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六本木ソルジャーさんの口コミ一覧[この方をお気に入り登録する

プロフィール
コメント数 823
性別 男性

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【製作年 : 2000年代 抽出】 >> 製作年レビュー統計
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1.  アンチクライスト 《ネタバレ》 
きちんと内容を理解できていないのかもしれないが、それほど衝撃的な作品とは思わなかったということが正直な感想。 本作に描かれている内容を言葉では上手く表しにくいが、人間(特に女性)の“本質”のようなものを感じ取れればよいのではないかと思う。 三匹の乞食、森に対する恐怖、靴を逆に履かせる行為、ドングリや手についていた変な虫などは理解しようと思えばできるかもしれないが、放って置いても構わないと思う。 そのようなことよりも自分が感じたことは、性と暴力が人間の“本質”ということだ。 自分の赤ちゃんが危ないことに気付いたのにセックスを優先したということか。 そうなると、激しく後悔する理由や自傷行為などの理由が分かり、本能と理性が絡み合ったカオス的な作品となっている。 ただ、人間の“本質”をきちんと描いてくれれば分かりやすい作品になったかと思うが、サタンや虐殺などに触れられるとやや分かりにくくなってしまう。 分かりやすい作品を作っているわけではないので仕方はないが、全体的にまとまり感がないという印象。 好きな作品というわけではなかったが、トリアー監督作品は悲劇的な内容にも関わらず、逆に変な心地よさも感じられる。 心地よさという表現が合っていないかもしれないが、不思議と居心地の悪さはそれほど感じられない。 映像美や音楽の効果ということもあるだろうが、それだけでもないだろう。
[映画館(字幕)] 6点(2011-04-02 22:15:46)(良:1票)
2.  アレクサンドリア 《ネタバレ》 
“宗教”と“学問”という難しい題材を扱っている割には、古代のエジプトで活躍した一人の女学者の生涯を通して比較的分かりやすく感じ取りやすい作品に仕上がっている。 ただ、“宗教”と“学問”を中立的に描くわけではなくて、“宗教”には人を救う力、人を導く力があり、貧者にパンを与えるシーンを象徴的に用いて宗教の優れた面を描いている一方で、“宗教”を“争い”“対立”“偏見”の種のようにかなり否定的に捉えており、“学問”を非常に高貴なものと捉えすぎているような気がする。本作には、宗教にしがみつくことを否定するような啓蒙思想的な面がみられる。 もっとも歴史的に見ても、宗教が“争い”“対立”“偏見”の引き金になっていることは否定しようがなく、キリスト教徒とユダヤ教徒が争い合い、そして同じキリスト教徒同士も争い合う姿を見ると、宗教とは何かということを考えざるを得なくなる。宗教は人を幸せにするものであり、宗教自体を否定することは難しいが、なぜ信仰する神が違う者同士が共生することができないのかと思う。 宗教は、貧者を救うことは出来ても、愛する者や一人の女性すら救うことは出来ないということが、本作の伝えたい大いなる“矛盾”といえるだろうか。ただ、元奴隷のダオスは彼なりの方法において、あのような形となっても彼女の魂を救うことが出来たといえるのかもしれない。“愛”は“宗教”を超えるということか。 “宗教”を醜く描く一方で、“学問”を追究しようとするヒュパティアの姿勢がより美しく描かれている。醜い宗教間の争いとは離れた次元において、一人(仲間がいるが)宇宙の真理を探究しようとする姿には心が打たれる。地動説や、ケプラーの楕円軌道の法則を常識的に知る我々にとっては、ややもどかしいところがあるが、当時の学者や哲学者の苦心する姿をしのぶこともできる。宗教に固執する人間をアリのようなちっぽけな存在、宇宙の片隅の小さな小さな場所における醜い争いとして描き、宇宙からのシーンを多用することで、宇宙規模の大いなる真理や法則の大きさを対照的に象徴的に描き出している。 通常の歴史作品という見方もできる一方で、一人の女性が生きた証というヒューマンドラマや“宗教”と“学問”という現代の我々にも身近に感じることができるような深い作品にも仕上がっているといえるだろう。他の作品とは異なるようなアプローチは評価できるかもしれない。
[映画館(字幕)] 7点(2011-03-27 23:04:04)
3.  アヒルと鴨のコインロッカー 《ネタバレ》 
原作は未読。伊坂作品のいかなる作品の1ページも読んだことはない。 前知識が何もなかったせいか、不思議な感覚にさせてもらえた。 感動というわけでもなく、友情に心を熱くさせるわけでもなく、不可思議なストーリーに驚かされるわけでもない(瑛太がドルジということくらい見ていけば分かるはず、自分はお弁当屋のお握りのシーンでだいたいの謎が解けた)。 しかし、ふわっとはしているが、心に何かを響かせるものを感じさせる作品だ。 切ないようでどこか暖かいような感覚。 がっちりとした絆ではないけど、人間と人間が深い部分で繋がりあったような感じだろうか。 このような独特な感覚を与えている点を評価したいところだ。 日本人同士ではなくて、国籍が違う二人という点もユニークなところ。 それをアヒルと鴨で表現している点もなかなかセンスが良い。 ただ、あえて触れないが、全てを完全にまとめきれていない部分もありそうなので、その辺りが減点材料となるだろうか。 また、河崎が神と崇めていたディランの曲を琴美が聴き、琴美が歌っていたディランの曲をドルジが聴き、椎名が歌っていたディランの曲をドルジが聴き、出会うはずのない椎名とドルジを音楽が引き合わせるという展開も面白い。 「フィッシュストーリー」等の伊坂作品にも表れるが、“音楽によって人を結び付ける”ということが、彼の作品らしいと感じさせるところ。 瑛太も濱田も松田も個人的に嫌いではないもののそれほど好きではない役者だったが、変な色を付けずにナチュラルに演じていたように思われる(濱田は色を付けていたかもしれないが)。 序盤、瑛太はなぜ変にはっきりとした喋り方をしているのかと思ったが、彼なりに役柄を検討した結果なのだろう。 ラストもややボカしている点も悪くはない。 犬を助けようとする男が轢かれるわけがないと思うのか、そうでないかは観客に委ねられている。 いずれの結果にせよ、あの二人は一歩成長して前に進めたということが伝わってくるラストとなっている。
[DVD(邦画)] 7点(2010-02-01 23:03:14)
4.  アバター(2009) 《ネタバレ》 
お世辞抜き、文句なしの満点作品。全てがあまりに完璧すぎて涙が出そうになった。 人間が製作できるレベルを超えている映画。ジェームズ・キャメロンは不可能を可能にしたといっても過言ではない。圧倒的な才能を持つ者が尋常ではない努力を重ねた成果に生まれた作品であり、凡人にはもはや到達できない地点に達している。 映像については、CGとは思えないリアルで違和感のないデキとなっている。最初は3Dにアタマと眼が慣れていないためか、「こんなのゲームムービーじゃないか」と思っていたが、あっという間に世界観にリンクできる。映画館にいるというよりも、パンドラという星に実際に立っているかのような気分になれるほどだ(六本木ヒルズの映画館の高性能のおかげもあるが)。 映像だけではなくて、ストーリーも恐ろしくデキがよい。ストーリーが非常にナチュラルに流れていき、世界観に調和している。また、伏線やエピソードも全てを拾いきっており、全てが何かに活かされている。本作に描かれていることで無駄なものなど何一つもないといえる完璧な脚本。 さらにメッセージにも溢れている。『異文化との交流』『自然破壊・自然との共存』『戦いの悲惨さ』など時事にマッチングしたものばかりだ。ジェイクとナヴィ族の女性との交流が、実に穏やかでリアルかつ自然に描かれていることが非常に好感をもてる。彼らが豊かな時間を共有することで二人に“絆”を築かれていき、観客である我々もナヴィ族という異文化を理解する助けになっている。最初はジェイクや他の地球人同様に、野蛮で醜い下等な生物かエイリアンと思っていたはずなのに、次第に彼らは我々と近い存在と思えるような感情となり、見ている我々にも“友情”のようなものが育まれていく。ジェイクの行為は、地球人を裏切るようなものなのかもしれないが、彼の裏切りが理解でき、共感できるものとなった。我々にとっては単なる巨木・単なるモノなのかもしれないが、彼らにとっては生命そのものといえるほど非常に神聖なものということを理解させてくれる。自分の利益を追求し、従わない者を服従させることばかりではなく、お互いを知り理解し尊重することが共存に繋がるということをキャメロンは本作を通して伝えたかったことだろう。 最先端の映像技術の素晴らしさを体験するだけではなく、メッセージに溢れた作品であり、現代の我々が見るべき映画に仕上がっている。
[映画館(字幕)] 10点(2009-12-23 18:32:41)(良:3票)
5.  アマルフィ 女神の報酬 《ネタバレ》 
事件の成り行きを見守ることができるので極端につまらない映画ではない。しかし、面白いとは思えないというのが率直な感想。風呂敷を大きく広げた割には、全体的にこじんまりとしてしまったか。 織田裕二は嫌いな役者ではなくて、むしろ応援している方だ。しかし、好意的に見ても、完全に“黒田”というキャラクターをモノにしているようには思えず、やや中途半端な印象を受けた。彼からは“個性”が見えてこず、“魅力”を感じられなかった。天海に対するいたわりのようなものは、テレビを付けない、間仕切りをする等の行為から読み取ることはできるが、苦悩も悲しみも焦りも苛立ちもなく、感情が伝わってこない。オーバーアクトをしたくないのは分かるが、もうちょっとキャラクターを作った方がよかったのではないか。似たようなキャラクターになるのを避けても、結局つまらない男を演じては仕方がない。本作では、もっと冷酷で“嫌な男”を演じてもよかったか。“任務”を遂行するためには、手段を問わず、汚い手を使ってでもこなすダークヒーロー的なキャラクターでも面白かったと思う。イタリア警察に反旗を翻すようなシーンがあったが、あの程度では弱い。 西谷監督については「容疑者Xの献身」しか知らない。「容疑者Xの献身」では監督としての“個性”がないと評価したが、本作は個性を出しているものの、悪い部分しか顔を出さなかった。全体的にメリハリがなく、のっぺりとしており、やはり好きにはなれない監督だ。本人は“面白い”と思って色々とやっているつもりだろうが、“計算”や“効果”を考えているとは思えないものばかりだ。“誘拐事件”という緊張感のある事件を扱っている割には、肝心の緊迫感も何もない。 “真相”についてもそれほど驚くべきオチというわけでもなく、どこかで見たようなことのあるネタだなと思う程度。当然、テロリストにならざるを得なかった“悲哀”というものも感じられなかった。そもそも、犯人が日本人、対象者が日本人、追い詰めるのも日本人というものを何故イタリアで撮る必要があったのかもよく分からなくなってしまった。予算の無駄遣いをできるのは外交官だけではなかったようだ。テレビ局というところも、どうやら無尽蔵に予算があるようだ。
[映画館(邦画)] 5点(2009-08-09 22:49:00)(良:2票)
6.  愛を読むひと 《ネタバレ》 
好き嫌いは分かれるかもしれないが、個人的にはかなり気に入った作品だ。ほとんど飽きることがなく、映像にチカラがあるため、完全にこの世界に引き込まされた。本作は、このストーリーを映画化した際における最高のデキといえるのではないか。これ以上のモノを作れる者はほとんどいないだろう。それだけ、スティーヴン・ダルドリー監督の手腕が光っている。セリフで何かを説明するのではなくて、様々な“行為”で多くのことを語らせている点が秀逸だ。脚本に書かれていること以上のことを映像化できる監督は評価されるべきだ。アカデミー賞監督賞に連続ノミネートされているのも納得といえる。 本作を一言で言えば、“愛”を映像化している作品だ。“愛”というものは形が定まっていないだけに、上手く映像化することはできない。しかも、その難しいことに成功しているだけではない。 “愛”の純粋さだけではなくて、“愛”の奥深さや複雑さをも描き切っている。 「人生」や「男と女の関係」は“愛”だけでは簡単には割り切れないことをよく分かっている。「世の中」というものは、一般的な映画のようにそれほど単純ではない。 単純なハッピーエンドでもバッドエンドでもない、どちらとも解釈が可能となるグレイの部分を描いている。本作の時代背景はかなり古いが、現実世界における“厳しさ”“深さ”に通じることを描いているようにも感じられた。 本作には色々と説明が足りないところが多く見られる。「なぜそうなるのか」「どうしてそうしたのか」「どういう想いが込められているのか」といったことが映像を観ただけではよく分からないと思う。主人公たちに簡単に感情移入できるほど単純な映画ではなく、彼らの行動を全て“理屈”で説明することができない。 しかし、人生や愛とはそういうものではないか。説明が足りないからこそ、より“深み”が増したようにも感じられる。本作には余計な「説明」も「答え」も要らない。 観た者が感じたことを色々と想い巡らせればよいだろう。 むしろ、これ以上何かを説明しようとすれば、“蛇足”となるのではないかと思う。 ケイト・ウィンスレットもアカデミー賞主演女優賞獲得が納得できる演技をみせた。 監督や脚本の意図を汲み、“深み”のある演技をみせている。セリフや説明が少ない分、微妙な“感情”や“表情”で内面を表現して観客に何かを感じてもらおうと努力している点を評価したい。
[映画館(字幕)] 8点(2009-07-31 00:37:55)(良:1票)
7.  ある公爵夫人の生涯 《ネタバレ》 
つまらない作品ではない。「ジョージアナ=ダイアナ妃」とダブらせれば、面白みも増し、基本的には飽きることはなかった。ただ、飽きることのないのは、ストーリーがお昼のメロドラマ級に波乱万丈に満ちているからであり、映画としてのレベルは決して高くない。感情が全く揺り動かされることがなかったという点が最大の欠点となっている。それぞれのキャラクターに対して“深み”を感じさせないので、基本的には誰にも感情移入できず、ただストーリーを追うだけの展開になる。 自分が男だからかもしれないが、ジョージアナに対して、時代や背景を考えると大胆な行動力は感じられるが、愛のない満たされない人生から逃げ出したかっただけなのではないか。チャールズを本気で愛していたのかどうかは分からない。 むしろ、男の自分にはジョージアナよりも公爵の立場がより身近に感じられた。彼も彼なりの愛し方でジョージアナを接していたのだろうと思われる。幼いころから誇り高い貴族として育てられて、世継ぎを産むことが自分に課せられた唯一の使命というプレッシャー下において、一人の男性と一人の女性という関係を築けるはずがない。ストレートに愛情表現することができない男に対して、ジョージアナは理想の愛を求めすぎたような気がする。誇り高い公爵が歩み寄れるはずがないので、ジョージアナがもっと努力をすべきではないのか。友人を屋敷に招きいれたのはジョージアナであり、予期できる当然の帰結に対して非が無いとは言い切れない。 公爵は、ジョージアナが愛人の子どもを身籠ったとしても産まさせるほどの度量の広さを感じる。チカラを使って、連れ戻すこともせず、別れさせることもせず、“子ども達の手紙”を使って、自分の“役割”を再認識させて、自らの意思で戻させ、自らの意思で別れさせるという方法を用いている。ある程度の権力を行使しているが、やり方は実にスマートだ。 最後のパーティーでも、チャールズを会場に呼ぶことを許し、公衆の面前で会話させるというのも彼の度量の広さだろう。歩み寄らない彼女に対して、最後の最後には自分から歩み寄ろうとしている。そういう彼の気持ちを知ったのか、自分の死後にはきちんと公爵と友人との関係を認めているようだ。結局は全てキレイに収まってしまい、見所がさらになくなってしまった。見所はアカデミー賞受賞の衣装とノミネートの美術だけになってしまったようだ。
[映画館(字幕)] 5点(2009-06-06 12:49:59)
8.  アイアンマン 《ネタバレ》 
かなり期待をしていたが、意外と平凡で物足りなかったのが正直な感想。 自分の体調が悪かったのか、集中力が途切れたのか、期待があまりにも高すぎのかが分からないが、それほど楽しむことはできなかった。 ロバート・ダウニーJr.のヒーローらしからぬヒーロー像、美しく緻密なデザイン・フォルム、スーツを流れるように身に纏う描き方、掌からの光線をぶっ放すシーンなど、確かにカッコいいと感じられるシーンは随所に見られたが、既存のアメコミヒーローモノに比べて、それほど評価すべきポイントが見当たらなかった。 ユーモアかつクールな仕上がりともなっているが、この点においても“好み”というわけではなかった。 スタン・リー作品の「インクレディブル・ハルク」が全く面白いと感じなかったこともあり、この手のアメコミヒーローモノはそれほど“好み”ではないかもしれない。 ラストの“アイアンモンガー”とのバトル以外の見所は、ほとんど予告編で嫌というほど見てしまったためか、目新しさがほとんど感じられなかったのも面白いと感じられなかった原因かもしれない。 また、トニー・スタークの内面の部分があまり深く描かれているとは思えなかった(ヒーローの苦悩があれば、良い作品というわけではないが)。 序盤の能天気なプレイボーイ武器商人の姿から、拉致られて武器根絶という決意を固める姿への変化がそれほど著しいわけでもなく、決意を固めた後に自分の信念を貫き一人孤独に戦う姿が描かれているわけでもない。 何度も命を救われたペッパーとの関係や絆についても、深そうでそれほど深くは描かれていない部分もあると感じた。 完全には恋愛関係にならない微妙な関係というのは面白いが、その微妙な関係の描き方に物足りなさを覚える。 「失いたくないからもう仕事を手伝わない」といった趣旨のセリフはあったが、表には出せない信頼感や愛情をもっと伝えて欲しかったところだ。 ラストのバトルについても見応え十分というわけでもなく、意外とあっさりとしたものとなっている。外見的にはボロボロになっているものの、追い込まれているようで大して追い込まれているという状況でもなく、ハラハラ感など微塵も感じなかった。 ボロボロになっても立ち上がり続けるという感傷的なラストではなく、アメコミらしい大味なラストだったと思う。
[映画館(字幕)] 6点(2008-09-29 22:08:19)
9.  アイリス(米英合作映画) 《ネタバレ》 
「ジョン」と「アイリス」を演じた4名の役者の素晴らしい演技の共演が見事である。 特に、ジュディ・デンチの演技は恐ろしいほど完璧だ。 同年のハル・ベリーはなかなか強敵ではあったが、このような演技にこそ、アカデミー賞を送るべきだろう。 演技だけでなく、映画としてもなかなか奥深いものがある。 ジョンからは、アイリスと分かり合いたくても、分かり合えない辛い気持ちが伝わってくる。 一緒に寝ている呆けた妻に向かって、何もしていないのにボロクソにけなすシーンなど本当に素晴らしい。 ただ単に献身的に介護するだけでなく、このような感情を露(あらわ)にするシーンがあるからこそ、彼の愛情の深さを知ることができる。 二人の出会いのときから、アイリスの死によって二人を分かつまで、あの二人は完全には分かり合えなかったのかもしれない。 しかし、「分かり合えなくても、一緒にいるだけでよいのではないか」ということが本作から伝わってくる。 本当の「愛」とはこういうものなのではないか。 アイリスもアイリスなりに、ジョンの愛情を受け入れようとしているのがきちんと現れていると思う。 ラスト間際の、車から飛び降りたジュディ・デンチの「I LOVE YOU」というセリフだけでなく、若い時代に出来上がった小説を見てもらおうとする際のケイト・ウインスレットの演技もかなりの出来だ。 また、若者の時代から老人の時代になり、アイリスが病気になることに伴い、二人の関係で変わってしまったもの、変わらないものも味わい深く感じることができる。 派手さは全くないが、いい映画とはこういう映画をいうのではないか。
[DVD(字幕)] 7点(2008-06-08 00:38:56)(良:1票)
10.  アメリカを売った男 《ネタバレ》 
実話ベースということもあり、サスペンスに比重を置かれた作品ではなく、ヒューマンドラマに重きをおかれている作品だ。 「アメリカを売った男」を“極悪人”というスタンスで一方的に切り付けるのではなく、珍しく犯人側の内面にスポットを当てているのが特徴だ。 明確な動機などが語られないのも、逆に好印象となっている。 人間の内面はそれほど単純なものではなく、簡単に割り切れるものではない。 一方では金銭や恨みのため、他方では愛国心ゆえに“組織を試す”という目的や、彼自身が何事でも“試してみたい”という性格もあったのだろう。 そういう人間の二面性について、本作ではきちんと描きこまれている。 一方では家族や孫を愛し、宗教を崇拝する敬虔の念が深い人間として描かれており、他方では家族、国を裏切る人間として描かれている。 また、一方ではパンツスーツの美しい女性に眼を奪われる同僚を諌めておきながら、他方ではジョーンズのDVDを愛好し、ストリップを好み、妻との関係もビデオに撮るような男だ。 彼には、人間の“闇”のようなものが垣間見られる。 若き捜査官もそういう人間の“闇”を覗き込むことで、“闇”に飲み込まれそうになったのではないか。 妻を愛しておきながら、妻を裏切るような行為をせざるを得なくなる。 様々な面で宗教や母を利用して、仲間であるはずの上司を監視せざるを得なくなる。 そして、監視している自分までも含めて、裏で監視されていることを知る。 FBIという職場にいる限りは、本当の自分ではなくて、偽りの自分を演じざるを得なくなると彼は気づいたように思われる。 自分も“闇”に落ちて、クーパー演じる男のように二面性をもつ男になってしまうのではないかと気づいたのではないか。 彼がFBIを退職するのも納得がいった。 クーパー演じる男は最後に「Pray for me」と呟いたが、彼は自ら落ちていったのではなくて、落ちざるを得なかったのかもしれないというラストで締めくくっている。 ある意味で、彼は真面目すぎたのかもしれない。 描きたいものは描かれており、内容もしっかりしていると思うが、どこか中途半端な印象も受ける。 面白い面にスポットを当てており、これが完璧に描かれていれば、最高の傑作となったのだが、深く掘り下げるわけではなく、残念ながら浅い部分を掘ったところで満足してしまったように思われる。
[映画館(字幕)] 6点(2008-03-31 23:34:27)
11.  アメリカン・ギャングスター 《ネタバレ》 
157分という上映時間にも関わらず、まったく飽きることがなかった。1970年前後という時代には生まれていないが、その時代を実にリアルに感じることができる完成度の高さには驚かされる。そればかりではなく、アタマが混乱するような分かりにくさがまったくなかった。この手の映画は、登場人物が多く、人間関係など初見では混乱するようなものが多いが、実に丁寧に練りに練られている。スコット監督とザイリアンの脚本の上手さには脱帽だ。 ストーリー的には派手さはない。実話がベースのため、驚くような展開はないのは当然だ。フランクとリッチーの二大スターによる壮絶なバトルがあるわけではない。追いつ、追われつの駆け引きがあるわけでもない。二人が直接対面するのは終盤の終盤だ(このシーンも実に印象的に撮られている)。 しかし、二人の直接対面に至るまでのそれぞれの紆余曲折が、最後に大きな波を作ったのがよく分かる仕組みとなっている。 真の「ギャングスター」とは、汚職警官のことを指すのかもしれない。 子ども時代のフランクが経験したように、警官が自分の家をメチャクチャにし、家族を平気で殺すようなところで育っては、ろくな大人にはなりようもない。 警官よりも、ギャングのバンピーの方が何よりも信頼できる街だったのだろう。 フランクの母親も語っていたが、本来ならばフランクは道を示すべきだったのかもしれないが、その道が腐っていてはどうしようもない。 犯罪がはびこる街を変えるためには、その街を仕切る人々がまず変わらなくてはいけない。警官が変われば、ギャングも変わり、犯罪やドラッグもなくなるのかもしれない。 フランクに対する感じ方は非常に難しい。 残虐性やドラッグ密輸に対して嫌悪感を持つことも出来るが、紳士的な振る舞い・家族を愛する姿勢に共感を持つことも出来る。 善や悪、白や黒に割り切れない微妙なグレイさをフランクに感じることができる。 上手く彼の感情を理解することは出来にくいが、ハリウッド映画にありがちな単純な内面とは異なる内面を感じることができるのも本作の面白さの一つだ。 野球選手に憧れていた甥が、フランクを憧れると言い出したのも面白いエピソードだ。 チンピラとは異なる、カリスマ性のあるカッコ良さを醸し出していた。 しかし、彼は犯罪者であることには間違いない。 出所した際のラストのシーンが何よりも多くのことを語っている。
[映画館(字幕)] 8点(2008-02-03 00:08:50)
12.  アース 《ネタバレ》 
渡辺謙版を見たかったのが、時間の都合上パトリック・スチュアート版を鑑賞することにした。ナレーションの意味は分からないが、落ち着いた語りに多少の抑揚をつけており、全体のイメージに即した好感触のものであった。 しかし、内容的には満足のいくものではない。圧倒される映像や驚かされる映像も期待よりも少ないと感じた。46億年の歳月を刻み込んだ“地球”の美しい造形などはほんの少ししかなかったのではないか。可愛らしい動物の姿を追うのが、まさか“地球”というテーマを描いた映画ではあるまい。ユーモラスな動きで観客の笑いを誘うのも大事なことだが、“地球”というテーマの本質部分とズレているのではないか。「ホッキョクグマのナヌーとゆかいな仲間たち」という映画ならば別によいが。 「ライオンVSゾウ」等の衝撃的な映像も確かに見られるが、もっと残酷的なところまで映してもよかったのではないか。そうしないと“自然の過酷さ”“何億年と繰り返されている自然の摂理”といった本質的なものが伝わらない。子どもも鑑賞するので、配慮したようだが、自然はそれほどヌルいものではないと気付くきっかけとなるはずだ。直接的に残酷なシーンは描けないにしろ、残骸程度は描いて、間接的に自然の残酷さを醸し出してもよかった。 「ディープ・ブルー」でも同様の手法を取っていたが、ラストでとって付けたようなナレーションは止めていただきたいものだ。内容が伴っていればよいが、あのナレーションを聞いても「地球のことをもっと考えよう」「地球の温暖化を止めよう」とは思えない。絶滅寸前のホッキョクグマを人間に見立てたところまではよかったが、地球の危機的な状況や、地球の悲鳴が聞こえるような映像を付け加えて欲しかったところだ。 「誰もが魅了される美しい地球」をきちんと描いた後に、「美しい自然が汚されて、自然が失われていく地球」を描けば、いい対比となり、いいメッセージとなったのではないか。「ディープブルー」でも述べたが、根気よく映像を撮り続ける職人ではあるが、クリエイターというわけではないようだ。悪く言えば、北極から南極へ南下しながら、映像を単に切り張っただけともいえる。しかも、あまり意味のない映像が切り張られているところがあるのが残念だ。 美しい圧倒的な映像で観客を魅了できれば、それだけでも十分メッセージになったはずだが、そこまでのレベルではないと思う。
[映画館(字幕)] 4点(2008-01-17 23:30:35)
13.  アイ・アム・レジェンド 《ネタバレ》 
息が詰まりそうな緊張感ある展開、地球最後の男の細かい日常的な生活描写、ウィル・スミスの熱演、犬との友情など、見所は多数あるが、ストーリーはそれほど面白いとは思わない。 というのは、本作の根幹にあるのは、“神”の存在・不存在にあるからではないか。この要素が入ると、日本人にはちょっと苦しい気がする。 人類が滅亡し、自分の妻子も失い、神を信じられなくなった主人公が、ラストで“神の声”らしきものを聞いて、自分の使命を確信し、使命を遂げた後に亡くなった妻子の下に帰るというのが本作のテーマである。 なぜ、ラストで手榴弾を放って、自分も助かろうとしなかったのかというと、自分の使命さえ果たせば、自分の命などどうでもいいのである。生き永らえることが彼の目的ではなく、家族の下に向かうのが彼の願いだと考えられる。 家族の下に向かうのが彼の願いだとすると、“自殺”すればいいのではないかと思われるが、そうさせなかったのも“神の意思”だったと解釈するしかない(彼が免疫者だったのも“神の意思”ということになる)。 しかし、本作では、彼は一度“自殺”を企てている。犬(サム)という大切な仲間を失った際、自暴自棄になったウィル・スミスはダークシーカー達を道連れにして死のうとしている。 仲間という唯一の絆を失って、一人では生きていけないと考えたのだろう。あのとき死ぬつもりだったのは間違いない。だからこそ、助けられた朝、彼の様子がおかしかったのである。別に、取っておきのベーコンを食べられたから、様子がおかしかったわけではない。あのとき、女性に偶然助けられたのも、女性が語ったように“神の意思”ということになる。“神の意思”というテーマがある以上、人類が滅亡するわけはないのである。難なく最後に村に到着し、血清を手にした人類はきちんと生き永らえることができるのだ。 逃げずに自分の身を研究に捧げて、自分の使命を全うし、人類を救った彼は“(神の勅命を受けた)伝説の男”となったわけである。 単純なゾンビ系アクションではなく、“神”というテーマを根幹に添えたため、やや面白みを欠いている。 ヘリコプターでの妻との別れの際にも、祈りを捧げており、深い宗教性があるのは間違いないだろう。 前半はその色が薄いので日本人でも楽しめるが、後半はその色が濃くなってくる。単純な映画を楽しみたい日本人には、どう考えても向いていないだろう。
[映画館(字幕)] 6点(2008-01-07 01:39:56)(良:2票)
14.  アンジェラ(2005) 《ネタバレ》 
母国フランスでは大コケ・駄作扱いされていた本作だけど、まったく駄作というわけではなく悪くはなかった。しかし良くも悪くもない中途半端な映画という印象を受けた。 映画自体は、説教くさいテーマであったが「嘘をいわずに真実をいえ」「人に愛されるような人間になり、なおかつ自分自身も愛せ」「自分に自信をもて」などそれなりのテーマを描きつつ、ラブストーリー的な要素や「別れの辛さ」なんてものも描かれている。しかし、これらのテーマなどが上手く演出されてはいないという気がする。特に、アンジェラの過去がなく苦悩するところや、アンジェラがアンドレのことを本当に好きになり始めて困惑してはやく空に帰りたがるという、肝心の「終盤」をかっ飛ばすほどに雑に演出しすぎている。ここは繊細に演出すべきだろう。 また、アンジェラが天使であることがあまり活かされているとは思えない。途中で正体も明かしてしまっているため更に面白さがなくなっている。天使とはっきりと描くのではなく、ラストは「果たして、アンジェラとは、夢だったのか、幻だったのか、天使だったのか、それとも生身の人間だったのか…」というような余韻を感じたかった。「グランブルー」「ニキータ」「レオン」で感じた「二人の別れ」の「前向きな切なさ」のようなものを演出できる人ではなかったか、リュックベッソンという監督は。お決まりのハリウッドエンディングを良しとする人だっただろうか。 むしろアンジェラは生身の人間の方が面白いのではないか。傷ついた男女が同じ時間、同じ橋で自殺未遂を図るという奇妙な出会いから、お互いがお互いの心の傷を癒していくというストーリーの方がよりベターな気がする。 また、この映画は「最後の戦い」でみせた白黒映画であり、「グランブルー」のような美しい風景をみせており、レオンでの名ゼリフ「「OK」は言うな。(個人的には使って欲しくなかった)」やフィフスエレメントで描いた「愛してる」と言い出せないシーンなど、リュックベッソンの集大成のような映画になっている。しかし逆の見方をすると、前作から6年経ったベッソンの成長のなさ、才能の限界や、監督能力の減退を見せつけられたような気もする。 この内容なら思いきって「最後の戦い」のように全くセリフをつけず、演出と俳優の演技だけでみせつけ、終盤の「ジュテーム」のみをセリフにするとか思いきった演出がみたかったところだ。
[映画館(字幕)] 5点(2006-05-15 22:58:58)(良:2票)
15.  愛についてのキンゼイ・レポート
無修正という事が少し話題になっているが、その点については全く衝撃を受けるものではないので期待しないように。それよりもエンディングクレジットの際に流れる映像の方がよっぽど刺激的ではないだろうか。 この映画は「性」についてオモシロオカシク描いたイロモノ的な映画ではなく、極めて真剣に真面目に創られている映画であるので誤解しないように。 映画は色々と考えさせられるところもあり、恐らくよい映画なのかもしれないが、どうにも自分にはピントが合わせづらい映画だった。 この映画は、今から50年前「性」という当時はタブーとも言えるテーマに果敢に挑戦した学者の苦難の半生という見方もできる。また、夫婦の愛を描いた作品でもあり、父と子の確執を描いた作品でもあり、「性」と「愛」の違いや、人間の個性についても描いた作品でもある。 しかし、それらを観客に明確なメッセージを込めて、ストレートに伝えるのではなく、かなりボヤッとした感じで描かれているという印象を受ける。 だから観る者が深く深く噛み締めれば、味が出るのかもしれないが、初見ではあまりピンと来るものがなかった。 というのも、自分はノーマルだと思っているからかもしれないが、自分がアブノーマルかもしれないと思っている人は観れば、特別に感じるものがあるかもしれない。 それにしても、例の出し方が上手いなと感じた。かなり危ない10秒オッサンとレズのおばさん、この二人を登場させることにより、キンゼイレポートの功と罪が明確になったように思える。
[映画館(字幕)] 5点(2005-08-28 13:47:29)(良:1票)
16.  アイランド(2005) 《ネタバレ》 
近未来を舞台にクローンをテーマに扱ってもマイケルベイにはお構いなし。相変わらずのベイ・ワールドが展開される。ある意味、凄えなと思わせるこだわりが彼にはあるようだ。本作は頭を空にしてアクションを楽しみたいという人に向く映画であり、クローンを扱ったアイデンティティや人間性をテーマにした映画を観たいとか、近未来の管理社会やクローンの危うさをテーマにした映画を観たいという人にはあまり向かない。そうは言ってもバッドボーイズとは違って、あまりおふざけなしの映画には仕上がっているので、なんとか観れる映画にはなっているとは思う。そして「バッドボーイズ」でもおなじみの激しいカーアクションは一つの見所になっている。「バッドボーイズ」では、クルマの上からクルマや死体を投げ落としていたが、今回もなにかを投げています(荷台から荷物が落ちて、後ろがとんでもないことになっているのに運転手は走り続けるところがマイケルベイらしいところ)。 以下ネタバレ【マイケルベイのここが嫌い】 ①「捕まえるのは無理だ!もう殺しちまえ」といきなり言ってしまうところ。一応、大事な「商品」らしいのだし、クローンの育成には恐らく莫大な時間と費用が掛かるのだろうし、サラ本人は死にそうな状態なのに、殺していいのか。契約とかもあるだろう。 ②「軍にばれたらやばいからオマエ達に頼む」というのが大前提。にもかかわらず、ブシェミを惨殺→(ブシェミカード使用により)警察の介入を許す→今度は警察を襲撃。そんなことしてたら、しまいには軍動くぞ。しかも、再度のカード使用では警察に動きなし。そもそも論を無視した激しいアクションには笑けてくる。 ③おもむろにジョーダンがパンツの中から拳銃を取り出すところ。セキュリティも何もあったもんじゃねえな。金属探知機か何かで調べられたら御仕舞のそんな無謀な計画が上手くいくと思っているのか。 ④全く途中のストーリーとは関係ない部分で、フンスーが裏切るところ。それは本当に勘弁して欲しい。ストーリーに多少絡ませるくらいできるだろう。汗かきすぎだし、そもそも銃持っているからって、リンカーンを撃ち殺すなよ。 ⑤ラスト大将一人で自らリンカーンに立ち向かうようなところ。あとから、いっぱい黒服も来たけど、その後、どっかに行ってしまっているようなところ。 ⑥「アイランドはあったわ。それはわたし達よ。」まじで意味分からねえ。
[映画館(字幕)] 3点(2005-07-24 02:14:42)(笑:3票) (良:2票)
17.  アザーズ
「シックスセンス」はネタが分かった条件で見ても様々な発見や、想いが通じ合えた際の母子の関係には深く感動させられるが、この映画は一度でも見てネタが分かってしまえば、大したことのない映画でしかなかった。 これほど中身のない脚本をラストまで引っ張り続けられる演出は誉められると思うが、もう少し中身を充実させることはできたはずだろう。 まず、本来生きているもの(ニコールにとっての幽霊的なもの)の出番が少なすぎると思う。ビクターと子ども達の会話やピアノシーンとラスト以外に登場させなかったのには恐らく演出家のこだわりがあったとは思う。確かに「はっきりさせないことによる怖さ」を狙っているのだろうが、それにしても勿体付け過ぎている。この映画を二度みるとそれがより感じられる。中盤の山場に一つ大きな仕掛けを用意しても良かったのではないか。中盤の山場にアンに霊能者を憑依させるのではちょいと弱いだろう。 そして、父親の存在。父親はグレイスの子ども殺しとの関係から重要なキーパーソンと考えられる。しかし、どことなく中途半端なイメージを受ける。 グレイスは夫が「戦争を口実にして、自分たちを捨てた」と思っていて、夫が戦争に行ったきり戻らず、その結果、精神的に追い詰められて子ども達を殺すことになったのだから、もっと重要な使い方をすべきだろう。 グレイスの誤解を解いたり、子ども達に対してグレイスが悪くなかったことを証明する必要があったはずだ。言葉による説明は特になく、キスシーン等の雰囲気でだいたいは分かるが、帰り際に「すまなかった」の一言では、彼の存在は個人的には勿体無いと思う。 使用人の使い方も若干甘いのではないか。特に三人いる必要性が感じられない。あれならミルズ一人でも問題ないだろう。もっとタトル、リディアにもストーリーを振らせても良かっただろうと思う。 この映画で唯一良かったのがグレイスを演じたニコールキッドマン。母親としての愛情の深さや夫がいないにもかかわらず一人で頑張り続ける強さを感じる。子ども達に厳しく接するのにも彼女なりの愛情を感じさせる。事件を起こす原因であったと思われる神経質な性格も醸し出している。
[DVD(字幕)] 5点(2005-04-10 19:10:41)
18.  アビエイター 《ネタバレ》 
「カジノ」はうんざりするほど長く感じたけど、本作では約3時間でも長さは感じなかった。 各エピソードは細かく切断されて、一見繋がりがないようにみえて、全体として見事に調和されていると感じる。 このあたりはスコセッシの演出の素晴らしいところだ。 しかしスコセッシらしい抑揚のなさ。ストレートに観客に訴えるものがないのも彼の映画らしい。 観ている間は、ヒューズの人生からはほとんど感じるものがなかった。 しかし、観終わった後、この映画について思い起こせば、自然と色々と感じるものがふわふわと頭に浮かんでくる。 なかなか不思議な魅力のある映画だ。 既存の大きな体制・権力(ハリウッド・大航空会社・政治家)に自己の財源と情熱と執拗なまでの完璧さで立ち向かった男。 誰にも負けない情熱と妥協を許さない信念が、自由な発想を生み、不可能を可能としていった。 そういうヒューズのような先人達の想いが「現在の世界」を形作り、「未来への道」へと向かっているのではないか。 更には、情熱や信念の「強さ」と人間の(精神の)「弱さやモロさ」を対比的にあるいはミックスさせて描いている。 というような結論に帰りの電車の中で辿り着いた。 このようなことを映画を観ている間に感じられればもの凄い良い映画のはずなのだが、 そう感じられないところが、良くも悪くもスコセッシのような気がする。 人間というのは単純な生き物だから、ストレートに心を揺さぶるように描けば、 スコセッシのような才能ある演出家であればアカデミー賞は取れる気がするが。 しかしヒューズのようにスコセッシも彼らしい信念と情熱があるのだろうか。 いつのにかその強い信念でアカデミー賞という体制にディカプリオと共に打ち勝って欲しい。 その他にも、ヒューズのことをよくは知らないのだが、ヒューズというエピソードがありすぎる人であるため、 有名なエピソードに振りまわされてしまうことが良くある。 それらを全て映画の中に描こうとすれば、本筋からズレて、まとまりが悪くなることはある。 全体の調和は取れていると感じたが、いくつかちょっとズレているエピソードがあった気がする。
[映画館(字幕)] 7点(2005-04-03 01:54:49)
19.  アダプテーション
「adaptation」には、①適合、適応、順応という意味と②改訂、脚色という意味がある。 まさにこの映画はこの二つを兼ね備えた映画なんだろうと思う。 原作「蘭に魅せられた男」に書かれたストーリーが進行すると同時に、「蘭に魅せられた男」を書くために取材するオーリアンのストーリーも進行する。 そして「蘭に魅せられた男」の脚本を頼まれたカウフマンのストーリーや妄想とともにカウフマンが描く脚本の内容(人類誕生等)も映画の中に描かれている。 この映画は二重、三重、四重へと広がりを見せながら、それぞれが変化、適合しながらストーリーが見事に進行していく点に面白さを感じる。 また、この映画は現実を描いていそうでありながら、全て脚色の世界の中にある点も面白い。 もちろんドナルドなんて兄弟はいないし、「3」も存在しない。 確かチャーリーはハゲてもなければデブでもなかったはずだ。 実在するはずのラロシュも恐らくワニに食われたりもしないだろう。 これらはマッキー(存在するのか?)が言うように全てはラストで観客を唸らせるための脚色にすぎない。 このラストには本当に唸らされる。 冒頭に語っていた「ドラッグ、銃撃、カーチェイスや立派な教訓を学ぶような映画にはしたくない」と語っていたカウフマンの話が見事に伏線になっていてそれがラストに繋がっている。もちろんハリウッド的な映画に皮肉を込めて。 しかし、確かにこの映画では立派な教訓は学べないかもしれないが、「愛することは自由」という愛の大切さや人生への一縷の希望を感じさせた小さな教訓はチャーリーは描いてくれたなあと感じる。 ほかにも「現実はたんたんとしているか」というマッキーの言葉にはドキッとさせられる。 この映画の中に描かれた世界は一応脚色された世界であるが、「映画の中の世界」と「現実の世界」にはそれほどの差があるのかどうか色々考えさせられたところもある。 実在の人物を脚色した映画であるが、ここに描かれた人物と実在の人物もそれほど差は無いのではないかという気がする。オーリアンの孤独、カウフマンの神経質な自己嫌悪など、現実社会に生きる「人間」の鋭い現実を描いている気がしてならない。
9点(2005-03-20 03:07:27)
20.  アバウト・シュミット
今はまだこの映画が本当に言いたかったことは分からないかもしれない。 しかし、何十年かして、自分の人生を振り返ったときに自分が何を想うのだろうかと考えさせられる映画だ。 長年勤めてきて、自分なしには会社は回っていかないだろうという思ったとしても、自分なしに順調に会社は動き、自分の存在は新任者にとっては鬱陶しいだけだ。 自分がなした仕事の成果はゴミとして扱われ、自分が長年犠牲にして会社に奉げた貢献とは一体何だったのか。 42年連れ添った妻にも多少の嫌気がさしているも、失って知るその必要性と存在感。 しかし妻の死に伴い、全く知らなかった一面を知ることになる。 42年で一体彼女の何を知っていたのだろうか。 分かり合っていたはずの長年の友情も、妻との浮気を知り、愕然とする。 培った友情は何だったのか。 このように自分はこの人生において何をしてきたのかという疑問にぶちあたるのはシュミットだけではないだろう。 自分の人生にどういう意味があったのかという深いテーマに対して、人生の果てに見た悲哀と孤独が静かにまたユーモラスに描かれているのはとても好感的だ。 しかし、旅を通していくら自分の人生の意味を探ったとしても、どうしようもない奴と娘の結婚も止めることもできず、結婚のスピーチでも本心ではないありきたりのことを言ってしまうつまらない弱い人間だと知ることになる。 自分も個人的には人間なんて実際に弱くちっぽけな存在だと思う。 人は他人に影響を与えるような存在である必要はない。 ただ、自分のことを想ってくれる誰かがいれば良いのではないかというのがラストのシュミットの涙を見て感じたことだ。 弱くちっぽけな存在ということを認識して、その人生に何かの意義を見つけていくことが必要なんだろうな。
7点(2005-02-28 01:30:36)(良:2票)
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