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かっぱ堰さんの口コミ一覧[この方をお気に入り登録する

プロフィール
コメント数 1244
性別 男性
自己紹介 【名前】「くるきまき」(Kurkimäki)を10年近く使いましたが変な名前だったので捨てました。
【文章】感想文を書いています。できる限り作り手の意図をくみ取ろうとしています。また、わざわざ見るからにはなるべく面白がろうとしています。
【点数】基本的に個人的な好き嫌いで付けています。
5点が標準点で、悪くないが特にいいとも思わない、または可も不可もあって相殺しているもの、素人目にも出来がよくないがいいところのある映画の最高点、嫌悪する映画の最高点と、感情問題としては0だが外見的に角が立たないよう標準点にしたものです。6点以上は好意的、4点以下は否定的です。
また0点は、特に事情があって採点放棄したもの、あるいは憎しみや怒りなどで効用が0以下になっているものです。

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221.  ザ・トゥルー・コスト ~ファストファッション 真の代償~ 《ネタバレ》 
いわゆるファストファッションが世界に及ぼす負の影響に関するドキュメンタリーである。序盤でブランドロゴを見せる場面では、ZARA(スペイン)、H&M(スウェーデン)の次にUNIQLOが出ており、これが実際の世界的な順位であるらしい。 この業界が悪い面で注目されるきっかけになったのは、2013.4.24にバングラデシュでラナ・プラザというビルが倒壊し、中の縫製工場にいた多数の労働者が死傷した事件と思われる。この映画では、サプライチェーンの中で低コスト大量生産のしわ寄せが集中する現場の労働者のほか、大規模な環境汚染や現地政府からの圧力と弾圧、またマスメディアによる意識操作も扱われている。「中流階級の衰退」といった構造的な問題にも若干触れて、最終的には現状の経済システムを変えていこうと人々に呼びかける映画になっている。 期待すべき事例としては「ピープル・ツリー」というフェアトレードの専門ブランド(日本にも拠点あり)を紹介している。  個別の場面では、バングラデシュの労働者がインタビューで途中までは元気よく話していたが、ラナ・プラザのところで感情を抑えられなくなってしまったのが心に残った。当然ながらどんな国の人々にも普通の人の情はあるわけだが、それがあると感じられないのがグローバル企業だという表現になっている。またテキサスの綿花生産者が、本人にとってのオーガニック・コットンが「重要」から「必然」になった契機を説明した場面は、編集が作為的かも知れないが印象的ではあった。 個人的感覚としては作中に出たような、物欲まみれで実店舗のセールに殺到する消費者像というのがいまの日本にそのまま当てはまる気はしない。しかしかなり前からの風潮として、低価格は絶対正義であって高いものを買わされるのはバカ、と言われ続けてきた気も確かにする。別にこの映画を見て世界を変えてやると息巻くわけでもないが、せめて自分の行動くらいは一般人の良心に従って制御していきたいものだとは思った。  なお自分がこの映画を見たきっかけは、2021.4.8にファーストリテイリングの会長兼社長が記者会見で、綿花に関わる強制労働についての質問に対し“政治的なことにはノーコメント”という趣旨の発言をして批判されていたことである。それ自体には突っ込まないとして(映画の範疇を超える)、関連する意見として“現地の人々の仕事をなくしていいのか”とか“もっと現実を直視しろ”といったような業界寄りの声も出ていたようだったが、この映画ではそういった反論を一応前提にした上での提言をあえてする形になっている。
[DVD(字幕)] 5点(2021-05-08 08:54:07)
222.  パンダ・コパンダ 雨ふりサーカスの巻 《ネタバレ》 
時間が短いので前作に続けて見た。新作なので新キャラを出さなくては済まないらしく、今回はサーカスを呼んで他の動物の出番も作ってある。ママ友同士でなめ合うのは悪くなかったが、自宅のネコとはやらない方が無難である。 ある程度の知能を持った(言葉を話す)生物をサーカスで使役するのでは、奴隷労働のような印象が出てしまうのでまずいことになる(というか家内労働のイメージか)。トラの子が人の言葉を解するのに母親が話さなかったのは、やはりケモノであるから檻に閉じ込めるのも自然と見せる都合があったからか。あるいは「魔女の宅急便」(1989)での魔女さんと黒ネコの関係のようなものかとも思ったが、それにしても前作の状況とは矛盾することになる。 そのように基本設定がいい加減な上に、いつまで経っても祖母が帰って来ないというのも限界があり、さすがにこの延長上でシリーズ化するのも厳しかったかも知れない。また今回はクライマックス部分が単純に笑っていられない状況で(大惨事の予感)、ラストにもそれほど意外性がなく、最後になんでみんなが盛り上がっているのかも納得できなかった。  なお今回目についたのは、家の周辺一帯を海のようにしてしまう非日常の演出であり、これは後の「千と千尋の神隠し」(2001)などの先駆けかとも思った。水の透明度が高く、水中から家と空を見上げる場面は当時としては斬新だったのではないか。手に持った食物に小魚がすかさず群がるなども後の映画で見たかも知れない。 また少し笑ったのは、子トラから来た手紙を「読んで読んで」とせがまれたがとても読めそうなものではなかったのを、パパが難なく読んでしまったことだった。確かに「助けて助けてトラ」くらいならわかるかも知れない。表意文字だ。
[インターネット(邦画)] 5点(2021-05-01 08:50:39)
223.  パンダ・コパンダ 《ネタバレ》 
時代背景からいえば、第二次大戦後の国共内戦で大陸を追われた国民党勢力が、台湾島と附属島嶼だけの状態で国連安全保障理事会の常任理事国として「五大国」の扱いを受けていたが、1971年に諸国の思惑がらみで代表権を失って国連を去り、1972年には日本も国交を断絶した(来年で50年)。代わりに国交が生じた大陸側から記念としてパンダ2頭が送られて来て、1972年11月から上野動物園で公開が始まり大人気になったが、そのような情勢のもとでこのアニメが作られたことを今回再認識した。 明らかに国家戦略のために使われているにもかかわらず、パンダ自体は現在も絶対善のように思われているようだが、それはこの時代に形成された国民意識の影響かも知れない。国民一億総panda huggerということだ(言いすぎか)。  当時は自分も見たのかどうかわからないが、3つ下の従妹が見て大喜びして、歌の冒頭部分をやかましいほど繰り返し歌っていたことは憶えている。何が面白かったのか不明だが、部外者なりに考えると、主人公の少女が父親に甘える立場と、小さい子に甘えられる立場の両方を兼ねるのが豪華な設定だったかも知れない。 序盤の幸せな時間も長くは続かず(全体で30分しかない)、やがて大人社会からの脅威が及んで来て、最後は別れの寂しさを残す終幕だろうと予想していたら、意外にも奇想天外な結末だったのには驚かされた。完全に現実を度外視してでも、見ている子どもらの期待を裏切るまいとする制作姿勢だったらしい(感動的だ)。 そのようなことで、今回見てもそれほど悪くない映画だとは思った。なお主人公の少女が、昔のアニメにしては表情豊かで躍動感もあるのはさすがということか。得意の逆立ちをする時に、ちょっと溜めてから伸びる場面があったのは芸が細かい。
[インターネット(邦画)] 6点(2021-05-01 08:50:36)(良:1票)
224.  怪怪怪怪物! 《ネタバレ》 
ホラー映画の枠組みのもとで過酷な人間関係を描くダークな青春映画ということらしい。 内容的には俗悪低劣で見るに堪えないが、これによって例えば“善人の生きづらさ”を表現する意図があるとすれば、基本的に人は善人たるべきことを前提としているのだろうから良心的とはいえる。それにしても残虐性や暴力性自体に価値を見出す観客向けの興行価値で売る思惑もあるだろうが、まあ商業映画としては仕方ない。  一応いろいろ考えさせられる映画だが、まず“この世には悪人とバカしかいない”という発言は、人間社会の本質を端的に表現した言葉のようではある。実際は悪人かつバカというのもいるだろうから単純な二分割ではないだろうし、また自分を悪人と思っていない悪人とか自分をバカと思っていないバカとかもいるだろうから簡単ではないが、まあこれはいわゆる良心と知性が両立できない社会だと言いたいわけか。 それより字幕を見た限り、この映画ではバカ=他人の話を簡単に信じる者、という意味づけをしていたらしく、つまり悪人/バカの対立は、騙す者/騙される者の関係に置き換えられそうである。そうすると日本でいわれる「騙すより騙される方がいい」という言葉などは、万人に向けてバカであれと呼びかけるようなものということになり、お人好しの日本人には手厳しい指摘かも知れない。当然ながら本来は「騙さない+騙されない」のがまともな大人のやることである。 あるいは単に騙されないというだけでなく、むやみに世間の風潮に乗せられるな、ということだとすれば、学校内でも古いムラ社会でも現代の情報社会でも言えることになる。現実問題としては①強い同調圧力を受ける場合と②周囲に遠慮して自ら合わせる場合(日本的か)と③何も考えずに調子に乗っている場合がありそうだが、この映画としては最終的に③あたりを意識していたものか。 若い世代に教訓を語る映画のようでもあるが、または一般向けとして、今後何かと生きづらくなっていきそうな世界への警鐘とも取れなくはない。しかしさんざん気分が荒れた状態で終わるのであまり真面目に受け取る気もしない。  余談として、必然性不明で日本関係のものが時々出ていたのは苛立たしい。苛立ちついでに皮肉を書くと、親日国といわれる台湾も簡単に信用するなということになりそうな映画だが、しかし日頃の行動を見ていれば信用できそうな程度も見えるとはいえる。ちなみに自分としてはパイナップルの販路拡大には協力した。
[インターネット(字幕)] 5点(2021-04-24 11:29:21)
225.  ダブル・ビジョン 《ネタバレ》 
1000年前の道教の予言がもとで現代に起きた連続殺人事件を、台北市の刑事とFBIの捜査官が協力して解明していくミステリー調のホラーである。 全体的に陰鬱で不穏な劇中世界ができており、一応は21世紀なので大企業のオフィスなどはそれなりに現代的だが、特に警察署内が日本でいえば昭和の刑事物のようで20世紀色が濃厚に見える。若干くどい感じの背景音楽が流れるのも古風な印象を出している。 ホラー要素としては、不気味な死に方が連続するのは予告の通りだが、そのほか突然の壮絶な殺し合いもあったりして驚かされた。また「双瞳」というものの見せ方はうまくできている。  謎解き部分は実はよくわからなかったが、主人公も犠牲者になるのかと思わせておいて、実は別の役割だったという意外な展開だったらしい(よくわからない)。永遠の命を求めていた真犯人は、最終的には主人公のせいで目的を達せられなかったのだろうと思うが(よくわからない)、実はそのことも含めて予告されていたと思えばいいか(よくわからない)。また同時並行で主人公の家族物語が展開し、これもすっきり納得はできなかったが、ラストはしみじみした印象で悪くなかった。 また個人的に面白かったのが主人公とアメリカ人の異文化交流だった。自分としては「レッドブル」(1988)を思い出したが、人物の関係性は当然違っており、この映画では科学捜査と俗信の対比を見せる形になっている。御守りなら日本の警察にもありそうだが、本来は赤い守り袋でなければならないらしい。「アメリカにも悪霊…」「科学捜査は…」「長年FBIで働いてれば…」には笑った(共感した)。 そういった感覚のギャップを含めてコミカルな場面が実は結構あり、これは日本でいえば呪怨シリーズのようなものかも知れない。笑わそうとする意図を前面に出さず、真面目な顔で可笑しいことを言ってみせる印象なのは結構好きだ。ただ「ママに感謝」がわかりにくく、終盤ではこれが主人公の妻に向けた言葉になっていたらしいが意味不明瞭なのは残念だった。現地の言葉は全く知らないが謝謝你媽と言ったのか。  出演者については主人公役が香港、他は台湾の役者のようである。怪しい少女役は林涵Hannah Linという人で、当時本当に17歳くらい(16歳?)だったらしいがなかなかの迫力を出していた。また個人的にはショートヘアの監察医や主人公の妻が(年齢はともかく)なかなか可愛い感じで好きだ。
[DVD(字幕)] 6点(2021-04-24 11:29:19)
226.  幸福路のチー
題名の「幸福路」とは戦後に拡大した台北大都市圏にある通りの名前だそうで、ストリートビューで見てみるとけっこう賑やかな街らしい。 自分としては全体的に「おもひでぽろぽろ」(1991)のイメージかと思ったが、台湾現代史が背景になっているため重みがあり、また「先住民族」(字幕)やアメリカ人とのハーフといった登場人物の多様性も出している。1975年頃は台湾にも米軍がいたということだ。 簡単に海外へ移住するなどは基礎的な行動力が日本人と違うのか、または国境のハードルを低く感じているのかと思ったが、結局最後は主人公も自分の生きるべき国を改めて選ぶ機会が生じたようだった。  物語に関しては、幸福とは何かという問題提起に始まり、当初は食う・寝るだけだったのが時代の変化や主人公の成長で変わっていく。本人としては王子様→悪と戦う→社会正義と発想が展開したらしいが早々に挫折し、苦しまぎれにアメリカに渡ってみたが満足のいく結果でもない。アジア人なら誰でもいいのだろうという発言はかなり攻撃的だったが、これは主人公の方こそ白人なら誰でもいい(王子様だから)と思っていたことの裏返しではないか。意外にも最後まで残ったこだわりが王子様だったようである。 迷っていたが最後には、かつてお姫様のように思っていた親友の現在の姿に感化され、不惑を前にして、自分として最も根源的と思えるものを選んだようだった。離婚したら両親が悲しむと夫には言われたが、実際はそうでもなかったらしく、本人も自分の決断に確信が持てたようなのは他人事ながら嬉しい。 ただしこれは終着点ではなく新たな出発点であって、まだまだ主人公には先がある。ラストは「悲情城市」ほど暗澹とした感じではなかったが(最後は2014年頃)、これから世界がどう動くのかわからない不透明さはやはりある。しかし主人公もその都度自分の目で見て考えて、自分なりの幸福を一生追求し続けろという年長者の教えを自分のものにしていたようだった。  登場人物の中では、洋風美女の親友が和み系の人で好きだ。角を立てずに丸く収めようとする穏やかな人物のようだったが、その娘はあくまで筋を通そうとする強気の人物だったらしい。また幼い息子が姉を描いた絵には笑わされた。 ほかガッチャマンの絵や「永遠的朋友」といった子ども同士の素朴な友情、また家族同士が見せる自然な感情には少し泣かされた。
[ブルーレイ(字幕)] 8点(2021-04-17 08:50:43)(良:1票)
227.  私がモテてどうすんだ 《ネタバレ》 
富田望生さんは「ソロモンの偽証」で役作りのためにわざと太ったという話だったので、この映画でも本人が太ったりやせたりするのかと思ったら違っていた。騙すつもりはなかったかも知れないが騙された気分だ。 同じ人物が太ったやせたで周囲の扱いが全く違うなど、いまの厳しい情勢下で問題にされたりしないのかと思うが(公開時点ではまだそれほどでもなかったかも知れないが)、一応は劇中演劇のテーマでもあった通り、人の真価は見た目の良さだけで決まらないというのが本意と思われる。しかし見た目の効用も否定していなかったようなのは価値基準の多元性も表現している…そもそもイケメンに価値がないなどといってしまうとこの話自体が成り立たなくなる。 それにしてもせっかく富田さんがやっているのだから、現体型のままで思い切り美少女に見せることもできたのではと思うがそれほどでもない(場面による)。自分としては、もしかしてこの人が青春ラブストーリーの主人公にふさわしい演技をする場面もありうるかと期待していたわけだが、結局ないまま終わったのは残念だ。 「激ヤセ後」の演者は知らなかったがE-girlsの人だったようで、要所でキレのいいダンスを見せている。また真正美女(雷鳴の美女)役は優希美青さんが務めていたが、親友役の上原実矩さんもクセの強い可笑しいキャラになっていた。  序盤では荒唐無稽な展開に呆れながらも、これはこういう設定なのだからと耐えて黙って見ているのが非常につらい(アヒージョというものは食ったことがないが東京では人気なのか)。かろうじてミュージカルっぽい場面が楽しめるのと、中盤の演劇以降は別の面白味が出て来る。男連中のボーイズラブに登場人物が転げ回って喜ぶのにつられて大笑いしたり、また劇中演劇の代役が誰かというオチにも失笑させられた。 物語の面では意外にも、ラブストーリーとしての決着をつける気はなかったらしい。いずれ変わっていく予感はあるにせよ、外圧で無理に変化を迫るのでなく、とりあえず今この時は自分が本当に望むことをして、自分なりの青春を謳歌していいのだという青春賛歌のようでもある(言い過ぎか)。4人のうち1人だけ、最初から彼女をちゃんと見ていた男がいたのはこういう役割だったのかと納得した。 ラストはよくある全員参加のステージで、富田さんも含めたダンスで盛り上がる。事前の期待感は全くなかったが、最終的には結構悪くない映画だった。
[インターネット(邦画)] 5点(2021-04-10 11:24:37)
228.  今日も嫌がらせ弁当 《ネタバレ》 
高校生のために弁当を作り続ける映画は「パパのお弁当は世界一」(2017)も見たので、個人的にはまたこれかという印象だった。しかしこの映画も原作者に当たる人物の体験をもとにしており、映画としては二番煎じでも全く別の話ということになる。劇中に出ていた弁当を本当に一生懸命作っていた人がいたというだけで和まされるものがあり、嫌がらせというよりも、ふざけたことを大真面目にやってみせるのが好きな人物が娘にじゃれついていたようでもある。ちなみにこの後に「461個のおべんとう」(2020)というのもあったようで、なぜか弁当映画が乱立している。 八丈島は実際に原作者の居住地とのことで、彩度が高めの明るい色調で島の風景を見せている。特に説明はなかったが、結構しつこく八丈小島(今は無人島)を映しており、また「八丈島のキョン」(特定外来生物)らしきものも出ていた。船は主に東海汽船の「橘丸」が見えていたが、ほか何気に青ヶ島行きの「あおがしま丸」も映っていた。  ストーリー的なことは実はよくわからなかった。キャラ弁なるものに関して否定と肯定が繰り返される展開に見えたが、弁当だけでは本当に嫌がらせになってしまいそうなところ、それとは別に心を通わせる機会を持ったことで真意が伝わったと思えばいいか。 またシングルファーザーの存在も半端な気がした。途中段階では一人親が孤独に頑張ることの限界を語っていたようだったが、その上でのご対面は、この先母親が助言者からパートナーの立場に発展していく予感の表現か、または人生まだまだ何が起こるかわからないという程度の緩い期待感か(なぜか娘の就職先の近所にいた)、あるいは単なるサービスカットのようなものか。少々困惑するラストだった。 特に絶賛する気にはならなかったが、実物をもとにしたという独創的な弁当を見て笑っているだけでも一定の面白さがある映画ではあった。なおネット上に原作者の顔写真も出ていたが、なるほどこういう感じの人がやっていたのかと納得した。  出演者に関して、芳根京子という人は今どき高校生役かとは思ったが、もともと可憐なタイプなので高校生に見えなくもない。また友人筆頭役の山谷花純さんは、「劇場版コード・ブルー -ドクターヘリ緊急救命-」(2018)で頭を丸刈りにしてから、少し髪が伸びてベリーショートの状態だったのがなかなかキュートで面白かった。
[インターネット(邦画)] 5点(2021-04-03 10:54:11)
229.  耳を腐らせるほどの愛 《ネタバレ》 
吉本興業のコメディ+サスペンス映画である。ジャンルに「ロマンス」が入っているが無視して構わない。 無人島の宿泊施設で起きた殺人事件の謎を解いていくミステリー調の展開で、ありがちな結末かと思わせておいて実は…という意外性はなくもないがそれほど感心もしない。なお東京湾で唯一の無人島とは、横須賀にある猿島(戦艦三笠から見える)がモデルのようで、空撮場面もこの島の映像がもとになっている。撮影場所はほとんど屋内で、個人的に馴染みのある「人狼ゲーム」シリーズのようだった。  コメディといっても終始笑いっぱなしでもなく、予告編に出ていたように、鈴木鈴吉という名前を「鈴木の二乗」と表現するあたりでレベルが察せられる。そもそも自分としては芸人の笑いというのをあまり面白く感じないので(ノリの悪い観客)、かろうじて「ゲストなしの回」のところで笑わされたのと、「何となくです」「180のサイズ」がかすかに可笑しいくらいのものだった。高速度撮影でないスローモーションの場面などは笑えるかどうか。 独自性があったのは「たとえ話サークル」という設定で、言っていること自体は大して面白くもなく早口で何だかわからなかったが、現実にこういう活動を真面目にやっていれば発想の自由度が高まって頭の回転も速くなるかとは思った。芸人らしい趣向かも知れない。 個人的にはクサい演出ばかりが鼻についてあまり満足感はなかったが、初めから「見終わった後に何も残らない映画」を作ろうとしたとのことだったので、それを信じて気楽に見るなら楽しめるかも知れない。題名の意味は何だったかなど考えなくても問題ない。  登場人物としては、脚本段階で意図したという通りそれぞれに見どころが作ってある。森川葵さんが可愛い女の子(あざとい系)だったのは大変結構なことで、この人のこういう役は好きだ。また山谷花純さんは序盤で芸人風のかけ合いをしていたのが特徴的だった。長井短という人は知らなかったが、本当にこういう感じの人物らしい。
[DVD(邦画)] 5点(2021-03-27 11:34:10)
230.  死命 ~刑事のタイムリミット<TVM> 《ネタバレ》 
先に原作を読んだがあまりいいとは思わなかった。このドラマもかなり原作準拠のようで、不自然だとかちょっと無理がある感じの設定は大体が原作由来である。ただしTVドラマ化に当たって、見てわかりやすいよう予告を入れたり言葉を足したりの工夫をしており、またラストに少し救われる場面も加えている。有名なクラシックの曲が使われていたのは別にいいとも思わなかったが、これは亡き妻のためのテーマということだったか。  登場人物には共感しにくいところがあるが、主人公に関しては仕事自体が妻への献身だったという事情、及び最終的に死への恐れを解消できた理由はわからなくはない。犯人の方は人格的に理解不能だが、主人公が死を恐れなくなった理由がそのまま犯人に死を恐れさせたということではあるらしい。過去を切り捨てようとしても結局いわば最後の審判があるということで、自分のこととして考えてもこれは実際に不安要因かも知れないと思った。一瞬ホラーのようで怖い場面もある。 犯人もそれなりの事情があったわけなので、嘘まで言って恐れさせる必要はあったのかとは思うが、しかし社会に一定数いると思われる「死ぬことさえ恐れていない人間」を強いて恐れさせることが本当の罰だという主張かも知れない。地獄が実在するとはいえないが、パノラマ視現象というのは実際あると言われているので、このドラマがオカルトに依存しているわけではない。  登場人物に関してはそれほど違和感がない。若い刑事はコミカル寄りでこの役者らしいいい味を出している。また主人公の娘については、ダンサー志望の印象が少し弱まっているのが残念なのと、目が大きいので両親には似ていなかったが、父親に対しては反発するだけでなく、ちゃんと親子であろうとしていることが表現されていた。原作のディズニーランドはみなとみらいの観覧車になっていたが、この場面での娘の様子には和まされる。終盤でもこの娘との関係で少し泣かされるところがあり、視聴者の目からはこの人が一番いい役に見えた。
[インターネット(邦画)] 6点(2021-03-27 11:34:08)
231.  フェイクプラスティックプラネット 《ネタバレ》 
ネットカフェ住まいの風俗嬢の物語だが、殺伐とした世相の一部を切り取って社会への怒りや憎悪を煽りたいわけでもなく、人間の心を縛るもの(いわば縄)を解いて前へ行かせようとする、意外に良心的な映画だったようである。 ただし素直に受け取れない箇所が多いので絶賛はできない。不思議な偶然が起きるというのは予告されているので意図的なわけだが、あまりに話が出来すぎていてさすがに偶然の範疇から外れてしまい、「シンクロニシティ」が単なる言い訳のようでもある。また消火器で殴るとか露天の場所に電気器具が置かれているとか拳銃が出現するなど、表現の自由度が高すぎるのは突っ込まずにいられない。これは舞台演劇風ということか。 ほか「占い客」(役名)の再登場の場面では、感謝するなら3万円くらい置いていけ、と言いたくなった。  終盤の占い師の場面も言葉でまとめ過ぎのように感じられる。目で見えるものは信用できないなどとは独り善がりな偏屈者の言いそうなことで、主人公も困惑気味の顔をしていたが、ただし物事には表に出た部分だけでなく必ず裏があるというか、背景事情を含めて全体像を掴めといえば一般的な教訓ではある(実際よく思う)。主人公もそのうち同じように思う機会があるかも知れない。 また「今を大事にする」というだけでは抽象的だが、未来を決めるのは現在だというのは当然といえる。ラストの雨は、未来が過去から現在の延長上にあるとも限らず、これから何が起こるか本当にわからないという意味なら悪くない。 そのほか宗教的なものに関しては、日本では頭ごなしに全否定する人々も多いと思うが、この映画はわりと柔軟な態度だったらしい。神の存在など当てにすべきものでもないが、悪いことを悪霊のせいにするよりなら、よかったことを神様のおかげと思うのは健全とはいえる。またキリスト教の聖書をまるごと受け入れろともいえないが、その時々で役に立つ/心に染みる言葉を抜き出してかみしめるのはいいかも知れない。  出演者については「劇団青年座」の役者が中心らしい。主演の山谷花純さん(エイベックス)は一人の人間のさまざまな様相を幅広くカバーしており、結構いろいろな顔が見られたが、特に黒縁メガネは新鮮だったかも知れない。 ちなみにどうでもいいことだが、劇中で印象的だったスカイツリーの見える場所は足立区ではなく、台東区浅草の言問橋の近くのようである。
[DVD(邦画)] 6点(2021-03-20 14:53:41)
232.  N.Y.マックスマン 《ネタバレ》 
イケメンで固めた特撮変身ヒーロー物のようで(一応大人向け)、アメコミのヒーローが実体化したようなものらしい。同じシリーズの3作目だが、続編はなかったようなので三部作の最後ということになる。 初代と二代目のヒーローは東京で同じTV局に勤める兄弟という設定だが、今回の三代目はなぜかニューヨーク在住ということになっている。つまり題名の「N.Y.」とはアメリカのニューヨークのことで、冒頭では本物の空撮映像なども出ていたが、舞台挨拶によると撮影は全て東京の100m以内で収めたようなものらしい。実際見てもほとんどTV局の屋内で撮っている感じだった(テレビ朝日の中?)。  内容としてはヒーロー物ながらコメディ調で笑えるところもなくはない。またレギュラーで出ている悪者のせいで起きた事件の謎を、主人公の探偵が解明していくミステリー調の展開のようだったが、結局最後はありがちな結末で終わってしまう。敵が普通の人間なので、変身ヒーローとしての活躍があまりないのも不足感がある。 ただし終盤で、今回の主人公だけが持つ特殊能力が初めて明らかになり(ほとんど反則)、そこまでの間で不可解に見えた場面の真相を明らかにしていくのは少し意外で面白かった。どうせ安手のしょうもない映画だろうと思っていたが、いかにも低予算でTVドラマ風ながら、最終的な印象は意外に悪くなかった。  なお若手の顔ぶれを見ると、仮面ライダー/スーパー戦隊の出演経験者に出番を用意するための映画のようでもある。自分がこれを見たのは「手裏剣戦隊ニンニンジャー」(2015~2016)の「かすみ姉」(百地霞/モモニンジャー)が出ていたからで、この映画では印象の全く違う役どころだが、演者の山谷花純さんはもともとこういう感じの役が多い気がする。今回は「許さない」と「キモ」の表情が見どころか。 ちなみに二代目ヒーローの相手役の内田理央という人は今回も主要人物で出ているが、初代ヒーローの婚約者役である山本美月という人はほとんど見えなかった。またどうでもいいことだが、千葉雄大という役者はいつ見ても年齢不詳だ(この時点で28歳と本人が言っていた)。
[DVD(邦画)] 6点(2021-03-13 20:22:33)
233.  劇場版 動物戦隊ジュウオウジャーVSニンニンジャー 未来からのメッセージ from スーパー戦隊 《ネタバレ》 
スーパー戦隊恒例の“VS”シリーズとのことで、その時点での現役戦隊(動物戦隊ジュウオウジャー)が前任戦隊(手裏剣戦隊ニンニンジャー)と共演し、そこに放送開始前の次の戦隊(宇宙戦隊キュウレンジャー)が予告的に姿を見せる形になっている。 また今回はスーパー戦隊シリーズ通算40作記念が謳われており(ジュウオウジャーが40番目)、ドラマ的にもここで戦隊の歴史が途切れそうになる状況をわざわざ作っておいてから、メンバー同士のつながりと、歴代戦隊の応援のおかげで未来につなぐことができたという形にしている。結果としては「スーパー戦隊恐るべし」ということで大変結構なことだった。 ニンニンジャーは今回ゲストの扱いだろうが、アカニンジャーとその息子と父親の3世代が揃って親子のつながりを見せつけるので、現役戦隊よりかえって強い印象を残していた。主役のはずのジュウオウジャーが荒唐無稽な忍術で振り回され気味に見えるところもあり、現役戦隊もまだいろいろ学ぶべきものがあるのだろうと思わせる。 なお序盤の段階で、次の日に死ぬ運命だった男に息子がいるのはなぜか、という疑問を持たされたままラストに至る映画だったが、最後に真相が明らかにされた場面では、本当にこんな話でいいのかと唖然とさせられた(あまりにいい加減)。しかしニンニンジャーの最後を飾った前回のFINAL WARS(2016)のあと、メンバーがそれぞれの道を歩み始めてからの後日談のようなものとすれば、その間に意外な事情の変化があっても不思議でないといえなくはない。それにしてもこのオチにはかなり呆れた。  主役のジュウオウジャーは前回のVS映画で姿を見たことがあるが、今回はトラの人が色っぽいのが目についた。サメの人は性格がきつそうな感じかと思ったら、女子だけ(スーツアクター)の場面では女の子っぽい動きを見せていたのが微笑ましい。 またニンニンジャーは人格的な軽さが目立つようだったが、この緩い感じがやはり結構心地よく、本放送開始から6年も経って今どきこのニンニンジャーが好きになって来た。個人的にはかすみ姉のファンだが、この人の出番としては「ずっとあなたのことを疑っていたんです」の微妙な表情が面白かったのと、「ナーイスです!」がかわいい。 ほか未来のアカニンジャーの子役はけっこう凛々しい顔を見せていた。父親よりよほどまともな人物に見える。
[DVD(邦画)] 6点(2021-03-13 20:22:30)
234.  ザ・ライフルマン 《ネタバレ》 
ラトビアの作家アレクサンドルス・グリーンス(1895-1941)の小説を原作にした歴史映画である。原作者自身の従軍体験が反映されているそうだが、本人は第二次大戦時にソビエト政権に殺害されてこの本も禁書になっていたとのことで、それを作中の時代から100年後に初めて映画化したという意義があるらしい。 邦題の由来は、第一次世界大戦時のロシア帝国時代にラトビアで編成され、後にその多くがロシア赤軍に加わったラトビア・ライフル兵部隊(Latvian Riflemen / Latviešu strēlnieki)で、ソビエト時代の記念像が首都リガに建っている(むかし見たことがあるが今もあるらしい)。映画はバルト海に近いスロカ(Sloka、墓地と記念碑あり)での戦いに始まり、死の島(Nāves sala)、「クリスマスの戦い」(Christmas Battles / Ziemassvētku kaujas)、「ツェーシスの戦い」(Battle of Cēsis / Cēsu kaujas)の各戦闘を追っていく形になっている。 ストーリーとしては、母親をドイツ軍に殺された主人公がライフル兵部隊に志願してドイツと戦ったが、ロシア帝国には裏切られ、その後に参加した赤軍にも裏切られて、最後に加わった新編成のラトビア国軍で、真にラトビア人のために戦ったということになっている。歴史的には、終盤のツェーシスの戦い(1919年6月)でドイツ勢力を敗北させたことでラトビア(とエストニア)の独立が固まったらしいが、この映画で見る限り、亡霊の軍隊の加勢まで得てやっと勝てたかのような印象だった。  主人公はまだ16歳で従軍し、最初は軍隊に向いてないのではと思わせるところもあったが、最後は新生ラトビア軍の新兵のために、最前線で身をもって(OJTで)教官役を果たすまでになる。ラトビア国軍は「子供と脱走兵と難民※」の軍隊だと言われていた通り、本当に子どもばかりで痛々しく、志願者の母親が嘆いていたのも大変ごもっともなことだった。 ※字幕の「難民」は外国人ではなく、当初の主人公と同じように家を失った地元民の意味と思われる。 かなり悲惨な戦いだったが一応の事情をいえば、ラトビア人がまとまって作った国はそれまで存在したことがなく(エストニア人と一緒くたにドイツ人支配→ロシア支配)、この時初めてラトビアという国の枠組ができたのであり、その後の独立国の時代とソビエト連邦構成共和国の時代を経て、再び現在の独立国につながった元がこの時だったということである。ラトビアを愛する人々の立場では、こんな悲惨な戦争をしてまで作った国をこれからも大事に守っていこう、というのが本来の受取り方と思われる。 そうは思っても、さすがにこんなガキ連中に鉄砲を持たせるのはやめておけ、と言いたくはなったので、部外者としてどう思うべきか微妙な感じの映画ではあった。あるいはこの映画自体が、現代の普通の感覚を微妙に反映させておこうとしたのかとも思った。  具体的な場面としては、冬の戦闘では積雪はあまりないようだったが、敵陣の土盛りが凍結して滑るため、銃剣の先で足場を作っていたのは原作者の実体験かも知れない。またエンドロールの背景では、映画でも参考にした当時の写真が出ていたようで、この時代の記憶を映像として後世に伝える意味はあったらしい。ほかどうでもいいことだが、序盤で母親が主人公を撫でていたのは犬の扱いのようだった。
[ブルーレイ(字幕)] 7点(2021-03-06 11:45:24)
235.  ゼロポイント 《ネタバレ》 
高校生(男)を主人公にした若者向けの物語で、同名の原作小説がある。劇中高校は仮名だろうが原作者の母校がモデルのようで(Gustav Adolfi Gümnaasium)、原作者の実体験を反映しているらしいが、本人は映画公開後の2017年に32歳で死去したというのが悼まれる。 映像的にはわりと現代的であか抜けた感じで、登場人物の心理を明暗で表していたのはわかりやすい。題名は高層住宅の窓から身を乗り出した時点のことだと思えばいいか。  主人公はもともと家庭に問題があったのに加え、転入した学校では同級生に迫害され、さらに学校外でも踏んだり蹴ったりの目に遭わされるので、見ている方も嫌になって途中でやめたくなる。それでも我慢して見ていると、終盤に至って事態が次々好転していくのは都合良すぎだったが、そこにこの映画のメッセージが詰まっていたらしい。 まずは言うべきことを言って自分の意思を示すとともに、周囲に理解者を作ることが重要になる。一方で攻撃に対しては適切な反撃が必須であって、暴力に対しては実力行使で、悪意ある虚言には公明正大な反論で対抗するが、陰湿な相手には悪をもって悪を制する手もある。さらに違法なことには法的な対処もありうるるわけで、そのようにして自分の立場を確保することで、自分で自分を支える自信が持てるということだと思われる。 当初は学校内のいじめがテーマかと思ったが、最終的には今後の人生を賢く生きるにはどうするか、主に若年層向けの処世訓を語る映画のようになっていた。極めて真面目な映画で結構だったが、ただし最後の一言は言い過ぎかと思った。あるべき姿を示すというよりは、自分ならどうするかを考えるきっかけにするための映画かも知れない。 ほか「エリート学校」の実態(卒業生含む)などこんなものなので信用するな、という皮肉もあったように見える。また終盤で差別的な発言(恐らく現地感覚で最高度の)があったのは必然性が不明だったが、世界に蔓延するポリコレに対抗しようとする反骨精神の表れかと思ったりした。  登場人物に関しては、主人公が走ることで精神状態の更新を図っていたようなのはいい習慣かも知れない。また主人公の仇敵(嫌な顔だ)が、多数派工作で主人公を孤立させ攻撃を集中させようとした卑劣な行動は嫌悪するしかない(よくあることだが)。 ほかどうでもいいことだが、スウェーデン語のjagのgは発音しないことを思い知らされた。また字幕に関して、舞台になったエストニアの首都Tallinnは「タリン」と書くのが普通だろうが、字幕ではそのほか「タルリン」「タリーン」などと書いて一定しないのは間抜けな印象だった。翻訳ソフトにでもやらせたのか。
[インターネット(字幕)] 6点(2021-02-27 11:12:39)
236.  裸足の季節 《ネタバレ》 
撮影地は黒海沿岸のイネボルİneboluという場所だそうで、山と海が近接する風光明媚な地方に見える。またこの映画の設定としては、同じ黒海沿岸でイスタンブールからさらに離れたトラブゾン(人口約15万)の近くだったらしい。ちなみにサッカーチームのトラブゾンスポルが、観客を女性と子どもに限定して試合をしたのは2014.4.27のことだそうである。  映画紹介では「古い慣習と封建的な思想」とか書いてあるので、どうせよくある社会批判の映画かと予想していたが、その割に序盤の海の場面を見ると、こんな風に女子と戯れるのは意外に自由度の高い社会ではないかと思った(男子としては羨ましい)。その後の若い連中の服装や行動など見ても、普通一般の自由世界とそれほど違うようでもなく、女性に対して社会全体が一様に抑圧的というよりは大都市と地方の違い、あるいは世代によるギャップがあるのではという気がした。 それにしてもこの映画に関していえば、特に叔父個人の問題という印象が強い。まだ義務教育の年齢だろうに学校にも行かせないのは間違っており、村の女子全員がサッカー観戦に行くのに姉妹が行けない理由もない。またこの叔父は、よくわからなかったが姉妹に性的虐待もしていたのか? 四女が「あんたのこと警察にバラしてやる」と言っていたが、バラせば本当に問題化するのならトルコ社会はまともだということだ。イスタンブールの教員が告発すれば無理に家に帰されなくて済む可能性もある。 そのようにいろいろ考えたが、結果的には社会がどうこういうよりも、まずはこの姉妹の心情に共感できるかが重要だったようでもある。個人的には特に共感できなかったので(年齢性別が違う)、単に中年独身スケベオヤジが少女を虐待する胸糞悪い映画になっていた。ちなみにモスクの尖塔はときどき見えていたが、イスラム教の厳格な戒律に縛られたようにも見えない世界だった。今後ともそういう面で適当な緩さのある社会であってもらえればいいのではと他国民ながら思っておく。  なお少し面白かったのは五女が、逃げるとすれば車に飛び乗って、普通はイスタンブールに行く、と言っていたところだった。首都アンカラでもなく、まずは大都会イスタンブールに憧れるのがトルコ人の感覚のようで、最後にバスがボスポラス海峡(多分)を渡るところの風景は感動的に見えた。美少女は寝ていても目糞がついたりしないらしい。 [2021/02/20追記] 字幕の「後ろでやる」の意味が不明瞭だったので最初は書かなかったが、無視できない気がして来たので一応書いておくと、まず新婚夫婦の最初の夜に大騒動が起きたのは、初婚時に性交渉の経験がないことを絶対視する風潮がいまだにあるという意味らしい。またそのような風潮があるために、「後ろでやる」のが独身男女の間で普通になっており、さらに「後ろでやる」ことが家庭内の性的暴力のハードルまで下げているとすれば、確かに独特で深刻な社会問題の告発になっている。 ほか個人的には、何となく地方(田舎)に対する蔑視感情が潜在している映画のようで軽く嫌悪を覚えた。大都会に行きさえすれば問題解決なのか。
[インターネット(字幕)] 5点(2021-02-20 22:38:28)
237.  アイアン・スカイ/第三帝国の逆襲 《ネタバレ》 
シリーズ2作目になるが、今回もまたとりあえず作ってみた的なものができている。全編パロディで構成されているようなのが特色だろうが一生この作風で行くつもりなのか。 今回は宇宙戦争の場面は限定的で、代わりに地球空洞説とか恐竜とか実は全部が爬虫類型宇宙人のせいだったという趣向を盛り込んでいるが、映像的にはどこかで見たものを再現しているだけで新鮮味はない。物語としても、思い付きの設定をもとにして適当な流れを作っただけで、それ自体を面白がるほどのものにはなっていない(前回もそうだったかも知れない)。ちなみに前回のヒロインも出ていたはずだが、どこにいるのか最後までわからなかった…というか外部情報を見れば簡単にわかるわけだが、キャラクター性で記憶しているので役者が同じということ自体に意味はない。 前回と似た印象の場面として、人類史に破壊と堕落をもたらした古今東西の英雄が一堂に会する場面があり(夕飯かと思ったらその後に昼飯もあった)、チンギス・ハーンやKim Jong-Unといった偉人の姿も見えたが、アル中ケッコネンとかいう何だかわからないのを出すのは場違い感があった。有名人を茶化すだけで笑えると思うのは、精神年齢を低く抑えた制作姿勢が成功をもたらすとの確信があるらしい。 ラストの映像を見ると、次回は人工衛星スプートニクが破壊兵器として蘇って宇宙戦争を展開する映画と予想されるが全く期待しない。  ちなみにネット上の評価も割れていると思うが、どこまでも内輪受けを狙ったようなものにそのまま乗れる観客ならいいかも知れない。自分としては、前回は御祝儀っぽい感覚でそれなりの点を付けたが毎度同じことはできない。 そのほか、動物が可哀想な目に遭わされる場面が結構あったのはよろしくない。NOKIAもゾロトニクзолотник(4.266g)も面白くはなかったが、ルービックキューブの本当の意義が忘れられた世界というのは少し笑った。
[インターネット(字幕)] 3点(2021-02-20 10:39:17)(良:1票)
238.  サマー・ヴェンデッタ 《ネタバレ》 
森でキャンプをしていた若い男女が殺されていくタイプの映画である。一応は1960年にフィンランドで起こった「ボドム湖殺人事件」(未解決)を題材にしている。 実際の現場はそれほど人里離れた場所ではなく、首都ヘルシンキ近郊の行楽地のような場所らしいが、この映画では深い森の中ということになっている。映像的には湖水に面した岩塊のロケーションが印象的で、これこそフィンランドらしい景観と思ったが、実際の撮影地はエストニアだったという話もある。 時代に関しては、序盤で出た家庭の古臭さが昭和30年代の表現かと思っていると、実際はかなり年数が経った時点で事件を再現する形になっているのが後に判明する。ただし現代というよりは少し前の、携帯もカーナビもパワーウィンドウも?なかった時代と思うのが妥当ではないか。今でいえばリベンジポルノ(リベンジではないが)のような話題も出ていたが、ネット上の画像ではなく実物の写真のことだったと思われる。  登場人物4人が現場に行った動機としては「事件を再現して検証」するためだと説明されているが、そういう変な小理屈をいうよりも、日本でいえば若い連中が心霊スポットに行きたがるようなものと思えば簡単である。ただ実はそれほど単純でもなく、女子2人・男2人の共通目的とそれぞれ個別の思惑もあって結構複雑な状態になっている。 ストーリーの面では、実際の事件の真相に関する複数説を融合させたように見える。途中で意外な展開が2回あるが、1回目でどうなるかは何と予告編でネタバレしているので2回目が本番と思うしかない。しかし残念ながら1回目も2回目も真相がありきたりで驚きがなく現実味も感じられない。 どうも話の中身が軽く、またそもそもの事件も地元で有名なだけで、例えば津山三十人殺しほどのインパクトがあるわけでもない。映像面ではそれなりの映画に見えているので悪くはいえない気はするが、面白いともいえないので人には全く勧められない。  なお主人公の女子は地味な風貌に見えたが、実は意外に豊満な体型だったのがかなり目についた。ただしそれが目的で見るほどの映画ではなく、見れば途中で非常に気になるという程度のことである。これも無意味にエロいのではなく、厳格な父親との関係で意味があったのかも知れないがよくわからなかった。
[DVD(字幕)] 3点(2021-02-20 10:37:53)
239.  バニー・ザ・キラー 《ネタバレ》 
発情したウサギ男が人々に襲いかかる映画である。 こういう設定でホラーの怖さなど期待するはずもないわけだが、グロ場面も撮り方のせいか半端に見えるところがある。コメディとしても大笑いするものではなくエロい場面もほとんどないが、それよりこの映画の本質は下品ということであって、既存のジャンルに当てはめるより下品映画とか下劣映画とか下賤映画とかいうカテゴリーを作った方がいい。  登場人物の人種・国籍(言語)・性的嗜好は多様なようだが、これは要は現地(撮影地は北東部のかなり田舎)でも旧来の秩序が失われたということの表現か。ウサギ男が男女関係なく襲っていたのは尋常とはいえないが、そのことを含めて一般常識の枠組みからの逸脱なり解放を表現したキャラクターということかも知れない。 一方で、片時も休まず年中発情している点では便所に籠っていた若い男も同じことである。しかし誰でも構わないわけでは決してなく、ちゃんとそれなりに見える(一見これがヒロインかと思う)相手に御執心だったわけで、この男こそがいわば人としての基本路線を体現した存在ともいえる。エンディング後の場面では、この男だけが修羅の地を脱して楽園に到達できたような印象もあり、ここで救われた気がした現地の観客も多かっただろうと思っておく。 ちなみに微妙なことだが、もしかしてフィンランド人は自国民よりスウェーデン人を高級(上物)と思っているのか?? 若い男が最初に目をつけたのが英語を話す外国人で、最後に受け入れられた相手が先住民だった??らしいのも意味ありげだが(原点回帰?)、どこまで深読みしようとしていいのかわからない。  そのようなことで、個人的には史上最低最悪のフィンランド映画は何かを探る気分で見ていたが、このくらいだとまだ最低ではないと思われる。 なお笑える場面は多くなかったが、ノコギリから始めていきなりボウガンができてしまい、それでいきなり変なものを撃ったのは少し笑った。一般にいう動物に危害を加えていません的な愛護精神も踏みにじっている(※造形物のため実際に虐待してはいない)。 ほか可笑しくはないが共感できたのが「最高のオッパイ」で、ここは中国人と価値観が一致していた。この点はキャスティングの上でも最重要だったはずで、最終的にはこの本物のヒロインが少し好きになった。
[インターネット(字幕)] 2点(2021-02-20 10:26:18)
240.  スペース・タイム 時空を超えた使命 《ネタバレ》 
フィンランド映画ということで見た。邦題はともかくとして原題と英題は「運命の書」である。 時代の違う5つのエピソードからできているが、一貫して「運命の書」なるものが存在する時空間の物語である。役者についても主人公とヒロイン役は共通で、時代の違う人物が同じ運命線上にいることが表現されている。各エピソードは下のような構成で、一つの映画で各種ジャンルが楽しめるという趣向らしい。 Episodi 1「トランシルバニア 1773年」吸血鬼映画 Episodi 2「アリゾナ州 1883年」西部劇 Episodi 3「フィンランド カレリア地方 コッラー川 1939年」戦争映画(冬戦争)白黒 Episodi 4「フィンランド タンペレ市 2003年」スパイ映画またはアクション映画 Episodi 5「宇宙 2124年」SF映画またはスペースオペラ なお登場人物は全てフィンランド語を話している(宇宙人含む)が、西部劇でフィンランド語というのは外国人にとってはさすがに違和感があった。  最初のうちは一応真面目に見ていた(特に3は茶化すわけにはいかない)が、しかし4でシュワルツェネッガーが出たところでもうどうでもよくなった。5ではキャラ設定自体がコメディ調になり、どうせまともな宇宙モノなど作れないのをふざけてごまかした印象になっている。 結果的には軽薄なパロディ映画または各種分野の習作見本市のようだったが、それでも一応真面目に語るとすれば、運命はあらかじめ定められているようでも結局最後は本人の行いで決まるのだ、という意味に取れる。さらにいえば“終わりよければ全てよし”ともいえるが、しかしエンドロールの後に、幻の次回作の予告編が出たのを見て真面目に考えたこと自体がアホらしくなり、最初まで遡って全否定したくなった。この映画自体が終わりをぶち壊しにしている。 ちなみに原案は学生の作だったようで、それを映画にした脚本家と監督も若かったらしい。予算も十分ではなかったようで、そのため日本でいえば「カメラを止めるな!」(2018)と同じ感覚で好意的に受け止める向きもあったらしいが、難点を不問にするほどの才気は感じない。またフィンランド映画の流れでいえば、こういうバカ映画の延長上に後の「アイアン・スカイ」(2012)も位置付けられるのかと思わなくはないが、娯楽性の面でその域に達していない。一つ言いたいのはパロディそれ自体に価値はないということだ。 なお最後の女神さまのようなのは顔が神々しいので嫌いでない。最終的によかったのはここだけだった。
[DVD(字幕)] 1点(2021-02-20 10:22:41)
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