Menu
 > レビュワー
 > onomichi さんの口コミ一覧。2ページ目
onomichiさんの口コミ一覧[この方をお気に入り登録する

プロフィール
コメント数 407
性別 男性
ホームページ http://onomichi.exblog.jp/
年齢 55歳
自己紹介 作品を観ることは個人的な体験ですが、それをレビューし、文章にすることには普遍さを求めようと思っています。但し、作品を悪し様にすることはしません。作品に対しては、その恣意性の中から多様性を汲み取るようにし、常に中立であり、素直でありたいと思っています。

表示切替メニュー
レビュー関連 レビュー表示
レビュー表示(投票数)
その他レビュー表示
その他投稿関連 名セリフ・名シーン・小ネタ表示
キャスト・スタッフ名言表示
あらすじ・プロフィール表示
統計関連 製作国別レビュー統計
年代別レビュー統計
好みチェック 好みが近いレビュワー一覧
好みが近いレビュワーより抜粋したお勧め作品一覧
要望関連 作品新規登録 / 変更 要望表示
人物新規登録 / 変更 要望表示
(登録済)作品新規登録表示
(登録済)人物新規登録表示
予約データ 表示
【製作国 : フランス 抽出】 >> 製作国別レビュー統計
評価順123
投稿日付順123
変更日付順123
>> カレンダー表示
>> 通常表示
21.  華氏451
ブラッドベリの名作SF小説の映画化。小説の冒頭に物語のイメージを決定付ける挿絵がある。火焔に包まれた家とその中で本を片手に叫ぶ女性。取り囲む群衆と無残に踏み捨てられた本の数々。一人の焚書官の背中が大写しとなっている。ファッショナブルな防護服とモヒカン様のヘルメット。背中には何やら火炎発生器のような四角い装置を背負って、そこから伸びるトカゲの尻尾のようなホースを手に持っている。小説の内容以上に印象に残る絵だ。トリュフォーがこの近未来小説のビジュアルイメージ化を焦点にしてこの映画を製作したことは想像に難くない。焚書官の制服は挿絵や小説の記述イメージそのままだし、部屋の一面を使った巨大なテレビや自動扉付の家もこの近未来小説に沿って造形されている。しかし、小説で描かれるその他の自動機械の映像化は全く無視されており、現代の僕らから観て、あまりにも牧歌的な装置の数々にはちょっと落胆するものがある。大体がブラッドベリ自身、4,5世紀先として描いた自動化イメージが今現在あっさりと凌駕されてしまっているというのも二重の悲劇だ。この映画をSFと呼ぶのが躊躇われるのも致し方ないかもしれない。にもかかわらず、この映画に僕らを惹きつける魅力があると感じるのは何故だろう。小説の中にこういう記述がある。「二十世紀の初期になって、映画が出現した。つづいてラジオ、テレビ、こういった新発明が大衆の心をつかんだ。そして大衆の心をつかむことは、必然的に単純化につながざるをえない。」元々、ブラッドベリは本と対立するものとしてイメージを規定する装置である映画やテレビを想定しているのだ。トリュフォーはそれにどう答えたか。それがこの映画の中にある。徹底的に簡素化された登場人物たちの演技や印象的な音楽、想像力を喚起するイメージ映像。トリュフォーが敢えてこの小説を映画化した意味を強く感じるのだ。
8点(2004-03-01 00:27:38)(良:1票)
22.  ニュー・シネマ・パラダイス
兵士はなぜ99日待ちつづけて100日目に現れなかったか?それは100日目には王女様が現れてしまうことが約束されていたからではないでしょうか。99日目までに王女が現れることへの期待と待つことによって募っていく憧れそのものが彼にとっての恋愛だったと僕は思います。可能性としての恋愛。憧れ。叶わない、手の届かないことの中に可能性としての恋愛がある。それは、挫折を恐れるナイーブな感性をもつアルフレドの人生観そのものじゃないかな。あの兵士はアルフレドそのものでしょう。逸話の中の王女とスクリーンの中の女優たち。アルフレドの憧れとトトの挫折。この映画の忘れられないラストシーンもそう考えるとよりいっそう印象深いものになるんじゃないかな。
10点(2003-11-06 18:47:41)(良:1票)
23.  ニュー・シネマ・パラダイス/3時間完全オリジナル版
曖昧な記憶だが、確かに「完全版」と呼ばれるものも観たことがある。が、僕にとっては「完全版」であろうが、「劇場版」であろうが、この名作のモチーフは全く揺るがない。大体、なぜ「完全版」なのか?「劇場版」があまりにも不完全で納得いかなかったが故の再編集なのだろうか。もしかしたら、観やすく編集された「劇場版」に寄せられる賞賛の声が作家の思惑と違うという多少ひねくれた理由によるのかもしれない。でも、この2つのバージョンは、元々が同じ水脈の基で創られたものだし、そこで挿入されるエピソードが全く無駄なものだとはとても思えない。<この辺は鉄腕麗人氏と同じ意見です> にもかかわらず、「劇場版」に対して「完全版」の評価が低いというのは、単にこの映画の真のモチーフを多くの人が捉え損なっているだけなのではないだろうか。僕は、この映画が単に映画ファンを泣かせるだけのノスタルジックな作品だとは全く思わない。「劇場版」のレビューでも書いたが、この作品は、アルフレードという良く言えばナイーブ、悪く言えば偏狂的で自意識が凝り固まってしまった男のこれまた偏狂的な人生を解き明かす謎解き物語なのだ。ラストシーンは正にその謎が解ける瞬間。だからこそ僕はあのシーンに胸を掴まされる。老映写技師と少年の心の交流という美しい物語に見せながら、その実、自意識の罠に嵌り、映画という空虚なリアリティに心を奪われた男と、その謎に囚われ続けながらも正反対の生き方を選んだ男、ある意味で大人になりきれず青春の影に押しつぶされた2人の男たちの哀しい物語なのです。その物語に僕は感動したのだ。作品というのは、如何ようにでも解釈可能なものだから、多くの人が抱いた感想に敢えてケチをつける気持ちは全然ないけど、あまりにも同じような声が聞こえてくるので、ちょっとひとこと言いたくなる。それは、単に僕がひねくれ者だからです。あと、映画はやっぱり完全な形でひとつだけ世に出して欲しい。それがそもそもの混乱の元なのだ。
10点(2003-11-06 13:00:21)(良:2票)
24.  仕立て屋の恋
「髪結いの亭主」に並ぶ、ルコントの偏狂的恋愛映画。片思いは究極の恋だって言うけど、それはまったくその通りです。だって「恋」とは自己意識そのものなんだから。「彼は深くそして熱烈に恋している、これは明らかだ。それなのに、彼は最初の日からもう彼の恋愛を追憶する状態にある。つまり、彼の恋愛関係はすでにまったく終わっているのである。」これはキルケゴールの言葉だけど、まさに恋愛の本質をついているよね。 この映画もそういった恋愛の本質にかなり肉薄しているように思う。良い作品っていうのは、観終わった後に自分に対して問いかけができるもの。ある批評家が、作品とは社会構造の「結果」というよりも、何かを論じたいという気持ちの「原因」であることが重要だと言っているが、僕にとっても映画とは、技術論よりも方法論が優先するべきもののように感じる。この映画の狂おしさは、方法論的に僕の情念を切迫し、語りえない恋愛の本質について、僕に語らせようとするのだ。まぁそこまで強迫的になる必要はないけれど、僕らの情念に響いたことを如何に味わうことができるか、そしてそこからPersonal Issueを超えて、如何に想いを馳せることができるか、本来的な意味において、それこそが作品の価値というものだと思うのである。
9点(2003-11-05 00:47:27)
25.  マルホランド・ドライブ
「マルホランドドライブ」はリンチの集大成的作品といえるでしょう。リンチの映画は一種の妄想です。まぁ映画そのものが映画作家の妄想であることも確かなんだけど、リンチの場合はそのことを明確に主張しているように僕には思える。この映画のすごいところは、リンチの妄想という土俵の上でさらに妄想的な世界と現実的な世界が入り乱れているにも関わらず、メインストーリーがしっかりと成り立っていることである。前半はマルホランドドライブの境界に入り込んだカミーラが妄想の世界に迷い込んでいるというのが僕の解釈だけど、観てる時には全くそのことに気がつかない。逆にカミーラの存在に違和を感じてしまう。箱を明けたところで妄想的世界が終わり、その後に「以前の」物語が始まるんだけど、それまでの流れと一変して激しい展開になる。これが実は現実的世界で、この物語の軸となるのは、ダイアンのカミーラへの強烈な恋心である。この「恋」への執心と現実の違いに対する嫉妬、憎しみ、絶望がダイアンの中の世界を歪ませてつくらせた物語が前半の妄想世界だと僕は思う。最後にカミーラはダイアンの雇った殺し屋に殺られそうになるんだけど、不意の交通事故で助かって最初のシーンにつながる。とにかくこの作品のストーリー展開と映像にはもう観ている最中から興奮しまくりました。(レズシーンだけじゃない!?)それはリンチの奇妙に捻れた映像感覚が僕らの内面の捻れに共鳴しているからなんだと思う。そして観終わった後に、この物語の核がダイアンの恋心であり、それがとても哀しい「ラブストーリー」なんだって気がついた時には妙に心が揺さぶられるものがあったのです。「マルホランドドライブ」は、リンチのベスト作品だと思う。ついにここまで来たか…っていうのが素直な感想。
10点(2003-11-02 00:04:15)
26.  ベティ・ブルー/愛と激情の日々
僕はこの「ベティブルー」の世界に否応なく惹きつけられる。言うまでもないが、これはゾーグの物語である。そしてこれは、「恋」と「愛」という感情と世界をめぐるリアルな物語なのである。「恋」は受難である。僕らはそれを受け入れた途端に、あの輝かしいキラキラとした、それでいて息苦しいほどに高揚した感情が単なる受難に変わるのを知っている。それは、恋という感情にとって、彼女が世界そのものだからである。それから、彼は恋の感情を追憶しているだけの自身に気がつくかどうか。気がついたら、終わりだし、気がつかなくてもそれはまた同じことなのだ。ベティは誘う女として登場し、ゾーグは彼女に恋をする。一緒に暮らし始めた頃から、彼女は、ひたすら一途な感情をゾーグにぶつけてくるようになる。時にそれは、ゾーグの理解を超えた激しさを見せ、彼を戸惑わせる。僕は、それをゾーグ自身の心の揺れそのもの、そのリアルな反映だと思っている。自らを傷つけるベティ、それもまさにゾーグ自身なのだ。この映画が奏でる優しいメロディに潜む恐ろしいほどにリアルな物語。それは、ゾーグという意識の物語でもあり、それはまた、ベティそのものでもあるのだ。
10点(2003-11-01 23:47:26)(良:1票)
27.  トリコロール/青の愛
青は孤独に美しい。この映画で表現されるビノシュの青は、哀しみです。画面の彼女が崩れ落ちるとき、青白い素肌が妖艶な炎のように、情景に広がる静謐から沸き立ちます。僕らは、ただひたすら、彼女の青に溶け込む透徹な美しさ、何ものをも受容しない絶望の美しさに酔うのみなのでしょう。フランス国旗のトリコロールの青は自由を表すといいますが、哀しみが何ものにも代えられない自分を抱えることと同義であるという意味において、この映画の青と象徴的な重なりをみせるのでしょう。
10点(2003-10-21 00:34:44)
28.  タンデム
ラジオのクイズ番組司会者と助手兼運転手の友情を描いたロードムービー。かつての栄光と現在の凋落、そのことに一番自覚的なのは、おそらく主人公のミシェルだったのだろう。村上春樹の名作「ダンス・ダンス・ダンス」の一節を思い出す。「踊り続けるんだ。なぜ踊るかなんて考えちゃいけない。」踊り続けることが辛くなった時に、初めて僕らはその意味の不毛さに辿り着くのだろうか。だけど、意味の不毛さなんて最初から知っていたんじゃないのか。ただそれを見ようとしてこなかっただけで。僕らに必要なのは踊り続けるためにネジを巻くこと。 その行為自体がささやかながら大切な場合もあるのだから。。。そんな声が聞こえてくる。
8点(2003-10-20 21:14:54)
29.  グッドモーニング・バビロン!
ロードショーで観たのは、高校生の頃でしたね。その当時、グリフィスもイントレランスも知らず、ただ黎明期のハリウッドを描いた青春映画との印象を受けました。彼ら<主人公の2人の兄弟>は、夢を描いてハリウッドを目指し、兄弟同士の葛藤やら、恋愛やらを経験しながら、成功を手にし、自らの行く末を一歩一歩固めていきます。しかし、戦争という不条理が2人の運命を決定的に狂わせて。。。あー、僕らは夢もなければ、不条理もない。。。なんて、哀しい感想を当時の僕が残したかどうかは不明ですが、映画としては、当時のキネマ旬報ベストワン作品だけあって、わりと観応えがありました。
9点(2003-10-13 17:59:54)
30.  1900年
いや長いね。ここまで長い映画を一気に観せるっていうのもどうかと思うが。(まぁ映画館では途中で休憩があったけど) とりあえず観ている最中、背中は痛くなるわ、首は痺れるわで結構大変でした。もちろんデニーロはかっこいいし、ドミニクサンダは綺麗だし、サザーランドもいい味だしてます。でもストーリー的にいまいちのめり込めなかったところがあったし、特に赤旗が延々となびくラストはやっぱりきつかったなぁ。尻もきつかったし。
8点(2003-10-13 08:51:13)
31.  小さな泥棒
若きシャルロット・ゲンズブールの魅力が全開の映画です。この頃の彼女のブータレた魅力はたまりませんね。確かにストーリーはどこか類型的で中途半端かもしれないけど、彼女が登場するだけである種の痛々しさが画面に迸ります。それは、彼女特有の影のある表情、雰囲気から溢れ出る「自意識」の仄か(ほのか)とでもいいましょうか。少女から大人へ、まさに「青春」そのものだったのが当時のシャルロットなのです。彼女は決して<ジェーンのように>派手な顔つきじゃないけど、ナチュラルで純粋な美しさがあります。そんな彼女の魅力が十分に伝わってくる、そんな映画なのです。
9点(2003-10-13 00:03:41)(良:1票)
32.  ニキータ
アンヌ・パリローがとても魅力的です。ジャン・ユーグも「ベティブルー」に続き、恋する男を切々と演じます。この映画はある意味で絶望的な状況の中でのラブストーリーということが出来るでしょう。確かにアクションも素晴らしいし、脇役で登場するジャン・レノの存在感ある役回りも魅力的です。だけど、この映画が僕らを引き付けて止まないのは、アンヌとジャン・ユーグ、またチェッキー・カリョを含めたラブストーリーの深い切実さにあるのだと僕は思います。最後に見せる彼らの涙は、そのことのリアリティを僕らに強く印象付けるのでした。
10点(2003-10-12 23:42:36)
33.  伴奏者
ロマーヌ・ボーランジュの出演映画として、「野性の夜に」と続けて観ました。<もう10年前かぁ。。。> 映画そのものとしては、「野性の夜に」がかなり強烈だったので、ちょっと引いた印象でしょうか。でも、あくまで伴奏者として、華のない自分に対する卑屈さや諦め、そして秘めたる思いをその切ない表情でロマーヌは見事に演じていると思います。<ちょっとシャーロットにかぶるけど> 憧れ、期待、転じて憎しみ、そして後悔。ただ、そのドラマでは自分が傍観者でしかないこと。ナイーブな心情にちょっとぐっときます。
8点(2003-09-28 22:23:05)
34.  なまいきシャルロット
シャルロットは確かにブータレているけど、これがなかなかいい味を出してるのだ。少女から大人へ。まだ13歳の彼女の瑞々しい魅力がとっても伝わってきて、切なくも爽やかな印象を残します。個人的には、さらにオトナになったシャルロットが堕ちるところまで堕ちてしまう「小さな泥棒」も好きですが。こっちはさらに痛々しい。
8点(2003-09-21 16:39:46)
35.  ドアーズ
結構観れると思いますよ。ヴァルキルマーもわりと雰囲気があったし。ちなみに僕はドアーズ好きです。ロックファンなら1,2枚目とラストアルバムは必聴でしょう。ドアーズの音楽は30年以上経った今でも十分聴ける、普遍性のあるロックだと思いますけど。つまり本物ってこと。ボーカルのインパクトにも増して、演奏が素晴らしいし、曲もGoodです。まぁドアーズを知らないとか嫌いだとか言っている人は、この映画を観てもしょうがないのかもしれない。ただ60年代後半~70年代前半のロックが好きな人なら見て損はない。
8点(2003-09-07 23:26:18)
36.  グラン・ブルー/グレート・ブルー完全版
とても好きな映画。僕が観たのは「グレートブルー」(THE BIG BLUE)でしたが。映像と音楽がとにかく素晴らしいですね。シチリアの白い大地と青い海、青い空のコントラスト。まるで海が奏でたような、静謐でいて躍動感溢れる音楽。ジャックのライバルであり、友人でもあるエンゾのキャラクター造形も何ともいえない味があります。ジャックにとって海とは、父親を奪った悪魔でありながら、常に自らを優しく包み込み、安らかな一体感を誘う大いなる(母なる)存在であったのではないか。その海がまたしても友人であるエンゾを奪った時。。。彼は悩みながらも、最期は海に誘われるがまま、海と同化することを選びます。そこに本当の答えがあると信じ。。。彼の中では自分こそ人の命を奪う海であり、悪魔だと思ったのかもしれませんね。彼にとっては避けられない結末だったのでしょう。彼はジョアンナという素敵な女性に恋をし、普通の生活を始めようとした矢先でもありました。簡単に言ってしまえば、男のロマンということになるのかな?? 大いなるものに導かれ、己の信じる運命に抗えず、自分の本当を確かめる為に、あなたを振り切って出ていこうとする彼氏に対して、ジョアンナのように「Go and see my love.」と言って送り出すことができるだろうか? どうでしょう、女性の皆さん。まぁ現代の普通の男性にとって、可愛い彼女と子供以上に大切なものなんてないだろうけど。
10点(2003-09-07 18:11:09)
37.  ピアノ・レッスン
これは、あやうく刹那的な恋の感情が心的呪縛の開放とともに愛へと転化した幸福な物語なのだろうか。僕のようなプチニヒリズム的心情の持ち主には、素直にそのようには受け入れがたいところもあったのだけれど、う~んと考えてみるにつれ、こんな始まりを感じさせるハッピーエンディングな志向は、古今東西の恋物語を見回してみても、多少なりとも画期的なことだし、ある意味では確信的なことかもしれない。そこには、「The piano」の作者の水脈に対する信頼度の問題があるけれど、この物語がとても誠実であり、実際に僕の心をぐぐっと惹きつけてやまないという事実があるのは確かなのです。主人公にとってのピアノは内面世界の象徴であったと思うんだけど、最後に彼女がピアノを断ち切ることによって何を失い、何を得たのだろうか。ピアノ=内面の象徴化=自己の観念化という図式で考えれば、当初彼女の凝り固まった内面には、地平としての他者が不在であり、だからこそ、突如現れた他者としての恋感情が強烈にして彼女のピアノの旋律を狂わせたのだと思う。この恋感情が彼女を突き破り、現実をも転覆してしまうところはやっぱり確信的です。このハッピーエンディングには、彼女が欠損者であることがひとつの大きな要素となっていると言えるのではないかな。欠損からの快復の物語がエンディング以降に語られるのだろうけど、恋感情からストレートに移行するように思える、そこに恋と同列の可能性をもつある種の「癒し」の感情を強く感じることができる。こんなことを考えるのは初めてなので、うまく言えないのだけど、この作品は、終わりが始まりとなるような新しい可能性をもった画期的なラブストーリーなのだということがいえないだろうか。<最後に、、、この作品の邦題はやっぱり単純に「ピアノ」とすべきだったのではないかなぁ>
10点(2002-12-31 01:30:04)(良:1票)
38.  コックと泥棒、その妻と愛人
なんでしょうね。この世界は。なんか全編通してものすごい緊張感があるんですよね。圧倒的な暴力と恋愛、そして黒い高級料理。共通しているのはある種の欲望、死の恐怖を克服するところのエロチシズムかなぁ。なんてバタイユみたいだ。まぁそれにしても、異界の大厨房で妙に物々しいおっさんたちがゴリゴリ、ガリガリとつくりあげる料理って、いったいどんなもんなんでしょうねぇ。腐った食材が錬金術的魔法によって美食に変化する~みたいな。
9点(2002-04-12 00:07:55)
39.  ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ
キューバ音楽に興味がない人<普通の人はあまりないよね>でもお薦めです。音楽って素晴らしいなぁって単純に思える。忘れられたキューバ音楽の巨人達<おじいちゃん達>が演奏する姿は本当に感動的です。なぜだろうか?本来、音楽って世代を超えた根源的なものなのに今ではなかなかそう言えない部分がありますよね。おじいちゃん達の演奏は音楽が魂を揺さぶるものだってことを、キューバ音楽に限らずいいものは流行り廃りに関係なくやっぱりいいんだっていう当たり前のことを改めて感じさせるのでしょうね。あらゆるしがらみを超越した老フラミンゴ達がそれぞれ自慢の楽器を持って集う楽しい音楽パーティって感じでとても心が和みました。音楽ドキュメンタリー風映画としては、スコセッシ/ザ・バンドの「ラストワルツ」もお薦めなんだけどね~。
10点(2002-03-24 16:04:52)
40.  ストレイト・ストーリー
ストレイトじいさんのストレイトなお話。いいですね。ただひたすら自分を抱えて生きてきたこと。その素直な表明。自分の生きがたさは誰のせいでもなく、ただ自分のうちで耐え続けていくべきものなのだ。その凛然とした態度。それを理解し、理解される娘の姿にも心動かされる。
10点(2002-03-01 22:25:21)
全部

■ ヘルプ
© 1997 JTNEWS