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337さんの口コミ一覧[この方をお気に入り登録する

プロフィール
コメント数 73
性別 男性
ホームページ http://6018.teacup.com/337/bbs
年齢 53歳
自己紹介 心の機微が感じられる作品が好きです。
絵に携わる仕事をしていますが、映画を映像面から語ることが苦手です。
映画の社会的道徳は常に考えますが、基本的にエンターテイメントを冒涜するようなツッコミはしないのが観客のモラルだと思っています。
全体のバランスよりも、ただのワンシーンにノックアウトされたい。

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41.  ライフ・オブ・デビッド・ゲイル
よくできた映画でした。最後のオチは読めてしまったものの、そこまで引っ張っていく ストーリーテリングや、スぺイシーの演技には見応えがありました。 しかしやはり腑に落ちない。デビッドたち死刑廃止論者の行為が愚かに思えてならない。 法を変えたいなら法の道へ進めばいい。運動に身を投じ、半ば自爆テロのような方法で 世論を動かそうとするのは無責任ではないのか。「冤罪の悲劇」を「死刑の是非」にすり替えてしまってはいないだろうか。  この映画と併せて「テッド・バンディ」あたりを観てみると、中和されていいかもしれません。 死刑にしても物足りない犯罪者も実在する。
7点(2004-05-28 22:06:26)(笑:1票)
42.  I am Sam アイ・アム・サム
例えば、この映画の中から「障害者」という言葉を抜き取ってしまおう。 そうすればただ、頭の悪い父親がそれを理由に子供を奪われようとしているお話になる。 「僕は頭が悪いけど子供を愛している、奪わないでくれ」という訴えになる。 人間社会で親の責務を果たすには、法的にもあれこれと条件が提示されますが、 やはりいの一番に満たされなければならない条件は、子供を愛すること、 子供のために頑張ろうとする気持ちだと思います。それは子供の根底にいつまでも残って 支えてくれるものだから。児童の虐待や放置は、親が子供を愛せないことを 発端にして起こる行為。 福祉は時に、個人の家庭に土足で踏み入る必要も多分にありますが、ケースによって 慎重にさじ加減を変えなければならない。膨大な数の案件を一つ一つ緊張感をもって 対処していくのは並大抵のことではありませんが、そうすることでしか人の気持ちを 汲んでいくことはできないのではないか、と思います。 7歳程度の知能という診断も、サムという人の全てを表しているわけではないのですから。 
8点(2004-05-23 10:23:21)
43.  ハリー、見知らぬ友人 《ネタバレ》 
幸せな家庭にある日異質な来訪者が・・・という展開はサスペンスによくあるが、 この映画はまったく逆で、少し不穏な家庭に親切な友人が現れる。 人の親切というものは、裏を勘ぐり始めると恐ろしいものである。世の中、タダより高いものはない。 しかし無碍に断るのも角が立つ。ハリーという男が恐ろしいのは、彼が心底ミシェルのためと 思い込んで行動している点だ。そしてハリーの行動がエスカレートしていくと、いつしか観客は ハリーとミシェルの会話がまるで自己の内的葛藤のように聞こえることに気がつく。 家庭におさまりつつも、なにか遣り残した思いを抱えたままの少年がミシェルの中で疼き出す。 ハリーは本当に存在しているのだろうか?プリュンヌは?彼らはもしかしたら、ミシェルが 生み出したシャドウなのかもしれない・・・全てに始末がついたエンディングの清々しさは、 解釈によって幸福にも恐怖にもなり得るだろう。
7点(2004-05-20 10:11:32)
44.  リリイ・シュシュのすべて
私も少なからず、この映画を観終わってから腹を立てたものですが、 その苛立ちがそのまま映画への不満ではありませんでした。 この映画のリアリティを語れるほど、私は現代の中学生の実態を知らないし、 強烈なイジメにも遭遇したことはありません。 織り込まれた暴力やレイプなどのエピソードはステレオタイプな印象を否めないし、 一時期流行したTVドラマの焼き直しのようにも感じられます。 けれどどこか、身に覚えのある痛みが呼び起こされる。 思い出の全てに音楽が貼り付いている、若い時代を振り返るように。 私たちは繰り返しの中で生きて、麻痺していることに無頓着でいられる。 ニュースで聞きかじった事件にすら麻痺し、映画の中で暴力やレイプを 目の当たりにしようとも「ステレオタイプだ」と切って棄てられるくらい。 目新しさのないイジメの中には、そんなメッセージが込められているように感じます。 スクリーンにタイピングされるメッセージは、顔のない私たちの言葉。 誰もが無責任に、言葉を投げて去っていく。この映画への感想だってそう。 そこには観客に向けて突きつけられた悪意があって、映画を不可侵にしたい 監督のエゴがちらつく。しかしそれさえも計算なのかもしれないと思わせるほど、 ラストの田園風景の空は高く、美しい色だった。
8点(2004-05-20 06:32:41)(良:1票)
45.  28日後... 《ネタバレ》 
とてもテーマ性の強い作品でした。テーマが先かゾンビが先かわかりませんが、 私には散漫な映画に感じられました。(便宜上、感染者をゾンビと表記します) 序盤のロードムービー的展開はよかったのですが、対軍人において主人公が スーパーマンになってしまうところで、私はこの映画についていけなくなりました。 ゾンビ地獄を生き抜いてきた軍人がなぜ青っ白い主人公一人に壊滅させられるのか。 仲間が囚われている屋敷にゾンビを放つ主人公の配慮の無さはなんなのか。 極限状態で人間の本能が目覚め、野性的な力を発揮しているということなのだろうか。 そこに至るまでの助走が弱いため、流れとしては唐突に跳躍しているように感じられる。 主人公が豹変した姿を観客はゾンビと重ねてみるだろう。その意図はわかるのだけれど・・・ ヒロインが主人公の豹変ぶりに恐怖しながら躊躇する場面も、そこに無理やりはめ込んだ 感があり興醒めした。 ゾンビになってしまったオヤジさんを主人公が殺す等、狂気に走らせる起爆剤が あれば、全体の印象はもう少し違っていたのではないかと思うと残念です。
5点(2004-05-19 13:51:50)
46.  ショー・ミー・ラヴ 《ネタバレ》 
とにかく心にグサグサと刺さってくる場面が多い映画でした。 アグネスのお誕生日会のいたたまれない雰囲気とか。 夜中に好きな子と二人で家を飛び出すけど何をしたらいいかわからず、 手持ち無沙汰になり「もう帰りたい」と言われる痛さとか。 そういう痛みの中、車の後部座席で吸い込まれるように キスするシーンにはもの凄くドキドキしてしまった。 痛みがよく伝わるからこそ、快感の手触りも伝わってくる。 案外仲良くなれるのは正反対の背景を持った者同士だったり するんだよね。
8点(2004-05-19 13:22:57)
47.  あの頃ペニー・レインと 《ネタバレ》 
バンドのツアーという「お祭り騒ぎ」集団の中で、少年はほぼ必然的に 少女に恋してしまう。男の子ならみんな経験あるんじゃなかろうか。 仲間を繋ぐ音楽があって、歌うだけで一つになれた世代。 そして恋と仕事のビッグチャンスに少年は目を輝かせて飛び込んでいく。 それは清々しい。この清々しさが最後まで続くのが、この映画のいいところ。 あくまで輝いていた青春をそのまま閉じ込めたかった監督の気持ちが伝わって くる。私はペニー・レインが公園を歩きながら、主人公に本名を打ち明ける 場面がすごく好きなのです。私事ですが、昔付き合った彼女が年齢を 教えてくれなくて、バースディケーキのキャンドルをいくつ買うべきか 悩んだりしたのを思い出しました。女の子に翻弄されるのは、苦しいけど どこか心地よい。そんな感じがよく出ている素敵な映画でした。
8点(2004-05-19 12:25:13)(良:1票)
48.  アメリカン・ヒストリーX 《ネタバレ》 
私がこの映画を通して見ていたのは人種差別問題ではなく、 弟が抱く兄への憧憬でした。 いつだって自分の前を歩く兄の背中を、弟は追いかける。 兄は自分の知らない世界を見ている。兄の視線の高さまで、少しでも近づきたい。 そこに善悪の判断はないかもしれない。 いや、むしろ反社会的であるほど、憧れは強くなる。 カメラはダニーの目となり、デレクの肉体を讃えるように映し出す。 憧れは時に盲目だ。疑いたくはないのに、心が追いついてこないという体験を したことがある人は多いだろう。だから私はデレクの改心を素直に受けとめる ことが出来た。 ダニーについても同様で、いくら追いかけても追いつけなかった兄が、 自分の視線まで降りてきて、刑務所での出来事を包み隠さず打ち明けて くれたことは、かけがえなく大切な出来事であっただろうと思う。 人種問題に疎い日本人の私には、こういう見方しかすることができなかったが、 それでも十分に胸に迫ってきた作品でした。 この映画を観たあと、辻仁成の「旅人の木」という小説を思い出した。
8点(2004-05-19 11:22:43)(笑:1票) (良:2票)
49.  アレックス 《ネタバレ》 
表面的には暴力行為の不毛さを印象付ける作品ですが、別の意味もみえる。 映画中、最もショッキングなのは冒頭の復讐シーン。そこからエピソードを遡るメメント方式で見せていく。レイプシーンは生々しいが、狂気は感じない。モニカ・ベルッチの姿は男を欲情させるのに説得力がありすぎる。救急車で運ばれるアレックスの血に染まった顔は、レイプに対する怒りを煽るが、長回しで地下道へと歩いていくアレックスの背中には、レイプへの邪な好奇心を刺激される。 観客はレイプをたっぷり鑑賞した後、ようやくアレックスという女性の個に触れる。レイプされている彼女は匿名の女体だった。 物語の中で、アレックスの精神と肉体を剥離することこそが、メメント方式流用の理由なのでは、と推理してみた。 観客の多くはモニカ・ベルッチのレイプシーンに期待して本作を鑑賞するわけで、自分の中で野生と理性が葛藤するサディスティックな見方ができれば、楽しめる作品なのかもしれない。 もう少し遊びの要素が入っていれば、私ものれたかもしれない。
4点(2004-05-19 09:18:52)(良:1票)
50.  恋愛小説家 《ネタバレ》 
ニコルソン演じる小説家メルビンは売れっ子で、いつも甘ったるい恋愛小説を書いている。 彼は女がどんな言葉で喜ぶのかよくわかっているし、それを生業にしているはずなのだが、 異常な潔癖症のせいだろうか、飾った台詞を口にすることができない。 言葉で相手を喜ばせるのは、なにより簡単なこと。使いこなせば代価なしに報酬を得ることも できてしまう。舌先三寸とはよく言ったものだ。メルビンにとってそれはビジネスの枠内に限られた ことであり、私生活の中には一切持ち込みたくない類のものなのだ。 そんなメルビンにキャロルは「お世辞のひとつも言ってみせて」とせまった。苦悩するメルビンが 吐き出した言葉は、キャロルを褒める言葉ではなかった。メルビンの言葉は ともすれば聞き流されてしまうほど何気ないけれど、それはその場だけで消えてしまう幻ではなく、 彼の行動を伴うリアルな言葉だった。 「時間をかけて見ていると、その人の人間性がみえてくるんだ」隣人でゲイの画家サイモンが モデルにかけた言葉だけど、この映画が私に伝えたのは、そういうことでした。 背中にファスナーが付いてるんじゃないかと思える小犬の演技は、主演の二人を凌駕しました。 
8点(2004-01-26 20:43:26)(良:2票)
51.  ドラゴンハート
1996年といえば「インディペンデンス・デイ」や「メン・イン・ブラック」といった、CG映像ならではの 映画がまだ驚きをもって迎えられていた年。その中にあって本作「ドラゴンハート」は、登場人物(?)の 一人(1体?)を完全にCGで作り出し演技させてしまったという挑戦的な作品だ。これを境に映画のCG技術は 背景や効果等の裏方から抜け出して、アクターの領域を侵し始めることとなる。 1993年に公開された「ジュラシック・パーク」と比べると、本作のドラゴンは細かな部分で実在感に乏しい。 重量や体臭や翼圧といったものを感じさせない。技術的には可能であったはずだが、何らかの理由で そうした部分を省いているように思う。(やっぱり予算でしょうか) そのかわりにドラゴンの仕草や表情は、人間と並べても遜色ないものに仕上がっている。観客はいつしか ドラゴンに親しみを覚え、そこに友を見るでしょう。それは本作が目指した課題であり、 十分に達成されたと言えるのではないでしょうか。
6点(2004-01-26 18:40:42)
52.  カッコーの巣の上で 《ネタバレ》 
カッコーはモズやホオジロなどの巣に托卵する。巣の主はそれを自分の子として世話する。 カッコーの習性を、人間の倫理は他力本願で怠惰な行為と位置づける。まぎれもない大自然の一部をも、ともすれば私達は自分の尺で計ってしまう。私達には、自らに都合の良いルールを決められる知恵があるからだ。 その知恵がない者「精神病棟の住人たち」に、人間社会のルールは通用しない。だからこそ私達は彼らを持て余し、私達の生活を脅かさない場所に押し込める。社会がマイノリティを犠牲にして総意を得ていることを、私達は暗黙で了解しているのだ。 カッコーの子供であるマクマーフィは、親鳥である病院によって抹殺されてしまった。人間というものは、モズやホオジロよりも了見が狭い生き物なのだ。しかしまんまと正体を隠し通したチーフは巣立っていった。私達の手の中にはまだ希望が残されている。 
9点(2004-01-15 19:34:31)
53.  ダンサー・イン・ザ・ダーク
この映画でトリアー監督が見せたかったのはビョークという歌姫であり、脚本から救済の要素を(不自然なくらいに)排してしまったのは、彼女を浮かび上がらせるための仕掛けの一つだと私は受け取りました。映画はフィクションであるからこそ楽しめる側面があり、観客には場面に応じて主観と客観を行き来する自由がある。私はこの映画を観ている間、ビョークのステージを堪能するためにずっと引いた視点で通しました。 全てが悪い方向へ転がり落ちていく現実のシナリオ。対比するのは、ジーン・ケリーやアステアが見せてくれた幸せなミュージカル映画の世界。くっきりした明暗、だからこそビョークの歌声に何かが宿るのを感じられた。しかしメジャーな興行にのせたために多くの純粋な観客を傷つけたことを思うと、手放しに賞賛することが憚られる。手持ちカメラで撮られた現実は三半規管への刺激を蓄積。追い討ちをかける生理的にショッキングな結末。現実のシナリオはひたすらに嘔吐を誘発する。監督が意図して人体の錯覚を利用しているような気がしないでもない。 観る人を選ぶ大人の童話。支持も不支持も、間違いなんかじゃない。 ただ一つ、ミュージカルとしてはダンスのスキルが物足りなかった。
8点(2004-01-15 12:45:26)
54.  アメリカン・ビューティー 《ネタバレ》 
この映画が見せてくれるのは、世界はいつだって内側にあるものだということ。人々が共有している外側の世界には、いまや壊れた世界とそれを取り繕っている人々しかない。家庭崩壊や性倒錯やドラッグなどは、いまさら深刻に語ってみても驚きなんかない、もはや当たり前のことだ、と軽く笑いとばしてしまう。 娘の友達に恋をして、彼女の気を引くためにエクササイズを始めてしまうケビン・スペイシー。アホなオヤジと笑うのもいいけど、物事は全てこの通り。なにかの目的をモチベーションにして、夢中に励む。世界は結局そうやって回っているんだから。主人公の中の世界では、そのこと自体がすでに幸せなんだ。外の世界にある彼女という存在自体とは関係なく幸せになれる。だからいざ彼女と一線を越えようとしたとき「初めてなの」という告白で、内世界と外世界のギャップを再確認し、すっかり醒めてしまう。 その後の彼女との会話は素敵なシーン。彼女との関係はすっかり娘の友達に接する父親のそれになっている。さっきまでニャンニャンしようと目を血走らせていたケビンが、ここでは思い出したように娘の心配をしちゃったりする。それは外世界で父親でいるための処世術であり、その実、父親としての本音でもある。内外の世界が一瞬だけ重なるその瞬間が美しいです。ここで死んでしまうところがまた、彼にとってこれ以上ない幸せなのかもしれません。彼の内世界では、温かい家庭が彼を包み込んでいただろうから。 主人公と対比した影として描かれる隣人、元海兵大佐役のクリス・クーパーの人生もまた観客にとって身に覚えがあると思う。棺桶まで持っていく秘密を抱えて、保身のために嘘を塗り重ねて生きている。主人公のことも、大佐のことも、あまりに私(達)に似すぎていてコメディだけど、同時にとてもシニカルだ。 しかし、登場キャラクターに付随するファクターを、自分の手札に変換して考えられない人にとっては、まったく共感を得ることが出来ない映画なのかも。
10点(2004-01-11 22:22:34)(良:6票)
55.  害虫 《ネタバレ》 
DVDに入っている塩田監督と向井秀徳氏の対談をみて、この映画に理屈はなく、イメージの積み重ねで出来上がっていることを確認した。それは同時にこの映画の中身が空洞であり、観客はそれを頑張って埋めなければならないということでもある。そして映画のあちこちに捨て置かれたピースを組み立てて出来上がる物語は、「世界に裏切られた少女」に完結する。執拗に描かれる壊れた少女の世界。シーンの繰り返しが単調な日常を強調し、訪れる破壊へのカタルシスを高める。玄関から漏れる母親の押し殺した泣き声が、少女を置き去りにする。この暗さに浸ることが心地よいと思えるのなら、価値があるだろう。ナンバーガールのエキセントリックな楽曲が、歪んだ高揚感を与えてくれる。
4点(2004-01-11 22:19:31)
56.  ブレイド(1998) 《ネタバレ》 
マトリックスよりも黒い。
4点(2004-01-11 12:02:21)
57.  タクシードライバー(1976) 《ネタバレ》 
けたたましいパーカッションと共に、煙の中から立ち上がるタクシー。 フロントウィンドウに浮かび上がる、とろけるようなネオンサイン。 トラビスは言う「俺にもわからない」。 自分の中に満ちている苛立ちの正体。持て余すエネルギーを向ける先。 ニューヨークの街をタクシーで流しながら、自分と同じ孤独の香りを探し求める。 しかし世界はいつも彼の向こう側に立つ。トラビスはそんな世界を憎悪する。 「イカレてるのは俺じゃない、向こうだ」 銃を手に入れ、体を鍛え直し、完全武装を開始する。 シークレットサービスをからかい、鏡の前で勝利の妄想に酔う。 トラビスの行動は、子供じみたヒロイズムと利己的な正義感を糧に加速する。 少女の救出劇をカモフラージュに、自らの最後を飾る戦場を作り上げた。 血まみれのトラビスは救った少女に目もくれず、自分の顎に銃口を定める。 こめかみに指を突き立て、自らに引導を渡した。 この世界から逃れられないのなら、どうにか上手く付き合っていくしかないのだ。 
10点(2004-01-11 07:37:32)(良:1票)
58.  ノー・マンズ・ランド(2001) 《ネタバレ》 
メインの登場人物であるボスニアとセルビアの兵士のやりとりは、普通の人間同士の会話であるが、手には銃が握られている。些細な喧嘩さえ、握られた銃により命のやりとりへと発展する。 戦場では、言葉は無意味なのか。押し寄せるマスコミは、目の前で起こっていることをファインダー越しにしか見れない。兵士たちと外野の温度差。撤去不可能な地雷は、戦争の無慈悲さを象徴する。淡々とした描写がフィルムの中の戦場に生温かさを与える、ほんの一場面を切り取ってみせた戦争のカリカチュア。
8点(2004-01-11 00:15:22)
59.  プルーフ・オブ・ライフ
問題はメグ・ライアンというミスキャスト。彼女にはラブロマンスのイメージが強すぎる。もっと無色の女優を配していたら、それだけで映画は別の見え方をしたんじゃないかと思うと残念だ。この物語はまったくもってラブロマンス物ではないのだから。 焦点は人質と交渉人。このふたりの男は、形は違えど自分の仕事に命を懸けている。家族を犠牲にするほどに仕事人間。そんな不器用な男ふたりを描こうとしているのに、四六時中メグ・ライアンがうろちょろしてラッセル・クロウと観客を愛らしい仕草で誘惑しまくる。なぜアナタはいつもノーブラなんだ。袖から手首を出しなさい。彼女の誘惑に打ち勝つことができたなら、この作品はなかなかにシブイ男のカッコイイアクション映画として観ることができるだろう。 
8点(2004-01-10 16:12:13)
60.  ソドムの市(1975)
監督のピエル・パオロ・パゾリーニはこの映画を撮り終えた後、亡くなっている。しかも映画の出演者の一人に殺されたという噂もある。 この映画を観ていると、私は映画の中に入って行ってファシストを全員撃ち殺したくなります。登場人物の誰かがそれをやってくれたらさぞ爽快ですが、それは起こらない。この映画に類似する出来事が現実の世界にあった、と考えるとどんな気持ちがするか。パゾリーニ監督が何を伝えたかったかはわからない、しかしこの映画が観る者に与える負のパワーは強烈だ。
6点(2004-01-10 14:28:06)
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