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R&Aさんの口コミ一覧[この方をお気に入り登録する

プロフィール
コメント数 2162
性別 男性
年齢 57歳
自己紹介 実は自分のPC無いので仕事先でこっそりレビューしてます

評価:8点以上は特別な映画で
全て10点付けてもいいくらい
映画を観て損をしたと思ったことはないので
酷評しているものもそれなりに楽しんで観たものです


  *****

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221.  昼顔(1967)
まず夢がなんともエロチックなわけですがこれをどう捉えるかによって解釈が変わってきます。セヴリーヌの潜在的性願望と捉えるのが自然なのでしょうが、はたしてそうだろうか。セヴリーヌは少女時代のトラウマによって不感症となっています。そして夫を愛しています。夢は夫のために不感症を克服したいと願っているセヴリーヌの葛藤の表われではないでしょうか。そう考えるとですねぇ、夢以外のシーンは全て妄想で、不感症克服へのステップとして娼婦としてのわかりやすいステップアップが描かれ、色々な性癖を持った客たちが彼女を治療してゆく、、というのはどうでしょうか。さらに不感症という夫に対する負い目と同じく夫にも妻の介護なしでは生きられないという負い目を背負わせ、最後にはそれまで隠していたことを暴露し、二人に幸せが訪れるという彼女の妄想。全部が妄想と考えれば一番わかりやすくて楽なんですがそんな簡単、、じゃないですよねぇ。見れば見るほど引き込まれる作品です。
[DVD(字幕)] 7点(2005-04-26 17:10:04)
222.  アンダルシアの犬
映画生誕100周年を記念して作られた『百一夜』という映画の中で何度かこの『アンダルシアの犬』の例の“目”のシーンが映し出されていました。私がこの作品を長らく避けていたのはこの例のシーンがあったから。覚悟を決めて見てみた。おそらく例のシーンは中盤以降に出てくるだろうと勝手に思い込みながら。で、衝撃シーン。「いきなりかよ~」と泣きそうになりながらつっこんだ記憶がある。ダリとブニュエルの夢ですか。ということは作り手の深層心理を読み解く楽しみもあるわけですね。まぁ私にはムリですが。でも STING大好きさん のおっしゃるように映画にしかできないことを追求したこの作品の前衛性は高く評価されるべきかと。そしてその試みこそが映画作りにおいて最も大切なことなのではないかと今更ながら思いました。成功失敗に関わらずこういう試みがないと映画は滅びます。というのは言いすぎにしても発展はないでしょう。 <追記・18.5.8>  「シュルレアリスム映画の展開 」と題したプログラムで『黄金時代』(これまた凄い!)とともに上映されていたのを観ました。いや、何度見たってわかるわけないんですが、初見の衝撃とは違って、なんとなく納得して見終えてしまった。夢と夢が強引に繋がれて最後は良かった良かったというオチとして消化できてしまった。うーむ、、きっと日本語字幕がなかったせいで知らず知らず自分なりに画にストーリーをつけてたんだろうか?、、うーむ、、。納得して見終えてしまったことに納得がいかないという奇妙な体験をしてしまった。
[映画館(字幕)] 7点(2005-04-25 12:35:53)(笑:1票)
223.  ミナ
同じ日に同じ病院で産まれたミナとエテル。その病院を映し出す前に手前の土のミミズのアップから入るところでこの映画は面白そうだと思った。病院の奥の扉には眼科と書かれてありその扉を開けると10歳くらいに成長したビン底メガネのミナが視力検査をしている。二人の家庭環境や容姿に対する劣等感を描きながらこの時代に二人は出会う。すると空で天使のおじさんが出会うのが早すぎるとか言ってる。ベンチに座る二人に友情が芽生えカメラはぐるっと一周。回りきるとそのベンチには年頃と呼ばれる年齢に達した二人がいる。実に楽しいお遊び満載の映画。一方が楽しそうに恋の話をすると笑顔で聞いている一方の不満そうな心の声が流される。私は女じゃないけどこれが女同志の会話ってものなのかもと妙に納得したりもする。五月革命後、女性はどんどん社会に出てゆく。女性に閉鎖的だった時代を生きた親と昔ながらのユダヤの戒律に片足を捕まれながらも自分らしさを主張できる時代(いわゆる時代の谷間)に生きた二人の女の物語。そして、ミナとエテルという性格の違う二人の女を通して時代の流れを描き出した作品とも言える。良かったです。
[ビデオ(字幕)] 7点(2005-04-22 11:37:01)
224.  ミミ
病んだ世界で病んだ人間を描いたギャスパー・ノエの作品のほうがショッキングではあるが、子供が病んだ世界に侵されるこちらのほうが怖いものがある。無表情と閉塞感という子供と対極にある世界を作り上げ、そこに子供を放り込み観察しているような、こちらまで病んでゆきそうな作品です。配色が寓話的に感じさせていて見ている者としては救いである。同時に独特な世界観を作り上げることに成功している。
[ビデオ(字幕)] 7点(2005-04-21 13:44:13)
225.  テス
貧しい農村の中でひときわ輝く清楚な美少女の中に、苺を食べるシーンや口笛の練習のシーンで強調された唇の描写で女を映し出してゆく。はるか昔のことを「異教の時代」と言うこの作品はキリスト教世界に被われている。そしてその世界が一人の女を悲劇へと導く。牧師の要らぬ一言が悲劇の発端となり、私生児には洗礼を受けることが許されないだとか秘密を持った結婚は許されないだとかという戒律に、またその戒律に従う信仰心に翻弄されて悲劇の道を転がり落ちてゆく。エンジェルがテスの告白を受け入れることができなかったのは、単なる嫉妬心以上にキリスト教世界の中で生きているという大前提があったからではなかろうか。宗教でもなく合理主義でもなく愛を選んだテスが行きつくところがストーンヘンジという異教の遺跡というのが皮肉である。太陽を神と崇める石の遺跡の前で太陽が昇る前に連行されてゆくというのも二重の皮肉だ。幸薄いヒロインを演じたナスターシャ・キンスキーの純朴な中にも意志の強さを漂わせる瞳が印象的。
[ビデオ(字幕)] 7点(2005-04-20 16:35:44)(良:2票)
226.  山猫
3時間6分の完全復元版を見ました。前半はシチリアの美しい情景を、後半は社交界の豪華絢爛な美をバックに、貴族出身のヴィスコンティ自身が投影されているだろうサリーナ公爵を通して、貴族の衰退と自らの老いをリンクさせながら描いてゆく。繁栄すればその後には衰退がある、生きていれば老いてゆく、というヴィスコンティの哲学とも言えるテーマの中で、平民の血をいれるという変革を決断し自由奔放な若きタンクレディに跡を任せるという潔さがまさに滅びの美学。しかしそこには葛藤がある。葛藤を隠して踊る堂々としたワルツの美しいこと。葛藤とは無縁のような性格のタンクレディが新しい時代に相応しいというのもどこか皮肉であるが、情勢によって立場をころっと変えてしまうタンクレディは誰からも好かれる好青年であり、その印象の良さはことさら強調される。若さと老いの対比である。 後半の舞踏会では、本物の貴族の家を使い、食器から装飾品までもがシチリア貴族のものを提供されたものらしい。そこまで拘ってはたして映像で伝わるのかどうかはわかりませんが、風前の灯火のごとく光輝く美がたしかにありました。この「美」の部分だけでも見る価値あり。
[映画館(字幕)] 8点(2005-04-08 19:39:42)(良:1票)
227.  ブラウン・バニー
作品のほとんどを、何もしゃべらずバイクを積んだ車に乗って移動する主人公と風景が占める。その情景のなんと生気の無いことか。ラストの数分の映像でその原因がわかるのですが、、、ドヨ~ンときましたね。さすがに。以下微妙にネタバレになりますが、何にドヨ~ンときたかと言いますと、もちろん何があったかを映し出した最後の映像もありますが、それ以上にきたのが主人公のあまりにも悲しいその心情です。現場を目撃しておきながら助けなかったことの後悔とその呪縛から逃れるために責任を女に転嫁せざるおえない男の弱さ。妄想の中で必至に自分本意にでもケリをつけようとするけど、悲しさだけしか残らない事実。ドヨ~ンとしたまましばらく動けませんでした。それまでに淡々と見せてきた悲しさであふれた情景の意味がここにあったわけですか。問題の性描写ですが否定される方の意見はもっともだと思います。そうゆうことがされているであろうと思わせる演出というものがあってこその映画だと思う。でもその問題のシーンが悲しい妄想であることで私の中ではうまく消化できました。さらには妄想がより決定的に悲しいものへとなる重要なシーンのような気もしました。フェリーニが『甘い生活』で男が女にまたがるシーンで非難されたように、最初は拒否されるものなのでしょうが。
[DVD(字幕)] 7点(2005-03-31 17:59:17)
228.  ボッカチオ'70
「デカメロン」で有名な14世紀の作家ジョヴァンニ・ボッカチオがもし現代を背景にしたものを描いたら・・という発想から作られた4編のオムニバス。この企画に集まった面々が凄い。観る前から7点以上は確定!(笑)    ■「レンツォとルチアーナ」 マリオ・モリチェッリという監督のことはよく知りませんが好印象を持ちました。仕事場の人、人、人。休みの日のプールも人、人、人。家に帰ってもお出かけしても二人っきりになれない若いカップルは理由あって会社に内緒の新婚さん。現代社会の縮図をカップルの働く会社に見立てて二人の奮闘を描く。ヒロイン、マリサ・ソリナスが小さくてめちゃ可愛い。 ■「アントニオ博士の誘惑」 出だしからフェリーニ色炸裂。幻想的な色使いとコミカルな音楽がフェリーニの世界に誘う。でっかいアニタ・エクバーグが『甘い生活』を道徳的に許せない描写と批判した人たちを挑発するかのように男の欲望を炙り出す。 ■「仕事中」 ヴィスコンティは『山猫』の前に没落貴族を描く。旦那の浮気に妻は怒らない。そして何もかも捨てて仕事をするとさらりと言い出す。しかし一人になったときに見せる一粒の涙が一切の説明もなしにすべてを語る。金と物に溺れる貴族社会に嫁いできた妻は自らの没落を察知している。ロミー・シュナイダーが美しい。 ■「くじ引き」 デ・シーカはイタリアの持つ陽気さの中に女の苦難をさらっと描く。ラストで見せる男たちの陽気で滑稽な様を大団円で見せる。強い女、ソフィア・ローレンが女を魅せる。  総評、女の可愛さ、女の強さ、女の妖艶さ、女の弱さ、とくとご覧あれ!
9点(2005-03-11 12:44:32)
229.  ベトナムから遠く離れて
ベトナム戦争最中にフランスの映画監督6人によって作られた11章からなる反ベトナム戦争、そして反米を訴えたドキュメンタリー。 ■「プロローグ」米軍の戦闘機の映像とハノイ市民の自衛に備える様を見せて、弱者を叩こうとするアメリカという構図をまず示す。 ■「ハノイ爆撃」ドキュメンタリーの巨匠ヨリス・イヴェンスによる映像はあきらかな反米ドキュメント。 ■「パレイド」でハノイに爆撃を!と叫ぶアメリカ人を映し ■「泣きべそをかくジョンソン」で被爆に屈しない市民を映し出す。 ■「クロード・リダー」 戦争の当事者ではないことを踏まえたクールな視点で戦争、そして偽善やエゴのもとになされる反戦を語る。 ■「フラッシュ・バック」 ベトナム戦争のことの起こりの説明。 ■「カメラ・アイ」 ゴダールの『中国女』やイヴェンスの映像をモンタージュしながら前々章の「クロード・リダー」同様に第三者的視点でベトナムとアメリカを語る。ゴダールは“表現の帝国主義に対する闘争”として映画を撮りつづけることを宣言。この人はなんでも映画に結び付けちゃう。 ■「ビクター・チャーリー」 ベトコンと三週間いっしょに暮らした報道記者の語り。徐々にベトナムの内部にせまっていきます。 ■「我々はなぜ戦うのか」 アメリカの正当性を訴える指揮官の叫びは自国内の反戦の高まりを表す。 ■「フィデル・カストロ」 ■「アンとユエン」 戦場のカストロ、そしてペンタゴン前で抗議の焼身自殺をしたアメリカ人の妻が語る。 ■「めまい」迫力のデモ。 そして ■「エピローグ」。プロローグで流したミサイル運搬の映像がエピローグでも流れるが、11章を見た後ではとてつもなく恐ろしいものに見えてくる。  総評、反米一色の偏った見方の映像集だが、当時のフランスのベトナム戦争感とその記録映像集としてだけでも価値のある1本。加えて、クリス・マルケルの総編集によって見事に1本の映画になっている。
7点(2005-03-07 16:59:58)
230.  オール・アバウト・マイ・マザー 《ネタバレ》 
息子の事故のシーンはまるまま、カサヴェテスの『オープニング・ナイト』。テレビに映し出されるのは『イヴの総て』。どちらも女優を演じた女の話。そして今作品の主人公も冒頭では臓器移植コーディネーターとして息子を亡くした母の役を演じ、中盤では代役として舞台に上がり、最後には託された赤子の母親役として生きてゆく。テーマは女=女優。上記の二つの作品の女優の名前がラストに流れる。ジーナ・ローランズとベティ・デイビス。そしてもうひとり、息子を事故で亡くしたロミー・シュナイダー。もうひとつのテーマは女=母。 この作品は、息子の死、女になった元夫、エイズ、ドラッグ、痴呆症、妊娠出産というおよそあり得ないほどのドラマをしょい込ませ、それでも強く生きてゆく女を「女優」と「母」に関連づけて描いていきます。女がなぜ強いのか、それは女優であり母であるから。男は女になっても子供を産めないのである。すべての女性は女優であり母であると謳いあげている。 同じく女優と母を描いた『ハイヒール』、他人がどこかで繋がって自分の人生の中に入ってゆく『ライブ・フレッシュ』。アルモドバルがこれまでに描いてきたものの集大成として『オール・アバウト・マイ・マザー』がある。と思う。
8点(2005-03-03 18:07:39)(良:2票)
231.  ライブ・フレッシュ
私は後年の『オール・アバウト・マイ・マザー』に匹敵する傑作の臭いを感じました。登場人物たちの人生がドラマチックに絡み合っていく展開の妙!フランコ政権下のクリスマスの夜に始まり、さまざまな偶然が必然へと変わるニ十数年後のクリスマスの夜で幕を閉じるまで、たっぷりと人生模様を堪能しました。これまでのアルモドバル作品ではサスペンスの部分が浮いていたように感じましたが、今作品は人生劇にサスペンスが見事に融合しています。登場人物それぞれの人生の曲がり角に、ある事件が微妙に絡まる。冒頭の出産シーンにリンクさせたエンディングも偶然が必然へと変わる人生劇を象徴していて面白い。
8点(2005-03-02 12:21:25)
232.  過去のない男
記憶を無くしたら普通どうします?たぶん自分が誰なのか、どこから来たのかを知りたいと思う。経験無いのでわかりませんが。人間って過去の積み重ねで生きてるところがあると思うんですが、そうするとどうしたって過去を探そうとするはずです。でもこの映画の主人公は過去の自分を探そうとはしません。過去が無いことをこんな風に前向きに描けるなんて、普段ポジティブシンキングな私でも目から鱗です。人生は前にしか進まない。当たり前だ。でも、前を見てる?前にしか進まないなら前を見ようよってことを教えてくれるカウリスマキの人生賛歌。
6点(2005-02-25 12:35:07)
233.  サクリファイス
のっけから長~いワンシーンの連続で長~いセリフが続きます。しかしこの長~いセリフの一言一言が後々の伏線となっていきます。この作品もまた「信仰」が、ベースのテーマとなっていると思われます。人間の行ってきた過ちを独白するアレキサンデル。しかし人間であるかぎり過ちは止められない。独白中に幼い息子がアレキサンデルを驚かそうと後ろから飛びつく。とっさに振り払い息子に怪我をさせてしまう。また、母との思い出を告白するところでは、母を喜ばそうとして庭の模様替えをしたが元の美しさを壊してしまったと悔いる。人間が存在するかぎり暴力と自然破壊が続いてゆくことを暗示しており、自分もその憐れな人間の一員であることを認めてゆく。そしてイコン画を美しいと眺める姿も無神論者であるアレキサンデルが奇跡を求めるに変貌してゆく伏線となる。未来のため、そして未来を生きる息子のために自らが犠牲となり奇跡を願う。家を燃やすシーンでは、この作品を作る前に決意したというタルコフスキー監督の亡命を連想し、感慨深かった。
8点(2005-02-10 12:38:58)(良:2票)
234.  溝の中の月
よ、よーわからん..。ジェラ-ルの弟もロレッタの兄も結局だれかれかまわず疑惑の目を向けるジェラ-ルの内情を見せるためだけに登場し、ジェラ-ルの妹をレイプした犯人を探し続ける行為も廃墟から抜け出せない自分を正当化するためのものでしかない。そして廃墟から抜け出したい願望がロレッタとの恋愛感情に化け、踏ん切りよく抜け出したはいいものの、やっぱり廃墟がお似合いさ。って話?(かなり独善的解釈かも。)まあ、内容よりもベネックスによって作り出された異世界を楽しむ、そんな映画でしょうか。
5点(2005-01-25 11:41:10)
235.  太陽はひとりぼっち
自身も10年連れ添った妻に突然別れを告げられたという過去を持つアントニオーニの「愛の不毛三部作」の三作目。前作『夜』では愛の喪失の理由が語られるが、この作品では「わからない..」を繰り返す。こちらのほうがより現代的で「愛の不毛」の名に相応しい。 株価暴落で損をした顧客たちが怒る。損をするというリスクは最初からあったのに損をしてはじめて現実を見る。突然やってくるこの現象は冒頭の突然の別れと似ているように感じた。愛したいが愛に意味を求める、あるいは本当に愛したいのかさえ分からない、そんな女が作りだす乾いた関係が建設途中の高層住宅の殺伐とした風景にオーバーラップして描かれる。背景のひとつひとつが心情をあらわしており、どうしようもない不条理感で溢れている。私見ですが、背景になんらかの意味を持たせる作家は数多くいれど、アントニオーニほど徹底している人もアントニオーニほど的確な人もおそらくいない。
8点(2005-01-19 12:25:50)(良:1票)
236.  太陽に灼かれて 《ネタバレ》 
コトフ大佐と娘のふれあいが本物の親子のようで...って本物の親子だったんですね。それを聞いてちょっとほっとしました。あまりに自然で、あまりに”お父さん、だーい好き!”がひしひしと伝わってきて、これが演技だったらかえってこわいものがありますから。そんな本物の愛に満ちた前半部はまさに”幸せ”を映像化したような美しく楽しいシーンに溢れている。映画の冒頭では、ある男が1本の電話のあとに自殺を試みるが失敗。そしてその男がこの幸せな世界にやってくる。少しずつ、本当に少しずつ物語が動いてゆく。どこへ向かって動いてゆくのかは解からない。解かるのは最後。解かったときに、それまでの幸せな世界に時々顔を見せる時代の闇の象徴が蘇る。唐突なようでいて伏線はいたるところにあった。物語の動かし方がうまい!そしてある時代がもたらした不条理が痛切に描き出されている。(ネタバレが無いように書いたつもりでしたがじゅうぶんネタバレしてますね。)
7点(2005-01-18 10:37:59)(良:1票)
237.  太陽がいっぱい
ヌーベルバーグ代頭の時代、過去の人となりつつあった巨匠ルネ・クレマンがヌーベルバーグを代表するカメラマン、アンリ・ドカエを起用し、またアイドル、アラン・ドロンを影のある主人公に配し、見事一発逆転に成功した作品。振り返ると成功するべくして成功した映画と言える。なかでもニーノ・ロータのテーマ曲の存在は大きく、ラストで流れるこの名曲は美しい海、眩しい太陽、そして完全犯罪との切ない対比として作品の全てを代弁しているとさえ感じる。ニーノ・ロータ本人は単調なこの曲のヒットを快く思わなかったそうであるが、この作品には無くてはならないものであることは間違いない。
7点(2005-01-17 12:22:03)
238.  白いカラス
口紅だけが目立つへたくそな素人メイクを装うがちゃんと綺麗に見えるようになされたであろうプロのメイク、そしてカメラを常に意識したキッドマンの顔の角度がいかにもハリウッドメジャーな映画。演技がちゃんとできるのに勿体無い。重い題材をハリウッド流に軽く扱うならかまわない。しかし重い題材を重く描いているのにフォーニア・ファーリーという人物が時々ニコール・キッドマンになっているのはどうしても気になる。監督も監督だ。カラスに語るふりをして観客に説明するなんてもってのほか。ベントン監督が製作側に屈したのか、それともハリウッドメジャー色に染まってしまったのか、、、。書籍で読むと非常に面白そうな内容なだけに本当に勿体無い。
4点(2005-01-12 11:50:56)
239.  桜桃の味
たしかに眠気を誘うほどに静かで淡々とした映画ですが、私は眠たくならなかった。それどころか最初からずっとドキドキしっぱなし。この男、いったい何考えてんだろう?怒りだすんじゃないだろうか、今度は何言い出すんだ?って感じで。けして内面を見せようとしない展開で見る者を釘付けにする演出が絶妙。主人公は自殺をしようとしている。しかしその理由は語られない。語る必要もない。自殺の理由はいくらでも作り出せます。誰もが持っています。だからこの映画は、自殺を思いとどませるのに自殺の理由=原因を解決するのではなく、生きる理由を模索する。美しい空、冷たい水、おいしい桜桃、そして人との関わり、そのひとつひとつが十分、生を見出す理由になる。ラストはびっくりしました。映画はもう終わりましたと我々に言っている。主人公がはたして生を見出したのかどうかは見せずに。主人公は生を見出し、朝を迎えてほしいと観客に思わせたところで、もうこの作品は全てを伝えた、、、そういう意味かもしれない。
7点(2004-12-21 12:58:14)(良:3票)
240.  ファニーとアレクサンデル
ベルイマンはこの作品を最後に映画を作らないことを宣言。よってこの作品はベルイマン映画の集大成とも言われます。私が見たのは3時間バージョン。見応えのある一大絵巻でしたが、もともとテレビ放映用に作られたオリジナル版の5時間バージョンはさらに完成度が高いと評されているようです。 高貴漂う装飾品の数々、数え切れないほどのロウソク、足の太い馬車馬、、、細部まで本物に拘った重厚かつ美しく息づく背景をバックに、大家族群像劇を奥行きある映像で見せた前半がとても好きです。中盤からの展開で人それぞれの生活や宗教を対比しながら最後には家族が助け合って生きてゆくことがいかに素晴らしいことかを説いていきます。ベルイマンの分身であるアレクサンデル少年の特別な力は、芸術の世界に生きる人に不可欠な超越した想像力を象徴的に描いたのだと思います。それにしても、家族愛を通して人間賛歌を描くに終わらせず、最後に”アレ”を出すところがベルイマンらしく、他とは一味も二味も違う。(5時間バージョンを見る事があればまた追記したいです。)    //追記// 5時間バージョンを見ました。まず2時間も削った3時間バージョンが、5時間バージョンにひけをとらない出来に仕上がっているところにあらためて感服。3時間バージョンでもじゅうぶんに理解できますが、さらにわかりやすくなっています(例えば幽霊話しの真偽)。理解できるなら、より短いほうが優れていると考えますが、ベルイマンの最後の映画を少しでも長く見ていたいという欲求に答えてくれるという意味において、5時間バージョンはやっぱり素晴らしい。そしてなにより5時間が全く長く感じなかった。1点追加します。
[DVD(字幕)] 8点(2004-12-17 15:28:00)(良:2票)
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