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六本木ソルジャーさんの口コミ一覧[この方をお気に入り登録する

プロフィール
コメント数 823
性別 男性

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【製作年 : 2000年代 抽出】 >> 製作年レビュー統計
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261.  ポセイドン(2006) 《ネタバレ》 
「「ポセイドンアドベンチャー」という完成度の高い映画をリメイクなんてしてどうするんだろう。牧師がいなく評判もよくない上に、アメリカでも大コケ。これはさすがに見なくてもよいかなあ」という気持ちも高かったけど、ペーターゼン監督は自分の中ではかなり優れた監督であるということと、こういう映画は大画面と良い音響の中でこそだろうという理由で観てきました。 全く期待してなかったけど、いやぁ…これはいい裏切り方をしてくれた。ペーターゼン監督、脚本、俳優陣、どれも素晴らしい仕事をしたと思う。 転覆シーンのCGの出来がよいだけでなく、CGでは出せないセット内の撮影の迫力も凄い。この両者があいまって素晴らしく迫力のある映像が溢れている。 また、細かいながらもリアリティのある設定や仕掛けに観ているこちら側もパニックに陥りそうになる。とにかく手に汗握る展開の連続で、お金を払って観ても損はない映画だった。やはり「水」を扱わせたらペーターゼンにかなう監督はいないだろう。この俳優達を使って「ポセイドンアドベンチャー」をリメイクしろと言われたら、これ以上の映画は出来ないと思う。 映像の迫力の素晴らしさだけでなく、きちんと人間ドラマも描かれていたと思う。このような自分の命の危機に直面した際には、赤の他人の命を犠牲にしてまでも助かりたいと思うのもある意味では「人間」だと思う。そういう世界は意外と映画では描かれてなかった気がする。だから赤の他人であるマップを蹴り落としたとき、かなり驚かされた。 そして自分の命を省みずに他人の命を救いたいと思うのも「人間」だと思う。自分の愛する者、自分が愛おしいと感じた者を救いたいと願う行動の美しさも同時に描かれていた。人間の「醜さ」と「美しさ」の両者を描くことで、しっかりと「人間」が描かれていた。 自分は有楽町で鑑賞したのだが、映画を観終わった後エレベーターを待っていても自分がいる9Fで止らずに11Fに一旦登ってどのエレベーターも9Fをスルーしていく。どうやら時を同じくして「ダヴィンチコード」の上映も終わったようである。いくら待っていても一向に止る気配がない。「このままじっと待っていては駄目だ」と思った自分は11Fまでエスカレーターで上がって、そこでエレベーターに乗った。満員のエレベーターは当然9Fをスルーしていった。そういう意味で実生活でもなかなか役に立つ映画でもあった。
[映画館(字幕)] 8点(2006-06-05 00:49:34)(良:1票)
262.  嫌われ松子の一生
「人生終わった」が口癖の人間が、その人生が終わる瞬間まで“希望”を捨てていなかったという点がなんとも印象深い。完全に終わったような人生を送っていたとしても、「まだ、まだ行ける」と立ち上がろうとする姿には感動を覚える(階段から転げ落ちても、バットで殴られようと、なお立ち上がろうとする姿も印象的だ)。そのような彼女の姿を見続けると、“自分もまだまだ終わらんよ”とチカラが沸いてくるようだ。 また、「留まるも地獄、行くも地獄ならば、一人じゃない方を選ぶ」という生き方はなかなか共感しにくいところはあるが、彼女としては“孤独”からどうしても逃れたかったのだろうと強く感じさせる。“家族”という帰る場所を失い、自分の居場所を求めて彷徨った遍歴は、正しいか間違っているかは分からないが、決して悪くはない。 何かをしてもらうのではなくて何かをしたい、愛されるよりも愛したい、現代の“受動的”な人間行動を否定して、“能動的”に行動し続ける姿が心を打つ。 その他にも故郷を想起させる“川”なども、セリフは喋られないが、松子の気持ちを深く代弁している。父親に愛されたかったという強い思いから思いついた“変顔”も印象的に使われている。原作には盛り込まれておらず、監督のオリジナルアイディアと聞いたことがあったが、非常に高い効果を生んでいると感じる。さらに、人生の最後を迎えて、天国のような階段を登り、家族や妹の元へ帰っていく姿も非常に美しく描かれている。“嫌われ松子”は監督には非常に愛されていたと感じさせるシーンだ。 監督と中谷美紀の仲が非常に悪かったという噂だが、監督は松子というキャラクターに対して深く深く気持ちを込めていたのではないか。 女優に対してそれだけ多くの注文を付けることは、それだけこの作品に対して深く入り込んで、作品の質をより深めようとする努力みたいなものなのだろう。この作品を観ると、監督の強い意気込みを感じられる。 松子という女性の一生を描くために、“ミュージカル”形式を採用したことも監督の狙い通りに完全にハマっている。だらだらと断片的に人生を描くよりも、ストーリーがぐっと引き締まる。その時々の松子の内面を印象的に描き出すとともに、歌詞を通してもダイレクトにメッセージを伝えることができるような仕組みになっている。残酷なストーリーだが、これによって笑って明るく見られるような効果もあるだろう。
[映画館(邦画)] 8点(2006-05-27 19:59:08)(良:2票)
263.  ダ・ヴィンチ・コード 《ネタバレ》 
原作が極めて素晴らしいというわけではないが、この映画は原作の持っている「良さ」をかなり失ってしまっている。 原作には「謎解き」の面白さが溢れていると思う。困難な謎が解き明かされるたびに、更なる不可思議な謎が待ち受けているという面白さに加えて、警察の執拗な追跡とオプスデイの不穏な動きがさらにストーリーをよりスリリングなものとしている。 しかし、この映画では肝心の「謎解き」がおざなりにされている。ソニエールが仕掛けた困難な謎が一瞬のうちに次々と解き明かされていく流れには興ざめしてしまう。 極めつけは、自家用機の中で謎の文字が書かれた文書をみつけた際にラングドンが「鏡をもってこい」と一言で片付けてしまっている点だ。原作では、古代文字に精通しているサーリーティービングでもラングドンでも判別不能な文字に両者ともに頭を抱え、行き詰まるところを、その困難な謎をソフィーヌヴーが解き明かすというシーンがある。そのシーンがあることによって、祖父と孫の見えない絆がみえてきて、二人が共にどうやって時間を過ごしてきたかが分かるというものである。この謎解きは、たんなる聖杯探求者では解き明かせないものであると同時に、ヌヴーとラングドンという二人が揃わないと解き明かせないということがよく分かるものである。 それが瞬時に「鏡をもってこい」では、ヌヴーの存在っていったい何かね?という感じになる。一つのシーンを除き単なるお飾りにしかなっていない。 ストーリーを進めることを優先して、ヌヴーに限らずこの映画のキャラクターはほとんど死んでしまっている。魅力ある俳優陣を揃えておきながら、ただセリフをしゃべって動いているだけであり、個性的で心に様々なものを抱えているキャラクターが全く活きていない。これでは誰が演じても同じではないか。例外としては、ヌヴーが自家用機内でシラスをぶん殴ったシーンと、ティービングの最後の瞬間に、その性格や気持ちが現れるのを知ることができる。 とにかく、この映画は原作のあらすじを2時間30分にスピーディーに収めたにすぎず、映画として評価することは難しい。全部描くのなら二部作にするか、大幅なカットが必要だろう。
[映画館(字幕)] 3点(2006-05-21 00:41:24)(良:3票)
264.  アンジェラ(2005) 《ネタバレ》 
母国フランスでは大コケ・駄作扱いされていた本作だけど、まったく駄作というわけではなく悪くはなかった。しかし良くも悪くもない中途半端な映画という印象を受けた。 映画自体は、説教くさいテーマであったが「嘘をいわずに真実をいえ」「人に愛されるような人間になり、なおかつ自分自身も愛せ」「自分に自信をもて」などそれなりのテーマを描きつつ、ラブストーリー的な要素や「別れの辛さ」なんてものも描かれている。しかし、これらのテーマなどが上手く演出されてはいないという気がする。特に、アンジェラの過去がなく苦悩するところや、アンジェラがアンドレのことを本当に好きになり始めて困惑してはやく空に帰りたがるという、肝心の「終盤」をかっ飛ばすほどに雑に演出しすぎている。ここは繊細に演出すべきだろう。 また、アンジェラが天使であることがあまり活かされているとは思えない。途中で正体も明かしてしまっているため更に面白さがなくなっている。天使とはっきりと描くのではなく、ラストは「果たして、アンジェラとは、夢だったのか、幻だったのか、天使だったのか、それとも生身の人間だったのか…」というような余韻を感じたかった。「グランブルー」「ニキータ」「レオン」で感じた「二人の別れ」の「前向きな切なさ」のようなものを演出できる人ではなかったか、リュックベッソンという監督は。お決まりのハリウッドエンディングを良しとする人だっただろうか。 むしろアンジェラは生身の人間の方が面白いのではないか。傷ついた男女が同じ時間、同じ橋で自殺未遂を図るという奇妙な出会いから、お互いがお互いの心の傷を癒していくというストーリーの方がよりベターな気がする。 また、この映画は「最後の戦い」でみせた白黒映画であり、「グランブルー」のような美しい風景をみせており、レオンでの名ゼリフ「「OK」は言うな。(個人的には使って欲しくなかった)」やフィフスエレメントで描いた「愛してる」と言い出せないシーンなど、リュックベッソンの集大成のような映画になっている。しかし逆の見方をすると、前作から6年経ったベッソンの成長のなさ、才能の限界や、監督能力の減退を見せつけられたような気もする。 この内容なら思いきって「最後の戦い」のように全くセリフをつけず、演出と俳優の演技だけでみせつけ、終盤の「ジュテーム」のみをセリフにするとか思いきった演出がみたかったところだ。
[映画館(字幕)] 5点(2006-05-15 22:58:58)(良:2票)
265.  ナイロビの蜂 《ネタバレ》 
「シティオブゴッド」には及ばないものの、心が揺さぶられる素晴らしい映画だった。やはりこの監督はただ者ではないだろう。 この映画はラブストーリーでもあり、妻の死に関わる製薬会社とイギリス政府との陰謀を巡るサスペンスでもあり、ドキュメンタリー的なアフリカの「今」を映した映画でもあり、人間の「命」の重さを描いた社会派ドラマであった。 これらのどの視点からみてもパーフェクトであることにまず驚かされる。 特に、妻は夫を愛するがゆえに自分のやっていることをひた隠しにし、夫は妻を愛するがゆえに妻が辿った行程を歩んでいくというラブストーリーには感動した。この二人には目に見えない絆が存在するように感じた。いつか殺し屋に殺される運命であったとしても、妻が死んだ土地、妻が愛した土地で、妻と一緒になりたいという強い想いがジャスティンに感じられた(最後、銃から弾倉を抜くシーンなんかも彼の性格をよく表していると思う)。 また、妻が結婚前に暮らした家で泣き崩れるシーンにも惹かれた。感情をあまり表に出さない英国紳士のジャスティンが、強く感情を表に出したシーンである。 あのシーンで「どんなにテッサのことを愛していたのかジャスティン自身がはっきりと分かった」ということを描き→「彼のその後の行動の理由付け」に繋げていったということがはっきりと描かれていると思う。 そして、独特のカメラワークも臨場感があり必見である。あまり他の映画との比較はしたくはないけれども、中身は「シリアナ」よりも衝撃的であり、「ブロークバックマウンテン」並に深い愛情を感じる映画であり、「クラッシュ」並にも人種の問題を扱っている映画である。助演女優賞に選ばれたレイチェルワイズはどの辺りが素晴らしかったかはあまり分からないが、演技がナチュラルであり、内からくる激しい情熱を醸し出していたように思われる。彼女の演技もさることながら、やはりこの映画がよかったから作品の評価込みで彼女に賞が与えられたのではないか。
[映画館(字幕)] 9点(2006-05-15 01:34:32)(良:1票)
266.  リバティーン 《ネタバレ》 
あまりストーリーや演出に起伏がなく、かつ説明不足でもあるため、ぱっと見たところではロチェスターやその他の登場人物の内面があまり伝わってこなかった気がする。 しかし、断片的なセリフを繋いで、その意味を斟酌するとなんとなくロチェスターの姿が見えてこないだろうか。 自分には、ロチェスターという人物は、才能を有しながらも自分に自信が持てなく、かつ天邪鬼的な性格をもった弱い男の姿が映った。 王からも愛され、自分の正妻からも愛され、女優であるバリーからも愛されたけれども、自分に自信をもてないから、どの人に対しても正面から向き合えなく、酒や娼婦の女に逃げて溺れて、破滅していったのではないか。 だから王から頼まれた戯曲に対しても、王や世間から凡庸だと失望されるのが怖くて、せっかくの労作は燃やしてしまい、とんでもない作品を提供して、最初から逃げざるを得ない環境を作ったのではないかと思う。 それでも、最後の最後に王の窮地には、ぼろぼろの身体で参上し王の愛に対しては報いたけれども、王には「自分のためにやったまで」と言い放つ姿はやはり天邪鬼的な性格がみてとれる。 また、自分の正妻やバリーにも自分の本当の姿を見せて失望され嫌われたくないから、二人とも愛しているがゆえにどちらにも、こちらから嫌われるようなことをしていたように思われる。 バリーもロチェスターと同様な気質をもっており、好きだけれども自分の気持ちは明かさないという二人の最後のやり取りだったと感じた。 そんな風にロチェスターのことを見ていたら、冒頭とラストの「私のことを好きになるな」という言葉は、実は「私のことを好きになってほしい」という切なる思いが込められているのかもしれないとも感じた。
[映画館(字幕)] 6点(2006-05-06 04:11:08)(良:1票)
267.  RENT/レント 《ネタバレ》 
クリスコロンバス監督の作品は見たことないけど、子供向けの作品ばかりで特に見なくてもよいような映画ばかり撮っている人だなという印象しかなく、この人に関しては全く良い印象がなかった。 また、アメリカで大コケしたミュージカル作品ということで、全く期待はしていなかったのだが、予告編でみせたキレのある歌声の迫力に押されて、ミュージカル映画は映画館でしか見る価値がないだろうと思い映画館に赴いてみた。 結論からいえば、これはなかなか素晴らしい作品ではないだろうか。正直映画館で観れて良かったと言わざるを得ない貴重な作品。 ミュージカルについては詳しくはないけれども、この映画はミュージカルというよりもアメリカのミュージックビデオのノリに近いような印象を受けた。というのも、あまりにも場面や流れとはかけ離れた歌い続けるため、違和感を覚える人もいるだろう。 自分は子どもの頃からミュージックビデオに慣れ親しんでいたので、特に違和感なく入りこむことができたけれども、あまりミュージカルやアメリカの音楽に慣れ親しんでいない人や、ストーリー重視の人だと受け入れにくいのかもしれない。 音楽の洪水に酔いしれるだけではなく、意外と重苦しいテーマも良かったと思う。 大半がエイズ患者である本作の登場人物が、見い出せない未来を嘆くのではなく、その日その日、まさに「今日」という日の1分1分という「時」という炎を通常の人達よりも激しく燃やしている「熱さ」を感じる。その「熱さ」を分かち合える友情と愛情も見応えが十分だ。特にコリンズとえんじぇるの二人の表情を「エイズ患者」なんだという設定で注意深くみると泣けてくる位、明るい表情がとても印象的だった。 しかし、この映画は二点問題があると指摘したい。 1点目は100%私的なことだが「モーリーン」役の人の「声」が生理的に受け付けなかった。「声」が受けつけないものだから、キャラクター自体に嫌悪感を覚えてしまった。彼女の役が別の誰かだったらともっといい作品になったであろうと思う。 2点目はラストの「ミミ」の取り扱い。これをやられると、冒頭に触れた通りやはりクリスコロンバスは子供だましの映画しか撮れないのだなと思ってしまう。 以上のような問題もあり大コケした理由が分からなくもないが、このような作品は是非映画館で堪能して欲しいと思う。
[映画館(字幕)] 7点(2006-05-06 03:00:57)
268.  グッドナイト&グッドラック 《ネタバレ》 
この映画の主題である「赤狩り」は、エリアカザン監督のアカデミー賞名誉賞受賞の際にも問題(「赤狩り時代」に仲間を売ったとされ、表彰時にブーイングが浴びせられた)になったが、今なおハリウッドに影を落とす問題である。この映画を通して、その歴史の一端を学ぶことができる点では評価できるかもしれない。 しかし、確かに歴史的に非常に価値ある映像はみせてもらったとは思うが、どうにも物足りなさも覚えた。 この映画では「赤狩り」の首謀者であるマッカーシー上院議員を糾弾するという趣旨は全くないため、比較的客観的・中立的な立場から描かれていると思われる。 そのためか、いまいちエド・マローの内面やその葛藤、苦悩をうかがいしることができなかった。 また、この映画を通して、「表現の自由」とは、「報道の自由」とは、「思想の自由」とは、「国家による思想の弾圧に対するメディアの在り方や我々自身の対応」とは、など色々と考えられるテーマが散りばめられていると思うが、あまりそれらを考える手がかりにはならなかったと思う。 一言でいいあらわせば、映画をみたというより、歴史の勉強をしたというのが正直な感想であった。
[映画館(字幕)] 5点(2006-05-02 21:30:13)
269.  立喰師列伝
「攻殻」や「イノセンス」程度しか押井守について知らない人がこの映画を見ると、かなり面食らうのではないか。自分は正直言ってこの映画で言いたいことの1%も理解できなかったような気がする。 「イノセンス」程度にとどめておいていただければ、一般人にもなんとなく言わんとしていることが理解できようが、この映画はいささか常人をはるかにとび超えた作品になっていないだろうか。 この映画の中身とは全く関係ないが、ある事象を100の意味不明な言葉で語るよりも、1の正確な言葉で手短に語る方が人には伝わる気がするなあ、という映画とは関係ない変な感想を抱いた。 自分にとってはあまり評価できない映画であるが、この映画は押井監督以外には作れない映画であるし、他のどの監督でもみられない映像世界だと思う。そういう点においては驚嘆せざるを得ない。一般人レベルまで下げてもらえればあり難いかもしれないが、それではやはり押井的ではなくなってしまうのかもしれない。
[映画館(字幕)] 2点(2006-05-02 21:19:02)
270.  Vフォー・ヴェンデッタ 《ネタバレ》 
この映画をみて、「板垣死すとも自由は死せず」という言葉を思い出した。 奇抜な仮面やナイフアクションにも目を奪われるが、「自由」や「正義」について真正面から問いた、かなり骨太の作品。 アメリカを植民地化したり、イギリスが独裁国家になっていたりと、映画では大げさに描かれているかもしれないが、偏向的な情報操作などある意味ではあり得ない世界ではないかもしれない。 政治的メッセージの強さだけでなく、もちろんラストのアクションも見応えがあり、それだけでなく、ラブストーリー的な要素や、同性愛などの差別、メディアの在り方等も散りばめられた、かなり深い作品となっていると思う。 どういう社会であれ、その社会を創りあげた責任は個々人にあり(「誰がこんな社会にしたのかは鏡をみるべき」)、社会を変えるのも一人のヒーローの力ではなく、個々人の力によらなくてはならないという当然だけど力強いストレートなメッセージには単純に惹かれた。 また、「V」を具体的に描くのではなく、象徴的な存在として描かれているのもよい。「V」とは一人の男でも、無敵なヒーローではなく、社会を変えようと思うすべての人が「V」なのだから。
[映画館(字幕)] 9点(2006-04-24 02:02:12)(良:1票)
271.  プロデューサーズ(2005) 《ネタバレ》 
観終わった後、他の観客から拍手が溢れていたり(有楽町の日劇)、ここでも結構評判よくいいようですが、自分には全く面白さを感じられなかったな。 下ネタが嫌いなわけではないし、下らない笑いが嫌いなわけでもないけど、コメディ作品なのに全く笑えないし、最後が心が温まるようなものでもなかった。 笑えるシーンの唯一の例外としては、獄中にいるネイサンレインが「あの野郎!俺の過去まで奪いやがった」と怒るシーンくらいかな。 ミュージックシーンでも会計士のシーンくらいしか目新しい感じのはなかったし、楽しめた人には申し訳ないが、ただ単に騒々しいだけの映画でした。
[映画館(字幕)] 5点(2006-04-23 03:50:45)(良:1票)
272.  ムーラン・ルージュ(2001) 《ネタバレ》 
音楽のチカラは偉大だと感じた。 あまり馴染みのない古典的な音楽を用いることよりも、時代感を無視して馴染みのある音楽を用いた「挑戦」も大きなプラスに出たと考えてよいだろう。 さらにバズラーマン監督の独創性に溢れた映像美も素晴らしかった。 しかし、なぜかこの映画に対して緊張感が感じられなかった気がする。 本来ならば、①映画の中の劇中において、サティーンは公爵に指示されたようにラストでマハラジャを選ぶのか。それとも公爵を無視して貧乏なシダール弾き(実際のクリスチャン)を選ぶのか。 ②サティーンを巡るクリスチャンと公爵の激しいやり取り、嫉妬、憎しみ。 といった緊迫感を得られても良かったはずだ。 なぜ、このような緊迫感が得られなかったかというと、冒頭でほとんどが種明かしされているからではないだろうか。 冒頭においてクリスチャンは生きており、サティーンは死んでいるということが明かされてしまっては、あとはただ単に確認するだけのことになってしまう。 よく映画では、冒頭とラストがくっつくような手法が取れられているが、この映画においては、あのような冒頭は不要というか、蛇足に過ぎない。むしろ映画の良い部分を壊してしまってはいないか。 また、サティーンの「病」というのも、何らかの古典がベースになっているのかどうかは分からないが、あまりよろしくない要素の一つだ。「もう病が進行しており助かりようがない」と観客が分かっていれば、当然サティーンが死んでも観客は驚きはしない。あれでは悲しみも半減だろう。 この映画が「愛」について描きたいのならば、むしろサティーンはクリスチャンを公爵からかばって死んだとした方がよいのではないか。究極の「愛」とは自己を犠牲にしてでも相手を守ることではないか。 だからこそ、冒頭でクリスチャンが生きていることが分かっていれば、ラスト間際にクリスチャンに公爵の魔の手が差し向けられたとしても緊迫感がなく、また、サティーンの病死に対しても「愛」のために殉死したと思えないのではないか。病死では、貧しくても幸せという「愛」を選んだ二人に訪れた悲劇という共感を覚えない。
[DVD(字幕)] 7点(2006-04-09 20:01:51)(良:1票)
273.  ファンタスティック・フォー [超能力ユニット] 《ネタバレ》 
悪くはなかった。しかし、あまりにも無難な映画に仕上りすぎていて、全くと言っていいほど満足感を味わえない作品になっている。 アメコミであってもスパイダーマンやバットマンなど、歴史に名を残している作品がある中で、この映画には「野心」というか、「冒険心」のようなものが全く感じられない。 映画会社から、大ヒットしなくていいから、コケない映画を創ってほしいと頼まれれば、このような映画になるだろう。映画ファンのためではなく、映画会社のために映画を創ろうとすれば、このような味気ない作品になるのではないか。 とにかく、適当にバランスよく、アクション、笑い、ラブストーリー、友情、エロ、SF、次作への期待を適度に細切れにして混ぜこんで、過度な暴力的描写(銀行の役員に風穴を開けたくらいの例外あり)を避ければ、ファミリーも楽しめるだろうくらいの感覚でしかない。あとは既存のアメコミなどから演出を似せれば、この映画のでき上がりだろう。したがって、まるで新鮮味がない。 アクションや適度な笑いで楽しませることは必須であるが、色々と余計なことを考えてしまい行動にうつせない科学者(=現代の若者)や、人と違うことに対するコンプレックスに苦悩し自信がもてない主人公(=現代の若者)の内面の変化という面にもさらに描きこむことはしないと、そのうち子どもからも愛想つかされてしまうのではないか。
[DVD(字幕)] 5点(2006-04-09 19:56:04)
274.  セルラー 《ネタバレ》 
テンポは良く、確かに良作だとは思うけど、それほどはハマれなかったかなというのが正直な感想。(テンポがよく見えるのは、ただ単に主人公の要領が悪いだけなのかもしれない…。) この映画はDVDでチマチマ見るよりも大画面の劇場で見た方がいいかもしれない。 一点、個人的にもったいないかなと思うのが、ラストのオチ。 犯人が捕まった後に「(ビデオを壊しているために)証拠がないだろ」と主張しているのに対して、主人公が「携帯で既に録画済みだ」という反論をしていたと思うが、キムベイシンガー家族三人が生き証人としていたり、メイシー刑事もいるわけだし、動脈を切られて死んだり、メイシー刑事に捕まった悪徳警官がいる中では、携帯録画はあまり有効なオチとしては機能していない気がする。 むしろ、このネタは、ラスト間際で主人公が悪徳警官にギリギリまで追いつめられたときに用いると効果的なネタであって、全て事件が落着してから明かすネタではないと思う。 ビデオを壊され証拠もなくなり、あとは邪魔で目障りな主人公を殺すだけというときになり、無防備の主人公に銃口を向けた際に、実はもう一つ奥の手があったという流れの方がより効果的だろう。 なおかつ、データを既に複数の者に送信済みで、実は世間にはもう知れ渡っているという方がネット社会の便利さ・怖さに対してもさらりと触れることもできるのではないか。 後は逆上した犯人と乱入してきたメイシー刑事とが撃ち合いに入ってもらえればよい。 最後の着信音で相手の居場所を特定させるのはベタだけど、この題材を扱っていることを考えればよい結末だろう。あれには素直に好感を得た。
[DVD(字幕)] 7点(2006-04-09 19:45:44)
275.  ヒストリー・オブ・バイオレンス 《ネタバレ》 
クローネンバーグ監督作品はほとんど馴染みがなく、代表作の「デッドゾーン」もあまりピンと来なかったので、自分に合うかどうか不安だったが、アメリカでも評価が高かったと聞いており、噂に違わず素晴らしい映画だった。 原作もあるらしいけれども、そんな余計な知識は要らない。96分という短い時間に、無駄な部分を省いて、適度な重み、観客へのメッセージや問いかけを残して、ボールを観客に投げ込む。 そのボール(問いかけ)にどう想うかは観客に委ねられるというラストはまさにプロの業の一言。中途半端なラストが多い昨今の映画の中でこの映画はベストに締め括ったといえよう。 個人的に気に入ったセリフは「なんでも暴力で解決しようとするな」ヴィゴが息子に語ったセリフ。この一言がとてつもなく重い、心に響いた。 恐らくヴィゴは、暴力で解決することへの後悔や無意味さを知り、暴力では何も解決できないということを自分が重々知っているのであろう。 だからこそ、ヴィゴはジョーイからトムへと生まれ変わったのである。生まれ変わり、家族を持つ事で解決しようとしたヴィゴだからこそ、あの一言が重く感じる。 そのことをなんとしてでも息子に教えたかったのだろう。だからこそ、暴力の連鎖が起きたときの彼の表情や息子への接し方に複雑な心境が感じられる。あれは見事な演技だったと思う。 ラストでヴィゴは「どうすれば償えるのか」とウィリアムハートに問いかける。しかし、暴力以外で解決したくても、暴力でしか物事を収束できないというもどかしさ、虚しさを湖面でたたずむヴィゴに感じずにはいられない。 また、この映画では家族や妻の役割の重さも感じずにはいられない。自分の素性が妻にばれたときの階段での二人の行為には「自分を信じて欲しい」という無言でのヴィゴの問いかけと「どうすれば信じられるのか」というマリアベロの反論、それぞれに開いた心の傷を埋めようとする言葉よりも何よりも必要な行為ではなかったか。 そして、傷つきながらも家族の元へと帰るヴィゴに何も聞かずに、皿や肉を差し出す息子と娘の姿が温かい。「なんで結婚なんてしたんだ」「いい女なんていっぱいいるだろう」というハートの問いかけの答えのような気がしてならない。
[映画館(字幕)] 9点(2006-03-20 23:57:40)(良:3票)
276.  マンダレイ 《ネタバレ》 
個人的にはドッグヴィルの方が良かったかな。マンダレイはかなり真面目でかつ政治的色彩を帯びた映画になっている(途中まで「社会」「政治」「倫理」「保健体育」の授業を受けているような錯覚に陥る)。 差別的でありながらも何とか最悪な事態を避けるために独自の慣習で上手く共存してきたある地域を、正義と法の元に武力で制圧し、暮らしてきた者の意向を問わずに強引に民主化を進めていくことへの警鐘や批判を込めた作品。 民主化を推し進めた結果、事態は混沌としながらも、いい結果に向かうようにも思えたのだが…。やはりトリアーの描く「人間の本質」は残酷だ。民主主義はいいように捻じ曲げられ、人間の醜さや恐ろしさ、弱さが露呈されていく。 ドッグヴィルで経験した抑圧された想いを知るグレースは、今回マンダレイにおいて同様に抑圧されていると感じた黒人たちを解放しようとする動機は充分理解できる。今回の経験が三部作最後の「ワシントン」でどのように活かされるのか、活かされないのかもまた注目である。 グレース役はニコールキッドマンからブライスダラスハワードに変更になっている。体当たりで頑張っているが、やはりニコールの方が一枚も二枚も上かな。役柄と年齢のせいもあるかもしれないが、ニコールとは違い、なんというか「疲労感」「虚無感」が感じられない。そうはいってもセリフとかはなかなか上手い女優だとは思う。むしろ人間的にも肉体的にも「若さ」が感じられる今回のグレースはニコールよりも若いブライスの方がよかったのかもしれない。
[映画館(字幕)] 6点(2006-03-20 02:13:14)
277.  メルキアデス・エストラーダの3度の埋葬 《ネタバレ》 
深そうなテーマ(暴力や人種差別など)をちりばめつつも、なかなか本質が捉えにくい映画になっていると思う。 それにしても、宣伝文句の感動のラストというのはいかがなものかと思うが、なかなかシュールなラストになっているのには驚いた。 その辺にごろごろしている普通の観慣れた作品に飽きた人には勧められる一風変わった映画なのかもしれないけど、あまり一般の人には勧められない映画かな。 <以下ネタバレ>①バリーペッパーの役をもうちょい小悪役にした方が話がすんなり入るのではないかなと思う。メルキアデス殺した行為には殺意はなく単なる事故であり、嫁とショッピングを楽しむ余裕もないほど、追い詰められひどく罪悪感を感じている者に対して余りありすぎる報復ではないか。むしろ嫁との浮気を妬んで殺したとかの方が良かったのではないか。 ②ジョーンズとメルキアデスとの関係がフラッシュバックのように挿入されているが、二人の関係の強固さがイマイチ伺いしれないのではないか。なぜジョーンズが法を犯してまで、メルキアデスとの約束にこだわるのか、自分にはよく伝わってこなかった。ジョーンズの動機がわからないために感情移入ができるはずもない。もっとメルキアデスがどういう人間であるかを観客に知らせた方がよかったのではないか。 ③メルキアデスがなぜジョーンズにあのようなことを真面目に言ったのだろうか。自分が死んだら自分の身を故郷に戻してほしいという想いがあったのかもしれないが、生前の彼の真面目な行動とあの言葉がどうにも結びついてこない。 ④3度の埋葬というタイトルだが、それぞれに確かに意味があるのかもしれないが、タイトルになるほどのインパクトが1、2度にあったのだろうか。
[映画館(字幕)] 5点(2006-03-19 00:52:56)(良:2票)
278.  ブロークバック・マウンテン 《ネタバレ》 
正直言って面白い映画ではない。また、テーマがテーマなだけに自分の心にぴたっとくるまでには相当時間がかかる気がした。 しかし、なんというか無形のものを類まれな演出力(セリフや演技でカバーできない空気や雰囲気)によって映像化された凄さに驚かされたという気がする。そういう意味において、この映画に作品賞ではなく監督賞が与えられたことは正当なジャッジなのかもしれない。 思ったことは、この映画はゲイの映画というよりも、障害ゆえに愛を成就できない狂おしい気持ち、行き場のない想いといった普遍的な感情が痛々しいほどに描かれていると思う。 少ないセリフ、うつろな表情、耳に残る音楽、全体的な雰囲気で二人の長年に及ぶ関係や気持ちを伺い知ることができる。 そして、唯一、お互いの気持ちを確認でき、何の障害もない場があの澄み切ったブロークバックマウンテンとあのシャツだけだったのではないか。 気に入ったシーンの一つに、イニスが釣具入れを忘れそうになり奥さんが忘れ物をしているよと言うシーンがある。なんてこともないやり取りなんだけど、イニスは釣りに対しては全く興味のないことを表していると同時に、奥さんにとっては、これが釣りであって欲しいという想いと釣具入れに込めた奥さんの大切な気持ちが感じられる。お互いの気持ちのズレが感じれる短いながらもいいシーンだと思う。イニスの奥さんはイニスを愛しているがゆえにイニスと別れるしかなく、ジャックの奥さんはジャックを心から愛していない(父親への反抗ゆえに結婚したような)から、別れることもなく、彼の死の原因や理由も分からなかったのかもしれない。
[映画館(字幕)] 7点(2006-03-14 01:15:13)(良:2票)
279.  機動戦士ZガンダムIII 星の鼓動は愛 《ネタバレ》 
一言でいえば、こんなものはZでもなんでもない茶番だ。 鑑賞前から恐らくハッピィーエンドで終わるであろうとは思っていたが、単に強引にハッピィーエンドにしたところで、何も感じることもないものにして良いはずがない。 そもそもオリジナルラストでカミーユの精神が崩壊するのは、シロッコが死ぬ間際に「オマエの心も連れていく」と言ったからだけではない。あれは単なる引き金に過ぎない。カミーユは戦闘の中においても、「人は誰とでも分かり合えるのではないか」という想いを抱いて戦っていたが、レコア、サラ、ロザミアといった女性たちと最後まで分かり合えることなく、戦いを止めさせることができなく死なせてしまったという苦しみ。また、戦闘の最中にカツ、ヘンケン、エマという仲間が無残に死んでいく姿や、コロニーレーザー「グリプスⅡ」の圧倒的な力にニュータイプ一人の力では戦争を終わらせることができない無力感、そしてニュータイプは単なる人殺しでしかないのではないかという苛立ちなどが、たまりにたまってカミーユの精神を崩壊させたのである。宇宙空間でヘルメットのバイザーを上げたのも既に精神に変調を来しているからであって、「一瞬気絶してました」とかいう訳の分からない理由からではない。 それにしても創りが雑すぎる。ロザミアを描くことは時間的にできないにしても、最後のシロッコとの戦いにはでてくるのは問題だし、さもなければロザミアを描けないかわりに、レコアやサラとカミーユの関係はじっくり描くべきだろう。 そもそも結構劇中では出番があったのに、なぜレコアがエウーゴから離脱し捕虜ではなくティターンズに加わって戦っているのかが普通の人では感じ取れないだろう。オリジナルではクワトロが暴走したグワダンでの脱出の際に確かクワトロをかばってレコアは怪我をしたはずであり、その辺りでのクワトロとのやり取りを上手く利用すればよかったのではないか。なぜか普通に敵に撃たれていたのには理解が苦しむ。また、バスク大佐のドゴスギアを撃ち落としたのは、レコアのパラスアテネであってヤザンではない。あれではヤザンの立ち位置が余計ややこしくなる。 エウーゴとティターンズの間でキャスティングボートを握るアクシズを巡る三者の攻防に加えて、ティターンズ内のシロッコとジャミトフ+バスクの内紛も劇中ではごちゃごちゃさせただけで上手く描けなかったのも悲しいことだ。
[映画館(字幕)] 3点(2006-03-11 23:29:41)(良:3票)
280.  シリアナ 《ネタバレ》 
ジョージクルーニーのオスカー受賞に伴い、本作も注目を浴びるだろうが、本作に関しては是非鑑賞前に公式HPなどでストーリーや背景について事前に確認してほしい。ストーリーや登場人物などはいたってシンプルであるが、必要以上に細かく切り刻んだために物事の本質が何であるか、何を訴えたいのか、焦点がぼやけた演出となっているので、前広に情報を入手した方がよいだろう。 物事に対して批判しようとするとき、「ボウリングフォーコロンバイン」のように批判対象から完全に逆サイドに立って描くというやり方がある。一方、本作ではアメリカ、中東などの石油業界を取り巻く巨大な渦の中に人々が巻き込まれていく姿をかなり冷めた目で客観的に、かつ感情的にならないように描いている。しかし、「トラフィック」のようなアメリカでは身近な問題である「ドラッグ問題」ならばやや第三者的な描き方をして、鑑賞者に「どう思うか」を問いてもいいかもしれないが、石油問題に関しては身近に感じる人は少ないだろう。この身近ではない問題に対しては、第三者的ではなく、もっと踏み込んだ形で感情的に人々に問いた方がもっと説得力を増すと思う。この描き方では、あまり知らない一般人が映画を見たとしても、世界で最も恐ろしいタブーに震撼するというよりも、「へぇー、そうなんだ。」程度の感想しか持たないだろう。<以下ネタバレ>ジョージクルーニー演じるボブはテロとは無縁の中東の王子(アメリカ寄りから中国寄りにシフトしようとする)をテロの首謀者だからと殺害を命じられ、それに失敗し、あっさりとCIAから駒のように切り捨てられてしまう。真相を知った際の表情、ラストの行動にはそれなりに彼の感情を感じられるが、彼の長年信じてやってきたものが何だったのかという苦悩、悲哀は分かりにくい。合併話の調査を命じられたホリデイ弁護士はラストにはまさに羊を面を被った狼のような行動をするわけだが、彼の心情の変化と父親の関係も伝わりにくい。 アメリカから中国へシフトしようとしたナシール王子と、新米派の父親や弟の確執もあっさりとしすぎている。これらの確執の中で仕事を失い行き場をなくしたワシームをテロへと駆り立てた動機と神学校との関係もまた伝わりにくい。上手く描けばもっと面白くなる題材だと思うが、個人的には全く面白みを感じられる映画ではなかった。
[映画館(字幕)] 3点(2006-03-07 22:17:47)
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