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1.  マッハ!!!!!!!!
とっても熱い映画!(んー実際、燃えてるか) トニー・ジャーのアクションの見せ場が多いのなんのっ!あの手、この手、たっぷりやってくれます、カッコイイです、面白いです。こやつ、ムキムキのマッチョのギラギラなのか?!と思えば、いえいえ、ストイックで澄んだ眼、「合掌」から漂う神聖さ、ムエタイ対決前 紐を腕に巻く時立ち昇る美しさっ…ノックアウトです!!そして闘志みなぎる表情へのチェンジ、たまりません! 実はもう6回観ましたが、アクションの構図が凄い。これを観た後、他映画が霞む勢いです。香港映画でも怪我をすると撮影がストップするので、アクションスターも吹き替えを使っているとスタントマンさんの本で読んだことがあります。そうなるとヤラレ役の顔アップや手だけ編集、手持ちカメラの過剰な揺らし、人物がボンヤリとか…などあるのですが、本作はトニーが全部自分でモロにやってるのがわかる構図で、その迫力たるや凄いものありました。さらにスクリーンからは彼ら(スタントマンの方々含む)の努力や命がけの根性や真剣さ・痛さなどがビシビシと伝わってくるようでした。ジョージ役の人もとても頑張ってます。タイの素顔も興味深く、バンコクの混沌としたカオス的なエネルギーを隅々まで濃く映しだしているかとおもうと、路地裏の質素な祭壇の灯りや、寺院の敬虔な煌びやかさなども丁寧に描き出す姿勢に、技術うんぬんではない、なりより作り手の心がこもっていることに惹かれるのでした。孤児・闇賭博・借金・麻薬・干ばつ…構想20年の脚本、監督かなり真面目な人かと思い、トニー・ジャーが豪快だけではなく、静謐な清き存在感となったのも、この監督・スタッフの方々だからこそなのだろうと思いました。■■■トニーはジャッキー・チェンのように新作ごとに荒技にチャレンジしていくのかな。建物から建物への飛び移りとか、竹で組んだ足場を登ってゆくのとか、ありそうだぁ…、いや、見たい。インタビューに「内出血や失神は日常茶飯事」(!)とあり、怪我は心配だけど…今後の活躍楽しみです。トニー・ジャー、唯一無二です。次作(象つかいの役らしく)期待しています!
10点(2004-08-10 19:17:59)
2.  インディアン・ランナー 《ネタバレ》 
インディアンは鹿の「鋭敏さ」を尊び譲り受けた。インディアンランナーは森の叡智を授かりし使者だろうか。弟フランクの前に現れる使者は「伝達のイメージ」であり、フランク自身が「使者」として描かれている気がした。その伝達で彼は両親の死を先に知り、怖れから会うことも出来ず、凄まじい哀しみの姿から親への深い愛が伝わってきてとても痛々しい。父の自殺は兄弟の絆を戻す望みにみえた(知り得た弟は嘆き自分を責めてボロボロになってしまう)純粋性ゆえに内面の狂気の抑制力が効かず、衝動は暴力へと繋がってしまう。不器用に生きることしか出来ない。兄の愛も純粋で直球だ。愛は重いのだろうか。無意識に弟を追い詰めたかもしれない。バーでの弟の論理や「不条理への怒りと悔しさ」は通じなく、正しい良き人生のお手本のような兄に対する激しい劣等感と、兄の優しさへ応えられない自分の不甲斐無さへの罪悪感で絶望の淵に墜ちてしまった気がしてならない会話だった。無邪気な子供の頃に戻れない。愛が人を傷つけ、狂気が人を癒す…。子供の誕生が近いことを知り重圧が恐怖に変わり凶行へ走る。「俺は正しい」という誇りを見せながらも兄を慕っている血まみれで憐れな弟の顔…兄は弟を放っておけるわけがなかった。逃亡する弟に生命の誕生が伝わった。男の子だった。その瞬間の弟の表情に後戻り出来ない無念さと後悔が滲んでいて切ない。逃げる結末しかない弟を静かに見送る兄の愛。子供の頃の2人に戻れた。最後にフランク(使者)はメッセージ(子供)を残したのだろう。本物の出産シーンだった。生命から生命が産まれる素晴らしい神々しさ。フランクの赤ん坊は母の慈愛に包まれていた。この世には愛がある。「人生はいいものだ」弟への、私たちへの希望の、あるいは救いの言葉だった。社会・街・人の映像描写の濃密なドラマは全てが繋がっていて感動を覚えた。インディアンへの敬愛…映像美に現れるその精神。狂気さえ炙り出す内面心理へのごまかしのない眼差し。家族への想いと兄弟愛。Janis Joplinに、ほとばしる熱い情熱と力強さに心が震えた。狂気と愛情が同じラインで急展開する破天荒な表現力は衝撃的だった。胸が苦しくなるような鑑賞後のやるせなさ…。ショーン・ペンは感情の全てを激しくこの作品に叩きつけた!インディアンランナー=時空を超えたメッセージ。この映画に巡り会えて本当に良かった!
10点(2004-06-12 01:42:03)(良:1票)
3.  欲望の翼 《ネタバレ》 
飛び続ける鳥というと私は宮沢賢治の「よだかの星」を思い出す。何かを求めて移ろう姿には孤独と一抹の不安、悲壮感が漂う。「よだか」はきれいな星になりたかった。飛び続ける脚のない鳥の求めていたものはなんだろう。「愛?」「死?」満たされない心が欲しがっていたものはなんだろう。得体のしれない焦燥感で行動を駆立てられ、寂しさを愛で満たすしかない青春もあるだろう。この映画は言葉では表現しきれない、その常に満たされることのない心の疼き、それゆえに何が欠けているのか理由もわからず苦しまなければならない「感情」というものを映像で表現している作品だと思う。ヨディは自由奔放だが魅力的だ。複雑な環境を生きた人間の眼が、独特の哀しい翳りの震えと優しさを持つ事を知る。望まれこの世に生を受けた記憶のない不確かさからか、音信不通の実母へ拘り、自分を愛する養母を苦しめる。そんなヨディに恋した女2人と、その2人の女に恋した男2人。心ここにあらず、離れゆくものを追う気持ちがあり、だからこそ惹かれゆく男女の一方通行の想いが、交わされない視線、微妙な距離感の会話の中、香港の街に交錯する。「MY SHAWL」が胸を締め付ける。ヨディは母に会うことを拒まれ、運命は彼を破滅の道へと誘い出す。フィリピンの列車の座席にもたれ逝ったヨディの朝日を浴びて輝く瞳は空を見つめていたのか。ヨディはまだ飛んでいなかったのかもしれない。たった今空に向かって飛び立ったようにみえた。この映画が王家衛の精神世界だとすると、彼はヨディに生まれ変わって飛び立って欲しかったという願い・結末を用意したのかもしれない。王家衛の映画にはいつも満たされない想いが波打っているけど、濃密な人との触合いの時間や旅などの移動から、微かな希望を最後に灯す。それは魂を包みこむような優しさと光の余韻を画面にうむのだ。誰もが孤独だし、恋をして辛い思いをして傷ついてもいる、だからおもいっきり涙を流してもいいんだよってこの映画はそっと囁いている。死ぬ前にヨディはスーとの1分間を「永遠に覚えている(直訳)」と言った。人には大切に心に刻みたい瞬間がある。時間は永久に過ぎ去ってゆくものだから。1960年香港に王家衛は特別な思い入れがあったのかもしれない。香港の青春スターたちの生の瞬間そのままを滲ませた映像は本物の人間ドラマをみせ、映画として美しく永遠に記憶されたかのようだ。
[映画館(字幕)] 10点(2004-06-01 00:19:40)(良:1票)
4.  ミスティック・リバー 《ネタバレ》 
ショーン・ペンがこの作品に「敬意」を表してアカデミー賞授賞式に出席していたので(絶対に出席しないポリシーが格好いい~と思っていたからちょっとショックで)、彼が惚れ込む話ならばと、近くの映画館で上映されていたのでもう一度観てみました。一回目鑑賞の時は「前から来る運命(試練)に対して人は道を選択するものだと思うし、時には後悔したり、破滅への道や狂気の選択もあるけど、結果滲み出る人間性を観たかった」って違和感バリバリの私なのでしたが、二回目鑑賞で考えが変わりました(汗) ポイントは「デイブは犯人じゃない」という視点の切り替え。で、なにが見えたかというと運命の群像劇でした。「人は道を選択するもの」とか、「あの時ああしていれば・・・」といくら過去を後悔したり、思い出してみても現実は変わらず。運命は1人で創りあげているのではなく、多くの事象が絡み合い、自分の知らないところでもどんどん人に影響をあたえ、あたえられ、気がついたら「こうなっていた」という物語の提示だったのです。どこも否定できない圧倒的な説得力を感じました。人間性や良心を描くというより「他人の性分・行動は変わらない」ことに冷静に感情をはさみこまず焦点をあてていました。デイブ自身のトラウマや挙動不審な行動がうむ誤解の数々さえ数奇な運命の要素だという恐ろしさの提示。ジミーの人生の過去も変えられない。デイブが闇に葬られた後で「あの溝が…」「3人とも車に乗ってたら・・・」「ジミーさえいなけりゃ」「ショーン、犯人逮捕遅いぜ」と考えたところで何になる?という現状。ラストのマーシャを見た時、悲劇を背負ってしまった姿に胸が締め付けられるように苦しく哀しく、人が流されている「運命」を心底怖ろしく思いました。この作品は普段意識する事のない、あるいは無意識の存在の「運命」という眼に見えないものの「姿」を見せたのではないでしょうか。クリント・イーストウッドの驚くべき手腕をみた思いがします。■この街に住んでいるかのような丁寧な映像と音の臨場感、光の美しさ!役者の演技も素晴らしく、特にラスト近くのジミー【ショーン・ペン】が間違って殺したことを知った時の闇に墜ちていった表情(ショーン【ケビン・ベーコン】に悟られないようにしつつ)がとても印象に残りました。
10点(2004-04-02 23:45:15)(良:1票)
5.  ブレードランナー 《ネタバレ》 
独特の世界観と美しさに彩られた作品でした。ダリルハンナの壊れた人形のような不気味な死が印象的で、レプリカントの恐ろしく、残酷な殺されかたは辛かった。人間の死と同じで、生きたいと思う気持ちも同じだった。白いハトが飛び、思い出と共にひとつの命の灯が消えたあと、「限り有る命を与えられたのは人間も同じ」生きていることの尊さと輝きをかみしめました。
10点(2003-11-23 22:39:39)
6.  WATARIDORI
鳥だけを映し続けて、音楽とわずかなナレーションだけで感性にダイレクトに訴えかけてくる気がしました。至近距離から鳥たちを撮影し余分なストーリーを一切排除した、その映像作品に清いものを感じないだろうか。私はもしかすると本能だけで観たのかもしれないです。それは、そのテーマはシンプルなのに、なぜかたまらなく心が大きく揺さぶられ涙が溢れ続けたからです。古代の人々が鳥を崇拝し、多くの幻想の動物に翼を与えた憧れの翼。その翼をこの映画は与えてくれたかのよう。鳥たちのなんと神々しく壮大で地球を感じさせる視界。飛行中の鳥のお腹のアップが背後から映しだされ、カメラは上に移動すると、信じられないほどの高度を飛んでおり、地上ははるかに下。生身の生き物が飛んでいる。鳥の造型・色彩、地球の大地とのハーモニー、人間科学では到底作り出すことのできない完璧なまでの自然美に圧倒されました。しかし甘口の映画ではなく、いやが上でも動物の宿命(変化をもとめ遺伝子を残す)を感じさせられました。最初のナレーションで渡りの目的は「生きぬくこと」と言う。羽を動かすのは本当に大変そうでした。疲れたから途中で休んで羽ばたきを止めたら生き残れないような厳しさが溢れていて過酷。生きぬく先にはたとえ終わりがあっても、今を精一杯飛びまっすぐ生きるという姿、実に身につまされる思いがしました。チェロの音色と共に哀しみに包まれながらも、画面いっぱいに溢れる生命の喜びには素晴らしさを感じずにはいられませんでした。
10点(2003-11-09 22:17:00)(良:1票)
7.  バタフライ・エフェクト/劇場公開版 《ネタバレ》 
ふと私は日記を書くのが嫌いな事を思いだした。懐かしい思い出が残り、気持ちが整理され今後に活かせる点も多いだろう。しかし残すより、忘れたいことも多い。これは私の弱さでもある。そういえばエヴァンは辛い過去を忘れたかったのではないのか。彼は「君を迎えに行く」気持ちさえも過ぎ去った思い出にしていた。しかし日記を読むことで欠けている記憶を取り戻したくなった。それは「現実のようだった」不思議な体験がきっかけだが、日記というのは、過去に生きるようにさせてしまうのではないか。結果ケイリーの忘れたかった過去を蘇らせ死に追いやってしまう。幼いころ、ケイリーは置き去りにされたような暗い眼でエヴァンを見送った。傷つくことを恐れ彼女もここでエヴァン(過去)を捨てたのかもしれない。エヴァンは「君を迎えにいく」のメモ書きを同じ暗い眼でケイリーのお墓に捨てている。彼女が捨てた思い出を、まだ自分は大切に持っていた過ちに気づいて捨てたかのような哀しい場面だった。しかし後悔は消えず、過去を変えてしまう。ケイリーへの想いを幼い頃のように純粋に持てたものの、消したはずの「怨嫌」の感情が誤算を発生させてしまう。またやり直しても友達の「怨根」が悲劇を招く。その原因の欠けた記憶、それをエヴァンはとうとう思い出してしまうのだ。誰もが持っているはずの過去というものは、いくら後悔してもそれ自体を変えることは出来ない。それがまず怖ろしい。そして過去というのは非常に捨てるのが難しい。忘れたくても刻んでしまうのだ。誰かを怨んでいないだろうか、後悔していないだろうか、辛かった心のキズはいまだ傷んでいないだろうか。それが今の自分を滅ぼすことになりかねないかもしれない。過去ときちんと向き合うことは大切だ。しかし決して変える事のできないそれに囚われすぎるとどうなるのか、この映画の怖さはとてもリアルなものだった。冒頭の脳のCT映像に重なる蝶の羽ばたきは記憶ではないだろうか。記憶の書き換えでボロボロに血を流すエヴァンは惨めだった。希望を持ちたくても、日頃心の奥底に隠してあるはずの過去を浮上させては、現状にやりきれない思いを抱えてしまうのは実際情けない。「過去を変えたい」エヴァンの有りようは、そんな人の弱さを実直に肯定しているような気がした。エヴァンは日記を捨てた。その心の傷みはこちらに十分に伝わってきた。とても良い映画だった。
[映画館(字幕)] 9点(2005-06-11 01:23:49)(良:1票)
8.  ハウルの動く城 《ネタバレ》 
霧がかかり、スっとその姿が現れる。霧が晴れるように、心の曇りがとれた時、近くにあったものが新しい世界となり扉がひらかれる。画面から「生きている」躍動感が伝わってきました。監督の集大成ですね。城にオコゼのヒレや鶏足の様な物がついていたり、エビの尻尾みたいな玄関に不気味な卵状の付属物。戦闘機の爆弾はゲンゴロウの卵みたいだったし、サリマンの手下は羽アリみたいだった。こういうのが好きなんで「いいぞ、いいぞ、気持ち悪いぞ!」(笑)とワクワクしました。どうみても戦闘機と城が生き生きしているし、雲の色までが情感を持っているかのような細かさで風の描写だって生き物のよう。それら自然の魂あるものたちへの愛着でアニメに命を吹きこむのが宮崎監督ならではの個性と思え、私は子供の頃の想い出とかぶっちゃって絵だけで楽しめてしまうのです。そして「生きている素晴らしさ」っていう実感がソフィーが野や山や湖を観て感動する場面の丁寧さに溢れていました。歳をとることは変わることであり、本来持っていた力がきっかけによって出るというリアルさも良いです。ソフィーは自分の判断により行動して物語が力強く進んでいくことに爽快感がありました。ハウルの魔法で装飾したお花畑は少年時代の水車小屋で過ごした寂しさと愛されたい気持ちの想いが詰まっていました。ソフィー自身も欲していたものは愛されたいことであり、孤独の声が聞こえたのかもしれません。共鳴ですね。だから心の奥底〔本質〕を見ることができ、強大な力に魅了されコントロール出来なくなり心を失いかけ破壊へ向かったハウルを救えたのだと思います。マルクルもカルシファーもヒンもカブも魔女もみんなソフィーのもつやさしさと強さのもとに引き寄せられました。子供の心と寂しさと喪失感が、愛やあたたかい家族を求める(時には戦う)、そんなせつない精神がベースになっているからこそ、愛情が心を救い救われるという願いのこもった伽話風エンディングと理想郷になったお城に感慨深いものがありました。●ホームコメディみたいに結構台詞が可笑しいですね。ソフィーのばあちゃんネタやハウルのきざっぷり、特に「いい男ネェ~」「カルちゃん~(アドリブかい?)」と言う荒地のばあちゃんの後半の変貌ぶりが愉快でした。とっても楽しみました。
9点(2005-01-23 01:55:27)
9.  キル・ビル Vol.2 《ネタバレ》 
「傷み」の映画だなと思いました。vol.1は刀で切る「痛そう」な感覚が満載でしたが、vol.2はよりリアルな傷みを追求して時間をかけてみせていました。殴られ、胸を撃たれ、脅され、生き埋めにされ(これはリアルな恐怖の追及でした)パイ・メイに腕をねじ上げられ、血が滲むまで板に手を打ち続けるヒロインの姿。体をキズつけられる「傷み」を観ていると、恋情の切ない「傷み」も、心で感じる痛みとしては同質かもしれないと気付き驚きました。この全編を満たす「傷み」効果でブライドの子供を失った壮絶な哀しみや愛さえもタラ流に表現しているような気がしてきたのです。復讐自体もとても痛々しいものに感じました。ビルとブライドの会話ですが、「名前を替えても本質は同じだよ」の話は、ビルの「ブライドを真に理解しているのは俺だけだ」という愛の告白に感じました。四歳の娘が金魚によって生死を学んだ話は、「娘はいずれ死がわかるようになる。俺を殺すなら、今しかない。さあヤレッ!」というビルの愛を感じました。(「ポネット」という作品の監督が子供は5歳になると死を合理的に考えられるようになると言っていたのでそう思いました)彼女の愛を失った彼にとってその手で殺してもらうことが究極の愛の形なのだと思いました。そして殺し屋の罪を拭う為に試練をビルはブライドに与え続け、それも愛だったのかもしれない。(これがタラのラブとは!)最後に奪うものは彼の心臓(心)でした。安楽死のような必殺技をビルに使ったのもやはり愛でしょうか。ブライドの壮絶な苦痛の果てに得た最高の幸せ「子供」。幸せそうな彼女の顔は子供は何をおいても大切なものという母の強さや愛・精神を表しているのかもしれません。「ありがとう」の言葉、ビル(タラ)の愛をブライドは受け取ったようですね。ところでいろんな映画のオマージュが詰まった本作、今まで観た映画のシーンを思い出す楽しみはタラの手を離れ、すでに委ねられた観客の映画好き人生そのもの。vol.1さえ既にこのvol.2を楽しむベースの1本になってる気がしています。前後編それぞれのテイスト楽しもうよ!っていう破天荒な監督タラの笑い声が聞こえてくる気がするのです。
9点(2004-05-14 00:16:03)(良:1票)
10.  六月の蛇
雨の降リ続ける街、湿度のある暖かい美しいトーンの映像。雨に打たれるアジサイとかたつむり。水に打たれるほど色鮮やかに活き活きするアジサイの花はこの映画を象徴するようだった。りん子に語り掛ける飴口道郎の「自分のやりたいことをやりましょうよ」はこちらをも巻き込む言葉かもしれない。日常、表面の顔を少なからず演じている自分というものがあり、本当の自分は隠しているものかもしれない。そんな心を解放していく誘惑の言葉たちに驚愕した。そしてどれほど、本心というものから眼を逸らしながら日常を暮らしているのかが、自分の問題として心を揺さぶり続けた。雨に打たれながら心を解放したりん子のエネルギーと激しさに圧倒され、その後のりん子の透明感と輝く美しさ、そしてなんとも言えない母性を感じさせる優しい表情に、号泣してしまった。凄い…この一言しか出ない作品。
[映画館(字幕)] 9点(2004-04-03 01:49:24)(良:1票)
11.  シン・レッド・ライン
一見「戦争アクションもの」で「有名ハリウッドスター多数出演」とくれば「自然描写ばかりのストーリーのない眠たい映画」となるのも無理はありません。が、人によって駄作ではなく、むしろ類をみない「傑作」になりうるかもしれません。極めて作家性が強く、詩的で哲学を含んだ作品ともなれば、理屈や理解ではない『わかるような気がする』部分があるかどうかなのです。この作品の驚くべきところは「戦争の恐ろしさは自分が死んでこの世から消滅することに尽きる」、つまり自分が作品中死ぬような感覚に陥るように見せているところなのです。「このシーンはどう思う?」「今この兵士の感覚は?」「なぜ戦ってる?」「死んだら自我はどうなる?」「あなたの中にも闇が?」と普遍のテーマについてテレンス・マリックがずっと問いかけてくるようでした。なにもこちらに押し付けてこない。でも答えがないから、深く考えざる得ない。考えることが面白い。もしかすると、この映画、鑑賞者の思考が真の主人公ではないかと思うのです。その為の饒舌な美しい映像と音楽、謎の独白なのです。型破りな映画、それがマリックが天才と呼ばれるゆえんなのかもしれないと思いました。テレンス・マリック監督作品にちょい役でも出演したかった役者たちの誇り、格好良いです。(ショーン・ペンはこの映画の道先案内人のような風格がありました。)さて、この映画でニック・ノルティとジョージ・クルーニー演じる兵士がとても滑稽に見えました。これってハリウッドの一部の戦争映画の本質を突いている気がします。(2人の役者に拍手を贈りたいです)
9点(2003-12-10 23:17:50)(良:2票)
12.  息子の部屋 《ネタバレ》 
棺桶に杭が打ち込まれるアップの映像を見た瞬間、自分の心に打ち込まれたようだった。死んだ…紛れもない事実の残酷さがこのシーンにはある。何度も後悔する父親。父親は「あの時、いっしょにランニングしていれば」と思い、さらに息子とランニングしている妄想にまで発展させていた。人は極限の哀しみを直視できないと思う。自分の心の中の本当の答えを知るのは怖い。父親の悲しみが私の痛みとして伝わってきた。亡くなってしまったものを心の中で過去を現在として反芻して想う。それを現実逃避と簡単に言ってしまうことなんて絶対に出来ない。ひとつひとつ丁寧に描かれていく。自分の感情が映画の中に溶け込んでゆく。おそらく人それぞれの心に映し出された「息子の部屋」という作品があるに違いない。息子のガールフレンドだった子には新しい彼氏がいるらしかった。私は、はっとした。彼女には「亡くなった息子(彼氏)」は時間的な過去となり、旅の途中の彼女には時間的な未来があった。その時、私は現実を間のあたりにした。そう、自分の心の中の真実、失ったものを目を逸らさず見た。そしてなにか感情が少しだけ変化した。止まった時間が動き出すかのように。ラストの浜辺のシーンで前に一歩進めた瞬間が訪れたのだ。本当に映画って不思議だ。こんな語り方もあるのだ。ひととき旅を共にしたこの家族の心にもなにか変化があることを掴めた。控えめだがなんとなくわかる空気間が絶妙の素晴らしいラストだった。3人三様に歩いてゆく浜辺のシーンにはそれぞれの未来が見えた。哀しみはずっと消えない。でも日常はすぎゆく。音楽が心に染みる静かなラストに、この映画のもつやさしい眼差しを感じた。
9点(2003-11-23 22:10:24)(良:1票)
13.  宇宙戦争(2005) 《ネタバレ》 
何かわからないから怖い、ひたひたと迫る前触れがじわりとイヤーな予感を増幅させる肌感覚の恐怖。驚かせるんじゃなくて、恐怖心を引き出してるんですね。明日にでも現実になるかもしれない転変地異や事故やパニックの怖さを存分に味わえました。シャレならん描写の数々、この映画がトラウマになりそうです(笑)強烈だったのは、服の破片がひらひらと落ちてくるシーンで、9.11テロでビルから沢山落ちてきた何かを連想させて、リアル感(多分こちらの想像を喚起するイメージだったため)で胸が苦しくなりました。ところで私は原作もオリジナル作も知らないので、後半へ向かっての展開が実に新鮮でした。人類に警告どころか人類無視で落ちたラストは痛快でした。いや、突き放したようでいて、人間も細菌と共存したり敵対しながら命の連鎖で生きてきた地球生物だというスケールのデカサを感じるラストはスピルバーグも変えようがないですね。いざという時は頼りになる軍隊に無力感が漂って、最後戦う意思のない敵を相手の勝利はやたら皮肉めいていました(鳥とトムだけわかってるという皮肉もあり)。未知なる危険物体だけでなく、息子やティム・ロビンスとの意見の相違が非常にやっかい且つ娘の命を脅かす危険極まりないものであるという、苦々しさやあせりをトムと共に味わってしまいました。こういう思想や復讐心は変えがたく、大切な息子の説得に失敗するわ、一方は始末するわと、なんともオソロシイ展開です。息子を制止できなかった時のトムの呆然とした表情が物語っています。ダコちゃんへの想いはトムが心の傷になるものを見せない配慮や、捕獲されそうになる時ダコちゃんの上に怯まず覆い被さっていることで強く感じました。ダコちゃんは父親の想いを体感でしっかり受け取ったはず。相互理解できないものは理解できないまま、知らないものは知らないまま、愛情をわざと感動話にはさせないでホロ苦く父親は立ち尽くすのみ、戦いにカタルシルを求めない、などの現時点の監督の「らしさ」が盛りだくさんに伝わる作風だったからこその面白さを満喫できました。想像を絶するような造型の宇宙生物が登場するのかと思いきや、海洋生物みたいな見た事のある面々やパーツに笑ってしまいました。妙に可愛い宇宙人の哀れな最後なんて「大好きな宇宙人だけど、今回敵側にしちゃってごめんねっ~」って感じがでていました。いいぞ、スピルバーグ。
[映画館(字幕)] 8点(2005-07-17 00:45:15)(良:2票)
14.  Mr.インクレディブル 《ネタバレ》 
すんごいリアル~。夫婦間の空気の重さとか、スーパーパワー封印のお父さんの哀愁ぶりとか笑える笑える。夫人の伸びる手で夫を家庭内でうまく操る(?)柔軟性はセクシー&リアル。音楽も格好いい!。ところでトラブルの発端はシンドローム本人も言ってた「傷ついた」ってことかな。さあ、どう落とし所があるのか楽しみにしてたんだけど、ベイビーの変身に笑っている隙に訪れた、あの結末に「んな、あほな~!」と心で叫んでしまいました。確かに憧れが皮肉な結果をもたらすマントネタもアリだけど、ミスター・インクレディブルの過去の対処(今は後悔)で発生した、ちょっと気の毒な「屈折心理」が本作のいちおうの相手であり、この難問題どう解決するのかと全然関係なく、うやむやに爆発消滅してしまった感の呆気なさにやや脱力。家族でスーパーパワー発散ですっきりっていうのはいかがなものかと。私的には、「シンドロームは世界のどこかに今だ潜んでいて、心の傷は深ーく、屈折した感情はいつまでもつきまとうぞっ、どっちがヒーローだか、どっちが悪いんだかっ」ていう、毒ありシニカル風味の後味が、はまるのではないかと期待してたんですよ~。あーでもそれは贅沢な欲だろうか・・・だって凄く面白かったしね。
8点(2005-01-27 21:24:00)(良:2票)
15.  2046 《ネタバレ》 
トニーってば、ストーリー枠から飛び出して不審な怪しい奴に…いやっ懐かしそうな眼で2047号室から隣を覗き見てた。これって秘密を囁く穴や部屋、小説の近未来世界にしろ、主人公トニー・レオン(ウォン・カーウァイの分身)の思い出の集積場みたいだし、私にはカーウァイの過去作品が蘇ってくる装置となってしまった。というのはレスリー・チャンの存在が大きかった。ミミが涙を流すシーンやレスリー似のチャン・チェンの登場があったり。ミミがきっかけの「2046」号室は「欲望の翼」の記憶が存在したり。それはトニーがヨディとミミのような関係をチャン・ツィイーを相手に演じ、フェイが「花様年華」のスー(「欲望の翼」のスーもマギーが演じてる)を彷彿させたり。トニーがタクシーで憂うシーンは「ブエノスアイレス」とも似ていて、これらのシーンの数々に、うわっオマージュに違いない、「これはレスリーの為の映画」と勝手に解釈しました。コン・リーの黒い衣装や捨てられない過去(黒い手袋)、ミミの黒手袋さえもそこに繋がる、妄想炸裂ですみません(笑)レスリーが亡くなった年、中断していた撮影が突然再開(2003年10月上海にて)したのも不思議な流れを感じます。「永遠に戻ってこない。でもここ(2046)では生きている。ここは「変わらない」から。ルルが希望をもって追い求めている、「2047」に向かうトレインに乗っている。記憶は永遠なんだ。」と暗にいや、大胆にメッセージしている気がしました。それはこの映画のテーマと重なっているんですね。トニー・レオンは相手の女性ごとに変わる心情が繊細で、ホント見事!!実は…確かに前半は冗長に感じました。特にミステリートレインのパート、同じ台詞を2人で繰り返すのは必要ないと思えたし、2人の空気が違いすぎてトニーが心情を投影しているように見えない。この違和感、日本企業社員とフェイの恋が本物っぽくみえないってのも原因としてある。だからもっと短い方が良かった。でも後半は本来のキレが戻りホッとしました。レスリーの影が見え隠れするこの作品は強烈にせつなかった。嬉しかった。でも私は新境地の作品が見たかったなぁ~。レスリーは素晴らしい俳優だったけど…そうじゃないとトニーがもったいないよ。でもこれできちんと終わった感もあるし、監督の数ある過去の傑作を次作は超えると信じています。ああっ思い出ってせつないもんなんだな~。
8点(2004-11-17 00:52:07)(良:1票)
16.  ハリー・ポッターとアズカバンの囚人 《ネタバレ》 
情報の多い構図と臨場感たっぷりのその場に立つような場面、感覚に訴えかける映像盛り沢山、映画に期待するものが詰まっている「ハリー・ポッター」に出会えるなんて嬉しかったです。恐怖感(と、好奇心からくるワクワク感)はハリー・ポッター世界を壊さないさじ加減とユーモアを含み秀逸。ダーズリー家の食卓を横から撮った場面では、彼らの太りすぎがコワ~と感じ、ドアップのハト時計が遊び心いっぱい、怒るハリーの狂気(?)がおばさんを風船化、顛末が妙に怖かったり。また夜、街灯の点滅から不吉な空気感が漂い、公園のブランコが揺れ「風のせい?・・・ありえるかも」後、シーソーが動きだし「ん?ありえない・・・」とゾッとくる具合に展開するなど、日常で身に覚えのある凍りつくような感覚までも喚起されました。怖がってるのを撮すのが目的じゃなくて、怖い事象を撮してるぞっという表現が、ハリーの等身大の少年としての心細さや戸惑い、「怖さ」との葛藤と克服の物語としてこちらに伝わってくるようでした。ハリーを見守る大人たち、ルービン先生やシリウスとの会話による場面はあたたかく、大人たちはさりげなくハリーの目線の高さに。ハリーの心の中に両親はいる・・・と映画は声高に主張はしてないけど、シリウスにみせた彼の表情は少しだけ、大人びて逞しくなり、ハーマイオニーやロンのハリーへ心遣いの繊細さなどもみられ、子供たち(演じる子供の内面の「彼ららしさ」も含まれているのかも。)の「成長」を観ることが、本作の楽しみでもありました。■思わぬ見所が・・・おおっ、ロンの兄さんたちハンサムなのでは!(今ごろ気付く) ヒッポグリフのご褒美飛翔が愉快爽快!飛んで去っていった、シリウス&ヒッポがその後どうなったのか、番外編があれば観たいもんです(うーん、後日談、羽とほうきとは・・・微笑ましい) 
8点(2004-07-22 22:38:34)
17.  オーシャン・オブ・ファイヤー 《ネタバレ》 
まず観る前の心構え…「呪われた砂漠」「伝説の経典」は忘れたいところだ。さらに「オーシャン・オブ・ファイヤー」のタイトルも忘れましょう(笑)確かに熱い映画だけどね。自然・馬・人の一体感のあるアクションの何とも言えん躍動感が素晴らしい。アラブ人を美しく撮り「聖なる動物」と「馬の民たち」を伝えるのもとても上手い。またタルい動物感動作でもない。なんというか神からの賜りもののスタンスだ。丁度イナゴと同じなんだと思う。そこには尊いものだという精神がある。全員が悪党のようでいてあまりそう見えないのは馬好き野郎が巻き起こす一大騒動になっているからだ。フランクとてヒーローとは程遠く(むしろダサくてボロボロ)必死に馬の為に仕返しをする姿は一途だ。シークが奪われてあせるお宝は「世界征服の為の秘宝」ではなく「アラブ馬5大系統本」だったりしてちょっと笑えた。レースは馬に過酷だよって思っていた私だが、実は馬好き達は多くの時間を馬を慈しみ優しく可愛がっていることを知った。ウエスタン・ショーの原住民の扱いを見つめるフランクの眼の哀しさは自分を隠すしかない辛さと偏見の存在がよくわかるシーンだ。「人は平等ではない」と言ってしまうのも凄いが、「本当の自分を見る」という場面も筋の通った脚本を感じさせた。フランクは母を否定しているようにみえた。その理由をフランク自身から語られることはなかったけど、(たとえ映画だって)言いたくないこともあるんだ…という表現だと思う。蜃気楼とも幻覚ともつかない母の姿を見たフランクが何を思ったのか。それを私たちは感じるしかない。異文化であったり、民族が違ってもお互い理解して友になれるというのはオマーの存在感ならではの説得力だった。ラスト、フランクがヒダルゴに無言で(心の声を想像)「ありがとう…ヒダルゴ、おまえも自分のあるべき所へ戻れ、さあ行け!」(ヒダルゴの心を想像→)「俺の役目は終わったな…あばよ兄弟!」と見送るシーンは感慨深い。ちょっぴり哀愁ある後味、これが昨今の「ハリウッドアクション大作」とは何か違うものなんだろうな。今残像として思い出すのはヒダルゴのほっぺた。それを優しく撫でる手…ゴール後、海岸でヒダルゴの体に頬をよせるフランク…この古き良きハリウッドテイストが今の時代、個性的に見えるってのも不思議だけど、この余韻いいもんだ。
8点(2004-04-28 21:44:12)(良:1票)
18.  SWEET SIXTEEN
主人公の少年のやさしいもろい心が切なく哀しすぎた。大人しい語り口だがぐんぐん引き込まれる脚本だ。母親は子供に悲しい思いをさせてはいけない…と心底思う。しかし自分の性分に抗えない愚かしいその姿もまた真の姿なんだと思う。どんな状況であろうと強く生きるしかないのがとても切ない。普段着の街並みと抑揚を抑えた話し方は演技とは思えないほどのリアルさだった。このリアルさもまた凄い作品だと思う。
8点(2003-11-20 23:09:12)
19.  キル・ビル Vol.1(日本版)
まず素直に面白かった(8点)自分にびっくりだ。今まで残虐シーンは観る事が出来なくて眼を閉じてしのぐ癖があったけど、これって閉じてたら観る場面がなくなってしまう!しかし慣れって恐いな…後半はスプラッターも笑えて面白くなってきた。東京に到着したあたりから、加速して面白くなってきた。タランティーノの日本は変…でも、こだわりの美意識はしっかりある。だから全然日本のイメージは悪くない。とっても好きなんだね~。自分も「おもしろい」って思いながら作って、観てる人も楽しませたいっていう心意気も多いに感じる。こんだけ弾けた映画ってそうそうない。観終わった後、不思議な高揚感に包まれて幸せな気分だった。ところでクンフー映画のヒーロー(この場合ヒロイン)は、街の平和を守るためとかの大儀名分がなく、個人的な対立による理由で戦い、強いものが勝者になるのでヒーローは誰よりも強くないといけない、というのを香港スターの本で読んだことがあります。本作は正にクンフー映画の造りなんだなぁと感心しました。GOGO夕張は大好きなキャラ。なんてクール!!そして戦うルーシーの横顔は雪に映えて綺麗だった。ユマはさすが存在感があって美しかった!
8点(2003-11-20 22:23:46)
20.  インファナル・アフェア 《ネタバレ》 
大好きな香港映画・トニーレオンの大ファンゆえ、あえて辛口の意見を言います。面白かったのですが、期待ほどでもなかったのです。それは見せ方です。格好良くみせるセンスとか音楽センスとか物足りませんでした。若い時のキャストが全然似てないことをわかりやすく見せる必要があると思います。トニーの上司の亡くなり方の見せ方があまりにも変(その姿を何回も見せる趣味の悪さ)。そして回想シーンの入れ方はタイミング悪しです。肝心の決戦は重みがなく、エレベーターが閉まったり開いたりは他の映画で同じのを観たせいか、それとも開閉回数くどすぎで、トニーの最後にふさわしくなかったです。最も格好良くしないといけない「死に様」が格好悪い演出でした。トニー無念です。女性のシーンはテンポを悪くしてました。盛込みすぎず、不必要な部分を削ることも必要だと思います。これだけの脚本とキャストを揃えて監督が…実にもったいないです。 
7点(2003-11-03 18:49:07)(良:2票)
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