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1.  キング・コング(1933) 《ネタバレ》 
無駄のない構成に感服。まずスカル島に到着するまでの序章がテンポよい。ジャングル映画監督の特異な性格が示され、運よく不遇の美女タレントがスカウトされ、恋を知らなかった荒くれ船員が美女と恋に落ちる。次に原住民との遭遇⇒美女が原住民にさらわれる⇒コングが美女を連れ去る⇒美女奪回のため島の奥地へ⇒恐竜との遭遇⇒コングと恐竜達との壮絶バトル展開⇒美女奪還⇒コング捕獲と休む暇がない。ここで終わっても冒険物語は成立する。当時流行していたジャングルもの、南洋ものと呼ばれる小説や映画の多くがそうだった。本作は、このあとコングをニューヨークに連れていくことで名作となりえた。「コングを見世物にして金儲けする」という人間の欲望、これを描くのにニューヨークはぴったりの街である。自然との調和を忘れ、欲望に溺れ、堕落した人間達に、神の使いであるコングが天罰を加える。経済発展を謳歌していた米国で世界恐慌が発生した直後の制作で、コングは当時の人が無意識に持っていた罪意識の象徴として映ったのに違いない。これが現在にも通じることで、今でも色褪せない理由の一つがここにあると思う。美女を取り戻したコングは高層ビルの天辺に避難する。だがそこに安住の地はない。文明の利器である飛行機と機関銃が襲い掛かる。スカル島では怖いものなしだったコングもこれには勝てず、墜落死する。人間を襲った罪として、今度はコングが罰せられたのだ。欲望とそれを律する心のせめぎあいを見事に表現している。もう一つの主題は恋愛という不思議さ。いくらコングが美女を愛しても、その愛が報われることはない。コングは美女の守護者であると同時に永遠の失恋者。美女に恋しても相手は振り向いてもくれない経験を持つ男性は多い筈で、身につまされる。野獣のコング相手に感情移入できる所以だ。失恋男の哀れさが憐みを誘う。美女に惚れなければこのような悲劇は起きなかった。「飛行機ではない、美女が野獣を仕留めたのだ」の詞は的を得ている。副題の「the eighth wonder of the world」はコングであり、恋愛である。鑑賞後冒頭の諺がしみじみと想起された。「預言者曰く。見よ、野獣は美女の顔を見て、殺そうとして伸ばした腕を止めた。その日以来野獣は死んだも同然となった」野獣でさえもこうだ。どんな人間でも美を愛でる優しさ、人間らしさを持つ。コングよ安らかに眠れ!
[DVD(字幕)] 10点(2012-07-01 01:27:53)(良:3票)
2.  去年マリエンバートで 《ネタバレ》 
人の記憶の曖昧さ、存在の不確かさを表現した前衛作品である。幾何学的図案の庭園、大型の鏡、動と静、雑踏と静寂、移動するカメラ、繰り返される映像と語り、噛みあわない記憶と会話、男女彫像の解釈の違い、女の写真の説明の違い、物語が本編と入れ子になっている劇中劇、ゲームに勝ち続ける男、挿入される射撃練習の場面、挿入される女が死ぬ場面、不穏な音を奏でるオルガン、そのどれもが不安を駆りたてる、それでいて不快さはない。物語の意味は不明でも、静謐で硬質な映像美は心の深層に滲み込む。傑作だ。 壁、扉、廊下が続き、幾何学的庭園を持つホテルは、記憶が迷宮であることの象徴。 たびたび服装が変わることで現在と過去が交差していることが示される。 男女彫像の背後の風景に泉水であったりなかったすることで、男女の記憶に大きな相違があることが示される。 夫が男にゲームに勝ち続けるのは、夫が女(妻)の支配者であることの象徴。 一年前の場面で「一年目に会った」という会話があるように見える。時間がループしているのか? 女が射殺される場面は、不安が嵩じた女の悲観的幻覚。 男は女に記憶を思い出させようとするが、二人が結ばれた場面になると、男の記憶も曖昧になっていく。強姦か同意か?しかしそのことが重要でなくなるほど事態は緊迫している。 女の着る羽毛の服は、現実から飛翔したいという願望の象徴。 男が乗った石の欄干が崩れる場面は、女が過去を思い出した瞬間。幾何学の迷宮の一角が崩れた。女が落して割ったコップの欠片を給仕が拾う場面は、過去を拾い集めることの象徴。過去を思い出したことで、女は男を受け入れ、駈け落ちを決意する。夫には妻がいなくなる予感がある。女は、夫が駈け落ちを阻止するだけの時間的猶予を与える。二人が去ってから夫が現れる。夫は何を思うのか?二人はどうなるのか?ループから抜け出せるのか?すべては死者の世界の物語なのか?すべて不明、明確な答えのないまま映画は終る。まるでだまし絵のように、現実の世界が虚構の世界に、虚構の世界が現実の世界につながる。重畳たる虚構により現実が創造される稀有な作品。その構成と技法は芸術の域に達している。 合理的な解釈すれば、「因習に満ちた社交界と愛のない家庭生活に倦んだ女性が、不安を抱えながらも、愛を見つけて、自らの殻を破って新しい世界に飛び出していく」のを表象的に描いた作品となるだろう。
[ビデオ(字幕)] 9点(2014-08-17 01:49:36)
3.  キューポラのある街 《ネタバレ》 
眉目秀麗で成績優秀のジュンだが、貧しくて高校に行けないという不条理な現実が重くのしかかる。楽して高校に行ける人には負けたくないという負けん気でバイトをしながら受験勉強に励んでいたが、父が仕事を再び辞め、母が酒場で男に抱かれながら働いている姿を見て気持ちが折れてしまう。修学旅行を取りやめ、悪友とバーで踊り、酒を飲んで寝込んでしまう。不良達に乱暴されそうな所を辛うじて逃げ出せたのは幸いだった。登校拒否を続けていたが担任の説得により復学し、卒業後は就職して夜学に通う道を選ぶ。自分で選んだ道だから安易に変えたくないという彼女の気持ちは健気だ。 弟タカユキは幼いので貧困はまだ切実ではなく、笑い飛ばしている。それが一服の清涼剤となって作品に彩りを添えている。 ジュンと同様に不幸な境遇にいる朝鮮人の友人が北朝鮮に帰郷するとき、もっと話をしたかったと言い交すのは泣かせる。 牛乳配達の少年が牛乳を盗んだ子供らに対して、お前らのせいで病気の母の薬代が消えると泣きながら石を投げるも忘れがたい。 結局のところ真の貧困や悲惨さは描かれておらず、父親が都合よく職場に復帰できるなど予定調和で終っている。それでいいのだろう。少女が逆境にめげず、明日を信じて自分の進む道を探しだす姿を描くのが眼目だ。苦境から抜け出そうと懸命に頑張る姿を見ると応援したくなるものだ。頑張る人が成功すると爽快になる。スポーツを見ているようなものだ。それがこの作品の成功の要因といえるだろう。 それにしても主演女優の美少女ぶりには目を見張るものがある。まさに掃き溜めに鶴だ。体を張った演技も好感が持てる。例えばジュンの友達役の誰かが主役を演じていたとしたら、この作品はさほど注目を集めなかっただろう。また子供達に自然な演技をさせた監督の力量も賞賛に値するものだ。脚本に無駄がなく、工場や学芸会の場面など一つ一つ、丁寧に手堅く描かれている。窓を開けると夕陽に染まる街並みが見えるなど印象深い場面がいくつかあった。これが初監督作品で、脚本も自分で書いている。才能のある人だ。 
[DVD(邦画)] 9点(2014-06-24 01:58:31)
4.  奇跡の人(1962) 《ネタバレ》 
三重苦を克服することは可能か、考えたことがある。結論として、生まれながらの三重苦の場合は、どう考えても無理と思った。言葉があるということをどう教える?ましてや話せるようになるなど。2才で三重苦となったヘレン・ケラーが克服したことになっているが、信じられないでいた。自伝を読んでも、釈然としなかった。水に触れさせ、今触れているものの綴りがWATERで、発音がウォーターってどうやって教える?ましてや手には触れられない物や抽象的な概念をどうやって?長年の疑問の一端が本作で氷解した。方法はこうだ。先ずふたりだけで生活する環境を整え、相手に自分を頼らせる。その意味が分からずとも、とりあえず指と指で文字を伝え、自分の顔に手を触れさせ、表情や首の振り加減で、うまくできたか、嬉しいなどの感情を伝える。躾は、ちゃんとできるまでは食事をさせなほど厳しくし、うまくできた場合は褒美のケーキを与えたりして誘導する。これを何度も何度も繰り返す。決して諦めない。そして最難関は「ものには言葉があって、今触れているものの綴りが指文字で伝えられているもの」と理解させること。これは本人が気づくのを待つしかない。 サリバン先生の熱意、母親にも勝るとも劣らない愛情には頭が下がる。体ごとぶつかり、決してくじけない、その鬼気迫る姿は胸を打つ。彼女自身かつて盲目であり、孤児として救貧院で悲惨な生活を過ごし、盲学校時代に二重苦を克服した人と出会っている。これらの経験が活かされている。逆にこれらの経験がなければ”奇跡”は成し得なかったろう。二人の出会いは神の祝福だ。 ヘレンの野獣児ぶりには度肝を抜かれた。ホラー映画顔負けの怖さがあった。エクソシストの少女のように、いまに首を180度回転させ白目を剥いて「WATER!」と叫ぶんじゃないかと想像したほど。食事を教えるシーンは屈指の名場面。 The Miracle Workerは「奇跡的な職人」で、ヘレン・ケラーのことではなく、アン・サリバンのこと。史実では先生20歳でヘレン7歳だから、役者の実年齢とはだいぶ違う。映画では触れられていないが、発音を教える方法は、生徒の指を先生の唇と喉もとに当てさせて、振動を覚えさせる。これを実際にアンとヘレンが実践説明している動画を見た。ヘレンが来日したときサリバンは既に帰らぬ人となっていた。
[DVD(字幕)] 9点(2012-12-21 16:30:05)
5.  銀河鉄道999 《ネタバレ》 
主題は永遠の命を得ることの是非。機械の体に魂を封じ込めて永遠の命を得た機械化人間は、命を軽視し、人間狩りを楽しむなど堕落するようになっていった。機械伯爵に母を殺された鉄郎の復讐譚と、機械化打倒をめざす人間と機械化母星の女王との最終対決を描く。蒸気機関車型宇宙船による星間旅行という浪漫的な演出で、宇宙に対する憧憬と冒険心がかきたてられる。他に文明批判あり、戦闘あり、友情あり、悲哀あり、恋愛あり、と贅沢な内容になっている。無駄のない緻密な脚本で、全ての挿話がつながっているといってよい。例えば、タイターンで二人は山賊に襲われ、メーテルが誘拐される。鉄郎を助けた老婆は鉄郎に帽子と銃を渡す。この銃は機械人間を倒せる「戦士の銃」で、老婆は戦士トチローの母だった。トチローはエメラルダスの恋人でハーロックの親友。エメラルダスは機械伯爵のタイムマシン「時間城」の場所を知っている。トチローは後に鉄郎の手を借り、魂だけの存在となりハーロックの海賊船アルカディア号の心となる。山賊の頭領はアンタレスで、機械化人間打倒を目指しており、鉄郎が機械伯爵と対決するとき助っ人となる。この対決時、体内にエネルギー弾の不発弾を抱えているという伏線が回収される。又、メーテルの謎の提示方法が見事で、最後まで観客を惹きつける。「最後まであの少年と行くのだ、それがお前の役目だ」という謎の会話。メーテルが氷の墓で見ていたものは何か。エメラルダスと旧知の仲。アンタレスの最後の言葉、「メーテルに気を許すな」。終着駅が近づくにつれて浮かない顔になる。機械化母星の名がメーテル。これだけ謎が多い女性は他に例がないだろう。メーテルが鉄郎を裏切ったと思わせる演出も終盤を彩る。登場する女性全員が鉄郎の味方をするのは、母性本能をくすぐるからだろう。音楽は荘厳で、哲学的で重厚な主題にふさわしい。画は粗いものの内容は壮大華麗な宇宙歌劇で、アニメの傑作といっていい。不満は次の2点。星ごと爆発させるという暴力的な解決方法。たかが硝子体のクレアが簡単にプロメシュームを倒す。【メーテルの正体まとめ】女王プロメシュームの娘。人間の体に魂を宿らせる影のような存在。今は鉄郎の母に生き写しだが、年取ると別の体に乗り移る。そのようにして永遠の命を保つ。魂は分離され一つは機械化母星の心となっている。冥王星の氷の墓に元の姿が眠っているらしい。
[映画館(邦画)] 9点(2012-07-08 10:22:08)
6.  気狂いピエロ 《ネタバレ》 
物語本位で観せる従来の映画を解体し、脚本、映像を独自の感性と即興で再構成させた作品。時系列の操作、ジャンプ編集、観客に話しかける俳優など、映画の約束事を破り、多解釈が可能。詩や映像の豊かなイメージと喚起が、男女が閉塞した現実から逃避行するというストーリーと相まって、爽快さと開放感をもたらす。体験する映画。◆男にとって女はファム・ファタール、魔性の存在。犯罪と事件を運んでくる。その神秘性を崇め共にいたいと願う。ドル札を燃やしたり、奪ったばかりの車を川に沈めるのはそのため。金があると女が逃げるとわかっている。◆女にとって男は夢ばかり見ている存在。一緒にいても退屈。「僕を捨てないでね」「もちろんよ」騙されているとも知らないで詩ばかり書いている男は道化師にしか見えない。◆女は何をしても明るく、生き生きと描かれている。倫理観を超越した神々しさがある。一方で男は、つねに閉塞さを感じている。思想を言葉でまとめようとしているが、うまくいかない。◆多くが記号化されて表現。舞台装置に近い。裸で箱に入ればお湯がなくとも風呂、流れる照明で車中、死体と武器があるので武器商人の家、木の棒だけどダイナマイトと書いてあるなど。女が上機嫌のときはミュージカル風になる。◆事故に見せかけて車を燃やす場面で、高速道路が一部しかない。これは行くことも戻ることもできない絶体絶命の象徴。◆犯罪はコミカルに描かれる。盗むつもりの車の台車が上がったり、ギャングが小人だったり。犯罪も舞台装置でしかないということ。◆音楽が頭の中で鳴り続ける男。鳴っているのは音楽ではなく「あなたは私を愛していますか?」の言葉が鳴っている。本当に愛されているかわからない状態。◆逃避行は町から海へ至る道程。海が近づくにしたがって青色が画面を支配するようになる。車、服、椅子、ボーリング場、ペンキ。青は空と海が溶け合った色で、永遠の象徴。永遠=永遠の安楽=死でもある。◆男はダイナマイトを顔に巻くが死ぬつもりはなかった。「言いたかったのは、何故……」「バカだ、こんな死が」消そうとして爆発。死んだのは観客の心の中の道化師。誰にもこんなバカ(現実からの逃避行)をやってみたい気持ちがある。◆監督のプライベートな作品とも解釈可能。離婚したばかりで、分かり合えない男女の様を描いた。男は監督の分身。ウィリアムウィルソンのように男が死んで監督が生き残った。
[DVD(字幕)] 9点(2011-09-11 19:57:09)
7.  恐怖の報酬(1953) 《ネタバレ》 
ゴキブリで遊ぶ子供。一目で貧しいとわかる埃まみれの町。強烈な導入部です。そこは人生の掃き溜め。一度紛れ込んだら容易には脱出できない。人々は仕事にあぶれ、仕事にありついても食べるのがやっと。鉄道は無く、道は途切れ、脱出するには高額な飛行機代が必要。みな退屈で心が荒み、とげとげしい。そして本筋へ。ニトロの運搬です。報酬の額より人生の再出発ができることが重要。そのためには死をも恐れない男たちの物語。前半の人間ドラマのせいで無理なく後半の冒険ドラマに感情移入できます。冒険には障害がつきもの。一人は恐怖でヘタレになる。一定速度で走らないと危険ななまこ坂。腐った木材に載って行う切り返し。道路をふさぐ巨大な岩。原油の池。四人の素性が少しづつ語られ、友情が芽生えたり、たがいしたり、こちらも起伏も半端じゃない。ジョーがヘタレになったのは、まだ若いと思っていたのに、年をとった自分を認識したから。そこに恐怖が入り込んだ。マリオはジョーを頼りにしていたが、若さゆえの怖さ知らずで立場が逆転。報酬のためにはジョーを轢くことも厭わない。だが根っからの悪人ではないので、ジョーが死ぬと涙が止まらない。人間のエゴと弱さを痛烈に描きます。ビンバは強制労働の経験があり一度死んだ人間。一番芯がしっかりしています。ルイージは塵肺で余命はわずか。死を覚悟しているので、ダイナマイトの導線を消しにゆく勇気がある。彼がニトロを手にして咳をする演出は絶妙。だがそんな二人は爆死。その様子は詳細には描かれません。巻きタバコが爆風で吹っ飛ぶのみ。彼らの死は所詮無名の人の死であり、社会にとって取るに足らないもの、塵芥にすぎないことの象徴。故にその詳細が語られることはないのです。それがわかっているマリオは彼らを「負け犬」呼ばわり。が、それは自分に向けた言葉で、自分への鼓舞です。常識あるジョーは、その言葉をたしなめます。あくまでも対照的な二人。そう描くことで、二つの生命を浮き立たせます。両者共に死にますが、死に様もまた対照的。悲劇の二重奏です。この悲劇にリンダの悲劇が加わります。彼女は野生娘ですが、マリオを一途に愛していたのは痛いほど伝わってきました。マリオが成功したのに死んだのは、恐怖から開放されたから。あまりに凄まじい恐怖だったので、心が浮かれすぎ、思わぬ油断につながりました。これもまた「恐怖の報酬」です。
[DVD(字幕)] 9点(2009-09-20 03:50:19)
8.  キング・コング(2005) 《ネタバレ》 
ハリウッドの超娯楽大作のお手本のようなもの。次々と映し出されるスペクタクルに心奪われ、息つく暇もありません。主題はコングとアンの心の交流。コングがアンに惹かれてゆく様子は丁寧に描かれています。このときの表情豊かなコングは必見。アンも何度もコングに助けられた経験から感情移入してゆきます。つかの間のスケートの場面は実に見事な演出です。悲劇で終ることを知っていますから、泣けますね。島で一緒に眺める夕焼けとニューヨークで見る朝焼けは二人の愛の象徴で、本当に美しい。映像の美的センスが随所に光ってます。コングが町であばれているのを知ったアンが自らコングの前に姿を現すのは、コングを留められるのは自分しかいないことを自覚しているから。コングが最後にアンを降ろすのは、死を覚悟したから。よく出来ていますが、アンがもっとコングに語りかけた方が、より感動的になったでしょう。また、コングがアンを助けるために暴れだす脚本にすればもっとよかったでしょう。さて人間ドラマの方ですが、こちらは中途半端です。アンとドリスコルの愛が微妙。なのでドリスコルが生命をかけてアンを救出に向かう坑道に説得力がありません。元来この俳優は表情が乏しい上に生気がなく、愛とか冒険とかに向いていません。完全にミスキャストです。その点カールの表情の豊かさはどうでしょうか。欲望にとりつかれた現代人を憎いほど自然に演じていますね。バクスターはもっと悪者キャラにすれば物語にメリハリができました。ヘイズとジミーの友情はカットできます。原住民の扱いがひどいですね。孤島に住んでいれば争いがなく、平和に暮らすはずですが。途中から出なくなるのもマイナス。そもそもあんな恐竜や巨大昆虫、蝙蝠などが大量にいては人間は絶滅すること間違いありません。いくらなんでもやり過ぎです。登場するのはTレックスだけで十分です。他にも岩がコングの顔になっているとか、バクスターのポスターがいたずら書きされるとか、不要なものがある。あの船でコングをどうやって運んだか?大事なとこがカットされてましたね。普通ならコングの他に、原住民、巨大な骨、恐竜、昆虫などどれかを運ぶでしょう。どれもこれも大発見ですから。コングの島での暴れようがすごすぎたので、ニューヨークの場面では、スケールダウンの感が否めません。
[DVD(字幕)] 9点(2009-09-10 04:12:31)
9.  禁じられた遊び(1952) 《ネタバレ》 
両親を亡くして戦争孤児となった幼女が拾われた家の少年と動物の墓を作る物語。1940年6月、パリ陥落時の南仏の田舎の農家はこんなにも暢気だったのかと驚く。戦争などどこ吹く風だ。その暮しの貧しさにも驚く。服も食事も粗末で、家の中を蝿と蛾が飛び回る。都会っ子の少女との格差が大きい。この格差と貧困が戦争の遠因となっている。暢気そうに見えるが、戦争の影は確実に忍び寄ってくる。長男は馬に蹴られて亡くなるが、その馬は疎開途中のはぐれ馬だった。間接的に戦争の犠牲者だ。隣家には逃亡兵が帰還する。両家は昔からいがみあい、憎しみ合っている。隣人同士でも仲良くできない愚かさは、戦争する人間の縮図といえる。農家の長女と帰還兵は愛し合っているが、家の事情で結婚できないという悲劇がある。戦争孤児となった幼女が川に捨てられた犬の亡骸を追って迷子になり、この家の少年と出会い、共に暮らすようになる。幼女は犬の穴を掘るが、死や埋葬や神の概念は知らない。少年は十字架を立てて犬の墓を作ってやるが、幼女が「一人ぼっちゃじゃかわいそう」というので友達の墓を作ることにした。これが過激化し、教会や墓の十字架を盗む事件に進展していく。子供達の十字架窃盗が原因で、両家の関係は悪化するが、主人同士が墓穴に落ちても喧嘩を止めないのは、人類の愚かさの象徴だ。そうしている間にも戦争で大量の墓が必要になっているという皮肉がある。少年は盗みがばれて折檻を受けても墓の場所は言わない。が、幼女が警察に連れて行かれそうになると、幼女を家に置くことを条件に教えるが、父親は幼女を警察に渡してしまう。自暴自棄になった少年は十字架を川に投げ捨てて鬱憤を晴らす。駅に連れてこられて一人ぼっちになった幼女は、たまらなくなって雑踏の中を少年を探しに駈けだし、ママの名を呼ぶ。幼いながらも死と離別についての概念を悟ったのだ。知らなくてもよい歳なのに強制的に大人にされていく。「禁じられた遊び」の墓は、子供達の魂の墓だ。楽しい筈の子供時代を戦争によって奪われたのだ。親という後ろ盾を失くした子供達の運命は過酷だ。ましてや戦争中だ。雑踏に消える幼女の姿は彼女の将来を暗示する。戦争の犠牲は最も弱い人間に重くのしかかる。禁じられるべきは「遊び」ではなく「戦争」なのだ。哀しくも美しいギターは、虐殺された子供達の魂を鎮めるかのように響き渡る。愚かな戦争を繰り返す人類に憐みを!
[DVD(字幕)] 8点(2015-01-31 15:53:57)(良:1票)
10.  木を植えた男 《ネタバレ》 
砂漠のような荒野にひたすら木を植え続けた男の話。木は根を張り、木陰を作り、森に育ち、動物達を呼び、遂には多くの人の住む楽園を形成した。そこに住む人達は男のことを知らない。男は養老院でひっそりと息を引き取った。 男が行ったのは単純なこと。どんぐりを選別し、毎日100個ずつ植え続けること。その行為を営々と何十年も続けたことで奇跡が生まれた。男は何の名誉も報酬も求めなかった。ただ人として正しいと信じたことを生涯かけてやり通したのだ。一人の人間の行為がいかに尊いか、いかに偉大か、心を開かせてくれる。男の忍耐力、信じる力、誠実さ、情熱を思いやれば、人間の持つ無限の可能性が信じられてくる。 男はどういう人物だったのか。「彼と一緒にいるだけで心の安らぎを覚えた」という。人々のことを深く思いやる優れた人格者は人の心を安心させる力がある。家族を亡くして、天涯孤独の身となった男は、長年厳しい自然の中で過ごしてきた事を鑑み、木を植えるという仕事に余生を捧げる決心をした。その間、二つの大きな戦争があったが、男は戦争と関わりあいを持たなかった。自らの野望のために戦争を始めたヒトラー、片や木を植え続けた男。悪魔の行いと神の行い。人間は悪魔にも神にもなれる。 男の成功への道筋は平坦なものではなかった。植えた木の半分枯れたり、苗が全滅したりすることを経験している。それでも男はくじけなかった。自然から学んだ知恵、創意工夫を身に着けていて、逆境に打ち勝つ強い精神力が備わっていた。その原動力となったのは、あまねく人々のことを思いやる気持ちでしょう。こんこんと泉のように湧き出てくる人々への思いやり、優しさ。それが彼を偉大な成功者、偉大な人間たらしめたのでしょう。野太い生命感のある絵柄、哲学者のごとき面がまえ、適格な語り、全てが素晴らしい。
[DVD(字幕)] 8点(2012-07-15 22:40:10)
11.  キングコング対ゴジラ 《ネタバレ》 
テンポが良く無駄のない脚本で、登場人物とストーリーが濃密に絡み合う。テレビ局員桜井はスポンサーの製薬会社宣伝部長に頭が上がらない。部長は関係者である植物学教授から南洋の島の魔神の話を聞く。部長の命令で桜井らは魔神探しにでかけ、キングコング捕獲に成功。桜井の妹はキングコングに捕まる。妹の婚約者は鉄鋼会社社員で、その会社で開発された特殊繊維はキングコングを運ぶのに使われる。桜井は婚約者のある仕草で昏睡作戦を思いつく。部長、桜井、婚約者らは関係者ということで自衛隊に自由に出入りし、さまざまなアドバイスをする。ゴジラの話とキングコングの話が同時進行する。ゴジラは北極で米潜水艦を沈め、米軍の攻撃をものともせず、第二の故郷日本をめざす。キングコングは大ダコを退治したあと赤い飲み物を飲んで寝てしまひ、捕獲されて日本へ向かう。自衛隊から上陸を拒否されるが、目覚めて逃げ出す。ゴジラは東北、キングコングは東京に上陸。動物的本能により両者は出会い、そして激突。キングコングは一度はゴジラの熱線におびえ退散するものの、百万ボルトの電流に触れ、蓄電体質となり、ゴジラと再対決する。城を破壊し、両者海中へ雪崩落ちる場面は圧巻。 ◆キングコングは美女捕捉と高い塔へ登るというオリジナルへのオマージュがある。しかし驚くほどユーモラスなキングコングだ。ギャグとしか思えないほど顔がひどい。背中のチャックも丸わかり。米国で酷評されたのもうなずける。ゴジラと較べて手抜きしたといわれても仕方が無い。実に人間くさく、岩陰に隠れるなどの知性を発揮するのが魅力だ。このキングコングを受け付けない人には楽しめない映画だと思う。 ◆ゴジラシリーズとしては3作目で前作から7年。久しぶりということで円谷英二の特撮は特に気合が入っている。潜水艦の天井が炎上する場面、ガソリンを川に撒く場面、コングを吊り下げる準備の場面、大波に襲われる熱海の町の場面など、メインにさほど関係ない場面も丁寧に撮られていて好感が持てる。当時は日米夢の怪獣対決という話題で盛り上がり、観客動員数歴代2位を記録。怪獣対決なのに、どうしてユーモア路線にしたのかは疑問だが、エンターテインメント要素はてんこ盛りで、現代人でも十分に楽しめる内容になっている。特に音楽は秀逸で、その後のゴジラシリーズの良い見本となっている。
[DVD(邦画)] 8点(2011-10-31 23:31:22)(良:1票)
12.  嫌われ松子の一生 《ネタバレ》 
松子の家庭環境は決して最悪ではない。経済的には中流で、妹弟もいて、両親の愛情もそこそこ受けている。松子は父を愛しているが、父の愛情が病気の妹に注がれるのを妬んでいる。父の愛情を自分に向けるためにコミカルな表情をする。愛の飢えの始まりである。松子の不幸を描いているが、本当に不幸なのは他にいる。筆頭は妹で、寝たきりの人生で終る。次は作家志望の男で、自分の才能に絶望して自殺した。もう一人は龍で、家族の愛情は一切知らなかったと言っている。松子は美しく成長し、中学の先生となるが、修学旅行の盗難事件をきっかけにで転落人生に転じる。彼女が家出した心痛で父が死亡、弟から家族の絆と断たれる。家族と故郷を失った松子は、男性に頼るしかなかった。というか、自分を必要とする男性と共依存関係になる。必要とされることでしか、自己の存在意義を感じられない。だから暴力を振るわれても、相手に尽してあげたいと願う。トルコ嬢も厭わない。これが龍をして松子を神と呼ばしめた。不幸な形の自己犠牲。暴力は時にこじれ。殺人に発展する。松子は理容院の男と同棲を始めたばかりのときに逮捕される。タイミングが悪い。刑務所でめぐみという親友を得たのは最大の幸福。出所後は理容院の男と暮らそうと美容師の資格を取るが、出所すると男には妻子がいた。そして愛を知らない男、龍と再会。龍がお金を盗んだのが転落のきっかけだったので、皮肉なめぐり合わせだ。またまた不幸に。松子は足を悪くし、龍は刑務所へ。龍を待つことを唯一の希望にしていたが、逃げらる。以後心を閉ざし、世間と関わりをもたなくなった。ただ一つ、アイドルのファンになることを除いて。典型的な現実逃避。ファンレターとして綴った履歴のバカ正直で長いこと。涙がでます。誰かに理解して欲しかったのですね。返事が来ずに絶望。めぐみと再会し、夢で妹のヘアカットをしたことで、社会復帰をめざす。そんな矢先、中学生に暴殺される。甥の笙が松子の人生を知り、理解を示すのがこの映画の救いの部分。子供に殺人をさせたのは欠点だ。ミュージカル仕立てでテンポがよい。不幸をエンターテイメントとした初の映画だろう。不幸な人生だが、そこに何とか意義を見出してあげたいという心理が働くように作ってある。あのとき、ああしたら、こうしたらと、つい考えてしまう。か弱い松子の”徳”がそうさせるのだ。愚かだが、菩薩のようでもあった。合掌。
[DVD(邦画)] 8点(2009-11-08 16:09:56)(良:1票)
13.  キング・コーン 世界を作る魔法の一粒 《ネタバレ》 
この映画の作られた時と現代では状況が変わってきている。 映画では、トウモロコシ全体の55%が飼料、32%が輸出、12%がコーンシロップ他の構成となっているが、現代では30%がバイオマスエタノールの原料となっている。ちなみに日本では、コーンシロップはJAS法により、「果糖、液糖、ブドウ糖」などと明記されているので注意が必要だ。 映画の舞台となっているアイオワ、イリノイ州などのコーンベルト地帯は、2012年以来、地球温暖化によるものと思われる旱魃にみまわれていて農家は大打撃を受けている。コーンベルト地帯は北上中だ。 テキサス、オクラホマ、ニューメキシコ、コロラド州などの米国の6分の1の面積を占める“世界の穀倉地帯”グレートプレーンズは、オガララ帯水層の地下水を用いた灌漑によって大規模農業を発達させてきたが、この地下水源は50年以内に消滅するといわれている。従って「安くてありあまる食糧」は砂上の楼閣に過ぎない。 アメリカは自国の農業と食品業界の利潤のみを考えて政策を行っている。 1994年に北米自由貿易協定(NAFTA)を結んだメキシコでは、主食であるトウモロコシが安価な米国産の輸入によって農家が壊滅状態となり、大量の難民となって米国に押し寄せた。安価な食料の輸出は、輸入国にとって喜ばしいことばかりではない。農家を疲弊させ、食糧自給率を低下させる。高カロリー食品は健康被害をもたらす。遺伝子組み換えで戦前の10倍の収穫量を達成できるようになったが、栄養価が少なく、代謝にも悪く、カロリーも少なく、食としての価値は「カスだ」。マクドナルドで売っている食品のほとんどはコーンから出来ていると知ることができるだけでも観る価値はある。
[DVD(字幕)] 7点(2015-02-04 17:20:20)
14.  君のためなら千回でも 《ネタバレ》 
アミール(A)は、自分出生後の母の死への負い目もあり、屈折している少年だ。ハッサン(H)とは親友だが、H父子はAの父の使用人で、被差別民という微妙な関係にある。HはAにひた向きに尽くすが、Aは年長者から被差別民と友達なのをなじられたことから、Hを疎むようになり、遂には、彼に時計泥棒の濡れ衣を着せて家から追い出す。卑劣な少年だ。ソ連がアフガンに侵攻すると、A父子は米国に亡命する。ここから物語は糸の切れた凧のように、アミールの恋愛や作家になる話や父の死など、緩慢な展開に移行し、21年が経過する。ソ連侵攻下のアフガンの様子など一切出ない。ある日、恩師を見舞う為パキスタンを訪れ、Hがタリバンに殺されたこと、実はHはAの父の隠し子で、AとHは母違いの兄弟ということを知る。Aは衝撃を受け、罪の意識に苛まれながら、Hの息子ソーラブ(S)の救出に、危険なカブールへ向う。ここからが臆病で卑怯者だったAが生まれ変わる転換場面で、最大の山場となる。廃墟と化した故郷、タリバン圧政下で苦しむ民衆、生命を賭けた救出劇、相応に見応えがあるが、不満も残る。Sを「稚児」に男が、かつてHに性的凌辱を加えた男と同一である偶然。SにHと同様、パチンコを持たせる作為。車で逃走するAらをタリバンが追走しない上、検問所に連絡もしないというお粗末さ。一本道なので容易に補足可能。救出劇が困難であればある程、AのHに対する贖罪の意味が増し、観客の溜飲も下がるのを理解していないようだ。AはSを米国に連れ帰り、養子にするが、幸福な家庭ではない。凧揚げで、はしゃいでいるのはAだけ。Sは「自分は汚れて」いると感じているし、Aの妻は別の男との同棲の経験があるし、舅は固陋で気難しいし、隠し子発覚でAの父の高潔さは失墜した。Aは今後も慙愧の念に堪えないだろう。凧合戦は平和の象徴だ。しかし、凧揚げは広場でするものだ。電信柱の林立する町中では上手く揚がらないだろう。道路には車の往来があるし、柵の無い屋上は危険だ。Hがどうして凧の落ちる場所を知悉している「Kite Runner」なのかは不明のままだ。Hが父親から、風向きを読む術を習うような場面がほしい。アフガンで「七人の侍」が人気があったのは驚きだ。60年代のアフガンを再現して見せたくれたのは嬉しい。鑑賞後感はすっきりしないが、それがアフガンの現状なのだろう。
[DVD(字幕)] 7点(2014-09-15 13:32:06)
15.  紀ノ川 《ネタバレ》 
家父長制度の色濃く残る明治時代に、和歌山の名家から大地主へと嫁いだ女一代を描く抒情詩。嫁にきたからには、その家の家霊となり、身命を賭して家を守株するという考えに疑問を抱かない女。が、時代と共に移りゆく価値観や家制度・土地制度の矛盾によって翻弄されてゆく姿を娘や孫娘たちとの対立や葛藤を交えて描く。四季折々の風景や地方の風習を織り交ぜており、全体的に好印象。神目線である俯瞰ショットや奥行きを強調した構図などカメラワークには工夫がある。冒頭の舟での嫁入り場面に10分も時間をかけるなど、ゆったりとしたカメラまわしの為、大作感はあるが、大作ではない。台風、洪水、空襲などの特撮やモブシーン(群集場面)はほんのささやかな演出で、そのため各時代の重石がなく、ドラマの総集編のような薄味の印象だ。このような作品は、女の身辺の日常や事件をじっくりと描けばよいのだが、時折理屈っぽさが顔を出すのが瑕疵。紀ノ川を人生に見立てているのは明白なのに、何度もそれを暗示する台詞が挿入される。家の守り神としての白蛇が、嫁入り後間もなくと、死の直前に現れるなど作為が露わだ。これらは鑑賞の妨げにしかならない。また女性を描くことに重きを置きすぎているために、男性陣の影が薄い。特に長男はひどい。娘の聟は登場もしない。女が最も感情を露呈するのが、自転車に乗った娘を折檻する場面。この場面だけが浮いている。甚だ反抗的で強気だった娘が、このときだけは弱い少女に成り下がっていて、矛盾を感じる。ただ、この場面で女の足元をアップで見せる演出は印象深い。内に秘めた興奮と怒りを十分に描いており秀逸だ。原作者の分身が孫娘だが、前二代と較べると見劣りがする。役者としてのオーラがないのだ。この孫娘に女(祖母)の意志が一部受け継がれていくので、女が亡くなっても観客は安堵できるのだが、それが台無しになってしまっている。何度も繰り返される終焉の場面は演出ミス。煙が出ての場面変換はギャグかと思うほどくどい。戦後、女はどうして家宝の骨董品を売却したのか。あれは「家の葬式」なのだと思う。戦後と共に家が滅んだことを認識した女は、心の中の「家という煤」を一掃する必要を感じた。自分が生きている間に家の始末は全部済ませておきたいという気持ちに駆られたのだろう。それが家宝の売却という行動となった。その心情に思い至ったとき胸が熱くなった。
[DVD(邦画)] 7点(2013-05-20 23:14:47)
16.  銀河鉄道の夜(1985) 《ネタバレ》 
ジョバンニの心は押しつぶされそうだ。父親は漁に出かけたまま何か月も連絡がなく、友達からはそのことで、ラッコの密漁で刑務所に入っているなどとからかわれる。母親は寝たきりで、画面に姿を現さないほど影が薄い。それで朝は新聞配達、学校がひけるは活版所で働いて日銭を稼がなければならず、授業中は眠くて仕方がない。優しいのは親友カンパネルラだけ。牛乳は希望や生命力の象徴で、衰弱しているジョバンニには、母親にそれを届けることが出来ない。◆銀河鉄道は地上と天上を結ぶ仮想四次元汽車で、死者の魂や異次元の存在を乗せて銀河をめぐる。鳥がよく出てくるのは、古来日本では鳥は死者の魂を運ぶものとされてきたからだろう。古い地層を発掘するのは、過去や想い出は消失するのではなく、いつまでもそこに存在するという作者の信念の証明。沈没船で犠牲となった人達が乗り込んできて、銀河鉄道の正体が判明する。ジョバンニが銀河鉄道に乗れたのは、疲れた彼の心が死に近づいていたのと、親友の死を動因に、お互いを思う気持ちがスパークした結果だろう。カンパネルラは川に落ちた友人を助けるために犠牲となった。母が許してくれるだろうかと苦悩する。「誰だって本当にいいことをしたら幸せなんだね だからお母さんは許してくださるとおもう」◆旅でジョバンニは成長した。石炭袋という空の穴を見て言う。「もうあんな闇の中だってこわくない。ぼくたち一緒にいこうね」けれど親友は下車する。そこが本当の天上の入り口だから。空の穴は死の恐怖の象徴で、それを越えなければ本当の天国へはいけないことを彼は知っている。突如旅は終了する。現実に戻ったジョバンニは親友の死を知る。加えて父が無事で、間もなく戻ってくることも聞かされる。その果報を母へ早く届けたい、牛乳も飲ませたい、突然の親友の死、彼ははち切れんばかりの思いを胸に牛乳を抱え、ひたすら家に向かって走る。◆感動的なラストだ。全体的に間の取り方がうまい。前半、子供ならではの不安の演出が巧み。鳴りっぱなしの電話、終業ベルに驚いて活字を落とす、切符を落とす人、レジスターの音に振り向く、よぎる鴉の巨大な影、不気味に点滅する外灯など。映像美術、音楽はがんばっている方。◆不審なのは父親の態度。何か月も家族に便りもお金も寄越さないのに、友人(カンパネルラの父)には寄越す。原作の「みんなの幸いのために」という思想は省略されている。
[地上波(邦画)] 7点(2012-09-03 15:52:01)
17.  君の名は(1953) 《ネタバレ》 
大空襲の最中、偶然出会った男女(春樹と真知子)とが降る爆弾や燃え盛る炎の中を逃げ惑う。死の恐怖におののきながら、爆撃の合間に恥じらいながらも、ふと顔を見合わす二人。若い二人にとって命の炎は恋の炎だった。「生きていることがまるで夢のようだ 夕べの内に何万人という人が死んだかもしれないのに」春樹の感慨には実感が籠る。だから「今日の想い出に、もし生きていたら半年後に、名も知れぬままにこの場所で会おう」という仮構めいた約束にも現実味がある。これが恋の始まり。紆余曲折を経て、一年後に二人は再会を果たす。が、女はそのとき婚約していた。待望の再会の時が恋の終りという意外な展開。二人はお互いを忘れようとする。「忘却とは忘れ去ることなり 忘れ得ずして忘却を誓う心の悲しさよ」だが運命は二人を再び結びつける。真知子の夫が春樹の職場の上司となり、二人は再会。妻の愛情を疑った夫が妻に辛く当り、春樹を辞職させる。家を飛び出て春樹の元に走る真知子だが二人はすれ違い、彼女は故郷の佐渡に帰る。真知子の友人綾にけしかけられ佐渡に渡る春樹。橋の上で自殺しようとする真知子を助けて愛を告げる春樹だったが、真知子から妊娠の事実を告げられる。生まれ来る子供の為に再度別れを決意する二人。 ◆空襲の悲惨さに加え、売春婦、混血児、闇商売、密輸等、戦後の混乱期の世相を色濃く反映した内容で、単なるメロドラマで終わっていない。ここには不幸な女性が沢山でてくる。売春婦に身を落とす女、外人の子供を宿して自殺未遂する女、頑迷な夫に仕える妻、戦争未亡人。食べていくのがやっとの時代 誰もが生活第一で、純愛を貫くなどは夢物語。だから劇中、春樹の姉の悠起枝は真知子に夢を追うよりも眼前の結婚を選べと諭し、真知子も首肯した。 それでも人々は純愛を求めた。夢がない時代だからこそ、夢のある物語が待望された。おとぎ話のような純愛や夢ではなく、不幸な結婚生活や望まない妊娠等、実生活の生々しいものを乗り越えた末にたどり着く”真の幸福”、泥の中から蓮が芽を伸ばして、やがて花が咲くような”永くて淡い恋”が、当時の人の実感としてぴったり合っていたと推察する。形式上は不倫物語だが、そこには愛の再生、人間性の回復、ひいては日本の再生への思いが込められていただろう。これが大ヒットした理由と思う。時代を内包した映画といえる。見所は冒頭の美男美女の演じる”語らぬ愛”。
[DVD(字幕)] 7点(2012-08-15 17:11:01)
18.  疑惑の影(1943) 《ネタバレ》 
ワルツの場面から一転、乱雑な裏町の様子が映し出される。陰鬱な顔で葉巻をくわえベッドに横たわる男。床にはお金が散らばる。大家が来て、知人が訪ねて来たという。誰にも住所は教えてないのに。刑事と察した男は窓から刑事を見てつぶやく。「証拠は何も無いはずだ」掴みはOK。観客の興味を引く術を心得ている。◆娘チャーリーに共感する立場からすれば、恐怖は十分感じられる。叔父のことを敬愛するが故に疑惑を持ち、殺人犯と判明し、誰にも打ち明けられず、自分の命も狙われる。殺人犯と共に暮らす恐怖とやるせなさ。図書館に走るシーンでハラハラさえるのはさすがだ。一方犯人に共感する立場に立てば、解せない事が多い。殺人の新聞記事を不自然に隠し、疑惑を招く。証拠となる指輪を不用意にプレゼントし、取り返した後も処理しない。目が悪いとか捨てようがないという伏線が欲しい。娘殺害のための階段の細工や排気ガスの充満した車庫に閉じ込めるトリックも稚拙。最後の無計画で衝動的な殺害アクションと墓穴は平凡。それに冷静に考えれば指輪は決定的な証拠とはなりえない。娘を殺す動機が薄い。犯人の心の闇が十分に描けていないと思う。未亡人に対する悪意を吐露したり、冒頭シーンで精神的に疲弊した様子を見せるくらい。世間の荒波に揉まれたシーンや未亡人殺害シーンを省いているので、人間像が分りづらいのだ。観客に犯人と分った時点で、犯行シーンを挿入すれば良かったと思う。◆犯罪心理サスペンスにしては、展開がスマートすぎる。もう少しひつこさ、あくどさが欲しい。特に未亡人殺しの詳細が不明のままなのが不満。叔父が殺人者であることが重要で詳細の提示は不要と考えたのだろう。だが警察は叔父を追ってくる。手がかりは無いらしいが、彼が容疑者なのはどういう理由でか?写真を目撃者に見せると言っていたがどうなったか?東部で犯人と疑われた男が飛行機のプロペラに飛び込ん死んだ。それで事件解決では、あまりにもなおざりすぎる。そして突然の刑事の娘へのプロポーズ。取ってつけた恋愛パートは完全に失敗している。◆サブキャラがだれも丁寧に描かれていて賞賛に値する。二人の子供は言うまでもない。推理小説マニアで少しぼんやりした隣人などは魅力的だ。息抜きにはうってつけの存在。娘の同級生だった酒場のウエイトレスも印象的だ。彼女は娘の身近にある影の部分の象徴だ。
[DVD(字幕)] 7点(2011-02-14 05:24:41)
19.  キング・アーサー(2004) 《ネタバレ》 
有名な「中世のアーサー王伝説」ではなく、その伝説の雛型となった、まだイギリスがローマ帝国の支配下にあった時代の騎士達の創作物語。 騎士達がローマ帝国の傭兵だったという仮説を基に、騎士達が南進してくるサクソン人を駆逐して、アーサーがブリトン人とピクト人(ウォード)の王となる話。「時代考証はそこそこに、ただ話が面白ければよしとする」という製作姿勢なので、内容は粗雑となる。 ランスレットが傭兵となる場面で始まり、「語り」も彼だが、彼は途中で死んでしまう。生き残ったものが語るのが当然と思うが。 アーサーはペラギウスの弟子で「人は皆自由に生きる権利がある」などと近代的な思想の持ち主。異端を許さず、師を死に追いやったキリスト教に怒りを感じている。 アーサーの両親がウォード人に殺されたので、彼等に対しては強い憎しみを持つ。故にウォードの族長マーリンからサクソンとの共闘を持ちかけられても拒絶した。しかし、最後はいつの間にか、当たり前のように共闘している。この辺りは説明不足だ。作品は騎士達がサクソン人を駆逐する話だが、史実ではサクソン人がイギリスに定着して、中世になってアーサー王伝説を作った。つまりアーサー王伝説を作った人たちを否定するような内容になっている。矛盾は感じなかったのだろうか。氷河での戦いだが、氷が割れそうなら、氷の厚い川の端を通ればよいだけの話。誰だってそうすると思うが。騎士が遠矢でサクソンに味方する裏切り者を射殺するあたりから漫画的になってくる。裏切り者が木の上にいるとどうして知ったのか。 バドン山の戦いで、敵方の罠を察した族長が先遣隊を送り出すが、案の定全滅させられる。しかしその後、何の対策も立てないで全隊を突進させる。よくわからない展開だ。指関節を折られて衰弱しきっていたグィネヴィアが、急にアマゾネス化して勇猛な女兵士に変貌して、言葉を無くした。戦いに勝利し、アーサーとグィネヴィアが結婚して大団円だが、結婚式はストンサークルの中でというおまけつき。ストンサークルはケルト人以前の古代の遺跡だが、アーサー王伝説にも登場するし、見栄えがよいので使用したのだろう。政策姿勢がよく表れている。真面目に史劇に取り組むつもりは最初からないのだ。
[DVD(字幕)] 6点(2014-09-03 16:35:47)
20.  キャプテンハーロック -SPACE PIRATE CAPTAIN HARLOCK- 《ネタバレ》 
鑑賞後、誰もが宇宙海賊ハーロック(H)に憧れ、アルカディア号に乗りたいと思わせるような内容であるべきだが、この作品には夢も感動もない。デザインや技術は優れているのに、矛盾点や疑問点が多く、作品に入り込めないのは残念である。人類は他の銀河に進出したが、異星文明との共存が果たせず、種として衰退したというが、実際は人口5000億と大繁栄を誇っている。他の星に人類は住んでいるし、生物も生息するので矛盾する。地球がダークマターで破壊された様子は多くの目撃者がおり、ホログラムで隠せるものではない。破壊された地球はテラフォーミングすればよい。 ヤマが無理な操作をして植物園を破壊するが、状況が説明不足。地球の花ならすぐに再現できるはず。誰かが種を持っている。 イソラは下半身不随になるが、再生医療は?ナミは植物状態なのにホログラムで会話ができる不思議さ。どうやって相手を見てるの?イソラは植物状態のナミとどうして結婚したの?イソラが激昂してナミの生命維持装置を抜いたが、すぐに戻せば死ななかった。アルカディア号が黒煙を吐くのは何故?アルカディア号かホログラムかは、レーダーがあれば見分けがつく。トカーガ星で救助船がナミを助けたが、一人しか救助できない不思議さ。また次元振動弾を設置するのに不安定な橋のような場所を選んだ理由。乗務員志願者が急崖を素手で登るが、飛行船等で移動すればいい。イソラが使っているような反重力乗り物もある。Hは孤高の存在で男の憧れ。乗務員志願者の三人を殺したり、宇宙をリセットしようとしたり、敵に拘束されて落ち込んだりしてはいけない。ましてや次元振動弾の起爆スイッチをヤマに渡して、「人類が過ちを犯しそうになったら躊躇わず押せ」とは言わない。あまりに傲慢すぎる。それに敵とはいえ殺し過ぎ。同じ人類ではないか。ダークマター機関の説明が欲しい。Hが不死身だったり、ダークマターを開放するとミーナが消滅することの関係は?死人が生き返り、ミーナが復活した場面は謎。Hがヤマに渡したものと関係がある?敵艦の集中砲火ビームがアルカディア号に当らない不思議さ。地球に植物が再生したのを誰も気づかなかった?ガイアサンクションの総監が簡単に地球を破壊する決定を下す矛盾。総監とHの対決を最終決戦として御膳立てすべきだった。ハーロック二人体制で続編?たぶん無い。
[DVD(邦画)] 6点(2014-05-22 07:31:29)
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