のなさ。土着の古臭い慣習からすれば、非人間的で残酷な行為でさえも正当化されてしまう怖さ。貧しさからくる因習は余りにも露骨であり、その悲惨さは信じ難いほどだが、本作は決してそういった暗い部分を前面に押し出して描こうとはしていない。むしろ聞き伝えの民話をひたすら叙情的に描こうとしたものであり、斬新で実験的な手法を用いることで木下恵介の才能が存分に発揮された作品だったと言える。黒子が口上を述べる場面から始まるように、その演出はまるで舞台劇をそのままカメラに収めたような方法で統一されている。舞台装置としての書き割りや、場面が変換するときの幕の使い方、あるいは照明に至るまで徹底して舞台的な構成と演出に拘りながら、神秘的かつ荘厳で、どこまでも格調高く描かれていく。まるで歌舞伎を観るようなその様式美は、色彩設計ですら人工的でありながら、統一された美しさを醸し出している。そのテーマ性とは趣を異にして、全編木下作品らしい温か味を感じさせる一方で、田中絹代演ずるおりんが臼で歯を折るという、本編で最も凄惨なシーンとして強烈に印象が残っている。その静寂を破壊するかのような音の響きは、未だに忘れられない。鴉が谷底から乱舞する夕景の中、母親と息子の道行きの終盤のシークエンスは、本作の最大の見所である。とりわけ後ろ髪を引かれる思いで山を後にする息子の背後で、白く雪が降り始めていた姥捨山が、晩秋の景色に変わるという演出の見事さ。言葉ではとても表現できない情感溢れる名シーンであり、これこそが演出の妙というものなのであろう。 もはやこれを芸術と言わずして何と言おうか。確かビデオ化はされておらず、目に触れる事の少ない作品だが、機会を見つけて是非鑑賞して欲しい傑作である。
[映画館(字幕)] 10点(2005-09-06 18:37:28)(良:3票)
3.  世界大戦争
本作は昭和29年製作の「ゴジラ」以来、数々の特撮映画を生み出してきた本多・円谷コンビ作品とは味わいが異なるものであり、メガホンを撮った松林宗恵自身の戦争に対する深い思い入れで、「反戦」というテーマがより鮮明に打ちだされた作品だったと言える。まさしく次なる世界レベルでの全面戦争を描いたものであり、その終末イメージの強烈さは、公開されて40年以上経っても未だに脳裏に焼きついて離れない。市井の名もなき庶民の生活をホームドラマ風に描いた本編と、破滅へと向かう一連の破壊スペクタクルの特撮部分とのトーンが、明確に違うのが本作の特徴とも言えるが、それは勿論違和感があるという意味ではなく、ドラマも特撮も描き方がいずれも直截的であり、互いに拮抗するほど自己主張していることに他ならないからである。主人公のタクシー運転手を演ずるフランキー堺は、元々コミカルな持ち味で人気者となった人だが、同時期公開された「モスラ」の熱血漢溢れる新聞記者とはまた違った力演で、どちらかと言えば「私は貝になりたい」の主人公と重なるほどの性格俳優ぶりである。とりわけ終盤での物干し場から涙ながらに世界へ訴えかけるシーンは、「反戦」の代弁者としての熱演を見せてくれている。当時、典型的な「絶叫型反戦映画」と揶揄されたこともあったが、それでもなお、真実味のある血の通った生身の人間の素直な感情表現は、我々一人一人の心に十分伝わるものがあり、ストレートな感動を呼び起こす名場面となっている。またしっとりとしたラブストーリーでもある本作は、團伊玖磨の叙情的な旋律がより深い哀しみをもたらし涙を誘う。そういう意味でも、極めて日本的な反戦映画だったと言える。そして今回の「破壊」をテーマにした円谷特撮の素晴らしさは、国会議事堂やパリの凱旋門などの建造物のミニチュアを逆さ吊りにして、水爆のエネルギーで一瞬にして跡形も無く吹き飛んでしまうというイメージを具象化し、また溶鉱炉でドロドロに溶けた鉄などを使って焦土と化した東京を表現したりと、かつて無いほど画期的で大胆な発想を、そのまま実践に移すことの凄さにある。この「破壊の美学」とも言える、今や伝説となった彼ならではの奔放なイマジネーションには、CG万能の現代のクリエイターたちは足元にも及ばないだろう。
[映画館(字幕)] 10点(2005-08-15 17:20:39)(良:1票)
4.  美女と液体人間
東宝特撮映画史の中でも、いわゆる「変身もの」というジャンルを確立した先駆的な作品として、是非とも記憶に留めておきたい逸品。「ゴジラ」がそうであったように、本作も核による放射能の計り知れない脅威と恐怖がテーマとなっている。放射能の影響で巨大化した怪物が暴れ回るという映画は、今までにも散々作られてきたが、しかし本作のような液体化した突然変異体が人間を襲い、瞬時に溶解して物質に同化してしまうという、異形の恐怖を扱った作品はほとんど例が無く、そういう意味においても極めて貴重な作品である。“彼ら”が実際に姿を見せるのが遭難船という設定は、現実の第五福竜丸事件を明らかにイメージしており、放射能の影響力に神経質になっている当時の社会状況を、映画として的確に反映させたものである。船を発見した船乗り仲間たちが、真っ暗闇の船室を巡る中、衣服だけが其処彼処に脱ぎ捨てられている事を目の当たりにする、これからの惨劇の始まりとなるこの一連のシチュエーションは、「ラドン」の序段の水没した坑道の恐怖感をそのまま増幅させたものであり、この手法は後年の「マタンゴ」にも引き継がれている。天井や壁や床を這いずり回り、どぶ川から壁面を伝って窓から雪崩れ込んでくる緑色の液体は、あたかも生き物のように全編に渡り描写される。そして音も無く忍び寄り、理由も無くまた相手も選ばず人間を溶かしてしまう恐怖感。 これらの視覚効果は、円谷特撮の腕の見せ所であり、試行錯誤を繰り返しながらも、見事な液体人間を創出してみせたのである。人間が服を着たまま萎んでいく様子を、細かいカット割りで繋ぐ編集の巧みさ。また、科学的裏付けの為、泡を噴きだして溶けていく蛙の実験を、微に入り細に穿ち描写することで、より説得力あるものにしている。中盤からクライマックスへ至る美女を襲う液体人間の構図は、スリラー映画の王道であり、スリリングな面白さと底知れない恐怖で、 SF映画史に独特の存在感を示している。余談ながら、白川由美は私にとって永遠のマドンナであり、また、幼い私がトラウマになってしまうほど恐怖を味あわされた本作に、どうして低い点数が付けられようか。
[映画館(字幕)] 10点(2005-07-28 18:06:17)(良:3票)
5.  地球防衛軍
SF映画が空想科学映画と呼ばれていた時代の、これは日本が生んだ特撮映画の中でも特にエンターテインメント性の強い作品で、本格的な侵略SF映画としても、後の世界のフィルム・メーカーたちに多大な影響を及ぼした記念碑的作品である。映画は、圧倒的な科学力で地球侵略を企むミステリアンと、やはり最先端科学を結集した地球防衛軍との大攻防戦が、極めて日本的景観の富士の裾野を舞台に展開されていく。それはまさに音と光の一大ページェントといった趣であり、シネマスコープの横長の画面が実に効果的。山火事や地崩れそして大洪水といったスペクタクル・シーンも用意されてはいるが、やはり卓抜なアイデアを駆使して製作された科学戦を演出する様々なメカの活躍ぶりが楽しい。夕暮れの蒼さにひときわ白く輝くミステリアンの円盤は、エイをデザイン化したようなユニークなボディで、ゆったりと飛行する姿は優美ですらある。山の斜面の一角が崩れて登場するモゲラは、鼻と背中にあるドリルで地中を掘り進むモグラ型ロボット。ゆったりといかにも重量感溢れる動きは恐怖感たっぷりだが、その鈍重さが唯一の欠点でもある。目からはあらゆる物を溶かしてしまう強力な怪光線を発するのに対し、防戦一方の自衛隊員の武器には火炎放射器というのが、この頃の時代色がよく出ている。モゲラが暴れまわる前半から一気に富士をバックにしたバトルが開始されるが、地球側からは熱戦砲を装備したα号とβ号の空中戦艦が登場。このシャープなデザインの攻撃型スーパー・メカと実際の戦闘機を並列に合成して、その巨大感を演出するところなどは円谷特撮の真骨頂であり、噴射口から黒煙を吐きながら進行するシーンなどはもはやアートと言ってもいい。最終兵器のマーカライト・ファープは、後の東宝特撮映画に欠かせないパラボラ型兵器の原型である。輸送型ロケットのマーカライトジャイロが上空で真っ二つに分かれたカプセルから出現、敵の熱線を反射・吸収するパラボラを上にして、逆噴射で地上に降りてくるというアイデアは画期的で、ドーム包囲網の画面構成が実に素晴らしい効果を挙げている。このように単純かつ荒唐無稽な娯楽作品ではあるが、1時間半足らずの上映時間には息をもつかせない面白さが凝縮され、円谷特撮では最も密度の濃い作品だったと言える。今でも様々なシーンが明瞭に甦るほど思い出深く私にとってはまさにエバーグリーンなのである。
[映画館(邦画)] 10点(2004-08-11 00:47:50)(良:4票)
6.  ラスト サムライ
アメリカが本気で日本映画を作ったんだと、間違いなく胸を張って言えるおそらく初めての映画ではないだろうか。それは単に日本を舞台にしているというだけではなく、E・ズウィックが“滅びゆく者の美学”をテーマとして永年培ってきた精神と、日本映画に深く心酔し探究を重ねてきた成果とが見事に融合・結実したものであり、決して付け焼刃などではない、どっしりとしたものを感じさせる。そしてそれは、途中から日本人の監督とメガホンを交代したのではないかとさえ思われる程、日本映画たり得ている。ここで描かれる“侍”たちは、アメリカで言えばいわゆる“西部の男”たちでもあり、“時代に翻弄されていく者”という共通項を通して、紛れもなく彼らへの崇高なる鎮魂歌として成立している。そして、如何に死んでいったかなどではなく、武士として男としてそして人間として如何に生きてきたかという、彼等の生きざまをこそが本作のテーマなのであり、だからこそ、男が男に惚れまたその友として、オールグレン大尉が天皇に沈痛な思いで言うセリフが泣かせるのである。ただ、ラストはいかにもスター、T・クルーズ作品らしい締めくくり方が少々残念で、欲を言えば、馬を走らせている彼の姿で終わらせて欲しかった。しかしそれでも、世評に違わぬ、いやそれ以上に確かな手応えを感じさせてくれるこの素晴らしい作品と出逢えた事に、幸福感を味わうとともに、本作に携わった方々に深く感謝を申し上げたい。
10点(2003-12-18 15:23:39)(良:3票)
7.  妖星ゴラス
円谷特撮の集大成的作品として永遠に記憶に留めておきたい逸品。今、仮にこの作品をリメイクしたとして、果たしてオリジナルを超えるほどのテイストが残せるだろうか。40年も前に創られた映画ということもあって、特撮がチャチという意見もあるようだが、それは古典を読んで“古い!”と言っているようなもので、映画芸術の基本が解かっていない証拠。確かにテクノロジーは進歩したが、しかし現状ではそれを生かせていないばかりか、むしろ後退しているのではないかとさえ思えるだけに、かつてないほどの大胆な発想とアイデアで、これだけのスケール感を伴った作品を創造するのは、今の技術力をもってしても到底不可能だと信じて疑わない。新しい技術をどれだけ膨らませて、それ以上のものを生み出せるかがポイントで、誰でもが達成できるものではない。要はテクノロジーと言うよりも工夫とセンスが問題となってくる訳で、やはりある特殊な能力が必要不可欠となってくる。そういう意味でも円谷特撮の“画作り・見せ場作り”の巧さは、やはり天性のものだと言え、他の追随を許さない。本篇では、日々接近してくる暗赤色のゴラスの姿を、世界各地から遠景で捉えたショットの不気味さや、美しい紋様で弧を描く土星の輪が徐々に歪んで、ゴラスに吸い寄せられるシーンなどは実にリアルであり、息を呑むような美しさを感じてしまうほど。探査ロケットや周囲の星々が一瞬にして消滅していく視覚効果や、津波や地割れといった天変地異のスペクタクルなど、全編が見せ場と言ってもいい程のサービスぶりで、円谷英二は当時の技術をフルに生かして見事なエンターティンメント仕上げた訳だが、単なるマニア向けだけの作品でない事はご覧いただければ解かると思う。
10点(2003-11-06 11:29:45)(良:4票)
8.  モスラ(1961)
地図にも載っていない南海の孤島(=インファント島)の象徴である双子の小美人と、島の守護神である巨大な蛾(=モスラ)の特撮冒険物語。言わずと知れた円谷作品の中でも、ファンタジックな怪獣としては唯一無二のキャラクターで、作品としては「ゴジラ」「空の大怪獣ラドン」と並んで傑作の誉れ高い映画だったと言える。島での秘境・冒険モノのスタイルの前半から舞台が一気に東京へと移る構成となっているが、いかにも映画的な興趣満載で、調査隊の島での様々なエピソード(小美人を捕らえて一儲けしようとする一派との対立など)が、フランキー堺を中心にコミカルに描かれていくテンポの良さ。島民の祈りの中、巨大な卵に亀裂が生じモスラが誕生する瞬間の盛上げ方の上手さ。海を渡る幼虫モスラに攻撃を加える自衛隊機といった、パースペクティブな画面構成の美しさ。決壊したダムでのスリリングな救出エピソード。そして集中攻撃を浴びながらも、地を這って目的地へと進む幼虫のユニークな動きの面白さ。一方そんな中、ステージでは小美人を乗せた馬車が空中から舞台に降りて、中から出てきた二人(=ザ・ピーナッツ)が歌い始める、お馴染み“♪モスラの歌”。その音響効果の素晴らしさ。このシーン、一種のミュージカルと言ってもいいほどで、否応でも胸高まる名場面となっている。さらに、真っ二つに折れた東京タワーに成虫となる為の繭を作るアイデアが素晴らしく、夜間から一気に朝へと画面が切り替わる、その遠景に捉えたタワーと繭とのファンタジックな美しさ。やがて大勢の見守る中、四方からの熱戦砲の攻撃を受けるシーンになるや、そのボルテージは最高潮に達する。(直前、フランキー堺が光線避けのサングラスを慌ててかけるというシーンも挿入されるが、このあたり、本多猪四郎監督演出は実に木目が細かい。)成虫したモスラの極彩色の羽根の衝撃波で舞い上がる車などは、いかにもミニチュア丸出しで、この当時の円谷特撮のひとつの壁だったに違いはないが、むしろそれが円谷作品の味だとも言え、ここはご愛嬌と捉えるべき。優れたオリジナルの脚本に生命を吹き込み、(お得意のミニチュア・セットの緻密さはさらに進化している!)ダイナミックでスケール感溢れ、超大作の風格すら漂わせた本作は、特撮怪獣映画のお手本であり、円谷をして“特撮の神様”と言わしめた記念碑的な作品だったと言える。
10点(2003-10-18 00:22:18)(良:3票)
9.  空の大怪獣ラドン
怪獣と言えば「ゴジラ」がその代名詞のようになっていて、何故か“彼”ばかりが持て囃される風潮にあるが、決して忘れてはいけないのがもうひとつの雄である本作の「ラドン」である。年配の映画ファンなら、この血沸き肉踊る大冒険スペクタクル活劇を興奮してご覧になった方もきっと多いはず。怪獣映画としては記念すべき初のカラー作品で、本多猪四郎&円谷英二の黄金コンビがいよいよ本格的に動き始めたことから、東宝としても相当気合の入った作品だったと言える。冒頭、炭鉱の坑道内が水没事故に遭い、原因を探るため警官と炭鉱夫の三人が互いにロープを体に縛って、胸まで水に浸かりながら暗い坑道内を進むというミステリアスなシーンが秀逸で、不気味な音だけで姿を現さない何物かに次々と襲われていく緊迫感・恐怖感は尋常ではなく、トラウマになってしまうほど。その暗いトーンから一気に開放感溢れる青空の中でのドッグファイト・シーンに変転する構成の巧さ。伊福部昭の音楽が実に効果的で、いやが上にも胸高まらせられる。カメラのファインダーを覗いたまま“信じられない”といった引きつった表情で後退りするアベックの男性。あるいは、ラドンの殻の欠片のカーブから卵の大きさを計算するといった、実にリアルな描写。さらにダメージを受けて海面に墜落した後、再び飛び上がり、その衝撃波で巻き起こる津波と、たたき折られる西海橋といった大スペクタクル。そして特筆すべきは、福岡市街の細やかなミニチュア・セットの見事さや(とりわけ家屋の瓦が粉々にすっ飛んでいくシーン等)、終盤の阿蘇山をめがけて攻撃するミサイル発射のゆったりとした噴射イメージなど、実に印象深くそして見せ場の多い作品だったといえる。この世紀を超えた傑作を是非ご堪能あれ。
10点(2003-04-17 16:19:50)(良:3票)
10.  怪談(1964)
ご存知、小泉八雲(=ラフカディオ・ハーン)の原作の中から四話の短編(「耳なし芳一」「雪女」「黒髪」「茶碗の中」)をオムニバス形式で忠実に映像化した画期的な作品。オムニバス形式はヨーロッパ映画などに散見されるものの、当時も今もそんなに多くは作られていない。それだけに日本映画としても極めて珍しい企画だったと言える。で、日本のみならず海外でも高く評価された作品で、かなり昔の作品であるにも拘わらず、独特の色彩効果と人工的なセットデザインで表現された日本的な美しさと恐ろしさは強烈で、今尚脳裏に焼きついて離れない。いくら説明してもこの面白さ(恐ろしさ)ばかりは鑑賞した人でないと解らないし、例を挙げ出したらキリが無いほどだが、その中で・・・若侍が貧しさゆえに妻を棄て、裕福な出の我がまま新妻と一緒になり、境遇が一変してしまう。しかし心優しい先妻との思いが断ち切れず、朽ち果てた家にひっそりと暮らす妻の元へ戻ってくる。詫びを入れる夫を受け入れる妻。やがて一夜が明け、隣の寝床の妻は・・・。まさに身の毛もよだつ瞬間だが、これは復讐か、愛する人に最後に一目逢いたいという女心か、恐ろしくも切ない感動を呼びおこす一編として忘れられない。全編に漂う原作の持つ幽玄の世界を、見事なまでのモダンな様式美と音響効果で格調高く描き切った、実に完成度の高い超一級品の作品であり、後世に語り継いでおかなければいけない作品でもある。
10点(2003-03-06 15:35:39)(良:4票)
11.  飢餓海峡
日本映画の史上ベスト・ワンは黒澤明の「七人の侍」と相場は決まっているのだが、個人的好みでは本作のほうを推す。(このコーナーで今まで誰一人としてコメントが無かったのがむしろ不思議なほど。)白黒で3時間の長尺の作品であるにも拘わらず、まるで金縛りにでも遭ったかのように身じろぎもせず鑑賞したものだった。それほど冒頭から衝撃の幕切れまで、時代に翻弄される人間ドラマとその重厚な映像(かなり実験的な映像表現も試みられていた)には圧倒されっぱなしで、その完成度の高さは他に類を見ないほど。とりわけ船上でのラスト・シークエンスが強烈で、日本映画としては生涯忘れえぬ名場面となっている。さらに三国連太郎,左幸子そして伴淳三郎らの一世一代の名演が、この作品をより格調高いものにしている。
10点(2003-02-06 17:41:55)(良:1票)
12.  たそがれ清兵衛
山田洋次監督初の時代劇ということだが、日本映画の良心作を作りつづけている第一人者だけあって、時代背景こそ違え、その手腕に揺るぎがない。時代劇の衣を纏ってるはいるが、やはり彼が終始一貫こだわり続けている“今”を描いている事になんら変わりがない。個々の豊かな人物像と、環境をとり巻く社会情勢の的確な描写。人が人を大切に思い遣る心の大切さを教えられ、見事な殺陣をも含めて、決して大仰でなく静かに、しかししっかりと地に足がついた演出はさすがだと思う。そして出演者のすべてが素晴らしく、ほとんど奇跡のような作品だと言える。
10点(2003-02-03 00:16:47)
13.  砂の女
何故か砂丘に穴を掘って、その穴の底で暮らしている女と、そこに捕らえられ幽閉生活を余儀なくされ、無駄な穴掘りを終日やらされる男との奇妙な男女関係。極限状況の中で、男はこの蟻地獄から脱出しようと再三試みるが、砂は雪崩の如く、そして岩から流れる滝のように崩れ落ちるばかり。その描写はただひたすら美しい。男は一時脱出に成功するものの、逃げ惑った挙句の果て逆戻りしてしまう。しかし、都会で日々の暮らしをする事と何が違うと言うのか?戸籍や様々な証明書といった管理社会に対する疑問と、人間が生きていく上での営みという根源的な意味を、勅使河原宏監督はこの不条理劇を通して問いかけているように思う。キャストとスタッフの名前に並べて押印しているという、ユニークなオープニング・タイトルも象徴的で、まさに日本映画史に残る傑作だと言える。
10点(2001-10-13 01:13:58)(良:1票)
14.  火垂るの墓(1988)
何度観ても泣いてしまいます。分かっていても泣いてしまいます。これから先、幾つになっても・・・。人々から戦争の記憶が無くならない限り、そしてこの世から戦争が無くならない限り、きっと泣きつづけるだろう。
10点(2001-05-25 23:32:22)(良:1票)
15.  ゴジラ(1954)
単に怪獣映画という事なかれ!“空想科学映画”の言葉すら一般的に無かった時代の、これは紛れもなく日本映画史に残る傑作であり、そのキャラクターは日本のみならず世界中を席巻している。核兵器反対というテーマを、つけ足しではなく正面に堂々と打ち出している唯一の作品でもあり、又、ゴジラが現れるまでの不安な状態と異常なパニックの描写が優れていて、特撮シーンと本編とを違和感なく成立させているなど、円谷英二特技監督も当時の不自由な器材を使って最大限の効果を上げている。後年シリーズ化されたものは、この作品の蛇足に過ぎない。
10点(2001-03-02 01:38:48)(良:2票)
16.  天国と地獄
黒澤といえば「七人の侍」なんだろうけど、個人的な好みでいえば本作のほうを挙げたい。リバイバル上映(昨今、少なくなりましたが・・・)で観た記憶がありますが、きちっとした原作をベースに、当時の脂ののりきった黒澤のサスペンスフルな、そしてダイナミックな演出には感動すら覚えたものでした。
10点(2001-01-21 18:49:12)
17.  生きる
主人公の渡辺課長を演じる志村喬の存在があってこそ成立しえたような、日本映画史に燦然と輝き続ける名作。死を目前にして何かに取り憑かれたような表情やそのセリフの発声法など、おそらく彼にしかできないであろう独特のものである。小雪の舞う夜、完成したばかりの公園のブランコで「ゴンドラの唄」を幸せそうな表情で口ずさむシーンは、死を意識することで平凡で無気力な人生を送ってきた男が、最後に“今”を精一杯生きた証としての満足感をも表現して、終生忘れえぬ感動をもたらしてくれた。
10点(2001-01-14 17:59:08)
18.  ホーホケキョ となりの山田くん
この作品に満点をつけるのはおそらく僕だけでしょうね。なんか耳心地のいい小噺を聴いているような、ほんわかムードの癒し系の作品(ただし技術的にはかなり手が込んでいる)。こういう雰囲気のあるアニメも、あっていいんじゃないですか!?
10点(2000-10-23 10:42:35)
19.  かもめ食堂
片桐はいりの、目をつり上げドギマギした表情は、もはや彼女の独壇場だが、面子に反し、癖のない素直な性格の演技は貴重である。また、もたいまさこの、細い目を一層細くして軽く頷く、あの独特の仕草は、喜怒哀楽という人間の感情に於ける究極の表現方法であり、瞬時に人間味を滲ませる自身の年季をも感じさせ、彼女にしか出来ない芸当だと言える。そして、マイペースでありながら人生に於いては常に前向きで、異国であろうと何処に居ようと(いや、何処の国に生まれついても)、逞しく生きていく術を知り尽くしているような雰囲気を漂わせる小林聡美の、その明るさと元気よさ。本作の主人公にはまず彼女を措いて他にないと思わせるほどの存在感を発揮していて、今、キッチンが最も良く似合う女優さんである。この三者三様の個性派が揃い、お馴染みのオハコの演技が存分に堪能できる本作は、日本版「バグダット・カフェ」と言ってもいいような雰囲気の作品だ。人とは、外見だけでは推し量れないものだが、いつしか心を開き、打ち解け合った時の新鮮な驚きと感動を、「かもめ食堂」に出入りする人々をスケッチ風に描く事で、人との出会いの楽しさ素晴らしさを謳いあげる。饒舌に語るタイプの作品でない事は、ご覧になればお分かり頂けると思う。 確かに元気を貰いました。それだけで十分だろう。ここに行けば、みんなきっと幸せを感じられる。誰でもが行きたくなる「かもめ食堂」とは、そんな所だ。
[映画館(邦画)] 9点(2007-01-02 17:28:37)(良:1票)
20.  バッシング 《ネタバレ》 
自己犠牲というリスクを承知の上で海外とりわけ紛争地域へ赴き、困っている人々に手を差しのべると言う一つの生き方。本人にすればまるで生甲斐であるかのようだが、言い換えると、それは自らの居場所を模索する自分探しの旅でもある。しかし一つ間違えると、自らの意思に反して思いもかけない事態へと変転する危険性をも孕んでいる。実話をベースに、一人の女性の“その後”をドキュメント風に追い綴った本作は、人間社会の歪みから噴出する問題の一断面を抉り取っていく。この物語に登場する主人公は、普通の年頃の女性とは少しズレたところで行動を起こし、その結果として一般社会から見れば異端者いわば爪弾き者と見なされ、社会の規範や周囲の眼というものが彼女の生き方や考え方、或いは人格さえも否定してしまう。人々に救いの手を差しのべようとする者が、あたかも負け犬であるかの如く奇異の眼差しで見られ、そればかりか家族をも巻き込み、やがて崩壊させられていくという理不尽さ、そして真綿で締め付けられるような怖さは筆舌に尽くし難い。考え方に理解を示そうとする者さえも、批判の矢面に立たされるという観点から、かつての仲間は何処でどうしているのかという事までは語られない。映画はあくまでも一人の人間の意志と行動に焦点を充てて描き続けられる。その大人っぽさと子供っぽさとが共存しているかのような、不思議な存在感のある彼女の強固な意志は、ややもすると歪んだ形で表面化する。その典型的な例として、コンビニでの「おでん」に纏わる一連のエピソードで巧みに描写される。海辺にあるアパートの無機質さ。終始見られるどんよりとした空と澱んだ空気。寒々として暖かみというものが全く感じられないのは、単に季節が冬だからという理由だけではない。それら家族を取巻く環境は彼女の心象風景そのものであり、どこまでも虚無的で救いがない。自ら死を選択した父親の姿に、社会に圧殺された者の悲しみと憐れさを滲ませているが、その事が切欠となり、反発していた筈の義理の母親からの真の優しさと思い遣りに触れ、やがて心から向き合えた時、初めて見せる穏やかな表情こそ彼女本来の姿だろう。朝まだき仄暗い中、新たな旅立ちを迎え、遠くを見据える彼女の眼差しと表情は、更なる強い決意をもった大人の女の顔となっていた。本作は人間社会に於ける理解し合う事の大切さと難しさを問い正した秀作である。
[映画館(邦画)] 9点(2006-10-15 16:44:59)(良:2票)
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