141. フィクサー(2007)
《ネタバレ》 出来の良い作品だと思います。 脚本はラストが気に入らないがなかなかのものだし、そこそこリアリティにもこだわって、説明を省いてどんどん進むクールなかっこよさが満載です。好きではないが、スばらしい、と言わざるを得ない。 …好きな映画と出来の良い映画は違うみたい。今さらこんなこと言ってなんですが。 スばらしいとは思いながら、さてなぜ好きだと思えないのでしょうか。 「クールなかっこよさ」どうやらここらへんに原因がありそうだ。主人公のクレイトンは、自分でもみっともないと思って生きているはずですね。色々な面で。それが、やっているのはその尻で全米女性を魅了したジョージ・クルーニーなのですね。それはやっぱりイカんです。 どんなに汚なづくりをしたって、彼はピーター・フォークのようにはなれないでしょう。 男ばっかの製作陣が集まって、かっこよいクルーニーを中心にクールを目指していたらいつのまにか映画はカレのかっこよさに合わせてかっこよくなっていってしまった。 なんだかクレイトンがかわいそうだと思えないのです。バカだけどがんばって欲しい、と応援する気持ちが湧いてこないのです。男の子が集まって相談しているうちに、どんどん趣味が特化してしまった映画だと思います。 ラストが気に入らないというのは、まあ単にハッピーエンドが嫌いだからかもしれませんけど、クレイトンの策略がうまく行き過ぎてカレンが簡単に引っ掛かりすぎる、ここまで一応リアリティを維持してきたのに最後でぶっこわしてくれた、とがっかりするので。ここまできて「んなわけないじゃん」と私に言わせないでくれ頼むから。 それから気がついたのですが、クルーニーは年のワリに目がデカすぎて、「息子顔」なんです。お父さん役が似合わないんですね~。いつも父親を見上げているような顔、なんです。こういう顔は役の幅が狭いと思う。 さて本人がいくら「掃除屋」と嘆いていたって、物事は上には上があるわけで、2人の殺し屋の事務的な手際の良さを見てますと「クレイトンなんてまだまだ甘い」ということになります。そのへんの対比はうまく描けていますが、だからこそあの腰の抜けたハッピーエンドは納得いかないですね。うーん、できることならハリウッドからハッピーエンドを一掃したいなあ。 [DVD(字幕)] 8点(2009-03-14 21:18:13)(良:2票) |
142. アイリス(米英合作映画)
《ネタバレ》 地味だけれど、しんみりとしたいい作品です。 ジョン役の俳優さんが、ヤングと現在で同じ人かと思うほど雰囲気が似ていました。クレジットをしげしげと見るとやはり別人ですよね。大したものです。 アイリスは…残念ですが小柄で釣り目(白人にしては)のデンチとケイト・ウィンスレットの顔には隔たりがありすぎる。これは別人です。デンチにこだわらなくてもよかったのではないか(どうせあんまりセリフないし)…ていうとウィンスレット優先思考みたいですが。 2つくらい言いたいことがありますが、認知症について。この作品を見ていると、認知症にかかるとは、まるでやりたい放題にふるまった若い時代に復讐されているかのようです。人生は必ず収支が合うようになっているのだと。 なんの根拠もありませんが、それはそうかもしれない、と思う。アイリスの奔放ぶりを見せつけられますと。いっぽう地道な性格のジョンはボケていない。地道に生きてもボケる時はボケるのでしょうが。 人が老いると、体にガタが来るか頭がボケるかどちらかのタイプだとよく聞きます。「徘徊老人」は体が比較的元気だから発生してしまう。もしも老化のタイプに選択の余地があったならどうしようかと迷う。認知と見当識を失うことはひょっとして快適なのだろうか。 もうひとつは男性の選び方について。アイリスは尻軽でしたが男性の好みは良かったのです。 男性を選ぶ基準はなんでしょう。スポーツや旅行やセックスはどうせ老いればできなくなります。見た目もいずれ衰えます。それなら当然お金です。 お金で選ぶのが嫌だとか、お金で選ぼうにも相手に選んでもらえないとかいう場合、アイリスのように選ぶのが正解ですたぶん。死ぬまでにどれくらい笑わせてくれるか、です。 アイリスが「笑い」基準で選んだということは、ラストのジョンの言葉に象徴的です。明日、妻が死ぬかもしれなくても、前の日にはすかさずジョークを用意するのです。…。ちょっと泣けますね。 日本のすべての女の子たちよ、お金はもちろん大事だが、アイリス基準で選ぶのもアリだぞ。その効果は数十年後にきっと出るぞ…。 [CS・衛星(字幕)] 7点(2009-03-11 21:02:24)(笑:1票) |
143. ブコウスキー:オールドパンク
《ネタバレ》 この人のことは全く知りませんでしたハイ。なにぶん無学無教養なもので。 私はただのドキュメンタリー好きで、特定の人物にスポットを当てたものが好きです。 自分の目と耳で、実在の人物の中に何かを見出したい、多くの他人があまり気付いていないなにかを見つけたい、そういう思い上がりから、ドキュメンタリーを見ます。 そういううぬぼれたオーディエンスなのですが、〝汚ヤジ〟ブコウスキー伝に何を見出したかというと、可愛げのあるおっさんです。 「酔いどれ」のところでも書いたけど、話し方や話の内容(オチがついていることが多い)やしぐさなどはルー・リードにそっくりです。これはルー・リードが真似したと見るべきでしょうが、そうでないならもしかすると「ある種の」アメリカ人に共通する振る舞いかたなのかもしれません。 ブコウスキーが74歳まで生きのびたのは驚愕すべきことですが…ひょっとすると、彼の奇行はかなりの部分が他人を喜ばせるためのサービスで、ほんとうは結構計算のできる人だったのではないでしょうか。なんたって74歳まで命を繋いだのです。 彼は少年時代に「理不尽な暴力」に耐えたサバイバーなので、最後のほうはムチ打たれても悲鳴をあげないで我慢できたというくらいですから、「自制」することに長けていたはずなのです。なので、酒にしろ競馬にしろあえてやっていたのではと思う。そして、「書くために」は「自分を生かさなければならない」ということに30代中盤の出血性胃潰瘍で気がついたため、その後は定収入のために郵便局のバイトをチマチマと続けることとか、死なない程度に酒を飲むというコントロールをちゃんとやったのだと思います。郵便局にしがみついたのは年金まで計算に入れてのことですから。 が、74歳まで生きたといっても、そのうちの50年以上は常に貧乏で無名だったのです。成功して不自由ない暮らしを手に入れたのは彼の人生のうち多くて20年くらいでしょう。彼の計画では、郵便局の年金で細々と書いて暮らしていける老後のはずだったのです。やっぱり彼の人生は自己イメージどおりに「売れない汚ヤジ作家」と言ってあげるべきでしょう。 他にも女性の好みのこととか書けなくて残念です。腰が抜けるほど驚いたのは、娘を産んだフランシーのあごヒゲぼうぼうのバーサンぶり。 〝孤独は最悪のものではない。それに気がつくのに数十年かかるけど。〟OH,YESより。 [CS・衛星(字幕)] 8点(2009-03-11 16:03:44) |
144. 酔いどれ詩人になるまえに
《ネタバレ》 運よくブコウスキーのドキュメンタリーと続けて見ることができたために、作り手の意図もよくわかったし、ディロンが良く勉強して役作りしたこともわかった。 ブコウスキーオールドパンクとセットで見て初めて良さを感じる作品ですたぶん。 とにかく似ている!ディロンが似ています。肩をすくめたような姿勢といい、穏やかで人を食った物言いといい。 この映画だけを見ると、「ここに至るまでのブコウスキー」と「この先長い人生を生きたブコウスキー」が無いために、社会不適応者でアル中の30男の日常、というだけなのであんまり面白くはない。 が、「6歳から11歳まで父親にムチで殴られた少年」が、「天才詩人としてカルト的人気を集めて74歳で白血病で死ぬことになる」までの「中間」の風景をそのまま切り取ったものであるとして見てみて初めて価値を持つのだと思う。被虐待児の成長後の姿ともいえるし、また天才の不遇時代の姿でもある。その意味では映画としては未完成、ブコウスキーファンにしか消費されない…ともいえる。 「まだ何者にもなっていない時代のある男性」として見ることで、ブコウスキー本人が言っていたように「種火を消さないことこそが重要」という人生訓として見ることができなくもないが(本人は成功訓とか人生訓とか垂れるわけはないが)。実際、滅茶苦茶な生活をしていてもチナスキーが作品を出版社に送り続ける(ポストに入れる)場面は一貫して挿入されている。 さて現実のブコウスキーのしゃべり方は「ブルー・イン・ザ・フェイス」で見たルー・リードにそっくりであった。これは逆で、ルー・リードが真似たというのが正しいのだろうたぶん。出身地も生息地も全然違うのに、話の内容も似ているし、目をつぶっていたら間違えそうなほど似ていた。ルー・リードが故意に真似ていないとしたらとても不思議だけど、共通しているのは「諦観」のようなものだ。 ミッキー・ローク主演作のあまりの不出来ぶりに腹を立てていたブコウスキーに見せたかったディロンのそっくりさんぶり。おっさん喜びすぎてあの世で心臓発作でも起こしかねないな。 [CS・衛星(字幕)] 7点(2009-03-09 14:44:15)(良:1票) |
145. マーサの幸せレシピ
《ネタバレ》 他人に料理を食わせるけれど自分は食べているところを見られたくない、というのは、「食わせる方」が「食わせられる方」より〝優位〟だと感じているからですね。「食べる」という行為を「弱味を見せる」「無防備になる」というふうに考えているのです。 確かにそれはそうかもしれず、太古の昔は「食っている間に油断して食われる」という事情があったでしょうから、「食う」イコール「油断」という本能的な危機感は誰にもあるのかもしれません。 そしてマーサは、他人に食わせている時に自分の優位性を感じてほっとするので料理人になったのかもしれませんし、そうならば彼女は危機感の強すぎる人なのです。 なんかそんなことを考えてしまいましたがそんなにはずれていないでしょう。 強情な姪っ子(私にも1人います)とのぶつかりあいはシビアでしたが、もうひとつ突っ込みが浅くて残念なのは職場における女性リーダーの難しさ、職業的なプロ意識がほとんど描けていなかったことかなあ。 あーゆー状態の女性が職場を率いていくのは到底ムリですし、職業人としてのマーサを未熟に描きすぎている。 ラストがあまりにもハッピーすぎて安易です。しょせん作り物だからそれでいいのだとがっかりさせないでほしかった。人生はそんなに全部うまくはいかない。働く女性の物語だからリアリティを大事にしてほしいですね。電話とビデオでしか出演できなかったお姉さんの扱いひどいかも。 [CS・衛星(字幕)] 6点(2009-03-07 19:10:44) |
146. いつまでも二人で
《ネタバレ》 面白くはないですね。ゆる~いです。 人が死なないからユルいとかいうことではなくて、それぞれのキャラの悩み苦しみが生きていない。「ここで不妊に苦しんでください」「ここで嫉妬に燃えてください」という感じが強くしてしまうのです。 ロージー役に黒髪ショートの女を当てるという安易さがこの作品のユルさをよくあらわしています。 洋モノに黒髪ショートの女が出てきたら、そいつの一人勝ちでモテまくるということです。その場合、恋敵はごくフツーの西洋人女のことが多い。私はこのパターンが大嫌い。 お盛んな男女がいろいろな組み合わせで励んでいる映画ということしか思い浮かばないですね。 それにしても、あの管理職氏は当然の職務を果たしているだけなのにあんな目に遭うなんて理不尽極まりないと思います。公私の区別がつかずに仕事中に抜け出すのが当然の権利だと思っているヤツは嫌いです。マジメに仕事をしている人にたいして、融通の利かないヤツとひとくくりにしてみんなでバカにする作り手はもっと嫌いです。お互い浮気をしたくせに、妊娠が発覚したら何事もなかったように元に戻るというお粗末な筋書きで、全体的にバカしか出てこない映画ですね。 [CS・衛星(字幕)] 4点(2009-03-05 15:38:20) |
147. スタンリー・キューブリック ライフ・イン・ピクチャーズ
《ネタバレ》 管理人さま、キャスト等完璧に編集していただいて恐縮です。 トム・クルーズがナレーションを務めるうえ、2時間半にもおよぶという贅沢なドキュメンタリーです。初期の小作品から、遺作となった「アイズ ワイド シャット」まで、もれなく触れているうえ、大作には時間が割かれており、所詮はキューブリック礼賛フィルムとはいえ、誠実なつくりといえましょう。 出演者の言葉のうち、印象に残ったものをランダムに上げます。 「彼は自分以外の誰からも影響を受けない」アレックス・コックス。 「彼は人間に多くを期待しない」ニコール・キッドマン。 「現実的映画ではなく、映画的現実を求められた」ジャック・ニコルソン。 「彼の作品1本は、他の監督の10本分の価値がある」ウッディ・アレン。 「友達になったつもりでいたのに捨てられた」マルコム・マクダウェル。 笑えるのが、「ビル(アイズ ワイド シャットの役柄)は自分と全然違う」と言い切ったトム・クルーズで、「なぜならビルとは、感情を表さず閉鎖的で、日常性と安定を望み夫婦関係を無視し感謝の気持ちが無い」からだと語れば語るほど「それはまさしくあなたのまんまですね~」とほくそ笑みたい気分だ。そこんとこを当然ふまえていたと思うとなおキューブリックの意地悪さに感心する。 優しい両親がそろった裕福な生い立ちから、なぜキューブリックのように他人に期待せず、徹底的に神を排除するという突然変異的人格が発生したのか興味深いです。動物と病人にだけは優しかったというのも…彼にとって「非戦闘員」という意味なんでしょうね。 あたためていたが不発に終わった企画の件も、興味深い。「ナポレオン」と「ゲッペルスとホロコースト」だそうだ。ホロコーストのほうは、スピのシンドラーとかぶってしまったためボツになったというが、とんでもない話でスピのシンドラーなぞより何倍も価値があって〝残る〟作品が見られただろうに…見たかった、惜しい。「AI」だって、技術の進歩を待つために延期したことが悔やまれるなあ。「君のほうが向いている」と名指しされたと豪語するスピだが私は話半分だと思う。 なにしろ誰もがキューブリックを礼賛するが、俳優陣は口をそろえて「でも二度と一緒に仕事をしたくない」と言うのです。そうやって天才は傑作を編んだ、「だから天才」なのですね。合掌。 [CS・衛星(字幕)] 7点(2009-03-04 16:32:23) |
148. ハニーVS.ダーリン 2年目の駆け引き
《ネタバレ》 邦題のセンスは最低。ふつうに「ブレイクアップ~破局~」とでもすれば済むことじゃあないですか。 実に中途半端な出来の作品です。そんなに笑わせてくれるわけではないし、かといって一般人の恋愛としてのリアリティもそんなにないし、ストーリーが練れているわけでもない。同棲するまでの経過が省かれているので、破局後の喪失感もそんなに盛り上がらない。「アニー・ホール」の下手くそな真似なんだろうかと思う。 見どころがないのです、ドノフリオが出ていなければ。 コレを見てよかったな~と思ったのは変な兄貴のドノフリオの一挙一動がスリルであること。 次のアクションが読めないドノフリオ流の演技は見る価値あり。でも出番少ない。 今は心理捜査官としてFOXドラマで主役を張っています。昔付き合っていたおじさんに似ているので、親しみを感じるこのごろです(不倫ではありません)。 [CS・衛星(字幕)] 5点(2009-03-04 16:23:25)(良:1票) |
149. 娼婦たち
《ネタバレ》 ほとんどがサクラだと思います。インタビューといってるが、これ脚本のセリフしゃべっているとしか思えませんね。だいたい人身売買されたロシア人女性が自由に映画に出られるわけないでしょうが。それでなくても、ほんもののインタビューなどとはとても思えぬ脚本演出つきの語りです。 年配の女性の一部は本物かもしれません。よくわかりませんが。 むやみに凝った演出と編集が無茶苦茶でうざったいです。その演出の意味わかりませんし。 ダリル・ハンナとデニース・リチャーズはほとんど騙されて出たようなことでしょうねえ…。ご愁傷さまです。 売春の真実なんて全然どこにもないです。だってほとんど役者さんだし。 たんなる目立ちたがりの売名商品だと思います。本当に売春している人や、させられている人は迷惑だろうなあ。 [CS・衛星(字幕)] 0点(2009-03-02 15:04:37) |
150. ミス・ポター
《ネタバレ》 ブリジット・ジョーンズでイギリス英語を習得したゼルヴィガーが、それを生かしてまたしてもイギリス女性を演じ、製作にも参加して、「女性の自立」を高らかに追及した作品です。「ゲットした技術は持ち腐れにすることなし」という、彼女のしぶとさが感じられる。 私は実はとてもアンビバレントな気持ちになってしまう。 絵の中で動くキャラクターという傑作アイディアで、とてもとても可愛らしい作品に仕上がっているのだが。「きれい事」で終わったような気がしてならない。 これは「尺が足りない」という絶対的な事情により、ポターの「影」を表現する時間がなかった、ということでしょうか。 なので、金持ちの娘が親のツケで画材を買って、家事は使用人がするので暇があるからチンタラと絵を描く余裕があるのでそうしていたら運よく成功し、そうすると経済力ができたから親の言うことを聞く必要がなくなって自立した、という話になってしまっているのです。この身の上話にどのようにひっかかりが作れるというのでしょうか。 婚約者の死ですって?そんなん一時的なものです所詮男なんか消耗品ですし。いったいいつミスポターが危機に陥りましたかね。 絵に描いたような紳士然とした男性から求婚されて舞い上がるなんて面白くもなんともない。 私だったら、ノーマンにユアン・マクレガーなんて使わず、チビで顔色の悪い貧相な俳優を使います。ポターは、彼女にしかわからない魅力を貧相男に発見したのですたぶん。そうでもしなければ面白くなりませんし、実際そうだったのではないでしょうか。ノーマンはいい年こいて仕事もせず、母親の話相手をしていたようなオタク男性なんですから。 「幸い私は誰の許可も必要としない身分ですから」と勝利宣言をするまでのポターには、光に対する影がないといけないのです。深刻なイボ痔に悩んでいたとか、実はレズビアンだったとか、左右の足の長さが違うとか。光には影。宇多田ヒカルにも親の不倫。 ああ私も金持ちの家に生まれて使用人に家事をやらせて親のツケで買い物してアートでもやっていたらば、ポターになれたかもしれないのかなあ。 そういう感想を抱かせないようにするのが必須の作品であったと思うので、やはり失敗だと思います。これでは、ポターは「運よく全てを手に入れた女性」にしかなっていません。すべての他の女性に対してひろく訴えるものに欠けるのです。 [CS・衛星(字幕)] 5点(2009-03-01 14:06:17) |
151. ボルベール/帰郷
《ネタバレ》 娘の股間にエロい視線を送る義父…というところで、なんというか、あんまりまじめに見る気が失せてしまいました。 といっても、これが作品の最初のほうですから、そのあとはあんまり「見た」とはいえないかもしれません。画面から顔をそむけたり、早送りしたりしていましたから。 ペネロペ・クルスという苦手女優(個人的に)が出ずっぱりというだけでツラい映画ですが、アルモドバルですからいちおう見ておかねば。という不純な動機がいけないのだろうか。 もし、主演女優が別の人だったとしたら、もう少しまともに見たとは思います。 が、「娘の股間にエロい視線を送る義父」…もうこういうのはいいと思うんですけど。 親子2代にわたって父親に虐待されるという、陳腐な、ああ陳腐なネタというのはいったいどっから出てくるわけですか。女性は性的に傷つけられやすいとか、無防備だとか、そういうことが原因で人生が大きく変わってしまうということを強調したいんでしょうか。 だからもうそういうのはいいです。もういいと私は思います。 そういうマターを出してきて、「それでもたくましく生きる女性ってすごい」と思わせようなどとは三文芝居。男性はどうだか知らないが、もはやそんなものにだまされません。 もっとフツーの、フツーに近いネタで勝負してほしいと思いますアルモさんは。 だいたい「女性の生命力」なんてものは、半分以上は男の幻想(というか願望または畏怖)にすぎないかもしれないと思いませんか。女性はみんな生活力に長けてたくましくなければいけないのでしょうか。 「実父に犯されても」「夫の死体を隠しても」それでも産んで生きるわとにかく~というのが彼の思う「女性」のようです。でもそんな女ばっかだと思わないでもらいたいですね。 [CS・衛星(字幕)] 3点(2009-02-28 19:36:29) |
152. ティム・バートンのコープスブライド
《ネタバレ》 バートンの実写映画にうんざりしていたので意外な気がした。 この人は実写はやめたほうがいいのではないでしょうか。 映像は文句なしで完璧だと思います。死者を扱ううえでの様々なアイディアも、なかなか面白いです。 しかしいつものように、私にとっては主題が面白くはないです。 これは結婚を扱った話で、結婚に始まって結婚に終わる結婚のことを言っている話だと思う。 それはいいのだが、つまるところは「結婚はふさわしい相手でないと成立しない」というのが結論なので、そうするとこれは「人魚姫」の変形バージョンでしかなく、ようするに「結婚」は「身分」だと言っているということだ。 身分が違うと結婚できないのです。 人魚姫の別バージョンなんですから、相手は死体でなくて地底人でもマウンテンゴリラのメスでも(清原なつののマンガにそんなのがあるけど)いいので、そこで示されているのは「身分違いだからムリ」ということで、どういう形をとってもつまりは人間社会の身分のことを遠まわしに言っているのです。 だからこそそれを見たり読んだりした人は身に詰まされる。 そしてこの話は定石どおりに終わる。エミリーが魔法の力で蘇ってヴィクターと結婚したりはしない。 最初から、生きているものどうしはヴィクターとヴィクトリアなどという同じような名前になっていて、「同種」「身分」を露骨にあらわしている。 この作品は、何にも増して「お子様の視聴に支障がないこと」をファーストプライオリティーにつくられているし、実際そうなっているのだが、作り手には「徹底的に結婚の価値を貶め嗤うこと」という隠れた目的があったように思えてならない。ここでは、結婚という装置は限りなく意味がなく哀れなものとして扱われていて、それは旧世代の夫婦たちだけでなく、ヴィクターにしろヴィクトリアにしろエミリーにしろ、大した理由もなく結婚に向かっていくのである。 そういう意図は確かに感じられるけれど、そもそもが「お子様」に合わせて作られているところが私は気に入らないし、そのくせスケベ心を出して小細工を仕込むというのは…潔くないと思います。これからは、堂々と「大人むけ」と表明したうえで、ちゃんとしたものを(実写をやめて)つくってもらいたいです。とにかく実写よりはマシでした。 [CS・衛星(字幕)] 5点(2009-02-28 15:52:52)(良:2票) |
153. バベル
《ネタバレ》 ある日録画した。 「録画したから見なければ」と出だしの2~3分でげんなりしてやめる。 「見なければ」とさらに次の5分も行かないうちに力尽きる。 「あああいつをナントカしなければ」と悶々としつつ数日が過ぎる。 新しい録画はどんどん消化して消去していくのに、これだけがいつまでも残っている。 さあどうしよう。…というほど、私にとっては重いイニャリトウが。 これほど先に進めない映画とは。重い。重すぎる。 最近の私はハーベイ・カイテル「ブルー・イン・ザ・フェイス」のような映画こそ優れていると思うようになったため、シリアス度が高いからいいなどとはこれぽっちも思わなくなったのだった。 なぜなら、人は誰も死ぬ順番を待っているのだし、この世は不公平だし、そのためある程度生きると人は笑いが必要になるものだと気がついたので。なのでドシリアスなものにはリアリティを感じなくなる。 で、イニャリトウですが、彼の世界はシリアスだけで回っています。うっとうしいです。「そんなわけないだろ」と突っ込みたいです。 ひとつの銃で物語を回そうとしすぎて設定に無理が出すぎてしまい、とんでもないことになっています。日本の都会に住むリーマンのおじさんは、猟銃を買って自宅に保管したりしません絶対に。なので、その銃で妻が自殺することは有りえません。なおかつ、日本のお父さんは、モロッコまで行って鹿を撃ったりすることも一生ありません。ないといったらない。だいたい、猟銃を持って飛行機に乗れないし、モロッコの税関も通れるわけはない。もっというなら、娘のバレーボールを見にも行かないし、車で連れて帰ったりもしないし、ベランダで素っ裸になっている娘を発見してそっと手をつないだりもしない。 いいですか、これは、アメリカのお父さんを役所がやっているだけなんです。ワールドワイドな話にしたいばっかりに、間違って日本を巻き込んでしまった作り手こそ「愚か」です。 また、鍋での放尿シーンだとかノーパンで歯科医を誘惑する女子高生だとか、ショッキングなシーンで印象を強めようなどとは志が低いの一言。 ということで、ラストのベランダシーンにもなんの感動も感心もなく、げんなりしっぱなしでした。チエコ役は、「フルに脱げるか否か」という基準で採用されたのだと確信しました。 ちなみに、どうやって我慢して最後まで見たかというと、誕生日だからというドサクサでした。 [CS・衛星(字幕)] 4点(2009-02-21 20:53:34)(良:2票) |
154. クィーン
《ネタバレ》 イギリスで女王を演じるといえばヘレン・ミレン、ヘレン・ミレンといえば女王、というようなことになっている。先日、エリザベスの一世を演じたTVドラマを見たが、もはや別の女優が女王を演じることはムリであろう、というくらいに1人勝ち。 さてこの作品は、イギリスの大衆や王室の事情について、上っ面やおべっかでなく描いた優れた一品だと思います。 全体を見終わってどういう感じを抱かされるかというと、「ダイアナは厄介だったのだ」という、極めて客観的な事実の再確認、だと思います。 若くして悲劇的な死を遂げたことによって、この「ダイアナは厄介」という事実を誰も指摘しないし認めないということになってしまった。 しかし、どう考えたって、やっぱり「そう」だったのです。そして、作り手は「大衆の絶対的支持」などというものに押されず負けず、「そのこと」をはっきり指摘してみせたというところがすばらしいです。こういうものが出るからイギリスという国はあなどれないと思います。 さて私は個人的にはダイアナのような人間が好きでなく、女王やその夫が「厄介」と苦々しく思う気持ちが分からないでもないのです。一言でいうと、ダイアナのような女性は「肉体派」(セクシーという意味ではなく)なのです。 ダイアナを「肉体派」という場合、その反対は「知性教養」です。 「肉体派」は本を読まず、文を書かず、生涯勉強というものはしません。日本人なら、読書より絵手紙や社交ダンスに走るタイプ。ダイアナはそういう女性でした。 しかし、私や女王一家が眉をひそめるその「なりふり構わず愛を求める」みっともなさが逆にウケてしまいます。本人も「おっ意外にこれでイケるかも」と思います。 「ダイアナは厄介」だったのです。死んでくれてほっとしたけれど、死に方が死に方なだけに、「死んでまで厄介なダイアナ」ということで、女王は国民に嫌われそうになって困ります。 けれどこのとき、女王が自らに嘘をついてまでいちはやく半旗を掲げ、弔意を表明し、ダイアナの死を悼んだとしたら、とってもヘンじゃないでしょうか。それが「女王」でしょうか。 私は、ウソの下手なこの人がとても可愛い気がしてくるし、「女王の陰謀説」が有りえないということも納得できる。 一つ難をいえば、ブレア役の俳優が全く似ていなかったことが気分を下げる。 [CS・衛星(字幕)] 8点(2009-02-21 15:35:09)(良:1票) |
155. パリ、ジュテーム
《ネタバレ》 疲れたー。 私が思いますに、やっぱり「5分」というのは短かすぎるのではないかと。 短すぎるもんだから、どの作り手も「はあはあ」言いながら詰め込んでいる感じがキツいです。 そして、これだけの数のエピソードを見せるのに、約束事が「パリ」というだけではキツかったと思う。具体的に、「人が死ぬシーンは無し」とか「キスシーンは無し」とか「暴力も無し」とか、もっとシバりをするべきだったと思うのです。でないと、「5分」ということで案の定、どうやって印象を残そうかと思ったら「暴力をふるわれて」「死んだり」させる作り手が出てきてしまうではないですか。または、「ドバッと血を流す」とか。 「理不尽な暴力をふるわれて死んだり」「ドバッと血が出た」場合に、そういうことをしない作り手と同じ土俵で5分を張り合うのはヘンじゃないだろうか。ヘンだと思うけど。 「どうやって目立つか」だけを考えているうちはこういう作品に参加する資格はないのだたぶん。 そして、「約束事」をもっと入れるべきだったし、「禁じ手」だけでなくて、「必ず○○を一箇所入れるべし」というような遊びを入れてしかるべきだったと思います。そういうことがないので、なんだか見る側はごちゃごちゃした気分になっただけ。 唯一認めたいのはニック・ノルティが親父役をやった一篇。大変巧みな脚本です(あの娘と友達はレズビアンということですよたぶん。息子は体外受精ということ)。 [CS・衛星(字幕)] 4点(2009-02-11 14:55:11) |
156. アダプテーション
《ネタバレ》 ダメ男をやらせたらニコラス・ケイジの右に出るものはいないと認めます。最初のほうでスタジオの隅に座って、通りがかるスタッフにアピールしている場面、私は感動した。そんなところに感動しても…なのだがとにかく言葉で言えないすばらしさ。いやこの場合は情けなさ全開。 でケイジは全身全霊で情けないし、ドナルドを設定したことで、ドナルドがボケてチャーリーが突っ込むという安定した面白さが出ている。 そうせっかく出ていたのだが、実はカウフマンにとってそれは「くすぐり」でしかなく、ラストのドタバタですべてを台無しにして…「どうだ」と得意がっているんだよなあ。 私はその「くすぐり」がなかったら最後まで見る気がしなかったと思うし、そっちのほうをメインにするべきだとさえ思うのですが、頭の良さをひけらかしたい彼にとってはそれは単に「くすぐり」。 とにかくニコラス・ケイジの情けなさに感動しておこう。せっかくケイジががんばっているのに、花なんかどうでもいいってことを言うためにそんなに尺を使うことはないじゃあないかカウフマンよ。 追:その後何度も見るうちにアメリアとの関係は妄想ではないかと思い始めた。 [CS・衛星(字幕)] 8点(2009-01-16 16:56:06) |
157. ヒューマンネイチュア
《ネタバレ》 スパイク・ジョーンズとミシェル・ゴンドリーとチャーリー・カウフマンが集結したというと、知る人ぞ知るものすごいスタッフ陣ということになるのであろう。映画界で最もエッジーなところにいる彼らの才能が…結集したと…言えるのだろうか??? 皮肉で人を喰った演出はちょいとキューブリックの「博士の異常な愛情」の雰囲気を真似たような感じがする。テーブルマナーを学ぶネズミとか多毛症の女性とか類人猿として育った人間とかが、すべて何かの象徴として提出されているといううっとうしい話なのだが、決定的なものが足りないのです。 それは、「突っ込み」役の存在だ。だいたいここでは全員がボケているわけだから、ボケたまま話がどんどん進むとそれは、「わかるヤツだけにわかればいい」ということになってしまいます。 ボケには突っ込みが必要なのです。…つまり「アダプテーション」におけるチャーリー本人の役割のような、「ボケている事物に対して違和感を表明する」キャラクターがどうしても必要なので、それはライラ本人が独白でノリ突っ込みしつづけるということでもよかったし、でなければ第三者的な立場のキャラを創設して突っ込ませ「違和感を表明する」べきであった(もちろん突っ込み方はソフト突っ込みでもかまわない。)。 そうなっていないので、「ヘンな人たち」が「ひたすらヘンなことをしている」というふうになってしまうのです。 全員がボケているだけでは、見世物にならない。 だからイマイチつまんないのです。基本ができていないので、この3人は日本のお笑いで勉強したらいいと思う。 [CS・衛星(字幕)] 4点(2009-01-11 15:29:56) |
158. ブラッドレイン
《ネタバレ》 B級といってしまっては本来のB級の方々に申し訳ないというような気もします。 私はこれのゲーム版がどうなっているのか全く知らないが、知らないにもかかわらず、おっ、ここで新たな防具をゲットするのね、とかここで強力な武器をゲット、とかこれが小ボスとのバトルで急所はどこなんだ、とかここで訓練してレベル上げなのね、とかおっ水の中でのバトルね、とかこれがショップで商品は…とかいちーち感じてしまうのでした。ものすごーくゲームっぽいというか映画離れした作品だと思った。 というか、これなら素直にゲームのほうをやったほうが楽しいのではないだろうか。でも、私はアクションがダメなのでたぶんこれはバイオハザードみたいなアクションだろうからムリ。 ローケンの肉付きの良さに驚き、ターミネーターの際にはよっぽど減量したんだろうと思いました。あと、マドセンはあんまり安い映画に出て欲しくないかなあ。 まあそのくらいです。 [CS・衛星(字幕)] 3点(2009-01-07 14:53:27) |
159. あるいは裏切りという名の犬
《ネタバレ》 カントクさんは元刑事だということですが、それがほんとなら、それゆえ肩に力が入ってしまったのだなあ…という感想です。 誰よりも良く知っている(と思っている)ことを説明しようとすると、力みますよね。 より良く知る者こそがより面白い映画を撮るのかというとやっぱり違って、専門知識がたくさんある誰かが撮るより、キューブリックやリドリー・スコットやマーティン・スコセッシのような映画の天才を持つ者が撮ったもののほうが、間違いなく面白いのです。 残念ながらこのカントクさんはあんまり才能があるとは私は思えなかった。 同僚の殉死シーンとかあんまりにもお粗末だったし、「決して○○するな」というとそっちの方向に必ず転ぶし、女性は完全に戦利品扱いである。面白くはありません。 また、出世欲、権勢欲に取り付かれたクランの行き着く先が、警察主催の晩餐会って、あんまりにも通俗的でつまらないですね。そんなもののために、クランは散々手を汚して危ない橋も渡ってきたのかと思うと、それじゃフツーすぎますから、クランけっこうつまらないヤツ…。 何かもっと「あっ」と言わせるようなクランにしかわからない目的があったらばなあ。でも、この話自体が通俗的な常識を超えられない、超えていないのですからそれはムリというものでしょう。それはつまり作り手が常識的な人物ということで、権勢欲に取り付かれた人間は晩餐会で喜ぶだろうという…ああつまんないですね。フランスの警察ものでは、「ブルー・レクイエム」のほうが何倍も質が良かったです。 [CS・衛星(字幕)] 3点(2009-01-07 14:30:21) |
160. オーロラの彼方へ
《ネタバレ》 「誰の」かは知らないがまちがいなく「作り手の中の誰かの」思い入れでできた作品なのではないかと思う。 そして私はこのごろ思うのですが、「個人的な思い入れ」を嬉しがって映画に挿入したりすると必ず失敗する。「個人的な思い入れ」を見せられて嬉しいのはどういう場合かというと、それが「ジョン・レノンの思い入れ」とか「エミネムの思い入れ」とか、思い入れている人物そのものが「大衆の思い入れ」の対象に成り得る場合だけでしょう。 1969年のさまざまな出来事にしても、自転車の練習やメジャーリーグの試合結果や父親の突然死にしても、ここでは結局「作り手の誰かの思い入れ」もしくは複数の人物の思い入れのツギハギ、にしかなってないのです。 なので、作品としてはパッとしないです。冒頭のラジオで看護婦連続殺人のニュースを聞いた時点で、その後の展開がある程度読めてしまうという安易さだ。ジム・カヴィーゼルがダメだというのもありますけど。 悲しそうな顔の俳優、ということで選んだのでしょうが、コイツを出すためにエリザベス・ミッチェルの髪と目をわざわざダークにしなければならなくなってしまい、しかしそうまでして出すほどではなかった。 こいつは悲しそうな顔をしているばっかりで、ほかには何もできなさそうな男に見えるのです。「シン・レッド・ライン」ではそれなりだったが、たぶんカヴィーゼルは使いにくい俳優だと思います。 次々に過去と現在を変えていってハッピーエンドで終わる、というのも、ああ誰かの思い入れなんですね~というふうに私は思う。でも、普通はこの話だったらパパはどうしても死ななければ済まないと思うけどね。凡作以下。 [CS・衛星(字幕)] 5点(2009-01-07 13:39:44) |