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鱗歌さんの口コミ一覧[この方をお気に入り登録する

プロフィール
コメント数 3888
性別 男性
年齢 53歳

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41.  私はゾンビと歩いた!
ヴァル・リュートン製作の怪奇映画シリーズ。これが意外に秀逸。まず冒頭の、二人の人物が歩く海岸の風景。まあタイトルからして、二人のうち一方が人間で一方がゾンビなんでしょう、とかいうことはどうでもよくって、すでにこの光景からして超自然的な印象を受けます。独白で進められていく物語は、雪の都会の一室から、南の島へ。そこでは非日常的な世界が主人公を待ち受けている訳ですが。そうそう、本作、S・ブロンテの『ジェーン・エア』を下敷きにしている、みたいに言われたりもしますけど、いやいやむしろ、この雰囲気はE・A・ポーの『アッシャー家の崩壊』の世界ではないでしょうか。本作におけるゾンビってのは、例の人間を襲ってバリボリ食うヤツじゃなくて、“熱病によって何もわからなくなり夢遊病状態の人”なんですね。だから必ずしもモンスターじゃない(いや、ちょっとコワい顔のゾンビも登場しますが)。ゾンビ自体はモンスターじゃないけれど、物語の背景はとっても呪術的、そして宿命的な要素があり、まあ要するに「よくわからん不気味さ」ってのが横溢しているのですね。やはり怪奇映画たるもの、こうでなくては。そのアッシャー家的は宿命の物語を裏打ちするのは、「音」による不気味さ。森から響く太鼓の音であったり、塔に響くすすり泣きであったり。また「風」なども気持ち悪い雰囲気を出すのに効果を上げてますね。短い作品ではありますが、怪奇映画らしい雰囲気を楽しめる作品です。
[DVD(字幕)] 8点(2012-08-28 22:47:14)
42.  死体を売る男
ヴァル・リュートン製作の怪奇映画シリーズ。原作がR・L・スティーヴンソンに監督はロバート・ワイズ(!)、そして出演がボリス・カーロフにベラ・ルゴシってんだから、何か文句ありますか、ってな布陣なんですけれども。残念ながらちょっと文句付けたくなっちゃう。内容的には、「解剖用の死体を医者へ供給するために、墓を暴いていた死体泥棒の男が、やがて死体を得るために殺人を犯すようになり……」というオハナシ。クライマックスには日本の怪談みたいなオチが待っていて、悪くないんですけどね。殺人の場面なんかも、“街を歩く歌手が暗闇に消え、彼女を追う馬車も暗闇に消え、最後に歌手の歌声が消える”などという、「すみませんちょっと狙っちゃいました」的な、なかなか風流な演出、悪くないと言えば悪くない。じゃあ本作の何が悪いかっていうと、なんかいかにも、ストーリーをそのまま順序良く語っちゃった、みたいなヒネリの無さ、ですね。場面場面ではオヤと思わせるものはあっても、全体を通してはやや一本調子な感じは否めません。纏まりが良く安心して楽しめるけれど、怪奇映画で安心させてどうすんのよ、と。
[DVD(字幕)] 5点(2012-08-28 21:29:51)
43.  王将(1948) 《ネタバレ》 
いや、さすがにあそこで2五銀は無いよなあ、と思ったんですけどね、やっぱりハッタリでしたか。阪田三吉と言えば、伝説の端歩突きもありますからねえ。実在の三吉はこういう変な手を打っては負けちゃう(笑)のですが、物語の三吉は、勝ってしまうことでドラマを生む。将棋指しの戦いは孤独なもの、と思われるところ、この映画には棋士の孤独さというものは無くて、常にそこには彼の家族の姿があって。破天荒であった彼が、ライバルであった“関根はん”に名人位を譲り、頭を下げる、まさに彼が名人たりえる風格を得た時に、彼を支え続けた妻が電話の向こうで息を引き取る。多分にメロドラマ的なんですけれどもなかなかにツボを押さえていて、ダイナミックなカメラワークがあり、ついでに言うと古い映画なのに音声が比較的明瞭な状態でもあり、古い映画に馴染みの無い人でもかなり楽しめる作品ではないでしょうか。それにしても、こういう主人公の姿を見ていると、藤山寛美を連想したりもしますなあ。
[CS・衛星(邦画)] 8点(2012-08-06 22:49:12)(良:1票)
44.  黄金(1948)
冒頭のシチュエーションの、まあ何とも不景気なこと。実に素晴らしい不景気描写……と感心してる場合じゃなくて、何しろ不景気、観てて実に気が滅入る描写です。そこから我々は主人公と一緒に、職を見つけては喜び、それが詐欺だと知って憤慨し、詐欺師を見つけてトッチメようとしたコイツが意外に強くてハラハラし、でも見事やっつけて溜飲を下げる。そして、何か人生を達観したような金掘り爺さんとの出会い、ああこのヒト本物だよプロだよこの爺さんについていきゃ間違いないよ。と、観てるこちらまでテンションが上がり、ついでに健気なクジ売り少年にも心打たれたりして、この辺りまでは「健康的」、なんですけれども。それが、いよいよ金の採掘が始まり、金を手に入れだすと、肝心の主人公がおかしくなってくる。欲にかられ、猜疑心にまみれ、まさに「欲望は熱病」、映画の雰囲気自体が熱に浮かされたようなイヤな感じが充満してきます。不景気時代には「同じアメリカ人にお恵みを」とか言ってた主人公が、金の採掘に参加させて欲しいとやってきたアメリカ人を排除し殺害すらしようとする。そこに山賊がやってきて戦闘となり、そのアメリカ人が死ぬと、今度は味方が一人減ったことを嘆く。どこまでも刹那的な言動、まあ観てる我々は金を貰えないので主人公よりは醒めた視点でそれを眺め、さらにその我々よりも達観しているらしい爺さんの存在が、とりあえずは場を収めていくのだけれども、やがて・・・。ってな訳で、金への欲望に主人公がもてあそばれ、その描写と人物設定の上手さに我々がもてあそばれる、見事な語り口の作品です。
[CS・衛星(字幕)] 9点(2012-07-08 07:50:55)
45.  誰が為に鐘は鳴る
スペイン内戦を素材にしたヘミングウェイの小説の映画化。内戦終結から間もない1940年に発表されたこの小説を、早速映画化し、43年に公開、ってんだから、ものすごーくタイムリー(しかも実際は、内戦が終結したというより、戦火が第2次大戦へと拡大したのがこの時代)。ということを思うと、意外におとなしい作品、という気もします。打倒ファシスト!みたいなプロパガンダ色は感じられず、ベストセラー小説をそのまんまスペクタクル映画に焼き直してみました、というノリでしょうか。細かいことは抜きで、とりあえず戦争映画だからスペクタクルです、恋愛もあります、ちゃんとスターを起用してます、どうかよろしく、と。ハードボイルドな原作に比べると、やはり映画の方はいかにも軟派な感じで、愛想のよい作風。主人公ロバート・ジョーダンから受ける印象も、「ひたすら行動の人」と言う感じではなくて、結構ベタベタな恋愛シーンを繰り広げてくれちゃったりする、人間的なオジサン。恋愛ありアクションあり、まさに娯楽作品の王道、な訳ですが。ただこの映画、原作の細かいエピソードやらセリフやらを、あまり深く考えずにバカ正直に脚本に取り入れちゃったりしていて(細かくない所はカットするくせに)、ちょっと節操が無い気もします(そのエピソードなりセリフなりが、原作においてどういう意味を持つのか、映画の中でどういう意味を持たせるのか)。もうちょっとオリジナリティを発揮しちゃったりしてもよかったんでは・・・。ところでこの作品、観ているとどうしてもクーパーとバーグマンの二人に視線が行ってしまうのですが、何しろこの二人以外は皆、顔に薄汚れたメークをして、岩肌みたいな顔の色してるもんで、まるで保護色。まるでカメレオン。二人が目立つというより、二人以外が目立たないのです。
[CS・衛星(字幕)] 7点(2012-01-14 23:01:33)
46.  紳士協定
ユダヤ人差別を告発するために主人公の作家さんが、しばしユダヤ人としての生活を送ってみる、というオハナシ。当時としてはこのテーマを取り上げたのは画期的だった、と言われればそうなのかも知れないし、またこれが当時の限界だった、と言われればそうなのかも知れないけれど。でもやっぱり「浅すぎる」よね。時代の切り込み隊長を買って出るなら、それこそ“肉を斬らせて骨を断つ”というような、相応の覚悟が必要なのでは。「根深い問題でもありますし、まあこの程度から始めてみましょう」的なヌルさが、完全に作品をスポイルしているように思え、豪華で手の込んだ映画の作りが、かえって虚しくもあり。要するにオスカーを獲っちゃう程度の「手加減」が本作の泣き所。コメディとして笑いの中に風刺を効かせるでも無し、生真面目な作りの一方で、冒頭から「パパ、再婚しないの?」なんぞと、通り一遍の恋愛モノを予告してみたり。肝心の差別問題については、映画の中で映画的に描写されることも殆ど無く、軽いイジメラレ体験を息子に語らせてみるあたりが関の山。んなコトばっかりやってるから、後で(不本意であったとは言え)赤狩りにも加担するんでしょうが、と言いたくもなる。石をぶつけられる覚悟が無ければ、時代に楔を打つことはできない。この作品の存在自体が、“紳士協定”の上に乗っかっているような感じがして仕方が無い。無論、かく言う私こそ、そんな大それた勇気など持ちあわてはいないが、その勇気の無さをしっかり自覚して生きていきたいとは思っている。
[CS・衛星(字幕)] 4点(2011-12-04 10:16:54)
47.  怒りの葡萄
新天地カリフォルニアを目指し、ポンコツトラックに乗り込む一家の姿。その苦難の姿をただ卑屈に描くのではなく、むしろ一家をはじめとする登場人物たち各々が、活き活きと描かれ、また数々の印象的なエピソードが積み重ねられていくことによって、多層的なドラマが展開されます。見事と言う他ありません。舞台は大恐慌の時代、むかしむかしのオハナシな訳ですが、活き活きとした描写が古さを感じさせない・・・のみならず、むしろ今この時代に繋がる点が多々ありそうなのが、コワかったりもします。ある人たちは言う、太平洋戦争が勃発したのは、日本が戦争を起こすように仕向けられたからだ、と。この映画で描かれているアメリカの姿を見ていると、「そりゃそうだろ、そうせざるを得んだろ」という気がしてきます。どの国も苦しく、どの国も外へと活路を見出すしかなかった時代。国が矛盾を抱え、国民が飢え、国内に危機が巻き起こったならば、もはや「外敵」を設定するしかない。・・・で、現代、今。まさに、そういう時代、ですよね???  この映画のヒューマニズムこそ、今もっとも必要とされているものではないか、と。
[CS・衛星(字幕)] 10点(2011-11-17 00:13:29)
48.  晩春
またも出ました、原節子の「私、結婚しないワ」攻撃。って、時系列で言うと、コレが初めてなんですかね。じゃあしょうがないですね。本作、登場人物たちそれぞれの人生を多層的に描くというよりは、「娘の結婚を心配する父」と「父を心配して(ほんとに?)結婚しない娘」との姿に、比較的絞って描いた作品で、その代わり、冒頭の茶道のシーンから始まって、“ちょっと寄り道”的な、物語に直接関係の無い光景に、時間を割いているのが目につきます⇒とは言っても、“意外に時間を割いてる”というだけで、実は物語に関係ないどころか、大いに関係あったりするんですね。父の再婚相手(?)と初めて遭遇する、この茶道のシーン。電車で東京に向かうシーンも妙に長く妙に楽しげだけど、これは父との外出。父との仲の良さ。はたまたサイクリングのシーンの、これまた妙に楽しげな印象(やはり年頃の娘さんなのであって、男性とお付き合いすること自体が嫌いな訳じゃない)。白眉は、能のシーン。これでもかと長い。長いけど、そのシーンにはドラマがある。サスペンス。原節子の表情がコワい。⇒⇒⇒ってか、そもそも、この映画の原節子の視線と表情、全体的にとってもコワいです。ちょっと苦手です、ハイ。で、そんな彼女が、最後に見せる花嫁姿。去りゆく娘は、ひたすら美しく描かれる。黒の着物を見事に着こなしたその姿、まさに印象的な、名シーンだと思います。ところで、娘の結婚相手の“熊五郎”とはどんな男だったのか。まあ“寅次郎”じゃなくてよかったよね、御前様。
[CS・衛星(邦画)] 10点(2011-08-06 10:02:44)(笑:1票)
49.  わが谷は緑なりき
ウェールズ地方の炭鉱の町を舞台に、ええと、要するに、一家離散のオハナシですね(←その安っぽい言い方やめなさいっての)。一家の様子、町の人々の様子、さまざまな事件が、一家の末っ子の少年の目を通して描かれていくのですが、その見事な繊細さ。内容的には全然関係ないけど、中勘助の『銀の匙』をどこか思い出させるものがあります。炭鉱の町らしい、煙を吐く煙突群の幾何学的な面白さと、炭鉱の中の厳しさ。自然の美しさと冬の寒さの厳しさ。人々の交流と反目。これらが何ともノスタルジックに描かれ、どこまでも引き込まれていきます。上記のように、結局は一家がバラバラになっていってしまうのですが、そこに浮かび上がってくるのはむしろ、人と人との「絆」。映画が、悲しさよりもむしろ懐かしさをもって描かれていくのが、かえって感動を呼びます。神々しくすらある映画でした。
[CS・衛星(字幕)] 10点(2011-04-28 21:57:22)(良:1票)
50.  海外特派員
アイデア満載の超オモシロ映画。第2次大戦開戦にまつわる陰謀劇を描くサスペンスで、これもまた、戦時下に作られたタイムリーな作品ですが、作品を見る限り、そういうキナ臭さは全く感じさせず、いつでもどこでも誰でも楽しめる娯楽作品に仕上げているのは、さすがです。雑踏の傘を縫う追跡劇、風車の中のカクレンボ劇、その他その他、工夫の凝らされた映像を観て楽しく、洒落た会話を聴いて楽しく、二転三転する展開を、ご堪能あれ。
[CS・衛星(字幕)] 9点(2011-04-27 23:23:07)
51.  バターンを奪回せよ
ジョン・ウェイン主演の戦争映画、と来ればどんな大作かと思いきや、これがどうにも要領を得ない内容でして。ただ、この作品、日本との戦争の最中に作られたタイムリーな作品、なんですよね。だもんで、日本人は容赦なく徹底的に悪者として描かれ(蔑称“ジャップ”も連発され)ており、考えようによっては、時代の空気をしっかりと刻みつけた非常に正直な作品とも言えるかもしれません。例えば、指示に従わぬ民間人を吊るし首にする残虐な日本人将校。後日の反撃で捕えられると、早速彼も吊るされてしまうというあたりの、実にストレートな判りやすさ。善vs悪の構図を装いつつ、実際は、やられたらやりかえせ、のノリ。いや、ホントに正直だと思う。上述の「要領を得ない」と言うのは、後半の戦史を無理やり追いかけるような性急さもそうだけど、本作のキモであるハズの“バターン死の行進”が、意外にアッサリ描かれていることでして、これでは何だか局所的偶発的な残虐行為のひとつ、みたいな感じ。要するにこういった「要領を得ない感じ」というのも、もしかして、「当時としてはコレで十分に伝わる」ということだったのかな、と。戦後に作られた戦争スペクタクル映画と比較すると戦闘シーンもかなり貧相だけど、「当時としてはコレで十分盛り上がった」のかな、と。と言う訳で、いささか完成度の高い作品とは言いにくく、またそれだけに、「心しておかなければイケナイ事が世の中たくさんあるのだ」と言う事を感じさせる作品でもあるます。まあ、そういう中で、アメリカ人の活躍ばかりではなく、フィリピン人ゲリラの勇姿を取り上げている点は、―――アメリカがフィリピンを植民地にするのはOKなのかよ、とか言うツッコミはあるかも知れませんが―――映画に幅を持たせるという点に関しては、注目に値しますかね。
[DVD(字幕)] 4点(2011-04-27 23:04:22)
52.  硫黄島の砂
海兵隊のプロパガンダ映画的な側面のある映画ですが、そんなことを忘れるくらい、なかなか渋い作品であります。何しろタイトルからして『硫黄島の砂』。要するに、戦略的にはいかに重要な拠点であろうと、この「砂」しか無いような島を奪取するために、多くの兵士たちが血を流し斃れていく、という、やるせないオハナシ、なもんですから。ジョン・ウェイン演じるストライカー軍曹(鬼軍曹でありながら、どこか翳を感じさせる)を始め、それぞれに一癖ある登場人物たちの描き分けも活き活きとしており、単に「戦争のヒーローを描く」タイプの映画とは、趣きを大きく異にしております。実写を交えた戦闘シーンの凄まじさも、見ごたえあり、です。
[DVD(字幕)] 8点(2011-03-26 17:32:52)
53.  三人の名付親
スリー・ゴッドファーザーズです。『ゴッドファーザー』の3作目ではないんです。どっちかっていうと、『三悪人』ふたたび、ってトコですかね。この映画にも3人の悪人、銀行強盗が登場して、誰かを守る。誰かと言っても、今回の作品では、聖書における東方の三博士との関係が明確ですね。で、この、とりあえず聖書の導きに従うという感覚は、ワタシのような不信心者にはよくわからんところではあるのですけれど、3人の素朴なキャラと合わせて、この作品が一種の「おとぎ話」となっているところ、でもあるかと思います。札付きのワルである3人の男たち、保安官に追われ、砂漠の真ん中で水も尽き、しかしひょんなことから任された赤ん坊をひたすら守る。ある男は、助産師として赤ん坊の誕生を助ける。ある男はイイ声で子守唄を聞かせる。いさかいが起きても子はかすがい、拳銃片手に赤ん坊をあやし、また3人は団結する。そして3人は互いにいたわりつつも赤ん坊を守り続ける。自分たちにあらぬ罪まで着せられようとしていることも知らず、守り続ける。もはや3人の目的は逃亡でも生き延びることでもなく、赤ん坊を守ること。3人の名前を背負った赤ん坊は、3人が生きた証でもあるから。絶望的な行脚の果てに、やがて保安官の追跡の手が迫る・・・。と言う訳ですが、保安官の人物造形がこれまた、3人に劣らず魅力的。そんでもって、映画は最後に「アリゾナへようこそ」の立て札やら、オネーサンやら、そして汽車やら、という風に、映画のこれまでの展開が折りたたまれていくように結ばれる。これが何だかすごく感動的。いやあ、いい映画観たなあ。
[CS・衛星(字幕)] 10点(2010-10-25 00:18:55)
54.  ロープ
くそ長い(疑似)ワンショット撮影で有名なこの作品。まるで子供が「何秒間マバタキをガマンできるか」意地になって競っているような作品ですが、ここで行われているのはそんな遊びとはまるで比較にならない大がかりな実験。スタジオ撮影の極限を目指したような、ほとんど曲芸のような作品で、その執念にはただただ恐れ入るばかりです。しかし、そりゃ映画の裏側の事情でしょ、という気もして、映画を観る立場としては、制約の多い不自然な映画、という気もしてきて、要するにこれは映画作家の自己満足じゃないのかい、という気がしてくる。もっとも、「この作品に関する限り、それは言わない約束でしょ」と言われそうですけれど。確かにこの作品、徹底した長廻しにより、独特の時間の流れがここには表現されているし、その中で繰り広げられる人間模様のモザイクの中から犯罪の痕跡が徐々に浮かび上がり、やがて「探偵役」と「犯人役」の対決へと結びついていく、という脚本の巧みさも、見事。しかしその一方で、限られた舞台という制約が、やや人間関係の描き方を肉薄にしてしまったのも否定できないかな、と。作品の創作にあたって、制約はあくまで「可能性」を示すためのものであって欲しい訳で、制約がそのまま制約と感じられてはマズいですよね・・・? という点では本作、やや制約に引きずられた面のある作品に思われます。しかし、「どーだ、これで、一般の作品でアタリマエのように用いられている“切り返し”の意義がよーくわかっただろ」と言われれば、「すみません、まだ全然わかりません、勉強します」としか答えられませんけれど。映画は本当に難しい。
[DVD(字幕)] 6点(2010-04-19 02:45:02)(良:1票)
55.  キー・ラーゴ
嵐の夜に、ギャングに立てこもられたホテル、というシチュエーションが、はっきり言って、ソソります、じゅるじゅる。舞台劇が元になっているそうですが(観れば明らか)、映画作品として見事に再構築されています。客の集う昼のホテルと、営業時間外の夜のホテルの対比。しかもその夜のホテルたるや、中はギャング、外は嵐と、そりゃもう大変。それを挟むように、映画の冒頭と終盤ではホテルの外が舞台となるんだけど、そこでも、のどかな海辺の光景と、船上の対決の緊張感が好対照。伏線も効いていて、なかなか秀逸なサスペンス。だと思ったんですけど、ダメすか?(もっと点数高いかと思ってた)
[CS・衛星(字幕)] 8点(2009-05-17 15:28:23)
56.  虎の尾を踏む男達
さてここでも、「映画はなぜ、おなじみ“勧進帳”をわざわざ取り上げるのか」という問題が(しかもこんな苦しい時代にわざわざ作った映画だよ)。もしも映画という芸術が「特定の“文脈”の中で捉えられるべきものではない」「独立し完結したものとして鑑賞されるべき」というならば・・・ならば、なぜ、「○○○を映画化!!」みたいな安直なコトをするのか。映画はまず外部との連関を拒絶する努力を徹底して行うべきではないのか(って、勿論、してる作品はしてるんだろうけどね、えへへ)。“音楽”という芸術は、20世紀に、血の滲むような努力、ってか、試行錯誤をとめどなく繰り返してきたぜ。で、それは、きっと、失敗だったのかもしれないけど・・・。すみません、これ以上書いても結論なんぞ到底結論なんて出ない。別に不満があるわけでもない。今のところ何となくぼんやり考える、だけ。で、とりあえず、本作の話。いや、実はここでも、本作がそのヒントになるのかも。最近よく聞く“○○○の完全映像化!”とかいうのとは、まったく異なって、ここでは、パロディとしての味わい。特にエノケンという狂言回しの存在が、本作をひとつの新しい作品へと導いており、こういう映画に触れると、何となく、「原作があり、そして、映画がある」という、すでにアタリマエになってしまっている図式に、改めて「ああ、なるほど、そういうことか」と納得できてしまったりするのです。それにしても。後半の、スタジオ感バリバリの雰囲気、音響とかにも十分に気を使っていない(使えていない)感じがするのですが。でも、その不自由さが、(妙な所に)綿密なクロサワ映画に加えられたことで、一期一会の絶妙な味わいを醸し出した、という気も。また、せめて最後にもう一度、屋外シーンを見せて欲しいなあ、と思っていたら、これもしっかりと、とっておきの「空」を背景にラストシーンを見せてくれて、うれしくなっちゃうのでした。
[CS・衛星(邦画)] 8点(2009-05-04 21:52:47)
57.  肉体の悪魔(1947)
レイモン・ラディゲ16~18歳の時の作品『肉体の悪魔』。彼はその後『ドルジェル伯の舞踏会』なる驚くべき作品に到達し、人生を猛スピードで駆け抜けた挙句に豆腐の角に頭をぶつけて死亡。まさに夭折の天才。一方、若き日の三島由紀夫は「オレも相応の作品を作らねばならぬ」という強迫観念に駆り立てられ、やはり16歳で『花ざかりの森』なるワケワカラン作品(失礼)を生み、さらにラディゲに真っ向挑戦した『盗賊』なる偉大な失敗作を世に問うた後、独自の世界へと飛翔、さらに肉体改造によって、肉体の悪魔ならぬ悪魔の肉体となり、ターミネーター、コマンドーで一躍スターとなってカリフォルニア州知事へ。と、それはともかく。そもそも、ラディゲなり、スタンダールなり、こういう、解剖学的な心理小説とも言うべきものを、なにゆえ、「映画」というやつは、あえて“映画化”してしまうのか。文学だからこそ到達できた世界に、なぜ映画が、映像というむしろこの世界とは相容れぬ武器を手に、関わろうとするのか。こういったところから、私の「そもそも、映画って、何?」という疑問、ジレンマが、始まるわけで。しかしまた同時に、この作品にはすでにその解答、とまでは言わぬまでも、そのヒントが顕れているようにも思われます。なぜなら現に、この作品を、原作を離れて、映画として、楽しんだのだから。映画はあくまで心理への切り込みよりも映像による“劇”として展開、その分、やや軽いノリという印象もあるのですが、恋愛サスペンスとして観ても十分楽しめるオモシロさも。結局のところ、小説と映画の関係を、「材料は同じでもカレーと肉じゃがは全然違う」という立場で捉えるか、「カレーも肉じゃがも、材料をたどれば同じもの」という立場で捉えるか、という問題なんでしょうね(と、意味不明の納得の仕方で唐突に終わる)。
[CS・衛星(字幕)] 7点(2009-05-02 16:13:49)
58.  ガス燈(1944)
ガス燈が時々暗くなっただけで騒ぎすぎなんだよ~、と言いたくなるのだけど。さらに、犯人バレバレやんけ~、とも言いたくなるのだけど。犯人バレバレな分、はたまたヒロインが妙にカンが悪かったり良過ぎたりする分、見どころは「展開をどう見せるか」にあるわけで、陰影に富んだ映像とともに、物語はどこに行きつくのやらわからない微妙な展開を見せ(あとで考えれば結構無難な展開だったナーという気もするが)、よく出来たサスペンス映画でした。ケチをつけるなら、「出来すぎのサスペンスには必ずしもハラハラさせられない」ってトコですかね(笑)。
[CS・衛星(字幕)] 8点(2009-03-14 18:16:44)
59.  野良犬(1949)
おもしれ~!と思わずうならされる刑事サスペンス。イタリアでは「自転車泥棒」が出没している頃、日本ではピストル泥棒が発生。暑い暑い最中、暑苦しい顔の刑事(ミフネ)が拳銃を盗まれてしまう。町中を彷徨う刑事(もちろん彼は他人の拳銃に手を出したりはしない、よね?)、その執念が前半描かれるのだけど、手がかりを持っているらしい女性を追い続ける場面の、セリフの無いパントマイム劇が見どころ。このシーンの音楽もなかなか絶妙。この映画、既成音楽の引用も多い(シーンと対比される明るい音楽がしばしば用いられる)のだけど、やっぱり早坂文雄のオリジナルスコアが、見事であります。さて映画後半は、ベテラン刑事(シムラのおっちゃん。結構若い)との捜査が描かれます。拳銃が悪用されるたびに大げさに悩むミフネ刑事の深刻ぶり加減が、良くも悪くもクロサワ映画だのう、と思っちゃうところなのだけど、そういう“舞台的”“戯画的”な部分が、この映画では特に、数多い登場人物の存在感をそれぞれ際立たせ、「うまい脚本だなあ」と思わせられるところです(脚本のウェイトの高さが、黒沢映画の批判を受ける部分かもしれませんが)。野球場のシーン、あるいは安ホテルのシーンでの、無類のサスペンス感覚。クライマックスの対決シーンも忘れられない。子供たちの歌声を背景にした、犯人の呻きは、時代そのものの呻きでもあります。戦後まもないこんな時代によくこれだけの作品を作った、と同時に、この時代でなければ生まれなかった作品、なのかもしれません。
[CS・衛星(邦画)] 9点(2008-12-09 17:20:59)
60.  續・姿三四郎
へなちょこボクシングや、へんてこカラテとの、異種格闘技戦の火花を散らし、ますます妖怪映画(?)への道を突き進む三四郎シリーズ。冒頭の不良外人とのやりとりなど、細かいカットによるコミカルな演出がなかなか楽しかったりします。特に、新弟子の左文字が入門後、徐々に上達していくのを表現する場面での、見事なまでの手抜き、いや違った簡潔さ、これにはつい笑ってしまいました。クライマックスの雪山での死闘、なんでわざわざこんな場所で戦うのか、と言えば、それは「クロサワ映画だから」としか答えようがないのですが、今作の場合、敵役のカラテが、できそこないのカンフーみたいにぎこちなく、観ようによっては「あー、極寒下のロケが過酷過ぎて、体がかじかんでこんなにギクシャクしてるんだなー」とも思えてしまうのですが(笑)。三四郎シリーズ、この先もっと続編が作られてたら、どこまで“壊れて”いったことか、気になりますね。
[CS・衛星(邦画)] 7点(2008-11-24 07:28:15)(笑:1票)
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