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かっぱ堰さんの口コミ一覧[この方をお気に入り登録する

プロフィール
コメント数 1246
性別 男性
自己紹介 【名前】「くるきまき」(Kurkimäki)を10年近く使いましたが変な名前だったので捨てました。
【文章】感想文を書いています。できる限り作り手の意図をくみ取ろうとしています。また、わざわざ見るからにはなるべく面白がろうとしています。
【点数】基本的に個人的な好き嫌いで付けています。
5点が標準点で、悪くないが特にいいとも思わない、または可も不可もあって相殺しているもの、素人目にも出来がよくないがいいところのある映画の最高点、嫌悪する映画の最高点と、感情問題としては0だが外見的に角が立たないよう標準点にしたものです。6点以上は好意的、4点以下は否定的です。
また0点は、特に事情があって採点放棄したもの、あるいは憎しみや怒りなどで効用が0以下になっているものです。

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1.  ザ・デッド インディア 《ネタバレ》 
「ゾンビ大陸 アフリカン」(2010)の兄弟監督が撮った続編とのことだが、登場人物の違う独立の話なので無関係に見られる。劇中世界は同じだが時間的には少し後のようで、アフリカで噛まれたインド人が国に帰って感染を広める形になっている。 ロードムービー風なのも前作同様で、今回は主人公がインド北西部のラジャスタン州から南方のムンバイまで500kmくらい移動する。風景は全体的に乾燥気味で、現地の名物的なものとしてスリムなサルが出ていたが、これはオナガザルの一種「ハヌマンラングール」と思われる。最後の砦はどこなのか不明だった。 ゾンビの性質は前作と同じなので、不意をつかれるとか集団に囲まれるのを避ければいいわけだが、それでも毎度エンジンのかかりが悪いなどで無理にスリリングな感じを出している。場所がインドというだけで、単純なゾンビ映画としてあまり特徴的なものはない。  場所柄を生かした趣向としては、インド古来の考え方から輪廻転生と業、因果応報といったものを取り入れたらしい。登場人物の話を聞いてもすっきりわかった気はしなかったが、若干面白かったのはゾンビを転生形態の一つとしていたことで、これは仏教でいえば「六道」にもう一つ「ゾンビ道」を加えるようなものかと思った。ゾンビに魂があるのかないのか不明だったが、前の人間とは別の魂(前世がサルとか)が入り込んでいるということならあるかも知れない。 また生埋めになったのは「共にいられるよう」という意味だと思うが、その元になった物語がそもそも意味不明だったのは困る。少し真面目に探したが、「ジャータカ」の関係で本当に生埋めエピソードがあるのかどうかは確認できなかった。劇中の話の通りであれば3人はいなくなるわけだが、みなでどこかへ転生するのか、あるいは即身仏になったとかいうことか(参考映画「湯殿山麓呪い村」1984)。少年は今回で成仏してしまいそうだったが、主人公は駄目だろうから次回以降に頑張ってもらいたい。 そういうことで、アメリカ人が東洋の輪廻転生の世界に取り込まれてしまった話かと勝手に思った。わけのわからない映画だが基本は好意的なので点数は悪くしない。
[インターネット(字幕)] 6点(2024-03-23 16:12:54)
2.  赤い闇 スターリンの冷たい大地で 《ネタバレ》 
映画のタイトルでRをЯに、NをИにしていたのは、中学時代に同じことをやっていた奴がいたので精神年齢が低く見える。それ以外はまともな映画だった。 邦題は観客の意識を過去の国家犯罪に誘導しようとしているが、英題はジャーナリストである主人公の方を前面に出している。監督インタビューによれば、ジェノサイドだけがテーマならこの仕事は受けなかっただろうが、持ち込まれた脚本に「今の世の中にも通じる要素を大いに感じた」からこそ受けたとのことだった。  少なくとも現代では、一党独裁の全体主義国家は警戒するのが普通と思われる。経済成長を期待して投資の誘いに乗るにしても、ビジネス渡航者がいつ人質にされるかわからないのではリスクが大きすぎないか。人権抑圧だけでなく、国力増強のためには住民の生命を犠牲にまでする政権の機嫌を取るなど恥ずべきことだというのが、政財界はともかく一般庶民の感覚のはずである。 問題はそこに報道機関も加担して、自分らに都合のいい情報だけ流し、都合の悪い事実はなかったことにして一般庶民を欺くことである。報道業界も別に一般庶民に貢献するために存在しているのではないだろうが、それにしてもあからさまに虚偽報道をしておいて誤りを認めないというのでは、ジャーナリズムの崇高な理念など仮にあったとしても飾りでしかないのかと疑うことになる。 ただし報道機関とジャーナリストは同じでもないという考え方はあるかも知れない。本人がジャーナリストを自称しているだけで信用するわけにもいかないが、中には使命感をもって事実を明らかにしようとするジャーナリストもいるだろうとは思うので、ぜひ結果を見せてもらいたいと期待する(生命は大事だが)。  ところで映画は冒頭が「動物農場」から始まっていたが、実際の執筆時期は映画の物語よりもかなり後のようなので、当初は単純な社会主義者だったジョージ・オーウェルが、主人公の示した事実に心を動かされた結果がこの著作につながった、という流れを作ったらしい。主人公は若くして世を去ったが、いわば連携プレーで全体主義の脅威を世界に知らしめたという意味と思われる。 主人公の伝えた事実は、そのままならこの時代またはこの場所限定のこととして捉えられかねないが(邦題のように)、オーウェルの著作は具体的な事実を背景にしながらも、寓話や空想小説の形にしたことで後世にも通用する普遍性を持ち得たと思われる。この映画でもあえてオーウェルを登場させたことで、そのような普遍性を感じ取ってもらいたいとの意図があったのかと思った…そのようなことを監督インタビューでも説明していたので間違いないと思われる。  その他のことに関して、邦題は本当の闇なら色が見えないだろうから変な表現だと思ったが、劇中で実際に夜空が赤く見える場面があったことからの発想かも知れない。またエスニック調で不穏な歌詞の児童合唱は凄味があって効果的だった。 人物としては、ヴァネッサ・カービーという人が目を引いた。また序盤でやたらに目立っていた大使館員?は、「ゆれる人魚」(2015)で魚役(妹)をやっていたミハリーナ・オルシャニスカという人だった(ワルシャワ出身)。目立って当然だ。
[ブルーレイ(字幕)] 7点(2023-02-04 10:23:40)
3.  便座・オブ・ザ・デッド 《ネタバレ》 
日本国内向けの宣伝で、"BENZA OF THE DEAD" と書いてあるのは英題ではなく英語にもなっていないがそれなりに格好がついた題名に見える。本物の英題はニュアンスがよくわからないが、要は主人公が現にいる場所、及び人生の行き詰まりを意味するということかも知れない。または牛馬を入れておく仕切りの意味もあるとすれば、ヘザーという人物が「牝牛」と呼ばれていたこととも符合する。 登場するゾンビは普通のゾンビだが、便所がごった返すほど押し寄せて来る理由は不明である。特徴的だったのはサニタリーボックスの中身を好んでいたことで、個体差もなく全員群がっていたからには今回のゾンビ共通の特性だったらしい。これはレディース用レストルームだからこそ明らかになったことで男便所ならわからなかったはずだ。 またエンドクレジットによると、便所ゾンビの連中にはそれぞれ役柄があったようで、サンタゾンビとかジーザスゾンビは見た通りとして、マーケティングゾンビとか経理ゾンビとか人事ゾンビなどは各々それなりの役柄を演じていたのかどうか(経理っぽいのはいた)。"Bi-curious Zombie" というのはどういう演技をしていたのか探して見た方がいい(見落としたが)。 ほか性的に下品なところは多かったが排泄物は映らない。また映像面では、特に前半はクールな青をベースにして赤がアクセントになる色彩感がよかった。外の廊下は黄色系だったらしい。  ストーリー面では人間ドラマもちゃんとあり、様々な意味で行き詰っていた男が思いがけず励まされて前に踏み出していく物語ができていた。イブの初デートのあと一緒に帰れなかったのは切ないが、25日中には何とか母のもとへ帰りつくのだろうと思った。 コメディとしてそれほど笑うところはなかったが、ネズミ関連の夢オチ2回は嫌いでない。また先月(9/19)葬儀があったばかりなので、女王が便器の中からハローというのは不敬に思われたが、このように国民に親しまれた女王様だったのだろうとは思った(イラストと声が若い)。なおエンドロール最後の免責事項で、登場人物が実在の人物と似ていたとしても偶然だ、としたところで "real persons, living, dead or undead" と書いてあるのはよくある程度の軽いジョークだろうが、存命の人物なら女王も当てはまるかも知れないとして、real undeadというのも該当者がいるのかどうか。
[インターネット(字幕)] 5点(2022-10-15 10:34:17)
4.  蛇女の脅怖 《ネタバレ》 
知っている者にとっては有名な蛇女の映画である。昔の日本では、この映画や前作の「吸血ゾンビ」(1962)が「怪獣ゴルゴ」(1961)などと並ぶ特撮映画の扱いで怪獣図鑑に掲載されていた。自分としてはこの映画の説明を読んで初めて「ボルネオ」という地名を覚えた気がするが、かつてのイギリス植民地とすれば現在はマレーシア領になっている地域のことのようで、劇中の不気味な東洋人も役名がMalayになっていた。  前作に続いてまたコーンウォールの話であり、さすがイギリスの隅の方だけあって何が出るかわからない不気味な地方という印象が出ている。撮影も同じ場所とのことで、酒場とか墓地とか邸宅など見覚えのある風景が出るほか、名前を知っているとか墓を掘り返すとか火事になるとか似たような展開も見える。急造映画のためか前作よりも単調な物語のようだが、ただし原題には雌雄の別がないので、最初は不気味な東洋人が蛇男のように思わせておいて実は意外な正体だった、という意外性はあったかも知れない。 また、自分のせいかも知れないが意味がよくわからない場面もあり、客間で楽器を弾いた場面で父親が激怒した理由は何度見てもわからない。酒場の主人が夫妻の飲物に入れたのが何かも不明だったが、結果的に悪意があってのことではなかったようで、これは睡眠薬でゆっくり寝せようとしたのだと思っておく。なお、いくらヘビでも冷気に当たっただけで死んでしまうというのも何なので、ここでは活動力だけを失って、その後に火事で焼け死んだと解釈しておく。 ほか前作もそうだったが、イギリス社会の「旦那」と庶民の区別が窺われる映画ではあった。  キャストに関しても、巡査→酒場の主人など前作と同じ役者が出ている。個人的には、前作でも印象に残ったジャクリーン・ピアース嬢が最大の見どころで、特に楽器を弾く場面の表情が非常に魅惑的なので惚れてしまった。 また人間以外では、哀れっぽく鳴くネコが助かってよかった(制作側に忘れられたのではないかと思った)。
[DVD(字幕)] 4点(2020-11-21 14:20:20)
5.  吸血ゾンビ 《ネタバレ》 
今のゾンビよりも本来の姿に近いものらしい。原題のplagueは疫病を思わせるがウイルス性ではなく、ちゃんとブードゥーなるものの儀式で一体ずつ作っていく形になっている。邦題の「吸血」は実際にはないが、呪いをかけるのに血液を使うところはあり、また墓から出るのが吸血鬼ドラキュラのイメージではあるかも知れない。 なるほどと思ったのはゾンビの製造に実利的な目的があったらしいことである。安価な労働力と思ったとすれば悪徳資本家というしかないが、しかしあらかじめ持っている人形の数しかゾンビが作れないのでは限界がある。また目をつけた美女を自分のものにするために人形を使っていたらしいのは資源の無駄というか悪趣味というしかない。  物語としては、一応ちゃんと作っているようだが何となく回りくどく、終盤の展開も手が込んでいるようだが若干面倒くさい。しかし今回のヒーロー役らしい老教授の場面では、娘の尻をどけようとするとか皿洗いとか少し笑わせるところもあり、また墓を暴いた場面で警官も一緒になってのビックリ感は少し印象的だった。最後は教授の娘が若い医師の後妻に入りそうな雰囲気もあったので、どさくさ紛れに親友の夫を横取りしてしまう物語のようでもあった。 登場人物としては、次回作の「蛇女の脅怖」(1963)にも出るジャクリーン・ピアース嬢が可憐な感じで心に残る。顔は青くなっても瞳は大きいままで可愛いゾンビだった。  ほか勉強になったのは、イギリスのコーンウォールという地方が錫(Sn)の産地だったということで、2006年には「コーンウォールと西デヴォンの鉱山景観」がユネスコの世界遺産に登録されている。劇中年代としては自動車もなく電気も通じていないようだったので19世紀のうちかと思うが、その頃すでに鉱山の衰退期に入っていたことを採掘場の廃墟が象徴していたようでもあった。 もう一つ余談として、ここに書く必然性はないが毎度思うのは、最初から火葬にする風習がある場所ならこの手のゾンビも吸血鬼も問題化しないだろうということである。キリスト教の神は全能なので、死体があろうがなかろうが復活させてもらえると思っては駄目なのか。
[DVD(字幕)] 5点(2020-11-21 14:20:18)
6.  ビフォア・ザ・レイン 《ネタバレ》 
今でいう北マケドニア共和国の映画である。見えていた湖がオフリド湖とすればアルバニア国境に近い場所ということになる。 劇中で「500年の恨みを晴らす時だ」という台詞があったが、15世紀末に何があったのか部外者にはよくわからない。この辺はかつてイリュリア人(アルバニア人の祖先?)などが住んでいたところ、6~7世紀に北からスラブ人が押し寄せて、さらに東からブルガール人が攻めて来てブルガリアの一部になり、その後14世紀のうちにオスマン帝国に征服されてから19世紀まで大きな動きはなかった感じではないかと思うが(そんな簡単ではない?)、この地方で見れば何か500年前に大事件でもあったものか。 20世紀末に関していえば、マケドニアでは1991年のユーゴスラビアからの離脱はわりと平穏に行われたが、人口の約1/4を占めるアルバニア人の処遇には苦慮したらしい。映画の撮影は1993年とのことで、映像で見えた国連部隊が1992年12月から派遣されていた国連保護軍だとすると、当時の現地情勢と同時進行の映画だったことになる。実際はこの時期にマケドニアで大規模な騒乱はなかったようだが、その後は90年代末のコソボ紛争の影響もあって、2001年にはマケドニアでも紛争が起きたとのことで、現在ではマケドニア人とアルバニア人の連立政権という形で各民族に配慮した国家運営がなされているとのことである。  ところで劇中で印象的だったのは現地の村で、銃器や小物以外に近代を思わせるものがほとんど見えない。村中が知り合い、親戚だらけなのは非常に息苦しく、またカメの火刑とかネコへの執拗な銃撃を見ると、言っては悪いが地域社会の文明度が疑われる。いきなり復讐団ができたのは、紛争のせいというよりこの周辺(どちらかというとアルバニア側?)にあったという“血讐”の風習のせいではないのか。カメラマンの男がロンドンにいると野蛮人のようだが、地元ではジェントルに見えたというのも意図した対比と思われる。 物語としては循環構造だそうで、パート単位で並び順をずらしてあるほか、明らかな矛盾が生じている箇所がある。面倒くさいので厳密に考える気にはならないが、とりあえず人も社会も永遠に同じことを繰り返すのではなく、少しずついい方に向かうものだと一応期待したい。 ちなみにレストランで騒いだ男は、アイルランド人でないとすれば何人だったのか。どうも何かと不快な場面の多い映画だった。
[DVD(字幕)] 5点(2020-08-29 08:25:04)
7.  ガーンジー島の読書会の秘密 《ネタバレ》 
イギリスに属するチャネル諸島のガーンジー島に関わる物語である。第二次大戦ではドイツ軍に占領されたとのことで、ノルマンディーのすぐ近くにも関わらず、連合軍が反攻に転じてからも占領されたままで大変な思いをしたらしい。 原作は読んでいないが映画で見る限り、島の読書会に関わることでなぜか住民が語りたがらない昔の事件があり、主人公がその真相を探っていくミステリー調の展開である。そこにラブストーリーが絡んで来て最後はちゃんとハッピーエンドになる。戦争関連の場面はあるがそれほど過激でもなく、安心して見られる穏やかな映画である。 ユーモラスなところもあり、序盤で出ていた前世と来世の話は、イギリス人もこういう発想をするわけかと笑った。また「あなたの心に住む人」というのも、登場人物の性格付けのためだろうが突拍子もない発言で失笑した。 ちなみにこの島は本来フランス語に近い言葉のはずで、そのことに触れた箇所が若干あったようだが(Bonne nuitに近い言葉)、この点について何らかの考え方なり立場なりがあったのかどうかはわからなかった。  物語の中心になるのは題名のとおり読書会だったらしい。一般論として、一人だけで孤立して考えるのでなく、多くの人々の考えを重ね合わせることで物事の本質が見えて来るということがあるはずで、それが文学なら読書会の場ということになるが、主人公が劇中でやっていたことを見れば、この物語自体が読書会のようなものだったとも取れる。 またラブストーリーに関しては、男連中の顔を見るだけでも結果が予想できる気はするわけだが、本当にその通りになってしまったのは出来すぎである。しかし島の読書会が作家の創造力の源泉になり、ここに住むこと自体が創作活動を支えることになったのならこの結末も正当化されなくはない。実際にフランスの文豪ヴィクトル・ユーゴーがこの島に15年間滞在したことがあるとのことで、それを背景にした物語だったようである。 ちなみに聖書が「愛の書」であるのに、「裁きと悪意」しか読み取らない者がいることを嘆く台詞があったが、これは聖書限定のことではない(映画も)だろうから自戒が必要である。逆にそういうのも自分の考えをまとめるためには反面教師的に役に立つといえなくもない。  登場人物はそれぞれ個性的で、自分としては編集者の男の立場も気になったが、そのほか酒を売っていた女の実像に意外性があって面白かった。一緒の布団で寝たところではもう主人公の親友になっていたようで、養豚業の男とその養女は別にして、主人公が島に住むのを最大級に歓迎したのがこの人物だったのではないか。主演女優はあまり好みの顔ではないが人物像としては悪くなかった。
[DVD(字幕)] 7点(2020-05-09 09:29:01)(良:1票)
8.  アバウト・タイム 愛おしい時間について 《ネタバレ》 
可笑しそうに笑う女性の写真が気になって見た。内容としてはタイムトラベルの話だったが、主人公は「秘密のパワー」を持った家系というだけで、それ以上の説明がなかったのはかなり簡略な設定である。 主人公が何度も過去に戻って都合のいい結末を得ようとしていたのは、個人的に知っている範囲では「時をかける少女」アニメ版(2006)に似ているが、やがて取返しがつかなくなるとか天罰が下るわけでもなく、また本人の努力や試練のようなものもあったにせよ、結局思いどおりにうまくいくのは出来すぎである。結論的にも少し違っていたようで、この映画では若いうちに秘密のパワーを使って充実感のある境遇まで到達してしまい、そのあとの余生の過ごし方を語って終わったようで変な気がする。 ただ、普段の何気ない幸せ感の表現は非常によかったので、ここは監督がインタビューで語っていた映画の目的に貢献している。荒天の新婚パーティは悲惨なようでも、後になれば完全に笑い話というのがよくわかる。また平凡な一日を繰り返してみると、二度目は美女の笑顔が見えた上に、なぜか値段まで違っていたのは反則だった。終盤で幼い娘が何度も手を振るところは少し泣かされた。 自分としては過去など二度と繰り返したくない日ばかりで、今となってはもう墓場が見えている気もするわけだが、せいぜい今後とも前向きなタイムトラベルを心がけていきたいと思わされなくもなかった。悪い映画ではない。 なお自分をこの映画に誘引したヒロインは、劇中でも最高にキュートな女性だった。この点では間違いなく期待通りの映画だった。
[ブルーレイ(字幕)] 6点(2020-05-09 09:28:58)(良:1票)
9.  K-19 《ネタバレ》 
最初に見たのはTV放送で、とにかく放射線障害が悲惨だったことだけ憶えていた。医学的にどうかはわからないがわずか10分でこの状態になり、それでも次々に人員が投入されていくのが恐ろしい。日本でいえば1999年に東海村臨界事故があったので、何かと雑なソビエト連邦の出来事だからとも言い切れなかった。  今回は無料公開の終了間際ということで見たが、上記以外の部分はそれほど感心しなかった。一応は実際にあった事件をもとにしているので、先の見えない展開のようでも自由度は狭まっており、例えば総員退艦して自沈する選択はありえなかったことになる。事故の話だけでは不足と思ったのか、前半では艦長が無理してスリリングな見せ場を作っていたが、その理由の説明には納得できなかったので落胆させられた。終盤で再度300mをやったのは、前にもやったので気分的には怖くないという意味だろうが、物理的には1回が限度で2回は無理ということもあり得たのではないか。 人間ドラマとしても、前艦長が一番いい人かと思っていたら艦長も感化されていい人になって、最後は仲間が一番大事で終わるのは極めて普通というしかない。少し意外な点として、艦長の父親も息子に似て野心家だったが「ツキの落ちる日」が来て収容所に行ったのかと思っていたところ、終盤でその想定をひっくり返す展開になっていたらしいが、それもそれほど印象的なものにはなっていなかった。 最後の集合写真で大感動もできなかったが、もうアメリカでもかつての敵への偏見などはなく、ロシア人の乗員に素直に心を寄せる余裕があったのだなという感慨はあった。ロシア風の背景音楽も耳に残る。  以下些細なことだが、字幕で近くの島の名前が「ヤン・マヤン」だったのは何語か見当がつかず南洋の島かと思ったが、これはノルウェー語でJan Mayen、ロシア語でもЯн-Майенで、カタカナでは「ヤン・マイエン」と書くのが妥当と思われる。こういうところにも気を使ってもらわないと北極海の雰囲気が損なわれるわけだが、そもそもその前の段階でバレンツ海を「ベーリング海域」と訳すようではどこの話かわからなくなる。劇中の地図を見ればいいにしても杜撰な翻訳だ。
[インターネット(字幕)] 5点(2019-10-27 19:28:28)
10.  ターミネーター 《ネタバレ》 
最初に見たのは公開後のTV放送と思われる。1984年の映画なので世紀末にはまだ間があったが、いわゆる「ノストラダムスの大予言」が事実無根ということが証明されていなかったこともあり、少し先取りした終末感を煽るラストが非常に印象的だった。その後の実生活でも、どうも嵐が来そうだとか漠然とした不安があるときに、この映画のテーマ曲が頭の中で鳴っているということはあった。 もう一つ、ラブストーリーの面では「僕は君に会うために時をこえて来た」(I came across time for you)という台詞が女性にとっては胸キュンに違いないとずっと思っていた(自分で使ったことはない)。ただし今回見たBDの字幕では、なぜか素っ気なく「僕は君のために来た」としか書いてないのは心外だった。「時をこえて」と書くからいいのではないか。こんなことを言える男はそうそういるものではない。  今回見て思ったのは、やはりいかにも低予算な映画だということである。基本的にはアクションで見せており、金属製の腱?を動かすと指が動くとか、目玉をほじくり出すとかを見どころと思っていたらしいのはかなりショボい。ただストップモーション撮影の部分は、昔は何とも思わなかったが、いま見てもまあこんなもんだと思わなくはない。 もう一つは(少し前から思っていたが)、現時点でドローンの軍事利用に関わっている連中は絶対この映画が念頭にあるだろうなということである。またAI技術の進展や情報通信ネットワークに関わる世界的企業が存在感を増しているなど、劇中のスカイネットそのままではないにせよ、何か恐ろしい時代が来るのではないかと不安な情勢になっている(便利になるのは結構だ)。
[ブルーレイ(字幕)] 8点(2019-06-22 23:21:08)
11.  エイリアン 《ネタバレ》 
公開当時、“WARNING”ばかりを強調するテレビCMがやたら目について、どういう話か知らないまま映画館で見た。alienという言葉はこの映画以降に日本でもよく知られるようになったと思うが、自分としてはwarningもこの映画で初めて知った。憶えるべき英単語に含まれていなかったのか勉強不足だったのか。 実際見ると導入部がいきなり得体の知れない不安感から始まり、その後にいったんほっとさせてから、また緊張感を高めた上で最後に開放感を生じる構成になっており、これでホラーとは思わなかったがスリリングだったのは間違いない。ただ初見時には、エンディングに入ってからもこれで本当に終わりなのかと不安が残る気分だったが、それは結果的に2に送られた形になったらしい。 当時の感覚として斬新だと思ったのは、まずは国連宇宙軍とか惑星連邦とかではなく民間企業の所有する産業用の宇宙船が出て、化学工場のようなごつい設備がむき出しのまま宇宙を飛んでいたことで、内部に薄汚れたような暗い空間があるのも町工場じみて産業用らしい。また電子機器の稼働に付随する騒音が耳に残るのと、「ロボット」であるのに金属製の部分が見えない(白い液体がおぞましい)ことに素朴な驚きがあった。 そのほか何よりこれ以降、宇宙というのは夢のフロンティアとか希望の大洋とかいうよりも、何が出て来るかわからない怖いところ、というイメージが生じた気がする。侵略宇宙人のようなものなら昔からいたが、こんな得体の知れないのは初めて見た。  今回見て思ったこととして、コンピュータに文章で適当に問いかければそれなりの答えが返るというのが当時は安易な発想に思われたが、2019年の現在ではすでにそういう感じのものが実現しており(それも音声で)、ここは40年間の人類文明の進歩を実感した。 また宇宙船に愛玩動物を乗せていたのは乗員のメンタル対策として有効だろうと思った(ネズミ駆除用という話もあるようだが)。ネコ嫌いの乗員はいなかったのかとか放し飼い状態はさすがに運行に支障があるというような問題はあるが、とりあえずネコが最後まで生き残ったのはこの映画としてのささやかな良心を感じた。 現代と違ってエンドクレジットが延々と続くようなこともなく、ラストシーンの雰囲気を引き継いだ穏やかな音楽のまま終わっていたのはかなり好印象だった。
[ブルーレイ(字幕)] 8点(2019-06-22 23:21:04)(良:1票)
12.  バルト・キングダム 《ネタバレ》 
脚本・監督と場所・主人公など基本的にはラトビアの映画だが、イギリスの資金が入っているからか台詞が全部英語なのは面白くない。 まず邦題はどうでもいいとして、英題のThe Pagan Kingは「異教の王」で、これは当時まだ現在のバルト三国から旧プロイセンにかけての地域がキリスト教化されていなかったことを背景にしている。また原題のNameja gredzensは、日本では「ナメイスの指輪」または「ナメイス・リング」と呼ばれている銀の指輪である。現地の伝統的な装身具で、字幕の説明によれば身につけた人の「誠意と勇気、自由」を示すものとのことである。 映画の主人公は、指輪の名前に入っているナメイス(Namejs、劇中ではナメイ)という13世紀の人物で、年代記などに名前が出ているが伝説的なところもあるらしい。ゼムガレZemgaleの王ということになっているが、そのゼムガレとは現在のラトビア全土を4または5の地方に区分したうちの1つに相当する(ちなみに以前に車で横断したことがあるが降りなかった)。当然それなりの面積と人口があったはずだが、国内向けの映画紹介で「村レベルの小国」と書いてあるのは、制作上の都合でそのようにしか見えなくなっているのをあらかじめ言い訳したと思われる。なおこれ以外にも、国内向けの映画紹介をそのまま信じると馬鹿を見る。  映画の内容は、現地を支配するため侵攻してきたドイツ人の騎士団(十字軍)と、主人公が率いる地元勢力との戦いが主軸になっており、何気なく現在のエストニア(サーレマー島)やリトアニア人(大公トライデニス)も登場している。史実としては、現在のラトビアと隣のエストニアはやがて騎士団に完全に支配されることがわかっているので、この映画も悲劇的な終わり方になると後味が悪いだろうと思っていたら、そこはうまくかわした感じで安心した。 映画紹介に書かれたような戦闘場面もなくはなく、特に最初の集団戦闘は映画「300」(2007米)を1/10くらいに縮小したようで、小さいながら死人の山もできていた。敵の殺し方がけっこう小気味よく、キリスト教自体は否定しないにせよ、当時の十字軍に対する強烈な反感は映像に出ていたように思われる。ほか恐らく現地での撮影だろうが風景が美しいところが多かった。 問題点を書くと、まず外国人にとってはとにかくわかりにくい映画で、とりあえず何を期待してどこまで我慢すればいいのかわからないのもつらいものがある。また最大の難点はスケールが著しく小さく見えることで、主人公の側がそれこそ村レベルな一方、敵の十字軍も船一艘に乗れる程度の兵員しか見えず、この辺は批判的な観客に叩かれる最大の要因になると思われる。ちなみにこれでもラトビア史上2番目に金のかかった映画らしい。  物語としては、戦記物というより前記「ナメイスの指輪」が一般に普及した由来を語る昔話のようなものかと思われる(信憑性は度外視として)。さらにいえば、これをもとにして現代のラトビア人にメッセージを伝えることが主目的にも見える。 劇中では当初、この指輪は権力の象徴として「王」が持つものとされていたが、戦いに際して主人公がこの指輪を全員に配ったことで、君主の権力を皆に分け与えた形になっていた。これにより国は民の力で運営するものだという、いわば現代の国民主権に通じる考え方が表現されており、同じ監督(アイガルス・グラウバ Aigars Grauba)の「バトル・オブ・リガ」(2007)にも通じるものがある。 この監督のラトビア・ナショナリズム映画第二弾といった印象だが、ナショナリズムといっても別に偏狭な思想で凝り固まっているわけでもない。戦いを前にした衆議では、殺されたくなければ戦うしかない、という主張のほかに、貢税を納めれば殺されずに済むだろうとか、子どもらを守って生き延びるのが第一だといったことを、空虚な観念論ではなく当事者の現実的な判断として主張する人々もいて、これが国民主権のあるべき姿を示していたようである。ちなみに男女共同参画っぽいところも出ていた。 そのほか物語中で、主人公に従うべき族長連中が、侵略者の危険性を認識していながら「誰かに戦いを任せて交易を続けたいだけだ」というのは現代にそのまま通じる話のようで、これはかなり手厳しい皮肉に聞こえた。  以上、映画としては絶賛するようなものでもないが、見るべきものもあって結果的には悪くなかった。ただしよほど関心がある人にしか勧められない。
[インターネット(字幕)] 6点(2019-03-23 10:27:25)
13.  ジェーン・ドウの解剖 《ネタバレ》 
大変申し訳ないがホラーとしてはあまり怖いと思わなかった。最初のドッキリには呆れたが、本番になっても型どおりの怖がらせだけでそれほど刺激的でもなく、わざと怖くないように作ったのかという気もした。プロットとしてもよくある話のように思ったが、根本原因だけは少し意表をついていた。アメリカ人なら誰でも知っている事件だろうが邦画ホラーでは出て来ようがない発想である。 この映画の見どころは、何といっても題名の死体である。最初は土中にゆで卵が埋まっていたような印象で、その白い身体を男連中が勝手にいじくり回して滑らかな肌を切り開くというのが痛々しい。最初は単なるsleeping beautyだったが、目を開けてみると思わず惚れてしまいそうな微笑の美女になり、次に口を開けたところは驚いたような顔だったが、解剖が始まってみると悲しげな顔にも見えて、自分の身体にこんなことをされるのは誠に遺憾という表情のようでもある。基本的には被害者顔に見えたのが愛おしく思われたが、最後になると気高くも見える顔になっていたのがまた美しい。一応見終わってからも、また彼女に会いたくなったというのはもう呪われている。 死体以外では「スタンリー」というのがなかなか愛嬌のある奴だったが残念なことだった。
[インターネット(字幕)] 6点(2018-11-09 19:41:44)
14.  血を吸うカメラ 《ネタバレ》 
最初の街娼が2ポンドで、次の卑猥な写真が4ポンド10(シリング)だったのは、生の実物よりも映像化した方が商品価値が上がるという意味に取れなくはない(素材の質や感染症のリスクは関係するだろうが)。またグラビアのモデルが殴られた跡を消してくれと頼んでいたことからしても、序盤では写真(や映画)の特性や効用を表現しようとしていたように見える。 また劇中映画の現場では、コメディがなければと劇中監督が宣言した後、実際にかなり笑わせる出来事が頻発する(さりげなく持つ、主演女優が逃げた、あれは監督だ)。序盤で出ていた映画会社の社長?の言動も含め、何か映画というものを茶化してみせていたかのようでもあるが、そういったことがどのように全体のテーマに関わっていたのかはわからなかった。  最終的に本筋だったのは、幼少時の心の傷が原因で異常な性的嗜好を持ってしまった男の話だったらしい。その話題自体は現在では珍しいともいえないが、しかしこの映画ではヒロインが最後まで主人公に対する好意を失わなかったのがかなり都合のいい設定に思われる(母性本能をくすぐる男だったのか)。またヒロインの母親までが主人公に更生の機会を与え、それで本人も一度はその気になっていたというのは、基本的なところで人の本性が善なることを信頼した映画に見えた。この映画は公開当時、メディアから袋叩きにされて「映画界の恥」とか言われたそうだが、これほど良心的な映画にそう言うのであれば、大衆の欲求通りに俗悪映画を作って恥じない現代の映画業界など廃絶せよと言わなければならなくなる。 ちなみに主人公が熱意をもって取り組んでいた映像作品に関しては、なるほど殺人事件をドキュメンタリーとして撮ったものはなかっただろうとは思ったが、これが今後の新たな可能性を示したものとして捉えることもできない(関係者インタビューでは単純に「スナッフフィルム」と言っていた)。いろいろ思うところはないでもなかったが、結局全貌が見えた気がしないままで終わる映画だった。  ほかキャストに関して、主演のカールハインツ・ベームは有名な指揮者のカール・ベームの実子だそうで、劇中の姿だけではわからなかったが、関係者インタビューで2005年当時の顔を見るとなるほど雰囲気は似ているかとは思った。またヒロイン役の人は美形とは全くいえない容貌だが、なかなか愛嬌のある女優さんで好きになった。
[DVD(字幕)] 5点(2018-09-01 16:26:41)
15.  ホワイトアウト フローズン・リベンジ 《ネタバレ》 
邦題は気分的なカタカナ言葉を長々と連ねているが、原題の”Прячься”というのは隠す/隠れるという意味の動詞の単数命令形のようで、要は「隠せ」とか「隠れろ」の意味かと思われる。 日本向け宣伝では「クローズド・サークル・サスペンス」とされており、非常に真面目な作りで変な見せ場は全くない(オカルト・SF・ファンタジーなし)。人里離れた測候所で消息を絶った5人と、後日、それを捜査に来た捜査官2人を中心に、何が起こったのかを次第に明らかにしていく物語で、時間差のある出来事が並行して進んでいく形になっている。それで特にわかりにくいわけではないが、最初に時間を遡った場面で、画面の左下にロシア語で「二日前」と表示されていたのを字幕で説明していないのは不親切である。 世間的な評判としては悪くないようだが、自分にとっては申し訳ないがそれほど感慨深い話でもなかった。ただし名探偵の相棒を気取っていた若手捜査官が、最初に自ら進んで残留したのが残念な結果になったのだなとは思う。また昔起こった殺人の理由は不明瞭なまま終わったが、こういう国ではそういうことがよくあった(ある?)のだろうなと思わせる台詞は出ていた。  なお舞台の測候所は高地にあり、それほど厳寒期でもなく地表面も見えるので「ホワイトアウト」の状態に至る場面はなかったが、天候によっては全く視界が効かなくなり、また晴れれば遠くの平地まで視界が広がって開放感が生じるといった変化は出していた。序盤のヘリコプターで空からしか来られない場所ということが印象づけられるので、当方としては字幕に出ていた「ウラルから極東まで」のどこかをイメージしていたわけだが、実際の撮影場所はクリミア半島だったらしいのは意外だった。そういうつもりで見れば、遠方の都市部のように見える場所はクリミアの首都シンフェロポリかという気もするが、そのように思ってしまうとかなり興醒めである(シベリアとかだと思いたかった)。 そのほか登場人物に関して、妻役の女優はハンガリー生まれのロシア人で、NHKの「坂の上の雲」にも出演したマリーナ・アレクサンドロワという人だが、この映画では単なる化粧の濃い美女であって特に可愛く見えるところはない。19歳の男を誘惑する30歳の女(女優の年齢は27~28歳くらい)という役どころで、素っ裸になりそうでいてならないのはちゃんと抑制がかかっている。
[DVD(字幕)] 5点(2018-06-10 19:30:00)
16.  オーメン(1976) 《ネタバレ》 
恐らく自分の世代では知らない者のない映画と思われる。6月6日生まれの人ならほとんどダミアン呼ばわりされた経験があるのではないか。 内容に関しては、監督本人も「傑作だ」と言っているのでそうなのだろうが、しかし1976年の時点でどれだけ革新的だったのか、今となってはよくわからないのが残念である。ストーリー展開とか個別の出来事とかに既視感があって驚きがないが、それは他の映画でさんざん流用されたからか、あるいは大昔にこの映画で見たのを何となく憶えていたからか。ちなみに棒が落ちて来るのは最近見た「富江 アンリミテッド」(2011)にもあったので(笑)、いまだにグローバルな影響を及ぼしているとは思われる。 ほか不吉感のあるメインテーマ(Ave Satani)に関しては、曲自体はわざわざ作らなくてもカルミナ・ブラーナのO Fortunaそのままでよかったのではと思ったりしたが、歌詞の方は悪魔の映画ならではの不穏な感じに作ったようである。  一方で、今になってみるとどうも穏健すぎる作りに見えて少々退屈である(首が飛んだのを見ておいて何だが)。悪魔の子があまり邪悪に見えないのは意外だったが、終盤の物理的脅威がイヌと岸田今日子似の乳母だけだったのも盛り上がりに欠ける。 また個人的に不足に思ったのは、善なる神の意思がほとんど感じられないことである。少しくらい救いがあってもいいではないか、という意味もあるが、そもそもアンチキリストというのは正統なキリスト教あってこその対立勢力だろうから、本体に存在感がなくてアンチだけというのも変な気がした。ちなみに吹き曝し感のある丘に建つ教会の門前で悪魔の子が暴れた時に、結果として結婚式に悪影響がなかったらしいのは幸いだった(外の男がドアを閉めたところで安心した)。ここは神の恩寵があったのか、制作側のささやかな良心ということか。 なお余談だが、メギド(ハルマゲドン)というのはエルサレムの南ではなく北にあるのではないか?? 確かに直線距離で90キロ(60 miles)くらいのようだが。
[ブルーレイ(字幕)] 6点(2017-12-21 23:59:30)
17.  アイアン・メイデン 血の伯爵夫人バートリ 《ネタバレ》 
冒頭でEurimages(ユーリマージュ、「欧州評議会」の文化支援基金)とスロバキア共和国文化省・チェコ共和国文化省の名前がクレジットされる。物語の主な舞台であるチェイテ城は現在のスロバキアにあるので、スロバキアにとってはご当地映画的な扱いなのかも知れないが、主人公を含めた登場人物の多くはハンガリー人であるから郷土の偉人のような位置づけではないと思われる。チェコは何の義理があったのかわからない。 主人公のバートリ・エルジェーベト(1560~1614)は題名のとおり「血の伯爵夫人」と呼ばれており、今日では残虐な常習的殺人者として知られている。しかしこの映画はその固定観念をひっくり返すことを目的としていたようで、これまで主人公の悪業とされてきたことを取り上げて、誤解だとか曲解だとかそれなりの事情があったとかいう形で丁寧に言い訳している印象だった。まあ高位の貴族なので臣下や領民の全員を人道的に扱っていたわけでもないだろうが、少なくとも大量殺人をする人物ではないものとして表現されている。 物語としては、残虐行為抜きだと普通にヨーロッパ貴族の没落の話になるのでそれほどの面白味はなく、また時間が長い割にダイジェスト感があったりもして娯楽性が弱い気がする。加えて珍妙な発明をする人物がいたりするのは意味不明で、必然性のないものを無理に入れ込んだようで目障りだった。しかし個人的には最初のところで本物のチェイテ城を映した後に、時代を遡って過去の全体像が復元されていく映像を出していたのは好きだ。こういうのを見ると観光誘客の効果はあるかも知れないとは思う。また死体が運ばれて行った後に黒ネコがニャンと言いながら全速力で道を横切った、というような芸の細かさはある。  ところでこの主人公は流血を伴う残虐行為で知られたせいで、後世の吸血鬼カーミラ(1872年の小説「カーミラ」より)のモデルということになっている。主人公に痣があったのは史実というよりカーミラのほくろに似せたものと思われる。 同様に近代の吸血鬼イメージの元になったとされる人物としては、現在のルーマニアにいたワラキア公ヴラド3世(1431~1476)が吸血鬼ドラキュラ(1897年の小説「ドラキュラ」より)のモデルとして知られている。この人物も残虐行為が多かったとされており、実際に串刺し刑を多用したからこそ「串刺し公」と呼ばれたわけだが、それにしても対立勢力によるネガティブキャンペーンのせいで、殊更に極悪なイメージが後世に伝えられたという説もある。現在のルーマニアでは、オスマン帝国の侵攻に果敢に抵抗した英雄として肯定的評価がなされるようになっていると思うが、これに倣って?この映画でも、悪名高い「血の伯爵夫人」の名誉回復を試みる意図があったのかも知れない。 ただ残虐行為がなかったことにしてしまうと単に陰謀で破滅した未亡人ということになり、この人物に注目する理由自体がなくなってしまう気がするわけだが、しかしそういうこととは別に、事実を尊重する気のない集団が悪意をもって情報操作した場合に、それが歴史として定着してしまうことの恐ろしさを訴えたとすれば、日本人にとっても現代的な意義のある映画といえる。
[DVD(字幕)] 5点(2017-12-14 22:58:13)
18.  バンパイア・ラヴァーズ 《ネタバレ》 
題名の印象は全く違うが、1872年にアイルランド人作家が英語で書いた小説「カーミラ」(吸血鬼カーミラ)の映画化である。最初に出た古城の映像(絵)がいかにも安手で、続いて男が殺されたあたりで型どおりの定番ホラーかと落胆したが、その後は意外に原作に忠実にできている。舞台は一応原作通りオーストリアのスティリア(シュタイアーマルク)に設定されており、年代としては最初の古城が18世紀末、続く本体エピソードが19世紀前半ということになる。 全体構成としては、原作では登場人物の体験談だったものを映画では独立のエピソードとして起こし、時系列順に並べて見どころを作りながら盛り上げていく形になっている。終盤では、関係者が揃って古城に乗り込んでいくところでもう大丈夫、という安心感を生じさせず、屋敷での出来事を別に作って並行させることでスリリングな印象を出していた。ほかオッパイとか全裸の映像が無造作に出るがそれほど刺激的でもなく、かえってあっけらかんとした感じに見える。ちなみに男を誘惑するのは「カーミラ」の映画化としては反則と思われる。 なおカーミラ(カルミーラ)役の女優は右目の下にほくろがあるようだが、これをこの映画では原作に沿った形で生かす気がなかったらしい。古城にあった絵にもこれを描けばいいだけのことだが、なぜかしていないのはかえって意味不明である。  ところで登場人物に関して、劇中の「エマ」は原作の「ローラ」に相当する人物だろうが、原作では清楚なお嬢さんのイメージだったのに対し、映画ではそうでないとまでは言わないが若干のお転婆感が出ており(目玉も目立ちすぎ)、吸血鬼としてはその辺に惹かれたのだろうが自分としては必ずしも同調できなかった。原作では村娘の葬列が来た際、この人も一緒に歌うことで心優しい人物との印象を出していたが、映画では省略されていたようで残念だった。  題名のとおり映画では女子2人の恋愛感情をはっきり出す形になっているが、ラストでそれがどう表現されたのか自分としてはわからなかった。日本人的にはいわゆる成仏して終わったように受け取れるが、もう1人に継承されたというならちょっと洒落にならない結末であるからそういう解釈はなしにしてもらいたい。
[DVD(字幕)] 5点(2017-12-14 22:58:10)
19.  ビッグゲーム 大統領と少年ハンター 《ネタバレ》 
いきなり最初からフィンランドにこんな険しい山があるわけないと思ったら、実際の撮影地はドイツのバイエルンだそうで、このあたりでこれはもうファンタジーなのでリアリティなど問題にすべきでないという気にさせられる。 アメリカ人役で出ているのは実際にアメリカで活動している俳優らしいが、原案・脚本・監督はフィンランド人であり、この映画もあくまでフィンランド映画である。その割にはハリウッド風の(大作風の)アクション映画のように見えるが、これは今回の趣向がそうだったというだけで、実際はフィンランド映画であるからハリウッド映画と直接比較するようなものではない。ただしフィンランド映画にしては金がかかっているのではないかと思われる(英独も製作に関わっている)。 物語に関しては、基本的には異質のようでも共通点のある2人が協力して困難を切り抜けたことでともに成長する話に見えるかも知れないが、題名に基づいて解釈すれば、テロリストと少年が狩りの獲物を奪い合う映画と思うのが正しいことになる。最後は少年が勝ったことでアメリカ大統領がクマとかシカ並みの扱いにされていたわけで、あくまで主人公はフィンランドの少年である。 またアメリカ大統領をめぐる陰謀の映画のようでもあるが、それが最終的にどうなったのかよくわからず、問題を残したままで終わってしまった印象もある。しかしあくまで主人公はフィンランドの少年であるからワシントンでこれから何が起こるかはもう関係なく、少年側がめでたい状態で終わればハッピーエンドである。 そういうことで、あくまでフィンランド側に視点を置いて見れば素直に良さが感じられると思われる。要は天下のアメリカ大統領をネタに使ってフィンランド人が盛り上がる痛快映画だが、単純に可笑しい場面もあって万人が楽しめる映画になっている。  ちなみに自分はフィンランド語は話せないが聞いているのが好きなので、劇中でフィンランド人が朗々と語る場面は聞き惚れてしまう。古老の言葉を後で少年が再現する場面があったが(“Metsä on ankara tuomari…”)、ここはこの少年が格好よすぎて少し感動した。
[DVD(字幕)] 6点(2016-12-17 10:51:24)
20.  火星人地球大襲撃 《ネタバレ》 
「原子人間」(1955)、「宇宙からの侵略生物」(1957)に続く、いわゆる“クォーターマス・シリーズ”の劇場版第3作である。前回から間が空いてしまったために今回はブライアン・ドンレヴィ氏が出ておらず、そのせいもあってかクエイタマス(クウェイタマス)教授がわりと普通の人のように見える。しかし原作・脚本は同じ人物であり、このシリーズらしい硬派でミステリー風の雰囲気は出ているものと思われる。  今回は邦題のとおり火星人の侵略を扱っているが、500万年前という設定のためそれほど荒唐無稽な印象はない。地質年代の過去を語る一方で歴史時代の記録も紐解く形にし、単なる大風呂敷でない堅実なスケール感を出している。人類の起源に関する説明の部分は普通にSF風だが、科学者は超常現象を信じないという割に透視力・念力・悪魔・ポルターガイスト・神話・呪術・魔女まで科学の領域に取り込もうとしていたのが貪欲な感じで、こういうところが主人公らしさということかも知れない。 しかし火星人の意図が何だったのかは正直よくわからなかった。自分らの品種改良の手法(優生学を背景にした民族浄化?)を地球生物にも適用して都合のいい種族を作ろうとしていたのかも知れないが、それが火星人にとってどういう役に立つのかがわからない。教授も人間なので徐々に考えを深めていく過程だったのだろうが、結局最後まで説明不足に終わっていた気もする。 また特殊撮影は明らかに貧弱だが、終盤で光る像が窓から見えているあたりは逃げ場がない感じで少し怖かった。ラストは物悲しい音楽が余韻を残す終幕だったが、これはもしかすると生涯の盟友になるかも知れなかった理解者を失った悲しみということかも知れない。全体としては力の入ったTVドラマという程度にも見えるが、こういう実直な作りのものは嫌いでない。  ちなみに問題のホッブズ通りというのが一体どの時代まで遡れるのかと思いながら見ていたが(東京なら江戸時代よりも前に遡れない)、1763年はともかく1341年の段階でも「ホッブズ通り」という言葉が出ており、その時代からすでに都市街路として存在していたことになっていた。ローマ時代の伝承も残っていたようで、最初からローマ都市ロンディニウムの城壁内だったのかも知れない。教授によれば「あの一帯は沼だった」とのことだが、そもそもロンディニウムという都市名自体が沼地に由来しているとのことである。
[DVD(字幕)] 6点(2016-09-17 19:59:42)
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