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なんのかんのさんの口コミ一覧[この方をお気に入り登録する

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【製作年 : 1950年代 抽出】 >> 製作年レビュー統計
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201.  暗黒街の美女
これが清順初のワイド画面作品だそうだ。題名の“美女”というのは、ほかに出ないところをみると白木マリのことらしい。ときどき人物が奇妙な姿勢をとるのが、この監督らしさ。うずくまるとか、木にしがみつくとか。部屋の中央に張られた幕をペーパーナイフで切り裂き、そのまましゃがむ。こういった部屋の分割ってのも好みらしく、ラストのほうでは二部屋を見渡すカットあり。一方で芦田伸介、一方で高品格と白木マリ。あの幕は風呂場のガラスにも通じていくか。腕に“クラブ”や“スペード”のいれずみをして“ダイヤ”を奪い合うという洒落。
[映画館(邦画)] 6点(2008-11-06 12:09:23)
202.  大番 《ネタバレ》 
昭和32年だと、まだ日本橋をはじめ戦前の昭和を描くドラマのロケが簡単にできたんだ。『男はつらいよ』以前の帝釈天の映像も見られる。宇和島の村の様子なども今では貴重な映像資料なんじゃないか。映画の原点て記録なんだ、とあらためて思う。・特別出演の原節子は、ほんとにラスト近くにちょっと歌舞伎座に姿を現わすだけなんだけど、ずっと主人公の憧れの人として、我々が抱いている原節子のイメージが全編に渡って生かされている。『地獄の黙示録』のM・ブランドが、ラストに出るだけで全体に存在感を示していたのと同じ。特別出演とはこうでなくてはいけない。・加東大介が歌舞伎で泣くシーン、彼がかつて歌舞伎界から追われた俳優であることを思うと、初主演作のこの映画で、しかも成金となった役どころでこういう場面があることに、ある種の感慨が湧いた。そういった雑多な感想の湧く、上京の汽車で始まり帰京の汽車で終わる映画。全四部作の一作目。
[映画館(邦画)] 6点(2008-11-04 12:12:35)
203.  日本誕生
なんか吉例顔見世興行って感じで、キャスティングだけでもうワクワクさせる。こういうオールスターキャストの華やかさってのも映画興行には大事な要素だったと思うんだけど、無くなってしまったなあ。かえってテレビの大河ドラマにその残滓を見ることができる。タジカラオに朝潮を持ってくるようなサプライズも大事。ヤオヨロズの神々に、金語楼、エノケン、のり平、加東大介、小林桂樹だぜ。アマテラスの原節子は貫禄。ヤマトタケルは三船で哀れさに欠けるが、まあこの時代の東宝なら彼だろう(5年ズレてたら加山雄三になった!?)。製作サイドとしては時代の復古調への媚びの意味合いも持たせていたかも知れないが、そういう政治臭は感じられなく仕上がっている。すぐ群舞がはいるのも東宝の味わい。ヤマタノオロチのあたりは完全に怪獣映画のノリで、音楽も伊福部昭だ。ラストの天変地異は、なかなかの迫力である。フィルムセンターで上映された124分の短縮版での鑑賞、ちょうどよい長さであった。
[映画館(邦画)] 6点(2008-11-02 12:14:09)
204.  初春狸御殿
人間役は、出演の中で一番人間ばなれしている左卜全だけであった。ミュージカルといっても見どころはレビューショーで、別に映画であることを活用してはいないが、日本各地の民謡を狸うたにして巡ったり、チョーチンがいっぱい出てきて、ステージ階段があって、っていうあのレビュー的晴れやかさがたまらない。理屈抜きでシアワセになれる。後のほうでマヒナスターズが出てきて、なにやら脇で妖艶な女狸が大うちわをヒラヒラさせてるとこは慄えた。この題材の自在さ、セットの作り物の楽しみ、が今の映画には欠けていると思った。清順がちょっと復活してくれたけど。
[映画館(邦画)] 7点(2008-10-29 12:11:03)
205.  明治天皇と日露大戦争 《ネタバレ》 
新右翼の鈴木邦男によると、右翼の全国大会の時には、中島貞夫の『日本暗殺秘録』かこの映画がよく上映されるそうだ。盛り上がるんだろうなあ。敗戦後抑えられていた戦前の気分が爆発したような映画。負け戦の映画ばっかり作られていた50年代に、勝ち戦で景気をつけた作品で、ついでに共産ソ連の前身の国に勝った戦争ってのも右翼には嬉しいだろう。戦前の“伝説”をそのまま画にしていく。広瀬中佐は「杉野!」と叫び、天皇はもったいなくも大御心を悩まし粗末な食事をとり、乃木将軍は二子を失いながらも毅然として幾多の無駄な戦死の責めを免ぜられる。水師営の会見ではそのまま歌が流れ、日本海海戦では軍艦マーチが高鳴る。御製の詩吟まで付く。不潔感のないうるわしい戦争のイメージが延々と綴られていく。思えばこの映画の出自はけっこう複雑なのだ。戦後の右旋回の時期に、昭和前期に流布していた明治の戦争の説話を再現した作品なわけ。明治の戦争の記録としてでなく、昭和の屈折した精神史として、なかなか面白い記録になっている。こういう説話が昭和の戦争の時にもっぱら語られていた、ということを映像で再体験できる。馬鹿馬鹿しいと一方で思いつつも、時代がこの甘美さに満ちていたら、ちょっとフラッと行くかもなあ、と思わせるところもあった。これからも右傾化するだろう未来に備え、こんなの見て免疫つけといたほうがいいかも知れない。
[映画館(邦画)] 6点(2008-10-28 12:20:43)
206.  壁あつき部屋
BC級戦犯の話。浜田寅彦って、単純な表現しかできない俳優と思っていたが、この映画では、とりわけ後半、素晴らしかった。申し訳ない。小沢栄太郎が「卑屈」とか「傲慢」を一対一対応で演じているのに対し、浜田はあらゆることを「思いつめる」人間を演じ、思いつめていながら、そこでは集中と茫然とが同居している。言葉で単純に表わせない心の状態を、体で表現する名演だったと思う。信欣三の壁にポコポコと穴が開く場もいい。あつい壁に穴が開いてもその向こうには自由ではなく罪が待ち伏せている、という追い詰められた感じ。戦争指導者もつまりは犠牲者だった、という現在もある粗雑な思考は、こんな頃からもうあったのだな(公開は56年だが製作されたのは53年)。
[映画館(邦画)] 7点(2008-10-08 12:11:42)
207.  グレン・ミラー物語 《ネタバレ》 
前半がミラー・サウンドができるまでの苦闘時代、後半でその展開と、第1部が芝居・第2部がヒットパレードの、新宿コマ劇場演歌歌手公演を思わせるような構成だけど、後半にも映画としての工夫があり、飽きさせない。戦時下の英国での“イン・ザ・ムード”の野外演奏シーンなんか、並行して敵機の襲来、撃墜、聴衆が伏せて立ち上がる、というドラマも織り込み、それが曲の強弱と重なるように工夫されていて、ミュージカルのような効果をあげていた。音楽だけに映画を譲り渡してなるものか、という映像職人の意気込みを感じた。前半に伏線を揃えておいてから後半に移っているので、それらの曲を聴いているとき、観客は前半の具体的な映像(J・スチュアートが電話を掛けているシーンや、質屋で真珠の首飾りを見ているシーンなど)を思い起こせるのだ。映画全体が記憶とともに湧き返ってくる感じ。転換点となる“ムーンライト・セレナーデ”の編曲が仕上がっていくシーンなんか、ホントにうまい。J・スチュアートってアメリカ人の理想像なんだと思う。こんなであったらいいなとアメリカ人が思い続け、しかし現実にはそうはなれなかった、はにかみ屋でナイーブな自画像なのだろう。大袈裟かもしれないけど、私はこの映画にアメリカのエッセンスを感じてしまうんです。/2013/3/2追加。最初のデート、グリークラブが歌う「茶色の小瓶」が聞こえてくる場で、ヘレンが「感動すると首の後ろがゾクッとするの」てなことを言う。首の後ろに手をやる仕種は、その後も映画の要所要所に置かれ、そしてラストシーン、彼女が静かに微笑んで首の後ろに手をやる。ラストの感涙必殺技は音楽とジューン・アリスンの微笑みのダブルパンチに加え、この抑制された仕種も効いてるんだ。
[映画館(字幕)] 9点(2008-10-05 12:16:16)(良:1票)
208.  田舎司祭の日記 《ネタバレ》 
神に祈れなくなった司祭の苦悩なんて、悪いけどどうでもいいです。こういうこと悩んでる人がいるんだ、という興味以上には突っ込めず、また中途半端に分かったつもりになるのも失礼かと思って、それなりに眺めるように鑑賞した。重要な領主夫人との会話の場、信仰論争の凄味は伝わってきて迫力あるんだけど、語られている言葉が頭の中で整理されないうちに次々進んでしまい、やはり私には消化不良気味。でもこの映画は、世間知らずの若者が社会に出て戸惑う、という普遍的な青春ものの面も持っていて、頭でっかちの青年司祭が、領主夫人が抱く現実のナマな苦悩・悲惨に対してはまったく無力で、ぺちゃんこにされちゃう、という話でもあるわけだ。村人たちが向ける冷たい視線、こいつ司祭やってく能力あるのか、と常に量られているような不安感、少女ですらそういう目で見てくる。そういうところはシミジミ迫ってきて、つまりすごく分かるところとすごく分からないところとが、渾然としている映画だった。オートバイの青年(領主の甥なのか)と出会うとこなんか、やっと主人公が明るい顔になったぞとホッとすると、駅に着いてまた神様の話始めちゃうから暗くなっちゃう。ブレッソンとしては『抵抗』や『バルタザール…』みたいに無条件で感動はできなかったが、スタイルはもう完全に出来上がっていて、きっと見る人が見れば傑作なんだと思う。
[DVD(字幕)] 7点(2008-09-23 12:17:35)(良:1票)
209.  蝿男の恐怖 《ネタバレ》 
これシネスコってことで、ビデオで見るとたしかに最初と最後は左右詰まった画面になってるけど、肝心の中身、トリミングした不自然な感じがなく、どうなってるんだろう。いかにもやっつけ仕事の演出って感じで、明るすぎるセットで登場人物がそれらしい動きをするだけ、よく言えば禁欲的。でも中途半端に凝ったことやられるとかえって安っぽくなるのを、ここまで何も工夫しないと、たとえば妻が蝿を目で追うなんてささいなアクションすら味わい深くなるから妙である。原作が面白い場合は、こういう何も凝らない演出のほうがいいのかも知れない。原作読んでみたら、映画はラストがハリウッドの定番で明るく変えられてるほかは(もっとも一番怖い蜘蛛の巣は生かしてある)けっこう忠実で、消えた猫がもう一度絡んでくるのをやめたのは、映画の場合正解だっただろう。「白い頭の蝿」が家の中にはいり込み、みんなで追うシーンが加わっているのは、映画的でよろしい。ゾンビものと同じで、人間界から離脱した肉親は処分してしまうのが情け、なのがあちらの考え方なのね。でこの映画の教訓は、やれ打つな蝿が手をすり脚をする、だ。
[ビデオ(字幕)] 6点(2008-09-16 12:12:48)(良:1票)
210.  惜春鳥 《ネタバレ》 
佐田啓二、川津祐介という二人の人生の敗者が故郷に帰還するところから始まり、それぞれが故郷に受け入れられずに終わるという話だ。木下における「地方」は、けっして単純な理想郷ではない。地方ならではの跡継ぎ問題もあれば、工場で赤旗振ってる若者もいて(元士族を誇りとする笠智衆は気に食わない)、地方にも都会と同じように、安保闘争前夜の政治の季節が近づいている。ロケにいささか会津名所めぐり的なところがあって緊張を欠くが、ラスト、びっこ(脚の不自由な人)の青年が駅に駆けていく木下お得意の長い横移動は素晴らしい。木下映画では身体障害者の登場の頻度が高いような気がする、『永遠の人』にもびっこ、『カルメン故郷に帰る』『二十四の瞳』の盲人、戦傷者であることが多く、あまり弱者弱者した描き方でないところに特徴がありそうだが、ひとつ頭に入れておく注意点としとこう。
[映画館(邦画)] 6点(2008-09-13 12:15:07)
211.  吹けよ春風(1953) 《ネタバレ》 
脚本の谷口・黒澤がどういう分担だったか分からないが、こういう短編連作への好みをすでに黒澤が持っていたのか。乗客の人生観察をするインテリ傾向のタクシー運転手って三船敏郎に似合わないけど、まあいい。外苑を越路吹雪とデュエットしながら回るミュージカル的シーンなんか、似合わなさを突き抜けていて感動しちゃう。風船売り、マンホールの工事人、都電の乗客らがあっけにとられてタクシーを見送るあたりがたまらない。一番好きなのは、早慶戦帰りらしい二人の酔っ払い客(藤原釜足・小林桂樹)のエピソード。これから見る人のためにネタばらしはしないが、タクシーの屋根を人が這うボコンバコンという音の効果がよかった。映画として充実している一編。次に東京で暮らす大阪ものの寂しい夫婦のエピソードがあり、三好栄子があいかわらず達者。三国連太郎のタクシー強盗があって、最後に、おそらくBC級戦犯だったらしい山村聡が釈放され、子の待つ家に妻の山根寿子とためらいながら帰る、という時代ならではの話で締めている。当時の東京風景をたっぷり眺められて嬉しい一本。冒頭、新人の小泉博と岡田茉莉子がちょっとだけ出てた。
[CS・衛星(邦画)] 7点(2008-09-05 12:19:53)
212.  見知らぬ乗客 《ネタバレ》 
映画のブルーノーもそうとう気味の悪い奴だが、原作読んだらもっと気味悪かった。ガイへの一方的な崇拝・好意がつのってて、褒めてもらえると信じて犯行に及んでるの。映画よりもサイコっぽい。また映画だと犯行後すぐに会って、ガイは事件を知る前にブルーノーの犯行と知ってしまうが、原作ではなかなか分からなく、まさか…それとも…とジワジワ疑念をつのらせるあたりが読みどころになっていた(映画はガイのアリバイが不確かなときにやってしまうので、交換殺人の意図があまり生きてない)。映画ではブルーノーの脅迫者としての面が強く、ガイはヒッチコックお得意の「間違えられる男」の面が強調されている。映画と小説とで、それぞれ見せ場の設定を違えることがよく分かった。映画を見直し今回いいなと思ったのは、殺しの前にブルーノーが力自慢のハンマー叩きをやるところ、これから絞め殺す女の目の前で、その凶器となる両手を見つめてから自慢げに腕試しをする、実に気味の悪い奴だ。
[DVD(字幕)] 8点(2008-08-29 10:46:30)(良:1票)
213.  雨に唄えば
シド・チャリシーが死んだ。『バンド・ワゴン』もとても好きな映画で、彼女のダンスシーンはどれも完璧だけど、ただミュージカルの相手役としてのドラマをこなすには、やや愛嬌が欠けていた。デビー・レイノルズが愛嬌を振りまいた後で、都会の女(ギャングの情婦)として踊る『雨に唄えば』のクールな彼女のほうが、印象としては強烈。それにしてもあれは奇跡のような映画だったなあ。初めて見たとき、映画館を出ても心のウキウキが止まらないので、ただただ道を歩いてたら(とうぜん頭の中ではタップを踊っている)直線距離にして7kmほどある家まで着いてしまい、直射日光の炎天下の日だったのでバファリンが必要になったものだ。ミュージカルの楽しさが映画の秘密を握っているのではないか、とそれ以来疑っている。たとえば発声練習の早口言葉からダンスになっていくあの一瞬のスリル、ああいう日常の光景の中で不意に踊り出す瞬間に、映画の秘密があるような気がしてならない。アステアやケリーのミュージカルを見るたびに、その秘密を見極めてやろうと思うのだが、でも見始めるともう向こうに完全に乗せられてしまって、分析しようなんて気持ちはどこかにすっ飛んでしまう。映画がサイレントからトーキーになったのは退歩ではないか、としばしば思わされることが多いが、でも『雨に唄えば』を思い起こすと、その考えを打ち消さなければならなくなる。
[映画館(字幕)] 10点(2008-06-19 12:19:19)
214.  女の園
そうか、この54年、木下恵介は高峰秀子に女先生と女学生の両方を演じさせていたのか。木下作品で暗い高峰は比較的珍しいが、かといって成瀬の高峰のように不貞腐れているわけではなく,まっすぐな向学心が家や学校によって妨げられていることから来る暗さなの。そのまっすぐさが、やはり木下。それまでお嬢さま専門だった高峰三枝子が、おっかない舎監役で新境地を開拓した。この延長線上に『犬神家の一族』の高峰三枝子がある。この舎監、ただの意地悪ではなく、彼女なりの信念があって衝突してるってとこがいい。それぞれの信念がぶつかり合う女の園、その扱い方に戦後民主主義に希望が託されていた時代を見ることが出来る。といっても“自由のはき違い”論ってのがもうこの頃からあって、根深いものだということも分かった。
[映画館(邦画)] 7点(2008-05-17 12:15:22)(良:1票)
215.  結婚行進曲(1951) 《ネタバレ》 
登場人物たちの早口に、なにか必死なものが感じられる。しゃべり続けることでギリギリ自分を内側から支えているような、黙ってしまうと途端に自分の輪郭がぼやかされてしまう不安に追い立てられているような。ただ一人、おっとりしゃべる浦辺粂子を置くことで、さらにそのスピードが強調される。もちろんコメディとしての演出の一手段ではあるが、このスピードの不安は以後の崑作品で次第にクローズアップされていくわけだ。上原謙が中原謙という役で出てて、杉葉子と映画を見る場面で「(さも侮蔑するように)あの役者なんて言うんだ」「上原謙ですわ」というギャグがあった。戦後の上原謙は、かつての二枚目を自嘲し、ひっくり返すような役どころを好んで演じる(『晩菊』がその代表的傑作だろう)。“二枚目だが大根”と言われ続けて、けっこう傷ついてたんじゃないか。私は戦後の自虐的な上原謙がかなり好き。
[映画館(邦画)] 7点(2008-04-22 12:17:33)(良:1票)
216.  ラッキーさん 《ネタバレ》 
もうすでにスタイリッシュな白と黒のタイトル。飲み屋で次々とサラリーマン小景を展開していくあたりのリズム感。崑です。前社長がパージされ河村黎吉がとりあえずの社長となり(これ『三等重役』と同年の作品)、その秘書になって張り切る主人公の話。そのはしゃぎの中のうつろさみたいなものが描かれ、そうか、戦前の松竹の小市民ものは戦後の東宝のサラリーマンものにつながっているんだ。そういえば、うだつは上がらないがニセ社長として葬式に行く才能だけはあるという役で斎藤達雄が出てた。自室に取締役の机を置いてるの。ブルジョワ令嬢に見初められるためのマラソンでコースを間違え、“水を打ったような”運動場に帰ってくるというギャグもある。ひらサラリーマンはがむしゃらに働くしかない、という苦みが笑いの裏に潜む。島崎雪子にブーッと洟をかませたり、パーマ屋の杉葉子に乱暴に伊藤雄之助を扱わせたりと、美人で笑わせるのが好きな監督だ。このパーマをかけられてしまう学者役でちょっとだけ出た伊藤雄之助、翌年の『プーサン』に通じるものをすでに醸してる。
[映画館(邦画)] 7点(2008-04-21 12:22:56)
217.  ホフマン物語
この映画ではヘンなことを覚えている。長いバレーシーンの途中にフィルムのつなぎ目が来てたのを、踊っている人形のゼンマイを巻き直すことでそこをしのいでいたこと。音楽映画の弱点はフィルムのつなぎのとこなんだけど、それをいかに乗り越えるかを、先人はけっこう楽しみながら工夫してたみたい(それとももともとそういう振り付けだったのかなあ)。映画の振り付けは舞台のバレーとは異質なものであるべきだが、でも最近のミュージカル映画のように、あんまりカットを割りすぎるとダンスの妙味が消えてしまう。本作はダンスシーンをたっぷり取っていたように思う。恋仇役の表現主義男の押しつけがましさが鬱陶しい、と当時の日記に記してあった、けど青に浸された「ホフマンの舟歌」の場などけっこう凄みがあって良かったような記憶もあり、今見直せば評価が上がるんじゃないかな。テーマは不可能な恋。
[映画館(字幕)] 6点(2008-04-07 12:14:20)
218.  金星人地球を征服 《ネタバレ》 
まあこういった映画は笑いながら見ればそれでいいんで、なんのかんの言うのは野暮なんだけど、でも当時の反共的空気を感じる資料としても見られますな。もっとも56年というともうマッカーシーは退場していて、赤狩りのピークは過ぎてるけど、そういう雰囲気はまだあったんでしょう。金星人を、人類を高める“彼”として招き入れる科学者。『宇宙戦争』でも似たような牧師が出てきてた(あれは53年でまさにマッカーシー絶頂期。『グッドナイト&グッドラック』の年)。ちょっとでも理解を示すと付け入れられるぞ、というメッセージ。共産主義は理解を越えた敵、なの。エネルギーを吸い取られるってのは、ゼネストを暗示してたのかもしれない。怖いのは、その敵の金星人は新聞編集長を殺しただけだが、主人公は自分の妻も含めてそうとう多数のゾンビ化した仲間を殺している(コウモリに首の後ろを突っつかれるとゾンビになっちゃう)。正義のグロテスクさのほうが、金星人のグロテスクさよりまさっているあたり、映画というものが意図を越えて表現してしまうことがある証明。
[映画館(字幕)] 5点(2008-03-22 12:20:16)(良:2票)
219.  地上(1957)
大正時代の雰囲気が満ちていて、それだけで嬉しい。どの程度正確な時代考証なのか分からないけど、こんな感じなんだろうなあ、と思わせるだけの説得力はある。洋装と和装がごっちゃになってる独特のファッション(野添ひとみのお嬢さまファッションにはちょっと笑っちゃったけど)、家々のたたずまい、牧歌的な風景の中を長く連なる貨物列車、ハーモニカのドナウ川のさざなみ、などなど。「坊っちゃん」よりこっちだけど、昭和モダニズムには至らぬという、濃い二つの時代の隙間で夢見ているような大正の味がある。まして金沢という地方都市。陶器工場のストライキですら、鉄や油の匂いのしない素朴な労働運動といった印象で、因習の残る芸者屋と町の中で併存している。友人の労働者と恋人の社長令嬢との間で引き裂かれる貧青年、という主人公は、本人も没落地主の末裔という設定があることで、奥行きがでた。
[地上波(邦画)] 7点(2008-03-04 12:22:36)
220.  少年期
ニワトリがいなくなった朝、探しに畑に出ると兵隊たちがシルエットで暁の行軍をするところ、少年が純粋に感動の涙にむせんで悲壮なタッチのテーマ曲がかぶさってくる。ここだけとればもう完全に戦時下の国策映画だ。「陸軍」のラストを思い出す。「陸軍」は、軍からお叱りがきたので、今では反戦映画ということになってるが、あの行軍は、母を振り切ってまでお国のために出征していくのだ、という雄々しさとして当時は捉えられていたはず。図式としては、戦後作られた本作のこの場面も似てる。こちらの母は、ちょっとうるさい。スケート場に迎えに来たり教師にお願いに行ったりして、子どもにすれば、たまんねえなあ、という感じがある。その子どもが、母のいない朝、軍の行進を憧れて見ている。この図式、遠くへ出発する息子・遠くへ出発したがる息子と置いていかれる母、という図式が持つ感覚のレベルでの痛みのようなものを、とにかくこの監督は描きたかったのではないか。それは肯定するとか否定するとかいうイデオロギーのレベルよりも深い地盤に根を下ろしているので、戦時下の作品でも戦後の作品でもかまわなく現われてくる。本物の映画作家とはこういうものだろう。
[映画館(邦画)] 6点(2008-02-08 12:22:13)
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