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プロフィール
コメント数 170
性別 男性
年齢 43歳
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1.  接吻 (2006)
トニー・スコットの「デジャヴ」や、この「接吻」が教えてくれるのは、画面の向こう側にいる人物に恋をするということが如何に命を賭けた行為であるか、という事であって、擬似的に過ぎない視線の取り交わしの埋め合わせに奔走するデンゼル・ワシントンや小池栄子の姿を見つめる我々観客はこう思う。「こいつ、頭おかしくね?」と。とはいえ、彼らの行動原理はいたってシンプルであり、こと「接吻」においてはそんなシンプルな行動原理のぶつかり合いが、過剰な、日常会話の枠には収められないようなセリフによって繰り広げられる。映画はやがて衝撃のラスト(という言葉が何の衝撃性も持ち得ない事を認識しつつ、それでもそうとしか言いようがなく、映画を言葉で伝達する事の徒労を感じる)を迎えるのだが・・・久々にたまげたよ。小池栄子が凄いのはいうまでもないが、「UNloved」でも凄かった仲村トオルの弁護士としての熱意がほとんど職権乱用状態だったり、篠田三郎と小池と仲村によって交わされるレストランでの会話の不気味さだったり、この映画では皆が皆一様にテンパっている。唯一、我々の生きる現実世界と交信(≒感情移入)が可能と思われるのが、一家皆殺しを実行したトヨエツというのも、おそろしい。
[映画館(邦画)] 10点(2008-07-29 18:38:13)
2.  石の微笑
ローラ・スメットという女優の魅力を、どのように表現すればいいのだろうか。抜群の美貌なりプロポーションを持っているわけではないが、薄い衣服を身につけ、鋭い眼光でブノワ・マジメル(彼女にだけでなく母親・姉妹・さらには仕事先の顧客である老婆にまで振り回されながらもおいしい所はちゃんともらってくその「ツヨシしっかりしなさい」のツヨシ的な姿立ち振る舞いがとにかく見事。まさにはまり役)に迫り、かと思えば突然姿を消しブノワ・マジメルを狂わせる。この速度の緩急がそのまま「石の微笑」全編を通じて感じる印象へとつながるのだが、というのもヒッチコックを彷彿とさせるこの官能的なサスペンスにおいて、舞台となるフランス郊外の日常生活にふと生じる亀裂は、不可解な行動を続けながら不可解な魅力を発散するローラ・スメットの存在そのものであり、この不安定性が映画をコントロールする事で、映画全編が綱渡りの綱の上に乗っかって揺れているかのような感覚を受け取るからである。そんな搖動によって導かれるラストの戦慄といったら!超おすすめ。
[映画館(字幕)] 10点(2007-09-14 21:01:55)
3.  デス・プルーフ in グラインドハウス 《ネタバレ》 
「いつまでグダグダ喋ってんだよ・・・こんな奴らさっさと轢き殺しちまえばいいのに・・・」、と思った訳ではないのだが、”Girls”の会話の退屈さは異常である。だがそれを演出の弛緩とは指摘できない居心地の悪さもあって(というのも、耐死仕様の黒い車が現れるタイミングといい、夜のバーに降りかかる大雨といい、ジュークボックスから流れる音楽といい上手く機能しており、そして何よりやがて死んでしまうあの女たちがやたらと良い)・・・とか考えてるうちに第2の女たちが登場しこいつらもツマラン話に興じるのかと思ってたらあれよあれよで物凄いカーチェイスが始まり女たちが復讐の鬼に変貌するや否やカート・ラッセルはヘタレに成り下がるわ彼の車もガンガンぶつけられるわでこれはたまらん、と思ってたらあのラストだから困ったもんです。ちなみに自慢じゃないけど(自慢だけど)、この映画はUSAバージョン(ロドリゲスの「プラネット・テラー」との2本立て+フェイク予告編)で見る事ができた。あまり映画を見れてなかったのと、深夜(1時~4時)の妙な高揚感のせいか、スタッフロールが流れている間ずっと震えていたのだが、「映画はやばい」という事を頭でなく身体が教えてくれた瞬間だった。
[映画館(字幕)] 10点(2007-09-06 20:29:00)(良:3票)
4.  青の稲妻
退屈、の一言。
[DVD(字幕)] 10点(2007-06-11 18:55:21)(良:1票)
5.  父親たちの星条旗
「ミスティック・リバー」を観た後の脱力感、とんでもないものを見せられた後の、どこに発散するべきか何と言い表せばいいのか分からない時に感じる無力さへの苛立ちが突き抜けて、ただその映画を「見た」という事実だけが残るという感覚。もしかしたら、見てすらいなかったのかもしれない。「ミリオンダラー・ベイビー」で徹底的に打ちのめされた時に味わった感覚とは何か違う、この何ともいえない感覚を「父親たちの星条旗」は持っているように思う。イーストウッドは多分、まったく新しい視点を発明したんじゃないのか。パンフで蓮實重彦が書いていた、有名性と無名性をめぐる関係の新たな形式、というのもあるだろうが、そんな簡単にすっぽりと収まるだろうか、少なくとも自分には納められない。「父親たちの星条旗」は現代映画への重過ぎる宿題だろう。
[映画館(字幕)] 10点(2006-11-04 22:47:57)(良:1票)
6.  鏡の女たち
学生時代に、吉田喜重の授業を受けた事がある。映画学校の授業とか講演会ではなく、普通の大学の、しかも理工学部の中にある一般教養の講義の1つで。その講義は半期で、さらに3人の教員が受け持っていた為、実際に吉田喜重が講義をやったのは3,4回ぐらいだった。映画には興味のない人間だったので吉田喜重なんて当然知らず、その講義の中心となったエイゼンシュテインのモンタージュ論もサッパリ。独特のファッションでボソボソと壇上でひっそり講義を進める吉田喜重はなんだかヤバそうなオッサンに見えた。そして多少強引だが、「鏡の女たち」はヤバイ。原爆を語る、その語り口の浅さがとにかく異様。それに対して語り主である女たちは、世界には女しか存在しないとでもいうかのように、女であることを主張する。吉田喜重は登場人物に原爆を語らせるが、画面上で主張されるのは、女は女であるという事。こっちから登場人物たちに感情移入することは多分ない。岡田茉莉子も一色紗英も田中好子も、既にデキ上がってる。映画としての完成度云々以前に、こういう映画が生まれてしまったことの異様さに寒気がする。面白い映画ではない。でも吉田喜重はヤバイ。
[地上波(邦画)] 10点(2006-10-06 23:13:50)
7.  アワーミュージック
2回見たが、むしろわからないこと(色んな事をやっているのはわかったが、なんでそれをやっているのかという事)が増えただけという感じ。パンフレットで絶賛されていた音響について集中して鑑賞してみたが、改めてびっくり。地獄編でのピアノの音と映像の関係は、あれは何だろう。映像が音に追従してる様だし、その反対ともいえる。あるいは印象的だった川のせせらぎの音もよく聞いてみると色んな音が加わっているように感じた。音を気にしすぎた結果、他の部分は川の流れと共にどこかへ行ってしまったが、こんなに心地良かった映画体験もなかなか無い。上映時間の短さも良い。ところで「ヒズ・ガール・フライデー」の切り返しショットをゴダールが説明する部分があったが、この二つの写真で組み合わされる切り返しは映画の中で一度も無いという情報を知り、実際に見てみたが「ヒズ・ガール・フライデー」が面白すぎて確認できなかった。
[映画館(字幕)] 10点(2005-11-11 00:15:21)
8.  ジェリー
ある「意図」を映画に放り込む、ということを先端まで突き詰めていくと結局こういう形になるんじゃないかと思う。それこそシネマスコープで撮ったということにも意味を感じてしまうぐらい。で、そこから「そういえば「エレファント」はスタンダードだったな」みたいな。こういう、どんな解釈も可能な、含みだらけ(実は何もないかもしれないという含みも入れて)の映画はあんまり好きじゃないが、この映画は、作った監督自体が可能性以上に不可能性をジェリーという同じ名前の人物に感じているみたいで、この作品に正面から付き合うには自分も「ジェリって」みるしかないな、という気分にさせる。感情移入じゃなくて自分を砂漠に置くという感じ。で、こういう感覚って映画館の中でないと生じにくいし、最初に書いたようにシネスコだからテレビだとめっちゃ画面が小さくなる。鑑賞という方法では多分死ぬほど退屈に違いない。真っ暗な映画館の中で、幾人かの観客と一緒にこの映画を共有する。そのことの重要性を想起させるだけでもこの映画は貴重な存在なのだが、この映画の配給会社(アメリカの)はつぶれたそうだ。で、日本でも実際に映画館で上映するにしてもどうせ大きいところではやんないから単館上映の小さな小屋で掛かるのがせいぜい(しかもレイトショー)。そりゃあ儲かんないだろうし、だからソフト化して回収できる分は、とか思ってるんだろうけど、これ、儲ける為の映画じゃないし。いやほんとに、環境映画のコーナーに置いてあげるべきだと思う。今度この映画が日本で上映されるのはガス・バン・サントが死んだ時かな・・・あーあ。まあ、「商売」としては完全に間違えた映画です。堪らなく良い映画だと思うんだけども。
[映画館(字幕)] 10点(2005-08-31 02:12:19)
9.  プラットホーム
「私たちはいつも何かを期待し、何かを探し求め、そしてどこかに落ち着き先を見つけるのです(ジャ・ジャンクー)」この映画をずっと共有できたら、と思った。しかし160分という短い時間の共有はスクリーンの向こうでは10年以上の時間だった。別に彼らは「映画のような」生き方をしたわけではない。中国の広大な国土と大自然は悠久の時の流れを思わせるが、人間の世の中はむしろ加速を続けていて、時代の大きな転換点のなかをタンポポの綿毛のように浮遊している彼らはそれでも確かにそこにいて・・・観た後に感じる茫漠とした圧倒的な感動でしばらく動けなかった。意識的に非生産的でいられる時期なんて若い時ぐらいしかなく、その間にも加速していく時間の中である者はそれにしがみつき、ある者は腰を落ち着ける。こういうことはどの時代でも起きていたのかもしれないが、この監督はその舞台を中国がどんどんと自由な国に向かおうとしている時代を選んだ。それが一番印象として現れてくるのは時が進むと共に変わっていく音楽だろう。題名の「プラットホーム」とは80年代を通して中国で大ヒットしたロック音楽で、こういった新しい音楽が古い音楽では伝えきれなくなった彼らの感情を、代弁者になり爆発させる。この映画は結構クサい場面が多い。かなり露骨に狙っている。でもそれがいい。さらに言えばこれが中国大陸をまたいだ青春映画でありそのスケールが素晴らしい。
[映画館(字幕)] 10点(2005-05-18 00:53:15)
10.  永遠<とわ>の語らい
「永遠の語らい」はその上映時間の約9割がヨーロッパ文明の賛美に費やしている。それが母と娘の対話でもあれば、知性ある熟女たち(なんだかいやらしいね)と船長マルコヴィッチとの多言語コミュニケーションの中でも繰り広げられる。最初の10分ぐらいの様子からして奇妙、ストーリー性はまったくゼロ、観客はひたすらに観光ガイドになりすました登場人物たちの説明に耳を傾ける。眠くなるのは当然だろうが、この映画に関しては眠るのがなんだか怖くて、つまり何かが起こることが前提になるような箇所が何気なくあらわれてくるのである。そして大抵は目を丸くするであろうラストは、そのラストが前提なのだとすれば9割を占めた会話は全部壮大な皮肉、ということになる。ってそんなことは見ればすぐわかるのだが、これだけ徹底的に説明風紀行がなされると、文明の衝突の構図が明確に見えてくる。そして、テロはもはや大昔から行われてきた戦争の文法では解くことが出来ない新たな破壊の形として浮き彫りになる。その意味で衝撃度は抜群にあるが、大きい音も静かに聞こえてしまうぐらいの静けさに独特の雰囲気をも感じた。なんにしても不思議な作品である。
[映画館(字幕)] 10点(2005-05-17 01:50:43)(良:2票)
11.  ミスティック・リバー
映画を見ていると自分が何を考えているのか分からなくなる時がある。「ドッグヴィル」ではあれほど高揚し自ら道徳の破壊を二コール・キッドマンに託したにもかかわらず、この映画におけるショーン・ペンの罪を川底へ沈めようとする姿勢には苛立ちを覚える。「スリーパーズ」でのラストのパーティーで、復讐の後のたった一瞬の安息に胸を下ろし「これでよかったんだ」と思いつつ、「ミスティックリバー」におけるパレードでの人間模様の重層にただ戸惑う。この映画には見えやすい形としての厳然な罰がない。もし私がこの映画の脚本をやったとすれば、ジミーに対し厳然たる罰を与えてしまうだろう。そうすれば人物達の悲劇が見せかけ上では、等価になる。しかしそれは映画を完結させるための逃避であり、多くの映画はそこで作品への誠実さを失う事になる。「ミスティック・リバー」はそういう見せかけの倫理の奴隷になることなく、運命のおもむくままに25年間変わらない場所でうごめいていた悲劇の胎動を、それこそ厳然とした態度で我々に見せつけた。そこに平等や等価はあるはずがないのだ。と書きつつも心の中では何も消化されていない。多分私はこの映画を全く理解していないのだろう。10点というのはイーストウッドの映画術に対してあげたものである。ここに書いたレビューだって所詮はイーストウッドという本格の周りをただうろついているに過ぎず、この映画に対しては否定も肯定もできない。ただ、一つ言えるのは終盤のシーン――ジミーとその妻が支配者云々を語り抱き合う――は前半のデイヴが犯した罪にたいして妻と語り合ったシーンと「弱さ」という点で酷似しているということ。そう考えるとこの映画は正義とか、アメリカの傲慢さという話とは全く無関係だと思うのだが・・・
[DVD(字幕)] 10点(2005-04-15 16:33:45)(良:4票)
12.  10話
キアロスタミはイランのオズといってもいいかもしれない。映画スタイルこそ全く違うものの、登場人物へのやさしいまなざしは非常によく似ている。誰もが平凡でつまらないと感じる視点を一瞬で非凡の領域に変えてしまうところも。舞台は車だけ。若いイランの女性が運転する車の中で、彼女を中心とした人間模様がタイトル通り10話に区切られて進行する。映画をつくる方法としては、おそらく中学生でも出来るぐらいにシンプルだ。だって車の中にカメラを据えているだけだから。しかし、「こういう風」に撮ることは誰にもできないことがすぐ分かる。なんというか、演技とかそういう次元を超えている。例えドキュメンタリーでもこういうのは絶対に撮れないだろう。この映画に働いている力は一体何なのだろう。というよりもこれが映画になってしまうのなら、この世に溢れる大枚をはたいた凡百の作品って一体何なの?映画には大量のカネがつきものだが、そのカネとは、映画そのものにつぎ込まれているわけではない。ていうか多分映画そのものには金はかけられない。映画を飾る雑多な要素をほとんどそぎ落として映画としての最小単位を求めた結果、本作は車の中だけでイランの生活そのものを表現するという離れ業を成し遂げられたのかもしれない。だからといって観る側はイランという国の特殊性にばかり目が向かうのではなく、むしろ誰もが抱える生活への不安とか人間関係の難しさを感じ取ることになる。喜劇でも悲劇でもない、ただひたすらに優しくて暖かいまなざしがそこにはある。
[映画館(字幕)] 10点(2005-04-11 10:28:18)
13.  ゴースト・オブ・マーズ
B'zって長い間「くだらねーバンドだなー」と思っていた。あいつらの曲は全部同じく聞こえるじゃん、という感じで。ところが、倉田真由美が何かのエッセイで、同じような曲を20年近く作り続けられる彼らのモチベーションには頭が上がらない、みたいなことを書いてて妙に納得してしまった。彼らの作曲が長年の惰性によるものだとしても20年は絶対に無理なわけで。普通なら気が狂うに違いない。そういえばジャン・コクトーの言葉で「私は人々がオリジナリティにこだわることが大嫌いなだけなのである。」というのがある。オリジナリティという惰性にすがらず、何十年もB級映画を撮り続けるこの人はちょっとカッコ良すぎる。カッコ良すぎるし映画も面白い。「やれやれだぜ」みたいな感じで二人並んで歩くラストシーンは余裕で想像できるのに、その絵から漂う雰囲気は想像を超えてたね。
[DVD(字幕)] 10点(2005-03-25 12:57:44)(良:1票)
14.  ヴァンダの部屋
舞台となるフォンタイーニャス地区というスラム街には①昔確かにあったはずの場所と、②今ここにある場所と、③次第に崩壊されつつある場所が明確にある。①は住む人々の記憶(あるいは音?)として、②はドラッグと貧困の果てしない反復として、③は着々と進行する街の破壊として。監督のペドロ・コスタはヴァンダの部屋を中心にカメラを据え、2年間に及んだ記録を3時間に濃縮した。ヴァンダたちにとっての故郷という「場所」が次第に失われていくのと同時に、彼らは鋭くもなぜか柔らかな光の差す暗闇(これが凄い)の中で変な咳をしたり、無数の100円ライターからまだ火の出る物を探す。これらを映し出すスクリーンには①、②、③が同居するという信じられない事態が起こっている。つまりヴァンダの部屋はドキュメンタリー(②)でありながら歴史映画(①)であり、さらにアクション映画?(③)とも言えるだろうか。なんにせよこんな映画を見たことはない。一番驚いたのは、ヴァンダが相変わらずヤクをやりながら咳しているんだけど、その咳がいつもより激しいなーと思ったら、突然ゲロゲロ吐き出したシーン。真の驚きはその次で、ヴァンダはなんとそのゲロを掛け布団で包みながら再びヤクをやるのである、しかも鼻歌歌いながら。こんな映画を見たことはない。
[映画館(字幕)] 10点(2005-01-29 02:21:19)(良:1票)
15.  子猫をお願い
例えば静かな電車に女子高生5人が乗り込んだとする。その瞬間まわりの空間が一変するのは誰もが想像のつくことだろう(単純に「うるせえなあ」っていうのもあるけどそれは別・・・エネルギーの問題です)。サラリーマンが5人乗っても混むだけだ。この映画は要するにそういう映画である。なんでもない場所を、あるいは映像的に美しい場所ですら、彼女達が画面の中にいるだけで彼女達の世界に変えてしまうようなとんでもない映画だ。5人が集合している時はもちろんの事、1人になった時でもその強度は消えない。上司に雑用扱いされゲーセンで一人ふてくされてDDRに熱中していても、冴えないサウナの受付嬢として老人に甘酒をサーブしていても、「こんな孫は知らん」と家の中に入れてもらえない時でも、そして家の修理代のために借りた金で機種変更した携帯で着メロを選んでいても、である。要するに場所は人によって染まる。だが時間が経てばその染めるのに用いた染料はやがて色あせる。のだけど、ごくわずかの人間に限り、映画の神様からどれだけの時間が経っても色あせない染料を与えられることがある。この映画から発散するエネルギーの無尽蔵さを目の当たりにすると、上記のような人間に当て嵌めたくなるわけです。
[映画館(字幕)] 10点(2005-01-24 02:20:28)(良:2票)
16.  TOKYO!
例えば裁判のシーンにおいて、怪物が表現する音声及び身振りを、まずフランス人の弁護士がフランス語に変換し、それから日本人通訳が日本語に変換する事で、ようやく裁判官、傍聴人そして我々のもとへ怪物の表現したかった事が伝達されるのだが(逆のルートも同様)、この一連のやり取りは何度も、しかも分割画面まで用いて、反復される。まどろっこしい反復の不毛さもさることながら、怪物が渾身の限りを尽くして示したメッセージが、あの何と言ったらいいのか、聞く者を思わず脱力させる女性の声に変換されただなんて、一体どうして信じられようか。「意味が分からない」「東京(トーキョー)である必要性がない」「登場人物に共感できない」と、ないない尽くしの糞短編映画だがしかし、パンの間に間違えて糞を挟んだサンドウィッチをうっかり食べた時、今まで食べたパンの数を覚えているはずのない者でも糞の味は一生忘れられない事だろう。それぐらいに驚き、かつ爆笑した。ドニ・ラヴァンが夜の渋谷の歩道橋で手榴弾を投げまくる背後の高速道路で走る無数の大型トラックには手榴弾以上の暴力性が纏われていて、思わず背筋が震えた。 
[映画館(字幕)] 9点(2008-11-25 23:27:53)(良:1票)
17.  ロストロポーヴィチ 人生の祭典
IMDBという有名な映画データベースのサイトでソクーロフの事を調べたら、新作(2007年製作、"Alexsandra"というタイトル)が既に作られていた事が分かった。ある老女がチェチェンの軍人キャンプに滞在する自分の孫に会いに行く、というお話らしい。まあ内容はいいとして、とりあえずビックリしたのは主演(と思われる)の老女を演じるのがなんとガリーナ・ヴィシネフスカヤ、つまり本作に出演した故ロストロポーヴィチの奥さんなのである。どうやらソクーロフは自分の欲望を抑え切れなかったらしい(笑)見ればわかるのだが、このドキュメンタリー映画の主役はロストロ氏でもなくクラシック音楽でもなく、間違いなくロストロ氏の奥さん:ヴィシネフスカヤである。ソクーロフはことによるとヴィシネフスカヤに会いたい一心で、ロストロポーヴィチという世界的なチェリストをダシに、この映画を作ったのでは、という気すら起こる(ちなみに彼女は有名なソプラノ歌手であり映画にも数本出たことがある)。ソクーロフの映画から芸術の二文字が消えた時、それは極めて魅力的な作品へと昇華するが、本作もドキュメンタリーながら彼女への私的な偏愛振りを隠そうとせず、しかもそれが変なねちっこさを持たずどこか突き抜けた変態ぶりでもって、被写体の彼女に迫っているようだ。そしてやはりラストが素晴らしい、というかビックリした。これは是非見て頂きたい。タルコフスキー的な風土を背負いながらもそこに妙な楽観性・通俗性を同居させ、さらにはとんでもないハッタリまでかますソクーロフ、「太陽」の次の作品がこの作品というのもまた、らしいというか。
[映画館(字幕)] 9点(2007-09-20 21:04:01)
18.  デジャヴ(2006) 《ネタバレ》 
面白い、文句なし!全編是映画って感じの画面が冒頭の船爆破のシークエンスから途切れることなく持続され、目が離せなかった。特に冒頭の空撮は何度でも見たい。川を入れた多様なロングショットや、その川の周辺を囲うパトカーや警官の配置、というかこの冒頭に限らずこの映画全体としてとにかく(場所にしても人にしても)配置が見事だった。あの、タイムスリップ装置がある施設での人物配置なんてまさにいい例で、捨てキャラが一人もいない。特に黒人の研究員の表情やアクションの入れ方の上手さなんて凄いと思う。そして過去を写すスクリーン上には美しいクレアがいる。最初に彼女が振り返るシーンの素晴らしさは、ただ女優自身が綺麗なのではなく、それ以前に美しい遺体として登場するという前段の演出をしっかりとこなしたからこその表情でもあり、あのシーンで完全に武装解除されてしまったせいか、それ以降内容はどうでもよくなり目の前に繰り広げられる過去と現在の交錯に一喜一憂するしかなかった。ラストもそうなるだろうな、と思いつつトニー・スコットの演出の的確さはそれを新鮮なものとして画面上に投げかけるので「よかったねえええ」とアホみたいに感動するしかなく。いやー面白かった。「ドミノ」はまさに驚きの一言だったが「デジャヴ」はなんというか、トニー・スコットという監督のまとめ的な映画だろうと思う。そして何より大人の映画だろう。必見。
[映画館(字幕)] 9点(2007-03-18 01:10:50)(良:1票)
19.  ヴェルクマイスター・ハーモニー 《ネタバレ》 
秩序の回復とか調律の不快という言葉、巨大クジラと"プリンス"、不穏な群集。かたや、世界の法則を回復せよ、カリスマという巨木、後半登場する武装した集団。後者は黒沢清の「カリスマ」だが、両者の構造は非常に似ている。発表された時期もほぼ同じ(ヴェルクマイスター:2000年、カリスマ1999年)。まあ、どっちが優れているかという比較は置いといて、「ヴェルクマイスター・ハーモニー」はアートへの志向性が強い作品ではある。実際かなりユニークな作品で、ガス・ヴァン・サントの2000年以降の変貌にも一役買っているところがある。酒場での人間プラネタリウムに始まり、クジラを乗せたトラックの不気味な登場、そして圧巻である広場の群集と焚き火。この街を支配するシステムの循環がすでに異常をきたしている事がありありと映し出され、さらにクジラと"プリンス"による外乱が、そのシステムをある一点に収束させ、やがてクライマックスの暴動へと繋がる。この手の映画はかなり好きなのだけど、なんか「トゥモロー・ワールド」っぽくて中々入り込めず・・・志の高さはこっちの方が断然上だろうが。それにしても、計算され尽くした長回しというのは画面の中に規律を(暴動でさえ)作りだすが、それは映画の主題と対を成してしまわないか。肝心の音も弱い気がした。がっ、この映画は面白い!それは間違いない。映画館で見なかった事が悔やまれる。この人の新作(なんか、いわくつきらしい)や、ヴェルクマイスターのプロトタイプ的作品で上映時間7時間オーバーの「サタンタンゴ」(米アマゾンでDVDあり。信じられん)も是非観てみたい。ちなみに、【エスねこ】さんの上記の脚色を結構真に受けて鑑賞したのでビックリしました、ある意味で(笑)
[ビデオ(字幕)] 9点(2007-02-21 14:05:35)(良:2票)
20.  硫黄島からの手紙 《ネタバレ》 
硫黄島よりスリバチ山が印象的。「父親たちの星条旗」では外側が、「硫黄島の手紙」は内側が主要な舞台となる(だから、「硫黄島~」を見たら必ず「父親たち~」も見なければならない。逆も然りだが・・・)。スリバチ山の内部で展開される攻防の様子は見ごたえ十分なのだが、何よりも迷路のように作られた洞穴での非戦闘時の様子が心に残る。手紙を書く視線とオフの声、戦闘前の渡辺謙による万歳三唱、弾に当たらないよう腹に巻かれる縁起物(名前ど忘れ・・・)の哀しさ、伊原剛と米兵捕虜との対話、玉砕前にラジオから流れる歌声・・・あと例外的ではあるが中村獅童が洞穴で結局捕虜として捕まってしまうシーンの可笑しさ。これらの見事な叙情性は「父親たち~」ではほとんど見られることはなく(だからといって「父親たち~」を見ない理由は・・・って、しつこいか)、「硫黄島からの手紙」におけるスリバチ山の内部という、絶対的な「暗」の中でわずかに照らされる光となる。日本兵(日本人)に対してこれ程真摯に向かい合ったイーストウッド、そしてそれに見事に応えた日本の俳優たち。それらが最終的に優れたアメリカ映画へと昇華されたということ。ていうか、褒めることしか見当たらない(笑)のだが、「父親たち~」の方がやっぱり上かなと思う。それはイーストウッドのいまだ衰えぬ野心を、直接触れたら凍傷になってしまう冷たさを、「父親たち~」は持っていたように思うからである。あの、海辺で米兵たちが戯れるラストシーンの浮遊した感じなんかでも、いまだに言葉にする事が出来ない。それに比べれば「硫黄島からの手紙」は上記のように褒めることができる分、安全な感じがするのは否めない。
[映画館(字幕)] 9点(2007-01-11 23:35:36)
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