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鱗歌さんの口コミ一覧[この方をお気に入り登録する

プロフィール
コメント数 3986
性別 男性
年齢 54歳

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【製作国 : イギリス 抽出】 >> 製作国別レビュー統計
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1.  トライアングル(2009)
いやこれ、面白かった!・・・ってのはイイのですが、何も書けん。書きたくない。ネタバレせずに言えるのはせいぜい、「これは『ゴースト/血のシャワー』のリメイクじゃないですよ」ってことぐらいだし。 それでも何か書くとすると(すみません)、およそ現実的ではないこのオハナシ、どうやったって破綻している訳で、それに対してココがおかしいとかアソコが納得いかないとかいう意見もあろうかと思うのですが、一方で「そんな理屈っぽく整合性を取ろうとしなくっても、もっと大胆に破綻してたっていいのに」という意見もあるでしょう。私もそう思います。映画のスピード感であったり、あるいは幻想性であったり、と言うものに対し、理屈っぽさは命取りになりかねない。「伏線回収」なんていう言葉、よくホメ言葉として使われるけれど、うまく回収しないとそれなりに危ういものがあったりもするのです。 だけどこの作品、理屈っぽさでスポイルされることなく、かろうじて踏みとどまることに成功しているように思えます。その危うさが、作品の魅力。 裏に理屈はあれど、理屈が追い付けない速さで、不条理が突っ走る、この不安定さ。不安定こそサスペンス。暴走気味に映画は進み、はたして今、自分はこの映画についていけてるのか、にドキドキしてしまう、こんな作品もめったに無い。 映画が理屈っぽくなっちゃイヤだ、とか言いつつ、これでラストに何らかのオチがつかなけりゃ、そりゃいくらテキトーな私だって怒るのであって、その点、この作品は気持ちよく見終わることができました。 という訳で、この映画、どういう作品かと言いますと、「誰かに無理やりでも見せたくなる映画」、です。同じ気分を誰かに味わわせたいのです。
[インターネット(字幕)] 8点(2025-03-02 17:16:00)
2.  スキン・ゲーム
観客にカメラの存在を感じさせちゃいけない、と言ったのは、後年の黒澤明でしたっけ、それとも誰でしたっけ? ヒッチコックという人はその真逆を考えてたんじゃないか、と思えるほど、彼の作品ではカメラがその存在をやたらアピールしてきますが、実際のところ、私みたいな万年「映画初心者」などにしてみれば、映画見てるうちにカメラの存在なんていともたやすく忘れさってしまうもんで、こうやって多少、大袈裟な演出を入れ込んでくれると、それはそれで、見る楽しみの一つとなるもんです。 とは言っても、のべつ幕なしに奇抜なことをやってる訳ではなく、あくまで、要所要所。短すぎるかと思うほどのショットを積み重ねてみたり。あるいはあの、オッサンの顔の幻が何度も目の前に高速に迫ってくる場面なんて、これはもう完全にホラーです。はたまた、中盤の競売のシーン。ここが見せ場とばかり、このシーンにたっぷり尺を割いており、競売人視線のカメラなども交えつつ、しっかりと緊張感を持続させます。 ただ、この競売シーンが大きなクライマックスとなっている割に、映画の進行の中でその時間帯が比較的早く、物語のバランスとしてどうなのかな、という気はいたします。 名家同士の土地の奪い合い、騙し合いのオハナシですが、そこに複雑な人間関係も絡んでくるので、このような構成になっている訳で、映画としてはサスペンス風に作られていますが、物語としてはたぶんこれは、サスペンスではなくって一種の社会風刺を交えた悲劇。逆に言うと、このサスペンスとしてはいささか弱いオハナシを、いかにサスペンスに仕立て上げるか。 怯えた女性の表情、ってのはやっぱりここでも、有効ですね。
[インターネット(字幕)] 7点(2025-01-26 08:24:16)
3.  逢びき 《ネタバレ》 
作品全編にわたって用いられている曲はお馴染みの、ラフマニノフ作曲ピアノ協奏曲第2番。映画製作当時としても「古典的名曲」ってことになるのでしょうが、ラフマニノフという人は1943年に世を去っているので、この映画の2年前まで存命だったんですね。ロシア革命をきっかけにアメリカへ亡命してからは作曲よりも演奏家としての活動が中心となったため、作品の多くが亡命以前のものとなっており、この曲もそういう曲の1つ、であります(余談を続けると『ある日どこかで』で引用されるパガニーニ・ラプソディは後期の作品。なのであの映画の物語が成立する)。 有名な既存曲を映画の劇伴として使うのは、ピタリとハマれば絶大な効果をあげたりもするけれど、変に気になってしまい、気を削がれる場合もあるし、映像と完全には合わずに違和感を残してしまう場合もあって。この『逢びき』の場合はどうかというと、うーむ、これは違和感の方かもしれん(笑)。だけど、この音楽も含めて「古典的名画」ってことになるんですかね、もはやこれが違和感なのかどうか自分でもよくわかりませんが、少なくとも、今さらこれを別の曲に差し替えられたりしたら、その方が確実に違和感デカそう。 さてこの作品、中年男女の不倫のオハナシです。それを女性の側から描いています。夫は自分に無関心っぽいけれど悪い人では無さそうだし、ちょっとした日常のトラブルを「これは他の男性に心を動した自分への罰だ」と自らを戒めもするけれど・・・結局はこの、忘れかけていたときめく心には、抗しきれない。 それを描くにあたり、この作品では、主人公の女性の独白を映画に重ね続ける方法をとっています。これがはたして正解だったかどうか。独白は、時に彼女の表情や仕草を裏打ちし、時には内面と外面との乖離を浮き彫りにしたりもして、一定の効果をあげているのですが、その一方で、「独白に頼らずに映像でこれらを表現し切ったならば、どんな映画になったんだろうか」とも思ってしまいます。この作品の弱さがあるとすれば、そこなんじゃなかろうか。ただし、90分に満たないこの作品の緊密さは、一つには独白があってこそ成り立っているのであって、またこの緊密さがあってこそ、最後に物語の輪が閉じるようなこの作品の構成も、成立しているのだけど。  正直言うと、この医師は品行方正なフリをしてホントはとんでもないスケベ親父に違いない、とも思うし、別れの場面はオバチャン乱入でブチ壊しにされ、ザマーミロとも思うのですが、そういう心の汚れた私のような人間でも、やっぱり心のどこかで、切なさを感じたりもする訳で、珠玉の一本、と申せましょう。  ここでまたまた余談になるのですが、この別れの場面の、中途半端に投げ出される切なさ、みたいなものは、私に、オペレッタの作曲家レハールのエピソードを思い起こさせます。通俗作曲家のイメージがある彼も、無名時代の若い頃には芸術家を目指しており、かのマーラーへ手紙を出したりもしたが、返事は来ない。軍楽隊に所属していた当時の彼が、ある日その制服のまま汽車に乗ると、何と偶然にも、そこには憧れのマーラーが。軍楽隊を敵視しているという噂の彼からの冷たい視線を感じつつも、どうしても話しかけたいレハールは心の中で逡巡を続け、ついに意を決して口を開きかけたその時、列車は目的地に到着し、結局、会話することなくレハールは立ち去る・・・後に「あの時、話しかけなくてよかったんだろう」と回想する彼に対しては、この『逢びき』と同じくらい、乙女心を感じてしまうんですけどね。乙女心ってのはきっと、乙女以外の人が持つものなんでしょうね。
[インターネット(字幕)] 8点(2024-12-22 10:46:17)
4.  ツォツィ
それっぽい音楽がそれっぽいタイミングで挿入されるときの、気恥ずかしさ、とでもいうのか、かえってしっくり来ないものがあり、この作品もその点で、悪い意味での「メロドラマ」になっちゃってる面が、あります。それでもこれが、主人公の境遇を代弁する音楽なんだよ、ということなのか、それとも、冒頭から陰惨な雰囲気が漂うこの映画、しかし一方で主人公が内面に閉じこもるような晦渋さも含んだこの映画を、「いえ、庶民向けの作品なんです」と中和しようとしているのか。もしももしも後者だったりしたら、映画の作り手が、映画を見る側のことを信用していない、ということにもなるのだけど。まあ確かに、我々一般の見る側が、作り手に信用してもらえるような反応を映画に対して示せていないのも事実かもしれない・・・。 見ての通り、こんなわかりやすい音楽を付けなくったって、難解な作品でも何でもないし、主人公の孤独を描いたこの作品にはむしろ、「音楽」よりも「静寂」の方が雄弁だったのでは、とも感じます。 主人公の孤独。 主人公だけじゃないんですね。夫を亡くして一人で子育てをするあの若い母親も、孤独を感じさせる。障がいをかかえたあの浮浪者ももちろん、そう。 アパルトヘイト後、アフリカ系の人たちの間でも貧富の差が広がり、主人公のようにスラム街に住む者もいれば、中には豪邸に住む者もいるのだけど、しかしいくら物質的に満たされているとは言え事件に巻き込まれ生活を根底から覆されてしまった夫婦にも、孤独の色が滲み出る。 そんな中で心の灯となるのが、赤ちゃんの存在。それはかつての自分の姿でもあって、とにかく、何とかしてやりたい。赤ちゃんは赤ちゃんなりに、オシメが濡れたり腹が減ったりすれば泣いて、生きていくツラさを抱えているんだけど、まだこの世間のツラさというものに接していない純粋さが、ある。どうやって育てればいいのかわからないし、自分と同じような生活をさせていればいずれはかつての自分のように、帰る家もなく土管で生活することになるのかもしれないけれども。かつて自分がいた土管には、今は別の子供がいて、同じような境遇が繰り返されていく。 主人公が出会い、不器用ながらもそれまでの無軌道な日常から変化させるキッカケとなるこの赤ちゃん、映画の中でその表情や仕草がうまく捉えられ、活きています。主人公はこの赤ちゃんを紙袋に入れて運ぶなど、やってることは最後までメチャクチャなんですが、不器用なりの接し方の中から、「何とかしてやりたい」という気持ちが浮かんできて。 その気持ちを主人公が表情に逐一出しちゃうのが、これもメロドラマとしてのこの作品の弱さ、のようにも思いつつ。しかしその表情の変化は控え目であって、彼の孤独を感じさせるのを妨げる程のものではなく、むしろ他者と接点を持つことで、その接点を探るような彼の視線の不器用さが、逆に孤独を際立たせているようにも感じます。 主人公を追う二人の刑事は、白人とアフリカ系とのコンビ。彼らもまた、何となく孤独に見えてくるのですが、彼らにはこの後、何が、できるのか。
[インターネット(字幕)] 7点(2024-12-01 07:36:10)
5.  グラディエーターII 英雄を呼ぶ声
復讐心を胸に抱いた一人の剣闘士が、さまざまな敵との闘いに勝ち残り、ついにシリーズ最終戦を迎えるというプロレス的サバイバルは、前作で充分に描きつくされ、完結しているので、もうこの後何をやっても蛇足にしかならないのだけど、蛇足には蛇足の味わいがある、というのが続編映画の醍醐味。 前作の後日譚、という位置づけですが、前作の主人公マキシマスからの繋がりを軸に置きつつも全体的には、ローマ帝国自体のその後、その斜陽自体を描いたような作品となっています。今回も一人の剣闘士にスポットを当てつつも、必ずしも前作のマキシマスほどの存在感は示しておらず、どちらかというと群像劇としての性格が強まったようなところがあって。 今作でもド迷惑な皇帝が登場するも、今回は二人に増殖。カラカラ帝・ゲタ帝の時代。映画の中で「悪」を体現する二人だけど、二人であるがゆえに、悪としての求心力よりは、バランスを欠いた危うさを感じさせ、悪よりも「退廃」のムードが濃くなっています。 主人公はローマを呪い、二人の皇帝を呪いつつも、その最大の矛先は自分たちにとって直接の侵略者である将軍アカシウス。主人公とアカシウスとの対立関係、というのがこの物語においても重要な要素となっていて、映画冒頭の戦闘シーンがまさにそれ、スペクタクルとしては最大の見せ場になっているし、中盤の二人の対峙は、わたし個人的には一番盛り上がった場面。 さらにそこに、マクリヌスなる怪しげなオッサンの暗躍が絡んでくる。演じるはデンゼル・ワシントン、かつては優等生的な役を任されることが多かった彼も、こんなタヌキ親父を楽しげに演じる時代になったんだなあ、などと思ったり。ニヤっと笑った顔が、人懐っこいような、しかし腹に一物ありそうな。だけど彼の表情を読ませないような撮影のシーンも多く、謎めいた人物として表に裏に登場し、物語をかき回します。 今回の作品でもまた、主人公がいくつかの闘いに臨む訳ですが、そこに登場するのがどういう訳か、「人間ではないもの」が多く、サルだか宇宙生物だかよくわからんヤツだったり、まるで恐竜みたいなサイであったり、模擬海戦でまるで罰ゲームのネタのように仕込まれたサメであったり。「んなアホな」感があるのもまあ、確かなんですが、動物頼り、ということで、前作ほど人間自体が強くないというか、マッチョ感が薄れた印象があり、こういう部分でも末期的、退廃的なものを感じさせます。 とは言え、混乱の中、ローマ帝国はまだまだ続く。3作目は無い、とは思っているのですが、さて、どうでしょうか。
[映画館(字幕)] 7点(2024-11-30 06:57:52)
6.  大列車強盗団 《ネタバレ》 
実際にイギリスで発生した列車からの大金強奪事件に取材した映画で、事件の経緯をとにかく淡々と描いており、実に愛想の無い作品に仕上がっています。劇伴の音楽も使用は一部シーンにとどめ、静かな緊迫感の中に描かれる、列車強盗。 強盗たちの間に、これといって友情が描かれるでもなし、目だった対立が描かれるでもなし、微妙な空気感の中で行われる犯行、ではありますが、とにかくクール、なんですね。大金の入った袋をワッサワッサと機械的に運び出し、時間がくればアッサリ引き上げる。ある意味、マジメな人たちの集団、に見えなくもないけれど、札束に火をつけてみたりするあたりに、ちょっとしたヤンチャぶりみたいなものが垣間見えたり。 強盗事件と直接は関係しないのですが、冒頭のカーチェイスシーンが、とにかく目を引きます。疾走、というより暴走する自動車、どこまでが演出で、どこまでが「本当に事故寸前」なのか。危うさ全開のゴツゴツしたシーンに仕上がっています。 ラストの「The End」にはクエスチョンマークが重なり、実は知られざる逃亡者がいるのでは、まだ物語は続くのでは、みたいな感じで映画が終わりますが、最後がクエスチョンマークって、『人喰いアメーバの恐怖』じゃあるまいし。このクエスチョンマークを見て、スティーブ・マックィーンはピーター・イェーツを『ブリット』に起用したという・・・ワケではないですよね。
[インターネット(字幕)] 7点(2024-08-03 07:32:31)
7.  マーフィの戦い
南米ベネズエラの大河を舞台に、Uボートの攻撃から生き残った一人の男が、Uボートに対する復讐の炎を燃やす(ピーター・オトゥールの狂気!)。彼には協力者がいるものの(フィリップ・ノワレがいい味出してる!)、巻き込まれたに等しく、事実上は主人公の孤独な戦い。欧州の戦況から遠く離れた地で、まさに人知れぬ戦いが、繰り広げられる。 なんで映画の舞台がベネズエラかというと、撮影の協力が得られたという純粋に製作上の都合みたいですが、実際のところ第二次大戦では、ベネズエラも含めた中南米の国の数々が、戦闘への参加はさておき、ドイツや日本に対する宣戦布告を行っていたのであって、そういう意味では地球規模の大戦とも言えましょう。地の果てみたいな場所、などと言っては現地の人に悪いけど、世界のどんな場所でどんな戦いが繰り広げられてもおかしくない状況の中、しかしだからと言ってこんな場所でこんな戦いが、何のために行われなければならないのか、異様とも言ってよい光景が繰り広げられます。 ひたすら復讐への道を突き進む主人公の偏執狂的な姿、それを描くこの映画自体にも、偏執狂的な雰囲気が横溢しています。主人公が操縦するオンボロ水上機が、果たして無事に離水するのか、その飛ぶや飛ばざるやという姿を、これでもかとカメラが追いかける様は、まさに偏執狂的と言ってよいもので、これだけでも手に汗握るシーンになっています。主人公の「執念」の映像化。 このシーンに限らず、主人公がUボートに立ち向かっていく姿が、この映画では、これでもかと克明に描かれます。作品を通じセリフが絞られていて、とにかく「見せる」ということに重点が置かれる。主人公がボロ船でUボートに突撃する場面なども、なにせボロ船でスピードが出ず、その光景だけもで充分に異様ですが、遅さ故にその光景が時間的にも引き延ばされ、異様さは数層倍に。主人公の狂気もまた、数層倍。誰も見ていない戦い、誰のためのものかもわからない戦い、誰にも止められない戦い。 圧倒されつつ、虚しさが心に突き刺さります。
[インターネット(字幕)] 10点(2024-07-20 07:39:47)
8.  007/スペクター 《ネタバレ》 
バットマンだってちゃんと撮ったらちゃんとした作品になるだろう、というのがノーラン版バットマン映画だとしたら、007だってちゃんと撮ったら・・・というのがこのサム・メンデス版007映画、ってことなんでしょうか。で、その「ちゃんと撮ったら」という部分のベクトルが間違っている気がしてしまうのが、両者に共通するところ。 この作品、メキシコシティの「死者の日」を大規模に再現した長回しっぽい冒頭シーン(何となく、実際はカットが切られている気がする)がやたらカッコよくって。その後に待ち受ける一連のアクションもあの手この手で盛り上げて小気味よく、「全編の中で、結局、タイトル前が一番カッコいい」という点ではこれ、007映画らしい作品と言えなくもなく・・・。 その後も、アクションシーンか否かに関わらず、カッコよく撮ろうとしているのは伝わってくるのだけど、はたまたそれっぽくエピソードも散らしておこうとはするけれど、トータルでは中身が薄い印象のまま、この長尺。ちと、つらい。007映画に中身が無いのは今に始まったことではないからそれ自体はもうどうでもいいんですけどね、中身が無い代わりにしっかりとバカ映画であった007映画から「バカ」を取ったら、何が残るのか。何を残せるのか。 長尺を引っ張り過ぎた挙句、本来なら盛り上がるであろうクライマックスシーンまで、尻すぼみに感じられてしまうのは、いかにも残念。 拷問にあってもそれをタフに乗り切るのが、やはりクレイグ=ボンドの持ち味でしょうか。今回は相当ヤバいところまで追い込まれますが(ってか、手遅れでは。ははは)、その直後には何事も無かったかのように涼しい顔で戦いまくり。タフと言うより、ここまでくると正直、不気味です。
[CS・衛星(吹替)] 5点(2024-06-16 06:10:41)
9.  007/美しき獲物たち 《ネタバレ》 
どういう訳か私にとって妙に印象の薄い、この第14作。何でこんな印象薄いんでしょうね。劇中でいろいろ派手な事やってくれてるんですけれども。「007映画=おバカ映画」という図式を我々にしっかり植え付けてくれたロジャー・ムーアも、今回がボンド役最終作。ということで、ゴジラ同様、実際の元号とズレはあるものの、この作品までが私にとっての、昭和007。 だもんで。どうもこの作品のイメージが『メカゴジラの逆襲』と微妙に重なってしまうんです。すみません。これは私が悪い。こんなイメージ持たれちゃ、ねえ。 実際は、ジョン・グレン監督はこの後のダルトン=ボンド時代も続投するので、そういう意味ではこの第14作と次の第15作に断絶は無いはず、なんだけど、しかし到底、そうは思えません。やはりこの第14作でもって、一時代の終わり。やっぱり、ボンド役が作品のカラーを決定づけますね。そもそも、「007映画の監督と言えば?」と聞かれたら、普通はテレンス・ヤングか、せいぜいガイ・ハミルトン。あるいは最近の人だったら、答えとしてマーティン・キャンベルとかサム・メンデスとかの名を挙げるかもしれない。もしここで、「ルイス・ギルバート」とか「ジョン・グレン」とかを挙げる人がいたら・・・たぶんそれ、悪意があります(笑)。でも、ロジャー・ムーアのおバカ007映画時代を主に支えたのが、この二人。ヒドいことをしてくれたもんだ、などと言うなかれ。全部、ロジャー・ムーアのせいです。多分。 さて、ボンド役最終作と言うだけあって、、、と言うか、「さすがにそりゃ最終作にもなるわなあ」と言うか、ムーアさん、正直、すでに結構なお歳です。しかし飄々としてクールでエロくてコミカルで。まだまだ余裕のエロダンディぶり。アクションシーンはスタントマン多用しているんでしょうが、そりゃ、あんなスキーやらスノボやらが上手かったら、ホントにMI6で秘密諜報部員できちゃいますよね(?)。しかし、潜水シーンなんかでは、本人が実際に潜って演じているように見える場面もあったりしますが、これ、この歳で実際に本人がやってるんだったら大したもの。役者になっていなかったら、本当にスパイになれたのでは(???)。 今回もおバカアクションの見どころ盛り沢山。タイトル前の雪山の死闘に始まり、エッフェル塔から開始される追跡劇ではパリを舞台にしたカーアクション(最近の映画でこそ、名所でのこういうアクション、増えてきましたが)、007映画らしいアクロバットな演出も。これに対し終盤は金門橋が舞台の、飛行船を使ったアホらしくも派手な戦い。だけどやっぱり目を引くのは、中盤の火災シーンですかね。ややシリアスなテイストで、迫力あり。それからもちろん、あの大洪水の修羅場。巨大セットでの撮影がもたらす臨場感に、息を呑みます。 ここまで言っといて、「印象が薄い作品」も何もないだろ、ってなところですが、悪役のクリストファー・ウォーケンが、ちと弱い。ってか、私は昔、このヒトは本当にヤバい人なんじゃないかと思ってた頃があり(もちろんそんなワケ無いと思いつつも、何となく狂気を身に纏っている感じがして)、それを思うとこの作品では、彼にしてはスケールが小さく、小悪党止まりの印象。冷酷極まり無いことを言ったりやったりしてるんだけど、狂気よりセコさが感じられてしまいます。うん。作品の印象の薄さは、これのせいだ。きっと。メカゴジラのせいにしてはいけません。 ボンドガールは今回は結局、何人いたんだっけ? メインとなるタニア・ロバーツは、これまたイマイチ存在感無いですが、ゴージャス感はありますねえ。そういう意味ではいかにもボンドガールらしいボンドガール。昔、『シーナ』とかもよくテレビで放送してたので有名な女優さんかと思ってたんですが、いや、まあ、どうなんでしょ。ははは。一方の敵方のコワモテ用心棒のグレイス・ジョーンズは、これはインパクトあり過ぎ。最後まで見せ場を作りまくりで、確かにイイんだけど、ムーアおバカ路線にはややそぐわない気もしうつつ。昔、『キング・オブ・デストロイヤー/コナンPART2』とかもたまにテレビで放送してたので、有名な方かと思ってたんですが、その理解で合ってますよね?
[CS・衛星(吹替)] 7点(2024-05-26 21:35:51)
10.  ゆすり(1929) 《ネタバレ》 
ヒッチコック初のトーキー作品、ですが、冒頭の警察車両が急行して容疑者を逮捕するシーンや、クライマックスの逃亡~追跡シーンなど、部分的には、いかにもサイレント映画。両方の要素が楽しめます。セリフ無しで盛り上げる手法自体は『知りすぎていた男』なんかでも再現されていますが、その先駆となっているだけではなく、冒頭シーンとクライマックスとが、サイレントという手法を通じて対になっている(一種の「再現部」になっている)のが、構成の面白さ。もちろん、ただ同じことを再現するのではなく、舞台となる大英博物館の異様な雰囲気が目を引きます。特に、巨大な顔面の石像(これ、何?)の前で人間がロープにしがみついている場面、『逃走迷路』『北北西に進路を取れ』などを思い起こさせますが、空間にポツンとぶら下がる人間と、背景に写るその影が、像の巨大さと人間の小ささを際立たせて、異様さの点ではまさに随一。博物館の屋根の場面などでも、人間の小ささが、異様な雰囲気をもたらします。 という風に、多分に実験的な作品になっていて、その後の作品に大きな影響を与えた手法もあれば、たいして影響を与えなかった手法もあると思うのですが(笑)、それらひっくるめて大いに楽しめるのは、ストーリー自体はシンプルにズバリ要点を突いて、90分弱にまとめ、スリリングな娯楽作に仕上げられているから、でしょう。実験的な手法が自己満足に陥らず、作品を彩る「面白さ」に繋がってます。また、ただただスリリングであればよいという訳ではなく、緩急をつけることで後半盛り上げていくのも、お見事。もっとも、映画を倍速で見る(見たことにする)ような人たちなら、間違いなく「緩」の部分は早送りで飛ばされてしまうんでしょうが・・・勿体ない。 後の作品への影響の有無、という事で言うと、「わざわざ見せなくてよいものを見せる」「普通なら見せてしまうところを見せない」という両面があって、この作品、色々とやり過ぎ感があるのが、ご愛敬。だけど、間接的には、様々な影響を与えていそうな、いなさそうな。 ヒロインが男に連れられ、アパートメントの階段を上っていく。その階段にはカメラ側に手すりが無く、要は建築物の巨大な断面図。これだけのシーンを撮るために、こんなセットをわざわざ作るのか、というのがまず驚き。なるほど、街路から空間的に隔てられた危うい世界に足を踏み入れようとしている、という意味あいはあるのかも知れないけれど、それは例えば後のシーンで登場する「窓からはるか下に見える路上の警官の姿」などでも充分に伝わる訳で、一体どこにカネかけてるのよ、と思っちゃう。けれど、確かに印象には残ります。 自分を部屋に連れてきた男との気だるいやり取りのうちに、次第に男の態度が変わってきて、襲い掛かってきた彼をヒロインはナイフで刺殺してしまう。その後、彼女の目には、ネオンサインのシェイカーが、振り下ろされるナイフに見えたり、彼女の耳には、他人の喋る言葉の中の「ナイフ」という言葉だけが強調されて聞こえてきたり。この辺りも、わざわざそれを画面で見せるか、音声で聞かせるか、というシーンではありますが、サイレントの手法、トーキーの技術というものにそれぞれ、正面から向き合ったからこそ、生まれたシーンとも言えそうです。 一方、肝心の殺害シーンは、これは「見せない」方の典型。もみ合う姿は壁にうつる二人の影で示され、さらに現場はカーテンの向こうへ。その後の顛末は、カーテンの隙間から伸びる「手」だけで暗示され、むしろ静かに描かれはするのですが、何と言っても目を引くのが、事件前後で一変する、ヒロインの表情。このこわばった表情が、事件の恐怖を物語り、映画の空気感そのものを一変させます。さらに、現場を立ち去る彼女の後、建物に近づく怪しい影。 もちろん、殺害シーンを見せる方がよいとか、見せない方がよいとか言う話ではなく、例えば見せない手段をとった場合にはどういう表現があり得るか、ということ。ヒロインの凍り付いた表情が、より恐怖を持続させ、また恐喝者が現れて以降の彼女のモジモジした素振りによる「この先、どうなるのか」というサスペンスにも繋がっていきます。 事件の後、彼女が家に帰り、二階に上がると、外から鳥の声が聞こえてくる。こういうアンバランスさが、印象的。 一方で、再三登場する肖像画、それをダイナミックに捉えるカメラが、何やら象徴的。 シンプルだけど、盛り沢山。面白い。
[インターネット(字幕)] 9点(2024-05-04 06:41:18)
11.  007/ダイ・アナザー・デイ
ピアース・ブロスナンのボンドは、「5代目ボンド」というより「2代目ロジャー・ムーア」のイメージがあって、この真剣みの無さが、いいなあ、と。要は、もしもジョージ・レーゼンビーが1作のみで降板しなければおそらくロジャー・ムーアの出番はなく、ロジャー・ムーアの出番が無ければこんなピアース・ブロスナンのボンドなんて誰も認めなかったんだろう、ということなんですが。幸いにもこうやってボンド役に定着し、記念すべき第20作も彼の主役にて迎えることに。 この映画の007シリーズ、荒唐無稽なアクションを、ホントにスタントでやってしまうのが何と言っても魅力で、これもロジャー・ムーア時代に(良くも悪くも)花開いた感があります。むろん、合成映像やミニチュア撮影も多いですが、そこにしっかり、非常識極まりない無茶なスタントシーンを織り交ぜてくる。しかしこの第20作、時代の流れには逆らえないということか、かなりCG化に走っちゃってて、そこは残念ではあります。まして、あくまで当時のCGですから、単に荒唐無稽なシーンをより荒唐無稽に見せてるだけ、のような。 だけど、ムチャクチャやってて、やっぱり面白い。いや、普通の意味でストーリーが面白いとか言うのは全然無いんですが、そりゃだって007映画だもの。何となくスパイごっこみたいなどうでもいいことをやりつつ、ムチャクチャなアクションを無理矢理織り込んでいく。ホバークラフトでのチェイスなんて、実に痛快。「冒頭が一番、見応えがある」という残念な構成も、007映画ならでは。 いやもちろん、その後も、見どころ色々。プレデターみたいに微妙に姿が見えなくなるアストンマーチン。透明車にボンドが乗ったら、ボンドの姿だけ宙に浮いて見えるのかと思ったが、そうはならない。ってのはどうでもいいんだけど、自動車同士でミサイル戦を繰り広げる不経済な戦い、さらには敵の基地の中まで突っこんで死闘を繰り広げる。この基地、どうやら、いわゆる「かまくら」で出来てるらしく(?)、氷の城を破壊しまくるカーアクション、これまた実に痛快。 宇宙からの光線による攻撃が、イマイチ段取り悪く、言うほど破壊が進んでるように見えないのですが、とにかく38度線付近らしいどこぞが、爆発しまくってる、スケール感があるのか無いのかよくわからんスペクタクル。派手には違いないので、クライマックスを大いに盛り上げます。 ところで、今回のもう一つの売りは、ボンドガールとしてハル・ベリーが登場。ショートヘアの顔立ちがなんとなく、浜美枝を連想してしまったのですが、いや確か「2度死ぬ」では長髪姿のボンドガールだったはず(?)なので、これは妙な連想でした。
[CS・衛星(字幕)] 7点(2023-10-15 15:44:57)(良:1票)
12.  ミッドナイト・ミート・トレイン
かつてクライヴ・バーカーの「ミッドナイト・ミート・トレイン」を読んだ際に、「こりゃ、“やみくろ”だな」と思った―――のか、それとも「世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド」を読んだ時にミッドナイト・ミート・トレインを思い出したのか、読んだ順番が定かでなくなってきているのだけど―――いずれにせよ、どういう訳か私の中ではこの二つのイメージが妙な具合に結びついてしまってます。 では、この映画化作品は、と言うと。 特にそういうことは感じなかったですね。というのもやはり、短編小説を長編映画に膨らませている、というのもあって、一応、そういうアヤしいヤツも登場はするけれど、それよりも、そこに至るまでのサスペンス色が強くって、小説とは印象が異なります。日常から、徐々に謎めいた世界の「真相」へと近づいていく過程。しかしやっぱりそこでは、あの薄暗い「地下鉄」という舞台が実に効果的に効いていて、原作の持ち味、というべきでしょうか。 映画の中では、だいぶ悪趣味な描写も見られますが、これもまたホラー映画らしい味付け。一種のスパイス。そういうスプラッタ描写を散りばめつつ、スピード感あるクライマックスへ。 それなりに一般性には欠けるので誰にでも勧めたくなる映画ではありませんが、個人的には満足度の高い一本です。
[インターネット(字幕)] 8点(2023-10-14 02:16:13)
13.  不死身の保安官
不死身の保安官、というと、いわゆる「マニアック・コップ」ですかね。別名、地獄のマッドコップ。違うか。 何がどう不死身かというと、こういう作品を見てると地球上最強の生物は「イギリス紳士」なんじゃないか、と思えてくる。世界のどこへ行こうが、誰が相手だろうが、我が道を行くのみ。 我らが主人公がポンコツなら、ヒロインは輪をかけてポンコツ。まさに、割れ鍋に綴じ蓋。 と、まあ、ハチャメチャなコメディ調の作品ではあるのですが、内容はというと、町が二つの勢力に二分されていて、そこに主人公がやってくる、という、意外にも『用心棒』の先駆けのような作品でもあります。さらには何と、『タクシードライバー』のトラヴィスもびくりの仕込み銃(?)まで登場。何と言う先見性。先見性はあるけど、ハチャメチャ。 いや、楽しかったです。
[CS・衛星(字幕)] 7点(2023-04-15 12:11:09)(良:1票)
14.  ペンタゴン・ペーパーズ/最高機密文書
昨今、日本では、マスコミならぬ「マスゴミ」なんて言われたりして、ジャーナリズムというものに対してどこか軽く見る風潮があるけれど(単に興味が無いだけかもしれない。興味が無いものを軽んずる悪いクセが出ているだけかもしれない)、ジャーナリズムとマスコミとは、いったん分けて考えた方がいいんでしょうなあ。 この作品見てると、アメリカではまだ、マスコミというものに信頼、期待が持たれているんでしょうか。そしてそういう信頼、期待にちゃんと応えているんでしょうか。羨ましい気もするし、少し面倒臭い気もしてしまう。いかん、めっきりスポイルされてしまっているらしい。 いわば、マスコミと国との対決が描かれていて、正直、たいして大きな事件は起きません。いや、たぶん大事件なんですけど、危機一髪みたいな展開はありません。スピルバーグがなぜ殊更にこの題材を選んだのか? 反・トランプ大統領がキッカケであるように言われているし、実際そうなのかもしれない。しかし、かつて「マスコミ」は国家権力を相対化させてきたとは言え、今やソーシャルメディアの普及により、「マスコミ」自身が相対化されてしまった訳で。権力自身も(そしてその対抗勢力も)ソーシャルメディアを活用し、それはトランプ氏の専売特許でも何でもなく、いまや怪しい情報が錯綜しまくって。今のウクライナ情勢などに至っては、もはや何を信じてよいのかわからない・・・。 この映画の物語は、今となっては一種のお伽噺なのかもしれないけれど、それでも歴史の1ページ。スピルバーグ版の『大統領の陰謀』。派手に煽ることなく、物語は着々と進められていく。そういう作品の中で、メリル・ストリープの派手な演技、ってのは、ちょっと際どいものもあります。際どいんですが、何とか踏みとどまったかな、と。映画は彼女色に染まることなく、我々に歴史を突きつけます。 でもあのラスト近くの、新聞社のシーン。いかにも、「我々はこの印刷機で、戦ってます」といった感じの、秘密基地のような描写。やっぱり何か、ロマンを感じている、いや、感じたい、んでしょうか。
[CS・衛星(字幕)] 7点(2023-01-28 18:51:28)
15.  蜘蛛女(1993) 《ネタバレ》 
グロッキー状態のレナ・オリンが突如息を吹き返してしがみついてくるあたりはまだ、プロレス的な想定範囲内だとしても(ここ、一般にはスモールパッケージホールドかなあ)、それに続けて、後ろ手に手錠のまま車の窓ガラスを突き破ったり、靴を蹴飛ばして走って逃げたりするのを見ると、ああ、こりゃ勝てんわなあ、と。ゲイリー・オールドマンも別の映画ではそれなりにヤバい人の役をやったりしてるけれど、これは別種のヤバさです。 という訳で、ダメダメな男が強くて悪い女性にヒドい目に合わされる映画って、やっぱ、イイですよねえ。いや、羨ましい訳じゃないけど。たぶん。 冒頭の修羅場チラ見せ、一体どうやったらこんな展開になり得るんだ、と思ってたら、ちゃんと問答無用にそういう展開になっていく、映画後半。ダメ男はやはり、こうでなくては。 一応は最後、彼女にトドメを刺す主人公だけど、ホントに彼女は死んだのか、実はココにいる全員がグルで、ドッキリなんじゃないかとすら思えてきちゃいます、、、そんなワケないけど。
[インターネット(字幕)] 7点(2022-07-23 12:10:54)
16.  海底47m 古代マヤの死の迷宮
今回は海底がタンジョンみたいになっていて、そこにモンスターキャラたるサメが右に左に彷徨っているという、なんだかゲームの設定みたいな趣向。 前作とそう大きく方向性を変えてきた訳でもないような気がするのに、どうしてこんなにつまらなくなっちゃったんですかねえ。 前作は、海底というガランとした世界が、意外な閉鎖空間となっていたのですが、今回はそのまんま、狭苦しい迷宮世界。確かに圧迫感はありますけれど、見通しが悪いばかりで、悪い意味でのイライラ感がつのります。 ただただうろつきまわるサメが、コワいというよりは野暮ったい。時々思いだしたように襲ってきては、狭いところに首突っ込んではガブガブと脅しを掛けてくるけど、いや、それ、もう何回おんなじコトやってるの、と。 狡猾さみたいなものが、全く無いですよねえ。無くてもいいのかもしれないけれど、さすがに素朴過ぎるのでは。 これだけでは持たないので、急流に巻き込まれたり、何やかんやと仕掛けはあるのですが、見通しの悪さが最後までアダとなって!盛り上がりに欠けます。 あの、狭いところで足が引っかかって危機一髪、ってシーン、あそこだけはサスペンスとして良かったかな。
[インターネット(字幕)] 5点(2022-06-26 15:30:25)
17.  シューター
安っぽいアクション映画、ではあるのですが、これがなかなかの拾いモノ。こういうのを拾いモノなどと言ってると、「っまた、もう、こんなゴミばかり拾ってきて!」と怒られそう。幼稚園くらいの男の子がよくママに叱られるパターンですね。 主な舞台はチェコのプラハ。きっとロケ費用が安かっただけなんじゃないの、という気もするけど、何とも言えぬ田舎くさい雰囲気があって、作品の特徴になってます。 監督がテッド・コッチェフ、ってのがまず嬉しくなります。いや、何が嬉しいのかと訊かれても答えに窮しますが、「ランボー」「地獄の七人」以外にもちゃんと仕事してるんだなあ、と。しかも今回の主演は人間核弾頭こと、ドルフ・ラングレン。なんと絶妙な組み合わせ。 そのドルフ・ラングレン、アクション映画なので一応はアクションやってますが、とても極真空手の使い手とは思えない、ノッソリとした印象。その巨体に加えて持ち前のイカツイ顔立ち、雰囲気的にはニック・ノルティみたいな、不器用そうな感じ。 そこに少し、ラブ・ロマンスっぽさを絡めてくるのが、不器用さを際立たせて、いいんですねえ。哀愁もあって。 超人的なアクション、という路線ではない代わり、ビルの壁面だとか、屋根の上だとか、高さを利用した活劇を演じているのが、これまた見せ場になってます。
[インターネット(字幕)] 7点(2022-06-19 13:55:43)
18.  ウィッカーマン(1973) 《ネタバレ》 
行方不明の少女を捜すお巡りさんが足を踏み入れた島は、エロ教団に支配されてましたとさ。と言う訳で、ややオカルトじみたサスペンス、というかエロ映画。というか、なぜかこれ、ミュージカル仕立てなんですねえ。一体、何なんでしょうか。 エロと言っても、かなり投げやりなハダカですが。 という、何だか煮え切らない映画、そうはいいつつも何となく迷宮感みたいなものが徐々に出て来た挙げ句、終盤は妙にテンション上がって盛り上がる、というのがますます訳が判らない。うん、ホント、妙に盛り上がるんです。たぶん、投げやりだからでしょう。 炎に包まれた巨大な人形が崩れた向こうに、海に沈みゆく夕日をカメラが捉えるラストシーンなどは、こんなヘンタイ映画にもったいないくらいに素晴らしくもカッコいいではないですか。ちょっと、ヤラレたな、と。
[インターネット(字幕)] 6点(2022-06-12 22:35:34)
19.  赤死病の仮面(1964)
疫病が蔓延する「外部」と享楽に溺れる「内部」とを普通に対比させて、それでもその「内部」に死そのものが忍び込んでくる不気味さとか絶望感とかを普通に描けば、それで充分だったんじゃないの、と、つい思ってしまうのですが、この作品、どうも妙な方向に走っちゃってます。アート系、とまでは言わないまでも、ちょっと勿体ぶった感じで、まどろっこしい。でもそれが、持ち味。 そもそも作りがチープなんだから、その路線に走っても、限界があるよね、と思いつつも、意外にスタジオセットらしき撮影が効果を上げてる瞬間もあったりして(効果を上げてない瞬間も沢山あるけど)、そこそこ、雰囲気だしてます。 とは言え、やっぱり、ヒロイン像が弱くって。映画の印象も弱くなります。
[インターネット(字幕)] 5点(2022-05-21 22:04:16)
20.  キング・ソロモン(1937)
キング・ソロモンの秘宝、ってヤツです。冒険活劇です。 と言いたいところだけど、冒険活劇というよりは探検活劇。いや、たいして活劇でもないですね。アフリカでの秘宝探しの旅。 最初の方はアフリカ感すらも乏しくて、牛の群れを率いて荒野を旅する光景は、西部劇とあまり変わらん印象。さすがに舞台が砂漠になって砂嵐が襲ってきたりすると、一応、アフリカなのかなあ、と。 後半、原住民の部族のイザコサに巻き込まれて、というか、いやむしろそのスキにちゃっかりお宝を頂こう、みたいな話(?)になってきますが、一大闘争の後、息つく暇もなく秘宝探しの話に舞い戻る畳みかけ、などは、冒険活劇らしさと言ってよいのかな、と。
[インターネット(字幕)] 6点(2022-05-21 15:42:53)
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