耳をすませば(1995) の おら、はじめちゃん さんのクチコミ・感想

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耳をすませば(1995) の おら、はじめちゃん さんのクチコミ・感想
作品情報
タイトル名 耳をすませば(1995)
製作国
上映時間111分
劇場公開日 1995-07-15
ジャンルドラマ,ラブストーリー,ファンタジー,アニメ,青春もの,学園もの,音楽もの,漫画の映画化
レビュー情報
甘ったるい映画である。いわゆる青春モノであって、ジャンル的にはよくある類であろう。しかし、9点を付けて見た。8点が映画としての最高の点である。とすれば、9点は? 人の意志が具体的な力を持つに至り、かつ、それに自分が感応した場合の点かな。 この映画を表現するのに、高揚感という言葉を使っている。 高揚感を説明するのは、難しい。そこで、いくつか同類と思われるものを挙げてみようと思う。映画で言えば、「ナチュラルボーンキラーズ」が妥当なところか。しかし、ここではコミックの「Big Heart」というのを挙げておこう。これには「ジョ-のいない時代に生まれて」との副題が付いていて、むしろこっちの方が端的である。要するに、かつての挫折とセットでしかあり得なかった高揚感ではなく、リアルを求める気持ちである。この気持ちは純粋なモノであり、極めて社会と折合いをつけにくい類のモノである。すなわち、ある特定の状況下でしか、リアルを感じられないようになる。例えば、落合信彦は石油採掘の山師だった。シリコンバレーのトレジャーハンターも近い線だろう。あるいは、幸田真音の「インタンジブルゲーム」でもよい。幸田真音はNHKでドラマ化されたのをきっかけに、メジャーになったと思う。日本人にイメージできるのはソロスくらいで、それも名前を知っている程度の知識のようだが、銀行でトレーダーとかディーラーと呼ばれる、自己売買してサヤを稼ぐ人種を主に扱っている。さて、高揚感には、2つの側面がある。まず表面的な特徴として、人格をかけたリスクが存在する事。これがあるからこそ、高揚感はスパイラルを描きながら、自ら高みへと上昇していく。そしてもうひとつは、その起源である。モノを生み出そうとする、ヒトにしかない、根元的な欲求である。知恵と罪とが同じものの別の側面であるとして、それゆえに人を人たらしめる本能がこれである。 以下は、ファンタジーであり、私の勝手な妄想である。 この映画には、高揚感がある。 だから好きなのだ。そういう話をしていると、こんな話を聞かされた。これを撮った人は、この後、すぐに死んでしまったらしい(すなわち遺作でもある)。 それで、なるほどと思った。 根拠はない。しかし、この映画を見る限りこの人、そのことを知っていたか、あるいは予感していたのだと思う。そうでなければ、これほどただ、ひたすらに証明する必要はなかったのだ。 この話を聞かされる以前は、創作活動に埋没していく時の高揚感に、共感していた。例えば、お父さんが「娘が物語以外の本を探しているのを初めてみた」というセリフは、犠牲を意味している。全ては手に入らないのだ。しかし、この話を聞かされた後では、自分が感じていたものが形を為していた。 死ぬ前に、どうしても撮りたいと、思った。その気持ちにこそ、私は共感する。 目前の死に対抗するために撮ったのがこの映画だとすれば、これほど相応しい映画もあるまい。 恋はきっかけだったかも知れないが、高揚の対象ではない。高揚の対象は、作る事、生み出す事であると言えよう。それが証拠に、撮り手はこんなエピソードを挿入している。 研ぎすまされた創造の欲望は、時に知り得るハズのない真実を期せずして云い当てたりするモノである。これ自体、ほとんどファンタジーなのだが、まんざらあり得ない話ではない。ウォーホルお抱えの刷り師殿が、「どうも、何度刷り直しても死んだようにしか刷れない。おかしい」と、悩みはじめて数日後にウォーホル本人が死んじゃったとか、前述幸田真音が銀行不祥事の話を小説にして、1年たたないウチにまるきり同じ不祥事が新聞をにぎわせたとかね。 物語の話から作り手の話への展開。「きっとこの時計を作った職人が届かぬ恋をしていたんだよ」 ならば、この映画自体の作り手が劇中以外で真に欲していたものは? この映画には、創造の欲望が満ちている。それは断ちがたい未練であり、存在証明である。清廉にして、切実なこの欲望は、情動であって、より平易に云えば、すなわち「生きたい!」なのだ。 さて、ここまでは仮説である。そこで気になって、調べて見た。 1950年3月31日、新潟県生まれ。1998年1月21日永眠。死因は、解離性大動脈瘤。享年47歳。(出典:「ジブリデータベース」http://www.kt.rim.or.jp/~fjwrmsyk/cgi-bin/database.cgi?KEY=KONDOUYOSIHUMI) 公開(封切)年月日は、1995年7月15日。(出典:「日本映画データベース」http://www.jmdb.ne.jp/1995/ds001690.htm) その間、約2年半か。こりゃあ、(知っていた事について)仮説は仮説のままかねえ。 その他、雑感。 バイオリンの第一声は、あまりにも、うますぎないか。※ 歌えと要求されて足で拍子をとるシーン、しかしこれは女の子のドキドキでもあるのだ。わたしもドキドキした。 なお、挙げ足取りがあるようなので、見解を示す。脚本も良く出来ている。野球部の件など、ちゃんと説明されている。キャラクターの心の機微は、これ以上説明するべきでない。「結婚しよう」も定着したいと思うに至る過程が説明されているので、それはそれでよいのだ。 ところで、ここでひとつ社会問題について、言及しておきたい。女の子は、あっさり負けを認めた。つまり、もっと勉強しなくちゃと(対象が小説なので、妥当)。これは、一所懸命やったからこそ到達した観念である。今、大人たちは負けを認める能力を失っている。その理由は、単純だと考えている。彼等は、自分の人生を賭けたりはしなかった。ただ、濡れ手で粟とか、一獲千金とかを夢見て、自分がすでに失敗している事からも目をそむけている。もっと、一所懸命生きろよ。それから、行政にすがるのをやめろ。(個人的なストレスです)※ミケランジェロのピエタには、聖母マリアが若すぎるとの批判がある。心に映る映像と目に見える映像には、隔たりがある。特に、これは時間が経てば顕著である。いい悪いの問題ではないし、目に見えたものこそが現実だともいいきれない。男の子の弾くバイオリンは、女の子には圧倒的にお上手に響いた事だ
おら、はじめちゃんさん 9点(2003-03-09 05:29:48)
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