1. ゴーン・ガール
《ネタバレ》 夫に同情ができない。従って女性が悪女に見えない。この夫、例えば失業中ゲームに夢中、妻に暴力、挙句の果てに不倫、こんな自涜の習慣を持つ夫は当然法律で処罰されるべきです。もちろん離婚すれば問題解決ではない。女性の人生を台無しにした。やはり罪に対して罰は必要だ。しかし今の法律では夫を罰することができない。だから妻は悩んだあげくに不合法な方法で夫に罪を与えようとした。果たしてこの行為は悪なのか?それとも正当な報復なのか?非常に判断が難しいでしょう。1つ言えることは今の世の中、妻を傷つける夫が多すぎる。この真実に対する反論→「そんな男を選んだ女にも問題がある」→見事な責任転換です。こんな詭弁でなんの罪もない女性を悪女にするのですか?女性がDV夫に殺されるたびにこの詭弁が罷り通る。この作品のテーマは「怒り」です。男社会から虐げられてきた女性の声を代弁し、偉大なる「レンチシン」を持った1人の女性が、男社会に立ち向かう。監督の代表作「ドラゴンタトゥーの女」と共通しています。男社会には「女のくせに」という無意識の蔑視が存在します。ダメ夫はこう言う。「俺は女から批判されるのが一番むかつく!」これが女をモノ扱いにしてきた男の正体だ。「女のくせに」怖いな。「女のくせに」賢いな。黙れ、クソ野郎が。お前のようなクソ男が女性をいつも傷つけるのだ。お前こそ男社会の象徴だ。お前こそ無知の象徴だ、このような悪に対し、罰を与えようとした彼女の行動には正当性が感じられる。よって多くの観客は彼女に共感し、映像も艱難辛苦を乗り越え復讐を成し遂げようとする彼女に寄り添うものになっている。ストーカー男が殺されてかわいそう?それは男尊主義者の詭弁である。ではなぜ彼女は偉大なる目的を放棄し、夫の元に戻ったのか?それは夫を愛していたからだ。彼女が夫に正当な罰を与えようとした真の理由は、彼が己の罪を自覚していなかったからだ。しかし夫はその罪を認めた。その様子を食い入るようにTVで見守る彼女の表情は、まさに愛する女性の表情だった。それに対し、夫はまたしても妻を裏切る。くれぐれも世の中の夫たちは、妻に好かれていると勘違いしてはいけない。男社会が存在する以上、女たちのジハードは終わらない。男たちが女性から殺されない理由は、殺人の成功率の低さから生じる諦念によるものである。もし、確実に殺すことが可能ならばその権利はいずれ行使されるでしょう。 [DVD(字幕)] 10点(2015-06-25 19:09:43) |
2. 故郷よ
《ネタバレ》 ヒロインの仕事はチェルノブイリの観光ガイド。それだけでもこの映画を観る価値はあります。人の住めない場所に観光客が来るの?いずれ福島も観光名所になるの?不謹慎じゃないの?と思う人がいると思いますが、これをダークツーリズムと言います。ユダヤ収容所のアウシュビッツや、私がつい先日訪れた広島の原爆ドームも同じです。今も広島の平和祈念館は、崇高な目的を持った外国人観光客や、物見遊山な外国人がたくさん観光に訪れる場所です。天地開闢以来、人間は常に愚かな行為を繰り返してきました。その人災を語り継ぐことは、高遠な意義があると思います。ただし、ヒロインは長年その場所にいるせいで髪の毛が抜け落ちる後遺症で苦しんでいます。目に見えない放射能の怖さが伝わってきます。この放射能とは、空気感染するウィルスと似ている。今はまだ痛くもかゆくもないのに、北斗神拳のケンシロウに秘孔を突かれた時のように、おまえはすでに死んでいると宣告されるに等しい。映画の中で、男が傘をまとめ買いして、黒い雨を浴びる住民に配るシーンがありました。俺はもう死ぬのか?それともまだ生きられるのか?その不安な状態が一番こわい。即死のほうがマシに思えてくる。それほど放射能は怖い。放射能の汚れを落とすために観光客がシャワーを浴びるシーン。デブなおばさんの裸体がずっと映されていましたよね。あれは意味がないようで、おぞましいということを、隠喩として伝えたかったのでしょう。のんきに結婚式をやっている光景とは裏腹に目に見えない放射能の恐怖が迫っている描写も巧い。また、ゴーストタウンと化した街並みの映像は、あたかもゾンビ映画の世界のようだ。日本の場合、マスコミたちが、絆、絆と、事故のことを、能天気に感動物語にしている。やはり日本が現実を見つめるには時間が必要です。負の遺産を、負の遺産として描くことも改めて大切だと感じました。 [CS・衛星(字幕)] 8点(2014-08-23 21:59:30) |
3. コクリコ坂から
《ネタバレ》 もはやジブリは誰が監督でもそれほど差はない。これはほめ言葉です。つまりアリエッティにせよ、コクリコ坂にせよ、ポニョにせよ、レベルはほぼ同じで高水準です。誰がメガホンをとろうがジブリはジブリであり、監督が違えども、選手は同じなのです。本作品をみて改めてジブリの絵は「ヘタウマ」に変化しつつあると思った。本当は俺たち、写真のようにリアルティのある絵を描けるんだぜ、だけどそういう路線には進まないんだぜ、とジブリは言っているのです。彼らの矜持にたいし、私は畏敬の念を感じずにはいられない。よくピカソの絵は下手なんじゃないの?という議論が持ち上がる。ひょっとしてジブリの創り出す絵はピカソ的方向に向かっているのではないか?つまり多視点への挑戦です。表現力の追及です。さらに古き良き時代がノスタルジーとして描かれている。かといって単なる懐古主義に終始しているわけではなく、未来への希望が前面に打ち出されている。実は学園闘争の描写は「挑戦」に対するメタファーになっており、そこに人間賛歌が描かれている。しかも小難しいメッセージがない。もし駿が今映画を作っているならば、原発問題へのメッセージまでも織り込みそうでかえって怖い。我々映画ファンは、外国人に褒められるようなバカなアニメ映画はもうたくさんなのだ。ちなみにこの映画が楽しめるか否かの生命線は、ヒロインの海を応援できるか否かにかかっていると思います。海が母親から真相を聞いて泣き出すシーン。私は鼻水垂らして号泣でした。なぜ海は泣いたのか?その涙はうれし涙ではないと思う。張りつめていた不安や緊張感から一気に解放されたがゆえの涙だったに違いない。結ばれない恋愛と思いつつも私はあなたを好きになってよかったというあの気丈セリフ。君の一挙一動に私は涙で脱水症状寸前でした。ジブリの魅力はたしかに冒険もあるでしょう。しかし真のジブリの魅力とはヒロインの魅力に尽きる。時にはブタやババアを主役にして大コケすることはあるがナウシカ、シータ、キキ、トトロの姉妹、それら少女の人物描写こそジブリの財産であることをジブリ自身が自覚していることに私は安堵した。良い主人公だった。だから良い映画だったと心から思う。私の感想はそれに尽きる。 [DVD(邦画)] 9点(2012-08-18 20:07:17)(良:1票) |
4. 告白(2010)
《ネタバレ》 いじめが原因で復讐する話だと思ったがすこし違った。「いじめ」とはなにか?それは憎しみで相手をいじめるのではなく、面白くて楽しいからそれを実行する。怒りながらいじめる子供などいない。笑いながらいじめるのだ。それがいじめの本質である。まだ生まれて10年足らずの子供には心に傷が少ない。だから相手の痛みなどわからない。ただひたすら「笑い」と「楽しみ」だけがすべてに優先される。その先にいじめがある。子供の持つ明るさは残酷さと表裏一体である。それに対して娘殺しの犯人は、心に傷を負った少年であり、トラウマが原因の殺人だった。「告白」で何が一番嫌悪感を感じるか?それを自覚している人はいるでしょうか?もちろん犯人の2人ではない。それはボロボロに傷ついた犯人2人と、もっと深い傷を負った女教師をとりまくまわりの生徒たちの「明るさ」なのです。中島監督の演出は抜群だった。ダンスなど子供の天真爛漫な「明るさ」を全面に打ち出すことにより、いっそう子供の残酷さを印象づけ、観客の嫌悪感を募らせていく。社会では「子供の明るさ」を無邪気だと捉える。しかし中島監督は子供の明るさを、他人の痛みに鈍感な残酷さと捉えている。それはあの熱血教師にも当てはまる。あの脳なしのクソやろう!と誰もが思ったはずだ。人間が一番嫌いな人間は、凶悪犯罪者やヤクザではない。それは偽善者だ。かりに復讐を行なう女教師の描写として、娘を見殺しにした自責の念が描かれていたらどうなる?観客はこの女教師を偽善者だと憎むでしょう。しかし女は復讐を行なう自分をまぎれもなく「悪」だと自覚していた。反対に少年犯人を「悪者」として、制裁を加える生徒たちの醜さは、罪の自覚のない偽善者としての醜さだ。彼らをみていると、「ドッグヴィル」を思い出す。中島監督とラースフォントリアー監督が重なってくる。いわゆる性悪説バンザイ映画だ。なんという醜悪な映画だろうか。じゃあ私もこのさい「告白」しておこう。こういう映画はたまらなく好きだ。松たか子も好きだ。 [DVD(字幕)] 9点(2011-08-16 20:30:02)(良:4票) |
5. ココ・アヴァン・シャネル
《ネタバレ》 100年続く大帝国を築き上げたシャネルって何者か?私は起業家シャネルのカリスマ性に注目していた。ところがシャネルは他人の家に勝手に居座って暮らしているだけ。お前はアリエッティかよ。だけど当時は女性が働きたくても働くことが難しい時代でした。ようするに完全な男社会。バカな男たちに支配された女性たち。隠喩的にこの時代を表現するならば、男は女性を鎖につないで自由を奪い、奴隷にしていた。そういう時代においてシャネルは男社会に足を踏み込んで自由を手に入れた。この作品からは理解しにくいですが、彼女は女性進出のパイオニアだった。彼女の後に多くの女性が自立の道を選びます。リンカーンは黒人に対して奴隷解放宣言を出した。シャネルは女性に対して奴隷解放宣言を出した。そういうことです。彼女がフェミニストの旗手たるゆえんはそんなところではないでしょうか。しかし残念なことに、本作品では主役の女性がまだ自分の才能を開花させていません。この作品を一言で説明するならば、シャネルの雌伏の日々が描かれている。しかし彼女は雌伏の期間を経たからこそ、大きく羽ばたくことができた。そう思うようになったのは、おそらくこの映画のおかげです。ちなみに100年もブランドを守り続けるのは容易ではありません。たとえばジブリブランド。もうほとんど消滅しそうです。ブランドっていうのは1人のカリスマが作り上げるものです。しかし後に続く人間も相当優秀じゃなくては消えてしまう。シャネルがシャネルに変身する前の雌伏期間の映画だと思ってください。 [DVD(字幕)] 7点(2010-08-12 20:19:43) |
6. コンスタンティン
《ネタバレ》 ようするにたばこを吸っていると、血を吐いて末期がんになって、あげくのはてに地獄に突き落とされるという話です。悪魔と付き合いたくない人はタスポ導入をきっかけに、タバコをやめたほうがよさそうです。それから自殺という甘美な休息を求めたものは大きな代償を支払わなくてはいけない。地獄への片道切符を強制的に買わされるわけです。ですから生きるという意味は喜びである以上に、神の試練だという意識が強い。神と悪魔が対立しているのではなく、どこかでお互いを必要とし合っている。私には神と悪魔が談合しているように見えました。 [地上波(吹替)] 6点(2008-05-27 22:10:56)(良:1票) |
7. コーカサスの虜
今まで数々の反戦のメッセージを織り込んできた映画が作られてきましたが、そのほとんどは激しい銃撃戦や暴力的な映像が中心のもので、それをみて私たちは「戦争は恐いね」と言い合うわけですが、実際には無意識のうちに派手なCGを駆使した戦闘シーンをうきうきしながら楽しんでいる時がある。特にハリウッドは「反戦」というメッセージを建前として「戦争」を娯楽にダシに使って金儲けしようと目論む事が多い。この映画はそういう下心もなく誠実に戦争や人間の生活に取り組んでいるように感じました。原作者はあのトルストイ。登場人物が500人も登場する彼の小説「戦争と平和」を昔読んだことがあります。彼の戦争観は、戦争を肯定も否定もしないのだと私は思っています。この映画においても反戦のメッセージはなく、運命のように訪れる戦争に身を委ねる人間の行動をあるがままの姿で映し出していた。その行為が間違いなく愚かであれ、人間は哀しくて美しい。私はこれは人間賛歌だと思う。素晴らしい映画です。 [DVD(字幕)] 9点(2006-04-01 20:51:03)(良:3票) |
8. コラテラル
《ネタバレ》 孤高とは孤独である自分を受け入れることができる人だと思う、しかし孤高とは孤独であるという事が前提であり、ただの人間嫌いはけっして孤高とは言わない。タクシーの運転手は「孤独」であり殺し屋は「孤高」だと私は見ていた。2人の人物造形は見事としか言いようが無い。トムクルーズは私はやはりさすがだと思う。最近はゴシップネタに晒されることが多いが、彼が一流の俳優であることをこの映画は証明している。トムの作り出した殺し屋はありふれた冷静で天才的な殺し屋ではなくて、かなり人間臭い。むしろドジだと言えるくらいだ。饒舌でありながら人格も破綻していた。しかしだからこそ、この男の心の闇が夜の街を通して明確に表現されていたのではないだろうか。タクシーの運転手と殺し屋という組み合わせは異質だが2人の共通点は社会の底辺で這い蹲って生きているということだと思う。 「この街のどこかで野たれ死んでも誰も気がつかないよ」と言った殺し屋はすでに自分の死を暗示していたようだ。 ラストの電車内の撃ち合いはすべてを終わりにしようと考えた殺し屋の自殺だったのだと今になって思う。殺し屋は「孤高」を貫く自分に疲れ果てたのではないだろうか。 そしてこの映画の最大の見せ場はコヨーテの登場シーンだと私は考える。殺し屋と運転手はコヨーテが横切る姿を言葉を失くしたように唖然と見入っていた、私もそれを呆然と凝視してしまった。なぜか?それは共感したからだ。 コヨーテは「孤高」の隠喩として用いられていたのだった。孤高という言葉を使わずともこの映画には至るところにそれを象徴させるメタファーが散りばめられていた。 似たもの同士の2人。殺しあった運転手と殺し屋だったが、もし出会いが違えば無二の親友にもなれたかもしれない。 [DVD(字幕)] 10点(2006-03-18 12:16:09)(良:2票) |
9. ゴーストワールド
若者からみた大人はいつだってペコペコ頭を下げていて、何かを諦めていて、妥協していて、ダサい存在だとは思うけどイーニドさん、あなたは他人ばかり批判しているけど自分はどうなのと聞くと彼女は「あたしとあんなダサイ連中と一緒にしないでくれる?私はただ韜晦しているだけなのよ」という言葉が返ってくると思う。 あたしは他人とは違うんだという自負心。 しかし自分らしく個性的でありたいと思っていてもイーニドの強烈な自意識は虚栄心に変化しそれが本当の自分を殺しているという事実を実はイーニドは知っていて、ダサい他人を小馬鹿にすることしかできない彼女が一番嫌いな人間はたぶん自分自身。 この痛みをどうやって切り抜けていくかというと、平凡である自分を受け入れることなんだと思う。 ただし難しいのは「受け入れる」ということと「諦める」ということはとても似ていること。 イーニドがシーモアに興味を持った理由は「弱さ」に対する共感だと考えましたが、それだけではなくて彼は人間的な弱さや欠陥を隠そうとはせずにそれを受け入れてしまっている所に自分には無いもの感じましたのではないでしょうか。若い者にとって一番苦しいのはいつの時代も過剰な自意識だと思います。 [DVD(字幕)] 9点(2006-02-12 00:18:16)(良:2票) |
10. 皇帝ペンギン
もしこれがハリウッドが作った映画だったら、ペンギンたちは、大変な仕事をさせられていたと思います。ジョニーデップなみの演技を要求されていたはずです。 それはともかく・・ 母親ペンギンは産卵後に遥か遠くの餌場へ行進し、この間に夫は卵を守りますが、帰ってきたとき母親はあの大勢の中から、ちゃんと旦那様の顔が見分けがつくのでしょうか?? 私にはどれも同じペンギンの顔に見えました。 こういう「不思議」を神秘と呼ぶのかもしれません。 それから夫婦の愛の会話をフランス語で聞くとなぜかロマンティックでした。 これは天然のラブストーリー。 愛する夫婦が協力しあって命がけで我が子を守るために、過酷な行進を繰り返すのです!その行進は100キロにも及ぶのです。その間に力尽きて死んでいく者も大勢いるのです。 つーか、餌場の近くで子供を生めよっ!と言いたくなるのが本音ですが、これも本能のなせることなのでしょう。 いろいろ言いたいこともありますが、まずはペンギンに生まれなくてよかったと言いたいです。 ちなみに撮影時間は8000時間を越えたらしいですが、それをうまく100分以内にまとめた監督の手腕を評価したいと思います。キングコングを作ったピータージャクソンには絶対にできないでしょう。 [DVD(字幕)] 6点(2006-01-22 12:07:29) |
11. ココニイルコト
かなり笑える。 一流のコメディ映画としては評価できます。 堺雅人は、どうしても新撰組の山南総長に見えて仕方ありませんでした。 8点(2005-03-06 01:23:08) |
12. この森で、天使はバスを降りた
《ネタバレ》 レイプされ、自分の子供を失い、殺人を犯し、傷ついた心を抱えたパーシーは、やっとの思いで刑務所を出所し、さあこれから再起するぞ!と頑張っていたのに、あえなく事故死という結末で終わり、挙句の果てに「天使」にまでされてしまったことに強い失望を感じた。 この映画は小さいときから虐げられて、とても不幸だった女性が、ついに最後まで幸せをつかめずに人生を終えたという話に見えてしまい救いがない。 それになんて冷たい田舎町だろうか。 彼女が死んだあとに、彼女を評価しても、もう遅いつーの! あのハナの甥の罪の告白は「自分の良心を満足させるためだけ」に行われたのはみえみえ。まわりの人間は、その甥の告白を聞いて感動している始末。 どういうふうに感動しているかというと、「私たちはみんな、パーシーに冷たかったけど、パーシーは私たちを癒してくれたわね!ああ、なんて可愛らしい少女だったのかしら。まるで天使だわ!!」「いまごろ天国でパーシーは私たちを見守っているはずよ♪」なんて感傷に浸ってるんじゃねーつーの! それで映画のタイトルが「天使」というわけですか!なんという自己陶酔の世界観でしょうか。 怒りを通り越して呆れてしまいます。「この地獄で天使に祭り上げられた女性はバスを降りた」としたほうが良いと思います。 0点(2005-01-30 00:53:12)(良:2票) |
13. コールド マウンテン
《ネタバレ》 この映画を見終えて真っ先に実感したことは、主演している人々も、舞台となるコールドマウンテンの大地もすごく美しいということだった。この作品のテーマは「美」だと思う。 映像はとにかく最初から最後まで美しい。DVDでぜひ観て欲しい映画。 象徴的な美しさを誇るコールドマウンテンは、あのルーマニアで撮影された。 視覚だけでもあの冷たい空気が伝わってくるようであり、こういう感覚を「厳粛な美しさ」と言うのだと思った。 そしてその美しさを際立たせる俳優たちがいる。 特にジュード・ロウの存在。 感情を表に出さずとも、内に秘めてた熱い想いがひしひしと伝わってくる。 盲目の老人と会話を交わした場面では「10分間でもいいから俺はコールドマウンテンに戻って愛する人と一緒にいたい」と言ったセリフにはジュードの想いが表われている。 ラストはジュードの死。 今考えると、ジュードはその10分間(つまり一瞬という意味)を手に入れるためだけに、苦難の逃避行の道を突き進んだように思う。 ニコールキッドマンやレニー、ナタリーポートマンは、表面的な外見の美しさだけではなく、強さと厳しさを秘めた内面の美しさが目を惹いた。 映画は全編を通して透明感が溢れている。 コールドマウンテンと南北戦争に翻弄される人々の果敢ない美しさが絡み合っている。 ストーリーは普通だけど、視覚に訴えかけてくる映像美は圧巻だった。 8点(2004-10-09 14:50:08) |
14. 恋する惑星
フェイ・ウォンこそクイーン・オブ・ザ変人。 [映画館(字幕)] 5点(2004-01-12 13:22:17) |
15. 心の旅
よだれ、だら~ 人間としての尊厳を取り戻していく過程、まわりのサポートがいいね 7点(2003-10-16 18:21:53) |
16. コンタクト
夢があっていい。そんなにスピード感ある映画ではないが、緊迫感は、ひしひしと伝わってくる。そんなに突飛な映画で無いところがこういうリアルティのある緊張感を与えてくれるのだろう 9点(2003-10-15 00:28:43) |
17. コヨーテ・アグリー
この映画はぜひDVDで見てほしい、コヨーテアグリーが詳しく説明されている。アメリカに行ったらぜひ行ってみたいところの1つ。 8点(2003-10-15 00:22:34) |
18. ゴッドファーザー PART Ⅱ
あんまりマフィアものは好きじゃないが、アルパチーノは好きだし、実際にこの映画でも存在感があった。 7点(2003-10-15 00:19:33) |
19. 告発
今はなき、アルカトラズ刑務所での映画。アルカトラズの脱走と同じように、この刑務所は悪者にされている。 7点(2003-10-15 00:14:45) |
20. 交渉人(1998)
く、苦しいタイトルだ・・。「交渉人」か! エディマーフィに、ネゴシエーターというタイトルを取られちゃったから、苦肉の策で、交渉人というタイトルをつけたんだね。 5点(2003-10-15 00:08:24)(笑:1票) |