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鉄腕麗人さんの口コミ一覧[この方をお気に入り登録する

プロフィール
コメント数 2598
性別 男性
ホームページ https://tkl21.com
年齢 43歳
メールアドレス tkl1121@gj8.so-net.ne.jp
自己紹介 「自分が好きな映画が、良い映画」だと思います。
映画の評価はあくまで主観的なもので、それ以上でもそれ以下でもないと思います。

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21.  フライト・ゲーム 《ネタバレ》 
冒頭、主人公がウイスキーを紙コップに注ぎ歯ブラシでかき混ぜる。 この主人公の男が明らかにうらぶれていて、拭いがたい負い目を抱えて生きていることが一発で分かるオープニングだった。 その主人公を、リーアム・ニーソンがお馴染みの“困り顔”で演じているわけだから、それだけで“リーアム・ニーソン映画”としては太鼓判を押していいのかもしれない。  「シンドラーのリスト」「レ・ミゼラブル」「マイケル・コリンズ」など、かつては歴史大作や文芸大作を主戦場に渋く濃厚な存在感を示していたこの俳優が、“ジャンル映画”のスターとなって久しい。 彼の俳優としての立ち位置に対しては、映画ファンによってその是非が分かれるところだろうが、とはいえ実際ハマっている映画も多いので、「面白い」のであればそれが正義だと思う。  今作にしても、ジャンル映画としての存在価値は充分に発揮している。 ストーリー上の穴や粗など端から無視を決め込むか、それ有りきで楽しむべき立派な“リーアム・ニーソン映画”だ。  ストーリーテリングとしては、ヒッチコックの「バルカン超特急」に端を発する“誰も信じてくれない”系サスペンスで、舞台が航空機内とういこともあり、ジョディ・フォスターの「フライトプラン」にも酷似しているが、リーアム・ニーソンの近年持ち前の“危うさ”巧く機能しており、観客すらも彼に対して疑心暗鬼になってしまう。  ジュリアン・ムーアを初めとして、脇を固める俳優陣も地味に豪華で、主人公と観客の“疑心”を効果的に深めている。 結末を知った後で、オープニングの群像シーンを観てみると、それぞれにキャラクターにおいて細やかな演出がされていて、それはそれで面白かった。   それにしても、思わず口走ってしまった“一年間乗客無料サービス”の約束は果たされるのだろうか。反故にされた場合は、訴訟を起こす輩が一人くらいはいそうでコワい。
[CS・衛星(字幕)] 7点(2015-07-15 23:27:55)
22.  舟を編む
10年以上かけて延々と辞書をつくる。ただひたすらに言葉を集め、編纂する。 おびただしい言葉の海に放り込まれ、漂い、もがき、“向こう側”に辿り着こうとする映画。 極めて地味な映画である。でも、なんとも愛らしい映画だった。  「言葉」そのものを敬い、愛する日本人ならではの物語だと思う。 また、「仕事」に一生をかけることへの憧れと羨望の描き出し方も、日本人ならではの特性をくすぐるものだった。 そういう意味では、とても日本人らしい映画だと思うし、この国の人々の普遍的な一側面を世界に対して理解してもらうにも有意義な映画だとも思う。  映画としては非常にオーソドックスで面白味が薄いようにも見えるけれど、一つ一つの画づくりはとても丁寧だった。 たとえば、編集室の書類の積み重なり方や、主人公の下宿の佇まいに至るまで、登場人物たちが息づく空間の空気感がちゃんと伝わってくる。  作り込まれた映画の世界観は、時に秀逸なアニメーションに通じる雰囲気を覚えた。 特に主人公とヒロインが出会うシーンなどは、ありふれた描写ではあるけれど、とてもキュートでファンタジックだった。  主演の松田龍平は地味な物語の地味な主人公を、彼の愛妻が言うように「面白く」魅力的に演じていた。 宮﨑あおい、オダギリジョー、小林薫ら脇を固める俳優たちの存在感もそれぞれ素晴らしく、味わい深い人間模様を見せてくれた。  映画的工夫の軽微な欠如は感じ、物語の核となる「言葉」や「料理」などにもう少し効果的にフォーカスを合わせてみても良かったように思える。 そうすれば更に芳醇な映画になったかもしれないけれど、そのいきすぎない「真面目さ」がこの映画のあり方だろうし、それはひいてはこの国が見つめ直すべきあり方に繋がるものなのだろうと思う。
[DVD(邦画)] 7点(2014-03-16 10:15:57)(良:1票)
23.  BRAVE HEARTS 海猿
「海猿」シリーズもなんだかんだと第4作目。もはや毎度のことではあるが、これでもかと「奇跡」という言葉を連発する予告編に興ざめしてしまい、映画館へは二の足を踏んでしまった。 が、これももう毎度のことなのだが、いざ本編を観ると映画作品としての精度は別にして熱くなる。 それは、奇跡、奇跡と安直にのたまう海上保安官たちのことをあざとく感じる反面、こういう仕事をする人たちにはそういうことを言い続けていてほしいという願望がきっとどこかにあるからだと思う。 そうして、映画としての出来が良かろうが悪かろうが、シリーズ通じて結局目頭を熱くする自分が居た。  ただ今作においてはっきり言えることは、そういう個人的な趣向は別にしても、間違いなく及第点の出来映えを誇っていいパニック映画に仕上がっているということだ。 エンジントラブルを起こしたジャンボジェット機が決死の海上着水を試みるというプロットは、航空パニックと海難パニックの見事な合わせ技を見せ、往年のパニック映画の名作「エアポート」+「ポセイドンアドベンチャー」の図式を彷彿とさせる。  これまでのシリーズ作は、頭に馬鹿が付くほど愚直な主人公がただただ自らの精神論を武器に無闇矢鱈に人命救助に望むという構図が全面に出過ぎてしまっており、それがリアリティを著しく削ぐ大きな要素になっていた。 しかし今作においては、そういった主人公のこれまでの言動そのものをバックグラウンドに敷き、一定のリアリティと説得力をもってストーリーを進めることに成功している。 そこに3・11以降の「結束力」に対する価値が加味され、我々日本人にとっては特に感慨深いドラマ性を孕ませられていたと思う。  ラストの顛末など、相変わらずの御都合主義はあるけれど、それを分かった上で映画の中の保安官たちを応援してしまう。じゃあそれで充分だと思う。
[ブルーレイ(邦画)] 7点(2013-02-05 23:44:55)(良:1票)
24.  フランケンウィニー(2012)
「映画づくり」において、独自の世界観を貫き通すクリエイターは多々居るが、ティム・バートンという人ほどその特異な世界観を貫き通した上で、商業的な成功に長けた作品をコンスタントに生み出し続けているクリエイターは中々居ないと思う。  この15年ほどのティム・バートンの監督作品はほぼ漏れなく劇場で鑑賞してきている。 当然、作品によって好き嫌いはあるが、どの作品においても“ティム・バートン印”と言えるような「個性」が確実に存在し、どんな形であれそれが貫かれている以上、無下に否定することは出来ない。 そして、今作もまたそんな“バートン印”がこれでもかと押されている作品に仕上がっていると思う。  ティム・バートンらしい徹底した“悪ふざけ”の炸裂ぶりは、「マーズ・アタック!」を彷彿とさせる。この“ふざけかた”に免疫があるかないかで、この映画に対する許容は大いに変わってくるだろう。 得意のゴシックホラー調の気味悪くもポップな映画世界に彩られたストップモーションアニメのクオリティーは秀逸という他無く、もうそのアニメーションの動きだけで一定の満足度は得られる。  ただし、同時に物語の帰着点に若干の不満は残った。 主人公の少年が巻き起こした騒動の発端となる「行為」に対しての戒めと、それに伴う彼の成長が、今ひとつ曖昧に映ってしまっていることは否めない。 途中、科学教師からストーリーの核心に繋がり得る“教え”が主人公に伝えられるが、それがラストにきっちりと回収されていない。  今回ティム・バートンは、そういうある種正統なテーマ性を少々無視してでも、“悪ふざけ”によるB級映画ノリを徹底したのだと思うが、もう少しストーリーテリング自体に説得力が備わっていた方が、個人的には好感が持てたと思う。  しかし、前述の通り、もうそれは個々人の好みの問題であり、このティム・バートンという異才の極めてパーソナルな部分を貫き通した今作に対して不満を突きつけるのはお門違いだとも思う。  想像以上に暴走していく映画のテンションに、面食らいつつも、ほくそ笑んで楽しむべき映画だろう。  あと、そもそも“犬好き”な者にとっては、“フラン犬”スパーキーの愛くるしい動きとけなげさに対して、どうしたって涙腺は緩んでしまう。ズルい。
[映画館(吹替)] 7点(2013-01-03 22:19:47)
25.  プロメテウス 《ネタバレ》 
前夜、十数年ぶりに1972年公開の「エイリアン」第一作目を鑑賞し直した。 改めて見直してみて、30年以上前の作品とは思えない映像世界のスタイリッシュさと何度観ても揺らがない恐怖感におののくと共に、秘められた「伏線」に気づき、よくもまあ30年間もその伏線の回収を放っておいたなと思えた。  そうして満を持しての最新作の鑑賞。 結論から言うと、30年前の伏線の解明は成されている。 しかし、更に新たな謎が幾つも生み出され、それらが放り出されたまま映画は終わってしまった。  全編通して荘厳な映像世界に感嘆する一方で、この映画そのものの完成度という面においては、大巨匠の神通力の低下を疑わざるを得なかったというのが正直なところだ。 製作上において、何か致命的な失敗があったとしか思えないほどに、映画を振り返ってみると、登場人物の言動からあらゆる設定に至るまで説明が成されていない部分があまりに多く、「穴」だらけに見える。  観賞後しばらくは不満と満足の狭間で困惑してしまった。 しかし、「続編」が既に決定しているとの情報を得て、その困惑はすぐに一転する。 詰まるところ、部分的な満足感も全体的な不満感もすべては一介のCMクリエーターから現在の地位までのし上がった巨匠の強かさによるものなのだろう。  プロモーションにおいて、敢えて“エイリアン”というキーワードを極力避けながら、歴史的大傑作の“パート0”を新たに生み出すことで、「謎の解明」という新たな「謎」を描き出す。 そうすることで、過去作への注目を効果的に高め、更なる「続編」への期待感を増幅させる。 ハリウッドの第一線を年齢と逆行するように精力的に突っ走る“現役巨匠”の目論見はまさにそういうことだったのではなかろうか。  当然、「続編」の公開前には、この監督の“得意技”とも言える「ディレクターズカット版」もリリースされることだろう。この映画のあからさまな穴あき具合から、未公開の映像が山のようにあることは容易に想像できる。  映画としての完成度は決して高くない。でも映画世界に対しての興味と期待感は更に深まる。 今回は取り敢えず巨匠の衰えない強かさを感じつつ、ひたすらに続編を待つとしよう。
[映画館(字幕)] 7点(2012-08-26 22:46:19)(良:1票)
26.  ブレードランナー ブラックアウト2022
「ブレードランナー2049」の公開に先立ててWeb公開された短編3作品の内の一作。 リドリー・スコットの息子ルーク・スコットが監督した他2本は、あくまでも本編に入り切らなかったシーンの補足といったところだったが、このアニメーション短編のクオリティと立ち位置は全く別物。 15分の短い尺の中で、日本人のアニメクリエイターが渾身の「ブレードランナー」を表現している。 本編でも重要なキーワードとして度々登場した「大停電」を描いた今作は、充分に一本の長編になり得るプロットとキャラクター設定を備えている。 この短編をパイロット版とした、長編アニメーション映画の製作を期待。
[インターネット(字幕)] 6点(2017-11-14 15:49:59)
27.  複製された男
“いかにも”な邦題を踏まえて、「フィリップ・K・ディックもどきのクローンものなのだろう」と認識し、サクッと観てさっさと寝るつもりだったのだが……。  何なんだ、これは?何を見せられたのか?  時折挟み込まれる不可解なカットに困惑を残しつつ、それら困惑の極みとも言える“ラストカット”を目の当たりにして、思考が停止した。 まったくもって変な映画だった。完成度の是非は別にして、そのことは間違いない。  邦題による“ミスリード”がどういった意図によるものかは分からないが、前述の通り“クローン”を描いたSFとしてこの映画を観た者は、大いに面食らう。 この映画は、“クローンもの”でもなければ、“SF”でもなく、或る強迫観念めいたものを主題にした“精神”にまつわる映画である。 詰まるところ、“複製された男”の正体は、クローンではなく、“ドッペルゲンガー”であった。  主人公の男は、ふいに現れたドッペルゲンガーと対峙し、それが現れた理由と意味を盲信的に追い求めていく。 それは詰まり、自らが「自分」という人間の本性、深層心理を丸裸にするプロセスであり、深みにのめり込んでいくほどに、彼の精神は疲弊し、或る臨界点を迎えたのだと思う。   非常に奇妙な映画ではあったけれど、「ドッペルゲンガー=自己像幻視」を描いた作品であることを踏まえて省みてみると、諸々の不可解描写も途端に理解しやすいものではあった。 「蜘蛛」も「ブルーベリー」も「女性」も、この主人公が抱えた強迫観念の象徴であり、映画世界の中で映し出されるすべてのものが、彼の精神世界そのものであったと捉えれば、腑に落ちやすい。  そう考えると、極めてシンプルな話とも思え、映画としてももう少しコンパクトにまとめた方が良かったのかもしれない。短編映画として、不可解を不可解なままに一方的に投げ出した方が、観客の想像力を更に刺激し、カルト的な傑作となったようにも思える。
[インターネット(字幕)] 6点(2017-10-08 23:10:25)
28.  BLAME!
原作版「風の谷のナウシカ」を崇拝するという共通項を持った古い友人が、人生において最も影響を受けた漫画として教えてくれたのが、今作の原作である弐瓶勉の「BLAME!」だった。 そこまで言うならば是非読んでみようと思っていた矢先、この映画化作品がNetflixオリジナル作品として配信されていることを知り、原作未読のまま鑑賞に至った。  成る程、友人が好むのはよく分かる。物語の世界観は、超ハードSFアクション版「風の谷のナウシカ」という風合いだった。 人間社会崩壊後の黄昏の時代を舞台にし、少女戦士の活躍、救世主の登場と、類似点は多い。  映画版「風の谷のナウシカ」と同様に、濃密な原作が持つ一部分を映画化したようで、原作者が生み出した物語の世界観が実は孕んでいるのであろう深い全容は掴みきれないが、精密なアニメーションによるハードSFの雰囲気は堪能できたと言える。  この映画作品の構造自体が、壮大な物語の“番外編”的なニュアンスで語られていることからも明らかだが、今作のみでストーリーの委細を理解しようとすることは無意味だし、製作者側もそういう意図では作っていない。 文字通り「多層的」に孕んでいる膨大な情報量から漏れ伝わる物語の雰囲気を堪能しつつ、濃ゆい原作漫画に触れてみるのが得策なのだろう。
[インターネット(邦画)] 6点(2017-09-16 20:05:34)(良:1票)
29.  FRANK -フランク-(2014)
才能の誕生も精神の喪失も、その発端に必ずしも明確な理由や環境があるわけではないと思う。 誰しも、自分自身の才能に期待し、模索し、絶望した経験が少なからずあるだろう。  凡庸で薄っぺらな主人公が、一人の天才と出会ってしまったことで、求めたもの、失ったもの、そして得られてものはなんだったのだろうか。 凡庸と天才が出会うことで、それまで保たれていた琴線は途切れ、痛々しい悲しみが生まれる。 でも、その痛みと悲しみは、両者にとって必要なことだったのだと思える。  もし出会わなければ、凡庸はいつまでも夢見るだけの愚か者であり続けただろうし、天才もまた安全安心ではあるけれど極めて歪な鳥籠の中で永遠に羽を繕い続けていただろう。 いずれにしても両者はそのうちに破綻し、取り返しの付かない悲劇を生んでいたかもしれない。  最終的に凡庸は、自分の存在の意味と居場所を思い知り、天才の元を去っていく。 その様は非常に物悲しい。 けれど、それは互いにとって本当に必要な物を得られた瞬間だったのではないか。  それは彼らにとって必要な心の旅路だったのだろう。   作中ずうっと奇妙なお面を被り続けて“FRANK”という天才を演じたのは、マイケル・ファスベンダー。 この俳優も風貌に似合わず厳しい役柄ばかりを演じ続けている。 この人もかなりキテいる“役者馬鹿”なんだと思う。
[CS・衛星(字幕)] 6点(2015-09-23 23:15:47)(良:1票)
30.  ブリッツ
雑多な映画だ。いや、はっきりと「雑」と言ってしまって良いだろう。  極めて粗暴ながら警察を「天職」だと言い切るジェイソン・ステイサム演じる主人公が、警察官ばかりを狙う連続殺人鬼を追う。 ストーリーとして、至極単純明快でありながら、実際どういう映画かと言われれば説明しづらい。 というか、説明なんて面倒だから、とりあず観て、文句なり賞賛なり勝手にのたまってくれと言いたくなる。  この何だか“掴みきれない”原因は、登場するキャラクターたちの言動とか生き方が、揃いも揃って場当たり的で計算しなさ過ぎていることだと思う。 正義も悪党も皆、ただただ己のやりたいように動いていくので、その言動に対する善悪の判断以前に、「え?それでいいの?」と戸惑いが先行してしまう。  そういう部分から端を発する映画全体に漂う“違和感”が、この映画のオリジナリティとも言え、最大の突っ込みどころであると同時に、最も面白い部分とも言える。  また荒っぽい主人公が正反対のゲイの上司と志を共有していく関係性や、狡猾なのかただのイカレ野郎なのか判別し難い殺人鬼など、それぞれの人間描写はなかなか個性的でユニークだった。  今や“アクション映画スター”という肩書きの世界的トップランナーであるジェイソン・ステイサムの最新作だけに、結構な大作なんだろうと鑑賞し始めたが、想像以上に英国内向けの限定的な作品だったと言える。  そのことが、肩すかしや戸惑いに繋がってしまうかどうかは微妙なところだが、たぶん多くの人の想定外に「変な映画」であることは間違いないと思う。
[DVD(字幕)] 6点(2012-04-04 23:29:39)
31.  フォーカス(2015)
マーゴット・ロビーが好きだ。 いまやハリウッドのトップ・オブ・トップの女優に上り詰めたと言っても決して過言ではないこの俳優の魅力は、リアルな“叩き上げ感”とそこから溢れ出る強かな人間性そのものだろう。 1990年生まれ、「ウルフ・オブ・ウォールストリート」で、主演のディカプリオの妻役としてマーティン・スコセッシに抜擢されたのが22〜23歳頃だろうから、若くして成功した俳優の一人であることは間違いないが、オーストラリアから裸一貫でのし上がった苦労人でもある彼女には、俳優・映画人としての天賦の才と、生きる上での聡明さが備わっている。  そんな人間的な厚みが備わっているからこそ、マーゴット・ロビーという女優は、セックスシンボルにもなれるし、馬鹿にもなれるし、イカレ女にも、痛い女にも、ミューズにも、ヒーローにもなれる。 本作「フォーカス」で彼女が演じている詐欺師のジェスも、まさにその適性に合ったキャラクターであり、ベストなキャスティングだったとは思う。色仕掛けとスリを得意とし、詐欺師としての才能を開花させていくヒロイン像は、ハマり役と言えよう。  そのヒロインを圧倒的な詐欺師の技量で魅了していくのが、主演であるウィル・スミス演じるニッキー。 常に相手を騙し続ける凄腕詐欺師のキャラクター造形は主人公らしく、ウィル・スミスの多才さとも相まって悪くはなかった。 が、しかし、その完璧だった詐欺師像が、魅力的なヒロインの出現によって乱れ、崩れていく。  まさにその天才詐欺師に生じた不協和音こそが、本作のストーリーにおけるミソなわけだが、最終的にはその綻びが綻んだまま、少々グダグダな展開のまま終着してしまった印象を受けた。 ヒロインに対して恋愛感情を抱いてしまった主人公が、詐欺師道を貫くために、彼女から離れる展開までは良かったが、その後再開してクライマックスとなる大仕事に挑むくだりが、中途半端で盛り上がりに欠けた。  詐欺師映画である以上、映し出されるすべてのシーンに何かしらの意味があって然るべきで、“騙す相手”は、大富豪のボスなどではなく、スクリーンの外側の観客であるべきだと思う。 無論、本作においても、最終的にアッと驚く仕掛けを用意しているつもりであろうが、結局のところ主人公がヒロインに対してただただメロメロになっているようにしか見えず(実際彼女の本質を見抜けていなかったわけだし)、カタルシスを得るまでには至らなかった。  まあ、そういうグダグダな雰囲気は、往年のヨーロッパの娯楽映画を観ているようでもあり、おしゃれでキッチュな落とし所は嫌いではないけれど、主演のウィル・スミスが、作中のキャラクター的にも、俳優としての支配力的にも、マーゴット・ロビーに喰われているなという印象は拭えない。 それならば、マーゴット・ロビー演じるジェス側に、すべてを覆す思惑や計画を持たせて、名実ともに主人公と観客を“支配”してほしかったところだ。
[インターネット(字幕)] 5点(2023-10-29 23:16:07)
32.  フリー・ファイヤー
“いかにも”な倉庫街で繰り広げられる悪しき交渉と、その「決裂」と同時に巻き起こる愚か者たちによる愚かな銃撃戦。 このあらゆるアクション映画で飽きるほど描かれてきた“ワンシーン”のようなシンプルなプロットただそれのみで、映画を構成する潔さと豪胆さは「良し」と思えた。  キャスティングも、アカデミー賞女優のブリー・ラーソンをはじめ、キリアン・マーフィ、アーミー・ハマー、シャールト・コプリーと、巧さと、華やかさと、クセの強さを併せ持った魅力的なスター俳優が顔を揃えており、イントロダクションのチープさに反して、“掘り出し物”を観られるんじゃないかという期待感は膨らんだ。 そして、製作総指揮にはマーティン・スコセッシの名が。そりゃあ一定の期待はしてしまう。  結果としては、決して観られなくはないが、アクション映画として面白いとは言い難いと言ったところ。 一流どころの演者を揃えているだけあって、一人ひとりのキャラクター性には興味をそそられる。 何かしらの思惑を孕んだクセのあるキャラクターたちが、徐々に本性を表しながら、愚かにも死屍累々を築いていくという作品の方向性自体は間違っていなかったと思う。 場面場面においては、ブラックユーモアやシュール性も併せ持ちつつ、ユニークなシーンを見せてくれたとも思う。  では何が悪かったのか。ずばり「脚本」だろう。基本的な話運びがあまりにも雑でチープすぎる。 何だか気の利いた台詞を言わそうとしていることは伝わってくるが、それらが尽く上手くないので、キャラクター全員がただただ“馬鹿”に見え、娯楽的なカタルシスがまるで生まれない。 必然的に、延々繰り広げられる馬鹿たちの撃ち合いにダレてしまった。  「レザボア・ドッグス」的な暴力描写と会話劇の妙を織り交ぜたストーリーテリングをしたかったのだろうけれど、遠く遠く及んでいない。 マーティン・スコセッシがどういうスタンスで「製作総指揮」に名を連ねているのか知らないが、これだけビッグネームを揃えられたのであれば、クエンティン・タランティーノにもお願いするべきだった。 まあ、タランティーノがこんな「二番煎じ」に参加するとは思わないけれど。
[CS・衛星(字幕)] 4点(2018-06-10 22:45:30)
33.  プラチナデータ 《ネタバレ》 
「駄目」と言える要因は山ほどあるが、先ず一番のマイナス要素は、主演のアイドル俳優の画的な見栄えの悪さだ。 二宮和也のルックスや雰囲気は主人公のキャラクターに合っていたとは思うが、いかんせん小さ過ぎる。相手役が豊川悦司なもんだから、そのチビさが殊更に際立つ。 役柄的にガタイが良い必要はないのかもしれないが、主人公の背格好のみすぼらしさは、それだけでこの映画を馬鹿にしたくなる要因になる。  と、言ってしまうと、まるで“ニノ”一人がこの映画の戦犯のように思われるかもしれないが、勿論そんなことはない。 万が一主演がレオナルド・ディカプリオだったとしても、この映画が駄作であることは揺るがないだろう。(まあディカプリオが主演ならば、自ら製作を担って、スコセッシ監督を呼んで傑作にしてしまうだろうが……)  東野圭吾の原作は未読だが、ストーリーそのものが決して褒められたものではない。 映画のストーリー展開が原作通りなのならば、流行作家の神通力もいよいよ落ち目なのだろうか。 主題であるDNAによる犯罪捜査と、この物語の“真相”は、衝撃的には見えるが、あまりに食い合わせが悪く、サスペンスとしてアンフェだと言わざるを得ない。 物語としての整合性が伴わないまま、科学を超えた人間のドラマなどを謳われても、正直シラケてしまうばかりだった。 文体ではもう少し情感的に表現が出来ているのだろうが、この“シラケる感じ”は、過去の東野作品の中でも幾度か見受けられたものなので、原作自体の出来もたかが知れているのだろう。  と、言ってしまうと、原作そのものが悪かったことがこの映画が駄作である理由と一括りにされそうだが、決してそういうわけでもない。 DNA操作、遺伝子論、精神医学、アナログとデジタルの対峙、これくらいの要素が揃っていれば、“オチ”のマズさはあったとしても、面白い映画的展開は出来たろうにと思う。 主人公の上長の刑事がロリポップを舐めながら登場する。何らかの特徴を持たせたキャラ設定をしたかったのだろうが、あまりに稚拙で失笑してしまった。 それは映画全体にとっては極めて些細なことだけれど、そういう稚拙さがすべての演出に垣間見えることは否めない。  誰か一人が悪いわけではなく、それぞれが少しずつ確実に見せてしまった稚拙さが、映画全体を覆ってしまっているような、そんな残念さに溢れている。 
[地上波(邦画)] 2点(2014-04-16 22:52:51)
34.  プリンセス トヨトミ
決して高くはない期待を大きく下回る想定外に“滑稽”な映画だった。  原作は未読だが、人気作家の話題作の映画であるから、映画自体のの善し悪しの前に物語自体の面白さはある程度堪能出来るのだろうと思っていた。 しかし、残念ながら紡ぎ出されるストーリー自体があまりに下らなかった。 突飛な設定をまかり通す物語の説得力と整合性は皆無で、堤真一、中井貴一ら日本を代表する俳優たちの“真面目”な演技が妙に滑稽に映ってしまう程だった。  これが原作通りならば、これほど了見の狭い稚拙な小説がなぜ売れるのだろうと疑問が膨れ上がるところだったが、どうやら例によって、大いに原作の伝える世界観を無視した映画になってしまっているようだ。 そもそも面白い小説の映画化はハードルが高いものなのに、その世界観をただ踏襲することも出来ず、好き勝手に無駄な要素を付け加えて、“別物”に作り替えてしまうことに対する美意識の無さが、いつものことながら理解出来ない。  どうやら映画を観ていて感じた「大阪」という舞台設定におけるあらゆる稚拙さが、原作小説には無い要素であり、逆に舞台となった土地への造詣が深い作者ならではの濃い世界観が原作では繰り広げられているらしい。 原作自体は前々から気になっていたので、読んでみたいとも思うが、この映画を観た後では当面読む気にはなれない。  ただし、憎悪さえ生まれてもおかしくない駄作ぶりにも関わらず、どうしても憎めない自分がいる。 その唯一の要因は、綾瀬はるか嬢の“たわわ”な小走りシーンが、冒頭とクライマックスの二度に渡って映し出されるからに他ならない……。
[DVD(邦画)] 2点(2011-11-30 22:18:36)(良:1票)
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