Menu
 > レビュワー
 > 鉄腕麗人 さんの口コミ一覧。11ページ目
鉄腕麗人さんの口コミ一覧[この方をお気に入り登録する

プロフィール
コメント数 2597
性別 男性
ホームページ https://tkl21.com
年齢 43歳
メールアドレス tkl1121@gj8.so-net.ne.jp
自己紹介 「自分が好きな映画が、良い映画」だと思います。
映画の評価はあくまで主観的なもので、それ以上でもそれ以下でもないと思います。

表示切替メニュー
レビュー関連 レビュー表示
レビュー表示(投票数)
その他レビュー表示
その他投稿関連 名セリフ・名シーン・小ネタ表示
キャスト・スタッフ名言表示
あらすじ・プロフィール表示
統計関連 製作国別レビュー統計
年代別レビュー統計
好みチェック 好みが近いレビュワー一覧
好みが近いレビュワーより抜粋したお勧め作品一覧
要望関連 作品新規登録 / 変更 要望表示
人物新規登録 / 変更 要望表示
(登録済)作品新規登録表示
(登録済)人物新規登録表示
予約データ 表示
【製作年 : 2000年代 抽出】 >> 製作年レビュー統計
評価順1234567891011121314151617181920
2122232425262728293031323334353637383940
投稿日付順1234567891011121314151617181920
2122232425262728293031323334353637383940
変更日付順1234567891011121314151617181920
2122232425262728293031323334353637383940
>> カレンダー表示
>> 通常表示
201.  ザ・スピリット
悪が渦巻く犯罪都市、薄汚れた街を愛する不死身のヒーロー“ザ・スピリット”。 アメコミヒーローとしては、基本的にはよくある部類のパターンと言える。 が、そのマニアックさと作品世界全体から滲み出る“禍々しさ”が、非常に特異だ。 時に奇天烈過ぎて、許容範囲を超えてしまいそうにもなるが、ギリギリのところで引き込んでくる。  この映画の最大の見所は、ヒーローの活躍による爽快感でも、センセーショナルな映像世界でもない。 エヴァ・メンデスの完璧な曲線美、そしてスカーレット・ヨハンソンのコスチュームプレイ。この二つに尽きる!というかそれしかない。 と、言うと、非常に映画自体を卑下している印象だが、そうではない。  映画という物は、良いものになるほど、そのハイライトは明確に限られてくるものだと思う。 つまりこの映画の場合、二人の美女の艶かしい競演こそが、最大のハイライトであるということで、それが作品の価値を大いに高めているポイントだ。  同監督原作の「シン・シティ」や「300」ほどの完成度は無かったことは否めないが、決して万人受けはしないであろう奇抜な世界観を、見事にビジュアル化して見せていると思う。 
[映画館(字幕)] 6点(2009-06-07 12:43:56)
202.  フロスト×ニクソン 《ネタバレ》 
この映画を観て、何よりも印象強く残ったものは、「音声」だった。 米国史上最悪の汚名を持つ元大統領と野心溢れるテレビ司会者。二人の男の織りなす会話が、高級ステレオから流れるジャズのように響いてくる。  リチャード・ニクソンという米国大統領についても、彼の転落の発端となったウォーターゲート事件についても、もちろんデビット・フロストという英国人のテレビ司会者のことも、ほとんど詳細を知らない。 キーワードとしての部分的な知識しか無かったので、イメージとして、汚職にまみれた元大統領を、野心家のインタビュアーが最終的に言い負かすというような映画なのだろうと思っていた。  が、実際はそうではなかった。  米国史上初の任期中での退任を余儀なくされ、ホワイトハウスを去りゆくニクソンの一寸の“表情”に瞬間的に惹き付けられ、インタビューを申し込むテレビ司会者。バラエティー番組専門の彼にとって、それはあまりに盲目的な挑戦であったと思う。  センセーショナルなインタビューを通じて、片方は政界への復帰を目論み、片方は名声の得ようと画策する。それはもちろん正直な両者の思惑だったのだろうが、それと同時に二人の男に生じていたものは、現実に対する自身への葛藤と、それを打ち砕くための好敵手の発見だったのではないか。 己の人生に対する自信と失望。「今」から脱却し、次のステージへ進むためには、人生そのものを壊してしまうくらいに強力な起爆剤が必要。 年齢も立場も何もかもが違う二人が、奇しくも同じ思いを互いに感じたのだろうと思う。  結果として、勝利はフロストへもたらされ、ニクソンの思惑は完全に閉ざされる。 しかし、この映画が描いたのは、その勝利にまつわる痛快感などではなく、敗北者であるリチャード・ニクソンという希代の米国大統領の本質的な姿だった。 感情を吐露し、人生を憂う姿に、人間として尽きない興味深さを感じた。
[映画館(字幕)] 8点(2009-06-01 00:24:47)(良:1票)
203.  ザ・ムーン
人類が「冒険」をしなくなって久しい。「アポロ計画」は、人類が臨んだ最後の「冒険」となっているのではないかと思う。  1本のロケットもまともに打ち上げられなかった時代、「人類を月に送る」と宣言したJFKは、その計画に対しどれほどの「確信」があったのだろう。 作品の中でも語られているが、彼(JFK)は、ヒーローだったのか、夢想家だったのか、狡猾な政治家だったのか、そのすべてだったのか。 ただ何よりも重要なのは、大国の歴史的リーダーが、自国の威信と誇りをかけて「未知」へと進むための具体的なアクションを起こしたということだと思う。 失敗も成功も、何かをしなければ得られないわけで、すべてはJFKの宣言から始まったのだろう。  月へ向かった宇宙飛行士たちが語るアポロ計画の真実、そして「未知」を経験した価値。それぞれのコメントも実に印象深いものばかりだったが、それ以上に感じたことは、彼らの「目」の輝きだった。皆、80歳前後の老齢のはずだが、その目の輝きは、おそらくかつて月へ向かったかの日のままなのだろうと感じた。  莫大な予算を投じ、多くの犠牲もあった。しかし「冒険」の価値は、そのすべてを凌駕する。 有史以降、未知に向けてのチャレンジは、人類自体の成長そのものだったと思う。 即ち、人類としての「冒険」を止めてしまうことは、人類という「種」自体の退廃に直結する。  大偉業から40年。人類は再び、冒険に向かうべきではないか。 
[映画館(字幕)] 8点(2009-05-25 22:02:02)(良:1票)
204.  トランスフォーマー
これほどまでに、「クソクソ面白いクソ映画」は観たことがない。(下品ですみません)  ストーリーなんてあって無いようなものという言い回しはよく聞くが、これほどまでその文句に相応しい映画もない。 そもそもの発端の設定から、主人公のキャラクター性、他のキャラクターたちの言動に至るまで、本来あるはずの整合性はほころびまくり、ただただブロックバスター映画としての“勢い”だけで突っ走る。  ただ、その“勢い”が馬鹿馬鹿しいまでに物凄い。  「トランスフォーマー」という玩具は、自分も幼少時によく遊んだおもちゃで、持っていたのは、戦闘機からロボットに変身(トランスフォーム)するタイプだった(今作の中では悪役……)。 自分が遊んでいた時には、漫画とかアニメとかは無かったと思う。 基本的に“一人遊び”が好きな子供だったので、一人好き勝手にストーリーを想像しつつ、「ドカーン」、「バキューン」と遊んでいた記憶が、沸々と蘇ってきた。  「物凄い」のは、誰しもがやっていたであろうそういう“一人遊び”のまさに延長線上に、この莫大な製作費によって生み出されたブロックバスター映画が存在するということだ。  ハリウッドを代表するいい大人たちが、よってたかって「子供の空想」を真剣に映像化するという試み。 「理屈」や「リアリティ」なんて言葉の意味すら知らないよ、と言わんばかりの怒濤の映像世界には、感嘆を通り越し、心底ほくそ笑んでしまう。  「なんて馬鹿馬鹿しい……」と思いつつ、これほどまで楽しめてしまうその要因は、ハリウッドでエンターテイメント映画を創り続ける重鎮たちの意地とプライド、そして偉大なる“永遠の子ども心”に他ならない。  子どもの頃に遊んでいた時、何を考えていたか全く思い出せない様に、この映画を観て「何かが残るか?」というと、何も残らない。“クソ映画”と吐き捨てても仕方あるまい。  ただし、圧倒的に「面白い」がね。
[DVD(字幕)] 7点(2009-05-24 01:58:02)(良:2票)
205.  重力ピエロ
「映像化不可能」という文句は、もはや伊坂幸太郎の原作に対する常套句となりつつある。 今作「重力ピエロ」も、類に漏れずその常套句が掲げられたが、そのニュアンスは他の作品とは少々異なるものだったと思う。 「アヒルと鴨のコインロッカー」のような文体によるストーリー構成の妙にその要因があるわけではなく、主人公の兄弟をはじめ描き出される「人間性」の妙こそが、映像化に対する最大の難関だったと思う。  結果としてまず言いたいことは、素晴らしい映画であったということだ。 伊坂幸太郎の独特の世界観に息づく絶妙な人間性を、決して物語を破綻させることなく、リアリティをもって映画として紡ぎ出すことに成功している。  それは、原作の真意をしっかりと汲んだ上での監督の確かな演出力、そして、絶妙なキャスティングによる俳優たちの奇跡的な演技力によるものだ。  「小説の映画化」に対して総じて言えることだが、文体によって緻密に描き出されるキャラクターを、生身の人間が「映画」という制限された領域の中で不足なく表現することは、途方もなく困難なことだ。 それが、この原作の登場人物たちのように多様性と二面性を表裏に持った複雑なキャラクターであれば、その途方もなさは更に果てしないものだ。  この物語は、ミステリアスな展開に彩られながら、悲劇を越え、遺伝子を越えて、一筋縄ではいかない「親子の絆」を堂々と描き出す。 それは、まさに重力を飛び越えて空中ブランコをこなすピエロのように、飄々とした中に確実に存在する「自信」と「誇り」に溢れている。  伊坂幸太郎の文体で描き尽くされたに思われたその「最強の家族」の姿を、この映画の俳優たちは、単なる「再現」を飛び越えて、見事に息づかせてみせた。
[映画館(邦画)] 9点(2009-05-24 01:04:59)(良:3票)
206.  天使と悪魔
「教皇選挙(コンクラーベ)」の表裏で渦巻く思惑と陰謀。暗躍する秘密結社“イルミナティ”の存在。宗教と信仰で重ねられた歴史の中で埋もれてきた「謎」を解き明かすプロセスは、とても興味深く、未知の領域に引きずり込まれる感覚はエキサイティングだった。  映画作品としての前作「ダ・ヴィンチ・コード」は、キリスト教そのもののタブーをピンポイントでえぐり出しいた分、特に信者でない者にとっては、逆に今ひとつ衝撃性に欠ける部分があったというか、ピンとこなかった。 しかし、今作は宗教と信仰のもっと根本的な部分、即ち人間そのものの不完全さを物語の核心として描き出しているので、随分と移入しやすかったのではないかと思う。  宗教の歴史的な謎解きに留まらず、そこに「殺人」、更には「陰謀」という要素を絡め、一つの壮大なサスペンスへと昇華していく。 そしてその中で、信仰と科学の「対立」による軋轢と、そこから導き出される「融和」を巧みに描き出す。  原作を未読なので、例によってこの“映画化”が成功しているのかどうかということは、実際のところ判別できない。 ただし、“映画”単体としては、物凄く良い映画だと思ったし、純粋に楽しめた。  この映画を、文芸作品とか歴史作品などとして捉えることは間違いで、そんな見方をしては決して楽しめない。 この映画は、娯楽であり、崇高なエンターテイメント映画だと思う。  重厚でサスペンスフルな展開に身を委ね、バチカンの教会や彫刻の多さに感嘆し、ユアン・マクレガーのマルチぶりに賞賛を送りつつ、「結局、宗教って何なのだろう」と漠然と問う。そうやって楽しむ映画だ、と思う。
[映画館(字幕)] 8点(2009-05-16 00:46:35)
207.  GOEMON
賛否が大いに分かれた(というよりも殆どは“否”だった)前作「CASSHERN」から5年。紀里谷和明という映画監督の、創作者としてのエゴイズムと方向性が、圧倒的に正しいということを、改めて確信させるに余りある作品に、この「GOEMON」は仕上がっている。  既存のヒーローを描いた作品でありながら、、独創的で独善的なストーリー展開に突っ走った「CASSHERN」は、多数がどう言おうと素晴らしい映画だった。しかし、その分観客の許容範囲を狭めてしまったことも事実。  しかし、今回は史実に伝説として残りつつも、想像の部分が多分に含まれる”石川五右衛門”というヒーローを扱うことで、自由な表現が出来るから故に、単純明快なストーリーの上に、至高の娯楽が構築されたのだと思う。  当然のことだけれど、この映画に歴史的リアリティやその他もろもろの「常識」を求めるなんてナンセンス極まりない。 あらゆる固定観念を捨て去り、本当の意味でフラットな状態でひたすらに突き詰められた映画世界に没頭すべきだと思う。  日本映画に大きく欠けているもの。それは創造物に対する絶対的な「自信」と、それを持つためのエゴイズムだと思う。 そういうものを備えているからこそ、紀里谷和明という人間の創造物は、「日本」という枠を大きくはみ出るほどの、圧倒的なパワーに溢れている。 今後もそのスタンスを貫く限り、再び彼は「絶景」を見せてくれるに違いない。 
[映画館(邦画)] 9点(2009-05-05 09:26:21)(良:2票)
208.  パコと魔法の絵本
Q:「下妻物語」、「嫌われ松子の一生」の中島哲也が、“ディズニー映画”を撮ったらどうなるか?  A:こうなる。非常によろしい。  独特の世界観とセンスに対し、やはり冒頭は面食らってしまうというか、“馴染む”までに時間がかかることは否めない。その時点で「ムリ」と言ってしまう人がいても否定はできないだろう。 でも、映画なんてものはそもそも創作者のエゴイズムの塊であって、良い映画というものは必ずそういう中から生まれてくるものだ。  知らず知らずのうちに、極めて特異な「絵本」の世界に引きずり込まれ、キャラクターたちの飾り気の無い言葉にただ感動し、気がつくとある種の居心地の良ささえも感じてしまっていた。 それは、作り手が、自分たちが作り出す「世界」をどこまでも愛し、揺るぎない自身を持って描き出しているからに他ならないと思う。  悲しいけれど、どこまでもあたたかく、メチャクチャな映画世界にひたすらにまっすぐな思いを詰め込んだ素晴らしい映画だと思う。 
[DVD(邦画)] 8点(2009-05-02 12:26:38)
209.  バーン・アフター・リーディング 《ネタバレ》 
下世話な欲望の連鎖に、CIAの機密情報が絡んだらどうなるか? コーエン兄弟くらいしか思いつかないだろう題材を、どこまでも馬鹿馬鹿しく描いた映画だった。  シュールでブラックなユーモアセンスは、相変わらずのコーエン節で愉快だった。 ジョージ・クルーニー、ブラッド・ピット、フランシス・マクドーマンド、ジョン・マルコビッチ、ティルダ・スウィントン、とアカデミー賞クラスの俳優をずらりと並べた豪華さは、強く興味深かったし、それぞれの俳優のアクの強い演技は流石だったと思う。 (特にブラッド・ピットの馬鹿野郎ぶりは、「ベンジャミン・バトン」を観た後だっただけに、殊更強烈だった)  しかし、そういう利点に相反して、映画としての魅力をあまり感じることができない。 馬鹿馬鹿しさの中にしっかりと“巧さ”のあるストーリーだけれど、面白くない。  その原因の一つとして、豪華な俳優を揃えたはいいが、それぞれの直接的な絡みが希薄であることがあげられると思う。 同シーンに存在はしているけど、台詞の掛け合いがあまりないので、巧い俳優それぞれが「独り相撲」をしている格好になっている。  結果として一番面白かったシーンは、スター俳優の登場しない、CIAの管理職同士のやり取りであった……。  キャスティングの段階で力を注ぎ過ぎてしまい、肝心の映画づくり自体に軽薄な印象を、観客に与えてしまったことは、残念。
[映画館(字幕)] 5点(2009-05-02 12:08:37)
210.  スラムドッグ$ミリオネア
クイズ番組が好きだ。  問題に答えるための「知識」は、自分がこれまでの人生の中で生み出した結晶で、クイズ番組はそれを確認できる一つの方法だからだ。  「知識」は、積極的な勉学の果てに得たものだろうが、偶然知り得たものであろうが、その価値は変わらないと思う。  自分だけのオリジナルの人生を経て、結果として“知っていた”ということ、それが最も重要なことだ。  そういう概念を根底に敷いて、スラム街に生まれ育った青年の一つの「運命」を、巧みな映画術で描き出した良い映画だったと思う。  前面的に描かれる“クイズショー”は、インドのスラム街の現状とそこに生きる子供たちの現実を如実に表現するための「縮図」で、出題される問題の一つ一つが、主人公の青年の人生にリンクしていく構成が見事だった。  当たり前の様にゴミ山の中を裸足で走り回り、当たり前の様に孤児になり、当たり前の様に物乞いをし、当たり前の様に犯罪に手を染めていく少年たちには、不思議なくらい陰惨さを感じない。 それは、彼らが自分たちが生きるその環境を「当たり前のこと」として受け入れ、生きる覚悟をしているから。  欺瞞に満ちたクイズショーで大金を手に入れることも「運命」。 銃弾を浴び札束で溢れたバスタブで果てることも「運命」。  そのさじ加減を一体誰が決められるというのだろうか。 
[映画館(字幕)] 7点(2009-04-28 23:58:40)(良:1票)
211.  クローズZERO
原作「クローズ」を高校生の頃から愛読してきた者としては、「映画化」という話を聞いた時、「ああ、また人気漫画の安直な映画化」かとしか思えなかったし、生身の人間が演じてあの「クローズ」の良い意味で漫画的で、“タフ”な世界観を描き出すことは不可能だと思った。  そうして、特に劇場公開時も興味を示さず、イケメン俳優目当てに長蛇の列をなしている女性客を横目で見ながら、尚更興ざめしてしまった記憶がある。  そのせいか、三池崇史がメガフォンを執っているという情報を得ても、「相変わらずこの監督は作品選びに節操がないなあ」という印象が先行してしまっていた。  しかし、実際に今作を見始めると、その冒頭で、「ああ、クローズを映画化するなら、実際問題、三池崇史しかいないな」と即座に思い直してしまった。  有り得ないような極限の不良世界を、現実のビジュアルで描き出そうとする試みには、生半可なクリエイターでは、「容量」が追いつかない。 ほんの少しでも「常識」という言葉の介入を許してしまえば、中途半端で酷い映画に仕上がっていたと思う。  そこには、ヤクザ映画だろうが、アクション映画だろうが、SF映画だろうが、ギャグ映画だろうが、ロマンス映画だろうが、アイドル映画だろうが、問答無用に撮り切ってしまう圧倒的なクリエイターとしての“パワー”が必要だったのだと思う。  そうなれば、日本の映画界に三池崇史ほどふさわしい人材はいない。  詰まるところ、自分の浅はかな想像を遥かに越えて、相当に面白い映画だったと言える。  原作漫画では描かれていない「鈴蘭」を描き出すことで、原作ファンのしがらみを巧みにかわすとともに、ファンをも納得させる新しい「鈴蘭」を描き出したと思う。  それと同時に、原作のキャラクターたちが共通して持つ「男気」や「野心」、様々な「葛藤」を、映画のキャラクターたちにもしっかりと持たせ、原作にはないエピソードでありながら、まさにこれは「クローズ」だと納得させるストーリー構成も見事だったと思う。  人気漫画を安易に映像化するのではなく、その根幹を汲み取り、映像を漫画的に仕上げた快作だと思う。
[DVD(邦画)] 8点(2009-04-28 17:33:59)
212.  夜のピクニック
24時間かけて、80㎞の道のりを、高校生活を共にする仲間たちと歩き通すという稀有な行事「歩行祭」。  「一緒に並んで歩く。ただそれだけなのに、どうしてこんなに特別なんだろう」 すべては、その想いに尽きると思う。  それは、毎朝毎朝10㎞近い道のりを自転車通学したことや、部活が終わって疲れきっているのにたわいもない話を延々としていたことと全く同じで、自分自身も感じてきたその“特別さ”がよみがえってきた時、この映画の真の価値が煌めいたと思う。  おそらく初めてのことだが、実は、映画を観る数時間前に原作を読み終えたばかりだった。 そのことによって、作中の登場人物たちの心情が掴めやすかったと同時に、描き方として不充分だなと思われるところも多々あったと思う。 特に映画の序盤は、原作の持つ空気感が表現されていなくて、映画作品として「失敗」かなとも思った。  しかし、「歩行祭」も折り返しを経て、物語が“ゴール”に向けて突き進むにつれ、空気感が一変する。 疲労困憊の中、それぞれの高校生たちが心情を吐露していくその息づかいが、とても情感に溢れ素晴らしかった。  それは同時に、将来の日本映画界を担うであろう若い俳優たちが、この作品の中だけでも確実に成熟していく様を見ているようで、今まさに等身大の若者たちが「成長」を遂げている姿だったのではないかと思う。  「ただそれだけのこと」の素晴らしさ。 そこには明確な理由も派手さもなく、ただただじわりと染み渡る。  時の重なりとともに、何ものにも代え難くなるその「特別」に涙が出る。
[DVD(邦画)] 7点(2009-04-16 01:06:39)(良:2票)
213.  ALWAYS 三丁目の夕日
真っ当な“映画好き”であるならば、VFXをふんだんに盛り込んだ邦画の大作映画には、問答無用に“疑心暗鬼”になってしまうと思う。 もう4年も前になるが、今作の公開時にもその例に違うことは決してなかった。 どうせ、ハリウッド映画に対して遥かに稚拙なVFXで再現された数十年前の東京の様をこれ見よがしに見せるだけの映画だろうと思っていた。  そもそも、予告編を観ただけで、粗筋は読め、感動させたいポイントも丸分かりの映画に、興味は無かった。  だが、観もせずに「面白くない」などと決めつけることほど、愚かなことはない。 面白くない映画を観て、「面白くない」と言うことが、本当の映画好きだと思う。  そうして、4年越しの初鑑賞となったわけ。  ん、……なるほどね。  「面白いね」   本当に面白くない映画に対して、これほど好評が続くわけはなく、自分の思いとは反面予想していたことではあったのだけれど。  ストーリー展開も、感動するべきポイントも、すべてが「予定調和」の中で成り立つ。 目新しさなんて、何も無い。 ただそれこそが、この作品の魅力であり、価値なのだろうと思う。  詰まるところ、「面白い」というよりは、日本人として感動しないわけにはいかない映画なのだと思う。  すべてはラストの夕日に象徴されることだと思う。 一日の終わり、すべてを赤く染める夕日が暮れていく。その美しい光景を見て、感動しない人間なんていない。  その絶対的な普遍さの中にいつもある“感動”を、ただただ真っ直ぐに描き、映し出した映画である。 そこに、映画の試みとしての巧さなんてなく、不器用もいいところだと思う。  ただし、その不器用な試みは、圧倒的に正しい。 
[DVD(邦画)] 8点(2009-04-13 17:10:50)(良:6票)
214.  ウォッチメン 《ネタバレ》 
アメリカン・コミック映画は好きである。 スーパーヒーローや悪役たちの独特の「大味」さや、良い意味での設定の大雑把さは、“クオリティー”という円周を一周して、物凄く完成された“文化”だと思う。  ただ、日本の「漫画」がそうであるように、「アメコミ」も踏み込めば踏み込むほど、“マニア趣向”になっていき、価値観は多岐に広がり、必ずしも万人受けする類いのものではなくなってくると思う。  そう、スーパーヒーローたちの「陰」を徹底的に描いた今作、その異質さは素晴らしいと言えるが、必ずしも面白くはない。  一言で言うと、あまりに「スマートでない」ということを感じた。  さらに平たく表現するならば、“スーパーヒーロー”という宿命を持った者たちの、心の闇と葛藤をベースに、ウジウジウジウジと悩み、崩れ落ちていく様を描いた映画だ。  詰まるところ、爽快感とは程遠く、3時間近い長尺が進むにつれ、観ている方もどんどん滅入ってくる。  先に言ったように、アメコミ映画の本流に反するその異質さは良いと思う。 「正義」と「平和」を体現するスーパーヒーローたちが、その本質に疑問符を持ち、迷い、堕ちる様など、崇高な哲学性をも備えるテーマ性だと思う。  ただし、その描き方があまりにクドい。 主体となるキャラクターがあやふやなので、それぞれの俳優たちに華もないので、今ひとつ感情移入ができない。 そして、ウジウジ、クドクドと引っ張った挙げ句、それほど大した結論は得られない   この無情さ、邪道さが好きな人もいると思うし、ほんの少し映画の作り方が違っていれば、大好きな映画になっていたかもしれない。 ただ現実としては、オープニングだけでジューブンな映画だった。
[映画館(字幕)] 2点(2009-04-10 15:14:26)
215.  僕らのミライへ逆回転 《ネタバレ》 
「映画」が好きな人間にとって、「映画を観るということ」の価値は計り知れない。 それは理屈ではなくて、ただただシンプルに「好き」ということになると思う。  レンタルビデオの中身が消えてしまった。じゃあ自分たちで勝手にリメイクしてしまおう。予想外に面白かったから、また観たい! ストーリーの設定自体は強引すぎるほど強引で、リアリティなんてまるでない。 でも、その根本的な願望は、とてもシンプルで理解できる。  映画が好きだから、街が好きだから、店が好きだから、そうして作られた映画を、みんなで観て、共に泣き笑う。  そのささやか「幸福感」に感動する。
[DVD(字幕)] 6点(2009-03-29 11:09:27)(良:2票)
216.  ぐるりのこと。
人と人の結びつきなんて、とても“あやふや”で、脆いものだろうと思う。 結ばれることも、離れることも、実際紙一重で、ギリギリな状態。 でも、だからこそ、今一緒にいられることが、愛おしく素晴らしいものなのだと思う。  ふと一緒になった夫婦が、愛し合い、傷つき、泣き、笑いながら、それでも共に生きていく。 特別に劇的なわけではない。 普遍的だからこそ、その当たり前の“結びつき”が、キラキラと光り輝いて見える。  なんて素晴らしい映画だろうと思った。なんて人生は素晴らしいのだろうと思った。  木村多江+リリー・フランキー。 何とも味わい深い配役によって、とても魅力的な夫婦像を見せてくれた。 特に、木村多江の存在感が素晴らしく、10年という歳月の中で、子を亡くし深く落ち込んでいく繊細さと、そこからまた浮かび上がっていく力強さを、とても魅力的に表現してみせてくれる。 また、リリー・フランキーも、陰惨な数々の事件を法廷画家という視点で触れながら、心揺れる妻を静かに支える朴訥な夫を好演したと思う。  そして「ハッシュ!」以来の待望の監督作品となった橋口亮輔の繊細な人間描写が冴え渡る。  人間が傷つくことに、明確な理由なんて存在しない。 だから、そこから立ち直っていくことにも、理由なんてない。 どうするべきだとか、何をしてはいけないなんてなくて、それを求めようとしても難しい。  ただ一つ、ヒントがあるとすれば、それは、「時間」だと思う。 「時間」さえ経ることができれば、人間は大抵のことは消化できる。  そういう、人間の根本的な“つよさ”を描いた映画だと思う。
[DVD(邦画)] 10点(2009-03-29 10:54:18)(良:2票)
217.  魔法にかけられて
劇場で予告編を観た時から、これはただのディズニー映画ではないし、ただのパロディー映画でもないなという直感はあった。  「メルヘンなおとぎ話」+「現実のNYでの恋人模様」=「今まで見たことのないラブコメ」という構図が、とても面白く、巧い。  もっと安直なアニメと実写映画のコラボレーションを想像していた。 しかし、物語は、メルヘンの世界から現実世界へ送り込まれたプリンセスの揺れ動く絶妙な心理描写と、理路整然と現実世界で生きるシングルファーザーの心理変化までを、とても丁寧に描き出している。  メルヘン世界に対する現実世界の厳しさや哀しさを描き出しつつ、常にファンタジー性やファニー感を保ち、最後には登場するキャラクターも観客も、すべてを“ハッピー”にさせてしまうストーリー展開に、ディズニー映画の強さとプライドを感じた。   現実世界の人生は、当然おとぎ話ではないから、嬉しい時、悲しい時に歌って踊ってなんていられない。 でも、だからこそ歌って踊ってみれば、人生は大きく変わるかもしれない。  ディズニーが真剣にディズニー映画のパロディーに挑んだ意味と答えは、そういうことなのではないかと思う。
[DVD(字幕)] 8点(2009-03-25 15:42:54)(良:2票)
218.  インクレディブル・ハルク(2008) 《ネタバレ》 
「エンドゲーム」公開に向けたMCU作品ミニマラソン二発目。 無論、MCU作品(映画作品に限る)はこれまで全作品鑑賞しているが、初めて鑑賞した作品は、「アイアンマン」ではなくこの「インクレディブル・ハルク」だった。 日本国内では、今作の方が「アイアンマン」よりも先に公開されてしまったため、そういう鑑賞順になってしまっている映画ファンは多いと思う。 当時は、MCUというクロスオーバー企画そのものの存在を認知していなかったので、エンドクレジット後のシークエンスで“トニー・スターク”ことロバート・ダウニー・Jrが登場してきてもピンとこず、今作自体に対するフラストレーションも手伝って、「ああ企画ものなんだ……」と揶揄的に捉えてしまった。  初鑑賞時もそうだったのだが、今作は、良作揃いのMCUの作品群の中では随一の“不出来”と言わざるを得ない。 初鑑賞時は、自分自身の勘違いもあったが、同キャラクターを描いた2003年の映画「ハルク」(アン・リー監督)の“続編”と認識してしまっていたこともあり、根本的な“違和感”を禁じ得なかった。 今回、MCUの一作品として再鑑賞してみても、その“違和感”は拭いきれなかった。その大きな原因は、ヒーローの「誕生」をきちんと描いていないことだと思う。 今作では、オープニングクレジットで、“ハルク”が誕生してしまった事件のあらましと、主要登場人物たちの苦悩の様がフラッシュバック的に“雑”に映し出される。 これが当初の自分の勘違いの通り、「続編」としてのオープニングであれば全然問題ないのだけれど、まったく別ベクトルのリブート作品で、しかも今後展開されるクロスオーバー企画の主要キャラを描き出す単独作品というのであれば、この手法にはあまりに愛がなく、作品単体として面白みに欠けてしまうことは必然だったと思える。  ブルース・バナーという辛辣な運命を背負った人間の描きこみが冒頭の時点から希薄なままストーリーが展開されるので、主演のエドワード・ノートンがいくら心痛な面持ちをしてみせたところで、今ひとつ感情移入ができない。 加えて、エドワード・ノートン演じる主人公本人もそうだが、リブ・タイラー演じるヒロイン、その父親で一応の悪役であるロス将軍(ウィリアム・ハート)も、言動の一つ一つが今ひとつ利口に見えないので、それぞれ一流の科学者だったり、軍の要人というキャラクター設定に説得力を感じることができなかった。  それと比較すると、「アベンジャーズ」以降でブルース・バナー(ハルク)を演じるマーク・ラファロのハマりぶりは見事で、少ない描写の中でしっかりとブルース・バナーという一人の人間と、ハルクという哀しいモンスターを演じきっていることは、改めて賞賛に値するなと思える。
[DVD(字幕)] 4点(2009-03-21 02:16:13)
219.  ワルキューレ 《ネタバレ》 
実際にドイツ内部で起こったのヒトラー暗殺計画。  史実を基にした作品だけに、シリアスな緊迫性で迫っている点は良いと思う。 ただ、主演のトム・クルーズ率いるヒトラー暗殺を企てる反逆者サイドが“正義”であるという構図は、いささか安直であり、違うのではないかと思った。  詰まるところは、同国内でのクーデターであり、実際は善玉・悪玉と区別できる類いのことではない。 悲劇的な戦渦の中で、戦争を繰り広げる張本人たちに「正義」などあるわけがないという結論に個人的には帰着する。  そういう意味で、描かれる物語の重々しさほどには、映画としての価値はそれほど高くはないと思う。 もう少し史実における「ヒトラー暗殺計画」に関わった人間たちの群像を大河的に描き、事実に対して独自の視点で深く切り込んでみるような「挑戦」があれば、もっと深みのある良い映画になったのではないかと思う。  トム・クルーズは実在の伝説的将校を体現しようと頑張っていたと思うが、映画全体として彼のスター性に頼りきってしまったことで、他のキャラクターの人間性が見えてこなかったとも言える。 スター俳優としてのピークは越えたであろう彼が、今後どういう映画俳優へ転じていくか、一映画ファンとして見ていきたいもの。
[映画館(字幕)] 6点(2009-03-21 01:42:16)(良:2票)
220.  おくりびと
ほんとうは、大きな賞を受賞した作品を、その結果を得てから初めて観るということは本意ではない。 でも、だからと言って観ないというのも、また違う気がするので、地元の映画館でも公開延長となった今作をようやく観に行くことにした。  なるほど。素晴らしい。  「死」という、普段の生活の中では心ならずも敬遠してしまうテーマを、あくまで「日常」として捉え、真摯に対面することで、その本質を見事に浮かび上がらせてみせた傑作だと思う。  「納棺」という仕事と、それに携わる人間の姿を、決してあざとく美しく見せようとするわけではなく、あくまでその仕事の根幹にある“真剣さ”をまっすぐに描き出すことで、シンプルで深い感情をえぐり出す。  その中で、「死」という事象をそのものを、単に美化するわけではなく、人間が生きていく営みの一部分として存在するということを、とても雄弁に物語っていく。  当初は、「仕事」の後の食事がままならなかった主人公が、次第にモリモリと何でも食べられるようになる。 それは、決して遺体に触れるという行為に“慣れた”のではなく、彼が、「生」と「死」という一見相反するような二つの事象を、“対”のものとして受け入れ、その本質を受け入れた結果だと思う。  “映画人”として、この作品の誕生から付き添った本木雅弘が素晴らしく、彼の真剣な思いがあったからこそ、映画は成立したのだと感じた。  ストーリーとしては、実にストレートなプロットである。 ただ、だからこそ「死」という絶対的なテーマが際立ち、様々な感情を生む。  誰にも平等に訪れる「死」におけるどうしようもない“哀しさ”。 それは、どうやったって避けられない。 ただ、実はそれと同時に存在する深い“幸福感”に気付いた時、涙が溢れた。
[映画館(邦画)] 9点(2009-03-10 14:34:50)
全部

■ ヘルプ
© 1997 JTNEWS