1. 菊豆/チュイトウ
《ネタバレ》 話が陰惨すぎて万人には全くおすすめできないけど、 やっぱり自分、チャン・イーモウ監督の初期作品好きなんだよな~。 リマスター化で現在(2025.12〜)リバイバル公開中。 まず画面に流れる光の表現:反射や逆光、斜光を活用したショットと それを引き立たせる色の使い方。初鑑賞はウン十年前のビデオだったので ほとんど感じなかった、抑圧からの解放を意味する「光」と、古い価値観や 道徳、悪い因習等を映し出す「闇」がスクリーンだとより映える。 合わせて原作では農村だった舞台を染物屋にしたオリジナル要素がまたいい。 後年「HERO(’02)」「LOVERS(’04)」で見受けられる色をモチーフにした 感情表現はこの頃から冴えている。中国映画界の検閲事情と、監督自身 まだ若手であったが為、どうしても隠喩や比喩に頼らざるを得ない苦肉の 策だったと思うのだけどそこが逆に観客の想像力を喚起させる効果がある。 もう一点、更に強烈な印象だったのは女優コン・リーの素晴らしさ。 彼の作品における「情念」を演じる事が出来たのは彼女だけだった んだなぁ。チャン・ツィイーが及ばない(後釜で大変だっただろうに) のは至極もっともな話。 ただ私が監督チャン・イーモウを評価できるのは女優コン・リーと タッグを組んでいた「秋菊の物語('92)」まで。彼女との 関係性がマンネリになっていった事と合わせて、検閲等を 気にしない、名作家になった分なんか説明過多の感が 個人的には目につくんですよね。「これで観客は喜ぶよね」な感じ。 「初恋のきた道」「あの子を探して」('99)素敵な話なんだけど、ね。 今回のリバイバルは「赤いコーリャン('87)]、本作品と 「紅夢('92)」なので「初恋のきた道」しか知らないファンには ぜひ鑑賞した上、陰鬱な気持ちで映画館を出てもらいたい。 ついでに極私的チャン・イーモウベストワン「秋菊の物語(’92)」、 リマスターお待ちしてます。 長文失礼しました。 [映画館(字幕)] 8点(2025-01-26 18:10:03)《新規》 |
2. どうすればよかったか?
《ネタバレ》 統合失調症の症状があらわれた姉、彼女を精神科の受診から遠ざけ家に閉じ込めた両親を、弟である藤野監督自身が20年以上記録したドキュメンタリー。自分にとってこの映画が辛すぎたのは、姉のクオリティ・オブ・ライフ(QOL)に関する両親と監督の考え方の齟齬が全く改善されないままだった事。本来は姉の死/葬式をもって作品を終わらせるつもりだったが、後日父親にインタビューした際「(彼女を家に閉じ込めた対応策は)失敗ではない、姉はそれなりによい人生だった」という返答が返ってきた事に衝撃を受けたことが映画企画を本格的に進める一歩となった、と聞いている。適切な薬も対処法も無く、精神病=狂人/犯罪者と見られがちだったあの時代、周囲からの敵意憎悪から家族を守る為「臭い物に蓋をする」形で一旦彼女を家に閉じ込めた事そのものはあの当時では他に対処の仕様がなかったのかな、と私は考えるし、監督もその点は認識しているとは思う。それを踏まえて「統合失調症の対応として失敗であった」と作品で述べているのは、長い監禁生活が姉にとって無駄であった(海外への失踪事件や匿名で書籍を出していた行為等、医学の道以上に望んでいた将来があったのでは?となる)事と合わせて、結果的に病状自体は医学の進歩による適切な治療によって改善された:強引にでも両親を説得させるだけの方法は無かったのか?という強い悔恨の念から来るのだろうなぁ、と思った次第。どうすればよかったか?医学治療にはそれぞれの立場環境状況もあるから100%の正解は、ない。明日の自分がどうなるかもわからない。ただ適切な情報収集と周りへの発信は怠らず、周りに迷惑をかけず生きていたい、ああ...。機会があれば。 [映画館(邦画)] 6点(2025-01-25 05:31:39)《更新》 |
3. 劇場版 忍たま乱太郎 ドクタケ忍者隊最強の軍師
《ネタバレ》 まさか忍たまでホロリとさせられる羽目になるとは思わなかったっすよ... 付き添いの鑑賞で禄に忍たまを知らない自分ですらそうなのだから、 「腐女子にとっての離乳食」としてるファンからすれば号泣モノだよな。 今回のポイントは「大人の世界への一歩:つまり忍術学園一年生に とって現実と向き合う羽目になる事」を描いて見せた事にあったと 個人的には思う。戦国の世の中で忍者として生きてゆくという事は 「明日は知らず」「昨日の友は今日の敵」に向き合わねばならない。 きっかけは事故によるものとはいえ、前日まで生徒を可愛がってきた 先生が敵として対峙する事になってしまった時、彼らはどうするのか。 そしてこの作品で自分の琴線に触れた良点は、 「子供の天真爛漫な夢と想いが辛い現実よりも重要で守るべきもの」 として、ファンが失望しない様に配慮されている事に有ったと思う。 それを体現しているのが戦災孤児で世間の世知辛さを認識してる 摂津のきり丸であり、演じてる田中真弓さんが素晴らしい。 その流れで聴く「勇気100%」、そりゃぁ名曲だ。 鑑賞前にキャラクターの概要と、土井先生+きり丸/山田利吉の 関係性は勉強した方がより胸に来る。 因みに私は、超プロ忍者雑渡昆奈門(ざっと・こんなもん)推し。 限りなく6点に近い7点なんだけど、機会があれば。 [映画館(邦画)] 7点(2025-01-13 10:13:57) |
4. レッド・サン
《ネタバレ》 2025年最初の映画館鑑賞。大画面で小林哲子【ムウ帝国女王:海底軍艦(’63)】 を鑑賞する選択肢もあったけど、男の世界-マンダム-に憧れる者として、 今回はブロンソンの髭を堪能する事にしました。4Kリマスターでリバイバル。 この映画に関して言えるのはサムライがフォーマットという事もあるけど、 「世界のミフネに対してのリスペクト」が一番溢れ出ている海外作品として、 演者演出総じて客演ミフネを盛り立ててるところに好感あってこの点数。 それがフランス映画なのもまた良い。 再見時の感想としてはミフネ演じる黒田十兵衛、ドジっ子だった事。 ヒロインといい思いをするのは役得というのかなんなのか。 あと小悪党ブロンソンがちゃんと最後に約束を果たすお決まりパターン、 いいですねぇ。 侍ウェスタンじゃなくて、サムライ珍道中インウエストですな。 ツッコミどころ満載でご堪能ください。 [映画館(字幕)] 7点(2025-01-03 17:48:24) |
5. ラヴ・ストリームス
《ネタバレ》 80年代の世界映画史に残る一本として、初見の20代と比べて著しく私の中で評価が変わった作品。個人的には監督カサヴェテスは初監督作品「アメリカの影(’59)」からテーマとして愛のディスコミュニケーション・断絶を主題として掲げてたんじゃないかな、って気がしてるんだけど、実質的な遺作となったこの作品は彼の作歴上「話の通じなさ」という点で極限まで行っちゃった感が今回の鑑賞でもろ響いたのでこの点数。愛を描写した作風で人気のある作家主人公が実は人を愛する事に不慣れで、人との関わりを持ちたくないと思っている皮肉。そこへ夫と離婚し、娘と別れたばかりの姉が転がりこんでくる。肉親間の愛情で癒され埋められたであろう傷は、お互いのプライドからますます増大し精神の崩壊まで招いてしまう。嵐の夜若い男と出てゆく姉を主人公は止めることもできない。 インタビューで監督カサヴェテスは制作のきっかけを苦しい時に支えてくれた愛妻ジーナ・ローランズの為、と述べてるけどこの壊れっぷりは感服する。私Nbu2、初見の若い時は馬鹿じゃないかと笑ってみてた簡易動物園の下り、そして有名な夢の中のバレエシーン。「常人では思いつかない様な行動心理に至ってしまっている」凄み、それを表現しているジーナ・ローランズの演技力だったんだよな。こんなシーン、そりゃメジャー会社傘下の作品には描写できない。そしてもう一点印象的だったのは、夫カサヴェテス作品において愛妻ローランズは全く女傑ではなかった事。「外見は空威張り、だけど内面はシオシオ」な二面性が若い時分には見えてなかったのよ。最大のヒット作「グロリア(’80)」だって銃持ってマンハッタンを歩き回る印象が強かったけど、年取って印象的なのは子供をかくまったモーテルの一室で一人煙草吸ってドナイショとしてるシーンだもんね。今年2024年も年の瀬近づいている中数多くの映画関係者が逝去しましたが、私の映画人生において大きな影響を及ぼした「アメリカインディー映画界のミューズ(女神)」、今年8月に天国に向かっていった彼女への遅ればせながらこれが追悼レビュー。私の人生に彩を加えてくれてありがとう。 R.I.P Gena Rowlands(1930 - 2024) [映画館(字幕)] 8点(2024-12-15 18:18:48) |
6. 話の話
《ネタバレ》 「思惟や思想とは関係なく、ただ人生は続くもの」という寓話をロシアの大地と生活を綴り描写したコラージュ作品と若い時は思っていたけど、もうこの映画に関してはブルース・リー曰く「Don't think, Feel」的な見方、意味なんかどーでもよい、それでいいのだと感じてる自分がいる。初見の20代はジャガイモをハフハフする狼くんにキュンとし、30代は戦争をイメージする人生の暴風雨に気が滅入り、昨日久方ぶりに鑑賞した際は打ち上げ花火と物悲しいアコーディオン音楽にホロリと来た。さて、次回鑑賞時にはどんなシーン情景に心揺さぶられるのだろう。 持っててよかった、ブルーレイ。はいいんだがもうそろそろ、再販していただけないですかねぇ?限りなく9点に近い8点。 [ブルーレイ(字幕)] 8点(2024-10-13 18:40:55) |
7. 鳥(1963)
《ネタバレ》 久方ぶりにヒッチコック映画を見直してるのだけど、初見時に比べて格段に評価を上げたのがこの作品。(初見の10代は6点位の感想) 昔はレビュアーの皆様と同様最初の一時間がかったるく感じたのだけど、ヒロインの行動を観客が同体験する事で感じる(ペットショップで一目会った男の事を調べて会いに行くという倫理はムチャクチャだけど)非日常的な不安や焦燥感。元は恋愛=ときめきや恋の揺らめきによるものであった筈なのに、「鳥が人間を襲う」という突然の出来事によって説明不能の罪悪が襲い掛かる不条理を強調するものとして、やはり必要な一時間なんですよね。あとポイント:構図と編集=実際の鳥の襲撃にははそんなに時間を取ってないのだけど、そこに至るまでの画面構図設定と観客に適切な情報を提供する編集技術が上手く、現在に至る(エイリアンやモンスター等含む)動物パニック映画の表現の礎となっている事は特筆すべき点。特に印象的なのはCGやドローンなど無い時代にあんな俯瞰ショットを組み込んだガソリンスタンド襲撃シーン、素晴らしい。あとヒッチコックの嗜虐性。 [映画館(字幕)] 9点(2024-08-18 13:37:18) |
8. ラストソング(1994)
《ネタバレ》 神田神保町シアター「忘れられない90年代映画たち」特集で約30年ぶりのスクリーン鑑賞。「青春期に追い続けた夢と希望、友情とその破綻」というベタな題材なんだけど、この度再鑑賞して感じたのは「ちゃんと映画してる」点。本木雅弘も吉岡秀隆、安田成美の演技もいいし、ロックンロール=社会への反抗の象徴としてちゃんと劇中で活用されている点も好感度アップ。吉岡が尾崎豊ばりに熱唱する表題歌。破綻への鎮魂歌としてラストにふさわしく、ちゃんと画竜点睛で終わってるのがよい。最大の貢献者は後に名作「眠れる森('98)」「氷の世界('99)」を書いた脚本:野沢尚の手腕。何度も書くがこんなベタな内容をちゃんと鑑賞できる話にした、いい仕事だよ。にも関わらずこうも忘れさられた作品になってしまったのは、まずTV会社や広告会社がバブル期に企画したものだった為、同じ時期に作られた「バブルを楽しめ(実際は崩壊してて気分はそれどころではない)」的な作品群に埋もれてしまった事、合わせて先にロック+青春譚である長崎俊一「ロックよ、静かに流れよ(’88)」+男闘呼組のインパクトが強すぎて、二番煎じ感があった為なんだろう。しかも2024年現在、未だ配信化もDVD・ブルーレイも無し。次にこのレビューにコメントが追加されるのは何年後になることやら。機会がありますれば。 [映画館(邦画)] 6点(2024-07-16 05:59:30) |
9. 男と女 人生最良の日々
《ネタバレ》 ジャン・ルイ・トランティニアンも良いが、アヌーク・エーメ(この時87才)に尽きる。 14歳で映画デビュー。「火の接吻(’48)」「恋ざんげ(’51)」「モンパルナスの灯(’58)」「甘い生活(’60)」、 そして「男と女(’66)」での演技は素晴らしかった。それから53年が経った2019年の続編。 「男と女」のラストシーンでは二人が結ばれる事を示唆して終わったあの後、 結局二人は結ばれる事なく(男が女から姿を消すことで)年月が経ってしまった事が窺われる。 男は老人ホームで昔の記憶が曖昧なまま。心配した男の息子は艶福家だった 彼の心に残っている唯一の女性を探し求め、再び会って欲しい旨を伝える。 作中では前作「男と女」のシーンが度々挿入され、彼らの記憶にあの輝かしい日々がよみがえる。 ただこの作品が良いのは彼らが老いらくの恋に引きずられる訳ではなく、「同じ時間を 過ごしてきた同士」として経験を糧にし、より人生において素晴らしい日々を過ごしていきたいと 感じているというか考えさせられるその演技、特にアヌーク・エーメの「眼差し」が素晴らしい。 実生活でも彼女自身恋多き女であった分、その想いはひとしおのはず。 フランス映画の歴史と文化あってのこの作品、邦画では全く出来ないモンだ。 本当に羨ましい。まずは名作「男と女(’66)」を見てから、機会があれば。 追記 (2024年6月) 結果的にこの作品が主演二人の遺作となったわけだけど、 この作品が遺作で本当に良かった、と思う。二人のご冥福をお祈りします。 [DVD(字幕)] 8点(2024-06-20 20:39:10)(良:1票) |
10. ライド・オン
《ネタバレ》 ジャッキー・チェンの新作は「原点回帰」が感じられる快作で、ゴールデン洋画劇場で彼の映画を楽しんでたファンにとっては満足の出来。始まってすぐに流れ出す彼の名演集で、観客には主人公ルオ=ジャッキーの経歴が重なってくる。度重なる怪我で生命の危機にもあった。子供との断絶、という劇中の設定も実生活で家庭を省みなかった事を心から反省している、とインタビューで述べた彼の心情の投影なんだろう。そんな苦境にあっても彼はファンの為に身体を張り続けた、そしてこれからもショウビジネスに携わるんだという決意というのか気概が見受けられる点、我々はわかってるから胸にくる。でもって「いかに自分をかっこ悪く見せるか」というジャッキー映画王道のドタバタなコメディ演出。動物をバディとしてる事もあってお約束がてんこ盛りなんだけど、もう老成の域にまで達した感があり楽しい。あと個人的には彼自身の演技力、特に哀愁の醸し方が抜群に上手くなった気がする。...映画の感想としてはここまで。そしてもう一点強調したい。私があえて吹替え版で鑑賞したのは昨年声優業を引退された石丸博也氏のたぶん、ラストジャッキーになるから。80年代の映画吹替えのフィックスとして石丸氏=ジャッキーは最高の贅沢であった。日本でジャッキー映画が大流行したのは彼の演技力が付与してたのは間違いない。凄いのは石丸氏の演技が愛嬌が目についた青年期~苦悩が伝わる老年期に至るまで、正にジャッキー本人いやそれ以上なのではないかという印象を何十年にもわたって映画ファンに提供し続けた事。(だから「ザ・フォーリナー 復讐者 (2017)」などは吹き替えでしか見れんかった) 多分石丸氏も吹替えをなさっていてご自身と重なるものがあったのかな、昔の様な声とは程遠いかもしれないけど枯れた味わいの良さというのか、スクリーンで堪能しました。という事で兜甲児もいいけど、ジャッキーもね。 この後ジャッキー映画を担当なさるであろう声優さんにエールを送りつつ、最大限の感謝を石丸さんに贈りたいと思います。んとうに、有難うございました! [映画館(吹替)] 7点(2024-06-04 19:18:25)(良:1票) |
11. 嘆きのテレーズ
《ネタバレ》 「良い脚本(脚色)と脇役によってサスペンス映画はより良くなる」事を教えてくれるフランスサスペンス映画の古典。人間の業を深く描いた文豪ゾラの原作は上下2巻の長丁場なんだけど、不倫の恋から生じた犯罪計画の破綻というサスペンスに重点を置いた脚色(合わせて原作には出てこない水兵の存在)が上手い。またこの度何十年ぶりかの鑑賞だったんだけど、主演の男女二人以上に、脇を固める役者陣がビジュアル的要素も相まって演技が上手すぎ。特に「目が口ほどにものを言いまくり」な主人公の継母を演じたシルヴィ・アルコーヴェのインパクトが凄く心臓に悪すぎる。暴力行為を示さずとも観客に緊張感を味合わせる手法として、古典的かもしれないが今の映画も踏襲してゆくべき要素でありますよね。予定調和的因果応報なラストだけが玉に瑕なんでこの点数なんだけど好きな一本。機会が有ればまずは30分我慢して鑑賞くださいませ。 [ビデオ(字幕)] 8点(2024-05-26 17:41:19) |
12. いつも上天気
《ネタバレ》 「レオン('94)」には大した感想はなかったものの、作中にこのMGMミュージカルが使われてるのを見て、監督リュック・ベッソンの趣味の良さに感心した記憶がある。そう、最良のジーン・ケリーが見れるという点で後世に残る一本。アスリート的なパワフルなダンスを身上としてる彼、「雨に唄えば('52)」でいえば有名なタイトル・チューンより、机/椅子の上でダンスをする「Moses Supposes(軽〜いドナルド・オコーナーとの対比含めて)」の方が個人的にはよい。そんな彼のアクロバティックなダンスの頂点が、ジャン・レノが目キラッキラさせて見てた「I Like Myself」。後年のダンス文化への影響という意味において、もっともっと評価されるべきなんじゃないのか。シド・チャリシーも良い。もともとバレリーナだったので前作「ブリガドーン('54)」の方が水に合ってるし、アステアと共演した「バンド・ワゴン('53)」も良いけど、彼女個人のパフォーマンスはこっちかな。以上パフォーマンスはYouTubeの「Warner Archive」で観れるから見て頂戴。でね、ここからなんすよ、私の強調したい事は。それは「幸福感の稀薄なミュージカルは作品としての魅力に欠ける」つまりこの作品、個々のパフォーマンスは素晴らしいのだけど流れる雰囲気がもう「ミュージカル、古臭くね」感がありありなんですな。「雨に唄えば」から3年でこの変化はなんなんだろ。冷戦状況下の社会的影響・新興のエンタメ/テレビの隆盛・何よりロックンロール(ビル・ヘイリー「ロック・アラウンド・ザ・クロック」は55年、エルヴィス登場は56年)の出現。時代の趨勢に呑みこまれてしまって抗えない、廃り感を感じさせてしまう点がこの映画の印象を薄くしちゃってんですよね。...だいたいなんで「巴里のアメリカ人('51)」「ブリガドーン」はソフト化されてるのに、この作品は無いのだ、おかしいでしょ。結局アメリカアマゾンでソフト購入しちゃったよ...。話が脱線しましたが、ミュージカル映画における幸福感ってのは結構重要で、最近でもデミアン・チャゼル「ラ・ラ・ランド(2016)」だってS.S.ラージャマウリ「RRR(2022)」にもちゃんとある。観客がダンスの世界に引き込まれるだけの雰囲気作りは大切。 今回レビューの点数は私の想い出補正と個々のダンスに関して、ってことで。長文失礼しました。 [ブルーレイ(字幕)] 7点(2024-04-17 05:44:13) |
13. アイアンクロー
《ネタバレ》 エリック一家を襲った悲劇は映画よりも現実の方が過酷だった。 レスラー志望の六男もまた、自死を選んでいた事、 フリッツ・フォン・エリックは晩年妻と離婚し一人身だった事、 三男デヴィッドの死は痛み止めとして使用していた鎮痛剤の 大量摂取、つまり彼も薬物中毒による自死であったといわれてる。 「過度な期待によって挫折するスポーツ選手、その再生」てのは 映画ファンとしては食傷気味な題材なので、客観的に見れば レビュー点数はこんなもんなんだろう、と思う。 だけどプロレスファン、特に「プロレス・スーパースター列伝」を愛読書とし、 土曜夜に「世界のプロレス」を見て80年代を過ごしていた私の様な オッサンには突き刺さりまくりで、泣けて泣けて仕方がない。 プロレスから離れ、唯一生き残った次男ケヴィン・フォン・エリックが 自分の子供達に声をかけられ涙を流すラスト。彼は昔、父親の教えを 忠実に守り過ごしていた日々を振りかえる。 時代錯誤な父親と教育に無関心な母親。でも確かに愛情はあった。 兄弟は皆若くして死を選び再会は叶わない。ただ確固たる絆はあった。 チャンピオンになれた期間は短かった。 それでも強いレスラーだった。 世間でいう「呪われた一家」では、決して彼らはなかった。 現実のケヴィンにはあまりにも事態が悲惨すぎて、そんな感慨に浸る には更なる年月が必要だったろう。もう心情的には無理かもしれない。 でもこの作品中、夢の中兄弟楽し気に抱き合うシーンを入れた 事で、この映画は世界中で身体を傷つけながら頑張っている プロレスラー、ひいては目標に向かって努力を続けている 市井の人びとへの監督なりのエールなんだ、と感じてしまった。 アイアンクロー、フォーエバー。 とはいえケリー・フォン・エリックでいえばディスカスパンチ (学生時代円盤投げの選手だったなごりから得た回転パンチ) の方が、アイアンクローよりも好きだったなぁ。 物理学者映画に埋もれてしまう前に、どうぞ。 [映画館(字幕)] 6点(2024-04-17 05:40:51) |
14. 綴方教室
《ネタバレ》 今年が生誕100周年。「高峰秀子・少女スタア時代特集」ラピュタ阿佐ヶ谷で初スクリーン鑑賞。以前彼女の養女、斎藤明美さんのトークショーに行った事がある。そこで認識させられたのが高峰さん自身文筆やインタビューで述べていた「女優嫌い」という性格、斎藤さんの説明によると実際は嫌いどころではなく醜悪・嫌悪の域:出来る事ならやめてしまいたいという類の人生選択肢だった点。年少期からフリーランスとして活動したのもギャラの高いところで働かざるを得なかったから。「彼女が望んだ人生にたどり着いたのは松山監督と結婚し、女優を引退して約25年後。そこまでかかった(斉藤さんのご説明)」輝かしい才能の裏にあった、暗黒の青春時代。 但凄かったのはそんな境遇にも関わらず応援してくれるファン、作品に取りくむ同業者に対して彼女は誠意を持って女優業を全うしていった事。その心意気が「子役出身の名女優」という稀有な存在にさせたのだろう。 戦後の木下恵介/成瀬己喜男監督作は邦画史上の名コンビだけど、戦前でいうならこの作品、山本嘉次郎監督に出会えたのは相当大きかったはず。この年14才(‼)の演技力もさることながら、彼女をより良く魅せる為の工夫、文盲である事の焦燥感をあらわすショットとかラストシーン、新しい職場に向かう彼女の正面を捉えた移動撮影などは当時からすれば外国映画の流れをくんだ、斬新な表現だったのではないか。(またトークショーで印象的だったのは生前の高峰さんが斎藤さんに「この作品に出れたからスターになった」と山本監督に感謝していた事と合わせて、若年期から自分が売れた理由を冷静に分析してたというその才覚)時代を考えれば点数としてはこんなものだけど、彼女のファンには必見の一本。後年の「馬(’41)」と合わせて、どうぞ。 [映画館(邦画)] 7点(2024-04-14 07:53:55) |
15. (秘)色情めす市場
《ネタバレ》 当初予定されたタイトル「受胎告知」のイメージで見るか、 現行の「(秘)色情めす市場」として鑑賞するかで評価が 分かれるのではないか、という感想を持った一本。 モノクロで映し出される大阪・釜ヶ崎の生活感溢れる 情景は「生きる為に性を売る」感が生々しすぎて エロなんて感じる事無く、劇場を出た20代の私。 その時点で田中監督が「受胎告知」というタイトルに こだわりを持ってた事、合わせてこの時期に お子様を亡くされる悲劇中での撮影であった事も知らず。 約10年ぶりのスクリーン鑑賞、上記のポイントを踏まえて 見直すとヒロインは汚れた俗世の中で生きている聖母 みたいなもの。生活の糧として売っていた身体を 愛の奉仕目的で捧げる事で世界に色が付く =真っ赤な夕日が映し出す天王寺や大阪城、通天閣に 連なるイメージの羅列。枯れた今見直すと凄いエネルギー。 何十年経っても変わらないのはヒロイン芹明香の素晴らしさ。 この年19才とは思えない。面白いのは彼女自身は 「(秘)色情めす市場」タイトルの方が好みだった事、 周囲の反応とは逆に「演技には納得して無かった」 とインタビューで述べてる事。 初見に比べて評価が上がったので、 点数甘いかなと思うけど機会が有れば。 ブコウスキーの本・世界観が好きならハマるかも。 [映画館(邦画)] 7点(2024-02-18 18:25:40) |
16. 非行少女
《ネタバレ》 絶望的な展開であっても私は青春映画に「若さ故の闊達さ/明るさ/躍動感」を一瞬でも求めてしまう。なので監督デビュー作「キューポラのある町(’61)」に感じられた瑞々しさが2作目にして稀薄になってしまっている(金沢の街を映し出すショットや小道具の使い方)様に感じられるのでこの点数。レビュー以上。...ここから先はおっさんの愚痴なんですけど、和泉雅子推しの自分としてはこの作品見るたんびにやりきれないんすよ、ったく。 「わずか16歳の和泉が難役に挑み、その演技が高く評価され、一躍スターへとのし上げた一本。」全くその通り。ただ浦山監督のベストでないこの作品が彼女の代表作になってしまった事、そして彼女の演技力を発揮する土壌が60年代後期の日活に無かった、という事が辛すぎる。同業他社で興味をもってくれた人はいた。黒澤明「椿三十郎(’62)」で団令子の演じたお姫様役、当初は和泉雅子にオファーしたものだったが五社協定で参加出来ずに流れたというのは有名な話。彼女が松竹に居たら「男はつらいよ」ヒロインはお手の物だろう。東宝サラリーマン喜劇だって大映(市川崑とか増村保造)の女性映画だってこなせたかもしれない。いや、彼女の映画界入りが5年早かったら川島雄三の薫陶は受けられたかもしれん。(さすがに今村昌平は勘弁だが) 映画界の斜陽化・放蕩経営が続いた日活はロマンポルノ運営に移行(1971年)。その前後に彼女はフリーになったが、在籍していた会社に殉じる様に芸能活動をテレビ・音楽にシフト、映画界から離れてしまった経歴になってしまう。同期吉永小百合/松原智恵子は現在でも現役なのだから、めぐり合わせというのか道っていうのか。 ファンになってから何回か彼女のトークショーに参加した際印象的だったのは、映画鑑賞:趣味と公言してた彼女が15才で入社して約10年、青春を過ごしてきたあの日々を「本当に誇りに思っているし、光栄であった」事を熱っぽく話されていてその点、ファンとしては救われた感があった。逆に彼女が極地冒険家として活動を始めた原点は映画界で達成できなかった満足感を満たす為の代替行為だったのかな、と個人的に感じてしまいましたよ。 あ~あ、文章長くなっちゃった。ここまでお付き合いいただき、有難うございました。(2024年神田神保町シアター「女優魂」企画で鑑賞) [映画館(邦画)] 6点(2024-02-12 12:54:12) |
17. アントニオ猪木をさがして
《ネタバレ》 (敬称略)①ドラマパート不要⓶字幕必要③取材不足。なんだけど③についてレビューしたい。その生涯は、ブラジル移民から、レスラーへ~ライバル馬場との比較~新日本プロレス旗揚げ~政治家転身等、「一寸先はハプニング」の連続。その苦境を彼は「馬鹿になって」笑い飛ばし、尋常じゃないファイティング・スピリットと常人にはなし得ない行動力で立ち向かい、それを死の床までさらけ出した。レスラーとしてだけでなく、人間猪木寛至として燃える闘魂はファンに愛された。神田伯山や有田哲平、安田顕はその生き方を、藤原喜明や藤波辰爾はレスラーとしての理想として未だに逃れられない様を映し出す、それはわかる。ただ見たいのはそこではない。もっとインタビューすべき面々が健在だろう。個人的な想いこみもあるのだけど、アントニオ猪木は全くもって聖人君子ではなかった。常人とは異なる膨大な闘争心と突飛を通り越した迷惑千万な破天荒ぶりによって、彼の行く道には少数の賛同者と倍以上の離脱者を生み出した。対戦相手は極端な話、猪木の格を引き上げる為の素材でしかなかった。理想を追い求めすぎて現実からかけ離れた企画ビジネスは、大借金と信用失墜(猪木自身はともかくパンピーはたまったものではない)しか生み出さなかった。デカい山を一方向から見るのではない、やはり「キラー猪木」な暗黒面を挙げた上で、「それでもだけど」にしないとわざわざ映画化する意味がない。A.当時のマスコミ(東スポ/ゴング/週プロ) B.彼によって潰された他団体のエースレスラー、関係者(ラッシャー木村/ストロング金剛/大木金太郎) C.振り回されっぱなしだった面々:古舘伊知郎、新間寿、坂口征二、大塚直樹、サイモン・ケリー D.倍賞美津子(彼女との結婚によって猪木は「対世間」という点で物凄く影響を受けた、とは前田日明の説明) E.猪木に影響されなかった天才2人:佐山聡と武藤敬司 は必要でしょ。作中印象的的だったのは、猪木拒絶→受け入れを示した新日復活の立役者、棚橋弘至のインタビュー。「制約の多い生き方を余儀なくされてる現代において彼の生き方は何を示唆し、これからの社会にてどの様な啓蒙となりうるのか」テーマはいいのに本当もったいない。過去のアーカイブ見てた方がまし、ってなっちゃぁいけません。 という事でおじさんは88.08.08の対藤波辰爾、60分ドロー戦でも見て無聊の慰めとしよう...長文失礼しました。 [映画館(邦画)] 4点(2024-01-28 10:28:05) |
18. 我が家は楽し(1951)
《ネタバレ》 中村登監督を勝手に「松竹版成瀬己喜男」と想ってる私としては この作品、中村監督版「おかあさん(’52)」。いやこっちが早いんですよね。 昨年2023年の神保町シアター、「中村登生誕110年」特集で鑑賞。 年取ってくるとこういう幸せいっぱいのホームドラマ、弱いのよ。 個人的にこの作品のツボは、配役の妙にある気がしてる。 笠智衆/山田五十鈴/高峰秀子/佐田啓二といった、 どちらかというと心に陰のある役柄を得意としてる彼らが ストーリー上起こり得る不幸に胸を痛める演技が上手いので、 ラストの大団円にて「埴生の宿(ホーム・スウィート・ホーム)」を 泣き笑いで唄うラストが映えてくる。そしてアメリカのホームドラマを 上手く換骨奪胎した(父親笠智衆の物忘れ気質とか) 中村監督の職人ぶりもまたいいのよ、これ。 デビュー作品になった岸恵子、ここでは添え物。 ただ彼女のキャリアを考えたら、松竹/本作品のデビューは 最良のものだったのではないだろうか。 彼女の講演会で話されてて印象的だったのだけど 彼女自身当初は大学入学まで、と考えてた役者人生。 この作品で様々な才能と触れ合い、時間を共にする事で 本物の価値に出会い、本当に啓蒙を受けたんだろうな、 自分を磨く場として映画界に魅力を感じたんだろうなと 個人的には感じてしまった。 点数はこんなもんだけど、鑑賞後の気持ちよさも含めて 本当は+2点にしたい位。機会があれば是非。 ってまだDVD化してないの?がんばれ松竹 [映画館(邦画)] 7点(2024-01-22 20:33:19) |
19. NO 選挙、NO LIFE
《ネタバレ》 彼の仕事ぶりを賞賛するという単純な話ではなく、その裏に秘められたモノ、作品が世に出る意味ってのを汲んであげる事こそが大切、と思わせた一本。「NO選挙,NO LIFE」題は選挙取材をライフワークにしている畠山氏の心意気を表したものであると同時に、国民が政府国家に物申す重要な機会たる『選挙』に対して、あまりにも無関心な社会に対する疑問の表れであり、民主国家においては「選挙が無ければ、国民は生活なんてできない=NO選挙,NO LIFE、(だけど実情は)」というダブルミーニングなんじゃないかな。過去の駐在経験で「お上に文句を言うと犯罪となる世界の片鱗に居た」半人前の私、Nbu2としては、民主主義国家において選挙の有難みはちったぁ認識してる。程度の大小あるとはいえ畠山氏の様な選挙に対する関心を国民はもってしかるべきなのに、彼の情熱が「奇行」として扱われてしまう現状はおかしいし、「彼は民主主義の最後の良心」という知識人の説明も、結局畠山氏に苦労背負わせてるだけじゃん、となる。経済的/体力的に辛いから、という理由だけでなく社会の無関心も彼が限界と感じた理由に入るんだろうな。このドキュメンタリーを高評価にしているのは、絶望よりも希望:畠山氏の人となりや情熱に対して関係者各位が100%全肯定している様をちゃんと映している点にある。ご家族や取材を受ける候補者の反応、そして心が折れかけた時期に「民意が政治を変える」情熱を改めて再認識させられた沖縄の人達。 最後に個人的な要望だが、畠山氏がもし引退となったとしても、彼の情熱心意気が社会にとって当たり前の認識として良識のある人々によって残されてゆく、という幸せな結末をもって終わる事を切に願っている。その日まで身体に気を付けて欲しいなぁ、うん。 長文失礼しました。 [映画館(邦画)] 8点(2024-01-02 18:15:57) |
20. 暗殺の森
《ネタバレ》 監督の伝えたい事を念頭におきつつ、台詞からではなく 「映像上の隠された比喩や引用から意図を想像する」 そんな映画の楽しみ方を伝えてくれたという点で印象的な1本。 原題「体制順応主義者」とは主人公マルチェロその人を指すだけでなく、 イタリアのファシズム政権を誕生させてしまった数多くのマルチェロ =社会に無関心・無責任な大衆への糾弾を伝えたかったのではないか。 年少期の出来事が影響したとはいえ信念の欠けた、未熟な生き方を 続けてきた男は(落語で言う「でも医者」ならぬ)「でもファシスト」。 反体制を主張する恩師の調査追跡によって感じたのは自身の生き方とは 真逆の、「人権を声高に主張し自由に生きている」人間の姿。 女性二人のタンゴ。平凡な生活を余儀なくされていた婚約者が 恩師の若い妻と踊るそのシーンは、女性としての真の生き方ってのか 心身の解放を教授してもらうというシーン、だと思ってる。 人間らしい生き方に触れたにも関わらず、全く動かない主人公。 恩師を暗殺する段になっても、その対応を同僚になじられる。 大勢の暗殺者によってナイフでめった刺しにされる恩師の様は 「無責任な大衆によって少数の良心は潰される」様を見ている様で 痛々しい。一度は気にかけた恩師の妻が惨殺されてゆく様子を ただ車窓から見ているだけ。無関心が悲劇を増大させる。 でそんな情景を映し出す映像美。巨匠ヴィットリオ・ストラーロ30才。 青・赤・白を多用した色彩は主人公のフランス旅行に結びつくだけで 無く、国旗:トリコロールにも関連付けられてるとは今回知った事実。 青:自由/白:博愛/赤は平等なんだけど、どちらかというと暴力に よる流血と合わせて、「血の色は同じなのに考えが異なる多様性」 を明示した隠喩と思っている。あと光と影の使い方。「カラヴァッジオ (イタリアバロック絵画の巨匠)を参考にした」との事だが、絶対これ エドワード・ヤン、影響受けてんだろ。「牯嶺街少年殺人事件(’91)」 ラスト、主人公夫婦にとってあのフランス旅行の喜びは一過性 でしかなかった事に愕然とさせられる。そしてファシスト政権の 崩壊と同時に目撃した出来事。何もかも失ってしまった主人公 はどう感じたか。「おまえら全員ファシストだ」 自分は無責任な傍観者になってないか? 映画館を後にする自分にも、その声は響いてるのだ。 長文失礼しました。 [映画館(字幕)] 9点(2023-11-06 21:18:03) |