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はち-ご=さんの口コミ一覧[この方をお気に入り登録する

プロフィール
コメント数 327
性別 女性
年齢 37歳
自己紹介 知的障害を持つ23歳女性です。
1週間に40時間働いているから多分社会人だと思うけど
今は旦那や発達障害者仲間とルームシェア生活です。

知能指数は11歳ですが、
この映画レビューサイトでは
見よう見まねで大人びた文章で気取らせて貰っています。

ちなみに登録自体は旦那がやっていますので
■妻投稿■がついているのが私です。
あ、でもそうじゃないので一人称が「僕」なのも
実は私が投稿していたものもあったり
「ドラえもん」とか「A」とか(^_^;)

インターネットの書き込みは初めてに近く
インターネットルールは一通り勉強したつもりですが、
「場の空気を読む」などの高度な技術は難しいので
そんな時にはスルーしてください。

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61.  隠し砦の三悪人 THE LAST PRINCESS 《ネタバレ》 
妻投稿■まあ、予告編見ればアイドル映画だって事はわかるし、原作映画があるんだからぶっ飛んだリメイクが嫌いな人は見なければいい。でも金曜ロードでやっているとついケチをつけたくなるのが性・・・・(^_^;)■旦那は「なぜ長澤まさみが脱がない」「そこは刀で辱めるのがセオリーだろう」とふざけた事をぬかしていたけど、そこは私にはどうでもいい。ただ、少なくともあの毛深い松潤を延々と見せられ、それも「アイドルだぞーアイドルだぞー」と見せられても困ってしまう。あれはどう見ても中世山岳民族の髭と着衣ではなく、芥川の「羅生門」でお婆ちゃんの裸を見ようとした下人がドラえもんあたりに「毛生えクリーム」を顔射された状態だ。そいつに「俺たちはいつも一緒だ」と言われたら、私なら速攻で「髭をそりやがれ」と喚いてやりたい(←さりげなくそういう妄想(^_^;))。あと「泥臭さ」の描写。戦国大合戦や山田洋二の時代劇、黒沢映画の泥臭さは「一生懸命生きてきた証」が刻まれている気がする。この映画の泥臭さは黒沢の「墨汁雨」を意識したらしいとはわかるが、どうも「インキンになるそうだね」という気しかしない。■アイドル映画ならアイドル映画をちゃんと撮ろう。それだけ。
[地上波(邦画)] 4点(2009-11-23 23:49:37)
62.  16ブロック 《ネタバレ》 
ちょっと最初が緩いかな。電話の位置特定になぜ気づかないとか、なぜ屋上にいることに気がついたとか、そういうところに知恵と知恵のぶつかり合いをメリハリきかせてくれれば名作になったと思う。
[地上波(吹替)] 6点(2009-11-23 23:21:35)
63.  ナイト・オブ・ザ・スカイ 《ネタバレ》 
妻投稿■「空を飛ぶ相棒の物語」・・・・ある意味別の意味でそうだと思いました。ストーリー構成で、てっきりメイン勝負だと思ったのが敵のフェイクで、敵の本当の目的が別にあって、真犯人が二転三転して、無能で責任逃れに終始する上層部や悪いことをしても捕まらずににやーっとする美女が出てくるところが・・・・確かに空を飛ぶ「相棒」物語だなと思いました。ストーリーが破綻している仏さまアクション映画の数々の中ではまあまあ面白いかな。■ところで「俺が勝負してやる」といったアフリカ東部の(戦闘機の航路がリビアという具体的地名が飛行機がソマリアあたりに進むと「アフリカ東部」になっているのは眉唾ですね)悪の親玉が、ハリウッドだったら飛びたってドックファイトなお約束が、地上でボーンとやられたり、ラストのパリ上空の闘いがあっさり敵が脱出しちゃうところとか、いよいよ盛り上がる・・・・というところで失速・・・という場面多いですね。ハリウッドだったら大コケめちゃくちゃアクションで映画を長引かせると思うが、このフランスの映画、「面白いシーンが撮れないと思ったらあっさり勝負を決めちゃうよーん」という映画ですよね。本物の戦闘機シーン、評判いいんですけど、これは映画の尻すぼみ覚悟の大ネタじゃないかと思います。結構粋。
[地上波(吹替)] 6点(2009-11-15 23:24:45)
64.  チャーリーとチョコレート工場 《ネタバレ》 
妻投稿■■寓話ってのは多かれ少なかれ「子供にこうあってほしい」という大人のプロパガンダだと思います。多分バードン監督は「この映画は通常の寓話じゃない」というメッセージとしてチャーリーにネコババさせたのだと思います。このシーンがなければ、「わが・ばかな子供の末路に大人が拍手喝さいを送る」だけの映画になったんじゃないかなと思います。■■ところでこの映画でなんで冒険するのは子供だけではなくて親と一緒になんでしょうか。原作がそうだからと言ってしまえばそれまでですが、普通は子供たちだけで冒険するでしょう(スピルバーグみたいに)。そんで悪い子が親元から離れている間に成長して、主人公チャーリーと協力してピンチを切り抜けるというシチュエーションになるでしょう。■■そうはならないのは、この寓話は「子供用の寓話を欲しがる連中本人に逆に捧げられた寓話」だからではないでしょうか。私はバードン監督のファンではないけど、多分この監督は「みんなで力を合わせればどんなピンチでも乗り越えられる」という内容を寓話に要求する大人社会が全然そうなっていないことに気づき、だからこそ5組の親子にグロテスクに飛ぶ人形=「大人が望むようにかわいく回らない人形」の洗礼を与えたのだと思います。「大人の思う通りにならない」というキーワードはネコババやウイリーの過去にも適応され、「大人の思い通りになる」事で我儘な特権を得ているチャーリー以外の親子と対比することで、共依存など親子の問題を皮肉っているのだと思います。■■親子で楽しく見る映画じゃないですね。あの小人の歌は子供という宝物を侮辱することで親を徹底的に攻撃しています。旦那が勤めている会社に呼び出され、旦那が殴られるのを上司に見せつけられるような戦慄です。「寓話」という矛盾に対するとんでもない皮肉です。
[地上波(吹替)] 7点(2009-11-12 01:47:18)
65.  紀元前1万年 《ネタバレ》 
妻投稿■【やましんの巻】さんの意見を全面支持します(*^_^*)そんで私なりに明後日の方向に解釈させていただければ、この映画の時の流れはアウストラロピテクス→クロマニヨン人→紀元1万年→アレキサンダー→グラディエーターではなく、中つ国(その他ファンタジー世界)→紀元1万年→アレキサンダーなのだと思います。つまりファンタジーの世界が滅び去り、原始人になった人類が「現実文明」というものを手に入れるきっかけとなった物語ではないでしょうか。つまりこの物語の舞台は「魔法とファンタジーの時代」と「現実的歴史時代」の中間の「空白原始時代」なんです。■■スターウォーズにしろロード・オブ・ザ・リングにしろ「遥か昔の断絶した時代」として描かれた映画世界は数ありますが、「断絶」そのものを見せてくれる映画は多分これだけ。だからこの世界は考古学と魔法が絶妙に絡み合い、監督はただ圧倒的な力で翻弄されるだけの毛むくじゃら原始人に、「過去から引き継いだファンタジー世界の勇者の一面」と、「生まれつつある現実歴史時代の叡智」を少しずつ与える試みを全般にわたって追求していると思います。■■似たような試みは「ナルニア物語」や「ブレイブストーリー」みたいなのにもあるけど、それらのように「ファンタジー」と「現実」が平行世界として存在する映画の場合は、観客は主人公の内面に同行する形で冒険するのがいいと思います。でもこの映画みたいに両世界が1つの歴史として存在する場合は、観客は「歴史家」として神の目線で映画を鑑賞するのも正攻法ではと思うのであります。 ■■私は何訳わかんないこと長々と解説しているんでしょうかねえ(^_^;)
[DVD(吹替)] 8点(2009-10-26 19:17:12)(良:2票)
66.  日本以外全部沈没 《ネタバレ》 
妻投稿■この映画は断じて笑わせる映画ではないです。むしろ私にいろいろ思い出させて見ている最中ものすごい寒気を感じさせたという点では、「日本沈没」以上に人間の末路を描いた警鐘じゃないかと思います。その証拠に「もう理性的である必要はない」と思った時の大統領の狂いぶりは凄いリアルです(だからネクタイが星条旗になっているのは「倒錯したリアル」を損なわせていて減点)。■知的障害の私の経験を書くと禁止されている「卑猥で気持ち悪いレビュー」になるので、敢えて世間一般の実例を出せば「スタンフォード監獄実験」というものがありますよね。自分と相手に極端な力関係(上司と部下というレベルではない)があると、歯止めが利かなくなるというあれです。作中では「私たちの社会に適応できないとどんな目にあわされても文句は言えない」と日本人が言って、メイドさんに残飯と屋根だけでいろんな事やらせるというシーンがあります。「こういう事を実際に社会に生きる自分たちがそんなことをするはずがない」と思っている人は「下らねえギャグ」と認知するだろうし、その見方は正しいと思います。でもそういう事が「成熟した社会」でありうると知ってしまった(「思いこまされた」と書こうとも思ったのですが、一応こっちの表現にします)人にとっては、このシーンはギャグとは180度離れた場面じゃないでしょうか。■「生きるという事は、命以外を全て犠牲にすること」。これはお母さんに「この言葉が正しいかどうかはわからない」という前置きと一緒に授けられた言葉です。絶対権力者の邪悪な支配欲を満足させないと泥船に乗せられる(という形の暴力を受ける)外国人は過去と重なる事もあり他人事とは思えませんが、私は少なくとも老人ホームの米兵役みたいに相手の邪悪な心に付け込んでお金をもらう生き方はしたくないです。これがこの映画から感じたメッセージです。■減点対象は上記のネクタイとラストの蝋燭の場面。藤岡弘の最期。あんな奴らの無意味な恍惚より、素敵な絵本を書いた妊婦さんやアカデミー賞俳優とキャサリンの運命が気になります。
[インターネット(字幕)] 8点(2009-10-09 05:58:14)(良:1票)
67.  新宿インシデント 《ネタバレ》 
妻投稿■2回目見て少し感想が変わりました。■この映画はアジア人が見た日本のイメージを反映していると思う。日本人は世界で日本が一番安全だと思っているが、実は殺人発生率は決して低くはない。私の友人のお母さんは、わけあって身元不明遺体相談で遺体のページをペラペラめくった事がある。多分考えられているより高頻度で死体が路上に転がっていることが分かったと言っていた。あれが全部殺人だったとは言わないが、生き倒れや餓死というわけでもない。日本は死体を解剖しない国だから「弱い立場の人を殺しても殺人とは認知されないんだろうな」と背筋が寒くなった。作中で死んだ人、ニュースになったのだろうか・・・日本の暴力団を除き、アジア人が日本人の目につくところで死ぬシーンは全くない。これがアジア人が見た日本なんだろう。「暴力、拷問、リンチ。実はすぐ近くにあることなのに誰もがそんなもの自分の生活圏にないもんだというように隠すのが日本社会なんだ」とこの映画は言いたいんだと思う■しかし、出てきた人間、ジャッキーの香港国際警察の悪党ですよね。ジャッキーは明るい喜劇映画。香港国際警察2004みたいな重い映画でも相応の優しさはあった。なんていうか、その優しさが引きずられている気がする。演技路線に入るにしろ、ジャッキーにやくざと悲劇は似合わない。
[インターネット(字幕)] 7点(2009-09-13 23:58:00)(良:1票)
68.  崖の上のポニョ 《ネタバレ》 
妻投稿■私の旦那は社会性とコミュニケーション能力に障害があるアスペルガー症候群なんですね。で、子供のころ先生に「みんなの夢を描きましょう」と言われて他の子供は消防士とかパン屋さんとかになっているんですけど、旦那だけ「街が水の中に沈没していて、僕は魚の女の子と友達になっている」という絵を描いたんですよ。先生は「魚になりたい」と解釈したそうですけど…これ旦那が前にレム睡眠中に見た「夢」なんですね(*^_^*)■でも、こういうかわいくて訳わかんなくてシュールな夢って、誰でも小さい頃はきっと見たと思うんですよ。この映画はそうした「夢」を映画にしたんだと思います。ただそれだけ…ただそれなんだけど、これって凄く優しいことだと思うんです。■前に旦那は「ゲド戦記」のレビューで「宮崎監督の息子は親を超えるという仕事を額面通りに成し遂げている」というレビューをしたと思うんですけど、この映画で宮崎監督は、混沌とした時代において「子供の夢」というものを「額面通り」に再現して息子に提示したんだと思いますね。■映画としては文句なしの10点なんだけど、宣伝においてやたらと「ポーニョポニョ」日本中がうるさいのには弊癖。こういう夢ってのは静かに見るものだと思うんだけど・・・・(--〆)
[DVD(邦画)] 10点(2009-09-05 04:57:44)(良:2票)
69.  それでもボクはやってない 《ネタバレ》 
裁判制度の欠陥を指摘した映画として優れている事は間違いない。だが、現代の裁判に問題がある事は知っているし、何の落ち度もない人間が糾弾され、他者を陥れる卑劣な奴らがのうのうと生きているのが日本社会だなんてみんな知っていることだ。知っている事を今更恐怖映画みたいに煽っているだけで終わらせるなんて、コンビニエンスストアにある三文ノンフィクション漫画と同じ。恐怖と理不尽の中でどう主人公と支援者が内面の勝利を勝ち取り、それを外部に対する勝利に変えていくかを見たかった■以下妻投稿…そもそもこんな裁判制度が存在する至極当たり前の理由は国民審査権が虚ろ+国民自身が承認しているからじゃないかと思う。ちなみに、私のお母さんは私が強姦被害にあってから基本的に国民審査は全部×にしていると(更新日2009.8.31)昨日の選挙で話してくれた。でもそういう人って「ネタだよね」とか「面白半分」と思われる事が多いらしい。事実国民審査で裁判官が辞めさせられたことは一回もないそうだ。「冤罪」や「マイノリティ被害者の法的保護の放棄」などは「最大多数の最大幸福」および「市民生活に害悪をなす輩は死刑」という目的のためにある程度国民が容認しているとばかり私は思っていたのだけど。今さらそういう映画を作られても…(^_^;)
[映画館(邦画)] 3点(2009-08-31 06:24:08)(良:2票)
70.  グラディエーター
妻投稿■西暦180年のローマといえば歴史学者のエドワード・ギボンが曰く「人類史上もっとも幸福な時代」であるパックス・ロマーナ=ローマの平和が終わりに差し掛かった時代だ。殺し合いゲームで市民の支持を得るコモドゥスの最期は、今のパックス・アメリカーナの主役であるアメリカ合衆国が戦争という娯楽で国民の支持を得て衰退するのに似ている。■リドリー・スコットは「ブラック・レイン」にしろ「ブレード・ランナー」にしろ「ブラックホーク・ダウン」にしろ、人々が無邪気に信じている「当たり前」の崩壊を予言するような大仕掛けな映画を撮ることがうまい。彼にとってローマの崩壊は、「既存事実である世界基準の当たり前の崩壊」という点で、一番脂の乗った食材だったと思う。■絶対的主人に「貴様らの母親が生んだせいで始まったどうしようもない人生を俺が終わらせてやる」と言われるシーンや、扉の向こうで鉄球がブンブン回っているのが光で表現されるシーンは、前半の圧倒的強さを持つローマ軍と合わせて、「超大国の衰退は外からではなく内部の悲鳴と失禁から始まる」というメッセージ性を表現しているし、ラストはアンデルセン童話のバッドエンドみたいなニヒニズムを感じる。英雄の物語と見せかけてラストは世界が救われたわけでもないという、エメリッヒ作品とは対照的なリドリーの歴史観の集大成じゃないかと私は思うのです。■コロッセオ・・・綺麗ですね。2000年後にブルース・リーとチャック・ノリスが戦うのですね。
[地上波(吹替)] 9点(2009-08-25 01:03:02)
71.  千と千尋の神隠し 《ネタバレ》 
妻投稿■■この映画はよく「千尋の成長物語」と紹介されることが多いが、もしそうだとしたらこの映画は最悪だ。両親がブタにされ、両親の命を人質に名前を番号にされて働かされる。これが成長の礎だと思える日本はどんだけ平和なんだと叫びたくなる。では何で欧米でこれが評価されたんだろう■■私が思うにこの映画は、起承転結の「起」で全てが帰結する状況探検映画。主人公の女の子の視点で見た不思議世界を提示し、クレヨンしんちゃんのような明確な感動やカリオストロのようなエンターテイメント性ではなく、主体の視点で全てを語る「静」の映画だと思う。その証拠にこの映画、主体である日本の10歳の女の子千尋を徹底的に分析し、その行動、内面をリアルに描くにはどうすればいいかについて半端じゃない追い込みをかけている。ひとえに彼女がいなければ、宮崎十八番の上下空間描写の冴える不思議な銭湯だってアニメ史上美しいシーンと言われる電車の風景だってハクやカオナシなどの八百万の化けものだって絵的に死んでいたんじゃないだろうか■■「成長物語」というとダメな主人公が新たな世界観に一方的に啓蒙されるという印象が強い。そうではなく「夜と霧」にあるように主体である千尋が「能動的」に様々な物を見て、感じ、やがて勝利していくシークエンスは、千尋という女の子の魅力に引っ張られる形で見事に描かれており、ある意味ロリータの匂いさえする。7点なのはどうしても宮崎のおじさまが「今時の家族」に対し上から目線で見ている気がするから(その証拠に両親の冷血動物みたいな人間描写はかなり醜悪だと思う)。ロリコンと蔑まれようが主人公の女の子に本気で恋するつもりで(野郎向けの萌えという意味ではない)描いてくれたら、私は間違いなく10点をつけたと思う。
[DVD(邦画)] 7点(2009-08-04 09:03:57)(良:2票)
72.  クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶジャングル 《ネタバレ》 
妻投稿■■ラスト野原ひろしはしんのすけに「アクション仮面みたいに強くて優しい大人になれよ」という。そう、ヒーローというものはテレビの画面の中で感傷やお涙頂戴のためにあるわけではない。子供および大人が「僕も私もこんな強い人間になりたい」「こんな格好いい人間になりたい」と思う為に登場するのだ。最近のヒーローものはギャグセンスや「萌え要素」ばかりに傾向して、本来の目的を忘れている作品が多くみられるが、劇中のしんのすけが決死の思いでパラダイスキングに喚くシーンは、こうした最近のヒーローに対するアンチテーゼではないかと思う。■■この作品の際物さは、「このようなヒーローになりたい」という指標だけではなく、「こんな悪党になりたい」という悪の魅力まで提示しているところだ。だが、パラダイスキングのかっちょよさ、魅力も「本物のヒーロー」を描ける映画制作陣だからこそ描けるものなのだと思う。
[地上波(邦画)] 9点(2009-07-20 19:13:59)
73.  ダークナイト(2008) 《ネタバレ》 
妻投稿■■ジョーカーのキャラクターは最高だった。彼の声優にクレヨンしんちゃんの野原ひろしと同じ声を入れた日本吹き替え担当者のセンスも素晴らしい。■■けどねぇ、私バットマンが守りたいものにそんなに共感を感じないんですよ。それは「常に市民がヒーローを求め、それに希望を持つ」という部分。バットマンにとってはそれがハービーだというんだろうけど、私は「何でゴッサム市の市民がジョーカーにおびえ、パニックになり、利己的な暴徒になったのか」と考えた時に「ヒーローに甘えていた」としか思えないんですよ。現実世界って自分自身がヒーローであり悪者であり、そうやって一人一人が生きていくものなのではないでしょうか。■■子供がヒーロー番組を見るときって、「わあ、僕もあんなのになりたい」というもんなんだろうけど、それが大人になると「僕の代わりに彼がヒーローになってくれる」に変わってしまうものなのだろうか。少なくとも映画の中のヒーローとゴッサム市民の関係はそういう関係だ。これは私たちがヒトラー、ブッシュ、オバマに何かを期待するのとあまり変わりはない。ヒーローの在り方はそんなもんじゃないはずだ。■■私はバットマンが最後に下した結論は、結局は何の解決にもならないと思う。ヒーローが去っていく時には、残された子供たち、そして観客、映画の中ではゴッサム市民自身がヒーローにならなくてはいけないはずなのだ。
[映画館(字幕)] 3点(2009-07-20 18:54:31)(良:2票)
74.  ヘイフラワーとキルトシュー
妻投稿■皆さんがおっしゃられているように、この映画はひたすかかわいく、ひたすらのどかで優しい映画だと思います。そして、ソ連によって国土の3分の1をぶんどられ、ノルディックバランスと国民皆兵でどうにか自由と民主主義を守り通し、政治的公平度や報道の自由度ランキングでは常に世界でも5本の指には入るガチンコ共和国で作られた映画です。■少なくとも映画の中の世界は日本で想像するような「愛」や「人情」みたいな抽象的なもので成立しているわけではないので、ヘイフラワーが神様に祈るシーンは、フィンランド人にとっては神様ではなく、自分たち大人への願いと感じるのではないでしょうか。私が思うに不必要に出てくる警官は観客自身なのだと思います。警官という物騒な存在がこういう映画に出てくるというのがその証明なのだと思います。この映画はフィンランドの「平和」をあらわしているのです。
[DVD(字幕)] 8点(2009-07-15 03:03:03)(良:1票)
75.  ゆずり葉 《ネタバレ》 
やられた。計算されている。字幕に補佐されなくては何がどう展開しているのかわからない内容になっている為、一見聾唖者の聾唖者協会による聾唖者のための映画に見える。が、これによって健常者の観客にマイノリティ感を与えておいて、そこから聾唖という少し違った視点から喜怒哀楽、社会適応、世界観の認知、人間愛を、観客と登場人物の孤独を一体化させる事で描き出す技法は今までになかったと思う。当事者製作ということもあるのだろうが、障害を持つ当事者の世界観を外からではなく中から描き出すという方法としては逆説的成功であり、こうした新たな表現技法を提示してくれた制作陣には敬意を表したいと思う。もちろん聾唖協会の宣伝的な内容に100%なっていないとは言わないが、情緒表現や世界表現が均一化しつつある今日この頃の映画に対してカツを入れる作品であることは間違いなく、小さな映画館で当事者だけで見るにはあまりにも惜しい作品だ(ちなみに僕は耳は健常)。
[映画館(邦画)] 9点(2009-07-13 21:25:55)
76.  大統領の理髪師 《ネタバレ》 
妻投稿■この映画のメッセージはすでに最初の青瓦台の食事のシーンで出ています。子供の喧嘩において、自分は悪くないのに謝らされ、それに抗議すると大好きな父親に殴られ、でも裏でその父親が偉い人に殴られ、銃まで突き付けられるというシーンです。もし私が子供のころ、私のお母さんが上司に殴られ、ナイフを突き付けられていたら、私は大人の世界を一生信じられなくなったでしょう。■そして物語後半はナガンが連れ去られ、歩けなくなるという出来事を父親の視点から見つめる構図に変わります。自分の息子がわけのわからない理由で行方不明になり、歩けなくなるまで拷問されるという悲しさ、怒りが描かれます。■この2つのシーンの後に理不尽な暴力で心を破壊された親子がおんぶしながら、韓国の空と美しい木の下を歩くシーンがありますが、そのシーンには親子以外人間が画面に映らないのです。私はそこに「人間を殴ったり後遺症を残す大けがをさせる『権威』というものがあっても、それは馬鹿な思考(マルクス病とか)でドンパチする人間世界のみ有効で、この世にある自然や親子愛とは関係ないんだ」というメッセージを感じるのです。
[地上波(字幕)] 7点(2009-06-22 22:53:40)
77.  Mr.インクレディブル 《ネタバレ》 
妻投稿■児童映画を評価する大人(知能11歳の私含む)って、どうも単純な勧善懲悪作品を子供向けと笑うくせに、自分達が不覚にも涙した児童映画を「これは子供向けではなく大人向けだから素晴らしい」なんて勝手に決めつけて、結局は「子供(映画)」を馬鹿にした評価しかしないけど、その点を反省してみてみた結果、この映画は決して大人の映画ではなく「恐ろしくヘビーな子供映画」だと思った。少なくとも「これから人間社会でヒーローになろうとしている」子供にはね。■子供がヒーローに裏切られる悪夢、ヒーローになれず会社で上司に叱られる主人公、ラストでダッシュダッシュが二位になってそれでも本人が受け入れ満足出来た事を喜ぶ家族……これらは絶対大人よりこれから大人になる子供の方に強いメッセージを託している。「大切なのはヒーローになることではなく、大きな心と誰かを愛する気持ちを持つことなんだ」…そんなメッセージが、「結婚活動」なんて平和ボケした大人には逆立ちしたって伝わるわけがない。■そう言えば子供の頃みんなと遊んだなりきりごっこは基本的に「大人」が主人公で、ピクサーの作品も基本的には「大人」が主人公だ。決してピクサーは「大人」にあわせて主人公を「大人」にしているわけではない。この作品を楽しめる大人は「童心に帰った大人」ではなく、「自分が子供の頃から偉くなったわけではない」と知っている大人なのだろう。
[DVD(吹替)] 10点(2009-06-12 00:54:10)(良:2票)
78.  チョコレート・ファイター 《ネタバレ》 
妻投稿■(大好きな俳優だけど^^)阿部寛のエピソードはいらない。畳部屋の戦いで彼が出てくる意味が分からない。この人の無駄なチャンバラのせいで死者の数が何倍にもなっている気がする。で、結局お母さんが助からないうえに「彼は愛を知った」なんてエピソードで占められても、この映画において全く活躍しない阿部寛の内面なんてどうだっていーっつうの。この映画はジージャーの映画なんだから■あと、痛い映画を見せたいのは分かるが、やたら人体に物が刺さる痛さは誰も期待していないと思うよ。■とは言うものの知る人は知っているプラッチャー・ビンゲーオとパンナー・リッドクライのコンビの凄さは健在です。今回戦うのは女の子という設定ですが、彼女は自閉症の当事者で、テレビの格闘シーン(マッハやトム・ヤム・クンのシーンが出てます^^)を見ただけでそれを実際にやってしまう身体能力と記憶力の持ち主という設定。その演技は同じ無口キャラのトニーと比べ迫力の桁が違います。特に彼女が健常者の理不尽な暴力を受けた時や自分の家族を酷い目にあわせた奴と戦う時に見せる目は、トニーのように火が燃えるだけの虚構に満ちたものではなく、困惑と恐怖と悲しみと怒りといった複雑な感情が目の前のものに力集中して出来るギラギラしたものになっており、健常者に対して純朴な障害者を描くことを求められる日本映画では絶対表現することが許されない、「健常者秩序に対する反抗心」が表現されていたと思います。■監督はその反抗心をマサシの孤独な心と共鳴させることでラストを美しく締めようと考えていたのだとも思えますが、残念ながらそれは失敗しています。それが中途半端になるくらいなら、「ジージャーがお母さんを取り戻す!!!!!マッハガール!!!!!!」でやってくれた方がよかったです。そっちの方が得意でしょ。
[映画館(字幕)] 7点(2009-06-02 23:09:04)(良:1票)
79.  母たちの村 《ネタバレ》 
妻投稿■「やっぱりヨーロッパ人がとった映画だな」と思える小奇麗な感じの「ホテル・ルワンダ」の映像と違い、純粋なアフリカ原産映画なので(フランスと合作してますがファトゥマタ・クリバリはマリ人、監督はセネガル人、村人の大半はブルキナファソ人)、「クレヨンしんちゃん、アッパレ戦国大合戦」に通じる「原野」「荒野」の泥臭さと美しさを映像から感じます(現地の風習、家の中での仕草一つ一つも、アッパレ戦国大合戦みたいに丁寧で、新鮮さを感じます)。内容はホテル・ルワンダと同じように「強大な暴力から人を守り抜く」という緊迫感を描いた映画。「50万人もぶっ殺される」というあんまりピンとこない非日常的危機を描いたホテル・ルワンダに比べ、こっちは「場の空気」「一般常識」「人間関係」そして「男の人による理不尽な暴力」が描かれ、それは日本人である私にとっても日常想定内の事なので余計緊迫感は上がります。たぶんホテル・ルワンダやブラックホークダウンを見ても多くの日本人は「何であんな狂気が現実になるんだ」というだろうけど、この映画は「狂気」ではなく日本人が大事だと思っているものがとんでもない悲劇を生み出しているので、そういう意味では日本人にも容赦はありませんが、だからこそ「当たり前」に立ち向かうお母さんの姿は野原ひろしみたいに格好いいし、ラストモスクの上にアンテナが立っている描写は彼女らの勝利の象徴としてとても効果的な余韻を持たせてくれます。■私のお母さんは「知的障害者のはちーご=妻に断種手術を奨めなさい」という周りの圧力を拒否して私を守ってくれました。日本で強制断種を認める優生法が廃止されたのは1994年。女性が男の人から殴られたりせず、好きな人と子供を産んだり、性器を勝手にいじくられたりしない事は当たり前のようで当り前ではない、素晴らしいことです。「クレヨンしんちゃん 電撃ブタのヒヅメ大作戦」で男の生き様に入れなかった私ですが、この映画は女性が女性として生きる美しさを、ブタのヒヅメと結構似たような「額面通りさ」で見せてくれます。 それにしても何で私今日は何でもクレヨンしんちゃん基準なんだろ(?_?) あと人が殺される展開はいらない。
[DVD(字幕)] 9点(2009-05-29 03:43:47)
80.  ルパン三世VS名探偵コナン<TVM> 《ネタバレ》 
中学校の頃、「ルパン三世VS名探偵コナン」という漫画を大学ノートに書いたことがありました。あ、正確にいえば「名探偵コナンVSルパン三世」でした。友人に見せたら爆笑されました。最近妻に押し入れの中にあるのを見つけられてまた爆笑されました。自分で見ても痛すぎで爆笑しました。「臭すぎる」「目がキラ付いていて笑える」「何で目暮と銭形が親友なんだ!」。ええ、わかっていますよ。自分が痛い人間であるくらい。しかしよりにも寄って俺のマンガと同じレベルのストーリー滅茶苦茶、登場人物クサクサ、おまけにメイドさんまで活躍する(僕は1990年代にすでにメイドの魅力に気づいていた→さりげなく自慢)アニメを俺が20代後半になった今全国放送流さなくたっていいじゃないですか――ー。妻は「これの原作者はてめーだろ」「こんな破綻物語はてめー以外書かない」と箸を両手に持って足をバタバタさせて笑っていました。何人の中学校の友人がこれを見て、いまわしきオタク中学生だった俺を思い出すのだろうと冷たい感傷を覚えました。■追記:どうせやるなら中学生時代の俺の作品「名探偵コナンVSクレヨンしんちゃん」「名探偵コナンVSワンピース」「名探偵コナンVSケンシロウ」もやってくれー(やけくそ)。
[地上波(邦画)] 8点(2009-05-20 01:52:47)
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