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六本木ソルジャーさんの口コミ一覧[この方をお気に入り登録する

プロフィール
コメント数 823
性別 男性

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【製作年 : 2000年代 抽出】 >> 製作年レビュー統計
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421.  インクレディブル・ハルク(2008) 《ネタバレ》 
アン・リー版から方向転換を図り、アクション重視にすることについては、戦略的に全く問題がないと思う。 「ハルク」になったプロセスをものの数分で描いたのは、アン・リー版の反省がみてとれる。 ただ、これではあまりにもストーリーをないがしろにしすぎではないか。 本作は「軍隊に追われていた男と、暴走した一人の軍人が、化け物に変身して戦う」というストーリー以外に何もない。 本当に、ノートンがリライトしたのかというほど、つまらない脚本となっている。 彼が手を加えたのならば、ひょっとして間違った方向に手を加えたのではないか。 アクションなのだから、深いストーリーは要らないのかもしれないが、肝心のアクション自体も画面に釘付けになるほど立派なものではなく、全く楽しむことができなかった。 「ボーン」シリーズ、「キングコング」辺りのネタを拝借しているようにも感じられ、つまらないと言われるアン・リー版の方がむしろ個性を感じられる。 アン・リー版のジャンプ時の浮遊感は必見だ。 肝心の化け物同士の戦いも、一方が圧倒的に優勢だったのに、訳の分からない地味な必殺技一発で形勢逆転するというつまらない描き方には呆れた。 逆転の仕方や、必殺技など、バトルシーンにもうちょっと工夫があってもいいだろう。 また、ノートン、タイラー、ティム・ロスといった役者の個性も全く活かすことができておらず、誰に対しても共感できるものではなかった。 三人のそれぞれの感情が、あまりにも伝わってこないのは評価できないポイントだ。 本作の唯一の見所は、「ハルクが中和されて素の人間になりかけた」というシーンではないか。 その見所をヘリコプターから飛び降りただけで終了というのはあまりにもヒネリがなさ過ぎる。 「ハルク」は怒れるオトコなのだから、もっと“怒り”に着目して欲しい。 いったんは中和されて、心拍数200を超えても変身しないが、彼の怒りが頂点に達したときに再び緑色の化け物になるというのが当然のスジではないか。 そのために、タイラーという存在がいるのだろう。 彼女が殺される(変身できない彼をかばって死ぬのが悪くない描き方)、もしくは彼女の身に危険が迫ったときに、怒りで我慢できなくなって再び変身するという描き方はできないものか。 重厚感がなく、何もかも薄っぺらく感じてしまった。
[映画館(字幕)] 4点(2008-08-16 13:58:08)(良:2票)
422.  カンフー・パンダ 《ネタバレ》 
画像だけ眺めていれば、それなりに楽しむことはできる。ただ「CGスゲエな」「パンダ強いな」「○○カッコいいな」「○○カワイイ」程度の感想しか持ち得なかった。 子ども向け作品とはいえ、もうちょっと味付けが必要ではないか。 あまりにも薄味すぎて、物足りなさを覚えた。 シーフー老子とポーの関係と、シーフー老子とタイ・ランの関係をもうちょっと対比させてもよかったかもしれない。 自分の弟子でもあったタイ・ランを信じ切れなかったので彼を悪の道に走らせてしまったが、ポーを信じ抜くことができたので、ポーも変わることができ、自分も変われたという落としどころのようなものが必要だったかと思われる。 シーフー老子とタイ・ランの関係は、甘やかして育てる現在の家庭のようなものにも通じる。 甘やかすのが本当の愛情ではなくて、自分を信じてもらい、厳しくされることが本当の愛情のようなメッセージを込めると、本作を見た子どもと親にとって何か得られるものがあったのではないか。 子ども達の可能性のようなものを信じることができるというメッセージを込めれば、本作は傑作になりえたかもしれない。 シーフー老子は、弟子を信じるというよりも、自分の師匠であるウーグ・ウェイ導師のことしか信じていないような気がするのが引っかかった。 また、「特別なことは必要ない」というメッセージも上手くは落ちていないのではないか。 「強くなること」「おいしい料理をつくること」どちらにも早道や抜け道はない。 現在の子ども達に送るメッセージとしては、「スポーツが上手くなること」「アタマが良くなること」のようなものに通じるだろう。 何事にも特効薬や魔法の力のようなものはなく、地道な努力が必要ということになる。 そう考えると、ポーが「特別なことは必要ない」と気付くのはもうちょっと早い段階でもよかった気がする。 タイ・ランもマスターファイブももともと強かったわけではないのだから、現在は雲の上のような存在であっても、自分が努力すれば彼らに近づけるはずというメッセージに繋がるはずだ。 今がどんなにダメであっても、諦めなければ雲の上の存在にも一泡吹かせることができる。そのためには、血と汗が滲むような訓練が必要ということになり、訓練の意義が活きてくる。 強くなるための近道は訓練や努力以外ないのだから。
[映画館(字幕)] 4点(2008-08-02 14:34:42)(良:1票)
423.  紀元前1万年 《ネタバレ》 
テーマや設定は悪くはないが、あまりにも発想力、アイディアが欠如している。高額な制作費を掛けた割には、その費用に見合った内容には仕上がっていない。スケールの大きさではなく、もっとアイディアに金を掛けるべきだろう。金を掛ける部分が間違っているのではないか。 特に、主要メンバー2人が「瀕死の重傷を負った敵に背後から攻撃される」という同じような展開をみせられると、さすがに悲しくなる。 女性の方はあの描き方でも悪くはないが、男性の方はもっと派手に散らすべきだろう。 意味のある死に方を描けないようでは、質の高い作品とはいえない。 なんのために存在するのか分からないようなキャラクターが多すぎる。 また、通称“ゴッド”のあっけない最期と、ハリウッド的ハッピーエンドに至るラストが非常に不味い仕上がりとなっている。 “ゴッド”とのやり取りにはもう工夫必要だろう。あまりにもあっけなさ過ぎる。 例えば、“ゴッド”が奇術的なチカラを用いて、反乱を鎮めて、交渉を持ち掛けようとするが、そのイカサマトリックに主人公が気付いて、“ゴッド”の神格性を否定して倒すといった展開の方が面白いのではないか。 今では常識になっていることだが、当時では理解不能なことを利用して民衆を統治していたといったことを紹介することもできるだろう。 訳もなく交渉に賛同しておきながら、いきなり狂ったように槍を投げ付けるなど、あまりにも発想が貧困すぎる。 ハリウッド的ハッピーエンドもあまりにも強引過ぎて苦笑するしかない。 巫母が苦しむ姿が何度も出てきて、ウザイと思っていたが、まさかこんなことのために引っ張っているとは思わなかった。 強引に生き返らせるのではなく、サーベルタイガーかマナク(マンモス)が身代わりになるとか、ティクティクか主人公の父親が身代わりになるとかもっと膨らますことはできたはずだ。 そもそも、マナク(マンモス)を暴走させるだけで、反乱がほぼ成功するというのも、あまりにも敵側をナメ過ぎではないか。 実は、主人公の父親が生きていて、反乱の準備を着々と進めていた矢先といったような展開に持っていった方がよりスムーズだろう。 そして、息子のために、自分の身を犠牲にした方がストーリーとしては引き締まったはずだ。 今後はローランド・エメリッヒは監督に専念して、脚本は他に任せた方がいいだろう。 彼には作家性はないのではないか。 
[映画館(字幕)] 4点(2008-05-05 14:37:40)(良:1票)
424.  ジャンパー 《ネタバレ》 
“テレポーテーション”という面白い素材を扱って、どうすればここまでつまらなくできるのかというほど、ヌルい。 脚本に中身が全くないだけでなく、肝心のバトルシーンにも見所はない。 どうしようもない理由で始まったジャンパー同士のバトルもあっけなく終わり、“パラディン”という組織のサミュエルとの最終バトルも拍子抜けだ。 サミュエルとのバトルには心理戦もないので、面白みに欠ける。 「ジャンパーには、以前こんなバカがいた」というネタを前フリにしているだけで、ヒネリがまったくなく、無策で特攻するヘイデンがあまりにもバカバカしい。 また、サミュエルは高圧電流の鉄線と謎のナイフを使うだけで、特殊な才能を有しない、ただのザコであり、あれでは盛り上がりようがない。 “テレポーテーション”能力を使って、サミュエルの裏をかいたつもりが、「実は俺もジャンパーなんだよ」とサミュエルにひっくり返されるいうサプライズで観客を驚かすような発想はないものか。 サミュエル以外にも“パラディン”の強力な刺客がいてもよかった。 「ボーン・アイデンティティ」と同じになるが、あの形式は悪くはない。 ヘイデンを追い詰めるジャンパーハンターとしては、魅力に欠けたのではないか。 ヘイデンへの追い込みの足りなさが目立つ。「ボーン・アイデンティティ」と同じ監督とは思えない。敵の組織が強ければ強いほど盛り上がるものだ。 ダイアン・レインというサプライズはあったが、はっきり言って“効果的”とは思えない使い方だ。ヘイデンが絶体絶命な場面でないとあまり意味がないのではないか。母親とハンターとの葛藤がまるで感じられないものとなっている。 レインだけではなく、劇中のキャラクターに喜怒哀楽が全くないので、キャラクターに一切の魅力を感じないものとなっている。 大金と労力を懸けて作り出した特殊効果を漫然と眺めるだけであり、非常に“長く”感じる90分程度の短い映画だ。 さらに、好きな人には申し訳ないが、ヒロインの女性に華がなさすぎるのもマイナスか。はっきりいって、主役の器とは思えない。 好きだった幼なじみをバーに見に行ったら、夢を壊されて愕然として、ヘイデンは立ち去ろうとしたのかと思った。 一番驚かされたのは、会話の途中で渋谷と銀座の間を超瞬間移動していたことだろうか。
[映画館(字幕)] 4点(2008-03-02 23:54:57)(良:1票)
425.  ライラの冒険/黄金の羅針盤 《ネタバレ》 
原作未読、前知識は「ダイモン」だけという状態で鑑賞したが、だいたいのストーリーは理解できるようにはなっている。 しかし、三部作の第一作ということもあり、謎だらけで終わっている。 「ダスト」を含めてストーリーは謎だらけだが、面白みはまったくなく、「この続きを早く観たい」という内容にはなっていない。 単にストーリーを流すことだけにチカラを入れており、ドラマや盛り上がりに欠ける内容となっている。この監督(脚本も兼)には、ファンタジーを撮る才能はあまりなかったのではないか。 ロールプレイングゲームや「七人の侍」で面白いのは、仲間がパーティーにどんどん加わるところだ。本作も「気球使い」「よろいグマ」などが加わるが、そのリクルートにまったく面白みがない。 「魔女」が仲間になるのは恐らく今後明かされると思うが、「気球使い」を仲間にするためのエピソードがないと「なんでこの人たち一緒に必死で戦っているの?」と思ってしまうだろう。 「よろいグマ」エピソードもかなり馬鹿馬鹿しいものとなっており、彼らの絆の深さを感じるものにはなっていないのは致命的だ。 ライラとよろいグマの絆は本作のかなり重要なものとなるはずなのに、浅く終わっているのが本作の大きな問題だ。「よろいグマの王様」エピソード以外には、ライラの勇敢さ、強さ、弱さといった魅力を感じられない。 また、ファンタジー作品で重要なのは、敵がいかに強いかという点にある。 ラスボスが強ければ強いほど盛り上がるものだ。ラストの合戦を見て、興奮したという人はあまりいないのではないか。その理由は、敵が大したことないからだ。 クマが暴れ、魔女が弓矢を放ち、気球から銃を乱射する、そんな一方的なバトルを見ていてもまるで意味はない。 肝心なのはいかに不利な状況から逆転するかという点である。味方が追い詰められれば、それだけ面白みが高まる。 「よろい熊」の不利な状況もあまり大きな不利にはなっておらず地味すぎる。 本作の盛り上がりどころというのは、最後の合戦ではなく、よろいグマ同士のバトルと考えることも出来るが、あのバトルもクマ同士が殴り合っているだけで面白くはないだろう。 大金が投じられているため、リスクを犯さず、冒険していない映画となっている。 本作を見ても、ドキドキしたり、興奮したりはできないだろう。
[映画館(字幕)] 4点(2008-02-24 01:49:57)(良:1票)
426.  アース 《ネタバレ》 
渡辺謙版を見たかったのが、時間の都合上パトリック・スチュアート版を鑑賞することにした。ナレーションの意味は分からないが、落ち着いた語りに多少の抑揚をつけており、全体のイメージに即した好感触のものであった。 しかし、内容的には満足のいくものではない。圧倒される映像や驚かされる映像も期待よりも少ないと感じた。46億年の歳月を刻み込んだ“地球”の美しい造形などはほんの少ししかなかったのではないか。可愛らしい動物の姿を追うのが、まさか“地球”というテーマを描いた映画ではあるまい。ユーモラスな動きで観客の笑いを誘うのも大事なことだが、“地球”というテーマの本質部分とズレているのではないか。「ホッキョクグマのナヌーとゆかいな仲間たち」という映画ならば別によいが。 「ライオンVSゾウ」等の衝撃的な映像も確かに見られるが、もっと残酷的なところまで映してもよかったのではないか。そうしないと“自然の過酷さ”“何億年と繰り返されている自然の摂理”といった本質的なものが伝わらない。子どもも鑑賞するので、配慮したようだが、自然はそれほどヌルいものではないと気付くきっかけとなるはずだ。直接的に残酷なシーンは描けないにしろ、残骸程度は描いて、間接的に自然の残酷さを醸し出してもよかった。 「ディープ・ブルー」でも同様の手法を取っていたが、ラストでとって付けたようなナレーションは止めていただきたいものだ。内容が伴っていればよいが、あのナレーションを聞いても「地球のことをもっと考えよう」「地球の温暖化を止めよう」とは思えない。絶滅寸前のホッキョクグマを人間に見立てたところまではよかったが、地球の危機的な状況や、地球の悲鳴が聞こえるような映像を付け加えて欲しかったところだ。 「誰もが魅了される美しい地球」をきちんと描いた後に、「美しい自然が汚されて、自然が失われていく地球」を描けば、いい対比となり、いいメッセージとなったのではないか。「ディープブルー」でも述べたが、根気よく映像を撮り続ける職人ではあるが、クリエイターというわけではないようだ。悪く言えば、北極から南極へ南下しながら、映像を単に切り張っただけともいえる。しかも、あまり意味のない映像が切り張られているところがあるのが残念だ。 美しい圧倒的な映像で観客を魅了できれば、それだけでも十分メッセージになったはずだが、そこまでのレベルではないと思う。
[映画館(字幕)] 4点(2008-01-17 23:30:35)
427.  ブレイブ ワン 《ネタバレ》 
問題はやはりラストだろう。賛否両論というが、果たして「賛」という人はいるのだろうか。あまりのメチャクチャぶりに一気に熱が冷めるのを感じたほどだ。 しかし、「愛する者を殺されたから辛い」→「救いにはならないけど、悪い奴殺したり、復讐すればいい」というのが、脚本の趣旨ではまさかないだろう。 冷静に振り返ると、意図しているラストはまさにその逆ではないかとも思われた。 キレイ事を語り復讐を諦めさせるよりも、あえて復讐することを描くことにより、「復讐なんてしても、何もならない」と訴えているのではないか。あえて間違った行動を主人公に取らせて、反面教師としての役割を担わしているのではないかと思った。 しかし、タイトルを「ブレイブワン」と銘打っている。復讐することが「勇敢」だと言いたいのだろうか。本当の「勇敢な人」とは真逆のような気がするが…。 脚本の趣旨がどうであれ、演出上にも問題があると思われる。 「愛する者を殺された場合どうすればいいのか」「親しい者が犯罪を犯した場合どうすればいいのか」という問いかけのレベルにも達していない。 問いかけの前提として、フォスターとハワードが親密な関係にならなくてはいけないが、十分とは言いがたい。恋愛関係というわけではない人間同士の深い関係を描くのは難しいが、ジョーダン監督ならば可能ではないか。「法律を犯し、自分が傷ついてまで、相手を庇う」ほど強固な関係が築かれていない。さらに「動画という証拠」を持っているにもかかわらず、「法の裁き」を受けさせないことが理解できない。法の裁きを受けさせることができない冒頭の妻の自殺偽装事件とは意味が異なってくる。 また、ラストの余韻がまるでないのも問題だ。「復讐を終えたときに、いったい何が残るのか」を観客に何らかの方法で伝えないと、映画としての意味をなさない。本作は「昔の自分とは違う自分を生きなくてはならない」という締めくくりだったように思えるが、ナレーションで逃げるのはあまり好ましくない手法だ。言葉による説明も重要だが、それだけではなく表情や動作、雰囲気だけで伝えられなくては、映画の質が高いとはいえない。 「恋人を失ったことの心の空洞が、復讐を果たしたことにより、より大きく、より深くなった」ということをもっと伝えるべきではなかったか。
[映画館(字幕)] 4点(2008-01-09 22:10:51)(良:1票)
428.  モディリアーニ 真実の愛 《ネタバレ》 
自分は専門家ではないので詳細には分からないが、モディリアーニが酒と麻薬に溺れ、病気で若くして死んだことと、ジャンヌが二日後に後を追ったこと、ユダヤ系で家族が破産したこと、個展がすぐに中止になったような小エピソードは事実だろうが、あとは恐らくほとんどがフィクションと思ってよいだろう(サロンやサロンで発表された全ての絵も)。 本作の印象としては、悪いとは感じなかったが、特別よいとも感じられなかった。というのも、モディリアーニの人生と、モディとジャンヌの愛を、「深く」は描くことはできていなかったように感じる。「魂がみえたら君の瞳を描こう」というモディリアーニの内心にまで本作は迫ってはいなかった。 フィクションなのだから、エコールドパリの画家たちの生き様をもっと生き生きとかつ、破滅的に大胆に構築してもよかったのではないか。酒屋で半殺しの目にあうといった、間違った脚色に進んでしまったようだ(さらに、ルノワールにあのような自己の作品を否定するようなセリフを吐かせるのはちょっと聞き捨てならない)。 モディリアーニとジャンヌの「愛」に足りなかったものは、金とか、成功とか、そんな単純なものではない気がする。画家というのは、自分の頭では駄目だと分かっていても破滅的な生き方しかできない、普通の生活や、普通の人間の尺度には納まらない人種である。本作では、結婚や書類といったものにこだわり、モディリアーニを小さくまとめてしまった気がする。 また、映画の中で、力点を「モディリアーニVSピカソ」に置いてしまったことに多少問題があるかもしれない。「モディリアーニとジャンヌ」という関係を凌駕する関係を描いてしまっては、焦点がぼやけてしまうだろう。 彼らの「ライバル」と一言で済まされない関係、お互いがお互いを認め合い、畏怖し、高めあう関係はしっかりと描かれていた。彼らは「成功」したかどうかを抜きにすれば、似たもの同士であり、同時期に生きたお互いにとってかけがえのない存在、真のアーティスト同士とは感じられた。 劇中で登場した「ガキ(モディリアーニの分身)」のメリットが本作ではほとんど感じられない。こんな空想上の存在をスクリーンに登場させるならば、それ相応の役割を担うべきだろう。
[DVD(字幕)] 4点(2006-10-15 00:01:27)
429.  記憶の棘
ミュージックビデオ界出身の新鋭監督の作品、二コールキッドマン主演、10歳の少年とニコールキッドマンの議論を呼んだシーンなどの関心事項があったため鑑賞したものの、はっきりいってストーリーはまるで面白くはない。 新鋭監督といっても、画像そのものにあまり目新しさはなかった。彼が多用したのは、俳優の表情をクローズアップで長時間撮るところ。 俳優に対してセリフではなく、「表情」で内面を語らせるようにさせている。しかし、ニコールキッドマンは、努力はしているものの、表情では上手く語れないようだ。ジョゼフ役を演じたダニーヒューストンという役者の方が数段上だった。 <以下ネタバレ>あの少年の気持ちは、少しは理解できると思う。 彼自身、自分がショーンの生まれ変わりだと信じたかったのだろう。父の仕事の都合で付き添った高級アパートメントでたまたま見かけたアナを密かに愛し、アナもショーンという10年前に死んだ夫を深く愛していることを手紙で知ったときに、彼の頭の中で何かが弾けとんだのではないか。自分がひょっとしたら、夫ショーンの生まれ変わりかもしれないと。だから、死んだショーンがアナのことを真剣に愛していないと知ったときに、真剣にアナを愛している自分はショーンの生まれ変わりではないとはっきり気付いたのだろう。 アナを真剣に愛しているからこそ、アナを裏切ることもできず、アナを真剣に愛しているからこそ、夫ショーンの生まれ変わりとして愛されることは望まない。 アナを真剣に愛していないショーンの生まれ変わりであると、アナから思われることは、自分にとって屈辱以外の何物でもなかったのだろう。 自分は、ただのガキだと知れば、いくら真剣に愛していようと関係はない。ただ彼女の前から立ち去る以外にすることはない。 アナもショーン少年を忘れて、ジョゼフと結婚しようと思うが、彼女は混乱するしかない。自分は、夫のショーンを愛していたのか、それともショーン少年を愛してしまったのか。夫への愛は本当のものだったのか。それともただの「幻」にすぎなかったのか。記憶や思い出は、どこかで美化されて、都合よく解釈されて、時間がたっても抜けない棘となって、心のどこかをチクチクと刺し続けるものだ。 この邦題は、映画の本質・奥深いところを捉えた、なかなかよいものではないだろうか。観客に対して、映画の解釈の手助けにもなるものだろう。
[映画館(字幕)] 4点(2006-10-02 22:27:49)
430.  イルマーレ(2006) 《ネタバレ》 
オリジナル版は随分前に観たので詳細は覚えていないが、結構よかったということだけは覚えていた。リメイクが創られると聞いて、ハリウッドもなかなか目の付け所はいいなと思い、しかも、キアヌとサンドラの二人が共演と聞けば、いっそう期待は高まる。しかし、リメイク作の肝心の出来栄えは、何かが足りなさ過ぎて、相当イマイチである。 まず、演出家に問題があったように思われる。全体的にかなり薄っぺらく、安っぽくなった仕上がりとなっている。「風邪に気をつけてください」と言って、直後にくしゃみをさせるなんて今日日、小学生でもやらない演出ではないか。 「時間」という障害に阻まれたラブストーリーというネタ自体は面白いのだけれども、このネタを上手く活かすことができておらず、ラブストーリーのよさも感動もなにも感じられない。 オリジナルを覚えていないけれども、この二人はしょっちゅう逢っているという印象がする。あまり障壁が感じられず、愛し合う二人が、運命の悪戯からか、なかなか会うことができない、もどかしさのようなものは感じられない。 人物の掘り下げ方も中途半端な印象だ。キアヌは父親との確執に悩む建築士、サンドラは医者という激務に対して、やりがいや意義を感じながらも、「このままでよいのか?」と人生に悩む女性である。父親の作品集を送り、キアヌが抱えた苦痛を取り除いてやるというのは、感動的な場面なのだが、演出が感動的ではないので、感動できない。 逆に、サンドラのキーとなる本「説得」も、ドラマティックで効果的な使われ方をされただろうか。自分にはそうは感じなかった。このアイテムがサンドラの気持ちを大いに揺さぶるとともに、観客の気持ちを揺さぶったとは思えない。 結局、二人の気持ちに対して上手く感情移入できない創りになっているので、ラストのクライマックスでも、やはり何も感じられなくなっている。「想い続けて待ち続けること」の素晴らしさが描かれていないのが残念である。
[映画館(字幕)] 4点(2006-10-02 21:57:26)(良:1票)
431.  おいしい生活 《ネタバレ》 
アイディアやテーマなどは面白いけれども、その素材の良さを活かさずに、全く面白く調理されていない作品。 捻りもなく、唸らされる深さもなく、アレン監督作としては物足りなく、彼の作品群の中で悪い部類に入るのではないか。 面白くない理由として、まず、テンポが悪すぎると思う。 動きのある銀行強盗ネタを開始30分ほどで早々に切り上げてしまったため、後半が完全に間延びしてしまっている。 銀行強盗は、本作のテーマとはあまり関係ないただの導入部分に過ぎないのかもしれないが、もう少しクッキー屋が繁盛するのと共に、銀行強盗が上手くいかない様子を対照的にじっくりと描いた方がコメディ作品としては動きが出て面白かっただろう。かなり端折ってしまったために、ようやくトンネルを掘り進めたのに、その先には…という面白さが感じられない。繁盛しているクッキー屋なのに、とんでもない音がしたり(クッキーを焼いている音とか誤魔化しているシーンはあったけど)、泥だらけのアレンが場違いなセリフを言って笑わせたりと、もっと展開を広げられそうだった。 また、中盤部分は、もっと金持ち成金主義を皮肉を込めて、さらに毒気を強めて描いた方が良かったのではないか。おぞましいほどのセンスのなさ、組み合わせの悪さ、教養のなさをもっとコミカルに描いた方が面白い。こういう場面では、甚だしいまでの勘違いっぷりを描かないと引き締まらないだろう。あの程度では全然生ぬるく、手ぬるいと思う。 そして、肝心の「お金ではなく、本当の幸せとは何か」ということにお互いが気づくまでの過程がイマイチすぎないか。 お金では品格もセンスも愛も買えない。でも、お金がなくても幸せな生活というのがあるんだよという強いメッセージが伝わってこなかった。 せっかくいいテーマだけにもったいない。オチは悪くはないとは思うが、そこに至るまでの過程がきちんと描ききれていないので、観客にはあまりピンと来ないと思う。 やはり、アレン作品としては、ストーリーに深みがなく、脇役もあまり活きていない。脚本も含めて、ちょっと手抜き作品に感じる。
[DVD(字幕)] 4点(2006-08-17 22:18:33)
432.  ザ・メキシカン 《ネタバレ》 
脚本自体は面白いと思う。伝説の銃を巡り、様々な欲望・思惑が絡み合いながら、主演の二人が別れて旅する二つのロードムービーというのは珍しい作りだ。 主演の二人はちょっとオーバーアクト気味であったがビッグネームであり存在感がある。他の共演陣もそれほど悪くなかったと思われる。 それにもかかわらず、この映画はまったく面白くないと感じられない。どうしてこの設定で、ここまで面白くない映画になるのかを考えると、まず演出のリズムのテンポが悪いからではないか。全体的にダラダラとした印象を受けた。ストーリーを踏まえると、この映画はもっとこきみよいテンポかつスリリングにみせた方がよかった。 そして、監督があまりテーマを意識してないようにも思えた。この映画のテーマは、「愛し合っている二人が上手くいかないとき、本当の終わりはいつ来るのか」というものである。 こういうテーマを意識しない創りのために、スパイスがなく締まりが悪い、ダラっとした印象を受けるのかもしれない。 観客は本作を鑑賞して、主役の二人がこの事件を経験して、二人の関係やお互いに対する意識が何か変わったと感じただろうか。主演の二人がパートナーと離れて一人になったときに、失って初めて気づく大切な存在、失って初めて気づく喪失感がまるで感じられない。メキシカンという銃も愛し合っている二人が引き離されそうになった際の愛の結晶ではなかったか。そういう設定や今の二人と昔の二人のストーリーが上手くリンクしていない。 また、せっかく主演二人が別れて旅をしているという面白い設定が全く活かされていない。この二人は果たして再会できるのかというドキドキ感も感じられないのは勿体無さすぎないか。ラストも驚くほど悪すぎる。ブラピがジュリアに対して、銃を撃つなと言っているにもかかわらず、構わず銃を撃つジュリア。たしか、プラピに対してジュリアは利己的だという点に対して怒りを覚えていたような気がしたが、あの行為のジュリアは利己的ではないのか。途中でも触れたが、やっぱりこの二人は何も変わっていないように思える。普通ならば、ラストはお互いの二人の絆を確かめ合えるような展開を用意するのが常道ではないだろうか。
[DVD(字幕)] 4点(2006-07-18 00:06:34)
433.  パイレーツ・オブ・カリビアン/デッドマンズ・チェスト 《ネタバレ》 
ラスト1分間だけは面白いが、残りの2時間余りは面白くもつまらなくもない可も不可もない映画。一言でいえば、冒険映画だけれども全く冒険しない無難な仕上りとなっている(既存の映画のごった煮的な作り)。 問題はディズニーとかブラッカイマーではなく、監督のゴアヴァービンスキーでしょう。彼の作品は何本か観たけどリズムやテンポが致命的に悪すぎるし、盛り上げ方や緊張感の出し方など全く考えていないような気もしてしまう。まだ、マイケルベイの方が数倍マシではないか。いいドル箱シリーズだけに他の監督の演出だったら、もっといい作品になっただろうと悔やまれてしかたない。 監督の演出だけが悪いとは言えないにしても、今回は悪役も含めてそれぞれのキャラクターが全く輝きを欠いている。ジャックスパロウも今回も頑張っていたけど、前回よりもやや存在感を欠いた印象。前回のようなサプライズアカデミーノミネートは今回はないだろう。 ウィルターナーは今回は主役ともいっていいはずなのに、ビックリするくらい全く存在感が感じられない。むしろノリントンの方が存在感あったような気がした。 エリザベスは今回最重要の役柄だったけど、あまり苦悩というか、行動の理由付けが感じられなかった。伏線は張ってあるので脚本は問題ないはず。 <ネタバレ注意>演出の何が問題なのか具体例をあげると、ターナー親子がデイビージョーンズと賭けをする際のやり取りなどは、自分の命を賭けているのだから最大に盛りあがってしかるべきである。しかし、緊張感も感じられず、「この三人さっきから何やってんだ」っていう風にしか自分には見えなかった。ただ単に鍵の在りかを探るだけにせよ、その後も鍵の強奪も簡単に事が運びすぎる。「これで観客がドキドキするだろうか」と観客を意識して本気で創っているのかと疑いたくなる。ただ単に脚本をスケジュール通りに撮っているだけじゃないか。 また、最大のラストのエリザベスとジャックスパロウのやり取りも淡々としすぎている。これはキーラの演技もやや足りないと感じたが、あまり観客に訴えてくるものがなさすぎる。あのシーンには色々な感情(キーラのジャックとウィル両者への想いなど)が混ざり合ってしかるべきだ。  脚本の問題としては、宝箱の中身は大した事ないけどラストまで明かすべきではなかっただろう。途中で明かさなければ、観客の緊張感がちょっとは違ってくるはず。
[映画館(字幕)] 4点(2006-07-16 16:39:50)(良:3票)
434.  サスペクト・ゼロ 《ネタバレ》 
前々からネタが面白そうだなと気になっていたけど、ようやく見たもののどうもネタの面白さを活かしきっていない気がする。 まず、透視能力者の苦悩というあまり共感できないテーマを前面に押し出すのはいかがなものか。 やはり、FBIが透視能力者を追い、透視能力者が連続殺人犯を追うという二重の構図を活かしてスリリングかつ新タイプのサスペンスを創りあげた方が良かったのではないか。 そして事件の裏に透視能力者の苦悩や、連続殺人犯を殺す深い動機みたいなものが感じられるようにした方が万人受けしそうな気がする。 キャラクターを見ると、キングスレーの役柄はほとんど理解できるのだけれども、エッカートとモスの役柄がイマイチ中途半端に思える。 エッカートの過去の失態や透視能力の有無などが本編のストーリーに上手く活かされていないのではないか。 むしろ、エッカートは透視能力者の資質を備えた者という描き方をせずに、FBIのプロのプロファイリングという設定にして、プロファイリングvs透視能力者という構造にした方がより万人受けしたかもしれない。
[DVD(字幕)] 4点(2006-07-09 23:35:04)
435.  フライトプラン 《ネタバレ》 
演技や演出等については悪くはないけど、観終わった直後の感想は「なんだかなぁ」という一言にしかでてこない。とにかくこのプランは稚拙以外の何物でもない。 【以下完全ネタバレ】①離陸してフォスターはすぐに後ろの座席に移動して寝たが、もし後ろの座席に移動しなかったら、この計画は実行できたのだろうか。移動せずに窓際に娘を座らせて、横に母親が寝ていたら、とても連れ出すことは不可能。なぜ客室乗務員が共犯にいるのに、あんな真ん中の席にあの親子を配置させたのかが理解に苦しむ。親子連れの先入れを利用して、奥の目立たない席でかつ娘を連れ出しやすい席に配置させる位のことは必要だろう。結果論としてうるさい子どもの陰に隠れてジュリアが目立たなかったことが幸いしただけで、普通ならばあんな母親似の小さい可愛い子どもには誰か気づくはず(飛行機に32以上の子どもが乗っていたとして)で完全犯罪にはほど遠い。 ②フォスターのバックグラウンドが描かれていないのでよく分からないが、旅行中でもなさそうなフォスターの旦那を殺せば、なぜアメリカに棺で戻るということが事前に分かるのかが不明。共犯に安置室関係者がいるのならば、旦那を殺す必要はなくただ事故死の情報を貰えばよいのではないか。そもそも航空保安官や客室乗務員がいるのに、わざわざ棺を利用する必要があるのだろうか。そんなにチェックが厳しいのか。そもそもフォスターが棺を開けっぱにしなかったら、この計画はお終い。 ③娘がいたところに確か男と女が調べに来たはずだが、仮に共犯が調べに来ていたのならば少しは納得できるが、あんな目立つところに娘をおいておく神経がよく分からない。娘が見つかったらこの計画は全てお終いなのに。 ④正当防衛とはいえ人一人殺した上に、三人に対して殴りかかり、飛行機内をメチャクチャにして乗客400名以上を恐怖のどん底に叩きこんだフォスターの行動には引くのに最後の感動ストーリーはないだろう。アラブ人可哀相すぎ。 ⑤フォスターをハイジャック犯にしたてた後に爆弾で殺したとしても、その後、口座から金を引き出した瞬間逮捕されるのがオチ。 〇消えた子どものネタはいいネタなんだが、「フォーゴットン」といい、この映画といい使い方が間違っている。最初は「シックスセンス」の方式で攻めて、ラストにとんでもない大どんでん返しが待っているようにしないと観客は納得しないだろう。 
[映画館(字幕)] 4点(2006-01-29 01:00:52)(良:3票)
436.  コレリ大尉のマンドリン
テーマは深そうだけど、映画自体は正直言って全くつまらないものに仕上っている。 全体としてみると散漫かつ説明不足ではないだろうか。このテーマならば、もっとペネロペとニコラスの関係は深めに描かないといけないと思う。この内容では親父さんの言う「恋と愛」の違いを具現化したものにはなっていないのではないか。もっと「音楽」を絡めて二人の関係が「愛」に高まるまでを描くべきだろう。 この映画を観る限り最終的には、むしろニコラスの関係が「恋」で、クリスチャンベールの関係を「愛」として描いてもよかったのかもしれない。それだけペネロペとニコラスの二人の関係は希薄なものと感じたし、ベールには真実の愛に気づいたという流れと感じた。 また、ベール自身や、ドイツ人大尉とニコラス、かばって死んだ軍人とニコラスとの関係があまり見えてこないので、やはり物足りないと感じた。 しかしながら、戦争の中で「音楽」や「愛」を描いており、あの陽気な世界には「争い」とは真逆の想いが感じられる。充分「反戦」に対する気持ちが伝わってくるが、やはりこれでは何もかも描き方が不充分すぎると思う。 映画自体は全く異なるが、「パールハーバー」と似たり寄ったりといっても言いすぎではないだろう。むしろ、あちらはアクションが優れているので、まだ見れる気もする。
[DVD(字幕)] 4点(2006-01-10 00:02:20)
437.  エリザベスタウン 《ネタバレ》 
どん底に落ちた人生からの再生というのはなかなかよいテーマだったが、映画自体は監督が個人的な趣味で創っているような感じだった。やや観客を置き去りしているように思えるので、日米でコケたのはやむを得ないかもしれない。 また、終始滑り気味な笑い(60Bを行き過ぎて一人怒り狂うドリュー、サムソン等)と、センスはよいのだろうが映像よりも主張し、目立ってしまっている音楽(ムーンリバーやクルマでの旅行の際の音楽はよい)も多少難点だ。 また、人生の再生という主題に対してやや焦点がぼやけてしまっている感が否めない。確かに人生の再生を一つの事柄で表すのは難しいのは分かるが。 父の死を乗り越えようと料理やタップダンス等に精を出しつつ、悲しみに浸るよりもユーモアを忘れない母のスーザンサランドンや、昔の恋人?を忘れられなく、ドリューと同様にどん底にいながら健気に頑張るクレアなどがドリューに与えた影響が多少分かりづらいような気がする。 また、父の遺灰と共に(本当は生きている父と行きたかった)旅行にでて、心が癒されていく様もちょっと端折り過ぎではないか。本当の意味で一人になって自分を見つめ直す旅行であるはずなのだから。前半と中盤にやや無意味に時間を要されたのも痛い。 肝心のクレアとの関係の描き方も「恋人までの距離」のジェシーとセリーヌを見ているようで中々良かったとは思うが、一番中途半端な感じになったような気もする。もっと描くか、もっと描かないかのどちらかではないか。二人のやり取りは電話だけにして、最後に再会するという流れでもよい。 しかし、近くに居た人は泣いていたような感じだったし、終了後に一人か二人ぐらいが拍手していたのでよいと感じる人もいるようだ。
[映画館(字幕)] 4点(2005-11-21 01:15:42)
438.  ドミノ(2005) 《ネタバレ》 
アメリカでは完全に黙殺されてしまった本作だが、トニースコット監督は才能があり、もっと評価されてもよい監督の一人だと思っており、自分は密かに注目していた。公開前に亡くなってしまったが実在した女バウンティハンターの生涯を描くというのも面白そうな題材だ。また、キーラナイトレーも今後主演女優として一本立ちできるかどうか重要な作品となった。 本作での(無駄に)凝った映像、(無駄に切り刻んだ)ストーリーの組み立て方などは個人的には彼の演出は評価したい。 しかし、実在した人物を描いた映画としては、全く評価できる部分はない、ひどいものであった。 いったいどういうつもりなのかは分からないが、アフガンとか、病気の少女(あのボスは30万ドルもないの)とか、後半の展開は「ひょっとしてそれはギャグでやっているのか」というストーリー。タランティーノやトニーの過去の作品に類似するストーリーにはただただ唖然とするばかりであった。 なぜ実在の人間を題材としながら、このような捏造されたでっち上げたストーリーを描いてしまうのか理解に苦しむ。この内容ならば「based on true story(たぶん)」とするよりも「inspired」程度に留めて、登場人物も別名でやるべきだろう。ドミノという冠が付いているがために、あまり本人と離れした映画にもできずどっちつかずの訳の分からない映画になってしまっている。実在の人物を描くという足枷が本作をダメなものとしてしまっているのではないか。この内容ならば当然アメリカから黙殺されてもやむを得ないだろう。 さらに付け加えると、本作はドミノという人物が全く描けていない。彼女が何を思い、何に苦しんで、何を得たのかというものが全く見えない。マザーに向かって「Ilove you」と言ってもなんだか全くわからない。「そういう映画だったっけ?」と自問したくなる。実在の女性を描くのならば、シャーリズセロン主演の「モンスター」ような映画にするつもりはなかったのだろうか。ないとすれば、架空の女バウンティハンターの映画を作ればよいのであってアプローチを間違えているとしかいいようがない。 また、キーラのイメージビデオとして見ればどうかと思ったが、主役の割には焦点がぼやけまくってこれも上手くいっていない。キーラ自身は頑張っていたが、この役には合っていないようだ。無理をして貧乳をさらすよりも自分にあった役を選ぶべきではなかったか。
[映画館(字幕)] 4点(2005-11-05 23:52:15)
439.  機動戦士ZガンダムII 恋人たち 《ネタバレ》 
前作では、新旧入り混じった画像の違和感とストーリーの繋がりの悪さが目立っていた。一本の映画と評価すべき点はなかった。 本作では、画像については大幅に新画を取り入れ、比率的には旧画よりもウェイトを占めている印象を受けた。しかしオリジナルでカツが出撃した際のMKⅡを映画でカミーユが乗っている様に転用するという手抜きは相変わらずだ。次作ではそろそろ全て新画で統一して欲しいものだ。 画質は確かに多少改善されたが、肝心のストーリー方は非常に好ましくない。特にフォウの扱いには驚きを隠しきれない。恐らく再度の地球降下を描けないがための処理だろうが、あれではカミーユはフォウの生死を知らないままで終わることになるのではないか。フォウの死というのは、カミーユの戦いに対する気持ちを変えた最大の出来事であり、あんな中途半端な描き方では酷すぎる。 しかも主題であるはずの二人の関係も全く満足に描ききれてはいない。前半は二人の関係で終始させてもよかった。二人の屋上でのキスシーンを旧画で描くというのも「逃げたな」という印象。 カミーユとフォウの関係を描けないにもかかわらず、声優の関係からか、サラとカミーユには時間を掛け過ぎだ。二人の関係はそれなりには重要ではあるが、恋愛感情はほとんどない。サラはカツ及びシロッコとの関係が重要であり、カミーユとの関係はカットできる部分だ。 また、「恋人たち」という主題であるため、カミーユとファ、クワトロとレコア、ヘンケンとエマ、アムロとベルトーチカ、ブライトとミライの関係も描こうと努力はしているが、概ねこれらの関係の描き方は間違っていると思う。特にカミーユとファの関係はあれほどストレートではないはずだ。幼なじみということもあり、ストレートに気持ちを表せられない二人の関係が本来の姿であり、あの二人の関係の面白さでもある。オリジナルでは再会時に安堵感から抱きしめ合う姿はあるが、本作のあんな描き方ではフォウに対する気持ちは何なんだということにならないか。あれではただの女好きだぞ。 そして本来描かれるべきシロッコとレコア、ジェリドとマウアーを描かないでどうするんだと思う。 しかしストーリーはどうであれ、モビルスーツが戦う姿を大画面で見るだけで興奮するものだ。次作「星の鼓動は愛」では無駄な部分をカットして、シロッコとハマーンをきちんと描かれれば文句は付けない。
[映画館(字幕)] 4点(2005-11-01 01:41:28)(良:2票)
440.  ミッシング(2003)
映画自体は真面目に創られており、役者も子役を含めて上手い人ばかりでしっかりと演じられていると感じる。 しかし、映画ははっきり言って、面白くない映画としか言いようがない。 原作を知らないので映画化すべきか否かという根本的な問題は置いておいて、なんでこうも面白くないのかの原因を考えると「演出」と「脚本」に問題があったのではないだろうか。 「演出」の問題点は、圧倒的に緊迫感が欠如していると感じられる。 自分たちがいつ殺されるのかも分からない、リリーが無事なのかどうかも分からない、相手もよく分からないという状況下において、それぞれやけに余裕が感じられる。 極めつけは、救出後に山の頂上に陣を張っている際に、父が大切にしていた十字架を返すシーンだ。このシーンは、断絶していた父と娘が心から和解するシーンで、映画のキモでもある大切なシーンである。十字架が和解の象徴にもなっている。そういう大切なシーンだからこそ、戦闘状態という一種の緊張感とは異なる空気になっているが、どうにも相当の違和感を感じる。このシーンだけが緊張感がないと言っているのではなくて、やはり映画全体に漂う空気があまりよろしくない。もっと生きるか、死ぬかといった空気が必要ではないだろうか。 「脚本」の問題点としては、この映画は「親子の断絶と和解」が一つのテーマになっているはずである、にも関わらず論点がやや不明確になっている点が問題だ。この映画には、ジョーンズとマギー、そしてマギーとリリーという二組の親子が登場する。一方は母を捨てて突然いなくなってしまい亀裂が完全に入っている、そしてもう一方は暮らしに不満を抱き、母に対して怒りを抱えており今まさに亀裂が入りつつある。こういう二組の親子がいて、対比的に色々と面白くできそうなのに全く利用できていない。 一方の娘は父の気持ちを理解して再び愛する気持ちを取り戻し、もう一方の娘も母の気持ちを理解して再び愛する気持ちを取り戻すという二点がこの映画には必要であるが、ジョーンズとマギーの話で終わっているのが勿体無いと言える。しかも、「自分がいると家族に迷惑になる」というやや具体性に欠ける父の訳の分からない独白でしかないのも、感情移入ができない点となっている。 それにしても、アカデミー賞を取った次回作がアメリカだけでなく日本までもこれほどまで無視されようとは…。
[DVD(字幕)] 4点(2005-08-14 00:16:52)
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