721. パラノーマル・アクティビティ4
《ネタバレ》 TOHOシネマズ渋谷でタダで見たのですが(マイル貯めて一か月無料パスポートで。普段こういう映画、お金払って見ないわぁ。これまでシリーズ一本も見た事ないし)、帰りのエレベーターの中で見知らぬオバサマに「意味判りました?」って話しかけられて。 私は「うーん、あんまりよく判りませんでしたねぇ」って答えて。 でも、本当言うと別に判らないワケではなくって、判らせようとしてないだけだよねぇ、って感じで。だって、何か明確な真相があったとして、それを説明したところで面白くなるか?っていうとその逆でしょうし。これって、ただ意味ありげな映像や音で怖がらせたい、それだけの映画なんですよね? で、だけど怖かったのは最後のオチのとこだけなんですけど、でも2つ、見て良かったって思った点があって。 1つはヒロインが可愛かった事。可愛いヒロインが動いてるのを見るだけで、とりあえず有意義だったりしますし。別に大した事が起こらなくても、ヒロイン眺めてれば間が持ちますしね。 もう1つはマイクロソフトのゲーム機、XBOX360の周辺機器キネクトのテクノロジーが判りやすく描かれていた事。赤外線センサーをあんな風に使ってるんだ、ってその技術に感心して。あれに比べたらソニーや任天堂は二周くらい周回遅れ状態ですね。 映画としては、まあ、ほぼコメディです。怪力おばさんの存在が力技過ぎちゃっててワリと台無しにしてる感じ? でもヒロイン可愛かったからいいや。 [映画館(字幕)] 5点(2013-04-30 17:22:56) |
722. クレヨンしんちゃん バカうまっ!B級グルメサバイバル!!
《ネタバレ》 私はもつ焼き屋なのでB級グルメど真ん中、世界A級グルメ機構にさっさと排除されちゃいそうです。 さて、このところの『クレしん』に顕著だった、最初に世界設定ありき、テーマありきでキャラを縛ってしまう描き方から一転、今回は設定などごくシンプル、簡潔に済ませ、余計な感動エピソードだの家族愛だのも大幅に削ぎ落とし(元々『オトナ』と『戦国』は『クレしん』の中のイレギュラーなのに、以降はそれを意識し過ぎた感があって)、ひたすらカスカベ防衛隊の活躍に絞ってタイトにまとまった作品。 その、無駄なく疾走してゆく面白さは『暗黒タマタマ』以来かも。 焼きそばを食べる事が目的で物語が動いてゆく点では『ヤキニクロード』に近い気もしますが、アレが焼肉だけでは物語を引っ張れていなかったのと対照的に、今回はあくまで焼きそばが物語を引っ張っています。 今回はカスカベ防衛隊がメインで、ひろしとみさえすら活躍の場が殆ど無く、他のレギュラーはほぼ排除されているという状況。 そして、物語は5歳児である彼らに不釣り合いな無理を強いていません。地球の運命だとか、人類の未来だとか、そういうの無し。ただ5歳児なりの苦悩(お腹が減った、ママに会いたい、友達とうまくいかない)で笑いとドラマを作ってゆくのです。 その分、スケールはシリーズの中でも最小レベルですが、映画用に無理して大きくなった『クレしん』ではなく、等身大のカスカベ防衛隊メンバーの魅力が存分に発揮されていました。 また、毎度「その歌は必要なのか?」って疑問に思う劇中で歌うシーンは、今回、削るのではなくて逆にクライマックスの重要な部分に大切な要素として組み込むという、その痛快さ。 でも、何と言っても良かったのは「登場人物全員幸せ」っていうラストを迎えた事ですね。エンディングで語られるあの幸せな感じ、あれで「ああ良かった、いいモン見た」って心から満足できた感じがしました。今年の『クレしん』は当たり。 [映画館(邦画)] 8点(2013-04-23 23:22:21) |
723. ライジング・ドラゴン
《ネタバレ》 冒頭からド派手なアクションを見せてくれるのですが、このシーンでのジャッキーの立ち位置が全く判らないために、そのアクションを楽しめないんですよね。 一体ジャッキーはヒーローなのか悪人なのか。いや、どうも悪人っぽくて、悪い事をした人間が活躍をしている状態を見せられたところで「頑張れ!」ってキモチにはなれませんよね。 で、困った事にこの映画、立ち位置の判らないその状態が延々と続くんです。一体ジャッキーたちのチームは何をしようとしているのか、何が目的なのか掴みかねる状態が続いて、中盤になってやっとただの泥棒集団だっていうのが判るという。 しかも映画に掲げられた「奪われた国の遺産を取り戻す」という大義が、映画の目指す方向や登場人物の立場、娯楽性など色々なものを曖昧でボヤけたものにしてしまっている感じがあって、ずっと映画を少し離れた状態から眺めているような、入り込んでゆけないもどかしさを抱きながらの鑑賞となってしまいました。 国家の遺産は力づくでも守られるべき、みたいなものが登場人物の思想や行動原理に作用してしまっていては、そりゃ心から楽しめる作品にはなりませんよね。 ジャッキーのアクションものとしては十分頑張っていると思います。ジャッキー一人ではアクション映画としての看板を背負いきれなくなっているようで、多くのキャラ達が分担するかのようにアクションをこなしていますし、大がかりな映像ではCGが多用されています。でも、体を張って次から次へとめまぐるしく形を変えて楽しませてくれるアクションは今も健在。でも、それがシンプルに悪を倒す物語に昇華されている訳ではないのが残念です。 モロに『パイレーツ・オブ・カリビアン』(音楽まで)ってパロディっぷりや、ヒロインがコロコロと入れ替わってしまう雑な脚本など、いまだザ・香港映画!って状態なのが懐かしかったりもしますが、色々な意味でもはやここまでなんだろうなぁって考えるとちょっと淋しい終わり方って感じがします。 [映画館(字幕)] 6点(2013-04-21 10:08:49) |
724. クラウド アトラス
《ネタバレ》 個人、集落、組織、コミュニティ、そんな「個」と他の「個」とを隔てるもの、繋ぐもの。 隔てるものの象徴として繰り返し描かれるのはドアや窓、壁、部屋、門。それを破って侵入してこようとするものの存在や、逆にそれを破る事で事態を打破しようとする行為、隔てるものは「個」を守るものであり、孤独や無知の象徴であり。 一方、繋ぐものの象徴は橋やロープ、そして船や車、飛行機等の様々な乗り物。外に広がって他者との繋がりを志向する意識。自由や正義を獲得しようとする意志。更に橋からの落下のイメージや事故の描写が、その意志を妨げるものとして時代をまたいで反復されて。 めまぐるしく変わりながら点描されてゆく時代と人。「個」としての無数の点はやがて枝を伸ばして広がり、他の点との繋がりを示し、円を構成し、他に形成された円と交わり、やがてその全体が世界を構成してゆく・・・。6つの時代の6つの円が時を超えて交わり『クラウド アトラス』という作品を(そして曲を)作り上げている訳ですね。 1つ1つのエピソードや美術的なイメージはどうも凡庸な感じが無きにしもあらずではあります。エピソードの繋がりも必ずしも必然を感じさせるものではなかったりしますし。また、特殊メイクは無理矢理過ぎて「それはないわ」と思ってしまうものも多数。 ですが反復されるイメージによって段々と世界が形を成してゆく感じはとても面白く、興味深く楽しめる映画でした。 [映画館(字幕)] 8点(2013-04-06 14:52:08)(良:3票) |
725. 横道世之介
《ネタバレ》 このところ『ジャンゴ』『フライト』『世界にひとつのプレイブック』『バチェロレッテ』と立て続けに「激しく極端な性格付けをする事で人間性を際立たせる映画」を見てきたところに、その正反対に位置するかのようなこの映画を見られてホッとひと息つけたような感じです。 世之介は彼なりの個性を持ってはいるけれども、人と違う特別な能力がある訳でも、何かが極端に秀でている訳でもなく、それでも彼と触れた人達がなんとなく幸せな気持ちになって。それは映画を見ているこちらまで巻き込んで。 冒頭からしばらく、世之介という人物を疑って見つめ、彼のちょっとイタい感じになんだか恥ずかしさを覚えたりします。だけど、彼の暮らす日々に寄り添ってゆくうちに「あ、こいつなんかいいヤツじゃん」って。人が世之介によって得られた幸せ、世之介が感じた幸せ、それをこちらも共有するような感覚に包まれて。 そして、だからこそ、それが過ぎ去った、戻らない日々であるという痛みが切なくて。 過去のシーンはちょっとノスタルジックに退色させ過ぎな感じもあります。80年代の半ば以降と言ったら、私の中にあるイメージはピカピカキラキラしたした世界、ほら、クルマだってカクカクした直線からオシャレな流線型へと変化した時代でしたし(映画には古臭いクルマばかり登場していましたが、実際はあの時代のクルマが最もオシャレだったと思います)。 でも、そうやって過去色に染めてあるからこそ、過ぎ去りし日々と16年後のシーンとの間に流れた時の長さ、重さを感じる事もできるのであろうとは思います。 俳優の個性をきっちりと捉えた160分、その長さが全く苦痛になる事なく、もっとずっと世之介とその周囲の人々に寄り添っていたいと思う、映画が終わってしまうのが残念な気持ちになってしまう稀有なひとときを過ごせました。 [映画館(邦画)] 9点(2013-03-15 14:53:02)(良:1票) |
726. 映画ドラえもん のび太のひみつ道具博物館
《ネタバレ》 去年の『クレしん』と同じ状況になってます。ひたすら状況説明が続くばかりで物語が全く動いてゆかない状態。 ほぼ博物館だけを舞台に展開する内容で、『ドラえもん』世界でお馴染みの道具については色々と語られてゆきます。エンドクレジット部分を含め、カタログ的な価値としてはとても大きいと言えます。 でも、物語はクライマックスでの展開を除くと殆ど台詞によって説明されてゆくばかり。博物館という閉鎖空間で動的な展開をさっさと諦めひたすら点による情報の羅列に終始している感じ。 大体、のび太とドラえもんが物語を殆ど動かしていないのですよね。ゲストキャラクター達の暴走と自己完結を見守る狂言回し的な存在でしかなく、ただ盗まれた鈴にまつわるエピソードのみが辛うじて脆弱な芯として存在しているようで。 キャラクターの個性を生かす事もなく、明確な教訓を残す訳でもなく(またやらかすぞという繰り返しの日常へと戻ります)、ひみつ道具の存在に依存した一編、『クレしん』と共に原作者亡き今、シンエイ動画はドラマを構成する力に問題を抱えてはいませんか? [映画館(邦画)] 4点(2013-03-14 19:51:23) |
727. ジャンゴ 繋がれざる者
《ネタバレ》 会話で引っ張って引っ張ってドカン!ってタランティーノ節は今回も健在。ピリピリと張りつめてゆく緊張の糸に痺れ、ぐいぐいと引き込まれます。 でもね、ずーっとそれでしょ。何度も何度も。2時間45分、途中でもうもたれてくるのね。 肉汁したたるコッテリギトギトな肉食系映画、この辺でそろそろ幕?って感じのところから更にコッテリと。見終わった頃にはぐったり。映画の発散するスタミナにこちらが付いてゆききれてない感じ。 ワリと悪役がハマってて、それゆえに逆にちょっと食い足りない感じのするディカプリオ(3パートに分かれたうちの1パートにしか出てきませんしね)、意外に受動的でジミめなジェイミー・フォックスに比べると、それ以外の人々のアクの強さの方が印象に残った気がします。 サミュエルのイヤな奴っぷりは最低で最高ね。 大作映画には無いB級のノリが大スクリーンにかかる違和感こそがタランティーノの醍醐味で、これもまたその違和感を大いに味わえる映画。 でも、この映画の元ネタの1つ『マンディンゴ』はショッキングな内容をウリにしたB級ノリの映画でしたが日本一のキャパを誇った有楽座にかかったんですよね。懐かしきカオスな70年代。 [試写会(字幕)] 7点(2013-03-01 20:30:44)(良:1票) |
728. フライト
《ネタバレ》 「酒、クスリ、タバコはだめ。特に酒」って5秒で話せる事を延々クドクド2時間18分かけて神様まで持ち出して教え説く道徳映画。ラリパッパっぷりがハンパないアメリカ人には必要な映画かもしれませんね。 冒頭から「コイツってこういう人間」っていうのが描かれてしまうため、予告編にあるような真実がどうのこうのな映画ではないって事がすぐに判ってしまいます。映画の核となるのが飛行機事故ではなくて、ソコなんだなぁっていうのが。 そして、その人間性が少なくとも日本人にはあーんまり一般的でないっていう。みんなクスリとかフツーやらないでしょ? 明らかな犯罪を気軽に犯したりしないでしょ? 最後には救済されたりしますが、個人的にはね、あそこでウソついて一生自責の念に囚われ続けるような後味の悪さがあった方が教訓になって良かったんじゃない?ってな気もします。いい話にしちゃった時点であのセラピーまんま聴いてるようなモンじゃない?みたいな。 私的にはパニックスペクタクルな冒頭20分だけでいいかなぁ。 見終わって、でもやっぱりお酒は美味しかったわ。 [映画館(字幕)] 6点(2013-03-01 20:08:11)(良:2票) |
729. ダイ・ハード/ラスト・デイ
《ネタバレ》 【ネタバレ注意:鑑賞後にお読み頂いた方がいいと思います】 『1』から『4.0』まで全て先行上映で見ていて、今作も初日に(今回は先行が無かったので)勇んで見に行ったのですが・・・ ※もはやアレをジョン・マクレーンだと思う方が難しいです。一般の犠牲者を大量に出したって構わないって姿勢はただの凶悪なハゲおやじ。それ、ニューヨークが舞台でも同じようにできた? ※これまでのシリーズが全て2時間超なのに今回はタイトな98分、単に見せ場の数が少なくなってスケール小さくなってますって状態なんですよね。話は『4.0』の前半45分くらいに『3』のラストくっつけたようなモノ。画面もシリーズ初のビスタサイズって事で縮んじゃったし。この程度で『ダイ・ハード』の看板ぶら下げちゃうのもねぇ。『小・ハード』とか『ダイ・ソフト』とかでいいんじゃない? ※「親として間違ってた」ってセリフを立ち聞きする事でドラマが成立する、なんて考える脚本家がそもそも残念な存在なのかな。 ※クライマックスのオチの映像を予告編やテレビCMで流しちゃう配給会社は最低ですけど、そもそも見せ場がソレしかないような状態なのも事実なワケで・・・。 ※つーか、大きな二か所の見せ場がどちらも同じネタです、ってどんだけ芸無いの。ヘリ相手に落下。どちらも平面的な縦スクロールアクションでファミコンのゲームみたいですよ。『忍者くん』か? 『うる星やつら ラムのウェディングベル』か? ※『1』の魅力って小物なの。色々な小道具・小ネタに通った血がドカーン!って一大事と対比されてスリルやサスペンスやドラマを生んでたの。靴とか、フォトスタンドとか、クマのぬいぐるみとか、クリスマス柄のテープとか、ロッカーに貼られたヌードグラビアとか、生垣の植物のトゲとか。 だけど『2』以降はそれを軽視しちゃって、そしてこの作品で行くとこまで行っちゃった、とにかく壊したり爆破したり殺したりすればそれでいいんでしょ?って。 いやそれならシュワでもスタローンでもラングレンでもヴァンダムでもセガールでもベレンジャーでもリーアム兄さんでもいいんだってばさ・・・ [映画館(字幕)] 4点(2013-02-17 00:04:09)(良:1票) |
730. 任侠ヘルパー
《ネタバレ》 劇中、迷惑そうに看護師がボヤくシーンがあります。「要介護度が2という事なので受け入れたのに」。 ランクによって選り分ける介護認定制度って代物、判定する人の主観に左右される雑なシステムな上、再認定の申請から実際に認定が下りるまでに2ヵ月程かかります。認定されれば要介護度は判定日まで遡って適応されるものの、その間に何らかの具体的な手が差し伸べられる訳ではありません。 映画のように認知症が進行すれば要介護度は4か上限の5になりますが、認定には時間のズレがあり、要介護度が上がったところで、じゃあ手厚いサービスが受けられるのかと言えばシステムは万全には程遠く、むしろ介護度が上がる事によって映画のように更なる困難が発生します。 最終的に要介護度5となった父の介護をしてきた自分にとって安田成美の助けを得られずに行き詰まってゆく感覚はとてもリアルなものとして伝わってきました。 娯楽映画というスタイルはあくまで崩さずに、介護生活において最も大きな障害となる排泄の問題や、高齢者から金を吸い上げる事に躍起になる介護ビジネスの実態も含め、高齢者介護の現実とあるべき姿を真面目に描出した映画だと感心しました。 ただ、それを描いた時点で真面目な映画としての役目を終えたかのように、クライマックスではテレビシリーズを見ていないと訳が判らない、都合のいい便利キャラとして黒木メイサが登場し、更に「コレはあくまでヤクザ映画なんですよ」とばかりにクサいスローモーションとカットバックでクドクドと見せ場を安っぽく演出してしまう点は幻滅しました。何か最後になって色々なお約束事を回収にかかったみたいで、ちょっと不恰好。 でも、結局こういうのって自分の身になってみないと判らないゆえに法律もいい加減だし、映画でも問題が伝わりきらないのでしょうねぇ。そういう立場になるときっと「政治家のドアホ!」って思いますよ。 [映画館(邦画)] 7点(2013-01-31 20:28:36)(良:1票) |
731. ロックアウト(2012)
《ネタバレ》 大した事なさそうなB級SFアクションだろうなぁと思いつつ見に行ったら、本当にブレる事なくその通りだった、って感じで。ホントはね「これは意外な拾い物!」くらいなモノが見たいとは思うんですけどねぇ。 どこかで見たような設定を寄せ集めて(『ダイ・ハード』成分多め)、突出した部分というのは無くて、ああ、本当にそこそこだよねぇ、って。壮絶なアクションを繰り広げる訳でもなく(最初に足を撃たれてしまった大統領の娘を引き連れている時点で、レスポンスのいいアクションは望めなくなります)、頭脳戦に持ち込むでもなく(敵は全員凶悪な囚人、しかもイカレたのがナンバー2状態)、狭いセットの中ではそんなに色々と動く訳にもいきませーん、とばかりに脱出の物語が繰り広げられる状態。 大統領の娘を救出するというメインプロットに対して、主人公が友人を探すというサブプロットが映画全体の足を引っ張り気味なのも気になりました。これによってますます動きが鈍重になった感じがして。 一点豪華主義的に、ここだけは他の映画にはない特徴です、というのが何かあれば良かったのですが、大して強くない主人公と、大して強くない悪役が、双方状況に呑み込まれて右往左往って物語では気持ち良くなる訳もなく、ああ、正義が一方的に強いセガール映画というのはあれはあれでちゃんと考えられてるんだなぁ、なんて思ったりもしたのでした。 [映画館(字幕)] 5点(2013-01-27 21:53:27) |
732. LOOPER/ルーパー
《ネタバレ》 最大の難点は一本の映画の中に「タイムトラベル」と「超能力」を盛り込んでしまった事。これによってかなりガサツな作品になってしまっていると思いました。大きな嘘は1つで十分なんです。 円環構造にあるように思えながら、実はパラレル化しているという設定、その曖昧さがタイムトラベルものとしては決定的に弱いです。ドラマ以前に設定で見ている側に疑問を与えまくってしまっているのですよね。 超能力に関しては最初から伏線を張ってはいるものの、あまりに浮いた設定で、実は少年の能力のためだけにある設定だという事が判った時点でいかにも作り物めいた脚本の姿が見えてきて馬の脚が見えてますよ・・・っていう感じがしてしまって。 もっと削ぎ落として(あの超能力はドラマにとって必然的な素材ではないと思います)タイムトラベルの理屈に芯を通してパズルをきっちり組み合わせたならば、もっと面白い映画になったと思うのですけれど。 あと、ウィリスの設定にもう少し愛が欲しかったかな。同一人物でありながら別の個体という設定の元で下手に人称がブレてしまうので、あれじゃ最後はただの悪人だもの。 [映画館(字幕)] 5点(2013-01-27 21:39:29) |
733. ライフ・オブ・パイ/トラと漂流した227日
《ネタバレ》 「動物との触れ合いを通して心温まる感動ドラマが展開する」的な映画だと思っていたのですが、実際は全然違ったので肩透かしと言えば肩透かし、ですか。 私は二匹のネコを宝物のように大切にしていて、一方で仕事柄、毎日否応なく生命の生々しい証しみたいなものに触れていて、その間にある「生命の価値」を日々意識させられている訳ですが、この映画はちょっと上から俯瞰するような視点で神と自然と生命とを語っています。ちょうど私の日々の意識を更に再確認させるような内容で。 信仰心が無くても人は生きられますし、この文明社会の中では生命を特に意識せずとも生きられます。せいぜい意識するのは自分や家族の健康くらいですか。 でも、この世界に沢山の生命が存在し、その生命を糧とする事で生かされてゆく生命があって。そんな営みがただ当たり前のサイクルの中で流転しているだけであると考えるのは欺瞞としか言い様が無い訳です。 そこにある意味を考える事が世界と共存する事であり、そしてその意味を生み出す意思について考える事が信仰に繋がる・・・ ラストに描かれたもう一つの物語によって、この映画は深い意味を持つ事になります。あの「置き換えられた」(どちらがどちらに?)物語が示唆するもの。この世界で生かされている生命、生きようとしている生命の意味を更に見つめさせようとします。 美しくも力強い作品でした。 [映画館(字幕)] 7点(2013-01-27 15:02:42) |
734. テッド
《ネタバレ》 若い人中心に満席の初日の渋谷のシネコン、日本人向けに「くまモン」や「星一徹」に置き換えられた字幕で笑う人は皆無、むしろその字幕に困惑しているような空気すら伝わってきました。 以前にも書きましたが、映画を見てそれまで知らなかった事、判らなかった事に興味を持つというのはとても大切だと思うのですね。それは映画の愉しみの中の大きな要素の1つだと経験上感じます。 この映画の字幕はその機会を潰してしまっています。この映画のみで閉じてしまおうとして、逆に誰も得をしないものになっている感じ。今はネットで情報が手軽に手に入る時代なのだから、余計なお節介は不要なんじゃないかと思うのですが。 さて、映画本編について。これはテッドが語る「自分の責任」についての教訓話のように思えるのですが、実際は「そうかぁ?」って感じで。主人公は結局両方を手に入れる訳じゃないですか。最終的に彼女はとても聞き分けのいい都合のいい存在で。 だからむしろコレってオタクの夢と理想を描いた映画なんじゃないかって。親友がいて、彼女がいて、好きな事ができて、って。 この「気持ち良さ」にピンと来る人はもしかすると少ないかもしれません。でも、この映画にとってとても重要な要素となる『フラッシュゴードン』のダサカッコよさを理解できる人間にとって、これは甘美なまでに気持ちイイ映画。 昔、あの映画のダサカッコよさにインスパイアされて小説書いたくらいな私(300枚書いたところでネタが尽きて挫折しましたが)、主人公とテッドにシンクロ率120%、なのでそのダメっぷりも含めて限りなく愛おしいという。 少なくともぬいぐるみのクマちゃんに生命が宿っちゃうステキなファンタジーではなくて、でも下品なぬいぐるみが巻き起こすドタバタコメディともちょっと違って、『宇宙人ポール』や『スコット・ピルグリム』に通じる、かなり濃いめのオタクが同病相哀れむ感じでオタクに向けた自慰的映画であったという点で、作品的にはどうかと思う反面、意外なまでの濃さにオタク歓喜!みたいな状態で。 「もう別にダメでもいいんじゃない?」なんて言ってる映画な気がしないでもないんですが、楽しかったから別にいいや。 [映画館(字幕)] 8点(2013-01-23 23:12:38) |
735. グッモーエビアン!
《ネタバレ》 スチルとかムービーとか、とにかくカメラをいじってる人ならば判ると思うのですが、動画にしろ静止画にしろ地平線に対して基本的に画は水平でなければなりません。ちょっとでも傾くとたちまち不安定な、人に不安感を与える画になってしまいます。 そして、その水平を維持するっていうのが意外と大変で。 この映画で映像は頻繁に傾き、それは登場人物、特に中学生のヒロインの揺れ動く心を表しているようであり、家族関係というものの維持の意外な難しさを表しているようであって。そこは上手いな、って思ったのですが。 理想的な家族像などというものは実は存在なんてしていなくて、家族の数だけ理想と現実とがあって、そんな中で大人も子供も意識しながらその関係を維持してゆく・・・ というようなものをキチンと伝えられていれば良い映画だったのですが、脚本が雑なんですよね。 ヒロインのコがあまりに唐突にコロリと機嫌を変えてしまいキチンと流れが生じていないために情緒不安定というかちょっと病気?風な感じに見えてしまっていて、ヤグよりもよっぽど周囲を振り回してるよねぇ、みたいな。 彼女の中で気持ちが整理できずにこぼれ出てくる状態なのは判るけれども、それを表現する方まで整理できていないままなのは違うでしょう、と。 彼女のリアクション以外にも自転車事故後の会えなかった友人に対するフォローの仕方や、母親自らの抱く家族の中での内面的な立ち位置の曖昧さ、小池栄子のつまらない残念な使い方などにいちいち疑問が生じました。 最後などは「ロックだから」という酷く投げ槍なオチを押し付けられた感じがして(あのステージシーンに何らかの説得力があったのかと言うと甚だ疑問で)全体的には雑な印象の映画でした。 にしても役者は良くて、特に中学生コンビは本当に瑞々しい感じがして将来が楽しみな存在です。 [映画館(邦画)] 6点(2013-01-06 14:38:04) |
736. レ・ミゼラブル(2012)
《ネタバレ》 映画の、舞台との違いと言えば場面を瞬時に切り替えられる事にあって、革命前夜、キャラクター達の姿を次々と切り替え捉えてゆくフラッシュバックの高揚感などは映画独特のものであると思います。 でも、それ以上にこの映画が舞台との違いを意識させたのは「表情」。カメラが寄る事で視界いっぱいに表情を捉える事ができるのが映画。 この映画、最初に闇があって、そこに光を当ててゆく事で人物を浮かび上がらせるという映像の作り方をしています。その光は罪を持つ人にとって微かな光であり、希望が与えられる、神の祝福を得られる可能性が見えた時に、光はその明度を増します。 その光の前で苦悩し逡巡する人々。その迷いによる動きの揺らぎが光と影のコントラストを変化させ表情を作ってゆく、つまり、徹底的なアップの連続に意味を込めた映画だったと言えます。 神の祝福を受ける事でその顔が光に包まれる、ジャヴェールはその機会を得ていながら(ちゃんとジャヴェールにも光がもたらされようとしています)自らそれを拒み、その顔に影を落としたまま消えてゆくのです。 バルジャンもまた沢山の罪と苦悩を生き、彼の翻弄された生は顔に様々な陰影を落とす事になります。 ですが、大人になったコゼットはどうでしょう? 神の祝福を受けたかのように輝き、ラスト近くに至っては自ら発光しているかの如き輝きで周囲までも照らしているのです。 失意の中にあったマリユスを照らし、最後には彼女の光に照らされ輝くバルジャンとファンティーヌ。それは救済された者の顔であった訳です。 個人的にはラッセル・クロウの声はどうかと思いましたが、総じて表情と、そこから絞り出される歌声が強く印象に残る作品でした。 映画は光と影と音が紡ぐもの。であるならば光と影、そして声をその主題に置いたこの映画は大変に映画的であると言えないでしょうか? [映画館(字幕)] 8点(2013-01-03 16:54:42)(良:2票) |
737. 綱引いちゃった!
《ネタバレ》 冒頭の『トップガン』風な映像からハズしてしまっていたので、ちょっとヤな予感はしました。あそこ、戦闘機ではなくてセスナ機って時点でギャップが生じると思うのですが、早々にセスナを映してしまってたら意味ない気がするんですが。続く牛との追いかけっこはもう・・・。 で、本編はやっぱりこんな感じか・・・って。 とりあえず色々なエピソードを散りばめてあって、でも散りばめただけっていう感じなのですよね。ある程度物語として回収されたのは母と血の繋がらない息子のエピソード、パートかけもちのエピソードくらいで(それらもキレイにまとめているとはいかず)、あとは散らかしっぱなしな状態で終わってしまった印象。 主人公とコーチの間の感情や、渡辺直美の介護問題と主人公とコーチへの感情、給食センターの閉鎖の問題など、散りばめた様々なエピソードが、本来クライマックスであるハズの綱引き大会が映画の幕引きに利用された事によって全部放り出したままになってしまっていて「あとはみなさんのご想像にお任せします」みたいな話になっていて。 でも問題はこの映画を見て「大分ってステキなところだね」って思えたりもしないですし「綱引きやってみたい」とも思えないところですね。大分の問題は描かれても、大分の魅力は描かれないんじゃ仕方ないですし(捉えられる風景がどこにでもありそうなアーケードだったり工場地帯だったり廃工場だったり、自治体が無能集団のように描かれていたり)、肝心の綱引きをしているシーンがほんの少しだけで、綱引きがみんなにもたらしたものっていうのがちゃんと実を結んでいってないように思えます。 登場人物はなんだかまとまりのないパラパラとした描き方ばかりなのですが、せめて主題となる大分と綱引きの二点に関しては、しっかりと芯を通しておいて欲しかったところです。 じゃあ何もかもハンパなのかって言えば、井上真央はかわいい、ってところだけはしっかり描かれてたかな・・・。 [映画館(邦画)] 4点(2012-12-02 08:24:58)(良:1票) |
738. ホビット/思いがけない冒険
《ネタバレ》 「『ロード・オブ・ザ・リング』のあの世界が帰ってきました!」ってワクワクできる人にならば、今回も変わらぬ娯楽を与えてくれるんじゃないかと思うんですけど、あの三部作が既に過去のものとして消化されちゃってたりする人だと、ちょっと今作はキツいよねぇ、って。良くも悪くも変わらないのですわ。 映像の見せ方も作り方も美術も同じような感じだし、音楽は前シリーズのメロディがあちこちに散りばめてあるし、そして映像のグロテスクな感じも、CGが部分的にチャチに見えるところも、一体どこで終わるの?まだ終わらないの?って感じまでも一緒・・・。 『指輪物語』に繋がる話ではあるのですが、こちらの方はかなりコミカルなエピソードも多く、『指輪』風な重厚さよりも軽快さが求められるんではないかと思うんですけど、あくまで作りが同じなんですよねぇ。 しかも今回も三部作っていう事で、じっくりコッテリ描かれたワリには「話進んでないな、おい」って感じで終わってしまいまして。 映画全体がまるで『旅の仲間』をリフレインしているようで、ひたすら既視感が続くばかり。 この映画ならではの特徴としてはゴラムに肩入れしているのか、やたらあのキモい顔のアップがしつこく長々と映し出される点で、んでもそんなのちっとも有難くないです。 あと無理矢理フロド出したような感じで、ゆえに回想形式になってる訳ですが、それが回想の中の回想というタブーを生んでしまったりして、今回はツッコミどころも増えたねぇ、って。 その定番っぷりを楽しめるかどうかがカギって事で、私は残念ながら結構ダレました。この一作で全部完結させるか、せめて一作一作を2時間以内に収めて欲しかったところです。まー長い長い。 相変わらずケイト・ブランシェットは良かったですけどね。 [試写会(字幕)] 6点(2012-12-02 00:21:23)(良:2票) |
739. 巨神兵東京に現わる 劇場版
《ネタバレ》 ネットでの不評っぷり(要らない、ジャマ、その分ヱヴァに回せ、あの犬はないわ、アレのせいでもう一度見にいくのがツラい)が、業界が危惧するよりも早く既にその時が来ていたという残酷な現実を示しているようで。 3.11後の黙示録的な映画とも言えますが、むしろコレってミニチュア特撮の終焉を危惧している映画だと思うのですね。特番でこのままだとミニチュア特撮は終わってしまうという事が語られていましたし。 そこで「でも今、我々のウデをもってすればこれだけのモノができるんだよ」っていうのを示せていたのかっていうと、うーん・・・むしろ随分後ろ向きなモノを感じてしまって。 『のぼうの城』もこれも、樋口監督の中にある昭和版『日本沈没』への信奉ばかりが画面から迸っているようで、マンション倒壊を執拗に捉えた画などはひたすら過去の再現への拘りという感じ。 ミニチュア特撮における見立てや伝統や様式美やノスタルジーが今も通用する人というのはほんのひと握り。「メイキングを見なければこの素晴らしさは伝わらない」なんて後ろ向きまっしぐらな擁護意見まであって(映画は出来上がった作品が全てです)、この作品がその意志に反して逆効果と言うかハッキリと浮き彫りにしてしまった「ミニチュア特撮はもはや博物館行きな世界」という現実。 私自身は幼い頃に怪獣映画の洗礼を受けているのでミニチュア特撮が大好きで(『大地震』や『タワーリング・インフェルノ』『スター・ウォーズ』『未知との遭遇』といった洋モノに走りましたが)、今回は『ゴジラ』『ガメラ』無き時代にあって久しぶりの特撮を楽しめました(だけどあの中二病クサいナレーションと文字は全く要らないと思います)。でも、その映像を見ていてやはり苦しいというか切ないというか「ああ、時代は移ったんだなぁ」という感傷が大きくて。 ハリウッドではミニチュア特撮とデジタルの融合が当然のように行われていて、日本のミニチュア特撮もそこへと至るのだ思うのですが(CGの方がよっぽどお金かかる場合も多い訳で)、邦画界は意外と応用力や柔軟性に欠ける嫌いがあるのは何故なのでしょう? 過去への拘りの一編でなくデジタル技術を加味した今日的『巨神兵』ならば、もう少しアピールできたような気もしますが。どうもその意地は『ヱヴァ』を見に来た層には通用しなかったように思えるのですよ。うーん。 [映画館(邦画)] 6点(2012-11-22 17:31:26)(良:3票) |
740. 悪の教典
《ネタバレ》 大島優子の弁護をする訳じゃないですが(笑)、私にはこの映画、中身なんてなーんにも無しの単なるスプラッターホラーにしか見えませんでした。 映像的には面白いところがあります。電車の中でドアや手すりがずーっと奥まで重なって左右に揺れ動いてるとか、車の中で対話する二人をずっと雨が降る外から捉えてるとか。伊藤英明はいい人の表情のまま凶悪、って役を見事に演じてますし。 でも、登場する生徒達の大多数がドラマを与えられず単に数を重ねるための殺られ要員でしかなく、数少ないドラマを抱えた生徒達もそのドラマを結実させる事なくどんどん処分される状態、そこには抵抗や共闘のドラマも、理不尽な死に接した悲劇・無常感すらも無く、見世物としての血しぶきが飛び、数字としての死体が転がるばかり。東大を目指す秀才のあまりに類型的な描き方なんて悪意を持っているようにすら思えます。 この映画、人間的な魅力のある描写は唯一「凶悪な殺人犯がいい人を演じている時」だけ。他は皆、身勝手であったり病んでいるように映ります。その、負の土壌の混沌から神と悪魔とが生じ、粛清と浄化へと至るのですよ、みたいなメッセージがある・・・のかって言うと、そこまで深く描かれたモノなんて感じられず、単に人殺しエンターテイメントがやりたいだけ程度にしか映らないんですよねぇ。 明るい教師の実体が明らかにされてゆくシチュエーションは面白かったのですが、見終わって「人がいっぱい殺されました」以外の何も残らない映画で、それはそれでアリなんでしょうけど、でもこの設定ならもう少しやり様があったんではないの?と思ったりするのでした。 [映画館(邦画)] 5点(2012-11-22 14:32:32)(良:4票) |