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プロフィール
コメント数 433
性別 男性
ホームページ http://onomichi.exblog.jp/
年齢 56歳
自己紹介 作品を観ることは個人的な体験ですが、それをレビューし、文章にすることには普遍さを求めようと思っています。但し、作品を悪し様にすることはしません。作品に対しては、その恣意性の中から多様性を汲み取るようにし、常に中立であり、素直でありたいと思っています。

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1.  惑星ソラリス 《ネタバレ》 
ソラリスの海が生み出す人間の物理的コピー。彼女は人間と同じ感情を持ち、人間同様に主人公を愛する。人間は感情を持つ。その物理的コピーが持つ感情とは疑似的なものか?そもそも感情とは何か?  分子生物学によれば、意識及びそれを生み出す脳内の働きは、全てシナプスを起点とした電気信号(イオン化)により説明される。しかし、単純な電気信号の連なりがどのように瞬時で膨大な広がりを持つ意識を生み出すのか、或いは先行する意識がどのように電気信号と結びつくのか、その辺りは全く分かっていない。  ノーベル賞学者のペンローズ博士は、意識の発現を量子重力理論(量子論と相対論の融合)により解明できると言う。ペンローズ博士によれば、意識は神経細胞内のチューブ状の器官の中における量子力学的作用によって発現するという。その領域の物理学的作用は、シュレディンガーの波動方程式による量子の振る舞い(量子作用)によって説明される。最近の研究によれば、量子作用は、神経細胞内だけでなく、消化器官における酵素反応や動物の帰巣本能というべき地磁気の検知、植物の光合成にも関わっていると言われる。よって、人間特有の機能というわけではなく、宇宙全体、そのミクロの領域は量子作用によって構成されているという事実において、意識や感情はいつ何処にでも現れると言える。人間のように死んで終わりではなく、ソラリスのコピー人間のように不老不死の上で永遠に感情を生み出すこともできる。人為的に消滅させることもできる。  死んだ人間は帰ってこない。しかし、人間には愛する人間が必要なのだという事実。それがソラリスの真実であり、人間の真実なのだと理解した。しかし、我々の「世界」は真実と違う。人間の感情は世界に優先されない。人間は常に世界に勝てない。「君と世界の戦いでは、世界に支援せよ」なのである。  昔、SF小説を読み漁っていた頃、レムの『ソラリスの陽のもとに』を読んだが、その内容をすっかり忘れていた。タルコフスキーの映画がレムの原作に沿った内容であること、それがタルコフスキーの思想(人生に苦しみを求めることこそ知性)に合致したという点において、この映画が世紀の傑作であると共に、タルコフスキーにとっても貴重な作品であったことが分かる。  「我々はなぜ苦しむのだろう」 「宇宙的感性を失ったからだろう」 「古代人はもっと純粋でそれゆえに悩みがなかった」
[DVD(字幕)] 10点(2025-01-18 19:35:04)
2.  ソウルの春 《ネタバレ》 
韓国の現代史を描く超大作。1979年12.12粛軍クーデターの詳細を描ききっており、とにかく引き込まれた。ファン・ジョンミンとチョン・ウソンの電話や拡声器でのやり取りは演出も有るだろうが、殆どクーデターの駆動と抑制がこの2人に掛かっていたように進むドラマはフィクションとしても見応えがあった。  キム・ソンス監督『アシュラ』と同じく、ファン・ジョンミン vs チョン・ウソンが物語の軸となるが、今回は舞台が国家レベルとなる。ファン・ジョンミンが粛軍クーデターの首謀者、全斗煥(役名はチョン・ドゥグァン)、チョン・ウソンが反クーデター側の中心人物となる張泰玩(役名はイ・テシン)。そして、パク・ヘジュンが盧泰愚(役名はノ・テゴン)、イ・ソンミンがクーデターで逮捕される参謀総長鄭昇和(役名はチョン・サンホ)。イ・ソンミンは『KCIA 南山の部長たち』で朴正煕を演じていて、今度はその影を引きずりつつ、朴正煕暗殺共謀で逮捕される役となる。イ・ソンミン、政治家や実業家の超大物をやらせたら右に出る者なしというところか。  ファン・ジョンミン、とにかく私の好きな役者。『新しき世界』『工作』『ベテラン』『ただ悪より救いたまえ』、そして『ナルコの神』。ファン・ジョンミンは悪も正義も違和感なく演じられる。  チョン・ウソンといえば、『アシュラ』『ザ・キング』『鋼鉄の雨』。カッコ良くて、すごく痺れる役者です。2枚目なだけじゃない、声がすごくいい。今回の正義感役も声に迫力があって、ばっちりと嵌っている。  『息もできない』のチョン・マンシク、『夫婦の世界』のパク・ヘジュン。その他、韓国ドラマ・オールスターズの面々。『サバイバー』のソウル市長アン・ネサン、『ムービング』の怪力お父さんキム・ソンギュン、『梨泰院クラス』の秘書室長ホン・ソジュン、『サム、マイウェイ』のおでん屋台コーチのキム・ソンオ、『相続者たち』の財閥会長お父さんチョン・ドンファン、『W』の漫画家お父さんキム・ウィソン、『知ってるワイフ』の融資課チーム長パク・ウォンサン、『再婚ゲーム』の元カレのパク・フン、『秘密の森』の龍山警察署署長チェ・ビョンモ、同じく『秘密の森』のドンジェことイ・ジュニョク、『SKYキャッスル』の元神経外科長ユ・ソンジュ、『二十五、二十一』のペク・イジン叔父さんパク・ジョンピョ、そして、チョン・へイン。揃いも揃ったり、それも曲者ぞろいの名バイプレーヤーたち。韓国ドラマ好きには堪らない。それぞれにいい味を出している。  映画について。私達はプロットとなる粛軍クーデターの顛末、事件の結末を知っている。知っていても、最後の最後まで画面から目が離せなかった。行くも退くも自らを犠牲にする覚悟を決めた軍人チョン・ウソンの決意と涙に心を打たれた。自然と涙が溢れた。その後の彼(モデルとなった張泰玩)自身と家族の不幸を思うと本当にやるせない。つらい。  作品の描き方から、ファン・ジョンミンが悪、チョン・ウソンが善。今の視点ではどちらが正義か分りやすい作りとなっているが、当時、中堅層の軍人たちはクーデターの中で、どちらの側に付くか、1日の攻防の中で揺れに揺れたはず。結局は、政治における軍部の立ち位置や民主化の在り方という点ではなく、ハナか、非ハナか、派閥の勢力争い、出世争い、保身、韓国社会の人間関係の力学によって、勝敗は決したと言える。勝った方が正義であり、負けたらゼロに落ちる。どちらが強いか? 強さを化身した存在、ファン・ジョンミンのセリフにもあったが、そのアピールこそが粛軍クーデター成功のカギだった。  その後、新軍部の戒厳令下で軍が民間人を大量虐殺した光州事件があり、1980年9月、全斗煥は韓国大統領まで上り詰める。全斗煥政権下では、多くの民主活動家や学生の拷問、不審死が1987年の民主化宣言まで続く。しかし、政権は盧泰愚に引き継がれ、粛軍クーデター組織による政権支配が終わるのは盧泰愚失脚後の1993年になる。韓国初の文民政府である金泳三政権により組織が解体され軍から排除されるまで待たなければならなかった。彼らの韓国支配、強権政治は実質10年以上続いた。近年の韓国映画によって、私達はそれらの事実を漸くと知ることになる。  2017年、朴正煕の娘、朴槿恵が失脚して、堰を切ったように『タクシー運転手』や『1987、ある闘いの真実』が公開された。韓国現代史、軍事政権による様々な事件、その黒い霧は、映画によって明らかにされ、人々に共有されて、歴史地図がパズルのピースのように繋げられていると感じる。『ソウルの春』もこの流れ、韓国の民主化の不可逆的な流れの中に確実に位置付けられる。そう考えれば、この映画の大ヒットも韓国にとって歴史的必然だったのだろう。
[映画館(字幕)] 10点(2024-09-16 23:57:21)(良:2票)
3.  一心太助 天下の一大事 《ネタバレ》 
シリーズ2作目『一心太助 天下の一大事』。カラーになって太助の男っぷり、お仲の可愛らしさが光る。 太助の縦横無尽の活躍、お仲との関係性、彦左との確執も太助の一人前となった証左でもあり、なんとも眩しく感じる。今回は進藤栄太郎演じる悪徳旗本の川勝丹波守が木場の相模屋と結託して悪行を尽くし、屋敷に奉公した許嫁のいる腰元を誘拐する等の天下の一大事が本筋となっていて、勧善懲悪ものとして大いに楽しめる。太助と彦左の仲違いもあり、今回は松平伊豆守が躍進する。  最後のクライマックスのシーンは圧巻。大勢の民衆、魚河岸衆と木場衆が神輿を担いて威勢よく闊歩するお祭りの喧騒にまぎれて、魚河岸衆が木場の相模屋を襲撃し、川勝から誘拐された腰元を救助、大立ち回りの太助や魚河岸衆が大活躍。太助の刃のないチャンバラシーンも宮本武蔵の般若坂ばりのダイナミックさがあってとても痛快だった。そして天下のご意見番の到着。男同士の名呼びと抱擁。やはり錦之助と月形龍之介コンビの一心太助シリーズのクライマックスがこの回、このシーンでしょう。  家光、彦左、太助が一同に会するラストシーンもよかった。家光と太助は二人とも錦之助なんだけど、うまく演じ分けているというか、全く違和感がない。彦左の「馬鹿につける薬はございません」からの印籠取り出し、家光の「いつまでも馬鹿でおれよ」というセリフにも熱いものを感じる。やっぱり最後は日本一の徳川将軍、締めは箱根から見る富士の絶景なのです。
[インターネット(邦画)] 10点(2024-07-14 00:41:48)
4.  寝ても覚めても
主人公の行動には驚き、確かに戦慄する。とても共感できないが、惹き込まれた。安易な共感は物語を陳腐にする。この映画にはいろいろと考えさせる多面的な面白さがあった。様々な視点や視線があるように思えた。 こう言うと語弊があるかもしれないが、震災以降、君と世界は一体化し、誰も世界を疑うことができない、そういう時代の流れが急速に訪れているように感じる。それによって個人の内面や物語といったものは世界に沈んでしまった。世界を疑う違和こそが内面を失いつつある人達のココロの快復に求められるのだとすれば、この映画の主題はその為のギリギリの「戦い」そのものと言える。全てを失った凡庸な悪としての私、その地平から私が追いかけるあなた。立ち止まり、受け止めるあなた。そこから始まる物語。悪から善を生む、汚ったねぇ河から始まる物語。世界から一番遠い君の恋愛物語。共感できないが故に素晴らしい人間讃歌だと思った。唐田えりか、東出昌大の二人の主演も象徴的に素晴らしい。
[インターネット(邦画)] 10点(2019-03-30 22:08:03)
5.  ゼロ・グラビティ 《ネタバレ》 
IMAX3D字幕版で鑑賞。正に最新の映像と音響スペースを堪能した。映画と同一空間、同一時間を体感できる、驚くべき体験だった。やはり字幕版で見るべき。僕らは主人公と同じようにジョージ・クルーニーの声に励まされ、生かされていると感じる。  彼は主人公が掴んだ命の綱を自ら手放す。確かに均衡した力学的作用からすれば、彼はカラビナを外す必要はなかったのかもしれない。しかし、彼は外した。彼女をひとり生かす為に。この映画は「生きる」ということが継承であり、究極的に個闘だということを主張しているように思える。  自らを犠牲にして彼女を生かす。時に彼女を優しく叱責し、力強く励ます彼の声は、可能性という名の希望。天の声であり、心の声である。外部からの声である。  生きる意味とは何? 彼は主人公に問いかける。そこまでして生きる意味、生に執着する価値とは? その問いこそがシンプル故に心に響いた。  人は、というか、生命とは、そもそも犠牲により成り立ち、綿々と受け継がれてきた。限りがあることにより伝承され、死に生まれる。壮大な宇宙空間だからこそ、そういった生命の成り立ちがくっきりと見えてくる。宇宙で生まれ、地球に受け継がれたものとして、生命は在る。  ちなみに地球での生活が破綻していたからこそ、彼は宇宙を漂う生の充実と終焉を選んだとも言える。海の底のグラン・ブルーと同じ。それって男のロマンだよね。そんなものが2010年代に生き続けていたとは。。。それも「宇宙」だからこそ? とても胸が痛くなった。
[映画館(字幕)] 10点(2013-12-26 08:38:53)(良:1票)
6.  アルゴ 《ネタバレ》 
手に汗握る展開。臨場感溢れる画面。文句なくの傑作である。また、事実をベースとした映画として、その事件映像を忠実に再現する拘りが素晴らしい。(それが最後に分かるのも心憎い演出である)  イラン革命の後、イスラム法学校の学生らがテヘランのアメリカ大使館を占拠する。外交官や警護の海兵隊、その家族等52人のアメリカ人が人質に捕られるが、占拠前に6人が大使館から脱出する。CIAは、架空のSF映画『アルゴ』のロケハンをイランに設定し、人質を撮影スタッフと偽って、彼らの救出を図ろうとする。そんな奇想天外な作戦が実際にあったとは。。。  イランの子供達がシュレッダーでちりぢりになった大使館員の肖像写真を繋ぎあわせていく様子も、ニュース映像そのものであれば、今でこそ冷静に、エンターテイメントとして面白く観られる。結局、全員無事に国外脱出できたことが、この映画をエンターテイメントとして成り立たせている重要な要素だろう。イランアメリカ大使館人質事件そのものやその政治的背景を題材として扱えば、なかなかそうはいかない。  ところでアルゴって何? "Ah, go fuck yourself!!" それ誰が言ったっけ? "Marx" "Groucho said that?"  最高です。
[映画館(字幕)] 10点(2013-01-29 20:08:49)
7.  鍵泥棒のメソッド
『運命じゃない人』『アフタースクール』と観てきて、内田けんじ監督の独特の作風に感心していただけにとても楽しみな作品だった。前2作の良さ、監督の作風を確実に受け継ぎ、さらに面白さが格段にパワーアップしていると感じた。『運命じゃない人』も面白かったけど、僕には演技の素人っぽさがどうしても目について仕方なかった。それに比べて『鍵泥棒のメソッド』は、出演陣が独特のキャラクター達をうまく演じていて、とても自然に観ることができた。特に香川照之と広末涼子がよかったかな。この監督特有のプロットの巧みさに、キャラクターの面白さが加わり、尚且つ笑いがあった。そして、胸がキュンとなった。  単に面白い、といった表層的で突発的な笑いではなく、計算され、手の込んだ演出が生み出す笑いというのは重みがあり、心に残る。思い出し、噛締められる余韻がある。今回の作品は、その完成度として、プロット、キャラクター、セリフ、オチ等、全てが上手くハマっていた。よく出来たミステリーを読んだ後のような爽やかで胸に残る余韻があった。また、人それぞれかもしれないけれど、その笑いは僕のツボにもうまくハマったのである。秀作。
[映画館(邦画)] 10点(2013-01-29 20:07:18)
8.  ロック・オブ・エイジズ 《ネタバレ》 
めちゃめちゃ面白かった。頭空っぽで楽しめる。  この映画で扱われるロックとは、所謂、80年代に興った産業ロックとか、大衆ハードロック、ヘアメタル(LAメタル)と呼ばれるものである。それは60年代後半から70年代前半のハードロックやマニア限定のスラッシュメタルとは違う。大衆に広く浸透した誰もが歌えるみんなのロックなのである。 産業ロックの代表格は、ジャーニー、フォリナー、REOスピードワゴン、そのハードロック系は、デフ・レパード、クワイエット・ライオット、ナイト・レンジャー、ボン・ジョヴィなど、80年代以降のヴァン・ヘイレンやエアロスミスも含めていいだろう。ヘアメタルからは、ポイズンとトゥイステッド・シスター。本当は、ラットこそ代表格なのだと思うけど、如何せん曲がない。。。(女性シンガーはパット・ベネターとジョーン・ジェット。。。ハートじゃないのか?)  映画の中で歌われるロック。実は、これって主人公のシェリーが持っていたアルバムに沿っていて、彼女が崇め奉るロックバンド達の曲である。産業ロック。60年代後半に変革を叫び、夢破れたロックは、70年代以降に大衆へと向かい、個的な愛や夢を語る装置として幻想化する。多くの人々がそれを共有化することで、商業的にも成功するのだ。 ただ僕はこの映画の80年代ロックを卑下するつもりは全くなく、逆に賞賛したいのである。なぜなら、僕自身がこの時代のポップ化したロックを聴いて育った世代だから。ある時期、それを否定して時代を遡ったけど、25年経った今、やっぱりその音楽が心に沁みるから。50年代に生まれたロックが反逆や反体制というイメージを覆し、大衆化、ポップ化していく過程を思うと、僕は自分自身や時代と重ねあわせて、ロックそのものをとても愛おしく感じる。ロック・オブ・エイジズを観ているとロックって素直にいいなぁって思う。観ているだけで、僕の涙腺は自然にゆるむのだ。  我が青春の楽曲たち。スクリーンで弾けるその映像は、まさしくベストヒットUSAやMTVで観た洋楽PVそのものである。キラ星の如きロックスターたち。僕らが洋楽に憧れたイメージ、幻想としての物語、その映像化。  主人公2人のデュエットが素晴らしかった。最後の”Don’t Stop Believin’” トム・クルーズもカッコよくて、無様で、とても痺れたよ。それとREOのTシャツを着て歌う年老いたケビン・クローニン。最高に泣けたなぁ。
[映画館(字幕)] 10点(2012-11-03 11:53:27)(良:2票)
9.  桐島、部活やめるってよ 《ネタバレ》 
いわゆるメタ映画であり、尚且つ、それ以上のものが感じられる映画。  桐島とはいったい何者なのか? 映画部の彼らはなぜゾンビに拘るのか? 野球部幽霊部員の彼は何故、最後に涙を流したのか? いくつかの事象を帰納的に反芻することで、この映画の見事なまでの構成が見えてくる。  映画の解釈については、その高い評価と共に、既にネット上で広まっている。 代表的なのが、不条理劇『ゴドーを待ちながら』(ゴドー(GOD)の不在をめぐる物語)を下敷きとしつつ、その変容としての桐島=キリスト=希望というメタファー。そしてその対立軸としてのゾンビ=虚無=絶望という図式である。桐島の不在にオタオタする多くの登場人物たちと、それを自明なものとして、ゾンビ映画に拘るオタクの映画部員たち。そういった構造でみれば、この映画はとても分かり易い。それは他の解釈を許さないほどに。但し、僕がこの映画に感銘するのは、そういった構造を超えたところに、実は彼らのアカルイミライが垣間見えたからである。  最後のシーン。 映画部の彼と野球部幽霊部員の彼が夕日をバックに対峙する。そこでの映画部の彼のセリフが僕らの胸にすごく響くのだ。彼は高校生にして、既に絶望を知っている。でも、それに負けない自分というものを持っている。周りをゾンビに囲まれたショッピングセンターの中で、彼はそれでも闘い生きていこうと決意する。それは何故か?彼は撮ることによって常に希望と繋がっているから。彼は絶望を知りつつ、同時に希望と繋がっている。桐島=キリスト=希望。 映画部の彼こそ、桐島と唯一繋がっていたことが最後に明らかとなる。彼こそがアカルイミライの細い道すじをただ一人しっかりと見据えていたのだ。野球部の彼は、そのことを理解し愕然とする。桐島に電話して繋がらないことで、自分がゾンビに喰われてしまった側であることを悟り、そして涙する。  なんて素晴らしいラストシーンだろう。僕らのミライも少しアカルイと思える。  この映画の冒頭の多視点による物語の反復。世界を本当に捉えようと思ったら、たとえやみくもであろうとも、その世界なるものを多くの視点で囲んでいくしかない。そこには桐島と同じように「不在」しかないかもしれないけど、その中空構造の周辺から、浮かんでくる様々思い、そのさざめき、その切実さを僕らは、それによってこそ目撃することができるのだ。
[映画館(邦画)] 10点(2012-08-27 23:55:25)(良:1票)
10.  ミッドナイト・イン・パリ 《ネタバレ》 
前作『人生万歳』に続くウディ・アレンの傑作映画。  夜12時の鐘と共に現れる幻想のパリ。タイムスリップ? 死者たちの徘徊? それとも壮大な夢オチ? まぁ、そんなことはどうでもいいか。旧き良きロマンをこよなく愛する主人公が迷い込むのは1920年代のパリ。当時のパリは狂騒の街と呼ばれ、禁酒法のアメリカから多くの異邦人がやってきて、毎夜のどんちゃん騒ぎが繰り広げられていたという。芸術家達が集うカフェで生まれる新しい時代の潮流。シュール・レアリズムからアール・デコ。そして、エコール・ド・パリ。その舞台に登場するのは、フィッツジェラルド夫妻、パパ・ヘミングウェイ、ピカソ、ダリ、ルイス・ブニュエルといった著名な若き芸術家達。主人公は、そんな魅惑の世界の中、芸術家達に愛されるファム・ファタール的な美女アドリアナに恋をする。恋する2人のタイムトラベルはさらに時代を下り、ベル・エポックのパリへ。伝説のマキシムに集うのは、ロートレック、ゴーギャンにドガ。彼らはそこで古き良きルネサンスの時代を語り始める。  主人公は悟る。古き良き時代への憧憬はどの時代にもあるファッションのようなものだと。そして、彼は現代のパリを生きていく決心をする。ロマンだけはしっかりと胸に携えて。。。(主人公が古い時代を生きられない理由がウディ・アレンらしくて笑ってしまった)  なんだかんだ言いつつ、主人公は3人の女性に恋をする。レイチェル・マクアダムス、マリオン・コティヤール、そして、レア・セドゥー。それぞれに魅力溢れる女性たち。いやはや、人生万歳。何でもアリだ。最後に主人公は、レアとアレクサンドル三世橋の上で再会し、雨が降り始める中、傘もささずに2人して歩き出す。別れがあって、出会いがある。切なくも希望に満ちた、とても素敵なシーンだった。  ウディ・アレンは、ニューヨークの街とそこに住む人々の風景を撮り続けてきた人。最近はNYを飛び出して、すっかり世界のアド街ック、街の観光案内的な映画を撮り続けているのだけど、街そのものが主役ならば、それもまた良し。次回作はロンドン。次々回はローマとのこと。これらも楽しみ。
[映画館(字幕)] 10点(2012-06-16 23:51:24)(良:1票)
11.  イントレランス 《ネタバレ》 
本作品は、当時、フランス戦線が始まっていた第一次世界大戦を想定した反戦映画として位置づけられる。その意図はラストシーンで挿入される現代の戦争シーンでも分かるだろう。バビロン陥落とサン・バルテルミの虐殺劇は、それぞれ、大量虐殺の象徴としての戦争の実態を表している。そして、各々の戦争の経緯と共に、ある女性と青年に焦点を当てた悲恋のストーリーが同時に語られるのであるが、彼女らは戦争という歴史の犠牲者として、最後には殺戮されてしまう。(バビロンでは、山ガールと詩人、フランスでは、ブラウンアイズと傭兵がそれに当たる)  新約から引用されるイエスのシーンは、本作を構成する物語というよりも、「不寛容」の象徴としてある。イエスこそは、人間に対する「不寛容」を一身に背負って磔刑となったキリストなのだと。  3つの歴史の物語が「不寛容」な結末を迎え、現代篇が最後に残る。青年は無実にも関わらず裁判で死刑の判決を受ける。彼の可愛い妻は彼を助けようと懸命に奔走する。目まぐるしく入れ替わる展開はスピード感に溢れ、僕らは手に汗を握り、画面にくぎ付けとなる。(ラストの列車追跡シーンは本当に素晴らしい) そして、青年の運命は如何に。。。その伏線がバビロンとフランスの2つ悲恋物語にある。  162分に及ぶ長大で矮小な物語。それは僕らに「不在の神」という概念を思い起こさせる。「不寛容」とは、創世の後、自ら退いた神の人間に対する基本的な態度であり、イエスが自らの死と引き換えに人間に託した教え、「キリスト教」が人々に必要とされる由来でもある。イエスの教えとは、人の人に対する「寛容」であり、隣人愛なのだから。  中世のキリスト教より、サン・バルテルミの虐殺に繋がる宗教戦争という歴史の悲劇。しかし、グリフィスは、そこに男女の矮小な純愛を対峙させることで、全くの個人を出発点とした「寛容」を説いてみせる。そのバックグランドには、バビロンの山ガールと詩人、フランスのブラウンアイズと傭兵、彼らの愛と死があって、そして、イエスがいる。この物語はそういう物語としてあるのだと僕は思う。  いろいろな意味で映画の可能性を問うた作品であり、壮大なる反戦映画。その意義が映画史に燦然と輝く、と同時に、僕らのイマジネーションを掻き立てる素晴らしい映像世界であった。
[DVD(字幕)] 10点(2012-05-16 00:23:46)(笑:1票)
12.  わが母の記 《ネタバレ》 
感動した。主人公の役所広司、その母親の樹木希林、素晴らしいキャストだった。  父親の死を境に徐々に痴呆の症状が顕在化していく母親の姿。その演技は、あまりにも自然で、人間味あふれていて、多くの人が自らの歴史の中の自分の祖母、或いは母親の姿を思い出したのではないだろうか。『歩いても 歩いても』でもそうだったけど、自然体で人間の凄味のようなものを醸し出せる樹木希林の姿は本当にすごい。それは悪意とか善意とかに区別できない、単純ではない、人間の得体の知れなさの断片であり、言葉の網の目から零れ落ちて、言い澱んだり、躊躇ったり、言い間違えたりしつつ出てくる感情でもある。人間の自然って本来そういうものなのだな。  主人公が子供の頃に書いた詩を思い出すシーン。何故、自分が湯河原に残されたのか。母親が夜中に誰を探していたのか。彼は全てを理解し、母親を赦す。そして涙を流す。しかし、主人公が母親に捨てられたという意識こそが彼の文学的源泉だったということも確かなのだ。夏目漱石も「母親に捨てられた子供」だった。愛情に対するある種の不幸な思い、その傷は、文学性を養う。  沼津の海のシーンもよかった。お互いがお互いを理解し赦しあうこと。何と感動的なことだろうか。母親を背負う主人公。その名前を呟く母親。とても幸福なシーンに涙が溢れた。
[映画館(邦画)] 10点(2012-05-05 11:48:36)(良:1票)
13.  男はつらいよ 口笛を吹く寅次郎 《ネタバレ》 
マドンナは竹下景子。  彼女は清楚で可憐で、、、と言えば吉永小百合に近いイメージだけど、博のセリフを借りれば、「美しさの中に知性を秘めたとでも言いますか」、、、で、やっぱりお嫁さんにしたいタイプ。内容もシリーズ中で人気のある作品だけあって、見応え十分。  やはり最後の柴又駅のシーンが素晴らしい。竹下景子が寅さんの袖を掴み、その顔を潤んだ瞳でじっと見る。その視線に答えられない寅さん。これはシリーズ最高のラブシーンではないかと僕は思う。別れの後に「・・・という御粗末さ」とつぶやく寅さんのドテラの後姿が寂しい。あと10年若かったらなぁと。そんなラブシーンの始まりを予感してすっと脇に引くさくらの所作も彼女の複雑な感情が見え隠れしてなんとも言えない味がある。  初期の頃とは違う落ち着いたとらやの雰囲気も良し。下條正巳のおいちゃんはあまり人気がないのだけど、でしゃばらない味わいはそれはそれで良し。
[DVD(邦画)] 10点(2012-04-29 23:26:15)(良:2票)
14.  男はつらいよ 寅次郎あじさいの恋 《ネタバレ》 
マドンナはいしだあゆみ。  寅さんの悲恋物語。ドタバタもなく、いつもの寅さんとは全く違う雰囲気だったけど、本作は、ある意味で寅さんとは何者か、実はどういう人物なのかということをしみじみと感じさせる素晴らしい一篇であった。寅さんは女性から本気で求められると、受け身になって、すっと自らを引いてしまう。そして自分を「駄目な男だ」と言って一人涙を流す。恋に恋して、恋できない臆病者。それが寅さんなのか。寅さんの流した涙を思い、12歳の満男と同じように悲しくて僕も泣いた。寅さん、あなたはただひたすら優しすぎるのだ。そういう愛があってもいいじゃないか。寅さんが満男に言う。「お前もいつかは恋をするのだろうな。可哀相に」 すると満男が答える。「僕、恋なんかしないよ」と。(10年後の自分に聞かせてあげたいセリフだ)  この回に津嘉山正種がいしだあゆみの元カレで登場する。津嘉山と言えば、オープニングでのドタバタ劇専門でずっと登場していたが、ついに本編昇格かと。彼はその後、『真実一路』でも部長役で登場している。その後のOPドタバタはアパッチけんが引き継いでいる。
[DVD(邦画)] 10点(2012-04-29 23:26:04)(良:1票)
15.  男はつらいよ 寅次郎紙風船 《ネタバレ》 
マドンナは音無美紀子。  夢のシーンに続き、寅さんの小学校の同窓会の場面から始まる。同級生でいじられ役の東八郎が寅さんに逆切れするシーンが切なくて良い。そして、旅先では家出少女の岸本加世子にテキヤ仲間の小沢昭一。テキヤの女房役、音無美紀子は少し翳りのある美しさが光る。この回好きかも。  寅さん、音無さんとの旅先での別れの後、彼女と所帯を持つという決意を抱き、会社の就職試験まで受けるのだけど、結局最後は自分から身を引いてしまう。このパターンは『ハイビスカスの花』『あじさいの恋』や『口笛を吹く寅次郎』などこの時期の寅さんによく観られる。今回も音無さんがとらやの帰り道に寅さんにそれとなく気持ちを確かめるのだけど、寅さんはその気持ちを分かっていながら、答えられない。あれほどとらやの面々に所帯を持つという決意を語っておきながら、いざとなったら何故?って思うのだけど、それが寅さんなのね。音無さんとの2つの別れのシーンはとてもぐっときた。
[DVD(邦画)] 10点(2012-04-29 23:18:40)
16.  男はつらいよ 寅次郎かもめ歌 《ネタバレ》 
マドンナは伊藤蘭。  キャンディーズ解散から2年後の作品である。彼女は、田舎の無教養で少しはすっぱだけど、純朴で熱意ある少女をうまく演じている。とにかく可愛らしい。今回の寅さんは、マドンナの父親役といったところ。いつもの恋騒動はないのだけど、伊藤蘭のことが可愛くて心配で仕方がないという父親のような寅さんの思いが泣かせる。そんな若いマドンナとの交流は『奮闘編』を思い出させる。  そして、伊藤蘭の通う定時制高校の教室でも人気者となる寅さん。最後に寅さんが勉強を志し学校に受験願書を出していたことをさくらが知らされるシーンには泣けた。その願書の寅さんの写真がすごくいいのだ。願書によれば、寅さんが生まれたのは昭和15年11月29日、御年40歳とのこと。(演じる渥美清が昭和3年生まれ) と騙されてしまうところだが、確か寅さんは15歳で家を飛び出し、20数年ぶりに葛飾柴又に帰郷したのが第1作。とすれば、その時37-8歳。(2作目でも38年前に産み落とされたと言っていた) 本作はそれから10年後なので、47-8歳のはず。寅さんは永遠の40歳という話もあるけど、その設定はあまりにも無理があるよ。(サザエさんじゃあるまいし。。。ん? 似たようなものか?)
[DVD(邦画)] 10点(2012-04-29 23:18:33)
17.  男はつらいよ 寅次郎頑張れ! 《ネタバレ》 
マドンナは藤村志保。  この回の主役は、中村雅俊と大竹しのぶの若いカップルだろう。2人は配線工と食堂の女給。山田監督らしいブルーカラーな取り合わせだなぁと。寅さんは14作目に続き恋愛指南役である。こういう役回りはこの後結構増えてくるのだが、今回はその先駆けといっていいだろう。寅さんのデート指南はディテールに富んでいて、最高に面白かった。基本はいつも同じで、言葉ではなく、目で物語るというアレであるが、結局のところ中村雅俊はその通りにしていないところが笑えた。中村雅俊にはエラそうに言うのだけど、いざ自分が藤村志保に対して同じ境遇になった時には全然なっていないというのはいつものパターンである。  中村雅俊と大竹しのぶのカップルが初々しくて、溌剌としていて、純朴で、とてもよかった。大竹しのぶには泣かされたなぁ。キリシタンの島、平戸の風景もよかった。最後は大空小百合にも会えたし。この回は傑作!
[DVD(邦画)] 10点(2012-04-28 23:31:41)
18.  男はつらいよ 寅次郎夕焼け小焼け 《ネタバレ》 
マドンナは太地喜和子。  彼女の可愛らしさが光る。愛しい彼女の金銭トラブルを解決しようと奮闘する寅さん。思いは必死だけど、金のない寅さんにはどうしようもできない。これはつらい。でも最後に押し掛けた画家先生に思いが通じて、なんとかお金が工面できることに。こういう伏線があったのね。人徳は大事。寅さんの男気と優しさに感動した一篇。
[DVD(邦画)] 10点(2012-04-28 23:31:32)(良:1票)
19.  男はつらいよ 寅次郎相合い傘 《ネタバレ》 
マドンナは2回目の浅丘ルリ子。  シリーズでは1,2を争う人気作である。メロン騒動が寅さんのドタバタ劇の中でも秀逸だけど、やっぱり最後の寅さんとリリーが結婚かという場面で、じわっと盛り上がって、すうっと引いてしまう心の機微には悲しくてグッときた。  船越英二を含めた男女3人の旅模様はとても楽しかった。寅さんとリリーは計4作で共演することになるが、本作が2人の若さと勢いがあって、一番いい。
[DVD(邦画)] 10点(2012-04-28 23:22:00)
20.  男はつらいよ 寅次郎恋やつれ 《ネタバレ》 
マドンナは2回目の吉永小百合。  9作目の柴又慕情の続きということで。今回も恋愛という点では寅さん最初からアウトオブ眼中。焦点は吉永小百合演じる歌子の自立と父親(宮口精二)との和解である。そこに主に絡んでくるのは、寅さんではなく、今回はさくらと博である。この二人が本作品の立役者だろう。茶の間でのいわゆる「幸福談義」では博の言葉が光る。このころになると、博は監督である山田洋次の代弁者ともいえる存在で、今回のお題「幸福とはなにか?」を理屈っぽく答える博に山田洋次の思いが重なるのである。(その対極は理屈ではない寅さんなのだろうけど) 最後のとらやでの歌子と父親の和解のシーンは泣けた。シリーズで一番泣けるシーンだったかもしれない。あの宮口精二を泣かせるのだから、もうしょうがないね。  冒頭に、寅さんがタコ社長とさくらを連れ立ってお嫁さんにしたいという女性に会いに行き、超速で振られてしまうのだけど、その相手が宮沢保のお母さん(『金八先生パート1』)というのが少しツボだった。  松村達雄のおいちゃんはこの作品で最後。今回もなかなかいい味を出していて(パチンコ好きのちょっとやくざなおいちゃん)、ちょうどこなれてきたって感じだと思うのだけど、彼はおいちゃん以外の役でこの後も結構活躍することになるので、このあたりが潮時だったのかな。彼はおいちゃんをうまく演じていたけど、おいちゃんそのものにはならなかったのだな。
[DVD(邦画)] 10点(2012-04-28 23:21:54)(良:1票)
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