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アンドレ・タカシさんの口コミ一覧[この方をお気に入り登録する

プロフィール
コメント数 2127
性別 男性
自己紹介 2022/3/26に以下のような自己紹介文をアップしました。
ロシアのウクライナ侵攻が始まってひと月経過。
映画は観ていますが、侵略戦争のせいでレビューする気になれません。
私の映画レビューと戦争は直接関係しませんが、
楽しく文章を考える気分じゃない、ってことですね。
ロシアが撤退するか、プーチンがいなくなったら再開します。


そして、
侵略戦争が膠着状態に入り、
いつ終わるか識者にも判断できない状況になりました。
まぁ正直、痺れを切らしたので、レビューを再開します。
ウクライナ、頑張れ!

2024年3月17日更新

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1.  ゴッドファーザー 《ネタバレ》 
もちろん彼らがやっていることには感心しませんが、人間ドラマとしてこれほど真に迫ってくる作品は本当に稀だと思います。映画には発砲シーンが付きもので、ほとんどの作品ではエンタテイメントの要素ですが、本作の銃弾は重さが違う。撃たれたら本当に死にますね。この作品が醸し出す空気がそのように見せていることは明らかです。イタリア系マフィアの起源には詳しくないのですが、移民として自分たちの家族を守ることに端を発した組織なのでしょう。だからなのか、組織も家族と同様に「ファミリー」と呼称するところが啓示的です。老いて行く棟梁、やる気は充分だったが直情型で資質が伴わなかった長男、そして堅気として登場し、次第に自らの才能に目覚めて行く弟。この3人の対置がストーリーの流れを作り、同時に大河的な趣きを形成します。特にアル・パチーノ=マイケルの変貌には目を瞠りました。病院で無防備な父を守った初仕事で、おどおどしながら非凡な判断力を見せる。次はいきなり敵対マフィアの暗殺という大仕事。シチリアに逃亡して現地の娘と結婚するが、ニューヨークの抗争が飛び火して妻を失う。マイケルの変化を決定づけたのは、敵対マフィアの暗殺では無く、最初の妻の爆死だったと思う。大切なものを失わない為には何をすべきか。それが彼の行動原理になりました。多くのフィクションでマフィアの抗争劇は観てきました。その抗争のほとんどは権勢や金銭欲が動機になっていましたが、本作からは不思議とその匂いがしません。その代わりに、家族=「ファミリー」を守るという動機を強烈に感じます。それが製作から40年を経ても、この作品が特別な場所にいる理由だと思います。家族を守るのは父親=ファーザーの勤め。改めて「ゴッドファーザー」というタイトルの重みに思い至りました。30年ぶりの鑑賞でしたが、やはりこれには傑作という言葉がふさわしい。日本の同業者たちも昔は「○○一家」でしたが、そんな呼び方しなくなりました。
[映画館(字幕)] 10点(2012-01-02 04:11:02)(良:1票)
2.  告白(2010) 《ネタバレ》 
この原作を中島哲也氏が監督すると知った時は強い期待を抱いたけれど、「松子」や「パコ」で見せられた極彩色の世界がこの話にマッチするとは到底思えず不安も抱いた。観終わった後に思うことは、そんな不安は杞憂だったどころか、過去の記憶に無いほど小説の世界を損なわずに映像化されているということだ。色彩に関して云うと、すでにスクリーンに色があったことが思い出せない。心象はグレーの一色だけだ。森口先生(松たか子)の告白に語られる「少年Aと少年B」は、それに続く話の内容で特定の生徒を指していることが呆気なく明らかになる。この作品を象徴する非倫理的な違和感がざわめく教室を黙らせて行く。おだやか口調とは裏腹な内容を孕んだ森口の告白はエンディングに至るストーリーを完全に支配していて、作品を冷え切った印象でまとめ上げる。会話ではなく独白の連鎖で綴られる物語を絵的に飽きさせることもなく、至福の時間を提供してもらった。原作にも言えることだが、それぞれの登場人物が持つエピソードは、リアルかと云うとちょっと違う。例えば、アニメーションが人のピュアな感情を抽出するように、本作の中島監督の演出は人のネガティブな感情だけを選り分けて抽出し尖らせて見せる。それは肉体ではなく心を痛めつける残酷なショーを客席から傍観するエンターテイメントだ。これに見応えを感じることに罪悪と背徳的なカタルシスを覚える。剥き出しのエゴや悪意や復讐が人を引きつけて止まないエレメントであることも再認識させられる。観る側の心に危険な開放感を与える映画。問題作かもしれないが、傑作であることは疑う余地なし。
[映画館(邦画)] 9点(2010-06-07 22:43:57)(良:2票)
3.  ゴジラ(1954) 《ネタバレ》 
志村喬が「七人の侍」で勘兵衛を演じた同じ年にこの映画は公開された。その志村喬が「私は見た、確かにジュラ紀の生物だ」と言った直後に山の峰の向かうから顔をのぞかせる異形の怪物。圧倒的なスケールに被さる巨大な咆哮。ゴジラの歴史が始まった瞬間だった。1954年と言えば、終戦から10年足らず。その時代背景を考えるとリアルタイムで観た人にはかなりショッキングな映画だっただろう。ゴジラ上陸によって、芝浦から上野にわたって焼け野原と化した東京湾岸は、戦争体験者には悪夢の繰り返しに映ったはず。さながら野戦病院の様相の混乱の中で、親を失くした子供が泣いているようなシーンはその後のゴジラ映画には無い。人間ドラマのパートもシリーズを通してこの作品が最もしっかり作られていると思う。偶然にも自分が発明してしまった兵器と一緒に命を絶つという発想は、当時の日本だからこそ出来たのではないかと思う。戦争はもとより、核兵器の量産や兵器開発競争への警鐘というテーマが色濃く出た名作。
[地上波(邦画)] 9点(2008-11-18 22:17:06)(良:1票)
4.  ゴジラ-1.0 《ネタバレ》 
米国アカデミーで賞を獲った契機のリバイバルで久しぶりの劇場鑑賞。 同時に、久しぶりのレビューです。  「シン・ゴジラ」は当時の我が国の安全保障体系を皮肉った、やや後ろ向きの映画でしたが、その思想には共感しました。 その後、ロシアが仕掛けたアレを契機に、我が国も(やっと)「侵略」への対抗策を(少しは)マジで考える姿勢をカタチにしました。 未だ改憲に至らないのは、心地良さげな口上だけで存続している野党に賛同する方々も一定数はいることと、 長期政権に胡座をかいた与党のバカ者が原因と理解しています。 おっと、レビューから外れていますな。  本作を観て感じたことは「フィクション」と云うジャンルの意義でした。 ゴジラの存在自体がフィクションですが、現代の創作物はそれだけをテーマとして成立させるのが難しい。 1954年製作の「ゴジラ」は戦後10年後の銀座を破壊しましたが、本作のゴジラは終戦から3~4年後の銀座を破壊します。 この5~6年の差には意味があります。 戦後復興がある程度は体を成した日本と、暗中模索中の日本の差。 これまで、スポットが当たる機会が少なかったタイミングにゴジラをぶつけることで、 新たな葛藤が生まれ、それが新たな物語になりました。 絶望に絶望を上書きするような存在が本作のゴジラだったと思います。 そんな状況下で、戦争を生き延びた人たちの対応は様々でした。 家族がいるから、と云う理由で戦いを拒否する方々がいます。それがオーソドックスだと思います。 同時に、我々以外にはやる者がいないと、再び戦いに臨む方々もいます。 それは、ドラマを成立させるためのヒロイックな選択にも見えますが、 同種の思想で命を危険に晒す場に臨む方々が実際にいることは、現在のウクライナ報道を見ていると分かります。  「フィクション」の存在意義は様々ですが、あり得ないものや状況を設定することで、 それに対応する人たちの態度を切り分け、強調する道具でもあるとも思います。 映画の大半はフィクションなので、これまでに観た映画のほとんどは上記の理屈で成立しているのですが、 本作には改めてそれを強く意識させられました。 日本人が普遍的に持つ、敗戦に対する感情が刺激されたからかも知れません。  「シン・ゴジラ」でも言及しましたが、本作でも伊福部昭のゴジラ楽曲が大活躍していました。 唐突ですが、先日、70年万博の「太陽の塔」の内部に入る機会がありました。 岡本太郎芸術に感じた「時代を超えた本質感」を、伊福部昭のゴジラ楽曲にも感じました。 本質を担保しているものは後世に残る。 言語表現貧困でちょっと恥ずかしい言い方になりましたが、私はやっぱり伊福部音楽ファンです。  ともあれ、アカデミー賞受賞、おめでとうございます、 と心からの賛辞を送らせていただきます。
[映画館(邦画)] 8点(2024-03-17 21:59:10)(良:2票)
5.  コミック雑誌なんかいらない! 《ネタバレ》 
ロス疑惑、聖輝の結婚、山口組VS一和会抗争、日航機墜落、豊田商事事件、等々。製作当時、マスコミを賑わせた事件をなぞって行く構成。全て自分が学生だった頃の出来事で、懐かしかったです。ジャーナリスト志望だった芸能レポーターを内田裕也が演じます。芸能レポーターの活動とジャーナリズムの落差に対して彼の考えが示されていて、私はとても共感しました。すでに製作から30年弱。観ていなかったことを後悔しました。 豊田商事事件の報道は良く覚えています。渦中の男を殺しにやって来た自称右翼の暴挙を、大量の取材陣が何もせずに傍観しました。「殺人」が行われているマンションに飛び込んだ内田の行動は現実に照らすとフィクションですが、ここに彼の想いが最も強く顕れています。被写体と距離を置き、ただ興味本位でカメラを向けることがジャーナリズムなのかと云う問いかけと批判です。 エンドロール後、黒い画面を背景に流れる歌が妙なタイトルの種明かしをしてくれました。失礼ながら、内田裕也氏はとても健全な方なのだと、改めて思った次第です。 以下、余談。メディアを通して時事問題を語ることが「ジャーナリズム」です。取材対象が何ら社会性を持たなくてもジャーナリストよろしく「知る権利」を主張して芸能人のゴシップを追いかける人たちがいました。芸能レポーターという人種です。今もいるのかな? 芸能人のプライベートが暴露されることに同情する気はこれっぽっちも無いのですが、視聴率を稼ぐ方向性を「低俗較べ」と割り切っていたTV局の姿勢に、何故か無性に腹を立てていました。現在の報道はネット環境の登場で大きく変わりました。個人の意見が凄いスピード感で飛び交い、芸能人が恥ずかしいことも含めて自ら情報発信する時代。マンガのように演出された芸能レポート番組は意味を失いました。類似は生き残っていますけど、あからさまに馬鹿なことも言えなくなったようで、昔に比べると少しはマシになったと思っています。
[CS・衛星(邦画)] 8点(2013-11-15 00:41:07)
6.  コンタクト 《ネタバレ》 
科学的な知見と思索と想像力に満ちたお話でした。 主人公が接触した異星人はなぜ、地球人の姿を借りて現れ、地球万民の前に姿を現さなかったのか。記録を残すことを拒んだのか。彼は「焦らず、気長に」と言った。まさにその言葉の通りだと思う。現在、地球が太陽の周りを回っていると発言して問題にされることはない。しかし、時の権力によって迫害された時代がありました。ヒトの存在意義の根底を揺るがせるような事実が「あたりまえ」に周知されるためには、時間が必要なのです。本作が宗教を大きくフィーチャーしていることは、過去の忌まわしい歴史と無関係では無い。現在の宗教は科学的な前進を拒むものではないと思うが、本作のように不穏な方はいそうです。異星人は主人公の記憶から、そのあたりの事情を読み取ったのだと解釈しました。 次のコンタクトは10年後なのか100年後なのか。地球外生命や文明の存在が地動説と同レベルに「あたりまえ」に認識された頃、コンタクトは次の段階へ進むのだと思います。本作は啓蒙のファーストステップでした。 余談だけど、カール・セーガン氏の原作の最後の見開きには、創造主(それを神と呼ぶかどうかは別にして)の存在が証明されるくだりがあります。公理的なものにメッセージを含ませ、次元が違う存在に言及する。それもフィクションではあるが、その方法論にとても感心しました。
[映画館(字幕)] 8点(2013-10-18 00:42:48)(良:2票)
7.  ゴッドファーザー PART Ⅱ 《ネタバレ》 
「1」はファミリーの内実と代替わりを描いた。本作は、その前とその後の時代を交互に見せる。勢力を伸ばして行くドン・コルレオーネと、苦悩するマイケルが対比される。この二人の違いは何なのかと考える。時代の違いなのか、仕事内容の違いなのか、人間の器の違いなのか。家族=ファミリーを守りたいと思う気持ちは共通していたはずだけど、最後はその家族までも自らの手にかけるマイケル。二人の能力の差と言ってしまうのは簡単だけど、私は組織体の盛衰の本質を見る思いでした。時代の流れに自分の目的を添わせ組織を大きくしたドン・コルレオーネと、巨大化した組織の維持を優先せざるを得なかったマイケル。時代の移り変わりは、その流れに乗っている者に有利に働く訳で、よほど上手く代謝できない限りは廃れて行きます。突飛な例えかも知れないけど、マイケルの世代は高度成長を経た後の日本の大手家電メーカーに似ていると思います。日本のメーカーが技術力で後れを取ったとは思わないけど、後発の韓国企業に業績で抜かれてしまいました。背負うものを持たずに次の事だけを考えられる組織が時代に適合し、牽引する勢いを持つと云うことだと思います。日本企業の断末魔に似た人員整理とマイケルの苦悩のリストラが被ります。本作は1974年の製作ですが、今さらながら「組織と人」という点において多くの啓示を持った作品だったのだと思います。まだ若いデ・ニーロは、この時すでに名優でした。マーロン・ブランドに似せた口の周りの演技と表情としゃがれた声。顔の骨格は違っても、それらしく見えるところが凄いです。
[CS・衛星(字幕)] 8点(2012-04-09 21:53:08)
8.  孤高のメス 《ネタバレ》 
とても良かったです。愚直なほどストレートに医療従事者のあるべき姿を描いていると思います。タイトルの「孤高」とは志の高さや維持という意味で、決して難解な記号では無い。でも、その実践は簡単ではない。「医師であり続けることは、医師になるより何十倍も難しい」。いや、友人が何人も浪人してましたから医師になるのもけっこう難しいと思いますよ。でも、志を持ち続けることは難しさの質が違うのだと思います。それは、お頭の優劣ではなくその人の性格や人格の話ですね。別れの涙を怒った顔でこらえる夏川結衣が強く響きました。彼女に負けじと涙を我慢しながらの鑑賞でした。負けました。それにしても、中越典子とのお見合いを飄々と袖にするとわ。あんな「孤高」は見習いたくない。
[CS・衛星(邦画)] 8点(2012-01-16 20:00:40)(笑:1票) (良:1票)
9.  コドモのコドモ 《ネタバレ》 
もし本当に子供たちが無邪気に遊んでいるうちに妊娠してしまったのなら、それは責められない。言い出せなかった理由も分かる。子供たちだけで無事に出産ができたことは結果論であって、無謀な行為以外の何ものでもない。そう考えると、やはり周囲の大人たちの対応がこの映画のテーマだと思うが、その部分の突っ込みは不十分。妊娠に気付かなかったこと自体は事故性が高いけれど、事前と事後の対応に関して、家族、学校、PTAの誰にも決着を付けていない。でも、そんなことは抜きにしても自分が高得点を付けるのは、麻生久美子が演じる担任の描写に感心したからだ。若い女性教師(ここはあえて女性と言い切ります)に有りがちな見識の狭さや度量の小ささがよく描かれている。典型的な空回りタイプ。小学5年生に対して、SEXはコミュニケーションなどと言って理解されるはずがない。彼女がコミュニケーションの意味を最も理解していない。教員資格を与える段階でもっと資質を精査できないものかと思ってしまう。結局、子供たちだけで妊娠を秘匿したのはあの担任に対する反撥が主な理由で、今件に関する彼女の責任は重い。妊娠云々は別にしても、あの微妙な分からず屋加減を上手く演じた麻生久美子は良かったです。いますよ、ああいう先生。自分の遠い小学校時代を思い出し、劇中の教師批判に思わず熱が入ってしまったが、あの担任と子供たちの距離感は中年の自分にもリアルに映りました。
[CS・衛星(邦画)] 8点(2009-12-01 01:05:11)(良:1票)
10.  子猫の涙 《ネタバレ》 
メキシコ五輪のボクシングで銅メダルを獲得した森岡栄治の破天荒な半生を描いた映画です。プロ転向後に数戦で目を傷めて早々に現役を引退する。この人からボクシングを取ったら、何も残らないくらいにダメなエロ親父という人物像ですが、観終わった後に、かなり質の高い満足感とすがすがしさが残りました。ダメな男のダメな部分を描いているのに、これはどうしたことだ? ひとつは、森岡を演じる武田真治の態度です。なぜだか前を向いて正々堂々とダメやエロをやってる。悪びれるところがない。その潔さは人物の魅力と映りました。もうひとつは、ちょっと強引に例えるなら、漫才の世界でしょうか。早口で口汚く罵り合っているようで、どこかユーモラスで人情を感じるのが上方漫才だけど、全体の印象がとても似ている。親父がバカをやらかす。これがボケ。すかさず、娘・治子がモノローグでツッコミを入れる。「いっぺん死んで来い」ってな感じ。治子役の藤本七海は大阪出身。ネイティブのキツイ大阪弁で父親を切り捨てるツッコミは痛快。ツッコミを入れる対象は父親だけでなく、周囲全体に及び、彼女自身のことも含めて治子のモノローグが映画の骨格を支えます。自分も大阪出身なので実感することですが、大阪弁の「アホ」は標準語の「バカ」と意味合いが違う。けなし言葉ですが、微妙に愛情と慈しみが混ざっている。大阪弁の根底にはそんな精神を感じます。治子のモノローグや強烈なツッコミも、そんな大阪弁の特性が良く活かされていて、温かく映画を包み込んでいます。その演出を担った森岡利行監督は森岡栄治の甥らしい。いわゆる「身内」を扱った映画だけど、表層だけを列記すると殺伐とする内容を、ここまで方向転換させて見せる手腕は大したものだと思います。切なく笑える、大阪人情ちょっとだけボクシング映画。オススメです
[CS・衛星(邦画)] 8点(2009-08-09 04:26:53)
11.  氷の微笑 《ネタバレ》 
特定の映画でひときわ輝く女優が時々います。この映画のシャロン・ストーンは輝いています。ちなみに自分の映画史で同じように輝いていた女優は「ゴースト」のデミ・ムーアと「時かけ」の原田知世です。原題の「Basic Instinct」は基本的本能だから、まぁこの映画に関して言うとマイケル君の性欲のことですね。本当にそのまんまの映画ですよ。性欲を描こうとしているんだから、犯人が誰かなんて実はどうでも良いことだったりする。口ではあの女をとっ捕まえるとか言いながら、やっぱり寝たい言い訳にしか聞こえない。マイケル君のオツムと下半身の別人格は♂なら共感できるところでしょう。その欲望をがっちり受け止めるシャロン・ストーンのお色気はこの作品が絶頂期だったと思います。先日、久しぶりに観てジェリー・ゴールドスミスの音楽には感心しました。サスペンス系の映画では間違いなくこの方の曲が一番だと思います。
[映画館(字幕)] 8点(2009-07-24 20:14:38)
12.  ゴジラ・モスラ・キングギドラ 大怪獣総攻撃
全シリーズを通して最強のゴジラはこれだ。この徹底的に強いゴジラをずいぶん長い時間待っていたぞ。
[DVD(邦画)] 8点(2008-12-23 03:28:23)
13.  ゴースト/ニューヨークの幻
久しぶりに観た。評価は公開時に劇場で観たときのもので、確かにあの時はとても感動したのだった。デミ・ムーアの清い涙に自分の中の何かが洗われるような気がしたのだ。若かったんだなぁ。当時、デミ・ムーアに入れ込んだ自分は彼女の出演作を調べて、片っ端からレンタルで観た。そして徐々にテンションが下がっていったのだった。どれも、今作ほどは輝いていない。もちろん良い女優さんだけど、特にこの作品の彼女はいろんな意味で特別だったと思う。今回、ほとんど全くデミ・ムーアが可愛いとは思わなかった代わりに、ウーピーの存在感に改めて感心した。屋台骨って感じかな。その昔は例のろくろのシーンが美しく見えたのに、今回は露骨なエロシーンと映った。時間の流れが変えてしまうのは役者だけではない。若かったんだなぁ。
[映画館(字幕)] 8点(2008-11-20 01:56:15)
14.  GHOST IN THE SHELL 攻殻機動隊
原作も一度読んだだけではお話に付いていけず、再読して世界観の拡がりとともに読み応えが何倍にも増した印象だった。それだけ奥深い。 この映画はさらにアニメらしいリアリティ演出で味付けされ、映像として多くの見どころを持った作品に昇華されている。 草薙素子の瞬きしない瞳に、GHOST=魂の居場所と在り方を模索しているテーマが浮き彫りにされていたと思う。 
[ビデオ(邦画)] 8点(2008-08-05 15:04:13)
15.  ゴーン・ガール 《ネタバレ》 
法廷闘争でもやるのかと思っていたら予想しにくい方向へ転がって行きました。最後まで緊張感が途切れずサスペンスとして良質です。 旦那の浮気の証拠を掴んで普通に離婚すれば良かったと思うのだけど、そうしなかった時点でこれは特異な女性を描いたお話です。自身の幸福を、他者の不幸で得るタイプ。でも、いますよね、こんな人。あくまで個人的意見ですけど、男性より女性に多い。この種の女性が発する陰湿なパワーは圧倒的で、周囲を味方に付けるバランス感覚や戦略も堂に入っている。腕力には頼れない女性が攻撃衝動に駆られ、その意思力が異常発達したらこんな具合になるのでしょう。普通の男では太刀打ちできません。 で、悪女であることは確かですけど最後は旦那の精子を受精して保身します。そこまで出来るのかと思うのだけど、旦那のワイドショーでのカウンターアタックに惚れ直したのかなとも思いました。強い種を欲するのも女性の形質で、その辺りは都合よく本能に従っている。 男と女は同じ人間でも別の生き物。色々と思うことはありましたけど、やっぱりコレですかね。
[CS・衛星(字幕)] 7点(2016-04-18 02:07:15)
16.  コクリコ坂から 《ネタバレ》 
本作が提示した時代の空気や登場人物のメンタリティは、吉永小百合や浜田光夫が最も輝いていた60年代の日活青春映画と同じですね。私はそんな60年代の邦画青春映画を好んで観ています。そして、本作はなぜ自分が60年代の青春映画が好きなのかを確認させてくれました。若者の根底にある上昇志向や向上心、あるいは正しく生きたい願望のようなものをストレートに出すことが恥ずかしいとされる現代の風潮に対し、そこを照れずにやれる。それで不自然にならない時代が60年代なんだと思います。複雑に分化した現代社会では青春の挫折を表現するだけでも簡単にはスタートできない窮屈を感じるが、本作にそんな制約はない。時代が半世紀も昔でも、持ち上がる問題がシンプルでも、そこに揺れる心の機微に魅了されればそれで十分である。それが本作の魅力であり、ひいては60年代の青春映画の魅力でもある。「上を向いて歩こう」を象徴する路面電車の停留所シーンに感心しました。直球のコミュニケーションは清々しく強い。さらに大事なポイントは、実写の60年代青春映画に感じる隔世感が、アニメというメディアが持つ純化とデフォルメ作用によって見易いものに変換されていること。吾朗監督、本作は褒められる仕事をしたと思います。前作ではやたらと気になった「宮崎色」を感じなかったことに鑑賞後に気付きました。これは大きな進歩です。だけどスタート地点に立っただけという見方もある。次回作は「吾朗色」の発現に期待したいです。
[映画館(邦画)] 7点(2011-07-21 01:23:22)(良:1票)
17.  (500)日のサマー 《ネタバレ》 
止めときゃいいのに、サマーに結婚した理由を問うトム。彼女は誰とも深い関係にならないと言っていた。だから自分たちが別れた理由もそこにあると思っていた。つまり、自分ではなく彼女に原因があると思っていた。「ある朝起きたら、あなたとは違う気持ちを感じたの」。それは正直な台詞なのだろう。しかし、その言葉は限りなく残酷だ。彼女が特殊なのではなく、トムが彼女の心を獲得できなかっただけなのだ。恋愛のカタチはたくさんあって本作もそのひとつだが、そのひとつをかなり深く掘っている。この行き違いに覚えのある者には古傷が疼く映画。自分の傷跡は風化が進んで丸くなっていて助かった。恋愛とは不条理なもの。なぜって、いくら相手を好きになっても、同じだけ好きになってくれるとは限らないから。
[CS・衛星(字幕)] 7点(2011-04-18 03:19:42)
18.  GOEMON
変な世界観だけど、これは理に適っていると思いました。この監督がやりたかったことを描く舞台として、という意味です。戦国の日本史をベースにした名称が飛び交うが、建物やファッションやキャラの身体能力などがマンガ的に統一されていて「本作はフィクションです」と言い続けている。逆に言うと、特異な見え方の別世界をオリジナルで構築して、歴史のアレンジや人の能力を超えたアクションへの免罪符にしたような印象だ。しかも、ストーリーが二転三転しても本能寺から関が原までが元ネタなので混乱しないで済む。それで、何がやりたかったのかというと、カッコいい映像を作りたかっただけですね。アンドロ軍団を薙ぎ倒すキャシャーンを五右衛門に変えただけで、偏差値的には大差ない。でも分かりやすいストーリーは本作に娯楽というシンプルなプロフィールを与える。この監督の独りよがりなメッセージがうざかった「CASSHERN 」より、格段にまとまりがあります。観終わったとき、自分は2時間のアクションゲームをやり終えたような感覚でした。ストーリーへのアレルギーが無くなれば、絵作りは国際クラス。これなら次も観たくなる。難を言うなら、あと20分くらい短い方がキレが良かったと思うこと。ヒロスエのヘアスタイルと藤澤恵麻の出番の少なさにもイエローカード。次回は「GATCHAMAN」あたりに挑戦してほしいですね。
[CS・衛星(邦画)] 7点(2010-06-23 22:23:47)
19.  コララインとボタンの魔女 《ネタバレ》 
コララインって主人公の少女の名前です。私は映画が始まるまで知らなかった。これは身近な人たちを救うために悪い魔女と戦うコララインのお話。とってもオーソドックスなプロット。でも、とっても楽しい作品でした。この種のファンタジーは世界観を楽しむものと常々思っているけれど、その王道で勝負してしっかりと魅せている。決して可愛い訳ではないヒロインの個性的な力強さやボタン目の人形の不気味さ、猫やゴキブリのブサイクさなどなど。その全てを愛でたくなる。中盤以降は次はどうなるんだと云う純粋なワクワク感で引っ張られた。個人的には「アバター」に次いで2作目の3D映画だったけど、魔女が作った世界が崩壊する際の表現などはその特性を充分に活かしていて迫力ありました。いい歳の大人の心に束の間の童心をプレゼントされたような、そんな印象の映画でした。
[映画館(吹替)] 7点(2010-03-01 21:45:54)
20.  ゴールデンスランバー(2009) 《ネタバレ》 
原作既読。まずは、それぞれのキャラクターが持つ味わいを壊していなかったのが最も嬉しい部分だ。端折られたエピソードもあれば、突っ込みが少ないと思える部分も勿論あるが、それと同等に映画なりの工夫もしっかり出来ている。ビートルズの「アビイロード」B面(この言い方、LP世代ですね)の後半のメドレーは個人的にも深い思い入れがある楽曲なだけに、「ゴールデンスランバー」をBGMに花火がスクリーン一杯に拡がるシーンには痺れた。小説では味わえない動感の演出だろう。このメドレーを繋いだポール・マッカートニーの想いを、大学時代のサークル仲間の友情と連帯感へ対照させる構成は原作が持つテーマだが、心象描写が希薄になる部分をiPodのリレーで補った映画なりのアレンジには感心した。また、重要な役を演ずる脇役たち、特にキルオと小鳩沢(永島敏行)のキャスティングはナイスだったと思う。すべての原作ものがこれくらい観せてくれれば、原作を先に読みたいタイプとしてはストレスが溜まらずに済む。↓【まりん】さんの意見はもっともだと思います。自分には、原作を壊さない映画のお手本のような印象ですが、それは映画の突っ込みどころを記憶にある原作が補完してくれるからですね。原作を読んだ人が最も楽しめるように作ってあったと云う事かもしれません。ちょっと脱線するが、伊坂作品は確かに面白いけれど、矢継ぎ早に映画化しすぎじゃないかい。いや、映画化自体は悪くないんだが、せめて文庫が出るまで待ってくれ。財布が苦しい。もうひとつ、伊坂作品はストーリーの構成も面白いけれど、独特の言葉の連ね方にこそ個性が伺えると思っている。映画が面白いと思った方には、原作も読んで欲しい。文庫で。
[映画館(邦画)] 7点(2010-02-15 03:01:44)(良:1票)
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