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マーチェンカさんの口コミ一覧[この方をお気に入り登録する

プロフィール
コメント数 206
性別 男性
ブログのURL https://www.jtnews.jp/blog/22117/
年齢 43歳

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41.  平成狸合戦ぽんぽこ 《ネタバレ》 
この前久しぶりに見返したのですが、いや予想以上に楽しめました。個人的には最近のカラフルな(しかし少々目が疲れもする)アニメに見慣れていたせいもあって、こういう正攻法のまっとうな(セル)アニメは返って新鮮でもあり、最後まで飽きずに見ることができました。  さてその内容についてですが、今回見返してみて一つ気が付いたことがあります。この作品の内容、実は他ならぬ宮崎駿監督の『もののけ姫』と大きく重なるのではないかと、見ていて思ったのです。自然と人間の対立(しかも他ならぬ「自然」の側に動物=タヌキが!)と共存の問題、憎しみの連鎖とテロの問題・・・いずれも『もののけ姫』の中核に存在する、無視できない要素です(またいずれの作品でも、争いの最中にとうとう死人まで出てきてしまいます)。  しかし同じ問題を取り扱いつつ、この2作品はその内容で際立った対照を見せています。『もののけ』では、これらの重い要素と真正面から取り組んだ結果、導き出された結論は様々な困難と格闘した結果のギリギリのものとなっているのに対し、『ぽんぽこ』ではそれらをなんとも鷹揚に受け止め、かなり深刻な対立が発生するにも関わらず、最後はもはや牧歌的な(下手をすれば能天気にも見えるような)結末を迎えています。  またその内容にしても、『もののけ』と比べてより日常的な感覚で観客に訴えかけるものがあると感じました(たとえばラスト、「人間離れした人間」として何とか生き抜こうとしている「化け狸」の姿などは、単純に日々一生懸命働いて神経をすり減らしている多くのサラリーマンと重なるようで、僕などはこの辺りに高畑監督の目線の暖かさを感じます)。  こういう重い題材を、笑いもそこかしこに散りばめつつ実は真剣に扱って見せ、観客の心にしっかりと感触を残せる作品を作り上げた高畑監督、やはり凄い人だと思います。
[地上波(邦画)] 9点(2006-11-21 17:59:46)
42.  ハウルの動く城 《ネタバレ》 
この作品について強く感じたのは、前作『千と千尋』から引き続いて「生きる力」が、描かれているという事でした・・・これは以前に書いたレビューの冒頭ですが、今回見返してみて、この感想をより自分の実感に即した、生き生きとしたものとして感じ取ることができました。  作中ではあまりにもさりげなく描かれていますが、冒頭のソフィーのどこかすっきりしない様子は、この作品の重要なモチーフとなっている「人の心」を表しているのではないかと思います。父親の店を自分が継がなければならないという義務感から自分を抑圧していたソフィーは、いつの間にか生き生きとした「自分だけの」心の動きをも、見失っていたのです。  そしてソフィーとハウルの二人を結ぶのも、この「心」というキーワードであるように見えました。ハウルは幼い頃に星を飲み込み、「自分の心」と引き換えに大きな力を手に入れますし、またハウルの心には「怪物」が潜んでいます(と言うより心の一部が怪物である、ということでしょうか)。そして自分の心の生き生きとした動きを取り戻したソフィーは、「あなたが怪物でも良い」と言い切って、ハウルを愛するのです。  この作品は、人の心がどれだけその生き生きとした動きを知らない間に失っているのか、そしてその動きを取り戻した時にどれだけ人が強くなれるのかという事が描かれていると感じました。親の店の引継ぎを振り切って、「心臓を取ってしまう」という恐ろしい噂がついてまわる男を愛し、徹底して自分自身の心に素直に行動するソフィーを形にした宮崎監督は、実は「人は心の動きを失いうる存在であり、一度それを取り戻すと世界の常識や決まりが無意味になってしまう」ということを浮き彫りにした、とても大胆な作品を作り出したのではないかと思います。
[映画館(字幕)] 10点(2006-04-15 00:28:35)
43.  魔女の宅急便(1989)
「確かにこれは子供向けでしょうね。ある程度の大人なら、見るのはちょっと退屈かも知れません」・・・これは今から3年以上前に投稿したレビューの最初の2行ですが、今は僕はそう思いません。確かに物語は明らかに、「13歳(特に女の子)」に向けて作られていますが、内容は大人にも十分訴えるものも持っていると、今はそう感じます。  これから働こうとしている人としてキキが描かれている限りで、この作品はキキと同年代の(そう遠くない将来に働くことになる)子どもたちへの「応援歌」であると同時に、働き始めて仕事上の苦難に遭遇し、周りの暖かさに支えられてそれを乗り越えていくキキの様子に注目すると、これは現在働いている人たちへの「応援歌」とも言えると思います。  生きている限り、人は必ず自立し、働くことになります。僕はこの作品に、そういう「これから働くことになる人、そして現に働いている人」たちを、静かな説得力でもって力づけてくれるような暖かさを感じます。  「神様か誰かがくれた力なんだよね。おかげで苦労もするけどさ」・・・ウルスラがこうつぶやくまでのあの一連のシーンを見ると、いつも僕は、「働くこと」、しかも「自分の能力を生かして働くこと」が、何か特別な、まさに神秘的なもののように感じます。   <追記>母親のホウキを使って、特に何も考えずに飛んでいたキキが、深刻な挫折の後に、仕事のため、そして友を助けるためという自立した意志を持って、ホウキの代わりにデッキブラシで飛ぶ・・・今回見直してみて、このキキの変化にとても興味が湧きました。デッキブラシは荒々しく、キキの乗りこなしも不器用です。しかしキキは、それでも一生懸命にデッキブラシにしがみついている・・・もしかしたら監督は、このようなキキの姿に、自立し始めた若い人たちの荒々しさ、不器用さ、そして一生懸命さを投影させているのではないか、そう思いました。
[地上波(字幕)] 9点(2005-11-03 15:14:38)
44.  BLOOD THE LAST VAMPIRE 《ネタバレ》 
何しろ50分程度という短さですから、物足りなさを感じてしまうのは仕方のないところですが、それでもかっちりと作りこまれた作品内容となっていますので見ごたえは十分でした。あの「オニ」の造形(「人外」という言葉があるんですね、皆さんのレビューで初めて知りました)も面白かったし、最後にどうしてそれらが基地に向かっていたのかというオチも、僕自身は納得できるものでした(不謹慎かもしれませんが、これまでの大きな戦が生み出した死屍累々の中に、あのオニに襲われた死体が含まれ、また古今東西の戦場でそれらもまた密かに人を襲っていたという事は、何となくありそうなことだと思わされます)。  その一方で、確かに小夜の過去に関して掘り下げが足りないという印象も拭いきれませんが、それはそれで観る者の想像力を刺激しないわけでもありません。まぁこの点は、これから始まるTVシリーズで徐々に明らかにされることかもしれませんが。  工藤夕貴の吹き替えは、僕の予想を遥かに超えて優れていました。僕自身は、吹き替えに危惧を感じていてこの作品をなかなか見る気にならなかったのですが、今回見てみてそれが全くの間違いだったことがわかりました。意外と太いその声が、作品のハードボイルドな雰囲気ととてもよく合っていたと思います。
[地上波(字幕)] 7点(2005-10-10 01:22:45)
45.  火垂るの墓(1988) 《ネタバレ》 
僕にも妹がいるのですが、そのせいかはじめて見たときは、単純に悲しい気持ちにさせられました。それから何度か見返していくうちに、僕もやはり皆さんご指摘の清太の言動が目に付き始めました。僕としては、清太のあの愚かな行いに気が付いて、余計に彼ら二人の哀れさと、清太の(悪い方面での「子供っぽさ」と表裏一体になった)純粋さを感じました(無人の家に忍び込んで盗みを働き、「ざまあ見ろ」とばかりに笑う様子は、全く「子供」にしか見えません)。彼のあの愚かしい言動さえも肯定するつもりは毛頭ありませんが、僕としてはやはり彼があのような言動を取るに至った当時の状況(戦争)に思いが行ってしまいます。戦争という状況が、彼の子供っぽさ・純粋さに悪い方向に作用してしまい、最終的に妹を「殺す」事になったのではないか・・・そう僕には見えました。  <追記>この前久しぶりに見返しました。今度は意識的に、清太が親戚の家に居候した時を想定して「自分ならどうするだろう」と仮定してみました。答えは・・・正直言ってわかりません。僕自身は小心者ですので、どうにか不愉快な気持ちを押し殺して(清太よりは)上手く振舞ったかもしれませんが、しかし自分で自覚している自分の「愚かな部分」を思い合わせると、何とも言えなくなります。 僕自身は、非常に大きな数の人間を広範囲長期的に拘束する戦争という状況下では、皆がみな的確な行動を取ることは、とても難しいのではないかと思います。言ってみれば、こういう状況下では、人間の抱えている「愚かさ」みたいなものが、どうしようもなく表に出てしまう場面が存在するのでは・・・そう思ってしまうのです。 そしてこの映画の場合、その「愚かさ」は清太に現れました。後半で清太が見せる盗みはもとより、「自分と妹の二人だけで生活していける」という(致命的な)思い(込み)にしても、その思いの出発点がどれだけ純粋なものであっても、結果として妹を死なせる事になってしまった限りにおいて、「愚か」としか言いようのないものです。そしてこの愚行の出発点にあるこの純粋さの故に、僕は何ともやりきれない気持ちになります。 そしてこの清太の「愚かさ」と、その結果による節子の死と、これらの結果全体の「どうしようもなさ」を思うとき、僕は本当に哀れな気持ちになるのです。
[映画館(字幕)] 9点(2005-09-13 22:31:25)(良:2票)
46.  スター・ウォーズ エピソード1/ファントム・メナス
これもやはり近々公開のEp3のために、久しぶりに見返してみたのですが、まさか一番最初に見たときより面白く見ることができるとは予想していませんでした(ちなみに前の採点は6点でした)。以前は安易と感じられたストーリー展開も、今回はそれ程気にはなりませんでした。今では、このEp1の陰の薄さは、作品作りのまずさより以上に、物語の設定自体がその様な「薄さ」を強いたためではなかったかと思っています。  そもそもこの新三部作では、いかに共和国に暗黒面のとばりが落ちて行くかが描かれていると思うのですが(もちろん新三部作の中心的な主題は、アナキンの「変貌」にありますが)、そういう暗黒面の陰謀は、すぐにそれとわかる形で進める訳には行きません。分離の恐れが強まっているとは言え、共和国も一応は機能している中で陰謀を成功させるには、やはり水面下的な巧妙さが必要とされるでしょう  言ってみれば、この作品の陰の薄さは、映画的な劇的展開を見せるような陰謀は「陰謀」にならないという制約のゆえではなかったかと僕は思っています。もちろんヨーダを中心としたジェダイの面々は、この争いの背後に暗黒面の陰を感じますが、しかし一体どこからどこまでが仕組まれたことなのかまではわかりません。  今から思うと、最初に見た時に感じられた全体的な「薄さ」は、この陰謀の見え具合の薄さによっていたのかもしれません。昔はそれを「この作品の欠点」と見ていましたが、今ではそれもこの作品の持ち味の一つとして感じることができます。ところどころでじわりとその姿を垣間見させる暗黒面の陰の不気味さを、今回は楽しむことができました(とは言えこの様な見方は、一スターウォーズ・ファンの好意的な見方の一つでしかありません。中にはこの薄さを、あくまで作品の弱点と見る方もいらっしゃるでしょうし、それを否定するつもりは一切ありません)。  もちろん新三部作には、旧三部作には見られないような「傷」が散見されます(個人的には、ジェダイの資質が血液中の共生生物の多寡によって数値化されるという設定が、だいぶ興ざめでした。必要の無い設定だったのではと思われてなりません)。しかし僕自身は、以上の理由で十分この作品も楽しむことができました。ちなみに殺陣は、今回見直してみても相変わらず見事だと感じました。
[ビデオ(字幕)] 7点(2005-06-15 21:34:54)(良:1票)
47.  スター・ウォーズ エピソード2/クローンの攻撃 《ネタバレ》 
この夏にいよいよ公開される『シスの復讐』に備えて、久しぶりに見返してみたのですが、全く自分でも思いがけないほどに面白く見ることができました。映画館での感動と衝撃がよみがえったと言っても良いほどです。  さて今回見返して、やはり過去の三部作との強い関連を改めて感じました(既に多くのレビューが投稿されているので、僕がこれから指摘する点なども、ファンの方には先刻承知の事ばかりでしょうが、その点はどうか許してください)。ナブーでの朝に、アナキンがテラスから湖を眺める時の彼の姿勢などは、明らかに旧三部作のベイダーの姿に重なります。そして特に強く感じたのが、全体的にこの新三部作が旧三部作の「ネガ」になっているという事です。  旧作との関連を楽しみつつ鑑賞するというこの点は、物語内の時系列が逆転した形で製作が開始されるという、極めて異例な道を辿っているこの『スターウォーズ』だからこそ味わえる魅力だとも言えるでしょうが、その一方でこの先に続くであろう物語の内容を、観客にある程度予測させてしまうという弱点もあります。  しかしこの弱点も、恐らく『スターウォーズ』ならではのやり方で克服されるのではないかと、僕は思って(と言うか期待して)います。そもそも「暗黒面」というのは、全てを思いのままに予言(ひいては支配)しようとする欲望と強く結びついているのであり、その予言を可能にするのは、自分でも制御できない「憎しみ」であり、「悪」の力ではないかと僕は思います。そして「自分でわかっていてもその力に身をゆだねてしまう」という事は、恐らくEp3のアナキンも強く感じるはずだと思うのです。  言ってみれば、「どうなるかわかっている」のは、観客とアナキンの共有事項ではないかと僕は思っています。後はその「わかっている」事をいかに描くかが重要だと思うのですが、僕はEp3においては、それは「わかっているが故に悲劇的になるしかない」という風に描かれるのではないかと感じています。  こうなっては、いやが上にもEp3がいかなる「悲劇」となるのか、強い期待を抑え切れません。それはともかく、このEp2も、単独で見て十分鑑賞に耐える傑作であり、またEp3へ接続するという大役をきっちり果たしていると僕は思います。
[DVD(字幕)] 9点(2005-06-13 19:11:19)
48.  シャイニング(1980) 《ネタバレ》 
初めてこの映画のレビューを投稿したのはもう三年近く前ですが、三年というのは一本の映画に対する評価を大きく変えるのに十分すぎる時間のようです・・・というのも、その最初のレビューで、僕はこの作品に6点という得点をつけたからです(苦笑)。  最近になって久しぶりにDVDを引っ張り出して見返してみたのですが、いや面白い面白い。キューブリックの徹底的なこだわりによる、あの無機的とも感じられるような映像美が、冷やりとした怖さを醸し出していて、ネタを知っていたにも関わらず見事に作品世界に取り込まれてしまいました。  最初に見た時は、僕はたぶんストーリーや(オーバールック・ホテルの「住人たち」の登場のさせ方といった)道具立てやその用い方といった部分のみを追っていて、上記のような「言語的な部分以外の持ち味」といったものをも含めた「面白さ」に目が行っていなかったのだと思います(確か最初のレビューでは「ラストが余りにもチープであり安易ではないか」という趣旨の事を書いていました)。これには、僕がキングの原作を先に読んでいたことが、大きく関係していると思います。原作にあった筋運びや道具立ての巧みさを基準にしていたために、最初は上のような見方をしていたのかもしれません。  今となっては、自分がラスト辺りの一体どこに「チープさ」を感じていたのか知るべくもありませんが、現在はこの作品も大好きとなりました。遅ればせながら、この監督の「凄み」といったものを再確認した次第です。
[DVD(字幕)] 9点(2005-04-03 19:33:54)
49.  千と千尋の神隠し 《ネタバレ》 
鑑賞する回数を重ねる度に魅力を増していく作品は、アニメ(映画)に限らずあらゆるジャンルにも存在しますが、僕の場合それは同じ宮崎監督による『もののけ姫』でした。しかし現在は、この『千と千尋の神隠し』がその位置を占めています。  僕は映画を見ても「泣いて感動する」という事が余りない方なのですが(『ナウシカ』も『トトロ』も、大好きな『ラピュタ』も、あるいは『ニューシネマ・パラダイス』などの「感動の傑作」と言われている他の作品でも、感動はしても泣くことはありません)、前からこの『千と千尋』だけは別でした。千尋のあの健気な姿を見ては涙ぐんでいたのですが、今回見返してみて、自分でも思いかけないくらい感動してしまい、何度も涙が出てきてしまいました。  『もののけ姫』以来、宮崎作品は作中の一つ一つの事柄に象徴性が持たされるようになり、それらの事柄を一つ一つ「読み解いていく」のが、これら最近の宮崎作品を見る時の個人的な楽しみとなっていたのですが、この『千と千尋』も、やはりそんな象徴性に満ちた作品であり、これまではどちらかと言うとそのような鑑賞の仕方をしていました。しかし今回見た時は、そういう様々なメタファーやらシンボルやらということ以前に、作品全体に満ちており、千尋を暖かく包み込んでいる「優しさ」に対して、深く心に染み渡るような感動を覚えたのです。  そしてこれまで僕がこの『千と千尋』にあると感じて来た象徴やら何やらといった事柄が、全てこの千尋(そして千尋と同年代の子供達)に対する「優しさ」につながっているのではないかと思うようになったのです。正直言って細かいところを見るとまだまだ消化不良なところがあると感じているのですが(それはもちろん僕自身の感じかたの方です)、それでも僕は、何とも暖かいことこの上ないこの作品を、僕にとっての宮崎作品第一の傑作としたい気持ちです。
10点(2004-12-26 00:37:10)
50.  イノセンス 《ネタバレ》 
恐らく押井監督はこの作品において、「人形」と「人間」を区別せず、そして(人間自身を含んだ)「動物」に対する愛と「人形」に対する愛をも区別しないという姿勢を取り、そこから見えてくるものをこの作品で表現しようとしたのではないかと思います。  個人的に印象に残っているセリフで、「鏡は瞥見するものであり熟視するものではない」というものがあるのですが、これに関しては、作中に出てくるような精巧な「人形」が登場するようになれば、人間と人形との境界が曖昧になっていくばかりであり、そのような状況であえて人間と人形の区別を問うことは、それこそ人間の存在基盤を曖昧にしてしまう恐れがある、従って我々はあえてこのような問いを発するべきではない、すなわち「鏡を熟視」すべきではない・・・こういう意味があるのではと思っています。  僕はこういう主張に対しては、ある程度共感すると共に、「ちょっとそれは考えすぎではないのか」という気がしないでもありません(もし上に書いたような主張が本当にこの作品に込められているのだとすればですが)。例えば作中での「子育て=人造人間製造の欲望」という考えに関しては、実感としてピンと来ない上に、このような考え方が余りにも論理的であり、人間の「人間臭い」面を軽視しているのではないかと思えてなりません。  もっとも、この点に関しても、押井監督は監督なりに回答を用意しているのかもしれませんが。そしてその回答が、ラストにおける少佐とバトーとの再会シーンに込められているのかもしれません。個人的に異論もあるとは言え、結局この点数にしたのは、このラストの展開がやたらに感動的だったからです。   <追記>久しぶりに見返してみて、その時もラストに至ってやたらに感動してしまいました。そしてその時になって、その原因が作品の構造にあるのではないかということに思い当たりました。  この映画は、物語が進むにつれて、人間の人間たる基盤みたいなものを揺るがしていく(もっともこれは押井監督の意地悪ではなくて、あくまでご本人の問題意識の表れなのでしょうが)という構造を持っていますが、ラストに至って少佐が「登場」し、そこでようやく徹底的に揺るがされた「人間性」に訴えかける事により、見る者(と言うかこの場合僕自身ですが)に何とも言えない、虚無的な寂寥感を伴う感動を与えるのではないか・・・こんなことを思いました。
9点(2004-12-10 16:53:02)(良:1票)
51.  フルメタル・ジャケット 《ネタバレ》 
前半の訓練所で、教官がやたらと新米たちを「お嬢さん」などと呼んだり、「微笑みデブ」レナードが、失敗するたびに指をしゃぶらされたりする場面がしばしば出てきますが、今回見直してみてようやく(苦笑)その意味がわかったような気がしました。つまり新米は「女」でしかなく、ましてや無能力者はそもそも「子供」でしかないのであり、つまりは「男扱いされない」ということだったのですね・・・訓練所で新兵のこういう「女性性・幼児性」を見せ付け、屈辱を味わわせ、それをバネにして一人前の兵士、つまりは「男」に仕上げて行くという訓練の一面が、今回見直してみて見えた気がしました。他にも、「性」、「神」、「思想(自由、資本主義)」、そして「愛国」といった要素が見えますが、一人の人間を「殺し屋」に仕立てるには、何とも数多くの後ろ盾が必要になるみたいです。
10点(2004-11-28 15:33:36)
52.  プレデター2 《ネタバレ》 
舞台が変わっても、映画の作りは「1」から全く変わっていませんね。「いつモンスター(あるいはゴースト、ゾンビ、etc)が出てくるの?」と観客をハラハラさせるタイプの映画は、続編を作る時にこういうところでかなり得をしていると思います。この映画はビジュアル面でも楽しめるので、退屈せずに見れました。<追記>既に指摘されている方がいらっしゃいますが、僕も今回気が付いて嬉しかったのでついでに。宇宙船に乗り込んだ時に、これまでに「狩った」獲物の骨が見えますが、その中にやたらと後頭部の長い骨が・・・AVPが12月に公開されますが、この骨がもし本当に「あれ」なのだとすれば、14年前からきっちり伏線が張ってあったということでしょうか。
6点(2004-11-26 23:38:09)
53.  エイリアン
この前この映画を見返してみたのですが、これは本当に面白い、緊張感のある映画ですね。個人的には3までのエイリアンシリーズが好きなのですが、その中でもこの第一作は僕にとっては別格的存在です(一大アクション映画である2よりは、静寂をうまく使ったこの作品の方が個人的に好みです)。
9点(2004-07-22 12:09:01)
54.  風の谷のナウシカ 《ネタバレ》 
僕自身は、テーマの掘り下げ方や世界観の深さ、それにスケールの大きさで言うとマンガ版に分があると感じているのですが、映画の方はそんな違いなんか吹き飛ばしてしまうくらい、見る者の「感情」を直撃する抒情に満ちています。  しかし個人的には、このような「抒情」(主に「優しさ」でしょうか)は初期の作品だからこそこれだけ存分に盛り込まれ、のびのびと表現することができたのではないかと思います。全体的に僕はこの劇場版からは、『もののけ姫』や『千と千尋』といった最近の2作、そして原作の『ナウシカ』には無い「無垢さ」を強く感じるのですが(それは例えば、登場人物全体が最終的にナウシカという存在に引き寄せられ、物語が彼女を中心にしてきれいに解決を見るという展開からも強く感じます)、こういう「無垢さ」は、製作者が認識を深め、改めて行けば行くほど、素直に表現する事が困難になるのではないかと僕は思うのです。極言すると、目の前で行われている戦争の真っ只中に飛び込んで、たった一人で本当に「愛」や「優しさ」を説く事ができるのか、また説いた所でどれほどの影響を及ぼすことができるのか、という事を考え出すと、とてもこの『ナウシカ』のような映画を再び作ることはできないのではないかと思います。この文字通りの純粋無垢な内容が、この作品の弱いところではないかと僕は感じています。  しかしこの作品の場合、その「弱点」が同時に「魅力」であるとも感じています。下手をすれば皮相な綺麗事と取られかねない主張を持つ人物(=ナウシカ)を設定しつつ、その人物に嘘臭さやいかがわしさが全く感じられないのは、やはり見事としか言いようがないと思います。
8点(2004-07-22 12:03:52)
55.  もののけ姫 《ネタバレ》 
僕はどうも、こと『もののけ姫』となると、ダラダラと書いてしまう様です(もちろん今書いているこのレビューもそうでしょう)。そこでこの作品に関しては、個人的に最も重要であると思われるポイントに絞って、レビューを書いてみたいと思います。  この作品における最重要ポイント、それは「アシタカ」という人物に尽きるのではないかと思います。作品における表面的な構図(つまり「自然対人間」という対立構造)とは裏腹に、「自然」に関するメッセージ性はそれほど強くは無いのではないかと思います。そして仮に「強いメッセージ性」がこの作品にあるのだとしたら、それはただ一点、「憎しみへの警鐘」ではないかと思っています。  実際この作品では、「憎しみ」は様々に形を変えて描かれます(ある時は身体を蝕む不吉な痣として、またある時はヒルのようなぬらぬらした姿を取って)。そしてこの作品に関しては、その「憎しみ」は「死」とも密接に結びついているのです。『もののけ姫』においては、作中に渦巻く憎しみの源泉として、この「死(への恐怖)」が描かれています。そして主人公のアシタカは、作中の錯綜した対立構図(自然対人間、人間対人間、そして人間対「神」)と共に、この「憎しみ」と「死への恐怖」をも背負っているのです。  そして僕にとっては、このような「重荷」に対してアシタカが最終的にどの様な解決をもたらすのか、という点よりは、このような「重荷」から逃げ出すことなく、様々な状況に真正面から、しかも「憎しみ」をできるだけ排除した上で対決しようとしているその「姿そのもの」に、大きな魅力を感じています。この『もののけ姫』は本当に豊かな作品だと僕は思うのですが、個人的には、その豊かさの多くは、このアシタカという人物に負っているのではないかと思います。
10点(2004-07-22 11:47:21)(良:1票)
56.  クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶモーレツ!オトナ帝国の逆襲
<ネタバレあります>何だかやたらに評判が良いので、ちょうどTVで放送していたものを見ました。いやぁ、これは本当に面白かったです。しんちゃん、相変わらず笑わせてくれました(それと今回は相当健気ですね・・・)。まぁしんちゃんのおバカ振りはいつものこととして、かなり深い内容でした。高度経済成長期の下町の「ニオイ」とか大阪万博の雰囲気とかは世代の相違でよくわかりませんでしたが、「やたらに懐かしがる」気持ちは僕にもよくわかります。こういうどうしようもないノスタルジーを抱えつつ「今」を生きることを決意するヒロシたち大人の姿が、やたらに切なかったです。
8点(2004-07-19 23:18:56)
57.  ポゼッション(1981)
初めは「何でも良いからイザベル・アジャーニが主演している映画を見たい」という気持ちがあっただけなので、正直言って全く何の予備知識もなしにこの映画をレンタルしたのですが、それだけに最初から最後まで圧倒されっぱなしでした。「善と悪」とか、「魂と肉体」(それと「戦争とドイツの分割」?)といったテーマ性も一応は感じることができますが、それ以上に映画全体にみなぎっている訳のわからない迫力に僕は完全に飲まれてしまいました(そして言うまでもなく、この「迫力」の醸成に大きく貢献しているのが、あのイザベル・アジャーニの怪演でしょう)。はっきり言って今の僕にはこの映画が傑作なのかただのキワ物映画なのか判断がつきませんが、「自分がどれだけ気に入ったか」とか「楽しんだか」といったことを基準にすると文句なくこの点数になります。『ジェイコブズ・ラダー』が好きな方はもしかしたら楽しめるかもしれませんので、興味が湧いた方は一度見てみてください。ただ、アクの強さは『ジェイコブズ・ラダー』よりも数十倍上ですが・・・訳のわからないコメントでごめんなさい。
10点(2004-06-13 00:52:21)(良:1票)
58.  セロ弾きのゴーシュ(1982)
高畑勲監督による「セロ弾きのゴーシュ」の映画化です。原作はもちろん宮沢賢治です・・・あれから(というのはこの映画を登録していただいた時のことですが)ようやく原作を読み、それから改めてこの作品を見てみたのですが、おかげでこの作品が、かなり原作に忠実な作りになっていることがわかりました。ただ、原作つきの映画を作る際には、製作者による原作の「読解力」が問われると思うのですが、その点高畑監督はきちんと「読解」しているように感じました。単なる忠実な「再現」に終わっていない、独立したアニメーション映画としての雰囲気を備えていると思います。しかしこの作品に登場する動物達は本当に愛らしいですね。
8点(2004-05-04 21:46:43)(良:1票)
59.  007/リビング・デイライツ
僕はこのティモシー・ダルトンのボンドは好きです。こういう表現を許してもらうと、「小ぶりなボンド」の活躍ぶりが何だか憎めなくて良いです。映画としても面白かったです。
7点(2004-05-04 21:35:17)
60.  2010年 《ネタバレ》 
前作とは違ってとてもシンプルでわかりやすい映画ですね。ただ、良い具合に謎が残っている点は個人的に面白かったです(例えば小型宇宙船に乗ってモノリスに近づいていったロシア人がどうして遠くに飛ばされてしまったのか、とか)。前作で濃厚に漂っていたミステリアスな雰囲気(と言うより全編謎だらけ、という感じでしょうか)を、娯楽作品的に生かしていて(と僕は感じたのですが)、見ていて飽きませんでした。ラストも中々感動的で良かったです。
7点(2004-04-16 17:21:56)
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