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1.  オペラ座の怪人(1989) 《ネタバレ》 
ホラーと割り切ってる。エルム街のフレディ君。皮膚へのこだわり。常に新鮮な皮膚をほしがってる。でも皮むきや首がゴロンより、楽譜から血がワッと湧き出るようなのをもっとやってほしかった。なんと言いますか、コクがないんですね。ホラーにもなんとなくルールがあって、たとえばあのネズミ捕りの老人は殺しちゃいけない人だった気がする。あるいはスターのプリマ。後半急に殺されてスープにされると、なんか物語の流れとしてヘン。本当に邪魔ならもっと早くに殺しちゃってりゃいいと思う。殺しがテンテンとあるだけで、作品としての流れを作ってくれない。怪人がクリスティーヌと呼びながら売春婦を買うのも、違うんじゃないかと思った。この倒錯男にふさわしくない。ヒロインは純粋な音楽そのものなんだから、そんなこと考えてもいけないじゃないか。
[映画館(字幕)] 5点(2014-02-21 12:34:04)
2.  王と鳥
かんじんのやぶにらみの暴君は、けっこう最初のほうでいなくなってしまう。いろんな象徴がありましょう。扇動者としての鳥も、クリアな善のイメージだけではない。時報を告げる犀ってのは、どこから来るイメージなんだろう。もしかしてフランス語なりフランスの諺なりだけで分かるシャレかなんかなのか。アニメっていうと最近はとかくスピード感を出せるのを得意とする世界となっているが、これはゆったり動いてて、いい。落とし穴を避けようとピョンピョンするあたりのスピード感がそれで生きる。巨人の胸で奏される結婚行進曲のグロテスクなアレンジ。下層市街の冥府のような感じ。解放される猛獣たち、人の解放の喜びはそれほど強調されない。
[DVD(字幕)] 7点(2013-09-27 09:25:15)
3.  おはん
幸吉君にとってはすべてが「ひとごと」なの。ミヤコ蝶々に「変な関係だんな」って言われた後に「そうやろなあ」と感想を呟く。何事も主体的に選ばず、ずるずると生きてる。息子の死のときだけ、人生の現場に引きずり出されてしまった。そういう男だから、大工の棟梁みたいな職人気質の世界の人物の世界から見ると、軽蔑される。でも女には(ミヤコ蝶々を含め)けっこうかわいがられる。そういう上方の伝統的な男。おはんという女は、けっきょくよく分からないんだけど、おそらくもっと野暮ったい感じなんじゃないのか、それを吉永小百合がやるとこに面白味があったのかも知れない。駅での不気味な微笑の一瞬のために彼女を起用したのかも。どうしようもなく愚図な女が、その愚図に徹することで輝き出してくる、そういう話と思った。おかよのほうは分かりやすい。こちらも上方の伝統に則った勝気な女。おはんの再登場シーンの細かいカットの連続、幸吉の意識にハッハッと入ってくるよう。
[映画館(邦画)] 7点(2013-08-10 09:28:58)
4.  お葬式
日常が演劇的空間になってしまうおかしさ、がときどき現われる。悔やみの言葉(せりふ)からしきたり(しぐさ)まで、手本に何とか習って演じ終えてしまおうという気持ち。ビデオで練習したり、みな一生懸命演じ終えようとする。猫八など役者が適材適所で、ゲートボール仲間なんか貫禄。藤原釜足(隣室の暗闇にじっとしていた)。わっと泣き伏すと勝手のほうからどれどれと(うきうきと)見に来る感じがいい。霊柩車登場のものものしさと疾走感。一つ一つは面白いんだけど、ディテールの足し算以上のものにはならなかったような。日常が演劇的空間にあらたまってしまう面白さにもっと執着してくれたほうが好みだった。
[映画館(邦画)] 7点(2013-07-09 09:00:16)
5.  男はつらいよ 夜霧にむせぶ寅次郎 《ネタバレ》 
夢で肉親が死に絶えているのが不気味。その悪夢に対する配慮か、珍しく寅がサクラたちと一緒にいるラストになるが、これはこれで悪夢。セッタの半分を熊に食いちぎられて気を失っている寅をみなが担いで運んでいるのを上空から撮り、上昇してパンして終わるってんだから異様でしょ。こういうヘンなトーンの作品を時々入れとくのも、シリーズものを長持ちさせる上で大事と思われ、本作はその「ヘン」を味わう一編。娘の結納で「これでこの界隈に独り者はいなくなった」と社長が言ってしまってからハッとなり、すかさずオバチャンが「寅ちゃん」と叫んで、ああいつものデンで店先に寅がムッと立ってるんだなと思わせといて、実は小包の配達というズラシ(商売ものの地球儀のプレゼント)。こういうマンネリの部分でフェイントをかますのも、シリーズものならではの工夫だ。カタギの登が懐かしかった。大河小説にあるような、忘れかけていた人物再登場の味わい。あと本作では佐藤B作との絡みの場が楽しく、『黄色いハンカチ』みたいな役を、健さんとまったく逆の男に演じさせてみたおかしさ。トニーの宿のうらぶれた感じは、たとえばリリーの下宿などを思い出させ、こういうところ手を抜かない。
[映画館(邦画)] 7点(2013-04-13 09:59:17)(良:2票)
6.  男はつらいよ 口笛を吹く寅次郎
町の人たちがごく素直に、寅が入り婿になると決めてるとこがいい。杉田かおるとの会話でポロッと出て「そうじゃないんですかあ」なんて感じおかしかった。とらやを離れると寅は普通の大人に見えてるんだ、ときには本人以上に見えてることもある。これけっこうシリーズのポイントなんじゃないか。寅がとらやに帰ってくるのは、無力な駄目男に戻ってやすらうために帰ってくるってこともあるんじゃないか。このギリギリのところでの臆病に共感してしまうなあ。今回はマドンナがかなり積極的に意思表示してた。出戻り娘の寂しさという逃げ道を用意してあるのが山田の丁寧さ。そしてまた父と弟との緩衝材の役割りに戻っていくことになるのか。緩衝材というより、男二人がうまく彼女を使ってコミュニケートする仕組みを三人で納得している感じもある。日本の家における女性の役割り。このシリーズで下校シーンは女生徒が多い。いかにも「家」に帰っていくという感じが強いからだろう。男生徒だとフラフラ寄り道して寅になってしまったりするからだ。
[映画館(邦画)] 8点(2013-01-05 10:23:59)(良:2票)
7.  男はつらいよ 旅と女と寅次郎
今回の夢は大衆演劇風舞台。チンドン屋に「時代遅れ」だよと言われるのが、このシリーズのキーワードの一つ。次に、みんな「重し」を負って生きている、という中を寅がふわふわと飛んでくるところも重要。自由ということの不安定さ。運動会をめぐるシークエンス、「善意の無効」もポイント。「俺に何かできることはないか…ないなあ」という嘆きは、シリーズを通して流れている。「重し」のモチーフはラストの「暇はあるが金がない寅と金はあるが暇がないはるみ」の対比につながっている。そして「時代遅れ」の優しさが、はるみと知りつつ分からぬふりをしたかっこよさによって、肯定されていく。善意は直接の効果としては空振りに終わってしまうが、その気持ちはありがたい、というもので、精神至上主義というよりそういう心の風土をめでているのだろう。旅の部分は麦の穂のそよぎから凧揚げ合戦のあたり、沁みるような味わいが深まって、ますます枯淡の境地。後半、はるみがとらやに来る部分はオマケでしたな。ま、都はるみ使って歌わせなくちゃ失礼になるし。
[映画館(邦画)] 6点(2012-10-22 09:35:10)
8.  男はつらいよ 花も嵐も寅次郎
ワルツが久しぶりに鳴った。偶然の出会いを仕組むあたり、本シリーズでは珍しくはないもののやはり笑える。蛍子の親父さんが「こんな奴と付きあってんのか」というとこも笑った。とらやでの画面の作りはもう熟達の境地。すみずみまで無駄がない。左側に怒ったオイチャンがいると、右側に泣いているオバチャンを置いて釣り合いを取り、話が一室に籠もりそうになると、オイチャンのとこに人が来たりして、店から三郎に挨拶を送る場面を挟んだりして息を抜く。流れが出来る。このころから寅はよくマドンナの恋の相談相手になる。寅は結婚してないから理想が言える、ってことで、ヒロシの言葉を借りると「それが欠点でもあり美点でもある」。けっきょく寅は人生の通過者であり続けようとしたわけで、人生の転換点を乗り越えることが出来ない人なの。ある意味臆病、よく言えば永遠の青年。だからほかの人が乗り越えようとするとき助言を与えるのに熟達している。『太陽を盗んだ男』などニヒルな役が多かった沢田研二に、気の弱い動物園の飼育員をやらせたのが慧眼で、上方のボンボン的な資質を見抜いていた(鳥取生まれの京都育ち)。後年沢田は舞台で「夫婦善哉」をやることになる。
[映画館(邦画)] 7点(2012-06-14 10:13:09)(良:1票)
9.  男はつらいよ 寅次郎あじさいの恋 《ネタバレ》 
夢から覚める場がない、タイトルバックが江戸川土手でない、マドンナがとらやの座敷に上がらない、などの変化あり。室内の暗さが今回は目立ち、京都の伝統を出す意識的なものもあろうが、マドンナ(かがり)の暗い情念とも通じていたよう。今回の趣向は、寅がマドンナに追いかけられる、という点。今までもホンワカムードになったのはあるけど、一途に思いつめられて付け文をそっと渡されたりまでする。その前に丹後でかがりの家に泊まることになっちゃうのが予備段階の緊張。かがりの母が近所の手伝いに出てしまい居心地の悪くなる寅の晩餐、自分からお酒を求めるかがり、狸寝入りしている寅、そっと部屋に上がってきて寅の横にしばらく座るかがり(娘のランドセルを取りに来た、という理由はある)。その心理のだんまり芝居を見ているようなせめぎ合いが見事。かがりは失恋の痛手に、加納の「人に気を使うな」という叱責の言葉が重なりズタボロで、ゆきずりの・下駄をくれただけの下駄顔の男に弱った心が一気に傾く。翌朝の別れのとき想いが溢れ、ずっと船を見送り続けているかがりのカットの積み重ね。なんか蛇体となった清姫のような凄味さえ感じられてくる。山田洋次は、臆病になってはならぬといつも言いながら、そうい臆病になる人たちをいとおしんでもいる。寅も含めて。ここらへんシリーズ通してのテーマ。あともう一つシリーズの重要なモチーフとして、かがりは外での寅と内での寅の違いを江の島で指摘した。外で会ったときは優しいのに、家に帰ると違った人になっちゃったみたい、って。本作では恒例のとらやでマドンナがもてなされる場がない。今までの寅は、とらや一家の暖かさの代表としてマドンナに気に入られていた面があったが、本作で個人として自立した(!)、ってことか。あじさい寺に寅が満男を連れてきたのを見て、かがりはちらっと表情を翳らせる。ここには「寅は寅の所属する家の人なんだわ」という嫉妬と落胆がある。寅は旅先ではけっこう大人として振舞えていた。濃い人間関係が生まれそうになったら、無名の旅人としてその場を去れる状況では強い。しかし名を持った個人として剥き出しで女性に対さなければならなくなると、たちまち恐怖に囚われてしまう。そしてシェルターとしての家の代理人を誰か、さくらがだめなら満男でもいい、必要になるのだ。デリカシーのある男はつらいよ、って寅は言うだろうが。
[映画館(邦画)] 8点(2012-04-21 10:12:12)(良:2票)
10.  狼の血族 《ネタバレ》 
夢を紡ぐのも物語をするのも全部女性。少女に限らず、老婆を含む女性たちの物語。少女の成長の話だが「女性」の物語になっている。「これこれこういう話だから、こういう映画になった」というより「こういう雰囲気の映画を作りたくて、こういう話を選んだ」って気もする。監督が男だし。三つのエピソードで、次第に狼が恐怖の対象でなくなっていくの。加害者であった狼も、終わりのほうでは「狼にされる」という被害として扱われる。また「狼が人になる」ってのが何かの恵みのように見られる視点もある。「狼」のイメージが多岐に膨らんでいく。ラスト、赤ずきんの話で復習するよう。ばあさんを「殺してくれた」狼と一緒に狼の血族に入っていく。そして現代、もう眠っている場所は子ども部屋ではない。と窓を破って躍り込んで来る狼。フロイト流に見ればかなり露骨な象徴で、なんかつまんなくなっちゃうんだけど、これが男が作った「女の映画」の限界か。というより、女性たちに「男はこう考えてますが」とこわごわ「おうかがい」をたてている映画なのか。
[映画館(字幕)] 7点(2011-09-13 09:43:00)
11.  男はつらいよ 寅次郎恋愛塾
並列的に列挙する。・タイトルのバックが旅先というのは珍しい。・初期の寅のギラギラしていた部分をポンシュウが受け持っている。・帰宅後の寅の会話の中でだんだん若菜が現われてくるおかしさ。「珍しいなあ、男で写植やってる人は」「男と言ったか? 俺は」。・面接の場。こういうなんとはない社会の断面を見せるとこがうまい。・「真剣に恋をしている人をからかうなんてお兄ちゃんらしくないわ」で、民夫への教育となる。『寅次郎頑張れ!』の線。「僕はそんなこと出来ませんよ」「さいなら」のリズム感がいい。・アケミが「人妻になって寅さんの魅力が分かった」てなことを言い、社長と喧嘩になっていく。・「希望? そんなこともありましたっけね」と赤信号を突っ切りうなぎ屋に入り看板を倒してフラフラと去っていく民夫、これは昔の寅だ。・秋田へ行くあたりから調子が落ちる。リフトが行って帰ってくるのなどもう少し撮りようがなかったか。樋口可南子って笑顔が哀しい女優ベスト3に入ると思うんだけど(あと風吹ジュンとか)、あんまりそれが生かされなかった。
[映画館(邦画)] 7点(2011-08-18 10:39:11)(良:1票)
12.  男はつらいよ 幸福の青い鳥 《ネタバレ》 
ポンシュウがコンピューター運勢ってのをやっていた。思えばこのシリーズでのテキ屋の商売の変遷を見ると、昭和後期の時代相が浮かんでくるかも知れない。で、そこで示された方角に行くと古い小屋。劇場の男とのしみじみした会話、ここらへんのうらぶれた感じを出すのはいつもながらうまい。東京の歌舞伎が来た日にちをソラで覚えている。で座長の娘さん。なんか大河ドラマとしての『男はつらいよ』を感じてしまった。ここらへんまでは味わいがあったが、東京の話になっていくと、やや弱い。トラがラーメンの配達をして店の前を通り過ぎていくあたりは笑った。区役所での「あなたの声を聞かせてください」もおかしかったが、あんまりこの監督の持ち味ではない。ギャグのような風刺のような中途半端さ。笑ったけどね。満男君が微妙な年頃になっていて、家族の者たちを無視したりするようになる。全体としてもとらや離れという感じがあった。若い二人だけのシーンの比重が増していたよう。こういう形式で何か新しい展開を模索していたのかもしれない。でもけっきょく志穂美悦子でなければならないってものがなかったのがイタイ。そういうものをマドンナ役者から引き出すのが、このシリーズの魅力だったのだが。
[映画館(邦画)] 6点(2010-08-06 10:23:06)(良:1票)
13.  男はつらいよ 知床慕情 《ネタバレ》 
山田監督は東映の健サンとか日活の浅丘ルリ子とか、かつて映画会社の個性がはっきりしていたころの看板スターを自分のチームに取り込むのが好きで、映画史への尊敬が感じられる。それも特別出演的な付けたりでなく、ちゃんとスター俳優として扱っている。で今回は三船。『七人の侍』のメンバーでは志村喬と宮口精二がすでにいい役を貰っていて、これが「ストイックな男であることにこだわりすぎて孤独」って役だったのが特徴。今回の三船もそう。東宝の名監督への尊敬と、それへの批評が感じられる。そのストイックを破って告白させるんだから。そして告白できない寅。ちょっと池内淳子の『寅次郎恋唄』を思い出させる縁側のシーンがいい。ラストでりん子ちゃんがまた東京に出てくるのが厳しい。けっきょく知床には若い娘を引き止めておくものがないという現状。知床の人情を賛美しつつ、しかしそれに吸い込まれるのには抵抗を示す。山田洋次の平衡感覚と言えばそれまでだけど、でもそういうふうに行きつ戻りつさせることが大事なのであって、単なる折衷主義とは違うと思う。「寅さんと喋ってると、あくせく働くのが嫌になる」「そういう悪影響を人に及ぼすんですよ、あいつは」なんて会話もあった。今回は夢がなく、またとら屋で寅とマドンナが一緒になるシーンもない。
[映画館(邦画)] 8点(2010-05-01 11:55:48)(良:1票)
14.  男はつらいよ 寅次郎紙風船
これけっこう好きなの。シリーズ中期の安定した語り口で、『あじさいの恋』や『口笛を吹く寅次郎』あたりと比べると地味だけど、同じくらい好き。岸本加世子がらみの部分でやや物足りないとこもあるが、部分的にキラッと光る。たとえば東八郎とのケンカ。「おまえの店の一軒や二軒なくったって、世間様は何ともないんだぞ」。こんなところに裏打ちされている庶民の必死さ、それと寅との乖離、さらにそこから寅の人生の自由と孤独も見通せる。そしてもう何度も見ているはずなのに、寅がフッてしまう場面てのはいつもいい。コミュニケーションて本当に難しいんですよね。デリケートになっちゃってて、互いに臆病になってしまっている。一歩さがって相手の出方・様子をうかがっているうちに、二人の距離が開いていってしまい、しかもそのことに当事者がなぜかホッとしてしまったりするんだな。そこが丁寧。自分を卑下し過ぎるってことなんだけど、これ股旅ものにあるある種の疚しさにも通じていて、日本人にとっては普遍的な礼儀正しさにも感じられる。作者はこれを肯定しているわけじゃなく滑稽と捉えるんだけど、肯定はしないが微笑を持って、だから人間いいじゃないか、と見ている感じ。このシリーズではいつも女優がうまく見え、テレビなどではさして印象に残ってなかった今回の音無美紀子もよかった。重層的な人生を見せてくれる、とりわけ舞台が東京に移ってから。夢の手術シーンがシュール。
[映画館(邦画)] 8点(2010-01-14 12:02:45)
15.  男はつらいよ 寅次郎真実一路
大原麗子が寂しく亡くなった。彼女は二度『男はつらいよ』でマドンナになっているが、後者のこっちのほうが、よりキャラクターが生かされていた気がする。失踪した亭主(米倉斉加年)を、成りゆきで寅と探すことになるわけだが、その心配しつつも、思い出の地の旅行になんとなく浮き浮きしている感じが彼女に合っていた。若いころよく演じてた小悪魔的な雰囲気を残し、よろめき願望などという明確なものではないのだけど、けっこう息苦しかったサラリーマン主婦業の息抜きが出来た、という妙な解放感が表現されていた(遠距離通勤の住宅地、牛久沼の朝のスケッチがその前にあって、同じような家が並び、自転車通勤の人々の描写が、息苦しさをすでにサッと描いていたのが生きてくる)。そこらへんの心配と解放をさっぱりと食い違いなく演じ、下手するとベタつくコケットリーになってしまう寅への態度を、あのとんがり気味の顔でうまく流した。彼女はあと市川作品の『獄門島』や『おはん』でも、色っぽさを透明感でさらりと包み込んでしまう。異色なところでは木下恵介の『新・喜びも悲しみも幾年月』で、主なキャスティングが加藤剛以下優等生的ななか、彼女と植木等の二人が映画に味を着けていたのを思い出す。で、この『寅』、冒頭の夢がギララ登場のやつ。ギャグでは、一流証券会社の会議シーンのバナナが傑作(このシリーズでは、転がる芋の煮っころがしとかメロンとか、食べ物をめぐるギャグに面白いのが多いような気がする)。“地道な暮らし”をしているサラリーマンの亭主にとっても主婦にとっても手頃な息抜きの存在としての寅、という彼の立ち位置がよく見える作品になっていた。
[映画館(邦画)] 7点(2009-08-08 12:03:38)
16.  男はつらいよ 浪花の恋の寅次郎 《ネタバレ》 
寅は柴又でこそバカ扱いされるが、地方ではけっこう人物として見られることもあり、そのズレは興味深い。本作では、松坂慶子が弟の死を知ったとき、彼女は「なんで知らしてくれはらへんかった」って会社の人に言うが、身内の者として付き添った寅は「いろいろ面倒を見ていただいてありがとう」と感謝を述べる。こういうちょっと相手と距離を置いた“公の場”では、とても世慣れて大人なのだ。でも酔った松坂が宿に来て寝てしまう“私の場”になると、とたんにオロオロしてしまう。このズレ。その前に松坂が「弟のことをなんて呼べばいいかしら」と問うのに対し「ヒデでいいんじゃないの、俺なんて家ではいつもトラとかトラちゃんだぜ」っていうところ、テレビで見てるとつい見過ごすとこだけど、映画館ではすごくウケてた。なんか、柴又の寅と世間での寅との違いが、本人が意識せずにクッキリと出ていた。松坂、恋人がいたんなら悲しくて酔っ払ったらそっち行けばいいのに、とも思うが、その恋人ってのはヒロシタイプの真面目男らしいので、こういう場の慰め役にはならないってことなんだろう。で弟の死を知る場を一緒に体験した寅のほうに行っちゃう。ここらへんが寅の重宝なとこであり、またつらいところだ。松坂はこのとき寅とどうなってもいいと思ってたんでしょ、恋人がいるのに、フラッと。早朝ソーッと宿を出てタクシーに乗る松坂の場が印象深いのは、そういう酔いから醒めて、芸者をやめようとここで決心したからなんだろうなあ。
[地上波(邦画)] 7点(2008-10-19 12:19:31)(良:1票)
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