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目隠シストさんの口コミ一覧[この方をお気に入り登録する

プロフィール
コメント数 2302
性別 男性
ホームページ https://twitter.com/BM5HL61cMElwKbP
年齢 53歳
自己紹介 お世話になっております。
今年もよろしくお願いします。


※映画とは関係ない個人メモ
2025年12月31日までにBMI22を目指すぞ!!

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1.  まともじゃないのは君も一緒 《ネタバレ》 
完全に「してやられ」ました。ミステリーではありませんが「ちょっとした仕掛け」が施されています。未見の方は下調べせずにご覧ください。良いラブコメですよ。  以下ネタバレ含みますのでご注意ください。  予備校講師と女子高生が主役のラブコメ。とはいえ2人が最終的に結ばれる結末は考えられません。そもそも受験生が勉強しないで何やってんだって話ですし、講師が生徒に手を出したらクビ。成人男性が女子高生に手を出しもアウツです。その点、実業家(小泉幸太郎)は心得ていましたね。クズですが危機管理能力はありました。『高校教師』のような破滅ドラマならいざ知らず、ラブコメは基本的にハッピーでなくてはいけません。みんなから応援、祝福されてナンボの世界。ですからラブストーリーとしての本筋は、予備校講師と実業家フィアンセが結ばれるものとばかり思っていました。女子高生にはお気の毒ですが、ほろ苦い失恋を思い出に変えて前を向くと。でもこれが大外れ。ラブストーリーの定石(定跡)どおり主役2人がくっつきました。これには娘を持つお父さん的には怒り心頭なのであります。 ところが最終盤にきて種明かしあり。女子高生はJKにあらず。20歳を超えた成人女性でした。なんとさりげないミスリードでしょう。まんまと「女子高生」だと思い込まされました。これには振り上げたこぶしをどうしたらよいか。私には五木ひろしのモノマネで誤魔化すくらいしか思いつきません。実業家も指摘していたように、成人男性が恋愛対象にできる(世間的に許される)「若い女性」の定義はシビアです。「女子高生以下なら問答無用でお縄」【越えられない壁】「大学生や10代社会人はケースバイケース」「20歳以上の社会人ならご自由に」でしょうか。当然2人の年齢差も関係してきます。お父さん的には年齢関係なく扶養家族であるうちは物申したいですが、まあ相手次第です。予備校講師の立場で生徒に手を出したならば、そいつが成田凌だろうが前澤社長であろうが容赦しませんが、本ケースではキスはおろか手さえ繋いでいません。このような現状で惹かれ合う2人を引き裂く理屈を私は持ち合わせていません。くう〜。という訳でどうぞ「お友達」から始めてください。もちろん大学卒業後に、ですが。 それにしても清原果耶が素晴らしい。私はももクロメンバーが出演していた『マッサン』と『べっぴんさん』以外の朝ドラは観ていないので、彼女をちゃんと認識したのは『霊媒探偵・城塚翡翠』からですが「賢い役」が本当に上手いです。美人で賢い。おまけに歌も上手いって無敵じゃないですか。もしかして完璧すぎるのでしょうか。よく分かりませんが爆売れしていない現状が不思議でなりません。
[インターネット(邦画)] 8点(2025-02-01 17:24:01)《更新》
2.  ロストケア 《ネタバレ》 
クリスチャンでもないのに聖書を読み漁る意味は「救われたい」以外にありません。キリスト教の黄金律「あなたが人にしてもらいたいと思うことを人にしてあげなさい」この一文を斯波が聖書の中で見つけた時の心情は如何ばかりでしょう。自身の罪を正当化する「救い」の可能性を感じたはずです。 ここで斯波が犯した原罪「父殺し」を黄金律に照らしてみます。「あなた=斯波」にした場合。「父に死んでほしいので自分で父を殺しました」あれ?黄金律に当てはまりません。では「あなた=父親」にしたらどうでしょう。「もう楽になりたかった。だから息子に殺してもらった」こちらも黄金律ではありません。そう黄金律で「父殺し」は正当化されません。そこで斯波は考えたのです。黄金律で「自らを救う」方法を。それが「黄金律を実践する」でした。「天命をうけた」とはこのこと。斯波自身の経験(心情)を黄金律にあてはめ、要介護者を殺すことで介護に苦しむ家族を救っていく。家族が介護から解放され「良かった」と世間で認められた時、はじめて彼の「父殺し」も正当化されます。ですから一人や二人ではなく出来るだけ多くの事例を用意する必要がありました。遺族の心境を確認するために積極的に葬儀に出席しました。この斯波の「身勝手な犯行」は「介護で苦しむ家族にとってはまさに救い」でありました。目的はどうあれ、斯波の行為は問題解決方法として「芯を食っていた」わけです。介護の大変さは、経験者は勿論のこと、未経験者でも想像に難くありません。これが斯波を安易に断罪できない理由であり、善悪の判断を惑わせる最大の要因です。 問題が複雑な時は出来るだけ単純化することが肝要と考えます。本事件の骨子をみれば「自身の犯した罪を正当化するために別の罪を重ねた」になるのでは。どうですか。こう書くと斯波に同情する余地など無くなりませんか。特にキリスト教黄金律を持ち出し、実に41人を殺めたことは大罪です。おそらく法廷で遺族から「人殺し!」と罵られたのは相当堪えたはずです。自身の行為が介護家族を救っていなかったら「父殺し」も正当化できなくなってしまいます。大体において「良かれと思って」は「勘違い」か「自己満足」と相場が決まっているのですが。 もっとも法廷で叫んだ女性が本心を口にしているとは限りません。彼女が重介護から解放されたのは事実であり、彼女自身も当初感謝の言葉を口にしていました。でも実は殺されたと知ってしまった以上、父の死に安堵した自分は酷い人間に思えてしまう。だから彼女は自身の良心を守るため斯波を非難したのでしょう。また一方、斯波の犯行を知ってもなお「救われた」と感じる女性もいました。新しい人生を踏み出せたのは斯波のおかげ。多分どちらの感覚も間違っていません。長期に渡る重介護は人の心を病ませ狂わせます。この世で一番幸せな言葉が「ぴんぴんころり」なのは間違いありません。 なお斯波に同情の余地なしと書きましたが「父殺し」については違います。刑法的には「嘱託殺人」だそうですが私には「正当防衛」としか思えません。あの状況での父殺しを罪に問うのはあまりに酷な話。でも悪法でも法は法です。ですから検事にはプロとして自身の感情を押し殺し、斯波に粛々と対峙して欲しかったと感じます。事件の背後に横たわる社会問題に対してどう対処するか。大きな変革の原動力となるのは、同情ではなく怒りであると考えます。
[インターネット(邦画)] 7点(2025-01-28 19:53:24)(良:1票)
3.  蛇の道(2024) 《ネタバレ》 
(1998年のオリジナル版の感想から続く)オリジナルの感想を踏襲するなら本作を料理、当然「フランス料理」に喩える流れですが、フレンチもイタリアンもざっくり「洋食」にしか括れない庶民ゆえ頓珍漢ご容赦ください。 セルフリメイクである本作。舞台をフランスに変え、新島の性別職業を変更しています。オリジナルを「フグの塩丸焼き」とするなら、本作は「フグのポワレ」といったところでしょうか(ポワレってどんな料理でしたっけ?)。これはこれで悪いとは言いませんが、オリジナルという「正解例」を知っている以上「物足りなさ」は否めません。胸糞は「アク」なので不要ですが、不条理は「苦み」「エグ味」であると同時に「旨味」でもあります。観客に配慮するあまり黒沢映画の味まで失っては本末転倒な気がしました。そう本リメイクのキーワードは「配慮」です。その最たるポイントが舞台をフランスに移したことでしょう。登場人物がまるで「無味無臭」でした。設定(背景)を知っているから「そのつもりで観る」だけで、彼らの言動で感情は揺さぶられません。これは被害者も加害者も同じ。役者の技量の問題というより、もっと根本的な部分で「コミュニケーションの壁」を感じました。 映画レビューサイトでドラマの話をして恐縮ですが、今期『ホットスポット』というTVドラマがあります。バカリズム脚本。市川実日子と東京03角田の掛け合いをみると「日本人にしか伝わらないだろうな」と痛感するのです。例えば100%言っている「言ってません」。表情、口調、仕草、間。各種情報が瞬時に真相を伝えます。これを「機微」と呼ぶのでしょう。演技力は勿論のこと、カメラワークや演出が素晴らしいのは大前提ですが、心情を受け取る側にも技量が求められます。といっても日本人なら普通に身に着けているスキル。こう書くと「差別」云々言われそうですが、そんなつもりは毛頭ありません。単純に「慣れ」や「経験」の話。ひよこの雌雄鑑定が素人には無理ですよと同じ。外国人でも長年日本で暮らしていれば機微を感じ取れるでしょうし、日本人でも子どもでは無理です。舞台をフランスに移した理由も多分これかと。外国人俳優を起用することで「わざわざ感情を伝わり難くした」。胸糞ぶりは最高峰クラスの物語。直撃すると心がやられます。設定や表現同様、人物に配慮を加え「観易くした」と感じます。それはエンターテイメントとして正しい姿勢でしょう。ただし匙加減は間違えました。カレーから重要なスパイスを抜いたような。あれ全然フランス料理の喩えじゃないですね。 さらに補足するなら「夫婦」の視点を付加したこともセルフリメイクの意義と感じます。オリジナルは「父親」の話。「母親」は欠片も出てきません。その「不手際」を補い「夫婦」の話に落とし込んだのは流石だと思います。新島最後の台詞が「監督が一番言わせたかったこと」では。採点は6点。オリジナルは7点なので1点しか違いませんが、胸糞マイナスの8点満点中の7点に対し、本作は10点満で6点です。点数以上に満足度には差があります。
[インターネット(字幕)] 6点(2025-01-23 18:14:36)
4.  Cloud クラウド 《ネタバレ》 
黒沢清監督と言えば邦画界きってのホラー上手であり難解映画クリエイター。その語り口は『黒沢清節』とでも呼びたい特徴ある演出技法にあり、ホラーとの相性が抜群です。また「台詞ではなく映像で語る」を旨とし「観客の想像力」を最大限活用する脚本を用いるため「親切」「丁寧」とは無縁の監督と言えましょう。ゆえに黒沢作品は(しばしば)難解映画にカテゴライズされるものと考えます。そこで本作。現代日本社会の闇を切り取った寓話的サスペンスでありました。そう、本作は本質的に「寓話」です。設定や展開は寓話らしく単純化されていますし、リアリティは担保していません(というよりリアリティを必要としない)。キャラクターの言動は合理性を欠きます。一般的なサスペンス映画のつもりで鑑賞すると「なんだこりゃ」になりかねません。リアリティ至上主義の岸部露伴先生なら白目を剥くかと。しかし寓話と認識してしまえば問題ありません。ネット世界を中心とした破滅の道程が「むしろ生々しく」描かれていました。 なお本作は「難解」ではありませんが「解釈」したくなる物語ではあります。そこは流石の黒沢印。例えばラーテル配下の青年。獅子身中の虫か、簀の子の下の舞か。劇中「転売屋の仕事はババ抜きのようなもの」という台詞がありましたが、彼はまさしく「JOKER」の象徴でしょう。ババ抜きならば最後まで持っていたら負け。でもポーカーや大貧民なら最強のカードでもある。転売屋という商売におけるババ=JOKERは紛れもなく商品で、大化けして富をもたらす物もあれば、利益ゼロどころか厄災を連れてくる品もある。いずれにしても自分の意思で手放すことは叶いません。ほんと転売はババ抜きに等しい。今回の騒動では最強カードJOKERの特性により窮地を脱することが出来た主人公ですが、ババ抜き人生は依然続行中です。富と憎悪の先にあるのは負けた時破滅が確定している未来。JOKERと共に生きるより選択肢がなくなった人生を「地獄」と呼ぶのに違和感はありません。
[インターネット(邦画)] 8点(2025-01-18 16:43:00)
5.  あのコはだぁれ? 《ネタバレ》 
本作はホラーシリーズの続編です。1作目『ミンナのウタ』から順に鑑賞することをお勧めします。  恨み辛みで呪い殺すのではなく、純粋な好奇心と探究心で人を殺める高谷さな。呪いを解かなければ必ず死に至る貞子に対し、さなの呪いはさほど致死率は高くありません。実は助かる人の方が多いのです。しかし感染力は半端ありません。貞子の場合は某病原ウイルスを由来としていますが、さなの呪いはまるでコロナウイルスのよう。要するに「風邪」です。マキタスポーツがいう「厄介だ」とはこのこと。頑張れば無害化できる貞子の呪いの方が対処し易いとも言えます。「風邪は万病の元」ならぬ「さなの呪いは万死の元」。さなの呪いはこの世界から消え去ることはありません。まさに新型コロナウイルス=COVID-19の如き厄災でした。もっともCOVID-19の予防法が「人と距離を取る」であったのに対し「さなの呪い」の対抗策が「手をつなぐ」なのは何とも皮肉な話でありますが。 呪霊「高谷さな」のポテンシャルは相当に高いと感じます。呪いの媒介はキャッチーなメロディ。事務所いや家族総出で嫌がらせをしてくる点は相当に悪質です。上手く育てれば(?)貞子、伽椰子に次ぐ新たなホラーヒロインになりうる逸材では。にも関わらずなぜこんなにもパッとしないのか。これは偏にリアリティの欠如が問題と考えます。例えば冒頭の自動車事故。動転して救急車を呼べないのであれば硬直してください。それがリアリティ。頭部を強打している人間を躊躇なく抱き起こすのは不自然過ぎて見ていられません。終盤に仕込まれている大ネタにしてもそう。漢字は同じで読みだけ変えていたら素直に感心出来たのに。「改名はそんなに簡単じゃねえぞ」ですし「そもそも改名する意味ねえぞ」とも思います。おフザケは結構ですが、いい加減なのは困ります。いくらトンチキホラーだとしてもです。折角の優れたアイデアが脚本の不手際で殺されてしまうのはホラー以上にホラーな話という気がします。
[DVD(邦画)] 5点(2025-01-01 00:00:01)
6.  お坊様と鉄砲 《ネタバレ》 
実はほんのりサスペンス風味あり。ネタバレしていますのでご注意ください。  白状すると最後僧侶が鉄砲で無茶苦茶すると思ってました。選挙担当の役人を撃ち殺すか、さもなくば決闘を申し込むか。そのための鉄砲2丁。AK47で地獄絵図ですよ。逆に仏教ぽい。そんな物騒な映画でないのはポスターを観れば分かりそうなものですが、直前まで『ウォーターシップ・ダウンのうさぎたち』と本作どちらを劇場鑑賞するか迷っていたため変な先入観があったかもしれません。こんな戯言黙っていれば済む話ですが、そんな殊勝な人間が長文レビューを投稿するはずもなく。いらん前置き失礼しました。 で感想ですが、シンプルにとても良かったです。ブータン初めての選挙。それは勝ち取ったのではなく与えられた民主主義。選挙担当の役人に対して選挙運動が原因で家庭不和に悩んでいる母親が放った「私たちが民主主義を望んだわけじゃない」という言葉に痺れました。民主化、近代化、貨幣価値。善って何?物事の値打ちは誰が決める?問い掛けは実に単純です。でも「当たり前」に染まっている身では気づけない。気づけるはずもない。私にとって有益な学びがある映画でした。かといって説教臭さは一切ありません。ウイットに富む軽やかな社会風刺が実に小気味よく、ハートフルなのに意外とサスペンスなドラマに合っていました。派手な展開こそありませんが(もしかすると序盤は退屈するかも)、しっかりお出汁の効いた旨味たっぷりの物語だったと思います。後味もスッキリで良いオチ。誰も不幸になっていません。流石幸せの国ブータンですね。観られる映画館は限られると思いますが、日本人にこそ是非お勧めしたい映画です。
[映画館(字幕)] 8点(2024-12-22 10:00:28)
7.  唄う六人の女 《ネタバレ》 
ハイセンスお洒落系不条理サスペンスの装丁ですが、中身は典型的な寓話でした。時代設定さえ変えれば「まんが日本昔ばなし」の一編でも違和感はありませんし、ジブリ映画と言われても気づかない。さしずめタイトルは『もののけ森の神隠し』。おっと内容は意外とハードなのでファミリー向けではありませんね。 寓話ですから教訓が付き物ですが、本作の場合は何でしょう。「自然を守ろう」ですか?あるいは「親と仲良く」ですか?いいえ違います。「ここぞという時、判断を誤るな」です。 主人公は奇跡的に迷いの森から生還し恋人と再会できました。それは森の住人の意思を汲む姿勢を見せたから。道義的に彼は森を救う努力義務を負いますし、彼自身の意向にも沿うので不都合はありません。しかしタイミングを測る必要はありました。 恋人は主人公に懇願します。一旦家に帰りましょう。大事な話もあると。しかし彼は固辞し再び森へ向かってしまいました。この展開は映画として当たり前です。戦闘員とひとしきり戦ったのち、一服してからボスと戦う仮面ライダーなんて居ません。公共の利益のために我が身を投げうつ様は『宇宙戦艦ヤマト』のヒロイズムに通じます。しかしこれは昭和の価値観に基づく正義では。今時流行りません。ワークライフバランス。デジタルトランスフォーメーション。私は主人公には一度冷静になって頂き、家に帰って欲しかったと思うのです。それじゃあドラマチックじゃない?知らんがな。 その場の勢いで無茶するのがカッコよく思えるのは精々20代まで。不惑どころか知命に差し掛かる大人の分別の無さに閉口します。適齢期の女性と付き合う覚悟に欠けるのも同じこと。そういう意味で彼は"大人になりきれていない"と感じました。これは武田玲奈と付き合える50男にやっかんでいる訳ではありません。ええ、断じてありません。 教訓は基本的に反面教師や失敗例なので"正しい"寓話の姿ではあります。ただし現代劇ならば、現代らしい教訓を入れては如何でしょう。ラストで「車両保険に入っていて本当に良かった」なんて一人語りを武田が始めたら、映画としては0点ですが私は満点を付けます。
[インターネット(邦画)] 6点(2024-12-21 16:11:10)
8.  ミステリと言う勿れ 《ネタバレ》 
ネタバレしています。ご注意ください。  テーマは「幼少期の重要性」です。整くんは少女が抱えるトラウマに対して「子どもの心は固まる前のセメント。どんなものを落とされたのか」と嘆いています。確かに彼女は心に深い傷を負っていました。しかしカウンセリングである程度の修復は可能でしょう。それが救い。しかし犯人の方はそうはいきません。常軌を逸した犯罪を自身の使命として疑わない。洗脳等という生易しい代物ではなく、アイデンティティに根ざした異常な価値観が形成されていました。更生は不可でしょう。そんな刷り込みを与えた親の方が自身の犯罪を理解している分「まとも」というのが何とも遣る瀬無い。後味の悪い結末でした。  『ミステリと言う勿れ』はTVドラマは録画を繰り返し観るほど好きですが、原作は未読です。そのような私が常々感じているのは「この作品は嘘(無茶な設定)が多い」ということ。代表的なのが「ライカさんの数字会話」ですが、本作の「動機」も相当無理がある。例えばこれが戦前の話であれば納得出来ます。閉ざされた村。家族の中で異常な概念を刷り込まれたら、そりゃ狂って当たり前です。しかし現代日本では様々な情報や価値観にさらされる。勿論基礎教育もしっかりしている。正直、ここまで反社会的な、というより荒唐無稽な価値観が形成されるのか疑問です。いやアルゴリズムで一面的な情報を吹き込まれ、陰謀論が幅を利かせてしまう現代日本の方がむしろ危ないのかも。 設定上の不具合は当然マイナスですが、整くんの言葉が魅力的なためマイナスを帳消しにして上回るプラスがありました。シリーズの本質は確かに「ミステリ」ではなく「整くんの説教」だったと思います。寓話的な楽しみ方と言っていいかもしれません。この観点でこの映画を見返すと、整くんの説教がやや不足していた気がするのです。これが映画に対して感じる「なんとなく物足りない」の正体では。整くんが反論するに値しない異常な犯罪であったとも言えますが。
[ブルーレイ(邦画)] 6点(2024-12-05 10:54:47)(良:1票)
9.  変な家 《ネタバレ》 
原作者の雨穴氏はイントロダクションで「本は4章構成。映画は例えるなら第5章。小説と映画2つ合わせて初めて【変な家】が完成する」と言っていました。私はYouTube動画しか観ていないので断言は出来ませんが「第5章」ではなく「蛇足」【変な家】ではなく【変な映画】の言い間違いだったと確信しています(あっ断言してる)。
[ブルーレイ(邦画)] 4点(2024-11-28 22:59:49)
10.  先生!口裂け女です! 《ネタバレ》 
高校の教室で生徒の口から表題の台詞が発せられます。つまりタイトルの「先生」が指したのは「教師」でした。もちろん世間一般で「先生」と呼ばれるのは教師に限りません。医師、弁護士、代議士、小説家、漫画家などなど。そう、本作の「先生」にも「教師」以外の意味が含まれていたのです。格闘技の師範を称して「先生」と呼ぶ。その相手が「口裂け女」でした。分かり易くタイトルを補足するなら『先生は口裂け女です』。観ていない人には「なんだそりゃ」でしょうが、本作では「口裂け女」が仲間となり、主人公に格闘技を教えました。予想だにしなかった展開。そんな口裂け女は、アパート住まいの単車乗り。都市伝説の怪物ではなく、「走るのが異様に早く」「格闘が滅法強い」「口が裂けている一般女性」というオチです。このアプローチに感心しました。散々擦られてきた「口裂け女」にこんな切り口があったとは(おっと、この切り口は駄洒落とかではありません。なんか恥ずかしいわ)。しかもこの設定がフェイクで二度びっくり。「口が裂けているだけの一般女性」と思わせて、やっぱり「怪物」だったとは。そうじゃなきゃ、平気で何人も殺したりしないでしょうよ。いやはや、見事な脚本、そしてアイデアの勝利でした。何気に格闘シーンも見応えありで、主人公が口裂け女から習った技を繰り出すシーンなんてジャッキー・チェン映画ばりのカタルシスがありました(ちと褒め過ぎ)。 怪物が正義の味方という観点では『妖怪人間ベム』や『デビルマン』の流れを汲むものであり、昭和のヤンキー漫画のテイストを令和で再現したという点では『今日から俺は』に通じるものもあります。と、結果的に絶賛レビューとなってしまいましたが、見た目通りB級映画である事に違いはありません。役者さんの演技含め安普請であることは否めません。ただ、前述のとおり「よく出来ている」のです。喩えるなら知らないコンビニの500円弁当が800円くらいの価値があった時の嬉しさというか。ですからデパ地下の1,500円弁当には負ける訳です。でも好感度は高いでしょって話。何だか取り留めのない感想になってしまいましたが、現場からは以上です。
[インターネット(邦画)] 7点(2024-11-20 18:28:00)(良:1票)
11.  ベイビーわるきゅーれ ナイスデイズ 《ネタバレ》 
ネタバレ含みます。ご注意ください。  「シリーズ最高傑作」なんて言葉を使うと逆に信憑性が疑われそうですが(失礼。他意はありません)率直に言って最高でした。『ベイビーわるきゅーれ』が「完成」した気がしました。二作目は「洗練されたけど逆に物足りなくもない」と感じましたが、本作には満足感しかありません。同じく二作目の感想から引用するなら、マジで170kmの豪速球なのに制球力抜群の投手に育った印象です。中でもアクションの進化と深化が止まりません。もともとジャッキー・チェンとUWFのハイブリッドでしたが、更に桃太郎侍と昭和のロボットアニメ最終回もトッピング。"リアリティなんてクソ喰らえ"(暴言失礼)なファンタジームーブは圧巻の一言で、アクション映画におけるエンターテイメントサイドの頂を極めたようにも感じられます。これは単に「格闘シーンの見栄え」を称賛しているのではありません。「気持ち」と「ドラマ」を乗せたアクションだからこそ心が揺さぶられたのです。プロレス的と言っても構いません。そういう意味で本作の殊勲賞は圧倒的な存在感を見せつけた池松壮亮で間違いなく、技能賞は伊澤彩織に、敢闘賞は髙石あかりに差し上げたい。とくに髙石は俳優として一皮も二皮も剥けたと思います。ベビわるファン(そんな略し方はしないですか?)は基本的に深川まひろに魅了されている気がしますが(もしかすると勘違い?)、本作の杉本ちひろに惚れないファンなんて居ないでしょう。コメディエンヌとしてもアクション俳優としても申し分なく、NHK朝ドラヒロイン抜擢も何ら不思議ではありません。これから髙石あかりという逸材が世間に見つかる訳です。胸熱ですな。 「勝利」「友情」「お仕事大変」が三本柱のエセ少年ジャンプのような本シリーズは、アクションだけでなく青春ドラマもコメディパートも素晴らしく、こと本作に至っては欠点らしい欠点が見当たらない「無敵映画」となりました。いや、1点だけ注文を。個人的な好みを言わせてもらうなら最終盤居酒屋での台詞が引っ掛かりました。「らしくない殺し屋」がコンセプトではありますが、二人に『深夜高速』みたいな台詞は言って欲しくなかったなあと。「ボロは着てても心は錦」ではありませんが「ケーキを頬張っても気概は殺し屋」であって欲しいと願います。重箱の隅を突くような言い掛かり、申し訳ありません。 それにしても前作の駆け出し殺し屋ブラザーズといい、本作の最強野良殺し屋といい、愛すべき良キャラクターが1作限りで退場とはなんと贅沢つくりでしょう。作品の性質上仕方ありませんが、本当に勿体無い話です。救いは前田敦子と沖縄マッチョが生き残ったことでしょうか。次回以降も必ず出演してくださいね。 シリーズ続編映画に本サイトの最高点を付けるのは『エイリアン2完全版』以来であり、中毒性は『キック・アス』にも負けません。『チョコレートファイター』で「一食抜いてでも観るべき映画」と書きましたが本作でも同じ事を言わせてください。これらは私の中で最上級の褒め言葉です。
[映画館(邦画)] 10点(2024-11-09 22:12:34)
12.  あまろっく 《ネタバレ》 
ネタバレあります。ご注意ください。  本作のハイライトは【私があんたのあまろっくになってやる】です。優子にこの台詞を言わせる為の物語でした。なんと感動的な言葉でしょう。私は撃ち抜かれました。しかし同時に「でも自分の人生を犠牲にするのはあかんやろ!」と猛抗議せずにはいられません(口調は関西弁で)。結末についてはあえて言及しません。未見の方はご自身の目でご確認ください。 本作についてはやはり「リアリティ」に触れざるを得ません。①20歳女性と65歳男性の結婚は許されるのか。②39歳無職女性に同年齢の商社マンは釣り合うのか。③20歳継母と39歳義理の娘との同居は可能なのか。常識的に考えれば全てNOです。お花畑が過ぎます。私自身3人娘の父親なので①については仮に相手がビルゲイツやキムタクであっても論外です。②は「そんなケースがあっていい」とは思うものの、確率はかなり低いと思います。39歳橋本環奈が24歳の牧野ステテコに勝てないのが婚活市場では。③については何でしょう。地獄絵図しか思い浮かびません。今は無き昼メロドラマの呪いでしょうか。しかし本作は愛の物語。あらゆる障壁が無効化される強力魔法が掛けられています。だから常識を持ち出しても意味がありません。これは現実世界も同じ。そういう意味で「愛」は無敵です。 あるいは「多様性を認める社会」という切り口で本作を解釈することも可能でしょう。この概念もまた愛には敵わぬまでも十分強力な魔法です。八百万の神を認める日本人気質にも本来「多様性」は合っている気がします。もっとも本作が上質なのは、これら魔法を物語上の免罪符として利用していないこと。あくまで正攻法で観客の理解を得るよう努めています。好感度オバケの鶴瓶師匠。鯖以上にサバサバしている江口のりこ。キャラクター造形は文句なしで、夢物語に最低限のリアリティを担保しています。ただ一点だけ異を唱えたい箇所あり。それは年の差カップルの馴れ初め。男女を入れ替えれば即訴訟案件なのは間違いなく、コレが許されると思う感覚が古いと思います。
[インターネット(邦画)] 7点(2024-10-09 22:58:02)
13.  リトル・エッラ 《ネタバレ》 
表層は王道のキッズコメディで愉快に楽しく。しかし根底には「親からの愛情不足」に起因すると思われる「特定人物への執着」=「放置子」の典型例がエッラの言動に見受けられました。イタズラの程度も度々常識の一線を越えており、場合によっては「問題児」のレッテルを貼られ兼ねないと感じます。彼女は思いの外シリアスな問題を抱えていたと思います。甘いコメディの底に苦味あり。そう本作はまるで「プリン」のようなお話でした。イメージカラーまで同じ。ただご注意頂きたいのはカラメル部分に気を取られ、お話を「わざわざ難しく」観る必要はないということ。プリンの主役はあくまで甘く黄色いプディング部分です。エッラの可愛い嫉妬(?)を優しい気持ちで見守ってください。彼女はちゃんと成長してくれます。エッラの主語が「わたし」から「あなた」に替わる瞬間をどうぞ見逃さないでください。「友達は人生の庭に咲く花」水を撒き栄養を与えることで花は咲き人生に彩りを与える。もちろん異議などありませんが、庭にもいろいろありまして「枯山水」も乙なものであります。要は自分に合った庭を造ればいいのです。幸いにもエッラの周りに美しい花が一人咲きました。どうか健やかに育ち、また育ててください。
[映画館(字幕)] 7点(2024-10-04 10:39:56)
14.  タコゲーム 《ネタバレ》 
パロディ邦題を日本配給時に付けたパターンかと思いきや、原題が『The Oct Games』。つまり元から「柳の下のどじょう」を狙った映画だったようです。日本配給会社はこの類の映画ならお任せ、ご存じアルバトロス。作品のビジュアルイメージは彼の作品を想起させるものの“本編で登場しない”服装や状況であり、要するにパッケージ詐欺です。悪質っちゃあ悪質ですがアルバトロスのやる事に目くじらを立てても仕方ありません。こういうポジションを獲得すると得ですな。 さて物語を要約しますと『集められたプレイヤーに8種類の子ども遊びに挑戦してもらい、最終的に勝ち残った一人に豪華賞品を進呈する』というもの。勿論敗者には死が待つデスゲームです。このタイプのホラーは履いて捨てるほど量産されていますが、特筆すべき点が一つありました。優勝者に約束の報酬がきちんと支払われたのです。フォロワー数1億1千万人のアカウントの譲渡。ちゃぶ台返しがデフォルトの有報酬デスゲームでなんと誠実な対応でしょう(元ネタの方は観ていないので知りません)。「犯罪に使われたアカウントは使えないでしょ」という至極真っ当な疑問はこの際無視してください。それより深刻なのは、肝心のデスゲームが壊滅的に面白くないこと。やる気が微塵も感じらないというか、子供騙しにすら達していないというか。このような安易な企画がよく通ったものだと逆に感心します。ちなみにゲーム運営側のひとりが最後に意味ありげに顔を晒しますが、主人公はもちろん観客の誰もが「お前誰だよ!」と心の中で突っ込んだはずです。少なくとも日本語吹き替え声優はTAIGAさんにすべきであったと本気で思っています。
[インターネット(吹替)] 2点(2024-10-01 18:58:58)
15.  ゾンビ・サステナブル 《ネタバレ》 
ゾンビ映画の快作『ゾンビマックス 怒りのデス・ゾンビ』の続編。前作の感想で延々と邦題について物申しましたが、本作もまずは邦題から。続編ならば『ゾンビマックス2』ないし『ゾンビマックス 〇〇〇〇』とネーミングするのが常道です。前作はかなり面白かったので、続編なら観たいと思う方は多いでしょう。しかるに何故続編と分からぬ邦題なのか。これは『ワナオトコ』『パーフェクト・トラップ』のパターンと推測します。配給会社が替わったため。調べてもよく分からなかったのですが、これ以外考えられません。作品説明も「ゾンビマックスと同じ世界線」といった微妙な言い回し。『パーフェクト・トラップ』の感想でも書きましたが、業界内で上手いこと調整してください。こういう紛らわしい事をされると顧客が損をします。調整が無理ならせめて『ゾンビマックス』の続編と匂わせてください。本作の場合『マックスゾンビ 怒りの新ゾンビ』で問題ありません。これに文句を言うような配給会社なら『マッドマックス』のパクリ邦題なんて付けたりしないでしょう。 ここで終わると前回に引き続き「俺って何にも言ってねえ!」(スチャダラパー)になるので以下本編の感想を。正直な気持ちは「前作は何だったの?と言いたくなるくらい面白くない」です。いや多分一般的なゾンビ映画としては悪くありません。相変わらずアイデアも豊富ですし。『バイオハザード』の2作目と同じ副題『アポカリプス』を冠していることから目指す方向性はバイオハザードシリーズなのでしょう。特殊能力で敵対組織と戦いながらゾンビ世界を生き抜く。それはそれで構いませんが、制作費が大幅にアップして「できる事が増えた」分「ごちゃごちゃしてしまった」印象です。ゾンビ映画は基本的に画面が汚く(別に貶していません)視覚情報過多な傾向にあるため、ストーリーはシンプル過ぎるくらいで丁度いい気がします。その点本作は「囚われた少女を救出する」という命題が明確になるまで紆余曲折ありましたし、敵対する『武装研究集団』を悪と切り捨てられないジレンマも存在し困惑しました。また前作の主要キャラクターを脇に回した降格人事にも異議あり。観客は思い入れのあるキャラクターの活躍が見たいのです。 前述したとおり本作はいわば『バイオハザード』系統の亜種。バイオハザードはミラ・ジョヴォヴィッチという類まれなスター女優の魅力に支えられてきたシリーズ。本作の場合はどうでしょう。『鬼滅の刃』禰豆子ちゃんに該当するブルックはかなりイケてますが、彼女にシリーズの人気を託すならもう少し扱いを良くして欲しいと思います。
[インターネット(吹替)] 5点(2024-09-27 19:08:25)(良:1票)
16.  キラー・ナマケモノ 《ネタバレ》 
『チャイルド・プレイ』が公開された1980年代であれば、そして河崎実監督であれば、ぬいぐるみ感が否めないナマケモノの造形も奇想天外な能力もさほど違和感は無かったかもしれません。いや違いますね。珍品映画界の盟主・河崎実監督であってもナマケモノを殺人鬼に仕立てるなら、それ相当の言い訳を用意したはずです。突然変異、DNA操作、悪魔の憑依とか。スマホを操作し、自動車を運転し、真剣白刃取りまでしてしまう殺人ナマケモノを、何の説明も無く提供してしまう映画がクレイジーなのは言うまでもありません。ただ逆に考えるなら言い訳一つあればこの無茶な設定は成立しました。例えば「ナマケモノは宇宙人だった」としてみましょう。あら不思議。前述した数々の「そんな訳ねえだろ」から疑念が消え去ります。この辺の「味付け」はお客様次第と言われるなら別に腹も立ちません。好き勝手に解釈します。しかしナマケモノ(名前はアルファでしたっけ)が犯した殺人の数々が明るみにならなかったのは何故でしょう。自動車を運転できるなら殺人の隠蔽くらいお手の物でしょうが、学生が突然居なくなった事実は消せません。どうして誰も騒がないの?10日程の間に4、5人は殺された気がしますが。このあたりの事情はアメリカの大学生文化が分からないとちと辛い。学生が突然消えるなど日常茶飯事。「どうせボーイフレンドとしけ込んでいるんでしょ」(言い方が古い)と判断されたと推測しました。少なくとも大学の寮長を決める選挙に躍起になる感覚や謎の伝統儀式、あるいはスクールカーストを懐かしんだり嘲笑できたりする人向けの映画なのは間違いありません。やはり映画を楽しむには「教養」が欠かせません。そういう意味で本作を楽しむ素養が私には足りませんでした。河崎実作品で「珍品」は結構勉強したつもりなんですけど。
[インターネット(吹替)] 4点(2024-09-23 14:51:54)(良:1票)
17.  人狼ゲーム 夜になったら、最後 《ネタバレ》 
「全米初登場第10位!」というあまり見たことない控えめな(でもよく考えると十分凄い)煽り文句に心動かされて鑑賞。停電!道路遮断!繋がらない携帯電話!雪山のホテルに館詰め!さあ人狼ゲームの準備は整った!との予告編はなかなか魅力的でしたが、実際のところ出鱈目とは言わないまでもJARO案件の匂いがプンプンします。自然災害と何者かの工作により孤立する町。一度は住民全員でホテルに泊まると決めたものの、被害者が一人出た時点でもうバラバラ。みんな自宅に帰ってしまいます。そりゃそうだ。殺人鬼が宿泊者の誰かと疑われる状況ならば、一緒に泊まるメリットはありません。このあたり設定がゆるい。せめて外は猛吹雪で帰宅不可にしないと。もっともソリッドシチュエーションが過ぎるとこの後の展開が続きません。「人狼ゲーム」の名が付いているものの実際は「ゲーム」ではなく「ルール」もありません。怪しい住民を順番に吊るす事は出来ませんし、殺人鬼も厳戒態勢下では容易に獲物を狩れません。ある程度人を流動させるのは仕方がないかと。ただ折角閉鎖空間で高まった緊張感が、フィールド開放と共に霧散してしまったのは残念でした。「人狼ゲーム」とはあまり関係なく、何人か殺され何人か事故死。終盤にきて急にストーリーが渋滞した気がします。結局「人狼なんて居なかった」じゃなかった点は評価しますが、サスペンスとして楽しめるかというと微妙。ブラックコメディと割り切って観た方が良さそうです。
[インターネット(吹替)] 6点(2024-09-21 16:51:31)
18.  スクリーム(2022) 《ネタバレ》 
まずお詫び。『スクリーム』シリーズは「多少知識はあるがガッツリ観ていないこと」また「本作を第1作目のリメイクと勘違いしたこと」何なら「スクリームとワイルドシングスシリーズを混同していたこと」。以上かなり誤った認識で本作を鑑賞してしまいました。申し訳ございません。シリーズ映画なのに前提となる知識が欠けていることをご容赦ください。ちなみに本作のシリーズナンバリングは『5』。そう付けなかった理由は観て分かりましたが、そう書いてくれたら間違わなかった(観なかった)のに。なおネタバレしていますのでご注意ください。  劇中キーワードとして度々出てくる『スタブ』なる単語は、スクリームの生存者が実体験に着想を得て執筆したホラー小説だそう。要するに『スクリーム』=『スタブ』と見立ててよく、いわゆる劇中劇スタイルでした。でいきなりネタバレですが、本作は『スタブ』の熱狂的ファンが引き起こした連続殺人。動機は『スタブ』続編の出来があまりにも酷いから。犯人は「スタブシリーズとはこうあるべし」との見本を示したかったようです。理念は原点回帰。だから本作のタイトルからもあえて『5』を外した訳です。うーん。動機が糞。穿った見方をするならば「ホラー映画マニアなんてとち狂った奴らばかり」とも言えます。これは『スクリーム』の続編に寄せられた苦情に対する制作サイドからのアンサーかもしれません。評判悪かったんでしょうか?いずれにせよ大切な顧客に対して酷い物言いと言えましょう。映画愛溢れる『ニューシネマパラダイス』とは真逆であります。 『スクリーム』はやたらと“ホラー映画のお約束”を気にします。「こんな言動はするな。殺されるぞ」と。まさに本作の被害者もこのルールに則り殺されており思わずニヤリとさせられます。だからこそ本シリーズは人気なのでしょうが「あんなお面付けていたら人殺しなんて出来ないだろ」とか「銃なんて持ち出すなよ。興ざめじゃん」は言わないのですか?シリーズに対する見識が不足している為分かりかねますが、個人的に気になるポイントです。このあたり私の持論は『サンクスビギンズ』内で真面目に述べておりますので併せてお読みいただけると幸いです。 ミステリーとしての出来はどうでしょうか。体型を隠すファッションゆえ殺人鬼の性別は不明ですが、殺害方法で腕力を使用している為「犯人=男」は確定でした。それなら何故クライマックスまで男性容疑者を複数人残しておかなかったのでしょう。私はてっきり昨今のジェンダーレス化の影響を受け「見た目は女。でも遺伝子的には男」なサプライズキャラがいるとばかり思っていたのに。このあたりの「手抜かり」は単に脚本の欠陥なのか、あるいは「素人脚本家(=スタブファン=犯人)の考える事なんてどうせこの程度のものだ」という裏メッセージでしょうか。真相は測りかねますが、メタ構造ならではの「面倒くささ」を感じずにはいられません。 ところで本作の主人公は誰でしょう。普通に考えればお姉ちゃん=サムでしょうが、ビジュアルイメージではシリーズのレギュラーメンバーの顔の方が大きく写されています。原点回帰のテーマにも沿うので、彼女らがやはり主役だったのでしょうか。うまく世代交代できれば次作で残りのオリジナルメンバーが殺され有名俳優のギャラが削減できそう。『太陽にほえろ』方式ですな。ホラー映画で殺人鬼の方が交代し被害者側が固定というのもなかなか斬新なシリーズだと思います。
[インターネット(吹替)] 6点(2024-09-18 18:24:42)
19.  新・三茶のポルターガイスト 《ネタバレ》 
以下は私の受け止めであり、あくまで「個人の感想」です。予めご承知おきください。  前作では霊の「手」が出現しましたが、本作では「頭部」「上半身」も姿を現しました。続編らしく現象がちゃんとスケールアップしています。中でも衝撃だったのは『オカルトセブン7★』なるアイドルちゃんのステージに突如として現れた「仮面の男」でした。11人グループなのに「1人増えている!」と現場は騒然。失礼ながらこの時点で爆笑です。と同時に「ガチ」の看板が跡形もなく消えました。この件も含め「不可思議な現象」に対して科学分野の専門家が現場検証を行いましたが、超心理学者も物理学者も見解は「やらせ」で一致しました。「物理学とはあらゆる可能性を排除し構築されてきた理論。もし覆るような発見があれば即ノーベル賞だ」という物理学者の言葉は重いと感じます。 ここで注目したいのは「超常現象」の定義です。科学者は先の言葉のとおり「あらゆる可能性を排除して残った事実」を指すのに対し、オカルト支持者は「不思議な事はオカルトに違いない」でした。印象的だったのは「仮面の男」が消えた跡から「枯れ草」が見つかった件。現場に居合わせた者の共通認識は「多少臭うかも」でしたが、角由紀子氏のみ「あの臭さは異常。ジップロックを何重にもしないと漏れ出てしまう」と語っており「認知バイアス」の存在が伺えました。「呪物は臭い」がオカルト界隈の常識です。あるいは「息を吐くように嘘を付く」症例かもしれませんけど(失敬)。この件に限らずオカルト支持派の主張は主観ばかり。「あんな狭い場所に長時間人が潜むのは困難だ」「この現象を人為的に起こすなら一体いくら経費がかかるのだ」「仕込みがバレたら恥ずかしい。だからヤラセは無い」「スタッフを心霊騒動に巻き込むのは道義的にありえない」などなど。仕舞には「霊が居ないことは証明されていない」です。私の耳には「ギブアップ」に聞こえます。 「客観」の科学VS「主観」のオカルト。双方仮説止まりで誰も核心(物証)へ踏み込もうとしません。武士の情け?ビジネスにおける阿吽の呼吸?いずれにせよイニシアチブは施設所有者&映画制作サイドが握っているため、不完全決着が彼らの意思です。いわば「両者リングアウト」。昭和のプロレスでした。なお今回「水が噴き出る鏡」については完全スルーでした。鏡を外せばトリックの有無は一目瞭然なのに。この一点からも本現象の正体が垣間見えます。 さて、ここからは私が推測する【騒動の顛末】です。【発端はプロモーションも兼ねたオカルト好き社長の些細な悪戯。次第にエスカレートしていき世間にも知れ渡り引き返せなくなった。噂を聞きつけたオカルト界隈や映画制作会社はビジネスチャンスに乗っただけ。真相を知るのは事務所関係者の一部。真相を知らぬ(どうでもよい又は知らぬフリを含む)取り巻き多数。洒落が通じなかった一般人(陣内、デニス含む)が大多数。なお明らかに“やりすぎ”な「仮面の男」は、社長からの「消極的なやらせの告白」ではないか】以上。最後の一文は「匙加減を間違えた過剰なサービス精神」な気もしますが。 前作の私の投稿をお読み頂けると分かりますが「ガチ」であることを少しでも期待した自分を恥じています。「オカルト」に「ガチ」なんて概念は無い事をすっかり忘れていました。UWFでもあるまいに。やはりポイントは「仮面の男」と考えます。あれは「この作品はフィクションです」宣言。街裏ぴんく氏の「女芸人としてやらせてもらってます」と同質のボケです。つまり前作の感想で私が提示した「選択式回答」の答え合わせをすると④が正解でした。ぴんく氏の場合ピン芸人なのでツッコミ不在ですが、映画では科学者がツッコミ役です。しかしながら学者先生は芸人ではないため、まるでキレがありません。だから観客は戸惑うのです。いっそカミナリのたくみ君を連れてきて「こんなのオバケな訳ねえな!」と角由紀子氏の頭をはたけば分かり易くコントが成立しました。東京ホテイソンの「い~や普通にアイドルファンの男子」でも良いでしょう。 冷静に振り返ると最初から「ガチ」の看板など掲げられていなかったのかもしれません。「映画はフィクション。ドキュメンタリーはノンフィクション」という先入観がいけなかった気がします。今回私は劇場鑑賞こそしなかったものの、普段は手を出さない新作レンタルをしています。お値段500円也。社会勉強代としてはリーズナブルと思います。「自分だけは絶対に詐欺に引っ掛からない」は「あり得ない」が身に染みた貴重な体験でした。流石に本作で打ち止めだと思いますが、万が一にも続編で「あらゆる可能性を排除した本物の超常現象」が確認された場合は陳謝して考えを改めると共に点数を変更します。勿論その時はノーベル賞受賞も併せて御祝い申し上げます。
[インターネット(邦画)] 0点(2024-09-16 16:27:56)
20.  帰ってきた あぶない刑事 《ネタバレ》 
『トップガン』『マトリックス』少し前だと『インディージョーンズ』。不思議なタイミングで制作される人気シリーズ映画の続編。本作もそんな映画のひとつです。前作公開から実に8年後。劇中でも同じ月日が流れていました。当然キャストの皆さんもその分御歳を召す訳で、ダンディ鷹山もセクシー大下もはっきり言えばお爺ちゃんです。だって実年齢70オーバーですもの。しかし文句なくスタイリッシュ!期待値を遥かに上回る見事なアクションを見せてくれました。郷ひろみにしてもそうですが、ファンの理想を裏切らぬプロポーションを維持しているだけで本当に凄いと思います。これぞ「スター」で間違いありません。 物語の方は良くも悪くも『あぶない刑事』としか言いようがなく、本来昭和のエンタメ刑事ドラマのスタイル(または様式美)を令和で再現しようとするとこうなるんだろうなという感じ。こう言っては何ですが脚本家の方はさぞ頭を悩ませたことでしょう。元刑事に銃を撃たせるだけでも無理難題どころの話じゃありません。ですから私は二人に銃を渡した力技に対し「そんな訳あるかい!」とは言いません。よくぞ鷹山刑事に「単車ショットガン」シーンを用意してくれたと素直に感謝したいと思います。もちろん浅野温子さんも仲村トオルさんも「らしさ全開」の熱演ありがとう御座いました。 さらなる続編は無いとは思いますが、もし制作されるのであればいっそ「ゾンビもの」へシフトしては如何でしょうか。この世界なら倫理観とかリアリティなんてものに縛られず、自由に銃が撃てますし、あぶデカドラマも違和感なく展開出来るのでは。これ冗談に聞こえるかもしれませんが、割と本気で提案しています。ちょっと想像してみてください。マジでハマると思いませんか? 以下余談。作中若かりし頃のタカ&ユージが出てきますが、当時のTVドラマの映像素材ではなくAI生成CGが使われていた気がしますが気のせいですか?特にミドル鷹山に違和感があったのですが。多分ハリウッドあたりでは当たり前になりつつある技術だと思いますが、いずれ年齢差を理由とする配役吹き替えが無くなるんでしょうか。そうだとすれば正直ちょっと嫌だなと思います。似たイメージの俳優で吹き替えたり、直接顔を映さない演出だったり、今まで培われてきた技術や工夫が失われていくようで少し寂しく感じるのです。究極的には俳優さんも要らなくなる理屈ですし。
[映画館(邦画)] 7点(2024-09-05 19:45:28)
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