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鉄腕麗人さんのレビューページ[この方をお気に入り登録する

プロフィール
コメント数 2593
性別 男性
ホームページ https://tkl21.com
年齢 43歳
メールアドレス tkl1121@gj8.so-net.ne.jp
自己紹介 「自分が好きな映画が、良い映画」だと思います。
映画の評価はあくまで主観的なもので、それ以上でもそれ以下でもないと思います。

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301.  トラフィック(2000)
アメリカという大国における最大の問題のひとつであるのがドラッグであろうが、その問題を非常に効果的に一流の映画として昇華させている作品だと思った。それぞれのキャラクターによるオムニバス的なストーリーを見事にリンクさせ、場面ごとに映像の色彩を変える手法がとても鮮烈で印象深い。今作でアカデミー監督賞を受賞したスティーブン・ソダバーグであるが、彼の映画監督としての力量をまざまざと見せ付けた秀作。
[DVD(字幕)] 8点(2004-01-13 15:34:03)(良:1票)
302.  見知らぬ乗客
初冬、久しぶりのヒッチコック映画を鑑賞。  列車に乗り合わせた厚かましいくらいにフレンドリーな男が、徐々にその異常な本性を現していく様が怖い。 序盤のシークエンスのみでは、列車内で初めて顔を合わした二人の男のどちらが、この映画の主導権を握っていくのか判別が付きづらい。 というのも、私生活においてトラブルを抱え、明確な「殺意」を表すのは、フレンドリーな“見知らぬ乗客”の方ではなく、主人公のテニスプレイヤーの方であり、彼が激情のあまり殺人を犯してしまうのかとミスリードされる。  しかし、次の展開では、見知らぬ男の方の狂気が、不気味に、淡々と映し出され、主人公と同様に、我々観客も戦慄させられる。  このあたりのストーリーテリングのテンポや間の取り具合が、1950年代の映画としては非常にサスペンスフルで洗練されていると思う。 殺人の舞台となる夜の遊園地や、犯行の瞬間をメガネのレンズ越しに映し出す演出など、流石はアルフレッド・ヒッチコックだと思わせる映画術がしっかりと冴え渡っている。  序盤は「交換殺人」というキーワードを主軸にしたサスペンス映画の様相だったが、男(見知らぬ乗客)の本性が現れてからは、この男がストーカー的に主人公の前に出没し続け、殺人を強要していくスリラー映画として、映画作品自体がその“本性”を現す。 その映画的な塩梅も、古い映画世界に相反するようになかなかフレッシュだった。  テニス会場のラリーの応酬に対して一斉に左右に首を振る観客席の中で、一人微動だにせずこちらを見つめてくる男の不気味さや、ラストの“超高速回転木馬”のスペクタクルに至るまで、終始観客の心理を鷲掴みにして離さないヒッチコック監督の映画づくりを堪能することができた。 そしてその“ラリーの応酬”や、ちょっと“廻りすぎなメリーゴーラウンド”は、映画の中で対峙する二人の男の「運命」を象徴させているようで、そういう隠喩表現も巧みだ。  キャストの中では、サイコパスな殺人者を演じたロバート・ウォーカーがやはり印象的。 非常に真に迫った名演だと思えたのに、名前を聞いたことが無いことを不思議に思ったが、この映画の後に32歳の若さで急死したとのこと。 どうやら少年時代から心に傷を追った生い立ちだったらしく、俳優になった後も妻の不倫やアルコール依存等が重なり、精神的な不安と混乱を抱え続けていたようだ。  そんな彼にとって、この作品の役どころはある意味まさに「適役」だったのだろうが、俳優本人の人生の不遇を思うと複雑な思いにかられた。
[インターネット(字幕)] 7点(2020-12-05 00:58:55)(良:1票)
303.  アベンジャーズ/インフィニティ・ウォー 《ネタバレ》 
改めて辞書で確認してみると、「avenger」の意味は「復讐者」とある。つまり、このエンターテイメント大作のタイトルの意味は「復讐者たち」ということになる。 もはや熱心な映画ファンやアメコミファンでなくとも、「アベンジャーズ」という呼称は聞き馴染みのあるメジャーワードとなっているけれど、よくよく考えてみれば、ヒーローたちが集結した“チーム”の名称として、その意味は少々奇異に思える。 「復讐者たち」ということは、絶大なパワーを備えたチームでありながら、先ず危害を被ることを前提としているように聞こえるからだ。  しかし、その答えは、この“チーム”が結成された経緯を振り返れば明確になる。 各々がスーパーヒーローとしてそれぞれの「正義」を全うしていた中で、想像を超えた巨大な「悪」による恐怖と悲劇に晒される。ヒーロー一人ひとりでは到底太刀打ちできない。だから、結束して「復讐」をする。 絶対的な「巨悪」が先ずあり、それに対峙するために生まれた“チーム”だからこそ、彼らは「復讐者たち」なのだ。  彼らのその姿は、この現実世界の在り方とまさに“合わせ鏡”だ。 普段、この世界では、それぞれの国、それぞれの民族、それぞれの人が、てんでバラバラに己の「正義」を振りかざしている。 何かしらの問題や課題、共通の「敵」が存在したとき、初めて人々は同じ方向を向くことができる。 言い換えれば、何か「実害」が生じなければ、我々は結束することが出来ない。  なんとも歯がゆく、なんとも愚かしい。 ただそれが人間の正直な姿であり、「そうじゃない」と否定したところで何も始まらない。  その人間の、歯がゆく愚かな本質を根幹に据えたヒーロー像こそが、「アベンジャーズ」の正体なのだと思う。 彼らは人智を超越したスーパーヒーローではあるけれど、間違いも起こせば、失敗もする。そしてその都度、甚大な被害を生み、傷つき、苦悩する。  だけれども、彼らは常にそこから立ち上がり、己の間違いを正し、悪を叩き、ついに「復讐」を果たす。 だからこそ、僕たち人間は、彼らの活躍に熱狂するのだ。   満を持しての第三弾。“復讐者たち”は、あたかもそれが彼らの宿命であるかのように、打ちのめされ、紛うことなく過去最大の悲劇を叩きつけられる。 重く悲しい旋律がシアター内を包み込む。鑑賞を共にしたすべての観客が、絶望感と共に押し黙っているようだった。 誰も席を立つはずもなく、エンドロール後に示されるはずの「希望」を心待ちにしていた。 ようやく隻眼の司令官が登場し一寸安堵する。が、まさか、彼に「mother f*cker」すら言わせないとは。 “サノス”は「慈悲」だと言ったけれど、何たる無慈悲か。   でも、僕らは知っている。 チーム結成時の「6人」は、“二分の一の賭け”に勝ち残っているということを。 そして、「アベンジャーズ」と名付けられた彼らの本当の「avenge=復讐」が始まるということを。  最高だぜ。
[映画館(字幕)] 10点(2018-04-27 23:49:03)(良:1票)
304.  セッションズ
“性行為”に対しての葛藤。それは人間として、いや生物として、誰しもが通る通過儀礼。 勿論それは、身体障害者にとっても同様なことなのだけれど、臆病な社会は、そういうことからついつい目を背けがちだ。  この映画は、「障害者と性」という、浅はかな固定観念を持っていては踏み込みづらく、表現しづらい「題材」に対して、真摯に向き合い、ドラマとユーモアとエロティシズムを絶妙なバランス感覚で表現してみせた“傑作”と言えると思う。  この映画が素晴らしいところは、身体障害者である主人公の境遇に対して、必要以上に“同情”を誘っていないことだ。 主人公のマークは、幼少時からポリオによって全身麻痺となってしまった障害者である。呼吸補助のため、一日の大半を“鉄の肺”と呼ばれる呼吸器の中で過ごさなければならない。 けれど、彼の生き様には決して“悲しみ”が表れていない。自分の境遇を受け入れ、自立し、常に自分の人生を自分自身で歩もうとしている。 そんな彼の人生観が、そもそも勇気に溢れていて、観客は映画の冒頭から主人公の魅力に引き込まれる。  主人公の魅力が序盤からしっかり描かれるからこそ、この難しい「題材」の映画は、ある意味とても普遍的な「童貞喪失映画」に仕上がっていて、とても眩く、とても楽しい。 主人公の身体的特徴を度外視して、特に男の観客は、彼の“童貞喪失”の顛末に対して、己の事のように一喜一憂するだろう。  殆ど顔の動きのみの演技で主人公マークを演じきり、彼の人間的な魅力と、その人生の喜びと悲しみを余すこと無く表現してみせたジョン・ホークスの演技は素晴らしかった。  そして、こういうセンシティブな映画だからこそ、敢えてこう特筆したい。 “ヘレン・ハントのおっぱいが美しい”と。 主人公の相手役となるセックス・セラピストを演じたヘレン・ハントもまた素晴らしかった。 撮影当時49歳らしいが、このアカデミー賞女優の堂々たる脱ぎっぷりと、年齢を重ねても変わらない彼女独特の愛らしさがあったからこそ、この映画は成功していると強く思う。  勇気と慈愛、人間の営みにまつわる輝きに溢れた幸福な映画だ。   BS(WOWOW)放送だったからか必要以上に“ぼかし”が大きかったことは、演者たちの心意気を妨害しているようで、とても残念だったけれど。
[CS・衛星(字幕)] 8点(2015-02-11 12:54:19)(良:1票)
305.  オールド・ボーイ(2003) 《ネタバレ》 
真っ当な神経が打ちのめされる。妥協の無い凄まじい映画だと思う。しかしこの物語の論理は成立しているとは思えない。どう考えても復讐の発端と復讐の結末を天秤にかけてつり合うはずがない。軟弱な正論かもしれないが、真の復讐者がある種満足して自ら終止符を打つ……これほど残忍で救いが無く、独りよがりも甚だしい行為はないのではないか。クライマックスにかけて、誰にも感情移入できなくなる。中盤までのライトなノリと台詞回しが懐かしい。それに対する“痛すぎる”結末が絶妙と言う人もいるかもしれないが、それはただアンバランスな心地悪さだと思う。確かに衝撃的だし、重い後味の悪さも作り手の狙い通りなのかもしれない。でも、これでは観客に対しあまりにアンフェアだ。
[映画館(字幕)] 1点(2004-11-08 20:58:37)(良:1票)
306.  おとなのけんか
ふつう、人と人とが険悪な雰囲気になっていく様を目の当たりにすると、関係のない自分自身も嫌な気持ちになり、その場から逃げ出したくなるものだ。 しかし、この映画ではまさにそういう「修羅場」に発展していくのだろう不穏な空気感を序盤から醸し出しているのに、笑えて仕方ながなかった。  それは、人間同士のそれぞれの感情を剥き出しにした衝突の醜さと滑稽さ、そして、人間というものは「見たくない」と体裁を整えているが、つまるところ“自分に関係のない修羅場”に対しては笑って見られて、娯楽性すら感じてしまうという根本的な愚かさを観客たちに突きつけているに他ならない。  原題の「Carnage」の意味はそのまんま「修羅場」。 しかし、「子供の喧嘩に親が出る」という言い回しが諺としてポピュラーな日本においては、「おとなのけんか」という邦題は非常に的確で、子供の喧嘩の後始末に当事者の両親同士が集まってどんどんいがみ合っていく様の愚かさは、「おとなのけんか」という揶揄的な表現が相応しい。  現代のハリウッドを代表する名俳優を揃え、全編をアパートの一室での会話劇のみで展開する79分間はコンパクトかつ濃密で、俳優たちの安定感と、ロマン・ポランスキーという名匠の“技”が光る映画として仕上がっている。  見て明らかなように原作は舞台劇で、それを彷彿とさせる少々過剰な感情表現や画面構成が印象的だった。 会話の展開によって4人それぞれの対立関係がくるくると変化していく構成は巧みで、単なる親同士の対立から、ステータスによる対立、男女の対立、個々人の価値観による対立へと移り変わっていく様には、様々な価値観と感情を持った人間同士が一つの環境の中で生きるということの難しさを如実に物語っているように思えた。  しかし、この手の会話劇として全編通すにあたっては、最後にもう一つ転回が欲しかったように思う。 結局全員がスコッチを飲んでアルコールでベロベロになってしまっては、導き出される結論がどうであれ説得力を欠いてしまう。  それでも名優たちのパフォーマンスが絶妙なので、充分に見応えのある質の高い会話劇であることは間違いないけれど。 ジョディ・フォスターは「老けたな~」という印象は拭えなかったけれど、ヒステリックな母親役がハマっていた。 そして、いまやケイト・ウィンスレットの演技にハズレは無い。
[DVD(字幕)] 7点(2012-07-15 11:17:03)(良:1票)
307.  イレイザー(1996)
「ターミネーター」シリーズ、「トータル・リコール」、「トゥルーライズ」、90年代のアクション映画界の頂点に君臨したアーノルド・シュワルツェネッガーの“代表作”といえば、これらの作品を挙げるのが真っ当だろう。 ただ、これらの作品はどれも名監督の作品でもあり、監督の力量によって名作になり得ているということも多分にある。  そういう意味では、純粋な“シュワルツェネッガー映画”とは言い難いと勝手に思っている。 彼の絶頂期のピークに無名監督と組んで製作されたこの映画こそ、最も“シュワルツェネッガー映画”と呼ぶに相応しい作品だと断言したい。  改めて彼のフィルモグラフィーを振り返ってみると、1996年の今作以降明らかにハリウッドスタートしての下降線を辿っており、そういう意味では、最後の幸福なシュワルツェネッガー映画とも言えるのではないかと思う。  悪役の厭らしさ、脇役の小気味良さ、単純なストーリーを効果的に盛り上げるためのエスプリも意外な程コマメにに効いている。  そもそも「何が良いのか?」なんて語ることが馬鹿らしい。 大仰でも馬鹿みたいでも、シュワルツェネッガーがシュワルツェネッガーらしいということが最高なのだ。 パラシュートを放り投げてからのジェット機からのスカイダイビング、意味不明に凶暴な動物園のワニとの格闘、そして最後は重火器を両手に抱えて大立ち回り。 アーノルド・シュワルツェネッガーにこれ以上何が必要だというのだ?と逆に問いたい。   昨年(2013年)の「ラストスタンド」で、まだまだその存在感自体のエンターテイメント性を発揮してくれたシュワルツェネッガー。 栄枯盛衰、紆余曲折を経て、結局、新作を期待させるこの人のスター性はやはり本物。
[映画館(字幕)] 8点(2003-10-06 01:07:17)(良:1票)
308.  東京湾炎上 《ネタバレ》 
映画自体の良い悪いはともかくとして、この時代の日本の娯楽映画には、ハリウッド映画に負けない大胆さというか、肝っ玉の大きさを感じる。  石油コンビナートの爆破中継を求めるテロ集団に対し、特撮映像によって局面を乗り切ろうとする日本政府の様を特撮映画で描こうとすることに、この映画自体に「大胆不敵」という言葉を当てずにはいられない。  「俺たちの特撮技術スゴイんだぜ!」という絶対的な自信を礎にして作るからこそ、迫力のある娯楽性が生まれるのだと思う。 ハリウッド映画の迫力に対して根本的な部分で尻込みしてしまっている今の日本の娯楽映画界に、圧倒的に足りないのはそういう部分だと思うのだ。  かと言って、この映画が問答無用に面白いと言えるわけではない。 ストーリーは今ひとつ説得力と抑揚に欠けるし、中途半端な日本語を喋る外国人キャストはチープさを助長する。藤岡弘、丹波哲郎、水谷豊ら主要キャストのバックグランドも描き方が不十分で深みがない。  が、それでもごり押して、主演俳優の暑苦しい程の哀愁で締めてしまう力強さが、この映画の、この時代の娯楽映画の「価値」だと思う。
[DVD(邦画)] 5点(2008-08-03 01:03:45)(良:1票)
309.  APPLESEED アップルシード
まさか感動するとは思わなかった。「攻殻機動隊」「イノセンス」などにどうしても面白味を感じることができないタイプなので、原作・士郎正宗という時点で一歩引いてしまい、映画としての力のみなぎる予告編を観ても、劇場に足を運ぶことができなかった。そのことを非常に後悔させる映画世界に対し、喜びと悔しさが入り混じる。何と言っても、ストーリー展開の潔さが素晴らしい。上記にあげた作品などと違い、あくまでストレートに人間、ロボット、新人類らの葛藤を自然な表現で描いたことが、感情の高ぶりに繋がったと思う。そうでなければ、3Dライブアニメという新しい映像世界に存在する、見慣れないビジュアルを携えたキャラクターたちにこれほど感情移入することは出来なかっただろう。価値観はもちろん様々だが、どう理屈をこねようとも、万人が理解してこその“映画”であり、そのことを充分に理解しているこの作品の価値は高い。 「戦いが終わったら、母になりたい」この映画コピーが、クライマックスにかけて実に心に染みる。 
9点(2004-11-12 17:54:40)(良:1票)
310.  紙の月 《ネタバレ》 
鑑賞を終えて、映画館施設内のATMで一万円を下ろした。 その一万円札をしげしげと見ながら、“彼女”の罪と罰について思いを巡らせた。  この映画の主人公が、犯した罪とは何か。そしてその代償として与えられた罰とはなんだったか。 巨額の「横領」という明確な罪が描かれていながら、果たして本当に彼女が犯した罪はそれだったのかと確信が持てなくなる。 言い換えれば、「横領」という罪に伴う「嘘」と「偽り」そのものが、彼女にとっての「罰」だったのではなかったか。  彼女の「罪」は、たった一枚の一万円札から始まる。ただしそれは、ただの目に見える“きっかけ”に過ぎない。 他人の一万円に手をつけてしまうずうっと前から、彼女は、この世界の“虚構”に対するジレンマを孕み続け、一線を越えてしまう必然性を秘めていた。 彼女にとっては、この世界にまかり通っている虚構を受け入れ、普通に生きていくこと自体が、「罰」だったのかもしれない。  その「罰」に相応しい「罪」を後追いしてしまったと捉えることは、確固たる犯罪者である彼女を庇護しすぎなのかもしれない。 けれど、欲望を追い求めるというよりも、むしろ盲目的に一線を越えていく彼女の姿には、表面的な快楽と悦楽に包まれた業苦が露わになっていた。   主人公は、越えてはならない“ボーダーライン”を次々に越えていく。時にその描写は少々唐突に見えるかもしれない。 けれど、実際、“一線を越えてしまう”という事象において、明確な意思なんて存在しないのだと思う。 唐突な流れの変化と、衝動、そしてただ残る結果。“一線を越える”というのはただそれだけのことだ。だからそこには明確な理由なんて実は無い。   「あなたはここまで」と、言い切られ、彼女はまたひとつ“一線を越える”。 まさか、この映画の結末が、こんな爽快感に包まれるなんて、ちょっと信じられなかった。   「罪」と「罰」を同時に経たからこそ、彼女に「贖罪」は必要なかったと僕は思う……いや、違うな。 やはり彼女にとっては、どこに居ようと、この世界で生き続けることこそが、贖罪なのかもしれない。
[映画館(字幕)] 9点(2014-11-23 10:19:40)(良:1票)
311.  スウィーニー・トッド/フリート街の悪魔の理髪師
暗黒のロンドンで暗躍する理髪師の殺人鬼“スウィーニー・トッド”を、ティム・バートン+ジョニー・デップの盟友コンビで、「ミュージカル」というスパイスをドギツク加えて相変わらずの“特異世界”の中に息づかせた。   鑑賞後まで“スウィーニー・トッド”というキャラクターを知らず、今作はティム・バートンの完全オリジナル作品かと思っていた。 実は創作の殺人鬼キャラクターとしてかなり有名で幾度も舞台化、映画化されていることを知り、ティム・バートンらしからぬ最後まで深い闇を秘めたラストにも頷けた。   全編通して悪趣味かつクオリティの高いビジュアルは、ティム・バートン監督ならではで、そこで惜しげもなく歌声を披露しながら、またもやアクの強いキャラクターを体現してみせたジョニー・デップと合わせて、作品から醸し出される雰囲気に反して安心して観られた。 ティム・バートン監督のパートナーでもあるヘレナ・ボナム・カーターも内にまがまがしい狂気を秘めたパイ屋の女主人を、妖しい魅力で表現してみせたと思う。   狂気に溢れた殺人鬼の物語をミュージカル調で映像化してみせたティム・バートンの力量にはもはや隙はなく、ジョニー・デップの魅力も合わせて概ね満足度は高い映画であると言える。 ただ、今作で6作目の監督&主演コンビとなる彼らの化学反応に、安心感を覚えつつもそろそろ新たな“爆発”を見せてほしいというのも映画ファンとしては正直な心情だったりする。   そういう意味では、題材の強烈さに反して今ひとつ“驚き”はない映画だったかもしれない。   
[映画館(字幕)] 7点(2008-01-19 21:25:42)(良:1票)
312.  ストロベリーショートケイクス
鬱積する都会の雑踏の中で、もがくように、ひたすらに生きる4人の女性像。それは時にどこまでも痛々しく、時にどこまでもいとおしい。 いたずらに感情を込めず、淡々と彼女たちの“深い部分”を描き出した情感溢れる世界に胸が詰まる。  魚喃キリコの原作は素晴らしく、もちろんあの原作があってこそのこの映画なのだが、難しいとされる漫画の映画化をとても巧く、とても丁寧に成していると思う。 微妙な感情が渦巻く4人の女性を、それぞれの女優がとても巧く表現していて、そのことが何よりもこの映画の完成度を高めている。 池脇千鶴は惨めさの中に不思議な愛らしさを併せ持つ不器用な女を好演していたし、中村優子は切なく痛々しい二面性を持つ微妙な女性を、絶妙な表情と声のトーンで演じ分けていた。  実のところ、世に生きる幾多の女性たちの何がリアルで何が虚像なのかなんてことは分からないけど、少なくともこの映画の中の女性たちの苦悩や葛藤というものは、ありのままであり、それはあくまで創られた世界でのことだけれど、伝わってくるそれはほんとうの“声”だと思った。  彼女たちの苦しみは、完全に消え去ったわけでは決してないのだけれど、それでもラストシーンの浜辺でのそれぞれの微笑みには、深い安堵感を覚えた。 そういうことを、とても自然に観る者に与えることが出来ている、さりげなくも本当に良い映画だと思う。  こわれやすく、愛らしいショートケーキのように、けなげに、ひたすらに、すべての女性は生きていく。
[DVD(邦画)] 9点(2007-05-06 01:09:43)(良:1票)
313.  ワイルド・スピード/ジェットブレイク
「ワイルド・スピード/ジェットブレイク」という邦題だとつい忘れがちになってしまうが、「Fast & Furious 9」という原題を見ると“第9作目”という事実に少々唖然としてしまう。 「007」のようにキャストが刷新されたり、「スター・ウォーズ」のように章立てられた物語が時代を跨いで続いているシリーズは思いつくが、単一の時系列の中でほぼ同じ主要キャストによってシリーズ作が作り続けられているハリウッド大作が他にあるだろうか。 無論、人気のない作品がこれほどシリーズ作を積み重ねられるわけもなく、紆余曲折を経ているとはいえ、世界中から愛されている映画であることは、先ず称賛されるべきだと思える。  かくいう自分自身も、この娯楽大作シリーズを愛するファンの一人であり、最新作を楽しみにし続けている。 ファンとして敢えて断言するが、9作目にして完全なる「バカ映画」が爆誕している!と思う。 いや、とうの昔からバカ映画シリーズなんだけれども、本作はいよいよそのバカさ加減のメーターが振り切っている。  ストーリー展開や、物語のおける過去作との整合性云々は、もはや突っ込みだしたら泥沼にハマってしまうのでやめておこう。 そんなことよりも、味方のキャラクターが生身でどんなに吹き飛ばされても車のボンネットや天井で受け止めたら無傷で済むという謎ルールや、世界各国の路駐されている車はすべて無人で破壊し放題という治外法権ぶりや、宇宙航行を可能にする車体の超科学的頑丈さ等々を、「磁力最強!カッケー!」言いながら馬鹿になって楽しむべきだ。  そして、世界中の映画ファンが悲しみと共に納得し、諦めているのに、それでも彼の名前を呼び、彼の“席”を空け、彼を生き続けさせるこの映画のあまりにも熱い「家族愛」を見せつけられては、どんなにバカ映画の連作となろうとも、僕はこの映画シリーズを愛さずにはいられない。
[インターネット(字幕)] 6点(2021-12-30 00:35:31)(良:1票)
314.  RRR
2022年の終盤に映画好き界隈の中で熱狂的な話題になっていたインド映画が、地元のIMAXシアターでリバイバル上映されていたので、これを逃す手はないと勇んで観に行った。 一定以上の満足は想定していたけれど、この映画を映画館で観られたことに対して、想定以上の大正解を得られた。  S・S・ラージャマウリ監督の前作「バーフバリ」を鑑賞したときも、その圧倒的なスペクタクルにクラクラしたものだったが、今回はその時を完全に上回る鑑賞体験だった。 作品的な好みもあろうが、やはりこういう映画は劇場鑑賞するかしないかで雲泥の差が生まれ得るものだろう。(「バーフバリ」は自宅鑑賞だった) 今回、IMAXで鑑賞できたことは本当にラッキーなことだったのだと痛感した。  “漢”同士のぶつかり合い(とじゃれ合い)をこれでもかと見せ続けるストーリー展開には、躊躇もなければ、遠慮もない。 ニッコニコの友情シーンから、キレッキレのダンスシーン、バッチバチの対決シーン、そしてガッチガチの共闘シーンに至るまで、二人の主人公の存在感のみで描き、映画という舞台に叩きつけている。  荒れ狂う大海原のように展開するストーリーも物凄い。 大英帝国支配下のインドを舞台とした友情劇と復讐劇と逆襲劇が、幾重にも折り重なり、インド映画でしか成立しないような豪胆なストーリーテリングを見せる。 そのストーリーは、中途半端な規模や心意気の映画であれば、とてもじゃないが成り立たないだろう。 あらゆる常識の範疇を超越して、ただただひたすらに大娯楽を追求した映画世界にのみ許される文字通りの「神話」であった。  もうそこに、既成の理屈なんてものは存在しない。 2時間を超える映画は流行らないとか、映画は配信の時代になるなんていう浅い固定概念なんて蹴散らし、映画という娯楽の楽しさが爆発しているようだった。   究極の力技映画。その圧巻の3時間は、「幸福」と呼んでいい。
[映画館(字幕)] 10点(2023-01-21 21:45:13)(良:1票)
315.  グランド・イリュージョン 見破られたトリック
原題にも用いられている「Now You See Me」とは、「見えてますね」というマジシャンの常套句の意。 この原題が表す通り、この娯楽映画シリーズは、“何が見えていて、何が見えていないのか”という“トリック”を全編に散りばめながらストーリーを展開させていく。 前作は、その思惑が100%達成できているとは言えないけれど、娯楽映画としての着想そのものはユニークだったし、実力派を揃えたキャスティングも功を奏し、及第点の仕上がりだったと思う。 あからさまな酷評も割りと多かったようだけれど、この映画が“マジック”を描いている以上、素直に騙され、それを楽しむことが、観客としてのマナーだとも思った。     なので、その続編である今作においても、間違っても「あんなマジックはあり得ない」などと、分かりきった難癖を付けるのは「無粋」というものだ。 映画のストーリー上で、どんなに荒唐無稽なマジックが展開されようとも、「わあ、すごい!」と楽しめる人は心ゆくまで楽しめばいいし、もしそれが出来ないような人は観なければいい。   と、少々傲慢な“予防線”を張ってしまった感も我ながら否めないけれど、個人的には前作同様に及第点の娯楽映画を堪能できた。 奇想天外で荒唐無稽な“マジック”を「武器」にした義賊チームによるケイパー映画として、作品のテイストを前作以上に振り切ったことで、より気兼ねなく楽しめる娯楽映画に仕上がっている。   ジェシー・アイゼンバーグをはじめ主要キャストは「黒幕」や「悪役」も含めて続投となっているため、安定感はあるものの、ストーリー展開的な驚きはそれ程得られない。(モーガン・フリーマンの役どころなどは、もはやベタ過ぎる)   ただ、だからこそ王道的な娯楽を楽しめるという、“ジャンル映画”としての面白味が生まれ始めているようにも見える。 これ以上の続編はおそらく蛇足になると思われるが、義賊チームにおける“チーム感”を更に高め、愛着を得られるようになるならば、例えば「ワイルド・スピード」のような大ヒットシリーズに成長するような「奇蹟」もありえなくは無い。
[インターネット(字幕)] 7点(2019-01-03 13:40:54)(良:1票)
316.  スパイダーマン:スパイダーバース
アメコミ映画最盛期の現在において、「スパイダーマン」こそがそのムーブメントの発端だったと思う。 2002年のサム・ライミ監督による「スパイダーマン」の成功を皮切りに、数多のコミックのスーパーヒーローたちが実写化され、それぞれの物語が映画文化の中で綴られてきた。 「スパイダーマン」自体は、この十数年に渡るムーブメントの中で、実に三度リブートされ、いずれも絶妙に異なったキャラクター造形と共に、それぞれが「親愛なる隣人」の魅力的な活躍を描き出してきた。  つまるところ、我々はこの十数年間の中で、知らず知らずのうちに“スパイダーマンたち”が織りなす多元世界を「体験」していたと言えるのではないか。 トビー・マグワイア演じるピーター・パーカーも、アンドリュー・ガーフィールド演じるピーター・パーカーも、トム・ホランド演じるピーター・パーカーも、みなパラレルワールドの中で同時に存在する“スパイダーマン”なのだという認識が今となってはしっくりくる。  無論、各シリーズの映画企画においてそんな相互意識は存在しないのだけれど、結果的に殆ど間髪入れずに製作された三様の「スパイダーマン」シリーズの根底には、この愛すべきスーパーヒーローがそもそも携えていた“多様性”が存在していたのだと思える。 その“多様性”が具現化したものこそ、並行世界(=パラレルワールド)の“スパイダーマンたち”を描くという“アイデア”だったのだろう。  あらゆる領域と世界観を超えて展開されるストーリーテリングが素晴らしい。 それは即ち現実社会においても並行して存在するコミック文化の融合でもあり、様々なアニメーション手法を縦横無尽に行き来するような自由闊達な表現が脳内を駆け巡る。  “ボーダーレス”の実現を掲げ、それ故の軋轢の拡大が止まらない現代社会において、この映画が「表現」するものの価値は大きく、だからこそ今この映画が生まれた理由もよく分かる。 どんなに孤独で苦しい闘いを強いられていたとしても、「一人ではない」ということに気づくだけで、大きな勇気を得られる。そして、声援を送ってくれる「隣人」は必ず存在する。 このクールでセンセーショナルに見えるアニメーション映画が伝えるものは、あまりにも普遍的で熱い真っ直ぐなメッセージだった。
[映画館(吹替)] 8点(2019-03-21 18:31:54)(良:1票)
317.  オッド・トーマス 死神と奇妙な救世主
タイトルが示す通り、なんとも「奇妙」な映画だった。 それは霊やら死神やらが登場することによる奇妙さではなく、娯楽映画として妙なバランスを見せる映画だったということ。  監督は、「ハムナプトラ」シリーズのスティーヴン・ソマーズ。愛すべきベタなB級テイストを根底に敷きつつ、小気味良い娯楽大作を毎度提供してくれる、娯楽映画好きとしてはとても信頼できる監督の一人である。  そんな監督に対する信頼感も持ちつつ今作を観始めたが、序盤から様子がおかしい。 映画のつくりが全編通してチープで、製作費がかけられていないことは明らかだった。 ストーリーもなんだか薄っぺらいというよりも、綻びまくりで“おざなり感”が半端ない。 「なんだこりゃ」と蹴散らしてしまっても仕方ないくらいの表面的なクオリティなのだが、同時に不思議な愛着も感じてしまっていた。 出来は極めては悪いけれど気になってしまうという不思議な魅力があったことは確かだ。   主人公を演じたアントン・イェルチンは、リブート版「スター・トレック」の“チェコフ君”役が印象的な若手俳優だが、今作ではなかなかどうしてナイスガイなヒーローぶりを披露してくれている。 憂いを秘めた眼差しは、「ロード・オブ・ザ・リング」のイライジャ・ウッドを彷彿とさせ、今作の役どころには相応しかったと思う。 歳を重ねることでもっと味わいが出てきそうな俳優なので、これからもっと化けそうだ。  ヒロイン役のアディソン・ティムリンも非常に魅力的だった。彼女の魅力が破綻ギリギリのこの映画を繋ぎ止めていたと言っても過言ではない。ラストの顛末も含めて、非常に印象的な余韻を与えてくれている。   どうやら製作過程においていろいろな弊害があったらしく、やっとのことで製作・公開に至った模様。 それでも一つの個性を映画に加味してみせたスティーヴン・ソマーズのエンターテイメント力は流石だと思う。が、製作環境が確保されていたなら、それこそ「ハムナプトラ」並みの人気シリーズにもなっていたかもしれないと思うと少し残念にも思う。 (「ハムナプトラ」といえば、“イムホテップ”のウケ狙いの地縛霊には爆笑してしまった。)
[CS・衛星(字幕)] 5点(2014-12-13 21:02:49)(良:1票)
318.  鉄コン筋クリート
2006年の年の瀬。実はもっとも観たかった映画が、この「鉄コン筋クリート」。 年末公開だったのだが、地方都市の性で年明け一発目の公開とずれ込んでしまった。 というわけで、2007年一発目。新年最初に観る映画がアニメというのも悪くはない。  んで。そういう新しい年の“高揚感”的な部分がないと言えばウソになるが、いきなりの最高点。  とりあえず、あの松本大洋の独創的な原作漫画を“カンペキ”に映画化してみせたということだけで、「スバラシイ」という他はない。 しかも、ただ原作を忠実にアニメ化しただけではなく、その物語と世界観が持つ「深層心理」まで確実に表現してみせたこのアニメーション技術には、もはや言葉が無い。 地獄のような町で、どこまでも純真に、だからこそ狂気的に生きていく二人の少年。 その躍動感を、息づかいを、そして無限に混沌と広がる精神世界を、見事に映し出す。 目の前に際限なく広がっていく映像世界には、ただ呆然とするばかりだ。  そもそもが一つの“カタチ”を持たない物語である。すべてを明確に説明することなど不可能だし、意味がないことだ。 ただただぶつけてくる登場人物たちの感情をそのままに受け止めればそれでいいのだと思う。そこに理屈など存在せず、感情のままに揺さぶられる。   一昨年の「マインド・ゲーム」に引き続き、果てしない精神世界を独創的に表現してみせた“STUDIO 4℃”。 ながらく「ジブリ」によって支えられ発展してきたジャパニメーションは、その停滞と同時にまた新たな“チカラ”を得たのだと思う。
[映画館(邦画)] 9点(2007-01-08 00:16:22)(良:1票)
319.  SHERLOCK/シャーロック 忌まわしき花嫁<TVM> 《ネタバレ》 
英国BBCのテレビドラマシリーズ「SHERLOCK/シャーロック」は、海外ドラマ全盛の近年においても随一の傑作シリーズだと思う。 個人的に、海外ドラマはどハマリするのが怖いので敬遠しているのだが、今作に限っては、数年前にNHKで放送されたファーストシーズンの第一話を観た瞬間から、完全に“虜”になってしまった。  “現代版シャーロック・ホームズ”という題材自体は、よくありそうなものだったけれど、このドラマの場合は、原作を礎にしたキャラクター設定の“再解釈”と“キャスティング”が、奇跡的な程に素晴らしかった。 英国俳優ベネディクト・カンバーバッチが演じたシャーロック・ホームズは、アーサー・コナン・ドイルが生み出したキャラクター性をそのまま保ちつつ、ブラックベリーとラップトップを速やかに操る文字通りの“変人”、いや天才として「再誕」させていた。  それは、誰もが知っている“名探偵”であると同時に、誰も見たことがない“名探偵”の誕生だったとも言え、その矛盾的表現がキャラクターの秀逸なオリジナリティを表している。  そして、ホームズにとって切っても切り離せない「相棒」と「敵」の存在感が、このドラマシリーズの価値を更に高めた。 “ジョン・ワトソン”を演じたマーティン・フリーマン、“ジム・モリアーティ”を演じたアンドリュー・スコットの確かな演技力と存在感が、ベネディクト・カンバーバッチの稀有なスター性と相まって唯一無二の世界観を構築したのだと思える。   と、いうわけで、つらつらと止まらなくなるくらいにテレビドラマシリーズの大ファンなので、この“劇場公開作品”も当然期待大であった。勿論、映画館に足を運びたかったのだが、タイミングが合わず劇場鑑賞には至らなかった。 テレビ放映を待ってようやく鑑賞に至ったのだが、どうやら映画館に行かなかったことは正解だったようだ。残念ながら。 シリーズファンとして楽しめはしたが、あくまでテレビドラマの“番外編”であり、決して映画化作品というわけではなかった。 実際、劇場公開したのは日本だけのようで、本国イギリスではシーズン3とシーズン4を繋ぐスペシャルドラマという位置づけだったようだ。  大好きなキャラクターたちが、セルフパロディよろしく原作の時代設定の中で立ち回る様は、勿論嬉しいのだが、当然ながら秀逸なオリジナリティが薄れてしまっていることは明らかだった。 カンバーバッチの原作版ホームズ像も、違和感がなさすぎて“逆にフツー”という想定外のマイナス要因が生まれてしまっている。 ストーリーテリングとしても、“通常回”に比べて圧倒的に巧くなく、拍子抜けしてしまった。   まあしかし、これはこれとして、ファンとしてはシーズン4の放映が近づいていることが何よりも嬉しいわけで。 すっかり大スターになってしまったキャスト陣の再集結が楽しみでならない。
[CS・衛星(吹替)] 5点(2016-06-26 23:43:47)(良:1票)
320.  ポーラー 狙われた暗殺者
まずは、マッツ・ミケルセンの“佇まい”一発で、ノックアウトは必至だ。 これまでも出演作を幾つか観てきたつもりだったが、どうやら私は、彼の本当の魅力を理解していなかったらしい。 「北欧の至宝」と称されるその俳優としての存在感は、通り一遍な男前感やダンディズムでは収まりきらない「異質」なものを感じた。 それはもはや変質的と言っても過言ではなく、その特異な雰囲気が、今作の引退間際の最強暗殺者“ブラックカイザー”役と奇跡的なマッチングを見せていたと思う。   会社組織化された暗殺者集団という馬鹿みたいな設定(好き)や、引退予定の伝説的暗殺者に集団で襲いかかるという展開に対しては、言わずもがなキアヌ・リーブスの「ジョン・ウィック」が頭に浮かぶ。 主人公のキャラクター性や、対峙する暗殺者集団のエキセントリックさ、諸々の小ネタに至るまで、「ジョン・ウィック」との類似点は多く、下手を打てば「二番煎じ」と揶揄されることは避けられなかっただろう。   しかし、確かに「ジョン・ウィック」をはじめとするこの手のジャンル映画と似通っている作品ではあるけれど、同時に圧倒的な独創性も揺るがない娯楽映画だったと断言したい。   主演俳優の稀有な特異性に牽引されるかのように、映画そのものが少々、いや随分と常軌を逸している。 バイオレンスアクションとハードボイルド、そしてブラックユーモア、それらがミックスされた破綻気味なアンバランス感が、オリジナリティを創出している。   そして、やはり何と言っても主人公“ブラックカイザー”ことダンカン・ヴィスラのキャラクター性が抜群だった。 圧倒的に強く、全身からほとばしる男の色香は、言うまでもなく魅力的。 その一方で、ただ渋くて格好良いだけではなく、悪夢にうなされ飼い始めたばかりの愛犬を撃ち殺してしまったり、渋ってた割には小学生相手にドヤ顔で世界を股にかけた暗殺講座を繰り広げちゃったり、とっくにハニートラップであることは気付いているにも関わらずギリギリの瞬間までヤルことはヤッちゃったり……。 “ジョン・ウィック”もどこか頭のネジが抜け落ちている男だが、それ以上にこの人も何本もネジがぶっ飛んでしまっていることは明らかだ。   ストーリーの収束の仕方も的確であり、忘れがたきエンターテイメントを堪能した充足感と、まだまだこのイカれた殺し屋の暗躍を観たいぞ!という期待感に包まれる。 ここまで似通ったキャラクター性と世界観であれば、「ジョン・ウィックVSダンカン・ヴィスラ」という夢の競演を妄想してしまうな。
[インターネット(字幕)] 8点(2021-04-04 17:16:01)(良:1票)

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