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 > かっぱ堰 さんの口コミ一覧。44ページ目
かっぱ堰さんの口コミ一覧[この方をお気に入り登録する

プロフィール
コメント数 1244
性別 男性
自己紹介 【名前】「くるきまき」(Kurkimäki)を10年近く使いましたが変な名前だったので捨てました。
【文章】感想文を書いています。できる限り作り手の意図をくみ取ろうとしています。また、わざわざ見るからにはなるべく面白がろうとしています。
【点数】基本的に個人的な好き嫌いで付けています。
5点が標準点で、悪くないが特にいいとも思わない、または可も不可もあって相殺しているもの、素人目にも出来がよくないがいいところのある映画の最高点、嫌悪する映画の最高点と、感情問題としては0だが外見的に角が立たないよう標準点にしたものです。6点以上は好意的、4点以下は否定的です。
また0点は、特に事情があって採点放棄したもの、あるいは憎しみや怒りなどで効用が0以下になっているものです。

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861.  蟹工船(1953) 《ネタバレ》 
大貧民が革命を起こして逆転勝利、という展開を期待したくなったが、資本家のイヌを皆殺しにするどころか終わってみれば死んだのは労働者側だけだった。死んでも一矢報いてやるといったサムライ根性のない連中であり、こういうヘタレに革命など起こせないだろうと思ったが、これは多分、劇中の「監督」と同意見である。 ところでこの映画を見ていると、ロシア革命に先立って1905年に起こった戦艦ポチョムキンの反乱を思い出す(エイゼンシュテインの映画は未見)。単純に見れば、この映画の製作者は本気で革命でも扇動するつもりだったのかと疑われるのだが、その点原作の方はかえって漸進的な社会改良を目指していて穏健に感じられるのが変である。また原作の労働者は現実に学んでしたたかに生きる姿勢を見せているのに、映画では弾圧されて終わりのため、労働者は弱いという印象しか残さない(前記)のもストーリーとしてどうかと思う。映画の最後が血塗られた旭日旗だったことからしても、どうもこの映画では労働者よりも国家の暴力の方に焦点を当てていて、原作の意図そのままではないと思った方がいいらしい。反権力を声高に叫ぶ時代の先駆けということか。 なお反乱の場面で遠くに浮かぶ艦影は、実際に昭和初年に就役していた峯風改型か神風型の一等駆逐艦に見える。普通こういうのは適当にごまかすと思うのだが、事実関係については真面目に再現しようとしている映画らしく、これは製作者に敬意を表する。
[DVD(邦画)] 5点(2012-08-05 20:13:45)(良:1票)
862.  コンセント 《ネタバレ》 
以前、主演女優がNHKのドラマに出ていたのを見て探したのがこれで、そういう面では何かと満足のいく映画だった。結果的にかなり得した気分である。極端に個性的な風貌だが個人的に嫌いではなく、役柄にも合っている。 その役柄について、劇中では「シャーマン」と言っており、具体的にはイタコとかユタの例が挙がっていたが、しかし実際にやっていたことからすると、むかし日本にいた市井の(神社所属でない)巫女のイメージをもとに創作したのではないかと思われる。そういった前近代的なオカルト要素を現代社会にまともに位置づけようとした感じの映画であり、劇中では主人公の専攻が心理学だったことから、その関連知識で現状を自己分析していたのが面白かった。 ところで映画の最後を見ると、主人公はこの能力を使って何か起業でもするのだろうかと思うのだが、原作を読んでみると具体的な業態まで書かれており、どうもこの部分は評判が悪いらしい。確かにこれをそのまま映画に出すのがよかったとも思えないが、しかし映画の終わり方だと主人公にとって新たな世界が開けたというだけで、それが本人の天職につながることが表現されていないため、だからどうした、という感情だけが残ってしまう。これはストーリー的には難点かと思う。 ただし全体としては主演女優のほか、特に精神科の医師役の好演と映像美(後半の特殊効果を除く)が印象的であり、自分としては低い点をつける気にならない。
[DVD(邦画)] 5点(2012-08-05 20:12:49)
863.  宇宙水爆戦 《ネタバレ》 
 原題を直訳すると「この島 地球」としかいいようがないと思うが、少し意訳すると「宇宙の孤島、それが地球」というような感じでいいだろうか。内容的には、高名なメタルーナ・ミュータントが実は頭悪そうだとか、宇宙の場面が出るのが遅いとかいう不満はあるが、基本的には真面目に作ってあるので好印象である。  ところで、この映画を見て驚いたことが二つある。 一つは(些細なことだが)夕食の場面で、女性の研究者が「モーツァルトは美しいですわ」(字幕)と言っていたのがフィンランド語だったことである。なんで1955年公開のアメリカの特撮映画に突然フィンランド人が???と、ここで一瞬目が点になった。そのあとドイツ人の博士がドイツ語でしゃべっていたので、フィンランド人がフィンランド語でしゃべるのも不思議はないだろうが、そもそも劇中ではフィンランド人という説明も何もなかったようなので、ほとんどの観客は何語だったか知らないまま一生を終えるだろう。逆にフィンランドでこの映画が公開された際(米公開と同年)には、地元民も目が点になったのではないか。アメリカ人も妙な遊び心があるものだと思う。  もう一つは、敵の攻撃を受けているメタルーナ星が、遊星爆弾で攻撃されるガミラスのように見えたことである。さらに敵の本拠地はもと彗星だったという話まで出ていた。わが国の誇るSF風アニメの元ネタ(パクリネタ)がこんな所にあったということで、これは本当に驚いたが、それをいえばメタルーナ・ミュータントのデザインも、後に「ウルトラマンタロウ」の宇宙人にパクられている。日本としてもイマジネーションの源泉をこの映画に多く求めているようで、やはりこれは特撮の古典的名作だと思うしかない。
[DVD(字幕)] 5点(2012-06-05 21:21:17)
864.  京都太秦物語 《ネタバレ》 
率直な印象としては、とにかく男二人が気にくわない。幼馴染もかなり痛い奴だが、研究者の方はあまりにもバカ丸出しで笑うこともできない。どちらも駄目な男で、観客としてはヒロインとの関係の発展が期待できない(したくない)ため、途中で今にも席を立ちそうになった。それでも他の客の邪魔になるのを避けて最後まで見たところ、ラストの場面だけは納得した。自分が泣けたわけではないが、思い当たることのある女性なら泣けるかも知れない。 ただ実は、キャッチコピーの印象からして最後にもう一つ波乱というか、もっと微妙な状態に陥る可能性もあるかと思ったのだが、何もなく普通に終わってしまったのは拍子抜けだった。この映画の性質上、これ以外の結末はありえなかったのかも知れないが。  ところで幼馴染の男が終盤、夢破れたときの滑り止め、というようなテキトーな感覚で一生の仕事を決めていたのは少し気になるが、それはまあいいとして(みんなそうだったろうから)、単純に親世代と同じく家族経営で豆腐店という前提だと、司書を目指していたはずのヒロインの夢までが消え去ることにならないか。男の方は実現困難な夢だったから断念するのは仕方ないが、ヒロインの夢は極めて現実的かつ実現途上にあり、観客としてもかなえてほしいという思いがある。地域連携映画という事情はあるにせよ、個人の志望より映画の都合(=商店街の都合)が優先するのでは、第三者の目からは理不尽に見えるので、ここは余計な不満の生じないようにしてほしかったと思う。 まあ特殊な成立事情の映画なので、あまり妙なところに突っ込まず、制作に関わった学生とともに映画の完成を喜んでやるべきなのかも知れない。しかし、そんなことまで斟酌しなくても、実は個人的にヒロイン(演:海老瀬はな)が好きになってしまったので、最終的な印象はそれほど悪くなかったというのが実態である。
[映画館(邦画)] 5点(2012-03-04 22:12:52)(良:1票)
865.  第9地区 《ネタバレ》 
予備知識なしで、なんでヨハネスブルグなのかも考えずに見始めた。最初、タイトルの場所がいかにも黒人居住区のように見えるにもかかわらず、扱いに手こずる宇宙人連中を見ていると、知的生物とはいえ意思疎通もできないようだし、一軒一軒ハンコをもらって歩くようなのは馬鹿らしく、移住させても問題先送りなだけで、そもそも人類でもないのだから、皆殺しにしてしまえば簡単ではないか、と思ってしまった。 しかし、主人公と宇宙人の親子がコミュニケーションを始めると、ちゃんと意志の通じる、われわれと同じ人間だということがわかり、殺してしまえなどと思っていたのは何だったのかという気がした。もともと前半と後半で視点が移動する映画なので、そのように思うのも当然だろうが、自分としては見事にレイシズムを疑似体験させられてしまったという思いがある。対象を人類ではなくしたことでそういう効果が生じたわけだが、それにしても自分で呆れてしまった。 ただ、180万もの人口がありながらまともに話が通じるのはごくわずかで、あとはみな野蛮人同然というところや、また全編を通じての殺伐とした雰囲気まで、南ア社会の現状を描写しているように受け取るのは、さすがに行き過ぎなのだろうと思う。多分。 なお主人公は、最初は見ていて嫌悪しか感じず、ワーワー騒いでいるのを見て死んじまえこのバカなどと思っていたのだが、最後は真人間になったようでよかった。
[DVD(字幕)] 5点(2012-02-26 22:55:12)
866.  第五福竜丸 《ネタバレ》 
何年か前、暇をみて夢の島にある第五福竜丸展示館に行って来たのを思い出した。 映画はドキュメンタリー調ということのようだが、特に前半は歌声あり恋あり適度な下品さありの労働賛歌といった印象で、事件後も深刻にはなり切らず、笑いの場面を入れてあるのがかえってリアルに思えた。亡くなった無線長も、最後まで快活さを忘れないようふるまっていたのは人格者らしい。  ところで、後半は無線長とその家族に焦点が当たっていたが、病状が悪化するにつれ、その存在が社会性を帯びてきていたようだ。家族にマスコミが集団でつきまとうのは苛立たしいが、これはまあそういうものかも知れない。また汽車の中で遺族が見せ物のようになっていたが、これも別に悪気はなく、そもそも遺骨と遺影を持ったまま乗車していれば当然そうなるかも知れない。しかし、変に盛大な告別式に「国務大臣」(?)とかアメリカ人が来て弔辞を許される一方、外ではなぜか大勢で鳩を飛ばす行事などもやっていたのは、様々な人々がそれぞれの思惑で一個人の死に関与しようとしているように見えたというのが正直な印象である。  なお、この時代から60年近く経った現在も、世界は核廃絶からほど遠い状態である。経費節減のための核兵器削減こそ行われているが、公認の核保有国は核兵器を手放す気など全くなく、一方で核拡散は着々と進んでいる。映画の当時であれば、人々が声をあげることで世界を変えていく希望があったかも知れないが、現代においてこの映画の持つべき意義が何かということは、また改めて考える必要があるように思う(前の方の皆さんがいろいろ書かれているので、その通りかも知れない)。
[DVD(邦画)] 5点(2012-02-26 17:45:17)
867.  借りぐらしのアリエッティ 《ネタバレ》 
東京都の多摩地域に住んでいる小人が外人名前で外人顔で(材木にくっついて来た外来種?)、それでいてひらがなも読めるのが何とも荒唐無稽だが、ストーリーとしてはそれほど悪くない。劇中の少年がまだ若いのに、自分の生命などたかだか67億分の1(今だと70億分の1)でしかないと悟ってしまっているのは切ない気がするが、そのことで一方的に共感を寄せた相手には厳しくはねつけられてしまったわけで、この辺はさすが生命力豊かなジブリのヒロインだと思う。 ただ、少年の方が勇気をもらったのはいいとしても、少女の種族の未来はやはり先細りという予感しかなく、最後の小川の場面で、個人的にはターミネーター(1984)のラストシーンが思い出されたのはつらいものがあった。  ところで、この映画では家政婦の存在が非常に不快なわけだが(母親も相当不快だがまあいいとして)、実はああいう素質をかなりの人間が持っており、だからこそ彼らは絶滅しかけているという想定なのだろう。子どもの頃なら昆虫や小動物を虐殺するのはよくあることで、姿が人間に似ていれば余計に虐待のしがいがあるはずだ。大人はさすがにそういうことをしないのが普通だが、あの家政婦はもともと性質が自然人に近いため、虐待衝動がモロに出てしまっただけだと思われる。ここは家政婦を罵って終わりにするのでなく、人類すべてが自戒すべきということなのだろう。 しかし、今回の件であの家政婦を解雇したりすれば、近隣に悪口雑言をふりまいて嫌がらせの限りを尽くすのではないかと考えると、やはり出来が雑な人間はどうしようもないと思ったりする。まあ世間も人を見ているので、全部が全部真に受けるわけでもないだろうが。 そのように考えていると次第に話がそれてしまうが、とにかく最終的にはそれなりに面白いという印象が残ったのでそれなりの評価にしておく。
[地上波(邦画)] 5点(2012-02-18 22:39:36)(良:1票)
868.  “それ”がいる森 《ネタバレ》 
大人が真面目に見るものではない。点数は子ども向け映画という前提で甘くしておく。 題名の「森」(こんもりした山の意)のモデルになったのは福島県に実在する「千貫森」だそうである。ここは実際にUFOの目撃例が多いとのことで、地元の福島市飯野町では「UFOの里」を地域の個性として売り出している。エンドロールに出ていた「福島市UFOふれあい館」は市の施設として公開されており、また2021年には「国際未確認飛行物体研究所(UFO)研究所」も開設されたとのことで、そのPR映画として作ったとすれば子ども向けにできている理由はわかる。ちなみにその研究所は雑誌「ムー」(映像中にも見えた)の協力を得ているとのことで、この映画もホラーというよりオカルト映画と思えばいいかも知れない。従ってSFでもない。 ドラマ部分はいわば「学校の怪談」のようで、大人はわかってくれない系の展開が苛立たしいのは前世紀の遺物のようでもある。しかし子ども向けにしては刺激が強すぎで、特に宿題していただけの児童(川瀬麻友ちゃん)が犠牲になったのは痛々しい。他にも帰って来なかった連中がいたにもかかわらず、最後が晴れやかな雰囲気で終わったのはかなり適当な感じだったが、子ども向け映画として型どおりとはいえる。 なお宇宙人は福島市飯野町にしか来ないとしても、クマの方は全国的に警戒が必要だ。冬眠しないクマがいる場合もあるそうである。
[インターネット(邦画)] 4点(2024-04-13 15:45:01)
869.  宇宙船の襲来 《ネタバレ》 
アメリカの地方の町が宇宙人に侵略されて大変なことになった話である。舞台はほとんど地方の町とその郊外だけ、特撮関係は着ぐるみ宇宙人と少々の特殊効果と宇宙船の一部が映るだけである(+宇宙の絵)。ジャンルは一応SFということになっているが、実際は宇宙人が出る怪奇サスペンスドラマという程度でかなり退屈だった。 宇宙人は「アンドロメダの惑星」(a planet in the Andromeda constellation)から来たとのことだが、それだけではどの辺なのかの説明になっていない。しかし警察署長の台詞からするとうちの銀河とは別の銀河から来たらしいので、そっちの方にあるどこかの銀河と思われる(NGC 891など)。遠方からわざわざ地球まで来た理由が「生命のある惑星は少ない」からだというのは、今になれば少し新鮮な感覚のようでもある。 なお宇宙人が来た理由が「人間の女に我々の子を産ませる」ためだったという発想は、東宝特撮映画「地球防衛軍」(1957)の元ネタかと思ったら製作時期は逆だった。この映画に比べれば「地球防衛軍」など超豪華娯楽大作に思われる。  ところで日本語字幕では、宇宙人にとって「女は子供を作る道具だった」と書いて東洋の儒教的な人権抑圧の印象を出していたが、原語の台詞では「道具」とは言っておらず、要は繁殖のためだけの関係だったと説明していたようである。つまり結婚は子作りのためにするという固定観念を否定して、愛と幸せを得るためにするものだと言いたい映画だったようで、これは2020年代の現代でも比較的受け入れられやすい考え方と思われる。 主人公宅の宇宙人は結婚生活を通じて人の心がわかって来たようで、妻に受け入れてもらえないことを嘆いたりもしていた。妻に事実を告げたのも心を開いてもらいたかったからで、自らも愛と幸せを願いながら結局果たせなかった結末は泣かせるといえなくもない(泣かないが)。人類の持っている結婚の習俗に関して、それを持たない者の立場で語らせることにより、改めてその価値を際立たせてみせようとした映画だったのかと思った。 ちなみに終盤の人類側の大反攻では犬が大手柄を挙げていて(尊い犠牲あり)、動物との間でも心を通わせることのできる人類の強みが出たようでもある。今回の宇宙人はそういうこともできない寂しい種族だったようだ。
[DVD(字幕)] 4点(2024-03-02 22:25:15)
870.  アイ・アム まきもと 《ネタバレ》 
「おみおくりの作法」(2013英伊)のリメイクとのことだが、撮影場所からすれば「おくりびと」(2008)の成功に味をしめた制作会社が二匹目のドジョウを狙ったように見える。変な題名は我の強い人々には受けるかも知れないが、自分にとっては見る気を減衰させる効果しかない。 内容的にはコメディ要素らしきものが多いが笑えない漫才のようで寒々しく、また本人の性格特性を言い訳にして、お役所だから非効率も許されるはずという前提で話を作っているのは安易な印象がある。都合よく人を死なせて泣かせるのは薄っぺらいドラマというしかない。  物語に関しては、世評によれば結構忠実なリメイクらしいので、この映画に対していちいち突っ込みを入れる気にならない。もとからこういう変な話だったということだ。 一つ書くと、死を語る映画であれば死者よりむしろいまを生きる人々を前向きにさせるメッセージがあってもらいたいと思うが、それがこの映画では「頑張った」だったのか。オウムが言っていたように日々の自分を励ますため、あるいは主人公のように最後にこの言葉が言えるよう、日々悔いのない働きをしようということならわからなくはないが、何にせよ最後の締めの言葉だというのが後向きの印象を残す。 未来に向けて生きていこうと人を元気づける映画でもなく、どちらかというと人生後期の人々向けに、そろそろ自分の最後を意識しておけ、という終活映画のように思われた。今の時代にふさわしい。  以下関係ないが個人的な思いとして、自分としては劇中の元炭鉱夫のように、死んだ後はもうどうでもいいので死体を適切に処理してもらいたいとしか思わない。もう死んでいるので葬式に人が来なくても困らないが、しかしそれでも自分の死を悼んで来てくれる人がいるとすれば有難いと思う(心霊になっていれば泣く)。故人を思う生者の気持ちは大事にしなければならず、自分もまた生きている限りそのような気持ちは持っていたいという程度の感慨を催す映画ではあった。特に同じ時代を生きて来た人が先に行ってしまうのはつらいものがある。
[インターネット(邦画)] 4点(2024-01-20 19:55:30)(良:2票)
871.  デッドリー・マンティス 《ネタバレ》 
北極から大カマキリがアメリカに飛んで来て大変なことになったという映画である。日本では「極地からの怪物 大カマキリの脅威」の名前で2013年(多分)にDVDが発売されている。 最初に南極海で火山が噴火したら北極にカマキリが出たというのは、思わせぶりな説明がついていたが意味不明である(バタフライ効果?)。カマキリは水爆実験で巨大化したとかではなく最初から大型のカマキリだったようだが、本物のカマキリとの違いが見えるわけでもなく、要は大きいだけの単なるカマキリである。ただしカマキリのくせに怪獣声で鳴くのは変だった。 造形物はそれなりに作ってあり、飛ぶ時に翅が高速で震えるのはそれらしい映像だった。カマキリの犠牲になった人々はいたが、人が食われるとどれほど悲惨かということは見せていない。ワシントンDCへの襲来場面では、こういうものに虫がとまっていることはありそうだと思わせる場面はあった。  ドラマ的には、ヒロインを間に挟んで男2人の微妙なライバル関係ができるのかと思ったらそうでもなく、おざなりでしょうもないロマンス展開だった(よくあることだが)。なお北極の場面で、この辺には木が生えていないと言った直後の風景映像で樹木が見えるのは間が抜けていた。 また事件の解明の過程で登場人物がやたらに「消去法」を使っていたのは、台詞にあったようにシャーロック・ホームズを真似た推理小説風の展開を目指したのかも知れない。しかしカマキリ映画ならではと思わせる必然性のある趣向でもなく、孤立的なアイデアにとどまっている。 ほか開始早々レーダーによる北米の防空監視体制に関するくどい説明があり、その後に出た「地上監視隊」というのも1958年まで実在した民間防衛組織のようで(Ground Observer Corps、最後に謝辞が出る)、東西冷戦の時代を背景として、北の空からの脅威に備えるべきという広報宣伝の意図があったようでもある。ちなみに現在のNORADは毎年12月にカマキリでなくサンタクロースを追跡しているが、実はこの映画の時点でもすでにやっていたらしい。 真面目に作った特撮映画のようだが単なるカマキリなので面白味がなく、その他の点で特に感心させられることもない。ただしこれが後の東宝怪獣映画のカマキラス(1967年初出)のもとになったのかとは思った。
[DVD(字幕)] 4点(2023-12-09 14:18:15)
872.  いつか輝いていた彼女は 《ネタバレ》 
映画と音楽のコラボレーションによる映画祭「MOOSICLAB 2018」への出品を前提に制作されたもので、当時活動中だったバンド「MINT mate box」がそのままバンドとして出演して主題歌も提供している。またボーカルの人がそのまま劇中の重要人物という設定のため、本人の高校時代の悪業を暴く話になってしまっているのが変である。別に実話でもないだろうが。 監督の前田聖来という人は「女優出身の新鋭監督」と紹介されているが、個人的にはAKB48出演の学園ゾンビドラマ「セーラーゾンビ」(2014)で、演者として強い印象を残したので覚えていた。  まず苦情として登場人物とその名前が把握しにくい。また音量や発声のせいで発言が聞き取りにくいので何を言っているかわからない。35分なので甘く見ていたが、2回見てやっと内容がわかってきた気のする映画だった。 設定としては高校の芸能科とのことで、一般の共感を得ようとするには特殊な世界だが、もともと自意識の強い連中ばかりという理由にはなっている。主人公は地味に見えても実は何かと他人に羨まれる資質に恵まれていたようだったが、結局別方面に行ってしまった原因としてはその場の運のほか、「マホ」との違いは人間のスケールの差?、「詩織」との違いは上昇志向の差という感じか。確かに芸能やスポーツなど高校生の頃に決定的な差が出る世界もあるだろうが、その他普通人は高校時代が不遇だったからといって負け確定とも限らないので、主人公は腐らずに何か新しいことを発見してもらいたい。真面目すぎるのが問題なのか。 なおラストで「なつみ」と「佳那」もその後どうなっていたのか見たかった。「詩織」はクセモノ感が顔に出ていた。
[インターネット(邦画)] 4点(2023-09-09 10:11:09)
873.  原爆下のアメリカ 《ネタバレ》 
1949年のソビエト連邦の核実験や1950-1953年の朝鮮戦争、またアメリカでの赤狩りといったものを背景にした映画と思われる。強烈なメッセージ性が特徴だが、ほか最後にラブストーリーだけが現実化していくといった構成の妙があるとはいえる。 邦題には「原爆」が入っているが、原題では「侵略」と言っているだけで核兵器は特別視されていない。劇中ではかなり気安く原爆が使われていて、まだ水爆も大陸間弾道ミサイルもない時点での核戦争はこのように想像されていたというようではある。核兵器が使われると熱線と爆風が来るといった感覚もなく(放射能という言葉は出たが)、単に強力な爆発物としか思っていなかったようだが、「核魚雷」で空母が大破して復旧に努めたが総員退去して沈没した、などというのでは普通の魚雷と違わないではないかと思う。 開戦の原因は不明だったが、要は世界征服を企む悪の勢力が一方的に侵略して来たらしく、卑劣な奇襲攻撃に応戦したところから全面戦争に発展する、というパターンができていたようだった。敵の先制核攻撃に対しアメリカは3倍返しで応じていたが、しかし攻撃対象は軍事基地・工場・鉄道・港・油田とのことで、一般庶民の居住地が対象外というのはさすが世界正義を体現するアメリカらしい人道的対応と思わせる。実写映像には朝鮮戦争のものもあった感じで、また「太平洋艦隊」という台詞も出ていたので日本も無風状態だったとは思えないが、とりあえず表面には出ないので突っ込まないことにする。 なお最後に出た言葉は普通に真理だと思うが戦後日本人に言っても意味はない。アメリカも自国で戦争などするはずがないので現代的な意義はない映画だろうが、まだ自国の資金だけで作っていた時代の純粋なアメリカ映画だったとはいえる。現代には現代の問題もあるのでこういうのを腐していれば済むわけでもない。
[インターネット(字幕)] 4点(2023-08-12 11:28:55)
874.  大きな春子ちゃん Am I too big? 《ネタバレ》 
26人の監督によるバカ映画のオムニバス「フールジャパン ABC・オブ・鉄ドン」中の一編だそうで、2014年の「ゆうばり国際ファンタスティック映画祭」で上映されたとのことである。「鉄ドン」というネーミング自体が今となっては痛い感じだが、この映画も昔の歌から無意味に題名だけ借りて来て笑えないオヤジギャグ的印象がある。劇中の主人公が監督本人だったとのことで、制作者の年代感を恥ずかしげもなく出した映画になっている。  ジャンルとしては「バカ映画」ということになるが、そういう前提で要は特撮怪獣映画を作ったらしい。水着だったのは本来の棲家が海だったからで、最後にまた海へ去るのはゴジラなどの習性を受け継いだと思われる。 春子ちゃん本体に関しては、サイズの単位が何かと思ったらftだったのはなるほどと思った(尺でもよかったのでは)。ウルトラマン並みの高身長では本人も気にするかも知れないが、体重は軽いので安心してもらっていい。映像的には胸の柔らかさの表現に気を使っていたようだが、尻にガラスが刺さらなかったことからすると柔らかいが強靭という未知の生体組織でできていたらしい。 残念だったのは飛んできたのがアメリカの飛行機だったことだが(三沢ならまだしもテールコードのMOはアイダホ州マウンテンホーム空軍基地の所属ということになるので遠くからご苦労なことだ)、映像的な印象はそれほど悪くない。ラストの「終」は昭和の風情があり、洋上の富士も由緒正しい日本の風景といえる。  ほか春子ちゃん役は有元由妃乃という人で、尻の突き出し方などを見るとグラビアアイドルか何かかと思ったら普通に役者をしていた人らしい。前に見た超マイナー映画「サーチン・フォー・マイ・フューチャー」(2016)にも劇団員として出ていたようだが、今回はオヤジ好みの和ませる雰囲気を出していた。
[インターネット(邦画)] 4点(2023-08-05 14:10:01)
875.  ラ・ヨローナ ~泣く女~ 《ネタバレ》 
似た名前のグアテマラ映画「ラ・ヨローナ ~彷徨う女~」(2018)とは全く別物である。製作年ではグアテマラが先だが公開はこの映画の方が早かったらしい。 個人的にはホラーとして特筆したくなる点はなかったが、グアテマラの方と違って基本が娯楽映画のため、気合いを入れて見なくていいのは楽だった。ちなみに水の霊であるのに腕を握られると火傷したようになるのは、触れた箇所の水分を一気に吸収してしまう能力があるからかと思った。  ドラマの面では、一度は主人公を恨んでその子どもらを破滅させようとした人物が、後に自らの行いを悔いて主人公を助ける側に回っていたが、終幕時に今度は主人公の姿が水たまりに映っていたのは、全ての母性にラ・ヨローナ的な二面性が潜んでいると言いたいのか。よくわからないが児相職員必見の映画だったようでもある。 また主人公の行動様式がかなり苛立たしいところがあり、現に自分が超常現象に脅かされて神父の紹介で呪術医に頼んでおきながら、それでもなお呪法を小馬鹿にしてみせなければ済まないのは頭の働きが合理的でない。これは古い時代に西洋社会を支配していた教会の代わりに、1970年代頃は科学万能主義の支配で人々の思考が抑圧されていたとの表現か。シリーズのもとになった心霊研究家夫妻のように、この頃もオカルトとかスピリチュアルの類は盛んだったろうが、科学を信仰する人々との間では分断が進んでいたということかも知れない(適当な解釈だが)。シリーズの他の映画を見ていないのでこの映画だけの話なのかわからない。 なおラ・ヨローナの伝承は、単なる怖がらせの怪談というだけでなく社会的な意味づけもされているようで、例えばスペインの征服者に服従させられた先住民やその女性の象徴のように思われている面もあるらしい。しかしそれをこの映画では、結局は征服者のもたらした神の力で難なく撃破してしまっていたのが空しさを感じさせるともいえる。
[インターネット(字幕)] 4点(2023-07-22 10:18:43)(良:1票)
876.  白く濁る家 《ネタバレ》 
登場人物が3人の低予算映画である。前年公開の米ホラー映画に似ているという噂のようで、確かに屋根裏部屋とか窓に何かがぶつかるとか唐突な顔写真といった個別の要素が共通するところはある(ゲゲゲハウスは出ない)。それより題名が「黒く濁る村」(2010韓)の真似だとすれば、それと同様の雰囲気で小スケールという意味になる(見たことがないので不明)。 ホラーとしては発想の独自性があまり感じられない。怖がらせの仕掛けとしては主に背景音楽での脅しだったように思われる。  話の本筋について無理に考えると、男は母親に一生懸命歩み寄ろうとしていたが結局裏切られ、またその婚約者が「完璧な家庭」を優先して、理不尽な結末を受け入れたことでも裏切られた形になり、踏んだり蹴ったりで存在を抹消されて悲劇に終わったということか。ほかに兄弟は腹違いではなかったのかとか、父親が死んだ時の経過についてなど、想像が広がる可能性もあるだろうが特に立ち入る気にはならなかった。 いろいろ考えがあるようで緩いようでもあり、中途半端な感覚で終わる映画だったが、構想段階ではもっと長かったのを短縮したというような事情でもあったのか。とりあえず最後の覚悟の表情が大事だと思っておけばいいだろうとは思った。  出演者に関して、藤本泉という人は「通学シリーズ 通学電車」「同 通学途中」(2015)の高校生役(ユカちゃん)しか見たことがなかったが(「鬼談百景」にも出ていたが映像が暗い)、今回見ると目に迫力があって華もあり、この人の存在が映画全体の価値を高めていた気がする。その相手役も「人狼ゲーム」シリーズで見た時の印象は残っていた。今後一層の活躍を期待する。
[インターネット(邦画)] 4点(2023-06-10 10:00:09)
877.  TSUNAMI-ツナミ- 《ネタバレ》 
津波映画である。津波は原語でスナミと言うようで(쓰나미/sseunami)、台詞でもメガスナミと言っていたがtsという子音はないらしい。 今どき特に考えもなく見たが、東日本大震災の後でわざわざ見るようなものでもなかった。冨嶽三十六景「神奈川沖浪裏」の超拡大版イメージで津波が迫り、高層ビルを倒壊させるほどの破壊力でもちゃんと生き残る者がいるのが信じられない。2011年の津波はこれほど大げさな見た目ではなく、また釜山都市圏ほど人口稠密でない地域でも広域的に2万人近い犠牲者が出たわけで、2004年スマトラ島沖地震の後になってもこんな映像化というのはファンタジックとしかいいようがない。ちなみに日本地図は正確に描いてもらいたい。 何で釜山に津波が来るかの説明もあまり納得できなかったが、しかし20世紀後半には秋田県で子どもらが犠牲になった「日本海中部地震」(1983)や、奥尻島に悲惨な被害を出した「北海道南西沖地震」(1993)の発生もあり、北米プレートとユーラシアプレートの境界が日本海東岸にあることもわかってきて、日本海でも津波がなくはないとの認識はすでにあったと思われる。特に日本海中部地震の時は日本海西岸の江原道でも死者・行方不明者が出たとのことで、この映画もその記憶があってのことかも知れない。 なお現代につながる真面目な話として、この映画では電力線が脅威になっていたが、最近の問題としては太陽光パネルが壊れてからもそれ自体で発電を続けるため、水害時に水に浸かると被災者が感電する危険があるといわれている。東京都などは危ないかも知れない。  その他、基本は娯楽映画なのであまり本気で語るものでもないが、それにしても全編のほとんどを占めるドラマ部分がかったるいので見ていられない(耳障りだ怒鳴るな)。災害場面は一応の緊迫感が出て、登場人物が多いだけ被災描写も多様になるが、それでもケーブルが切れそうになってから落ちるまでの感情表現が長かったりするのはダレる。まあこういう作り方が普通だったとすれば苦情をいう筋のものでもないだろうが。 なおとんでもない人災(日本船TOYAMA?が大爆発)を起こした男の母親の心情は若干切なかった。その他の主要人物は当時すでに有名俳優だったのかも知れないが個人的に知らない。漁港の男女は、この映画では松たか子と大泉洋の組み合わせに見えた。
[インターネット(字幕)] 4点(2023-05-13 22:09:43)
878.  タブロイド 《ネタバレ》 
TV報道を扱った映画である。劇中TV局はマイアミに拠点を置き、広くラテンアメリカを放送エリアにしたスペイン語放送ということらしい。 内容的には一応見たがだから何ですかという感じで、こういうことは実際あるだろうとは思うが、特に感慨深いものはなく面白味もない。原題/英題のCrónicas / Chroniclesは、普通にいえば年代記の意味だろうから意図が不明瞭だが、例えばこういう報道の連なりがやがて歴史になってしまうのはまずいと言いたいということか。また邦題は、普通はタブロイド版の印刷物のことだろうから看板に偽りのある印象だが、これは例えば劇中放送局の報道姿勢を表現するために、日本でいえば大衆紙のイメージの方がふさわしいという意味か。別に日本のTVが高級というわけでもないだろうが。 ところで日本語の解説文を読むと、1991年の湾岸戦争に関連して「当時テレビ局が流したニュースの中にはPR会社によって巧みに演出された映像が挿入されていた」などということが書いてある。またそれとは別に、1992-95年のボスニア紛争の関連でも「戦争広告代理店」という言葉が出ていた記憶があり、そういうことまで考えていいのであれば今日的な意義も当然ある映画ということになる(実際さんざん騙されている)。しかし邦題はまるでゴシップ紙の話であるかのように矮小化した形になっており、また実際見た印象としてもそれほどスケールの大きい問題提起にはなっていない。何にせよ20年近く前の映画なのでオールドメディア限定の世界ではある。  ところで製作国としてはメキシコの名前も出ているが、映画で見えているのは南米エクアドルのババオヨ市(Babahoyo)という設定になっている。実際そこで撮った映像も多かったのだろうが、他もエクアドル国内での撮影だったようである。 風景として特徴的だったのは高床式の家と、そこへ通じる高架の木橋が多く見えていたことで、これは実際にババオヨ市街地の南にある湿地だか沼だかに面した場所で見られるもののようだった。貧しい人々の住居という意味なのか不明だが、そんな家々にもちゃんとTVアンテナらしいものが立っていたのはこの映画のテーマにも結び付く風景だったのかも知れない。 そのほか夕方の街に多数の鳥が飛来(就塒前集合)していたのは、日本ならカラスとかムクドリだろうがエクアドルのこれは何だったのか。映画のテーマと関係ないようだが映像的にあえて目を引くよう取り上げられていた。
[DVD(字幕)] 4点(2023-04-08 09:39:20)
879.  チャイルド44 森に消えた子供たち 《ネタバレ》 
原作は読んでいないがこの映画に関しては、どちらかというと見て損した部類だった。時間が137分もあるが、それでも恐らく原作での詳細な設定や描写が断片化して半端になっているところが多々ある。 社会性という面でいえば、2015年の時点でこの物語を映画化することの意図がわからない。日本国内向け公式サイトでは一応、「全体主義国家がいかに人間の精神を崩壊させていくかという普遍的なテーマ」を扱っていると書いてあるが、結局はこの時代またはこの場所限定のことにしかなっておらず、誰も今の自分に関係あることとは思わない。ちなみに楽園に殺人は存在しないという建前は当時本当にあったのか知らないが、そういう現実度外視の観念論は東洋でも好まれそうな気はする(大陸でも半島でも列島でも)。 ドラマとしては、悪人顔の主人公を始めとして主要人物に誠意が感じられず信用できそうにもなく、この連中は何をやっているのかと中盤くらいまで突き放した気分でいたが、終盤にかけてやっと人々の意思がはっきりして来てまともに見られるようになる。それはそういう構成にしたのだろうが、それにしても結果的には話がうまく出来すぎで、最後は勧善懲悪物のようになっていたのはどうかと思った。アメリカの娯楽映画だからこれでいいのかも知れないが。 ちなみに世界のどこの場所の映画でも英語で作るのはさすが世界帝国だと思ったが、昔の邦画にもそういう例(大陸系)があったと思うので他国のことはいえない。
[インターネット(字幕)] 4点(2023-02-04 10:23:38)
880.  N号棟 《ネタバレ》 
映画紹介で「考察型」と書いてあるのがいかにも面倒臭そうに見える。実話をもとにしたとされているが、もとの事件から取ったのは場所と騒霊現象が起きることくらいで、他はほとんど創作だろうという気がする。 12月の話とはいえ雰囲気は確かに「ミッドサマー」だろうが(見てないが)、死への恐怖を扱ったという点では高橋洋脚本・監督の「恐怖」(2009)に近いかと思った。要は登場人物の発言のとおり、霊も死後の世界も存在するので死ぬのは怖くない、という考えが根底にあるようで、確かに自分が存在しなくなると思うと底知れない怖さを感じるというのはわからなくはない。 死んだら何もなくなるという信念を持つ人は多いのかも知れないが、しかし現実問題として古今東西の伝統社会で死後の世界はあると信じられてきており、これは根拠がどうとかいうよりも、そう思いたがるのが人類共通の心理だからと取れる。それならそれを素直に受け入れても構わないのであって、主人公が何の義理で頑なに死後の世界を認めないのか個人的には全くわからない。どうせ死ぬときはみな一人なので、客観性も合理性もなく気持ちの問題と割り切って、自分が安心できる適宜の考え方を選べばいいではないか。その考えに他人を巻き込もうとしなければいいだけのことである。 死への不安を解消するためには、例えば劇中人物も若干触れていた(多分)ように、臨死体験をした人々が死を恐れなくなったと言っていることを知るのはいい。向こうへ行ってしまった家族や知人が迎えてくれると思うのも安心できる要因と思われる。また無難なのは既成の大宗教に合わせることで、例えばキリスト教徒の人々なら天国へ行こうと思うのだろうし、また仏教一般でいう輪廻転生を想定すれば少なくとも今回だけで終わりにはならない。あるいは阿弥陀如来を信じて称名念仏していれば西方極楽浄土に行けるとか思えばとりあえず安心できる。 そこで大事なのは当然ながら、死への恐怖を悪用する変な教団に取り込まれないことである。劇中では登場人物にカップで何か飲ませる場面があったので、薬物で精神を操作するか何かしていたと思われる。そういう面ではカルトを扱った映画だろうが、実は教祖と信者(住人)のほとんどがすでに心霊だったというのが特色ではないか。人を集めていた動機は不明だが、来世へ行けない寂しさを紛らわすためというようなことかも知れない。 真面目に作ってあるのは認めるが、娯楽としての面白味は特に感じない。映像が全体的に茶色がかっていて、薄汚れたしょっぱい印象(醤油が染みついたような)だったのも好きになれない理由だった。点数は前記「恐怖」を5点にしたのでそれより下げておく。  なお登場人物の関係では、若手女子が可愛く見える場面は特にない(アイドルホラーではない)。個人的には山谷花純さんと飯田祐真さんのキスシーンがあったのが意外で、一般向けの見どころともいえないが自分としては注目点だった。
[インターネット(邦画)] 4点(2023-01-07 13:37:36)(良:1票)
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