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ボビーさんの口コミ一覧[この方をお気に入り登録する

プロフィール
コメント数 1016
性別 男性
ホームページ http://blog.livedoor.jp/gepper26/
年齢 37歳
自己紹介 いつまでもこどもでいたいから映画は感情で観る。その一方で、もうこどもではいられないから観終わったら映画を考える。その二分化された人間らしさがちゃんと伝わってくる映画が好き。

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21.  ディア・ドクター 《ネタバレ》 
伊野が偽ってまで医師になろうとした動機は定かになっていないが、想像する事はできます。一つは、年間2,000万円という大金目当て。そうとうお金に困っていたのかな?バックグラウンドはあまり描かれていませんが、お金が必要な家庭で育ったようには見えませんでした。この時点で、お金目的ではないことは理解できます。西川監督の演出上でも、そのような印象を受けない人物でした。ただただ伊野は村長に頭を下げられ、心が動いたのでしょう。さほど大きな理由もなく、ただ「やってみるか」くらいの気持ちだったのではないでしょうか。だから月日が経つにつれて、高齢化の進む村での命と隣り合わせの状況の辛さや、極端なまでの期待、絶対の信頼を向けられる重圧、プレッシャーなどが募りに募り、潰れそうになっていたのではないでしょうか。命の重み、老人の苦しむ姿、家族の温もり、それらすべてが鉛のような罪悪感となり、伊野の背中に伸しかかり、逃げ出すしか術がなくなっていたのではないでしょうか。ラストのドキュメンタリータッチの描写は伊野を否定しているが、僕には肯定に見えて仕方ありませんでした。
[映画館(邦画)] 8点(2009-09-11 16:20:07)
22.  ウォーリー 《ネタバレ》 
やっと戻ってきたような気がします、本来のピクサー作品。人の世界の脇役を主役に持ってくるピクサー本来の作品作りの本領が存分に生かされている素晴らしい作品だと思います。時代設定をこれまでにない、遠い未来に持ってきたことで初めて成立するストーリーテリングで、全てに置いて“巧い”という感想を抱きました。人もロボットもみな同じ、生きる目的がないと生きていけないものです。ウォーリーがひたすらゴミを集め続けたのは、本来の“掃除”ではなく、“宝物探し”が目的なのではないかと思いました。彼は宝物の何かを700年間探し続けた末に、イヴと出会うことができました。ウォーリーとイヴの喜怒哀楽や恋など、あるはずのない彼らの感情に入り込むことができる物語作りに感動しました。人間という存在は脇役に、主軸はどこまでいってもこの作品ではロボットです。プログラムされた目的よりも大切なことに気づいていく、その姿に涙涙。ロボットだからこそ持つ感情。葛藤。そこにはすごく当たり前だけど、見落しがちな大切な思いがたくさん詰め込まれていました。人間の醜い姿にリアルを感じ、ロボットたちもいつの間にかリアルへ。ラストの地球へ向かわせ方と、終わらせ方が見事です。
[映画館(字幕)] 9点(2008-12-31 09:51:43)(良:1票)
23.  ライフ・イズ・ミラクル 《ネタバレ》 
絶望的な状況と希望に溢れた関係が同じ空間内に存在しており、その相反する状況がとてもコミカルで口元がニヤニヤしてしまった。ルカの切迫した感情が、アバーハによって次第に解きほぐされ、癒され、そして家族がどうでも良くなっていく様が素敵だった。また、二人が愛し合う姿は生きることそのもののように見え、それは戦火が激しくなればなるほど二人の想いも燃えていき、活き活きと輝いていくように見えた。“死”と“生”は常に表裏一体で、その状態がまさに画面の中にしっかりと描かれていた。エミール・クストリッツァ監督の作品を観ていると、そのことを常に意識して作品を描いているように思えてくる。生きることが恋をすることで、恋をすることは生きること?なのかな?まぁ、それはさて置いても、ロバとルナが失恋で死にたいと思うのは、つまり生きる希望を見失ったからだと思った。アバーハの魅力には、脳天打ち抜かれたように頭がクラクラした。笑顔も顔をクシャクシャにして泣きながらルナの名を呼ぶ姿も、ルナの服を口に銜えて走る姿も、上目使いも、全部可愛い。それを観ただけで満たされ、癒される。動物たちのように、無邪気で無知で愛くるしく、純粋無垢で自由奔放で抱きしめたくなる。クストリッツァ監督の女性の趣味があまりにも素晴らしい!
[DVD(字幕)] 9点(2008-08-30 22:43:56)
24.  西瓜 《ネタバレ》 
水不足の台湾。パリから帰国したばかりなのに、水を集めまくる不可思議な魅力を持つ女、シャンチーと、そんな彼女を抱きたいと強く思っているAV男優のシャオカン。同じマンションで、シャンチーに自分がAV男優であることを気付かれないために必死になるシャオカンの姿が、なんとも素朴で健気で、嫌われたくないと思うその繊細な感情が素敵だった。シャンチーもシャンチーで妙にピュアで、どっかちょっとネジが外れているみたいで可愛らしく、とにかくもう無茶苦茶魅力的だった。シャンチーもシャオカンも純粋で、近づきそうなのに中々近づけない姿に胸がキュンキュンした。そんな二人がラストシーンで繋がる。心も身体も一瞬にして。互いに求めていて、それでも純粋すぎて近づけなかった二人が、AVの撮影という状況の中で、本能的に近付いていく。爆睡しているAV女優に挿入したまま、小窓から顔を覗かせているシャンチーを見つめるシャオカン。シャンチーの喘ぐ声とその表情を見て、シャオカンは燃える。まるで二人が繋がっているように見える。そこにいるのは二人だけのように思えてくる。どうとも取れるラスト。ブワッと広がった想像の可能性の渦に僕は酔い痴れました。素晴らしい。
[DVD(字幕)] 9点(2008-08-23 13:59:16)
25.  画家と庭師とカンパーニュ 《ネタバレ》 
前作「ピエロの赤い鼻」よりも断然、台詞の掛け合い具合や人物たちの動きが素晴らしくなっており、スクリーンを観ているただそれだけですごく楽しめた。幼い頃仲の良かった二人が久しぶりに出会い、余白の部分を埋めあうように様々な会話にふける。青々と美しい緑、クシャクシャで愛くるしいバカ犬、日向に横たわる美女、吊り上げた大きな魚。それらの飾らない美しさと、庭師、ジェルダンの振る舞いが同じように飾っておらず、あるがままの幸せや喜びをしっかりと噛み締めているようだった。そんなジェルダンや自然に影響を受け、次第に魅力的に変化していく画家のキャンバスを好きにならずにはいられない。優しくて暖かい物語。テンポが良くて、尺も短く、ラストシーンまでじっと集中して観続けることができた。終始、コミカルな空気で包まれているため、どんなに悲しみの結末を予感できたとしても笑顔で見届けることができた。今後の、ジャン・ベッケル監督にも期待が持てる。
[映画館(字幕)] 8点(2008-08-23 13:34:39)(良:1票)
26.  きみの友だち 《ネタバレ》 
全編を通して驚くほどベタのオンパレードですけど、それでも観れてしまうのは、それが何より共感しやすい物事だからだと思います。しかし、あまりにも真ん中にある二人の女の子だけの話だけだと流石に萎えてしまいます。それを回避するためにある種のオムニバスのような構成になっていたのだと思いました。天井の画とか卑劣なほどベタですが、憎めないです…素敵だから…色々と想像できてしまうから… この作品で問いたいのは、「友」とは?だったと思います。本当の友情を求める少女、片思いのような友情に縋りつく少年、あまりにも不器用すぎて友情を築けない少年。それぞれ抱える想いがどっかで真ん中の物語に重なってくる。それは自分の記憶にも触れてくるから涙が出てきて厄介でした。良いお話過ぎて、ちょっと鼻に付きますが、それでも貶し切れない素敵な作品です。
[映画館(邦画)] 7点(2008-08-21 18:59:04)(良:1票)
27.  ぐるりのこと。 《ネタバレ》 
映画は救いだと、ある監督が言いました。この作品はまさに救いであり、希望だと思います。何事にも真面目に取り組む頑張り屋の翔子とだらしなく見える法廷画家のカナオ。皆そうなんだろうけど、頑張りすぎるとネジが外れて、崩れてしまいます。苦しいときに苦しいと言えず、悲しいときに悲しいと言えない、そのあまりにも急過ぎる時間の流れの中で、翔子はまるで溺れないようにもがいているように見えました。そんな疲労や苦痛が積もりに積もってしまった翔子は、崩れてしまったのだと思いました。だけど、そんな中でも、翔子のそばにいたカナオはどんな時も目を逸らさず、逃げず、抱きしめ、受け入れようとしているように見えました。現代社会には、人それぞれ異なった人生を歩み、それぞれの事情を背負っているのが当たり前なのに、その抱えているものも見ようともせずに頭ごなしに否定する人々や結果だけ見て、全てを判断してしまう人々、そして生きることは答え合わせではないはずなのに、間違いを恐れ、思い込みに捕らわれ、頭でっかちで凝り固まった考えしかできない人々など、それはもうたくさんの人がいます。それらの常識と呼ばれる凝り固まった考えに橋口監督は「二十才の微熱」の頃から疑問符を投げかけ続けているように思います。その橋口監督の考え方は、簡単に言えば他者への感心や尊重だと思います。ラストのカナオの台詞にも「人、人、人」とありますが、社会は人の集まりなのでそこから逃れることも目を逸らすこともできないのですが、それでも社会は他者への興味、関心、尊重が薄く感じられます。そんな世界で、橋口監督が描いたカナオという人物の、まわりの人間に関心と尊重をしっかり持つ姿勢にはすごく感動しました。法廷であろうと、妻に対してであろうと、ご近所さんであろうと、道を歩くあかの他人にであろうと、彼は関心を持ち、他人を尊重していたように思います。それは理想でしかないのかもしれませんが、僕はあのカナオの姿を目指したいと思えました。
[映画館(邦画)] 9点(2008-08-13 19:12:47)(良:3票)
28.  純喫茶磯辺 《ネタバレ》 
この作品は、はっきり言って吉田監督の前作「机のなかみ」ほど“何か”がある作品ではありません。「机のなかみ」には痛みがあります。青春の痛みです。誰もが少なからず経験する痛みを鑑賞中はしっかり共感し、共有し、主人公の少女に自分をダブらせ観る事ができます。でも、今作はそれが難しいです。 一貫してあるのは、ギャグというか、「机のなかみ」でもありましたが、吉田監督がやりたいことをやっているというのはわかります。例えば、主演の仲里依紗さんに不細工なイビキをかかせたり、宮迫さんに輪ゴムをぶつけたり、麻生さんが片足素足だったり、コスプレであったり、まぁ、とにかく女の人を好き勝手に扱いたいのだと思います。ある種の理想を描いているのでしょう。ですが、この作品ではそれがあまり上手くいっていないと思います。「机のなかみ」ではラストに向かうに連れて怒涛の理想像が爆発しています。可愛い女子高生が(大量の鼻血&オケツ丸出し→可愛らしく抱きしめたくなるような号泣→豪快に、爽快にホームラン!)という流れです。理想(あるいは妄想?)がちゃんと連なって感情を乗っけています。でも、この作品ではそういった連結した感情のシーンがありませんでした。麻生さんはその存在だけで魅力的だけど、問題は娘を演じた仲里依紗さんです。彼女の人物像だけが妙にキチッとしすぎていて、あまり奥行きがないというか、とにかく面白くないのです。イビキや自分の足の臭いを気にして引っ繰り返ったり、危うく盗撮されかけたりするのはいいんですが、もっと感情で連なっていて、尚且つ面白くて魅了的であって欲しかったのです。ナレーションとか微妙な回想とか使うのではなく、「机のなかみ」のように強引でもいいので引っ張っていて欲しかったです。結局、面白みも魅力もないので、彼女が父と仲良くなるってだけの話で終わっているので、「机のなかみ」の少女ほど面白くも魅力的にも感じれなかったのだと思います。期待してしまっただけに残念です。次作の女性に期待致します。
[映画館(邦画)] 6点(2008-08-13 18:10:33)(良:1票)
29.  百万円と苦虫女 《ネタバレ》 
この作品はとにかく蒼井優さんが素晴らしい。 彼女が町や村を転々とするのは、彼女が寂しがり屋で臆病で、弱い人間だから。人と関わるという事は、とにかく面倒なことで、迷惑をかけたり足を引っ張られたりするものだと思う。それは社会で生きるなら逃れられないことで、それから100パーセント逃れようとするのなら、社会の存在しない無人島に行くか、生きることをやめるしかない。だけど、彼女がそこまでしなかったのは、生きていたいからで、誰かとどこかで繋がっていたから。彼女は逃げて逃げて、でも最後は逃げたのではなく、別れたのだと思う。物語はある種のオムニバスのように、目的を果たすたびに住む町を変え、そこで出会った人との繋がりが、彼女を少しずつ変化させたのだと思った。 恋に落ちた瞬間も、弟への申し訳なさも、愛した人と別れる瞬間の力強い表情も、全てが変化の着地点に見え、その全てのカットが記憶に鮮明に残っている。 でも、彼女の弱さや脆さは誰しも心の奥に持っているものだから、彼女の心の小さな小さな起伏をしっかり掴むことができたのだと思う。そして、それが掴むことが出来たのは、蒼井優さんの演技が素晴らしいからであり、それを搾り出すように引き出すことに成功したタナダユキ監督の演出あってだと思った。
[映画館(邦画)] 8点(2008-08-09 22:43:35)
30.  幸福の鐘 《ネタバレ》 
男に家庭がある事を裏にしているから、こいつが一体どこに何の目的を持っているのかわからず、それが明かされるのを期待して観ていましたが、最後はあれですか…じゃあ、なんでそれまで無言なのですか?あれじゃ人間に見えないですよ。無言でい続ける動機、理由がさっぱりわかりません。あれだけ温厚で饒舌な男がなぜ、無言?意味がわかりません。実験的な感じでやってみたかったんだろうなということはわかります。でも、それが何?しゃべらなければいいと?演技は、映画は台詞じゃないといいたいのですかね?それをこういう形で表現するのはいいですよ。でも、それなら最後まで貫いてくださいよ。どんな方法だろうといいですから、この方法では人間に見えません。男の全体を通した動機が理解できないままでした。
[DVD(邦画)] 4点(2008-06-29 18:31:46)
31.  エクステ
映画そのものの恐怖よりも、世界のどこで切り取られ、集められたものかも分からない髪の毛をエクステとして付けている事の恐怖を強く感じました。世界中で、髪を切り取られるだけでなく、内臓や目玉まで奪われるような事が日常的に行われていることを想像すると、世界が狂っていることを実感します。園子温監督は、緊張感を持ってほしいのでしょうか?それとも恐怖感?日常の直ぐ隣にあるような社会問題に目を向け、そこから物語を膨らまし、発想していく監督のやり方はとても素晴らしいと思います。髪の毛そのものが商品になり、それを笑顔で取り扱う全ての人間の欲望を消し去ろうとするのは、髪の毛。女性の美の象徴であったりする髪の毛が、悲しみや苦しみで染まり、それを知らない、あるいは知ろうとしない日本への叫びに鳴らない苦しみのようなものを強く感じました。素晴らしい社会派作品だと思います。ただ、エグいシーンはやっぱり苦手です…
[DVD(邦画)] 7点(2008-06-29 17:59:25)(良:2票)
32.  ぼくの大切なともだち
やろうとしている事がとても興味深くて、そそられて足を運びましたが、やはりお国柄というのでしょうか?フランスの人々は綺麗で格好いいんですが、上手く理解できないことが多々ありました。あの人たちの性格に対し、「へぇ、そうんだ」というふうに知識的には刺激がありましたが、あの登場人物達の言動含めた動機や感情全てをすんなり「はい、そうですか」と受け入れることができませんでした。やっている事自体は面白いと思ったんですが、根本的な部分は同じでもやはり国によって違ってくる感覚、思想的な部分でつまづいてしまいました。
[試写会(字幕)] 6点(2008-06-27 00:42:38)
33.  蛇イチゴ 《ネタバレ》 
この作品から最も強く感じられることは「正しさ」とはなんだ?という想いでした。正解のない世の中で、何が間違ってるかもわからなくなります。そんな想いが最も伝わるのは、主人公の教師をやっている妹の感情でした。彼女は序盤で、マスダ君という少年の母親が実際に病気であるかも確かめずに、自分の意志や考えを信じ切っているからなのか、自分なりの答えを押しつけてしまいます。物事には、どんなことでも多面性があり、「これはこうだ!」なんて一方の事実から得た情報で決めつけることはあまりにも危険なことだと思っています。だからそれをしていた彼女の真面目さというか、正しさを追い求める姿がどうなっていくんだろうというのが最も興味深い作品でした。自分の家族や仕事、そして自分自身を信じていた彼女は、その全てが離れていき、そして自信を失っていきます。自分は「正しい」と信じたい彼女の思いがよく伝わってきます。だから、終盤で兄を裏切る走るカットと電話のシーンが痛々しく感じられたんだと思います。その後の鼻歌が力強かったのも理解できました。そして、ラストシーンで蛇イチゴが食卓の上に置いてあるそれを見た彼女の失意の表情。親に裏切られても、婚約者に裏切られてもへたり込みはしなかった彼女がへたり込むという事は、自分自身に裏切られた、あるいは自分自身への信頼の喪失を描いていたのかも知れません。自分自身を見失うことはそれこそ、生きた屍だと思います。巧いなぁ~と思いましたが、できればその失意から這い上がってくるところの方が見たかったです。「ゆれる」ではそれが描かれていたように思うので、個人的には「ゆれる」の方が面白かったです。
[DVD(邦画)] 7点(2008-06-27 00:05:33)(良:2票)
34.  自殺サークル
年間の自殺者数は約32000人。一日約、87人の方が自らの命を絶っている。人知れず、約15分に一人のペースで今この瞬間も日本のどこかで、見知らぬ誰かが自分を殺している。作中で無垢な子どもが言っていたが、「自殺クラブ」なんて存在していないのに、毎日それだけの人たちが死んでいく。「ここがプラットホーム」という言葉の通り、日本中のいたるところがプラットホームのように、次々と身を投げ出して命を絶っていく。同時に54人の高校生がプラットホームから身を投げれば、あれだけ話題にもなるが、一人一人が別々の場所で身を投げても話題に上がることがない。また、自殺は法律で罰することができない。結局、誰にも止めることは出来ない。するのもやめるのも、自分の判断でしかない。だから、あなたはあなたの関係者ですか?や、勝手にしろという台詞が重く胸に圧し掛かってくる。ぼくはこの問題を覆う、多くの物事に無関心だった。園子温監督の想いがヒシヒシと鑑賞後に伝わってきました。やはり、映画は鑑賞後にしかないのだと改めて学ばせていただいたように思います。
[DVD(邦画)] 8点(2008-06-24 19:20:15)(良:4票)
35.  靖国 YASUKUNI
右側の女性国会議員さんの発言によって、映画を始めとする表現者たちの表現が奪われようとしている今日。まだ解決していないこの問題。非常に重要な問題だと思う。でも、作品の評価とそれはまったく別問題。この作品はドキュメンタリーであり、それは真実を描きながらも、監督の思想が100時間に渡る画の中から厳選し、構成された約二時間に納まって、詰まっていなければならないと思う。複雑に絡み合う人々と、国とその歴史。それはわかった。しっかり説明されてあったから、まったく知らなかったぼくにとっては非常にためになった。でも、この作品の監督の思想は中途半端だと思う。南京大虐殺はなかったといいたいのか?それぞれに思いはあるといいたいのか?なんだかあやふやでどこを掴めばいいのかわからない。ぼくはこの作品はドキュメンタリーとしてあまりにもお粗末なものだと思う。
[映画館(邦画)] 5点(2008-06-05 18:03:24)
36.  アフタースクール 《ネタバレ》 
観終わった後、気分は良かったです。楽しかったな、という感覚ははっきりとありました。でも、映画として、あるいは映画監督として、この作品が持つ存在意義や、監督が観ている側に何を伝えたかったのか、などの思想的な部分がいくら考えてもわかりませんでした。なんとなく、脚本の構成に誤魔化され、そこに圧倒された結果、それが面白かったという錯覚をもたらしているような気がしてなりません。しかし、ぼくが投稿するまでの方々が述べられている文章を読むと、そういったエンターテイメント性があれば映画は成立するのかも知れないとも思えるので、もうわけがわかりません。でも、ぼくはやはりこれは違うような気がします。映画が見せるのは、出来事の面白さではなく、人間の感情がもたらす出来事や事件によって、変わっていく人間の感情だと信じています。その変わりようを観て感情移入し、その先にある鑑賞後で、登場人物がこれからどうなっていくのか想像できることが余韻なんだと思います。それこそ、映画の醍醐味なんじゃないのかと思います。それが感じられなかったこの作品。最終的に台詞だけで感情を説教臭く説明されても、それは右から左へです。見せて欲しいのは、変わっていくその人間の姿。観客の思い込みを付いた同じやり口のM・N・シャマラン監督「シックス・センス」では人間の感情の変化が観れるから素晴らしいのです。この作品で人間を観た気にはなれません。だから、鑑賞後そろそろ一週間が経とうとしていますが、もう既にどういうストーリーで、どういう想いを抱えた人があの作品にいたのか思い出せなくなっています。きっと一年経ったら、この作品の存在すら忘れていると思います。それでいいのでしょうか?そんな流行の媒体のようなその場限りの存在で映画はあっていいのでしょうか?ぼくはそうあって欲しくないです。
[映画館(邦画)] 5点(2008-06-04 19:03:22)(良:1票)
37.  長い散歩 《ネタバレ》 
近代、社会問題として浮上し、世間一般にその存在が知れ渡り始めた児童虐待ですが、日本での児童虐待への解釈が「子どもは親が育てるもの」という意識と、子どもが親の「所有物」という二つの意識が社会通念として根強いため、この作品のような児童虐待が家庭の問題として、安易に処理される傾向が今現在もあるようです。この作品に描かれている児童虐待は、「児童虐待の防止等に関する法律」における定義の身体的虐待・ネグレクト・心理的虐待・性的虐待に挙げられている例、全てに該当する虐待が描かれていました。それらを描くことがどれだけ辛く苦しい作業だったか想像するだけで、気がどんよりと重くなります。ですが、監督がそれらを描くことでしか表現できないと信じたその想いもしっかり伝わりました。また、作品に登場する主要な人物たちにはそれぞれ事情があり、虐待されている少女の悲惨な状況と少女を虐待し続ける母親の虐待に至った動機、そしてその家庭の隣に越してきた主人公が背中に抱え続けているトラウマ的な家族への後悔とそれから逃げようとしている現状。全ての登場人物たちが逃れようにも逃れられない現実と向かい合っているのがしっかり描かれていました。そんな、個々の事情を描き、一方的かつ断定的な否定をしないところに、監督の人間に対する愛情の深さと、他者への尊重と想像を忘れない姿勢を感じることが出来ました。虐待をしている事実があるのにも拘らず、親権を盾にされてしまえば正しき行いをしている主人公が誘拐犯という犯罪者にされてしまうその描写に、現代社会が抱える問題を考えさせられました。それが作中でも描かれており、ラストシーンで主人公に救いがないのは、現代社会がそういう仕組みになっているという現実を描いていたのだと思い、それを描いた監督の社会への憤りを感じ取ることができました。PTSDになってしまった悲しき少女と、家族への償いの意識を抱え続けている主人公は目的地に向かって逃亡します。その過程で存在する我慢と愛情の姿勢に、児童虐待の解決策、あるいは子育てに最も必要な意識を垣間見たような気がします。この問題に関しての知識と考えるきっかけを与えてくださった監督に心から感謝したいと思います。
[DVD(邦画)] 9点(2008-06-02 01:56:31)
38.  善き人のためのソナタ 《ネタバレ》 
超国家主義のもとで、国粋に徹していたシュタージのヴィースラーは、孤独だった。仕事場は光の届かぬ暗い部屋で一人。仕事が終われば待っているのは、誰もいない夜の部屋。彼の人生はあまりにも寂しく冷たいものだった。人は、立場によって善悪の見方は変わる。ヴィースラーが正義と信じた世界は、あまりにも冷たい世界だったが、ヴィースラーはそれを当たり前と信じて疑わなかった。だが彼は、明るく透明な太陽の光が差し込む、暖かなゲオルクとクリスタの部屋に温もりを感じてしまった。儚く消え入りそうな不自由の中の情熱的な自由。一曲のソナタ。彼の心にジワジワと今まで感じたことのなかった温もりが、全身に広がっていく。自分の意思とは反比例するように、身体はその温もりを欲していた。失うことを恐れていた。だから彼は守ったのだと思う。だから彼は見失ったのだと思う。彼は、それを行っていた間、幸せだったのだろうか?ぼくにはそれはわからなかった。だけど、彼が最後に手にした一冊には確かに温もりがあった。間違いなくあの一冊は、彼の人生に幸せを刻んだに違いない。孤独な彼を救ったのは、他人の人生の温もり。彼はあの後、どうなったのだろう?それが気がかりだけど、そんな心配は無用なのかもしれない。ラストに彼が言ったあの台詞。あれが全てのような気もする。 (蛇足ではありますが)演出、ライティング、カメラは本当に素晴らしかった。特に、ソナタを演奏する場面のシーンバック。孤独と二人、抜けの画の暗闇と、対称的に明るい照明、無機質な盗聴器を入れ込んだ画とピアノを入れ込んだ画。全てが似ているサイズで撮られているが、そこに映っているもののあまりの違いに芸術を感じました。
[DVD(字幕)] 9点(2008-05-31 19:12:14)(良:3票)
39.  ゼア・ウィル・ビー・ブラッド 《ネタバレ》 
19世紀の末から20世紀初頭に掛けての石油発掘ブームが齎す富によって、狂人と化していく一人の人間がこの作品には描かれていました。映画の基本は、とにかく人間を描くことであり、それはたとえ狂人と化していく人間であったとしても感情移入できなければ観客は置き去りにされ、そうなってしまえば後は出来事を眺めているしか出来なくなるので、そういった意味で、この作品に描かれている狂人の感情は上手く描かれていると思いました。富と権力を手にしていく主人公は、自分が大好きなのでしょう。それは僕も同じです。なによりわが身が大切です。しかし、この主人公は表面では他人を気遣いながら、隠れた人間の本性ともいえる部分で自らの欲望を妨害しようとするものを次々蹴落としていきます。その姿は、人間の真実の姿を写しているかのようで恐ろしくもあり、また感情移入し、彼の行動とその動機を理解できている自分さえ恐ろしく感じました。ある意味、その行動が理解できているうちは、彼は狂人ではなかったのかもしれません。それはぼくのフィルターを通した上での判断ですが、きっとこの作品に触れ、ぼくと同じように主人公に感情移入できた方も同じような意見だと信じたいです。また、あそこまで自分本位になれる姿は、人間の深層心理にある欲望を描いていたように思います。ぼくもできることなら彼のように自分本位な人間になりたいですが、それを抑えるのもまた人間の理性であり、彼のあの姿は人間の理性を切り取った、人間の欲の部分だったのだと思います。それはラストで彼が発する「終わった」という台詞に集約されており、自分の欲望を邪魔する者がいなくなったことを意味していたように思います。つまり、人間は理性を失えば、みな、あの主人公と同じような狂人になりかねないことを描いていたのだと推測します。あの姿こそ、人間の執着地点。人間からそうでない存在になる瞬間だと思います。あれは彼の人生の目的の終わりであると同時に、人間の終わりを意味しているように感じました。人間は誰もが彼と同じようになる可能性を秘めており、この作品はそんな人間の恐ろしい可能性を描いた社会派作品だと思いました。
[映画館(字幕)] 8点(2008-05-29 19:43:22)
40.  ミスト 《ネタバレ》 
久し振りにハリウッドの作品を映画館で観ましたが、やはりハリウッドの迫力は凄いですね。よかったです。この手の作品はどうしても超常現象などのCGを駆使した点に目が行きがちになってしまいますが、監督が描きたいのは、CGなどを使うことで極端化された人々の感情なのだと思います。「グリーンマイル」でもそうでしたが、ダラボン監督が描きたかったのは結局“人間の愚かさ”ではないかと思います。自らの想いばかりを優先してしまう、死と隣り合わせの状況下で、見えなくなってしまう他者の思い。それこそ一寸先は霧のようなものであり、人の愚かな心が霧を作るのだと思わされました。そして霧が晴れたときになってようやく気付き、後悔し、嘆き悲しむ。どの登場人物も自分、あるいは自分の身近な存在(大切な存在)だけのことしか考えられない。無関心であり、他人事だと割り切ってしまう。それがどれだけ愚かなことか思い知らされるラストになっています。この作品は、世界中が陥っている他者への無関心さに警鐘を鳴らしているのだと思いました。
[映画館(字幕)] 8点(2008-05-20 04:40:05)
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